愛知県『ぶらり港まち新聞』
発行/港まちづくり協議会事務局
「ぶらり港まち新聞」は、名古屋の港まちを歩いて見て聞いて集めた、名古屋で暮らす等身大のひとの情報が詰まっている季刊のフリーペーパー。名古屋のみなとまち、名古屋港の西築地学区周辺エリアを中心にまちづくりを行う「港まちづくり協議会事務局」が発行しています。
ぶらり港まち新聞
http://www.minnatomachi.jp/shinbun/
発行日/2013.11
愛知県『ぶらり港まち新聞』
発行/港まちづくり協議会事務局
「ぶらり港まち新聞」は、名古屋の港まちを歩いて見て聞いて集めた、名古屋で暮らす等身大のひとの情報が詰まっている季刊のフリーペーパー。名古屋のみなとまち、名古屋港の西築地学区周辺エリアを中心にまちづくりを行う「港まちづくり協議会事務局」が発行しています。
ぶらり港まち新聞
http://www.minnatomachi.jp/shinbun/
発行日/2013.11
先日、瀬戸内海にある女木島(めぎじま)で、
「“SEED” by Nomadic Kitchen | 食のつながりを育てる。」
というイベントが開催されました。
カリフォルニア州バークレーのオーガニックレストラン「Chez Panisse」の料理長、
Jérôme Waag(ジェローム・ワーグ)さんと一緒に学んで、食べて、語り合う、
そんなイベント。
女木島は小豆島から船を乗り継いで1時間半くらいで行ける島。
高松からは、めおん号という赤と白の可愛らしいフェリーに乗って20分ほどで着く。
東京で開催だとなかなか行けないけれど、
こんな近くで、しかも瀬戸内海の島で開催されるとなれば、
これは行かねば! と島の友人たちと一緒に女木島へ行ってきました。

高松で出迎えてくださったスタッフの皆さんたち。

オリーブや野の花でつくられたブローチが受付のしるし。

高松から女木島までは、赤と白のめおん号で20分ほど。
このイベントを企画されたのは、「Nomadic Kitchen」さん。
野村友里(eatrip)さんなどの料理人の皆さんによる食のプロジェクトで、
さまざまな土地を訪れ、地域の風土や文化を身体にとりこんでいく、
食の集いを開いています。
当日は、あいにくの天気。
パラパラと降る雨の中で、女木島にある「Beach Apart」に向かいました。
出迎えてくれたウェルカムボード。
庭や軒先、テーブルの上に飾られた植物。
これから料理される下ごしらえされたおいしそうな食材。
雨だろうと寒かろうと、ワクワクせずにはいられない雰囲気が
すでにそこにはありました。

海辺に置かれたウェルカムボード。

庭のテーブルに飾られたオリーブや野の花。

立派すぎる鯛! 瀬戸内海は海の幸も豊富です。

ピザに乗せられる食材たち。右上は大根の実、食べられるんだとびっくり。
そして、乾杯とともにいよいよ料理スタート。
U字溝でつくられた即席の窯で薪を燃やし、その上に大きな大きな鍋。
そこで、ジェロームさんが豪快にパエリヤづくり。
庭にあるレンガの窯ではピザが焼かれ、大皿サラダも並びました。

ジェロームさんと原川慎一郎(BEARD)さんが乾杯の挨拶。

庭のレンガづくりの窯でピザ。ピザ生地にお醤油ベースの和風ソースを。

大皿で運ばれてきたサラダ。どれも野菜を切って少し味つけしただけ。
目の前でつくられていく料理はどれもとてもシンプル。
素材の色や形がわかる状態。
パエリアの中には、切らずに1本まるごとのワケギが入っていたり、
グリーンサラダは、葉を少し切ってドレッシングをかけただけ。
素材をそのまんま食べている、そんな感じでした。

1本まるごとのワケギがたっぷり入ったパエリヤ。

葉を切ってドレッシングをかけただけのグリーンサラダ。

鯛もシンプルに焼くだけ。それにワケギと山菜の薬味を添えて。
つくりこまれた料理じゃなくて、なるべく素材に手を加えないシンプルな料理。
あらかじめすべてを決めて準備万端にしておくんじゃなくて、
その場の雰囲気やノリにある程度まかせてつくられていく料理。
各地から集めた贅沢な食材じゃなくて、そこにある旬なものをいかした料理。
それは、本当に心もお腹も満たされる幸せなごはんでした。
小豆島に戻って次の日、さっそく畑からあるものを調達。
ワケギ、若いニンニク、小松菜がとう立ち(花を咲かせようと茎が伸びること)して
できたナバナ、アスパラ。
友人が用意してくれた旬のタケノコとあわせて、
みんなで一緒に料理して食べました。
あらためて、旬の食材がすぐ近くにある、小豆島、
瀬戸内海の豊かさに気づいた1日でした。
高度経済成長期を境に大きく変わった、日本の暮らし。
森や海、川と共に生きる伝統的な暮らしはいまや
失われつつあります。
豊かな暮らしの知恵や言葉を、未来のために
少しでも残すことができたら。
そんな思いから始まったのが、「聞き書き甲子園」。
夏休みの時期に、毎年全国から100人の高校生が参加。
聞き書き実習の合宿を経て、全国の炭焼き職人、
漁師、海女など、自然と関わるさまざまな職種の"名人"の
言葉を聞いて記録するプロジェクトです。
話し手の語り口でまとめられた文章から、“名人”の人柄や
生き様が浮かび上がってきて、読むものを感動させます。

参加高校生100人が集まるの聞き書き実習の模様。実習は3泊4日で行われ、交流会などもあります。合宿を終え、100人それぞれが一対一の聞き書きへ出向きます。
今回コロカルでは、北海道羅臼町で昆布拾いをする藤本ユリさん
の「聞き書き」を全文掲載します。
ユリさんは毎年夏に知床半島の突端に近い浜、
赤岩にある番屋(詰所)に住み、一人っきりで
自給自足の生活を行い、昆布を拾い続けている漁師さんです。
ユリさんのカッコイイところは、知床の番屋暮らしに
誇りを持っているところ。彼女の生き方は、地域の人たちに
とっても生きる指針となっているんだそう。
「聞き書き甲子園」からもほぼ毎年記者が訪ね、
たくさんの人と交流を続けています。
■拾い昆布漁業、藤本ユリさん

大正15年1月3日生まれ、87歳の藤本ユリさん。
1.自己紹介
藤本ユリ。生年月日は大正15年1月3日、今はもう86歳。職業は漁師。生まれはね、北海道の乙部村、今は乙部町。嫁いだのは函館の古川町。子供が二人、孫が八人の家族だ。
漁師っつっても正しい名前は拾い昆布漁業。9年間旦那と昆布拾いやってたけど、俺が60歳の年に亡くなっちまった。そのあと余所で働いてもよかったんだけど、いろいろ考えて一人でもできる職業だから「いや俺は昆布拾いする」っつって、ずぅっとやってる。
2.俺、わがままな子供だったな
今おっきくなって考えたら、子供のころはわがままだった。勉強は好きでねぇ、というより嫌いだ。好きなわけねぇ、覚えられねぇから。勉強のことはぜんっぜんね、だめだった。ひとっつも書けね。今もだめだけどな。今までかかわってきた人から手紙をもらって、それを読むことはできるんだけど、書くことはまったくだめなんだ。勉強嫌いで好き勝手して、だけどじじばばもいたったからね、だんじだんじに(大事大事に)育ててもらったね。周りがみんな男の子ばっかしだったのよ。俺は女の子だったからね、それこそだんじだんじに育ててもらった。ほんとにどうしようもない、わがままだったな。
3.農家の生まれで昆布拾いに
俺の生まれたとこは農家だけど、嫁に行ったとこが漁師だから、そのときから漁を始めたね。その前にも、豚やってたし、鶏もやったんだけど、豚もだめ鶏もだめ。借金だらけだし…。ほかにもイカ漁、ウニ漁、カニの缶詰工場に勤めたり、なんでもやった。でも売れなかったね。そのときに昆布拾いしたの。一人でできるってのもあってね、羅臼越して向こうの赤岩のほうさ行ってね、昆布拾いやったの。
4.拾い昆布漁業とは
昆布の採り方っつったって、たいていの人は船使うんだわ。船さ乗って、岸からだんだん深いところに向かってね、はさみみたいなやつで挟んでねじって、からめてちぎるんだ。はさみみたいなやつは昆布採り竿っていうんだ。でも赤岩の昆布は意外と浅いところにもあるから、採りやすいんでねぇか。
俺の拾い昆布漁業は、岩に生えてる昆布が、ぐらぐらと波で揺らぐべさ。で、大きな波が来て、今度その岩から離れて押し流されて寄ってくるわけ。波の力でちぎれて、浜に流れ着くんだわ。それを俺が拾って歩くんだ。だから番屋にいて、天気が悪くなって嵐が来て、大きな波が来ても俺はこわがらねぇ。逆にうれしくなるんだわ。次の日に浜へ行ったら昆布が流れてくるから。
ほかの漁師は、みんな昆布採り竿を使った方法だ。拾い昆布やってるのは俺一人しかいねぇもん。いや一応三人いることになってるけど、誰も行がねぇから。昆布拾いってね、道具で採る権利を持ってる人はね、拾い昆布の権利も持ってるけど、拾わねぇ。たまに拾うけど、手間のかかる作業なんだ。原始的っちゅうかな。機械も何も使わないからよ、大変なのよ。だからみんなやらねぇんだ。
5.働き場は「赤岩」
俺の働き場は赤岩ってところだ。赤岩は知床岬の突端にある浜だ。羅臼の港から船で1時間かからないくらいだな。息子か孫に舟漕いでもらって行ってる。
行くときは、3㎞以上離れてるけど隣の番屋の人間が行ったら俺も行ってたな。昔は5月だった。でも今は自分一人じゃ行かれねぇから、送ってくれる周りの人間の都合いいとき。最近は7月ごろになるな。
でももうこれからはずっと6月に行こうと思ってる。早めに行って浜をきれいにするんだ。1年間草をがって(刈って)ないし、流れ着いたごみを拾わねぇと。半年放っておくと浜はやっぱ悪いところも出てくるんだ。それだからやっぱり直したりしねぇど。あんまり遅く行くと浜直せねんだわ。きれいにした昆布を、玉砂利の上で干さなきゃなんねぇのに。余所の浜から拾っても、自分の浜さ持ってくるまでに、ごみとか付いちまう。それじゃ二度手間だ。
それにほかの人より後に行ったら、いい昆布が少ないんだよ。やっぱり昆布は早いうちのほうがいい。ほかの人が採ってから、そのあとに流れて来る昆布って、いいとこ採っだあとの昆布だからね、あんまりいい昆布流れて来ない。どうしても早いうちのほうが、薄いけどいい昆布があるからね。
6.何もない生活、でも住めば都
そこから、電気も水道も電話も何もない生活の始まりだよ。店もねぇ、だんれも(誰も)人っ子一人来ないところだ。したけど住めば都でね、アサリはあるわ、ちっこいカニはいるわ、そんでもってウニはいるし、マスもものすごくいるし、アサリのおつゆ食べて、浜からなんでも採ってくる。ほんとにいいとこだ。
それと赤岩の浜さ来るときに、自分と一緒に舟に乗っけてきた米食べて生活してる。畑も自分で作ったからな。まず赤岩さ着いたら野菜の種まいて育てるんだ。だから野菜とかは買わなくても採れる。それからたくさんの動物が会いに来て、ほんとにいーとこさぁ。友達がいなくても、自然が友達だ。
たまに熊も出るな。熊出て来るったって、熊だって逃げ場なんかねんだからね、おっかねぇったけど、のんきな熊ばっかしだから、あっちの熊は。乙部のほうの熊と違ってさ、そんな逃げねばな、追ってくることってねんだわ。背中向けて逃げるから熊も追ってくる。どうせ走っても負けるし、けんかしても負けるから、ただこっちも棒振り回していんばってれば(威張ってれば)、なんも熊のほうが、なんだあのばばぁ、全然逃げねぇばばぁだなって思うからな、熊も自然にいねぐなる(いなくなる)んだわ。なんぼ熊見でもね、見たら向かって行ってでもいいから、逃げるってことさえしなきゃええんだわ。昔目の前で、連れてきた犬がわんわん鳴いて、俺守ろうとして殺されたこともあったな。やっぱり何もしないでただいんばって、黙って見てるのが一番だわ。
7.あるだけ拾う、ただそれだけ
7月くらいから昆布を拾っていく。服装はかっぱがいっつもの格好だな。濡れなくていい。あと膝まである深い長靴も使ってる。持ち物はそり。拾った昆布をそりさ積んだら、昆布に砂付かねぇべさ。そりがなけりゃ拾った昆布に砂付いたり、浜にごみあったらごみ付いたりする。そりだけ持って歩けばどこでも行ける。あとは杖だな。昔拾った細いけど丈夫な木の棒があるから、その杖をついて歩いてる。
1日にこれだけ拾わなきゃならねぇとかは決めてない。あるだけ拾う。だから日によって採る量は変わる。落ちてるだけ拾う。8月が拾いどきだわ。昔なかなか売れない時期があってね、あっちゃ行ってこっちゃ行ってね、1日1杯(20㎏)で、1杯拾えば7500円、7500円、犬も歩けば棒に当たるって言いながら拾ったの。
8.潮水でゆらゆらと、洗うんだ
拾った昆布は、まず汚いところとか、砂が付いてるところがあったら洗うんだ。でも雨水とか水道水はだめだ。昆布が赤くなって見た目が悪くなる。やっぱいい昆布ってのは真っ青な昆布なのさ。だから潮水で洗う。潮水なら色は悪くならねぇ。浜辺で昆布持ってゆらゆら動かすんだ。そしたら自然と砂もごみも取れる。
きれいになったら次は、昆布をぐるぐる巻いて、伸ばして、落ちてる石をおもりとして使って、しわを伸ばしていくんだ。それを何度も何度も繰り返す。まっすぐなのがいい昆布だ。
9.昆布干すのは、簡単にはいかねぇ
しわがきれいに伸びたら、今度は干すんだ。天気のいい日は2日で乾くんだけど、どうしても3日干さないと、しっかり乾かない。俺が安心するためっちゅうのもあるね。
でも、干すのもそんな簡単にはいかねぇんだ。海辺の太陽にさらして、玉砂利の上に置いて干すから、その途中でもちろん雨が降ることもある。そしたらもうその昆布はだめだ。ずーっと濡れてると色が悪くなる。茶色くなって臭くなるんだわ。それじゃあもう売りには出せん。逆にいい昆布でも干しすぎたらだめなんだわ。ばりばりになって折れたら、せっかくの大きくて色のいい昆布でも、高くは売れなくなっちまう。
余所の人だら、乾燥機持ってるからね。乾燥機でみんな干してるから、天気なんて関係ねぇ。拾い昆布漁業は乾燥機だめだってか、付けられねぇっていうから。それに乾燥機でやるっつったらうづ(家)から赤岩まで持ってくるのが大変だ。だから俺は玉砂利の上置いて、3日間太陽に当てるしかねぇ。乾燥機のある人は、すぐ乾燥機さ入れるべさ。俺拾うのも一人、磯上げるったって一人、干すときだって一人だから。今日天気良くたって次の日天気悪いばね、全部だめになるんだわ。したけどね、たくさん干して手一杯のときでもね、見たら拾わねぇでもいられないんだよね。だって落ちてるから拾いたくなるもの。
干してる途中に雨に当たるのは悪いけど、拾ってるときに雨に当たるのはまだ大丈夫なんだわ。だから天気の悪いときは、拾ったらすぐ海の中に漬けておく。漬けておけば潮水の中だから腐らないの。したけどね、雨水だったら、すぐだめになるの。拾って、洗って、伸ばして、乾燥させて、まっすぐにしてやっと売りに出せるようになるけど、乾燥させるのが俺にとっちゃ一番大変だわ。
10.最近は、つらいね…
何がつらいかって? もちろん乾燥中の天気も嫌だけど、売れないことが一番つらいね。この頃は羅臼に昆布は余ってるから、俺のはなかなか売れねぇんだ。こればっかりはどうしようもね。もちろんいい昆布は売れていくけど、悪い昆布は残っていく。検査員が来てこれはだめ、あれもだめって言われると、悲しくなるね。根っこは食えねぇから、細かく切って薬になったりする。だから一応は売れる。あんまりいい昆布じゃないからって、まさかひとっつも売らないってことはできないと思う。お土産にでもして売れやって言われても、いやだなんて言うだけの昆布でもないと思うわけ。いっぱいあるからね、2本か3本の昆布だったらお土産にするっちゅうこともあるんだけどね、何千の昆布だもの。諦め切れねぇわ。
11.赤岩を離れるのが、何より寂しい
昔は 10 月の前半までいたんだけどね、今は迎えに来る息子や孫たちが俺のこと心配だっていうんで、早くて9月後半ぐらいに帰るな。帰るときは俺ずっと赤岩を見てしまうよ。離れるのが寂しい。俺な、赤岩さ行くたんび(度)に思う。あそこにいると、あー、俺は生きているんだなぁって実感するんだわ。大自然の中で、一から十まで全部一人で生活してるとね、ひとつひとっつのことするたんびにほんとにそう思うんだ。
今まで昆布ばっかし何百枚も拾ってきたんだよ。したからね、悪い昆布を拾ってもなんとなく愛着がわくんだわ。俺、拾うのも一人、磯上げるったって一人、干すときだって一人。確かに昔は寂しい時もあった。夜になれば暗いから、一人でランプの灯つける。昼間になれば、拾った昆布は1日で乾くわけでねから、干したり拾ったり干したり拾ったりする。
まぁ、寂しかったときもあった。でももうそれは通り越したよ。黙々と作業してたら気にしなくなるもんさ。楽しくなってくる。赤岩にいると生きてることを実感するから、そこを離れて、うづ(家)に帰るほうが寂しくなるときもあるね。
12.やるよ、赤岩で、90 歳まで
俺は 90 歳まで赤岩さ行く。つっても 90 過ぎたら行かない。90 まで昆布拾いして、90 から 100 まで生ぎるから、あどの 10年間はうづにいで、ゆっくり生きる。あんまり人の世話にならないで、目立たないで、暮らしていく。それがこれからの目標だ。
90 過ぎたら、きっと昔のことも家族のことも、なんもかんも忘れてくと思うからね、そこまで頑張るんだ。どんなに元気でも、90 過ぎたら赤岩さ行かねぇってもう決めたんだ。だって舟乗るときも大変、降りるときも大変で、もう一人じゃどうしようもできねぇもん。二人も三人も息子や孫たちに後ろに付いてもらってようやく舟さ乗る。波があるとこならね、舟がぐらぐらぐらぐら動いてね、なかなかいい具合にすぐ足かけて降りるってことできねぇから。したら何べんも家族から、来年から行かねぇ方がいいかべって言われるけど、俺は来年だって行くっ!つって…。赤岩さ来るたんびに(度に)来年の話してる。自分では何もどこも悪くないと思ってるけど、だんれもいねぇ赤岩さいるのはやっぱりよくないっちゅうからねぇ…。羅臼のほうの人たちも心配だって言うからねぇ…。だから、90 で終わり。跡取りとかも作るつもりはねぇ。息子は息子で違う漁してるからな。だんれもいないよ。もう俺で終わりだ。
前にね、番屋の屋根が穴空いてたり、五右衛門風呂の調子が悪くなったことあったんだわ。そいで迎えに来た息子たちに直してもらったんだ。もう赤岩さ行くのやめろやめろって言われてるけど、直されちゃあまた来年も来たくなるべさ。俺笑っちゃったね。
でも、90 まで赤岩さ行って昆布拾い続けたらもう俺は満足だ。もう決めたからな。それを達成できたら十分だ。あとはみんなに迷惑かけずに、100 までゆっくりするわ。
取材日:2012年10月27日、11月17日
【取材した高校生】
逢坂 理子(藤女子高等学校2年当時)
取材の感想:
昆布にはこんな採り方があるのか、というのが、名人のプロフィールを見たときの初めの感想でした。取材の時期と仕事をなさっている時期が合わず、実際に仕事をなさっている姿や、仕事の道具を拝見できなかったことは非常に残念でした。漁師、という全く関わったことない職種の方とお話しすることとなり、初めは右も左もわからないことばかりでしたが、お話を聞いていくうちに、ユリさんが本当に赤岩での生活に誇りを持っていることが、話だけでも伝わってきました。それをまとめるのは骨が折れる作業ではありました。
しかし、同時に聞き書きはとても楽しかったです。「聞き書き甲子園」という機会は、ユリさんという人間と、インタビューという単なる質問で接するだけではなく、対話をしていくことで、藤本ユリさんという「人格」に引き込まれていくうれしさを実感し、大変心を動かされました。日常で自然と口に入って来るもの、目にするものは、すべてたくさんの物語があり、大切に手を加えられているんだと、深く考えるようになりました。これまでの人生になかった、素晴らしい経験でした。
「聞き書き甲子園」のことは、映画にもなっています。
高校生への指導は聞き書き甲子園卒業生の
大学生が行うのだそうで、このプログラムで
一生の仲間との出会いが生まれていると、
運営する「NPO法人共存の森ネットワーク」副理事長の
工藤大貴さんは語ります。
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか?
冒頭写真:奥田高文
全国津々浦々、いろいろなお祭がありますが、
福島県の北部にある新地町の「あんこ地蔵」は、
ちょっと変わったお祭りです。
季節は毎年8月お盆後の日曜日。
二羽渡神社にあるお地蔵さんの口元に、
あんこをたっぷり塗りつけるんです!
これは、新地にいたお坊さん「家山(かざん)和尚」を祀るお祭り。
家山和尚は元禄年間のころ、新地の空き家に住み着いたお坊さん。
いじめられている子供や病気の女性など、
地元の困っている人を積極的に助けてくれました。その御礼に、地元の人は
和尚の大好物であるあんこ餅を差し上げるように。
そうして皆を助け、慕われた和尚も寄る年波には勝てず、
床に伏せるように。和尚が「自分が死んだ後もみんなを守ってくれる
お地蔵さんを建てて欲しい」と願ったところ、地元の庄屋さん
の呼びかけによって立派なお地蔵さんがたてられたのです。
そのお地蔵さんを見て安心した和尚は、8月24日に亡くなりました。
ところが和尚の死後、となり町の住むおばあさんが
神経痛の足を治してもらおうとあんこ餅を抱えて和尚を訪ねてきます。
和尚の死を知って悲しんだおばあさんは、せめてもということで
お地蔵さんの口元に持ってきたあんこ餅を塗りました。
すると、たちまちおばあさんの神経痛が治ってしまったのです!
以来、お地蔵さんにあんこを塗ってお願いごとをするようになったのだとか。

そんな言い伝えがあって、
家山和尚の命日には、和尚が大好きだったあんこを
地蔵の口もとにぬって供養しているというわけです。
ユニークなお祭り、地元の人に慕われた
和尚さんの人柄と温かさが伝わってくるようです。
「小豆島の里山から」というタイトルでこの小豆島日記を書き始めてちょうど1年。
季節は再び春となりました。
小豆島で迎える2回目の春です。
どんどん暖かくなっていくこの季節は本当に気持ちがいい。
暖かい太陽の光、心地良い風、そして色とりどりの花々。
文句なしに最高の季節です。

畑からの風景。満開の桃の花とその向こうに段々畑と肥土山の家々。

去年植えたクールミント。暖かくなり一気に地面から新しい芽が出てきました。
1年前といまとを比べると、だいぶ状況が変わりました。
ひとり娘のいろはは幼稚園児から小学生へ。
家の改修工事が終わり、カフェの営業をスタート。
たくちゃん(夫)は1年間の農業研修を終え、知識と技術を習得。
軽トラ、トラクター、畝立て機など農作業に必要な車や機械をゲット。
いまでは、移動は基本的に軽トラ、ブイブイいわせて走っています(笑)。

草刈り機は必需品。

去年購入したトラクター。斜面のため片側に乗って操作。
さて、この春も畑で作業。
1年前に借りた畑のひとつが、ようやく作物を植えられる状態になりました。
切り株と石ころだらけだった休耕地(使われていなかった畑)。
地図で見たらほんとに小さな畑なのに、
自分たちの手で耕すとなるととてもとても大きい。
ほかの作業もしながらなので、なかなか進まず(言い訳です、笑)。
先日、島の友人たちに手伝ってもらって、やっとトラクターを入れて土をおこせました。
ふたりだとなかなか進まない作業も、友人たちが揃うとあっという間に終わります。

切り株と石ころだらけだった休耕地。この春やっと蘇りました。

島の友人たちが手伝ってくれました。山々を眺めながら10時のおやつ。

蘇った畑にレモンの苗木を移植。3年後くらいにレモン収穫できるかな。
そして、いろはもお手伝い。
苗の定植作業など内容によっては、しっかりひとり分の仕事をしてくれる。
この1年でいちばん変わったのはいろはかも。

マルチ張りの手伝いをするいろは。

とうもろこしの苗を定植します。
最近は、畑以外にもカフェの営業やその他のプロジェクトなど
やることが増え、せわしない毎日。
でも私たちの暮らしのベースは「農」。
この1年も毎日畑で土と野菜を触っていたいなと思います。
新宿から電車+バス、もしくは車を使って約2時間ほど。
東京都本土唯一の村「檜原村(ひのはらむら)」に
イベントスペース併設のゲストハウス「へんぼり堂」はあります。
築120年の古民家をのべ350人で協力しながら
改修したゲストハウスは
素泊り一泊3,000円、一棟貸切30,000円。
また、ヨガや染物、野点(屋外で楽しむお茶会)、
村ならではの美味しい食事作りなどが体験できる
魅力的な「習い事」がたくさん企画されています。

スーパーおばあちゃんヒロ子さん師匠。こんにゃく・蕎麦・うどん・おやきづくりを教えてくれます

大人気のヨガと座禅会はお寺で。玉傳寺からの景色も見ごたえ有り!

デザインから型作り、染めまで全部自分の手でやる本気の草木染め合宿

ヒッチハイクできたツワモノたち。檜原村は主要道が南北に1本ずつしかないため乗せてくれることがあるとか。*ヒッチハイクをおこなう場合は充分ご注意を!あくまで自己責任で
へんぼり堂は、ゲストハウスではありますが
一番の目的は「皆がつながる場」として機能すること。
檜原村に住む人や興味をもって村にやってきた人たちが
一緒に体験して学び、遊び、笑いながらつながっていきます。
そしてさらに、誰でも「教える人(師匠)」になれるのも
おもしろいところ。
檜原村でなにかをやってみたい!という師匠希望の方も募集しており
謝礼も出るそうです。
東京とは思えないほどの自然のなか
体を動かしながら学び、つながりができていくのは素敵ですね。
ぜひ遊びに行ってみてください!
【へんぼり堂の近日開催イベント】
4/19-20 倒壊した窯小屋を再生!超突貫小屋作りプロジェクト!
4/26-27 一泊二日本気の草木染め!
4/29(火) 日帰り特訓!村のおばあちゃんワークショップ!
5/5-6 プロジェクト発足から1年これからの1年をみんなで考えよう!+へんぼりファーム
5/12-13(月火)平日開催!ヨガと座禅合宿!てんこ盛りの二日間!
5/17-18(月火)春だ!ヨガと座禅合宿!てんこ盛りの二日間!
茨城県『フォトいばらき』
発行/茨城県
茨城県北エリアには、地球が形づくってきた大地の歴史や人間の文化的歩みを見ることができる貴重な自然・文化遺産が数多く残っています。
これら地域の環境保全と観光を整備し、まとめられたのが茨城県北ジオパークです。
フォトいばらき
http://www.pref.ibaraki.jp/photoiba/
発行日/2014.4
岡山県都窪郡早島町。
日本のへそのような位置にある岡山の、そのまたへそのような小さな町。
この話はその町のどこかにある、コーポ造りというか、
比較的新しめというだけでこれといって特徴のない2階建てアパートの一室から始まる。
その前に今回の出来事の背景にあるいくつかの問題のうち、
ふたつをここで明らかにしておきたい。
まずひとつはレンタルDVDの延滞料だ。
昨今、大手チェーンのTSUTAYAもGEOも、
店舗によって差はあるらしいものの、
新作・準新作以外の「旧作」のレンタル料金は1週間100円でほぼ定着している。
なんともありがたいデフレ価格なわけだけれど、
一方、延滞料金となると競争の原理はまったく働くことなく、
全国相場は一日につき200〜300円。
家の近所にあって、ぼくがもっともよく利用しているGEO茶屋町店では
240円で設定されている。
レンタル料からしてこの延滞料、ちょっと高すぎやしないか。
問題のもうひとつは、この10年ほど続いている
あまりよろしくないぼくの個人的な経済状態である。
家の事情で2004年から東京と郷里の倉敷を行き来する生活を始め、
直後に個人で定期刊行のフリーマガジンなんぞ立ち上げたものだから一気に状況は悪化。
号を重ねるごとに生活は困窮し、ついには物価の安い郷里へ完全Uターン。
雑誌の発行を終えた2010年からは、
Uターン以降本業としている広告制作に打ち込んでゆるやかな回復傾向を示すも、
2012年に岡山市内でコーヒースタンドという新たなビジネスを始めることになり、
ふたたび冬の時代へ(その顛末はこちら、『マチスタ・ラプソディー』でどうぞ)。
そして昨夏に18か月間心血を注いだ店を閉めたことで
状況はいくらか改善するはずだった。
ところが実際はその逆で、わずかの風に揺れる風知草のごとく、
いまやどんな支払い・請求書の類にもざわざわとして胸がざわめく。
東の空もまだまだ濃い闇にある午前5時。
早島町の件のアパートの一室で、ぼくはひとり物音をたてないようにして
必死の探しものをしていた。
といってもお盗(つと)めに励んでいるわけじゃなく、
そこはぼくの住まい、一室は我が家の居間である。
探しものは、3歳になる娘のチコリのために1週間前に借りた
ディズニーの『白雪姫』、そのDVDディスクがまったく見当たらないのだ。
返却用バッグのなかに空のケースを見つけたのは午前2時頃だった。
まあ、すぐに見つかるだろうと、その後余裕で映画を1本見た後、
娘がディスクを置いたり隠したりしそうな場所を探してみた。
が、この『白雪姫』がどこにもない。
かれこれ1時間近く探してみたけど、ありそうな気配もない。
返却期限はその日の午前10時。
GEO茶屋町店の開店前に返却しないと、冒頭で述べた延滞料240円がかかる。
この料金設定に納得しかねる気持ちと、
同じく冒頭で述べた個人的経済事情が絡み合い、
延滞料の支払いはなにがあっても避けねばならぬ。
この10年で染みついたその思いは、悲しいほどに強いのだった。
窓の外がうっすら白みはじめるにつれ、気持ちはげんなりしてきていた。
しかし今から思うと、そこで開き直って気持ちに余裕をもてたことが勝因だったと思う。
「音楽でも聴きながらじっくり探そうか」と、
アンプの横に山積みになった50枚ほどのCDの中から、
何気なくチェット・ベイカーの1枚『Sings』を手にとった。
ぼくは熱心なジャズファンでもないし、
少なくともこの1年ほどまったく聴いていなかったCDなのだけれど、
そのときなんとなく手が止まったのがそれだった。
ディスクを取り出そうと、プラスチックのケースを開けた。
と、目前にあるそのディスクに思わず我が目を疑った。
なんとそこに失踪中の姫がおわしたのである。
同日の正午頃。ところは変わって、
倉敷市の南端にある人口約7万人の地方都市・児島。
瀬戸内海に面した風光明媚なこのまちにぼくの仕事場がある。
所在の住所が元浜町であることから「元浜倉庫」と呼んでいるそこは、
小さな港が目の前にあり、背の高いスレート造りの倉庫然とした建物のなかに、
ぼくの制作会社「アジアンビーハイブ」と、
グラフィックデザインの「after hour(アフターアワー)」の2社がある。
といっても、ぼくのほうはひとりきりで、
後者もリュウくんとユウコさんの夫妻ふたりだけ。
3年前に保護して以降、事務所の番犬と化している
元野犬のサブロー(通称サブ、推定10歳)を加えても、ごくごく小さな所帯だ。
この見た目インダストリアルなわりにゆるげな職場に、
今年の3月からぼくのプライベートのパートナーであるタカコさんが新しく加わった。
彼女のビジネスはコーヒー豆の焙煎と販売、屋号は「元浜倉庫焙煎所」。
結果、ひとつ空間の中でデザインとコーヒーというまったく異なる業種が混在する、
かなりレアな場所が誕生することと相なった。
話を元に戻そう。その日のお昼頃、友人のフジタくんが元浜倉庫に弁当持参で
お昼を食べにやってきた。ぼくは早速彼に早朝の顛末を語り出した。
「どこにもないんだよ、その『白雪姫』が。もうホントまいったね」
フジタくんは10数年前、縫製の技術を勉強しようと
郷里の兵庫・丹波から裸一貫バイクで児島に移住してきた強者で、
いまでは繊維のまちとして知られる児島でも唯一だと思う、
フリーランスの縫子として生計をたてている。
近所に住居兼工房を構えていることもあって、
月に半分ぐらいは元浜倉庫で一緒にお昼を食べている、まさに常連中の常連。
「そりゃあ驚いたよ。まさかチコリがそんなところにDVDを入れているなんて
思いもしないじゃない? だって、チェット・ベイカーだよ!」
浮かれ気味な口調もさもありなん、
あのDVDディスクを見つけた瞬間の感動といったらなかった。
ぼくはクリスチャンでも仏教徒でもないけど、神の存在を身近に感じたぐらいだ。
午前中ずっと「やっぱりオレ、愛されてるなー」みたいな
温かい気持ちで満たされていた。しかし、話はこれで終わらない。
ぼくの場合大抵そうであるように、
この手の幸運の後には地震の揺れ戻しのようなものがやってくる。
今回のそれはまさに電光石火だった。
携帯電話が鳴った。目の前にいるフジタくんはまだお弁当の途中。
「GEO茶屋町店のタブチ(仮名)と申しますが」
その朝返却したDVDに100パーセント間違いはあるはずなかった。
返却期日も作品の中身も本数も、
すべてバッグに入れたままにしておいた伝票で確認してから返却したのだ。
臆することはなんにもない。
「DVDなら今朝時間内にちゃんと返しましたけど、なにか問題が?」
「いや、今朝のじゃなく、先週の木曜日にTSUTAYA児島店さんに返却されたDVDの件で」
この電話の主はGEO茶屋町店。ぼくがもっとも利用するお店で、
今朝返却に立ち寄ったばかり。
そして、この店の次によく利用するのがTSUTAYA児島店である。
コンビニで立ち読みするような感覚で、仕事で通りかかったときにたまに立ち寄る。
しかし、「TSUTAYAに返却したDVD」と言われても、
そのときはまったく思いあたるふしがなかった。
「あの、なんのことですか?」
「先週、TSUTAYA児島店さんに返却されませんでしたか?」
その時点でもさっぱりわからなかった。ぼくは電話に集中しようと、フジタくんを事務所に残して倉庫の外の部分に出た。
「なんのDVDかな? 作品名とかわかります?」
「はい、ええっと『ちいさなプリンセス』……」
瞬間、半分を理解した。
あれだ、10日ほど前、チコリが保育園に行きたくなくて
あまりに泣きわめくものだから連れて行くのをあきらめ、
児島の事務所に連れて行ったあの日。
事務所で退屈するだろうと、途中でチコリとTSUTAYA児島店に行って
DVDを借りたのだ。でも、あれはちゃんと返却したはずだ。
理解できなかった半分は、
そのことでなぜにGEOからこうやって電話がかかってきているか
ということだった。……うん?
「オレ、間違えましたか?」
「ああ、はい」
携帯をもったまましばらく片手で頭を抱えた。
どうしようもない思い違いだ、200パーセントTSUTAYAで借りたと思い込んでいた。
チコリちゃん、あれはGEOだったっけ……。
「TSUTAYAさんで預かっていただいていますので、
ピックアップしていただいて、うちの方にご返却いただけないかと……」
電話の声がはるか遠くに聞こえる。振り返って事務所のなかを見た。
透明のアクリル越しにフジタくんが右手に箸をもったまま、
なにを見ているのか、真剣な顔でスマホの画面に見入っているのが見えた。
その日の夕方、GEO茶屋町店で『ちいさなプリンセス』の
4日分の延滞料金960円を支払った。
ミラクルな幸運で延滞料240円の支払いを免れた同じ日に(延滞が一日だったと仮定)、
ありえないという意味でのこれまたミラクルな過失で960円の損失。
それにしても、こうやって数字だけで表してみると、
なんと小市民的な、些細なできごとか。
あれだけの気持ちの振幅の幅があろうとは、
ましてや神様の名前をもちだしたりするようなことがあろうとは思いもしないだろう。
でも、世の中だいたいそういうもので、
一見、とるにたらない些細なできごとのなかに
大の大人が右往左往するようなドラマがあったり、
そこにまた個人の抱える問題や、その問題の本質が見えたりするのだ。
しかし、今回の場合、問題の本質は
信じられないようなポカを起こすぼくにあるのではなく、
ライバル店であるはずのTSUTAYAとGEOが、
なぜにあのように似た素材、似た色、似た形状の返却バッグを
使用しているのかという点にあると思う。いまさら負け惜しみのようだけど。

昨年の夏から秋まで試験的に営業していた元浜倉庫焙煎所。この春、倉庫の人員すべてを動員して無駄に広かったスペースの一部をショップに改装。随分お店らしい雰囲気に生まれ変わりました。念願のお店がもててタカコさんもここのところご機嫌な様子です。元浜倉庫焙煎所の営業時間は平日の正午から午後4時まで。
4月に入り、季節は一気に春になりました。
寒い日が続き、いつ春が来るのかなと思っていましたが、
気づけば暖かくなっていて、あちこちで桜が咲いています。
静かだった農村が、一気に色づき始めるワクワクする時期です。

色づき始めた春の農村。
そして、4月1日より「小豆島カメラ」のWebサイトもスタートしました。
「小豆島カメラ」は、以前もこの小豆島日記の中でご紹介しましたが、
小豆島で暮らす女性7人と、オリンパス、写真雑誌「PHaT PHOTO」、
写真家MOTOKOさんが一緒になって進めている地方×カメラプロジェクト。
私たち島のメンバー7人が、それぞれの日常の暮らしの中で出会うシーンを
オリンパスのカメラで撮影し、Webサイトや展示、雑誌などで発信します。

「小豆島カメラ」のWebサイト。7人で1日1枚写真を公開していきます。

「小豆島カメラ」のFacebookページも運用スタート。
このプロジェクトの目的は、写真を通して
「見たい、食べたい、会いたい。小豆島に行きたい!」
さらには「小豆島で暮らしたい!」という流れを生み出すこと。
まずは発信することで小豆島を知ってもらう。
観光地としての小豆島ではなくて、暮らす場所としての小豆島。
毎日ここで暮らしているメンバーだからこそ撮れる写真を
お届けしたいなと思っています。
そして、実際に足を運んでもらうためにどうするか。
発信するだけじゃ、なかなか人は動いてくれない。
だから、具体的な行動につながる企画をいろいろ考え中です。

1週間に1度くらいは集まれる人で集まって打ち合わせ。

この日はHOMEMAKERSでランチを食べながら。

オリンパスさんから新しい機種のカメラとレンズが届き、お試し。
そのひとつとして、小豆島写真ツアーを考えています。
観光スポットをまわるだけじゃなくて、エリアを絞って、じっくりと歩きながら撮る。
ここでの暮らしを感じてもらう。
そんなツアーにできたらいいなと。
詳細な内容はこれからですが、この夏に実現できるように進めています。
プロジェクトを進めながら、私たち自身は日々カメラの勉強。
オリンパスさんからはカメラやレンズの提供に加えて、
来週カメラの使い方講座を小豆島で開催してもらいます。
「PHaT PHOTO」の方々や写真家MOTOKOさんからは、
外からの視点で見た写真についての意見をもらいます。
いろんなことを吸収しながら、新しい機種、レンズで試行錯誤。
カメラを持ってあちこち出かけては、撮る毎日です。

肥土山農村歌舞伎舞台にカメラを持ってピクニック。

M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro で桜を撮影。

レンズを変えるとまったく撮れ方が変わる。試行錯誤しながらいろいろ撮影中。
これからまずは1年間、小豆島での暮らしの写真をお届けしていきます。
吐く息も荒々しくまちを抜けてきた梵天一行は、横手川に架かる橋を越えて、
いよいよ旭岡山神社が鎮座する山へとたどり着く。
ここで各町内が行うことは、「押し合い態勢」の準備だ。
仁王門と本殿で、町内対抗で激しい「押し合い態勢」が行われるため、
壊れやすい頭飾りを外して、身軽な梵天とするのだ。
男衆の怒声を聞きつけ、仁王門へと向かうとさっそく、
押し合いが始まっている。
梵天を入れようとする町内は仁王門手前で、梵天を槍のごとく横に構え、
入れまいとする町内は門内に陣取り、
互いに「ジョヤサー」の掛け声で自らを鼓舞している。
そして、怒号とともに揉み合う両者。
降りしきる雪をすべて溶かしてしまわんばかりの熱気で
仁王門の周囲は包まれる。
こうして、押し合いから抜け出した梵天がひとつ、またひとつと
頂上を目指していく。
頂上までの参道は、すべて雪に覆われており、
滑りやすいことのこの上ないのだが、
梵天を担ぐ者たちの足並みの速さは驚くほどだ。
まるで頂きの本殿に吸い寄せられるかのように、雪の参道を上り詰めていく。

横手川を渡って、いよいよ旭岡山神社への参道へと進んで行く。川の向こうはまさに彼岸。別世界へと入っていくようにも思える。

横手の街区を抜けると現れる横手川の橋。ここからが梵天行事のクライマックスだ。

仁王門の中で、ほかの町内の梵天を入れさせないために立ちはだかる男衆。

梵天を手に仁王門の中へと突っ込み、揉み合いが始まる。一気に盛り上がる瞬間だ。

これから始まる揉み合いが楽しみだと語る。男たちは一日限定の大暴れを楽しむのだ。

仁王門での揉み合いを終えた町内は、山頂に鎮座する本殿を目指し、参道を登って行く。
杉の古木が立ち並ぶ参道は約650m。
その先に本殿が構える。
しかし、そう簡単に奉納できないのが横手の梵天。
本殿直下から本殿へは急勾配の長い石段が難所となって待ち構える。
この先、本殿では仁王門で行ったよりも激しい押し合いが行われるのだが、
この胸を突くほどの石段への挑戦も奉納行事のクライマックスのひとつだ。
梵天の重さは頭飾りを外したといっても約30kg。
これを両手で高く掲げながら、すべる石段をどう登るか。
腕自慢を中心にスクラムを組むようにして登って行く町内もあれば、
我こそはと言わんばかりにひとりで担ぎ上げる強者もいる。
町内の結束と梵天担ぎの腕力が試されるだけあって、
無事、梵天を担ぎ上げた先の石段の上では歓喜の声があがる。
皆で力を合わせ、ひとつのことに挑戦する。
そんな単純で当たり前のことにこそ、
本当に大切なものがあると思わせる場面だ。
そして、押し合い。神社本殿で迎え撃とうとする他の町内にめがけ、
槍のごとく構えた梵天とともに仲間たちと突っ込んで行く。
怒号と歓声、男たちの熱が高まり、ふっと途切れた瞬間、
梵天は本殿へと吸い込まれていく。
それは仲間たちとつくり、ここまで担ぎ上げてきた梵天が
無事、奉納できた瞬間でもある。

山の頂にある旭岡山神社の本殿。ここに梵天を奉納するためにはもう一度、激しい揉み合いをクリアする必要がある。


本殿で始まった揉み合い。迎え撃つ者、一気に押し込む者。両者ががっぷり四つに組み、はげしく揉み合いをする。


胸を突くほどの急勾配。本殿に向かって、最後の石段をかけあがる。ここが梵天担ぎの腕の見せ所でもある。
こうして、すべての梵天の奉納が終わると、
男たちは梵天とともに山道を下って行く。
登って行く際には血気盛んな形相を見せていた男たちだが、
下りでは口数も少なく足取りも重い。
山の頂きに情熱のすべてを置いてきてしまったような雰囲気ですらある。
誰かが、「横手人ってこんなもの。普段は無口で恥ずかしがり。
梵天の時が特別なのさ」とつぶやく。
そうは言っても、一年に一度の大切な行事をやり遂げた男衆の表情は、
やはり普段とは違う凛々しさを宿しているようにも見える。
山を降りると、町内の女性たちが温かいものをつくって待っていた。
下降祝と呼ばれるものでお酒とささやかなごちそうで
無事に奉納できたことを祝うのだという。
また、ここで梵天をばらし、鉢巻やさがりを神官宅に奉納し、籠は火で燃やす。
まるで、この日を存在しなかったことにするように、
梵天のすべてを消し去ってしまう行為には潔さ以上に寂しさを覚えるが、
これも長い歴史の中での習わしだそうだ。

奉納した梵天とともに山を降りて行く。祭りの余韻が山の静けさに溶け込んでいく。

山の下まで来ると、梵天はすぐに解体される。祭りの中心的存在だっただけに少し寂しい瞬間でもあった。


鉢巻や幕、制札などを神官宅に奉納する。

下降祝いで用意されていたうどんをすする。心まで温まる味わいに笑みがこぼれる。
「梵天の日は荒れる」と、横手の人が言う通り、
今年の梵天奉納も始まりから終わりまで、始終雪が降り続け、
ときには吹雪模様となる梵天らしい一日となった。
個人的な話になるが、15年前に岩手に移住してから、
ここ7、8年は、ずっと北東北の祭りや年中行事をテーマに撮影を続けてきた。
東北の風土に興味があり、その延長として始まった祭りへの旅だが、
撮影を続けていくなかで、ずっと頭にあるのは、
今、この時代にこうした行為が「存在すること」の意味だ。
僕たちの先祖の時代、祭りはある意味必然から生まれたはずだった。
少し乱暴な言い方になるが人間は今よりもはるかに弱く、
自然はもっと強大だった。そのなかで人が生きていくために、
人はさまざまな工夫を凝らしてきた。
祭りや信仰は、いわば、こうした工夫が簡単には及ばない領域に関わるもので、
生きることへの切実なる祈りそのものだった。
例えば、各地で行われている「虫送り」を例にあげようか。
今のような科学の力がない時代、田畑を荒らす病害虫を防ぐために
人は祈りというかたちで回避しようとした。
その祈りのかたちが、「虫送り」となった。
今、虫送りをすることで
病害虫から田畑を守れるかもしれないと信じることができる人は
果たしてどれだけいるだろう。
梵天にしてもそうだ。梵天を神社に奉納することで、
家内安全、商売繁盛が成就するということを
心底信じられる人がどれほどいるだろうか。
今という時代はきっとそういう時代で、
そこに悲観や回帰行動を持ち込むものではないというのが、僕個人の意見だ。
なぜなら、祭りは必要とされることで初めて「在る」ことができるもので、
必要とされなくなるということは、
役割を終えたと考えるのが妥当だと思っているからだ。
つまり、今、この時代に祭りが在るということは、
遠い時代に生きた人たちの必然を共有しているのかもしれないし、
また一方では、今の時代を生きるための必然、
言い換えれば新たな価値のようなものを見出した結果ではないかと感じてきた。
そして、僕が心の底から見たい、感じたいと思っているのは、
自分と同じ今を生きる人たちが新たに見出した価値だ。
東北の田舎はある意味問題だらけだ。
人口、医療、農業、経済、教育。
おそらく日本という国が抱えるすべての問題をかなりの深刻さで抱えている。
正直なところ、にっちもさっちも行かないという土地もある。
それでも、人は、そこに暮らしている以上、
生きることへの工夫をやめるわけにはいかない。
そんななかで祭りに新たな価値を与え、
土地とそこに暮らす己や仲間に清々しい息を吹き込んでいく。
まるで現代の夢にも例えられるできごとなのかもしれないが、
東北のあちこちで祭りを見ていくなかで、
そういった力を生み出そうとしている祭りにも出会うことがあった。
では、横手の梵天とはどのようなものだろうか。
この一日があることで、そこに暮らす人に何をもたらし、何を生み出すのだろうか。
梵天を担ぎ、4km先にある旭岡山神社に奉納するためには、
最低でも7人程度の男衆が必要だと聞いた。
多くの町内は、20〜30名の男衆で組まれていたが、
なかには最小人数でヘトヘトになりながらも、必死で雪の参道を上り詰め、
皆で梵天を掲げようしにて石段を一歩一歩登り、本殿へと駆け込んだ町内もあった。
もしかしたら、そういった町内のなかには、
人出を確保するのが困難となり、
梵天を続けることが難しくなっている地域もあるかもしれない。
それでも、皆で力を合わせ、今年も梵天をあげる。
そこにはそれぞれが梵天を担ぎ上げるその意味を胸に刻み、
かつ、そこへの価値観の共有があるに違いない。
遠い時代、祭りとは、人間が大いなる物語に身を委ねる時間だった。
そこでは個の存在は消え、
神や仏といった大きな世界のなかに身を投じることができた。
そこではきっと、なぜ、祭りをやるかという理由は
まったく必要ではなかったはずだ。
ところが今の時代、大いなる物語は遥かに遠のいてしまった。
そうしたとき、祭りを続けるために必要なものとは
実はごくごく当たり前でパーソナルな思いではないだろうか。
たとえば、明日もこのまちや家族と一緒に暮らしていきたいと願うような。
梵天を担ぐ横手の男衆や彼らを支える人たちは何を思い、
旭岡山神社を目指すのだろうか。
いつか、ひとりひとりの胸の内を尋ねてみたい思いがした。
横手では、梵天を終えると高く積み上がった雪がゆるみ、
冬の曇り空に春の明るさが宿るそうだ。

横手川を渡る梵天。横手の自然の中での祭りの営みは、どこまでも美しい。

梵天を担ぐこと。そこには簡単に言葉では言えないものが隠されているのかもしれない。

横手では梵天が終わると、季節が長い冬から春へと歩み始めると言われている。
小豆島で暮らすようになって、本当にたくさんの方々のお世話になっています。
そのなかでも、移住する前から相談にのってもらっていたのが、
コスモイン有機園さんのご夫妻。
有機園さんは、農家であり、民宿もやっていて、
WWOOF(ウーフ)のホストでもある。
ウーフというのは、有機農場や、環境を大事にする人たち、
自然が豊かに残っている場所、または人と人との交流を大切にしているところと、
農業や、生き方について学びたい人や、
仕事の手伝いや家事の手伝いをしてみたい人たちとをつなぐ組織。
有機園さんには、いつもいろんな国から
ウーファーさん(ホストのところに行き、手伝いする人たち)が来ています。

大根を収穫する子どもたち。まさにうんとこしょ、どっこいしょ。

レモンを収穫。おいしいそうなのを選んでチョキリ。

有機園さんにはヤギがいます。それにしても小豆島に来てからヤギが身近になった(笑)。

雨上がりのしっとりとしたグリーン。これは白菜のなばな。甘くておいしいのです。
先日、久しぶりに有機園さんのところへ。
カフェのメニューで使う無農薬のレモンをいただきに。
もう私たちの畑のレモンはなくなってしまったので……。
有機園さんは、うちから車で15分くらいの長浜という地区にあります。
島の北西にあり、北側には瀬戸内海、その向こうに岡山が見える場所。
雨がしとしと降り、霧がたち込める日。
久々にうかがった有機園さんは、とてもしっとりとしていました。
その中を、鳥の声が響き渡る。
心落ち着くなんともいい場所だなーと改めて思いました。
私たちが暮らしている肥土山とはまた違う良さ、人の手が入り過ぎていない、
まさに自然の中というのをひしひしと感じる。
この日は島の友人も一緒に行ったのですが、私たちはレモンを、友人はお野菜を購入。
購入というか収穫というか。
まだ土の中にあるもの、木についているものを自分たちの手で収穫させてもらいます。

おかみさんと一緒に収穫。とにかく楽しくてうれしい。

キャベツ。この芯のところが甘くておいしいのよーとおかみさん。

レモンは傷がつかないように二度切りするのよー。専用のハサミもあるの。と教えてくれる。
一緒に収穫してくれる有機園のおかみさんがいろんなことを教えてくれる。
「ルッコラはポテトサラダに刻んで入れるとすごくおいしいの」
「キャベツはこの芯の部分が甘くていいのよ」
「レモンは傷をつけないように二度切りするのよ」
これがまたすごくいい。
どんな野菜も本当に愛おしく宝物に思えてくる。

収穫したほうれん草を畑脇の水道で洗う。

すごく鮮やかな人参と真っ白な大根。

ピチピチのほうれん草とルッコラ。
同じ野菜がぽんっとスーパーに置かれていても、なんとも思わないかもしれないけど、
この場所でおかみさんの話を聞きながら収穫した野菜は、ずっと大切なものに思える。
そう感じさせてくれるおかみさんの言葉とこの場所は、
改めてすごくいいなあと感じました。
収穫後、自家製ピーナッツバターとマーマレードが塗られたクラッカーとお茶。
この日台湾から来ていたウーファーの女の子たちと一緒に。

有機園さん自家製のピーナッツバターとマーマレード。
ここは、農とそれをベースにした人の繋がりがある、本当に素敵な場所です。
information
コスモイン有機園
住所 香川県小豆郡土庄町長浜甲1446-1
TEL 0879-62-4221
http://ww82.tiki.ne.jp/~cosmo-yuki/
information
HOMEMAKERS
住所 香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間 土曜(喫茶のみ)13:00~17:00(L.O. 16:00)
日曜(喫茶&カレー)11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/
横手市役所前に集まった梵天に雪が降りしきる。
大人の梵天のほか、子供梵天も集合する。
「ジョヤサー、ジョヤサー」
ほとんど視界がきかないほどの吹雪のなか、
祭り衣装に身を包んだ男たちが大声で叫ぶと、
横手市役所前にずらりと並んだ30本を超す梵天が
全体に大きくゆらりと揺れた。
と、同時に、先頭で隊列を組んでいた町内が、
梵天を高々と抱え、なだれ込むようにして走り出した。
観衆の喝采を浴びて、そのほかの町内もすぐさま後に続く。
目の前を色とりどりの梵天と白い息を吐く半纏(はんてん)姿の男衆が勢いよく通過していく。
梵天の隊列が目指すのは、ここから4km先、
山上峯の山頂に鎮座する旭岡山神社。
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、それぞれが祈りを抱え、
梵天とともに凍てつく雪の山を目指すのだ。
2014年2月17日。毎年恒例の梵天奉納の始まりは、厳寒期の横手らしく、
人もまちも、そして梵天も雪で真っ白に染まっていた。

狼煙を合図に、旭岡山神社を目指して出発する。男衆の熱気が一気に膨らむ瞬間だ。
梵天は秋田を代表する祭り習俗のひとつだ。
大曲(大仙市)の「川を渡る梵天」や太平山(秋田市)の「三吉梵天祭」など、
県外にも広く知られる梵天行事も多い。
横手の梵天も行事の意味合いとしては他のものと同じだ。
町内会や仕事仲間で作った梵天を
五穀豊穣や家内安全などの祈りを込めて奉納するもので、
小正月行事のひとつとして約300年の伝統を持つ。
そもそも「梵天」という言葉は仏教語に由来し、
淫欲を離れた清浄な天を意味することから、
掲げた梵天で邪気が払われ、浄化されると信じられてきた。
また、神が降りる祭場を標示するため、
高く茂った樹木や竿に御幣をつけたことが、
梵天の形状の原型になったとも言われている。
しかし、横手の梵天については、
弘化2年(1845年)横手城主である戸村十太夫が行った
全町あげての巻き狩りがその始まりだという。
約300年前の2月16日夜から始まった巻き狩りは、
全町あげての催しだったため、
町民はもちろん、町の防火、火消し組も参加した。
巻き狩り終了を告げられた17日の夜明けに、この町の火消し、
火防組が、「まとい」を高々と掲げ、装いも勇ましく旭岡山神社へ参り、
無火災祈願する姿が、梵天奉納の原型となったというのだ。
当時の人々の目に映った火消し、防火組の勇ましさと「まとい」の美しさ。
それが今に見る横手梵天の優美さと勇ましさに受け継がれているのである。

優雅さと優美さで知られる横手の梵天。頭飾りは干支や時局ものが多い。また最近は、仕掛けものも見られる。

色とりどりの梵天。町内ごとに伝統があり、それを踏襲しながら新しい飾り付けがなされる。飾りによって、重さが大きく変わってくる。
こうした横手の梵天について、詳しく説明してくれたのが、
横手市観光協会・梵天委員長の若松明さんだ。
75歳を迎えた若松さんは現在、運営側にたって、梵天を指揮しているが、
かつては22年間にわたって“梵天をあげてきた”大ベテランだ
(横手では、梵天奉納のことを「梵天をあげる」という)。
若松さんによると、横手の梵天は他地域の梵天同様、
いわゆる幣束(神祭用具)のひとつなのだが、
優美さや豪快さで抜きん出た存在だという。
まず、特徴となるのは、竿の長さで、全長は4.3mもの杉の木を使う。
この竿先に円筒形の竹籠に頭飾り、鉢巻、紙垂、さがりなど、
町内ごとに意匠をこらした色とりどり、美しい飾りが付くことになる。
これによって、全体の長さは5mを軽く超え、
総重量も重いものになると40kgを超すという。
「これを両手でバランスを取りながら担ぎ持ち、山を駆け登るんだから、
並大抵の腕力じゃできませんよ」と若松さんが語るのももっともである。
また、梵天は幣束であると同時に男性器の暗喩でもあるため、
寝かしたり、倒したりしては縁起が悪いとされてきた。
秋田の梵天は、仏教や修験道に由来すると言われる一方、
原始宗教にその源流を見いだすこともできるという。
男性器をモチーフとするという説は、まさにそういったところだろうか。
縄文へと続く東北の風土の奥行きを感じさせるエピソードのひとつだろう。
なお、梵天は旭岡山神社に奉納するため、基本的には毎年新たに作り替える。
作業は正月明けから始まり、
町内ごとに受け継がれる伝統のスタイルを踏襲しつつ、
頭飾りや細部を作り込んでいく。
祭りのぎりぎりまで、夜な夜な作業場に集まり、
美しい梵天を作り上げるのだ。
こうして各町内が趣向をこらした梵天の細部や美しさは、
本梵天(奉納行事)でも眺めることはできるが、
梵天そのものを見たいのであれば、
本梵天の前日に行われる「ぼんでんコンクール」もおすすめだ。
会場となる横手市庁前に勢揃いした各町内の自慢の梵天の美しさを
じっくりと楽しむことができる。

18歳のときより、22年間にわたって梵天奉納を行ったという梵天委員長の若松明さん。「梵天をやらないことには一年が始まらない」と笑う。

ほら貝を吹くなど梵天には修験道の影響を感じさせるシーンもある。
神社を目指して駆け出した梵天と男衆は
まず四日町、鍛冶町、旭川町、本郷町などを抜けて、町外れを目指す。
この道のり、梵天を担ぐ男衆はもちろん、応援にかけつけた者も楽ではない。
古いまち並みの狭い道の両脇には雪が高く積まれ、
ますます道幅は狭くなっている。
ここに梵天を抱え、殺気だった男衆が雪崩のごとく駆け込んでくるのだ。
梵天の美しい飾りを暢気と楽しんでいようものなら、
いつ男衆に吹っ飛ばされてもおかしくない状況が続く。
事実、運悪く衝突事故が各所で発生しているのも見受けられる。
とはいえ、怪我がないのも梵天の特徴。
ケンカ山車など、荒っぽい祭りにはある程度の怪我がつきものだが、
「梵天は不思議と怪我はない。神様が守ってくれるんでしょうな」
と若松さんの教え通り、転んでも笑顔で立ち上がって、
梵天を追いかけていく観衆の姿が印象的だった。

道幅の狭い旧市街へとなだれ込んでくる梵天。皆、小走りで駆け抜けて行く。

重い梵天を両手で掲げ、腰を落として運んで行く。腕力はもちろんのこと、バランス感覚が不可欠だ。

旭岡山神社を目指し、進んで行く梵天一行。半纏姿の男たちで長蛇の列となる。
私たちが暮らしている肥土山では、柑橘を育てている農家さんが何軒かあります。
温州ミカンやダイダイ、スイートスプリング、ネーブルオレンジ、
とにかくたくさんの種類があって、いまだに種類が見分けられない(笑)。
私たちのじいちゃんが残してくれた畑にも、ダイダイ、スイートスプリング、
金柑などの木が残っていて、毎年冬になると実をつけてくれます。
冬の間は、自分たちで収穫した分に加えて、
いつも誰かからもらった何かしらの柑橘が家の中に。
風景の中にも柑橘があって、オレンジ色の実がなっている景色が
肥土山らしさのひとつだったりします。

柑橘のある風景。私たちの家のすぐ裏の畑。

収穫したダイダイ。葉つきのダイダイは鏡餅などのお正月飾りに使われます。
この柑橘の栽培も少しずつ減っているそう。
後継者がいない、サルの被害が大きい地域では
温州ミカンの生産が難しくなっているなど、いろいろな理由から。
あと、日本人のミカンの消費量がここ30年で3分の1くらいになったそうで、
需要が少なくなっている、高い値段で売れないというのも理由のひとつなのかも。
そんななかで、いま地元の人たちと一緒に、小豆島のダイダイを使った
ぽん酢をつくるプロジェクトを進めています。
ダイダイは、ゴツゴツとした大きな柑橘。
名前が、「代々」「代々栄える」に通じることから
縁起のいい果物とされ、鏡餅などのお正月飾りに使われます。
そのまま食べるととても酸っぱいので、果汁をしぼって調味料として使うことが多く、
地元のおばちゃんたちは、ダイダイの果汁を冬に絞って冷蔵庫で保管していたりします。

ワタ(果実のまわりの白い部分)は苦いので絞る前に剥きます。

スクイーザーでひたすら絞る。思ったよりもたくさんの果汁。

自家製ぽん酢づくり。お醤油、昆布、かつお削りなどを使って。
去年の冬は、自分たち用に家でつくってみましたが、
今年はいろんな方々と一緒に本格的な商品化を目指して。
先日、ダイダイを栽培している生産者さん、島のお醤油屋「高橋商店」さん、
農業普及センター、産業技術センター発酵食品研究所の方など約20名で、
試作品第1号の試食会。
会場は、うちのカフェで。

ぽん酢の試食用に、サラダや白菜蒸し、湯豆腐などを準備。

島のお醤油屋「高橋商店」さんが製造を担当。説明される高橋 淳社長(右)。

農業普及センターや産業技術センター発酵食品研究所の方なども参加。

味、デザインなどいくつかの視点から採点。
朝から、ぽん酢を試食するための、湯豆腐や白菜蒸し、サラダなどを準備。
顔合わせを終えて、さっそく試食開始。
「ダイダイの香りがもう少しするといいねぇ」
「パッケージはもっとシンプルなほうがいいかも」
「この価格でもいけるのかな」
など、それぞれが思うところを話し合いました。
そして試食会後は、ごはん会。
こんなふうにして地元の人たちにカフェを使ってもらえるのは、とても嬉しいこと。
ここから、新しい商品が生まれる。
ワクワクします。

試食会のあとはごはん会。
まだまだ始まったばかりのプロジェクト。
これから、味、デザインなど少しずつ改良していき、定番商品にすることを目指します。
そして、こういうひとつひとつのプロジェクトが、
柑橘のある風景、お醤油屋さんのある風景の維持に繋がればいいなと。
UターンでもIターンでもなく、
平日は都市に住み、今までの仕事をしながら、
週末だけ田舎で生活する「二地域居住」というライフスタイル。
いわば都会と田舎の良いとこ取り。
二箇所に居住の拠点を置くということで、
別名"デュアルライフ"とも呼ばれています。
そんなデュアルライフを8年にわたって続けている、
建築ライター・コーディネーターの馬場未織さん。
平日は東京で仕事をし、週末は千葉県南房総市の
山間地で暮らすという生活を2007年から8年もの間、
続けている女性です。
ご家庭はサラリーマンの共働きで子供は3人。
猫も2匹います。
いったい普通の家庭が、どうやって東京と南房総にある
広大な農地でのデュアルライフを成功させているのか?
そんないきさつを馬場さん自身が綴った
書籍「週末は田舎暮らし~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記」(ダイヤモンド社)
がただいま発売中です。
先日、初めて札幌市に行きました。
札幌は寒い。それは知っていたんですが、
一番驚いたのは、市内に残る大量の雪。
3月になり、東京では春の陽気になっていますが、
札幌では背丈以上もある雪が、市内の道路に
うず高く残っています。ロードヒーティングといって、
循環式で道路を温めているところには雪がないのですが、
そうでないところの雪は気温が上がらないので
残ってしまうようです。
地元の方に「これは雪まつりですか?」と聞いたら
「違います」とのことでした。違いますよね。



滞在中は、これらの巨大な雪の上に、
さらに新しく雪が降って積もっていくのを目撃し、
「これは消えないだろうな..」と実感。
遅いところでは5月ぐらいまで消えないそうです。
ちなみに札幌市では、ゴミならぬ処理した雪を捨てる
「雪堆積場」が冬になると郊外に設置され、
巨大な雪の山が出来ます。
と、札幌の雪はすごいのですが、
寒さに関しては、湿度が低いのでとっても快適でした。
本州の冬の切れるような寒さとは違って、
カラッとさわやかな寒さという感じです。
今年の夏には「札幌国際芸術祭 2014」も開催される札幌。
きっと大きな盛り上がりを見せてくれるでしょう。
3月も中旬なのにまだまだ寒い日が続きます。
つい先日も雪が散らついていたし。
今年は春が来るのが遅いという噂を聞きました。
冬の農村は、ほかの季節に比べるとやっぱりとても静かです。
何も植わっていない茶色い田んぼ。
葉っぱがついてない木々。
なんとなく全体的に茶色が多く、元気というよりは穏やかという雰囲気。

刈り取られた稲が残る静かな田んぼ。

帰り道。山もなんとなく茶色。

夕暮れの肥土山。人がいないとほんとに静か。
ぱっと見は少し寂しそうだけど、よーく見ると、
冬の農村にもそれぞれの日々の暮らしがあって、
歩いてるといろんな人に会います。
夕方、犬の散歩に出かけると、焚き火をする近所のおばあちゃんに出会う。
いろは(娘)「こんにちはっ」
おばあちゃん「いつも元気やねえ」
といつもの会話。

焚き火をする近所のおばあちゃん。ときどきうちにコーヒーを飲みに来てくれる。
幼稚園のお友だちに遭遇。
肥土山にはヤギを飼ってる農家さんが何軒かあって、
そこに行って一緒にエサ(その辺に落ちてる草や野菜くずとか)をあげる。
ヤギさん「メェ」
子どもたち「キャーキャー」

肥土山の農家さんが飼ってるヤギさん。

幼稚園のお友だちに遭遇して、一緒に野菜くずをあげる。
またもやお友だちに遭遇。
今度は空き地で自転車を乗りまわす。

空き地で自転車。子どもたちにとってはちょっとしたスペースが遊び場になる。
何気ない石垣や灯籠も、日々誰かが手入れをして、いままで残し続けたもの。
この農村の雰囲気をつくっている大事な要素。

きれいな石垣。いまはこの石垣を組める人も少ない。

灯籠。何気なくそこにあるけど、昔は立派な明かりとして使われてたのかな。
家に帰ってくると、たくちゃん(夫)は春に向けて苗作り。
もみ殻やワラを使って、苗を育てるための温床作り。

ワラを細かく刻む作業。

苗を育てるための温床を作る。
これが私たちの日々の暮らし。
毎日が全部こうではないけれど、大半はこういう風景の中で
ご近所さんたちと共に過ごしています。
都会とは明らかに違うここでの暮らしを通して、
子どもたちがどう成長していくのかなと見守りながら。
少しずつ春に向かいつつある肥土山。
もうすぐ庭の桜の花が咲きます。
桜の木に取りつけた、いまはまだ空き家の巣箱。
もう少ししたら新しい住人はやってくるのかな。

桜の木に取りつけてある巣箱。ヤマガラさんとかやってくるかな。
私たちが暮らしているのは、小豆島の真ん中あたりにある
肥土山(ひとやま)という集落。
山々に囲まれた盆地にある農村で、現在約250世帯、700人弱が暮らしています。
そしてその東隣りに、中山(なかやま)という農村があります。
肥土山とは車で5分ほどの距離。
こちらは肥土山の半分くらいの人たちが暮らしている集落で、
「日本の棚田百選」や「美しい日本の歴史的風土100選」などに選ばれるなど、
棚田がとても美しい、日本らしい風景が残っている場所です。

5月。田んぼに水が入り、これから田植えが始まります。

7月。稲が成長し、本当に緑が美しい季節。

1月。少し寂しい季節。静かな冬の農村です。
肥土山と中山はお隣の集落ですが、肥土山は土庄町、
中山は小豆島町と属している自治体が異なり、
また地形も平地が比較的多い肥土山、少ない中山と、似ているようで違う集落です。
住んでいる人たちの考え方も少し違うのかなと個人的には思っています。
そんなふたつの集落。
実は、現在は島内でこのふたつの集落だけが、
毎年農村歌舞伎を奉納し、虫送りという行事をしています。
それぞれの集落の美しさがあり、両方とも訪れてほしい場所です。

中山の農村歌舞伎舞台。

中山は毎年10月に農村歌舞伎が開催されます。

普段から大事に手入れされている建物は古くてもきれいで現役。
いつも肥土山のことばかり書いているので、今回は中山のことを。
中山には、本当に美しい棚田があります。
「中山千枚田」と呼ばれ、南北朝時代から江戸時代中期にかけてつくられたもの。
そしていまも、地元の農家の方々が手入れをされて、おいしいお米をつくっています。

中山のお米でつくったおにぎりが食べられる「こまめ食堂」さん。中山にあります。

でっかいでっかいおにぎりをいただきます。
急斜面にある狭い棚田には、大きな機械が入らないので、
小さな機械を使ったり、ときには手作業で。
私たちも農業をし始めてわかったことは、
機械を使わずに作業するということは本当に大変です。
重労働だし、何より時間がかかる。
朝から晩まで作業して、今日はやっとここまで進んだかという感じ。

小さな耕運機で田んぼを耕す。

手作業で田植えの準備。こうして美しい棚田が維持されています。
そして、この中山という農村も、御多分に漏れず高齢化が進んでいます。
これは肥土山も同じ。
このまま何も変わらず10年経つと、中山や肥土山はどうなるのかなぁとよく考えます。
いま農業現役世代の50〜60代がひとまわり歳をとると、
どれくらいの田畑が荒れていってしまうのか。
この農村の風景を守り続けるには、元気に動ける人、田畑で作業する人が
そこにいることがとても大事なんじゃないかと思います。
現在、中山では、棚田のオーナー制度の募集を行っています(3月10日まで)。
農家の高齢化などで景観の継承が危ぶまれている棚田の耕作に、
全国から募った会員に参加してもらうしくみだそうです。
また同時に、中山の棚田を元気にする地域おこし協力隊員も募集されているようです。
中山も肥土山も、その風景や文化を、少しでも長く維持していきたいと感じる場所。
まずはぜひ一度訪れてみてください。
2014年2月22日、ようやく私たちのお店がオープンしました。
小豆島の肥土山(ひとやま)という集落の奥のほうにある農村民家を改修した
HOMEMAKERSというカフェです。
オープンのお知らせは、主にFacebookやTwitterなどのSNS、
この「小豆島日記」などWebで。
チラシなどは配布なし(作成して配布する余裕がなかっただけです……)。
あと、実は半年くらい前から地元のテレビ局さんが取材に来てくださり、
その放送がオープン前日の夕方のニュースで。
当日はとてもいい天気で、澄み渡る青い空。
そんな中、朝からたくさんのお花や植物、お菓子が届きました。
以前勤めていた会社の方や、名古屋時代からの友人たち。
小豆島に来てから知り合いになった方々。
私たちのお店のオープンを気にかけてくれる方がこんなにもいるんだなあと思うだけで、
本当にありがたく嬉しくなりました。

オープン当日の澄み渡る青い空。暖かくて良い日でした。

遠方からもお花が届きました。キレイなお花がたくさんで嬉しすぎる。

親戚からお祝いでいただいたバームクーヘンを皆さんに振る舞いました。
オープンの11時を過ぎ、あれ、お客さん来ない……。
うーん、お知らせが足りなかったかなと少し不安になっていると、
ちらほらとお客さんが!
そして席が次々と埋まり、チキンカレーとコーヒーのご注文。

少しずつお客さんがみえて、ほっとひと安心。来てくれるというのは本当にありがたい。

ランチは、チキンカレー&サラダ。

出番待ちのコーヒー。器は淡路島の作家さんのものです。

オープン日に来てくれた島の友人たち。カウンターで話しながら。
この日も、1週前のプレオープンの時と同様、
島の友人たちにホールやキッチンのお手伝いをしてもらいました。
本当にありがたいことに、みな無給で手伝ってくれました。
私たちが返せたのは、まかないのカレーとお野菜とお菓子くらい。
来週からはたくちゃん(夫)と私のふたりで
お店をまわしていくんだなと思うとかなり不安……。
慣れていくしかないですね。
お店を開ける時、もちろん自分たちの力だけでやる人もいると思うけど、
ここにはそれを助けてくれる、盛り上げてくれる人たちがたくさんいます。
お手伝いもそうだし、ひざ掛けやオリーブの木でつくったカトラリー置きなど
自分たちで揃えられなかったものを贈ってくれる人がいたり。
店に飾る素敵なイラストもいただいたりしました。
そして、オープンという日にわざわざ来てくださった皆さまも。

皆さまからのお祝い。ひざ掛けは用意しなきゃなーと思ってたので助かりました。

友人のちほちゃんが私たちのことを描いてくれました。

イラストレーターのオビカカズミさんからの絵と有機園さん(小豆島の農家さん)からの金時人参。

お祝いにいただいたヒラメのお刺身。夜ごはんに乾杯しながらいただきました。うまい!
これからも素直に甘えつつ、私たちも皆さまに少しずつご恩を返していかないと。
お店を開けるということは、まわりの人へのありがたい気持ちで
いっぱいになる瞬間なんだなとしみじみ思いました。
大阪・北加賀屋の住宅地にある空き地を使った
コミュニティ農園「みんなのうえん」。
大阪の繁華街、梅田から電車一本で20分に位置する、都市型のコミュニティ農園です。
野菜づくりを楽しむことはもちろん、パーティやイベントが多数開催され、
参加している人の交流を大切にしているのが大きな特徴。

そんな「みんなのうえん」が、ただいま
春から一緒にのうえんをつくる参加者を大募集しています。
募集はチームで協力しながら畑を管理していく「チームコース」、
栽培から収穫までのすべてを自分で管理できる「レギュラーコース」、
好きなタイミングでマイペースに農を楽しめる「ホリデーコース」の3コース。
「みんなのうえん」ではコースを超えたイベントも定期的に開催されているほか、
メンバーになるとサロンスペースやキッチンも自由に活用可能。
作業の合間に休憩したり、自分たちでイベントを開催することもできるんです!
3月16日(日)、3月18日(火)には説明会が開催されます。
ご興味ある方は、下記Webサイトをご参照ください!
プロジェクト「NAMO.」は、名古屋の文化や歴史、
そして、名古屋で出会ったヒト・モノ・コトのユニークな魅力をつたえたり、
現代の街でみつけた気になるものから歴史を掘り下げ、
「つながりを知っていくって面白い」という
楽しみ方を提案するプロジェクト。
フリーペーパー『Journal』を発行したり、名古屋・愛知ゆかりの
文化に触れられるイベントを開催したりしています。
このたび3月15日(土)におこなわれる「盛りのBA・BA・BA」は、
もともと文化の発信地であった大須界隈にある3つの神社仏閣を舞台に、
音楽ライブ、マーケット、地元フード、さらには狂言や落語、
日本舞踊といった伝統芸能まで楽しめる賑やかなお祭り。
まるでかつての「盛り場」を再現するかのようです。

お祭りでは日本舞踊、狂言、落語、三味線など伝統芸能が味わえる。そして現代の生活を彩る音楽や地元フード、マーケットまで
イベントに参加することで、
江戸時代から名古屋が様々な文化を生みだしてきたこと、
そして現代でも名古屋発の文化が存在していることを知ってもらいたい。
また、大須の街や大須にある神社仏閣で
普段とは違う魅力を体感してほしい。そんな思いがつまってます。
名古屋の新旧を知るいい機会。ぜひお出かけください!
開催日 2014年3月15日(土)
開催時間 12:00〜17:00
開催場所 大須界隈の3つの神社仏閣(若宮八幡社・大光院・富士浅間神社)
入場料 無料!
最寄り駅 地下鉄名城線「上前津」駅・「矢場町」駅、地下鉄鶴舞線「大須観音」駅
◎会場にお越しの際は、公共交通機関をご利用ください。
駐車場 お車でお越しの方は、お近くのコインパーキングをご利用ください。
ある日の午後、「牛が生まれるよ~」という知らせを受けた。
電話口の女性は、千葉県南房総に住む鈴木俊子さん。
以前この連載で「やん米」という郷土料理を教えてくれた方。
その鈴木さんからの電話だった。
鈴木「ほら、ちっこ食べたいって言ってたでしょ。
そろそろ生まれるよー、来れる?」
待ってました!
テツ「いつまでに伺えば間に合いますか?」
鈴木「あと4、5日で生まれるって言ってたから、そのあたりはどう? 来られそう?」
テツ「はい! 行きます行きます!」
鈴木「ふふふ、よかった。じゃ、お待ちしてますよ~」
お礼を伝えて電話を切ると、じわっと嬉しさがこみ上げてきた。
ひとつは「ちっこ」に出会えること。
そしてもうひとつ、鈴木さんが忘れずに連絡をくださったこと。
以前この連載で、千葉の郷土料理を地元のお母さん方に教えてもらいました。
(「[ff_textlink_by_slug slug="tpc-foo-tasty-004"]千葉・太巻き[/ff_textlink_by_slug]」「[ff_textlink_by_slug slug="tpc-foo-tasty-005"]千葉・やん米[/ff_textlink_by_slug]」)
その帰り道、バス停まで送ってくださった鈴木さんと「ちっこ」の話に。
鈴木「牛の初乳を煮立てると固まるんだけど、それがホワホワで美味しいんだよね~」
産後の牛の初乳は高タンパクなため、火を入れるだけで固まる。
それをいろいろな調理法でいただくのだそう。
ただ、初乳はとても足が早く、搾ったらすぐに煮立てないと傷んでしまうらしい。
そのため、一般にはあまり流通せず、酪農家さんのあいだで楽しまれている逸品。
鈴木さんは年に数回、それを馴染みの酪農家さんからいただくのだとか。
そんな話を聞いてしまったら、体感しないわけにいかない。
どうにか食べてみたいとお願いしてみると、
鈴木「次に生まれるとき連絡しようか?」
と、約束をしてくれた。
そして今回の電話につながる。
数日後、東京駅から高速バスに乗り、南房総を目指す。
待ち合わせの場所、道の駅「富楽里」に到着した。
以前、鈴木さんに見送っていただいた場所、ここで再会する。
バスから降りて辺りを見回すと、駐車場の奥に鈴木さんの姿が見えた。
テツ「こんにちはー、いろいろとありがとうございます」
鈴木「よく来たね~、大変だったでしょ」
鈴木さんの顔を見ると、つい昨日も一緒にいたような親近感が湧いてくる。
人を安心させる何かを、鈴木さんは放っている。
車に乗せていただくと、袋いっぱいに詰められたみかんが、後部座席に鎮座している。
鈴木「これ、重いけどお土産に」
なんとありがたいお心遣い。
鈴木「あとこれも、重いけど」
千葉県産のお米5キロ、確かに重い。
けれど、そのお気持ちが心に染み入る。
テツ「いつもすみません、ありがとうございます」
鈴木「いい景色があるんだけど、そこ回って行こうか?」
はい!

取材に行った10月は、ちょうど南房総はみかんの最盛期に差し掛かっていた。
木々には、橙色に熟した実がこぼれおちそうになっている。
みかん畑の緩やかな景色を眺めながら、いただいたみかんを頬張る。
瑞々しくて甘い汁が、口いっぱいに跳ねた。
私を迎えに行く前に、もぎたてのものを買いに行ってくれたのだそう。
感涙。

鈴木さん御用達の「川名みかん園」はみかん狩りもできます。
一昨年の秋に小豆島に引っ越してきてもうすぐ1年と4か月。
時間をかけて直してきた家。
ようやくここでカフェをオープンします。
2月16日、オープン前にご近所さんを招待しました。
当日の朝まで、看板をつくったり、メニュー表をつくったり、いつも通りバタバタ。
なんとか準備も間に合い、オープンの11時。
近所のおばちゃん、おっちゃんがチラホラと様子を覗きに。
午前中は、同じ集落で暮らす同世代の友人たちが家族で遊びに来てくれました。

細い路地を登っていくと「HOMEMAKERS」があります。

プレオープンの前日に玄関ガラス戸にロゴが入りました。ぐっとそれらしくなった。

午前中は同じ集落で暮らす同世代の友人たちが家族で来てくれました。
この日は、コーヒー、自家製ホットジンジャーなどの飲み物と
カレーライスとマフィンをお出ししました。
私たちは多少の飲食店勤務の経験はありますが、
レストランなどで本格的な料理修業をしたことはありません。
だけど、なるべく自分たちの手でつくったものをお出ししたいと思い、
いままでの経験と本を読んだりネットで調べたりした知識で、
料理やお菓子、飲み物をつくっています。

HOMEMAKERSのオリジナルチキンカレー。たくちゃん(夫)が料理担当です。

肥土山でとれたスイートスプリング(柑橘)でつくったマフィン。

コーヒーはハンドドリップで。
料理の味、場所の雰囲気など、どんなふうに評価されるかわからないけど、
とにかく自分たちがいまできることをやる。
最初から完璧なお店なんてつくれないと思っているので、まずはスタート。
そして料理も空間も少しずつ良くしていけたらいいなと思っています。
それは、最近読んだナカムラクニオさんの本
『人が集まる「つなぎ場」のつくり方』にも書いてあったのですが、
お店を始めるならとにかく出来ることから行動することが大切です。
これを読んでなんだか少し安心しました。
さて、お昼を過ぎて午後は、
おばちゃんやおばあちゃんグループが何組かお茶しに来てくれました。
これぞ肥土山だなぁといった雰囲気。
ぺちゃくちゃとおしゃべりしながらコーヒーとマフィン。
プレオープンはこんな感じでのんびりと。
島の友人たちが手伝ってくれたおかげで、なんとか無事に終了。

おばあちゃんグループと談笑するたくちゃん。

肥土山のおばさまたち。皆さん来てくれて素直に嬉しい。

島の友人たちが手伝ってくれました。
正式オープンは2月22日。
しばらくは、土曜、日曜の週末営業。
まずはきちんとお店を開ける、それを続けられるようにがんばりたいと思います。

実はテレビの取材が来ていて、いろはもインタビューに答えてました(笑)。
今週22日(土)に行われる徳島県三好市池田町の手作り市「うだつマルシェ」。
昭和の面影を残すレトロな町で徳島をはじめ、四国各地から集まった
約90店の作り手たちがおいしいものや、すてきな雑貨を直接販売します。
おばあちゃんたちの手作りしたお蕎麦やだんご、
各地の農園がこだわった野菜やくだもの、
大人気の新鮮なひものや、お菓子、雑貨などを販売。
また、池田町に古くから伝わる「たばこ踊り」や
色々な打楽器を使って音楽を奏でるワークショップなんかもあります。

地元の人が変装して街を賑やかに練り歩く、名物「うだつちんどん」。飛び入り参加も歓迎です!
第10回目になるこちらのイベント、関西や中国地方からも人が訪れるほど人気だそう。
また、今回は四国四県と地元三好市、合わせて39酒蔵が参加する
「四国酒まつり」も同時開催。
四国中のお酒が堪能できる「地酒試飲会」や、
普段なかなか見られない酒蔵の見学も楽しめます。
ちなみに「うだつ」とは、
日本家屋の屋根に取り付けられた防火壁こと。
もともとは隣の家から火事が燃え移るのを防ぐためつくられましたが
装飾的な意味あいが強くなり、立派なうだつは裕福な家の象徴となりました。
そんなうだつが残る古い町並みで、四国の美味しいものを食べたり飲んだり、
活気ある作り手たちやスタッフたちと触れ合えるこのイベント。
最近パッとしないな(うだつが上がらない)という方も
きっとパワーがわいてくるはず。ぜひ遊びにいってみてください!
名古屋市の繁華街にそびえ立ち、
街のシンボルとなっている名古屋テレビ塔。
アナログ放送配信の役割を終えたいま、
今度は街の情報の発信拠点として活用されています。
今回紹介する「SOCIAL TOWER PROJECT」は名古屋テレビ塔に
多くの人が集まり、コミュニケーションが生まれる場にしようと
活動するプロジェクトです。
テレビ塔1階に設置された「SOCIAL TOWER CITY GUIDE」では
名古屋・栄エリアの穴場や飲食店などイチオシの情報を案内。
月イチで新しい情報を追加しています。
また、栄を中心とした街の情報をまとめた本の発行や
「まちのことはまちの人から聞こう」をテーマにしたお散歩ツアーも企画。

多くの人が直接情報発信できるように、フライヤーラックも設置されています

こちらは先日おこなわれた「都会の喧騒からリラックスツアー」参加者。参加費500円+実費で気軽に楽しめるツアーが多い