今日のおやつ: 新食感!京都の手焼き麩で ラスクを作ったら? 「京の麩らすく ふふふ」

さて、まるで足袋のようなかたちの
今日のおやつ、いったいなんのお菓子でしょう?

その正体は、京都のお菓子やさん「たわわ」さんの
「京の麩らすく ふふふ - Tawawa」。
京都のお麩で作られた、あまーいラスクです!

普通のラスクはフランスパンなどを材料にして
いるので、ザクザクとした食感になるのですが、
お麩でラスクを作ると、それが口に入れたとたんに
溶けるような口溶けになるんです。
わたあめのような感じかも?

具体的な製法は、職人さんが手で焼いたお麩に、
「表面にバターで溶いたグラニュー糖で麩の表面を
コーティングし、オーブンで熱する過程を経て」焼き上げられるのだそう。
ラスクだけど、ラスクじゃないような、新しい食感が楽しいんです。

お味もバター、竹炭、よもぎ、ごま、抹茶などバラエティに富んでいます。
ポップなパッケージで、お土産にしても喜ばれそうです。

たわわ「京の麸らすく ふふふ」

今日のおやつ: 赤福の冬期メニュー。 ふっくらあずきと パリふわ焼き餅の 「赤福ぜんざい」

今日のおやつは、
三重県伊勢市の赤福さんの「赤福ぜんざい」。
赤福のお店や、名古屋・大阪のデパートの
喫茶コーナーで提供されている、
冬期限定のメニューです。
私はデパートの喫茶コーナーで頂きました。

ふっくらと炊かれたあずきのぜんざいと、
その場で焼かれる、外はこんがり&中はもっちりの焼き餅がたまりません。
お口直しには昆布と梅干しが添えられていいアクセントに
なっています。

このぜんざいは、夏のかき氷に替わる
冬の甘味として昭和41年に始まったメニュー。
当初は「赤福しるこ」という名前でしたが、
「赤福ぜんざい」と変更されました。お値段は500円です。

個人的に赤福が大好きなのですが(うちの祖母も最愛とのこと)、
東のほうでは催事などでしか購入できないので、
西のほうに行った時に、駅やデパートで手軽に購入できるのが
ものすごくうらやましいんですよねえ。
また西に行ったら訪ねてみたいと思います。

赤福「赤福ぜんざい」

今日のおやつ: まろやかでクリーミーな 大阪のミックスジュース

大阪編も本日が最後。今日のおやつは、大阪のミックスジュースです。

大阪のミックスジュースとは、バナナ、ピーチ、
りんご、いちごなどのフルーツをブレンドし、
牛乳を加えてシェイクしたジュースのこと。
ほかの地域のいわゆる「フレッシュジュース」よりも、
まろやかで親しみやすい味わいです。

大阪では駅構内のジューススタンドで売られていたり
(とくに阪神梅田駅のジューススタンドが人気)、
喫茶店のメニューとして常備されているのが常識。

さてこちらは、昭和21年開店の
喫茶店「純喫茶 アメリカン」のミックスジュース。
喫茶アメリカンは「ネオ・クラシック調」という
レトロできらびやかな内装で愛されている老舗です。
バナナ、いちご、パイナップル、りんごの
さわやかなミックスジュースでした。

お店によって、ミックスジュースのレシピはいろいろ。
ぜひ大阪の喫茶店を訪ねたら試してみてください。

喫茶 アメリカン

こちらが喫茶アメリカン

豪華なシャンデリア

渋い内装が素敵

鳥取にある 日本一危険な国宝を知る! 「三徳山三佛寺国宝・投入堂 NAGEIREDO展」

鳥取県中部の三徳山にある、「日本一危険な国宝」こと
「三徳山三佛寺投入堂」。
このお写真を見ていただけるとおわかりの通り、
垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられたお寺なんです!
建造された時期もはっきりわからず、開祖である「役小角」さんが
法力で建物ごと投げ入れたと語り継がれています。
それで「投入堂」という名が付けられているというわけですね。
間近で見るには狭い道を、鎖を頼りに登り詰めなければならないという
ミステリアスなスポットです。

そんな投入堂の魅力についてもっと
県外の人にも知ってもらいたいということで、
11月1日(金)より、広島市内のセレクトショップ「ref.」にて
イベント「三徳山三佛寺国宝・投入堂 NAGEIREDO展」が開催されます。

その内容は、投入堂の模型やパネルの展示、
三徳山に近い倉吉市の窯元「上神焼(かずわやき)」の器
の展示販売、さらにみうらじゅんさん監修の
仏像フィギュア「蔵王権現(ざおうごんげん)」や
三徳山三佛寺写真集などの展示販売なども。    
開山1300年の信仰の山であるという三徳山について
知るまたとないチャンスですっ!

三徳山三佛寺国宝・投入堂 NAGEIREDO展

「山を読む、二日間」前編

「山を読む」とは?

山形県の肘折温泉では今年も7月27日〜9月16日まで「ひじおりの灯」が行われた。
「ひじおりの灯」とは、7年前から肘折温泉で開催されている、
東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)の学生たちによる滞在アートプログラム。
学生たちは、春に肘折温泉やってきて、滞在制作を行う。
自分の担当となった旅館や商店のおじちゃんやおばちゃんたちに話を聞いたり、
肘折の空気を感じ取ったりして、思い思いの灯籠絵を月山和紙に色づけしていく。
灯籠の骨組みは、立ち上げ当初にみかんぐみの竹内昌義さんが設計。
それに、毎年灯籠絵が張り替えられてきた。
学生たちが手がけた灯籠が、夏の肘折温泉街の夜を灯す。

そんな「ひじおりの灯」開催中に、
肘折温泉では、さまざまなイベントが行われ、老若男女が訪れた。
7月27日には前夜祭として電子音楽イベント「肘響」が、
そして、8月10日、11日には、「山を読む、二日間」と題して、
トークイベント「山を語る」、「山を歩く」という山登りワークショップが行われた。
コロカルも、山を読む二日間に参加。
山伏でイラストレーターの坂本大三郎さんの肘折温泉での生活が少しずつ始まり
冬に訪れたときに肘折青年団のみなさんと考えていた「山のこと」が
少しかたちとなっていたからだ。

1日目のトークイベントのパネラーはこちらの4名。

左からKIKIさん、坂本大三郎さん、石倉敏明さん、田附 勝さん。トークベントは肘折温泉いでゆ館のホールで行われた。

司会は、イラストレーターで山伏の坂本大三郎さん(以下大三郎)。
大三郎さんは、昨年の「ひじおりの灯」のイベントへの参加をきっかけに
肘折温泉に通い、今年から肘折に住み始めた。彼が考える肘折の山のことは、
著書に綴られていたり、コロカルでも取材している。
(→「月山若者ミーティング 山形のうけつぎ方」 、「肘折温泉vol1今も残る美しい手仕事」
ふたり目は、モデルのKIKIさん(以下KIKI)。KIKIさんは山のことを、
自らまとめているという冊子や著書『山が大好きになる練習帖』(雷鳥社)で書いていて、
そこには等身大の山の風景が綴られている。
3人目は写真家の田附 勝さん(以下田附)。彼が撮影した写真集『東北』(リトルモア刊)は、
2012年木村伊兵衛写真賞を受賞。
今も東北へ通い続け、まっすぐな衝動をフィルムへと焼き付ける。
4人目は人類学者の石倉敏明さん(以下石倉)。
石倉さんからは、日本だけではなく、世界の山と人との根源的なお話が展開される。
秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師を務める一方で、羽黒山伏でもある。
ちなみに、田附さんと石倉さんは『なごみ』という雑誌に連載中の、
『野生めぐり』という企画でいつも一緒に旅をしているのだそう。

四者四用に山に魅せられているパネラーのみなさん。
それぞれが撮影した写真をスライドで上映されながら、
「東北に宿るなにものか」「土地の文化の継承」
さらには、「エチオピア音楽と東北」「歌が伝達してきたこと」など、
人類の芸術の出発点にまで、話はひろがっていった。

山に息づく姿をどう伝承していくか

大三郎

まずは、KIKIちゃんに。KIKIちゃんは雑誌や番組の取材で山に行くことが多いと思うけど、山はどうですか。

KIKI

「山の登り方」にはいろいろな楽しみ方があると思うんですけど、私は、最初は「どこどこの山がいい」とか「景色がいい」と聞いて登る山を決めていました。そのうち、道はどうつくられたか、ほこらはどうしてできたかということに興味が出てきて、自分のなかで、徐々に山の登り方が変わってきました。山にいる時間って、とても特別なもので、感動がすごく多い。山の見え方や、神さまとして祀られているものはとても神々しくて。そういった姿を写真におさめて、個人的に冊子にまとめています。

大三郎

撮影しているものや雰囲気は全然違うんですが、KIKIちゃんの写真を見て田附さんと似ているものを感じたんです。

写真はKIKIさんが出羽三山に行ったときの冊子。

KIKI 

(岩木山のスライドをみながら)これは岩木山(青森県弘前市、標高1625m)です。本当は、8合目まで車で行ける簡単な登山道があったけれど、信仰の道に興味が出て、探して登りました。実は、その信仰の道もふたつあった。岩木山神社の裏からの道と私たちが登った道。前者はかつて殿様がお参りするための道だったそうです。私たちが通った道は土地の人が山を崇めて歩いた道だった。地元の人からは「なんで神社からの道を通らなかったの?」とびっくりされたけれど、気持ちのよい道だった。山の見え方がちがうなって気もしました。

大三郎

山伏から入ると山のことって、ツライことをやるというイメージだけど、山は本来気持ちいいもの。山に登るって、最初に、楽しいという気持ちがある。

KIKI

もちろん、山を登るわけだから途中はつらいかもしれないけど、頂上に到達すると最後は楽しいし、気持ちいい。そう思えることが、山に対する何か信仰のあり方なのかなって思います。

山行のあとに、KIKIさんがまとめているという冊子たち。

大三郎

田附さんの写真って、これまでの東北の姿とはまた違った土着的なにおいを映し出す写真だと思うんです。

田附

60年代〜70年代にかけては、濱谷浩さん、岡本太郎さんや写真家の内藤正敏さんに代表するような、裏日本というテーマのなかで東北の姿を捉えられることがあった。でも、80年代以降はあまりビジュアルとしては見かけなかった。僕は東北には、独特の土着的な姿というのがあるんじゃないかと思って、写真を撮り始めたんだけど。

大三郎

田附さんの写真にある風景は、都会に住む人が忘れた姿なんじゃないかと思うんです。

田附

そう。肉を食べるために、動物を裂く姿までは見ることができない。でも実際はその土地からいただくみたいなことがあるわけで。このことはちゃんと知らないといけない。動物から血が流れるということはどういうことなのか、感じたり、見なきゃダメだというのがあるね。

田附さんの写真がスライドで流れる。

KIKI

東北を撮り始めたきっかけって何だったんですか?

田附

僕は、生まれは富山、育ちは埼玉。だから小さい頃から東北に親しんでいたわけではない。でも、19歳のときに青森へ行ったらぞわぞわする感性が動いて、それが自分のなかでずっと残っていた。残った何かを確かめたいと思った。(スライドを見ながら)これは、山形県の飯豊の熊祭りです。熊役を演じるひとが熊をかぶるパフォーマンスを見たときに、かつては山を歩いて、熊を仕留めていた誰かの姿として、目に焼き付いた。この土地にある文化が、いま、見えているものと重なって浮かび上がった。

大三郎

都市部に行くと洗練された文化がある一方で、自分の足下で脈々と続いてきたものに触れられる場所は限られてきている。でも、東北を歩いていると、何かいまの姿と違うものに触れる感覚がある。田附さんの写真はそうしたものをえぐり出そうとしている。

田附

わかんないけど、東北に来ると、自分のなかの、ある気持ちとリンクする。特に、夜って、普段は見られない何かを見られるんじゃないかと思っていて。山の夜は、人間が立ち入っちゃいけない時間だと思うくらい、何か見えないものがうごめいているんじゃないか。

大三郎

僕も山にいて、夜は本当に真っ暗になるので、びっくりしたのを覚えています。まちの夜と全然違う。

田附

そこにいる自分にまずびっくりする。呼吸がこんな音をしていたのかとか。

大三郎

夜の森で一番こわいと思ったのは、自分は見えないけど、動物からはこっちが見えているということ。これは、昔のひとは持っていた感覚なんだと思う。

田附

昔の人はその感覚を知っているから、夜は獣たちの世界だと認識していた。そうやって、人間と獣の世界が分断されていたんじゃないかって思う。

大三郎

(雑誌『なごみ』の連載『野生めぐり』の写真を見ながら) 石倉さんとの連載ではどんな所に行ったんですか?

石倉

第1回目の取材では、青梅の御岳山(東京青梅市、標高929m)や奥秩父の三峰山(埼玉県秩父市にある三山※1の総称)に色濃く残っているオオカミ信仰を取り上げたんです。野生的な何かを発見するための、最初の場所として選びました。東京や埼玉を取り囲む山々の奥地には水が湧いていて、それが川や飲料水となって平野部の農業や生活を支えている。御岳山には山伏の末裔である御師(おし)と呼ばれる祈祷師が住んでいて、いまは絶滅したと言われているニホンオオカミを大口真神として祀っています。

たとえ現代の東京でも、ちょっと山に行くだけで古代的なオオカミ信仰の層を発見できる。それから一年かけて田附さんと一緒に日本各地を歩いている最中で、いまも行く先々で野生的な力の文化を実感しています。

夜の森を歩いて撮影したという、田附さんの写真集『KURAGARI』。http://superbooks.jp

大三郎

昔の人がどう山に関わっていたのか。特に僕は、山伏の古い時代の行いに興味があるんです。もともとは現代美術に近い場所にいた僕は、日本のものづくりのルーツを知りたかった。山伏は、古い時代には「ひじり」と呼ばれ、お祭りのときには、舞を踊ったり、音楽を奏でたり、面をつくったりしていたりと、日本のものづくりや文化に非常に関わりのあった人と言われています。それで実際に山に入り山伏の修験を体験してみたら、面白さを感じてしまったんです。

僕は、現代までに重ねられてきている、蓄積された文化を見ていかないと、「いま」を本質的に捉えられない気がしています。そのときに、肘折には、古い時代の山伏の姿を残しているじゃないかと推測できる場所が多い。柳田國男(民俗学者)は、ひじりがつくった場所は「ひじ○○」と呼ばれると言います。肘折もひじりがつくった集落なんじゃないかと推測できる。実際、肘折の山には、古いかたちがそのまま残っています。

人と樹木の関係はものすごく古く、根の深いものだと思うんです。いま僕たちが触れられる山の文化に対して、「木地師」の存在はとても興味深い。肘折温泉では、こけしがつくられてきたんですが、この土地の職人は、実際に森に入って木をとっていたそうです。これは他の産地ではないこと。肘折のこけし職人だった奥山庫冶さんの息子さんに話を聞いたら山から木をきる作法をよく知っていた。そういった些細な作法にもすごく重要な情報が詰まっていると思うんです。それは、山伏にとってというよりも、ぼくたちの生活に。だから、僕は残したい。

坂本大三郎さん。

石倉

僕が肘折に初めて来たのは、1997年。研究室の合同ゼミで、1年に何度も大蔵村を訪れていました。山が、森が、本当に豊かな場所だと思いました。そのときは山間地で農業をして、東北の人びとの暮らしや芸能を知り、汗まみれの身体を肘折のお湯で流す、という日々を送っていました。地底からわいてくる力、鉱物としての土地の豊かさ、そして、山を豊かにしている植物や動物への想像力。そんな土地に人間がいて、芸能や信仰が生まれている。それらが渾然一体となっているここの文化に圧倒されました。

当時、舞踏家の森繁哉さんや阿部利勝さんにいろいろと教えていただいて、羽黒山伏の星野文紘さんにも、大蔵村ではじめて出会ったんです。だから、僕もこの肘折に残る文化を残そうとしていることは、とても意味があることだと実感しています。それに、ただ古い文化を残すというだけじゃない。外からの新しい刺激を受け入れて「生まれ変わる」力もあると思うんです。

大三郎

なかなか担い手が少なくなっている時代だけど、せっかくすばらしいものがあるんです。どうにかして残していきたいと僕は思うんです。

石倉

僕たちが関わっている秋田県上小阿仁村の「KAMIKOANIプロジェクト」でも、地元の生活に根ざした芸能や文化と新しいタイプの芸術を密着させることを目的としています。土地の人たちと外から来た人たちが、それぞれの役割を担ってすすめようとしている。目指すところは「ひじおりの灯」の精神性とつながっているんじゃないかなと思っています。

大三郎

肘折は外に出たひとがわりと戻ってくれるという、素晴らしいところ。でも出羽三山のまわりを見回すと、住民は老人ばかり。特にこのへんは豪雪地帯だから、1〜2年家を放置するだけで、つぶれてしまう。おふたりが見てきた土地ではどうでしたか。

田附

僕が、写真を撮りなが東北をまわっていると、若いやつが多少いる土地もある。例えば、彼らは伝統的な踊りを担っているけれど、昔と同じ衣装では踊っていない。それは単純な理由で、衣装が重いから。そんな風に、無くなるものは無くなっていいと僕は思う。残そう残そうと思うと、違うものが残っちゃう気がする。

誰かが強く思えば、たとえ一度は消えても、その土地から湧き出てくる何かによって、復活されることがある。そうやって日本列島では何千年も同じことを繰り返してきたんだと思うんだよね。残るものは残る。絶対またもとに戻るものってあると思う。

石倉

最近ある学生に「私には神道や仏教という宗教の信仰は無いけど、それでいいと思っている。かたちは変わっても、自然を大事にしたいという信念を持っているから」と言われたんです。たしかに、表に見えるような宗教という考え方は消えても、プリミティブな自然との関係は残っている。そういう関係って、かたちだけ残せばいいというものではないし、常にその時代の人びとが再発見して、その時代の表現のあり方を考えなければいけない。

いま「ひじおりの灯」や「KAMIKOANIプロジェクト」に限らず、全国の小さな村や大自然を舞台としたプロジェクトが立ち上げっているけれど、やはりその人なりの「土地とのつながり方」を見つけることが大きな主題になっているのだと思います。田附さんは上小阿仁村の八木沢集落という限界集落で、朽ち果てようとするトタン小屋を会場として、その土地に暮らす昔マタギや木こりだった人たちの写真を展示しました(写真展の様子はこちら:前編後編)。

KIKIさんは、ファッションやアートを通じて、普段はあまり山のことを知るチャンスが少ない若い女の子たちが、自分もそこに行ってみたいと思わせる風景を実際につくり出していて、言ってみれば、「道」をつくる山伏の先達みたいな存在。大三郎くんも、イラストや文章等を通して、山伏自身も伝統の中に抑圧してきた野生的な文化を発掘してみせている。

そんなふうに、ぼくらの世代が、かつての文化を新しくつくり直していくことも必要なんじゃないかと思う。

田附

ただ、自分たちが新しいことだと思っていても、実は歴史の中に組み込まれているんじゃないかと思うときもある。昔あったものがまた現れるというふうに。

田附 勝さん。

土地を読むこと=歌をうたうこと

大三郎

続いては、ここに参加してくれた方からの質問に沿って、話をしたいと思います。ひとつ目は、「石倉さんに質問です。今日スライドで流れていた石像が、エチオピアの映画にでてきた洞窟の絵と似ている」ということなんですが。

石倉

僕自身は行ったことがないのですが、エチオピアは宗教が重層していて、たいへん面白い地域だそうです。エチオピア正教というキリスト教と、イスラム教と、土着の精霊信仰などが混在している。そういう意味では、東北と共通しているところがあるのかもしれません。特に、家々を訪ねて物乞いをしながら、歌をうたって人びとを祝福していく文化がエチオピアにはあるんです。

これについては、川瀬 慈(かわせいつし)さんという映像人類学者が『ラリベロッチ—終わりなき祝福を生きる—』という素晴らしい映像作品にまとめています。それを見ると、たしかに歌がすごく面白い。川瀬さんから聞いた話ですが、エチオピアの歌というのは、演歌にそっくりなんだそうです。エチオピア人に吉 幾三の歌を聞かせたところ「この歌手は誰だ? エチオピアに呼びたい」って言わせたほど(笑)。

かつて東北の農村には、家々を祝福して廻る門付芸人(かどづけげいにん)がいましたが、彼ら自身もある意味では大三郎くんが言う「ひじり」と同一視されるような存在だったと思います。

大三郎

昔は、山伏と巫女が夫婦になって、憑依させて集落から集落に練り歩くということをしていたようですね。エチオピアの芸能は日本と共通点があって面白そう。

KIKI

私、エチオピアに行ったことがあります。清水靖晃さんというサックス奏者の方がいて、とてもすてきなジャズを演奏する方なんですが、なかでも『ペンタトニカ』というアルバムは、民族的な音階を集めていて、エチオピアの伝統音楽を編曲したものも入っていてとてもかっこいい。

石倉

いいなあ、行ってみたい(笑)。ジム・ジャームッシュ監督の映画『ブロークン・フラワーズ』にもエチオピアの音楽が使われていましたね。五音音階(ペンタトニック)の民謡調で、しかもすごく洗練されている。

KIKI

エチオピアではラリベラとう古都にある岩窟教会群へ行ったんですが、地域によって宗教観が全く違っているんですよね。その教会には、壁画がなく、地面を掘り下げて祭壇があるシンプルなものでした。

石倉

川瀬さんの映画に出てくる「ラリベロッチ」という芸能者も、まちを転々としながら各地の家を訪ねて、その家がキリスト教かイスラム教なのかもこっそり確認しながら、その人を讃える歌を即興でうたうそうです。たしかに東北の放浪芸人とそっくりなんだなあ、ということがよくわかりました。

ちなみに川瀬さんは、精霊に憑依された霊媒の女性を主題とする『精霊の馬』という作品も撮っているんです。女の人が馬のようになって精霊を乗せ、トランス状態で託宣を告げる儀礼。これも東北に伝わる「いたこ」文化に似ているのでびっくりしました。

大三郎

東北には瞽女(ごぜ)さんという女性たちもいて、目の見えない人が多かったんですが、彼女たちは歌をうたって集落から集落を歩いていた。行く先々で、説教を歌っていたようです。瞽女という名前も御前(ごぜん)から来ているのではという説もあり、何か儀礼をする人だったんじゃないかと推測が生まれる。遠い国なんですけど、通じることがあるんですね。

石倉

山伏のやっていることもそうですよね。ある意味で、東北の山は「世界」に通じて、それだけ古い文化が残っている。山伏が抖擻行(とそうぎょう、※2)を行って、道無き道を読んで歩いていく背景には、そういう古い世界的な文化があると思います。たとえば山伏は、山中の特別な拝所をめぐって祝詞や真言を唱えますが、ある意味では土地を読むことと歌をうたうことを一体化させている。

オーストラリアの先住民アボリジニたちも、殺風景な砂漠の中の土地を「読んで」歩いていく。そして、彼らの神話に登場する特別な泉の前で、特別な歌をうたう。山伏たちがやっていることの本質と、とても近い儀礼だと思います。

田附

なんで歌なの? 言葉で言うだけじゃダメなの?

石倉

単に発声するだけじゃなくて、抑揚をつけてうたうことで、はじめて世界に働きかける力が生まれるんだと思う。それはたぶん、社会的なコミュニケーションの道具としての言葉以前に生まれた力かもしれない。先住民は広大なオーストラリアの土地の全てを楽譜のようなものととらえ、そこを歩くことで創造神話と一体化する(※3)。からだごと音楽や神話と一体になるんです。

山伏修行の一番深い層では、こういう儀礼ととてもよく似たことを行っています。普通の人が茂みや岩だと思っているところに、熟練の山伏は古くから伝わる神話の痕跡を発見する。そして、そこでお経や真言を唱えることで、山全体に眠っている記憶が呼び覚まされます。

大三郎

折口信夫(民俗学者)は、「自然に対して訴えかけることが歌である」と言っています。訴えるときに語られたことが、物語になっていくと。日常的に話している言葉よりも先に歌があって、それが繰り返されることで、いまの「歌」という形式に収まっていった。そこからは、身振りが「舞」になり、激しく舞うことが「狂う」という風に言われている。かつて自然と向き合った姿はやがて歌に残され、そこで語られる物語が神話になっていくんだと思う。

田附

歌のもっと前に、動物的な感覚で人間は声を発し始めたじゃない。そう言った音というか声というか、発声から来ているのかとも思った。それが音楽になり、理解されていくものになったのかなと。でも、いまの話は、すごく面白い。

石倉

ジャン=ジャック・ルソーも「最初の言葉は詩であり歌であった」と言っています。僕自身、子どもを育てていて感動したんだけれど、赤ん坊は言葉によるコミュニケーションを覚えるずっと前に、簡単なメロディーやフレーズを覚えて歌をうたうんですよね。現代の生物学者も、音を使ったコミュニケーションが動物と人間に共通するとても重要な回路だということをあきらかにしている。

芸術というとすぐに壁画や彫刻を想像するんですが、ラスコーのような旧石器時代の洞窟の中でも音楽やダンスが重要な役割を果たしていたようです。昔の人類は、音を響かせ、歌をうたうことで、岩や土の壁の向こう側に広がる目に見えない自然の領域に働きかけていたかもしれない。芸術の歴史もそうやって捉え直してみると面白いですよね。

石倉敏明さん。

大三郎

続いて一番多かった質問で「山のエネルギー、力を感じるところはどこかありますか?」ということなんですが。僕は、湯殿山(山形県鶴岡市と西川町の境にある、標高1500m)ですね。初めて東北に来たときに行ったところですが、すごいと思った。真っ赤な岩から何か出ているじゃないですか。

田附

いや、本当あれはやばい。僕は観光で、特に何も情報もないまま行ってみたら、赤い岩が! 濡れている! というような、とにかくファーストインプレッションが衝撃的だった。だって、

KIKI

行っていない人もまだいます……

田附

あ、すみません。でもすごかったよ。 

大三郎

語るなかれ、聞くなかれ、湯殿山(笑)。僕は山のパワーという言い方は好きじゃないんですけど、やっぱりその自然のインパクトというか、存在感は、人間の感覚を刺激するなって思います。岡本太郎さんが、湯殿山を見たときに「民俗のそこにあるものを刺激された」と言ったようです。

石倉

田附さんと一緒に旅をするとき、ひとつ大事にしていることがあるんですが、それは聖地というのは必ずしも神社やお寺の社殿ではない、ということなんです。だからたいてい、山や湖や洞窟を目指すことになります。聖地と呼ばれる場所にはたいてい立派な社殿が建てられているんですが、その前になにがあったのかを見ないと、本末転倒になってしまう。例えば湯殿山も、湯殿山神社じゃなく、ご神体を意識するように設計されています。こういうところからも、いろいろ見えてくるものがあると思う。

田附

かたちに気を取られるとちがうものになっちゃうじゃない。そういうのがすごくいやで。もっと先にあるものを見たい。

大三郎

今日「山を読む」というテーマで話をしてきたんですが、山を読むってつまりは、「読み方」なんだと思います。例えば、肘折温泉のような自然の豊かなところに入れば山は身近だけれど、見落としてしまうものもある。かつて、自分たちの文化が豊かだった時代というのが何百年か前にあって、そのときの人たちがどういう風に自然と接していたか。という、山の読み方をひとつひとつ、僕はひじりや山伏という視点からひも解いていきたい。

石倉

それだけ濃密な情報が、山という空間には満ちあふれている。本を読むことも大事だけど、山を読むことで別の次元の情報に触れられるんじゃないか、と僕は思っているんです。中沢新一先生も「山伏っていうのは、そこに身をおいて学ぶ学問だ」とおっしゃっていて、基本的には先達をとおして「独学の仕方」を学ぶものなんですよね。木や岩を通して、季節や生態系の変化だけでなく、先人の足跡や歴史的な出来事、神話や伝説のような情報も教えられる。それが山を読むこと。「ひじり」と呼ばれた人たちは、情報のハブになっていた。彼らのネットワークが、山とまちをつなげていた。僕らはそれを実践的に学んでいるんです。

大三郎

僕以外の3人が各地の山を旅しているなかでも、その土地土地の自然の読み方があったと思う。いま、ぼくは肘折という土地で「山の読み方」を読み込もうとしています。東北芸工大の学生さんたちも今日はたくさん来てくれていますが、「山の読み方」というのを今日の4人の話から、少しでも感じ取ってくれるといいなと思います。

3時間にも及ぶトークの後のオフショット。右端は「ひじおりの灯」の共同企画者のひとり、東北芸術工科大学の宮本武典さん。

このトークの後、夜には参加者みんなでで肘折温泉の夜へと繰り出し、
灯籠をを見て歩いた。その様子や2日目の「山を歩く」、山登りの様子は後編で!

※1 三山…妙法が岳・標高1332m、白岩山・1921m、雲取山・標高2017m
※2 山林中を自らの足で歩いて修行すること 
※3 参考:ブルース・チャトウィン著『ソングライン』

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

profile

TOSHIAKI ISHIKURA
石倉敏明

1974年東京都生まれ。1997年よりダージリン、シッキム、カトマンドゥ各地で聖者(生き神)や山岳信仰、「山の神」神話調査をおこなう。2013年より秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師。明治大学「野生の科学研究所」研究員、羽黒山伏。共著・編著に『人と動物の人類学』(春風社、2012年)、『道具の足跡』(アノニマスタジオ、2012年)など。

profile

KIKI

東京都出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。在学中からモデル活動を開始。雑誌や広告、TV出演をはじめ、連載などの執筆など多方面で活動中。著書に『山スタイル手帖』(講談社)、『美しい教会を旅して』(marbletron)。カメラマン野川かさね氏との共著『山・音・色』(山と渓谷社)や最新著書『山が大好きになる練習帖』好評発売中。

profile

DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎

1975年千葉県生まれ。2006年、山形県羽黒地方にある宿坊「大聖坊」の山伏修行に参加。2009年、山伏出世の行と呼ばれる「秋の峰入り修行」に参加する。以降、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然と人を結ぶ活動をしている。著書に『僕と山伏』(リトルモア、2012年)、『山伏ノート~自然と人をつなぐ知恵を武器に~』(技術評論社、2013年)。

profile

MASARU TATSUKI
田附 勝

1974年富山県生まれ。9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、写真集『DECOTORA』(リトルモア、2007年)を刊行する。2012年、写真集『東北』(リトルモア、2011年)で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞。最新作に、釜石市唐丹町で4年に渡り撮影をおこなった写真集『kuragari』(SUPER BOOKS、2013年)がある。

森を感じ、森に学び、 森を食べる体験。山形県・月山山系 「IROHA TRIP 森の晩餐」

2013年11月2日と3日の2日間にわたり、
山形県鶴岡市の月山山系・朝日連峰周辺にて行われる
フィールドツアー「IROHA TRIP 森の晩餐」。

月山は、山伏の修験道として知られる、出羽三山の主峰です。
ここに、鶴岡市大鳥池のマタギ、佐藤義幸さんら、
森を知る人々とともに分け入って、
狩猟の世界を学び、木の実やキノコなどの森の恵みを採集し、
それらを自分たちの手で調理した「森の晩餐会」や、
保存食を作る「森の保存食づくり」などをおこなう二日間。

豊かな生態系につかの間お邪魔して、森を感じ、森に学び、森を食べる。
いわば「森のテーブルマナー」を体験しながら学んでいくという場です。

ツアーでは、採取した森の恵みで作った
リキュールやびん詰などをおうちに持って帰れるのも素敵。
どちらか1日のみの参加も可能です。

本企画は山形県出身・在住のメンバーで構成する「アトツギ編集室」
によるもの。お問い合わせ、お申込みなど、詳細は下記Webサイトにて。

IROHA TRIP 森の晩餐

地産地消を実践する、 くつろぎの古民家カフェ。 「神音カフェ」

いたる所で日本の原風景を感じられる土地、羽咋市神子原地区。
その集落に佇む「神音カフェ」が今、県内外からファンを集めています。

店舗は築70年の古民家を改装したもの。
珪藻土の土壁、囲炉裏など、古き良き日本家屋のエッセンスを残しつつも、
若きマスターの感性がふんだんに散りばめられた空間です。

カフェのオーナー兼マスターの武藤一樹さん。
金沢の美術大学を卒業後、東京の大手CD販売店に就職し、
都内の自家焙煎の名店を巡る中で、焙煎の技術を学ばれたそう。

本格的な修業に打ち込んだのち、やがて、
「自分で野菜を育ててみたい」「田舎で暮らしたい」「人が集まる場所をつくりたい」、
という想いが膨らみ、2006年に「神音カフェ」をオープンしました。

コーヒーマイスターの資格を持つマスターは、知識も技術も一級品。こだわりのコーヒー豆を自ら焙煎し、注文が入る度にコーヒーミルで細かく挽きます。

「カシューナッツチキンカレー」。サラダ付きで900円。

コーヒーだけでなく、ぜひオススメしたいのが日替わりのカレー。
たっぷりの旬の野菜、こっくりとした濃厚な味に、多くのリピーターが訪れます。

カフェの隣の田畑では、カレーの主役になる野菜や米づくりにも取り組みます。

「何かひとつでも、一から自分で育てたものをメニューに取り入れるようにしています。
野菜市場に並んでいるものがいくら新鮮でも、
どうしたって穫れたてにはかないません。
柿だって、もぎたてが一番おいしい」

そんな話をしながら、柿を次々に収穫する武藤さん。
頬張れば、果汁がぽたり。瑞々しい甘さが口いっぱいに広がります。

カフェを訪れる客層は、実にさまざま。
「小さなお子様連れのご家族もよくいらっしゃいます。
靴を脱いで入るので、子どももくつろげるのかもしれませんね」

そう話す武藤さんも、3人のお子さんの子育て真っ最中。
武藤さん一家の暮らしぶりや、「神音カフェ」の在り方は、
シンプルな生活がもたらす魅力を発信すると共に、
地産地消に取り組む地域交流の場としての役割も果たしているのです。

日本で唯一残る製塩法。手作りの極み。 「揚げ浜式製塩」

400年以上の歴史を持つ「揚げ浜式製塩」。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている、能登の伝統技術です。

汲み揚げた海水を砂浜の「塩田」にまき、
太陽と風の力で蒸発させると、砂に塩が付着します。
その砂にさらに海水を注いで塩分濃度の高い水を作り、
それを釜で炊いて水分を蒸発させ、塩を作ります。

こうして時間と手間をかけて行われる天然の製塩法は、
能登が世界農業遺産に選ばれた理由のひとつでもあります。

塩づくりの原料となる海水は、塩田の目の前に広がる日本海から汲み揚げます。
その量は、1回あたり72リットル。
なんと重さにして60kg以上!

石川県の「ふるさとの匠・伝統の匠」に認定されている浜士(はまじ)の登谷良一さん。
浜士とは、製塩に従事する技術者のこと。
「浜」に「サムライ」と書いて浜士。カッコイイですね。

登谷さんが海水をまく姿はさすがの迫力。
キレイな孤を描き、かつ霧状にまんべんなく撒けるようになるまで、
10年以上はかかる技術だとか。

海水が乾いたら、数人で手分けして砂を集めます。
砂を集める道具は「いぶり」。押し出すのではなく、手前に引いて使います。

集めた砂を「沼井(ぬい)」という箱に入れ、上にむしろを敷き、海水を注ぎます。
海水がゆっくりろ過され、底の穴から
塩分濃度の高い「かん水」が流れ出てきます。

かん水を釜に移し、まずは6時間「荒炊き」して、ゴミや不純物が取り除きます。
その後、やわらかい炎で17時間「本炊き」に入ります。

煮詰めていくと、結晶化した塩が浮き上がってきます。
これを集め、4〜5日放置してにがりを抜けば、
ついに奥能登名物「揚げ浜塩」の完成です。

1,080リットルのかん水からとれる量は、たったの180kg。
非常に希少な塩だけあって、その味は格別。
ほんのりとした甘味をたたえ、数々の料理研究家から愛用されています。

「しおサイダー」1本200円、6本セット・化粧箱入り1,300円。

揚げ浜塩を使った「しおサイダー」もオススメ。
すっきりとした甘さが評判を呼び、
発売1年で25万本を売り上げた、能登を代表するヒット商品です。

5月1日〜9月30日の期間は、
予約すれば誰でも塩づくり体験や見学ができます。
ぜひ、江戸時代以前から受け継がれる貴重な伝統をご覧ください。

大正15年創業。 老舗の味、佇まい。 「鳥居醤油店」

美しい暖簾をくぐって店内に入ると、
ふわりとほのかに甘いお醤油の香りに包み込まれます。
ここ七尾一本杉通りの「鳥居醤油店」は、小柄で元気な女将さんが暖簾を守る、
大正15年創業の老舗の醤油店。
明治時代の建物は有形文化財に登録されています。

(左)地元能登産の大豆と小麦を木樽で2年間熟成させた天然仕込みの濃い口醤油。500ml(600円)、1.8L(1,500円) (右)淡口醤油をベースに、かつお、昆布、椎茸をふんだんに使った濃縮型のだしつゆ。500ml(600円)、1.8L(1,800円)

女将自ら、昔ながらの製法で「醤油こうじ」を仕込むなど、
強い信念を持って醤油づくりと向かい合う醤油店。
瓶詰め、ラベル貼りに至るまで、すべてが昔の道具を使った手作業で行われています。

三代目の鳥居正子さん。
おちゃめな笑顔がトレードマークの人気女将です。
鳥居家では、代々女性が店を継いでおり、
現在は正子さんが醤油づくりの一切を取り仕切っています。

明治時代初期から伝わるもろみ蔵。
醤油こうじと能登の塩、鳥居家の井戸水と合わせ、
杉樽で二夏かけてじっくりと熟成させます。
蔵の中はどことなく厳かな空気が。

明治時代の食器棚に、手づくりの醤油やだしつゆが並びます。
さりげなく飾られた古道具の数々にも趣きがあり、ずっと居たくなる空間です。

軒先に掛けられた暖簾は、友人が一針一針、丹精込めてつくってくれた大切な作品。
暖簾の素材には、醤油もろみを絞る際に使う麻布が使われています。

ふわりと風に揺れる暖簾が迎えてくれる、優しい面持ちの鳥居醤油店。
その空気感も楽しみに、ぜひ訪れてみてください。

丁寧に手をかけられた、 輪島を感じる漆の宿。 「輪島温泉 お宿たなか」

昔ながらの数寄屋造りである「お宿たなか」は、
その設えに地物を使ったこだわりの宿。

部屋の壁には珪藻土が塗られ、
輪島産の手漉き和紙である「遠見和紙」が使われています。
柱、廊下、テーブルなどには県木である「アテの木」を使い、
すべてに拭き漆がかけられた、温かな空間。
ずっと素足で過ごしたくなります。

これらはすべて、“呼吸”する素材のため、
室内の湿度やにおいなどを調節する機能も。

食事は、国の重要無形文化財にも指定されている「輪島塗」で提供。
世界で唯一、保湿性のある塗料とされる漆のしっとりとした口当たりは、
四季折々の郷土の味を、より一層際立たせます。

大浴場の湯は輪島温泉。
24時間入浴できるため、輪島のまちで夜更かししても安心です。

店主のこだわりが細部にまで行き渡る「お宿たなか」。
輪島にお越しの際は、ぜひオススメしたい宿です。

日本海の強風が生んだまち並み。 「間垣の里」

竹の垣根でぐるりと囲まれた集落は、
異境の地に迷い込んだかのような不思議なまち並み。
城壁のようにも感じられる「間垣(まがき)の里」は、
輪島の西、上大沢町と大沢町の2か所に点在しています。

「間垣」とは、長さ約3メートルのニガ竹を隙間なく並べてつくった垣根のこと。
集落をぐるりと取り囲み、日本海の強風から家屋を守ります。

湿気や西日も軽減するため、冬は暖かく、夏は涼しいという効果も。

奥能登の興味深いまち並みは、厳しい自然と共存してきた先人たちの
生活の知恵がもたらしたものなのです。

土塀やブロック塀とは異なり、間垣には程良い隙間があるため、
強風が隙間を通り抜けていきます。
そのおかげで、間垣自体も強風による倒壊を防いでいるのです。

風よけの垣根は、日本海沿いの他県の集落でも見られますが、
板張りのものが多く、竹でつくられたものはとても珍しいそう。

自然の厳しさを受け入れ、共存していくための工夫がもたらしたこの景観は、
能登が世界農業遺産に認められた理由のひとつでもあるのです。

築170年の 茅葺家屋コミュニティで絶品定食。 「茅葺庵 三井の里」

いまでは希少となった茅葺屋根がトレードマークの「茅葺庵 三井の里」。
築170年の農家を移築したこの建物は、
茅葺家屋の保存と、山村文化を伝承していくための場所として愛されています。

生粋の能登っ子、山浦芳夫さん。
昭和62年に「三井の活性化を考える会」を結成したのち、
有志で「三井経済活性化協同組合」を設立、専務理事・理事長に就任。
その後、「三井の里」の設立に尽力しました。

「輪島の過疎化が進み、近い将来、
この村から子どもがいなくなるのではと心配になりました。
そこで、“10年後の三井をつくろう”と活動を始めたわけです。

まず初めに取り組んだのが茅葺家屋の保存。
そして、三井の暮らしを積極的に発信していくこと。
当時は、都会的な生活がもてはやされる時代でしたが、
いつか三井のような場所や暮らしが再評価されるときが来ると信じていました。
そのときのために、誰かがこの地域を守っていかなければ、
ということで、『三井の里』という交流の場をつくったのです。

その甲斐あってか、近頃、この土地に魅力を感じて、
多くの若者が移住してくるようになりました」

重く積もった雪をしっかりと受け止める立派な茅葺屋根。

ここ三井町には、かつて650戸ほどの茅葺家屋がありましたが、
高額な葺替え費用(約1千万円!)、葺師の高齢化、所有者の後継者不足など、
さまざまな要因が重なり、いまでは数えるほどに。

ここで旅行客に人気なのが、地元の食材を活かした定食。
すべて地元のお母さんたちによるお手製料理です。
もちろん、お米は三井で穫れたもの。ご飯はおかわりし放題!

「この辺の土地はお米づくりに適した土地。
雨水が雑木林に染み込んで、たっぷりミネラルを吸って、栄養満点の水が田んぼに注ぎ込む。
そんな水で育ったお米だから、うまいに決まってる」
と、山浦さん。

こんなにボリュームがあるのに、値段はなんと800円。
たらふく食べたら、畳に寝転んでごろごろ。

目の前に広がる田んぼは、冬には白銀の世界に。
春夏は緑が美しく、秋には一面が黄金色に染まります。

季節を変えて何度でも訪れたくなるこの場所は、
能登空港から車で10分。
能登に着いたら、まずはここへ。ぜひ立ち寄ってみてください。

ユネスコ無形文化遺産。 希少な農耕文化。 「奥能登の“あえのこと”」

奥能登の農家に古くから伝わる「あえのこと」は、
“田の神様”に一年の収穫の感謝を捧げる農耕儀礼です。
「あえ=もてなし」「こと=祭り」を意味し、
国指定重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

行われるのは、暮れ(12月5日)と春(2月9日)の年2回。
暮れに“田の神様”を家に招き入れてもてなし、
春になると、五穀豊穣を祈って“田の神様”を田んぼへと送り出します。

大きな特徴は、あたかも“田の神様”がその場にいるかのように振る舞うこと。

目の見えない神様であると言われているため、
ご馳走の内容をわざわざ口に出して説明し、家の中を案内するときも
「足元にお気を付けください」と話しかけて気を配ります。
まるでひとり芝居をしているような、不思議な光景です。

「田の神様、お風呂の準備ができました」「田の神様、お湯の加減はいかがですか?」
家主が“田の神様”に話しかける様子を見ていると、
徐々に神様の存在が身近に感じられ、「あえのこと」の世界へと深く入り込んでいきます。

料理は家によって内容が異なりますが、
すべての食材が能登の豊かな里山里海で獲れたもので、地物をもちいるのが習わしです。

この行事の本質は“田の神様”に感謝を伝えることに他なりませんが、
実は、それとはまた別の役割もありました。

それは、子どもたちにご飯をお腹いっぱい食べさせること。
田畑で獲れたものを神様に捧げるという名目で、年貢の対象外となる収穫をある程度確保し、
行事が終わった後に、料理を子どもたちに食べさせたのだとか。
この祭礼には、先人たちの“知恵”も見え隠れしているのです。

「田の神様、これより田んぼの方にご案内致します。どうぞ、若松様にお乗りください」
この日は2月9日の「田の神送り行事」。
牡丹雪が舞う中、手にはクワと甘酒が。
その昔、この甘酒を元に、こっそりとどぶろくをつくったのだとか。大人たちの密かな楽しみです。

大雪の降りしきる中、「今年も良い収穫をお願いします」と、頭を深々と下げます。

この伝統は、各農家で“行為伝承”によって受け継がれてきました。
子どもたちは親の仕草を盗み見て、段取りを覚えていくのです。
また、各家の中でひっそりと執り行われるため、密室性が高く、
それぞれの家で独自のしきたりが生まれることとなりました。

本来はそのような閉鎖的な儀式ですが、
近年、この伝統を後世に伝えようと、
祭礼を見学できるようにするなど、各所で積極的な取り組みが行われています。

かつて農業を取り巻く環境は、農耕技術がいまほど発達していなかったため、
自然環境に頼る部分がいまよりもずっと大きなものでした。
“田の神様”への畏敬の念から発生した、世界的にも貴重な伝統文化が、
今後も奥能登の地で大切に受け継がれていくことを切に願っています。

七尾一本杉通りの若い風! 新進気鋭の雑貨店&カフェ。 「歩らり(ぶらり)」

600年以上の歴史を持つ街道「七尾一本杉通り」には、
登録有形文化財に指定されている重厚な建築が点在します。
その中でひと際異彩を放っているのが、
万年筆をモチーフにしたレトロな建物、「旧上野啓文堂」。

元々は万年筆店でしたが、現在は七尾出身のご夫婦、
堂下和也さんと美紀さんが営む雑貨店「歩らり」(ぶらり)に。

雑貨や紙もの、アクセサリーなど、
ひとつひとつ自分たちでセレクトしたという選りすぐりの品々が、
小さな店内に所狭しと並びます。

カフェや古道具コーナーもスタートし、いまもお店はゆるやかに更新中。

「うつわや生活雑貨などは、各地を探し歩いて、
本当に自分たちが納得したものだけを仕入れています」
と、店主の堂下和也さん。

そのセレクトセンスを目当てに、県外からも沢山のお客さんがやって来ます。

お店の奥にはギャラリーも。不定期に作家さんの個展が行われます。

内装は自分たちで手がけ、レイアウトも毎日変えるなど、
おふたりの気持ちのこもった素敵な空間。
奥にはカフェスペースもあり、ゆっくりとお茶もいただけるので、
ぜひ“ぶらり”と覗いてみてください。

創業明治18年、 和倉の夕日に染まる宿。 「和倉温泉 多田屋」

和倉温泉の奥座敷に佇む、閑静な隠れ宿の「多田屋」。
鍋島藩最後の藩主・鍋島直虎の長女が女将を務めた、歴史ある宿です。

七尾湾を一望するロビーから見える夕日は感動的。
和倉温泉の中で唯一、夕日を見られる位置にあるため、
美しく染まる海を目当てに、多くのリピーターが訪れます。

和を基調としたモダンな設えのお部屋も人気の秘密。
美しい七尾湾を臨み、一部の部屋は縁側や庭から釣りが楽しめます。

また、能登の厳選された山海の幸を贅沢に使った、
能登の四季を味わう料理も楽しみのひとつ。
食材にまつわる物語や知識を教わりながらいただけば、
食文化の豊かさまでも味わうことができます。

七尾湾に面するプライベート桟橋は、多田屋のシンボルのひとつ。
ここから眺める夕日もまた格別です。

特別な旅行の思い出に、ぜひ大切な人と、
美しい能登の海からお越しください。

江戸時代の“のんびり漁法”を今に伝える。 「ぼら待ちやぐら」

七尾湾に顔を出すやぐらは、かつてこの海で行われていた
「ぼら漁」の姿を伝える観光用のモニュメントです。

ぼらは音に敏感で警戒心が強い魚のため、やぐらの上に待機して、
海底に仕掛けたフクロ網を見張ったとか。
そして、ぼらの群れが網の上を通り過ぎるタイミングで一気に引き上げます。

かつては、湾内に数多くのやぐらを見ることができたそうですが、
徐々に減少していき、1996年を最後にこの漁法は廃止されました。
いまは観光用のモニュメントとして、その姿が残されています。

ぼら待ちやぐらを使った漁は、
魚の大群が通るのをひたすら待ち続けるという、何とものんびりした漁法ですが、
ゆっくりと時間の流れる波静かな七尾湾を見ていると、
どうしてこの漁が盛んに行われるようになったのか、
その理由がわかるような気がします。

1004枚の田が織りなす能登の絶景。 「白米千枚田」

小さな田が鱗のように重なり、海岸まで続く絶景は、
日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定されています。
また、2011年に日本初の世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」には、
この千枚田の景観も含まれます。

海に向かって広がる景観は、
日本各地の棚田の中でもとくに珍しいのだそう。

田植えが始まるゴールデンウィーク頃の時期は、
水面に日本海と空の青が映え、
その風景は一見の価値あり。

秋の収穫期を迎えると、
黄金色と緑のグラデーションが1004枚ある田を彩ります。
たっぷり水を湛えた春先の佇まいからは打って変わって、
豊かに実る穂の数に圧倒されます。

千枚田を一望できる道の駅「千枚田ポケットパーク」では、
愛嬌のあるおばあちゃんによるお土産販売も。
おばあちゃんと会話をしながらの買い物も千枚田での楽しみのひとつです。

毎年9月になると、なんとこの場所で、
一般募集で選ばれたカップルによる結婚式が行われます。
初めての共同作業は“稲刈り”。
こんな名勝地での挙式は、ふたりとって一生の思い出になることでしょう。

季節によって多彩な表情を見せてくれる白米千枚田。
能登を訪れる度に足を運んでもらいたい日本の原風景です。

200軒以上の露店がずらり! 千年前から続く文化。 「輪島朝市」

全長360mの朝市通りに並ぶ200軒の露店。
新鮮な海産物をはじめ、採れたての野菜や干物、民芸品などが並びます。

輪島朝市は、千年も前から続く歴史ある朝市で、日本三大朝市に数えられるほど。
元々は、ここで農産物と海産物の物々交換をしていたのが始まりなんだとか。

ノドグロ、ヒラメ、マダイ、ブリ、ズワイガニ、アワビ……。
その日の朝に、近くの漁港に揚がったばかりの日本海の幸がずらり。
見ているだけでワクワク、目移りしてしまいます。

値札が付いていないものが多く、値段は露店のおかあさんとの交渉次第。
そんなやり取りも市場ならではの醍醐味です。

なんといっても、能登の女性たちは働き者。
昔から能登では、「亭主のひとりやふたりを養えない女は甲斐性なし」
という言葉があるほど。

「まけとくさけに、こうてくだぁ〜」(まけてあげるから買ってください)と、
威勢のいい掛け声でお客さんを呼び込みます。
輪島朝市は、女性が主役の朝市なのです。

小さなござの上で手づくりの布草履を売るおばあちゃん。
能登のおばあちゃんは一見シャイですが、
こちらから積極的に話しかけてみると、底抜けの優しい笑顔で接してくれます。

心の触れ合いを楽しみながらのお買い物。
ぜひ早起きをして、輪島朝市通りをぶらぶらのんびり歩いてみてください。

伝統の和ろうそく一筋、 “あかりを楽しむ”。 「高澤ろうそく」

明治25年の創業以来、伝統の和ろうそく一筋に商いを続ける「高澤ろうそく」。
店舗は登録文化財にも指定されています。

和ろうそくは植物の油でできているため、石油系製品である洋ろうそくとは違い、
仏壇を傷めることがなく、昔から仏事にもちいられてきました。
あかりが強く、長時間持つのも和ろうそくの優れた点です。

暮らしに豊かな表情を創る、美しい和のあかり。
この和ろうそく若い世代にも楽しんでもらおうと、
現代のライフスタイルに合わせた様々なオリジナル商品を生み出しています。

モダンな「和ろうそくななお」は1本420円、5本セット1,890円。木の実や木の枝などの植物をモチーフにしたデザイン。

こちらは四季折々の花が描かれた「絵ろうそく」。
北陸では冬の間、仏壇に供える生花が希少で高価だったため、
ろうそくに花の絵を描いてお供えしたことから、
その風習が「絵ろうそく」として定着しました。

凛とした佇まいの若女将・高澤佐知さん。
和ろうそくに馴染みがないお客さんでも、
現代の生活への取り入れ方を気軽にアドバイスしてくれます。

伝統を守るために進化を続ける「高澤ろうそく」の手しごとは、
フランスの見本市でも高い評価を博しています。

120年以上前から変わらない温かなあかりを、
ぜひお部屋に持ち帰ってみてください。

能登島の絶景に臨む焼き物屋。 「案山子窯(かかしがま)」

七尾湾にひょっこりと浮かぶ小さな島、能登島。
その海沿いに佇む「案山子窯」は、人気の焼き物屋さん。

枕木の敷かれたデッキに出ると、目の前にはガラスのように透き通る七尾湾が。
誰もが「ここに住みたい!」と溜息をついてしまいます。

店主の山田剛先生。
いつも優しく柔らかな表情でお客さんを迎えてくれます。

陶器の産地である滋賀の信楽で10年間修業したのち、
能登島に移り住み、案山子窯を開きました。
能登島には、陶芸をする上で大切な“薪”と“人”が揃っているそう。

愛らしい表情の招き猫は人気定番商品。
お店の看板猫「ルリちゃん」をはじめ、先生の愛猫たちがモデルになっています。

ほのぼのとした風景に溶け込んだ建物は、
先生自ら、外壁に枕木と石を積み、漆喰を塗り込んだ力作です。

隣接する工房では、陶芸体験も可能です。
初心者の方でも、ご主人が付きっきりで教えてくれるので安心。
旅の思い出づくりに、陶芸を通して能登島の大自然と触れ合ってみては?

“よそものの目”で綴る。 東京人×能登人のコラボチーム 「のとつづり」

能登の玄関口・和倉温泉に、「多田屋」という老舗旅館があります。
縁あって、その多田屋さんのWebサイトリニューアルを企画していた時のこと。
6代目若旦那である多田健太郎さんのひと言が、すべてのはじまりでした。

「うちに泊まりに来てほしいという以前に、能登という土地にまず来てほしい」

「石川というと、どうしても観光スポットの多い金沢に人が集まるけれど、
能登はふとした生活の景色が本当に素晴らしいところだから。
旅館のことだけじゃなくて、能登全体のことを知ってもらえるようなものをつくれないか」

ご自分の旅館以前に、まずはこの土地の魅力を伝えたい、
という想いに共感し、生まれたのが、
“能登の魅力を発信するガイドブックのようなWebサイト”でした。

「のとつづり」(http://tadaya.net/nototsuduri/)と名付けたこのサイトの制作のために、
四季を通じて色々な方に取材をしてみると、
能登には驚くほど刺激的な魅力が詰まっていることに気付かされます。

ふつうのガイドブックには載らないし、地元の人からすれば当たり前の景色だけど、
都会の人間から見ると、「なんかいいなあ」と思える場所。

古くから伝わるものを大切にしつつ、
若い感性をもってアレンジし、新しい価値を創り出してしている人やお店。

私たち“よそもの”だからこそ感じられる魅力をすくい上げて、
都内に住む友人たちに「行ってみたい!」と思わせるようなページに仕立てる。
とにかくそのことに、若旦那を含めたチーム一同が魂を燃やした制作となりました。

「のとの人」のコーナーでは、若きクリエーターや雑誌編集長、はたまた和倉温泉のゆるキャラ「わくたまくん」など、能登のキーパーソンの面々と多田健太郎さんが対談。取材中はずっと鳥肌が立つほど刺激的なお話。

2011年に先進国で初めて「世界農業遺産」に認定された能登には、
気が遠くなるほどの丁寧な手しごとの数々や、
人の営みと関わることよって生まれる里山里海の景色、
そして温かくしなやかな感性を持った人々の魅力であふれています。

能登の旅は、それらの魅力を、
自分で“発見”していくことも楽しみのひとつ。

アクセスは、羽田から飛行機でたった1時間。
2015年春には金沢まで北陸新幹線が開通し、より利便性が高まります。

ぜひぶらりと気軽に足を運んで、
私たちがまだ発見できていない、
キラリとした能登の宝を見つけに行ってみてください。

そしてこっそり、能登が大好きな私たちにも教えてくださいね。

チーム「のとつづり」 左から清田隆之、鎌田貴史、高田優子、多田健太郎、前島そう、五十嵐絇也

「のとつづり」編集クレジット

Client / Interviewer : 多田健太郎
和倉温泉「多田屋」6代目。能登を出て東京、大阪、アメリカで
生活経験があることが、地元の魅力に気付かせる。
趣味の写真を通じて、日々ブログやFacebookで能登の空気を発信。
クライアントなのに全ロケのドライバーを担当する。

Creative Direction / Art Direction / Design : 鎌田貴史
Webプロダクション「spfdesign Inc.」代表。
主に広告キャンペーンのWebサイト制作を行う。
能登で行われる「トライアスロン珠洲大会」に今年参加を果たし、
峠を越えて目にした日本海に涙する。

Planning / Editing / Produce : 高田優子
「電通テック」「spfdesign Inc.」を経て現在は個人活動中。
本サイトでは企画・コーディネート・編集・目覚まし係。
大雪の能登ロケにオシャレ靴で来る男子陣にビンタし、長靴を買わせる。

Photograph : 五十嵐絇也
広告や書籍、音楽・デザイン誌などで幅広く活動する
フリーカメラマン。本サイトがきっかけとなり、
西麻布「Les Rendez-vous de Tokyo」や
奥能登「松波酒造」にて能登の写真展を実現。

Copy Writing : 前島そう
「広告批評」編集部を経て「PENLIGHT Inc.」所属。
広告や書籍の編集、ライターとして活動中。
そのもじゃもじゃした頭と柔らかな文章表現が多くの女性を
虜にするとかしないとか。

Writing : 清田隆之
デザインプロダクション「BLOCKBUSTER」の立ち上げに携わり、
2013年より独立。マジメな記事を書く傍ら、「(恋)桃山商事」代表と
して様々なメディアで恋愛関連の連載を担当。恋バナPodcast「二軍ラジオ」は必聴。