日本初の〈アースシップ〉!
廃タイヤ、空き缶、空き瓶でできた
“地球をゆりかごにしている家”

日本初の〈アースシップ〉住宅が完成!

徳島県と香川県の県境に近い、美馬ICから山側へと車を走らせる。
山肌がぐんぐん迫るなか、山道を走り続けること20分。
やがて目前に広がるのは、稜線と空だけ……。標高600メートル。
四国山脈の美しい山あいに2019年8月、日本初であり、アジアでも初となる
“循環型”オフグリッド住宅〈アースシップ〉が完成した。

この家は、2020年の春、ゲストハウスとしてオープンする予定で、
それまでの間、施主の倉科智子さんがこの家で暮らしている。
倉科さんは2015年に、神奈川県からここ徳島県美馬市に移住し、
“妄想”でしかなかったアースシップの建設を実現した。

「快適でオシャレ」と「地球に負荷をかけない」は両立する

「どうなっているの?」「見たい!」という声も多く、
ここ、日本で唯一のアースシップでは、見学ツアーも受け付けている。

〈アースシップ〉とは、アメリカのニューメキシコ州タオスに拠点を置く建築家、
マイケル・レイノルズ氏が1970年代からアメリカを中心に建て始めた住宅スタイル。
トライアル&エラーを繰り返しながら独自の工法を確立し、
〈アースシップ・バイオテクチャー社〉を設立、
今では世界中でおよそ3000棟が建設されている。

〈アースシップ〉の特徴をまとめると、
【特長その1】太陽光や風力などの自然エネルギーで電気を自給自足する(オフグリッド)。
【特長その2】生活用水は雨水でまかなう。
【特長その3】おもな建築資材がいわゆるゴミ。廃タイヤや空き缶、空き瓶を使う。
【特長その4】デザイン性に富み、美しい。

これらを兼ね備えた、ほかに類を見ない家なのだ。

木の板を並べたアプローチを進み、その姿が現れると、まるでおとぎ話の世界に迷いこんだような錯覚に陥る。一方で、裏山と調和し、ずっとそこにあったかのような佇まい。

木の板を並べたアプローチを進み、その姿が現れると、まるでおとぎ話の世界に迷いこんだような錯覚に陥る。一方で、裏山と調和し、ずっとそこにあったかのような佇まい。

自然エネルギーが循環している仕組みから紹介する。
まずは水。飲料水・生活用水は雨水。屋根で集水した雨水を貯水槽にため、
何度もろ過して塩素を加えたのち、台所やお風呂、洗面所などで使用する。
台所以外の生活排水は室内に設けられた菜園の根元を通るように設計され、
排水に含まれる養分を吸収して野菜や果物などの植物を育てている。
そして最後は、水洗トイレの水として使われる。

家の裏側に回ると、円墳のような屋根がふたつ。雨水を受ける堤を設け、底に敷き詰められた砂利によってろ過された雨水が地中に埋められた貯水槽に流れ込むようになっている。

家の裏側に回ると、円墳のような屋根がふたつ。雨水を受ける堤を設け、底に敷き詰められた砂利によってろ過された雨水が地中に埋められた貯水槽に流れ込むようになっている。

冷蔵庫も洗濯機も完備。都会での暮らしと変わらない快適性を維持している。

冷蔵庫も洗濯機も完備。都会での暮らしと変わらない快適性を維持している。

〈ADDress〉の
全国「住み放題」サービスが、
ローカルのコミュニティを創出する

多拠点居住というサブスクリプションモデル

1か月4万円で、全国に自分の家が25か所以上あったら?
想像してみるとワクワクする話。
そんな“住み放題”という夢のような仕組みを実現したのが〈ADDress〉である。

「モノからコトへ、所有から利用へ」とはサブスクリプションモデルを語るときに
よく使われる言葉であるが、それがとうとう住居というジャンルにまで到達したようだ。

「ミレニアル世代が中核を担うようになってくる2035年頃になると、
デジタルノマドの人口が10億人規模になるという予測があります。
総人口の10%程度になってくると、
彼らに合わせた固定の家を持たない多拠点生活が増えていくのではないかと思います」
と言うのは、ADDressを立ち上げた佐別当隆志さん。

〈シェアリングエコノミー協会〉の理事でもある佐別当隆志さん。

〈シェアリングエコノミー協会〉の理事でもある佐別当隆志さん。

どこでも情報発信できるこの時代に、一番縛られているのが住居や住所。
場所に縛られないライフスタイルは、その人の可能性をもっと広げてくれるのではないか。

「地域で“生産”する人を増やしたいと思っています。
観光客が入れ替わり訪れても、地域の人と交流するわけではありません。
それよりは地域とのコミュニティ創出に力を入れたい。
だからハードよりもソフトに力を入れています」

多拠点生活ということで、
たくさんの住居を整えるハードを中心としたサービスと思いきや、
実はそこで行われるコンテンツなどのソフト面が重要だと語る。
よく見てみると、ADDressのサービスはすべてがそういった思想をもとに
設計されているようだ。

まず、ADDressはゲストハウスやホテルではない、つまり宿泊ではない。
あくまで「住む」ということ。利用者は都度、宿泊代を払うのではなく、
ADDressの全会員が、すべての物件に対して共同で賃貸借契約を結んでいることになる。

「私自身が自宅をシェアハウスにしていた体験から、
日本では、滞在型・交流型の民泊や宿は難しいと感じました。
その代わり、日本の法律のなかで地域と交流できるモデルを考えたのです」

日南市の油津商店街にあるADDress。20年近く閉まっていた角地にオープン。

日南市の油津商店街にあるADDress。20年近く閉まっていた角地にオープン。

全国に点在する「拠点」は、画一的ではなく、
それぞれのローカルの特徴が活かされている。
どの場所に、何日住んでも定額だが、1か所には最大連続7日間まで。
日数の上限を設けているのは、まずは多くの人にいろいろな地域を見てもらいたいから。
“旅行以上定住未満”という関係人口の創出や、流動性を促したいという目的だ。

「最近では観光案内所ではなく、
“関係案内所”のようなものをつくる自治体も増えています。
単なるおいしいお店や見どころを紹介するのではなく、
“おもしろい人”を紹介する。地域に住んでいる人自体が魅力だからです。
また会いに行きたいと思わせるような魅力が、継続的な関係性を生み出します」

ADDress日南邸の部屋。木の香りにあふれている。

ADDress日南邸の部屋。木の香りにあふれている。

何足ものわらじを履きこなす
光市の「ミスターPTA」
佐々木淳志さん

サッカー選手、公務員、YouTuber……。
いまどきの小学生が将来なりたい職業といえばこんな答えが思い浮かぶ。

だが、山口県の光市には「地域コーディネーターになりたい」と
キラキラとした表情で話す小学生がいるという。
小学校高学年の子どもたちが
「まちの良さをもっと広めたい。そのためにはどうすればいいか」と考えている。
日本全国、地元に愛と誇りを持つ人は少なくないが、
光市では段違いの郷土愛が育まれているようだ。

こうした状況を支えているキーパーソンのひとりとして、
佐々木淳志さんの名前が挙がった。
佐々木さんは、会社員として企画・広告の仕事に携わるかたわら、
光市PTA連合会会長、島田中学校PTA会長、島田中学校〈おやじの会〉会長、
自治会の会長、〈光市おせっかいプロジェクト〉代表など、
いくつもの地域活動に力を入れている。

それぞれの地域活動が相互に作用し合う、
佐々木さんならではの在り方、そして働き方を聞いた。

諸先輩がまちのことを熱く語らう姿にジーンときた

光市の人口は約5万人。

光市の人口は約5万人。

岡山県倉敷市出身の佐々木さんは、
奥様による度重なるお国自慢がきっかけで、2006年に家族で光市へ移り住んだ。

「妻のお国自慢もそうですけど、
きっかけは光市に遊びに行ったときの印象が大きいかもしれません。
花見や忘年会などお酒の席によく呼んでもらったんですけど、
地域のおじいさんたちや議員さんが
『まちのためにはもっとこうしたほうがいんじゃないか』と熱く語っていました。
僕の地元では誰かが地域のことを話しているのを耳にしたことがなかったので
『なんだ、このまちは……!』と驚きました」

また地域の子どもたちを我が孫のようにかわいがってくれる
おじいちゃんやおばあちゃんの姿を見て、子育てに対しても好印象だったそう。

コミュニティ・スクールが日本一の設置率

長女15歳、次女13歳、三女5歳、の三姉妹を育てる佐々木さんが、
PTA活動に関わるようになったのは、長女が小学校3年生のときだった。

「PTAをやるまで知らなかったんですけど、
山口県はコミュニティ・スクールもすごいんです」

コミュニティ・スクールとは保護者や地域の人々が学校運営に参画することで、
地域とともに子どもを育てていく取り組みのこと。
地域住民が生徒と合同で早朝にマラソンを行ったり、地域行事を一緒に開催するなど、
お互いが密に関わり合っている。

小中学校におけるコミュニティ・スクールの導入率は、
全国平均が23.7%であるのに対して、山口県は100%の導入率を誇る。
特に光市と萩市はモデル地区として全国でも先行してスタートしており、
地域が一体となって熱心に取り組んできた背景がある。

末っ子が5歳で保育園の年長なので、少なくともむこう9年間はPTAやコミュニティ・スクールなどで地域の子どもたちをがっつりサポートしていきます(笑)」と佐々木さん。

末っ子が5歳で保育園の年長なので、少なくともむこう9年間はPTAやコミュニティ・スクールなどで地域の子どもたちをがっつりサポートしていきます(笑)」と佐々木さん。

「たとえば浅江小学校では5年生の宿泊学習を2泊3日でやるんですけど、
地元のおじいちゃんたちが10人くらい来て、
泊まり込みで3日間ずっとサポートしてくれるんです。信じられないですよね」

加えて、市内のすべての小学校では登下校時も
「見守り隊」と呼ばれるおじいちゃんたちが常時5、6人そばにいてくれるそうだ。

「僕の住んでいる町内の見守り隊方は13年くらい毎日、
朝も夕方も低学年の子どもたちと一緒にいてくれて。
そのおじいちゃんは先日亡くなってしまったのですが、お葬式には卒業生、現役の児童、
さらに保護者までものすごい人数の人が参列していました」

「子どもたちにいろんな体験をさせてやりたい」「地域のことを教えたい」と願う、
心あたたかな光市のおじいちゃんおばあちゃんとコミュニティ・スクールの仕組みは
抜群に相性がよかったようだ。

〈ARCH BREWERY〉柳昌宏さん
クラフトビールを通して
自分のまちを自分でおもしろくする

お酒のまち・岩国で生まれたクラフトビールのブルワリー

すがすがしい醸造所の様子を見た瞬間、
「この人がつくるビールはきっとおいしいに違いない」と確信した。
ここは2年ほど前に開業した、岩国市で初となるクラフトビールの醸造所
〈ARCH BREWERY(アーチブルワリー)〉である。

この岩国市は錦帯橋で有名だが、旭酒造や村重酒造など5つの名蔵元をもち、
あまたの“のんべえ”憧れの酒どころとしても知られる。
そんな酒の聖地で、岩国市出身の柳昌宏さんはなぜこの醸造所を始めたのだろうか。

岩国市の風景。

岩国市の風景。

醸造所はJR岩国駅から徒歩10分、まちの中心地付近にある。

醸造所はJR岩国駅から徒歩10分、まちの中心地付近にある。

カラフルなオレンジ色のビルの1階を訪ねると
すらりと背の高い〈ARCH BREWERY〉代表の柳昌宏さんが出迎えてくれた。
引き戸を開けると広がる、ぱっと見15坪ほどのコンパクトな醸造所。
クラフトビールのなかでも特に独立性が強く、
小さな規模である“マイクロブルワリー”然としている。

全商品5本を並べると錦帯橋が現れる仕掛けというのがいい。

全商品5本を並べると錦帯橋が現れる仕掛けというのがいい。

〈ARCH BREWERY〉は、ホップと柑橘が豊かに香る〈ARCH IPA〉など
全5種類をラインナップ。山口県周防大島のミカンを副原料として使用するなど、
地域の素材も積極的に取り入れる。
米軍基地のある岩国らしいインターナショナルな雰囲気もまた
ビールをおいしくしているかもしれない。
そんな生まれも育ちも岩国の柳昌宏さんに〈ARCH BREWERY〉を巡る物語をうかがった。

つまらないのは、このまちじゃなくて自分自身だった

柳昌宏さん。関西在住時は映画の助監督をしながら、夜は動画制作やライブの撮影をしていたそう。そのときの縁がきっかけで、OEMなどを通してお客さんになってくれている人も多い。

柳昌宏さん。関西在住時は映画の助監督をしながら、夜は動画制作やライブの撮影をしていたそう。そのときの縁がきっかけで、OEMなどを通してお客さんになってくれている人も多い。

大学進学を機に、地元・岩国を出て関西で暮らしたという柳さん。
経営学部で学び、卒業後は映画の助監督として弟子入りしたそう。

「大学まで出してもらったのに親不孝な道を進みました。
そうしているうちに父が病に倒れまして。
当時、僕はお金にならないことをやっていたし、弟の昌仁も県外でプラプラしていたので、
ふたりで一緒に岩国に戻って来ました」

こうして柳さんは2012年にUターンした。

音楽家・蓮沼執太の旅コラム
「現代まで使用されている
江戸時代のキネティックアート」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。

第4回は、音楽家の蓮沼執太さんが
香川県の〈金毘羅山〉を訪れた話。
四国駆け足旅の一貫として登った金毘羅山ですが
現地で知った歌舞伎舞台の仕組みには、とても驚いたようです。

「海」と「山」を意識させる金毘羅山

去年の冬、香川県西部に位置する琴平山、通称〈金毘羅山〉へ行ってきました。

この旅ではまず、新幹線で東京駅から岡山駅へ向かい、
そこからはレンタカーで、四国を駆け足で回ろうという2泊3日の計画です。
旅の目的は、
有名無名を問わず四国のモダニズム建築を観に行くこと、
予約した〈イサム・ノグチ庭園美術館〉への訪問、
気になっていた陶器を買いに窯元を訪れる、
さまざまな種類の温泉に入る
など、リサーチと楽しみを詰め込んだ、わりと“旅”の定番のようなものでした。

今振り返ると、四国周辺をレンタカーで3日間、
倉敷、尾道、道後、琴平、丸亀、鳴門、高松と回って、
再び岡山に戻ってくるルートは
かなりかっ飛ばすような、勢いある道中のようにも思えます。

この日は、晴れ間にプカプカと白い雲が浮かぶ天気の良い日。
車を走らせていると、
丸みを帯びたみどり色とつち色の台形が、地面とくっついた山が見えてきました。
これが琴平山。この辺りの山はひとつひとつが独立していて、
山脈のような連なりを感じさせない、まさに「山」が存在している印象でした。

写真家・石塚元太良の旅コラム
「芸術的な思考に適していた
〈秋芳洞〉の暗闇空間」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第3回は、写真家の石塚元太良さんが
山口県美祢市の〈秋芳洞〉に行った話。
フィルムカメラで撮影をすることにこだわる石塚さんは、
フィルムを現像する暗室作業と洞窟の暗闇に共通する思いを抱いたようです。

暗室作業と洞窟の闇は似ているのかもしれない

洞窟には惹かれるものがある。このデジタルカメラ全盛の時代でも、
フィルムカメラでの撮影をこだわり続けているのは、
暗室作業というある種の「洞窟」での作業プロセスを
愛しているからかもしれないと思う。

真っ暗な状況というものは、不思議と居心地が良いものである。
「見る/見られる」という視覚のチャンネルが無化されると、
初めの不安がだんだんと安堵に変わっていくような感覚があるのだ。

考えてみたら、人はあまり都市生活の日常のなかで
「真っ暗な」状況というものを経験しないのではないだろうか?
まちは隅々まで明るいし、都市はどこかで犯罪抑止的に「真っ暗な」状況を抹殺する。
けれど、人はもしかしたらどこかで「闇」を必要としているかもしれない。
洞窟での奇妙な居心地の良さを思い出すと、そんな風にも思うのだ。

“年貢”を納めて村民に。
新たな発想で地域を支える
〈シェアビレッジ〉の仕組みとは?

失われていく古民家を維持する仕組みづくりを

集落の過疎化が進み、次第に失われつつある日本の原風景。
そこで各地域でさまざまな地方創生への取り組みがなされているが、
とりわけ近年話題を集めているのが、
秋田県の辺境、五城目(ごじょうめ)から始まった〈シェアビレッジ〉プロジェクトだ。

消滅の危機に瀕する古民家を再生し、
地域に新しい“村民”を呼び込もうというこのプロジェクトは、
「村があるから村民がいるのではなく、村民がいるから村ができる」という考えに基づき、
集った人々でひとつの家を支える仕組みを創出したもの。
従来の“村”の概念を覆す取り組みの全容を追った。

シェアビレッジ・プロジェクトの中核を担う、村長・武田昌大さん(右)と御意見番・丑田俊輔さん。ふたりは五城目(ごじょうめ)のまちで偶然の出会いを得て、プロジェクトを実現させる。

シェアビレッジ・プロジェクトの中核を担う、村長・武田昌大さん(右)と御意見番・丑田俊輔さん。ふたりは五城目(ごじょうめ)のまちで偶然の出会いを得て、プロジェクトを実現させる。

「高校卒業と同時に故郷の秋田を出て、
大学を卒業した後は東京のゲーム会社で働いていました。
もともとゲームが大好きでしたし、何より都会での暮らしに強い憧れを持っていたので、
ようやく念願を叶えた思いでいました。
ところが、ある年に帰省した際、
見慣れた地元の商店が軒並みシャッターを下ろしている様子を見て愕然としたんです。
子どもの頃から当たり前のように存在していた風景が失われていくのを、
ただ傍観していていいのだろうかと、居ても立っても居られない気持ちになりました」

そう語るのは、シェアビレッジ・プロジェクトで「村長」を務める、
〈kedama inc.〉代表取締役の武田昌大さんだ。

あれほど“早く出ていきたい”と思っていた秋田のまちを、
“どうにかして救いたい”と願って止まなくなった武田さんは、
会社を退職し、秋田へ帰る決意をする。
今、自分が本当にやるべきことはゲームづくりではない。
故郷のために何かやれることがあるはずだと、ひたすらアイデアを絞る日々が始まる。

そこで最初に始めたのが、農家とお客さんを直接つなぎ、
単一農家100%の米をオンラインで販売する〈トラ男〉というサービスだった。

秋田県鷹巣町(現・北秋田市)出身の〈kedama inc.〉代表取締役・武田昌大さん。2010年、秋田の米をネット販売するサービス〈トラ男〉をスタートさせた。現在はシェアビレッジ・プロジェクトの「村長」も兼任。

秋田県鷹巣町(現・北秋田市)出身の〈kedama inc.〉代表取締役・武田昌大さん。2010年、秋田の米をネット販売するサービス〈トラ男〉をスタートさせた。現在はシェアビレッジ・プロジェクトの「村長」も兼任。

農家にとって、自分が丹精込めて育てた米がほかの米と混ぜて売られる現在の流通網には、
大きな不満がある。
いくら努力を重ねて旨い米を育てても、これではモチベーションは維持できない。
ただでさえ後継者不足の課題を抱える日本の農業は、
ますます衰退の一途をたどることになる。
そこで武田さんは、単一農家の米を直接売るサービスを思い立ったのだった。

果たして、トラ男のコンセプトは農家からも消費者からも絶大な支持を得て、
事業は順調に成長していった。

「しかし、トラ男のイベントで秋田の田舎にお客さんを大勢呼んだ際、
泊まる場所がないことに気がつきました。
これでは何を企画しても、継続的に人が訪れる場所にはなれません。
そこで宿泊施設として使える物件がないかと周囲に聞いてまわったところ、
すでに取り壊しが決まっている当時築133年だったこの古民家に出合ったんです」

写真家・大森克己の旅コラム
「桜を追い求めて
日本全国を歩く、長い春」

さまざまなクリエイターによる旅のコラム連載。
第2回は、写真家の大森克己さんが
かつて桜を追いかけて全国への旅を始めたきっかけや、
当時、感じた気持ちを綴っています。
全国を歩いたこの旅は、どのようにして終わったのでしょうか?

家の前の桜から、東北、北海道の桜まで

ちょっと前の話である。どのくらい前かというとゼロ年代の前半、
トルシエ・ジャパンとかジーコ・ジャパンの頃である。
1963年生まれの自分はまだ40歳前だった。
春になって毎年桜が咲いて人々が浮き足立つ。
当時事務所のあった西麻布の笄(こうがい)公園、
青山墓地、皇居のお堀、新宿御苑、代々木公園。
身近にあるさまざまな桜たち。花見の宴のような特別な機会でなくとも、
東京のまちを歩いていると、春になると否が応でも桜の花が目に入ってくる。

松田聖子も福山雅治もケツメイシも桜を歌う。
西行も藤原定家も本居宣長も桜を詠む。
松尾芭蕉はおそらく、一番ハードコアである。
「さまざまのこと思い出す桜かな」
こんなことを言ってしまって良いのか、という驚くばかりの平凡さである。
桜以外の植物でこの句は果たして成り立つかしら? すごいこといいますね、芭蕉さん。

モデル・KIKIの旅コラム
「たった数時間でカゴいっぱいになった
菅平高原のきのこ狩り」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第1回は、モデルのKIKIさんが
昨年、長野県の菅平高原に、きのこ狩りに訪れた話。
きのこは食べられるかどうかの判断が難しいですが
採れたてのおいしさには目を見張るものがあったようです。

最初はわからなかったけれど、だんだんときのこの場所がわかってくる

昨年の今ごろ、きのこ狩りに誘われて長野の菅平高原に行ってきた。
声をかけてくれたのは東京でレストランを営むKさんご夫妻。
毎年その時季のきのこ狩りは、ご夫妻にとっては恒例行事でもあり、
実際に採れたきのこは自分たちで食べるのはもちろん、
レストランでも料理をして出しているのだそう。
採り方はもちろん、美味しくきのこを料理することについても
豊富な知識を持っているのは確実である。

以前、別の知人に誘われてきのこ狩りに行ったことがある。
その人はきのこに関する知識は抜群だったけれど、きのこ愛が過剰で、
「多少毒があってもすごくおいしいきのこがあり、
われわれきのこ好きはお腹を壊すのを覚悟で食べる」と口走っていた。

その晩キャンプをして、
すばらしい料理の腕を振舞ってくれたのはうれしかったのだけれど、
あとでお腹が痛くなるのではないかと気が気でなかった。
実際お腹を壊すことはなかったものの、
この人ときのこ狩りはもう行くまい、と心に決めたのだった。

〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE〉
を象徴するハウスバンドが誕生!
そして音楽フェスから地域課題の解決へ

2010年、記念すべき第1回のドタバタ劇

2019年の今年、10周年を迎えたフェス、
〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズ・ジャンボリー)〉始まりの物語。
前回は、すべてが整い開催発表をするところまでお話しました。

しかし、本当に大変なのはここからでした。
携帯の電波も届かず交通インフラもない中山間地域でイベントをやるとなると、
実際の運営は足を運んで地域のことを知ったうえで構築しないとどうにもなりません。
それでも現地で協力してくれるメンバーと連絡を取り合いながら、
なんとか話をまとめ、第1回の開催決定にこぎつけました。
予定した日程は2010年7月24日。2か月前にチケットの発売を開始しました。

森の学校の俯瞰図。周囲にはまったく人家がありません。

森の学校の俯瞰図。周囲にはまったく人家がありません。

ところが、そのとき僕らの動きとは関係なく東京の中心である出来事が起きました。
ようやくチケットを発売して数日たった頃、
永田町で当時の政権の総辞職が決まり、解散総選挙が行われそうだということになりました。
それによって、僕らは予定していた日程で
イベントの開催ができなくなるという事態に陥ってしまったのです。

誰もいないシンボルツリー下のステージ。

誰もいないシンボルツリー下のステージ。

なぜ僕らのイベントに影響したかというと……。

当時、開催場所として予定していた〈かわなべ森の学校〉は自治体の管轄で、
地域の人たちの公民館的な使われ方をしていました。
選挙が行われると選挙会場となり、その日に予定しているイベントなどは
すべて強制的にキャンセルされてしまうという決まりになっていた、……らしいのです。

「らしい」というのは、地域の人たちも今までそんなイベントと
選挙がかぶったということがなく、
かぶったとしてもグラウンドゴルフの練習などがほとんどだったので、
じゃあ日程変えるかくらいのノリ。
チケットを発売して何百人も人を呼ぼうとしているイベントなんて経験がなかったようで、
借りるときは特に説明もなく、
「え? そんな大きなイベントやろうとしてたの?」くらいの感じでした。
東京の感覚でいたこちらとしては小さな規模だとは思っていましたが、
まさか選挙によって強制的にイベントができなくなるとは思ってもいませんでした。

この頃は地域の公民館的な使われ方もしていた廃校舎。

この頃は地域の公民館的な使われ方もしていた廃校舎。

〈宗像日本酒プロジェクト〉
自然栽培米の山田錦で
酒を醸し、環境を保つ

2008年、自然栽培をスタートした〈農業福島園〉

福岡県宗像市内にある福島さんの田んぼ。ここで自然栽培の酒米・山田錦が栽培されている。写真は田植え時の様子。

福岡県宗像市内にある福島さんの田んぼ。ここで自然栽培の酒米・山田錦が栽培されている。写真は田植え時の様子。

本格的な夏が到来する直前の6月中旬。僕は田んぼにいた。
目の前には、背丈の低い苗が整然と並び、遠くのほうは霞む。
日差しは強く、とはいえ時折、吹き抜ける風のおかげで汗ばむほどではない。
視界いっぱいに広がる小さな、小さな苗が天に向かって背を伸ばそうとしている様子に、
なんともいえない力をもらった。

写真は8月下旬の田んぼ。すっかり緑が濃くなっていた。いよいよ収穫が近づいている。

写真は8月下旬の田んぼ。すっかり緑が濃くなっていた。いよいよ収穫が近づいている。

ここは福岡県のなかでも、北部福岡の中心都市・北九州市と、
福岡の中心地・福岡市とのほぼ中間に位置する宗像市。
近年では宗像エリアの「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が
世界遺産に登録されたことで話題を集めた。

この地で、今、注目されているのが「宗像日本酒プロジェクト」であり、
プロジェクト名がそのまま銘柄となった純米酒〈宗像日本酒プロジェクト〉だ。
これから紹介するのはこの宗像の酒米から生まれた日本酒の誕生ストーリーだが、
実は酒づくりの前に、米づくりにおける物語があった。

酒米・山田錦の苗。「山田錦は粒が大きく、選別に特殊な網が必要。そのため、現在はそのような負担がない寿司専用米『笑みの絆』を、第2弾プロジェクトとして栽培しています」と福島さん。

酒米・山田錦の苗。「山田錦は粒が大きく、選別に特殊な網が必要。そのため、現在はそのような負担がない寿司専用米『笑みの絆』を、第2弾プロジェクトとして栽培しています」と福島さん。

冒頭で紹介したのは酒米と呼ばれる酒造用に植えられた山田錦の苗である。
この苗を育てているのが〈農業福島園〉の福島光志さん。
この福島さんこそ、「宗像日本酒プロジェクト」の発起人だ。

笑顔がさわやかな福島さん。事務所の一角で自社栽培の食材を販売している。

笑顔がさわやかな福島さん。事務所の一角で自社栽培の食材を販売している。

農業を営んでいた祖父母の影響で農業に興味を持った福島さんは、
現在の九州東海大学(以下、東海大)の農学部へ進学。
この大学での学びが、今日の福島さんの土台となった。

昨今、農業の従事者が年々、高齢化し、
跡を継ぐ人がいないという状況が全国的に問題となっている。
福島さんは東海大で過ごすなかで、先進的な農学の見地に触れてきた。
これからの農業の未来に何が必要なのか。
持続可能な農業、そして環境保全といった観点から農業を考えるようになった。

「今、僕が取り組んでいるのが、農薬や化学肥料を使わないことを前提とした農業です。
この宗像日本酒プロジェクトの根底にあるのも、無農薬、無肥料による米づくり。
この取り組みは環境保全にもつながっています」

写真中央、やや右あたりに写っているのが通称・ジャンボタニシ。水中の植物を食べるため一般的には害虫とされているが、福島さんはこれをうまく雑草駆除に活用している。

写真中央、やや右あたりに写っているのが通称・ジャンボタニシ。水中の植物を食べるため一般的には害虫とされているが、福島さんはこれをうまく雑草駆除に活用している。

2008年に東海大を卒業した福島さんは、22歳で祖父母の後 を継ぎ、農業に従事した。そして翌年、無農薬・無肥料栽培=自然栽培による米づくりを開始。

「本当は2008年の時点で自然栽培に取り組みたかったんですが、
大学卒業後の4月からでは、準備が間に合わなかったんです。
だから本当の意味での 僕の1年目は2009年。不安はありませんでした」

〈山里カフェ Mui〉
猟師である女性オーナーが
自ら猟をするジビエカフェ

年間100頭以上を狩猟し、自ら解体してカフェで提供

木の陰で息をひそめる、その女性が見つめる先には獣道が続く。

「勢子(せこ)と呼ばれる別働隊と猟犬が、追い込んでくる獲物をこうやって待ち伏せて、
通りかかった瞬間に銃で撃つんです」と教えてくれた。

いわゆる「巻き狩り」という伝統的な狩猟法で、
愛知県豊田市の山間部にある足助(あすけ)地区では、
多いときで10数人のハンターが集まり、この猟を行っている。
捕獲した山の恵みは、参加者全員で山分けするのが、昔からの習わしだ。

清水潤子さんは、猟師歴5年目。散弾銃が使える第一種銃猟免許に加えて、
わな猟、網猟免許も持ち、巻き狩りだけでなく単独でも猟を行い、
年間100頭以上の鳥獣を狩猟。
自ら解体、調理を行い、豊田市内の足助地区で営む〈山里カフェMui〉で、
ジビエ料理のランチとして提供している。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

「イノシシ 捕る 資格」と、検索したのが始まり

「実は、結婚直後に、末期がんと診断されて。
私は新潟県長岡市の田舎育ちなので、
主人が『自然豊かなところで過ごせば、少しでも良くなるのでは』と考え、
間伐体験や米づくり体験など、いろいろな場所へ連れて行ってくれたんです」

最初は、横になって見学しているだけだったが、徐々に病状が回復。

「本当に、奇跡的に良くなったんです! 当時を知る人からは、
久しぶりに会うと『しぶといな~(笑)』ってからかわれます」

この足助地区を訪れたのも、米づくり体験がきっかけだった。
参加するたびに、地元農家の人たちからは、
イノシシによる農業被害について話を聞いていた。
昼食に登場するのも、イノシシ料理が中心。
そんなある日の昼休みに、目の前をイノシシが走り抜けた。

「それを見た農家の方が、『誰かとってくれ!』って口走ったんです。
しかしそこにいたのは、地域外からの参加者ばかり。
私たちのような“よそ者”にまで頼まなければならないほど、深刻な問題なんだと痛感して。
スマホで、『イノシシ 捕る 資格』と検索したら、狩猟免許のことが出てきて、
すぐに主人と、もうひとりの参加者と3人で申し込んだんです」

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

こうして、わな猟の免許を取得したのは2014年。
そのことを足助の農家の人たちに伝えると、
すぐに「今、罠にイノシシがかかっているけど来ないか?」という誘いの電話が。
1時間ほど車を走らせ、山の中に到着すると、大きなイノシシがかかっていた。

「最後に、ヤリを喉に突き刺してしとめるのですが、
ワイヤーが切れてこっちに突進してくるんじゃないかという恐怖心と、
返り血を浴びたときの罪悪感は、今でも忘れられません。
大切な命をいただいているのだからこそ、『無駄にしてはいけない』と強く思うのです」

駆除されたイノシシやシカの約9割が、埋設されている

猟友会に参加し、狩猟の現場に出るようになり、あらためて感じた問題がふたつある。
ひとつは、いわゆる鳥獣による農作物被害の深刻さだ。
豊田市では、イノシシやシカなどによる鳥獣被害が、
年間約1.2億円(豊田市産業部農政課「平成29年豊田市鳥獣被害状況調査結果」)に及び、
農家の人たちを悩ませている。

一方で、そういった有害鳥獣として駆除されたイノシシやシカは、
全国平均で約9割も、利用されることなく埋設されている。
ハクビシンやアライグマなどの小動物にいたっては、ほとんどが廃棄されているという。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

「有害鳥獣といえど、命の重みに違いはありません。
せめて、最後までおいしく食べてあげたいと、
ちょうど募集中だった『三河の山里起業実践者』という制度に、
ジビエ料理を出すカフェのプランを提出したんです」

「三河の山里起業実践者」とは、愛知県の三河山間地域で起業に挑戦する人を支援し、
移住・定住を促進する県の事業。
清水さんのプランは見事採用となり、
当時暮らしていた愛知県刈谷市から足助地区への移住を決意。
すでに足助で購入してあった築150年の古民家を改装してジビエカフェを開く夢が、
現実のものとして動き出した。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉
鹿児島川辺町と東京、
ダブルローカルが始まった。

毎週末、鹿児島へ。分刻みで人に会いまくる!

2019年の今年、10周年を迎えた
〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズ・ジャンボリー)〉を
始めるまでのストーリー。前回の連載では場所を見つけるまでをお話しました。

まずはどうなるかわからないけれど、
南九州市川辺町(かわなべちょう)の森の中にある廃校でイベントをやってみよう。
そう思い立ったはいいものの、打ち合わせでその場所に行くだけでも大変です。
当時も今も、僕は首都圏に暮らし東京中心に仕事をしています。
鹿児島を離れてから20年以上経っており、
生まれ育ちが鹿児島というだけで完全によそもの。
東京での仕事の合間を縫って、
なんとか週末に時間をつくって毎月鹿児島に行くという生活が始まりました。

美しい朝焼けの桜島。

美しい朝焼けの桜島。

とにかく時間がないので、
鹿児島に着くとそこから分刻みで夜中までアポを入れて協力してくれそうな人、
おもしろいことをしていそうな人を紹介してもらっては会いに行くという日々。

この頃、雑誌『relax』の元編集長の岡本仁さんも、
〈ランドスケープ・プロダクツ〉の中原慎一郎君の案内で
鹿児島をめぐりながらブログを書いていました。
中原くんと一緒に岡本さんを案内していた鹿児島の人たちが、
僕もあちこち連れて行ってくれることになりました。
このときに出会って仲良くなった友人たちは、
今でもグッドネイバーズ・ジャンボリーの実行委員として活動してくれています。

ブログがきっかけになってできた『BE A GOOD NEIGHBOR〜ぼくの鹿児島案内』(岡本仁 著)。

ブログがきっかけになってできた『BE A GOOD NEIGHBOR〜ぼくの鹿児島案内』(岡本仁 著)。

そんななかで紹介されて訪れた場所のひとつが、
鹿児島市にある知的障がい者支援施設〈しょうぶ学園〉でした。
この施設は障がいのある方々と一緒にアートやクラフトを制作する活動に取り組んでいて、
園内にギャラリーがあるという話は聞いていました。

実は僕の家系は社会福祉法人を営んでいて障がい者施設も運営していたので、
利用者が趣味で画を描いたり陶芸をしたりという活動には馴染みがありました。
逆にそういうことを知っていたせいで、
当時の僕は障がいのある人たちのアートと言われても、
正直、趣味程度のものとしか思っておらず、
ピンときていなかったというのが正直なところでした。
友人の案内がなかったら自分ではそのとき、足を運んでいなかったかもしれません。

美術館のような〈しょうぶ学園〉。

美術館のような〈しょうぶ学園〉。

ところが園を訪れてみると、
広々とした公園のような敷地にすてきなデザインの工房や居住施設があって
居心地のよさそうなカフェまであり、
とてもそれまで思い描いていた旧態依然とした「障がい者施設」などではありませんでした。

園内を見せてもらいながら
趣味のレベルなどはるかに超えた圧倒的な作品の数々に見入っていると、
ギャラリーに民族楽器を使った現代音楽のような音楽が
うっすらと流れていることに気がつきました。
気になってこれは誰の演奏かと職員に尋ねたところ、
園の利用者さんが演奏しているものだと教えてくれました。

僕が相当に興味を示したこともあって、
あとで施設の方がその演奏をおさめたDVDを送ってくれました。
その映像を見た瞬間、
そのユニークすぎる音楽とパフォーマンスにあらためて衝撃を受けました。
何度も何度もそのDVDを見返しながら、
熱病にかかったような勢いで企画書を書いて
次の鹿児島滞在のときにしょうぶ学園の園長に会いに行きました。
会いに行ったというより一方的に押しかけたというほうが正しかったと思います。

まだイベントのタイトルすらも決まっていませんでしたが、
考えていることをとにかく必死で伝え、聞いてもらいました。
その頃のしょうぶ学園は外でチケット代をとるようなイベントで
音楽の披露をしたことはほとんどなく、
鹿児島の森の中でフェスティバルを開催したいという僕の話も
半信半疑だったと思うのですが、僕の異常な勢いになにかを感じてくれたのか、
なんとか出演してもらえることになりました。

それがこの10年間、
毎年グッドネイバーズ・ジャンボリーでトリを務めてくれている
パフォーマンスバンド〈otto&orabu〉です。

〈otto&orabu〉によるライブ。

〈otto&orabu〉によるライブ。

10周年を迎えた鹿児島のフェス
〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉。
音楽家が廃校の運営を始めたわけ。

だれも取り残さない「みんなでつくる真夏の文化祭」

みなさんこんにちは。はじめまして。音楽家/プロデューサーの坂口修一郎です。

今回こちらで僕のちょっと不思議なキャリアのお話をさせてもらうことになりました。
よろしくお願いします。

僕はもともとミュージシャンとして活動を始めた人間ですが、
いつの間にやら脱線に脱線を重ね、いまでは会社や団体をいくつか運営して、
全国のフェスティバルやイベント、施設のプロデュースなどを行うようになりました。
そして、鹿児島県の川辺町という中山間地域で、
廃校の運営とまちづくりに携わっています。

無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉

そんな自分の活動をご紹介しながら、
なぜミュージシャンである自分が中山間地域のまちづくりというような
畑違いの領域に携わるようになったのか、
そんなことをこちらでお伝えできればと思います。

今の活動に至るまでを時系列で語ることも考えたのですが、
まずは僕が今のような活動をすることになった最大のきっかけである、
鹿児島で10年間、続けてきたフェスティバルの話をしようと思います。

それが〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズ・ジャンボリー、以下GNJ)〉です。

GNJは2010年に初回を開催し、今年(2019年8月24日)で10回目になります。
夏、そしてフェスティバルというと音楽をフィーチャーしたものが
イメージとしてあると思いますが、
僕らが目指しているのは、だれも取り残さない「みんなでつくる真夏の文化祭」。

10周年をむかえるグッドネイバーズ・ジャンボリー2019のロゴ

コンテンツのひとつとして音楽はもちろんありますが、
それだけではなくクラフト、アート、食、文学、映像からスポーツまで、
ジャンルを超えてたくさんのコンテンツが集まるイベントです。
大人も子どもも、障害のあるなしも、ジェンダーも地域も、表現のジャンルも、
プロフェッショナルもアマチュアも、
いろんなものを超えてみんなが楽しめる場をつくりたい。
10年前の第1回からこの方向性は変わりません。
なぜそういうことを考えたかというと、
僕が生まれ育った地方=鹿児島に対して、感じていたことがいくつかあったからです。

ひとつは本物にふれる体験の格差。
僕が鹿児島で暮らしていた頃はまだインターネットもありませんでしたから
とにかく情報に飢えていました。
今は情報はバーチャルであればいくらでも手に入ります。
そしてもモノもワンクリックで翌日には届く時代。
だけど、アーティストの本物のパフォーマンスやものづくり体験というものは
今でも地方には少ない。

ライブの様子

もうひとつは地方の自己肯定感の低さ。
中央集権が進んでしまったことで自分の地域には「なにもない」と
つい口にしてしまう自己肯定感の低さをなんとかしたほうがいいと思っていました。
まだまだ地方にはそうしたマインドセットが残っています。


なにもないというのは「都会にあるものが“ない”」という意味で使われることが
多いと思います。たしかに地方に超高層ビルはないかもしれませんが、
たとえば鹿児島であれば桜島という世界中どこにもないシンボルがある。
どの地域にもそこにしかないものは見つかります。
それを磨いて誇りに思い、それぞれの地域で認め合えれば
それだけで十分楽しく暮らしていけるんじゃないか。
地方の文化をそこに暮らす人々が生み出し(地産)、認め合えばいい(地消)。

鹿児島のシンボル、桜島

そのときは、地域のメンバーだけで、
音楽だけとかクラフトだけというような特定のジャンルで固まるのではなくて、
そこで生み出されるものをみんなでリスペクトし合って
ジャンルを超えて交流するほうがいいと思いました。

〈RetRe〉
虫喰いナラのプロダクトで
富山の森を守る尾山製材の挑戦

最果てのまちにある製材所の挑戦

「消滅するかもしれない最果てのまちにある製材屋に、何を取材しに来たの?」と、
地元出身の人に驚かれた。富山県の東端に位置する朝日町の〈尾山製材〉で行われた
〈倉庫参観日〉で、偶然隣り合わせた参加者に言われた言葉だ。
地元に関係がある人だけに自虐的な笑顔で語っていたが、
富山県民にとってさえ「辺境の地」で、
地元の県立高校も近く廃校になる朝日町の状況を考えると、一理ある指摘とも言える。

左が尾山製材の尾山嘉彦さん、右がプロダクトデザイナーの山﨑義樹さん。

左が尾山製材の尾山嘉彦さん、右がプロダクトデザイナーの山﨑義樹さん。

尾山製材の3代目社長、尾山嘉彦さんは、
その朝日町で富山の森が抱える問題に一石を投じようと奮闘している。
尾山さんが、富山在住のプロダクトデザイナーである山﨑義樹さんと立ち上げたブランド
〈RetRe(リツリ)〉と原木解体ショーが行われた倉庫参観日の取り組みを、
今回は紹介したい。

富山の森が直面したカシノナガキクイムシの大打撃

尾山製材の工場。一般の人に向けて倉庫参観日が定期的に開催される。

尾山製材の工場。一般の人に向けて倉庫参観日が定期的に開催される。

「カシノナガキクイムシ」を知っているだろうか。5ミリほどの虫で、羽を持ち、
大勢で飛来してはフェロモンの導きによって健康なナラの木に集中攻撃をしかける。
成虫は喰い荒らした穴に卵を産み付け、卵からふ化した幼虫とともに幹の内部で越冬する。
その不吉な害虫の大群は初夏になると木の外に出て、
風に乗れば1キロ以上という飛行能力を生かし、「行軍」していく。

森林組合に貯木された虫喰いナラの山。(撮影:山﨑義樹[Designノyamazakiyoshiki])

森林組合に貯木された虫喰いナラの山。(撮影:山﨑義樹[Designノyamazakiyoshiki])

地元紙によれば、2009年をピークに富山のナラもカシノナガキクイムシに襲われた。
被害が最もひどかった時期に、尾山さんは富山県の砺波にある森林組合の工場で、
虫喰いのナラが大量に貯木され、おがくずとして処理されている光景を目の当たりにした。
虫に喰われたナラは、商品にならないためつぶされるしかない。
その状況を何とかしたいと、尾山さんは山﨑さんとともに、
虫喰い材を利用したプロダクトのブランドRetReを立ち上げた。

虫喰い材は材木屋の目で見ると売り物にならないため、
本来であれば誰も手を出さないという。
どうして尾山さんはそのような木に手を出したのだろうか。

「ナラは堅くてポテンシャルも高いですし、もともと県産材を使って、
先例のない何かに取り組んでみたいという気持ちがありました。
今まで県産材はスギしかないと思っていましたが、
スギでは先行してやっていらっしゃる人がたくさんいます。
会社には製材機も、乾燥機もあって、環境が整っていましたし」

そこで、誰も踏み出していないナラの虫喰い材を使った商品づくりがスタートしたという。
当初の周りからの反応は冷ややかだった。
デザイナーの山﨑さんも、
「尾山さんはドМですし、尾山製材はドМメーカーなんです」と笑う。

尾山さんと出会う前に、山﨑さん自身も虫喰いナラを使った製品を
手がけた経験があるという。その山﨑さんから見ても、
わざわざ虫喰い材を使ったビジネスなど、
普通に考えたらメーカーとしてリスクが高いと語る。

墨流しの模様が出た虫喰いのナラ。(撮影:山﨑義樹[Designノyamazakiyoshiki])

墨流しの模様が出た虫喰いのナラ。(撮影:山﨑義樹[Designノyamazakiyoshiki])

それでも材料提供(OEM)というカタチで虫喰いナラを使ったiPhoneケースを販売したり、
フローリング材を自社商品として売り出したりと、県産の虫喰いナラの製品化に向けて、
道なき道を尾山さんは歩み始めた。