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コロナ禍で考えたマルチローカル。
タウン&カントリーの
オルタナティブな暮らし方

坂口修一郎の「文化の地産地消を目指して」
vol.008

posted:2020.7.29  from:鹿児島県南九州市川辺町  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。

writer

Shuichiro Sakaguchi

坂口修一郎

さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。

アリゾナのバンド〈キャレキシコ〉に学んだLocal to Global

これまで7回にわたって、
10年前に廃校で開催を始めた〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉の立ち上げ、
そしてその廃校を引き受けて運営するために立ち上げた
一般社団法人〈リバーバンク〉のことを書いてきました。

この10年間というもの、僕は東京と鹿児島を月1回以上のペースで行き来するという、
ダブルローカル生活を続けてきました。
人生のなかで暮らした年数からいえば、東京と鹿児島はちょうど半分ずつ。
ところが今年初めに始まったコロナ禍によってその生活はストップし、
この文章を書いている現在(20年7月)の時点で
もう3か月以上鹿児島に戻れないという状況が続いています。

そんなコロナ自粛の最中に、
「複数のローカルを持つということ」について考えたことを今回はお話しようかと思います。

僕は1990年に18歳で鹿児島から上京して学生、そして音楽活動をしていて、
ひたすら東京で新しい刺激を求めていました。
そんな僕が自分の地元を意識するきっかけになったのは、
2001年「アメリカ同時多発テロ」のちょっと後に
アメリカの〈キャレキシコ〉というバンドと僕らのバンド〈ダブルフェイマス〉が
日本ツアーを一緒にしたときのことです。

当時使っていた僕のトランペットケース。

当時使っていた僕のトランペットケース。

キャレキシコ(calexico)というちょっと変わった名前は、
カリフォルニア(california)とメキシコ(mexico)の間という意味で、
「越境すること」はバンドの音楽的なコンセプトにもなっていました。
彼らはアリゾナ州ツーソンという小さなまちを拠点に、世界中にツアーに出ていました。

キャレキシコのメンバーとダブルフェイマス。

キャレキシコのメンバーとダブルフェイマス。

ツーソンは人口50万人ほど。
人口だけでいえば僕が育った鹿児島市と大して変わりません。
ニューヨークやロサンゼルスのような大都市のほうが便利そうなのに、
なぜそんな小さなまちにいるのか尋ねたら、
逆に「なんでそんなこと聞くんだ?」という顔をされたのを憶えています。

「ツーソンにいれば自分のスタジオでリラックスして音楽活動ができる。
創作活動するのにいちいち狭くて高いスタジオを借りるなんて考えられないから、
都会に全然メリットを感じない」と事もなげに答えてくれました。
そして「ところで君たちのホームタウンはどこなの? 東京?」と。

アメリカの中でも特に西部は開拓者精神を持って移民した人たちの土地なので、
自分の居場所は自分で選択するというマインドを持っている人が多いように思います。
裏側にはさまざまな暗い歴史もあるので一概に称賛はできないものの、
近しい祖先が開拓して勝ち取ったという選択にプライドがある。

それに対して日本人は先祖代々生まれ育ったところにずっといるという人も多いし、
都市と地方の距離も比較的近いので自分で土地を選ぶという意識は少ないかもしれません。

広々としてリラックスしたアメリカのローカルの風景。

広々としてリラックスしたアメリカのローカルの風景。

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都会のメリットは情報量、ではデメリットは?

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都会の成り立ち、その優位性とは何か?

あらためてフラットに東京と地方、両方の土地を眺めてみると、
確かに彼らが言うとおり、東京という世界最大級の都市にいることは、
メリットはすごくあるけれど、デメリットも相当あると思うようになりました。

メリットはもちろん、人もモノも情報も日本では一番集まる場所で、
もっとも刺激のあるまちだということでしょう。
デメリットは逆に人もモノも情報も多すぎるということ。

東京はおもしろい人にもたくさん出会えるし、
いいモノにも情報にも興味さえあればいくらでも触れられる。
もちろんそこにはお金もかかるので無限に物や情報に触れ続けることはできませんが、
お金がたくさんあればいいかというとそんなこともない。
都会にいると無限に押し寄せる膨大な情報を整理して取捨選択することが常に求められる。

しかしはたして、これ以上新しいモノや情報が必要なんだろうか。
誰よりもたくさんの人とつながっていて、
モノや情報をたくさん持っている人が偉いという風潮に
疑問を感じ始めている人も多いと思います。

東京はヒト、モノ、コトの集積地なので、なにか活動をする場合、
情報発信のハブにするのは理にかなっています。
でも、インターネットが登場してどこにいても情報を発信できるようになったし、
コロナ禍で必要に迫られて使いこなす人が増えた今、
都会の優位性はどんどん揺らいでいます。

日本中から人とモノが集まる都心のマーケットイベントの様子。

日本中から人とモノが集まる都心のマーケットイベントの様子。

世界中どの国もだいたいそうですが、国の運営を効率よくしようとすると、
さまざまな機能を1か所に集めて中央集権化するということになります。

都会のビル群。

都会のビル群。

そうして集積し、都市化した結果、いま大問題になっている「密」が生まれます。
そもそも都会というのは密をつくりだすことを前提に発達してきたので当然です。

隙間のない都市の雑踏や満員電車のように人々が密集している場所では
プライベートな距離が保てず、心地いい居場所を見つけづらい。
人は群れて社会をつくり暮らす生き物ですが、
魚や羊の群れのようにギュウギュウに密集するのはそもそも向いていません。
満員電車が心地いいという人はいないように、
もともと人は適度な距離(パーソナルスペース)を必要とする動物のはず。

すし詰めの満員電車や渋滞のような人の集まりがないと成り立たない経済には、
そもそも無理があります。
大都市は、人の流れまで大量生産して機械のように消費するという
非人間的な空間だともいえる。
このあり方が新型コロナウイルスによってあらわになり、
一時停止をかけたというのがまさに今です。

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都会で一番の贅沢とは?

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都会のスペース、地方のスペース

気がつけば、人がいない場所を確保できるというのは、
都会では一番の贅沢になってしまいました。
なんでもあるといわれる都会には、
なんでもあるがゆえに地方のようなゆったりしたスペースはありません。

火山灰が直撃する鹿児島の日常の風景。

火山灰が直撃する鹿児島の日常の風景。

基本的に人にとって居心地のいい場所というのは、
パブリックな空間の中に十分なパーソナルな距離、
プライベートな空間を確保できる場所であることだと思います。
自分の場所の居心地を良くするためには、身近な友人もそこで心地良くいてもらう。
そしてさらにその友人にも心地良さをシェアする。
そうすれば巡り巡って自分の居場所もまた心地良くなるでしょう。
それが僕らの「BE A GOOD NEIGHBOR」(良き隣人になろう)という考え方でもあります。

誰もいない森の学校ですごす豊かな時間。

誰もいない森の学校ですごす豊かな時間。

みんなが顔の見える距離で集まっているけど、しっかり距離を取れる余裕がある。
それが質の高い空間だと思います。
これは日常の暮らす場所でも、イベントなどのような非日常空間でも変わりません。
量(クオンティティ)よりも質(クオリティ)。
この空間に対する認識は、
これからのアフターコロナの世界では重要となる考え方だと思います。
都会でその空間を手に入れるのには高いコストもかかりますが、
地方ではこうした空間はすぐに手に入ります。

〈リバーバンク森の学校〉には質の高い空間がたっぷりある。

〈リバーバンク森の学校〉には質の高い空間がたっぷりある。

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地域文化の地産地消が重要になる!?

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ゆるやかで精神的に豊かなダブルローカルを実践

今回のコロナ禍が過ぎたとしても、
再びウィズコロナというような状況が生まれる可能性は大いにあります。
ひとたびそうなれば、
頻繁に都会と地方を行き来するというあり方にはストップがかかります。

しかし、この流れを止めるよりは、複数の地域や団体をつなぎ、
物理的にも精神的にも心地いい距離を保ちながら活動する。
地方の魅力を高め、最終的には都市部への人の集中をなだらかにする方向へ向かったほうが、
長い目でみればいいことは間違いありません。

効率化と中央集権化というシステムからしなやかに距離をとることは、
地域の魅力の見直しと再評価、地域の自己肯定感を高めることにつながります。
外からコンテンツを輸入するだけではなく、地元の文化を地元の人が認め、
地域固有の生活文化の地産地消ということが地方においてはさらに重要になります。

隣の芝は青いものですが、遠くにあるすてきな部分だけを見るのではなく、
足元の地元の良さをお互いが認め合う。
都会と地方がそれぞれ持つ利点のどちらにもつながりながら暮らすというのが
新しいオルタナティブなあり方。その選択に居心地の良さがあれば、
たくさんのローカルを持ってどこを拠点にしてもいい。
これからはそういう自由が与えられた時代になると思います。
そしてただ単にその場に移動するだけよりも、
人と人の気持ちのつながった複数の土地を持っていることが大事だとも思います。

毎年のようにあらゆる土地が災害に見舞われるような時代。
つながりのない場所ではリアルに感じられないことでも、
個人的な人のつながりのある土地のことは我がことのように気をかけ、
具体的な支援もできるし、お互い助け合うこともできます。
そのために人とモノや情報をつなげられるツールはどんどん使えばいいと思います。

僕の場合はたまたま自分が生まれ育った土地に、
自分にとって居心地のいい空間を見つけました。
しかし、それはそこにコミュニティがあって
人と人をつなげてくれた人がラッキーにもいたからに過ぎません。

鹿児島の桜島。

鹿児島の桜島。

僕らが地元で活動の拠点にしている鹿児島県川辺町にある〈リバーバンク森の学校〉も、
新型コロナウイルスで活動を制限せざるを得ない状況にあります。
僕もなかなか東京から戻れなくなっていますが、
こんなときだからこそクラウドファンディングなど
さまざまな手法を使ってたくさんの人に協力を求め、
なかなか足を運べなくなっている遠方の人たちとも気持ちをつないでいきたい。

都市と地方に風を通しながら暮らす。
そのために僕はこれからも単に移動をするだけでなく、
さまざまなツールを使って人々の気持ちをつなぐ、
ゆるやかで精神的に豊かなダブルローカルの暮らしを続けていくだろうし、
もっとさまざまな地方の魅力を共有しあう仲間が増えるといいなと思っています。

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