2014年度に出会った、 これからの「ものづくり」12

“ものづくり”の最前線を追う。

2014年。『貝印×コロカル これからの「つくる」』は、
日本全国のサービス・プロジェクト・ユニット・もの・場所などの
「つくる」にフォーカスを当てて、
22か所の取材テーマで取材を行い、全44回の連載となった。
ここで、北海道の植松電機から始まった4年目の旅を振り返ってみたい。
前編は人類の営みの原点である“ものづくり”にまつわる記事ををまとめた。

1 どうせ無理だと思わなければ、宇宙開発だってできる。「植松電機」

「植松電機」のロケット

前編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140422_31887.html
後編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140429_32185.html

父親が営んでいた車のモーターを修理する仕事からスタートし、

ロケットを自分たちの手でつくって、打ち上げ運用までできるようになった「植松電機」。
いつまでも宇宙に夢とロマンを馳せる心。

その心がロケットを飛ばすし、人工衛星も実現させる。

ものづくりを進化させるのは、いつも理想を高く持っているひとなのだ。
また、植松 努専務の教育論にも注目。
“どうせ無理だと思わなければ、宇宙開発だってできる”という言葉に、
取材陣も感銘を受けたようだった。

2 気鋭のジュエリーデザイナーが語るものづくり。「SIRI SIRI」

「SIRI SIRI」のジュエリー

前編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140520_32968.html
後編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140527_33137.html

既存の金属や宝石など、
常識的なジュエリーの素材から脱却したものづくりが特徴のSIRI SIRI。
江戸切子や竹を使ったジュエリーはファッション誌の常連。とても美しい。

デザイナーの岡本菜穂さんは、
「いまのほうが技術的には進んでいるはずなのに、
手でしかつくれない時代のものでしか
表現できないものが結構あります。

ありもののパーツなんかも売っていないので、

すべて自分たちの手でつくり出さなければなりません。

きちんとつくられているものは、とても美しいです」
と語っていた。

3 買う人もつくる人もハッピーに。
アフリカメイドのエシカルファッション。
「TEGE UNITED ARROWS」

エシカルファッションの作業中の女性

前編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140617_33738.html
後編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140624_33902.html

セレクトショップ・ユナイテッドアローズから
2014 S/Sのニューブランドとして
デビューした
「TEGE(テゲ)UNITED ARROWS」。
アフリカ各国やハイチ、パレスチナなどの女性の手仕事にフォーカスし、

世界のトップファッションデザイナーとともにものづくりを行う
エシカル・ファッション・イニシアティブと組んでスタートしたブランドだ。
アフリカのすばらしい手仕事を活かして、
援助という一時のものではなく、継続的なものづくりの仕事を一緒につくっている。
女性の雇用を創出し、社会進出などをうながすことも目的のひとつであり、
昨今ではTEGEに限らず多くのファッションブランドが取り入れている、注目の取り組みだ。

4 “使い捨ての器”のイノベーション。
「WASARA」

WASARAの皿とカトラリー

前編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140701_34205.html
後編 https://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140708_34403.html

日本ならではの感性から生まれた紙の器、「WASARA」。

その製品哲学には、古来より自然と共存することで育まれてきた

日本の精神、技巧、そして美意識が込められている。
WASARAのクリエイティブディレクターの緒方慎一郎さん(SIMPLICITY代表)は
WASARAのほかにもプロダクトブランドを手がけ、

みずから和菓子店や和食料理店を経営している。

食を通して日本の文化を広めたいという思いがあるのだ。
「文化というのは食ありき。
私たちの生活の根源は、
“生きていくために食べること”だと思います」
と緒方さんは話をしてくれた。

瀬戸内のソファ屋さんが 主催する写真コンテスト テーマは「ソファと本のある愉しみ」

瀬戸内海というのは、言い方は悪いかもしれないけど、
どこも似たりよったりのところがある。
その風景は「多島美」とよく形容されるように、小さな島がやたら多いのだ。
海が穏やかで、沿岸の砂や岩がほんのり黄色がかっていて、
さらにぽつぽつと島があればヒントとしては十分、
「ああ、瀬戸内海なのね」と。
だから、福山市にある松永の海を初めて見たときは、一瞬、目を奪われた。
おびただしい数の材木を浮かべた貯木場のある港の光景、
それはまさしく東京湾の木場のそれだった。
と、同時に心までもわしづかみにされた。ぼくはその光景を前にして、
『鬼平犯科帳』の火付盗賊改方の面々が闊歩する
江戸の面影を強く感じていたのである。
以来、ぼくにとって松永は尾道市街への通り道ではなくなった。
とにかく粋なところなんだよ、松永ってぇのはよっ!

最近は製材所の数もめっきり少なくなって材木の数も少ないと地元の人たちは言うが、それでも貯木場の光景には江戸情緒というか、ぐっと惹かれるものがある。

古くは塩田の町であり、近年は下駄の産地として広く知られる。
といっても伝統的な桐の下駄ではなく、
輸入木材を使い生産工程を機械化したことで
国内随一の生産量を誇るようになった。
ピークを迎えた昭和30年には
年間5600万足もの下駄を世に送り出していたというから、
当時の松永湾は日本中から集められた木材で埋め尽くされていたに違いない。
さて、原料となる木材が豊富にあることに加えて行政のサポートもあり、
松永では木工加工の技術が発展を遂げる
(1953年に広島県立木履指導所設立。後に県立工芸試験場に改称)。
生活スタイルの変化によって下駄の産業は徐々に衰退し、
現在ではほとんど作られなくなってしまったものの、
しかし、木工の高い技術はしっかりと現在に受け継がれていく。
松永湾に面し、かつては広大な塩田があった柳津町に本社を構える
ソファ製造業の「心石工芸」。
1969年創業のこの会社は、松永が培ってきた木工技術を受け継ぐ
正統的な地場のメーカーといえる。
なにせ、現社長・心石拓男さんのおじいさんは下駄の仕事をしていたといい、
同社創業者であるお父さんの心石務睦さんは
特注家具を製造する木工所に勤めていたというのだから。

ソファの製造工程によって工房が分かれている。写真は縫製を担当する工房。巨大な裁断機がどんと置かれ、スタッフがミシンで縫製する光景は被服を扱う縫製工場と変わらないが、ミシンが縫っているのはとんでもなく厚い革だったりする。

各部門に必ず結構なベテランと思われる職人さんがいる。こちらはフレームの木工部門を担当している宮田住雄さん、67歳。創業の翌年にあたる1970年に入社したという超ベテランの職人さんだ。

革やファブリックをフレームに張る「張り場」と呼ばれる工房にて。ベテランになると、革を少し撫でるだけでウレタンに革が馴染むのだという。ソファ製造の奥の深いこと!

タンニンなめしというなめし加工をした革を使ったソファは心石工芸の十八番。業界で「ソファへの使用は困難」とされていた常識を覆した。経年の色味の変化が楽しめる味わい深い革だ。

ローカルというのはなめちゃいけないところがあって、
唐突に、世界が驚くような恐ろしいまでの高い技術をもった人や会社があったりする。
「心石工芸」がまさにそれで、この会社の製品がいかにスゴいかを書いても
十分読み応えのある記事ができそうなのであるが、
今回ここで紹介するのは同社が主催している写真のコンテストである。
2013年に第1回が開催されており、この春から第2回の公募が始まる。
これがローカルのレベルとは思えない、結構なスケールのコンテストになっている。
入賞者に賞品があるのはもちろん、受賞作を掲載した冊子も制作。
受賞者を招いての盛大な受賞パーティまですでに企画されているらしい。
心石社長にストレートに聞いてみた。
そもそもなぜに地方のソファのメーカーが写真のコンテストを?
「わたしたちは基本OEMメーカー(委託者のブランドの生産を担当する業者)なので、
普段接しているのは販売店の方たちが圧倒的に多いんです。
したがって、お客さんが家でソファをどのように使っているかを見るチャンスが
ほとんどないんですね。だったら、写真で公募すれば見ることができるのでは
というのでフォトコンテストを企画しました」
第1回のテーマは『ソファと家族』。ソファの上ではしゃぐ子どもたち、
楽しげにウクレレを奏でるお父さん、赤ちゃんのおむつを換えているお母さん、
赤ちゃんを膝の上に載せたままうたたねする若いお父さん、
ラフな下着姿でただお酒を飲んでいるお父さん、などなど。
全国から送られてきた写真には、ソファのあるさまざまな家族の日常があった。
……なるほど。
「どんな使われ方をしているかを知るのは、
ソファの商品開発にもすごく大切なんです。
それともうひとつ。お客さんがなにを買っているのかを深く考えたら、
お客さんは単にソファを買っているのではなくて、
ソファのある時間を買っているのではないかと。
であれば、ソファのある空間でどう暮らしているかを見てもらうことが、
効果的な広告になるのではと考えました。
作品を掲載した冊子を制作しているのはそのためなんですね」

第1回のコンテストで最優秀賞に輝いた作品『ソファが縮めるムスメとの距離』。ソファの深い緑の色合いがなんとも心地いい。このソファがあることによって、お母さんと子供の親密な距離感がより伝わってくる。

優秀賞の『我が家のヒエラルキー』は家族の素の感じが最高! 猫の重みだけでくたっとしたソファも素敵。すべてにおいて親近感のある写真だ。

祝、北陸新幹線開業! 富山の「ケロリン」グッズに 長野県産木材の 「ケロリン木桶」新登場

本日2015年3月14日、待ちに待った北陸新幹線開業です!
これに合わせ、さまざまな企業や自治体が「開業キャンペーン」で
お祝いしています。
銭湯の湯桶でお馴染みの「ケロリン」グッズをご紹介。
「ケロリン」は解熱鎮痛剤の名称。
富山に本社を置く内外薬品株式会社さんの製品なんです。

このたび、富山に新幹線が通った記念に、
ケロリングッズが2製品新発売されました。
一つめはこちら、長野県産木材で作られた「ケロリン木桶」です。
お値段は税別4,000円。
本日より東急ハンズ長野店、銀座NAGANOで販売されます。
これは内外薬品が、長野県が取り組む質の高い
県産木材製品の復活「木の文化の再生」に賛同した取り組み。
こちらの商品の販売収入の一部は、木曽広域連合が
運営する「水源の森基金」へ寄付されるのだそう。

そもそも、ケロリンの湯桶が銭湯に登場したのは昭和38年、
東京オリンピックの前年から。
もともと日本では木の桶を使っていたのですが、
衛生上の問題から合成樹脂に切り替えられる時期でした。
ちょうどそのタイミングで、「ケロリン」の広告が入った
プラスチックの湯桶が各地の銭湯に
置かれるようになったんです。
ちなみにケロリンの桶は関東サイズと関西サイズがあるそうです。

そしてもうひとつは、「ケロリンの石鹸」。

福岡県・太宰府に伝わる カワイイ伝統民芸品「木うそ」を守る! 「太宰府木うそ保存会」

福岡県太宰府で作られている木彫の人形、「木うそ」。
幸運を招くといわれる神鳥「鷽(うそ)」の姿を模した、
逆三角形の大きな目が特徴の、カワイイ伝統民芸品です。
独特の意匠のなかに、400年もの長い歴史が詰まっています。
もともとは太宰府天満宮でお正月に行われる「鷽替神事」のために
作られる民芸品だったのですが、
次第に全国の神社でも作られるようになりました。
お土産として、お家に飾ってあったという方も多いのでは?

木うそをつくる突鑿(つきのみ)

太宰府の木うその特徴は、原木の「ホウノキ」や「コシアブラ」
を突鑿(ノミ)で薄く削り、くるんと巻き上げた「はね上げ」という繊細なカール。
幅わずか数ミリの羽根を均等にノミで削り出す熟練の技術が必要とされます。

原木「コシアブラ」

大川の木工産業に、新たな販路を。 エトウのものづくり

九州のヒノキを使ってつくる、子ども向け家具

清潔感あふれるやわらかいピンク色の木肌に、
ビタミンカラーのオレンジが可愛い二段ベッド。
触り心地のよいヒノキの無垢材でつくられていて、
枕元には小さな本棚のしつらえも。
こんな遊び心ある二段ベッドが子ども部屋にあったら、
創造力あふれる時間を過ごせるに違いない。

こちらは、家具のまち福岡県大川市で、
家具や木製サッシ、住宅などの事業を展開する株式会社エトウが、
2014年秋に発表した、熊本のヒノキ材を使った「KOTOKA」シリーズ。
家具のまちで根づいてきたよいものづくりを海外へも発信しようというのだ。

KOTOKAは大川で行われた家具の展示会で財務大臣賞を受賞した。

エトウは、大正9年に製材所として創業。
大川は、福岡県中部を横断し有明海へと流れ出る筑後川の下流域にあり、
上流には、木材の産地として知られる大分県日田市がある。
「昔は木材を筏に組んで、筑後川を下り大川の港まで運んでいました。
大川は木材の集積地であり、さまざまな物資や船が集まるまちでした」
と教えてくれたのは、現在の社長、江藤義行さん。

社長業の傍ら、大川商工会議所副会頭や大川木材事業協同組合理事長も務め、地元産業の発展に力を注いでいる。

船が集まれば、船をつくりだす船大工も必要となる。
家具のまちとして知られる大川の歴史を辿れば、
実は、船大工の技術を生かして指物を始めたのが出発点と言われている。
タンスなどのいわゆる“箱もの”を得意とし、
製材所、建具屋、木材加工、道具を磨く研磨屋、塗装、塗料販売まで、
あらゆる作業が工程ごとに
各メーカーに分業化され家具製造がまちの産業として発達してきた。
そして、起こったバブル崩壊。
江藤社長はやさしい表情をゆがめながら、
「地元で活躍していた、たくさんの中小企業が
倒産、廃業に追い込まれたのは事実ですね。
製材所もほとんどなくなってしまいました」と語る。

当時エトウでも自社で製材した木材の販路拡大のためにも、
低迷した地元の家具工場を引き受け、家具製造業をスタートさせるなど、
なんとか、自社と大川の木材産業を盛り上げてきた。
以来、地元メーカーの技術を生かしながら、
エトウは商品を企画し、それらの販路開拓を担ってきた。
現在は、家具などの輸出入事業も手がけている。

実は近年、台湾や韓国で注目されつつある木材が、日本のヒノキ。
さらに、日本の丁寧なものづくりも評価されている。
エトウでは台湾からの発注があったこともあり、昨年から輸出も視野に入れた、
九州産のヒノキを使った家具づくりをスタートさせた。

〈入谷Yes工房〉 スギ間伐材と震災被害木を活用し、 南三陸を元気に。

入谷Yes工房からつながる宮城の森のはなし

県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。

被災地で雇用を生むために

のどかな里山の風景が広がる宮城県南三陸町入谷地区。
その小高い丘の上、廃校になった小学校の木造校舎の中に
〈入谷Yes工房〉はある。

南三陸町は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。
住宅の7割が浸水し、いまも多くの人が
仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされている。
入谷Yes工房は、そんな方たちの働く場所をつくれないかとスタートした。

「どこかに来て、誰かと働くことは生きるための大切なモチベーションになります。
たくさんの人がこの工房でいきいき働いてくれるのは、とてもうれしいことです」
そう話すのは工房の広報を担当する大森丈広さん。

2011年5月に3名からスタートした工房は、
現在まで、のべ20人以上の雇用を生み出した。

毎日数名のスタッフが工房に通い、作業に精を出している。

高次元なことを当たり前にこなす 日本の工場品質  INSTANT JEWEL後編

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重厚な工場から生まれる、カラフルポップなアクセサリー。

ものづくりにおいて、伝統工芸や職人は注目されやすい。
しかし実際に身の回りは、たくさんの工業製品に囲まれている。
それらは当たり前すぎて認識されにくいが、
日本が工業化を推し進めてきた過程において、必ず技術や職人の蓄積がある。
しかし、伝統技術の後継者不足と同様に、
工業界もまた、製造拠点が海外に流失しているのだ。これを失うのはもったいない。

工業的なアプローチでかわいいアクセサリーをつくっているのが、
インスタントジュエルだ。
プラスチック素材を中心にして、マシンメイド=機械でつくられている。
デザインを担当しているのは、
インテリアプロダクトなどを中心に手がけている大友 学(stagio inc.)さんだ。

インスタントジュエル

組み合わせなどを変えて、自由にピアスやブレスレットをアレンジできる。

「普段の仕事のなかで、なくなっていく工場もたくさん見ています。
“違うものをつくればいいのに”と思うのですが、
工場にとってはもちろんそんな簡単な話ではありません。
だから私たちのような存在が、
“ほら、違うものつくれるじゃん”という例を示していきたい」
そんな思いから、インスタントジュエルが生まれた。

工場の職人たちは、つくり手として認識されにくく、日の目を見ることが少ない。
しかし自分たちがつくっているものが、「インスタントジュエル」という存在として、
“かわいい”という価値観で買われていくようになる。

「日々、“レイコンマ”の世界で戦っているすばらしい職人さんたちです。
そんな職人さんの工場という現場感と若い女の子たちという、
一番遠い存在をガチャーンとくっつけてみたらどうなるか。
工場の職人さんたちも喜ぶと思ったんですよね」

普段、工場でつくっている製品と、このインスタントジュエルとの製造過程自体に、
それほど大きな違いはないだろう。
しかしアウトプットが異なれば、まったく違う反応がみられる。
それが付加価値であり、それを可能にするのがデザインの力だ。

「インディゴこけし」に続く新こけし!BEAMS×宮城の職人「2015 BEAMS EYE Sendai,Miyagi」

「デザインとクラフトの橋渡し」をテーマに、
日本の伝統的な手仕事とコラボレーションして生み出された
プロダクトを販売する「fennica」。
2003年にスタートし、ディレクターのテリー・エリスさんと北村恵子さんが、
日本を中心とした伝統的な手仕事と、北欧などから集められた新旧デザインを
販売するビームスのレーベルです。
コロカルでご紹介し大きな反響を呼んだ、既存の常識を破る
青いこけし、「インディゴこけし」でもおなじみ。

このたび、その「fennica」に新作が登場。
仙台・宮城には宝物がいっぱい」という通り、
宮城の職人さんとコラボレーションしたすてきなアイテムが作られ、
2015年3月8日(日)より3月15日(日)まで、
東京・原宿の「インターナショナルギャラリー ビームス」で
行われるイベント「2015 BEAMS EYE 仙台・宮城」にて
お披露目・販売されることになりました。
3月8日(日)には仙台の「ビームス 仙台」で
インディゴこけし(仙台木地製作所)、
常磐型手ぬぐい(名取屋染工場)のみ、一日限りの販売を行います。

新登場のこけしたち

新アイテムのひとつめは、仙台で活躍した創作こけし作家・故 石原日出男さんの
作品「槐(えんじゅ)の子」を復刻させたもの。
石原さんは、昭和30年代に自らの作品を”ポエティック・クラフト”と名づけ、
エンジュやケヤキなど美しい年輪、杢が生きた、抽象的な作品を発表していた作家。
今回は石原さんの作品から、描彩のない、抽象的な造形から
選りすぐりのものを復刻しています。
「遠刈田こけし」の工人、仙台木地製作所・佐藤正廣さん。
そして「fennica」別注として、オリジナル版をサイズダウンした
アイテムをプロデュース。顔の意匠を省きサイズを小さくして
お手頃サイズにしたこけし「えんじゅの子 fennicaディレクション」も登場しました。

石原日出男 復刻創作こけし 「槐(えんじゅ)の子」左より 大80,000円、中35,000円、小35,000円、人型大50,000円、人型小20,000円(いずれも税抜)

「えんじゅの子 fennicaディレクション」左より大11,000円、中9,500円、小9,500円(いずれも税抜)

〈サカモト〉 山とともに暮らすまちが育んだ、 軽やかで柔和なスギのブラインド

サカモトからつながる鳥取の森のはなし

鳥取、と聞いて砂丘を連想する人も多いだろう。
だが、鳥取砂丘が県土に占める面積は1%にも満たない。
県土はおよそ3,507平方キロメートル、砂丘は5.5平方キロメートル弱である。
むしろ、県土の大半、74%は森林が占める。
砂丘というのは、川に削られた土砂が砂となって海へ流れ込み、
それが潮と風の力で海岸線に押し戻され、堆積した地形のことだ。
乾燥した砂漠とは異なり、鳥取全土で雨も降れば雪も降る。
鳥取は、西日本有数の雪の多い地域でもあり、
西部の大山(だいせん)の湧き水で知られるように、水の豊かな土地柄を誇る。

そんな鳥取の東南部に、奈良県の吉野杉、秋田県の秋田杉と並び、
スギの名産地と称される智頭町(ちづちょう)がある。
そこは中国山地の1,000メートル級の山々に囲まれた山間のまち、
急峻な山肌を縫うように、鳥取砂丘を育んだ千代川(せんだいがわ)の源流が湧く。
まちの総面積の9割以上を森林が占め、古くから林業が盛んに行われてきた。
町内には樹齢350年以上の慶長杉と呼ばれる人工林が残り、
江戸時代の寛永年間(1624〜1644年)には、
鳥取藩主の池田侯が山奉行を置き、造林を奨励した歴史もある。
いまも林業はまちの中核産業で、
町内人口およそ7,600人のうち、森林組合員は1,200人近い。
木とともに暮らすまち、それが智頭町だ。

智頭町にある牛臥山(うしぶせやま)からのまちの眺望。木々をいただく山に囲まれて、まちの人々は暮らす。(写真提供:智頭町町役場)

智頭町が誇る銘木の智頭杉は、町の東部に自生する
天然杉の原生林、沖ノ山杉から苗をとって育てたものだ。
木目が緻密で粘り強い性質をもつその苗を、専業林家が丹念に手を入れる。
樹齢80~100年ほどにもなると、高さ30~40メートル、
太さ40~60センチの、節のない真っ直ぐな木が育つ。
木の断面は、心材(木の中心部)が濃淡のある褐色、辺材(周辺部)は白色と、
はっきりしたコントラストを示す。
端整で緻密な木目の美しさから、建材はじめ、家具や工芸品まで広く愛用されてきた。

加工前の智頭杉の原木。褐色の心材(中心部)と白色の辺材(周辺部)はコントラストが際立つ。

風土が育む智頭杉の粘り

そんな智頭町に、樹齢80~100年の智頭杉の良品を選りすぐり、
家や暮らしにまつわる木製品を製造する〈サカモト〉という会社がある。
「まるごと家1軒分のスギ材」を掲げ、建材から家具までさまざまな木材加工品を扱う。
1957年、日本の林業が活況を呈していた時期に先代が坂本材木店として創業。
1996年には、2代目の坂本トヨ子さんが、木の世界には珍しく女性ながら代表に就任、
建材に加えて壁材や床材などの内装材や外装材の製造を始め、
2008年からは家具の製造も手がける。

サカモト最大の強みは、銘木の智頭杉と、
その特徴を十二分に引き出す製材・加工技術にある。
それを象徴する製品が、智頭杉でつくる木のブラインド〈ウッディブラインド〉だ。

オフィスにかけられたウッディブラインド。光を浴びた木の淡い色目が、心に和らぎをもたらしてくれる。静電気が起きないのも木のブラインドの特徴のひとつだ。

やさしく光を遮る薄いスギ板は、光を浴びて白と褐色が混じり、
薄紅色にも肌色にも見える。
空調や人の動きで起きた風を、スギ板が静かに受け止め軽やかにゆらぐ。
見た目が実に心地いい木のブラインドは、
一見すると、薄い板材に穴を開けて紐を通せば簡単につくれそうだが、
トヨ子さんいわく「普通のスギではまずつくれない」とのこと。

その理由は、スギという木材がもつ性質にある。
軽くて加工しやすいスギは、古くから建材として重宝されてきたが、
材としての強度はそれほど優れているわけではない。
1センチにも満たない厚さの板材に、ブラインドの紐を通す穴を開けようとすると、
普通のスギだと強度が足りずに割れてしまう。
だが、粘り強い性質をもつ智頭杉は、穴を開けてもヒビすら入らない。
その粘り強さは、智頭の風土によってつくり出されていると、トヨ子さんはいう。

「このまちは、四季の変化に富んでいます。1年の寒暖の差は大きく、
夏は40度近くまで気温が上がり、冬は氷点下の日も続きます。
今日みたいに、雪が降ることも多いですね」

取材で訪ねたこの日、まちは、靴がすっぽり埋まるほどの雪に覆われていた。

「冬が智頭杉をつくる」
そんな言葉があるそうだ。冬の寒さで冬目(*)が締まり、
山の斜面に張りつくように生える木が、雪の重みに耐えて粘りを増す。
その粘りが、穴を開けてもビクともしない強さとなる。
温暖な気候で育ったスギではそうはいかない。

*冬目:木の年輪の境目になる色の濃い部分。色の白いところは夏目という。

木と山について熱っぽく語る坂本トヨ子さん。オフィスの床と壁、机とイスはもちろん、調度品はすべて智頭杉でできている。横型のウッディブラインドがかかる奥の窓は、枠までが木製だ。

「RetRe(リツリ)」。虫喰いナラの天然木が美しい、富山・尾山製材が里山再生を目指すブランド

富山県朝日町の製材屋さん「尾山製材」。
富山県産の楢など、国産材の普及を考えるメーカーです。
彼らが作ったブランド「RetRe(リツリ)」は、
普通であれば「使えない」と山に放置される虫喰い材を使って
デザイン・プロダクトを作るプロジェクト。

虫喰い材の表情を楽しむために、文字盤を付けずにシンプルに作った丸い壁掛け時計。

材料は富山の山で、カシノナガキクイムシにより被害にあった虫喰いナラの天然木。
ひとつひとつのアイテムに、それぞれ違った虫喰いの穴や、
菌による黒い縞模様がついているのが味わい深い。
この個性ある木の道具たちを通して、里山再生を考え、地域に根差した
活動を行うことを目標にしたプロジェクトなんです。
尾山製材と、デザイナーの山崎義樹氏がともに立ち上げました。

「富山の材木屋が地域材の楢(オーク)材を活用して、
林業→製材業(材木屋)→木工加工業(家具屋)という循環を作り出し、
地域の山や楢を通じて木に携わる仕事をしている方たちに
利益を還元して後世に技術を残せる仕組み作りをしていくことが、
私自身の考える里山再生であり、
RetReブランドを立ち上げたきっかけでもあります」
(尾山製材 尾山さん)

虫喰いのカトラリーレスト。レスト本体には穴があいていて、鉄の台座に取り付けられた芯棒に通して重ねられるので、つながった模様を楽しみながら置いておく事ができます。

一番上のレストの穴には小さな磁石が埋め込まれているため、パチッと気持ちよく納める事が出来るとともに、簡単にバラバラにならない様になっています。

虫喰いの壁掛け鏡。虫喰い材の表情を楽しむために、太いフレームを組んで作った壁掛けミラーです。
何枚もの板を繋ぎ合わせてフレームを作っているので、複雑な木の表情が出ています。

マシンメイドのジュエリーブランド INSTANT JEWEL前編

工業的アプローチをファッションアイテムに。

昔から受け継がれてきたものづくりの技術を、
デザイナーが掘り起こして新しいプロダクトを生み出す。
こうした試みは各地で行われるようになってきたが、
いわゆる手作業の伝統工芸であることが多い。
そうしたなかで、アプローチは同じながら、
機械でしかつくれないもの=マシンメイドを全面的に謳った
アクセサリーブランドがインスタントジュエルだ。

きっかけは、これまでも数々のプロダクトを生み出してきた
デザイナーの大友 学(stagio inc.)さん。
ところが大友さんのメインフィールドはインテリアプロダクトや生活道具であり、
ファッションとは似て非なるものであった。

「これまで、プロダクトやインダストリアル系のデザインを手がけてきました。
いろいろな工場やメーカーを回って仕事をするのが常です。
そんななかで、これまで蓄積していた工業的な知識やネットワークを使って、
“アクセサリーの新しい事業を始めませんか?”と、株式会社元林に持ちかけたんです」

元林とは、のちにインスタントジュエルの生産管理を手がけることになる会社。
同じタイミングで元林は、「デスペラード」というセレクトショップを運営している
ファッションディストリビューター/ショップであるパノラマと、別事業を進めていた。
そこで元林から、ファッションに詳しいパノラマに相談があったという。

「“この案件、どう思いますか?”と聞かれたので、“興味あります”と答えたんですよね」
というのは、パノラマの代表取締役兼クリエイティブディレクター、泉 英一さん。
泉さんは数々の海外ブランドのディストリビューションを手がけてきたバイヤーだ。

「アクセサリーは、ハンドメイドの1点ものや高価な宝石という時代ではありません。
大量生産しながらカスタムメイドして、楽しく遊び感覚で、
しかもお手頃にできないかなと、思っていたところなんです」と
泉さんにとってもちょうどよいタイミングだったのだ。
こうしてstagio inc.、パノラマ、元林の3社による事業が動き始めた。

stagio inc.の大友学さん

stagio inc.の大友学さん。デザイン事務所勤務などの経験はなく、独学でデザインを学んだという。

まるで物語から抜けだしてきたよう。福岡在住の作家、鹿児島睦さんの愛らしい雑貨たち

福岡アトリエを拠点に、陶器制作やテキスタイルデザインなど
幅広い創作活動を行っている作家の鹿児島睦(かごしま・まこと)さん。
鹿児島さんの手がける作品は、和風とも洋風とも言い切れない、
シンプルで洗練されたデザインが魅力です。
まるで物語から抜け出てきたような、
愛らしい動物や植物のカラフルなモチーフたちが、
見る人を和ませてくれます。
本日は東京・青山のdoinel / biotopeと鹿児島さんが
コラボレーションしたアイテムたちをご紹介!

長崎の「波佐見焼」で作られた、耳の部分に花を挿す「ウサギ花器」。鹿児島さんのハンドメイド作品を元にしたプロダクト。シンプルな曲線で表現されたウサギには、どんなお花も似合っちゃいます。

こちらはゆらゆらと揺れるモビール「“ZUAN” Mobile

久留米絣

鹿児島のかわいい「田の神様(タノカンサア)」。しゃもじと茶碗を持った、田んぼの神様

鹿児島のスロークラフトをあつめた
プロジェクト「MIGOTE(みごて)」。
みごてとは、「見事な、綺麗な」という意味の鹿児島のことば。
鹿児島の工芸品の技術と地域資源を融合し、
全国に広めていこうというプロジェクトです。
MIGOTEには陶器や織物などさまざまなラインナップがありますが、
本日ご紹介するのは、「田の神さあ(タノカンサア)」の人形。
薩摩焼で作られた、しゃもじとご飯茶碗を持ったカワイイ神様です。

タノカンサア

タノカンサアとは、鹿児島県や宮崎県南部に伝わる、
田んぼを守り、米作りの豊作をもたらす農業神。
現地では、田んぼのあぜみちにこの石像が
飾られているんですよ。

空きロッカーが検索できる! 阪急梅田駅のコインロッカーが 「PiTaPa」対応の キーレスロッカーに

明日2月26日より、大阪・梅田にある「阪急梅田駅」の
改札内・改札外に設置されている
コインロッカーの約7割が、「OSAKA PiTaPa」対応
キーレスロッカーにリニューアルされます。
注目は、西日本初となるコインロッカー空き情報検索システムの導入。
ロッカーの空き情報は、梅田駅の4カ所に設置した検索モニターのほか、
阪急電鉄の公式サイト「阪急電鉄 鉄道駅ナカ沿線おでかけ情報」のトップページより、
スマートフォンやパソコンを使って検索することができます。
どの場所にどの大きさのロッカーが空いているかが分かるので、
大きなお荷物を持ちながら、空いているロッカーを探す苦労から
開放されるというわけです。

〈ラ・ルース〉 ヒノキの間伐材を、 寄木と木地挽きで美しいうつわに。

ラ・ルースからつながる神奈川の森のはなし

神奈川県は、森林面積も小さく、林野率も低い。
それでも県内には、丹沢大山や箱根といった山々をはじめ、
県土の約40%、約9万5000ヘクタールを占める森林がある。
県では平成18年に森の再生の方向と目指す姿を示した
〈かながわ森林再生50年構想〉を公表。
広葉樹の再生、人工林から混交林への転換、人工林の再生を目指している。
また、県産木材を積極的に利用してもらうために、
〈かながわ木づかい運動〉を推進している。
〈かながわ県産木材産地認証制度〉、
〈かながわブランド県産木材品質認証制度〉というふたつの認証制度を実施。
さらには、県産木材を使用する公共木造施設の整備に対して、支援も行っている。

丹沢湖畔から渓谷を40分登った場所にある西丹沢県民の森。大正4年に植樹されたスギをはじめ、ヒノキ、イヌブナが生い茂る、別名〈大正の森〉。

森を守るため、目の前にある間伐材を使ったものづくり

神奈川県小田原市は、寄木をはじめとした木工業が盛んだ。
しかしその材料は、北海道や秋田などから購入している広葉樹である場合が多い。
小田原に工場を構えるメーカー、ラ・ルースも、同様の木工所であった。

しかし4年前、森林再生への取り組みをしなければならないという思いに立ち返り、
まず仕掛けたのがヒノキの鉛筆だ。

「小田原市と岡山県西粟倉村にかけあって、鉛筆を10万本つくり、
そのときは飲料メーカーに納品しました。
あんなに小さな棒1本でも、小学生ひとりひとりに渡せば1000万本以上になります。
各県のヒノキでやれば、地元の森のことを考えられるツールになります」と
代表取締役の相田秀和さんはいう。
昨年も継続して、1600ダースの鉛筆を小田原市の学校に納品したという。

ラ・ルース代表取締役の相田秀和さんは、小田原ローカルのサーファー。

その後、小田原市のある働きかけがあった。
通常、木工所は市の産業政策課の扱いになる。
一方、森林組合と製材組合は農政課の担当。
一緒に森林のことを考えていかなくてはならない三者が、
つながりづらい状況だったのだ。

「森林組合も、製材組合も、木工組合も、同じ建物にあればいいと思うんですよね」
この3つをつなげたいという市の思いもあり、それこそ飲み会からの交流スタート。
そこから見えてきたことは、小田原市の間伐材が生かされていない現状だった。

そこで、ラ・ルースは小田原市および郵便局と組んで、
間伐ヒノキを利用した実物大のポストをつくった。
そこに地元の小学生が、福島県相馬市で被災した人に向けて、
木でできたハガキを投函して送るという催しが行われた。
イベントではポストごと相馬市に運び、現地でも大好評。
そのポストは現在、実際の“郵便ポスト”として相馬市で使われている。

「このまちの、目の前に材料があるわけです。“だったらそれを使おうよ”と。
針葉樹はたしかに加工が難しいです。削ればざらつくし、切ればバリがでる。
でもうまく使えるようになれば、市場性もあるはずです」

小田原の間伐ヒノキを乾燥中。

ラ・ルースは、どんどん目の前=小田原の間伐材を購入している。
使っていけばいくほど、扱い方もうまくなるはずだ。

「昨年1年間で、小田原市から出たヒノキの間伐材を
20立方メートルくらい買っています。
小物ばかりつくっているうちのような会社にとっては、相当な量です。
ほとんどの木は斜面に生えています。
建築材は真っ直ぐな4メートル材が必要なので、
株から2メートルほどの曲がっている部分=元玉は、ねじれがあるので使えません。
だからその部分は、案外、安価で流通しているんですよ。
ぼくたちなら十分使える木材です」

有田焼創業400年  ARITA EPISODE2の胎動 後編  コラボレーションの未来型

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1616年にうまれた有田焼。来年、創業400年を迎える。
これまでの400年を「ARITA EPISODE1」として、
その第2章「ARITA EPISODE2」が動き始めた。
今回は新しい有田焼のプロジェクトを紹介しよう。
まずはテクノロジスト集団「teamLab(チームラボ)」 による
未来の有田焼をイメージしたデジタルアート映像から。

「未来の有田焼があるカフェ」

「未来の有田焼があるカフェ」。teamLab による有田焼デジタルアート。

これは昨年、佐賀県立九州陶磁文化館で行われた展示の様子。
有田焼のイメージはいまさまざまなクリエイターとのコラボレーションによって進化している。

「2016/ project」

いま有田は世界中のアーティストに注目されている。
有田というまちを「世界のクリエイターが集まる聖地」にしようという動きだ。
有田焼の窯元や商社と世界のデザイナーによるコラボレーションを行う。
さらに地元のまちづくりや教育、研究機関と連携しながら、
滞在型ワークショップや交流の場を創出する「プラットフォーム」にしようというもの。
その中核的なプロジェクトが、16の有田・伊万里の窯元と商社と
16組の世界のデザイナーがひとつのブランドを作り上げる「2016/ project」である。
クリエイティブ・ディレクターとして
「1616 / arita japan」も手がけるデザイナーの柳原照弘さん、
Co.ディレクターとしてオランダのデザイナー、
ショルテン&バーイングスさんが関わっている。
現在、オランダ、スウェーデン、イギリス、アメリカ、スイス、ドイツ、フランス、日本という
8か国のデザイナーが参加している。

柳原照弘さん

柳原照弘さん。1976年 香川県高松市生まれ。「1616 / arita japan」、「2016/ project」のクリエイティブ・ディレクター。

「2016/ project」のクリエイティブ・ディレクター、柳原照弘さんにお話を伺った。
「有田は小さなエリアにいろんな窯元と商社が集まっているまち。
約150の窯元、200以上の商社があるといわれているんです。世界的にみても珍しい。
海外の方に話をすると、有田はひとつの会社だと思っている人もいる。
普通はひとつの会社が大きく拡大していくのに対して、
たくさんの窯元と商社が集まって全体として有田焼を形成している」

その多様性に世界各国のデザインセンスがかけあわされて、
有田焼が歴史や技術と共に世界中のさまざまな場所へ届き使われ、
未来に継承されていくことを目指すのが「2016/ project」だ。
コラボレーションはどんなかたちで行われているのだろうか、柳原さんにお聞きした。

「窯元さんには今までの有田焼の概念をいったん忘れてください、と言っています。
いったんゼロになったうえでデザイナーのアイデアや意見を聞き、
プロフェッショナルとして本気になってもらう。
それぞれが役割を全うして力を出し切って生まれたものが、
これからの有田焼になっていくと考えます」

そもそも有田焼はこうだから……という固定観念を窯元自体が捨てていくことで
イノベーションが生まれるわけだ。ではデザイナーに対してはどうだろうか。

「デザイナーに対しては歴史をできるだけ知ってほしい。
しかし歴史をなぞることはしないでほしい、と言っています。
日本風に有田焼のお茶碗をつくるとかではなく、
その技術を自分たちの国での生活のなかで使えるものとして提案してほしい。
参加しているデザイナーはそれぞれの国ということを超えて、
世界中にマーケットを持っています」

16組のデザイナーが持つ世界市場。そこにアジャストした新しい有田焼のスタイル。
それが「2016/ project」。それぞれの新作は2016年の4月にミラノサローネで発表の予定だ。

「2016/ project」

「2016/ project」。スイスを拠点とするデザインユニット「BIG-GAME(ビッグゲーム)」が有田の窯元で熱心にリサーチを重ねる。撮影: Kenta Hasegawa

柳原照弘さんと在日オランダ王国大使館・報道・文化部のイネケ参事官

柳原照弘さんと在日オランダ王国大使館・報道・文化部のイネケ参事官。「2016/ project」を実施している佐賀県はオランダ王国大使館とも連携協定を結んでいる。有田焼とオランダの関係は江戸時代のオランダ東インド会社(VOC)にまでさかのぼる。撮影: Kenta Hasegawa

〈木工房ようび〉 地域の風土と職人の技術によって 生まれた、白くて軽くて 香り高いヒノキの家具

木工房ようびからつながる岡山の森のはなし

岡山県は、瀬戸内海に面した南の平野部の背後に中国山地の山々を抱く。
北部の山地では、年間降水量1,400ミリを超える豊かな雨が降り、
東から吉井川・旭川・高梁川の大きな川をなし、やがては瀬戸内海へと流れ込む。
岡山の森林は、山に囲まれた県北部を中心に県土の68%を占める。
なかでも、木材生産を目的としたスギやヒノキの人工林は県北部に集中し、
人々が雨を恵みに木々を植え育て、豊かな森の土壌は岡山の水源を育んできた。

こうした岡山県の森林事情を象徴するような村がある。
県の北東端、東は兵庫県、北は鳥取県と接する県境に位置する西粟倉村だ。
人口わずか1,600人にも満たない小さな村は、
面積のおよそ95%を森林が占め、そのうち84%を人工林が占める。

県の北東部には、美作(みまさか)檜と呼ばれる特色あるヒノキが育つ。
冬の厳しい寒さのため、木は毎年少しずつしか成長せず、幹の部分が引き締まる。
さらに、降り積もる雪の重さに耐えるため、木は強さを増す。
香りの強さにも特徴があり、それは良質な水と関係があるとされる。
西粟倉には吉井川の支流と吉野川の源流があり、
天然記念物のオオサンショウウオが自生する良質な水をたたえている。

西粟倉のヒノキの森。間伐と枝打ちが行き届き、日の光が木々のあいだから差し込む。

西粟倉で知った、日本の森の厳しい現実

岡山県西粟倉村で、香り高い西粟倉のヒノキを使い、家具をつくる人たちがいる。
家具職人の大島正幸さん率いる〈木工房ようび〉だ。
岐阜県高山の家具メーカーに勤めていた大島さんは、
2009年にこの地に移り住み、地域の材を使った家具づくりを始める。
そのきっかけは、いまは人生をともに歩むパートナーとなった奈緒子さんに誘われ、
西粟倉をふと訪ねたことにある。
そのころの大島さんは、家具職人として8年の修業を積み、腕に磨きをかけていた。
“いい家具”をつくる思いも、人一倍強いという自負があった。
だが、その自信と自負は、西粟倉の森を見て粉々に打ち砕かれることになる。

「それまでの僕は、森のことなんて何も知らずに、
工房にこもって“いい家具”をつくることに没頭していました。
しかし西粟倉の森を見て、自分の浅はかさを思い知らされたんです」

大島さんが西粟倉で見たのは、ふたつの森だ。
まず案内されたのは、間伐や枝打ちが行き届かず、荒れてしまった“悪い森”。
ところ狭しと生えた木は、どれもモヤシのようにヒョロヒョロで、
光が差し込まない薄暗さに不気味ささえ感じた。
「こんな森では、木を売ってもお金にならない」という言葉が鋭く胸に突き刺さる。
日本の森に手入れが行き届かなくなったのは、
安価で大量に供給される輸入材に押され、国産材が敬遠されるようになったからだ。
林業経営が苦しくなると森が荒れる。その結果、木材の質も低下する。
この悪循環からいかに抜け出すか、それが日本の森が直面する課題だ。

「家具自体は、森のことを何も知らなくてもつくれちゃうんです。
材料は、つくりたいもののイメージに合わせて仕入れることができますから。
でも、そうやって仕入れる木材って、魚でいえば“切り身”みたいなもの。
それまでの僕は、海そのものも、泳いでいる魚の姿も知らず、
魚の“切り身”を捌いて、いい寿司を握ろうと思っていたようなものなんです」

大島さんは、当時のことを悔しそうに振り返る。

あいにくの雪のなか、ヒノキの森を案内しながら、昔の思いを語ってくれた。森は、工房からクルマで数分のところにある。

「O-Bath」タガがない!まったく新しい檜風呂。岐阜県中津川市「檜創建」から誕生

香り、匂い、手触りが良く、五感に訴える。
檜のお風呂といえば日本人の憧れです。
岐阜県中津川市の「檜創建」は、国産の材木、
特に木曽檜を使ってバスタブをつくることに取り組むメーカー。
もともと檜のお風呂というのは、お湯を張っておかなければ
ならないなど、手間のかかるものでした。
なので日本のお風呂はどんどんステンレスになっていったのですが、
檜創建さんは「ウチにしかできないこと」をするために、
檜風呂を徹底的に改良。いまでは個人宅や高級ホテル、介護など
様々なシーンで檜風呂が楽しめるようになりました。
さらに2010年には、通常であれば必要な「タガ」がいらない、
進化した檜風呂「O-Bath」が誕生。見た目の美しさだけでなく、
水漏れしない木とプラスチックの三層構造が、
マンション・ホテルの階上や介護施設などでも更に好評なんです。

「O-Bath」のある風景

〈志岐家具製作所〉 環境へ配慮した製法で県産スギが オリジナリティあふれる スツールに。

志岐家具製作所からつながる佐賀の森のはなし

九州の北西に位置する佐賀県。
北西部に玄界灘、南東部に有明海というふたつの海に接し、
有明海沿岸から筑後川沿いに約3割の面積を占める佐賀平野が広がる。
佐賀県の総面積は2,439.67平方キロメートルで、そのうち森林の占める割合は46%。
全国平均の67%と比べると低いが、それゆえ、県民にとって貴重な緑資源となっている。
脊振村、三瀬村には森林を生かした自然公園があり、
春から秋にかけての行楽シーズンに賑わいを見せている。
脊振や多良岳、国見の山々にはスギやヒノキといった人工林が広がり、
その比率は67%と日本一だ。
戦後を中心に造成されたこれらの豊富な人工林もまた、いま伐採時期を迎えている。
木材に関わるさまざまな人々が連携し、積極的に木材を利用していくことが、
山の活性化、まちの元気、そして森林の維持につながる。
佐賀においても県産材を利用する動きが着々と広がりを見せていた。

佐賀県は全国的に見ても比較的温暖な気候に分類されるが、冬の寒さは比較的厳しい。佐賀の木々はそんな寒暖差の中で育まれている。

大川生まれ、諸富育ち。

〈志岐家具製作所〉のある佐賀県諸富町には、元来、家具をつくる文化はない。
そのルーツは思いがけない場所にあった。
筑後川を挟んだ向かい、福岡県大川市である。
「うちはもともと、大川で家具に使う金具をつくっていたんですよ」
そう切り出す取締役社長の志岐純一さんは2代目。
この製作所は昭和21年に創業された。
大川が“家具・木工のまち”として全国的に知られるにつれ、
並行して土地の値段が上がってしまったため、
昭和45年に諸富町へ移ってきたのだと志岐さんは続ける。
その後、この地で家具づくりの文化を育んでいった。

工場は2フロアに分かれている。1階ではプロダクトの初期工程、2階では組み立てや最終加工といった仕上げ工程にあたる。

志岐家具製作所には現在、従業員は5人。
決して大きな工場ではない。だからこそ、大規模な家具工場にできない、
きめ細やかな仕事、そして安定した確かな品質を、
どこにも負けない気持ちで心がけてきたのだと志岐さんはいう。

5人の職人による手仕事が屋台骨を支える。「SPIRAL」の製造における外注はなく、運び込まれた木材が製品になるまでの全工程を自社で担う。

志岐家具製作所のオリジナルブランド〈シムススタイル〉をつくるうえで
モットーに掲げているのが「環境と健康にやさしい家具づくり」だ。
自然から抽出したオイルやワックスを使った家具、
石鹸で仕上げたソープフィニッシュ家具、
有害ガスの発生を大幅に抑制した塗料を使用した家具など、
健康、環境に配慮した“エコな家具”づくりに取り組んでいる。
生産工程の木材の削り屑やのこ屑は、酪農家でたい肥などにリサイクル。
その姿勢は創業から一貫している。

運び込まれてきた木材は人の目によって品質が確かめられたうえで、用途に合わせた加工がなされていく。

「カメリアオーガニック」。沖縄の水と椿の恵みがたっぷりのオーガニックコスメブランド

沖縄の農園で収穫された椿を使った
オーガニックコスメブランド、「カメリアオーガニック」。
沖縄で生まれた素材を使って、髪や肌本来の力を呼び起こす
製品づくりをしているブランドです。

こだわりの製品の生みの親は、与那国島生まれの田島勝さん。
三十数年、沖縄県の那覇市で理髪師として活躍していた田島さんは、
既存のシャンプーやリンスでお客様の髪が傷んでいくことや、
肌が弱い妻、アトピーに悩む孫たちの姿を見て、
自然の成分を使った人間の髪や皮膚にやさしい製品を作りたいと思いたちます。
「長命草」、「モズク」、「月桃」などを使った製品を作りながら
そして出会ったのが、国頭郡国頭村の山奥にひっそりと生息する椿だったんです。

田島さん

椿に大きな可能性を感じた田島さんは、
国頭にヤブツバキの自社農園を作ることに。
ここは人口約5,000人の小さな村。
栽培から製造、販売までを一貫して国頭で行うことで、
オーガニックの農園を、過疎化が進む村の基幹産業として
確立しようと思い立ちます。
そして農園は、沖縄で初めて「有機JAS」の認定を獲得。
農園で育てた椿で世界に通用するブランドを作ろうと、
「カメリアオーガニック」を創設しました。

有田焼創業400年  ARITA EPISODE2の胎動 前編  技術の「伝承」と新しい「伝統」の 第二章にむけて

「ARITA EPISODE1」から「ARITA EPISODE2」へ

佐賀県有田町を中心につくられる有田焼。
来年2016年に有田焼は創業400年を迎える。
一昨年末、創業400年に向けて「ARITA EPISODE2」プロジェクトが始動した。

その前に「ARITA EPISODE1」とは何か。
1616年に日本で初めて磁器を焼成して以来、400年にわたり、
ものづくりの進化と革新を続け、今に引き継がれる有田焼。
その400年の歴史を「EPISODE1」という。
まずは以下の動画をぜひご覧いただきたい。

有田焼プロモーション映像。悠久の歴史を刻んできた有田焼の匠の技と伝統の美が、有田のまち並みや花鳥風月とともに描かれている。

1616年に有田焼の歴史は始まる。
かつて秀吉の朝鮮出兵のときに朝鮮から連れてこられた陶工 李参平が
有田の泉山(いずみやま)にて、良質の磁石を発見することから始まった。
李参平は日本で初めて白磁を焼いた有田焼の祖と言われている。
良い磁器をつくるために必要なのは
「磁石」と「きれいな水」と「燃料となる赤松」。
そのすべてが有田にはあった。
その後、17世紀から18世紀にかけて
オランダ東インド会社(VOC)を通じてヨーロッパに輸出され、
ヨーロッパの王侯貴族たちに愛された。

有田焼は「柿右衛門様式」「古伊万里」「色鍋島」など
さまざまな様式の変遷を経て、
世界において日本の磁器を代表する代名詞となっていく。
明治に入ってからはパリ万博で最高賞を受賞するなど、
有田焼の黄金期を迎える。その後、輸出量は減少するが、
国内においては昭和の高度経済成長とともに需要が拡大。
平成3年に最盛期を迎えた。

そして来年、有田焼は創業400年を迎える。
これまでの400年を第一章「EPISODE1」として一度句読点をうち、
これからの100年を「EPISODE2」として、
新たな時代の始まりを告げるストーリーへと踏み出そうとしているのだ。

いま有田焼は産地としての危機を迎えている。
この20年、右肩さがりで需要は落ちている。
「有田焼の危機を乗り切って、有田焼の次の100年につなげていきたい」
「有田焼500年の礎を築きたい。新しい有田焼の物語を紡いでいきたい」
佐賀県の職員、有田焼窯元や商社、デザイナーたちの
そんな想いが集まり始まったのが「ARITA EPISODE2」だ。

泉山磁石場

泉山磁石場。1616年前に朝鮮の陶工、李参平によって良質の石が発見されたところから有田焼の歴史が始まる。400年間でここにあった山が有田焼の器に変わった。

有田焼を代表する窯元、柿右衛門窯

有田焼を代表する窯元、柿右衛門窯。

〈酒井産業〉 全国の木工職人との ネットワークを生かし 自然のぬくもりを暮らしへ

酒井産業からつながる長野県の森のはなし

本州の中央部、日本海側と太平洋側との中間に位置する長野県。
標高3000メートル級の山々が連なり、
南北に長い複雑な地形のため、気候も極めて多彩だ。
県土のおよそ8割、約106万ヘクタールを森林が占めており、
森林面積と人工林面積は全国で第3位。
森林率も全国で4番目に高い、日本有数の森林県である。
民有林率は65%で、その約6割が針葉樹だ。
ただし、全国的にはスギが主体であるのに対し、
長野県では県内全域にカラマツが多くを占めているのが特徴である。
とはいえ、北部にはスギ、木曽や下伊那にはヒノキ、
松本や上伊那にはアカマツが多く見られるなど、
地域ごとに特徴ある資源構成となっている。
そのなかでも県下で最も高い森林率(94%)を誇り、
国有林が民有林の面積を上回る県内唯一の地域である
木曽谷から生まれるプロダクツを紹介したい。

間伐が進み、下草が生える長野県のカラマツ林。同県の民有林のうち約5割は人工林で、その5割強をカラマツが占めている。(写真提供:長野県林務部)

漆器から天然素材の生活用品へ

木曽谷は、日本を代表する木材として名高い木曽ヒノキの産地であり、
古くから漆器の生産地としても知られている。
特に海抜およそ900メートルの高地にある木曽平沢地区は、
漆塗りの下地に適した良質の錆土(さびつち)が産出したことから
小さな集落ながら漆器の一大産地として発展した。
錆土を漆と混ぜることで堅牢な製品がつくられ、
〈木曽漆器〉の名は全国に知られるようになった。

木曽堆朱(きそついしゅ)や木曽春慶といった独自の技法を含めてさまざまな塗り方があり、丈夫で使い勝手がよいとされる木曽漆器。

「当社も、先代の頃は地場産業である漆器問屋として
酒井漆器店の名でスタートしました」
こう話すのは、木製生活用品全般を扱う酒井産業の
営業本部特販課課長の宮原正弘さん。
かつては全国どこへ行っても、木曽漆器独自の塗り方のひとつ、
木曽堆朱(きそついしゅ)の猫足座卓のテーブルが見られるほど
華やかな時代があったという。同社も木曽漆器の卸売業で繁盛したそうだ。

しかし、取引先は徐々にホテルや旅館などの業務用市場から
スーパーマーケットなどの一般家庭用品市場に変わり、
それに伴って取り扱う商品も、業務用漆器から家庭向けの汁椀や箸、
まな板など生活用品に変化していった。
そして、現社長に代替わりした40年ほど前に社名を酒井産業に変更。
いまでは1000アイテムにおよぶ天然素材の生活用品を、
全国150の協力工場で地域材を活用して製作している。

営業本部特販課課長の宮原正弘さん(右)と、社長室長の宮原 肇さん。同姓ながら親戚関係ではなく、地域一帯に多い名字だそうだ。

軽くて持ちやすい木曽ヒノキの箸。木曽のおみやげとしても人気が高い。

こけしのメイキング動画が海外で大人気! 宮城のクリエイターが描く伝統の手しごと

東北を中心に作られている民芸品、「こけし」。
近頃は若い世代にもカワイイと人気のこけしですが、
どうやって作られているかご存知ですか?
昨年、仙台・宮城の手しごとを伝えるメディア「手とてとテ」が制作した
こけし名人のムービーが、動画共有サイトで公開され、
世界で大反響を呼びました。

披露されているのは、宮城県大崎市の鳴子系こけしを作る
名人、岡崎靖男工人の手しごと。
木片が削られ、磨かれ、絵付けされて一本のこけしに
なるまでが美しい映像で描かれています。
鳴子系こけしの最大の特徴といえば、
首を回すと「キュッキュッ」と音がなること。
これは頭部を胴体にあとからはめ込む独特の技法が用いられているためで、
その制作過程がじっくりと描かれています。

この動画はアメリカの動画共有サイトVimeoに公開され、
スタッフの「オススメ動画」に推薦されたのがきっかけで、
再生数が100万回ちかくに!
動画を見た欧米やアジアの方からこけしの注文が相次ぎ、
急遽インターネットで購入できるシステムを開発したのだそう。

岡崎さんの手わざが見事です。

「布博」in 町田&京都。布の祭典が今年も始まる! 胸がときめく生地やブローチ、小物が大集結

今年で3年目をむかえる人気イベント「布博」が
またまた開催されます!
布博は、プリント生地、織布、型染め・草木染めなどの
伝統的な技法を使った作品や、
それらを使って生み出される衣類・バッグ・小物などが並ぶ布の祭典。
どれも欲しくなっちゃうような、可愛らしいもの、鮮やかなもの、
ちょっと不思議なもの、シンプルなものまで、選りすぐりの作品が大集結します。

また、テキスタイルデザイナーさんや布もの作家さんによる
トークショーやワークショップ、ステージライブなんかもあり、
作り手の方々とはもちろん、布好きな人同士の交流の場としても盛り上がります。
前回開催時にはなんと3,000人以上のお客さんで賑わったそう。

2月の開催会場は東京「町田パリオ」。
1975年に建てられ「街に愛されるビル」を目指しているという
小田急線町田駅直結の駅ビルです。
4月の開催会場は京都「元・立誠小学校」で、
懐かしい雰囲気が感じられる元小学校の古い校舎にて行われます。

布博 2014 from Akiyoshi Kitagawa on Vimeo.

布博の様子がわかる動画。見るとさらに行きたくなります!

さらに今回は、さまざまな素材を使った手作りのブローチが集う「ブローチ博」や、
足元をキュートかつ個性的に彩る「靴下パーラー」も同時開催。
これまでよりも出品者が増え、見応え十分とのこと。
パワーアップしていく布博を、ぜひ楽しんでみてください!

【布博 at 町田パリオ 開催概要】
日程:2015年2月20日(金)~22日(日)
時間:
20日(金)・22日(日)11:00~18:00
21日(土)11:00~19:00
入場料:¥400
会場:町田パリオ 3F・4F(完全屋内)
東京都町田市森野 1-15-13
http://textilefabrics.jp/
【布博 in 京都 開催概要】
日程:2015年4月18日(土)・19日(日)
時間:
18日(土)11:00~18:00
19日(日)10:00~17:00
入場料:¥400
会場:元・立誠小学校
京都府京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前前島町310-2
http://rissei.org/bunmachi/
※阪急電車「河原町駅」1番出口より徒歩3分
※京阪電車「祇園四条駅」4番出口より徒歩5分
※会場に、駐輪・駐車スペースはございません。ご来場の際は公共交通機関のご
利用をお勧めいたします
主催:手紙社
共催:立誠・文化のまち運営委員会

布博