ラ・ターブル&雫ギャラリー

屋久島生まれの新しいカルチャーを発信したい。

屋久島を一周巡る県道の南部を走っていると、
白を基調とした都会的なデザインの建物が現れる。
ラ・ターブルというレストランと、ジュエリーと絵画を扱う雫ギャラリーだ。
典型的な“屋久島らしさ”からは少し距離を置いたたたずまい。
ナチュラルでウッディな建物が多い中で、異色の存在だ。
ここを仕掛けているのは、ジュエリーデザイナーの中村圭さんと
画家の高田裕子さん夫婦、料理家の羽田郁美さんの3人。

中村さん、高田さん夫婦は、もともと大阪で活動をしていた。
自然のなかで創作したいという思いをずっと持っていたというふたりは、
たまたま訪れた屋久島に惚れ込んでしまった。
最初は屋久島に通いながら創作活動していたが、
次第に1か月、3か月と滞在期間が長くなっていったこともあり、
思いきって屋久島へ完全移住することにした。
「常に模索しながら、作家性を深めたいと思っていた」(中村さん)
「それまで想像で描いていた森のイメージが、屋久島に全部ありました」(高田さん)
というように、屋久島で田舎暮らしをしたいからというよりも、
自らの創作をより深めたいという思いのほうが強い移住だった。

屋久島で感じたことを作品に落としていくというスタイルで創作していた
中村さんと高田さんにとって、
それらの作品を東京や大阪だけで発表することに違和感を感じ始めていた。
「この土地で感じたことを、この土地で共有したいという思いがあって、
そういう場所があったらいいなとイメージしていたんです」(中村さん)

そんなとき、羽田さんの自宅に遊びにきた中村&高田夫妻は、
裏にちょうどいいサイズの小屋を発見。そこをギャラリーとして定め、
「そのときに横にくつろいでもらえるようなカフェやレストランがあれば
いいなと思ったので、郁ちゃん(羽田さん)に相談しました」(中村さん)

その頃、羽田さんはその自宅をアトリエと兼ねてケータリング業を営んでいた。
もともとは東京都出身だったが、山や川、海のある環境に住むことに憧れていた。
社会人になって数年経ち、食の世界へ進むうち、
住む場所と自分の追求したい食の仕事が屋久島にあると感じ、移り住むことに。
ホテルや料理家のもとなどで料理の修業を積みつつ、
移住して3年目でケータリングを始めた。
こうした流れで、羽田さんの裏庭にあった小屋はギャラリーに、
自宅兼アトリエはレストランへと生まれ変わることになった。

右がジュエリー、左が絵画エリア。温帯植物とのコントラストがまぶしい白亜のギャラリー

雫ギャラリーのジュエリーと絵画のフロアは、入り口は別だが内部の窓でつながっている。

あえて“屋久島らしくない”仕掛けを。

このラ・ターブルと雫ギャラリーは、白い。
いわゆる“屋久島らしさ”はあまり感じられない。
彼ら3人が都会からの移住者だからとはいえ、屋久島の中では不思議な空間となっている。
都会的な要素があったほうが、地元のひとは喜んでくれるのではないか
という思いから生まれたコンセプトだ。

「屋久島にいると、自然があるから
昔に戻らないといけないのではないかというような気がしてくるけど、
今あるいいものを紹介するかたちがあってもいいと思います」(中村さん)
「屋久島は、オシャレしてヒールを履いていくような場所が少ないんです。
今までの洋服が着られないとか、移住者同士だとそういう話で結構盛り上がる」
と高田さんも笑う。

そういった目論見があたって、
ラ・ターブルには特に地元のひとが多く訪れているという。
“フレンチベースのレストランで、平日は一組限定”という、
屋久島ライフからは想像し難いスタイルであるにも関わらず、
「島民の方たちがパリッと着替えて何回もリピートしてくれたりしてうれしいです」
と、その思いがけない利用法に羽田さんも喜んでいる。

しかし、レストランも、ジュエリーも、絵画も、
屋久島の通常の生活から考えたら、決してお手軽ではないかもしれない。
少し背伸びして通ったり、買ったりしなくてはならない。

「使う素材、仕込みの手間、自分の提供したい料理の方法を考えると、
今はこの価格設定になってしまいますが、
思いきってやってみたいことに直球で向かってみようと思いました」(羽田さん)
「幅広いひとになんとなく広めるよりも、
それぞれがやりたいことを突き詰めれば、
共感してくれるひとたちが、例え少人数でもいると思うんです」(中村さん)

屋久島の食材を中心に、今の島では珍しいメニューを提供。前菜は毎週のように変わる。

デザートには、ラ・ターブルの定番バナナチーズケーキ。

彼らは作家であって、ものをつくり、
そこからカルチャーを生み出したいという思いが強い。
それは観光資源が豊富な屋久島からは、なかなか生まれてこない発想なのだ。

「今は、屋久島という島を消費したり、
切り取ったりするような観光がどうしても中心になりがち。
そうではなく、ゼロから何かをつくり出したい。
屋久島から得たインスピレーションを元に生み出された新たなカルチャー。
そこにお客さんに来てもらうという仕組み」(中村さん)
「屋久島らしさって何だろう? と考えたときに、
屋久杉や豊かな自然のイメージが強すぎる。
自然はもちろん素晴らしいし影響を受けているんだけど、
それに頼ってばかりでは、山も森も消耗して自然が壊れていく方向しかない。
でも、屋久島らしい美術や音楽、文化が生まれれば、
それが新たな資源になるはず」(高田さん)

シダのブローチなど、屋久島の自然をモチーフにしたジュエリーの数々。

屋久島の雄大な自然を感じさせる大きな絵が飾られている。下のボトルは、高田さんの絵がラベルに使われている焼酎「水丿森」。

屋久島は自然が豊かな島、というだけの認識でひとを呼ぶことが、
この先どうなんだろうという違和感があるのかもしれない。

「森にばかり重荷を負わせるのもね。私たちが森からもらっているパワーを、
違うかたちに変換して、少しずつ返していきたい」(高田さん)

屋久島への大きなリスペクトは払いつつ、
しかし彼らは、自給的な田舎暮らしに憧れて移住して来たわけではない。
中村さんが言うように、今はもう
「ライフスタイルをそのまま持ってくることができる」時代。
若者はどうしても、一度都会に憧れ、島外に出ていってしまいがちだ。
しかし屋久島にも都会的なカルチャーが生まれれば捨てたものじゃない。
屋久島の高校生ががんばって「ラ・ターブル&雫ギャラリー」へ行くことが、
都市のカルチャーへの第一歩となり、
新たな屋久島カルチャーとして進化していくのかもしれない。

購入しやすいように小さな絵も売られている。白い壁に色が映える。

ちょっとしたオブジェもかわいい。モダンなセンスを意識的に。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Part3

土とともに生きてきた人々と家。

大地の芸術祭が始まってから12年。1回限りの展示で終わるのではなく、
地域と長くつながりながら続いてきたプロジェクトもある。
十日町エリアの願入集落にある「うぶすなの家」は、
1924年に建てられた茅葺の古民家を、2006年にやきものの美術館として再生させた家。
やきもの作家の作品が部屋の中や家の隅々に展示され、
地元のお母さんたちの手料理でもてなす食堂が、地域の人によって運営されている。
芸術祭の会期中は毎日、会期以外も5月から10月までの土日祝日、
そして8月は毎日オープンしている。
「あのかまどは鈴木五郎先生の織部焼、お風呂は澤清嗣先生の信楽焼、
洗面台は吉川水城先生の益子焼、囲炉裏と床の間は中村卓夫先生の作品と、
どれも有名なやきもの作家さんの作品で、とても贅沢な家なんですよ」
と、ここを切り盛りする水落静子さんが説明してくれた。

大正時代の古民家を建築家の安藤邦廣の設計により再生させた。織部焼のかまどは実際に使うこともできる。

岐阜の幸兵衛窯の作家、加藤亮太郎の器を使ったインスタレーション。こちらは闇の茶室。

同じく加藤亮太郎の光の茶室での展示。

2004年にこの地域を襲った新潟県中越地震。
この家もそれまでは人が住んでいたが、地震のあと空き家になってしまった。
地震で山が動いたり、地面が割れたり、災害も土と関係あるが、
家の壁しかり、野菜を育む畑しかり、この地域の人たちは土とともに生きてきた。
中越地震を乗り越え、2006年の芸術祭では「土」がひとつのテーマともなり、
そのなかでうぶすなの家が誕生した。
うぶすなの家という名前は、産土(うぶすな)という大地の守り神に由来している。
水落さんは地震のあと、地域のために何かできるなら、と芸術祭への参加を決めたそうだ。

越後妻有はもともとやきものが盛んだったわけではないが、
国宝の火焔型土器が出土するなど、古来、やきものと無縁だったわけではない。
2006年の芸術祭では、陶芸家の吉田明が越後妻有の土に魅せられて妻有焼を興し、
その器はうぶすなの家でも使われている。
惜しくも吉田氏は2008年に亡くなってしまったが、現在も「妻有焼陶芸センター」には、
地元の陶芸家や愛好家たちが集い、初心者も陶芸体験ができるようになっている。
水落さんらうぶすなのお母さんたちも、ときどき妻有焼の土づくりに参加しているという。

山菜ハンバーグ定食と、山菜水ぎょうざ定食(各1000円)。お昼どきを過ぎると、売り切れてしまうことも。

うぶすなの家では、このあたりでとれた新鮮な野菜をふんだんに使った素朴な料理が人気。
今年は2006年や2009年に比べ、お客さんが何倍にも増えた。
会期スタートから連日200人以上、多いときで500人近い人が訪れるという。
「どこからこんなに来てくれるんだろうと思うくらい。
ディズニーランドに行くとか京都や奈良に観光に行くならわかりますけど、
現代アートでお客さんが来るということにびっくりしました。
私なんて最初は現代アートどころか、アートって何だろう? という感じでしたが(笑)。
“3年ぶりに来ました!”と声をかけてくださる方もいて、うれしいですね」
そう笑う水落さんは、訪れるお客さんに
「家がまるごとアートです。ゆっくり見ていってくださいね」
と声をかけ、ていねいに作品の説明をしていた。

また、お母さんたち手づくりの梅干しやわらびの塩漬け、塩麹なども販売しており、
商品のための食品加工場も別の場所にある。
「これだけたくさんの人が来てくれるのだから、特産品にしたいという思いで始めました。
2006年にスタートして6年間で少しずつ、いろいろなことを実現させてきました。
これからも世代交代しながら続けていけるといいなと思っています」

芸術祭の会期以外は5月~10月の土日祝日開館(8月無休)。開館時間10時~16時(食事は11時~14時)、入館料500円。

集落をまるごとアートに。

松之山エリアの坪野という集落に
『坪野フィールドパーク』を出現させた美術家の岩間賢さん。
8月24~26日の3日間は「さとまつり」を開催し、
大がかりな野外舞踏公演『谷蟇(たにぐく)』を成功させた。
岩間さんと坪野集落とのつながりは、15年ほど前、
クラリネット奏者であり東京藝術大学名誉教授の村井祐児さんと出会い、
坪野の茅葺古民家の修復に携わったのがきっかけ。芸術祭がスタートする以前だ。
以来、坪野では芸術祭とは関係なく、
定期的に演奏会を開催するなど独自の展開をしてきた。
岩間さん自身は、若手アーティストの在外研修で、
2006年から5年間、中国に拠点を移すことになるが、2009年に一時帰国したのが、
前回の芸術祭の開催時期と重なり、岩間さんも芸術祭に参加することに。
それから舞踏公演を企画し、着々と準備を進めてきた。

「ここは雑木林で覆われていたのですが、集落のお父さんたちと一緒に切り拓いて、
棚田をつくっています。1000坪あって、まだ現在も下のほうを開墾しているところです。
下にも集落があって、ここが棚田の最上段になるので、
そこが荒れていてはいけないからきれいにしようと思いました」と話す岩間さん。
1000坪の棚田を切り拓くというのは、並大抵ではない。
さらに、棚田の上にはブナ林があるが、手入れが行き届かず、
この10年でだんだん荒れてきてしまったので、この夏から手を入れているという。
「山を守らないと、水もなくなってしまいますし、
そうすると生活もできなくなってしまう。まだあまり進んでいないのですが、
水源を確保して、枝打ちをしたり草刈りをしています」

そこで出た木材を燃やし、その熱で沸かす「八角鉄釜風呂」をつくった。
大きな八角形の五右衛門風呂のような風呂で、実際に入浴でき、スタッフも使っている。
なにしろ、人口20人ほどの小さな集落に、最大70人ほどのスタッフが滞在して
制作しているので、お風呂もみんなが入れるようにつくってしまえ、というわけだ。
最初に修復した古民家がスタッフの生活の拠点と事務所にもなっており、
そのほか集会所などいくつかの場所に分かれてスタッフが滞在。
集落の農家の方がつくった野菜をわけていただき、
石でつくったかまどで食事をつくって食べる。
子連れで滞在するスタッフもいて、なんだか楽しそうだ。

棚田にできた野外ステージ。ここもすべて切り拓いた。舞台美術が完成したのは公演当日の昼間。

最初に改修した古民家は、事務所を兼ね備えたスタッフの活動拠点となっていた。

「ここをフィールドパークと名づけたのは、
子どもたちの遊び場としての棚田を考えたからです。
棚田は使い続ければいいのですが、そうでないとすぐに荒廃します。
田んぼを維持し続けるのはとても大変なことですから、
棚田の使い方を少し変えてしまえばいいのではないかと思ったのです」

現在、修復中の土蔵もある。
2011年3月12日の長野県北部地震で半壊してしまったが、
岩間さんには古民家を修復した際に得た技術があるので、修復可能だと思ったという。
2棟並んでおり、ひとつは江戸後期につくられた土蔵。
この土蔵から見つかった獅子頭を、福島県立博物館や、
会津短期大学の准教授で漆造形作家の井波純さんに依頼してきれいに修復してもらい、
舞踏公演ではダンサーがこれをかぶって舞った。
「福島も職人さんが大変な状況にあると聞いて、
ネットワークづくりをする必要があると思いました。
紡がれていくものと紡がれなくなってしまうものがあって、
無理にすべてを紡ぐ必要はないと思いますが、
消しちゃいけないことってあるんじゃないかなと思って。
これもそのひとつだと思っています」

もうひとつの土蔵は大正時代につくられたもので、
集落に暮らす大工さんにアドバイスをもらいながら修復した。
完全ではないが、ほぼきれいに改修されていて、
土蔵内には村井さんが全国で収集したこけしなどの民芸品のコレクションが飾られている。
「ここはいずれは、美術家や表現者、お客さんなどが来て
家族で滞在できるような場所にしようと思っていますが、
あまり便利にするつもりはないんです。水道すらいらないと思っていて。
近くに清水があるので汲みに行けるんですが、そのためにはバケツが必要だし、
火を起こすにも道具がいる。するとどこかの家に道具を借りに行くでしょう。
ゲストハウスのように便利にすることもできるけれど、
そうするとここに来ても閉じたままで帰るだけになってしまいますから」

さとまつりでは、ここでとれた野菜も楽しんでもらえるようにと、
江戸後期の「壺焼き」といわれる調理法で野菜を調理していた。
壺に練炭を入れ1~2時間くらい蒸し焼きにするというシンプルなもので、
じゃがいももほくほくでおいしい。
「坪野だけに壺焼き、というのは冗談ですけど(笑)。
いま原発の問題もありますが、電気を使わないしくみをそれ以前から考えていました。
あの八角風呂も沸くのに30分もかからないんですよ。
楽しさもあってユーモラスだけど、ちょっとまじめなことも考えているんです」

左は江戸後期の土蔵。右の土蔵は村井祐児さんのコレクションが展示されている。

石焼きいもの原型のような壺焼き。このほか、手づくりパンやどぶろくもふるまわれていた。

続けていくことと、お祭りだからできること。

ここでは継続して取り組んでいくことと、イベントとしてやっていることの両方がある。
ただ岩間さんは、「再生」とか「プロジェクト」という言葉には少し違和感を感じている。
「お祭りというかたちは、とてもしっくりくるので、さとまつりをやることにしました。
こういうことがきっかけとなって、今後続けていけるような
しくみづくりが重要かなと思っています。
土蔵の修復に使う土壁の土はリユース可能なので、
剥がれた土壁を集めて藁と新しい土を混ぜれば、それがまた土壁になる。
ブナ林がきれいになれば、きれいな水が水路に流れていく、というように、
循環的なしくみをつくろうとしています。
全体を大きく捉えて考えると、意外とシンプルにできることがたくさんあると思うんです」
風呂や土蔵は少し高いところにあり、その下に棚田のステージが広がる。
この山あいの谷そのものが、岩間さんが描くひとつの造形作品になっているのだ。

さとまつりのクライマックスは、夜の野外舞踏公演。
音楽パフォーマンス集団「渋さ知らズオーケストラ」などで活躍する舞踏家の
松原東洋さんに魅せられた岩間さんは、松原さん主宰の舞踏家や音楽家、美術家などが
集まった舞踏団「トンデ空静(からしずか)」と野外公演を制作することに。
3年をかけて松原さんとともに舞台を考え、仲間を集い、
集落の方々との協同によって『谷蟇』をつくりあげた。
ダンサーたちは舞台を大きく使って舞い、崖の部分には映像が投影され、
楽隊の音楽と歌声が谷に響く。
人間たちがやがてカエルのように田んぼに還っていく姿が、
プリミティブに、ダイナミックに描かれる。
この特別なステージでの公演は、観客にとってまたとない鑑賞体験になったはずだ。

「愛する仲間たちと、そしてこの地でまた新たな出会いも生まれ、
みんなで一緒にこの舞台をつくりあげました。
芸術祭があったから、これだけのことができたと思います。
僕はここで生まれたわけでもないですが、ご縁があって、
ここを好きになって通い続けています。
この谷あいの雰囲気はとても魅力的で、作品を創造する原点ともいえる場所です。
集落のお父さんたちやお母さんたちには本当にいろいろ手伝ってもらって、
怒られたり、仲良くしていただいたり、小さい物語がたくさんありますが、
いろいろなことが奇跡的につながってできたんだと思います。
これが終わったら、まずはここを静かな坪野に戻して、
それからまた継続していくことを少しずつ進めていこうと思っています」

岩間さんの坪野集落での活動は、まだ終わっていない。
芸術祭がきっかけとなって続いていく取り組みが、今後もきっと増えていくに違いない。

江戸後期のものと思われる獅子頭も立派に復活。公演が始まる前から舞台周辺に出没していた。

『谷蟇(たにぐく)』とはヒキガエルのこと。このあたりでは「ふっけろ」とも呼ばれる。終盤には火を使うなど、大胆な演出が見られた。

「いろいろなものがぎゅっとこの谷あいに引き込まれるようにしてできあがったのがこの舞台」と話す岩間さん。 http://www.oh-mame.com/tsubono 連絡先 info@oh-mame.com(里山フィールドパーク実行委員会、岩間宛)

迫田 司さん

地元のデザインは地元でやるのがいい。

深い山々と雄大な四万十川の流れを擁する高知県の北西部。
支流沿いの小さな集落、西土佐地区に住むデザイナーの迫田司さんは、
地元の農産物や加工品のパッケージや、鮎市場のチラシづくりなど、
四万十川中流域でつくられるモノのデザインを数多く手がけてきた。
迫田さんのデザインは都会的でお洒落というより、
どこか土着的で土地の香りのするものが多い。

一見何もないように見える田舎にこそ、かけがえのない豊かさがある。
その良さをいかに引き出して伝えるか。
それが迫田さんのデザインの根っこにある。

「デザインというと、まず色やレイアウトなどテクニカルな面に目が向きますが、
大切なのは、生産者がどんな思いでものづくりをして、
どう世の中に届けたいと思っているか。
デザイナーはそれを引き出して、整理して、表現する人。
だから自分たちの地域のことは、遠方にいるデザイナーに頼むのではなく、
同じ目線で見られる、地元のデザイナーがやるのがいちばんいいと思うんです」

大手印刷会社の中国支局でデザインの仕事をしていた迫田さんが
この地へ移り住んだのは20年前。
趣味が高じて始めたカヌーのインストラクターを2年間ほどやっていたが、
少しずつデザインの仕事を再開する。

いまのデザインをカタチづくるきっかけとなったのは、
ある役場の女性から米のパッケージデザインを頼まれたこと。

「西土佐でつくられる米は、水がきれいで寒暖の差も激しいので
東北に負けないくらい旨い。でも手がかかるせいで、生産者が減っています。
依頼主のユミさんは、地元の米を廃れさせたくないという強い思いを持っていました。
そこでまずはふたりで、生産者がどんな米づくりをしているのかを知るところから
始めたんです。スーパーに米袋を見に行ったり、生産現場に通って、
1年かけていまのパッケージができました」

商品につけた名前は「山間米」。
このパッケージデザインは、グッドデザイン賞をはじめ、いくつもの賞を受賞する。
つくり手に寄り添うデザインの方法は、迫田さんの指針となる。

山間米のパッケージは、枡をモデルにデザインされた。2合、3合の食べきりサイズも。

「最初は下手でもいいやん、地元でやろうよ」

そんな迫田さんが、いま力を入れているのが
「地(ジ)デザイナー」をネットワーク化する活動だ。
「地デザイナー」とは、地元に住みデザインをする人のこと。

「いま、青森の下北半島や能登半島など全国20人ほどの地デザイナーとつながっていて、
各地でデザインについて話す機会をつくっています。それぞれ頑張っていますが、
周囲にその価値を認めてもらえずに、くすぶっている人も多い」

たしかに、田舎でデザインの仕事一本で生活していくのは難しい。
デザインとは何か、がまだ浸透していなくて、相応のデザイン料を得にくいためだ。
迫田さんもはじめのうちは、デザイン料のほとんどが米や卵などの現物支給だったという。

「地元に面白いデザイナーがいても、
行政などは東京の有名デザイナーに依頼していることも多い。
それが果たして地域にとって幸せなことかな、と思うんです。
何百万円もの予算があるなら、地元のデザイナー10人に
10万円ずつ渡してコンペするほうが、よほど地元のためになる。
だから、最初は下手でもいいやん、地元でやろうよって言うんです」

南伊豆で行われた迫田さんの「地デザイン講座」には、地元のデザイナーをはじめ、
米農家、加工品製造者、和菓子屋など、製造業に関わる人々が集まった。

南伊豆役場で行われた「地デザイン講座」。製造者とデザイナーの交流の場にも。

迫田さんが手がけたパッケージの数々。

パッケージデザインや販売戦略などさまざまな悩みを訴える彼らに、
迫田さんはこうアドバイスする。

「タイトルや色など細かいデザインも大事ですが、まず考えたほうがいいのは、
皆さんがこの商品を世に送りだして、社会をどうしたいかということ。
誰をどんな風に喜ばせたいのか。
商品そのものより、その周囲を考えることにヒントがある。
それを一緒にかたちにしてくれるのがデザイナーです」

南伊豆の地デザイナー鈴木美智子さんはこう話す。
「地元でデザインの仕事をしていると、都会とは違って
なかなか価値をわかってもらえなかったり、薄謝でへこむことも多い。
そのたびに道を見失いそうになりますが、迫田さんの話を聞くと、
自分の進んでいる方向が間違ってないって再確認できるんです」

地元の製造業に関わる人々にとって、パッケージデザインは大切な要素のひとつ。

全国津々浦々で行われる「地デザイン講座」は、昨年11月に始まり今回が9回目。

商店街にひとりデザイン屋がいれば、地域はもっと豊かになる。

さらに、迫田さんが手がけた仕事のうち、代表的なものが
高知県佐川町の吉本牛乳「地乳(ぢちち)」だろう。

吉本乳業は、大正時代から佐川町で牛乳をつくってきた地元の牛乳屋。
毎日近隣の酪農農家で絞られた生乳を集めて加工し地元で販売している。
学校給食にも使われていて、このまちの人たちは
皆この牛乳で育ったと言っても過言ではない。

「吉本牛乳の話を役場の人から聞いた時、それってぢちちやん! と思ったんです。
地元のための地元の牛乳。地酒ならぬ、ぢちちです。
パッケージには、佐川の地乳と入れて、
飲食業界ではあまり使われていなかった白と黒を使いました」

はじめは関係者全員がこのネーミングとパッケージで大丈夫かと不安を覚えたという。
そんな心配をよそに、売上は予想をはるかに超えて2倍に。
メディアでも取り上げられ、地乳を使った「地乳パン」や「地乳アイス」などもできて、
まちの地産ブランドとして着実に広がっている。

高知県高岡郡佐川町でつくられた吉本牛乳「さかわの地乳」。

地乳をつかった「地乳パン」。「地乳アイス」も人気。

「デザインの仕事が地域社会で認められるのはまだまだこれから。
商店街にひとりデザイナーがいて、土地のいいものを引き出して発信したら
地域はもっと豊かになる。デザイナーが横文字のかっこいい職業と思われているうちは、
田舎の社会の中では市民権を得ていないに等しいです。
魚屋やパン屋とデザイン屋が並んで初めて、地域のなかでもやっていけるようになる」

全国に地デザイナーを増やすべく
「地デジ構想」(地・デザイン・ジャパン構想の略)を掲げて、日々奔走中だ。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Part2

人と場所から生まれる作品の数々。

大地の芸術祭は、里山現代美術館のある十日町のほか、
川西、松代、松之山、中里、津南の6つの広大な地域で繰り広げられている。
すべての作品を見て回るのはかなりの時間を要するが、
自分が気になる作品を選んで見て回るだけでも楽しい。
ここでは2012年の新作から、いくつかの作品をレポート。

アメリカの著名な美術家アン・ハミルトンは、津南の田中という集落の空き家と
『ドラゴン現代美術館』の2か所でインスタレーションを発表。
ドラゴン現代美術館は、中国福建省の登り窯を移築し再生させた
蔡國強(ツァイ・グオチャン)の作品で、毎回、蔡國強がキュレーションして
作家が展示を行っており、今回はハミルトンが作品を展示。
芸術祭スタートの数日前、空き家で制作中の作家に会うことができた。
その家はかつて金物の職人が住んでいたそうで、作品タイトルも『金属職人の家』。
「ギャラリーというよりも、かつて職人が生き、
暮らしていたスペースとして見せたいと思っているの」とハミルトン。
空き家に再び息を吹き込むこの作品でポイントになったのは、音と空気。
この家はかつては金属の音が響いていたはずだし、
窯も、本来は火を入れて空気を送り込めば、パチパチと音をたてて燃えさかるもの。
作品では、アコーディオンを分解した“ふいご”の部分と、管楽器などでよく使われる部品
リードを使い、空気を送り込んで音を出す仕掛けをつくった。
「音というのは不思議なもので、持てないし、目に見えない。
でも、たとえば風鈴のように、風が通ることで音が鳴り、涼しく感じるように、
聴いた音で気分も変わってくるし、ほかの人と共有することもできるでしょう?」

この場所で制作を進めるうちに、いろいろなアイデアがひらめいてきて、
だんだんやることが明確になってきたという。
「全然違うかたちだったり関係ないと思っていたものが、どこかでつながっていたりする。
アートというのは、そういう関係を見つけていくのが面白いし、
作品は時間をかけて感じ、経験することが重要なの」
世界中で個展を開催してきた彼女だが、大地の芸術祭はほかと違うという。
滞在している旅館の人が毎朝あたたかく送り出してくれたり、
集落の人たちは常に彼女を気遣ってくれる。
近所の人たちのバーベキューにも呼ばれたそう。
「彼らが楽しんでくれるような作品をつくりたいと思ってるわ」

「アートは自分が面白いと思ったところに寄り添っていくのがいい」と話すアン・ハミルトン。

分解したアコーディオンを使って音を出す。2か所のインスタレーションは関連している。

風が通ることで音が出るリード。思いがけない組み合わせから作品が生まれる。

同じく津南の外丸(とまる)という集落には、西アフリカのベナン出身で
現在はアムステルダムで活動するアーティスト、メシャック・ガバの作品がある。
取材時は作家本人は不在だったが、集落の有志たちでつくるグループ
「八本杉」のメンバーが、着々と準備を進めていた。
この作品はヨーロッパではよく知られる「ミカドゲーム」にヒントを得たもの。
バラバラに重なり合った棒を、ほかの棒を動かさないようにして抜き取るという
シンプルなゲームで、日本ではなじみがないが、語源は日本語の「帝」とも言われる。
ガバは、このテーブルゲームを巨大化し、人と同じくらいの大きさの棒で、
鑑賞者がからだを使って遊べるような作品にした。
集落を訪れたガバは、八本杉というグループ名の由来でもある
杉の大木がある神社の境内を、作品の舞台に選んだ。
八本杉の代表者、湧井稔章さんは
「大地の芸術祭では以前からほかの集落で手伝いをしていたのですが、
自分たちの集落でも作品をつくってほしかった。今回、それが実現して楽しいです。
こういうことがないとあまり話をしないような人たちが、
夜みんなで集まってお酒を飲んだりして仲良くなりました。
外丸に外国人のアーティストが来るなんて初めてだと思いますが、
言葉は話せなくてもコミュニケーションできましたし、子どもたちもすぐ仲良くなって、
みんな次に来る日を楽しみにしていますよ」と目を輝かせる。
遊び方の紹介ビデオも、集落の子どもたちが出演してつくられた。
この集落では、アーティストは「ガバさん、ガバさん」と、すっかり人気者のようだった。

外丸の人たちを見守るように凜と立っている八本杉。集落の子どもたちにも、この杉のように大きく真っ直ぐに育ってほしいという願いがある。

『ミカドゲーム』の制作を手伝う八本杉のメンバー。右から2番目が湧井さん。

日本人のアーティストと外国人のアーティストの共同プロジェクトもある。
小沢剛とフィリピンのアーティスト、キドラット・タヒミックは、2015年に向けて、
十日町の下条地区とフィリピンの小さな村イフガオの交流プロジェクトをスタート。
イフガオも美しい棚田が多くある地域で、タヒミックはイフガオの人々とともに来日。
今回は、少数民族がつくる伝統的な住まいなど、
3つのミニチュアハウスを下条につくって展示している。
彼らはどんな山の中にでも家の部品を運び、組み立て式の家をつくってしまうのだという。
下条の子どもたちも壁などになる部品を一緒に運び、
イフガオの人たちの家づくりに触れた。
一過性のものでなく、地域が長期的に交流していくことで何が生まれるか。
ここで展開するプロジェクトが楽しみだ。

子どもたちも一緒に、家のパーツを持って練り歩く。にぎやかなパレードのよう。

民族衣装のふんどし姿のイフガオの人たち。くぎは使わずにほぞで組み立て、植物の蔓などで固定する。

すぐ近くの下条駅前には、建築グループ「みかんぐみ」+神奈川大学曽我部研究室の『下条茅葺きの塔』がある。

松代にある清水・松代生涯学習センターに、前回2009年に開設された
「CIAN(地域芸術研究所)」は、これまでの芸術祭や地域の活動を
アーカイヴする研究施設。
芸術祭のアドバイザーを務め、2011年に亡くなった美術評論家、
中原佑介の蔵書も加わり、約3万点を収蔵する巨大アーカイヴとなった。
そしてこのCIANのなかに、川俣正による『中原佑介のコスモロジー』が登場。
中原の蔵書を使った、故人の頭の中を表現するようなインスタレーション。
生命や空間に限りはあっても、人間の頭脳や精神というものは、
まるでバベルの塔のように、果てしなく広がっていくかのよう。
現在は閲覧はできないが、並べてある書物を見ているだけでも、豊かな知の散歩ができる。

内側にも同じように書物がズラリ。構造設計もきちんと計算されている。

デザイン書、画集、評論など貴重な本も。まさに宇宙のよう。

ここでしか体感できないパフォーマンスも。

大地の芸術祭では、演劇やダンス、パフォーマンスなどのイベントも多数行われる。
アメリカの美術家ミエレル・レーダーマン・ユケレスは、
13台の除雪車を使ったパフォーマンス『スノーワーカーズ・バレエ』を披露する。
これは「ロミオとジュリエット」をモチーフにした“バレエ”で、
2003年にも1度上演され、今回は新演出による上演。
操縦するのは、実際に越後妻有で働く除雪車のドライバーたち。豪雪地域では
除雪車がいないと生活がままならないほど、彼らは地域にとって重要な労働者。
だが夏のあいだは、その存在も忘れられがち。
越後妻有の生活のなかからアートを生み出したいと考えたユケレスは、
彼らにスポットを当てようとこの作品を思いついた。
彼女は「みんなでつくり上げるプロセスが重要」と、
ドライバーたちとミーティングを重ね、練習に臨んでいた。
セリフがなくても、感動的なまでに表現が伝わってくるという
伝説のパフォーマンスの再演。
公演回数は少ないが、里山現代美術館でも、その制作風景などの映像を紹介している。

信濃川の河川敷で練習。配役がわかりやすいように、除雪車に色を塗った。

ダンスや映像、音楽、美術など複数のアーティストで作品をつくり上げる
ダンスカンパニー、ニブロールは、中里の倉俣地区にある『ポチョムキン』と、
少し離れたところにある矢放神社でパフォーマンスを行う。
『ポチョムキン』は、カサグランデ&リンターラ建築事務所のデザインによる、
鋼の壁が屹立したコンセプチュアルな空間だが、
ブランコや東屋などもあり、地域の人々のちょっとした憩いの場になっている。
ニブロールはここで、横浜でも上演した『see / saw(シーソー)』
という作品を披露するが、横浜公演とはまったく別物になりそうだ。
映像を担当する高橋啓祐さんは
「ニブロールがこの芸術祭に参加するのはこれで3度目。
これまでは東京でやったものを公演するというかたちだったんですが、
今回はもう少し“大地の芸術祭”とよばれるこの芸術祭でやる意味を考えて、
地域から発生されるイメージを作品に取り込みたいと思いました」と話す。
メンバーは、倉俣に伝わる民話や伝承を聞いて回り、イメージを膨らませた。
また美術のカミイケタクヤさんは、一軒一軒を訪ね歩き、
いらなくなったものを集めて神輿をつくった。公演では、村の人たちに参加してもらい、
ポチョムキンから矢放神社までの農道を、その神輿を担いで歩いてもらう。
ほかにもこの地域に伝わる「からす踊り」や太鼓を取り入れたり、
地域の小学生に朗読してもらうなど、かなり地域の人たちを巻き込んだものになりそうだ。

ニブロール主宰であり振付家の矢内原美邦さんはこう話す。
「祭りというのは地域にとって重要な行事ですし、芸術祭も現代のお祭り。
農耕民族のダンスはもともと奉納や祭りとも深い関わりがありますし、
祭りを強調するようなパフォーマンスを考えています。
もともと『see / saw』という作品は、日本に起きた突然の出来事を、
私たちがどう記憶し、それを身体に残していけるかということをテーマにしています。
今回はいろいろなものを使いますが、そこからわき上がってくる記憶を
身体に落とし込んだり、ものが持つ記憶ということにも挑戦してみたいと思っています」
倉俣地区を回って話を聞いたり廃品を集めたりするときも
「大地の芸術祭で……」というひと言で、みなさん「ああ」と受け入れてくれたそうで、
それだけ芸術祭が浸透していることをあらためて感じたという。
自分たちの作品が越後妻有の地でどう変わっていくのか、
メンバー自身も楽しみにしている。

右から、矢内原美邦、スカンク(音楽家)、カミイケタクヤ、高橋啓祐。8月24、25日に公演がある。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」 奥村文絵さんインタビュー

東北の人たちが受け継いできたものを伝えるために。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」には
東北の「食」と「住」がさまざまなかたちで展示されている。
それは単に名産を紹介するのではなく、東北に受け継がれてきた文化の展示。
この展示の立役者となったのが、企画に携わった
フードディレクターの奥村文絵さんだ。
奥村さんは、何度も東北に足を運んで「食」に関する取材とリサーチを行い、
東京で展覧会ディレクターの佐藤卓さんや深澤直人さん、
「住」のリサーチを担当した川上典李子さんらとミーティングを重ねた。
「東北の震災以降、どんなかたちで貢献できるだろうかと考えていたので、
この企画に参加できて、うれしくてたまりませんでした。
フードディレクターという仕事は、食べものを専門とするアートディレクターですが、
ディレクターとは基本的に人と人とのあいだに立つ仕事。
どんなふうに食を表現するか、どんなものを展示しようかとアイデアを出し合ったり、
こんな食文化が残っていますよと紹介したり。
取材に行くと、卓上に手づくりのお漬け物やお茶が次々と出てくるんですね。
人のやさしさや、人とつながることのうれしさをたっぷり感じることができました。
東北の方たちの“伝えてね”という思いを託されたような気がして、
どんなふうに見せたらみなさんの思いを伝えられるかと、何度も考えました」
個人的な印象からではなく、あくまでも客観的な視線で展覧会をつくることを心がけた。
ノスタルジックになったり、いまの私たちはこうすべきだ、というような
恣意的な表現をするのではなく、見た人に何かを感じて持ち帰ってもらえるような
展示にしたかったという。

実際には展示物の2倍以上の取材をしており、紹介できなかったものもあれば、
取材自体できなかったところもある。
そのひとつが、稲庭うどんの製法を確立した稲庭吉左衛門氏。
寛文5年の創業から現在の16代目に至るまで、
約350年間、一子相伝で古来の製法を守っている。
会場には秋田県湯沢市の稲庭うどんが展示されているが、
稲庭氏のつくるうどんは取材させてもらえなかったそうだ。
「稲庭うどんの歴史をたどると、秋田県南部、雄勝郡稲庭村の稲庭吉左衛門さんが
佐竹藩の御用うどん製造元、つまり宗家なのです。
最終的にお宅で少しだけお話を聞くことができたのですが、
製造については非公開ということで、一切取材させていただけませんでした。
ただ印象的だったのが、製法はすべて口伝だということ。つまり、書かない。
書いてあるとそれをなぞってしまうけれど、
書かれていないことは、自分で研究するでしょう。
それが伝えるということなんだと稲庭さんはきっぱりとおっしゃった。
当代ができなければ次の代、次の代ができなければ、また次の代に託していく。
あらためて歴史の深さを思い知らされました」

一方で、広く知ってもらいたい、アピールしたいという生産者もいる。
たとえば、山形県の庄内地方に伝わる伝統食の笹巻き。
「笹巻きの生産者さんのことは以前から知っていました。
彼女たちは毎年『笹巻きサミット』を開催して、地元に郷土の味を伝えていく
という活動をしているんですが、県外の人たちにどうやって伝えればいいのか、
長いあいだ模索していました。それで今回の企画にぴったりだと思ったのです。
映像作家の山中有さん、トム・ヴィンセントさんが制作してくださった
ショートフィルムを見て、涙が出そうになりました。
こうやって、ひとつ伝えられる手段ができてよかったと思います」

酢の物などに使われる干し菊は、青森の定番食材。92℃の釜で45秒蒸し、60℃で10時間乾燥させ、鮮やかな黄色に。温度調節が決め手となる。

小さくて売り物にならない馬鈴薯を加工して保存食にした「凍みイモ」。凍っては溶け、を約2か月半も繰り返す。岩手県九戸郡野田村でたったひとりでつくっているおばあさんに会えたが、もうほとんどつくっている人はいない。

稲庭うどんは、江戸時代半ばまで佐竹藩のみに納められ、庶民は口にすることができなかった。右は岩手県南部の郷土食で、そば粉をこねてつくる「かっけ」。

時間をかけて、ローカルと向き合っていく。

奥村さんは日頃からフードディレクターとして、企業のブランディングのほか、
地域の特産物の商品化や、地域ブランドの企画など、
地域の食と関わりの深い仕事を手がけている。
仕事をしていて感じるのは、食の価値は地域によって多様性を持っているということ。
「東京ではほぼすべての食べものをお金で買うので、
食の価値が貨幣価値と直接つながっています。
でも産地に行けば、それとは違う多様な食の価値に出合います。
たとえば、私が以前関わったプロジェクトで、
お餅のパッケージをつくったことがありました。
美しい紙で、洗練されたデザインのパッケージでしたが、
産地では安くておいしい食べものがたくさんありますから、
包装にかかる手間を生産者に理解してもらうのに苦労しました。
すてきなパッケージに入った高い商品が必ずしも価値ある商品にはならない、
地域にあった食の価値があるということを、その仕事を通じて実感しました。
ですから、ものをつくるだけではなくて、売る人がどういう環境でどう売れば
ハッピーなのかということまで、私たちが一歩足を踏み入れて考えていかないといけない。
私はそこに時間をかけたいと思う。まさにテマヒマです(笑)」

たとえば、奥村さんが手がける「800 for eats」というプロジェクトは、
地域の特産物を生産者とともに商品化して、東京から世界に発信してきた。
「大量生産できず小ロットだけれど、たくさんの方々に知ってほしい
ストーリーがある食べものだけを選んで紹介しています。
東京の自給率は1%で、99%はほかの地域か海外から入ってきています。
情報発信基地でもあり巨大なマーケットである東京で何が選ばれるかは、
生産者にとっても重要な意味を持っています。だからこそ、東京を拠点にする側が、
誠実なものづくりに懸ける生産者を紹介していくことに意味があると思っています」

奥村さんは、自分と同じような仕事をする人が、
地域にもっと出てきてほしいと思っている。
「デザインに携わるいろいろな機能が地域にあるべき。
すべてが都市に偏重して新しい商品がつくられるのではなく、
グローバルな手法とローカルな手法を対話させながら
ものがつくれるようになるといいと思います。
地域行政や民間企業に、同じ考えを持った仲間が増えることを期待していますし、
私たちデザインする側も一度のインパクトで何かを変えようとするのではなくて、
継続して向き合っていくことが大事。
デザインというのは色やかたちを決めることだけではなくて、
人と人とのつながりや場の持ち方も含め、プロセスをどうつくりあげていくか。
それがデザインの仕事なんだと思います」

大豆や青大豆をつぶして乾燥させた「打ち豆」は東北全域でつくられる。保存食として冬のタンパク源になるが、ひとつひとつつぶすのは、まさに手間と時間がかかる。

氷点下の気温と寒風を利用して東北で広くつくられる「凍み餅」も、凍みと溶けを繰り返してつくる保存食。戦後は、砂糖味や、ごま、大豆、小豆入りなどバリエーションが増えた。

山形県東根市六田地区に伝わる「車麩」は、木の棒に生地を巻き上げ、焼いてつくる。そのかたちはまるでフランスパンのよう。

Information


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テマヒマ展〈東北の食と住〉

住所:東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内

TEL:03-3475-2121

2012年4月27日(金)~ 8月26日(日) 21_21 DESIGN SIGHT

11:00 ~ 20:00(入場は19:30まで、火曜休館)

http://www.2121designsight.jp/

Profile

FUMIE OKUMURA
奥村文絵

東京都生まれ。フードディレクター。2008年にフーデリコを設立し、ブランドコンセプトの開発や商品開発、パッケージ、空間デザインなど、さまざまな食にまつわるブランディングを手がける。http://www.foodelco.com/

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」 山中有さんインタビュー

テマヒマかけたものづくりを、映像で表現する。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」では、メインの展示室の手前にもうひとつ展示室があり、
展示された食べ物や工芸品がつくられる現場をとらえた映像が流されている。
奥会津のマタタビ細工、庄内地方の笹巻、青森のりんご箱、秋田のきりたんぽ、
会津木綿、宮城県の油麩、弘前のりんご剪定鋏。
7本の映像は、東北の人々の黙々と作業する姿やあたたかい笑顔に、
ときおり美しい自然が挿入され、静かに心を打つすばらしい映像に仕上げられた。
トム・ヴィンセントさんプロデュースのもと制作を担当したのが、
映像作家の山中有さん。
何を撮影するかは事前に企画チームと相談し、実際の撮影から編集までを手がけた。

「真冬に撮影に入ったのですが、例年にも増して豪雪だったので大変でした」
ひとつのテーマを撮影するのにかかるのは、3日から5日間。
初日は撮影はしない。挨拶に始まり、企画を説明して作業を見せてもらいながら、
どう撮るかを考える。2日目からようやく撮影が始まる。
「一緒にお茶を飲んだり、ごはんを食べたりもしました。
秋田県鹿角のきりたんぽ製造の若旦那は、僕と同じくらいの歳の方だったんですが、
せっかく来たんだから鹿角のことを好きになってもらいたいと、
地元のおいしいもつ焼き屋や居酒屋など、3軒くらいはしごして連れて行ってくれました。
うち解けてからでないと、撮られるほうは構えてしまいますからね。
できるだけ自然な表情を撮りたいと思いました」
映像には、ものをつくるようすだけでなく、風景が印象的に映し出され、
そこに流れる時間や空気が伝わってくる。
「展覧会ディレクターの佐藤卓さんや深澤直人さんとも事前に相談したのですが、
実景は必ず入れることにしました。
やはり東北の文化は、気候や地形など風土によるところが大きいですから。
ふつうは人を撮影する合間に風景を撮るのでしょうけど、
今回は、人を撮影するのと同じくらい風景も撮っています。
どこでも1日か2日はひたすら風景を撮っていました」
撮影には、フルHD動画撮影機能搭載のデジタル一眼レフカメラを使った。
テレビカメラのような大型なものではなく、通常のサイズのカメラだったことも、
相手を緊張させず、自然に撮影するのに功を奏した。

撮影時間は、ひとつのテーマにつき、最長で8~9時間くらい。
それを5分ほどの映像に編集するのもかなり大変だったはずだ。
「見るだけで1日かかりました。実際の編集作業はその次の日から。
ドキュメンタリーとしてはもっと長いほうがいいかもしれませんが、
今回は展示ということを考えて」
映像は淡々と作業を映し出し、そこに出てくる人たちは、ほぼ何も語らない。
実はインタビューもしたそうだが、ほとんど使わなかったそうだ。
「東北の人々や職人さんって、謙虚な方が多かったり、
もともと話すのがあまり得意じゃない。
いろいろな思いや苦労があるけれど、それを言葉で表現するのは難しいですよね。
だったら手や仕草で語ってもらったほうが印象が強くなるし、
しゃべらないほうが、いろいろなことがわかると思いました」

7本の映像のうち、工程がいちばん長いのがりんご剪定鋏。鋼を熱して叩く、の繰り返し。2日間くらいかかる工程を、コンパクトな映像にまとめるのも至難の業。

食品は真空パックにして展示。きりたんぽはつぶしたご飯を杉の木串に巻いて炭火で焼く。右は塩3、麹5、餅米8の割合でつくる漬け物「三五八」。

会津は東北では貴重な綿の産地。藍染めは仕込みだけで約1か月。染めから織りまで、長い時間と手間がかけられている。(Photo: Yusuke Nishibe)

東北人の気質に触れて。

7本の映像のうち、ひとつだけほかとちょっとトーンが違うのがりんご箱。
ブルージーな音楽が流れ、リズミカルにトントンと金槌を叩いて
箱をつくっていくようすが、スピーディに描かれる。
「あれは最後に編集したのですが、ちょっと悩みました。
ほかの6本を仕上げたところで、変化がほしいなと思ったのです。
ずっと淡々としていると、眠くなってしまう(笑)。
りんご箱は工程もとても短くて、あっという間に1箱できちゃうんです。
弘前周辺ではりんご箱の早打ち大会みたいなものもあるらしくて、
1箱をどれだけ早くつくるかがちょっとした勝負。
そんな競い合いや意地の張り合いみたいなところを見せたくて。
ほかと表現するものが違うので、編集の仕方も少し変えてみました」

東北という土地柄からくる人間性にも興味を惹かれた。
たとえば、青森では「情張り(じょっぱり)」という言葉をよく耳にしたそう。
「“強情っ張り”と似たような言葉だと思うんですけど、青森の人たちは
その言葉が好きみたいで、まち中に“居酒屋 情張り”とか“情張りラーメン”とかあるんです。
自分たちの気質なんでしょうね。いい意味で頑固者。
それが、雪国だと気持ちがいい響きに聞こえました。
職人さんはどこでもそうかもしれませんが、東北の人たちには
独特の頑固さがあると思いましたし、そこからくる強さを感じました。
それと、コミュニティがしっかりしていて絆が固いと感じました。
それは、お互い力を合わせないと、厳しい気候を乗り切れないという
背景があるからだと思います。インタビューをしても、
“それではみんなが困る”というように、“みんな”という言葉をよく聞きました。
自分より家族や親戚、まちや村のために、という気持ちが強い気がします」

東北で出合った風景で印象的だったのは、
笹巻の映像に出てくる山形県遊佐町の十六羅漢岩だという。
日本海の荒波で命を失った漁師たちの供養のために、
吹浦海禅寺の和尚が1864年に発願し、地元の石工たちにつくらせたもの。
十六羅漢と、釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢菩薩、観音、舎利仏、目蓮の6体、
合わせて22体が岩に彫られている。
「現地を案内してくれた方に、あそこが撮りたいと言ったら、
ちょっと不思議な顔をされてしまいました。
もっと違う観光スポットを紹介したかったようなのですが、
ああいう海の岩で彫ったものって、ほかにあまりないと思います。
僕らが面白いなと思っても、生まれたときからあると、
地元の人はなかなか意識できないんでしょうね」
外からの視線だから、気づくこともある。
笹巻の映像の最初のカットには、こういうものも大切にしてほしいという思いをこめた。ぜひ多くの人に見てもらいたい映像だ。

Information


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テマヒマ展〈東北の食と住〉

住所:東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内

TEL:03-3475-2121

2012年4月27日(金)~ 8月26日(日) 21_21 DESIGN SIGHT

11:00 ~ 20:00(入場は19:30まで、火曜休館)

http://www.2121designsight.jp/

Profile

YU YAMANAKA
山中 有

1976年山梨県生まれ。映画やドラマ、CF、ミュージックビデオなど幅広く映像の仕事に携わり、2010年「ブルードキュメンタリー」を設立。ドキュメンタリー映像のディレクターとして活躍中。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Part1

生まれ変わった、芸術祭の拠点。

3年に1度開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」が
7月29日よりスタートした。
2000年に始まり、今回で5回目を迎えるこの芸術祭は、
現在は各地で行われている地域と人を結ぶ芸術祭の先駆けであり、
この地域では住民のあいだにもすっかり定着してきた。
新潟県の十日町を中心に、川西、松代、松之山、中里、津南と6つのエリアを舞台に、
44の国と地域から約320組のアーティストが参加し、約360点の作品が点在。
そのうち、約180組のアーティストによる作品が今回の新規参加作品というのだから、
そのスケールアップには目を見張るばかり。
数々の注目すべき新規プロジェクトがあるが、目玉のひとつは
「越後妻有里山現代美術館」としてリニューアルした施設「キナーレ」。
温泉を併設するこの施設は、交流館として2003年にオープン。
今回、芸術祭の入口となるような場所として、
常設展示を持つ現代美術館として生まれ変わった。

回廊式の建築の中央吹き抜け部分は企画展のスペースになり、
その初回を飾るのは世界的作家クリスチャン・ボルタンスキー。
建物に足を踏み入れると、目の前の光景に圧倒される。
ボルタンスキーは過去にもこの芸術祭で、使われなくなった小学校を舞台に
『最後の教室』という壮大なインスタレーションを発表しているが
(ジャン・カルマンと共作、恒久展示)、ここでは、2010年にパリで発表し、
ミラノ、ニューヨークと巡回してきた『Personnes(ペルソンヌ)』という作品の
越後妻有バージョン『No Man's Land』を展示。
タイトルは「誰のものでもない、誰もいない土地」という意味で、
20トンという膨大な量の古着を使った巨大インスタレーションだ。
「不在」「記憶」といったテーマで作品をつくり続けてきた作家の大作は、
多くの人の生と死を思わせる。
また会場には、ボルタンスキーが世界中で採取しアーカイブしている心音が鳴り響く。
心音はひとりひとり異なるものであり、それぞれの生の証。
古着が人の不在を思わせる一方、
心音は、存在が忘れ去られるのに抵抗しているかのようだ。

ボルタンスキーの巨大インスタレーション『No Man's Land』は会期中しか見られない企画展。

ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー『ゴースト・サテライト』はいろいろなものが浮遊するインスタレーション。

越後妻有の日常の暮らしで使われていたものをつなぎ合わせ、新たな生命を吹き込む。

常設の展示も充実している。
以前、このコーナーでも紹介したスイスのアーティストユニット、
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーは、
吹き抜けのスペースでインスタレーションを展示。
タイトルの『ゴースト・サテライト』は、管制から解き放たれた人工衛星を意味している。
中央のコントロールの及ばないところで、独自の軌道を描く
ローカルの文化を象徴しているかのよう。
地元の建設業者の廃品、空き家に残されていた生活用品、
織物のまちとして栄えた十日町を象徴する織物の道具など、
ふたりはいつものように、地域にまつわるさまざまな素材を作品へと昇華させた。
いろいろなものが浮遊し、見ていて楽しくなるような作品だ。

山本浩二の『フロギストン』は、越後妻有地域の広葉樹からつくった彫刻を
炭化して並べた作品。彫刻は炭化することで普遍化され、
越後妻有の木々の多様な表情を見ることができる。
また会場にはこの地域で見られる32種の生木があり、
まるで森の中を歩いて作品に出合うような体験ができる。
美術館に生きた植物があるというのもユニークで、
これこそが越後妻有にしかない里山の現代美術館だ。

瓶の中身がきれいなグラデーションになるように並べられているのは、栗田宏一の作品。
これらは全部、新潟の土。新潟県全域で採取した土の数はなんと576。
田んぼや畑、崖などから採取し、乾燥させて余分なものを取り除いただけで、
彩色も何も手を加えていない。ふだん気にも留めない足もとに、
こんなにもきれいでさまざまな色があることに驚かされる。
この多様性こそが、豊かさなのだ。

クワクボリョウタは、インスタレーション『10番目の感傷(点・線・面)』の
越後妻有バージョン『LOST#6』を展示。
まっ暗な展示室の中で、鉄道模型につけられたLEDのライトが、
周りに置かれたさまざまなものの影を映し出しながら情景を浮かび上がらせる作品で、
今回は越後妻有の織物にまつわる道具を使っている。体感してその面白さがわかる作品だ。

この地域によく見られるかまぼこ型倉庫とトンネルを組み合わせたユニークな作品はレアンドロ・エルリッヒによるもの。ほかにエルムグリーン&ドラッグセット、カールステン・ニコライなどの作家の作品が展示されている。

山本浩二の展示スペースには、縄文時代の火焔型土器のレプリカも展示されている。これも土器の破片。現代の表現と4500年前の表現が同居するのも、里山現代美術館の特徴。

栗田宏一は新潟の全市町村で採取した土を展示。新潟県だけでこれほど色の幅がある。

市町村、集落の名がひとつひとつ記されている。「みんな同じように見えても少しずつ違うのは、人と同じ」と栗田さん。

美術の持つ力を信じて。

「これまで開催してきた4回分の蓄積として
里山現代美術館という拠点、芸術祭のゲートができたと思います」
と話すのは、大地の芸術祭総合ディレクターを務める北川フラムさん。
第1回の開催前、1996年から越後妻有に入り、芸術祭のために尽力してきた。
最初は現代美術に抵抗があったり、外から入ってきた人間が本気で地域のために
取り組むわけがないと考えていた地域の人たちも、少しずつ変わってきたという。
いまでは、みんなが芸術祭をお祭りのように楽しんでいる雰囲気が感じられる。
それも、北川さんが実際に現地に何度も足を運び、人に会って話すということを
繰り返しながら、ていねいにこの芸術祭をつくりあげてきたからだろう。
「作品だけできた、というのでは何の意味もない。
はじめから思ったとおりにはいかないですが、
土地の持っている力をいかしたらどういうことがありえるかという
展望を持ちながらやってきて、少しずつできてきたところです」

昨年は、豪雪、震災、そして水害がこの地域を襲った。
それでも、翌年に開催を控えた芸術祭に向けて動き出さなければという意識が、
地域にはあったという。
「人が前向きで元気なんですよ。芸術祭があるのとないとでは、大きな差がある。
ひとつの希望になっていたと思います」
芸術祭が人々の希望になりうる。それはすごいことだ。
日本の限界集落で、希望を持てない人たちは現実に多くいる。
それでいいわけがない。北川さんはまた、現代のグローバリズムに異議を唱える。
「世界中どんな場所でも、そこに人が生活するというのは大変な意味と価値があります。
それが均質化していってどこも同じなんてことはありえない。
それは地球上に生きているということを無視した話で、そうはいかないぞと思っています。
自然というのはあらゆるものを超えて決定的。私たちは自然と折り合って生きていて、
でも自然はそれを超える不可避な運命を与えてくる。そのなかでどうやって生きていくか。
そういうときに、美術というのはそれなりのはたらきを持てるはずだと思っています」

芸術祭の作品の多くは“鑑賞”というより“体感”する作品。
越後妻有の地で、その環境も含めて作品を体感してほしい。
北川さんは、現代美術が難しいとか、よくわからないものと思われるのが悔しいという。
「美術というのは“こんなのでいいの?”と思われることが重要だと思っています。
今回もものすごい作品の点数があって過剰だと言われますが、なぜそうするかというと、
美術の根源は、みんな違うということにあるから。美術ってほかの学科と違って
正解も平均値もないし、唯一ほめられる可能性があるでしょう(笑)。
みんなひとりひとり違うバックボーンを持っているから多様なものがあっていいんです。
特に子どもたちや若い人には、ぜひ大地の芸術祭に行ってほしい。
面白い体験になると思いますよ」
来年は、北川さんがディレクターを務める「瀬戸内国際芸術祭」もある。
大地の芸術祭も、もう次の開催に目を向けている。
「作品がなくても、自分の集落にお客さんが来て、
“こんにちは”と挨拶するだけでも、集落の人は全然気分が違うと思う。
そういうことがいいなと思うんです。着地点はまだまだ先。
これからも少しずつ面白くなっていくといいと思います」

田んぼの美しい風景が広がる越後妻有。「できるだけゆっくり見て回ってほしい」と北川さん。

鯨本あつこさん

「島の情報は探しにくい」という気づきから生まれたメディア。

「日本には6852もの島があって、そのうちの約430島が有人島なんです。
こんなに日本に島があるなんて、ですよね。
まだまだ私たちが知らない島も多いんです」
そう話すのは、離島の情報を集めたウェブサイト『リトケイ』こと『離島経済新聞
と、タブロイド紙『ritokei』の発行人・編集長の鯨本あつこさん。

さぞかし島と縁深いのかと思いきや、意外にも生まれ育ちは大分県の内陸部だそう。
そんな鯨本さんが、なぜ「島」のメディアを?
「 福岡で地方情報誌の編集者、美容学校の非常勤講師、飲食店、
販売などの仕事を経験したのち、
上京して経済誌の広告ディレクターやイラストレーターとして働いていました。
さまざまな職種を経験するうちに、
自分が本当にやりたいことはなんだろう? と考えるようになりました。
スクーリングパッド*1 のデザインコミュニケーション学部に通いだしたのもこの頃です」
デザインや編集を学べると思って通い始めたが、
ここで出会った仲間たちと、広島県の大崎上島に行ったときに、
島人の穏やかな島暮らしに魅了されたのだと言う。
「しかし、大崎上島という島をネットで調べようとしても、情報が出てこない。
それどころか、全国の島の情報を検索するのは意外と難しいということに気づいたのです」
鯨本さんの言葉のとおり、「島」という字は地名だけでなく、
人名にも多く使われる上に、島の名は読みが難しく、正確に検索をかけることが難しい。
それなら、さまざまな島の情報を集めたサイトを自分たちでつくろう。と、
大崎上島へ行ったスクーリングパッドのメンバーとともに『リトケイ』を立ち上げたのが、
2010年の秋。
編集長である鯨本さん自身も取材や執筆を行い、
「島記者」と呼ばれる、全国の離島に住まう7名ほどのライターたちとともに、
ほぼ毎日記事を更新する。
例えば、鯨本さんが執筆した「島人インタビュー」は、島人の口調が反映された文章で、
のんびりとした島の空気も文章にとじ込められているかのよう。
こうして日々アーカイブされていく記事は、島人の話以上の情報量を運んでくれる。
なるほど、「島のことは、リトケイで。」のコピーはダテではない。

*1 廃校となった旧池尻中学校の校舎を再利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」で開催されている学生・社会人向けの学びの場。

リトケイ』トップページ。未踏の島に想いを馳せるもよし、情報収集して赴くもよし。
今年5月のサイトリニューアルで、いっそう島の情報がみつけやすくなった。

島のかたちはそれぞれ個性的で、有人島435島を並べてみると圧巻。
「離島出身者が自分の島をみつけたときに“うちの島”と呼ぶのですが、それが“うちの実家”と言うのと同じような感覚。本土のひとにはないことですよね」(鯨本さん)

紙とウェブ。ふたつの『リトケイ』がある理由。

いまでこそウェブと紙の二本柱で運営している『リトケイ』だが、
創刊した当初は、ウェブのみで展開していこうと思っていたと言う。
「紙ほどコストがかからないし、
無料で観てもらえるというウェブのメリットは、やはり魅力的。
でも、私たちはひとつひとつ大切なことをインタビューで聞き、
島人たちも真剣に話してくれているのに、
これをウェブという限定的な場だけにとどめておいていいの? と悩みました。
それに、パソコンはビーチには持っていけないし(笑)。
そこで、ウェブの『リトケイ』で公開していた、私たちが知っている島の素敵な情報を、
タブロイド紙『ritokei』で年に4回発行することにしたのです」
ウェブと紙面では、デザインも編集の手順も大きく異なるため、
両方発行すること、継続して情報を提供することはとても根気のいることのように思える。
「手間をかけて出版することで、“こちらも本気でこの情報を届けたいと思っているんだ”
という意思が伝えられればと思っています。
私たちが島々を取材しながら集める情報というのが、
島に住む人、島に興味がある人、
さまざまな人にとって大切な情報であるということを考えながら、
ふたつの『リトケイ』を制作しています」

季刊紙の『ritokei』は現在No.02まで発行されている。全国の書店、港などの売店、飲食店、雑貨店などで販売中。
(定価150円。※ノベルティ付きパッケージ定価300円〜500円)

「島本専用の本棚」を全国の書店へ。

現在、『リトケイ』は“出版社”や“メディア”という枠を越えた新しい試みに着手している。
それが、「島Booksプロジェクト」。
例えば、「料理」に関する本は雑誌も書籍もまとめて「料理本コーナー」に置かれているのに、
「島」に関する本は、雑誌も書籍もバラバラの場所に並べられていることを、
鯨本さんは以前から不思議に思っていた。
「島に関する本って、良質で数も豊富なのに、
“探したいけど探せない” “欲しいけどみつからない”
それに、つくり手としても“つくっても売る場所がない”という状況なんです。
そこで島の本やフリーペーパーが集まる場所を全国につくりたいと思いました」
そこで、クラウドファンディング「Ready For?」で、運営資金の一般募集を始めた。
目標は全国300店舗に島情報の専用本棚を設置すること。
応援してくれる人々の後押しを受けて、
離島に住む人と本島に住む人、
離島に住む人とまた別の離島に住む人、
島国日本に住むすべての島人を「情報」でつなぐべく、鯨本さんは今日も島々を渡り歩く。

「雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」展

金沢で、オリーブ的感性にふれる。

金沢21世紀美術館のデザインギャラリーで、
いま「Olive 1982-2003 雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」が開かれている。
『オリーブ』は、1982~2003年にマガジンハウスが発行し、
「オリーブ少女」とよばれる多くのファンを生み出した伝説的な雑誌。
美術館で雑誌の展覧会とはちょっと珍しいのだが、
この企画展は学芸員の高橋律子さんの熱意によって実現したもの。
もともと「金沢湯涌夢二館」という竹久夢二の美術館の学芸員をしていた高橋さんは、
大正時代、夢二の絵が掲載された雑誌を見た少年少女たちのあいだで
「夢二式」が大流行したことから、雑誌とファッションやカルチャーの関係を考える、
この企画を思いついたそう。

高橋さん自身、高校生の頃『オリーブ』を愛読していて、
「自分の人生を振り返ってみると、夢中になって読んでいた『オリーブ』という雑誌が、
自分の感性をつくってくれたと思っています。
そして、その『オリーブ』で培われた感性が、
クリエイティブな仕事に就きたいという夢にもつながっていたり、
仕事に生かされると感じる場面が多くあります。
そして、同じように感じている元オリーブ少女は
決して少数ではないという確信がありました」という。

展覧会のアートディレクションは、『アンアン』の立ち上げに関わったほか、
『オリーブ』など多くの雑誌のアートディレクターを務めた新谷雅弘さんが担当。
高橋さんは『オリーブ』という雑誌そのものを見せたいと考え、バックナンバーを収集。
最終的に8冊足りないものの、434冊を集め、会場で閲覧できるようにした。
雑誌がボロボロになってしまうのではないかという懸念もあったが、
すでに3万人以上の来場者があるのに、みんなていねいに扱ってくれて、
その愛情のありようがうかがえるという。

反響もとても大きく、遠方から足を運ぶ人も多い。
「展覧会のついでに、金沢のおいしいお寿司を食べたり、まち歩きをしたり。
その発想こそが『オリーブ』っぽいように感じています。
『オリーブ』がきっかけで、金沢のまちの楽しさを感じていただけているようです」
と高橋さん。
もちろん、地元のファンも多くつめかけ、しかも何度もリピートするという現象も!
「先日、スタイリストの大森伃佑子さんが立ち上げられたブランド
『double maison』の展覧会で、フォトグラファーのシトウレイさんにお会いしました。
そのとき初めて知ったのですが、石川県出身のシトウさんも、
地元で憧れながら『オリーブ』を読んでいた女の子のひとりだったそうです。
金沢にも多くのオリーブファンがいたんですね」

442冊のうち、434冊のバックナンバーを集め、来場者に自由に読んでもらえるようにした。

本物のアートディレクターによるデザインワークショップ。

4月14、15日には、新谷さんによる「『オリーブ』流 雑誌デザイン・ワークショップ」
が開かれ、2日間のワークショップに15人が参加した。
1日目の午前中は、新谷さんによる「雑誌デザイン」についての講義。
雑誌はページをめくるたびに世界が変わっていくので、
見開きごとに世界観を伝えられるようなデザインをすることが大切、と新谷さん。
参考として、マガジンハウス時代のデザイン原稿と、
アメリカ旅行のスクラップブックも披露してくれた。

午後からは、いよいよレイアウトの作業。A3の紙の中央にA4サイズの枠をつくり、
そのなかに、見開き2ページをつくる。
レイアウトといっても基本は切り紙。色紙や包装紙を手でちぎりながら貼っていく。
こうすると、絵が苦手な人でも、それなりにかたちがつくれるのだそう。
参加者たちは思い思いにページをつくっていく。

B2サイズほどもある大判のスクラップブックには、たくさんの写真、切符や包装紙、そして新谷さんのコメントがぎっしり詰め込まれていて、雑誌そのもの。

新谷さんの見本レイアウト。切り紙にしたのは新谷さんのアイデア。枠の周囲には、全体のイメージやイラストの指示など、細かいことを書き込んでいく。

2日目も前日に続き、レイアウト作業。
それぞれが読みたいページをつくり上げ、
「元オリーブ少女の夏休みの過ごし方」
「お誕生日にしたい5つのこと」
「新谷雅弘さんへの100の質問」
「わんぱくキッズのスニーカーコレクション」
「シャンソンを歌おう」
「山へ行こう! 準備の基本教えます」などなど、面白そうな企画がいっぱい。

そして午後からは本に仕上げていく作業。
みんながつくったページが、1冊の面白い本になるように
新谷さんが構成を考え、製本していく。
製本といっても、大判セロテープでページをつなぎあわせていくという、
新谷流の大胆なつくり方。
全ページを人数分コピーし、それぞれが大判セロテープで製本し、
それを持ち帰ることができる。
手づくりの楽しさがたくさんつまった1冊を手に、参加者たちは笑顔で帰っていった。

かつてオリーブ少女だった人や、いまもオリーブ的感性を持った人が、
金沢という地で出会う、クリエイティビティあふれる展覧会だ。

全ページを床一面に並べ、新谷さんがページ構成を決定。読者が飽きることのないように、アートディレクターの視点で考える。

東京や名古屋から参加した人や、デザインや編集に携わっている参加者も。刺激的で楽しいワークショップとなった。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」 佐藤卓さん×深澤直人さんインタビュー

東北から、日本のものづくりを見直す。

東北に脈々と受け継がれる「手間」と「ひま(=時間)」がたっぷりかけられた、
ていねいなものづくり。
たくさんの行程を重ね、繰り返し続けられる手作業によって生み出されたものの数々が、
東京・港区の21_21 DESIGN SIGHTで開催中の
「テマヒマ展〈東北の食と住〉」に展示されている。
ここでは昨年、東日本大震災を受けて
「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」が開催された。
その「衣」に続き、今回は「食と住」がテーマ。
ディレクションを、グラフィックデザイナー佐藤卓さんと、
プロダクトデザイナー深澤直人さんが手がけている。

展覧会制作にあたり、佐藤さんや深澤さんらは実際に東北を訪れた。
会場には、佐藤さんが仙台で訪ねた明治時代から続く駄菓子屋さんの駄菓子や、
会津の農家の寒干し大根、深澤さんが青森で出合ったりんごの剪定鋏、
そのほかさまざまな保存食、道具など、東北6県の55種の品々が、美しく展示されている。
アクリルケースの上から照明が当てられ、その影を利用したユニークな見せ方など、
展示方法にも趣向が凝らされている。
中庭の吹き抜けに高く積み上げられた青森のりんご箱は、
まるで現代美術のインスタレーションのようにも見えるが、
これは現地でもそのように積み上げられているそう。
映像展示もあり、熱い鋼を何度もたたいて強くしながら剪定鋏をつくる熟練の職人の手や、
きりたんぽや麩をみごとな手つきでつくっていくおばあさんたちの笑顔も印象的。
長い時間をかけたものづくりを、コンパクトに編集した映像は秀逸だ。

色鮮やかな麩。こうしてみるとお菓子のよう。このほかにも油で揚げてつくる「油麩」など、東北にもさまざまな種類の麩がある。

青森県下北地方に伝わるいわしの焼き干し。頭と内蔵を取り除いて天日干ししてから串に刺して焼き、その後3日間乾かす。串に刺したように見える展示もユニーク。

展覧会スタート翌日の4月28日。
佐藤さん、深澤さん、企画協力で参加しているフードディレクターの奥村文絵さん、
ジャーナリストの川上典李子さん、それに東北芸術工科大学文化研究センターの
共同研究員である岸本誠司さんによるオープニングトークが開催された。
佐藤さんは
「われわれはデザインの仕事をしていて、
この施設にもデザインという名前がついていますが、
デザインというのはまだまだ誤解されているところがあります。
かたちや色をあたえることももちろんデザインですが、それ以前のことがすごく重要。
戦後、日本は高度経済成長によって物をたくさんつくって売り、
その過程で合理的であることが何より求められてきた。
でも実は、それによって失われてしまったものも多い。
では何を大切にしなくてはいけないのかということが、
震災後あらためて問われていると思います」と、
ものづくりの原点に立ち戻る重要性について話すと、深澤さんは
「ここに展示されているものは、人に売るためにつくられたものではなく、
自分たちが生活していくためにつくられたものです。
夏のあいだに蓄え、あるいは冬の寒さを利用してつくる。
そうしないと冬が越せないというところから始まっています。
大量生産ではなく、まず自分たちの生活から始まっているんです」と話した。
また、川上さんが
「ていねいにつくられたものは長くもちます。
りんご箱も、回収されて再利用されています。
長い目でみると、それはとても合理的なものづくりですよね」と言うと、佐藤さんも
「本来の合理性というのは、そういうことを指すのでしょうね。
近代の合理主義とは違う、理に適ったという意味での“合理性”がありますね」と
賛同するなど、この展覧会がさまざまな議論を重ねながら
構成されたことをうかがわせた。

弘前でいまも昔ながらの手打ち式でつくられるりんごの剪定鋏。明治中期に開発された剪定鋏が、りんごの生産性を高めた。部品の影が顔のようにも見えて愛らしい。

青森でりんごを出荷する際に使われるりんご箱。段ボールが主流だが、木箱は再利用され、りんごの色づきもよくなるという。名人は1日に100箱ほどつくり上げる。

東北で感じたことを展示する。

今回の展覧会では新たに知ることが多く、
驚きの連続だったという佐藤さんと深澤さんに話を聞いた。

――それぞれ東北を旅されたということですが、
特に印象深かったことを教えてください。

深澤

ほとんど意図を持たずに東北に行きました。
現地で起きたことに対して自分たちがどう反応するかという偶発性がないと、
その驚きを伝えることができないと思ったんです。
そうしたら、すごいものが出てきたので、
あとはそれを肉付けしていくというやり方でした。
手間がかかる作業や同じことの繰り返しをしている人たちに、
なんでもっと便利なやり方を考えないのか、というような意地悪な質問をすると、
間があるんですよ。

佐藤

簡単に言葉にしたくないんじゃないですか。

深澤

それよりももっと、なんでそんな質問するんですか?みたいな感じ(笑)。
彼らにとっては当たり前のことなんです。
こちらが朝早くお邪魔しても、お茶を出してもてなしてくれて、
最後は仲良くなって、ものを買って帰ってくる。
そんなインタラクションを崩さず表現するというのが、
この展覧会においていちばん重要でした。

佐藤

僕は仙台の駄菓子をつくっているお店に行きました。
駄菓子といっても和菓子の原型のようなものです。
みなさん黙々と繰り返し繰り返し作業をされていて、
話しかけるタイミングがわからなかった。
でもある瞬間に声をかけたら、そのまま作業を続けながらお話してくれました。
身体に動きが染みついているんですね。
どうして毎日これができるんでしょう、
もっと別のことをやりたいと思わないんですか、と聞くに聞けませんでした。

深澤

東北は生きていくうえで、経済的というより、気候など環境的な厳しさがある。
そうすると欲望の前に、クリアしないといけないものがあるのでしょう。

佐藤

でも同じことを繰り返しているように見えて、
実は、編んでいるざるの外側の線を2本にしてみたりとか、
改良を加えて微妙に進化しているんです。
会津の干し大根の農家でも、先代はこれとこれをつくっていたけど、
私はこれはつくり続けるけど、これはやめて花をつくるんですとか、変化もある。
厳しい自然環境とともに生き延びていくための工夫が、
現在進行形であるのを感じました。

駄菓子は、江戸時代から水飴や黒砂糖を用いてつくられる庶民のおやつ。仙台駄菓子は京都伝来の製法で、種類の多さは日本一という。

凍みと乾燥を繰り返してつくられる寒干し大根は、古くから東北でつくられてきた。輪切り、縦割りなど地域によって形態はさまざまなだが、福島県会津地方では1本まるまるのかたち。

MOËT No.5

福岡県福岡市『MOËT』
発行/STRINGS、森 直樹

『MOËT』の最新刊は、掟ポルシェの人生相談あり、映像制作で活躍する細金卓也さんのインタビューあり、と充実の内容。もちろん今回も『MOËT』編集部渾身のかわいい女の子をご紹介。
一部しかお見せできないのが残念です……

MOËT
http://www.e-moet.jp/
STRINGS
http://www.stringsdesign.net/

発行日/2012.2

豊郷小学校旧校舎群

農村に佇む、1930年代の最先端の設備が整った白亜の小学校。

10年ほど前の校舎解体騒動、
最近ではアニメ『けいおん!』の舞台のモデルとして
ファンが聖地巡礼に訪れるなど、
話題を振りまくことの多い豊郷小学校旧校舎だが、
実際にその場所に行ってみると、
思った以上に雄大に、しかし静かに佇んでいる、という印象だ。

1937年に建築され、当時、東洋一の教育の殿堂と呼ばれた豊郷小学校。
本校の出身で丸紅の専務であった古川鉄治郎が自らの資産の3分の2を投じ、
アメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計、
完成後は、豊郷町へと寄附された。
古川鉄治郎は、海外への視察に行く機会があり、
そこで海外の科学技術の進歩に驚き、教育への重要性を感じたという。
また海外には財団などが学校をつくるために寄附するなど、
社会福祉のために広く還元していく考え方があり、感銘を受けたようだ。

「ウサギとカメ」の物語のカメを古川鉄治郎に見立て、あちこちの階段をウサギとカメが登っている。

こうして建築された豊郷小学校は、当時、農村のど真ん中に建てられ、
当初よりまちのランドマークとして機能していた。
「手紙などで残っていますが、設備などいくらかかっても構わないから、
とにかく一流のものをつくろうとしていたようです。
すでにヴォーリズは大阪や神戸で大学をつくるなど、名の知れた建築家でした。
彼は、すごく手間のかかる住宅の設計を1000軒以上手がけています。
生活する人のことを考えてデザインするというポリシーがあったようで、
この校舎にも随所に表れています」と語る豊郷町産業振興課の清水純一郎さん。

一番上の窓は外側に、下二段は廊下の生徒にぶつからないように内側に開くように工夫されている。

引き戸ではなく扉であったため、そのガイドとして黄色い線が描かれている。

外から見ると左右シンメトリーで白亜の校舎。
当時としては珍しい鉄筋コンクリートでできている。
校舎内に入ってみると、一転、木のぬくもりを感じさせる。
米ぬかで磨かれていたという廊下はツルツルで、走ったら危なそう。
直線100mに及ぶこんなに真っすぐな廊下を、小学生が走らないわけがない。
床の木材は海外から輸入されたものだそうだが、
大切に使われていたことを感じさせる艶と輝きを放っている。
「最低限必要な耐震補強はしながらも、
限りなくオリジナルに近い姿に戻すべく、改修しました。
なるべくあったものをそのまま使っています。
各教室の鍵も同じままなので、管理が大変です(笑)」(同・清水さん)

ボイラー室で焚いた火で全教室を暖めるセントラルヒーティングを採用。その熱を利用した弁当保温所も。

他にも、特別教室が充実していた。
青年学校という専門学校のような施設が併設されており、
大人向けの測量器具や、教材用の変圧器、
講堂にはスタンウェイのピアノなど、備品だけでもかなり高額になる。
先生のための宿舎も建てたり、維持管理の基金を設立してくれたり。
古川鉄治郎は、校舎というハードだけでなく、ソフトの向上にも尽力し、
トータルで教育に力を入れていたようだ。

天球儀やX線装置、暗室など、およそ小学生にはハイレベルな設備がたくさん。

現在は、町立図書館や子育て支援センターなどが1階に入っている。
そして講堂は、裏にある現豊郷小学校の修了式や卒業式などで
今でも使われている。
取材時も、まだ卒業式の花飾りが取り付けられたままだった。
2002年まで65年間、実際に使われていて、
今もこうして町民の役に立っている。
ただ歴史的に貴重だからとアンタッチャブルなものとして奉るのではなく、
使いながら保存されていることは、建築自体としても本望だろう。
そうすれば、もっともっと長く、後世に残していけるはずだ。

現在でもイベントごとに使われている講堂。前に向かって傾斜になっている。はね上げ式の窓の形状が特徴的だ。

西村記念館

大正時代、独学の建築家が「家族との時間」を設計に込めた新しさ。

和歌山県の南部、新宮市に西村記念館はある。
現在は、記念館として一般公開されているこの洋館は、
建築家・西村伊作(1884〜1963)が、自宅として、
大正4(1915)年に建てたものだ。
伊作は、22歳のときに最初の自邸を手がけて以来、
全国に160ほどの建築設計に関わっている。
故郷・新宮市では5軒ほど手がけているが、
現存しているのは、この西村記念館を含め2軒のみ。

1階居間と食堂。中央の家具は伊作オリジナルデザインのもの。

玄関を入ると、ホールの右手に、居間(パーラー)と食堂が一体となった、
今でいう、リビングダイニングがある。
伊作は、家族が過ごすための部屋としてこの一室を南の庭に面して大きく配置。
庭への眺望も意識されていて、窓が多く、気持ちのよい光が差し込んでくる。
日当たりがよく、ぽかぽか居心地のよい空間だ。
元来、伝統的な日本家屋とは「客間」を大きくとり、
来客に対して意識された間取りだった。
この家が建築された大正初期、伊作のような、住まい手本位の設計は先進的だった。

食堂の床は組み木になっていてお洒落。この部屋から庭へとつながるドアもある(現在は開閉不可)。

「伊作は、家を“人を迎え入れる場所”というよりも、
“家族が過ごすための場所”考えていたようです。
そのためには、居間が重要だと考え、家の一番よい場所に設計した。
既存のものにとらわれず、
必要あれば柔軟に変えていこうという意識が強かったようです。
彼の考えは新宮市で最初のキリスト教徒であった父・余平が、
洋式の生活を勧めていたことも、影響しています。
また、伊作は、自由な気風と芸術教育を目指した、
東京・お茶の水にある文化学院の創始者としても知られています」
西村記念館の管理人を務める吉田勝正さんが、そう教えてくれた。

伊作は、ここでの暮らしを著書でこんなふうに語っている。
“子どもたちの数がふえ、そして大きくなるに従って、
ご飯を食べるときは食堂のテーブルを大きく引きのばして、
その回りにいっぱいすわった。
……また来合わせた客もいっしょになると
食堂が非常ににぎやかであった。
食事の間もいろいろな話をする。子供も自由にいろいろ話をして
にぎやかにディスカッションしだす。……”(自伝『我に益あり』より)

台所にある食器棚も伊作のデザイン。白を基調としたどこかモダンなつくり。

他にも西村記念館には、先進的な間取りや設備が見られる。
1階には、居間と食堂、事務室、台所を、
2階には寝室と浴室を配置。地下室にボイラーを設置して、
家全体の暖房を備えていたり、お湯を沸かすのに利用したりと、
暮らしの快適さが考えられた最先端の設備が整っていた。
このような伊作の設計はすべて独学で、
そのほとんどがアメリカの雑誌や本から知識を得ていた。
外国のリビング中心の実用的な暮らし方を、
日本の住まいに取り入れようとしたのだ。
だからと言って、すべてを模倣しているわけではない。
外観には、「ガンギ」と呼ばれる
紀南地方の山間の民家で見られる幕板を下ろすなど、
伊作は、その土地の気候風土に根ざした民家に学ぶことも大切だと考えていた。
さらに、椅子やテーブル、チェストなどの家具もほとんど伊作自らデザイン。
それらに際だった装飾は少なく、
最小限におさえられた控えめな色づかいにまとめられ、
落ち着きのある内装になっている。
生活の実用性を意識しながらも、洗練された伊作のセンスが感じとれる。

2階にある、寝室。コバルトブルーのタイルが張られた化粧台も伊作デザイン。

このような伊作の設計により西村記念館は、
近代の重要な住宅建築として評価され、2010年に重要文化財として認定された。
西村家が大切に住み継いできた家を、1998年に新宮市で寄贈を受けてから、
市や、有志で集う「西村記念館を守り伝える会」などの
地道な保存活動が実を結んだ。
ツタを取り払ったり、床を修復したりと、
少しずつ後世へ語り継ぐための保存活動が行われている。
築100年を迎えようとする、木造2階建ての西村記念館は、老朽化が著しいのが現状だ。

「大正デモクラシー」と言われるように、
政治的にも、文化的にも自由主義的考え方が現われはじめた時代。
伊作は、そのような考えを住まい設計で実践しようとした。
そして、家族と過ごす時間を最も大切に設計された彼の自邸は、
今も変わらない住まいのあり方かもしれない。

玄関から庭へと入る木戸。丁寧につまれた石垣は、どこか南欧をかんじさせる佇まい。

竜宮美術旅館とL PACK

廃墟のような建物を、人が集まる場所へ。

横浜黄金町の外れ、日ノ出町駅のすぐ近くに、
ひっそりと、しかし奇妙な存在感を放ち建っている「竜宮美術旅館」。
2012年3月18日まで開かれていた展覧会を最後に、
この不思議な建物は60年あまりの歴史に幕を下ろす。
戦後数年のうちに建てられ、増改築が繰り返されたと思われるこの建物は、
当初は旅館だったが、その後住宅として使われ、やがて倉庫となり、
いつのまにかほぼ廃墟と化していた。
2010年、黄金町にやってきたアーティストたちが、
気になるその建物で何かやろうと動き出す。
旅館でもギャラリーでも、単なるカフェでもなく、
何だかよくわからないけど、人が集まる場所をつくろうと、
彼らは建物に竜宮美術旅館という名前をつけて再生させた。

その中心にいたのが「L PACK」=小田桐奨さんと中嶋哲矢さんによるユニット。
カフェユニットとも呼ばれる彼らは、“コーヒーのある風景”をつくるというが、
ふたりはもともと大学で建築を学んでいた。
「卒業制作で、みんな架空の建物をつくるんですけど、
ゼロから建物をつくるということにリアリティが感じられなかったし、
興味が沸かなかった。
建築ってもっといきいきしているものなんじゃないかという疑問があったし、
人が集まれば、そこが建築になるんじゃないかと思っていて。
人が集まるための最小単位を考えたときに、
たまたまそのきっかけがコーヒーだったんです」(中嶋)
「建築は人が集まって使われていないと意味がない。
ここは放置されていたけど、面白い建物なので、
黄金町のシンボルにもなるだろうと考えたんです」(小田桐)
以来、彼らは竜宮美術旅館をNPO「黄金町エリアマネジメントセンター」と共同運営し、
さまざまなイベントを開催してきた。
最後の展覧会「RYUGU IS OVER!!」も、
キュレーターの宮津大輔さんとともにアーティスト選出から取り組み、
空間演出も手がけた。

何人もの職人や大工の手が入っている竜宮美術旅館。全14組のアーティストが個性を競う展覧会で、建物の最後を飾った。(photo:Yasuyuki Kasagi)

コタツが置かれた和室には、武田陽介さんの写真作品を展示。コタツの上には、浦島太郎にちなんだ絵本や書籍が。

浴室も展示会場になった。湯舟に映像が投影される志村信裕さんの作品や、壁の鏡には臼井良平さんの作品も。

まちの移り変わりとともに変わる、竜宮美術旅館の役割。

地域とアートの共存を通して、まちが生まれ変わることを目的とした
「黄金町バザール」は2008年に始まり、現在はその名も定着してきた。
L PACKのふたりが黄金町にやってきたのは第1回目のバザールが終わったあと。
竜宮美術旅館を拠点とする前は、かつて鉄板焼き屋だった場所を使い、
アーティストたちが集まる空間をつくった。

それから約3年、ふたりは黄金町の移り変わりを目の当たりにしてきた。
昔は堅気でない人や不法滞在者も多く、ダークなイメージも強い地域だったが、
しだいにその影はなくなり、2010年のAPECで、かなりクリーンになった。
「最初にここに来た頃はまちが面白くて、いつもドキドキしていました。
そういう雑多な部分が残っていたほうが面白いと思いますが、
住民の方でイメージを変えたい人も多かったようです」(中嶋)
実際、かつてはこのあたりの出身というだけで偏見もあったという。
地元住民でも積極的にまちに関わっている人と関わっていない人では、
思いも違うようだ。
「でもカフェのような場所だったら、どんな人でも関係なく入って来られる。
そういう場所をつくりたいと思ったんです」(小田桐)
「この辺でちょっと知られた名物のおばさんがいるんです。
なぜか警察官やこわい人たちとも仲がよくて。
その人、最初は僕らみたいなアーティストたちが
まちに入ってきたのを嫌がっていたんですけど、
僕らのスペースにようすを見に来て、通ってくれるようになったんです。
いろいろ話しているうちにだんだん変わってきて、
アートなんて嫌いだったはずなのに、いまは初めて来た人に
“このアーティストはね……”なんて解説してるんです(笑)」(中嶋)

まちが変わるにつれ、コミュニティも変化してきた。
以前は全部把握できるほどの小さなコミュニティだったが、
いまはお互い知らないアーティストも増えてきた。
竜宮美術旅館の役割も、当初はアーティストやまちの人たちが集まる場だったのが、
外から来る人の玄関口のようになってきたという。
取り壊しは、実はオープンとほぼ同時期に決まっていたが、
この建物は、ちょうどその役割を終えようとしているのかもしれない。
彼らも、黄金町を離れ、一歩引いてみることにした。

「僕らはこの建物自体にはほとんど手を入れてない。図面も引かず、美術施工の人やアーティスト7~8人が出入りしながら、みんなで話し合って改装しました」(中嶋)

「場所をもって活動するということは、まちの中で人とつき合っていくということなので、時間をかけないとできないようなことをやろうと思いました」(小田桐)

もうすぐ取り壊される壁には、最後の展覧会開催までの経緯が、日記のように綴られていた。

いま、この場所でやるべきことは何か。

彼らは黄金町と同時に、東京都豊島区でもプロジェクトを進行していた。
「L AND PARK」というそのプロジェクトは、
公共施設の中に「公園」をつくるというもの。
「としまアートステーション構想」の一環で、
もとは食堂だった場所でカフェをやってほしいという依頼だったが、
人が来るためのきっかけだけをつくろうと、屋内で「公園」を始めた。
コーヒーは淹れておいて、セルフサービスでそれぞれがカップに注ぐ。
あとはキヨスクのような売店があるだけ。
そもそも公園は何をしてもいい場所。
コーヒーを飲みながら本を読んだり、子どもたちが遊んだり。
L PACKは、そこに「wildman」と呼ばれるゲストを招いてワークショップを開いたり、
朝1時間だけ早く起きて公園で朝食を食べようという
「goodmorning」というイベントを開催し、それに合わせて新聞もつくった。
最近は人も増えてきたが、こちらも年度末で一旦プロジェクトを終え、
さらなる発展型のプロジェクトを考えているという。

彼らのユニークな活動は、まだまだ続く。
松本市でクラフトフェアと合わせて開かれるイベント「工芸の五月」に、
これまで3年連続参加。
地元の若手ガラス作家、田中恭子さんとのコラボレーションで、
松本の湧水を使った水出しコーヒーをつくった。
水出しコーヒーの装置をガラスでつくってもらい、
コーヒーが8時間かけて一滴一滴落ちるところを、
古い庄屋の蔵の中で展示するというインスタレーション。
それでできたコーヒーを実際にお客さんに飲んでもらうのだ。
松本は湧水が豊富で水道をひいていない家も多いそうだが、
そこでは7種類の湧水を使い、水の違いをコーヒーで味わってもらった。
地域の恵みをいかし、地域の作家とともに、
コーヒーを媒介にして人が集まる場をつくる。
今年は水出しコーヒーではなく、スツールを使った企画で参加する予定だ。

「その場所によっていろいろなことをやって、
それがつながっていくといいなと思っています。
横浜の人が松本に行ったり。松本にも面白い人がたくさんいますよ」(小田桐)
「いまこの場所でやるなら何か?と、いつも考えます。
その“いま”って5年も6年も続かないと思うんです。
黄金町にはわりと長くいたけれど、
短いスパンで動いていくのかなと思っています」(中嶋)
ふたりはこれからも、まちの中で人が集まる、面白い空間をつくっていくだろう。
建物はなくなっても、彼らがやってきたことは、多くの人の中に刻まれているはずだ。

「L AND PARK」で配る新聞には、イベントのレポートや朝食に関する記事などを掲載。かなり手が込んでいるが「これはほとんど趣味です」(中嶋)「この新聞は続けていきたい」(小田桐)

松本の古い庄屋、池上邸の蔵で行ったインスタレーション「池上喫水社」。細い管もガラスでできている。
(写真提供:L PACK)

アーティストの矢口克信さんがつくった、移動カフェセット。タンクが入っていて、蛇口をひねるとコーヒーが出るようになっている。バックパックのように背負えるが、かなり重そう。

ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー 展覧会レポート 後編

目に見えないものを、意識するということ。

ゲルダとヨルクの作品には、ふだんは目に見えないものを可視化するというものもある。
『Lymphatic System(リンパ系)』という
高さ約10メートルに及ぶインスタレーションは、木の枝の先に
発泡スチロールの塊や、植物、小物などさまざまなものが結びつけられて吊されており、
そのあいだを血管のようにチューブが張り巡らされ、
ポンプによって水が循環している。
ポンプの音はまるで心音のようであり、
全体を包む「スペースブランケット」という薄いフィルムが
空調によってさわさわと揺らぐ音は、
まるで森の中で小川のせせらぎを聞いているかのような感覚を呼び起こす。
リンパはからだの免疫をつかさどる器官であり、外敵からからだを守っている。
つまり過去のウイルスの侵入を憶えており、
それにどう対処したかの記憶も持っている器官なのだ。
またリンパは放射能の影響を受けやすい器官でもある。
目に見えないものでも意識することで、さまざまな現象に注意を促すきっかけとなり、
私たちは自分たちも自然の一部だと感じることができるのかもしれない。

『Microcosm(小宇宙)』という作品は、
目には見えない微生物を映写した映像インスタレーション。
生活から排除されがちな小さな存在は、実は私たち生命の起源でもあったりする。
ミクロの世界に宇宙を見出す想像力を、この作家たちは大切にしているのだ。
またこの『Microcosm』と『Lymphatic System』は
寝そべって鑑賞することもできるようになっていて、
ついつい時間を忘れてしまいそうになる。
『Microcosm』に映し出される微生物は、ドイツのライン川の水中に棲むもの。
これはドイツで発表された作品で、そこは毎年洪水に悩まされている地域なのだという。
そこでもゲルダとヨルクは地元の人たちの話に耳を傾けて作品を制作した。
そして災害に遭っても、まちの人たちは互いに助け合うなど、
しっかりしたコミュニティが築かれていることを感じたのだという。

『Lymphatic System』では、水が循環しているのが見えるようにチューブに空気が入っている。

『Microcosm』は寝転がってみると、まるで水の中にいるかのような錯覚に陥る。

それぞれの土地で、それぞれのストーリーを発見する。

ゲルダは
「私たちが場所に関連した作品をつくるのは、
そこに関係をつくることで、作品と見てくれる人たちがつながりやすくするため。
同じものをまた別の場所での展示で使ったりするけれど、
またそこで新しい材料を手に入れて、
新しいストーリーをそれぞれの文化の中で発見していくの」
と話す。
「その土地の人にとっては見慣れているものでも、
違う土地の人から見たら特別だったり面白かったりする。
それを作品に取り入れることで、
地元の人がいままで気づかなかったことに気づくこともある。
見る人によって、別の価値や物語があるんだ」
とヨルク。

震災後の日本はふたりにどのように映ったのか。
ゲルダとヨルクはそれを声高に表現することはない。
けれどゲルダはこんなことを言ってくれた。
「私たちは震災の瞬間にここにいたわけではないから、想像するしかない。
その後の変化についても、感じることはできてもそれを言葉で説明するのは難しい。
それはみなさんの心の中にあるものだから。
でも私たちは同じ人間同士だから、きっと理解し合えると思ってるわ」
今回の展覧会には、涙を使った『Tear Reader(涙を読む人)』という作品がある。
訪れた人が涙をプレパラートにとり、その結晶が顕微鏡で見られるというもの。
涙の種類も人によって違うが、結晶の模様も人それぞれ。
結晶は1か月ほどで消え始めるが、
そのように悲しみもいつしか消えていくものなのだと、
ふたりに言われているような気がしてならない。

ふたりのスイスでの生活は、とても慎ましいものだそうだ。
庭で野菜をつくり、いろいろなものを再利用して暮らしているという生活スタイルは、
そのまま制作スタイルに結びついている。
そしてふたりの関心事は、生命、身体、精神、宇宙、科学とあらゆるものに及び、
その眼差しが作品の世界観をつくり出している。

展覧会初日には「アーティスト・イン・ギャラリー」と題し、
作家が会場で鑑賞者と交流する時間が設けられた。
フレンドリーなふたりの周囲にはすぐに人の輪ができる。
ファンの若い女性のひとりは、
自分の想いを伝えるうちに感極まってしまったのだろう、
話しているうちに泣き出してしまった。
そんなファンにも温かく接するヨルク。
そんな光景を見て、あらためてすばらしい展覧会だと感じた。
また、作家たちを支えた学芸員の門脇さや子さんの尽力は、
並々ならぬものがあっただろうということが、この充実した内容から想像できた。

最後に、展覧会のタイトルともなった「Power Sources」について、
あなたたちの力の源は何? と聞くと
「たくさんあってひと言じゃ言えないわ。
庭や家や太陽や……あらゆるところにあるの」
とゲルダは答えてくれた。
さまざまなものからパワーを得ているふたりの作品が、
また私たちのパワーともなるはずだ。

『Tear Reader』の涙の結晶も変化していく。家で採取した涙を持ってくることも可能。

悲しみの涙、あくびで出た涙、玉ねぎを切って出た涙……と涙の理由もさまざま。

『Walking Bushes(歩く茂み)』という移動できる作品も館外の広場にある。

ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー 展覧会レポート 前編

震災後の水戸で開催する、過去最大規模の個展。

2月11日から水戸芸術館現代美術ギャラリーで始まった展覧会
「ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー 
Power Sourcesー力が生まれるところ」。
制作中の一日のことは以前掲載したが、
私たちは展覧会のスタートに合わせて、ふたたび水戸を訪れた。
会場に1歩足を踏み入れた途端、思わず「わぁ」と声をあげてしまった。
そしてその高揚感は、いくつもの展示室をめぐるあいだ、ずっと続いた。
ぜひ多くの人に(現代美術に興味のない人にも!)あの作品群を肌で体感してほしい。
そう思うようなすばらしい内容だった。

ゲルダとヨルクは女性と男性のアーティストユニット。
これまで世界中で作品を発表してきており、今回は日本で5年ぶり5回目の展示。
そしてこの水戸での展覧会が、ふたりにとって世界でも過去最大規模の展覧会となる。
準備は2年前から進められていたが、その途中で東日本大震災が日本を襲った。
美術界に限らず、多くの海外からの訪問がキャンセルされ、美術に関しては、
放射能の影響を恐れて作品の貸し出しすら敬遠されたケースもあったと聞く。
そんななか、ふたりは日本での展覧会を実現させるため、コンセプトを練り直し、
約1年間、今回の展示に集中して準備を続けてきた。
いくつかの作品には、日本へのメッセージが込められているものも。
ゲルダとヨルクが来日したのは展覧会が始まる約1か月前。
通常アーティストが滞在するようなレジデンスではなく、
ボランティアスタッフのお宅にホームステイし、
どんど焼きや節分のような日本の伝統文化にも触れながら、制作を進めたそうだ。

机ごとに多様な世界が広がる『Nursery』。植物からごみのようなものまでが素材として使われている。

剥製から小さな置物まで展覧会の随所に現れる鳥は、魂を象徴する重要なモチーフ。

作家が水戸で出合った「いとしいなんでもないもの」。

もともとふたりは、展示する場所に由来する作品を数多く発表している。
たとえばアメリカのサンアントニオでの『The lost and found grotto』という作品は、
誰かが忘れていったたくさんの「忘れ物」を展示し、
それを見て、忘れていた「思い出」を思い出した人が、その思い出を書き記し、
それと引き換えに展示物を持ち帰るというもの。
展示されていた忘れ物たちは、会期終了間際には、
たくさんのストーリーが書かれたボードに変わっていた。
誰かが置き忘れていったものが、
別の誰かにとっては懐かしく、大切なものを思い出すきっかけとなったりする。
それらの背景にはひとつひとつ、記憶やストーリーがあるのだ。
サンアントニオという地名は、聖アントニウスという聖人に由来するが、
いまでも一部のキリスト教徒には、
聖アントニウスは忘れ物を見つけてくれるという伝承があるそうだ。

水戸という地名は、水の戸口と書くだけに、今回は水にまつわる作品が展示されている。
『The 4 Waters(4つの水)』という作品で、
水戸とその周辺の計4か所で採取した水を使ったドロップペインティング。
その水集めに同行させてもらったのは、以前お伝えしたとおり。
4つのキャンバスには、それぞれ異なる不思議な像が浮かび上がっている。

『Sweet Little Nothing(いとしいなんでもないもの)』の展示スタイルは、
日本で見つけたある風景にインスパイアされていて、とてもユニーク。
そこで展示されているのは、作品というにはあまりに何気ない、
でも持ち主の記憶やストーリーが詰まったもの。
その奥の部屋には、ふたりが水戸で見つけた
さまざまな「いとしいなんでもないもの」が、小さなボトルに入って並べられている。
また同じ部屋に、防犯用のペイントボールが並んでいるが、
これもゲルダたちが滞在中に見つけ、日本独特で面白いと感じたもののひとつだという。
ペイントボールはぶつけると割れて中のインクが標的につき、目印になるが、
たしかにカラフルなインクが入ったボールにしか見えないものを防犯に使うなんて、
ほかのどの国にもみられない。
そんな視点は、私たちがあらためて自国に目を向けるきっかけともなる。

ふたりの作品の大きな特徴のひとつに、変容または成長していく作品がある。
『Nursery(苗床)』というインスタレーションでは、
小学校で使う机の上にさまざまなものが並べられ、
その部屋全体で、生物の成長(死を含む)を表現している。
ここにあるクリスタルの作品は会期中に成長を続け、
鑑賞者も溶液をかけることで、クリスタルの成長に関与することができる。
きっと会期終盤には、これらの作品はまったく違う様相を見せるに違いない。
(後編につづく)

水戸で見つけた『Sweet Little Nothing』にはひとつひとつ興味深いタイトルがつけられている。

カラフルな結晶液は以前にも展示で使われたもの。結晶がつららのように伸びていく。

鑑賞者のために結晶液が用意され、これをかけることで作品を成長させていく。

Onomachi α

「呼ばれてくる」場所。

和歌山市の中心部を流れる紀ノ川からほど近いところに、
Onomachi α(おのまち あるふぁ)は構えている。
昭和初期の建築としてはオーソドックスなネオ・ルネサンス様式だが、
他と異なるのは近代的な鉄筋コンクリート造りであるということだ。
外装は、1階が御影石(みかげいし)の化粧張りで、2階から上は茶色いタイル張り。
その切り替えがモダンな印象を与える。
3階建てだが、それぞれのフロアの天井が高い造りになっているため、
外から臨むと実際の階数より高く見える。
少し建物の歴史をひもといていく。
Onomachi αが入っている西本ビルは、1927年(昭和2年)に建てられた。
西本組(現・三井住友建設)という建築会社の本社オフィスとして使用されてきたが、
1945年7月9日の和歌山大空襲によって西本ビルのある小野町周辺はほとんどの建物が焼失。
鉄筋コンクリートづくりの西本ビルだけが残った。
以後、和歌山市の復興と成長を見守ってきた西本ビルは、
1990年代に本社ビルとしての機能を終え、
いくつかの会社の事務所として使用されたのち、
カフェやショップが入った「小野町デパート」という名で再出発。
2000年には、国の登録有形文化財として登録された。

現在のテナントは、1階はショップ&ギャラリー「ka-boku」、
2階はカフェ「茶室ゑびす」、3階はレンタルギャラリー「2410“α”」となっており、
和歌山市内外への文化発信地として注目されている。

Onomachi αのオーナー別所葉子さんはこの建物との出合いを、
「呼ばれてきた」と表現する。
「学生時代に京都で、おてんばKIKI(現・ゴスペル)という
銀閣寺近くにある古い洋館風につくられたアンティークショップとカフェで、
アルバイトをしていました。
数年前にこの建物が載っている新聞記事を読んだときに、
そのおてんばKIKIでのことや、自分がやりたかったことが、
わいてくるように思い出されたのです。
まだ、建物の現物もみていないのに、ここにいなければいけない気がして、
次の日には扉を開けていました。
そのうちに魅了され、ここにお店を持ち、今やこの場所が日常になっています」
だから、強く影響を受けたおてんばKIKIにならって、
ギャラリーとカフェという形態にしたのだと言う。
2011年夏には「小野町デパート」から「Onomachi α」と名を変えたが、
建物の外観と骨格は現代に受け継ぎ、
荘厳な姿はそのままに、静かに住宅街の中に佇んでいる。

登録有形文化財でもある古い建築物の西本ビルを
ギャラリーやカフェとして利用していくことに関して別所さんは、
「不安はあります。
ですが、文化財だからと言って保存するだけでは、どんどん朽ちるしかないのです。
人間が年を重ねていく中で、何か昨日とは違うプラスのことをしなければ、
どんどん老け込んでしまうように、建物にも人間が日々息を吹き込むことが大切なのです」
と語る。
そうした別所さんの想いは、Onomachi αのギャラリーやカフェで知ることができる。
例えば定期的に開催される、本の朗読会や、お菓子教室は、
Onomachi αならではの特別な体験となるだろう。
「昨日とは違うプラスのこと」を求めてここへ立ち寄るのもいいかもしれない。
Onomachi αのαとは、「はじまり」を意味している。
「“こんなの見たことないわ”“やったことないわ”“和歌山にこんなところあったなんて知らへんわ”
という、みんなのはじめての体験をここで実現したいですね」

鉄筋コンクリートづくりの堂々たる玄関。
ペディメントを支える継ぎ目のない一本の石柱は、ギリシャ建築に由来する。

基壇にはごつごつとした割肌の御影石、中層部には目の細かい御影石を用いている。

段差が高いので、一段一段階段を踏みしめるように2階へあがる。
コンクリートの階段はひんやり冷たい。

マリー・ローランサンや草間彌生の絵が見事に調和する空間。(2階「茶室ゑびす」)

高い天井と、木製の上げ下げ窓は時代を感じさせる。

広島市現代美術館友の会 九州ツアー

美術館「友の会」が主催するアート鑑賞ツアー。

現代美術を中心に、いつも注目の企画展を開催している広島市現代美術館。
同美術館には「友の会」があり、会員はさまざまな特典を利用できるほか、
アーティストとの交流会や、おいしいワインやコーヒーを飲む会が開かれるなど、
友の会は会員同士の交流の場としての役割も果たしている。
その最たるものが「友の会」主催の鑑賞旅行。
会員以外も参加できるこのツアーは好評で、これまでも大原美術館への日帰り旅行、
犬島+直島や、金沢21世紀美術館への1泊2日のツアーを敢行してきた。
2011年12月には、熊本と霧島をめぐるツアーが開催され、編集部も同行させてもらった。
今回のツアーは、熊本県が1988年から続けてきた建築プロジェクト
「くまもとアートポリス」の見学と、鹿児島県の霧島アートの森で開催された展覧会
「高嶺格:とおくてよくみえない」の鑑賞が目的。
参加したのは、20代から60代まで、幅広い年齢層の17名。
なんと男性1名以外はすべて女性! 
友人同士で参加する方もいれば、ひとりでの参加者も。
広島市現代美術館の広報スタッフの後藤明子さんが引率してくれた。

広島から博多までは新幹線、そこから九州はすべてバスでの移動となった。
熊本市に着いて、さっそく午後から熊本県土木部建築課の方の案内により、
アートポリスの建築を見学。
くまもとアートポリスは、後世に残る文化資産としての優れた建造物をつくり、
地域の活性化を図ることをめざし、
現在は建築家の伊東豊雄がコミッショナーを務めている。
進行中の建築を含めると87もあるという、県をあげてのプロジェクトだ。
レンゾ・ピアノや安藤忠雄ら有名建築家が手がけたものもあり、
海外からの視察も毎年500人ほど訪れるという。
今回のツアーでは、旧県立図書館をスペインの建築家がリノベーションした
県立美術館分館、また、アートポリスの第1号プロジェクトであり、
奇抜なデザインが目を引く熊本北警察署、
そして山本理顕が手がけた県営保田窪第一団地などを訪れた。
これだけの建物が市内に点在しているだけでも面白く、
参加者たちも興味深そうに見学しながらシャッターを切っていた。

見学後は鹿児島に移動し、市内に宿泊。
ホテルに着いてからはもちろん自由行動だが、
後藤さんも含め10人ほどで夕食をとることに。
毎回、友の会ツアーに参加している常連のメンバーもいれば、初対面の人も。
みなさんアートが好きという共通点と、女性ばかりだったこともあり、
和やかな雰囲気でおしゃべりに花が咲いた。
こういう機会を得られるのも、このツアーの楽しいところだ。

熊本北警察署は篠原一男設計で1990年竣工。ファサードはハーフミラー。

市営託麻団地は坂本一成、長谷川逸子、松永安光の3人の建築家が協同。

関係をつくっていくことが、作品をつくるということ。

翌日は霧島に向かい、まずは焼酎工場の見学。
「明るい農村」などの銘柄で知られ、
2011年に創業100周年を迎えた霧島町蒸留所の工場を訪ねた。
新燃岳を望み、工場の下にはすぐ川が流れるという抜群の環境。
参加者たちは試飲をしたりおみやげを買ったり。
こんな観光スポットがツアーコースに入っているのも楽しい。
昼食をはさんで、いよいよメインの目的地である霧島アートの森へ。
霧島アートの森は、霧島山麓の標高約700メートル、
約13ヘクタールという広大な敷地に広がるアートスポット。
野外に常設されている彫刻作品を散策しながら楽しむことができるほか、
随時、企画展も開催されている。

「高嶺格:とおくてよくみえない」は、現代美術家・高嶺格さんの大規模な個展で、
2011年に横浜美術館で開催されたあと、広島市現代美術館、そして霧島アートの森と、
少しずつかたちを変えて展示が行われてきた。
そしてここ鹿児島は、彼のふるさとでもある。
筆者が高嶺さんを知り、その作品に圧倒されてファンとなったのは、
2005年の横浜トリエンナーレで発表された「鹿児島エスペラント」という作品。
それが今回、霧島でも展示されると聞いて、それは見たい! と思った。
この作品は、世界共通語として人工的につくられた言語「エスペラント語」と、
鹿児島の方言をモチーフにした作品で、
敷き詰められた土の上に廃材などが配置され、暗闇にエスペラント語の歌が流れる中、
さまざまなものが少しずつ浮かび上がってくるような、壮大なインスタレーション。
作品は常に部分しか見えず、その全体像を把握することはほとんどできない。
また、ここで使われている言葉、エスペラント語と鹿児島弁は、
ともに資本主義的グローバリズムによって失われていく文化を象徴しているようで、
どこかもの悲しさを感じさせる。

この日はアーティストトークが行われる日で、
展覧会最終日ということもあり、会場には多くの来場者がつめかけた。
シャイなのか高嶺さんは観客の前に姿を見せず、
「鹿児島エスペラント」の展示室の暗がりの中、鹿児島弁まじりで話し始めた。
「芸術作品というと、完璧だったり完成されたものだと思われるかもしれませんが、
僕の作品はとても不完全な部分を含んでいます。
僕の場合、いつも自分が関係がなかったものと、どう関係を結んでいくか
という作業の積み重ねが、作品になっているような気がします。
その場で出会ったり時間を共にしたりするものがあって、
それらとより面白い、発展的な関係をつくっていくことが
作品をつくることだと思っています」
長期滞在しながら京都の洞窟で制作した「在日の恋人」や、
解体される家の廃材を使った巨大な展示「大きな停止」など、
その“場”が作品に大きく影響する、高嶺さんらしい発言だ。

トーク後に、地域で作品をつくることについて、
少しだけ高嶺さんに話を聞くことができた。
「僕はその場所で機能するということを考えて作品をつくっています。
たとえば、相変わらず巨大ショッピングモールがどーんと建って、
地域社会が壊れていくようなことは起こっていますが、
文化は同じ道をたどるべきではないし、
文化をローカルに結びつけてうまく運営していこうという意識のある人たちの活動は
いろいろなところで生まれていると思います。
僕はそういう活動をサポートしたいし、
いろいろな地域でそういうことが成立することのほうが、
海外のブランド力のある国際展よりも大事だと思っています」

展示室が壮大な箱庭のような空間になった「鹿児島エスペラント」制作風景。

エスペラント語と鹿児島弁の文字が映し出されるが、意味はほぼ読み取れない。

その場所の力が異なる展覧会の魅力を引き出す。

最後に、友の会ツアーについて後藤さんに話を聞いた。
「もともと友の会ツアーは、会員数の伸び悩みの解決策として始めました。
目的地で、学芸員や担当者の解説を聞けたり、
立地的になかなか自力では行きにくいアートスポットに行くなど、
個人旅行にはない友の会ツアーならではの要素を入れるように心がけています。
会員が急激に増えるということはありませんが、毎回ご参加くださったり、
『今年は旅行やらないの?』なんてお問い合わせをくださる方々もいて、
少しずつ手応えも感じています」
今回は、広島で開催した展覧会を霧島に追いかけていくというユニークな企画。
霧島での展示を見た後藤さんは
「巡回展であっても、異なる空間の個性や、その場所の“力”のようなもの、つまり
広島という場、霧島という場、それぞれの立地や環境、歴史などがうまく引き出され、
異なる雰囲気や魅力を持った展覧会になっていることに感動しました」
たしかに、霧島の「鹿児島エスペラント」の展示室は、歩道橋のような通路があり、
そこから作品を見下ろすことができるなど建物の構造をいかした展示で、
全体の印象も横浜とは異なる感触を味わうことができた。

またこの鑑賞旅行は、美術館スタッフがすべてを決定しているのではなく、
友の会の中でもコアな10人ほどのメンバーが企画スタッフとなって、
ツアーの内容を提案しているのだそう。
その中のひとりで、ツアーの常連の女性は
「霧島アートの森は前から行きたかったのですが、
個人ではなかなか行きにくいので、今回のようなツアーで行けたらと。
個人だと作品について聞くのもちょっと気が引けてしまいますが、
解説や作家の声も聞けるのがいいですね。夜は宴会も楽しいです(笑)」
今回初めて旅行に参加したという女性は、友の会には入っていないが、
最近、同美術館に行くようになったのだという。
「現代美術ってとっつきにくいという先入観があったのですが、
知識がなくても楽しめるんだなと思って。
ひとりだと自分の知識を超えることはないけれど、こういうツアーに参加すると、
自分の知らないことに出会えたり思いもよらない発見があったりするので、
とても面白かったです。また参加したいです」

地域と地域をアートが結ぶツアー。参加者はみんな充実した笑顔で帰って行った。

ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー 制作編

スイスのアーティストが水戸で感じたことを表現する。

水戸芸術館現代美術ギャラリーでは、2月11日から
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーの過去最大規模の展覧会が開催される。
ゲルダとヨルクはスイスの男女二人組アーティストで、
制作した地にまつわる伝承や風俗をとり入れた壮大なインスタレーションは、
観る者を圧倒し、国際的にも高い評価を得ている。
日本でも、2005年に開催された金沢21世紀美術館の開館記念展で
『ブレイン・フォレスト』というインスタレーションを発表して話題を呼んだ。
今回、彼らは水戸に1か月以上滞在して、水戸の地を探索し地域の人たちと交流しながら、
それらを作品に反映させるという。
彼らのフィールドワークと制作現場を取材すべく、水戸へ向かった。
取材することができたのは、来日して3日目だったが、
時差ボケも感じさせず、バイタリティあふれるふたり。
この日は、茨城県内のいくつかの水源から、
作品に使用する水を採取するために出かけるということだった。
水を使用するのは『Drop Painting』という作品で、
特殊加工されたキャンバスの上に水を滴らせ、
化学反応によって、幽霊のような不思議な絵が描かれるというもの。
当然、水の成分が異なれば異なる化学反応を起こすので、1点1点が違うものになるのだ。
さっそく担当学芸員の門脇さや子さんたちと一緒に出発。
まずは、茨城県の名所であり、日本三名瀑のひとつに数えられる「袋田の滝」へ。
駐車場から滝が一望できる展望所までの道には、土産店や飲食店などが並ぶが、
そこで気になったものがあると指さし「これは何?」と、門脇さんに聞くゲルダ。
彼女はとても好奇心旺盛のようだ。
展望所に着いた私たちは、思わず声をあげてしまった。
高さ120メートルほどもある滝が半分以上凍っている光景は、まさに絶景。
この神秘的な美しさも、彼らにインスピレーションを与えるのかもしれない。
滝には近づけないので、下流のほうでなんとか水を採取。
澄みきった、しかし手を入れると刺すように冷たい水だった。

袋田の滝の下流で澄んだ水を採取。このほか涸沼の汽水などの水を使う予定。

ふたりは土産店でひょうたんを購入。どんなかたちで展示されるか楽しみ。

そして水戸での制作と生活はつづく。

次なる目的地は、その近くの温泉。
温泉は好き? とヨルクに聞くと、笑顔で「I love it!」。
温泉水を採取するだけでなく、しばし温泉に浸かることに。
彼らのフレンドリーな人柄のせいもあり、
思わず取材であることを忘れてしまうかのような楽しいひとときだった。
結局、風景を眺め、出会った人々と話をしたりして、この日のフィールドワークは終了。
次の機会にもう2か所から水を採取することになり、
あとは水戸に戻って作業をすることに。
水戸芸術館の一室では、少しずつ制作の準備が始まっていた。
この前日には、ホームセンターで作品制作に必要なさまざまなものを購入していて、
作業台を見ると、神棚に供えるような神器、ゴム風船、虫眼鏡などが置かれている。
これらがどのように展示に使われるのか、興味津々。
彼らは、大きなポリバケツのような容器に水を入れ、
肥料用として売られている大量の尿素を溶かし始めた。
これでクリスタルを作るという。
このクリスタルの作品は、鑑賞者が溶液をかけることで、
展覧会の会期中に成長を続けるというもの。
見るたびに、かたちが変わっていく作品なのだ。
ほかにも、2週間ほどで消えてしまう涙の結晶の作品を試作していた。
彼らのユニークなアイデアが、ここで作品となって生まれてくることを考えると、
わくわくしてしまう。
最後に、彼らが滞在している家まで案内してもらった。
通常は、アーティストが滞在するためのレジデンスが用意されるのだが、
今回ゲルダとヨルクは、水戸芸術館現代美術センターのボランティアである
石崎敏子さんの家に滞在している。
現代美術センターのボランティアは
展覧会のウィークエンド・ギャラリートークでトークを担当するが、
彼女のトークを楽しみにしているファンが県外にもいるというほど、石崎さんは人気者。
彼女はほとんど英語を話さないものの、持ち前の明るさと温かい人柄で、
ゲルダとヨルクとのコミュニケーションは問題なし。
日本食が大好きだというふたりのために、ときおり手料理をつくり、
この日も、ご挨拶に寄ったつもりの門脇さんや私たち取材陣にも、
茨城名物の「けんちん」を振る舞ってくれた。
「滞在中に太りそうだわ」と笑うゲルダ。
「すぐにゲルダさんとヨルクさんの大ファンになってしまったの」
とうれしそうに話す石崎さんは、まるで彼らの日本でのお母さんのよう。
笑顔の絶えないホームステイになりそうだ。
みなさんと展覧会オープニングでの再会を約束し、水戸をあとにした私は、
展覧会が面白いものになることを確信した。
このあとも続く水戸での日々が、作家たちにとって忘れがたい体験となり、
作品に影響を与えるに違いない。
すばらしい1日を振り返りながら、
温泉の露天風呂でゲルダが発していたひとことを思い出した。
「What a beautiful day!」
(オープニング編につづく)

作業台には鳥の模型や正月のお飾りなど、さまざまな物が並ぶ。

インスタレーションのために小さな鉢や苔など、植物も準備されていた。

尿素を溶かしてクリスタルを生成。塩のクリスタルの作品も展示される予定。

会津・漆の芸術祭(後編)

作品にこめられた会津から東北へのエール

会津若松でメインの会場となったのは、嘉永三(1850)年創業の末廣酒造嘉永蔵。
歴史を感じさせる建物には、ふだんから酒造見学のお客さんも多く訪れる。
建物の中には大広間やコンサートホールまであり、
それぞれ空間をうまく使った、個性ある展示となった。
この会場に展示された三瀬夏之介さんや石川美奈子さんの作品も、
会津の伝統工芸士とのコラボレーション。
ここでも現代美術と伝統工芸の幸せな出会いを見ることができた。

また、b Preseというショップに隣接するギャラリー蔵舗に展示された、
はとさんの作品「起き上がる!東北こぼしさん」が、
今回の芸術祭を象徴しているようでとても印象深かった。
会津の伝統玩具、起き上がり小法師を使った展示で、並べられているのは、
全国各地で開催されたワークショップで参加者が漆を塗って作ったもの。
この起き上がり小法師ひとつひとつには“住民台帳”があり、
作った人それぞれが記入した起き上がり小法師の“職業”などに基づいて、
はとさんが村を作り上げたのだ。
会期中も各地でのワークショップは続き、そのたびにはとさんは
村民を少しずつ足していって村を広げ、壮大な桃源郷を作り出した。
起き上がり小法師は、倒れても倒れても起き上がる、
会津の人たちのたくましさが表れた民芸品でもある。
これらひとつひとつには、作った人たちの夢と、東北への想いがこめられているのだ。

漆の芸術祭の企画運営を手がけた福島県立博物館の小林めぐみさんは、こう話す。
「漆には長い歴史がありますが、過去のものではなくて、
いまも生きているものと考えたときに、私たち博物館の学芸員がやってきた
研究などの蓄積が、いまのアーティストや漆に携わる人たちの
バックボーンになりうるのではないかと思いました。
それを踏まえて表現の中に漆を取り入れてもらえたら
もっと会津のことや漆のことを知ってもらえるでしょう。
それが、博物館が主催する芸術祭のスタートです。
また、その場に行かないとわからないことを体感してもらえるだろうと選んだ答えが、
展示室ではなく歴史ある建造物などを展示会場とする芸術祭のスタイルです。
震災直後は、文化事業をやること自体に葛藤はありましたが、
会津は福島県のほかの地域に比べるとまだ被害が少ないですから、
だったら少しでも力のあるところが
福島を支えるために何かするべきだろうと思ったのです。
そして、いろいろな方からいただいた
“福島のために何かできないだろうか”というお話の受け皿となることが、
会津・漆の芸術祭にできることではないだろうかと」

主催者側からの一方的なアプローチでは成立しない、
まちの人たちと両思いの関係ができてこそ成立する芸術祭。
会津若松も喜多方も、みなさんが力を貸してくれたのは、
本当に幸せなことだと小林さんは言う。
古来から接着剤として重宝されてきた漆が、
いまも人と人とをつなげる役割を果たしているのかもしれない。
今年もまた、漆の芸術祭は開催される予定だ。

三瀬夏之介さんの「島台月見桃源郷」は蓬萊山と漆で祝祭的空間を生み出す。

石川美奈子さんは大広間に枯山水のような繊細な「漆庭」を作り上げた。

漆職人の村上修一さんは「わつなぎうつわ」と題し初インスタレーション。

MOËT No.4

福岡県福岡市『MOËT』
発行/STRINGS、森 直樹

デザイン事務所STRINGSと、編集長の森 直樹さんが発行する、あらゆる「萌え」をテーマにした、
自費出版フリーペーパー『MOËT』(モエ)。
東京・渋谷のフリーペーパー専門店、
「ONLY FREE PAPER」でも大人気です。

MOËT
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発行日/2011.9

Gallery ef

コミュニケーションの場となる貴重な建築

東京は浅草にあるGallery ef。
正面から一見するとふつうのカフェなのだが、その奥に併設されているギャラリーは、
江戸末期に建てられた土蔵を再生させた建物。
かつては特殊金属を扱う会社の倉庫だったが、
現在のオーナーのIzumiさんの祖父が亡くなるまで、
数十年間、人が入ることもなく、ひっそりと佇んでいたそうだ。
調べてみると、梁の墨書きから、慶応4(1868)年に建てられたことがわかった。
相続税や会社の整理のため、蔵は壊して土地を売るしかないと考えていたところ、
たまたま出会った漆造形作家の鍋島次雄さんの呼びかけで多くの人たちが集まり、
蔵を再生させることになった。
それが1996年のこと。
それから約1年がかりで現在の姿に生まれ変わった。

「どうにも手が付けられないようなボロボロの状態から、
鍋島さんはこの完成の状態を思い描けていて、
仲間たちを呼んで作業するからぜひやらせてほしいと言われたんです。
そこからはいろいろなアーティストや職人たちが集まってきて。
漆の作家たちは左官屋さんの技を目の前で見られる機会を喜んだし、
左官屋さんは作家たちが漆を塗る作業に興味津々でした」

関東大震災と東京大空襲に耐えて残っている建物は、東京ではとても貴重。
空襲のあとも、もしすぐに蔵の扉を開けてしまっていたら、
バックドラフト現象を起こして爆発していたはずだが、
当時それを知っていたIzumiさんの曾祖母は2ヶ月ほど待ってから開けたそうだ。

「空襲だけじゃなく、戦後の再開発でなくなってしまった建物も多いけど、
それも生き延びた。建物自体に生きる意志があって、
所有者とは名ばかりでこちらが所有されている感じがします」

この建物は登録有形文化財にはなっているが、
重要文化財と比べると国や自治体の援助はないに等しく、
修復にかかる費用も自己負担になってしまう。
古い建物を残していく大変さを痛感しているが、ギャラリーでイベントを開催したり、
震災直後には近所の人が話をするためにカフェに集まってくるなど、
Izumiさんはこの建物が「場」として育ってきたことも実感している。

「屋久島で生まれ育った、木と話ができるという人がここに来たときに、
ここの木はすごく喜んでるよ、と言ってくれたんです。
まるで建物に人格があるみたい。
古くて歴史的に重要な建物はたくさんあるけど、
人とコミュニケーションできる建物ってなかなかないですよね。
だから自分たちだけのものとは思っていなくて、
いかにみんなと使っていくかを考えています。
ただ使うだけだと使い捨てになってしまうし、
建物を残すだけじゃなくて、どういう“場”ができていくかが重要。
ここでそんな“場”が育ってきたのは、建物の魅力が大きいと思います」

毎年12月は音楽会月間として「月夜の森」と題し、
さまざまなアーティストによる生演奏ライブを開催する。
タイトルは、静かな森の湖に月が映っているというイメージで
床を美しい漆黒に仕上げた、鍋島さんの最初のデザインコンセプトからとった。
この冬も「月夜の森」にはたくさんの人が集ったようだ。

梁に「慶應四戊辰年」の墨書きの文字が見える。看板猫の銀次親分は人気者。

床の下は能舞台のように空洞になっているので、音の響きは格別なものがある。

Information


map

Gallery ef ギャラリー・エフ

住所:東京都台東区雷門2-19-18

TEL:03-3841-0442

営業時間:
ギャラリー 12:00 ~ 19:00(展覧会開催中は ~20:00)
カフェ 11:00 ~ 19:00
バー 18:00 ~ 24:00(祝祭日は ~22:00、金曜・祝前日は ~26:00)

定休日:火曜休

会津・漆の芸術祭(前編)

伝統の素材をいかした会津ならではの芸術祭

2011年10月1日から11月23日まで、
会津若松市と喜多方市で開催された「会津・漆の芸術祭」。
前年に引き続き2度目の開催となったが、準備の段階で震災が起こり、
一時は開催が危ぶまれた。
しかし、こんなときだからこそアートの力による再生を信じ、
「東北へのエール」というサブタイトルを掲げての開催となった。
編集部は、会期終了間際の会津若松を訪ねた。

参加アーティストは、地元の工芸作家から、
通常は漆を使うことのないアーティストまで実に多彩。
また、会津短期大学や東北芸術工科大学、東京藝術大学など
大学の研究室やワークショップなど、プロジェクトとしての参加作品も多い。
漆を扱うプロから、漆になじみのない人まで、
漆という会津に古くから根づく素材を使って作品を制作しているのが、この芸術祭の特徴だ。
会場は、会津若松と喜多方合わせて全38カ所。
回るのも大変だが、歴史ある酒造や、
古い建物をリノベーションした店舗などが会場になっており、
まち並みを散策する気分で作品を鑑賞できるようになっている。
そして、これだけの会場があるということは、
地元住民の方々の理解と協力なしには成り立たないということだ。
美術家、小沢剛さんの作品の展示会場となった井上一夫商店も、
古美術を扱う小さな商店で、1階は通常通りの営業、2階が展示会場になった。
店主の井上さんも鑑賞者を温かく迎え入れ、
小沢さんの作品のすばらしさを多くの人に知ってほしいという想いが伝わってきた。

小沢さんの作品「できるかな2010」(2010-2011)は、
2010年に東京の府中市美術館で発表された作品の会津バージョンで、
亡くなった義母の箪笥や、紙袋や端布などの日用品を使ったインスタレーション。
一見、布の柄のように見える模様は、
布の上からまったく同じ模様が油絵の具で描かれており、
記憶をたどるように丁寧に模様をなぞり、故人と向き合うような作品だ。
今回は、会津の蒔絵師、本田充さんの手を借りて、漆の技法を用い、
箪笥の引き出しの前面に木目の模様を施した。
これも一見わかりにくいが、木の模様に見えるのは漆で描かれたもの。
このように、現地の職人とアーティストのコラボレーションで作品が生まれるのも、
この芸術祭の面白さ。
本田さんは「なかなかできない経験なので、面白かったです。
漆は難しいという先入観があるかもしれませんが、
漆を使ったことのない人に使ってもらって、素材の面白さを知ってもらえれば」と話す。
小沢さんは前回の漆の芸術祭にも参加しているが、ふだんは作品に漆を使うことはない。
「職人さんと接することもあまりないですが、
塗料を筆先につけて滑らせる快感は、分かち合える気がしました。
この芸術祭は、漆という伝統の素材をテーマにしているよさがあると思います」と小沢さん。

小沢さんは、越後妻有「大地の芸術祭」などにも参加し、地域で滞在制作することも多い。
「いままで僕は現代美術って都市で発生するものだと信じていました。
ある程度、知識や前提がないと理解しにくいですから。
僕なんて制作中、ただの作業員だと思われて、
ストレートでシビアな感想を言われたりしますけど(笑)。
でもそれだけ、美術館やギャラリーに守られていない、
アートにとって無防備な場所で勝負する面白さがあります。
この十数年で、地域の芸術祭などが増えてきていますが、
それが可能になってきたのは美術界も変わってきているから。
上から目線ではなくて、作品のほうから見る人に
関係性をつなげていきやすい仕掛けを作ったり、
参加しやすい作品が増えているという傾向が、世界的な潮流としてもあると思います」
まちの小さな展示会場は、ホワイトキューブを飛び出した美術作家の挑戦の場でもあるのだ。

小沢さんの原画をもとにシルクスクリーンで漆を施し細部は手描きで仕上げた。

使うともなくとってあった紙袋はミキサーで細かくして小さな紙袋のかたちに。

本田さんの工房で作業する小沢さん。細かい木目の模様をトレースしていく。