「山を読む、二日間」後編

灯籠を介して、生まれるコミュニケーション

ひじおりの灯」のトークイベント「山を語る」(前編参照)終了後には、
今年は「山を描く」と題して、絵語り、夜語りが行われた。
この日は絵を描いた学生たちが来ていて、制作秘話を聞くことができる。
少しほろ酔いで歩くもよし、湯冷ましがてら歩くもよし。
浴衣に、下駄姿。温泉街を歩くお客さんの姿は肘折温泉の変わらない風景だが、
夏の「ひじおりの灯」開催中は、夜もちらほらと浴衣姿が見受けられる。
愉しげな明かりが通りを灯すから、少しだけそぞろ歩き。

灯籠に灯された、肘折温泉の共同浴場「上の湯(かみのゆ)」。

「ひじおりの灯」期間中は、夜になると、 肘折青年団も、
通称「くろ」と呼ばれる屋台カフェをオープンする。
冬に会った須藤絵里さんや、早坂隆一さん、早坂 新さんもお店を切り盛りしていた。
「『くろ』を見ると、今年もこの時期がやってきたなって思う。
みんながまとまって何かをするイベントのひとつになっています」と絵里さん。
「ひじおりの灯」が始まった当初は、
青年団が集まって話す機会なんてほとんどなかったのだという。
いくつかのきっかけがあったり、毎年「ひじおりの灯」を開催するごとに、
変化していった関係。少しずつ同年代の人との会話が増えていく。
いつのまにか、これを楽しみに来てくれる常連客に会うようになり、
青年団のみなで、毎年「くろ」を出店するようになった。

こちらが通称「くろ」。この日は、日本酒がお客さんたちに日本酒が振る舞われた。お盆に日本酒を持つのが隆一さん、奥にいるのが新さん。

制作について熱心に語る学生の隣で、滞在や制作をサポートした旅館やお店の方々も、
少し誇らしげだった。 まるで、我が子を褒めるようにあたたかく見守り、一緒に会話する。
灯籠絵をきっかけに、コミュニケーションが生まれる。
それも、この「ひじおりの灯」の面白さのひとつだ。

肘折温泉には、何度も来ているという浴衣姿のお客さんたちは、楽しそうに学生の話を聞いていた。

自然のままの森を、歩くということ

「ひじおりの灯」開催中に、開かれたイベント「山を読む、二日間」。
2日目に行われたのは、「山を歩く」。取材チームも参加することになったが、
カメラマンも私も登山初心者。
心配ばかりが募ったが、どんな風景に出会えるのかは楽しみでもあった。
イラストレーターで山伏の坂本大三郎さんを先達(道の案内人)に、
肘折温泉周辺の山へ登る。 まずは、肘折温泉のシンボル・開湯伝説を伝える「地蔵倉」へ。

肘折温泉の共同浴場「上の湯」脇にある石段を登り、
最初に「湯坐神社」と肘折の人々に親しまれている「薬師神社」にお参り。
そして、「地蔵倉」と書かれた看板の方向へ裏山を登っていく。
肘折温泉を訪れる湯治客の多くが訪れるというだけあり、歩きやすい山道だ。
途中で、何度も可愛らしいお地蔵さまに出会った。
「肘折温泉にはたくさんのお地蔵さまがいる」と言って、
東北芸術工科大学の学生が灯籠絵に描いていたのがよくわかる。

地蔵倉までの道を、まるで案内してくれているようにお地蔵さまがいた。

国道 458 号線を渡り、そしてまた山へと入っていく。
肘折温泉の集落を出て 20~30 分が過ぎたころ、
片側の崖に沿ってわずかにつくられた、せまい道が現れた。

崖に沿って少しスリリングな道を進み、松がたっている中央の角をまがると地蔵倉が見えてくる。

反対側は、肘折温泉の集落やそれらを囲む山々を見渡せる。
遠く連なる山々は美しく、目の前に広がる雄大な景色は日本とは思えない。
どうやって、こんな道ができたのだろう。
少しスリリングだけど、他にはない景色を見て、気分は壮快。
心地よい風に吹かれながら、この崖っぷちを歩いて行く。 そして「地蔵倉」に着いた。

地蔵倉のお地蔵さま。

岩壁に守られるように、石地蔵が反対側の山を望んで並び、
その奥には小さなお堂が据えられていた。
地蔵倉は、「縁結び」「子宝」「商売繁盛」の神さまとして崇められていて、
岩肌には、無数の五円玉が奉納されていた。
ここもまた、今までに見たことのない景色だった。

地蔵倉の景色。

一度、肘折温泉の集落へ戻り、続いて登る道が今回の「山を歩く」の本番だ。
ここからは、全員が参加。 参加者は、サポートスタッフを含め 20 名弱。
東北芸術工科大学の学生や、地元の若者など縁あって申し込みをした人たちだ。
番所峰を越え、霊泉とも言われている「今神温泉」を通り抜け、今熊山の山頂を目指す。
まずは、山への登り口「大蔵鉱山跡」までバスで向かった。

山を登り始めるときに、先頭では大三郎さんが、後方ではつたや肘折ホテルの柿崎雄一さんが法螺貝を吹いた。

大三郎さんを先頭に一列になって歩き、法螺貝が、周囲に鳴り響く。
平坦な砂利道から、少しずつ傾斜がかかっていく。
観光地化された登山道のような整備がされているわけではない、
地元の人や山に慣れた人が入っていくような道だ。
緑が深くなり、傾斜も急になっていく。すると、視界が開けた場所に出た。

ここで、大三郎さんが念仏を唱え、私たちも後に続いて、
配られたプリントに書かれた念仏を読みあげた。
あとで聞いたことだけれど、ここは地蔵倉の向かいの山。
山へ入るための、ご挨拶とも言える、念仏を唱えたのだという。

冬には3~4メートル以上の雪が積もるから、雪の重みで根元が少し曲がっている。

両脇に、木が迫ってくるうような細い山道をひたすら登る。
緑が近いから、古木に生える見たこともないコケが目に入ってくる。
少し息もあがってきた。不思議と風が抜ける場所に到着。最初の目的地、番所峰。
ここは昔、鉱山を守る役人が居た場所だったんだそう。
急傾斜が続いたので、先頭を歩いていた学生たちは、少ししんどそうだった。

ブナの森を歩いていく。

続いて、目の前に広がったのは、ブナの森。
ブナの森は、日本古来の原世林の姿とも言われている。
昭和の後半から急速に失われてしまい今では数えるほどになった風景。
このブナの森は、古から地元の人々が大切に守ってきたものだ。

道があるようでない、落ち葉でふかふかの地面を歩いていく。
どんぐりから芽吹いたであろう、小さな若木がたくさん生えていて、
時折地面を照らす木漏れ日がとってもきれい。
見たこともない光の重なりや、見たこともないかたちの植物に目を奪われながら、
自然と足取りも軽くなり、みなリズミカルに下りていく。
ここが豊かな森であることが、視覚からも触覚からも、身体から伝わってくる。

ブナの林で見つけた食べられるキノコ。ミルクのような液が出ることから「ちち茸」と呼ばれ、出汁がとてもおいしいのだそう。堀内さんが教えてくれた。

そして、道はブナ林から少しじめっとした湿地帯へ入っていく。
ごつごつした岩が現れ、コケがはりついている。
滑りやすいところや、飛び石を渡るときなどは、 サポート役として一緒に登ってくれている、
肘折青年団の早坂 新さんや、 山が好きで肘折に通っているという、
堀内 大(ひろし)さんが手を貸してくれる。 山の湧き水だろうか。触るととびきり冷たかった。

「森のなかに、ぼこっと大きな穴が空いていたりするでしょう。
ほとんどは、大木が倒れてしまって空いたものなんだけど、
山の世界では、“山の神が遊んでいる場所”って言われているんです。
だから、通るときは遊んでいる神様を驚かせないように、
咳払いをしてから通るんだよって、僕は教えてもらいました」
と、ときたま大三郎さんが教えてくれると、
何気ない山の風景がどこか違ったものに見えてきて面白い。

今神温泉の入り口。

湿地帯を抜けて 12 時を回った頃に、到着したのは「今神温泉」。
ここは、長期滞在のみを受け付ける湯治専門の温泉で、 724 年の開湯という歴史を持ち、
別名「念仏温泉」とも言われているそう。
私たちはご主人にご挨拶をして、お水をいただき、昼食をとった。

次に目指すのは、「御池」を見られるという今熊山の頂上。
今熊山にも、かつては山伏がいたと言われている。
想像以上の急傾斜をロープをつたいながら、登っていく。
先頭でへばっていた女子学生たちは、いつのまにか足取り軽く、山をかけあがっている。

イタヤカエデの木。

途中、肘折こけしの材料として使われていたという「イタヤカエデ」があり、
前日のトークイベントを思い出した。
こんな風に木地師たちは、山をかけのぼっていたのだろうか。
そして、山頂らしき、視界がひらけた場所に着き、 御池が見え、参加者から歓声があがる。

今熊山から御池を見る。

水面が鏡面のように美しかった。
御池は、日照りの時も大雨の時も水量が変わらないと言われる、不思議な池。
龍神さまが住むと言われ、地元の人に信仰されているのだそうだ。
今熊野神社のご神体と言われる今熊山の山頂には、 祠があり、
そこでもまた大三郎さんに続き、念仏を唱える。 そして、もときた道を下山。
5時間におよぶ「山を登る」プログラムは終了した。
帰りは、バスで肘折温泉へ戻った。 肘折温泉のある大蔵村から、
山を越えて戸沢村に来ていたようだ。

中央のふたりが、今回私たちの登山をサポートしてくれた堀内さん(左) と新さん(右)。手前の4人は、山形市から参加してきたみなさん。

山を登り終えたわたしたちは、少しだけ、感想を言い合った。
「今回登った道は、かつては銅の番人がいたり、山伏が修験をしていたりと、
山ごとにあった文化を感じられる道でした。 みなが今までに
歩いたことのないような道だったんじゃないかと思います」 と大三郎さんが教えてくれた。
山を歩いているときは、そのままを感じてほしいと、あまり説明はなかったのだ。

最初かなりしんどそうにしていた東北芸工大の女子学生が、興味深い感想を言っていた。
「最初は辛かったんですが、最後は山と身体が馴染んできました。
同じ傾斜でもコンクリートの階段を登るよりも、
地面に生えている草につかまりながら登る山のほうが疲れないのかもと思いました」

傾斜に合わせて身体を使っていく。
そして、森の音に耳をすませ、目をこらし、感覚を研ぎすます。
「いまの日常ではあまり使わない想像力が膨らむ経験でした」という感想も。
それは、都会で塞いでしまっている、
身体の感覚を解放していくような効果もあるのかもしれない。

「自分たちが見ているもののなかから、こぼれ落ちてしまっている情報が
山には残っているんだと思う。そこにある時間の蓄積を読むことで、
もっと文化を立体的に捉えられるようになるんじゃないかなと思います」
と、最後に大三郎さんが話してくれた。

実は、この「山を登る」プログラムを実行するためには、
肘折の青年団が一度登ってコースを確認したり(こちらに詳しく)、
戸沢村の方々の協力があったりして実現したことだったという。
手つかずの森に初心者が入るとなれば、いくつかの準備も必要となる。
しかし、そんなふうに、毎年「ひじおりの灯」が行われることで、
地元のみんなで新しい試みにチャンレジンする機会にもなっている。
特に今回は「この土地の根源的な文化に触れられるテーマだった」と、
共同企画者、東北芸工大の宮本武典先生。
今回のプログラムで、新たな試みを動かしつつあるようだ。
「大三郎さんが肘折に来たことで、この土地と“山”との関係を見つめ直しました。
今後も『肘学―山行』として、季節やコースを変えながら、
周辺の山々をめぐる企画を考えています」とつたや肘折ホテルの柿崎雄一さんは話す。

1日目に行われた「山を語る」で聞いていたことが、
実際に山を歩くことで、体感できた今回の「山を読む、二日間」。
実はあまり、山に馴染みがないという地元の若い人たちや、
東北芸工大の学生たちにとって、山が身近な存在になったはず。
素朴で昔ながらの山道が教えてくれることは、まだまだたくさんありそうだ。

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

心が落ち着く美しさ「高浜海水浴場」

五島列島随一の美しさと人気を誇る海水浴場。

展望所に上って視界が開けたとき、
その場にいた人たちの歓声とも、ため息ともつかない声が一斉に漏れました。
島の人たちが自慢げに教えてくれる場所だけあるなあ、
というのが高浜海水浴場を見たときの第一印象。
沖縄のようにいかにも南国といった感じの底抜けに明るい海というより、
眺めていると心が落ち着くような美しさ。
魚籃観音展望所は、高浜海水浴場を見渡すことのできる絶好のスポットです。
魚籃観音とは、三十三観音に数えられる観音菩薩のひとつで、
漁業や海を守る仏様のこと。展望所からまさに海を見守るようにして立っています。
緩やかなカーブを描く砂浜を取り囲むようにして山々が連なり、
木々の深い緑と白銀色の砂、そして海の青のグラデーションが、
豊かな風景を作り出しています。

展望所を下りて海水浴場に立ってみると、海の広さを体感できます。
夏は特に、この海水浴場を目当てに島外から来る人も少なくないようで、
遠浅であるため家族連れにも人気です。
西の沖には嵯峨島が浮かび、海を赤く染めながら夕日が落ちていく様子も幻想的です。
環境庁の日本の海水浴場100選に選ばれているのも、納得の美しさ。
海水浴シーズンでなくても、おすすめしたいスポットです。

information


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高浜海水浴場

住所 五島市三井楽町貝津1054-1
遊泳期間 7月14日~8月26日
シャワー 200円

居間のようにくつろぎたい 「ソトノマ/外の間」

いつも賑やかで楽しいコミュニティカフェ。

ソトノマは、漢字で書くと「外の間」。
居間や茶の間が、家の外にあるような感覚で利用してほしいという思いのこもった、
ステキなネーミングです。

夕暮れどき、晩ご飯を食べるにはまだちょっと早い時間帯にソトノマを訪れると、
遊んでいる子どもや、おしゃべりをしている大人、子守をしている人、
小腹がすいたのか軽めのご飯を食べている人などが、
我が家の居間のように思い思いにくつろいでいました。
「ねえねえ、どこから来たの? 私は毎日ここに来てるんだよ!」
とオシャマな女の子に話しかけられたり、
「賑やかでごめんなさいね」と片付けをする女性に言われてみたり。
もはや誰と誰が親子で、誰がスタッフで誰がお客さんなのかも、よくわからない状況……。
だけど常連の人ばかりのコミュニティに入っていくときの、
気おくれする感じも不思議とありません。
人が出たり入ったりする大家族の居間って、きっとこんな感じなのかなあ、
そう思わせるような飾らない温かい雰囲気が印象的です。

小さな常連さん・近所の小学校に通う、るかちゃんが見せてくれたソトノマへのメッセージ。

お腹をすかせた地元の青年。カメラを向けるとおどけた顔。

ソトノマがオープンしたのは、2013年2月。
できてまだ1年も経っていないのに、これほど地域になじんでいることに驚いてしまいます。
2011年、有川智子さんはだんなさんと2歳の息子さん、
そして育児を手伝ってくれていた実のお母さんとともに、大阪から福江島に移住してきました。
母の和子さんはもともと福江島の出身で、
智子さんも小学校まで島で過ごしています。
なので右も左も分からない土地ではなかったものの、
移住を反対したのは意外にも島の親戚や知人などでした。
彼らからすると、都会でちゃんとした職を得て暮らしているのに、
なぜそれを捨ててまで、仕事もなく人口も減り続けている島に来る必要があるのか、
理解に苦しむところだったのです。

思わぬかたちで出鼻をくじかれてしまったものの、
無事に移住を果たして1年半後にソトノマをオープン。
自分たちのほかにも、震災後に移住してきた人が多いこともわかり、
こうした人たちが今ではソトノマのスタッフとしても働いています。

ソトノマがどんな空間なのか、もう少し詳しく説明しておきましょう。
畳になっているくつろぎスペースの本棚には、漫画や本がズラリ。
本当に居間感覚で何時間もダラダラしてしまいそうです(そして、それを許してくれそうな雰囲気!)。
壁面には子どもたちが描いた塗り絵の力作が飾られ、
五島うどんなどの特産品や地元で取れた野菜なども売られています。

さらに五島在住の作家さんの手作りアクセサリーや雑貨などの販売コーナーも。
現在、お店を取り仕切っている母の和子さんは、厨房担当でもあります。
人気の「ソトノマ日替わりごはん」は650円という安さで、
大満足のボリューム(14時以降は700円)。
野菜をはじめとする食材の多くは五島産で、バランスの取れたメニューになっています。

ソトノマ日替わりごはん。

優しい甘さのシフォンケーキセット。

日が暮れてご飯どきになると、惣菜を買い求めに来る人や、
カウンターでおつまみと一緒に一杯楽しむ人、おしゃべりをしに来る人など、
さまざまな人が出たり入ったり。泣いている子どもがいれば、
親以外の大人もみんなで面倒をみたり。
“地域の居間”ができたことで、島の人たちの日常にも新たな楽しみが生まれています。

ソトノマでは地元の写真家による写真講座や、
椿油でのマッサージ体験などさまざまなイベントも企画しています。
地域の居間でできること、やりたいことは、まだまだたくさんありそうです。

information


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ソトノマ/外の間

住所 長崎県五島市堤町1348-1
TEL 0959-88-9081
営業時間 9:00~21:00
定休日 火曜日
http://sotonoma.wix.com/home

周辺のひなびた雰囲気がたまらない 「荒川足湯温泉」

日本最西端の温泉地で、ゆったり足湯に浸かる。

高浜海水浴場から南へ5kmほど離れたところにある玉之浦町の荒川温泉は、
安政3年(1856年)に発見された、日本で最も西にある温泉地です。
古くは湯治客で賑わっていたそうですが、現在は海沿いのひなびた集落といった風情で、
一歩路地を入ると食堂やスナックなど、
まるで映画のセットのような味のある建物が軒を連ねています。
2010年にオープンした県道沿いにある足湯は、
古くなったバスの待合所をリニューアルしたもの。
今でもバス停としての機能も果たしており、
足湯スペースと待合所スペースに分かれています。

路地を散策していると、地元の人に会いました。
世間話になって今から足湯に行くことを伝えると、
「もう時間が過ぎちゃってるけど、私が閉める係だからゆっくり入っておいで」とのこと。
散策に夢中になって閉館時間の17時を過ぎてしまっていたことに、
そのとき初めて気がついたのですが、
この大らかさがなんとも言えずありがたく、そして心地よくもありました。
荒川温泉の源泉は、60~70度の弱食塩泉。足湯は加水して40度前後に冷ましており、
歩き回った疲れをほどよく癒してくれます。
バス停を改装しただけあってこじんまりとしたスペースで、
知らない人とでもすぐに会話が弾みそうです。
「どう、気持ちよかった?」
足湯からあがる頃、先ほど立ち話をした地元の人がちょうどよいタイミングでやって来ました。
地元の人が守り続けてきた温泉地ならではの、
アットホームな雰囲気がそこにはあります。

information


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荒川温泉足湯

住所 長崎県五島市玉之浦町荒川
営業時間 9:00~17:00 
無休 無料

福江島唯一の本格焼酎醸造所 「五島列島酒造」

五島産の原料で、ここでしか生まれない味を作る。

福江島で唯一の焼酎醸造所である五島列島酒造は、
遣唐使船の最後の寄港地として知られる三井楽町にあります。
2009年に創業した新しい醸造所ですが、平成24年福岡国税局管内酒類鑑評会で、
麦焼酎「五島麦」が出品143銘柄のうち1位に相当する大賞を受賞。
いまや島を代表する特産品となっています。
福江島は五島列島のほかの島々と比べて平坦で、田畑が多いところ。
せっかく島内で米も麦もサツマイモも作っているのだから、焼酎を造らない手はない、
ということで焼酎造りが始まったそうです。
社長であり、杜氏でもある谷川友和さんが、
蔵を案内しながら焼酎の醸造工程を説明してくれました。

杜氏の谷川友和さん。

まず、蒸した麦や米に麹菌を加えて麹を作ります。
最初に行うこの麹作りは、できあがりの味を左右する最も重要な工程のひとつ。
原料自体のできも毎年微妙に異なるので、
それを踏まえたうえで一定の味の焼酎を醸造できるかどうかが、
杜氏の腕の見せどころなのだと谷川さんは言います。

次に酵母を増殖させる一次しこみ、
そこでできたもろみに芋と麦を混ぜ合わせて加え、二次しこみを経て蒸留。
もろみを蒸留器で沸騰させて、発生する水蒸気を冷やしたものが、焼酎の原酒になります。
蔵の奥にどっしりと鎮座している蒸留器は、ウイスキーのポットスチルと同じように、
タンクの上部から突き出たパイプが、途中で折れ曲がっている独特の構造をしています。
このパイプの形状が、味と香りのバランスの決め手となるのだそう。
さらに原酒をろ過して2年間熟成させることで、ようやく商品として出荷されます。
「麹は生き物と一緒なので、毎日の温度管理が大切。
麹作りの時期に台風が来て停電して、機械が動かなくなってしまったため温度管理ができず、
麦の麹を泣く泣く全部捨てたこともあります」と谷川さん。
そんな苦労を経て昨年大賞を受賞できたことは、さぞかし励みになったはず。

もともとレストラン関係の仕事をしていた谷川さんは、
熊本で酒造りの修業をして、その面白さと奥深さにどっぷりのめり込んでしまったそう。
以前は飲まなかった焼酎も、
今では大好きどころか、お酒の話をするだけで自然と頬が緩んでしまいます。
「居酒屋なんかで、自分が造った焼酎をおいしそうに飲んでいる人を見かけると、
本当にうれしいですね」
五島列島酒造の焼酎は、五島で育てられた大麦を100%使用した麦焼酎「五島麦」と、
五島の特産「かんころ餅」の原料となる高系14号という品種のサツマイモを
100%使用した芋焼酎「五島芋」の2種類。
どちらも五島産の原料のみで造っています。
通常のサイズは720mlですが、島内限定商品として
900mlのボトルを同じ値段で買うこともできます。(メイン写真は900ml)

美しいボトルの芋焼酎「五島芋」は1470円、麦焼酎「五島麦」は1298円。ともに720ml。

information


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五島列島酒造

住所 長崎県五島市三井楽町濱ノ畔3158
TEL 0959-84-3300
営業時間 9:00~18:00
休日 日曜・祝日
蔵見学は要予約
http://www.gotoretto.jp

島民にも 観光客にも人気の割烹 「心誠」

魚も肉も、五島のグルメを堪能するならまずここへ。

五島に来たからには、やっぱり新鮮な魚が食べたい!
だけど五島牛や五島うどんも捨てがたい……。
そんな食に対して貪欲な人におすすめなのが「心誠」です。
五島市役所からほど近い、まちの中心部にあるのでアクセスも便利。
テーブル席やカウンター、お座敷などがあって、居酒屋のような雰囲気なのですが、
行ってみて驚くのがその豊富なメニュー。
ランチタイムは定食や釜飯、丼ものなどが中心で、
夜になると、定食のほかに刺身料理や活造り、焼き物、
そして五島牛をはじめとする肉料理などの一品料理や、コース料理などもあります。

新鮮なお魚をたっぷり食べたいという人には、海鮮ちらし丼がおすすめです。
マグロ、サーモン、タコ、イカ、ホタテ、アナゴ、イクラ、キビナゴなどなど、
これでもかというくらい海鮮がこんもり盛られた贅沢な一品。
どれも新鮮で、おいしいのは言うまでもありません。

そして、見た目も豪勢で遊び心たっぷりなのが、心誠名物「びっくり弁当」。
30cmもありそうな巨大な器のフタを開けると、
刺し身や天ぷら、焼き魚、煮物など、
五島の新鮮な食材を使った料理がぎっしりと詰まっています。
かなりボリュームがありますが、
いろんなものを少しずつ食べたいという食いしん坊にはぴったりです。

この店イチオシの人気メニューは、釜飯です。
五目釜飯やウニ釜飯、タコ釜飯、五島美豚釜飯、
さらにはドリア釜飯といった変わり種まで、その数20種類以上。
お米は五島産ヒノヒカリを使用していて、ひと釜ずつ直火で炊いているので、
ふっくら熱々の炊きたてを食べることができます。

魚じゃなくて肉が食べたいという人は、ぜひ五島牛のハンバーグ定食を。
潮風のミネラル分をたっぷり含んだ牧草を食べて育った五島牛は、
流通が少ないため「幻の肉」とも称されるほど。
そんな貴重なお肉をハンバーグで食べるなんて、贅沢なことこの上ない感じですが、
これもやっぱり五島に来たからこそ味わえる料理といえるでしょう。

昼も夜も使えるうえに、メニューも豊富なので食べたいものがみんなバラバラ、
なんてときも重宝するお店です。

新鮮な海の幸を堪能できる「海鮮ちらし」丼2000円。五島名物キビナゴが光ってます!

まずそのデカさにびっくり、フタを開けて豪華な中身にびっくりする「びっくり弁当」1500円。

種類が多くて人気の釜飯。写真は「五目海鮮釜飯」1800円。

五島牛を使った「ハンバーグ定食」850円。濃厚なデミグラスソースが美味。

information


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心誠

住所 長崎県五島市福江町10-5
TEL 0959-74-3552
営業時間 11:00~14:00/17:00~22:00
不定休
http://www.shinsei.asia

大自然に抱かれたリゾート 「五島コンカナ王国」

癒やしとくつろぎの王国の世界へ。

鬼岳のふもとにある五島コンカナ王国は、広大な敷地を持つリゾートホテルです。
南国ムード溢れる敷地内には、コテージやレストラン、温泉、プール、エステルーム、
陶芸館などが点在しています。
お部屋のタイプは、リッチな雰囲気を楽しめるデラックスツインと、
ベッドルームと和室を兼ね備えた和洋室、シンプルで落ち着いた内装の洋室、
そして木の温もりが心地よいログハウスコテージの4タイプがあります。

デラックスツインのお部屋は1泊朝食付きで、22500円から。

露天風呂や大浴場、打たせ湯などさまざまなお風呂のなかでも特におすすめなのが、
鬼岳温泉の天然の湯を堪能できる露天風呂。
鉄分を含む湯は褐色に濁っていて、美肌効果が期待できるそう。
昼間は抜けるような青い空を、
そして夜は満点の星を眺めながら入る露天風呂は格別です。
温泉は日帰り入浴することもできます。

完全予約制のエステルーム「ル・カメリア」では、
五島の特産である椿オイルを使ったエステを体験できます。
椿オイルは天然植物油のなかでも、人の皮脂成分に最も近いオイルといわれています。
保湿力が高く蒸発しにくいので、しっとり感を長時間キープできます。

王国に隣接する五島コンカナファームでは、6年ほど前からぶどうを栽培していて、
五島で唯一、オリジナルのワインを作っています。
風土的にもぶどうの栽培に適していることから始めたそうで、
現在、ワインの製造自体は島外で行っているものの、
来年からは栽培、収穫、そしてワインにするところまで、
すべてここで行うことになっています。
五島のぶどうで作ったスパークリングワイン「キャンベル・アーリー」は、
「レストラン カウベル」で味わうことができるほか、王国内で販売もしています。
レストラン カウベルは、
五島牛や五島コンカナ王国農園で栽培している新鮮な野菜などが自慢。
「和食処ばらもん」では、五島灘でとれた新鮮な魚介類を中心に、
五島ならではの食材を使ったメニューを楽しめます。
手作りの五島紺加那(こんかな)焼の器も、料理を美しく演出してくれます。
王国内にある陶芸館では、五島紺加那焼の手びねりや絵付けなどの陶芸体験もできます。

五島のぶどうで作ったスパークリングワイン「キャンベル・アーリー」

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五島コンカナ王国

住所 長崎県五島市上大津町2413
TEL 0959-72-1348
1泊朝食付き 8400円~、1泊2食付き 12600円~、素泊まり 1部屋 126000円~
http://www.conkana.jp

島のパワースポット 「鬼岳」「五島椿森林公園」

お山のてっぺんで、しばし日常を忘れましょう。

お椀をひっくり返したようにかたちのよい、鮮やかな緑の丘陵は、
遠くから見ても目立つ福江島のシンボル。
鬼岳というちょっといかつい名前とは裏腹に、
憩いの場所であり、パワースポットとしても知られています。
福江島の南東に突き出たかたちになっている鬼岳火山群は、
鬼岳、火ノ岳、城岳、箕岳、臼岳という5つの火山でかたち成されています。
そのなかで最も高い鬼岳の標高は、315m。
全面が芝生に覆われているので、頂上まで歩くのもとっても楽。
なだらかになっている頂上からは、島の絶景をぐるりと眺めることができます。

頂上めざしてゆるやかな山道を登ります。ちょっとしたピクニック気分!

火口からは、火山の爆発の際に小さなマグマが固結した
「ペレーの涙」というガラス質の粒が産出され、県の天然記念物に指定されています。
ハワイでよく見られる火山涙で、ペレーというのはハワイに伝わる火山の女神の名前。
日本では鬼岳をはじめ、ごく一部の火山でしか見ることができないそうです。
そんな鬼岳の頂上は、海から吹いてくる風が心地よく、
ベンチに座って何時間でもぼーっとしていられそう。
パワースポットといわれるだけあり、
そこに佇んでいるだけで清々しい気持ちになれる空間です。
鬼岳が芝生で覆われているのは、3年に1度、野焼きを行っているから。
野焼きとは、新しい草がよく生えるように枯れ草に火をつけて焼くことで、
焼かれた直後の山肌は真っ黒になってしまいますが、
すぐに新しい緑を取り戻して美しい山容に変わります。

鬼岳頂上から五島市のまち並みを臨む。

鬼岳の中腹にある五島椿森林公園は、世界でも十数か所しか認定されていない、
国際優秀椿園に2010年に認定されています。
6ヘクタールの敷地に植えられている椿は、約275品種、3000本。
椿の種類がこんなに多いことに驚きですが、なかには珍しい品種もあり、
花の咲く冬季はその姿をひと目見ようと多くの人が訪れます。
公園内にはアスレチック遊具のほか、芝スキーなどもあり、自然を満喫することができます。

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鬼岳

長崎県五島市上大津町

キリシタン復活のシンボル「堂崎教会」

海辺にひっそりと立つ、宣教の拠点となった教会。

長崎県に130ほどある教会のうち、五島列島には50あまりの教会が点在しています。
国内のみならず海外からも多くの人が訪れるこの「カトリック教会群」は、
世界遺産登録を目指しています。
福江島で教会巡りをするならぜひとも訪れたいのが、堂崎教会。
福江港から緑豊かな風景を眺めながら、車で北上すること約20分、
奥浦湾の先端に位置しています。
教会の数十m手前にある駐車場に車を止めて外に出ると、
砂が透けて見えるほどの美しい海に、思わずうっとり。
入り江になっているので波がなくてとても静かで、のどかさが一層際立ちます。
穏やかな海を横目に見ながら歩いて行くと、
レンガ造りの教会が海を見つめるようにしてそびえていました。

教会と向き合うかたちで立っているのは、
この地に最初に聖堂を建てたマルマン神父と、
のちに現在の赤レンガの教会を建てたペルー神父の銅像。
さらにその傍らには、十字架にはりつけにされた日本人男性の像があります。
この男性はヨハネ五島といって、
1597年に大阪で捕らえられて豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された、
26人のカトリック信者のうちのひとり。五島生まれの19歳の青年でした。

ヨハネ五島を記念して1879年に創建された堂崎教会は、
1873年の禁教令解禁後、五島に初めて建てられた自由の象徴といえる教会で、
必然的に宣教の拠点となっていきます。
ちなみに現在のレンガ造りになったのは1908年のことで、
五島初めての洋風建造物だったそうです。
島の教会の多くがそうであるように靴を脱いで中へ入ると、
キリシタン資料館になっています。
布教から長くつらい迫害の時代を経て、
復活に至るまでの貴重な資料は200点余り。
弾圧の時代に信仰の対象にされていた、マリア観音と呼ばれる観音菩薩像をはじめ、
宗教画やロザリオなども、どこか和の雰囲気が漂っていて、
この地でひっそりと、しかし確実にキリスト教が育まれていたことを感じさせてくれます。

資料にばかり目が行きがちですが、ゴシック様式の教会の内装も必見です。
五島のシンボル、椿の花をイメージしたと思われるカラフルなステンドグラスは、
素朴でとてもかわいらしく、郷土を愛する気持ちが伝わってきます。
そしてシンプルな造りの内陣には、ヨハネ五島の聖骨が安置されています。
ここでは第1日曜日の早朝のみミサが行われていて、
今も変わらず地元の人々のよりどころになっています。

再び外に出ると、教会の先には草原とキラキラ輝く海が広がっていました。
こんなにのどかで平和な場所に弾圧に苦しむ人がいたという事実は、
にわかに信じにくいものです。
しかしここで起こった歴史を忘れないためにも、
この教会がキリシタン復活のシンボル的存在としてあり続けているのでしょう。

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堂崎教会

住所 長崎県五島市奥浦町2015
TEL 0959-73-0705
開館時間 9:00~17:00(11月11日~3月20日は16:00閉館)
休日 年末年始
拝観料 一般300円 中高生150円 小学生100円 ※20名以上団体割引あり

椿油を作り続けて八十余年 「今村製油所」

昔ながらの製法にこだわった上質な椿油が人気。

「東の大島、西の五島」というフレーズにピンと来るのは、なかなかの通ではないでしょうか。
伊豆大島と五島列島、遠く離れたこのふたつの地域は、
日本有数の椿の自生地として知られています。
椿は冬の寒々しい景色を彩る、可憐な真紅の花。
花が落ちたあとにできる実から種を取り出して、双方の地では古くから椿油が作られてきました。
椿油は食用や女性の髪結などに使われ、昭和30年頃まで五島の椿油の生産量は、
全国生産量の3分の1を占めていたそうです。
最盛期は、島内の集落ごとに製油所がありましたが、製造に手間がかかったり、
代わりとなる安価な油がたくさん出回るようになってきたことなどから次第に減少。
現在、下五島には4軒の製油所を残すのみとなってしまいました。

そのなかでも今村製油所は、昔ながらの製法を唯一守っているところ。
二代目の今村光次さんと奥様の紀子さん、息子の光博さんの3人で工房を切り盛りしています。

終始にこやかな表情で話しをしてくださった、今村光次さん。

固くつややかな椿の種。

椿の種は、朝顔の種を直径1cmほどに大きくしたかたちで、
ゴルフボール大の実の中に、4〜6粒ほど入っています。
搾油作業は、乾燥させて選別した種を細かく粉塵するところから始まります。
粉状になった種を、その日の天候や湿度などを考慮しながら蒸して、
熱が冷めないうちに玉締め機という機械に詰め込んで、
ゆっくりと圧力をかけて油をしぼります。
今村製油所の最大の特徴が、この「玉締め式」と呼ばれる伝統的な方法。
玉締め式は余分なものを抽出しない搾油方法といわれ、しかも使うのは一番しぼりのみ。
1kgの種からできる椿油は、たったの300mlほどだそうです。
このことからも、いかに品質にこだわっているかがわかるはず。
最後に、搾油した椿油を紙だけを使ってろ過して、不純物を取り除きます。
こうしてようやく、オリーブオイルのように薄く緑がかり、ナッツのように香ばしく、
ふんわり甘い香りのする椿油ができあがります。

化学薬品や添加物を一切使用していない「純つばき油」は、全国にファンを持つ人気商品。
肌や髪だけでなく、料理にも使うことができます。
一般的な調理油と比べると決して安くはないので、
料理に使うのは少々もったいないような気もしますが、
椿油の主成分であるオレイン酸は酸化しにくいので、長く使うことができるのも魅力です。
昔は工房の横に自宅が隣接していたため、
子どもの頃から手伝いに借り出されていたという今村さん。
「家から逃げようとしたら、すぐに見つかってしまいますからね(笑)。
夏休みも近くの海にたまに泳ぎに行くくらいで、それ以外は毎日手伝いをしていました」
工房の中にある機械は、年季の入ったものばかり。
修理も余程のことがない限り、自分で全部やってしまいます。
季節の変わり目だったこの日はちょうど、
湿度の変化に合わせてローラーのベルトの長さを調整していました。

原料となる椿の種子は、地元の人が庭や土地に生えている椿をそれぞれ収穫したものを、
製油所が買い取るかたちで成り立っています。
地元の人にしてみればちょっとしたお小遣い稼ぎにもなるわけですが、
五島の特産である椿油は、地域全体で作っている一品ということができるでしょう。
今村製油所では純つばき油のほかに、
カメリアオイル、シャンプー、スキンクリーム、石鹸なども販売しています。

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今村製油所

住所 長崎県五島市平蔵町3783
TEL 0959-73-0148
営業時間 8:00~17:00
http://imamura-camellia.p2.bindsite.jp
※季節によっては、販売をしていない時期もあります。

今日のおやつ: 新食感!京都の手焼き麩で ラスクを作ったら? 「京の麩らすく ふふふ」

さて、まるで足袋のようなかたちの
今日のおやつ、いったいなんのお菓子でしょう?

その正体は、京都のお菓子やさん「たわわ」さんの
「京の麩らすく ふふふ - Tawawa」。
京都のお麩で作られた、あまーいラスクです!

普通のラスクはフランスパンなどを材料にして
いるので、ザクザクとした食感になるのですが、
お麩でラスクを作ると、それが口に入れたとたんに
溶けるような口溶けになるんです。
わたあめのような感じかも?

具体的な製法は、職人さんが手で焼いたお麩に、
「表面にバターで溶いたグラニュー糖で麩の表面を
コーティングし、オーブンで熱する過程を経て」焼き上げられるのだそう。
ラスクだけど、ラスクじゃないような、新しい食感が楽しいんです。

お味もバター、竹炭、よもぎ、ごま、抹茶などバラエティに富んでいます。
ポップなパッケージで、お土産にしても喜ばれそうです。

たわわ「京の麸らすく ふふふ」

今日のおやつ: 赤福の冬期メニュー。 ふっくらあずきと パリふわ焼き餅の 「赤福ぜんざい」

今日のおやつは、
三重県伊勢市の赤福さんの「赤福ぜんざい」。
赤福のお店や、名古屋・大阪のデパートの
喫茶コーナーで提供されている、
冬期限定のメニューです。
私はデパートの喫茶コーナーで頂きました。

ふっくらと炊かれたあずきのぜんざいと、
その場で焼かれる、外はこんがり&中はもっちりの焼き餅がたまりません。
お口直しには昆布と梅干しが添えられていいアクセントに
なっています。

このぜんざいは、夏のかき氷に替わる
冬の甘味として昭和41年に始まったメニュー。
当初は「赤福しるこ」という名前でしたが、
「赤福ぜんざい」と変更されました。お値段は500円です。

個人的に赤福が大好きなのですが(うちの祖母も最愛とのこと)、
東のほうでは催事などでしか購入できないので、
西のほうに行った時に、駅やデパートで手軽に購入できるのが
ものすごくうらやましいんですよねえ。
また西に行ったら訪ねてみたいと思います。

赤福「赤福ぜんざい」

今日のおやつ: まろやかでクリーミーな 大阪のミックスジュース

大阪編も本日が最後。今日のおやつは、大阪のミックスジュースです。

大阪のミックスジュースとは、バナナ、ピーチ、
りんご、いちごなどのフルーツをブレンドし、
牛乳を加えてシェイクしたジュースのこと。
ほかの地域のいわゆる「フレッシュジュース」よりも、
まろやかで親しみやすい味わいです。

大阪では駅構内のジューススタンドで売られていたり
(とくに阪神梅田駅のジューススタンドが人気)、
喫茶店のメニューとして常備されているのが常識。

さてこちらは、昭和21年開店の
喫茶店「純喫茶 アメリカン」のミックスジュース。
喫茶アメリカンは「ネオ・クラシック調」という
レトロできらびやかな内装で愛されている老舗です。
バナナ、いちご、パイナップル、りんごの
さわやかなミックスジュースでした。

お店によって、ミックスジュースのレシピはいろいろ。
ぜひ大阪の喫茶店を訪ねたら試してみてください。

喫茶 アメリカン

こちらが喫茶アメリカン

豪華なシャンデリア

渋い内装が素敵

鳥取にある 日本一危険な国宝を知る! 「三徳山三佛寺国宝・投入堂 NAGEIREDO展」

鳥取県中部の三徳山にある、「日本一危険な国宝」こと
「三徳山三佛寺投入堂」。
このお写真を見ていただけるとおわかりの通り、
垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられたお寺なんです!
建造された時期もはっきりわからず、開祖である「役小角」さんが
法力で建物ごと投げ入れたと語り継がれています。
それで「投入堂」という名が付けられているというわけですね。
間近で見るには狭い道を、鎖を頼りに登り詰めなければならないという
ミステリアスなスポットです。

そんな投入堂の魅力についてもっと
県外の人にも知ってもらいたいということで、
11月1日(金)より、広島市内のセレクトショップ「ref.」にて
イベント「三徳山三佛寺国宝・投入堂 NAGEIREDO展」が開催されます。

その内容は、投入堂の模型やパネルの展示、
三徳山に近い倉吉市の窯元「上神焼(かずわやき)」の器
の展示販売、さらにみうらじゅんさん監修の
仏像フィギュア「蔵王権現(ざおうごんげん)」や
三徳山三佛寺写真集などの展示販売なども。    
開山1300年の信仰の山であるという三徳山について
知るまたとないチャンスですっ!

三徳山三佛寺国宝・投入堂 NAGEIREDO展

「山を読む、二日間」前編

「山を読む」とは?

山形県の肘折温泉では今年も7月27日〜9月16日まで「ひじおりの灯」が行われた。
「ひじおりの灯」とは、7年前から肘折温泉で開催されている、
東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)の学生たちによる滞在アートプログラム。
学生たちは、春に肘折温泉やってきて、滞在制作を行う。
自分の担当となった旅館や商店のおじちゃんやおばちゃんたちに話を聞いたり、
肘折の空気を感じ取ったりして、思い思いの灯籠絵を月山和紙に色づけしていく。
灯籠の骨組みは、立ち上げ当初にみかんぐみの竹内昌義さんが設計。
それに、毎年灯籠絵が張り替えられてきた。
学生たちが手がけた灯籠が、夏の肘折温泉街の夜を灯す。

そんな「ひじおりの灯」開催中に、
肘折温泉では、さまざまなイベントが行われ、老若男女が訪れた。
7月27日には前夜祭として電子音楽イベント「肘響」が、
そして、8月10日、11日には、「山を読む、二日間」と題して、
トークイベント「山を語る」、「山を歩く」という山登りワークショップが行われた。
コロカルも、山を読む二日間に参加。
山伏でイラストレーターの坂本大三郎さんの肘折温泉での生活が少しずつ始まり
冬に訪れたときに肘折青年団のみなさんと考えていた「山のこと」が
少しかたちとなっていたからだ。

1日目のトークイベントのパネラーはこちらの4名。

左からKIKIさん、坂本大三郎さん、石倉敏明さん、田附 勝さん。トークベントは肘折温泉いでゆ館のホールで行われた。

司会は、イラストレーターで山伏の坂本大三郎さん(以下大三郎)。
大三郎さんは、昨年の「ひじおりの灯」のイベントへの参加をきっかけに
肘折温泉に通い、今年から肘折に住み始めた。彼が考える肘折の山のことは、
著書に綴られていたり、コロカルでも取材している。
(→「月山若者ミーティング 山形のうけつぎ方」 、「肘折温泉vol1今も残る美しい手仕事」
ふたり目は、モデルのKIKIさん(以下KIKI)。KIKIさんは山のことを、
自らまとめているという冊子や著書『山が大好きになる練習帖』(雷鳥社)で書いていて、
そこには等身大の山の風景が綴られている。
3人目は写真家の田附 勝さん(以下田附)。彼が撮影した写真集『東北』(リトルモア刊)は、
2012年木村伊兵衛写真賞を受賞。
今も東北へ通い続け、まっすぐな衝動をフィルムへと焼き付ける。
4人目は人類学者の石倉敏明さん(以下石倉)。
石倉さんからは、日本だけではなく、世界の山と人との根源的なお話が展開される。
秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師を務める一方で、羽黒山伏でもある。
ちなみに、田附さんと石倉さんは『なごみ』という雑誌に連載中の、
『野生めぐり』という企画でいつも一緒に旅をしているのだそう。

四者四用に山に魅せられているパネラーのみなさん。
それぞれが撮影した写真をスライドで上映されながら、
「東北に宿るなにものか」「土地の文化の継承」
さらには、「エチオピア音楽と東北」「歌が伝達してきたこと」など、
人類の芸術の出発点にまで、話はひろがっていった。

山に息づく姿をどう伝承していくか

大三郎

まずは、KIKIちゃんに。KIKIちゃんは雑誌や番組の取材で山に行くことが多いと思うけど、山はどうですか。

KIKI

「山の登り方」にはいろいろな楽しみ方があると思うんですけど、私は、最初は「どこどこの山がいい」とか「景色がいい」と聞いて登る山を決めていました。そのうち、道はどうつくられたか、ほこらはどうしてできたかということに興味が出てきて、自分のなかで、徐々に山の登り方が変わってきました。山にいる時間って、とても特別なもので、感動がすごく多い。山の見え方や、神さまとして祀られているものはとても神々しくて。そういった姿を写真におさめて、個人的に冊子にまとめています。

大三郎

撮影しているものや雰囲気は全然違うんですが、KIKIちゃんの写真を見て田附さんと似ているものを感じたんです。

写真はKIKIさんが出羽三山に行ったときの冊子。

KIKI 

(岩木山のスライドをみながら)これは岩木山(青森県弘前市、標高1625m)です。本当は、8合目まで車で行ける簡単な登山道があったけれど、信仰の道に興味が出て、探して登りました。実は、その信仰の道もふたつあった。岩木山神社の裏からの道と私たちが登った道。前者はかつて殿様がお参りするための道だったそうです。私たちが通った道は土地の人が山を崇めて歩いた道だった。地元の人からは「なんで神社からの道を通らなかったの?」とびっくりされたけれど、気持ちのよい道だった。山の見え方がちがうなって気もしました。

大三郎

山伏から入ると山のことって、ツライことをやるというイメージだけど、山は本来気持ちいいもの。山に登るって、最初に、楽しいという気持ちがある。

KIKI

もちろん、山を登るわけだから途中はつらいかもしれないけど、頂上に到達すると最後は楽しいし、気持ちいい。そう思えることが、山に対する何か信仰のあり方なのかなって思います。

山行のあとに、KIKIさんがまとめているという冊子たち。

大三郎

田附さんの写真って、これまでの東北の姿とはまた違った土着的なにおいを映し出す写真だと思うんです。

田附

60年代〜70年代にかけては、濱谷浩さん、岡本太郎さんや写真家の内藤正敏さんに代表するような、裏日本というテーマのなかで東北の姿を捉えられることがあった。でも、80年代以降はあまりビジュアルとしては見かけなかった。僕は東北には、独特の土着的な姿というのがあるんじゃないかと思って、写真を撮り始めたんだけど。

大三郎

田附さんの写真にある風景は、都会に住む人が忘れた姿なんじゃないかと思うんです。

田附

そう。肉を食べるために、動物を裂く姿までは見ることができない。でも実際はその土地からいただくみたいなことがあるわけで。このことはちゃんと知らないといけない。動物から血が流れるということはどういうことなのか、感じたり、見なきゃダメだというのがあるね。

田附さんの写真がスライドで流れる。

KIKI

東北を撮り始めたきっかけって何だったんですか?

田附

僕は、生まれは富山、育ちは埼玉。だから小さい頃から東北に親しんでいたわけではない。でも、19歳のときに青森へ行ったらぞわぞわする感性が動いて、それが自分のなかでずっと残っていた。残った何かを確かめたいと思った。(スライドを見ながら)これは、山形県の飯豊の熊祭りです。熊役を演じるひとが熊をかぶるパフォーマンスを見たときに、かつては山を歩いて、熊を仕留めていた誰かの姿として、目に焼き付いた。この土地にある文化が、いま、見えているものと重なって浮かび上がった。

大三郎

都市部に行くと洗練された文化がある一方で、自分の足下で脈々と続いてきたものに触れられる場所は限られてきている。でも、東北を歩いていると、何かいまの姿と違うものに触れる感覚がある。田附さんの写真はそうしたものをえぐり出そうとしている。

田附

わかんないけど、東北に来ると、自分のなかの、ある気持ちとリンクする。特に、夜って、普段は見られない何かを見られるんじゃないかと思っていて。山の夜は、人間が立ち入っちゃいけない時間だと思うくらい、何か見えないものがうごめいているんじゃないか。

大三郎

僕も山にいて、夜は本当に真っ暗になるので、びっくりしたのを覚えています。まちの夜と全然違う。

田附

そこにいる自分にまずびっくりする。呼吸がこんな音をしていたのかとか。

大三郎

夜の森で一番こわいと思ったのは、自分は見えないけど、動物からはこっちが見えているということ。これは、昔のひとは持っていた感覚なんだと思う。

田附

昔の人はその感覚を知っているから、夜は獣たちの世界だと認識していた。そうやって、人間と獣の世界が分断されていたんじゃないかって思う。

大三郎

(雑誌『なごみ』の連載『野生めぐり』の写真を見ながら) 石倉さんとの連載ではどんな所に行ったんですか?

石倉

第1回目の取材では、青梅の御岳山(東京青梅市、標高929m)や奥秩父の三峰山(埼玉県秩父市にある三山※1の総称)に色濃く残っているオオカミ信仰を取り上げたんです。野生的な何かを発見するための、最初の場所として選びました。東京や埼玉を取り囲む山々の奥地には水が湧いていて、それが川や飲料水となって平野部の農業や生活を支えている。御岳山には山伏の末裔である御師(おし)と呼ばれる祈祷師が住んでいて、いまは絶滅したと言われているニホンオオカミを大口真神として祀っています。

たとえ現代の東京でも、ちょっと山に行くだけで古代的なオオカミ信仰の層を発見できる。それから一年かけて田附さんと一緒に日本各地を歩いている最中で、いまも行く先々で野生的な力の文化を実感しています。

夜の森を歩いて撮影したという、田附さんの写真集『KURAGARI』。http://superbooks.jp

大三郎

昔の人がどう山に関わっていたのか。特に僕は、山伏の古い時代の行いに興味があるんです。もともとは現代美術に近い場所にいた僕は、日本のものづくりのルーツを知りたかった。山伏は、古い時代には「ひじり」と呼ばれ、お祭りのときには、舞を踊ったり、音楽を奏でたり、面をつくったりしていたりと、日本のものづくりや文化に非常に関わりのあった人と言われています。それで実際に山に入り山伏の修験を体験してみたら、面白さを感じてしまったんです。

僕は、現代までに重ねられてきている、蓄積された文化を見ていかないと、「いま」を本質的に捉えられない気がしています。そのときに、肘折には、古い時代の山伏の姿を残しているじゃないかと推測できる場所が多い。柳田國男(民俗学者)は、ひじりがつくった場所は「ひじ○○」と呼ばれると言います。肘折もひじりがつくった集落なんじゃないかと推測できる。実際、肘折の山には、古いかたちがそのまま残っています。

人と樹木の関係はものすごく古く、根の深いものだと思うんです。いま僕たちが触れられる山の文化に対して、「木地師」の存在はとても興味深い。肘折温泉では、こけしがつくられてきたんですが、この土地の職人は、実際に森に入って木をとっていたそうです。これは他の産地ではないこと。肘折のこけし職人だった奥山庫冶さんの息子さんに話を聞いたら山から木をきる作法をよく知っていた。そういった些細な作法にもすごく重要な情報が詰まっていると思うんです。それは、山伏にとってというよりも、ぼくたちの生活に。だから、僕は残したい。

坂本大三郎さん。

石倉

僕が肘折に初めて来たのは、1997年。研究室の合同ゼミで、1年に何度も大蔵村を訪れていました。山が、森が、本当に豊かな場所だと思いました。そのときは山間地で農業をして、東北の人びとの暮らしや芸能を知り、汗まみれの身体を肘折のお湯で流す、という日々を送っていました。地底からわいてくる力、鉱物としての土地の豊かさ、そして、山を豊かにしている植物や動物への想像力。そんな土地に人間がいて、芸能や信仰が生まれている。それらが渾然一体となっているここの文化に圧倒されました。

当時、舞踏家の森繁哉さんや阿部利勝さんにいろいろと教えていただいて、羽黒山伏の星野文紘さんにも、大蔵村ではじめて出会ったんです。だから、僕もこの肘折に残る文化を残そうとしていることは、とても意味があることだと実感しています。それに、ただ古い文化を残すというだけじゃない。外からの新しい刺激を受け入れて「生まれ変わる」力もあると思うんです。

大三郎

なかなか担い手が少なくなっている時代だけど、せっかくすばらしいものがあるんです。どうにかして残していきたいと僕は思うんです。

石倉

僕たちが関わっている秋田県上小阿仁村の「KAMIKOANIプロジェクト」でも、地元の生活に根ざした芸能や文化と新しいタイプの芸術を密着させることを目的としています。土地の人たちと外から来た人たちが、それぞれの役割を担ってすすめようとしている。目指すところは「ひじおりの灯」の精神性とつながっているんじゃないかなと思っています。

大三郎

肘折は外に出たひとがわりと戻ってくれるという、素晴らしいところ。でも出羽三山のまわりを見回すと、住民は老人ばかり。特にこのへんは豪雪地帯だから、1〜2年家を放置するだけで、つぶれてしまう。おふたりが見てきた土地ではどうでしたか。

田附

僕が、写真を撮りなが東北をまわっていると、若いやつが多少いる土地もある。例えば、彼らは伝統的な踊りを担っているけれど、昔と同じ衣装では踊っていない。それは単純な理由で、衣装が重いから。そんな風に、無くなるものは無くなっていいと僕は思う。残そう残そうと思うと、違うものが残っちゃう気がする。

誰かが強く思えば、たとえ一度は消えても、その土地から湧き出てくる何かによって、復活されることがある。そうやって日本列島では何千年も同じことを繰り返してきたんだと思うんだよね。残るものは残る。絶対またもとに戻るものってあると思う。

石倉

最近ある学生に「私には神道や仏教という宗教の信仰は無いけど、それでいいと思っている。かたちは変わっても、自然を大事にしたいという信念を持っているから」と言われたんです。たしかに、表に見えるような宗教という考え方は消えても、プリミティブな自然との関係は残っている。そういう関係って、かたちだけ残せばいいというものではないし、常にその時代の人びとが再発見して、その時代の表現のあり方を考えなければいけない。

いま「ひじおりの灯」や「KAMIKOANIプロジェクト」に限らず、全国の小さな村や大自然を舞台としたプロジェクトが立ち上げっているけれど、やはりその人なりの「土地とのつながり方」を見つけることが大きな主題になっているのだと思います。田附さんは上小阿仁村の八木沢集落という限界集落で、朽ち果てようとするトタン小屋を会場として、その土地に暮らす昔マタギや木こりだった人たちの写真を展示しました(写真展の様子はこちら:前編後編)。

KIKIさんは、ファッションやアートを通じて、普段はあまり山のことを知るチャンスが少ない若い女の子たちが、自分もそこに行ってみたいと思わせる風景を実際につくり出していて、言ってみれば、「道」をつくる山伏の先達みたいな存在。大三郎くんも、イラストや文章等を通して、山伏自身も伝統の中に抑圧してきた野生的な文化を発掘してみせている。

そんなふうに、ぼくらの世代が、かつての文化を新しくつくり直していくことも必要なんじゃないかと思う。

田附

ただ、自分たちが新しいことだと思っていても、実は歴史の中に組み込まれているんじゃないかと思うときもある。昔あったものがまた現れるというふうに。

田附 勝さん。

土地を読むこと=歌をうたうこと

大三郎

続いては、ここに参加してくれた方からの質問に沿って、話をしたいと思います。ひとつ目は、「石倉さんに質問です。今日スライドで流れていた石像が、エチオピアの映画にでてきた洞窟の絵と似ている」ということなんですが。

石倉

僕自身は行ったことがないのですが、エチオピアは宗教が重層していて、たいへん面白い地域だそうです。エチオピア正教というキリスト教と、イスラム教と、土着の精霊信仰などが混在している。そういう意味では、東北と共通しているところがあるのかもしれません。特に、家々を訪ねて物乞いをしながら、歌をうたって人びとを祝福していく文化がエチオピアにはあるんです。

これについては、川瀬 慈(かわせいつし)さんという映像人類学者が『ラリベロッチ—終わりなき祝福を生きる—』という素晴らしい映像作品にまとめています。それを見ると、たしかに歌がすごく面白い。川瀬さんから聞いた話ですが、エチオピアの歌というのは、演歌にそっくりなんだそうです。エチオピア人に吉 幾三の歌を聞かせたところ「この歌手は誰だ? エチオピアに呼びたい」って言わせたほど(笑)。

かつて東北の農村には、家々を祝福して廻る門付芸人(かどづけげいにん)がいましたが、彼ら自身もある意味では大三郎くんが言う「ひじり」と同一視されるような存在だったと思います。

大三郎

昔は、山伏と巫女が夫婦になって、憑依させて集落から集落に練り歩くということをしていたようですね。エチオピアの芸能は日本と共通点があって面白そう。

KIKI

私、エチオピアに行ったことがあります。清水靖晃さんというサックス奏者の方がいて、とてもすてきなジャズを演奏する方なんですが、なかでも『ペンタトニカ』というアルバムは、民族的な音階を集めていて、エチオピアの伝統音楽を編曲したものも入っていてとてもかっこいい。

石倉

いいなあ、行ってみたい(笑)。ジム・ジャームッシュ監督の映画『ブロークン・フラワーズ』にもエチオピアの音楽が使われていましたね。五音音階(ペンタトニック)の民謡調で、しかもすごく洗練されている。

KIKI

エチオピアではラリベラとう古都にある岩窟教会群へ行ったんですが、地域によって宗教観が全く違っているんですよね。その教会には、壁画がなく、地面を掘り下げて祭壇があるシンプルなものでした。

石倉

川瀬さんの映画に出てくる「ラリベロッチ」という芸能者も、まちを転々としながら各地の家を訪ねて、その家がキリスト教かイスラム教なのかもこっそり確認しながら、その人を讃える歌を即興でうたうそうです。たしかに東北の放浪芸人とそっくりなんだなあ、ということがよくわかりました。

ちなみに川瀬さんは、精霊に憑依された霊媒の女性を主題とする『精霊の馬』という作品も撮っているんです。女の人が馬のようになって精霊を乗せ、トランス状態で託宣を告げる儀礼。これも東北に伝わる「いたこ」文化に似ているのでびっくりしました。

大三郎

東北には瞽女(ごぜ)さんという女性たちもいて、目の見えない人が多かったんですが、彼女たちは歌をうたって集落から集落を歩いていた。行く先々で、説教を歌っていたようです。瞽女という名前も御前(ごぜん)から来ているのではという説もあり、何か儀礼をする人だったんじゃないかと推測が生まれる。遠い国なんですけど、通じることがあるんですね。

石倉

山伏のやっていることもそうですよね。ある意味で、東北の山は「世界」に通じて、それだけ古い文化が残っている。山伏が抖擻行(とそうぎょう、※2)を行って、道無き道を読んで歩いていく背景には、そういう古い世界的な文化があると思います。たとえば山伏は、山中の特別な拝所をめぐって祝詞や真言を唱えますが、ある意味では土地を読むことと歌をうたうことを一体化させている。

オーストラリアの先住民アボリジニたちも、殺風景な砂漠の中の土地を「読んで」歩いていく。そして、彼らの神話に登場する特別な泉の前で、特別な歌をうたう。山伏たちがやっていることの本質と、とても近い儀礼だと思います。

田附

なんで歌なの? 言葉で言うだけじゃダメなの?

石倉

単に発声するだけじゃなくて、抑揚をつけてうたうことで、はじめて世界に働きかける力が生まれるんだと思う。それはたぶん、社会的なコミュニケーションの道具としての言葉以前に生まれた力かもしれない。先住民は広大なオーストラリアの土地の全てを楽譜のようなものととらえ、そこを歩くことで創造神話と一体化する(※3)。からだごと音楽や神話と一体になるんです。

山伏修行の一番深い層では、こういう儀礼ととてもよく似たことを行っています。普通の人が茂みや岩だと思っているところに、熟練の山伏は古くから伝わる神話の痕跡を発見する。そして、そこでお経や真言を唱えることで、山全体に眠っている記憶が呼び覚まされます。

大三郎

折口信夫(民俗学者)は、「自然に対して訴えかけることが歌である」と言っています。訴えるときに語られたことが、物語になっていくと。日常的に話している言葉よりも先に歌があって、それが繰り返されることで、いまの「歌」という形式に収まっていった。そこからは、身振りが「舞」になり、激しく舞うことが「狂う」という風に言われている。かつて自然と向き合った姿はやがて歌に残され、そこで語られる物語が神話になっていくんだと思う。

田附

歌のもっと前に、動物的な感覚で人間は声を発し始めたじゃない。そう言った音というか声というか、発声から来ているのかとも思った。それが音楽になり、理解されていくものになったのかなと。でも、いまの話は、すごく面白い。

石倉

ジャン=ジャック・ルソーも「最初の言葉は詩であり歌であった」と言っています。僕自身、子どもを育てていて感動したんだけれど、赤ん坊は言葉によるコミュニケーションを覚えるずっと前に、簡単なメロディーやフレーズを覚えて歌をうたうんですよね。現代の生物学者も、音を使ったコミュニケーションが動物と人間に共通するとても重要な回路だということをあきらかにしている。

芸術というとすぐに壁画や彫刻を想像するんですが、ラスコーのような旧石器時代の洞窟の中でも音楽やダンスが重要な役割を果たしていたようです。昔の人類は、音を響かせ、歌をうたうことで、岩や土の壁の向こう側に広がる目に見えない自然の領域に働きかけていたかもしれない。芸術の歴史もそうやって捉え直してみると面白いですよね。

石倉敏明さん。

大三郎

続いて一番多かった質問で「山のエネルギー、力を感じるところはどこかありますか?」ということなんですが。僕は、湯殿山(山形県鶴岡市と西川町の境にある、標高1500m)ですね。初めて東北に来たときに行ったところですが、すごいと思った。真っ赤な岩から何か出ているじゃないですか。

田附

いや、本当あれはやばい。僕は観光で、特に何も情報もないまま行ってみたら、赤い岩が! 濡れている! というような、とにかくファーストインプレッションが衝撃的だった。だって、

KIKI

行っていない人もまだいます……

田附

あ、すみません。でもすごかったよ。 

大三郎

語るなかれ、聞くなかれ、湯殿山(笑)。僕は山のパワーという言い方は好きじゃないんですけど、やっぱりその自然のインパクトというか、存在感は、人間の感覚を刺激するなって思います。岡本太郎さんが、湯殿山を見たときに「民俗のそこにあるものを刺激された」と言ったようです。

石倉

田附さんと一緒に旅をするとき、ひとつ大事にしていることがあるんですが、それは聖地というのは必ずしも神社やお寺の社殿ではない、ということなんです。だからたいてい、山や湖や洞窟を目指すことになります。聖地と呼ばれる場所にはたいてい立派な社殿が建てられているんですが、その前になにがあったのかを見ないと、本末転倒になってしまう。例えば湯殿山も、湯殿山神社じゃなく、ご神体を意識するように設計されています。こういうところからも、いろいろ見えてくるものがあると思う。

田附

かたちに気を取られるとちがうものになっちゃうじゃない。そういうのがすごくいやで。もっと先にあるものを見たい。

大三郎

今日「山を読む」というテーマで話をしてきたんですが、山を読むってつまりは、「読み方」なんだと思います。例えば、肘折温泉のような自然の豊かなところに入れば山は身近だけれど、見落としてしまうものもある。かつて、自分たちの文化が豊かだった時代というのが何百年か前にあって、そのときの人たちがどういう風に自然と接していたか。という、山の読み方をひとつひとつ、僕はひじりや山伏という視点からひも解いていきたい。

石倉

それだけ濃密な情報が、山という空間には満ちあふれている。本を読むことも大事だけど、山を読むことで別の次元の情報に触れられるんじゃないか、と僕は思っているんです。中沢新一先生も「山伏っていうのは、そこに身をおいて学ぶ学問だ」とおっしゃっていて、基本的には先達をとおして「独学の仕方」を学ぶものなんですよね。木や岩を通して、季節や生態系の変化だけでなく、先人の足跡や歴史的な出来事、神話や伝説のような情報も教えられる。それが山を読むこと。「ひじり」と呼ばれた人たちは、情報のハブになっていた。彼らのネットワークが、山とまちをつなげていた。僕らはそれを実践的に学んでいるんです。

大三郎

僕以外の3人が各地の山を旅しているなかでも、その土地土地の自然の読み方があったと思う。いま、ぼくは肘折という土地で「山の読み方」を読み込もうとしています。東北芸工大の学生さんたちも今日はたくさん来てくれていますが、「山の読み方」というのを今日の4人の話から、少しでも感じ取ってくれるといいなと思います。

3時間にも及ぶトークの後のオフショット。右端は「ひじおりの灯」の共同企画者のひとり、東北芸術工科大学の宮本武典さん。

このトークの後、夜には参加者みんなでで肘折温泉の夜へと繰り出し、
灯籠をを見て歩いた。その様子や2日目の「山を歩く」、山登りの様子は後編で!

※1 三山…妙法が岳・標高1332m、白岩山・1921m、雲取山・標高2017m
※2 山林中を自らの足で歩いて修行すること 
※3 参考:ブルース・チャトウィン著『ソングライン』

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

profile

TOSHIAKI ISHIKURA
石倉敏明

1974年東京都生まれ。1997年よりダージリン、シッキム、カトマンドゥ各地で聖者(生き神)や山岳信仰、「山の神」神話調査をおこなう。2013年より秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師。明治大学「野生の科学研究所」研究員、羽黒山伏。共著・編著に『人と動物の人類学』(春風社、2012年)、『道具の足跡』(アノニマスタジオ、2012年)など。

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KIKI

東京都出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。在学中からモデル活動を開始。雑誌や広告、TV出演をはじめ、連載などの執筆など多方面で活動中。著書に『山スタイル手帖』(講談社)、『美しい教会を旅して』(marbletron)。カメラマン野川かさね氏との共著『山・音・色』(山と渓谷社)や最新著書『山が大好きになる練習帖』好評発売中。

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DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎

1975年千葉県生まれ。2006年、山形県羽黒地方にある宿坊「大聖坊」の山伏修行に参加。2009年、山伏出世の行と呼ばれる「秋の峰入り修行」に参加する。以降、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然と人を結ぶ活動をしている。著書に『僕と山伏』(リトルモア、2012年)、『山伏ノート~自然と人をつなぐ知恵を武器に~』(技術評論社、2013年)。

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MASARU TATSUKI
田附 勝

1974年富山県生まれ。9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、写真集『DECOTORA』(リトルモア、2007年)を刊行する。2012年、写真集『東北』(リトルモア、2011年)で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞。最新作に、釜石市唐丹町で4年に渡り撮影をおこなった写真集『kuragari』(SUPER BOOKS、2013年)がある。

森を感じ、森に学び、 森を食べる体験。山形県・月山山系 「IROHA TRIP 森の晩餐」

2013年11月2日と3日の2日間にわたり、
山形県鶴岡市の月山山系・朝日連峰周辺にて行われる
フィールドツアー「IROHA TRIP 森の晩餐」。

月山は、山伏の修験道として知られる、出羽三山の主峰です。
ここに、鶴岡市大鳥池のマタギ、佐藤義幸さんら、
森を知る人々とともに分け入って、
狩猟の世界を学び、木の実やキノコなどの森の恵みを採集し、
それらを自分たちの手で調理した「森の晩餐会」や、
保存食を作る「森の保存食づくり」などをおこなう二日間。

豊かな生態系につかの間お邪魔して、森を感じ、森に学び、森を食べる。
いわば「森のテーブルマナー」を体験しながら学んでいくという場です。

ツアーでは、採取した森の恵みで作った
リキュールやびん詰などをおうちに持って帰れるのも素敵。
どちらか1日のみの参加も可能です。

本企画は山形県出身・在住のメンバーで構成する「アトツギ編集室」
によるもの。お問い合わせ、お申込みなど、詳細は下記Webサイトにて。

IROHA TRIP 森の晩餐

地産地消を実践する、 くつろぎの古民家カフェ。 「神音カフェ」

いたる所で日本の原風景を感じられる土地、羽咋市神子原地区。
その集落に佇む「神音カフェ」が今、県内外からファンを集めています。

店舗は築70年の古民家を改装したもの。
珪藻土の土壁、囲炉裏など、古き良き日本家屋のエッセンスを残しつつも、
若きマスターの感性がふんだんに散りばめられた空間です。

カフェのオーナー兼マスターの武藤一樹さん。
金沢の美術大学を卒業後、東京の大手CD販売店に就職し、
都内の自家焙煎の名店を巡る中で、焙煎の技術を学ばれたそう。

本格的な修業に打ち込んだのち、やがて、
「自分で野菜を育ててみたい」「田舎で暮らしたい」「人が集まる場所をつくりたい」、
という想いが膨らみ、2006年に「神音カフェ」をオープンしました。

コーヒーマイスターの資格を持つマスターは、知識も技術も一級品。こだわりのコーヒー豆を自ら焙煎し、注文が入る度にコーヒーミルで細かく挽きます。

「カシューナッツチキンカレー」。サラダ付きで900円。

コーヒーだけでなく、ぜひオススメしたいのが日替わりのカレー。
たっぷりの旬の野菜、こっくりとした濃厚な味に、多くのリピーターが訪れます。

カフェの隣の田畑では、カレーの主役になる野菜や米づくりにも取り組みます。

「何かひとつでも、一から自分で育てたものをメニューに取り入れるようにしています。
野菜市場に並んでいるものがいくら新鮮でも、
どうしたって穫れたてにはかないません。
柿だって、もぎたてが一番おいしい」

そんな話をしながら、柿を次々に収穫する武藤さん。
頬張れば、果汁がぽたり。瑞々しい甘さが口いっぱいに広がります。

カフェを訪れる客層は、実にさまざま。
「小さなお子様連れのご家族もよくいらっしゃいます。
靴を脱いで入るので、子どももくつろげるのかもしれませんね」

そう話す武藤さんも、3人のお子さんの子育て真っ最中。
武藤さん一家の暮らしぶりや、「神音カフェ」の在り方は、
シンプルな生活がもたらす魅力を発信すると共に、
地産地消に取り組む地域交流の場としての役割も果たしているのです。

日本で唯一残る製塩法。手作りの極み。 「揚げ浜式製塩」

400年以上の歴史を持つ「揚げ浜式製塩」。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている、能登の伝統技術です。

汲み揚げた海水を砂浜の「塩田」にまき、
太陽と風の力で蒸発させると、砂に塩が付着します。
その砂にさらに海水を注いで塩分濃度の高い水を作り、
それを釜で炊いて水分を蒸発させ、塩を作ります。

こうして時間と手間をかけて行われる天然の製塩法は、
能登が世界農業遺産に選ばれた理由のひとつでもあります。

塩づくりの原料となる海水は、塩田の目の前に広がる日本海から汲み揚げます。
その量は、1回あたり72リットル。
なんと重さにして60kg以上!

石川県の「ふるさとの匠・伝統の匠」に認定されている浜士(はまじ)の登谷良一さん。
浜士とは、製塩に従事する技術者のこと。
「浜」に「サムライ」と書いて浜士。カッコイイですね。

登谷さんが海水をまく姿はさすがの迫力。
キレイな孤を描き、かつ霧状にまんべんなく撒けるようになるまで、
10年以上はかかる技術だとか。

海水が乾いたら、数人で手分けして砂を集めます。
砂を集める道具は「いぶり」。押し出すのではなく、手前に引いて使います。

集めた砂を「沼井(ぬい)」という箱に入れ、上にむしろを敷き、海水を注ぎます。
海水がゆっくりろ過され、底の穴から
塩分濃度の高い「かん水」が流れ出てきます。

かん水を釜に移し、まずは6時間「荒炊き」して、ゴミや不純物が取り除きます。
その後、やわらかい炎で17時間「本炊き」に入ります。

煮詰めていくと、結晶化した塩が浮き上がってきます。
これを集め、4〜5日放置してにがりを抜けば、
ついに奥能登名物「揚げ浜塩」の完成です。

1,080リットルのかん水からとれる量は、たったの180kg。
非常に希少な塩だけあって、その味は格別。
ほんのりとした甘味をたたえ、数々の料理研究家から愛用されています。

「しおサイダー」1本200円、6本セット・化粧箱入り1,300円。

揚げ浜塩を使った「しおサイダー」もオススメ。
すっきりとした甘さが評判を呼び、
発売1年で25万本を売り上げた、能登を代表するヒット商品です。

5月1日〜9月30日の期間は、
予約すれば誰でも塩づくり体験や見学ができます。
ぜひ、江戸時代以前から受け継がれる貴重な伝統をご覧ください。