連載
posted:2015.1.19 from:宮城県登米市 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
writer profile
Sawako Numata
沼田佐和子
ぬまたさわこ●エディター/ライター。宮城県名取市出身。震災の津波で、家に漁船が流れ着いたため、仙台に移住。大して愛着もなかった地元が急に愛おしくなり、週末ごとに通う日々。一番好きなのは娘。本と純米酒も好き。牛たんのお店も詳しいです。
credit
撮影:佐藤紘一郎(Photo516)
もくもくハウスからつながる宮城の森のはなし
県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。
まちおこしの一環で誕生した「矢羽」
足を踏み入れると、やわらかな木の香りに包まれる。
高い天井に渡された梁も、年季を感じる床材も、すべてが木。
〈もくもくハウス〉は、思わず深呼吸したくなるような、そんな空間にある。
津山町は、面積のおよそ82%を森林が占める、人口3000人ほどの小さなまちだ。
古くから木材の産地として知られていたが、特に重用されたのが津山杉。
木目も色味も品がいい津山杉は建築材として全国に名を馳せていた。
しかし、第二次世界大戦後、国産スギの需要は徐々に減少。
津山杉の伝統を受け継ぎ、地域に地場産業と就労機会を創出する場をつくりたいと
〈津山木工工芸品事業協同組合〉が中心となって1982年にスタートしたのが、
〈もくもくハウス〉を流通の拠点とした取り組みだった。
「全国各地で、地域おこしが行われるようになってきた時期でした。
津山町でも、独自の製品を開発してまちをもっと盛り上げたいと思ったんですね」
そう話すのは、もくもくハウスの阿部幸恵さん。
取り組みのキモとして、大学と共同で開発したのが〈矢羽〉だった。
矢羽は、スギ材の圧縮を繰り返してつくる合材のこと。
木目の模様から、そう呼ばれるようになった。
複数の木を組み合わせてつくるので、ソリが少なく、まっすぐな資材になる。
製造には特殊な技術が必要だが、その木目の美しさからすぐに評判を呼び、
矢羽を使ったさまざまな商品が生まれた。
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子どもたちに木の魅力を感じてもらいたい
もくもくハウスで扱う商品は、現在100以上にのぼる。
カラトリーや家具、文具などが多彩に揃うが、
なかでも注目したいのがおもちゃだ。
「塗料を最小限に抑えて“森の香りがするおもちゃ”に
仕上げているものが多いですね。
木のおもちゃは、軽いし、さわるとあたたかい。
お子さんやお孫さんへのプレゼントとして購入する方が多いですが、
自分用として購入する方もたくさんいらっしゃいますよ。
おもちゃは使っているうちに、ちょっとずつ手になじみ、
色やツヤも変わってきます。愛着を持って長い間使うことを、
子どもたちに身を持って感じてもらいたいと思っています」
津山の木工芸界に吹きこんだ新しい風
いま、津山の職人が頭を悩ませているのが、後継者の問題だ。
もくもくハウスを中心としたまちおこしの試みが始まったとき、
働き盛りだった職人は、現在そのほとんどが60代以上になっている。
そんななか、新たに木工芸の道に足を踏み入れたのが板橋芽衣さん。
板橋さんは、芸術系の大学を卒業後、
就職先として〈木工加工センター〉を選んだ。
木工加工センターは、矢羽の製材から加工までを担う製材所。
「卒業制作で矢羽を使ったことをきっかけに、興味が強まりました。
津山の矢羽は本当にきれい。
やわらかいので、傷をつけないよう作業するのは大変ですが、
木工芸の世界は奥が深い。毎日がおもしろいですね」と板橋さん。
もくもくハウスは、2011年に仙台に新たなショップをオープンした。
仙台店ではイベントなども積極的に開催し、
津山杉の良さにふれてもらう機会を生み出している。
30年以上続く、スギを使った津山のまちおこし。
これからも、新しい挑戦を続けていく。
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木のある暮らし 宮城・もくもくハウスのいいもの
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クラフトショップ もくもくハウス
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