連載
posted:2015.1.20 from:三重県北牟婁郡紀北町 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
writer profile
Erika Murata
村田恵里佳
むらた・えりか●大阪生まれ、大阪在住のフリーライター。生粋の河内っ子としての土着っぷりをいかし、関西の郷土史をひも解く取材がライフワーク。ここ数年は「カレー」「チャイ」「和歌山」の取材多数。
credit
撮影:倉科直弘
ウッドメイクキタムラからつながる三重の森のはなし
鈴鹿山脈や大台山系をはじめ、県土面積の3分の2を占める森林が、
土砂災害や地球温暖化を防ぎ、多様な生物が生きる環境を守ってくれている三重の森。
しかし、そのうちの62%である人工林が、木材価格の低迷や
林業の衰退により手入れ不足で、現在、機能の低下が危惧されている。
そこで県は、認証材である〈三重の木〉や〈あかね材〉の存在を広めながら、
公共施設の木造化、森林環境教育の取り入れ、〈みえ森と緑の県民税〉の導入など、
多彩な取り組みに力を注ぎ、災害に強い森林づくりと、
県民全体で森林を支える社会づくりを目指している。
なかでも2014年には、木質バイオマスを利用した発電所の運転を開始。
虫食いなどの被害材や廃棄材を燃料用チップとして有効利用するだけでなく、
それらの木材を生産するための人材雇用を拡大するなど、
林業全体が活性化するための方策づくりに挑戦している。
元大工、裸一貫で工房を開く
三重県南部、紀勢地方にある紀北町海山(みやま)。
地名の通り、海も山もそばにあるこの場所で、
約20年間、木製品づくりを続けている〈ウッドメイクキタムラ〉。
工房を立ち上げたのは、このまち生まれの北村英孝さん。
なんでも、少年時代は「どうもならんことばっかりしょった」悪ガキで、
16歳の頃、学校の校長先生の一声で親方のもとへ送られた元大工だそう。
隣町の尾鷲市で、きびしい親方のもとに6年勤めて、名古屋へ。
「大工職人としては25年やったかな。
時代の流れでプレハブ建築が増えてきて、ベニヤを使う機会が多なってね。
いまこそ規制が厳しいけど、当時のベニヤは扱ううちに目が痛うなった。
ホルムアルデヒドが嫌で、天然の木でできる仕事をしようと思うて。
裸一貫で工房を始めたんさ」
現在は住宅建築こそ請け負わないが、可動式の小屋やシステムキッチン、
住宅のリフォームなど、“ちいさな大工仕事”は手がけている。
さらに、テーブルやイスなどの家具、建具、クリップボードや名刺入れなどの小物まで、
オーダーによってさまざまな製品を生みだしている。
アイテムは多彩だけれど、使う木材はただひとつ。
地域のブランド材〈尾鷲ヒノキ〉だ。
それもすべて、江戸時代後期から紀北町で林業を営む
〈速水林業〉から仕入れるFSC認証材のみ。
FSC認証とは、国際的機関であるFSCによる評価のひとつで、
環境・社会・経済のすべての面において
適切に管理された森林から伐りだされた木材にのみ与えられる証明のこと。
速水林業は、そんなFSC認証を日本で初めて取得した先駆者。
そのパートナーとして、木製品づくりを行うのがこの工房だ。
「ここら、見渡す限り山ばっかり。
だから、なんで輸入材を使わんならんのか? って、ずっと思ってたんよ。
FSCというのは、製材所も認証を受けたところでひいてもらわんと認められんのさ。
だから、うちは製材も地元の塩崎商店という認証を受けたところだけ。
どこの森の木で、どうやってうちまで来たかが全部わかる木なんさ」
トロのように極上な尾鷲ヒノキ
工房の木材群を通り抜け、「これだけの年輪のものはなかなかないと思う」と、
北村さんが大切そうに見せてくれたのは、樹齢およそ100年の一枚板。
製作中の神棚にも、ちょうど同じ年の一枚板を使っているという。
ほんのりとピンクを帯びた白色。上品でひかえめな木目が美しい。
その横で、角材をボンドで接いだ板がある。
一枚板でも幅が足りないテーブルなどを製作するときには、
まず、こうした集成材をつくる。不揃いの小口を見れば、集成材だとわかる。
けれど表面は、まるで一枚板かと見まがう自然な木目に驚く。
「これが、速水林業の木のすばらしさ。
100年、200年と木を育てるために、もちろん間伐をする。
その間伐材というのも、70~80年生きた木なんさ。
それも山師が丁寧に枝打ちをして、節のない木を育てているから、
どこをひいても無地。マグロでいうたら、トロやね。
腕効きの山師が育てた極上の木材なんさ」
Page 2
木でつくれないものはない
これまでは、北村さんが職人仲間の堀内敏彦さんとともにデザインを考え、
試行錯誤を重ねて多彩な商品をつくり上げてきた。
しかし2014年、初めての試みとして、
家具デザイナー小田原 健とタッグを組んだテーブルセットを製作。
最近では、薄型対応のスマホスタンドをつくるなど、
時代に応えようと励む姿勢がたくましい。
「こんなんつくったらどう?って、いろんな人が言ってくれる。
はじめは、そんなの聞き入れなかった。
でも、わしらが自信持ってつくるものは、たいがい売れんのよ。
だから、求められたものをつくる。
聞く耳を持って、アイデアをもらわなあかん。そう気づいたんさ」
そうして生みだした商品は、システムキッチンに神棚、木製クリップボードまで、
バリエーションは数知れず。
「身近にあるプラスチック製のものでも、
“木でつくれますよ”、ってアピールしていきたいもんでね。
わしは、土に還るものを目指しとんのさ。だから塗料も、100%天然のものを使う。
試行錯誤の苦労はつきまとうけど、木でつくれんものはない!
木に接していると、気をもらう。だから、いつまでも挑戦しよう思えるんさ」
50年来の相棒、鉋で仕上げる一生もの
工房の片隅で、大事に袋にしまわれた木っ端たち。
床には、おが屑がふかふかに敷かれていて、
まるでクッションの上を歩くように気持ちがいい。
機械鉋(かんな)からこぼれる、大きな鰹節のような屑も、
ねじりあげて紐状にし、バッグや帽子を編むのだそう。
「木に無駄な部分はない。うちで使う木は最低でも70年は生きている。
粗末にしたら、木に申し訳ない。だから、“そつなく”使いたいんさ。
それに大工時代からの経験で、尾鷲ヒノキは鉋で削ると
ツヤが出るのがわかっとるもんで。仕上げはかならず鉋さ」
そういって、北村さんが道具棚から引っ張りだしてきた鉋のコレクションは、10種近く。
大工時代から数えて半世紀の付き合いになるものもあるという。
機械鉋も使うけれど、仕上げは決まって手作業。
相棒の鉋をにぎり、刃をあてた手元には、完成間近のまな板が横たわる。
まな板の元材は、樹齢約80年の一枚板。
紀北の森で80年生きた木が、職人の手であらたな姿に生まれ変わる。
華麗な鉋さばきで削り込まれたまな板は、
みるみるうちに、鮮やかな光沢を帯びはじめた。
「ここらの森は、土地が痩せていて栄養分が少ないから、年輪の細かいヒノキが育つ。
締まりがあって、脂が詰まってる。だから磨けば磨くほど、光沢が出てくるんさ」
完成したまな板に触れてみる。
つるりと手ざわりのよい美肌と、ヒノキの甘い香りにうっとり。
すべての角が面とりされていて、手にやさしくなじむ質感が愛おしくなる。
森から家庭の一角へ。場所は変われど、
北村さんの手仕事で仕上げられた木製品は、さらに何十年と生き続け、
使う人にとってかけがえのない、一生ものになってくれるはずだ。
Page 3
木のある暮らし 三重・ウッドメイクキタムラのいいもの
information
ウッドメイクキタムラ
Feature 特集記事&おすすめ記事
Tags この記事のタグ