〈Agawa〉塩満直弘さん
透明な駅舎とキオスク、
境界のない空間にこめた思い

冬らしく曇った空から、ちらちらと雪が降ってくる。
畑や山の緑も、ホームのコンクリートもどこかくすんだように見えるなか、
橙色の汽車がスーッとホームに入ってきた。

ここは山口県下関市にある阿川駅。京都と下関を結ぶJR山陰本線の無人駅だ。

見渡す限り畑と山と民家しかないこの場所に、昨年の夏、目新しい建物ができた。
見た目は、四角くて透明な箱。
「小さなまちのkiosk」をコンセプトにつくられたその建物は、
まちの名前そのままに〈Agawa〉と名づけられた。
地元の特産品を使ったドリンクやフードを提供している。

新しい阿川駅舎とAgawaをプロデュースしたのが、塩満直弘さん。
山口県の萩市に生まれ育ち、アメリカ、カナダ、東京、鎌倉と
さまざまな土地での生活を経て、萩へ帰ってきた。
故郷の魅力を自分なりに表現したいと起業し、
〈萩 ゲストハウス ruco〉を運営してきた塩満さんが
Agawaを通じて体現していきたいこととはなんだろうか。

駅舎と対になる透明なkiosk

〈Agawa〉は、2020年夏にオープンした。
まちの風土をダイレクトに感じてもらえるように
カフェと物販、レンタサイクルを提供している。

塩満さんは、店舗ととなりの阿川駅舎が対になるようにAgawaのイメージを考え、
JR西日本の建築部門担当者と、
彼の友人である〈takt project〉代表の吉泉聡さんがそれを具現化していった。

「駅舎とカフェのデザインを考えるときに意識していたのは、
駅全体を広場、公園のように再定義すること。
建物をガラス張りにしたのは、
周囲の風景に違和感なく溶け込ませて景観の一部と見立てることで、
“乗降客に限らず誰もが自由に佇める”という駅本来の特徴を、
空間全体で感じてもらいたかったからです」

Agawa(左)と阿川駅の駅舎(右)。中が透けて見える構造は、地元の人から驚かれることもあった。「境界線をぼやかす」デザインにしたかったという。

Agawa(左)と阿川駅の駅舎(右)。中が透けて見える構造は、地元の人から驚かれることもあった。「境界線をぼやかす」デザインにしたかったという。

Agawaで提供されている猪ソーセージ(800円・税込)とゆずきちソーダ(500円・税込)。猪肉、ゆずきち、ともに長門市俵山産。ゆずきちは山口県の山陰地方が原産。収穫時期により味や香りの変化も楽しめる。

Agawaで提供されている猪ソーセージ(800円・税込)とゆずきちソーダ(500円・税込)。猪肉、ゆずきち、ともに長門市俵山産。ゆずきちは山口県の山陰地方が原産。収穫時期により味や香りの変化も楽しめる。

コロナ禍でのオープンとなったが、
若年層に限らず、さまざまな世代、地域から、多くの人が訪れ賑わっている。

地元の人が乗り降りするのはもちろん、
子どもたちが広場に敷きつめられたシロツメクサの上を走り回ったり、
家族で四つ葉のクローバーを探したり、
観光でやってきた友人同士で写真撮影をしたり。
訪れた人がそれぞれ、思い思いに時間を過ごす場所となっている。

「駅だからこそ訪れる人の雑多さ、多様性がある。
僕自身がそんな場所を求めていたし、公共性の高い場所に関わりたかった」

そう話す理由には、塩満さん自身のこれまでの経験があった。

〈ミヤノオート〉植田祐司さん
事業を受け継ぎながら、
自分らしく働くには

タイヤのネジを慣れた手つきで、グッと締める。1本締めたら、また1本。
車の持ち主が安心して走れるように、ひとつのタイヤが終わったらまた次へ。
迷いのない手つきから、整備士が熟練者であることがわかる。

整備をしていたのは、山口市にある〈ミヤノオート〉の植田祐司さん。
根っからの車、バイク好きが高じて大学卒業後は、迷わず整備士の道へ。
海外メーカーで整備の経験を積んだ後、
2018年にミヤノオートを前オーナーから引き継いだ。

当時は前オーナーと面識はなく、創業のことしか頭になかったという植田さんが、
なぜ事業を引き継ぐことにしたのか。その道のりを聞いた。

ミヤノオートの看板から(株)が外されたワケ

ミヤノオートは2台の車が入る整備場、こぢんまりとした事務所、
販売待ちの車や展示用のカスタムカーが並べられた展示場からなっており、
一見、どこにでもある整備・販売会社に思える。

が、よく見ると看板には「ミヤノオート」の文字、そして事務所のドアには、
〈植田エンヂニヤリング〉なる名前が。
異なる名前が並んでいるのは、事業承継が行われたから。
事業承継とは、会社の経営権や理念、資産など、
事業に関わるすべてを次の経営者に引き継ぐこと。
一般的には、親族内や承継前からの従業員に引き継ぐことが多いが、
植田さんは縁もゆかりもなかったミヤノオートを引き継ぐことになった。

〈ミヤノオート〉の事務所(右)と車検場(左)。建物も、ミヤノオートの文字看板も引き継ぐ前から変えていない。承継の際に、法人名のみ植田エンヂニヤリングに変更し、ミヤノオートは屋号として残した。

〈ミヤノオート〉の事務所(右)と車検場(左)。建物も、ミヤノオートの文字看板も引き継ぐ前から変えていない。承継の際に、法人名のみ植田エンヂニヤリングに変更し、ミヤノオートは屋号として残した。

「大事なのは看板ではなく、整備や販売の仕事に集中できる環境があること。
ミヤノオートの名前で覚えてくださっているお客さんが多いので、
事業も名前も一緒に引き継ぎました」

そう話す植田さんだが、独立を考えていた当初は
事業承継のことはまったく選択肢になかった。
事業承継がどんなものかすら、わかっていなかったという。

事務所のドア。屋号のミヤノオートはあくまで大きく、法人名の植田エンヂニヤリングは小さく。植田さんの考え方がうかがえる。

事務所のドア。屋号のミヤノオートはあくまで大きく、法人名の植田エンヂニヤリングは小さく。植田さんの考え方がうかがえる。

ある日突然、職場がなくなった

大学卒業後に通った職業訓練校で整備士の資格を取得し、
就職したのは外資系自動車メーカーの〈フォード〉。
アメ車のデザインが大好きで、
自分の手で車を改造したいと考えていた植田さんにとってはこれ以上ない環境だった。

就職当初から「いつかは独立を」と考えていたものの、
環境がいいこともあり気がつけば10年近く在籍。
ところが2016年に、フォードは日本からの撤退を決定。
植田さんはこの事態をチャンスと捉えた。

事務所には、フォード時代に整備の大会で表彰された際の賞状が。フォードでは、整備とマネジメントを約5年ずつ経験した。

事務所には、フォード時代に整備の大会で表彰された際の賞状が。フォードでは、整備とマネジメントを約5年ずつ経験した。

植田さんは、「自分の思い通りにやるときがきた」と創業を決意。
準備を進めるが、そう簡単に事は運ばなかった。

家具からキャンプギアまで、
ものづくりの楽しみは
家の中から外へ無限に広がる

買ったものを探すほうが難しい。手づくりに満たされた家

JR四日市駅から、鈴鹿山脈のほうへ向かって車で15分ほど。
大通りから1本入った静かな住宅街に、
伊藤芳樹さん、恭子さん、碧泉(あおい)くん、愛犬のかんぱちが暮らす住まいはある。
BESS〉の〈WONDER DEVICE〉は暮らしを楽しむための“装置”というコンセプト。
なかでも伊藤家が暮らす「PHANTOM(ファントム)」は
一面がガルバリウムの外壁に囲まれ、
外からは様子がうかがい知れない怪しげなムードが特徴的だ。

家の前には、切りそろえられた薪が太さや樹種ごとに整然と積まれ、
その上では、先日入手したばかりだというグリーンのカナディアンカヌーが存在感を放つ。
枕木を敷いたアプローチには、端材でつくったポストや流木の手すりが取り付けられ、
この数メートルを歩いただけでも、
伊藤さん一家が、この家での日々を楽しむ様子が伝わってくる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

「ここはぼくが積んだんだよ!」と、
薪棚の一角を指差す碧泉くんに続いて玄関へ向かうと、
芳樹さん、恭子さんが出迎えてくれた。
一歩中に足を踏み入れると外観のクールな印象とはうって変わって、
木の温かみあふれるやさしい空間が広がっている。

「ダイニングテーブルと椅子以外は、ほとんど自分でつくりました」

そう芳樹さんが話すとおり、リビングのテレビボードから琉球畳の小上がり、飾り棚、
2階ワークスペースのカウンターや、子ども部屋の秘密基地のようなロフトまで、
7年間にわたりコツコツとつくってきた家具や雑貨が、空間を彩っている。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作。

それだけではない。
5年ほど前から親子で毎月のようにキャンプに出かけている芳樹さんは、
テントやタープ、ローチェアなど、キャンプギアまでも自作して楽しんでいる。

「先日、ついに家庭用の溶接機も導入し、鉄の丸棒で『焚き火ラック』をつくったんです」

何かほしいものがあるとき、まずは自分でつくれないか、
調べることが習慣になっているという芳樹さん。

「彼は好きになるとのめり込むタイプで、以前、釣りにはまったときも、
竹を削って釣り竿を手づくりして、『売ってほしい』と頼まれるほど上達していました」
と恭子さんは話す。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

漫画家・大橋裕之の旅コラム
「福岡から糸島へのドライブ。
旅の2日目は、大体おもしろい」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第16回は、漫画家の大橋裕之さんによる福岡県の旅。
二日酔いの状態から旅は始まり、一路、糸島へ。
海を見に行くという目的のなかで、
名物を食べ、初めての体験もいくつか。
さまざまなものに出会い、旅の醍醐味を感じたようだ。

福岡から糸島への観光ドライブ

2014年5月19日の昼前、ひどい二日酔いの状態で目が覚めた。
昨夜、福岡天神のイベントスペースで行われた単行本出版記念イベントの打ち上げで
しこたま飲んでしまったので仕方がない。
旅の2日目なんて大体そんなものだ。
しかし今日は昨夜のイベントを企画してくれた瓜生くんが福岡を観光案内してくれる日。
正直一歩も動きたくないし寝ていたいし水以外は何も口にしたくないが、
なんとか重い体を引きずってホテルをチェックアウトすると、
迎えに来てくれた瓜生くんの車に乗り込み、
友人の安増くんをピックアップして3人で糸島に向かった。

どうやら糸島には海があるという。
糸島は島なのか?
そういえば、なぜ糸島に行くことになったのだろうか。
海辺のまち(愛知県蒲郡市)生まれの人間としては
なんとなく旅先の海が見たくなるので、
おそらく前日にリクエストを聞かれた僕が、
福岡の海が見たいと酔っ払いながら口走ったのだろう。

リクエストしておきながら二日酔いの僕は、道中かなり口数が少なかったと思う。
昨夜の締めに安増くんに連れて行かれた
元祖長浜家〉の濃いとんこつラーメンもかなり効いている。
他県から来た人間には〈元祖長浜家〉の味とニオイが強烈過ぎて
拒絶されることもあるそうだが、
事前情報を聞いていたからなのか酔っ払っていたからなのか、
僕はおいしく食べることができた。
しかしダメージは残ったみたいだ。

建築家・長坂常の旅コラム
「幕末の徒歩旅に思いを馳せて
距離感覚の歪みを体感する」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第15回は、建築家の長坂常さんによる日本列島を歩く旅。
幕末の世まで歩いて移動していた日本人を倣い、
日本各地を歩く。
歩いたからこその発見には、どんなものがあったのだろうか。

佐賀の唐津から歩いてどこまで行けるのか?

2018年、珍しく大河ドラマ『西郷どん』にハマって毎週見逃さず見ていた。
そのときに薩摩(鹿児島)から「江戸に行ってきもす」と言って
次の場面では江戸にいたり、
「薩摩に戻りもす」と言ったら次には薩摩にいたりする西郷どんを見て、
「そんな簡単に行けるのか?」って思った。
そして何を血迷ったか2018年の夏、佐賀県の唐津に行ったときに、
2日間ほど時間があったのでどこまで歩いて帰れるかと、
家族と別れ、ひとり歩いて帰ったことがあった。

この旅は、何回か重ねて九州から北海道までたどり着く野望を持っており、
出張などにかこつけてコンプリートできたらと思っている。
その1回目、同時に唐津を離れた家族が新横浜に着いたとメールをもらった頃、
僕はまだ福岡付近の海岸をうろちょろし、
いつものように海岸に上がっているゴミを漁っていた。

海岸にはたくさんゴミが打ち上げられていることはみんなが知っていると思うし、
あまり喜べないできごとではあるが、
僕は悪趣味なのかその辺のゴミの収集癖がある。
そのひとつひとつの形状を見てそこまでの変遷を想像し、
小さな発見をいくつもして、それを楽しむ。

例えば、ボールは削られるとずっと丸く小さくなっていくのかと思いきや、
意外に傾いた形になったりする。ロープも大半が微塵もなくなるが結び目だけが残る。
レンガのような固いものも発泡スチロールのように団子状になったり、
ペットボトルのキャップは不安定な形をしているせいか、
変なねじれ方をして変形している。

そんな小さな発見をビニール袋いっぱいに詰めながら歩くのが趣味で、
そのときもいつものようにそれをやりながら少しずつ東京に近づいて行った。

同じログハウスが並ぶ双子住宅。
「となり暮らし」という
不思議なコミュニティを育む

かつての長屋のような暮らし

静岡県袋井市に、住宅メーカー〈BESS〉の「G-LOG」というモデルのログハウスが
2軒並んでいる。それはまったくの偶然だという。
G-LOGは三角屋根で、広いベランダ「NIDO(ニド)」が特徴的。
1階にもウッドデッキがあり、
外と内がゆるやかにつながっているような感覚で暮らすことができる。

道路に面した玄関側から脇を抜けて、庭側に回ってみると、
茶畑が目の前に広がる庭があった。そして後ろを振り返ると、
まるで双子のように同じ家がかわいく並んでいるのがわかった。

先に家を建てたのは萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くん一家。
2019年8月に完成した。

茶畑が見えるNIDOからの眺望。

茶畑が見えるNIDOからの眺望。

「この土地にBESSのG-LOGを建てようと決めたときは、
当然、となりは何も建っていない更地でしたので、どんな家が建つかわかりませんでした。
妻とは、「BESSユーザーが来たらおもしろいね、なんて冗談は言っていたんですけどね」
と言う萩田さん。

萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くんの4人家族。

萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くんの4人家族。

一方で、となりに家を建てたのは竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん一家。
候補の土地を見て回るうちにこの場所を見つけて気に入った。
そのときはまだ萩田邸は建っておらず、
となりに自分が建てようと思っていた同じG-LOGが建つことを知ることになる。
その情報はすぐにとなりの萩田さんに伝わり、
浜松のLOGWAY(BESSの単独展示場)で初対面。
即座に意気投合、交流が始まった。

竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん。

竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん。

「同じ土地で同じ家なんて、
絶対に感覚が近い人が来るはずなので楽しみしかありませんでしたね」と笑う萩田さん。

竹本さんは建築中に何度も現場に足を運んでいるが、
すでにとなりに住んでいた萩田さんは、頻繁に建築中の家の写真を竹本さんに送り、
現状報告などをしていた。ときには現場監督からの報告よりも早いくらい。
SNSを通じたやりとりや、竹本さんが見学に来た際に情報交換するなど、
暮らす前から交流を深めていった。

こうして2020年3月に竹本邸も完成。
かつてはひとつの建物を壁で仕切って複数の家族が生活する、
長屋というスタイルがあった。
あくまで個別でありながらも、ゆるいつながりを持つ暮らし方だ。
この2家族はまったく同じ建物に住み、暮らし始めた時期も7か月しか変わらない。
悩みやライフステージも近しいものがある。
いろいろなものがつながりながら、
不思議な「となり暮らし」のコミュニティが育まれていった。

同じG-LOGだが、竹本家(奥)は壁をオレンジにした。

同じG-LOGだが、竹本家(奥)は壁をオレンジにした。

ダウンサイズしても価値は変わらない!
ウィズコロナの
〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉

10+1回目の新たなイベントのかたち

2020年、11回目を迎えた鹿児島県・川辺で行われている
フェスティバル〈グッドネイバーズ・ジャンボリー(以下、GNJ)〉は、
これまでの夏開催から初めて時期を秋に移して無事終了しました。
新しいディケイドの始まりでもあり、
ひとめぐりして10+1回目のGNJはまさかのコロナ禍。
さまざまな葛藤はありましたが、
実行委員のみんなと10回目のGNJが終わった去年の秋から話し会いを続け、
新しいかたちを模索することとなりました。

夜な夜な議論する実行委員のメンバー。

夜な夜な議論する実行委員のメンバー。

コロナ禍でも実行委員のみんなが前提として話し合っていたのは、
どんなかたちになったとしても集いの灯を絶やさないようにしようということでした。
僕個人的にはたとえ実行委員の数人しか集まれなかったとしても、
「これがGNJだ」と言い切って場を開こうと考えていました。
一度中断してしまった流れを再起動させるのはなかなかパワーを要します。
バトンを渡し続けていくことが、僕らの活動にとっては重要だと思っていました。

これまでの歴史で感染症の脅威は何度もあったけれど、
人が集まること=祭りがなくなったことはなかったし、
どれだけオンラインが発達したとしても
僕らは鹿児島の「森の学校」という場所の力とともに10年やってきたので、
簡単にデジタルには頼らないという心づもりもありました。

フェスティバルの中で密を避けるさまざまな工夫。

フェスティバルの中で密を避けるさまざまな工夫。

建築中の余った木材を活用して
ほとんどの家具を自作。
DIYで家と暮らしを楽しむ

子どもの頃の憧れから変わることなく、木の家を手に入れた

愛知県蒲郡市の市街地から山へ向かって車を走らせていくと、
次第に周囲はみかん畑ばかりになる。
秋冬のシーズンにもなると、どの木にもたわわに実ったみかんを見ることができる。
そうした周辺の景観に馴染みながらも、
カフェと間違えてしまいそうな存在感がある〈BESS〉の「カントリーログ」が姿を現す。
この家に住むのは榊原裕之さん、幸枝さん、丸留(まる)くんの一家だ。

庭のベンチでくつろぐ家族3人。丸留くんはちょっと“おねむ”。

庭のベンチでくつろぐ家族3人。丸留くんはちょっと“おねむ”。

「子どもの頃、ログハウスに泊まる体験学習に行きました。
キャンプファイアをして、ダンスをして、おいしい料理を食べて。
その体験がとても楽しかったんですよね。
そのときから将来は絶対、木の家がいいなと決めていました」という裕之さん。

よほど強く印象に残ったのだろう。
鉄筋コンクリートマンションで暮らしていたときも、
自分の部屋の中に木を貼って暮らしていたという。
そして子どもの頃の思い出を強く持ったまま初志貫徹、
大人になってとうとう木の家を手に入れた。

シマトネリコの木がシンボルになっている庭。

シマトネリコの木がシンボルになっている庭。

木の家を建てるなら、場所選びも重要だ。
「せっかく建てるなら、自然があふれる場所がいい」というのは、
榊原さんに限らず木の家を望む人なら当然の気持ちかもしれない。
土地探しの当初は、まちなかも探していたというが、現在の里山の立地を見て
「理想的な“梺(ふもと)ぐらし”が想像できました」と即決だったという。

決めたときには近所に住む人たちが
「こんな何にもないところ、本当に大丈夫?」と声をかけてくれたとか。
「でも住んでみたら、田舎特有の人づきあいがあって。
歩いていたら声をかけてくれるし、お野菜も分けてくれたり、とても快適です」
と幸枝さんは笑う。

窓からはみかん畑が見渡せる。

窓からはみかん畑が見渡せる。

榊原夫妻の気持ちを動かしたものに、三角州のようなユニークな土地の形状もある。
建物以外の三角エリアは庭になっていて、シマトネリコがシンボルツリーとなり、
まるで公園のような佇まい。
植物を密集させることなく、ほどよいスペースを保っているので、
丸留くんがいくらでも走り回れるし、
裕之さんもテントを張ってキャンプを楽しんでいるそうだ。

広い庭は公園のよう。

広い庭は公園のよう。

蒐集家・郷古隆洋さんの旅コラム
「“版画の寺”として有名な毎来寺。
そこで買い付けた版画と、名物住職」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第14回は、Swimsuit Department 代表の郷古隆洋さんが
山陰・山陽を巡る買い付け旅のなかで出会った
岡山県のある作品とお寺のお話。
日本や世界中で蒐集活動をしている郷古さんでも強い衝撃を受けたお寺とは
はたしてどんなお寺だったのだろうか。

山陰と山陽の買い付け旅に欠かせない、あるお店

僕はとにかく車の運転が好きで、
年に一度、秋になると福岡から山陰と山陽を回る旅を必ず計画しています。
それは僕のなかで旅でもあり仕入れでもある。
「旅=仕入れ」「移動=仕入れ」といった図式は、
もう完全にセットになっている人生なのです。

この旅では行程を重ねるたびに荷物が積まれていき、
後半ともなると荷台ではテトリスのようなことが繰り広げられていきます。
まあそれが楽しくて仕方がないのですが。

そして山陰と山陽をどちらから先に回ろうとも、
〈さんはうす〉というカレー屋には必ず寄ることにしています。
そこは岡山県の内陸、真庭市にある、ちょっと変わったカレー屋なのです。

キッチンにいる名物マスターは、実は民芸の目利きであり、
店舗裏手に〈長屋〉という骨董品を並べたギャラリーを併設していて、
古物を扱う人はだれもが知る場所。
そこはもう行けば必ずほしいものがあって、
先に長屋に行ってしまうとカレーそっちのけで時間を使ってしまいます。

もちろんカレーだっておいしく、初めての人ならエビカツカレーがオススメ。
腹持ちもよくロングドライブにもちょうどいい食事がいただけます。
ちなみに僕はクリームコロッケカレーが好きです。

〈アースシップ ミマ〉オフグリットと
美しい山の暮らしを体感!
1日1組限定のゲストハウス

循環型住宅〈アースシップ〉に泊まる

日本初の“循環型”オフグリット住宅、
〈アースシップ〉の完成を紹介してからおよそ1年。
2020年7月1日、1日1組限定のプライベートゲストハウス
〈アースシップ ミマ〉としてオープンした。
香川県との県境に近い山あい、徳島県美馬市にあり、
公共インフラに頼らずに水や電気を自給するオフグリット。
そんな住宅がどのようなかたちでゲストを受け入れているのだろう?
アースシップ、第2章の幕開け。
施主兼コンシェルジュの倉科智子さん、そしてアースシップに再び会いに行った。

計画当初より2か月遅れでのオープン

当初の計画では5月1日よりゲストハウスをオープンさせる予定だった
〈アースシップ ミマ〉。2月に予約受付を開始したと同時に
予約はかなり埋まったものの、3月そして4月になるにつれてコロナ禍は拡大、
徳島県内でも緊張感が漂い始めた。

4月半ば、全国を対象とする緊急事態宣言の発令を受けて
近隣の宿泊施設に行政からの休業要請もあり、
地域の人たちと相談をしてここもオープン延期を決めた。
予約をしてくれている方たちにすぐに連絡を入れると、
開業がいつになるかもわからないことを承知のうえで、
「キャンセルではなく延期の扱いにしてください」と答えてくれる声も多く、
その気持ちが本当にありがたかったと言う。

庭には近所の人がくれたテーブルやイスにもなる大きな丸太が。倉科さんが押してもビクともしないのに、イノシシが動かすことがあるとか。

庭には近所の人がくれたテーブルやイスにもなる大きな丸太が。倉科さんが押してもビクともしないのに、イノシシが動かすことがあるとか。

それから数か月。緊急事態宣言が解除となり、
休業していた近隣の宿泊施設も6月末から再開することが決まり、
アースシップ ミマもキリのいい7月1日をオープンとした。
待ってもらっていた方たちに連絡を入れ、ホームページでも再び予約を受け付けた。
最初は1週間に1組だけ。様子を見ながら徐々に受け入れる日を増やし、
10月頭の時点で全国から合計40組程度のゲストを迎え入れている。

「『こんな時期によくぞ来てくださいました!』という感謝の気持ちしかありません。
ご夫婦やカップルが多いですね。それからファミリーや友だち同士。
もちろん、ひとりの方も。
ネットやテレビ、ラジオで見たり聞いたりして
実際にアースシップに泊まってみたかったとおっしゃる方、
いつかアースシップのような家を建ててみたい、
今、家を建築中でアイデアを取り入れたいという方など、モチベーションはいろいろです」

こうしてアースシップに興味を持ち、実際に訪れる人たちは個性豊か。
ユニークな職種や背景を持つ人たちも多いようだ。

「みなさんそれぞれのバックグラウンドが興味深くて、逆にアドバイスをいただいたり、
発見があったり。ゲストを迎えるたび、私自身が相当刺激を受けているんですよ」

室内菜園には昨年まで苗木だったアボカドといちじくが生い茂る。植物に詳しいゲストからこの菜園や手つかずの庭についてアドバイスをもらったことも。

室内菜園には昨年まで苗木だったアボカドといちじくが生い茂る。植物に詳しいゲストからこの菜園や手つかずの庭についてアドバイスをもらったことも。

音楽家・ユザーンさんの旅コラム
「ひたすら讃岐うどんを食べる旅」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第13回は、タブラ奏者のユザーンさんによる
香川で讃岐うどんを食べ歩いた記録。
カレーのイメージが強いユザーンさんが、
どうしてうどん屋をめぐることになったのだろうか。

なんだこれは、うますぎる

2018年の春、インド古典音楽のツアー中のことである。
岡山市のライブで、客席に意外な顔を見つけた。
僕は10年くらい前まで〈ASA-CHANG&巡礼〉というバンドに所属していたのだが、
そのバンドのマネージャーだった吉澤くんがなぜか来場していたのだ。
驚きながら、なんでここにいるのか彼に聞いてみた。

「いや、ちょっと高松にうどんを食べにきたんですけど、
ユザーンさんのライブが岡山であるって知ったんで高松から電車で駆けつけました」
「うどんを食べに高松? それだけで?」
「麺好きの僕には憧れの地だったんですよ。ていうか、讃岐うどんマジでヤバいです!
信じられないほどうまいし、目を疑うほど安い。今日だけで6杯食べましたね。
明日の昼過ぎまで高松なんで、もう4〜5杯は啜ってから帰ります」

興奮気味な彼の言葉を聞くうちに、僕の頭のなかもうどんでいっぱいになってしまった。
ちょうど翌日が高松のライブだったので、
吉澤くんのうどん巡礼に同行させてもらうことにした。

安曇野の里山を再現した
「雑木の庭」で、
自然とつながりながら暮らす

長野県安曇野市といえば、常念岳をはじめとする北アルプスの山々が注目されがちだが
その裾野には、南北に延びるローカル線、大糸線を走らせ、
広大な田園地帯に美しい里山が広がっている。
自然と人々の暮らしが調和する日本の原風景もまた、安曇野の魅力のひとつだ。

その土地の景観に溶け込んだ暮らし、という点において
すっかりと自然を我がものとしているのが、
〈BESS〉のログハウス「カントリーログ」に住む五郎丸良輔さん一家だ。
家、庭、そして安曇野の里山が、
まるで融合してしまっているかのような家が出迎えてくれた。

「自然が師匠」。安曇野の里山を写し出す暮らし

〈ガーデンホリック〉という名で造園業を営みながら、
自身のお家も抜かりなく、こだわりぬいた庭が自慢だ。

造園というと、日本庭園のような整えられた庭を想像するかもしれないが、
四角四面に整えられた生垣や
縁取りされたように美しく剪定された木々があるわけではない。

五郎丸さんが手がけるのは、
「雑木の庭」と呼ばれる、自然に近いありのままの姿。
雑木の庭の歴史は戦後くらいから始まっていて、庭の歴史のなかでは新しい。

里山の風景を切り取ったような雑木の庭。多種多様な草木が植栽されている。

里山の風景を切り取ったような雑木の庭。多種多様な草木が植栽されている。

それまでの日本庭園では「マツやスギ、ヒバなど針葉樹をメインに荒々しい山や、
神々がすむ世界、“あの世”的な精神的な世界観」で庭がつくられていたという。

「しかし人々が都市部へ移動すると、自然との距離感も変わり、
今まで薪などにしか使われていなかった里山のいろいろな木々、
つまり雑木が庭に使われるようになります。
身近な自然の縮景として、雑木の庭がつくられるようになってきました」

五郎丸さんが惹かれたのは、
きれいな日本庭園より、懐かしさや身近な感覚を持つことができる雑木の庭だった。
ありのままの里山。そのほうが五郎丸さんの自然観に近かった。
しかし現代の都市的な生活においては、里山すらも身近ではない。
だから雑木の庭にも「わざわざ」つくるだけの価値があるのだ。

草木の生育過程や、完成形のイメージなど実際に庭を歩きながら説明をしてくれる。

草木の生育過程や、完成形のイメージなど実際に庭を歩きながら説明をしてくれる。

〈リバーバンク〉が考える
空き古民家の再生。
地域に入り、足で探し、暮らしを学ぶ

地域に長く住むジェフリー・アイリッシュさんと空き家問題に取り組む

僕が代表理事を務める〈一般社団法人リバーバンク〉の活動は、
鹿児島県南九州市川辺町の高田地区に残る
旧長谷小学校という廃校を再生するところから始まり、
さらにまだまだ地域に眠っているさまざまな資源を活用する活動へと広がってきました。
(その詳細は以前の連載vol.006にて)

僕らが考えたこれらの地域資源には3つの軸があります。
ひとつめは戦前の建物である古い学校建築を残した廃校。
ふたつめは学校の周辺にある渓谷や古い石切り場などの自然。
そして最後の軸が、地域にたくさん現存する空き古民家。
これは僕らから見れば立派な資源です。

空き古民家の再生事業については、
リバーバンク発足前からこの地域に暮らしてきた
ジェフリー・アイリッシュさんとともに進めています。
ジェフリーさんは民俗学を大学で教えていることもあり、
古い集落の歴史や暮らしを調査してアーカイブするということを
ライフワークにしていました。このテーマでこの地域についての本も書いています。

ジェフリー・アイリッシュさん。地域のご老人にかつての話を尋ねるところから。

ジェフリー・アイリッシュさん。地域のご老人にかつての話を尋ねるところから。

そもそも空き家問題の根本的な原因のひとつに、
空き家が不動産マーケットになかなか流通せず、
借りたい人とのマッチングが難しいということがあります。

過疎地域の空き家は地価が低く、
建物も老朽化している場合はほとんど値がつかないため、
不動産屋さんが仕事として入りづらい。
ゆえに地域に移住して暮らしたいという人がいたとしてもまず情報が届かない。

仮に空き家があるという情報を得たとしても、
大家さんがその地域にすでに暮らしていないことも多く、
連絡や契約までなかなかたどり着けないということも起こります。

『幸せに暮らす集落』(ジェフリー・アイリッシュ著)

幸せに暮らす集落』(ジェフリー・アイリッシュ著)

しかしジェフリーさんは地域をくまなく歩き回り、
不動産マーケットに流通しない情報を丹念に調べていました。

「Aという空き家の持ち主はBという家に住んでいるおばあさんの親戚で、
今は子どものいるどこどこのまちに暮らしている」とか、
その家の歴史からひもといて、
「空き家を貸すかどうするかの判断は誰に聞けばいい」というような、
とてもまちの不動産屋さんでは拾いきれないような情報をたくさん持っていました。

空き家はそこらじゅうにありますが、立地条件や建物の状態を見極め、
なおかつ低コストで改修ができて使えそうな空き家を見つけたうえで
大家さんと交渉するというのは並大抵のことではありません。

地元のキーパーソンと。

地元のキーパーソンと。

ジェフリーさんは日本に来た当時、大手の建築会社で働いていたこともあり、
建物を見る目があります。それと民俗学的な知識とフィールドワークの手法に加えて、
長年この集落に暮らしているという地域からの信頼。
これがなくては絶対に実現しないプロジェクトです。

人や親族のつながりをたどって大家さんを探し、丹念に交渉を続け、
これまでに5棟の家を借りられるようにしました。

写真家・西野壮平さんの旅コラム
「別府の温泉に浸かり、声をかけ、
100湯以上を撮影した旅」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第12回は、写真家・西野壮平さんによる
別府の温泉を撮影して回った話。
自らも地元の銭湯や温泉、通称「ジモ銭」に入りながら、
合計100湯以上で撮影を敢行したことで
エリアごとの小さな特徴を感じ、
ローカルでのコミュニティとしての役割を認識したようだ。

水にどうしても惹かれる

「山か海かどちらが好き?」と聞かれると
「海も湖も川も好き」と答えたいといつも思う。
僕は断然、水派だ。

水というものにどうも惹かれるのだ。
生まれたところは比較的海が近かったし、
今までの人生で引っ越しを10回ほどしてきているが、
自然と家の近くに川があるところを選ぶ傾向があった。

「温泉名人」の指原勇さん。

「温泉名人」の指原勇さん。

写真を生業にしてかれこれ15年以上経つが、
その大半がさまざまな世界の都市という舞台をテーマに作品を制作してきた。
撮影ではそのまちで生活しながら、都市の風景や人を写真に撮ってきた。
すべての場所がそうというわけではないが、
ある場所が都市となる前の風景には、たいてい水があった。

川や海があり、そこに人が集まり、交易、貿易が発達することで
さまざまな文化が生まれ、その繰り返しが脈々と続いたことで
今日の都市の姿へと変貌を遂げてきたのだ。

そのまちに流れる水の存在は、生命を維持する血管のようであり、
その水を見ることは、ひとつの生き物の体の中を見ているようだなと
ロンドンのテムズ川沿いを歩きながら思ったことがある。

別府のまち並み。

別府のまち並み。

世界のアパレルに愛されてきた
兵庫の播州織。コロナ禍の今、
その新しいチャレンジを応援したい!

播州織とは、“日本のへそ”と呼ばれる兵庫県の西脇市を中心とした
北播磨地域で生産されている生地、テキスタイルのこと。
しかしコロナ禍によって、注文数が激減するなど多大な影響を受けた。

そこで伝統的なものづくりを守り、その品質を広めていくため、
大丸・松坂屋が手がける「Think LOCALー買って、食べて、参加して!キャンペーン」にて
(※このキャンペーンは終了しています)
「北播磨地場産業開発機構」を支援する活動が始まった。

まずはこの地で続く分業制の生産の流れ、
工場の技術力と伝統を受け継ぎながらもいま生まれつつある
播州織の新たなチャレンジと可能性に注目してみたい。

播州織ならではの表情豊かなテキスタイル

播州織には約230年の歴史がある。京都の西陣織の技術がこの地にもたらされ、
閑散期の農家が機織りに従事したことが始まり。
最盛期の1980年代には約9割が海外輸出され
数多くの世界的なアパレルブランドにも愛されてきた。

その特徴は、先染め織物。
先に糸を染めてから織り上げるため、複雑な格子柄など自由自在に
表情豊かなテキスタイルをつくり出すことができる。
そして、糸を染める、糸を織る、生地を加工する、
完成までの工程すべてを同地域内で行えることは、全国の産地でも稀である。
播州織はどのようにできあがるのか? そしてその現状とは?

コロナ禍の今こそ、大阪が誇る
伝統的エンターテインメント
「文楽」を 知って、応援したい!

コロナ禍によって、大阪の伝統文化である文楽も、
公演を自粛するなど、多大な影響を受けた。
そこで文楽公演の復帰はもちろん、その先にある活動を見据えて、
「Think LOCALー買って、食べて、参加して!キャンペーン」にて
(※このキャンペーンは終了しています)
文楽協会を支援する活動が始まった。
まずは初心者でも楽しめる文楽の魅力を知ってほしい。

大阪が誇る伝統芸能、文楽はいま見てもおもしろい

文楽は約300年前から続く、大阪が世界に誇る伝統芸能。
伝統芸能、といわれるとちょっと身構えるかもしれないが
実は昔も今も庶民のためのエンターテインメント。
少しの準備さえすれば、この古くて新しい魅力に気づくはず。
文楽の世界をちょっとのぞいてみませんか?

江戸初期の「大坂」で生まれた文楽。その正式名称は「人形浄瑠璃文楽」で、
『曽根崎心中』などの名作を次々に生み出した竹本義太夫と近松門左衛門による
作品を上演した「竹本座」を皮切りに、大阪のまちで発展した総合芸術である。

国立文楽劇場は、〈中銀カプセルタワービル〉などで知られる黒川紀章による建築。

国立文楽劇場〉は、〈中銀カプセルタワービル〉などで知られる黒川紀章による建築。

三業(語りの太夫、三味線奏者、人形遣い)が一体となり繰り広げられる人形芝居で、
その演目は大きく時代物、世話物、景事の3つに分けられる。
時代物は鎌倉から戦国時代の歴史物語、
世話物は江戸当時の恋愛や事件などを主題としたドラマ、景事は華やかな舞踊劇。
世界にも類を見ない伝統芸能として、
2008年にはユネスコの無形文化遺産にも登録されている。

文楽には日本のすべてが詰まっている

ずばり文楽とは? 大阪と文楽の関係とは?
これからの文楽の魅力をどのように捉え、発信しているのか?
舞台上のパフォーマーである太夫と三味線弾き、そして人形遣い、
3人の若手技芸員(ぎげいいん)に話を聞いた。

2018年(平成30年)1月に、8代目竹本綱太夫五十回忌追善の公演にて『摂州合邦辻』を語る。6代目竹本織太夫の襲名披露でもあった。(写真提供:竹本織太夫)

2018年(平成30年)1月に、8代目竹本綱太夫五十回忌追善の公演にて『摂州合邦辻』を語る。6代目竹本織太夫の襲名披露でもあった。(写真提供:竹本織太夫)

「大阪は、負け続けていても阪神タイガースをとことん応援するまち。
これだけ身びいきの強い大阪で、なぜ文楽最高! と言ってもらえないのか?
そこはまだまだ僕らの発信や提案が足りないからだと思っています」

そう語るのは太夫の竹本織太夫さん。
織太夫さんはいわば文楽という大阪カルチャーのスポークスマン。
舞台以外でもテレビやラジオへの出演、
そして自著『文楽のすゝめ』『ビジネスパーソンのための 文楽のすゝめ』などを通し
文楽の魅力を精力的に伝えている。

平成30年に6代目を襲名した竹本織太夫さん。

平成30年に6代目を襲名した竹本織太夫さん。

舞台で義太夫節を語る太夫の役割は、ただのナレーターにあらず。
舞台上手から、同じ演目内に登場するさまざまな人物を、
ひとりで語り分ける声の役者でもある。
織太夫さんから見た文楽の魅力は、日本文化が詰まっていることだという。

「まず文楽は日本語でやっている、ということです。
外国の音楽の歌詞よりは、わかろうと思えばすぐに理解できるはず。
それに文楽には文学、音楽、宗教、風習、歴史、そして本質的な精神性に至るまで、
日本のすべてが詰まっている、といっても過言ではありません。
囲碁を学ぶことや、俳句だって知ることができる。そこが大きな魅力なのです」

特に「関西人は文楽を2割増しで楽しめる」素養があるという。
なぜなら、舞台の多くが関西だから。

「文楽を見ると大阪のまちはアミューズメントパークのように見えてくると思います。
曽根崎だったり、北浜だったり、
大阪の人が知っている地名がいろいろと出てくるわけです。
観光視点としては、大阪にはお好み焼きや〈USJ〉もあるけれど、
文楽もありますよ、という提案をしています。
いくたまさん”や“お初天神”など、
演目に出てくるスポットを巡礼することもできますしね」

太夫が舞台で読む「床本(ゆかほん)」。自筆である。

太夫が舞台で読む「床本(ゆかほん)」。自筆である。

今回、文楽協会を支援している〈大丸〉の
「Think LOCALー買って、食べて、参加して!キャンペーン」。
(※このキャンペーンは終了しています)
大阪の心斎橋出身という織太夫さんは、
その〈大丸〉心斎橋店に個人的にも忘れがたい思い出があるそうだ。

「私たちの源流は道頓堀の竹本座ですが、
昔の竹本座の納入記録には
大丸さんから人形の衣裳が納品されていたという帳面も残っています。
だから大丸さんと文楽は、300年のご縁があるのです。
それに私の小学校の通学路には大丸さんがあった。
当時は地下通路にあったクッキー屋さんで、
毎日、試食用のクッキーをいただいて帰ったものです(笑)」

マカロン、タルトなどお菓子づくりに、
庭のバラを愛でる暮らし。
大人が趣味に没頭できる家

家族6人でアイランドキッチンを囲む暮らし

日本有数の名山が連なる北アルプスの稜線を一望できる長野県松本市。
この景観に惚れ込み、5年前に東京から移住してきたのが、
的場一峰(まとば・かずみね)さん一家だ。
一家が暮らすのは、住宅ブランド〈BESS〉のなかでも
三角屋根が特徴的なログハウス「G-LOG」。
室内から外へゆるやかにつながるウッドデッキがあり、
その先に手入れの行き届いたイングリッシュガーデンが広がっている。

松本駅からほど近い住宅街で、ひと際目立つとんがり屋根のお宅から
的場一峰さん・友恵さんのご夫婦と子どもたち4人の賑やかな声が聞こえてきた。

的場さん夫婦の共通の趣味は登山。理想の暮らしを実現するために松本へ移住を決意。

的場さん夫婦の共通の趣味は登山。理想の暮らしを実現するために松本へ移住を決意。

バラのアーチをくぐり、ウッドデッキから玄関を上がると
広々としたダイニングとキッチンが出迎えてくれる。
お菓子づくりが趣味の友恵さんが、
とくにこだわり抜いたというのがアイランドキッチンだ。

キッチンにはあらゆる調理器具を取りそろえ、それに合わせてキッチンを調整した。
〈ミーレ〉の食洗機やオーブン、〈キッチンエイド〉のミキサー、
〈ロボクープ〉のフードプロセッサーなど、
友恵さんのキッチンにはプロ顔負けのキッチンツールが並んでいる。

〈ミーレ〉のオーブンで得意料理のスコーンを。友恵さんはもっぱらつくるのが専門。

〈ミーレ〉のオーブンで得意料理のスコーンを。友恵さんはもっぱらつくるのが専門。

というのも、友恵さんは東京でスパイスカレーやクレープなど
手づくりをコンセプトにした喫茶店を経営していたこともあり、
自宅でのお菓子づくりも本格的だ。

松本に来て、東京暮らしのときには
なかなか挑戦しづらかったお菓子にもチャレンジしている。

「東京に住んでいたときは、マンションの手狭なキッチンがとにかく窮屈でした。
このキッチンなら下の女の子3人も広く使うことができるので楽しいし、
ストレスなく料理できるようになりました」(友恵さん)

とくにマカロンは、簡単そうで意外と難易度の高いお菓子。
すぐにひび割れてしまったり、オーブンが変わるだけでも微妙な誤差が生じるので
友恵さんは、マカロンづくりに実験的な楽しさを見出している。

長野の特産品でもあるルバーブを使ったタルト。タルトだけではなく、ルバーブのジャムをつくることも。

長野の特産品でもあるルバーブを使ったタルト。タルトだけではなく、ルバーブのジャムをつくることも。

そのなかで、新しいレシピに挑戦することは日々の楽しみ。
松本に来てBESSの家で暮らすことで、自然を身近に感じ、
本格的に家庭菜園を始めたり、地元の特産食材にも注目するようになった。

地元で採れたブルーベリーやルバーブは新鮮でおいしい。
そうした地元の食材を、どうしたらお菓子としてさらにおいしくなるか、
研究しながらお菓子をつくることがとにかく楽しいようだ。
友恵さんの料理への探究心と情熱は、
松本に来てより一層燃え上がっている。

キャンプ道具の出し入れも自由自在。
遊びの達人の家は
暮らしをまるごと楽しむ装置

福井市の郊外に、志津が丘と呼ばれる緑に囲まれた住宅地がある。
福井平野と越前海岸を隔てる山地の入り口に位置している。
市街地から車で40分ほどの距離だが、志津が丘では夜、フクロウが鳴くらしい。

その土地に、若い世代からも慕われる“遊びの達人”である竹下光彦さんが暮らしている。「横乗り系の遊びは全部、やりました」と語る竹下さんは、福井県鯖江市で生まれ、
若い頃はスケーターとしても北陸で名を知られた。

大人になっても情熱を失わなかった結果、たどりついた家

玄関先にスケボーや自転車

大人になっても遊びを突き詰められる人はかっこいい。
多くの人は年を重ねるにつれ、知らないうちに遊び心を失っていく。
暮らす場所ひとつとっても、便利さや快適さ、合理的な機能が優先され始める。

しかし、竹下さんは違う。
「子どもの学校から近い環境を」という
奥さん・恵子さんの意見にはきちんと耳を傾けながらも、
若い頃から突き詰めてきた遊びへの情熱を決して絶やさない人だ。

横乗り好きな雰囲気を感じる竹下光彦さん。

横乗り好きな雰囲気を感じる竹下光彦さん。

さすがに若い頃と比べて横乗り系の遊びに関しては出かけられなくなったというが、
玄関口にはスケートボードが立てかけられ、
吹き抜けのリビングの一角には、3メートル近くありそうな
サップ(SUP=Stand Up Paddleの頭文字。立ったままパドルを漕いで乗る板)が、
立てかけられている。

「空気を入れて膨らませるタイプなので、本当は小さく収納もできます。
ただ、丸めてしまうと素材も傷みます。
いろいろ保管場所を考えたのですが、
これほど大きなサップをそのまま置ける場所といえば、ここしかありませんでした」

3メートル近くあるサップが、余裕をもって立てかけられる高い吹き抜け空間。

3メートル近くあるサップが、余裕をもって立てかけられる高い吹き抜け空間。

吹き抜けには金網の棚もあり、
その上にはプラスチック製の大きな収納ボックスが並んでいた。
2階のロフトスペースにはキャンプ用品がぎっしりと並んでいて、
寝室にはサーフボードやスノーボードが立てかけられている。

「前に暮らしていたマンションでは、家族でキャンプに出かけるたびに、
大変な思いをしていました。
荷物をエレベーターで何往復もして車に運ばなければいけませんし、
そもそも大きすぎて、外に持っていくこと自体が大変な荷物もありました」

ウッドデッキでランプを灯す

「しかし、この家の場合は荷物の出し入れで、
角が引っかかるような余計な構造物がありません。
リビングの窓が大きく、ウッドデッキにもつながっているので、
サイズのある道具でも出し入れがラクです。
軒先でバーベキューをしようと思ったら、あっという間に準備が整ってしまいます」

確かに竹下さんのように、さまざまな道具を駆使しながら屋外の遊びを存分に楽しむ人には、
今のような家でないと窮屈かもしれない。

もちろんマンションは一般的に、極めて合理的につくられている。
しかし、それは日常的な都市生活を送るためであって、
3メートルのサップを出し入れするための合理性ではないのだ。

2階のロフトスペースにはキャンプ用品がぎっしりと並んでいる。

2階のロフトスペースにはキャンプ用品がぎっしりと並んでいる。

土産商・岡野弥生さんの旅コラム
「イイダコ、ワカメに見開き御朱印!
1泊2日×6回の東北ショート旅」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第11回は、江戸土産ブランド〈新吉原〉を手がける岡野弥生さんによる
松島、平泉、石巻、気仙沼などを旅した話。
東日本大震災をきっかけに東北を再認識し、
東北旅を毎年春の恒例行事としてきたそう。
1泊2日で行ける東北アチコチの魅力を伝えてくれます。

1泊2日の旅を繰り返し、東北各地へ

東京から近いのになかなか訪れる機会のなかった東北。
私の住んでいる台東区には“東北への玄関口”といわれている上野駅があるし、
行こうと思えばすぐに行けると思っていたのかもしれない。

東日本大震災をきっかけに2012年から17年までの間、
春になると毎年友人と一緒に東北を旅した。
春の恒例行事にしていこうと思っていたが、
好きなときにふらっと行けていた旅が結婚や出産などでだんだん難しくなっていき、
また行けるかなと思った頃に新型コロナウイルスで旅どころではなくなってしまった。

今まで海外も国内もたくさん旅してきたが、
事前の下調べやスケジュールを組むのも大好きなので、
最近はいろいろなコースを頭の中で考えながら過ごしている。
東北旅行のときも私がほぼ全部スケジュールを決めていた気がする。

当時は友人も私も会社員だったので週末しか休みがなく、
1泊2日で行ける範囲となると大体決まってしまい、
松島、平泉、石巻、気仙沼くらいまでしか行けなかった。
松島ではお寿司を食べて素敵な風景を堪能し、
平泉ではわんこそばを食べて中尊寺に行った。

気仙沼はまだまだ復興途中という時期に訪れたが、
ちょうど〈シャークミュージアム〉がオープンしたばかりでサメについて学んだ。
東日本大震災の爪痕が残る場所へ案内してもらえる〈語り部タクシー〉にも乗り、
テレビでしか見ていなかった被災地を実際に訪れ、いたたまれない気持ちになった。

コロナ禍で考えたマルチローカル。
タウン&カントリーの
オルタナティブな暮らし方

アリゾナのバンド〈キャレキシコ〉に学んだLocal to Global

これまで7回にわたって、
10年前に廃校で開催を始めた〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉の立ち上げ、
そしてその廃校を引き受けて運営するために立ち上げた
一般社団法人〈リバーバンク〉のことを書いてきました。

この10年間というもの、僕は東京と鹿児島を月1回以上のペースで行き来するという、
ダブルローカル生活を続けてきました。
人生のなかで暮らした年数からいえば、東京と鹿児島はちょうど半分ずつ。
ところが今年初めに始まったコロナ禍によってその生活はストップし、
この文章を書いている現在(20年7月)の時点で
もう3か月以上鹿児島に戻れないという状況が続いています。

そんなコロナ自粛の最中に、
「複数のローカルを持つということ」について考えたことを今回はお話しようかと思います。

僕は1990年に18歳で鹿児島から上京して学生、そして音楽活動をしていて、
ひたすら東京で新しい刺激を求めていました。
そんな僕が自分の地元を意識するきっかけになったのは、
2001年「アメリカ同時多発テロ」のちょっと後に
アメリカの〈キャレキシコ〉というバンドと僕らのバンド〈ダブルフェイマス〉が
日本ツアーを一緒にしたときのことです。

当時使っていた僕のトランペットケース。

当時使っていた僕のトランペットケース。

キャレキシコ(calexico)というちょっと変わった名前は、
カリフォルニア(california)とメキシコ(mexico)の間という意味で、
「越境すること」はバンドの音楽的なコンセプトにもなっていました。
彼らはアリゾナ州ツーソンという小さなまちを拠点に、世界中にツアーに出ていました。

キャレキシコのメンバーとダブルフェイマス。

キャレキシコのメンバーとダブルフェイマス。

ツーソンは人口50万人ほど。
人口だけでいえば僕が育った鹿児島市と大して変わりません。
ニューヨークやロサンゼルスのような大都市のほうが便利そうなのに、
なぜそんな小さなまちにいるのか尋ねたら、
逆に「なんでそんなこと聞くんだ?」という顔をされたのを憶えています。

「ツーソンにいれば自分のスタジオでリラックスして音楽活動ができる。
創作活動するのにいちいち狭くて高いスタジオを借りるなんて考えられないから、
都会に全然メリットを感じない」と事もなげに答えてくれました。
そして「ところで君たちのホームタウンはどこなの? 東京?」と。

アメリカの中でも特に西部は開拓者精神を持って移民した人たちの土地なので、
自分の居場所は自分で選択するというマインドを持っている人が多いように思います。
裏側にはさまざまな暗い歴史もあるので一概に称賛はできないものの、
近しい祖先が開拓して勝ち取ったという選択にプライドがある。

それに対して日本人は先祖代々生まれ育ったところにずっといるという人も多いし、
都市と地方の距離も比較的近いので自分で土地を選ぶという意識は少ないかもしれません。

広々としてリラックスしたアメリカのローカルの風景。

広々としてリラックスしたアメリカのローカルの風景。

北海道三笠市にUターンして
工房を始める。
うつわと暮らしの木工作家、内田悠さん

札幌と旭川の間にある空知地方の南部に位置する三笠市。
北海道の石炭と鉄道の発祥の地で、主要都市や新千歳空港にも近く利便性の高いまちだ。
木工作家の内田悠さんは、3年前、移住先としても人気のこのまちに
家族でUターンして自宅と工房を構えた。
一度は故郷を出て、生まれ育ったこのまちに帰ってきた内田さん。
あらためて体感する三笠の暮らしと、自身の製作活動の変化について聞いた。

田舎の生活は、忙しくも楽しい

まるで映画に出てきそうな、鬱蒼とした森。
どこまでも続く原っぱを、2歳になる朔くんが縦横無尽に駆け回る。

「楽しそうなんですよね、子どもが。
今はひたすら庭で石を掘ることにハマっていますけど、
車を気にせず遊ばせてあげられるから、
もう少し大きくなったらもっと楽しいでしょうね」と、内田さんは目を細めた。

息子の朔くん。

息子の朔くん。

高校を卒業して、岩見沢市役所に入庁した内田さんは
6年勤務した後に上京し、イタリアンレストランなどで働いたあと、
本格的に木工を学ぶべく、岐阜県高山市の〈森林たくみ塾〉に入塾した。
奥様の美帆さんと一緒に暮らし、一度は高山市の雰囲気にも惹かれたが
「母親も住んでいるから、三笠に戻ろうか」という話になった。

「地元には同級生がたくさんいるのですが、
そのひとりである〈山﨑ワイナリー〉の4代目の山﨑太地に
『家と工房を建てたいんだけど、どこかいい場所ない?』って聞いたら
『あるよ』って。紹介してくれたのが、ここだったんです」

自宅と周辺には、およそ15ヘクタールの農地が広がっている。

自宅と周辺には、およそ15ヘクタールの農地が広がっている。

それは、もう何十年も使われていなかった広大な農地。
周辺も農地が続くため民家はほとんどなく、
内田さんは「きっと工房で音を出しても気にならないだろう」と思った。
何より惹かれたのは、その自然豊かな環境だ。

「静かで、製作の邪魔をされることもありません。
今も作業中、ふっと窓の外の緑を見ると癒されますし、
近くに湧き水の池があって、休憩がてら散歩に行ったり
山菜を採ったりもしています」

工房の窓から見える緑は、どことなく幻想的だ。

工房の窓から見える緑は、どことなく幻想的だ。

庭には「最近始めたばかり」という、家庭菜園と呼ぶには広すぎる畑がある。
主に美帆さんが手入れをし、内田さんも時間を見つけて参加しているそうだ。
小松菜、じゃがいも、さつまいも、豆類……、
「そのうち鶏を飼いたい」と美帆さんが言えば、
「狩猟免許も取りたいな」と内田さんが返し、
田舎のほうが忙しいね、と笑い合った。

東京出身の美帆さんは「自然があまりないところで生まれ育ったので、
東京とは全然違って、三笠での暮らしはすごく新鮮です」と話してくれた。
ご両親も友だちも東京にいるため、たびたび帰省するが
三笠から新千歳空港まで、車で1時間程度と近いところも便利に感じている。

奥様の美帆さん。

奥様の美帆さん。

「年に数回、東京でいろいろな情報に触れて、
刺激を受けて帰ってくる……という生活が楽しい。
三笠を拠点に、ときどき東京、という生活が
私には性に合っているようです」

琵琶湖を望むツリーハウス!
コーヒーとキャンプを愛する暮らし

外から内へ、また外へ。境界があいまいな家

滋賀県にある琵琶湖の西側は、目前まで山が迫っている。
湖岸から少し山へ登っていくだけで、広大な琵琶湖を望むことができる。
その山のなかのひとつ、蓬莱山(ほうらいさん)のふもとに移住し、
家を建てたのが淡田さんファミリーだ。
少し離れたところからでも、「あの家だ!」とわかるのは、
庭にツリーハウスが建てられているから。
ツリーハウスにお邪魔すると、真っ正面に日本一広い琵琶湖。
見晴しがよくて、とにかく気持ちが良い。

ツリーハウスは庭で存在感を発揮する。

ツリーハウスは庭で存在感を発揮する。

こんな心躍らせるツリーハウスを建ててしまう淡田洋平さんは、
2016年、滋賀県大津市に移住した。
外装の壁は木に覆われていて、中に入っても全体的に無垢の木でつくられている。
まず目に入ってくるのは、“通し土間”と吹き抜けの天井まで設えられた本棚だ。

「京都などの長屋が好きで、裏庭から表庭まで通じる通し土間にしたいと思って。
それに本棚と薪ストーブを中心に家のデザインを考えました。
薪ストーブと本棚のおかげで、必然的に吹き抜けになりましたね」と話す淡田さん。

吹き抜けの2階から。

吹き抜けの2階から。

フリーランスで主に自動車のCMF(カラー・マテリアル・フィニッシュ)デザイナーとして
働く淡田さんの仕事場となるデスクは土間にある。
上部の吊り棚やデスク周りには、
木の内装とは対照的なカメラやヘッドフォン、ドローンなどのガジェットがずらり。
イームズのシェルチェアに座り、ここだけ見ると都心のコワーキングオフィスのようだ。

ワークスペースは男っぽい一画。

ワークスペースは男っぽい一画。

本棚にはデザインやインテリア、カルチャー系の雑誌に加えて
アウトドアグッズが整然とディスプレイされている。
テントやシューズ、バーナー、コッヘルなど、淡田さんに選ばれた“1軍”だ。
収納ではなく、飾る。好きなものに囲まれた生活。

淡田さんは、子どもの頃はボーイスカウトに参加していて、
当時は兄や友人とキャンプなどによく出かけていた。
しばらくアウトドア遊びからは離れていたが、東日本大震災をきっかけに、
アウトドアグッズの機能性などに注目。家族ができて再びキャンプに出かけるようになった。

好きなアウトドアギアなどを中心に。

好きなアウトドアギアなどを中心に。

ほかにも、家中にある多肉植物は飯ごうをアレンジしたポットに入れられていたり、
〈ノースフェイス〉のアウトドアチェアを家の中で仕事の打ち合わせとして使用したり。
アウトドアアイテムを屋内の暮らしにもうまく取り入れ、
屋内か屋外かわからないような、
両方がシームレスにつながっているようなライフスタイル。
通し土間という構造がそれを象徴している。

裏庭の玄関から表庭までの通し土間。

裏庭の玄関から表庭までの通し土間。

ウッドデッキには、逆に屋内用の〈カリモク〉のソファが置いてある。
ずっと外に置きっぱなしというが、風雨にさらされて、かえっていい味になっていた。

ウッドデッキでは簡単な食事や仕事も。

ウッドデッキでは簡単な食事や仕事も。

飛騨高山のゲストハウス〈cup of tea〉
銭湯に浸かりながら、
新しい「木」のまちづくりを。

今回のゲストハウス:cup of tea(岐阜県高山市)

外国人観光客から特に人気の高い観光エリア、飛騨高山。
東京と京都の間に位置することで寄りやすく、
豊かな自然が満喫できることも魅力となっている。
その高山で2018年にオープンしたゲストハウスが〈cup of tea〉。
海外経験豊富なオーナー・中村匠郎さんにオンラインインタビューにて
11の質問を投げかけた。

Q1 立ち上げ経緯は?

「世界の都市や東京から見てローカルコミュニティの可能性を感じました」

「高校生の頃から海外に留学し、大学、社会人と合計5か国10年間、
海外で生活していました。
それまで日本もグローバリゼーションの渦のなかで
発展していくべきだと思っていたのですが、
21世紀をリードすると考えられているシンガポールや上海で働くことで、
日本も同じ線上で勝ち目の薄い戦いをするべきなのかという疑問と違和感を持ちました。
それよりも別の土俵で戦うべきで、
それであれば東京よりローカルのほうが課題もたくさんあり、
解決できるのもローカルの現場だ。
そう思い、実家に戻って銭湯を継ぎつつ、
まずはゲストハウスをオープンすることにしました」

中村さんの実家は銭湯。かつては銭湯を継ぐことは考えてもいなかったというが、
東京で盛り上がりを見せる銭湯業界を目の当たりにし、
これからのコミュニティ社会にとっての核になる可能性を感じたという。

cup of teaはすっきりとしたデザイン。

cup of teaはすっきりとしたデザイン。

音楽家・Kan Sanoさんの旅コラム
「愛知県のちいさな離島で行われた
1泊2日の〈篠島フェス〉にて」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第9回は、ミュージシャンのKan Sanoさんが
愛知県の離島で行われたフェス〈篠島フェス〉に出演した話。
炎天下でのライブにはじまり、離島の雰囲気や泊まった旅館でのできごとなど、
ライブはおろか、県外に出られない現状のなかで
楽しかったフェスの思い出を綴ってくれました。

小さな離島、篠島で行われた〈篠島フェス〉の“思ひ出”

この数年ほぼ毎月地方で演奏してきたが、コロナが始まって以来ずっと東京にいる。
ここまで県外に出ないのは久しぶりだ。
どうやって息抜きをすればいいのか、いまだに答えが見つからない。
自分にとってツアーやフェスは仕事でありながら、
気分転換にもなっていたのだと痛感する。年間200本演奏した年もあった。
会場の趣きやお客さんの表情は場所によってさまざまだ。
それぞれの場所で生きる人たちにふれ、まちにふれ、文化を知る。
ミュージシャンはラッキーな職業だなと思う。

ライブにまつわる思い出はたくさんあるが、
大変な思いをしたイベントほどよく覚えているものだ。
2年前の7月、愛知の離島、篠島のフェス〈篠島フェス〉に出演した。
離島で演奏するのは初めての経験だった。
バンドメンバーの森川君(bass)とシン君(drums)と早朝の東京で集合し車1台で出発。
最寄りの港に着いたのは昼頃。
まずはシラス丼をいただく。
もともとシラスは好物だったが、自宅でメダカを飼い始めて以来、
若干の複雑な感情をともないながら食べることになってしまった。
その後小さなフェリーに乗り、島へ向かう。
同伴スタッフはいないので自分たちで機材を手分けして運ぶ。

篠島のサイズがわかる。

篠島のサイズがわかる。

この日は夏一番の猛暑日。夏の東京の暑さは異常だが、愛知も負けてはいない。
むしろ愛知のほうが暑く感じる。
移動だけでかなり体力を消耗するが、途中船上に出て浴びた海風の心地よさに救われた。
フェリーにはフェスのお客さんと思われる人もたくさん乗っていて少し気まずかった。