東京と八ヶ岳の2拠点生活。
〈groovisions〉伊藤弘さんが
コロナ禍で考える働き方とデザイン

自粛期間は八ヶ岳山麓にこもっていた

2020年を迎え、今年はオリンピックイヤーだと思ったのもつかの間、
中国・武漢での新型コロナウイルスの発生が報じられ、
3月には東京オリンピックの延期が正式に発表された。
外の景色を桃色に染めた桜はあっという間に散ってしまった。

コロナ禍において、テレワークが進み、会社に出社しなくても、
さらには都心部に住んでいなくても仕事が成り立つことがわかったという人も多い。
そうした人たちから、2拠点生活が注目されている。

東京のデザイン・スタジオ〈groovisions(グルーヴィジョンズ)〉の代表を務める
伊藤弘さんは6年ほど前から八ヶ岳に一軒家を構え、東京との2拠点生活を送っている。

グラフィックやモーショングラフィックを中心に、音楽や出版、
ファッションやインテリア、ウェブといった多様な領域で存在感を発揮し続ける
アートディレクターで、自転車やアウトドア好きとしても知られている。

コロナウイルスの影響を考え、お子さんの通う小学校の休校が決まった時点で
しばらくの間、八ヶ岳の家で過ごすことを決めたそうだ
(現在は東京の自宅で過ごしている)。

取材は東京の事務所で行い、掲載写真は伊藤さん本人に撮影してもらった。
始まりは、やはり
「コロナ禍、どう過ごされていますか?」である。

「買い物は、近くのスーパーで。
家の周りは住宅が密集しているわけではないけど、
のびのびとスポーツをするのもなんか違う気がして、
家でビールを飲みながらだらだらと過ごしていました」

東京から車で約2時間半、
中央道から少し入ったところに伊藤さんのもうひとつの家はある。

八ヶ岳にある伊藤さんのご自宅。外壁には、都内ではほとんど目にすることない無垢の杉板が一面に使用されている。その風味は、日や雨の当たり方によって年々変化する。

八ヶ岳にある伊藤さんのご自宅。外壁には、都内ではほとんど目にすることない無垢の杉板が一面に使用されている。その風味は、日や雨の当たり方によって年々変化する。

八ヶ岳で過ごした約1か月半は、東京のように大勢の人がいるなかで
自粛していたわけではなかったため、家にいるストレスはあまり感じていなかったという。
それでも、抱えていた仕事やプロジェクトは半分ほどが延期や中止となった。

「資金は必要なので、
ある程度シミュレーションしながらこの先の展開を考えていますが……。
正直、まだ悶々としていて、まだ積極的に動くタイミングではないようです。
うちの事務所は、もともと会議が少なく、ひとりひとりが作業に集中するタイプなので、
作業自体の変化はないほうかもしれません。
今は、手元にあるプロジェクトを各々の場所でゆっくり実行している感じです」

伊藤さん自身、手持ちのMacがあれば日常的な作業はほとんどできてしまうという。
ならば、東京と八ヶ岳に拠点を持ち、パソコンで仕事ができる伊藤さんの暮らしは
これからをどう生きるかのヒントになるかもしれない。

結論を急ぎたくなる気持ちを一旦落ち着かせ、
まずは、伊藤さんが八ヶ岳の家を建てることになった経緯をうかがった。

〈LIFE〉相場正一郎さんの旅コラム
「日常ではなくなってしまった
千葉・平砂浦へのサーフトリップ」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第8回は、カジュアルイタリアン〈LIFE〉のオーナーシェフ相場正一郎さんが
千葉の平砂浦を訪れた話。
新型コロナウイルスの影響で、お店の営業も、趣味のマラソンやサーフィンも
自粛せざるを得ない状況が続いていましたが、
久しぶりにサーフトリップをしたことで自分を見つめ直し、前向きになれたようです。

コロナ自粛で、20代からのルーティンが失われた

今年3月頃から、新型コロナウイルス禍での自粛が本格的になり、
外出自体に制限がかかり、県をまたいでの遠出はもちろんのこと、
近所での買い物すらままならない状況になってしまいました。

僕は飲食業を営んでいるので、その影響を直接に受けました。
政府の外出自粛要請の影響で、お店のお客さまは激減です。
僕の商売として、「ヤバイ」を超えていました。

4月7日の「緊急事態宣言」後には、お店も営業できない状態になり、
僕は毎日、気づけば溜息ばかり。
雇用のこと、お店の継続のこと、そして僕ら家族の生活のこと。
考えればキリがない。

趣味のサーフィンにも行けず。これは愛用のサーフボードとウェットスーツ。

趣味のサーフィンにも行けず。これは愛用のサーフボードとウェットスーツ。

何が一番怖いかというと、「未来」が霞んだこと。
僕にとって、今までに経験したことのない心境に襲われたことが、
自分でももっとも恐怖なことでした。
何が原因かは、まだはっきりと説明できませんが、
今までに経験をしたことがない失望感でした。

世の中の飲食業が、このコロナで大打撃。それは等しく僕らも一緒です。
渋谷区、代々木公園付近で飲食店を2店舗営んでいることもあって、
代々木公園が封鎖されて、ちょっとしたジョギングもできない状態です。

僕は常日頃から毎朝のマラソンは欠かさず、仕事の合間を見つけて、
月に何度か海にサーフィンに行っていました。
僕の唯一のストレス解消法です。

シングルフィンのサーフボードで楽しんでいる。

シングルフィンのサーフボードで楽しんでいる。

その当たり前の日常も一気に失われたようでドキドキしました。
その当たり前のルーティンは、自分でお店を始めてから、崩したことはなかったし、
もっといえば、その前の20代の頃からずっと変わっていません。

しかしこのコロナで「未来への期待」と「毎日のルーティン」が
一気に壊されてしまいました。
つい最近までの普通の日常が、一気に様変わりしてしまったのです。
僕は本当に不安な気持ちでいっぱいになりました。

〈一般社団法人リバーバンク〉
日本の教育の原風景を残すため、
木造廃校舎をかつての姿に戻す

交付金は税金である、という事実

鹿児島県川辺町の地域課題を解決するための団体として、
2018年7月に活動を開始した〈一般社団法人リバーバンク〉。
メンバーは農作業などの仕事が終わってから夜な夜な集まって会合を開き、
やりたいこと、やらないといけないことを挙げていきました。
まずやらないといけないのは、お金の整理でした。

内閣府の「地方創生推進交付金」は3年間にわたって国から給付されます。
3年間の予算上限は決まっていて、
毎年の額やその使途も僕らが申請した計画にそって認められているため、
それを厳密に守って計画通りにやっていかなくてはいけません。

予算のことやこれからの活動について議論は続く。

予算のことやこれからの活動について議論は続く。

これまで、僕が手がけてきたプロジェクトは、自分の会社の仕事にしろ、
企業や行政から依頼された仕事にしろ、もちろん計画を立てて進行はするものの、
実際のプロジェクト内容はやっている途中で変わっていくことがよくあります。
それに応じて予算も変わり、都度調整しながらフィニッシュするというスタイルです。

秋になっていよいよ改修作業が始まった頃。

秋になっていよいよ改修作業が始まった頃。

ところが、今回は自分たちで立てた計画ではあるものの、
承認され交付されれば公のものとなり、それを変更するということは基本的にはできず、
宣言した通りに忠実に実行していくことが求められます。
税金なんだから当たり前だと言われそうですが、
机の上で立てた計画はあくまでも計画にしか過ぎません。
蓋を開けてみたら想定外のことが起きるというケースのほうが多い。
このプロジェクトも例外ではなく、
そういう予算の使い方は初めてだったのでかなり戸惑いながらのスタートになりました。

写真家・田附勝の旅コラム
「八戸のウニ漁から感じた
“ご馳走”の意味」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第7回は、写真家の田附勝さんが、青森県八戸市を訪れた話。
魚をテーマに撮影することを命題に、
地域の漁師に会い、ともに食事をし、関係性を築きながら撮影していく。
そのなかでウニの豊饒さを知り、漁師という生き方に惚れたようです。

八戸に毎月通って撮影した漁師たちの生々しい姿

2006年から東北を巡りはじめ、今では40ほどの地域に足を運んだと思う。
2011年7月には写真集『東北』(リトルモア)が出版され、その3年後に、
写真集を見てくれたという八戸市から魚をテーマに撮影してほしいと依頼があった。
しかし、東北地方を収めた写真集ではあるものの、八戸で撮影したわけではなかった。

いつものことなのだが、ふたつ返事で「いいですよ!」とはならないのが僕で、
八戸を一度案内してもらうように頼んで、まずはリサーチに向かった。
自分が知らない(“感じない”といったほうがいいかもしれない)ことを
安請け合いするのは、どうにも抵抗感がある。

八戸には大きな漁港と近代的な造りの水産加工場がある。
主にとれるのはサバやイカ。
全国規模でみても水揚げ量が多く、地元の産業として生活を支えている。
そんなことを頭では理解したものの、
そもそもの八戸の、魚や海がある人々の暮らしはどんなものなのか。
腑に落ちるにはまだ時間がかかりそうだな、と思った。
“そもそも”なんて発想自体、外からやってきた者の視点に過ぎないのかもしれない。
地元の人にとっては、“そもそも”も何もなく、そこにある土地と切っても切れない、
離れることができない「姿」のようなもの。
それを肌で感じたかった。

船に乗っている漁師たち

富山〈喜代多旅館〉
元県庁職員の3代目おかみが
生家の老舗宿をフルリノベ!

2020年(令和2年)は、北陸新幹線が開業して5年になる。
沿線の富山駅周辺は相次いでホテルの開業が予定されており、
この何年かで景色も大きく変わっていく。
一方でまちの中心部には、戦後間もなく生まれた旅館を4年かけてリノベーションし、
2019年(令和元年)に再オープンさせたおかみがいる。

北陸にある民間宿泊施設のリノベ物件では唯一、ZEB(ゼブ) Ready認証を取得した旅館で、
館内には老舗旅館らしからぬ仮眠室や共有キッチンなど
ホステルのような機能も完備した。
「旅慣れた人に集まってほしい」と願う〈喜代多(きよた)旅館〉の
3代目おかみ・濱井憲子さんの挑戦を聞いた。

旅館らしくない老舗旅館

喜代多旅館。改修や増改築を繰り返した歴史があり、右半分が鉄骨造、左半分が鉄筋コンクリート造。

喜代多旅館。改修や増改築を繰り返した歴史があり、右半分が鉄骨造、左半分が鉄筋コンクリート造。

旅館ときいて、どのような姿を連想するだろうか。
和式の建築に、畳の敷かれた客室があって、
温泉地では天然温泉が楽しめるといったイメージではないだろうか。
2019年(令和元年)にフルリノベーションの工事を経て、
富山市の中心部に再オープンを果たした喜代多旅館は、
その手の先入観を気持ち良く覆してくれる。

バリアフリーのユニバーサルルーム。

バリアフリーのユニバーサルルーム。

まず、喜代多旅館には、足腰のしっかりしない高齢の宿泊客を想定して、
ベッドに寝泊りできるバリアフリーの洋室(ユニバーサルルーム)がある。
室内だけ見れば、どこかの高級ホテルか、品のいいオーベルジュの宿泊施設のようだ。

仮眠室。

仮眠室。

一方で館内には、高速バスユーザーなどを想定した、
早朝と深夜にのみ使用できる仮眠室のベッドが8人分、用意されている。
共用のキッチンがあり、スクリーンカーテンで間仕切りが可能な大部屋があり、
24時間利用可能なシャワールームもある。
こうなると今度は、ホステルのような印象すら受けるはずだ。

2階の共有スペースと、奥には24畳の大広間。

2階の共有スペースと、奥には24畳の大広間。

それでいて、館内全体に洗練されたデザインや設計のおもしろさが見てとれる。
家具類に至ってはリノベーションのために、すべてオーダーメードでつくられた。
一般の旅館と比べると廊下も広く共有スペースもたっぷりと設けられていて、
一方ではいかにも旅館らしい和式の客室も8室用意されている。

〈一般社団法人リバーバンク〉
村の消滅を
健やかに看取るためにできること

リバーバンクをサポートしてくれたメンバーたち

自分たちの居場所をつくろうとやっていた
フェスティバル〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉。
もともとはその運営をしていただけだったものが、
会場だった廃校〈かわなべ森の学校〉の再生に取り組むことになり、
ついに地域の人びとや行政まで巻き込んで
地域課題に取り組む団体をつくることになったのです。

鹿児島県川辺町の地域課題を解決するための団体として、
〈一般社団法人リバーバンク〉は、2018年7月に登記が完了し、
法人としてスタートしました。

法人化したのは、多額の交付金申請の受け皿としての必要に迫られたものですが、
このときも本当にそこまで踏み込んでいいものかどうか悶々と悩みました。

税金である交付金を使って法人運営するということは、
報告義務や説明責任も生まれます。
いままでのように自分たちが楽しむためにやっていた活動とは、レベルが違う。

さらに、この活動がうまくいかなかったら
「やっぱり過疎地域の廃校運営なんてうまくいかないんだ……」という諦念を、
地域に残してしまうのではないか。そんなプレッシャーもありました。
少なくとも10年くらいの長期スパンで活動を考えないと、
中途半端なところでは投げ出せない。ひとりでやりきるのは当然無理があるので、
いままでよりも多くの人を巻き込む覚悟も必要です。

最終的にそれでもやろうと思えたのは、
サポートしてくれるメンバーが周りで手を挙げてくれたからです。
BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)という僕の会社のメンバーも、
会社の営利に関わる活動ではないにもかかわらず、表に裏にサポートしてくれました。

最初のグッドネイバーズ・ジャンボリーから参加してくれている末吉さん。

最初のグッドネイバーズ・ジャンボリーから参加してくれている末吉さん。

ほかにもグッドネイバーズ・ジャンボリーを始めたときから
ボランティアでも参加してくれていて、
ここ数年はボランティアサポーターの取りまとめをしてくれている末吉剛士さん。
彼も自分で人材関係の会社を起業していますが、行政との仕事も多く、
その活動で得た知見を生かして事務局の運営を担ってくれることになりました。

映画『もち』小松真弓監督インタビュー
岩手県一関市が舞台、
「もち」でつないだ地域文化を残す

information

映画『もち』

一関シネプラザ(6月26日〜)・渋谷ユーロスペース(7月4日〜)ほか全国にて公開

(C)TABITOFILMS・マガジンハウス

Web:映画『もち』公式サイト 公開劇場情報

日本の里山のイメージそのままの景観が残る、岩手県一関市の本寺地区。
古くから根づいている、もちの文化を織り交ぜながら、
実際にここに暮らす14歳の少女の1年を追う、みずみずしい映画『もち』が完成した。
神事、冠婚葬祭、人生の節目、そして日常など、ことあるごとに登場するもち。
監督・脚本を手がけた小松真弓さんは、一関のもち文化をどう捉えたのか。
制作エピソードとともに語ってもらった。

“やさしい暗号”が気づかぬうちにすべて消えていく

正月のお雑煮を見てもわかるように、もちの食べ方や供し方は地域によって多種多様。
それだけ古くから根づいてきた食べものといえるが、
全国でも群を抜いて多彩なもち文化のある地域が、岩手県一関市。
伝統的な儀礼や風習をまとめた一関の「もち暦」によると、
もちを食べる機会は年間60回以上。
極端な話、人が集まるところにはもちがあるような地域なのだ。

そんな一関を舞台に、『もち』というストレートなタイトルの映画が誕生した。
主人公は、800年前の景観とほぼ同じ姿で守られてきた本寺地区に暮らす、
14歳の少女ユナ。
映画は雪がしんしんと降り積もるなかで行われる、祖母の葬式のシーンから始まる。

機械ではなく、臼と杵を使ってもちをつきたいと言い出す祖父と、
最初はやや億劫そうにそれを手伝うユナ。
一方、彼女が通う全校生徒14人の中学校の閉校が決まり、
親友は隣町へ引っ越すことになり、
淡い恋心を抱いていた親友の兄は進学で東京へ行くことに。
彼女とその周辺が刻々と変化していく1年を、
儀式の場や日々の食卓にあるもちの風景を映し出しながら綴っていく。
出演しているのは役者ではなくすべて一関の人たちで、
フィクションとノンフィクションの間をたゆたうような作品に仕上がっている。

監督を務めた映像ディレクターの小松真弓さんは、これまで多くの映像作品を手がけ、
劇映画としては2011年に蒼井優主演の『たまたま』を監督している。
仕事やプライベートで世界の多くの国を見てきた小松さんは、
日本という国のいい面も悪い面もあらためて強く感じていた。

「島国だからこそ“自然と人”、“人と人”とのつながりをより深めることが必要で、
そのために先人たちの知恵や教えが暗号のように散りばめられている。
それは舞となって踊られ、物語として語り継がれ、行事として日々の生活に入り込み、
地域に根づく伝統工芸や衣装、文様、方言、
さまざまなものにかたちを変えて受け継がれてきました。
この“やさしい暗号”があったから、
日本人には奥深い思いやりの心が染みついているのだろうと感じています。
そしてその暗号を見つけて意味を知ることができると、
大切に次につないでいかないといけないと思えます」

植物屋〈叢〉店主・小田康平の旅コラム
「三徳山三佛寺奥院投入堂の
壮大なスケールの演出」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第7回は、植物屋〈叢(くさむら)〉の小田康平さんが
鳥取県の〈三徳山三佛寺奥院投入堂〉を参拝した話。
まずは建築の造形に惚れて参拝に向かったようですが、
いざ登ってみると、そのスケール感や
現代にも通じる“ある演出”に強く惹かれたようです。

ひっそりと佇む投入堂に魅せられて

その風貌を初めて見たときから
とても興味を持っていた、鳥取県にある〈三徳山三佛寺奥院投入堂〉(国宝)。
私の地元である広島と同じ中国地方ということもあり、
いつかは行ってみたいと思っていた。
多くの建築家からは、重要な日本建築としてかねてから評価されており、
京都の清水寺と同じく崖に柱を立て、
半分が高床式というとても危なっかしい構造の懸造り(かけづくり)建築。
このふたつの建築物は懸造り建築として国内では双璧とされているが、
自分にとっては華やかで有名な清水寺よりも、
ひっそりと山奥に身を隠す投入堂のほうが好みだ。
そうした投入堂のビジュアルの知識のみで三徳山に向かった。

まずは駐車場からすぐの参詣受付案内所へ。そこでは投入堂拝観の心得を問われる。
「命をかけて登ってください。そしてそのスニーカーではダメですね」と。
甘い考えで運動靴ならいいだろうと勝手に考えて履いてきたスニーカーだったが、
ゴールである投入堂まではかなりの難路ということで、
入峰修行受付所にてわらじを購入し履き替えてチャレンジすることとなった。
多くの参詣者がいたのを物語るように、石段のすり減り方も年季が入る。

履き替えたわらじ。

履き替えたわらじ。

石段からは年季を感じる。

石段からは年季を感じる。

山に入っていくと、受付でいわれた通り、山登りというよりは崖登り。
ほぼ垂直な崖では樹木の根が地上に出ている気根(きこん)を足がかりにして登っていく。
年配の参詣者も多く、
おじいちゃんやおばあちゃんまでもがこの垂直の崖を淡々と乗り越えていく。
登っていくうちに植物相も変化し、麓では見られない高山植物なども現れてくる。

料理家・冷水希三子の旅コラム
「沖縄の離島で塩のルーツを知り、
ヤギカレーをつくり上げた」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第6回は、料理家の冷水希三子さんが沖縄の離島に通ったお話。
いくつかの離島の特産品から着想して、おみやげものや料理を生み出す活動のなかで
たくさんの人、海、食材との出会いがありました。
特に粟国の塩と多良間のヤギ汁が印象的だったようです。

おみやげものとヤギカレーの開発

あまり沖縄に縁がなかった私でしたが、
5年ほど前にお声がけをいただき沖縄の離島に通うプロジェクトがありました。
沖縄にある有人島47島のうち、比較的観光客や観光資源の多くない島を盛り立てて、
雇用も増やしていこうというもの。

方法としては直接的ではないのかもしれませんが、
まずはその島の特産品を使っておみやげものを開発することで、
島の人々のお仕事を増やすこと。
さらにそれらを通して、島のことを知らなかった人たちにも知ってもらいたいという、
小さいながらも地道な活動です。

その島とは、
多良間(たらま)、粟国(あぐに)、渡名喜(となき)、南大東、北大東の5島です。
とはいえ、私は粟国の塩を日々使っているので粟国と、
なんだか天気予報に出てくる南大東を聞いたことがあるくらいでした。

ミッションは、島の特産品を活用した商品を開発すること。
レシピを考えてからそれぞれの島に乗り込み、島のおばあや食品をつくっている方たちに、
つくり方や保存瓶の使い方などを説明して回りました。

最初は「若い、(若くはないですが(笑))、知らない人が来て何をするのやら~」と
人見知りされている状態でしたが、少しずつ心を開いてくださり、
今でもそのレシピでつくってくださっている方々もいて、なんだかうれしいです。

〈かわなべ森の学校〉廃校の残し方。
地域に入り、対話を続けて
再生への道が開けた

予算も法律も……、廃校保存って何から手をつければいいのか?

2010年に僕が鹿児島県川辺町で立ち上げたフェス〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉は、
〈かわなべ森の学校〉を会場にしています。
戦前に建てられた旧長谷小学校で、校舎はかなり老朽化が進んでいました。
しかし2016年、この木造校舎が取り壊しの方向に進んでいったのです。
(地域の廃校への思いは前回vol.004を参照)

愛着のあるこの校舎を残すべく、僕は廃校を保存する活動を始めました。
地域に残された古い廃校をなんとか取り壊しからは救いたい。
その一心で動きだしましたが、
どこから、何をどう手をつけていけばいいものやらまったくわからない。
誰に許可をとればいいのか? 予算は? 法律は?
役場に問い合わせても、この地域では廃校の再生は前例もなく、
誰からも明確な答えが返ってきません。

築90年を乗り越えてきた木造校舎の廊下。

築90年を乗り越えてきた木造校舎の廊下。

とにかく、地元中心にいままでつき合ってこなかったような行政や、
僕らのコミュニティではない人の声も聞かないことには始まらない。
力になってくれそうな人に片っ端から会って話を聞いて回りました。

そんなときに「鹿児島未来170人会議」というイベントの存在を知りました。
県が主催して鹿児島県民170万人の0.01%にあたる170人で
エリアの未来を考えようという趣旨のイベント。
鹿児島県内でさまざまなソーシャルな活動をしている12組がプレゼンをして、
活動を知ってもらい語り合うという場です。
そこに参加すれば、広くいろんな人たちの耳にも届き、なにか糸口がつかめるかもしれない。
さっそくエントリーし、まずはその12組に入れてもらうことができました。

「鹿児島未来170人会議」でのプレゼンテーション。

「鹿児島未来170人会議」でのプレゼンテーション。

しかし、そこで公に向けて発表するということは、
その前に地元の行政や地域の卒業生のみなさんに活動の承認を得ておかなければいけません。
そもそもこの学校のオーナーは南九州市ですし、勝手に突っ走るというわけにはいかない。

それで、幾度となく地元の行政や自治会の会合にも出席して、
森の学校を残す運動を認めてほしいと訴えることから始めました。

自治会での説明会。地区公民館にて。

自治会での説明会。地区公民館にて。

長良川の水辺で全世代教育を。
〈郡上カンパニー〉が生み出す
持続的な地方移住のかたちとは?

〈地方創生ワカモノ会合in松山〉で講演をした〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん。
連載「ローカルで見つける、これからの仕事。」vol.001で行われた
座談会にも参加してくれた岡野さんは、岐阜県郡上市で地域に根ざした
新しい共創のあり方を仲間とともに模索している。
では、郡上で実際にどんな取り組みをしているのか?

自分をリセットする“型”を求めて

東京の広告会社に所属する岡野春樹さんが、
総務省の「地域おこし企業人」という制度をつかって、
一家で岐阜県郡上市に移住したのは2018年6月のこと。

各地で移住者受け入れの取り組みが活発化し、
地方へのUターン、Iターンが現実的な選択肢になりつつある昨今だが、
とはいえ地方で仕事を見つけ、
環境との折り合いをつけるのはまだまだ簡単なことではない。

その点、会社に籍を残したまま郡上に身を移し、
〈Deep Japan Lab〉という一般社団法人を運営する傍ら、
共同体〈郡上カンパニー〉の活動を展開する岡野さんのケースはユニークな事例といえる。

郡上八幡のまちなかを横断する吉田川。

郡上八幡のまちなかを横断する吉田川。

「郡上に移住するきっかけのひとつは、
入社2年目に、ハードワークで体を壊しことだった気がします。
まだ労働時間に寛容な時代だったこともあり、
とにかく体力に任せて毎日深夜まで働き続けていたのですが、
そのうち自律神経を悪くしてしまって……。
あるときから体温が乱高下して、朝手が震えて起き上がることもできない状態になり、
ついにはドクターストップで休職することになったんです」

郡上八幡は水のまち。川や水路がたくさんある。

郡上八幡は水のまち。川や水路がたくさんある。

長期離脱を余儀なくされた岡野さんは、
しばし自身の不調と向き合いながら、再起の道を模索する。
そんななか、貴重なヒントを与えてくれたのは、名のある歌人でもある祖父だった。

「祖父は94歳になりますが、今でも自分のクリエイティビティを守るために、
山を歩く時間や長く風呂に浸かる時間をすごく大切にしている人なんです。
その姿を見ているうちに、
そういえば僕が尊敬する企業家やクリエイターはみんな、自分をいったん“空っぽ”にし、
リセットする型を持っている人が多いということに気がつきました。
自分の中に新たな何かが生まれる隙間を、意図的につくっているわけです」

そう思い至ったとき、原因は環境にあるのではなく、
自分をうまくリセットする術を持たない己の責任なのだと気づかされたという岡野さん。
では、自分にとってリセットの型は何か?

〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん。

〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん。

「この時期は、ジョギングをしてみたり瞑想してみたり、
本当にいろんなことを試していました。そんななかでたどりついたのが“水”でした。
僕は、プールでも銭湯でも水にふれていると妙に心が落ち着くし、
未来志向で物事を考えられることに気がついたんです」

そこで本格的にTI理論という長くゆっくり泳ぐ泳法をプロのコーチから教わり、
プール通いを始めたところ、岡野さんの心身はみるみる快復。
3か月強の休職期間を終えて、職場復帰を果たすことになった。

1千万円貯めて漁師の道へ!
年収も公開する次世代型漁師、
佐藤嵩宗さん・冬奈さん

「イカが釣れない? それならほかの魚を釣ればいい!
潮が悪いし、風が強いし、誰も漁に出ていない。
そんなこと考えている暇があったら10分でも早く海に出たほうがよっぽどいい。
自分の感じている恐怖や不安に立ち向かうことが、
今の自分を救う唯一の活路になるんじゃないかと思います」

とある漁師ブログの、歴史的なイカの不漁について書かれた記事に出てくる言葉だ。
漁業の文脈で発せられたものでありながら、人生訓のようでもある。
この言葉の主に会いたい、と今回は山口県下関市を訪れた。

角島大橋からは、息をのむ絶景を思う存分堪能することができる。

角島大橋からは、息をのむ絶景を思う存分堪能することができる。

遠目に見ると爽やかなエメラルドグリーン、
間近で見ると濃い青の美しさが際立つ海が広がる下関市。

この清らかな海に囲まれた下関市豊北(ほうほく)町で、
独立漁師として生計を立てているのが
佐藤嵩宗(たかむね)さん・冬奈(ふゆな)さん夫妻。
それぞれ32歳、24歳のふたりは若手漁師のホープともいえる。
今回は、北海道出身の嵩宗さんと福井県出身の冬奈さん、
それぞれの地から移住し、生業として漁師を継続していくコツをうかがった。

嵩宗さんが漁師になりたかった理由

「漁は獲物を追い求めていくのがワクワクして楽しい」と嵩宗さん。

「漁は獲物を追い求めていくのがワクワクして楽しい」と嵩宗さん。

今でこそふたりで漁に勤しむ佐藤さん夫妻だが、
もともと漁師になりたかったのは夫の嵩宗さん。
19歳のとき、北海道から上京しSNS関連の会社でノウハウを蓄え、
大阪での起業を経て、再び東京へ。
休みの日をすべて費やすくらいに、とにかく釣りが好きな青年だった。

「これから何十年先、一生の仕事として自分は何がしたいのかを考えるようになりました。
日本中をバイクで回るうちに『自然の中で暮らすっていいなあ』と。
静かなところで暮らせて、好きなことをしてお金を稼いで、
おいしいものが気軽に食べられる。
なおかつ働きたいときに働けて、
自分ひとりで勝負して結果を出す生き方ができるのは……と考えていくと、
それをかなえられるのは漁師だと気づきました」(嵩宗さん)

24歳で漁師になると決めてからは、
さっそく「漁業就業支援フェア」に参加して漁業について話を聞き、勉強をした。

その後、漁協や行政の就漁支援制度を利用して、27歳のときに山口へ移住。

「旅をしていたときに、前に海、後ろに山がある山口はいいなあと思っていました。
空が広くて景色がきれいで災害も少ない。
雪が降らないので雪かきもしなくていいので(笑)」(嵩宗さん)

佐藤さん夫妻の船。「嵩海丸(たかみまる)」の「嵩」は嵩宗さんの名前から取ったそう。

佐藤さん夫妻の船。「嵩海丸(たかみまる)」の「嵩」は嵩宗さんの名前から取ったそう。

はじめの1年間は師匠である漁師につきっきりで漁を行い、2年目では自分の船を買い、
どんどん実践経験を積んだという。こうして、29歳で独立漁師としてデビュー。
独立1年目で「やれる」と確信した嵩宗さんは、
当時、山口・福井間で遠距離恋愛をしていた冬奈さんと結婚した。

嵩宗さんがバイクで日本全国を旅しているとき、冬奈さんの地元である福井でたまたまふたりは出会った。

嵩宗さんがバイクで日本全国を旅しているとき、冬奈さんの地元である福井でたまたまふたりは出会った。

「一緒に船に乗って潜り漁に出るとき、はじめは泳ぐこともできなかったので
浮き輪でぷかぷかしながら旦那の漁を見てました(笑)。
当初、沖の釣り漁では酔って吐いたりしていたことは、今ではいい思い出です。
それでもどんどん慣れて、今では6、7メートル下のアワビもとれるようになりました」
(冬奈さん)

猫の飼い主同士をつなぐ
マッチングサービス〈nyatching〉。
福岡からペットの殺処分ゼロを目指す

〈地方創生ワカモノ会合in福岡〉で講演をした
〈nyatchig(ニャッチング)〉というサービスを展開する谷口紗喜子さん。
京都で生まれて、東京と大阪で2年ほど働いた後、福岡市に移住。
会社員として働くうちに、現在のサービスを思いついた。
〈Fukuoka Growth Next〉などの創業支援もあり、福岡にて起業した谷口さんに、
実際の事業展開や起業ストーリーを伺った。

猫好きが集まるコミュニティをつくる

ひと昔前までは、ペットといえば犬が多かった。
しかし、近年では室内で飼いやすい猫をペットに選ぶ傾向になり、
2017年には猫の飼育頭数は犬のそれを超えている。

そんなペット事情の変化を教えてくれたのが谷口紗喜子さん。
谷口さんはまさに猫にスポットを当てたさまざまなサービスを提供する
〈nyans(ニャンズ)〉を起業し、代表取締役を務めている。

「ペットホテルはケージが狭いから猫がかわいそう」
「預け先がないから猫が飼えない」
「犬と違って外へ猫と一緒に散歩に出かけないから、猫の飼い主の友だちができにくい」
nyansは、そんな悩みを抱えている猫の飼い主、
そして純粋な猫好きの人々がメインターゲット。
マッチングならぬ“nyatching(ニャッチング)”を通じて、
困ったときや必要なときに登録者同士で互いに猫を世話し合ったり、
愛猫の誕生日を一緒に祝ったり、
もし迷子になるようなことがあれば捜索を手助けしたり、
猫をきっかけとしたあたたかいコミュニティを日本中に広げることを目指している。

利用したいユーザーは公式サイトから居住地などの個人情報を登録。
その後、サイトの利用者同士でメッセージをやり取りし、
猫好きたちが親睦を深めていく仕組みになっている。

新入「猫」社員の小春ちゃん。

新入「猫」社員の小春ちゃん。

犬の場合、飼い主が外へ散歩に出かければ、別の飼い主と道で出会うことができる。
公園に行って愛犬と一緒にベンチに座っていれば、
同じような犬の飼い主に声をかけられることもあるだろう。
しかし、室内で飼うことが多い猫の場合、その機会が少ない。
猫の飼い主と外で出会う可能性は、犬よりも断然低いのだ。

「その場に猫がいるわけではないので、
『猫を飼っていますか?』とでも声をかけない限り、飼い主なのかどうかわかりません。
そのため、飼い主同士の情報交換もままならないという状況になりがち。
そういった意味で、猫の飼い主に関するデータはとても集めにくいんです。
もともと集積しにくいデータであることに加え、昨今は猫ブームですから、
私たちのビジネスプランは絶対にうまくいくと思えました」

昨今の猫ブームがnyatchingの追い風になっているのだという谷口さん。

昨今の猫ブームがnyatchingの追い風になっているのだという谷口さん。

nyatchingのサービス内容だけに目を向けると一般消費者向けだ。
しかし最初からそこで大きな収益を出そうと考えていなかった。

「猫の飼い主が集まるコミュニティを持ち、
猫の飼い主たちにまつわるデータを集積していることで、
そのデータをBtoBの取引に活用して収益を図るというビジネスプランです。
例えば、私たちが得ているデータをベースにして、メーカーと協力することで
完成度の高い猫向け商品を独自に開発することが可能になります」

『影裏』大友啓史×『もち』及川卓也
岩手を舞台にしたふたつの映画で語る、
ローカルとクラフトムービー

大河ドラマ『龍馬伝』や映画『るろうに剣心』『3月のライオン』などで知られる
大友啓史監督の最新作『影裏(えいり)』が、2月14日に公開となる。
本作は、大友監督の故郷・岩手県盛岡市を舞台にした芥川賞受賞の同名小説が原作で、
オール岩手ロケで撮影された。
一方、コロカル統括プロデューサーの及川卓也も、
故郷・岩手県一関市の食文化をテーマにした
映画『もち』をエグゼクティブプロデューサーとして製作。
これは4月から渋谷ユーロスペースや一関市内で上映される。

ともに高校卒業後に故郷を離れ、
あえて東京から岩手を見続けてきた、いわゆる「関係人口」ともいえるふたり。
岩手への思いや、地方ならではの「地に足をつけた生き方」、
岩手を舞台にした映画に託したメッセージなどを語り合った。

バンカラ(ハイカラに対抗し、あえて粗野で男らしい学生服などを好むスタイル)の伝統が残る高校出身、『POPEYE』『Hot-Dog PRESS』が流行った時代に高校生活をおくるなど、共通点が多いふたりの話は弾む。

バンカラ(ハイカラに対抗し、あえて粗野で男らしい学生服などを好むスタイル)の伝統が残る高校出身、『POPEYE』『Hot-Dog PRESS』が流行った時代に高校生活をおくるなど、共通点が多いふたりの話は弾む。

初任地の秋田で芽生えた、「リアリティ」の表現への思い。

及川卓也(以下、及川) 『影裏』は、主人公の青年、今野(綾野剛)が、
見知らぬ土地で唯一心を許した友、日浅(松田龍平)との出会いと別れを経験し、
その後、姿を消した友の本当の姿を探しながら喪失と向き合い、再生していく物語です。
盛岡が舞台なので、全編を監督の地元である岩手で撮影していますが、
撮影中の故郷はいかがでしたか。

大友啓史(以下、大友) 高校を卒業してからずっと県外で暮らしていたので、
今まで知らなかった盛岡・岩手の魅力をたくさん発見しました。
映画のフレームを通して故郷を再発見していく今回の映画づくりは、
とてもおもしろくて刺激的で、「灯台下暗し」だなあと。

及川 おっしゃるとおりです。外から見て初めて、発見することも多いですよね。

大友 同時に、かつて「イケてない」と思っていたことが、
「イケてる」ということにも気づきました。
僕が東京で学生時代を送っていた頃はちょうどバブル期で、
「文化の中心は東京」というムードがあり、そこで暮らすことが楽しかった。
ですから帰ろうとは思わなかったし、
たまに帰ると、若いから、嫌なところばかりが目についていて……。

今野秋一(綾野剛)は、会社の転勤で移り住んだ岩手・盛岡で、日浅典博(松田龍平)と出会う。慣れない地でただひとり、日浅に心を許していく今野。しかし、次第に今野の知らなかった日浅の顔が見えてくる。(『影裏』)

今野秋一(綾野剛)は、会社の転勤で移り住んだ岩手・盛岡で、日浅典博(松田龍平)と出会う。慣れない地でただひとり、日浅に心を許していく今野。しかし、次第に今野の知らなかった日浅の顔が見えてくる。(『影裏』)

及川 僕も同じです。
バブル期に定着した「お金を稼いで消費するライフスタイル」を謳歌していました。
フリーランスのライター・編集者としてサブカル系の記事や話題を扱い、
その後、雑誌『an・an』の編集部で働いて、とにかく東京での生活が楽しかったですね。

大友 あの頃は、東京自体がひとつのメディアという感覚があり、
地方に住んでいる人は「東京を経由しないと何も発表できない」と感じていました。
それなのに、最初に入社したNHKで赴任したのが秋田県。
東京のような刺激や華やかさがない「地方」赴任、
どうしよう、大丈夫かなあという意識でしたね。

及川 え、そうだったんですか。

大友 当時は秋田新幹線が開通しておらず、
盛岡からローカル線に乗り換えて行ったのですが、窓から見える景色が、
家屋が減ってどんどん寂しくなるにつれ自分の気持ちも寂しくなり、
「ああ、ここで3、4年暮らすのか……」と思いました。
ところが「住めば都」で、地元の特産品や祭り、言葉などにふれ、
そこで暮らす人々の「地に足をつけた生き方」を知りました。
そして、バブルの頃に触れたピカピカなものよりも、
手垢の残っているもの、汗をかいた痕跡、エイジングといった、
人の体温が感じられ、生きている証が見える「リアリティ」に、
何よりも惹かれていったんです。
今の僕が作品のなかで表現する「リアリティ」というものへの執着は、
この頃に芽生えた気がします。

ひとりで映画館に通った高校時代、暗闇の中で観た映画の香りや手触りが忘れられない。こういう映画をつくりたいという思いが、『影裏』の根底にあるような気がする」と大友監督。

ひとりで映画館に通った高校時代、暗闇の中で観た映画の香りや手触りが忘れられない。こういう映画をつくりたいという思いが、『影裏』の根底にあるような気がする」と大友監督。

フェス開催の危機!
鹿児島県川辺町の廃校も取り壊し寸前。
あらためて廃校問題を考える。

フェス会場だった廃校が取り壊しの危機に

2010年に僕が鹿児島県川辺町で立ち上げたフェス
〈グッドネイバーズ・ジャンボリー(以下、GNJ)〉は、順調に回を重ねていました。
(立ち上げまでの物語はこちらから)
次第に地域では夏の終わりの風物詩として認識してもらえるようになり、
協力してくれる人や協賛してくれる企業も増えてきました。
ところが7回目の開催を迎えようとしていた2016年に、
ショッキングなニュースが飛び込んできました。

たくさんの人であふれる校庭。

たくさんの人であふれる校庭。

それは、地元自治体の議会で、
GNJの会場である〈かわなべ森の学校〉を閉鎖し、取り壊すという知らせでした。

かわなべ森の学校は、戦前に建てられた旧長谷小学校。
その校舎はかなり老朽化が進んでいました。
それでも地域の卒業生の方々が中心になってイベントや集会に使う場所として
大切に維持してきたのですが、
老朽化とともにイベントなどでの稼働も少なくなっていました。

年に1回、僕らのフェスティバルが夏に行われるのと、
地域の人々が秋に「森の収穫祭」というイベントを開催していましたが、
あとは少人数の集まりがちらほらある程度。
日数ベースの年間稼働率でいうと5%ほどになっていました。

あちこちほころびが目立つようになってきた校舎。

あちこちほころびが目立つようになってきた校舎。

どこの地域でも、廃校になった学校は、だいたいは地元自治体が管理をしています。
それゆえ年間数日しか使われない施設に維持費を出し続けるというのは、
人口減少の止まらない自治体としては厳しい。
戦前の木造校舎は耐震という観点からも危険性があるため、
今のうちに取り壊したほうがいいという意見は以前からもありました。

さらにこの廃校の維持をボランティアとしてがんばってきた地元の卒業生の人たちも、
だんだんと高齢になっています。
オーナーである自治体が維持のための予算をつけないのであれば、
「ここらが潮時かもしれない」というあきらめのような雰囲気も漂っていました。

さらに2016年には隣の熊本県と大分県で大規模な震災が起きました。
そのことも影響し、いよいよ倒壊の危険性のある老朽化した建物の維持を止め、
取り壊しもやむなしという方向に拍車がかかってしまったのです。

老朽化が進む木造校舎。

老朽化が進む木造校舎。

しかし、地元の人たちや外から関わる僕らだけでなく、
年に数度かもしれないけれど毎年イベントのたびにかわなべ森の学校に通って、
この場所に愛着を持っている人たちが全国にたくさんいます。
取り壊しの知らせにショックを受けながら、
本当にこのまま指をくわえて見ていていいのかと何度も自問しました。

人に寿命があるように、建物にも寿命があります。
古いものをただなんでも残せばいいというものではない、ということはわかっています。
しかし、ここには日本の教育の原風景のような建物が
ほとんど手を加えられずそのまま残っています。
気温や湿度が高く、木造建築が傷みやすい鹿児島では特に珍しい。
壊すことはすぐできますが、つくり直すことは二度とできません。
失ってしまうものはとても大きい。

農業改革を提案するドコモ女子
〈アグリガール〉に聞く!
“ローカル”で働くということ

〈地方創生ワカモノ会合in新潟〉で講演をした
〈NTTドコモ〉の大山りかさんが立ち上げた〈アグリガール〉プロジェクト。
「ローカルで見つける、これからの仕事。」連載のvol.001で行われた
座談会に参加してくれた大山さんは、その概要を紹介してくれた。
そこで実際の現場のひとつである新潟のアグリガールの仕事を取材した。

モバイル牛温恵をきっかけとした畜産農家とのコミュニケーション

〈NTTドコモ〉といえば、ケータイなどの通信サービスを提供する大企業、
そんなイメージが先行する人がほとんどだろう。
実際はそれだけでなく、その通信インフラや技術を生かし、
さまざまな分野の課題解決に寄与する取り組みを行う会社でもある。

なかでも、農業従事者の減少や高齢化など、日本の農業が抱える課題を
ICTソリューションや、ドコモのノウハウを用いて
解決に導くプロジェクトチーム〈アグリガール〉が、年々注目を集めている。

ドコモの女性社員によって形成されるアグリガールは、現在全国に150人以上。
農家、JA、自治体と連携しながら、農業生産者のサポートと、農業の活性化を目指している。

今回紹介する、ドコモCS新潟支店に勤務する市橋 咲さんも
アグリガールのひとりだ。

幼い頃から環境問題や社会課題に強い関心を持っていた市橋 咲さん。ケータイの販売だけでなく、農業をはじめとした新しい事業にチャレンジできるアグリガールの存在を知り、ドコモに入社。東京生まれの埼玉育ちだが、自ら新潟勤務を希望したという。

幼い頃から環境問題や社会課題に強い関心を持っていた市橋 咲さん。ケータイの販売だけでなく、農業をはじめとした新しい事業にチャレンジできるアグリガールの存在を知り、ドコモに入社。東京生まれの埼玉育ちだが、自ら新潟勤務を希望したという。

田・畑・畜産、さらには水産分野まで、
アグリガールが提案するソリューションはさまざまだが、
そのなかのひとつに、牛の分娩監視システム〈モバイル牛温恵(ぎゅうおんけい)〉がある。
これは、牛の分娩の24時間前、破水時、SOS時などを正確に検知し、
農家にメールで通知してくれるというもの。

新潟県村上市の畜産農家〈santaふぁーむ〉は、
市橋さんらの提案により、2019年にモバイル牛温恵を導入したばかり。

モバイル牛温恵は大分県のベンチャー企業〈リモート〉が開発したシステム。ドコモは通信面と販売面でサポートしている。熱意ある会社の優れた技術と、ドコモの地盤であるスマホやタブレットを連携させ、それぞれの強みを生かした。アグリガールは、タッグを組む企業の発掘から農家への提案まで、あらゆる分野に関わっている。

モバイル牛温恵は大分県のベンチャー企業〈リモート〉が開発したシステム。ドコモは通信面と販売面でサポートしている。熱意ある会社の優れた技術と、ドコモの地盤であるスマホやタブレットを連携させ、それぞれの強みを生かした。アグリガールは、タッグを組む企業の発掘から農家への提案まで、あらゆる分野に関わっている。

新事業によって、仕事の負担が大きくなった頃、
村上地域振興局からモバイル牛温恵とアグリガールを紹介された。

「1週間以内には産むだろうという牛を、ずっと気にかけて過ごしたり、
24時間態勢で牛につき添ったりしていると、どうしても体に負担がかかるんです。
1~2頭ならまだしも、頭数が多いほど大変で。
でもモバイル牛温恵があれば、分娩の24時間前や、破水時に知らせてくれるので、
精神的にかなり楽になりましたね。今では完全に頼りきっています」(三田さん)

三田さんは、モバイル牛温恵の導入に満足そうだ。

〈ukishima〉小川優子さん
起業やアイデア、やりたいことを
実現できる場づくり

ずっとやってみたかったことをまずは口に出してみること、
身の回りを等身大で良くしていくこと。それらは毎日の心持ちを豊かにしてくれる。
小さな、けれども着実な一歩を踏み出せるよう、
まちの人の挑戦を後押ししてくれる場所があると聞いて、
今回は山口県萩市のコミュニケーションスペース〈ukishima〉を訪れた。

古民家をリノベーションしたという〈ukishima〉。外壁のトタンが粋な味を醸し出していた。定期船の汽笛や軽トラでまちを巡回する竿竹屋さんの歌声が聞こえ、のんびりとした雰囲気だ。

古民家をリノベーションしたという〈ukishima〉。外壁のトタンが粋な味を醸し出していた。定期船の汽笛や軽トラでまちを巡回する竿竹屋さんの歌声が聞こえ、のんびりとした雰囲気だ。

吉田松陰などの名士を数多く生み出し、城下町の風情が残るまち並みも魅力的な萩市。
そのなかでも日本海にほど近い「東浜崎」というエリアに、
〈はぎ地域資産株式会社〉の運営する〈ukishima〉はある。

この〈ukishima〉で、「u-pitch」(ユーピッチ)というプレゼン会を開いたり、
「やりたいことの解像度」を高めるワークショップを企画・運営しているのが
奈良県出身の小川優子さん。小さなまちならではの“充実”のあり方とは。
萩に移住した彼女に話をうかがった。

海を近くに感じながら自然体で暮らす

奈良県生まれ、奈良県育ちの小川さん。
以前は大阪で、デザイナーズブランドのアパレル販売員として働いていた。
萩に来るきっかけとなったのは、
東京にある〈Nui.〉というホステルとの出会いだったという。

萩は何回か会ううちにすごくかわいがってくれる、あたたかい人が多いと小川優子さん。まちの人は「萩には何もない」と言うが、小川さんが萩のことが好きだ!と褒めまくると「へ〜!まあな!」とかわいらしい返事が返ってくるそう。

萩は何回か会ううちにすごくかわいがってくれる、あたたかい人が多いと小川優子さん。まちの人は「萩には何もない」と言うが、小川さんが萩のことが好きだ!と褒めまくると「へ〜!まあな!」とかわいらしい返事が返ってくるそう。

「内観のデザインに惹かれて〈Nui.〉について詳しく調べていたら、
デザイナーの東野(あずの)唯史(現REBUILDING CENTER JAPAN代表取締役)さんが
手がけた建物が山口県の萩市にもあると知りました」

その建物とはゲストハウス〈ruco〉のこと。大工、左官屋、家具職人など、
ものづくりのプロと協力しながら建物をつくりあげていく記事の内容
萩の素材を散りばめ、
地元の職人さんと一緒につくった
ゲストハウス
「ruco」
medicala vol.2
)に
おもしろさを感じたそうだ。

〈ukishima〉の本棚。

〈ukishima〉の本棚。

「もともとものづくりが好きというのもあったし、
そういう職人さんたちと実際にお話できたらいいなと思って。
海の近くに住みたいというのもあったので、萩がピンときた感じです」

こうして2015年5月に小川さんは〈ruco〉を訪れ、
3か月の間ヘルパーとして働かせてもらうことになった。

「〈ruco〉では、仕事も性別も関係なくいろんな人が仲良くしてくれました。
周りの人から『萩のまちをこんな風にしていきたい』
『自分でこういうことをやってみたい』という話を聞くうちに、
私自身も『自分には何ができるんだろう』と意識して考えるようになりました」

「萩にはものすごくきれいな海が本当にすぐ近くにあって、贅沢な環境だなあと思いました」(小川さん)

「萩にはものすごくきれいな海が本当にすぐ近くにあって、贅沢な環境だなあと思いました」(小川さん)

「そういう姿ってすごくかっこいいなあと思って。
それに、萩には自然体な人が多いんですよね。
かっこつけすぎていないというか、自分のダメなところもさらっと話せてしまう、
ありのままな感じがいい。
最後は『どうしたら萩に住めるのか』ということばかり考えていました(笑)」

〈まこっこ農園〉
才木誠さん・祥子さん
身の丈に合わせた「つながる農業」

のどかな風景が広がり、白ネギがやたらとシャキッとして植わっている。
遠目に眺めると、びっしりと連なるその列が緑のじゅうたんのようだ。

自然豊かな山口県宇部市で、この葉っぱまで丸ごと食べられる白ネギや
フルーツのように甘いミニトマト〈アイコ〉を中心に、
野菜を育てているのが〈まこっこ農園〉の才木誠さん・祥子さん夫妻だ。

宇部で農業を始めてから、今年で10年目。
蛍が生息するきれいな清水を使い、菌の多様性を最大限に生かす農業に取り組んでいる。

創業当初からつくり続けているミニトマトの〈アイコ〉。細長い形が特徴。

創業当初からつくり続けているミニトマトの〈アイコ〉。細長い形が特徴。

もともとは、夢と憧れを抱き、経験ゼロで農業の世界に飛び込んだふたり。
同じくゼロから新規就農し、子育て世代である若手農家5組で
〈情熱農家プロジェクト toppin〉というグループを結成した。
埼玉県出身の誠さんと山口県宇部市出身の祥子さんはどのようにして農業を始め、
継続し、そのスタイルを確立してきたのか、お話をうかがった。

想いを生かせる販路を見つける

〈おかわりカラフルトマト〉。トマトは産直アプリ「ポケットマルシェ」で直販を行っている(収穫期間中のみ)。〈サンココア、アイコ、サンチェリー、サンオレンジ、サンイエロー、サングリーン〉。時季に応じて多様なミニトマトがぎっしり入っている。

〈おかわりカラフルトマト〉。トマトは産直アプリ「ポケットマルシェ」で直販を行っている(収穫期間中のみ)。〈サンココア、アイコ、サンチェリー、サンオレンジ、サンイエロー、サングリーン〉。時季に応じて多様なミニトマトがぎっしり入っている。

トマトと白ネギの生産を主軸にしている〈まこっこ農園〉。
季節に応じて、キャベツやスナップエンドウなどの野菜もつくっている。
農園のモットーは「食べることを楽しく」だ。

「『葉っぱの部分なんて今まで食べてなかった』という人が食べてくれるようになったらうれしい」と祥子さん。

「『葉っぱの部分なんて今まで食べてなかった』という人が食べてくれるようになったらうれしい」と祥子さん。

「例えば、カラフルトマトみたいに
見た目でパッと気分が上がる野菜をつくりたかったんです。
葉っぱの部分まで食べられる白ネギなら、新しい食べ方ができるし楽しくなりますよね」
(祥子さん)

そうした自分たちの想いを守りながら農業一本で食べていくためには、
なにより販路の選択や販売方法が要になる。

「ミニトマトは、近くに産地がないんですよね。
個人で出荷するので数や量ではなく味や彩りといった
量以外の勝負をしていこうと考えました」(誠さん)

就農当時に手がけていたお茶は、
家族経営という自分たちの農業スタイルと照らし合わせて考えた。

「お茶は全国的に価格が低迷していて、そのなかで活路をつくることができず、
結局、野菜に専念することにしました。
ただお茶は今でも大好きで、日本茶インストラクターの資格を生かし、
地元の小学校などで“茶育”を続けています」(祥子さん)

祥子さんの家族の知り合いや飲食店への直販は、初期の頃から行っていた。

祥子さんの家族の知り合いや飲食店への直販は、初期の頃から行っていた。

店舗でも、特徴やこだわりをポップなどで伝え、付加価値をつけるようにしたという。

「その効果もあって、野菜を買ってくださるお客さんが少しずつ増えてきました。
売れるということで評価が見えやすいということが、
自分たちのやりがいにもつながったと思います」(祥子さん)

岡野春樹×大山りか×及川卓也
ローカルで働くには、
「入り方」と「ふたり目」が大切だ

2019年5月から11月にかけてG20関係閣僚会合と連動して行われた
地方創生ワカモノ会合」。
ICTやファイナンス、観光、働き方改革など、
さまざまな視点から地域の可能性を探る場となった。

ここであらためて、地方創生ワカモノ会合の登壇者でもある
〈郡上カンパニー〉の岡野春樹さん、
〈アグリガール〉(NTTドコモ)の大山りかさんを招き、
地域からアプローチするニッポンの可能性について考える座談会を独自に開催。
ファシリテーターはコロカル編集長・及川卓也が務めた。

日本人と土地の関係を探求するため、郡上へ移住

及川卓也(以下、及川) 本日は「地方創生ワカモノ会合」のゲスト登壇者おふたりを
お招きして、地方で暮らすこと、
そして地方で働くことの可能性についてお話したいと思います。
まずはおふたりそれぞれ、簡単な自己紹介とご自身の活動について教えてください。

岡野春樹さん(左)と大山りかさん(右)。

岡野春樹さん(左)と大山りかさん(右)。

岡野春樹(以下、岡野) 僕はもともと東京の広告会社で、
自治体のブランディングなどに携わっていました。
昨年6月から岐阜県郡上市に移住して、
現在は一般社団法人〈郡上・ふるさと定住機構〉を運営する傍ら、
土地にひもづいた学びの場づくりを目的に、〈郡上カンパニー〉を立ち上げ、運営しています。

こうして地方に着目するようになったきっかけは、ハードな労働環境に体を壊し、
ついには自律神経のバランスを崩して休職したことでした。
そこで当時はやり始めていたマインドフルネス(今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること)などの
勉強をしたりしているうちに、
一流の起業家や研究者などはみんな、
自身のバランスを整える“型”を持っているということに気づいたんです。

それは生活習慣であったりスポーツであったりさまざまなのですが、
自分にとってのその型は何だろうと思い、いろいろと試していたところ、
どうやら水に浸かることが大切らしいと気づきました。
プールでも銭湯でも、あるいはどこかの河川でも、
水に触れる時間をしっかり確保できてさえいれば、
自分は未来志向で物事を考えられるんです。実はこのことが移住の遠因だったと思います。

及川 そこで岐阜県の郡上市を選んだのは?

岡野 職場に復帰してから、
仲間と一緒に「日本みっけ旅」という全国の地域を巡る活動をしていたのですが、
その活動のなかで郡上を訪れる機会があったんです。郡上は長良川の源流域です。
あるとき、郡上の人の案内で、夜の川で遊ぶ稀有な経験をさせてもらいました。
真っ暗な川で魚をとり、それを焚火で焼いて食べながら、竹筒で日本酒を飲む。
これが僕にとってとても衝撃的な体験でした。

おもしろいもので、つくり込まれたワークショップよりも、
そうして自然の中で焚き火を囲んでいるときのほうがみんな、本音で話せるし、
いいアイデアを口にすることが多い気がします。
そのとき、人間はコンクリートに囲まれた都会よりも、土や川に近い場所で、
その土地に浸りながら活動するのが本来の姿なのではないかと気づかされたんです。
郡上の人に教えられた、身体感覚も含めた土地との関わり方を大切にした
学びの場を立ち上げようと。それが、郡上カンパニーだったわけです。

コロカル編集長の及川卓也がファシリテーターを務めた。

コロカル編集長の及川卓也がファシリテーターを務めた。

〈ジェラテリア クラキチ〉
藤井蔵吉さんの
好きなものに突き進むお店のつくり方

周南市の徳山駅付近では近年「好きなこと」をベースにお店を開業する
若者が増えているという。
寂しげだった商店街に賑わいを生み出しているお店のひとつが
ジェラート店〈ジェラテリア クラキチ〉だ。

「朝搾りミルク」「高瀬茶抹茶」などの定番ジェラートのほか、「フランボワーズの真っ赤なソルベ」など色鮮やかな季節のフレーバーが並ぶ。

「朝搾りミルク」「高瀬茶抹茶」などの定番ジェラートのほか、「フランボワーズの真っ赤なソルベ」など色鮮やかな季節のフレーバーが並ぶ。

周南市出身の藤井蔵吉さんが営む〈ジェラテリア クラキチ〉では、
常時10種類ほどのジェラートやソルベを手づくりしている。
なかでも、藤井さんの実家である〈藤井牧場〉産の牛乳が生かされた
「朝搾りミルク」が絶品だ。
すっきりさとコクが共存する〈ジェラテリア クラキチ〉のジェラートには、
固定客が多い。毎日足を運ぶ人もいるという。

今回は、Uターンしてから〈ジェラテリア クラキチ〉を開業した藤井さんに
話をうかがった。

ジェラートづくりには実験のような楽しさがある

実家の〈藤井牧場〉から直送される生乳。そのまま飲ませてもらったところ、ほのかな甘みでさっぱりとしており、とてもおいしかった。

実家の〈藤井牧場〉から直送される生乳。そのまま飲ませてもらったところ、ほのかな甘みでさっぱりとしており、とてもおいしかった。

地元から近い広島の高校を卒業後、北海道の畜産大学に進学した藤井さん。

「純粋に生物や化学、特に実験が好きだったので、大学でも勉強したいなと思って。
北海道を選んだのも、当時〈ムツゴロウ王国〉に憧れていたからでした」

〈民宿ふらっと〉発酵食品で
能登イタリアンを完成させる。
外国人シェフが営む宿

半年先まで予約で埋まる石川・能登の民宿

能登半島の先のほうにある能登町から海を眺めると、
ちょうど富山県の立山連峰が海越しに見える。
その美しい景色を一望できる高台に、週末ともなれば半年先まで
予約で埋まることもある民宿がある。
オーストラリア人のベンジャミン・フラットさんと
能登町出身の船下智香子さんが営む、1日5組限定の〈民宿ふらっと〉だ。

今ある暮らしと伝統を、おすそ分けする場所

民宿ふらっとの様子。森に自生する木々が、宿の背後に勢いよく盛り上がっている。海と森、その両方を楽しむには絶好の環境だ。

民宿ふらっとの様子。森に自生する木々が、宿の背後に勢いよく盛り上がっている。海と森、その両方を楽しむには絶好の環境だ。

国内外から旅行者を引き寄せる民宿ふらっとの看板商品は、
能登の食材、能登の発酵食品を料理に生かした、
通称「ベンさん」のつくる能登イタリアンだ。

ベンさんは13歳から「farm to table」(身近な農場で採れた食材を調理に生かす)を
テーマにする実家のレストランで手伝いを始め、
シドニーにあるイタリアンレストランでは料理長を務めるまで、キャリアを磨いてきた。
イタリア料理は、土地の食材を生かす地産地消が多い。
能登に来たベンさんの考えも同じで、「地のもの」を重んじる姿勢は、
地元の漁港で揚がった魚介類を受け、
メニューが当日に決まるスタイルを見てもわかる。

アオリイカのアラギターラ。宇出津港で上がったアオリイカを使った手打ち生パスタ。(写真提供:民宿ふらっと)

アオリイカのアラギターラ。宇出津港で上がったアオリイカを使った手打ち生パスタ。(写真提供:民宿ふらっと)

調理では地元産の魚介類に、自分でつくった発酵食品の調味料「いしり」や
自家製ドレッシングなどを使って、手を加えていく。
使われる大根や干し柿なども敷地内の菜園や果樹園で採れる食材で、
食卓に並ぶパンも近隣にあるなじみのパン屋から仕入れている。

調味料のいしりとは地域によって「いしる」とも言い、
能登町ではイカを原料につくる発酵食品の魚醤油(うおじょうゆ)だ。
ベンさんは、こうした能登の発酵食品を大胆に取り入れ、
独自の能登イタリアンを完成させた。

特にいしりについては、もともと民宿の経営をしていた智香子さんの両親が、
だしや調味料として料理に使っていた。
魚介の香りが豊かなこの地元食品が、
べンさんのつくるイタリア料理の隠し味になっているのだ。

ベンジャミン・フラットさん。(写真提供:民宿ふらっと)

ベンジャミン・フラットさん。(写真提供:民宿ふらっと)

総合格闘家・宇野薫の旅コラム
「徳島とブラジリアン柔術、
不思議なコミュニティの循環」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第5回は、総合格闘家の宇野薫さんが
徳島に家族で遊びに行った話から始まります。
しかしただ遊びに行くだけではなく
格闘技やブラジリアン柔術を経由することで大きく膨れ上がり、
宇野さんを徳島にどんどん引き込んでいったようです。

すべては試合用のトランクスから始まった

総合格闘技の試合をするときのコスチュームには、いろいろなタイプがあるが、
僕はピタッとフィットしたタイプのものを使っている。
古いタイプの水着のようなカタチ、といえばわかりやすいかもしれない。

2012年頃から愛用しているのは〈ナルトトランクス〉のものだ。
いまはサーフトランクスがファッションアイテムとしても人気を博しているが、
昔からスイムウェアをつくり続けてきたブランドである。

ナルトトランクスがつくってくれた試合用コスチューム。(写真提供:SUSUMU NAGAO)

ナルトトランクスがつくってくれた試合用コスチューム。(写真提供:SUSUMU NAGAO)

ナルトトランクスは名前からわかる通り、徳島県鳴門市に工房を構えている。
2代目の山口輝陽志さんに誘われ、初めて鳴門に遊びに行ったのは、
2014年の夏休みだったと思う。

僕が住んでいる横浜から車で8〜10時間かけて、家族みんなでドライブだ。
鳴門に着いてからはサーフィンをしたり、海や川で遊んだり、釣りをしたり。
自然のなかで遊ぶことがほとんど。
普段は例に漏れずゲームが好きな子どもたちも、ここぞとばかりに楽しんでいた。
それ以来、宇野家の徳島行きは、毎年夏休みの恒例行事となっていった。

徳島の海を満喫。

徳島の海を満喫。

アパレルで伝統文化をつなぐ。
〈スノーピーク〉が
〈LOCAL WEAR〉プロジェクトで
見据える未来とは?

〈スノーピーク〉だからできるアパレルを

アウトドア用品の総合メーカーである〈スノーピーク〉が、
2018年からスタートした〈LOCAL WEAR by Snow Peak〉プロジェクト。
これは各地域に根づく伝統的な技法に特化して製品づくりを行う
新しいアパレルラインであり、
その主目的は伝統文化を次の世代に継承していくことにあるという。

そもそもスノーピークが、
アパレル事業に本腰を入れ始めたのは今から5年ほど前のこと。

現在、代表取締役副社長CDOに就く山井梨沙さんが、
ファッションデザイナーのキャリアを経て同社にジョインしたのがその端緒。
山井梨沙さんは創立者の幸雄氏を祖父に、
そして現社長の太氏を父に持つ、いわばスノーピークの3世代目にあたる人物だ。

新潟・燕三条にあるスノーピーク本社。実に創業62年目を迎える老舗アウトドアメーカーだ。

新潟・燕三条にあるスノーピーク本社。実に創業62年目を迎える老舗アウトドアメーカーだ。

「ファッション系の大学を出たあとは、ずっと東京でデザイナーをやっていました。
ところが、デザイナーとしてやっていくことに行き詰まりを感じ、
なぜ自分はアパレルの世界に身を投じたのか、
この分野で自分は何をやりたいのかを見つめ直すようになりました。
そんななかで、スノーピークでしかやれないアパレルというものが
あるのではないかと思うようになり、入社を決めました。
もともと家業に収まるつもりはまったくなかったので、自分でも意外な選択でしたね」

山井梨沙さんの入社は2012年。ほんの8年前のことではあるが、
当時のスノーピークは今ほどの知名度を獲得しておらず、
アウトドアファンの一部が知るニッチなブランドに留まっていたという。

代表取締役副社長CDO、山井梨沙さん。2014年よりスノーピークでアパレル事業をスタート。

代表取締役副社長CDO、山井梨沙さん。2014年よりスノーピークでアパレル事業をスタート。

実はスノーピークでは、過去にも何度かアパレル事業に着手したことがある。
しかし、軌道に乗らないまま立ち消えた経緯があり、
いわば同社にとって鬼門ともいえる領域だった。

ところが、山井さんはここで存分に才覚を発揮。
アパレル部門は立ち上げ2年目にして前年比300%という実績をあげ、
その後も毎年、右肩上がりの成長を続けている。
成功の秘訣はおそらく、日本を飛び越えてアメリカ市場から“攻めた”ことにある。

「アパレルを始めた当初、日本では、
『なぜアウトドア用品のメーカーが服をつくっているの?』といわれるばかりで、
どこの取引先にもまともに相手にしてもらえませんでした。
これでは埒が明かないので、だったらアメリカで売り出そうと
現地で展示会を行ったところ、思いのほか好意的な評価をいただくことができたんです」

日本以上に知名度のないアメリカで勝負することに、不安がなかったわけではない。
しかし、向こうにはブランド名よりも品質やデザインで物を見る土壌があり、
自社製品の魅力や特性をフラットに伝えることができるはずだと山井さんは確信していた。

図書室にウール工房、そして遊び道具!?
東広島市の古民家は自由自在!

広島県の中央に位置する東広島市。
週末にそこかしこで開放されている西条の酒蔵通りが観光の定番だ。
そんな「お酒のまち」としてのイメージが強い東広島市だが、
実は各地に個性際立つ古民家が点在している。

そこで地域に住まう人の息遣いが感じられる旅をするならぜひ訪れたい、
「場」として古民家をうまく活用している
〈ほたる荘〉〈豊栄ウール工房〉〈Belly Button Products〉の3軒を紹介する。

〈ほたる荘〉
みんなの力を借りて、愛すべき茅葺き古民家を残すための図書室

築約100年の茅葺き古民家を〈ほたる荘〉として活用している。

築約100年の茅葺き古民家を〈ほたる荘〉として活用している。

東広島市の志和堀地区はいくつもの茅葺き古民家が残る風情豊かな田園地帯。
そこに〈ほたる荘〉という茅葺き屋根の小さな図書室がある。

有名どころからコアなものまで、「経済・ビジネス」「科学」「社会・未来」などのジャンルで分けられている本棚。左奥のスペースには文豪たちの作品がずらりと並んでいた。

有名どころからコアなものまで、「経済・ビジネス」「科学」「社会・未来」などのジャンルで分けられている本棚。左奥のスペースには文豪たちの作品がずらりと並んでいた。

ここでは寄贈された本をまったりと読むことができるうえ、
カフェや畑仕事を楽しんだり、
音楽ライブなどのイベント会場として利用することもできる。

〈つくれば工房〉は水、土曜にオープン。

〈つくれば工房〉は水、土曜にオープン。

2019年には隣の蔵をリノベーションし、〈つくれば工房〉を迎え入れた。
3Dプリンタを備える木工室や機織り機が登場し、
子どもも大人も一緒になって学べる「ものづくりの場」としても機能している。

柔らかい光が差し込む窓際では気持ちよく読書できる。

柔らかい光が差し込む窓際では気持ちよく読書できる。

さらに直近では漫画図書室が新設され、
曜日ごとにテーマが変わる室長制度もスタートした。
〈ほたる荘〉はまさに、朝から晩まで入り浸りたくなるような空間へと
年々変化し続けている。

そんな〈ほたる荘〉の代表を務めるのは、鹿児島県出身の杉川幸太さん。
広島大学で教鞭を執るべく、5年前に東広島市へと引っ越してきた。

杉川幸太さん。最近は曜日ごとに室長さんがいるので、杉川さん自身が常に〈ほたる荘〉にいなくても回る体制になった。

杉川幸太さん。最近は曜日ごとに室長さんがいるので、杉川さん自身が常に〈ほたる荘〉にいなくても回る体制になった。

「子どもと一緒に志和堀を散歩していたら、
茅葺き古民家がいくつもあって衝撃を受けたのと同時に、とても感動しました!
とはいえ、志和堀の茅葺き古民家の数はここ10年で半分以下になったようです。
茅の修理や調達は経済的にも時間的にも負担が大きいことが原因でしょう。
効率的なものばかりが選ばれる世の中において、
いいものであってもいわば非効率な茅葺き古民家を
どうしたら残していけるのかということを考えていきました」

茅葺き古民家をできるだけ長く保全するためには、
個人で管理するのではなく、みんなで管理することが大切だ。
多くの人を巻き込むためには、ただ訪れてもらうだけではなく、
もっと踏み込んだ関わりを通して愛着を持ってもらう必要がある。
そこで生まれたのが「図書室」というアイデアだった。

「かしだしノート」を見ると、小さな子どもから年配の方まで、さまざまな人が〈ほたる荘〉を利用していることがわかる。

「かしだしノート」を見ると、小さな子どもから年配の方まで、さまざまな人が〈ほたる荘〉を利用していることがわかる。

「基本的に、ここにあるのは訪れた人が置いていった本なんですよ。
その多くは、捨てたり売ったりできずに手元に残っていた本です。
簡単には手放せなかった思い入れのある本を寄贈した場所のことは
一生忘れないだろうなと。そういう作戦です(笑)」

〈ほたる荘〉の本は近隣に住む人だけでなく、
旅行で訪れた遠方在住の人も借りることができる。

「いちおう返却期限は1か月にしてみたんですが、
そのままずっと持っていたり自由なルールで借りてる方も多いですよ(笑)。
引っ越しなどのタイミングで『あっ、〈ほたる荘〉の本だ!』と
思い出してくれたら、それでもいいのかなと思いますね」

取材でうかがった水曜日の室長は彦坂智恵さん。「新しい学びの場づくり」をテーマに活動している。焼き芋がとてもおいしそうだった。

取材でうかがった水曜日の室長は彦坂智恵さん。「新しい学びの場づくり」をテーマに活動している。焼き芋がとてもおいしそうだった。

古民家の改修は、
クラウドファンディングと杉川さんらの手持ち資金をもとに行った。
隣町の井上工務店(井上富雄さん)から指導を受け、
広島の建築系学生団体〈scale〉に所属する学生や地域の人々、
そして茅葺き職人とともにほぼセルフでリノベーションを進めた。

「はらぺこあおむし」風の本棚。

「はらぺこあおむし」風の本棚。

「学生たちは人手としてもそうですが、
アイデアをたくさん出してくれたのがとてもありがたかったですね。
例えば、表紙を見せて並べられる絵本用の本棚をつくってほしいと
学生にお願いしたんですが、結局は、
「はらぺこあおむし」風の本棚ができあがって(笑)。
学生が自由にやるとおもしろくなるんだなあと思いました」

〈つくれば工房〉と同じく、水、土曜ならば利用できる機織りスペース。

〈つくれば工房〉と同じく、水、土曜ならば利用できる機織りスペース。

図書室でありながら、実践的な学びの場であり、
自分の居場所を自分でつくる場にもなっている〈ほたる荘〉。
親子連れで行けば、基本的に誰かが子どもと一緒に遊んでくれるという。
本に読み耽ったり機織りをしてみたり、思い思いの時間をここで過ごしてほしい。

information

map

ほたる荘

住所:広島県東広島市志和町志和堀469

TEL:090-9088-5739

開室時間:11:00〜15:00

開室日:火・水・木・土曜

※つくれば工房は水・土曜にオープン

Web:http://www.openhotaru.mimoza.jp/