連載
posted:2015.1.7 from:高知県安芸郡馬路村 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
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撮影:高橋正徳(日本写真家協会)
エコアス馬路村からつながる高知の森のはなし
太平洋に面した高知県だが、すぐそばには雄大な山々が迫る。
県土の84%を森林が占め、森林率は全国1位。
清流・四万十川や仁淀川、豊富な資源を有する海も、
この大きな森林によって守られてきた。
だからこそ、人と森林の関わりも密接。
人工林率は65%とこちらも全国2位の高い割合だ。
しかし、木材価格の低迷によって森林環境は荒廃。
森はもちろん、川や海にも悪影響を与え始めていた。
そこで、全国に先駆けて平成15年に「森林環境税」を導入。
森の保全だけでなく、子どもたちの森林環境教育や、
県産材の利用支援などにも活用されている。
また、県産材にこだわったプロダクトも数多く誕生。
安芸郡馬路村を中心に自生する「魚梁瀬杉」や
四万十流域で生産される「四万十ヒノキ」など良木の生産地である誇りと、
高知らしい自然環境を守るため、今日もだれかが森を思い、木と向き合っている。
新しい魚梁瀬杉の可能性をカタチに。
森林面積は村の96%、まさに山々に囲まれた森の村、高知県安芸郡馬路村。
高知県県木指定の「魚梁瀬(やなせ)杉」に代表される良質の木材産地として、
古くから林業がさかんな地域である。
豊臣秀吉の時代、土佐藩主・長宗我部元親が献上したことから、
この地域で伐り出される魚梁瀬杉は良質の木材として全国に名を轟かせることとなる。
美しい木目と淡紅の色合い、清涼感あふれるスギの香り。
高級建材だけではなく、まったく新しい魚梁瀬杉の可能性が
カタチになった製品がエコアス馬路村にある。
「monacca」だ。“モナッカ”と発音する不思議なかたちのバッグは
どのようにして生まれるのだろう。
「遠いところまでよくおいでくださいました!」と
出迎えてくださった総務企画課 山田佳行さんの名刺に驚く。
“本当に木?”と目を疑うほど、まるで紙のように薄く加工された魚梁瀬杉。
折り曲げても剥がれないよう工夫されている。
かつて紙が普及する以前には、記録媒体や仏具、包装材などとして、
薄く加工された木の板「経木」が使用されていた。
木を薄く加工する技術は昔から暮らしのなかに生かされてきたものであり、
この技術から着想し、馬路村の製品の多くは展開されている。
monaccaをかたちづくるのも、もとはこの薄い板なのである。
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技術 × 想像力。
スギを釜で煮込んだ後、水分を含んだまま巨大なスライサーで薄くスライスしていく。
一本一本、木の大きさも状態も違うので、スライサーの刃の角度調整や、
木と刃の相性の見極めに職人の目と技術がものをいう。
スライスした木がmonaccaの表面に向くものもあれば、
見えないところに使うほうがよいものもある。
スライスしたものが、どの部分に向いているのかの判断も重要だ。
紙のようにスライスされたスギの木を一枚一枚重ねると、
スライスする前の、もとの木の姿が現れるのがとても面白い。
これがmonaccaのもともとの姿だ。
これを特殊な接着剤で6層に積み重ね、
硬質アルミの金型で加熱しながらプレスし、立体成形していく。
木は、樹脂のように伸びないため、薄い木を立体的で丸みを帯びた
やさしいかたちにしようとすると、カーブにシワができてしまう。
パッと見ただけでは簡単にできているように見えるが、
シワが少なく美しい曲線をつくり出すのに、
何度も試作と試行錯誤を重ね、苦労の末に立体成形に成功。
職人とデザイナーが研鑽し獲得した高い技術が、ここに反映されている。
同じ技術を応用し製造されているうちわは、ノベルティにひっぱりだこ。
うちわの面に企業のメッセージなどを印刷する加工も人気だ。
繰り抜いた後のかたちも面白く、ここからまた何か新しいものができそうで
イマジネーションが広がる。加工場のあちこちから、
この技術を生かした製品づくりの可能性を大いに感じさせる。
森と生きる。これまでも、これからも。
加工場近くの神社で、ご神木として大切に守られてきた
大きな魚梁瀬杉を見上げながら、かつてこの地域一帯に
総延長250キロにも及ぶ「魚梁瀬森林鉄道」が敷かれていた時代に思いを馳せる。
森林資源に恵まれたこの地区の木材搬出のため、
明治44年、国内3番目の森林鉄道として開通。
山奥にある魚梁瀬杉の森から、太平洋に面した川下のまちまで、
大規模な鉄道は木材だけでなく、さまざまな物資や人を、そして文化も運んだ。
ダム建設により昭和38年、鉄道は廃線となるが、
いまも繁栄の痕跡が村のあちこちに産業遺産として残っている。
1000メートル級の山々が連なるこの村で長い年月をかけて育った木々、
そして先代が残してくれたこの森を育て、
森へ還元していく「永遠の森づくり」が馬路村の生き方だ。
「子ども、孫の代まで暮らしていけるように自分たちが残していかんと」
という山田さんの言葉に、これからも森と暮らしていく決意がある。
monaccaから「森の村」馬路村の風景を感じていただけたらと思う。
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木のある暮らし 高知・エコアス馬路村のいいもの
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