連載
posted:2014.12.2 from:山形県山形市 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
プロダクトをつくる、場をつくる、伝統をつなぐシステムをつくる…。
今シーズン貝印 × colocalのチームが訪ねるのは、これからの時代の「つくる」を実践する人々や現場。
日本国内、あるいはときに海外の、作り手たちを訪ねていきます。
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ
フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/
YAMAMORI PROJECTはその名の通り、
山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを行っている。
一級建築士の井上貴詞さんと、
家具製作に携わる須藤 修さんのふたりによって、立ち上げられた。
ことの発端は須藤さんのある体験だ。
「数年前から、“県産材を使いたい”という声が増えてきました。
あるとき、“県産材の天板でテーブルをつくりたい”というリクエストがあったので、
市場に行ってみたら、テーブルをつくれるような県産材がなかったんです。
ではどこにあるのだろうと思って、
林業、製材業など訪ね歩いたら、たくさんあるにはあったのですが、
パルプや木材チップ用の木材でした。
せっかく技術を持っている日本の木工業界なので、そういう活用だけでなく
加工して循環をつくれたらいいのにと感じたんです」(須藤さん)
それぞれの業種がバラバラになってしまっている状況に、
「林業家、製材屋、デザイナー、加工業、売り手、買い手までつなげれば、
うまく循環できるのではないか」と須藤さんは思い、
井上さんに声をかけ、デザインユニットLCS(ルクス)を立ち上げた。
Link、Cycle、Surviveの頭文字だ。
その活動のひとつがYAMAMORI PROJECTである。
山形県の「みどり環境公募事業」にも採択されている。
活動を始めるにあたって行政の助成事業などを調べてみると、
たくさんのことが行われていることがわかった。
素晴らしい取り組みがたくさんあるのに、
「山」で終わっていて、「まち」に下りてきていないと感じた。
だから一般市民に伝わっていない。山とまちをつなげる動きを目指し、
一日で山からものづくりの現場までめぐる現状のツアー、
YAMAMORI TRAVELがつくられた。
YAMAMORI TRAVELのひとつのフォーマットは、
県内の里山を舞台に、まずはその日の山の歴史や文化を勉強する。
そして実際に山へと登り、植生などを見て触って感じる。
最後に木を使ったプロダクトをつくるワークショップを行う。
これまで9回開催された。
記念すべき第1回目は2012年の7月、山形市の千歳山へ登った。
以降、米沢市の斜平山(なでらやま)、真室川町の砥山(とやま)、
鶴岡市の鷹匠山(たかじょうやま)など、
各市町村からひとつの山を選ぶ。山コレクションのようでおもしろい。
山形には35の市町村があり、もちろんそれをすべて制覇したいという。
「ひとから入ります」と須藤さんは言う。
まず彼らが会いたいと思うひとがいて、訪ねていく。
「ひとがおもしろいと、いい素材といい場所がついてくるように思います。
毎回、初めて会うひとたちばかりですが、準備段階からとても楽しいんです。
つながっていくことで、まずぼくたちふたりが学んでいる。
始める前から、“今回はヤバいよ”って毎回思ってますよ」と須藤さんは笑顔で語る。
こうして場所とプランが決まっていく。
山という自然とものづくり、そして文化の側面が
YAMAMORI TRAVELには欠かせない。
山のふもとにある神社やお寺に話を聞きにいくことが多い。
「同じ山形県内ですが、市町村をまたぐだけで、ぜんぜん違ってきます。
土地が歩んできた歴史と積み重ねがあって、いまがあります。
それを各地で感じますし、毎回感動するものをみつけます。
それらをなんとか伝えたいと思うんです」(井上さん)
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前回の小国町の針生平ではマタギに話を聞いた。何代も前からの文化だ。
それが小国町の奥にあるブナの原生林につながっていく。
山形には、山の周辺の文化が残っている。
特に山のふもとに寺社仏閣が残っている地域には文化も残っている。
有名なものに、山岳信仰の修験者である、山伏が挙げられるだろう。
3回目に行われたツアーでは本道寺という集落を訪れた。
かつては出羽三山信仰の参拝者が列を成していた入り口の地区で、宿坊街だった。
今では住んでいるひとは少ない。
また明治時代の排仏毀釈によって、眠ってしまっているものもたくさんある。
高速道路などが通って、その集落を通ることもなくなったりする。
「山とか森だけでなく、そこにはだれかが住んでいました。
そういうことを知ってもらいたい気持ちもあります」(井上さん)
山を歩いたあとは、木工ワークショップがお決まりだ。
毎回樹種を変え、持って帰って使えそうな実用品をつくっている。
これまでにクロモジの楊枝、西山スギのスツール、ラ・フランスのバターナイフ、
アケビの蔓の鍋敷き、庄内柿の果物フォークなどをつくった。
「なるべくつくったものをツアー内で使ってみる内容にしています。
柿のフォークで柿を食べるなんてとても理想的でしたね」(須藤さん)
その土地にある樹種を選んでいけば、必然的にこのようなことが生まれやすい。
「見て、勉強して、木を削って、使う。
これが歩いていけるくらいの範囲に収まっているということが
山形のパワーなのだと思っています」(須藤さん)
ひとつの山をめぐる旅は、周辺文化も色濃く感じることができるようだ。
木工ワークショップの部材の加工は、天童市の佐藤工芸にお願いしている。
YAMAMORI PROJECTが発売している木工グッズ「YAMAMORI GOODS」も
佐藤工芸によるもの。欠かせないパートナーだ。
代表の杉山宏行さんは、YAMAMORI PROJECTのふたりについてこう語る。
「これからの山形の木工をつくってくれる貴重な存在です。
リーマンショック以降、仕事が減っていた状況でしたが、
芸工大(東北芸術工科大学)の卒業生などが、少しずつひとりで歩き始めて、
“こんなことはできますか?”と相談しにくるケースが増えてきましたね。
正直、ロットも少ないので、お金にもなりませんが、意欲のある若者は応援したい」
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最初にYAMAMORI PROJECTが佐藤工芸に話を持っていったとき、
「途中でくじけるかと思った」と杉山さん。
「イスにしても、机にしても、木の業界だけじゃありません。
金物や塗装などの分野もあります。
うちが加工しても、他の業種で断られてつまずくと思ったんです。
わたしたちだったら、小ロットだと頼みにくいですから。
でも、意外とクリアしてくるんですよね(笑)」(杉山さん)
数は少なくても、県産材を使ったプロダクトをつくっていきたい。
その思いからくる、素人の強みと、若さの力で克服した。
「家を建てるのに、その土地で育った木が一番いいと言われています。
たとえば、ここでつくった商品を、海外に売るのはあまり良くない。
気候が違うので、割れたりしてしまいます。その点がクルマ産業などとは違います。
自分たちでつくって、自分たちで消費するのが基本だと思います」(杉山さん)
山形の森を守りたいという思いに共鳴する両者が、
損得を超えた関係性のなかで、ものづくりに励んでいる。
YAMAMORI PROJECTは、自分たちの手の届く範囲で活動している。
山形県内の隣り合う市町村の特徴を丁寧に掘り起こすような作業は、
やはり山形に住んでいるふたりでないとできない。
「地方とか地域とかいうと漠然としてしまいます。
目の前の○○山というほうが姿も見えるし、リアリティがある」と語る井上さん。
大上段に構えて「地域起こし」と言わなくてもいい。
たとえば山形市と鶴岡市の特徴を探ることは、
日本全国の各地域の特徴を探ることと本質的には同じかもしれない。
なぜなら地域のものはそこにあるもの。
須藤さんは最後にいう。
「要素は全部そこにある。自分たちだけのものにせず、
ぼくたちの役割は、光の当て方を変えて、足もとの宝に気がつくことです」
後編:土地の自然、文化、ものづくりを楽しく学ぶ山歩きツアー 「YAMAMORI PROJECT」後編 はこちら
information
YAMAMORI PROJECT
Web:http://yamamori-project.urdr.weblife.me/
※YAMAMORI GOODSは、ホームページから受注販売の申し込み可能。
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