連載
posted:2014.4.25 from:岡山県倉敷市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
コロカル伝説の連載と言われる『マチスタ・ラプソディー』の赤星豊が連載を再開。
地方都市で暮らすひとりの男が、日々営む暮らしの風景とその実感。
ローカルで生きることの、ささやかだけれど大切ななにかが見えてくる。
writer's profile
Yutaka Akahoshi
赤星 豊
あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。
児島の桜が満開を迎えたその翌週の、とある日の昼下がり。
サブの餌を買いに行ったホームセンターからの帰りみちに、
そのおばあちゃんの姿を見た。港に沿った側道に入ったところ、
すぐ横の歩道を歩いていた。
歳の頃は八十代半ばか後半あたりか、
腰は曲がりきって歩くのもつらそうだった。
目と目が合った。こっちは車の運転中なわけだから
次の瞬間にも視線が離れようものだけれど、
このおばあちゃんの視線がやけに絡みついてくる。
おまけにぼくの車が横を通り過ぎると足を止め、
振り返るようにして粘っこくこっちを見つめている。————おばあちゃんの圧勝。
敗者のぼくはすぐ脇の港に車を停めた。ため息のひとつもついたと思う。
元浜倉庫は目と鼻の先だった。
おばあちゃんは立ち止まってぼくを待っていた。
細かな柄の入った薄いグレイのブラウスに無地のグレイのパンツといういでたち。
やわらかそうな白い布のバッグを手にして、
足もとは白のソックスに黒の革靴をはいていた。
「おばあちゃん、送っていきましょうか」
「すいませんな、お願いします」
聞くと、実家に帰る途中だと言う。
耳をかすめたことのある児島の地名を口にした。
現在の住所表記では使われていない古い呼び名だというのはわかる。
でも、こっちのブランクの長いぼくにはどのあたりなのか見当がつかなかった。
「琴浦の方ですかね?」
「いや、そこまで行かん。もっとこっちじゃ」
「どこだろう? 実家の近くにお店とか目印になるようなものがありますか?」
「酒屋のキシダがあるわ」
「キシダ……ほかになんかないですか?」
「キシダんとこの路地を入ったらすぐなんじゃけどな」
もう少し話してみたがらちがあかなかった。
携帯電話で検索してというわけにもいかない。
ぼくの携帯はネットにはつながっていないのだ。
と、そのときひらめくように頭に浮かんだのが、
児島にある大手学生服製造会社の総務部長Kさん。
とにかく物知りで、しかも児島の地の人である。
この際クライアントだろうが四の五の言ってられない。
迷うことなく携帯を鳴らした。Kさん、つかぬことをうかがいますが。
「そりゃあのへんじゃがな、
酒屋はあそこんとこの角のがそうじゃ……かどかどかどかど……そうそうそうそう!」
一切理由を聞くことなく、短い挨拶だけしてKさんは電話を切った。
こうして無理そうに思えた絶壁を記録的なタイムで踏破した後、
おばあちゃんとつかの間のドライブ。
その間の会話から、おばあちゃんがいま向かっている先のあたりで生まれ育ち、
ずいぶん昔に、児島の漁師町のひとつで、
元浜町からもほど近い漁師町の大畠(おばたけ)に嫁いで行ったことなどがわかった。
「実家にはいま誰が住んでるんですか?」
「おじいさんやばあさんがな」
「長生きの家系ですね。ところでおばあちゃんはおいくつなんですか?」
「ううん、なんぼじゃったかな。まだ三十にはならん思うけどな」
「結構若いな、ははは………」
そのとき初めてだった。
ぼくの頭のなかに「痴ほう」とか「徘徊」という熟語が漂いはじめたのは。
でも、隣にいるこのおばあちゃんがボケているようには到底見えなかった。
耳は普通に聞こえているし、身なりも清潔でちゃんとしている。
少々ピントがズレてはいるけど、なにより会話のキャッチボールが成立している。
ぼくの母よりも年齢はほんの少し上だと思う。
でも、母との間ではこんなやりとりはもう何年も前からできなくなっていた。
母が脳梗塞で病院に運ばれたのは2004年の9月末だった。
後遺症は右半身の麻痺と言語障害。
それだけだったら回復もいくらか望めたろうし、
気持ちもどれだけ楽だったかしれない。
決定的な痛打となったのは2か月後に発症したうつ病だった。
それからの苦労はなかなか言葉で表せるものじゃない
(その苦労のほとんどは父が背負った)。
あれから10年になる。施設の類には絶対に入れないという父の意志で、
これまで母を自宅で介護してきた。
でも、この一年ほどで主たる介護者である父の老いが急速に進んだ。
激しく腰が曲がり、体重も10キロほど落ちた。さすがに限界だった。
今年の正月を明けてすぐ、月曜から金曜までの平日の間、
母を介護施設へ預けることにした。
ところがその後の週末だけの家の滞在も父には負担が大きかった。
4月になってすぐ、父は力のない声でぼくにこう言った。
「お母さんの、土日も通しで預かってもらうことにしたけん」
こうして週を明けての月曜朝、
母はいつものように送迎の車に乗せられ施設へと行った。
この元浜の家に戻ることはないかもしれないと理解できないまま。
酒屋の駐車場に車を停めた。
駐車場のすぐ横に、入り口をつい見落としてしまいそうな細い路地がある。
実際、見落とした。
その次の路地に入って狭い道をさんざんぐるぐるした挙げ句、
ここに引き返してきたのだった。
「おばあちゃん、この路地でいいのかな?」
「ああ、うーん、どうかな。そうじゃろうかな」
いまひとつはっきりとしない。
ぼくはおばあちゃんに車で待つように言い残して、
ひとりで歩いて路地に入った。路地はほどなくして右に折れ、
すぐの右手に平屋の一軒家があった。
さらに進むと急なこう配になっており、のぼり口の左手に木造の古い廃屋があった。
その右手には未舗装の駐車場があって、奥に白いモルタルの一軒家がある。
視界にある家はそれだけで、
路地のこの先に家がどれだけあるかはこう配を上ってみないとわからなかった。
そのとき、買い物袋を手に下げた女性が路地をこちらに向かってきた。
ぼくはすぐに声をかけ、おばあちゃんから聞いていた旧姓を彼女に伝えた。
このあたりの集落に思い当たる家はないようだった。
理由を聞かれたので簡単に経緯を説明したところ、
彼女はさも申し訳なさそうな顔で「警察に行かれた方がいいですよ」と言った。
ぼくはお礼を言って、まっすぐ酒屋の駐車場に戻った。
車のドアを開ける瞬間まで、彼女に言われた通りそのまま警察に行くつもりでいた。
ここで切り上げても、「もうやることはやった」と自分で納得できる。
ところが、おばあちゃんのしわだらけの顔を見て、どういうわけか気が変わった。
「ちょっと降りて歩いてみましょうか?」
しばらくおばあちゃんと手をつないで路地を歩いた。
ぼんやりしたおばあちゃんの反応からは、この路地が正しいのかどうかはわからない。
歩いていても、のどの奥の方からかすれたような乾いた音が漏れるだけだった。
急なこう配にさしかかったあたりで、おばあちゃんが口を開いた。
「そこんとこがな、昔はうちの工場じゃったんじゃ」
そう言って左手にある廃屋を指した。
そしてぼくの先に立ち、これまでの足どりが嘘のようにすたすたと歩いた。
向かう先は右手に見える白いモルタルの二階建ての家。
家のなかでゴールデンレトリバーが窓のガラス越しにこっちを向いて吠えつづけている。
おばあちゃんはおかまいなしでまっすぐ玄関に向かって歩いた。
赤の他人であればすでに完全な住居侵入だ。
ぼくはやきもきしながら金魚の糞の体でおばあちゃんの後ろを歩いた。
てっきりその家に入るのかと思いきや、おばあちゃんは玄関先をかすめ、
迷いのない足どりでさらに敷地のその奥へと足を進めた。
そこにこつ然と、屋根の低いプレハブ小屋が姿を現した。
ドアの上に木の表札があった。
そこに人名はなく、筆で書いた文字で「河童ビリヤード」。
おばあちゃんは迷わずドアの把手に手を伸ばした。
……ビリヤード場? かっぱ……? わけがわからなかった。頭がクラクラした。
しびれたような頭のなかで、いろんなものが音をたてて回っていた。
ドアまわりの長く打ち捨てられたような雰囲気のせいで、
鍵がかかって開くわけがないと思ったドアは存外にするりと開いた。
おばあちゃんはその奥へと入っていった。
背中越しに室内をのぞいてみる。カビの匂いがつんと鼻をついた。
目に飛び込んできたのは、ブルーシートに覆われた大きなテーブルのような台。
サイズといい高さといい、ビリヤード台であるのは間違いない。
左手に1台、建物の奥に向かって3台が縦に並んでいた。
その板壁には炭のように黒々としたキューが何本もたてかけられている。
長く稼働していないというだけで、紛うことなくビリヤード場だった。
紛うことのないビリヤード場ではあるんだけど、
ぼくにはこの世界のどこでもない場所に足を踏み入れたような感覚があった。
おばあちゃんが向かっているすぐ先で、突然黒っぽい塊が動いた。おばあちゃんの向こうでおばあちゃんが振り向いた。
齢九十超えはかたい大おばあちゃんがいた。
ふたりは一瞬顔を見合わせた後、大おばあちゃんが
「あんた、どうやって来たん?」
「うん? 乗してきてもろうたんじゃ」
小おばあちゃんがそう言ってぼくの方を振り向く。
ああ、どうもとぼくは挨拶したが、大おばあちゃんはぼくの方をまったく見なかった。
「おじいさんはどうしたん? どこにおるん?」
「はあ? なにゆうとん? おじいさん、おらんよ」
「おらんの? 死んだん?」
「死んだ。二十三年(おそらく平成23年のこと)」
「そうかな……そうかな」
言いながら、小おばあちゃんはそこにあったソファに腰を下ろした。
「あんた、ここにおってもろうても困るよ。
わたしゃこれから降りるんじゃから。乗して帰ってもらい」
「ああ、そうな……」
結局、ものの5分といなかった。
そこがおばあちゃんの実家だったとすれば、なんとも滞在時間の短い里帰りだった。
ぼくたちはその魅惑的なビリヤード場を出て、駐車場で大おばあちゃんに別れを告げた。
小おばあちゃんは終始素っ気ない感じで、振り向きもせず路地をすたすたと降りて行く。
大おばあちゃんはぼくに「申し訳ないね、すまないね」と最後まで繰り返していた。
さて、帰りもすんなりとはいくはずもない。
まず大畠というエリアはわかっているが詳しい住所がわからない。
近隣の知り合いに電話したりしてのすったもんだは省略して、結果からいうと、
すべてはおばあちゃんの手に下げた白い袋のなかにあった。
住所だけでなく電話番号まで記した名札のようなものが入っていたのである。
そしてその住所は大畠ではなく、なんと元浜町、元浜倉庫があるエリアである。
電話にはおじいちゃんが出た。すぐに迎えに行くと言う。
ぼくも元浜町に帰る旨を伝え、
元浜エリア最強のランドマーク「大たこ」の前で落ち合う約束をした。
はたして、夕陽に染まった大たこの前におじいちゃん本人がいた。
息子の嫁とか娘とかでなく。おじいちゃんも齢は80代半ばあたり。
白髪あたまはぼさぼさ、しかし浅黒い顔に
よれた感じの薄いブルーのブルゾンがやけにしっくりとしていた。
おじいちゃんは大たこの向かいある低い堤防の上に腰を下ろしていた。
杖代わりに使っているのだろう、
隣には布地の部分がひどく色褪せした古いカートが置いてある。
おじいちゃんの表情は終始穏やかで、
おばあちゃんには叱るような言葉を一切口にしなかった。
「ばあさんには、出て行ったらいけんと日頃から言うとんですけどなあ」
むしろやさしげな笑顔さえ浮かべてぼくにそう言った。
おばあちゃんはというと、おじいちゃんに謝るでもなく、
目も合わようともせず、
それでもおじいちゃんの隣にちょこっと腰を下ろしてじっと海の方を見ていた。
そしてぼくはというと、このふたりの姿に、
10年前に母が病気をしなかったら現在こうであったかもしれない、
父と母の姿を見ていた。
*当連載に登場する人名・店名等はプライバシー保護のため
一部仮名を使用させていただいています。
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