相生〈魚稚〉 兵庫の港の間近で味わう 海の幸バーベキュー

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海の間近で、はふはふバーベキュー。

瀬戸内海の海が冬の太陽をきらきらと穏やかに反射させています。
兵庫県相生(あいおい)市、その湾横に立つ相生市水産物産市場の建物。
その駐車場は、休日となれば、他府県ナンバーの車も並んで大盛況。
「ウチは、魚屋なんよ、最近は口コミでね~、
多いよ~お客さんが~」と話してくれるのは、
いまは水産市場に唯一入る魚屋「魚稚(うおわか)」の社長。
このシーズンのお客さんたちのお目当ては、相生港でとれる牡蠣。
そして、ここは、海の間近でバーベキューが楽しめるのです。
ドラム缶をカットしたバーベキュー台を挟んで
キャンプ場によくあるテーブルと椅子が何列も並んでいるのに、
どの席も人、人、人。焼き網の上には、牡蠣、牡蠣、貝。

「バーベキューはサービスなんよ」ということで、すべてがセルフ。
まずは、いけすをのぞき込みながら食べたい魚介をチョイス。
マテ貝、サザエ、ホタテにはまぐり、海老などトレイにのせてもらって。
牡蠣はグラムでレジにてお会計。軍手とトング、紙皿、割り箸を用意したなら、
空いた席に、ずずっと座ってバーベーキューのスタートです。
おおっと、生ビールも忘れてはいけません。
回転率をあげるためでしょうか、お酒類のメニューは、コレだけ。
持ち込みも禁止です。ささっと、食べてお腹を満たしましょうと、
山盛りの貝たちを網の上に並べて焼きにかかります。

有田焼創業400年  ARITA EPISODE2の胎動 後編  コラボレーションの未来型

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-041' append=' はこちら']

1616年にうまれた有田焼。来年、創業400年を迎える。
これまでの400年を「ARITA EPISODE1」として、
その第2章「ARITA EPISODE2」が動き始めた。
今回は新しい有田焼のプロジェクトを紹介しよう。
まずはテクノロジスト集団「teamLab(チームラボ)」 による
未来の有田焼をイメージしたデジタルアート映像から。

「未来の有田焼があるカフェ」

「未来の有田焼があるカフェ」。teamLab による有田焼デジタルアート。

これは昨年、佐賀県立九州陶磁文化館で行われた展示の様子。
有田焼のイメージはいまさまざまなクリエイターとのコラボレーションによって進化している。

「2016/ project」

いま有田は世界中のアーティストに注目されている。
有田というまちを「世界のクリエイターが集まる聖地」にしようという動きだ。
有田焼の窯元や商社と世界のデザイナーによるコラボレーションを行う。
さらに地元のまちづくりや教育、研究機関と連携しながら、
滞在型ワークショップや交流の場を創出する「プラットフォーム」にしようというもの。
その中核的なプロジェクトが、16の有田・伊万里の窯元と商社と
16組の世界のデザイナーがひとつのブランドを作り上げる「2016/ project」である。
クリエイティブ・ディレクターとして
「1616 / arita japan」も手がけるデザイナーの柳原照弘さん、
Co.ディレクターとしてオランダのデザイナー、
ショルテン&バーイングスさんが関わっている。
現在、オランダ、スウェーデン、イギリス、アメリカ、スイス、ドイツ、フランス、日本という
8か国のデザイナーが参加している。

柳原照弘さん

柳原照弘さん。1976年 香川県高松市生まれ。「1616 / arita japan」、「2016/ project」のクリエイティブ・ディレクター。

「2016/ project」のクリエイティブ・ディレクター、柳原照弘さんにお話を伺った。
「有田は小さなエリアにいろんな窯元と商社が集まっているまち。
約150の窯元、200以上の商社があるといわれているんです。世界的にみても珍しい。
海外の方に話をすると、有田はひとつの会社だと思っている人もいる。
普通はひとつの会社が大きく拡大していくのに対して、
たくさんの窯元と商社が集まって全体として有田焼を形成している」

その多様性に世界各国のデザインセンスがかけあわされて、
有田焼が歴史や技術と共に世界中のさまざまな場所へ届き使われ、
未来に継承されていくことを目指すのが「2016/ project」だ。
コラボレーションはどんなかたちで行われているのだろうか、柳原さんにお聞きした。

「窯元さんには今までの有田焼の概念をいったん忘れてください、と言っています。
いったんゼロになったうえでデザイナーのアイデアや意見を聞き、
プロフェッショナルとして本気になってもらう。
それぞれが役割を全うして力を出し切って生まれたものが、
これからの有田焼になっていくと考えます」

そもそも有田焼はこうだから……という固定観念を窯元自体が捨てていくことで
イノベーションが生まれるわけだ。ではデザイナーに対してはどうだろうか。

「デザイナーに対しては歴史をできるだけ知ってほしい。
しかし歴史をなぞることはしないでほしい、と言っています。
日本風に有田焼のお茶碗をつくるとかではなく、
その技術を自分たちの国での生活のなかで使えるものとして提案してほしい。
参加しているデザイナーはそれぞれの国ということを超えて、
世界中にマーケットを持っています」

16組のデザイナーが持つ世界市場。そこにアジャストした新しい有田焼のスタイル。
それが「2016/ project」。それぞれの新作は2016年の4月にミラノサローネで発表の予定だ。

「2016/ project」

「2016/ project」。スイスを拠点とするデザインユニット「BIG-GAME(ビッグゲーム)」が有田の窯元で熱心にリサーチを重ねる。撮影: Kenta Hasegawa

柳原照弘さんと在日オランダ王国大使館・報道・文化部のイネケ参事官

柳原照弘さんと在日オランダ王国大使館・報道・文化部のイネケ参事官。「2016/ project」を実施している佐賀県はオランダ王国大使館とも連携協定を結んでいる。有田焼とオランダの関係は江戸時代のオランダ東インド会社(VOC)にまでさかのぼる。撮影: Kenta Hasegawa

第6話・神戸元町の バレンタイン・デー

第6話
神戸元町のバレンタイン・デー

神戸の元町にやってきた、グレアムさんと
お友達のアーティスト、鈴木まりやさん。
ちょうどバレンタインの日ということで、
アーティスト二人がなにかを思いついたようです。
ちなみにどの店舗もオープンスタイルなので、
きっと寒いはず、とグレアムさんは心配そう。

有田焼創業400年  ARITA EPISODE2の胎動 前編  技術の「伝承」と新しい「伝統」の 第二章にむけて

「ARITA EPISODE1」から「ARITA EPISODE2」へ

佐賀県有田町を中心につくられる有田焼。
来年2016年に有田焼は創業400年を迎える。
一昨年末、創業400年に向けて「ARITA EPISODE2」プロジェクトが始動した。

その前に「ARITA EPISODE1」とは何か。
1616年に日本で初めて磁器を焼成して以来、400年にわたり、
ものづくりの進化と革新を続け、今に引き継がれる有田焼。
その400年の歴史を「EPISODE1」という。
まずは以下の動画をぜひご覧いただきたい。

有田焼プロモーション映像。悠久の歴史を刻んできた有田焼の匠の技と伝統の美が、有田のまち並みや花鳥風月とともに描かれている。

1616年に有田焼の歴史は始まる。
かつて秀吉の朝鮮出兵のときに朝鮮から連れてこられた陶工 李参平が
有田の泉山(いずみやま)にて、良質の磁石を発見することから始まった。
李参平は日本で初めて白磁を焼いた有田焼の祖と言われている。
良い磁器をつくるために必要なのは
「磁石」と「きれいな水」と「燃料となる赤松」。
そのすべてが有田にはあった。
その後、17世紀から18世紀にかけて
オランダ東インド会社(VOC)を通じてヨーロッパに輸出され、
ヨーロッパの王侯貴族たちに愛された。

有田焼は「柿右衛門様式」「古伊万里」「色鍋島」など
さまざまな様式の変遷を経て、
世界において日本の磁器を代表する代名詞となっていく。
明治に入ってからはパリ万博で最高賞を受賞するなど、
有田焼の黄金期を迎える。その後、輸出量は減少するが、
国内においては昭和の高度経済成長とともに需要が拡大。
平成3年に最盛期を迎えた。

そして来年、有田焼は創業400年を迎える。
これまでの400年を第一章「EPISODE1」として一度句読点をうち、
これからの100年を「EPISODE2」として、
新たな時代の始まりを告げるストーリーへと踏み出そうとしているのだ。

いま有田焼は産地としての危機を迎えている。
この20年、右肩さがりで需要は落ちている。
「有田焼の危機を乗り切って、有田焼の次の100年につなげていきたい」
「有田焼500年の礎を築きたい。新しい有田焼の物語を紡いでいきたい」
佐賀県の職員、有田焼窯元や商社、デザイナーたちの
そんな想いが集まり始まったのが「ARITA EPISODE2」だ。

泉山磁石場

泉山磁石場。1616年前に朝鮮の陶工、李参平によって良質の石が発見されたところから有田焼の歴史が始まる。400年間でここにあった山が有田焼の器に変わった。

有田焼を代表する窯元、柿右衛門窯

有田焼を代表する窯元、柿右衛門窯。

新たな道に挑戦する職人魂で デザイナーと協働する。 KIKOF後編

前編:[ff_titlelink_by_slug slug='tpc-thi-tsukuru-039' append=' はこちら']

繊細なデザインを実現するため、初挑戦の数々

琵琶湖のほとりで長年培われてきた伝統工芸の技術を生かして、
現代のライフスタイルに合うプロダクト製作を目指していく
「Mother Lake Products Project」。
その一環として立ち上げられたブランドが「KIKOF」だ。

第1弾として発売された信楽焼で製作されたテーブルウェアは、
独創的なフォルムで、まるで紙のように薄い。
それはクリエイティブデザイナーが「キギ」だからかもしれない。
キギの植原亮輔さんと渡邉良重さんは、
「D-BROS」というプロダクトブランドを手がけている。
まずアイデアがあって、それを具現化できる業者を探すというやり方だったが、
今回のKIKOFでは、職人も技術も決まっているところからのスタート。
「最初はうまくできるか半信半疑でした」と植原さんも不安があった。

植原亮輔さんと渡邉良重さん

キギの植原亮輔さん(左)と渡邉良重さん(右)。

キギは、グラフィックデザイナーであって、プロダクトデザイナーではない。
それでも「自分たちらしさを出していこう。
グラフィックデザイナーがつくる陶器ってなんだろう?」と考え、
まずは2次元である紙でイメージをつくってみたという。

植原さんいわく「一番難しそうだったから」という理由で、
まずはピッチャーをつくってみようと思った。

「鳥のくちばしのような注ぎ口があまり好きではなかったので、
もっと自然なかたちでできないか考えてみました。
選択肢としては6角形か8角形か10角形かなと思ったんです。
6角形は尖っていてあまり美しくなく、10角形だと角がないのでうまく注げない。
ちょうどいいのが8角形でした。
紙でつくってみたら、けっこういい感じになったんです。
それならすべて8角形のデザインにしてみようと思いました」

このペーパークラフトをイメージサンプルとして、信楽焼の丸滋製陶に提案した。

〈林 木工芸〉 組子細工の技術を使った モダンなデザインの 「木のあかり」

林 木工芸からつながる青森の森のはなし

青森県は、森林面積が県土全体の約66%を占めている森林県。
スギ、ヒバ、ブナ、アカマツなど多様な樹種が分布する県でもあるが、
このうちスギの人工林面積が一番多くを占めており、
その利用拡大が課題となっている。
青森県の木にもなっている青森ヒバは、
下北半島や、津軽半島に多く分布している。
近年は、保護の観点から植栽や間伐を行いながら、計画的に供給されている。

木工の技術を新たなフィールドに生かす

わずかな大きさの木片と木片を組み合わせ、
麻の葉、千本格子など、連続した模様を表現する組子細工。
木工技法のひとつで、古くから日本の建物のハレの空間を彩ってきた。
最古の木造建築といわれる奈良の法隆寺に使われているのだから、その歴史は長い。
そんな伝統的な組子細工の技術をデザインに組み込み、
照明のプロダクト〈木のあかり〉を生み出したのが、
山形県米沢市に工房を構える、〈林 木工芸〉の林 久雄さんだ。

取材に訪れたときには、組子を生かした壁画という大作を手がけていた林さん。

敷地のなかには工房とは別に〈木のあかりギャラリー〉が建てられ、
これまでつくった大小さまざまな木のあかりが多数並んでいる。
和の技術が使われていながら、ピラミッド型や四角柱など洗練されたかたちで、
丁寧に組まれた組子の隙間からこぼれるあかりの美しさもさることながら、
それ自体のたたずまいも、彫刻オブジェのよう。

価格も1万円代からと購入しやすい金額から揃う。

御殿場・御殿流白和え

濃厚な白和えの味を支える、意外な材料。

[ff_textlink_by_slug slug="tpc-foo-tasty-012"]前回[/ff_textlink_by_slug]に引き続き、静岡県の御殿場市よりお届けします。
ご登場いただくのは、引き続きこのお三方。
ナガイちゃん(私の大学の同級生)のお母様、永井すみ代さん。
おばあちゃんの永井いささん。
ご近所に住む、佐藤ちゑさんです。

今回はお母さんに御殿場流の白和えを教えていただきます。
お母さん、ここいらではよく知れた白和えの名人とか。
では続きをどうぞ。

母「東京じゃ、白和えっていうと胡麻使うんだって?」

はい。

母「リエコ(ナガイちゃん)が言ってた。

東京で白和え食べたら、胡麻だったからびっくりしたって」

テツ「あの、お母さん何を使うんですか?」

母「ピーナツ使うのよ、このあたりじゃ」

ほー、それは食べたことないですね。

母「これ、材料」

お母さん、とってもご準備がよくて助かります。

母「それとこれ、スキッピー」

なぬ! 久々に見たぞスキッピー!

子どものとき、好きすぎてパンにつけずにそのまま舐めてたっけな~。

母「ほんとはね、ちゃんとピーナツを擦ってペーストにするんだけど、今日はいいよね」

はい、いいです。

★御殿場流白和え

材料 
絹ごし豆腐 ほうれん草 にんじん こんにゃく 味噌 砂糖 スキッピー(粒なし)

豆腐を水切りしておく(1~2時間)。
にんじんを短冊切りにして茹で、醤油、みりん、酒、砂糖で下味をつけて冷ましておく。
こんにゃくも同様の下処理をしておく(濃いめに下味をつけるのがポイント)。
ほうれん草を塩を入れたお湯でさっと茹で、水気を絞って切っておく。

1. 味噌と砂糖、スキッピーをすり鉢でよくすり合わせる。

2. ボウルに冷ましておいたにんじん、こんにゃくとほうれん草を入れ、も加えてしっかりと混ぜ合わせる。

3. 水切りしておいた豆腐を入れ、ざっくりと混ぜ合わせる。

テツ「けっこう手間がかかるんですね。切ったり茹でたり、練ったり」

母「そうなのよ、1~2時間かかるよね。
だから、いっぺんにたくさん作って、近所に配ったりするの」

ちゑ「この人の白和えは美味しいよ~、美味しくてすぐ食べちゃうよ」

母「おばちゃん、今日もたくさん作ったから持って帰ってね」

ちゑさん、嬉しそうに頷く。

テツ「仕上がったものを撮らせていただきますね」

母「はいはい、どうぞー」

カシャ、カシャ
うーん、つやつやでホワっとしていて、美味しそ~。

母「こんなのも作ってみたけど、どうかな」

! 

朱色のお膳の上に、ずらりとおかずが並んでいる。

テツ「お母さん! すごいですねこれは!」

母「大丈夫? こんな感じで」

テツ「大丈夫どころか、素敵すぎます~」

母「煮豆と、あとこれはちゑさんが作った八頭の茎の酢の物、それとおにぎりね」

うわー、感激~。

母「これ撮り終わったら、みんなで食べましょう」

はい!

パシャパシャ

〈noshu〉 能登ヒバを使った、 オリジナル家具

noshuからつながる石川の森のはなし

石川県は、総面積のうち7割が森林面積を占める、森林資源豊かな土地。
岐阜県との県境に位置する、標高2702メートルの霊山・白山にはブナの天然林もある。
この森林面積の約9割が民有林となるが、
戦後の拡大造林の推進により、そのうち4割が人工林として造成されてきた。
樹種は、スギ71%、能登ヒバ(アテ)12%、マツ9%だが、
なかでも能登ヒバは、能登地域に植えられる石川県独特の樹種。
昔から建材としてはもちろん、木工品などにも使われてきた。
現在、この人工林の約6割が成熟期を迎えているといわれるが、
国内全体での木材自給率は低く、木が森に残されてしまうような状況が続いている。

能登半島の穴水町。能登ヒバが植林され、手入れされている森。

故郷の木に込められた思い

石川県内で製作されている〈noshu(ノーシュ)〉は、
能登ヒバの間伐材や端材活用を考え、2010年にスタートした家具ブランドだ。

母体となっているのが、金沢市内の〈樋爪住宅研究所〉。
同社は、建築士の樋爪憲三さんが代表となり、
地元の建築関係各社の出資によりつくられた住宅メーカーだ。
能登ヒバ、加賀のスギ、珪藻土や和紙など、
石川県産の素材を使った家づくりを推進している。
そのような住宅空間のなかで、同じく能登ヒバの集成材を使った家具が考案された。

金沢市内に建つモデルハウスを訪ねると、樋爪さんが迎えてくれた。

noshuの丸テーブルとイス。イスの座面部分に使われている布はペットボトルを再生してつくられている。

能登ヒバの集成材でつくられた本棚。

床や柱に石川県のスギや能登ヒバを使っているというモデルハウスは、
中央に薪ストーブが設置され、木のぬくもり感じる、とっても気持ちのよい空間。
ここには、noshuの家具も展示されている。

「コストの問題で外材を使用してきましたが、
私も石川県の素材を使いたいという思いはずっとありました。
樋爪住宅研究所を立ち上げ、
このモデルハウスをつくるのには県の木材を多く使いました」

そう話す樋爪さんが案内してくれたのは、本棚。
「アテの集成材でつくった本棚です。
集成材は、無垢材に比べると手頃なので活用を広げられないかと。
たまたまこの板が余ったので、家具をつくれないかと職人に相談したところから
noshuの家具づくりがスタートしました」

気になったのは、能登ヒバのことを “アテ”と呼ぶことだ。
「能登ヒバのことを地元では、昔から“アテ”と呼んでいるんですよ。
なぜかはわかりませんが、そう言いますね。
ほかには、“アスナロ”とも呼ばれています」と教えてくれた。
なるほど能登ヒバには、3つの呼び名があるらしい。
樋爪さんと一緒に、まずは能登ヒバの生産地である能登半島へと向かった。

樋爪住宅研究所の代表であり、建築士の樋爪憲三さん。

第5話・ストリート哲学者の マークさん、登場

第5話
ストリート哲学者の
マークさん、登場

グレアムさんの神戸日記、第5回め。
お友達のマークさんが登場です。
マークさんはビート世代の詩人で、
ストリートの哲学者。
偶然出会った二人は、三宮の「サンプラザ」に
ランチを食べに行くそうで…

〈オケクラフト〉 置戸町から発信する 豊かな北国の生活文化。

オケクラフトからつながる北海道の森のはなし

北海道の森林面積は、全道面積の71%にあたる554万ヘクタール。
道民ひとりあたりの森林面積は約1ヘクタールと、全国平均の約5倍を誇る。

道南から道央にかけてと道北・道東の海岸線には落葉広葉樹林が、
高山帯には常緑針葉樹林が広がる。
針葉樹と広葉樹が混じり合った針広混交林があるのも特徴のひとつ。

本州とは植生が異なり、針葉樹で多いのはエゾマツやトドマツ、カラマツなど。
スギやヒノキと違って木肌が白く、雪国らしい風合いを醸し出している。

冬の厳しい風雪に耐える北海道の森。

身近すぎて見過ごしてきた資源、暮らしと結びついた技を見直そう

「木はそる 
あばれる 狂う 
いきているから 
だから 好き」

これは、日本の工業デザイナーの草分け的存在である
秋岡芳夫さん(1920~1997)の言葉。
秋岡さんは、“暮らしのためのデザイン”をテーマに、
日本各地で手仕事やクラフト産業の育成のため尽力した人だ。

北海道常呂郡置戸町(おけとちょう)には、そんな秋岡さんが収集した暮らしの道具、
通称〈秋岡コレクション〉が収蔵されている。

秋岡さんの出身は熊本県。なのになぜ、置戸町へ?
それは、秋岡さんにとって置戸町が思い出深いまちだからだ。

昭和63年に開設された森林工芸館。オケクラフトの直売店舗と工房を持つ。

置戸町は、北海道東部、オホーツク海に注ぐ常呂川の最上流部に位置する山あいのまち。
その中心部から少し外れたところに、〈オケクラフトセンター森林工芸館〉はある。
ここでは、町内20の工房で製作された
さまざまなオケクラフト製品が展示販売されている。

〈オケクラフト〉とは、置戸町で学んだつくり手が、
北海道産材を使い、置戸町で製作する木製品のこと。
秋岡さんと町民たちの手によって開発された地域ブランドだ。

館長の五十嵐勝昭さんに、オケクラフトが生まれた背景を教えてもらった。

五十嵐館長のお気に入りはサラダボウル。シチューを入れたり、お菓子を入れたり、多様な使い方ができる。

「置戸町は古くから図書館や公民館を中心とした社会教育活動が盛んで、
町民の学習意欲が高いまちでした。
1980年、社会教育計画の重点目標の第一に
“地場資源の付加価値を高める生産教育の推進”が定められると、
図書館に木に関する本が置かれたり、公民館で木工教室が開催されたりと、
住民の木工熱が高まっていきます。
なんといっても、土地面積の8割以上が山林で、林業のまちでもありましたから」

ガッポ(空洞木)を使ったユニークな遊具づくりも行った。(写真提供:オケクラフトセンター森林工芸館)

伝統技術と 斬新なデザインが融合した、 陶器とは思えない薄さと軽さの器。 KIKOF前編

琵琶湖周辺の伝統技術を活かして。

滋賀県は、長い間、
京都の文化をバックヤードとして支えたものづくりが行われてきた歴史的背景もあり、
たくさんの工芸が伝えられてきた。
その伝統技術が活かされたテーブルウェアが、
直線的なデザインが特徴の「KIKOF(キコフ)」。
全体のクリエイティブディレクションを
グラフィックデザイン会社「キギ」が担当している。

KIKOFは、「Mother Lake Products Project」の一環として取り組まれている。
これは、琵琶湖のほとりで長年培われてきた伝統工芸の技術を活かして、
現代的なライフスタイルに合ったプロダクト製作を目指していくプロジェクトだ。

その中心人物が立命館大学の佐藤典司先生。
『「デザイン」に向かって時代は流れるー感性社会を制するパワーとは何か』を
上梓するなど、専門はデザインマネジメントだ。
パッケージや広告、空間など、デザインで差別化し、価値付けすれば、
売れ方や経営が変わる。デザインで、ビジネスや地域は動く。それを考える学問だ。

立命館大学の佐藤典司先生

立命館大学の佐藤典司先生。DML(Design Management Lab)の代表も務める。

〈キシル〉 日本が誇るヒノキを みんなが欲しいものに変えていく

キシルからつながる静岡の森のはなし

富士山や南アルプスなど高地の針葉樹林から、伊豆半島の広葉樹林や海岸林まで、
静岡県には多様な森林が広がっている。県土の約3分の2が森林で、
スギやヒノキなどの人工林は約2300平方キロメートルにおよぶ。
なかでもヒノキ人工林は全国第3位の面積を有している。
全国と比較して、木の成熟度が10年ほど早く、
人工林の約85%が、資源として利用可能な林齢41年生以上の木となっている。

日光が地面まで行き届き下草が充実している天竜美林。

“日本のものづくり”を表現するのは日本の木で。

広大な浜名湖のお隣りにちょこんと佇む佐鳴湖。
緑に囲まれた湖のほとりに、キシルのオフィスとショップがある。
鉄筋やコンクリートなど無機質な素材が効果的に使われ、
木造部分の質感が程よく際立つ。
建物のまわりには、イロハモミジやヤマザクラなど、四季折々の日本の木が植えてあり、
木のタグに記されたQRコードをたどると、それぞれの木についても知ることができる。
キシルという社名は、古代ギリシャ語で“木”を意味するXYLに由来。
そして、“木”を“知る”という意味も込められている。

木に親しんでもらえるよう、〈キシルの庭〉にあるすべての木に名前とQRコードが記されている。

〈鹿沼のすごい木工プロジェクト〉 鹿沼の伝統とデザイナーの 斬新なアイデア。

鹿沼のすごい木工プロジェクトからつながる栃木の森のはなし

北部の日光・那須の山々から南部の平野まで、
県土全体が水と緑の美しい自然に恵まれている栃木県。
森林は県土の約55%=約35万ヘクタールを占め、
そのうち針葉樹林が約17万ヘクタールである。
人工林においては5~10齢級(林齢21~50年)の森林が約半分を占めているが、
間伐などの手入れが遅れている。
こうしたことから、元気な森を次世代に引き継いでいくために、
平成20年度から〈とちぎの元気な森づくり県民税〉を導入し、
新たな森づくりにも着手している。
素材の供給量は、昭和46年の約150万立方メートルを最高として
年々減少の傾向がみられ、平成24年度は約40万立方メートルとなった。
これは全国13位である(平成24年度)。
今後成熟期を迎える栃木の森林資源を有効活用するために、
県では、県産材を安定供給でできる体制づくりをすすめている。

デザインの力でよみがえる、木工のまち、鹿沼

栃木県鹿沼市は、良質な日光材に恵まれ、400年近く続く木工のまち。
1636年の日光東照宮造営の際、
全国から優秀な職人が鹿沼に集められたことが始まりとされている。
江戸時代からの伝統を受け継ぐ〈鹿沼ぶっつけ秋祭り〉は、
木工技術の粋がこめられた彫刻屋台(山車のようなもの)がまち中を練り歩き、
多くの観光客を集めている。

そんな伝統ある鹿沼の木工業も、全国的な例に漏れず疲弊していた。
「バブル崩壊後、大きな企業からつぶれていきました。
地元の木工が、衰退どころか、絶滅するかもしれない」
と口調を強めるのは白石物産の代表取締役・白石修務さん。

そこで鹿沼の木工業者数社が協力し、注目度の高い鹿沼ぶっつけ秋祭りで、
鹿沼の木製品のすばらしさを広めようと考えた。
「鹿沼では木工が身近であるがゆえに、あまりありがたみがない」と、
まずは地元へのアピールが必要であると考えたのだ。

鹿沼市職員の市章や〈ツール・ド・NIKKO〉の賞状をスギでつくるなど、
“森と人をつなぐダボ”としての商品を製作している
木工メーカー〈栃木ダボ〉の代表取締役・田代直也さんも、
「より一般の方の目に触れるように提案しなければ」と感じていた。

2011年の鹿沼ぶっつけ秋祭り。
どうせならと、店舗=屋台もデザインしてオリジナルの〈杉屋台〉を製作、
そこにこの日のために開発された木製品を並べ、
製作者とデザイナー自らが屋台に立って販売した。
この〈屋台屋プロジェクト〉は好評を博し、以降、数回のイベント出展などを重ねる。
そしてさらなる継続的なものを目指し、
2013年、〈鹿沼のすごい木工プロジェクト〉へと発展した。

白石物産の工場内の一画にはSOU LABOというショップを併設。

頭の上にちょこんと乗せる小ぶりの〈日本の神々 お面シリーズ〉。

〈ラ・フォレスタ〉 大阪府森林組合が営む施設で 作家とともに木の魅力を伝える

ラ・フォレスタからつながる大阪の森のはなし

平野部を、北から北摂、生駒、金剛、和泉の各山系の森林が取り囲む大阪府。
その大阪府の森林総面積は約56,000ヘクタールで、
大阪府全体の約3分の1の面積を占める。
そのうちスギやヒノキなどの人工林が約27,000ヘクタール、
コナラやカシ類などの天然林が約25,000ヘクタールとなっている。

ワークショップで地元材と触れ合う

森の大切さや豊かさを、木工教室や地域材を紹介するコーナー、
ショップ、作品の展示などで感じさせてくれるのが、
金剛山の麓、奥河内にある南河内林業総合センター〈ラ・フォレスタ〉。
大阪府森林組合が運営している。

ここでは、ふたりの木工作家=小山亨さん(K Factory)と
林靖介さんが、それぞれアトリエを持ち、
地域材を使った創作活動やオーダメイド家具などを製作している。

ふたりの工房の間につくられた木工教室。こちらがワークショップの会場に。

〈岸家具店〉 地元自慢の金山杉でものづくり。 年輪の自然美が生む、 木口の格子模様

岸家具店からつながる山形の森のはなし

山形県の総面積の約7割は、森林が占めており、
水、木材、食料、信仰など、人々は昔から山の恵みと密接に関わってきた。
出羽三山、奥羽山脈などの高峰を有する山地は、
ブナやナラなど広葉樹が多い天然林で、
なかでも日本の山の原風景といわれるブナの天然林面積は日本一だ。
かつて人里に近い雑木林では、
薪や整炭の材料としてコナラやミズナラが多く活用されていた。
一方、人工林のなかで8割以上を占めるのがスギ。
まっすぐ生長するので寺社、家などの建材に向く。金山町の〈金山杉〉、
西村山地域(大江町、朝日町、西川町)の〈西山杉〉などの産地をはじめ、
スギは多く植林されているが、どこも木材需要が減少しているのが現状だ。
森林組合、工務店、建築家、職人が連携し、
地域材を使った住宅づくりが推進されている。

家具の販売店の店主から、木工職人へ。

山形県の北部に位置する最上郡金山町で
岸 欣一さんは奥さまの妙子さんとともに、
地元名産の金山杉を使った木工品をつくっている。
木口を組み合わせてつくる〈かなやま杉木口寄せプレート〉は、
オリエンタルだけどやわらかい雰囲気を持つ表情豊かな木製マット。
店頭に出すと、すぐに売れてしまう人気の品なのだそう。

かなやま杉木口寄せプレート。

金山町の風情あるまちなみは散策スポットにおすすめ。

自然豊かな山々を臨み、白壁と切妻屋根の古民家が連なる金山町の景観。
観光地としても知られる散策エリアのすぐ近くに岸家具店もある。
外観は、額装された風景画や可愛いらしい花壇が飾られている。
木工所とは思えない可愛らしい店構えに、
観光客がフラッと訪ねてくることもあるのだそう。
その理由を「もともと、うちは家具屋だったんですよ」という欣一さん。
なるほど、店内に入って1階を見渡すと、奥にタンスや棚が並び、
入り口付近に欣一さんがつくる木工品が販売されている。
「だから、うちの人はどこかで木工の経験があったわけでもなくて、
これらはすべて素人がつくったものなんですよ」と妙子さん。
それでも、半年先まで注文が入ってしまっているという欣一さんの木工品。
素人でもここまでつくれるのかと感心せずにはいられない。

こちらは木工を始めた当初、趣味でつくったという木のアタッシュケース。欣一さんはこれを持って会議に出ると仲間から好評を博したという。

〈讃岐の舎づくり倶楽部〉 伐ったヒノキを余すことなく使い、 暮らしを豊かにする家具に変身。

讃岐の舎づくり倶楽部からつながる香川の森のはなし

日本で一番面積の小さな香川県。
古くからマツを中心に生育していたが、
昭和40年代後半に起きたマツクイムシによる被害がきっかけで、
ヒノキを中心とした植林が行われるようになった。
他県に比べて土地がやせていることもあり、香川県の人工林の多くはヒノキ林。
植林としては全国的に後発のため、
古くからスギやヒノキを植林してきた他県と比べると、
全体的に人工林の樹齢が20年ほど若い。
建材として使える大きさに満たないものが多いため、
平成23年の外材への依存率は日本一。
ここ数年で、ようやく柱がとれるくらいの大きさに育ちつつあり、
県内の家や家具として活躍する場を静かに待っている。

若いヒノキが育つ香川の森。

使われない県産ヒノキに命を吹き込む

県内に広がる森林の90%を若いヒノキ林が占める香川県。
まだ若い森が多く、木造住宅の建材は、
県外や外国からの輸入に頼らざるを得ないのが現状だ。
土地がやせているために、ヒノキの生育が遅いのも特徴。
そのぶん、ゆっくりと年輪を重ねながら育つので、目の詰まった良質のヒノキが多い。
この特性はすぐに建材に使えなくとも、もっと身近な家具などに活用する余地はある。

伐採され、大黒柱などを取ったあとに残ったヒノキの上部。

一方で、間伐材の問題がある。
人工林の木々にまんべんなく雨や日光を行き渡らせるためには、
密集した立木を間引く間伐は欠かせない。
間伐された木は、家具などの材木として活用できる。
しかし、現実には間伐材そのものの需要が少ないため、
間伐作業の経費が出ないことからそのまま放置される場合が多い。
こうして山が荒れ果て、健康な木々が育たなくなる。
経済成長とエコの狭間で、間伐材は経済を生み出さない材木とされてきた。

なかでも、小径木間伐材と呼ばれる直径14センチ未満のものは、
若いヒノキ林が多い香川県内にひときわ多い。
この大きさが微妙なもので、最少サイズの柱すらとることができないという
少々やっかいな材木だ。そんな、どこにも使われない小径木間伐材を有効活用して、
県産ヒノキの家具を生み出しているのが、「讃岐の舎(いえ)づくり倶楽部」だ。

小径木間伐材を最大限に使うには、
一本の丸太から45×85ミリの断面の角材を取ることになる。
必然的に、つくれるものはその限られたサイズ内に収まるものとなる。
どっしりと構えた〈HINOKKI-CHAIR〉は、その大きさを最大限に利用した。
余分な加工は施さず、45×85ミリの木材を組み合わせてできたチェアだ。
座ると、もともとの小径木間伐材のサイズ感がイメージできる。
手すりも座面も背もたれも、小径木間伐材の厚みを
そのまま生かしているので重厚感がある。
積み上げた木材の境界線に凹形を掘るなど最小限のデザインを施した。

小径木間伐材の年輪の向きを交互に組み合わせることで反りを最小限に抑えたHINOKKI-CHAIR。

国産スギの端材を有効利用したバードハウス〈BEHAハウス〉。煙草の乾燥小屋の形を模した越屋根がかわいらしい。

香ばしい根菜がおいしい、 福島の郷土食お手軽レシピ 〈ひきなもち〉

郷土食を日本の隅々から掘り起こし、記録した名著
『日本の食生活全集』全50巻(農文協)から
料理人・後藤しおりさんが現代の家庭でもおいしく
カンタンに作れるよう再現したレシピを
お届けしている本連載。ぜひ一緒に作ってみましょう!

もちがなければ暮らしがたたぬ

今回ご紹介するのは、『日本の食生活全集7 聞き書 福島の食事』
に掲載されている福島県の食事から。
福島県のハレのメニュー、「ひきなもち」です。

福島県は豊かな水田地帯があり、たくさんのお米がとれます。
お米が足りなかった昔も、毎日白米が食べられるほど。
それでもハレと日常をきちんと分け、「日常はできるだけ質素に」という
週間があるため、わざわざ麦を買って麦飯を炊いて食べていたそう。

そんな「米の国」の福島では、豊かなお米を使った「もち」も
食卓に頻繁に上る料理。
養蚕が盛んだった北部では、「蚕が眠っている間にもちをついて食べる」
と言われます。蚕を飼うのはとても手がかかる作業。
お蚕様が寝た合間合間にもちをついて食べ、力をつけていたんです。
そのほかに、お正月にはお嫁さんの実家へのみやげもち、
お雛様の菱もち、田植えのおやつの凍みもち、
春のもち草(よもぎ)入りの草もち、大豆入りの豆もち、
里芋入りのふくれもちなどなど、頻繁にもちを食べるんだそう。

そんな豊かな福島のおもちメニューから、
福島県出身のしおりさんが選んだのは「ひきなもち」。
大根、にんじん、油揚げを千切りにした醤油汁のおもちです。

「ひきなもちは小さな頃から食卓に出ており、
大好物でした。甘いおもちよりも断然こっち!
実家では、お正月で余ったおもちを使い切るのに
母がよく作っていて、普段の食卓にもよく出るメニューでした」

このひきなもちの汁には、根菜の旨みが
たっぷり入っています。

「作りおきしておけば、おかずや汁物の一品にもなります。
冷蔵庫に入れておいて翌日、冷たくなったものも美味しいです。
うどんを入れたり、七味を入れたり、日常的に食べていただきたいです」

根菜と、おだし、香ばしく焼いたおもちの
ハーモニーはおかわり必至。
それでは作ってみましょう!

イノベーションを 生み出す試作の場。 新しいものづくりを するひとが集まる拠点  DMM.make AKIBA 後編

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秋葉原でハードウェア・スタートアップの拠点としてオープンしたDMM.make AKIBA。
アイデアや技術を持った個人や小さな会社が製品をつくり、
投資を受けたり、コンサルティングを受けながら、
製品を世に出すところまでをサポートする、ものづくりの拠点だ。
「DMM.com」と、ハードウェア・スタートアップに投資する「ABBALab(アバラボ)」、
ノウハウを提供する「Cerevo(セレボ)」という3つの会社が出会うことで生まれた。
今回はそのキーパーソンのおふたりにお話を伺った。

小笠原治さん

ABBALab代表取締役の小笠原治さん。

DMM.make AKIBAは、どんな経緯で立ち上がったのか。
ABBALab代表取締役の小笠原 治さんにその全体像をお聞きした。

「これから新しいものづくりをするひとが生まれてくる。
その市場にどういうかたちで入るか。
そんな話をDMMのオーナーさんとしたところから始まりました。
まずは3Dプリントの出力サービスから始まり、
そこのプロデューサーをやらせていただくことになり、
そういうひとたちが集まれる場をつくってもいいかなということで、
2014年の7月に場づくりがスタートしました。
キーコンテンツとして若手のインディーズメーカーなどが集まる仕組みをつくり、
その目指すべき姿ということでCerevoさんが参画しました」

3社それぞれの役割としては、まずDMMが「場所」を提供、運営をしている。
そこにものづくりをしたいひとが相談に来たり、シェアオフィスに入居する。
実際にハードウェアのプロトタイピングのノウハウを提供するのがCerevo。
売ることまで見据えた量産試作に対してABBALabは資金を提供する。
さらにできあがった商品を実際にディストビリューション(流通)
させる段階になると、DMMが担うという連携だ。

「インターネットの世界で起きていたことが、
いまハードウェアの世界でも起きている」と小笠原さんは語る。
「部品とかソフトウェアが汎用的なものになると専門知識は必要なくなる。
それによって開発チームを横断していろんなひとが参加することが可能になるんです」
インターネットと家電、このふたつが交わり、人材が流動化することで
いま新しい波が生まれているという。
そのためにネットとハードウェアのひとが出会えるような場所を
プロトタイピングしたのがDMM.make AKIBAだ。

「まずつくってみよう。手を動かしてみよう、
つくりながら考えてみようということで、ホワイトボードから床やテーブルまで、
目に見えるものは全部自分たちでつくってみました。
アメリカの工場を解体するって聞いたので
廃材をコンテナ2個ぐらいガサっと持ってきて、
職人さんを呼んできてセルフビルドしました。
建築の業界も“モジュール化”しているんですね。
職人さんがいて現場で指示や判断できるなら、2か月くらいでつくれちゃう」
創造性が生まれる空間、ものづくりのスピリットが感じられる場づくりを心がけた。

扉にある「“OPEN、SHARE、JOIN”のメッセージにも
この場所への想いが込められている」と小笠原さん。
“OPEN”は、オープンソース、オープンマインド、オープンイノベーション
という意味です。“SHARE”とはシェアオフィス、シェアファクトリー。
場所をシェアすること、サーバをシェアすることだけでなく
知識やスキルをシェアすることも含まれます。
ひとりや1社では買えない機械を貸し出すことによって、
みなでつながることができる。それが“JOIN”です」

扉には「OPEN」「SHARE」「JOIN」の文字

扉には「OPEN」「SHARE」「JOIN」の文字が。

〈おりつめ木工〉 スギの森に新たな価値を。 スギの小割材を使った ユニークな家具。

おりつめ木工からつながる岩手の森のはなし

本州一の森林大国「岩手県」。森林面積1,174,000ヘクタール、
森林蓄積(森林の立木の幹の体積で木材として利用できる部分)は
220,000,000立方メートル。
ともに岩手県の森林資源をデータ化してみたものだが、
ここで示されるのは北海道に次ぐ森林大国としての姿だ。
本州で最大の面積を持つ岩手県。
その広大な県土の中央には、北の大河、北上川が南北を貫き、
西側には奥羽山脈、東側に北上高地の山並みで占められている。
岩手県の森林資源の豊かさは、このふたつの山並みの広さと
深さに支えられているといっても過言ではないだろう。
飛行機に乗って眺めてみるとよくわかるのだが、
いわゆる「平地」と呼ばれる地域は、北上川に沿ってわずかに存在するだけで、
県土のほとんどは、人工林、天然林を含めた「山また山」である。
こうした背景から岩手県では、県産材の地産地消や木質バイオマスといった
森林資源の活用促進に熱心に取り組んでいる。

小割材に価値を与えていく

岩手県雫石町を拠点に活動する木工作家、和山忠吉さんの工房には、
製材の現場で〈小割材〉と呼ばれる36ミリ角のスギ角材が積み上げられていた。
最近の和山さんにとって、この小割材が
家具やオブジェ作品をつくり上げる材料となっている。
一般的に、家具職人が使う樹種は、ナラやサクラ、クリといった広葉樹が多い。
木目が詰まった広葉樹は細く加工しても高い強度を誇り、
イスやテーブルなどの強度が必要な家具には適した素材とされてきた。
また、広葉樹ならではの変化に富んだテクスチャーや色味も
家具の表情を出していくうえで重要な要素だった。

製作を行う和山忠吉さん。とにかく木が大好き。四六時中、次につくる木工作品のアイデアを練っている。

中学卒業と同時に木工の現場に飛び込み、現在まで家具職人を続けてきた和山さんも
当然、家具の材料としての広葉樹の良さは承知済みだ。
過去においては、幾種類もの広葉樹を扱ってきた経験もある。

しかし、現在の和山さんがもっとも多く扱う素材がこの小割材だ。
町内の製材所から直接買い付けてくるという小割材は、一本4メートル。
それを一度に何十本と購入するのだが、そのなかには、白っぽい辺材、
赤みの強い芯材が区別なく混入し、また、大小の節もたくさん混じっている。
正直なところ、これらの材は、家具製作に適した素材とは呼べないだろう。
それでも、この小割材さえも和山さんの手にかかれば個性的な家具に生まれ変わるのだ。

岩手県雫石町内にあるおりつめ木工の工房。製作中の家具がたくさん並ぶ。

和山さんによると、現在の日本では、集成材を使う家具職人は存在しても、
こういった小割材を使い家具を製作する職人は皆無に近いという。
「家具はいい材料で手間ひまかけてつくるというのがこれまでの家具製作の流れでした。
もちろん、いまもそうです。私も少し前まではそうやってつくってきましたよ」
と和山さん。

スギの小割材。樹種は同じでもさまざまな性質を持つ。そのため、選別が大きな仕事になるという。

では、なぜ、和山さんはこの小割材を使うようになったのだろうか。

坂井〈海女小屋〉 福井の酒蔵めぐりのしめに サザエやサワラのたたきを

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地元客と、一期一会の女子トーク。

さんかく屋根の懐かしい建物に、地元の酒の銘柄「冨久駒」といっしょに
「海女小屋」の看板がポワンと光ってた。
福井県坂井市をめぐる旅、昼間にみぞれまじりの雨の中、冨久駒の久保田酒蔵を見学。
弁当忘れても傘忘れるな、日本海の天気は変わりやすい。
雨はやんでいたけれど、まちの暗さと寒さがしんみり、さぁ早くお店に入りましょう。
店内は宴席できるような広めの畳席とカウンター。先客もカウンター。
私たちもカウンターへ。私の座った席の前には、小さな水槽が。
水槽の中には、サザエがぴったり張りついてる。その色だけ妙に色っぽいような。

お通しに、パリパリしたもが出てきたのだけれど、なんですかコレ? 
メカブの唐揚げです。駄菓子屋にあるような赤い蓋の大きな入れ物から
出してくれる海藻チップ、なかなか、いいおつまみ。
ビールを飲みつつ、メニューを斜めにみて思案してると、
適当に刺身盛り合わせましょうか? と。そうですね、おねがいします。

〈ヒノキクラフト〉自然に 「ありがとう」の気持ちをこめて、 ヒノキの家具を送り出す

ヒノキクラフトからつながる静岡の森のはなし

富士山や南アルプスなど高地の針葉樹林から、伊豆半島の広葉樹林や海岸林まで、
静岡県には多様な森林が広がっている。
県土の約3分の2が森林で、
スギやヒノキなどの人工林は約2300平方キロメートルにおよぶ。
なかでもヒノキ人工林は全国第3位の面積を有し、
全国と比較して、木の成熟度が10年ほど早く、
人工林の約85%が、資源として利用可能な林齢41年生以上の木となっている。

地元の森を元気にする、ヒノキの家具

徳川家康が築城し、晩年を過ごした駿府城のある静岡市。
かつて家康は全国から優れた職人を呼び寄せ
静岡浅間神社の造営や、駿府城の改修にあたらせた。
この土地が気に入り、そのまま住み着いた職人たちにより、
木工技術を生かした家具や仏壇、下駄などの生産が盛んに行われた。
そんな木工のまちとしての歴史を持つ静岡市で、ヒノキクラフトは誕生した。

駿府城のほど近く、南へのびる遊歩道を歩いていくと、
ヒノキクラフトのお店が見えてくる。
その名の通り、店内にはヒノキを使った家具が並び、
爽やかなヒノキの香りが漂っている。

優しい木肌のヒノキの家具が並ぶ店内は、香りもよく目にも優しい。

ヒノキクラフトのマスコットは、月の輪熊ならぬハッピーワグマ。

“自然第一主義”をキーワードに、安倍川沿いの小さな工房として2000年にスタート。
地元の山に人の手が入り、地元の森が元気になるようにと、
安倍川上流のヒノキにこだわり家具を生産している。

「なるべく環境負荷が少なく、少しでも自然にプラスになるような素材で
家具をつくりたいと思い、地元のヒノキに着目しました」
と話してくれたのは、代表を務める岩本雅之さん。
ヒノキクラフトを立ち上げる前は、
雑誌や広告のアートディレクターという経歴を持つ。
家具の設計から、カタログの製作まで、
デザインに関しては、岩本さんがすべてひとりで手がけている。

「エディトリアルなデザインも家具のデザインも出発点は同じです。
まずはそれを手にする人、使う人のことを考えてデザインしています」
使うお客さんもつくった職人さんも、さらには自然環境も含め、
みんなが幸せになるようなハッピーデザインを心がけているという。

元アートディレクターという経歴を持つ、代表の岩本雅之さん。

〈AJIM〉 船舶家具づくりのノウハウを メイドイン長崎に閉じ込める

AJIMからつながる長崎の森のはなし

長崎県は周囲のほとんどを海に囲まれる。
南北、そして西側の海には対馬や壱岐、
五島列島といった971もの島が浮かび、その数は日本一だ。
暖流の対馬海流が流入してくることから、九州内でも気候は温暖とされ、
雲仙などの一部地域を除き、寒暖差は小さい。

そんな長崎は、県の総土地面積の6割が森林だ。
海岸の低木群落から丘陵地の照葉樹林を経て、山地の落葉樹林へと続く。
代表的な県の木はヒノキ、スギ、ツバキ。
ヒノキ、スギにおいては人工林が約6割を占める。
戦後の拡大造林によってヒノキ植栽を進めたことから、
特にヒノキ林はスギ林の約2倍にあたるほど豊か。
日本の離島のうち、3番目に大きな島、対馬においては、
面積の9割を森林が占め、ヒノキの生産が盛んだ。

近年、木材利用可能な民有林の人工林が多くなってきたことから、
県では林業再生に向けた取り組みを推進するべく、
「ながさき森林づくり推進プラン」を策定。
森林資源としての利用と、多様な機能の持続性を両立させ、
豊かな森林づくりを目指す一方で、
森林・林業・木材産業、さらに農山村に関する施策を展開している。

また、対馬においては、戦後に植えられて収穫期を迎えたヒノキを
〈対馬ひのき〉と名づけ、ブランド化。島の特産物としてPRに力を入れている。
なかには、対馬ひのきに魅せられ、福岡・大川で修業後、
故郷の対馬に戻って作品づくりに打ち込む職人も現れた。

長崎県下の森林面積に対する森林率は約45%と全国平均よりも約20%低いが、人工林率は約66%と全国よりも約20%高い。

未知なる県産材に挑む。

長崎市内の中心地から車で約20分。市街地から遠く離れた山間に目的地はあった。
訪ねた先は〈川端装飾〉の事務所。もともと船舶用の家具を製作してきたが、
2000年に一般家庭向けの家具ブランド〈AJIM〉を立ち上げ、
以降、船舶家具づくりで培った技術をもとに、
高い強度と使い込むほどに感じる心地よさを兼ね備えたプロダクトを
次々と世に送り出している。

川端装飾の工場兼事務所。工場はこの場所以外に3か所あり、それぞれつくっている製品が異なる。

そんなAJIMが2014年3月、長崎の県木を用いた家具を発表した。
「3年前、国際家具見本市に出展した際、
イトーキのEconifa開発推進室の室長である末宗浩一さんと出会いました。
“長崎の県産材を使ったプロダクトをつくりたい”と打ち明けられたんです」
と川端装飾代表取締役・川端祐樹さんは、そのきっかけを教えてくれた。

ただ、それまでAJIMでは使用する木材はすべてウォルナットやメイプルといった外材。
「国産材、ましてや県産材で家具に向くものがあるとは夢にも思わず、
これまで特に探す努力もしてこなかったですね」と川端さんは言う。
県産材を使った家具をつくるというゴールだけが決まり、
具体的にどの木を使うべきか模索する日々が始まった。

爽やかな笑顔の代表取締役・川端祐樹さん。本社工場では弟さんが工場長を務めている。

事務所の1階にある本社工場の様子。ここでは常時4人の職人たちがイスの製造にあたっている。

製造はチーム制で、各工程はひとりの職人が責任を持って担当する。写真は木をおおよその形に切り出す作業。

〈KEM工房〉 子どもたちと、かつて子どもだった 人のための木のおもちゃ

KEM工房からつながる北海道の森のはなし

土地面積の71%が森林に覆われる北海道。
その広さは広大で、全国の森林面積の約22%を占めている。
日本を代表する豊かな森を擁する地域だ。

道土面積そのものが広く、道央・道南・道北・道東で気候や地形が異なることから、
トドマツやエゾマツなどの針葉樹、
ミズナラやカンバ、イタヤにブナといった広葉樹など、天然林の樹種が豊富。
山々は、四季折々で美しい表情を見せる。

植生の多様さから、紅葉の時季になると山は七色に染まる。

木でものをつくって、贈りものをするようにたくさんの人に届ける

「大切なものは、目に見えない」
サン・テグジュペリの名作『星の王子さま』の中に出てくる言葉だ。
この物語は私たちに、目に見えるものがすべてではないこと、
心で見ることの大事さを教えてくれる。

この作品から大きな影響を受け、心を育むものづくりを行う人がいる。
札幌にある〈KEM工房〉の煙山泰子さんだ。

煙山さんは、“子どもたちと、かつて子どもだった人への贈りもの”をコンセプトに、
30年以上、木のおもちゃをつくり続けている。

かわいいおもちゃが並ぶ工房で、優しく微笑む煙山さん。

煙山さんが木工を始めたのは、20歳の頃。
汚れた木材をカンナで削ると、美しい木目が現れ、
カンナ屑がくしゅくしゅっと丸まり、木の香りが漂った。
その瞬間、まるで恋に落ちるかのように、「私、木が好きだ」と感じたという。

「木で調味料入れや棚をつくると、母が
“わぁ、うれしい”って喜んで、毎日使ってくれたんです。
誰かのために木でものをつくることって素敵なことだな、
それを仕事にしたいなと思いました」

23歳のとき独立し、KEM工房を立ち上げた。
当時はまだ女性の木工家は珍しく、注目されたそうだ。

どんな製品をつくっていたのかって?

音を鳴らして赤ちゃんをあやすおもちゃ。ガラガラとも呼ばれる。

たとえば、〈カタカタNo.1〉。

赤ちゃんがいちばんはじめに出会うおもちゃだから、
木のものを使ってほしいと製作した。

煙山さんはこれをつくるために世界中のガラガラを研究。
余計なものを削ぎ落とし、ガラガラの原型ともいえる形にした。
針葉樹のエゾマツ、広葉樹のナラがあり、鳴らしてみると音の違いがわかる。

シンプルなので飽きられることがなく、
発売から何十年経っても変わらず売れ続けている。
もしかすると、この文章を読んでいる方の中にも、
“これ、家にあった”という人がいるかもしれない。

棒を押し出すと顔が飛び出し、引っ張ると隠れる。

こちらの〈イナイイナイ・バア〉もかわいい。
子どもに慣れていない新米のお父さんは、
照れくさくて“いないいないばぁ”ができないことが多い。
でも、このおもちゃを使えば、赤ちゃんをあやすことができる。
笑ってくれるとうれしい。もっと笑顔を見たくなる。
そうしていくうちに、自然と赤ちゃんとの接し方が上手になっていく。

「おもちゃは、人と人とのあいだにあるもの。
コミュニケーションを豊かにする道具だと思うんです」

おもちゃを開発していたとき、煙山さんの子どもは既に小学生になっていた。
「あの頃、こんなものがあったらよかったな」と思いながら創作していたそうだ。
子どもたちも「赤ちゃんだったらきっとこんなふうに遊ぶよ」
「こっちのおもちゃと組み合わせて、こんなこともできるよ」と、
アイデアを出してくれた。いわば、親子の共同作品、ということ。

まだ見ぬ誰かが喜んでくれるようにと、心を込めて試作する煙山さん。

そんなかけがえのない思い出が詰まった製品が、
全国の子どもたちにいまも愛されていることに、煙山さんは喜びを感じている。