連載
posted:2015.2.2 from:栃木県鹿沼市 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:Kiyoshi Tanaka(NIPPA米)
栃木県鹿沼市は、良質な日光材に恵まれ、400年近く続く木工のまち。
1636年の日光東照宮造営の際、
全国から優秀な職人が鹿沼に集められたことが始まりとされている。
江戸時代からの伝統を受け継ぐ〈鹿沼ぶっつけ秋祭り〉は、
木工技術の粋がこめられた彫刻屋台(山車のようなもの)がまち中を練り歩き、
多くの観光客を集めている。
そんな伝統ある鹿沼の木工業も、全国的な例に漏れず疲弊していた。
「バブル崩壊後、大きな企業からつぶれていきました。
地元の木工が、衰退どころか、絶滅するかもしれない」
と口調を強めるのは白石物産の代表取締役・白石修務さん。
そこで鹿沼の木工業者数社が協力し、注目度の高い鹿沼ぶっつけ秋祭りで、
鹿沼の木製品のすばらしさを広めようと考えた。
「鹿沼では木工が身近であるがゆえに、あまりありがたみがない」と、
まずは地元へのアピールが必要であると考えたのだ。
鹿沼市職員の市章や〈ツール・ド・NIKKO〉の賞状をスギでつくるなど、
“森と人をつなぐダボ”としての商品を製作している
木工メーカー〈栃木ダボ〉の代表取締役・田代直也さんも、
「より一般の方の目に触れるように提案しなければ」と感じていた。
2011年の鹿沼ぶっつけ秋祭り。
どうせならと、店舗=屋台もデザインしてオリジナルの〈杉屋台〉を製作、
そこにこの日のために開発された木製品を並べ、
製作者とデザイナー自らが屋台に立って販売した。
この〈屋台屋プロジェクト〉は好評を博し、以降、数回のイベント出展などを重ねる。
そしてさらなる継続的なものを目指し、
2013年、〈鹿沼のすごい木工プロジェクト〉へと発展した。
Page 2
鹿沼のすごい木工プロジェクトの特徴として
外部のデザイナーが積極的に参加していることが挙げられる。
〈日本全国スギダラケ倶楽部〉の共同設立者である
内田洋行の若杉浩一さんとの出会いからつながり、
浅野泰弘さん、藤森泰司さん、深田新さん、寺田尚樹さん、和田浩一さんという
インテリア/プロダクト系のデザイナーが名を連ねている。
「普段は問屋さんなどとやりとりをすることがほとんど。
デザイナーが入ると、一般のお客さんのことから考え始めるので、
木工の可能性が広がります」と話すのは、自身も木工職人であり、
鹿沼のすごい木工プロジェクト事務局の一員でもある大貫英和さん。
栃木ダボの田代直也さんも
「私たちは頭が凝り固まっているし、どうしても“できること”から探してしまうんです。
でもデザイナーはできる/できないは無視してくる。それが面白いです」という。
そんなデザイナーの遊び心がいきなり発揮された初期商品がある。
お祭りに合うものということで開発された
〈森のお面シリーズ〉や〈木んぎょすくい〉だ。
お祭りの風物詩をアレンジし、ともに子どもたちに大好評。
木の金魚をすくうなんてアイデアは、なかなか生まれてこないだろう。
白石物産では、これまでほとんどスギ材を使ってこなかった。
しかし日光杉を使った〈Hang Stool〉の製作に挑んだ。
「やったことがないものをつくる苦労はありましたね。
通常はNCなど、自動の機械を使うことがほとんどですが、
Hang Stoolなどは昇降盤やペティワークなどの手加工を必要とする
昔ながらの汎用機を使わないとできません。
当社に数名残っている建具の技能者を中心に製作しています」と白石さん。
とても軽く、革ひもを通して、ちょっとしたところに掛けられるし、
パッと肩にも掛けられる。鹿沼ぶっつけ秋祭りでは、
このスツールを持ち歩く人も多く見られたという。
Page 3
これまで一定の成果と方向性は見えてきた。
これからは常時販売できるような態勢を整えていくことが目標だ。
2014年は、キッチン用品などにも取り組んだ。
白石物産では船の形をしたヒノキのカッティングボード。
栃木ダボではパスタメジャーや調味料入れもつくった。
こうした商品で実売を目指している。
しかし住宅関係のメーカーにとって、小物ひとつひとつの売り上げは大きくはない。
柱1本分の材料で、はたして何百個のピンバッヂをつくれることか。
それでも「スギをはじめとした木材を使って、現状を広めていくこと」と
田代さんはやる意義を見出している。
「スギは身近で親しみがあるものでありながら、
樹種としては乾燥しづらい、伸び縮みが大きい、やわらかいなど、
扱いづらい木材です。そのギャップをどう埋めていくか」
と白石さんも今後の課題を挙げる。
〈鹿沼のすごい木工プロジェクト〉には、“鹿沼”の地名がダイレクトに入っている。
「まだあまりすごくないので、ロゴの“すごい”は小さくデザインして、
控えめにチャレンジしています」と白石さんは笑うが、
原点回帰して、まずは鹿沼で鹿沼の人たちに伝えること。
木工が面白いと思ってもらうこと。
まちに残る、まちに戻ってくる人が増えて、後継者が出てくれないと、本当に絶滅だ。
せっかく、木目のつまり具合、色目、節、木肌もきれいで、
クセも少ないという優良な日光杉もある。
近い将来、地元の木工を、“すごい”と胸を張って言えるときがくるだろう。
「楽しくなければと思っています。
こういう取り組みをしない限り、こんなデザインとは出合えなかった。
たとえ苦労が多くても、世の中はこんなに広くて自由なんだと
体感できるのだと思います」と白石さん。
そして田代さんが好きだと引用するのが
“がんばっているわけじゃない。楽しいからやっているんだ”という言葉。
デザイナーの感性を借りて、木工の楽しさの原点に立ち返っているようだ。
Page 4
information
鹿沼のすごい木工プロジェクト
Feature 特集記事&おすすめ記事