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ミラクルな幸運とミラクルな過失

児島元浜町昼下がり
vol.001

posted:2014.4.8   from:岡山県倉敷市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  コロカル伝説の連載と言われる『マチスタ・ラプソディー』の赤星豊が連載を再開。
地方都市で暮らすひとりの男が、日々営む暮らしの風景とその実感。
ローカルで生きることの、ささやかだけれど大切ななにかが見えてくる。

writer's profile

Yutaka Akahoshi

赤星 豊

あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。

岡山県都窪郡早島町。
日本のへそのような位置にある岡山の、そのまたへそのような小さな町。
この話はその町のどこかにある、コーポ造りというか、
比較的新しめというだけでこれといって特徴のない2階建てアパートの一室から始まる。

その前に今回の出来事の背景にあるいくつかの問題のうち、
ふたつをここで明らかにしておきたい。
まずひとつはレンタルDVDの延滞料だ。
昨今、大手チェーンのTSUTAYAもGEOも、
店舗によって差はあるらしいものの、
新作・準新作以外の「旧作」のレンタル料金は1週間100円でほぼ定着している。
なんともありがたいデフレ価格なわけだけれど、
一方、延滞料金となると競争の原理はまったく働くことなく、
全国相場は一日につき200〜300円。
家の近所にあって、ぼくがもっともよく利用しているGEO茶屋町店では
240円で設定されている。
レンタル料からしてこの延滞料、ちょっと高すぎやしないか。

問題のもうひとつは、この10年ほど続いている
あまりよろしくないぼくの個人的な経済状態である。
家の事情で2004年から東京と郷里の倉敷を行き来する生活を始め、
直後に個人で定期刊行のフリーマガジンなんぞ立ち上げたものだから一気に状況は悪化。
号を重ねるごとに生活は困窮し、ついには物価の安い郷里へ完全Uターン。
雑誌の発行を終えた2010年からは、
Uターン以降本業としている広告制作に打ち込んでゆるやかな回復傾向を示すも、
2012年に岡山市内でコーヒースタンドという新たなビジネスを始めることになり、
ふたたび冬の時代へ(その顛末はこちら、『マチスタ・ラプソディー』でどうぞ)。
そして昨夏に18か月間心血を注いだ店を閉めたことで
状況はいくらか改善するはずだった。
ところが実際はその逆で、わずかの風に揺れる風知草のごとく、
いまやどんな支払い・請求書の類にもざわざわとして胸がざわめく。

東の空もまだまだ濃い闇にある午前5時。
早島町の件のアパートの一室で、ぼくはひとり物音をたてないようにして
必死の探しものをしていた。
といってもお盗(つと)めに励んでいるわけじゃなく、
そこはぼくの住まい、一室は我が家の居間である。
探しものは、3歳になる娘のチコリのために1週間前に借りた
ディズニーの『白雪姫』、そのDVDディスクがまったく見当たらないのだ。
返却用バッグのなかに空のケースを見つけたのは午前2時頃だった。
まあ、すぐに見つかるだろうと、その後余裕で映画を1本見た後、
娘がディスクを置いたり隠したりしそうな場所を探してみた。
が、この『白雪姫』がどこにもない。
かれこれ1時間近く探してみたけど、ありそうな気配もない。
返却期限はその日の午前10時。
GEO茶屋町店の開店前に返却しないと、冒頭で述べた延滞料240円がかかる。
この料金設定に納得しかねる気持ちと、
同じく冒頭で述べた個人的経済事情が絡み合い、
延滞料の支払いはなにがあっても避けねばならぬ。
この10年で染みついたその思いは、悲しいほどに強いのだった。
窓の外がうっすら白みはじめるにつれ、気持ちはげんなりしてきていた。
しかし今から思うと、そこで開き直って気持ちに余裕をもてたことが勝因だったと思う。
「音楽でも聴きながらじっくり探そうか」と、
アンプの横に山積みになった50枚ほどのCDの中から、
何気なくチェット・ベイカーの1枚『Sings』を手にとった。
ぼくは熱心なジャズファンでもないし、
少なくともこの1年ほどまったく聴いていなかったCDなのだけれど、
そのときなんとなく手が止まったのがそれだった。
ディスクを取り出そうと、プラスチックのケースを開けた。
と、目前にあるそのディスクに思わず我が目を疑った。
なんとそこに失踪中の姫がおわしたのである。

同日の正午頃。ところは変わって、
倉敷市の南端にある人口約7万人の地方都市・児島。
瀬戸内海に面した風光明媚なこのまちにぼくの仕事場がある。
所在の住所が元浜町であることから「元浜倉庫」と呼んでいるそこは、
小さな港が目の前にあり、背の高いスレート造りの倉庫然とした建物のなかに、
ぼくの制作会社「アジアンビーハイブ」と、
グラフィックデザインの「after hour(アフターアワー)」の2社がある。
といっても、ぼくのほうはひとりきりで、
後者もリュウくんとユウコさんの夫妻ふたりだけ。
3年前に保護して以降、事務所の番犬と化している
元野犬のサブロー(通称サブ、推定10歳)を加えても、ごくごく小さな所帯だ。
この見た目インダストリアルなわりにゆるげな職場に、
今年の3月からぼくのプライベートのパートナーであるタカコさんが新しく加わった。
彼女のビジネスはコーヒー豆の焙煎と販売、屋号は「元浜倉庫焙煎所」。
結果、ひとつ空間の中でデザインとコーヒーというまったく異なる業種が混在する、
かなりレアな場所が誕生することと相なった。

話を元に戻そう。その日のお昼頃、友人のフジタくんが元浜倉庫に弁当持参で
お昼を食べにやってきた。ぼくは早速彼に早朝の顛末を語り出した。
「どこにもないんだよ、その『白雪姫』が。もうホントまいったね」
フジタくんは10数年前、縫製の技術を勉強しようと
郷里の兵庫・丹波から裸一貫バイクで児島に移住してきた強者で、
いまでは繊維のまちとして知られる児島でも唯一だと思う、
フリーランスの縫子として生計をたてている。
近所に住居兼工房を構えていることもあって、
月に半分ぐらいは元浜倉庫で一緒にお昼を食べている、まさに常連中の常連。
「そりゃあ驚いたよ。まさかチコリがそんなところにDVDを入れているなんて
思いもしないじゃない? だって、チェット・ベイカーだよ!」
浮かれ気味な口調もさもありなん、
あのDVDディスクを見つけた瞬間の感動といったらなかった。
ぼくはクリスチャンでも仏教徒でもないけど、神の存在を身近に感じたぐらいだ。
午前中ずっと「やっぱりオレ、愛されてるなー」みたいな
温かい気持ちで満たされていた。しかし、話はこれで終わらない。
ぼくの場合大抵そうであるように、
この手の幸運の後には地震の揺れ戻しのようなものがやってくる。
今回のそれはまさに電光石火だった。
携帯電話が鳴った。目の前にいるフジタくんはまだお弁当の途中。
「GEO茶屋町店のタブチ(仮名)と申しますが」
その朝返却したDVDに100パーセント間違いはあるはずなかった。
返却期日も作品の中身も本数も、
すべてバッグに入れたままにしておいた伝票で確認してから返却したのだ。
臆することはなんにもない。
「DVDなら今朝時間内にちゃんと返しましたけど、なにか問題が?」
「いや、今朝のじゃなく、先週の木曜日にTSUTAYA児島店さんに返却されたDVDの件で」
この電話の主はGEO茶屋町店。ぼくがもっとも利用するお店で、
今朝返却に立ち寄ったばかり。
そして、この店の次によく利用するのがTSUTAYA児島店である。
コンビニで立ち読みするような感覚で、仕事で通りかかったときにたまに立ち寄る。
しかし、「TSUTAYAに返却したDVD」と言われても、
そのときはまったく思いあたるふしがなかった。
「あの、なんのことですか?」
「先週、TSUTAYA児島店さんに返却されませんでしたか?」
その時点でもさっぱりわからなかった。ぼくは電話に集中しようと、フジタくんを事務所に残して倉庫の外の部分に出た。
「なんのDVDかな? 作品名とかわかります?」
「はい、ええっと『ちいさなプリンセス』……」
瞬間、半分を理解した。
あれだ、10日ほど前、チコリが保育園に行きたくなくて
あまりに泣きわめくものだから連れて行くのをあきらめ、
児島の事務所に連れて行ったあの日。
事務所で退屈するだろうと、途中でチコリとTSUTAYA児島店に行って
DVDを借りたのだ。でも、あれはちゃんと返却したはずだ。
理解できなかった半分は、
そのことでなぜにGEOからこうやって電話がかかってきているか
ということだった。……うん?
「オレ、間違えましたか?」
「ああ、はい」
携帯をもったまましばらく片手で頭を抱えた。
どうしようもない思い違いだ、200パーセントTSUTAYAで借りたと思い込んでいた。
チコリちゃん、あれはGEOだったっけ……。
「TSUTAYAさんで預かっていただいていますので、
ピックアップしていただいて、うちの方にご返却いただけないかと……」
電話の声がはるか遠くに聞こえる。振り返って事務所のなかを見た。
透明のアクリル越しにフジタくんが右手に箸をもったまま、
なにを見ているのか、真剣な顔でスマホの画面に見入っているのが見えた。

その日の夕方、GEO茶屋町店で『ちいさなプリンセス』の
4日分の延滞料金960円を支払った。
ミラクルな幸運で延滞料240円の支払いを免れた同じ日に(延滞が一日だったと仮定)、
ありえないという意味でのこれまたミラクルな過失で960円の損失。
それにしても、こうやって数字だけで表してみると、
なんと小市民的な、些細なできごとか。
あれだけの気持ちの振幅の幅があろうとは、
ましてや神様の名前をもちだしたりするようなことがあろうとは思いもしないだろう。
でも、世の中だいたいそういうもので、
一見、とるにたらない些細なできごとのなかに
大の大人が右往左往するようなドラマがあったり、
そこにまた個人の抱える問題や、その問題の本質が見えたりするのだ。
しかし、今回の場合、問題の本質は
信じられないようなポカを起こすぼくにあるのではなく、
ライバル店であるはずのTSUTAYAとGEOが、
なぜにあのように似た素材、似た色、似た形状の返却バッグを
使用しているのかという点にあると思う。いまさら負け惜しみのようだけど。

昨年の夏から秋まで試験的に営業していた元浜倉庫焙煎所。この春、倉庫の人員すべてを動員して無駄に広かったスペースの一部をショップに改装。随分お店らしい雰囲気に生まれ変わりました。念願のお店がもててタカコさんもここのところご機嫌な様子です。元浜倉庫焙煎所の営業時間は平日の正午から午後4時まで。

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