みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村浩です。
vol.1、vol.2に続けて、
今回からは、ひとりの佐賀市民の方からの一本の電話から始まった、
僕の故郷佐賀のまちづくりに話を進めていきたいと思います。
その始まりは、地方都市の行く末を大きく変える
「空き地のリノベーション」という発想でした。
ひとりの佐賀市民の方からの電話から、故郷佐賀に足を運んで、
たくさんの市民の方々にお話を聞く機会が増えました。
一般市民の方々に加えて、
佐賀県や佐賀市の行政職員の方々も加わるようになり、
佐賀のまちなかの状況について、
さまざまな視点からお話を聞く事ができました。
僕の両親は、今でも佐賀に住んでいて実家もありますが、
僕自身は、小学校卒業と同時に佐賀を離れてしまったので、
30年ぐらいの時の経過とともに
佐賀がどう変わってきたのかを知るのにとても助かりました。
実は、お電話をいただいた後に、
久しぶりに佐賀のまちなかの商店街に足を運び、その現実に驚いていました。
子どものころの記憶では、
アーケードの中にたくさんのお店がぎゅうぎゅうに軒を連ね、
人で溢れかえる、活気のある商店街です。
昔は、買物と言えば、この商店街に家族と一緒に足を運んだものでした。


昭和30年代の活気あふれる佐賀のまちなか商店街。(上下写真ともに松本功さん所蔵)
ところが、久しぶりに訪れた商店街は、
僕の記憶にあるものとは全く違ったものでした。
アーケードの入口から覗いた商店街は、薄暗く、
ほとんどのお店がシャッターを閉めていて、
商店街の象徴だったアーケードそのものもぼろぼろに塗装が剝がれて、
いまにも朽ち果てそうな状態でした。
いわゆるシャッター通り化しているわけですから、
当然のことながら、人通りもまばら。
僕の記憶にある商店街そのものが消え失せたといってもいい状況で、
とても悲しい気持ちになりました。

2008年ごろの佐賀のまちなかの商店街の様子。
そんな時に、佐賀市から僕のところに
「まちをなんとかしたい」との依頼をいただいたのです。
子どものころ、僕が迷子になった記憶もあるほど活気に溢れていた商店街、
自慢の商店街でしたから、僕も全くの同感。
この時、まちをなんとかしようと強く心に思いました。
この商店街の状況を見て、とても心配なことがあります。
僕自身は、子供のころ、この商店街で両親や兄弟と楽しい時間を過ごし、
たくさんの思い出があります。
ところが今、随分と寂れてしまった商店街には、人々があまり訪れていません。
大人がいないわけですから、
当然、子どもたちもこの商店街にはあまり足を運んでいないわけです。
まちづくりとは、とても時間がかかるものです。
ですから、僕たち大人だけでできることは限られていて、
子どもたちの世代にバトンを渡し続けることが、
まちづくりそのものではないかと思うのです。
ところが、今、まちなかに子どもたちの姿はほとんどありません。
まちの楽しさを経験していない子どもたちが、
将来、僕たちの世代のように「まちをなんとかしたい」と、
果たして思うでしょうか? そうなんです。
今、地方都市のまちなかは、
将来、まちの担い手がいなくなってしまう危機にあるのです。
だから、僕は今、まちなかに子どもたちが
当たり前のように遊びにくる日常を取り戻すには、
どうしたらいいんだろうと、日々考えています。
50年後、100年後も、
「まちをなんとかしたい」と思う仲間がいてくれるように……。

こちらも、2008年ごろの佐賀のまちなかの商店街の様子。
佐賀のまちなかを歩いていて気づいたことがありました。
ひとつは、先ほどふれたように、
子どものころは、軒を連ねていた商店が軒並みシャッターを下ろしていること。
もうひとつは、空き店舗となった建物が次々と解体され、ついには更地となり、
駐車場として使われていることです。これは、佐賀だけの話ではありません。
車社会の地方都市のほとんどが、今、駐車場だらけ、
スカスカの虫食い状態のまちになってしまっているんです。