連載
posted:2014.11.11 from:岩手県九戸郡洋野町 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
text & photograph
Atsushi Okuyama
奥山淳志
おくやま・あつし●写真家。1972年大阪生まれ。 出版社に勤務後、東京より岩手に移住し、写真家として活動を開始。以後、雑誌媒体を中心に東北の風土や文化を発表。 撮影のほか執筆も積極的に手がけ、近年は祭りや年中行事からみる東北に暮らす人の「今」とそこに宿る「思考」の表現を写真と言葉で行っている。また、写真展の場では、人間の生き方を表現するフォトドキュメンタリーの制作を続けている。 著書=「いわて旅街道」「とうほく旅街道」「手のひらの仕事」(岩手日報社)、「かなしみはちからに」(朝日新聞出版)ほか。 個展=「Country Songs 彼の生活」「明日をつくる人」(Nikonサロン)ほか。
atsushi-okuyama.com
おおのキャンパスからつながる岩手の森のはなし
本州一の森林大国「岩手県」。森林面積1,174,000ha、
森林蓄積(森林の立木の幹の体積で木材として利用できる部分)220,000,000㎥。
ともに岩手県の森林資源をデータ化してみたものだが、
ここで示されるのは北海道に次ぐ森林大国としての姿だ。
本州で最大の面積を持つ岩手県。
その広大な県土の中央には、北の大河、北上川が南北を貫き、
西側には奥羽山脈、東側に北上高地の山並みで占められている。
岩手県の森林資源の豊かさは、このふたつの山並みの広さと
深さに支えられているといっても過言ではないだろう。
飛行機に乗って眺めてみるとよくわかるのだが、
いわゆる「平地」と呼ばれる地域は、北上川に沿ってわずかに存在するだけで、
県土のほとんどは、人工林、天然林を含めた「山また山」である。
こうした背景から岩手県では、県産材の地産地消や木質バイオマスといった
森林資源の活用促進に熱心に取り組んでいる。
大野木工の原点は、「一人一芸」運動。
岩手県北部に位置する洋野町大野地区(旧大野村)。
この地で暮らす者にとって、長い間、「出稼ぎ」は当たり前の生活だった。
自然豊かな土地だけに、主要産業としては、農業が挙げられる。
しかし、北上高地の山間にあって耕作地は少ないうえに、
オホーツク海気団から吹く冷たく湿った北東風「ヤマセ」により
夏の低温と日照不足を避けられない土地。地域全体として稲作、畑作ともに
適地とはいえず、比較的荒地でも行える酪農に頼るほかなかった。
現在では、大野の酪農は本州では広く知られるほど成長したが、
かつては小規模な農家が多く、安定した現金収入を得るためには、
1年を通しての出稼ぎという手段が一般的だったのだ。
1980年に大野村で興った「一人一芸」運動は、
当時のそんな状況を変えるために始まった。
運動の中心にいたのは、当時、東北工業大学の教授で
工業デザイナーとして活躍をしていた故・秋岡芳夫氏。
氏は、大野村を現地調査し、地元にアカマツやトチ、ケヤキなどの
木材資源が豊富なことと、出稼ぎにおける職業として大工が多いことなどから、
木工製作を中心とした新しいまちづくり「一人一芸の里」の実現を提唱したのだ。
秋岡氏といえば、地域で埋もれていた工芸品に知恵と技を加え、
すぐれた生活用具にリファインして都市生活者に紹介する「モノモノ」運動の提唱者。
大野での「一人一芸」運動でも、木材という土地の資源に脚光をあてながら、
地元に新しい技術と価値観を根づかせることで、
木工クラフトをはじめとする新たな産業の創出が可能になると考えたのである。
大野村では、秋岡氏のこの提案に沿って「大野村春のキャンパス80」を開催。
各界で活躍する講師の指導により、木工ろくろ、ホームスパン、
竹細工や地域の素材を用いた乳製品の加工、
郷土料理などを内容とするワークショップが催され、
本格的に「一人一芸の里」づくりがスタートしたのである。
ちなみに、道の駅をはじめ大野木工を製作する木工房や産業デザインセンターなど、
18の施設からなる現在の「おおのキャンパス」は、この「大野村キャンパス」が原点。
ものづくりと地域資源の再発見の場として、活動の幅を広げてきた。
この「大野村キャンパス」を語る際に秋岡氏とともに忘れてはならないのが
同じく工業デザイナーであり、木工作家である時松辰夫氏。
秋岡氏より誘われて大野を訪れた時松氏は、
1980年より2年間にもわたって活動の拠点である九州を離れて大野に滞在し、
地元に発足した工芸グループに木工ろくろを主とした木工技術を、
まさに手取り足取り伝授したのである。
ちなみに秋岡氏と時松氏の指導のもとに進められていたクラフトマン養成塾は
3年で独立し、生業として成立させることを目標に掲げていたという。
現在でも、おおのキャンパスでは大野木工のクラフトマン育成を行っているが、
3年間を研修のひとつのスパンとして活動を続けている。
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学校給食に地場の木工の器が使われた先駆け。
こうして黎明期を歩みだした大野木工。時松氏の指導も実り、
普段使いの木の器として使ってもらえるようないい作品が生まれるようになっていく。
しかし、だからといって思うように販売できたわけではなかった。
展示会などで村外へ出ることで、逆に知名度の低さや、受注納品体制など、
“つくる”以外のことでいくつもの問題が浮上することとなった。
活動を深めつつも「ブランド力」や「流通」といった壁を前に
なかなか打開策を打ち出せなかった大野木工だが、転機が訪れたのは1982年のこと。
大野村キャンパスを訪れた森雅夫氏(東京食糧学院教授)による
「大野の木で、大野の人たちがつくった食器で、大野の子どもたちが給食を摂れないか」
との提案に、当時の大野村村長が村を挙げてバックアップすることを約束。
「給食器としては高すぎる」という反対の声もあったが、
「一人一芸の里づくりの推進には必要なこと」と大野第一中学校に
大野木工のお椀を導入させたのである。
いまでは地場の産業を学校教育の現場に導入する活動は決して珍しいものではないが、
地場の木工食器が学校給食で使われるのは全国で初めてのこと。
そのニュースはマスコミを通じて、たちまち全国に広がった。
それは、アルマイトやポリ食器による弊害が叫ばれながらも
合理性や経済性を優先されてきた日本の学校給食に対し、
一石を投じることにもなったのである。
そして、この学校給食の導入が大野木工の進む方向性を決めることになった。
全国報道後に各地で共鳴する動きが高まり、
給食器の受注が全国へと広がり始めたのだ。
この流れこそ大野木工のものづくりの中心だ。
現在、大野木工が手がける保育給食器セットは、
全国の160か所を超える保育園で愛され続けているベストセラー商品。
食育の意識が高まりつつある現在の保育園の給食現場においては、
大野木工は最も有名なブランドのひとつへと成長を遂げつつあるのだ。
「木地を肉厚に挽いているので熱いものを入れても、手は熱くないし、
落としても簡単には割れない。でも手荒に扱えば美しい木目に傷がつくから
保育園児も大切に扱おうという意識が生まれる。
お片づけをきちんとするようになった! って保育園の先生から、
喜びの声が届くんですよ」と教えてくれたのは、
おおのキャンパス(大野ふるさと公社)で
クラフトの展示販売を担当する安藤まゆみさん。
お父さんが大野木工の黎明期を支えた現役のクラフトマンのひとりというだけあって、
小さい頃から大野木工の器を使い続けてきた。
そんな安藤さんによると
「統合したりで、使用していただいている保育園が
なくなったりすることもあるのですが、
毎年コンスタントに新規でお使いいただける保育園があります。
一度導入していただいたら、毎日使うものですから
塗装がはげて塗り直しも必要になりますので、
お客さまとは長いおつきあいになっていきます。
修繕しながら、長く使っていただけるというのも、
大野木工の器の良さだと思いますね」
確かに、工房の塗装部屋で並ぶ器の列には、
幼稚園名が記された伝票が何枚も貼られ、再塗装を待っていた。
ちなみに3回も塗り直しした事例もあるという。
「大野第一中学校での導入が話題になり、
たくさんの保育園で使われるようになりました。
おかげでいまでは、保育園の先生たちが集まる勉強会や
シンポジウムなどに呼ばれるようになったんです。
食育には先生方も意識が高いので、
大野木工の器について知りたいって方がたくさんいらっしゃるんですよ」
暮らしの道具は、どういうものであれ、
一番輝くのは実際に人の手で使われている時間だ。
食育の現場で大野木工の器たちは、まさに我が場所を得たり、ということなのだ。
この幸福な出会いの陰には、秋岡氏が描き出したという大野木工の器の
おおらかなフォルムが生きていることは間違いのないことだろう。
「秋岡先生が子どもたちの手に合うようにつくったかどうかわかりませんが、
大野木工の器のデザインは基本的には変わっていないんです。
きっと誰の手にでも合うようにって考えたんでしょうね」と安藤さんは言う。
かつて民藝運動で柳宗悦が手仕事を前に何度も口にしたのは、
「健康」という言葉だった。職人が伸び伸びと手を動かしてつくり、
美しさと丈夫さを兼ね備え、誰もが暮らしの中で使っていけるもの。
柳はそういったものを「健康」と呼んだのだが、
大野木工の器のおおらかなフォルムと、木目の大胆なラインを眺めてみると、
まさに「健やか」という言葉がふさわしいことに気づく。
器に宿ったその「健やかさ」こそが、食育の現場で大切にされているのだろう。
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ろくろ技術と塗装が特徴の大野木工。
子どもたちに愛されている大野木工の制作工程は
基本的には立ち上げた時代から変わることがない。
「使う材の中心は、町内をはじめ岩手県北のアカマツやトチなどが中心です。
70年から100年程度の樹齢の木を使う場合が多いですね。
そういう材料を乾かした後に、木取り、粗彫り、中彫り、仕上げ彫り、塗装という
工程で完成させます。重要なのは、それぞれの作業の丁寧さも必要ですが、
しっかりと時間をかけて乾燥させ、狂いのない状態にしてやることですね。
木は生きているものですから」と語るのは、大野木工のクラフトマン瀧音嘉幸さん。
東京からUターンし、おおのキャンパスの「大野木工クラフトマン養成塾」で
3年間修業した後、同施設の木工房の職人として活動中だ。
瀧音さんによると、大野木工の特徴はやはりろくろ技術。
「製品として、成立させるためには同じ形のものを確実につくる必要があります。
木はどうしても乾燥中に歪みますから、それを修正しながら削っていきます。
ろくろで使う刃物にバイトと呼ばれるものがありますが、
こうしたものは皆、使いやすいようにと自分で鍛冶屋をしてつくるんですよ」
また、木工技術とは少し離れるが、
「プリポリマー含浸法」と呼ばれる塗装方法も大野木工の大きな特徴のひとつ。
「原料の中心となっているアカマツは、ここらへんでは最も多い樹種です。
だからこそ、木工に使うわけですが、木工品には柔らかすぎるという
デメリットもあります。また、うちは給食器で使われるわけですから、
高温の消毒保管庫や食洗機でも扱えるものでなくてはなりません。
そう考えると漆塗ではちょっと難しい。そこで考え出されたのが、
特殊な塗料を木材内部まで染み込ませて木地そのものを固めてから、
表面を重ね塗りして厚い塗膜を形成させるといういまの方法です。
これですと、アカマツの柔らかさもカバーできますし、食洗機でも大丈夫。
透明の塗料なので木目を消さずに済みます。無垢材を使いながらも
食洗機で洗えるというのは、たぶんうちが最初だと思います」とのこと。
また、前述のように塗り直しができるのも、この塗装方法の良さだそうだ。
日本の伝統工芸技術である漆塗の質感も素晴らしいが、
大野木工は新しい技術を駆使しながら
使われる現場に合わせて最良の方法を選択しているのである。
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大野木工の「産地」としての基盤を。
現在、研修生らに制作技術を教えながら自らも制作に励む瀧音さんだが、
力を入れていることはほかにもある。
「一人一芸運動とは、出稼ぎの代わりになるような
産業の創出がテーマのひとつでした。それはいまも変わりません。
大野が木工品の産地として、しっかりとした基盤を築くこと。
つまり、大野木工があることでたくさんの人が
ここで生活していけるという状態になっていく必要があります。
たとえば、木工という産業が確立されると、森で木を伐る人、製材する人、
実際につくる人、さらにはそれを売る人など、たくさんの仕事が生まれ、
それぞれの関係が結ばれていきます。“産地”とはそういうものです。
それをつくるために、おおのキャンパスの木工房として力を入れているのが、
独立した職人が仕事をしやすくなるような環境づくりです。
大野木工では3年間の研修期間を終えると基本的には独立することになります。
そのとき、材料をすべて自前で購入し、乾燥し、木取りをして仕上げて
販売していくというのでは、始めたばかりの個人の商売としては負担が非常に大きい。
人工乾燥機を使ってでも、仕上げ彫りにかかることができる材料をそろえるには
半年以上の時間が必要です。
そこで、おおのキャンパス側で木材を調達し、乾燥、木取り、粗彫りと進めておき、
その材料を作家それぞれに販売するというシステムをつくりました。
こうすることで、作家は初期投資を抑えられます。
さらに作家さんの手元で仕上がった作品は、再びおおのキャンパスが購入して、
流通に乗せるという販売面でのサポートも考えています」
材料の調達や販売を手がけることで、つくり手をサポートし、使い手を増やしていく。
おおのキャンパスは、大野木工ブランドを広め、
産地化していくための重要なポジションとなっているのだ。
「たとえば、木地の産地で知られる石川県の山中には、
ろくろを挽く職人だけでも50人はいます。
その50人が生業として木地を挽くことで
地元には、いろんな仕事が生まれているはずなんです。
ここ大野の木工を通じて、そういう暮らしのかたちをつくっていければと考えています。
そのためには、いいものをたくさんつくっていくことも大切ですね」
と瀧音さんは語った。
現在、大野には、9つの工房が技を研鑽しながら大野木工を手がけている。
また、大野キャンパスの木工房では、
女性を含めた若い職人たちがきびきびと作業に向かっている。
皆、将来的には独立し、自らの工房で大野木工をつくっていくのが目標だ。
その頃には、大野木工ブランドはどれほどの成長を遂げているのだろうか。
秋岡氏や時松氏をはじめとする多くの情熱家たちに支えられ、
ものづくりの里を目指してきた大野地区。
大野木工の器の伸び伸びとした木目の美しさと、手にしたときのやさしさは、
この地域とそこに暮らす人たちが宿す可能性そのもののようだ。
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木のある暮らし 岩手・大野キャンパスのいいもの
information
おおのキャンパス (一社)大野ふるさと公社
住所:岩手県九戸郡洋野町大野58-12-30
TEL:0194-77-3202
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