その名も〈ベリーマッチとちぎ〉 栃木県が発信する 移住・定住支援サイトがオープン!

定住先としてだけでなく、
「週末だけいなか暮らしで栃木へ」「広い庭つき一軒家を栃木に持ち、都内へ通勤」
というような、二拠点居住先としても人気の高い栃木県。
そんな栃木での多様な暮らし方を知ることができる、
移住・定住支援サイト〈ベリーマッチとちぎ〉がこのたびオープンしました。

東京から近く自然も豊かな栃木では、
いなか暮らし、二拠点居住、新幹線通勤など、
さまざまなライフスタイルが選べます。
ひとりひとりにぴったり(=ベリーマッチ)な
地域で、暮らし方で、関わり方で、自分らしい暮らしを実現している先輩移住者たち。
そんな先輩移住者の言葉から見えてくる、
栃木ならではのさまざまな魅力を紹介していきます。

〈ベリーマッチとちぎ〉では、
すでに、栃木県のU・Iターン先としての魅力を紹介するコンテンツや、
移り住み暮らす人々や、移住相談員のインタビュー記事などがぞくぞくアップ中。
今後は、栃木県内の空き家情報や、就職情報なども更新されるそうなので、
栃木暮らしを考える人は、ぜひこまめにチェックしてみてください。

下野市でいちご園を営む伊澤敦彦さんは、イタリアンカフェをオープンし、マルシェも成功。その体験談を3月24日(木)のオープニングイベントでうかがえます。伊澤さんの〈ベリーマッチとちぎ〉でのインタビューはこちら

また、この〈ベリーマッチとちぎ〉のオープニングイベント
3月24日(木)に東京・神田の〈theC〉で開催されます。
栃木にU・Iターンした3名によるトークセッションでは、
多様な選択肢と可能性にあふれた栃木の魅力と、
地域に根ざしたその暮らし方や働き方を存分に語ります。
さらに、栃木県の食材を使ったご飯と県内のお酒を味わえるということで、
まさに栃木づくしの夜になりそう。
栃木県出身の方やゆかりのある方はもちろん、
ローカルへの関わり方を模索している方や、
将来的な移住を検討している方は参加してみてはいかがでしょうか。

イベントにも参加される、ゲストハウス〈CICACU〉の辻井まゆ子さんはIターン移住者。辻井さんのインタビューはこちら

information

map

ベリーマッチとちぎオープニングイベント!
ローカルにある、これからの暮らし-ニア東京・とちぎの可能性-

日時:2016年3月24日(木)19:00~22:00

場所:theC C lounge

住所:東京都千代田区内神田1-15-10 theC B1F
http://www.the-c.tokyo/space/clounge.html

最寄駅:JR各線「神田」駅西口から徒歩7分、都営新宿線「小川町」駅B6出口から徒歩4分

定員:40名

参加費:2,000円(栃木県の食材を使った食事とドリンク付)

ゲスト:風間教司さん(日光珈琲・(有)風間総合サービス 代表取締役/鹿沼市)
辻井まゆ子さん(鹿沼宿旅館再生プロジェクト CICACU 女将/鹿沼市)
伊澤敦彦さん(伊澤いちご園 代表/下野市

主催:栃木県

応募方法:こちらの事前登録方法をご参照ください

http://www.tochigi-iju.jp/

supported by 栃木県

TOYOOCOME! 豊岡に来て、暮らして。 その2:豊岡移住のリアル 鞄職人・中野ヨシタカさんの場合

【その1:豊岡市ってどんなまち? はこちら】

いなか暮らしをしながら、手に職をつけたい

鞄職人の中野ヨシタカさんが、神戸市から豊岡市へ移住したのは、1996年のこと。
神戸で、奥様とのふたり暮らしでサラリーマンとして働いていた中野さんは、
「いなかでものづくりをしながら暮らし、自然が豊かな環境で子育てをしたい」
という漠然とした思いを持つようになっていったという。
「どうしようかと考えていた時期に、阪神・淡路大震災(1995年)が起きました。
震災が、移住しようという気持ちにスイッチを入れたんです」

では、なぜ豊岡だったのか?

「見知った土地であったことがまず大きかったですね。
学生時代、竹野海岸に海水浴に来たり、神鍋高原でスキーをしたり、
城崎温泉にも友だちと遊びに来ていました。
それと、実家のある神戸からの距離感。
ほどよく近くて、ほどよく遠い。
豊岡が持つ、まちとしてのイメージも、ちょうどいい“いなか感”でした」

中野さんが最初にしたことは、当然、仕事探し。
いずれ“職人”として生計を立てていきたいと思っていた中野さんが選んだ仕事は、
豊岡のとなり町、養父市八鹿町にある和菓子屋さんだった。
奥様とアパートに暮らし、見習いとして働き始めた。

和菓子職人の仕事は、充実はしていたが、
行事・祭事に繁忙期を迎える職業ゆえ、
世間が休みの時に忙しく、祝日・お盆・正月休みなどはもちろんない。

「子どもが生まれ、家族が増えていくなかで、
豊岡の豊かな自然の中で家族と暮らしを楽しみたいとか、
当然、休日の子どもの行事にも参加したいと思う。
でも、いまの仕事ではそれが難しいかもしれない。
家族のかたちに訪れた変化によって、
仕事、暮らし、子育てという、
移住を選んだ原点にもう一度立ち返るときが来たんです」

一念発起して飛び込んだ、鞄職人の世界

移住から5年が経った31歳、中野さんは転職を決意。
神戸に戻ることも一瞬頭をよぎったが、
豊岡での暮らしは捨てがたくなっていた。
次の仕事を選ぶ条件は、子育てのためにも休日がとれて、
そして、ものづくりができること。
家族を養うためには、事業の安定性や福利厚生も確かなところにしたかった。

仕事を探すなか、中野さんは
豊岡の地場産業である、鞄メーカーで働くことも選択肢のひとつと考えるようになる。
しかし、今から15年ほど前は、豊岡は鞄の産地であるものの、
ほとんどがOEM生産。いわば“黒子”として、鞄をつくるのが主流で、
〈豊岡鞄〉というブランドはまだない時代だった。

「あまり豊岡と鞄が結びついていなかったんです。
ところが、当時爆発的な人気ブランドの鞄が豊岡でつくられていた!
誰もが知っているブランドのものをつくれるのは、おもしろそうだなぁと」

そうして中野さんが門を叩いたのは、
1971年に創業し、業界では名の知れた〈株式会社 由利〉。
「当時社長だった由利総太郎さん(現会長)と由利昇三郎さん(現社長)にお会いしたら、
“君、おもしろいからおいで”と誘っていただいたんです」

鞄のエキスパートを養成する専門校〈Toyooka KABAN Artisan School〉。

こうして、中野さんの鞄職人としての歴史がスタート。
現在では〈豊岡鞄〉として全国区になり、
日本各地から職人を目指して豊岡へ移住してくることも少なくないが、
2000年当時は、移住して鞄の仕事につくという
中野さんのような存在は珍しかった。

妹島和世設計の西武鉄道、 新観光電車がすごい!

埼玉県所沢市に本社を置く、西武鉄道株式会社。
このたび、2018~2019年度に導入する新型特急車両の
デザインが公開され、話題になっています。
こちらがその、既存のイメージを覆す、大胆なデザインです!

車両のデザインを担当したのは、
世界で活躍する建築家・妹島和世さん。

金沢21世紀美術館などで知られる妹島さんにとって、
鉄道車両をデザインするのは初めてのこと。
今回はデザインコンセプトの策定、外観・内観のデザインを
手がけており、“風景に溶け込むようなやわらかいデザイン” を目指しているのだそう。
車両の姿を見るだけでも楽しくなるような特急ですね。

本プロジェクトにあたっては、
妹島さんがデザインイメージを具現化するためのサポートや、
ユーザー目線での情報提供などのために、西武鉄道やグループ会社から、
若手社員を中心にしたプロジェクトチームが構成されました。
そのチームから生まれた“いままでに見たことのない新しい特急車両”という想いが
この斬新なデザインとして生まれたのだそう。

いったいどんな発想から、この特急が生まれたのでしょうか。
妹島さんらのプロジェクトチームによって決められた
デザインコンセプトは、下記の3つ。

その1. 都市や自然の中でやわらかく風景に溶け込む特急
これまでの特急デザインのように、シャープさや格好良さより、
やさしさややわらかさを表現します。特急だけが風景の中で
目立つのではなく、風景と共にあるような特急を目指します。

その2. みんながくつろげるリビングのような特急
いろいろな人が一緒にいながら思い思いに自由な時間を
過ごせる空間を表現します。ゆったりくつろげるリビングのようでもあり、
みんなが集まる公園のようでもある、それぞれが自分の時間を持てる
新しいパブリックスペースの提供を目指します。

その3. 新しい価値を創造し、ただの移動手段ではなく、
目的地となる特急乗り物の姿・形をデザインするだけではなく、
みんなが参加することによって作り出されるような特急の新しい価値を表現します。
特急で過ごすことが目的となるような空間・雰囲気・たたずまいの
デザインを目指します。

ちちぶメープルプロジェクト vol.5 採れたての樹液を味わう 和メープルエコツアーレポート

秩父の森に触れてもらうエコツアー

樹液シーズン真っただ中の1か月間に、NPOや秩父樹液生産協同組合の協力を得て、
樹液採取の現場を訪れるエコツアーを企画しました。
コロカルニュースでも取り上げていただき、
平日2日間を含む全6日間の日程はほぼ定員が埋まり、
延べ120名以上の方に参加していただきました。

今年もたくさんの方がエコツアーに参加してくれました。

私が、このエコツアーの企画に力を入れているのには大きな理由があります。
もともと、自然や森に縁のない生活を送っていた私が、
一大決心をして秩父にUターンすることを決めた最初のきっかけが、
NPOが企画した森林観察会に参加したことだったからです。

このときの私は、秩父にUターンするなんて微塵にも考えていませんでした……。

木や山に関してまったく知識がない私に、
NPOのメンバーたちは丁寧に教えてくれました。
秩父の豊かな自然だけではなく、そこに関わる人たちにも感動したのでした。
だからこそ、知識のない人にも、NPOの活動や秩父の森に興味を持ってもらいたい、
私があのとき感じた感動をほかの人も感じてくれるのでは? と思ったのです。

カエデの森を散策する

和メープルエコツアーでガイドを務めるのが、以前のコラムにも登場した
秩父のカエデの仕掛け人、島崎武重郎さんです。
島崎さんの幅広く深い知識と、経験から語られる内容、
そして巧みな話術に、参加者たちは大変興味深そうに聞き入っていました。
何を隠そう、私自身が島崎さんのトークで
すっかりこの活動にのめりこんでしまったのです(笑)。

「このツアーで“春”を感じてほしい」と島崎さん。カエデの木は、いち早く春を感じて樹液を出すのです。

今回、ツアーで訪れたカエデの森は、
ほとんどの樹液を採取している大滝の槌打というエリアにあります。
森にはカエデだけではなく、栗や朴の木など
たくさんの広葉樹がある植生豊かな天然林です。
エコツアーの日にちによって、雪が残っていたり、
寒すぎて樹液が滴り落ちるのを見られなかったりしましたが、
皆さん樹液の出るメカニズムや採り方について、熱心に話を聞いていました。
そして、木ごとに味が違うという話を聞いて、
何種類かの木の樹液の味を確認している方も!

樹液がポタポタと出てくる様子に、参加者たちは大興奮!

そして、森の中で冷えた体を温めるべく、お楽しみのティータイム!
まずは採れたての樹液を味わいます。
そして、島崎さんが最初に感動したという、
カエデの樹液だけで淹れた紅茶が提供されます。
自然の甘さと温かさが染み入ります。
暖をとるために用意した焚き火で焼く焼きマシュマロは、
子どもだけでなく大人にも大人気でした。

アウトドアといえば、焼きマシュマロ!? 焚き火で焼いたマシュマロとメープルの相性は抜群。

〈としまミュージアム〉 クローズする豊島区旧庁舎で 現代アートを展示!

多くの芸術家が暮らしたアトリエ群〈池袋モンパルナス〉や、
漫画家たちが巣立っていった〈トキワ荘〉など、
古くから文化的な土壌が醸成されてきた、池袋。
現在では、演劇や映画、そしてアニメのまちとなり、
新しい文化を発信し続けているところ。

そんな豊島区の中心にある、豊島区旧庁舎と豊島公会堂、
2つの施設がその歴史に幕を閉じます。
その跡地には、8つの劇場、を含む国際的な“文化にぎわい拠点”が
2020年に誕生する予定です。

この大きな転換期を迎える豊島区にて、
旧庁舎と豊島公会堂にお別れを告げるべく、
アートに演劇、音楽ライブ、アニメ、食など様々な文化が
一同に会するイベント〈としまミュージアム〉が
2016年3月20日(日)と21日(月・振休)の二日間にわたり、開催されます。
としまミュージアムの館長は、豊島区長の高野之夫さん。
メインビジュアルイラスト制作はしりあがり寿さんです。

まずはメイン会場の豊島区庁舎。旧庁舎4フロアすべてを使って、
2日間だけのカルチャー・ミックスが展開されます。
1階は、旧庁舎跡地開発プロジェクトを紹介する
〈ウェルカム&プレゼンテーション・フロア〉と、
キッズやファミリーのためのワークショップとステージプログラム
〈としまチルドレンズミュージアム(Produced by フジテレビKIDS)〉。

2階は〈アニメ・フロア Produced by animate〉。
大人気TVアニメ『おそ松さん』の映像で、声優アフレコ体験を実施します。
そして3階は〈アート・フロア〉。
田原唯之、ミラーボーラー、山下拓也、泉太郎、宇治野宗輝ら
8組のアーティストが旧庁舎の空間を生かした作品を展開します。

田原唯之

ミラーボーラー

泉太郎

また、3階では、靴をテーマにユニークな作品を
作るアーティスト、靴郎堂本店によるワークショップも。

靴郎堂本店

東東京を“舞台”に変える 〈BLOOMING EAST〉 プロジェクト、第1回は 「八広、東墨田、初花」

東東京の魅力ある様々な “場” をリサーチして探し出し、
コンサートやパレードができる “舞台” へと変容させていこう!という
プロジェクト、〈BLOOMING EAST〉。

最初のターゲットは、質の高いものづくりのまちとして広く知られる墨田区。
2016年3月12日(土)、このまちの持つ魅力を、
ライブ・シンポジウム・トーク・ワークショップなどで表現するイベント
〈BLOOMING EAST 東東京プレイツアーvol.1「八広、東墨田、初花」〉が開催されます。

今回の舞台となる八広、東墨田は、
プロジェクトのリサーチツアーを重ねるなかで出会った場所。
ここは皮革・油脂・プラスチック・金属などを扱う工業地域であり、
清掃工場・リサイクル施設・廃棄処分場も日々稼働するエリアです。

東京のものづくりを支え続け、
ものの始まりから終わりまで全てを包括できる
このまちの持つ魅力を、1日がかりのイベントで表現します。

油田カフェ

第一の会場は、〈油田カフェ〉。
ここでは地元工場オーナーによる『ファクトリーオーナーズトーク』は、
廃食油リサイクルの〈株式会社ユーズ〉、金属加工の〈浜野製作所〉、
皮革製造の〈山口産業〉という、この地域に工場を構える異業種オーナーによるトークを開催。

異業種同士だから語れる、ここでしか聞けない「八広、東墨田」の歴史や魅力を紹介! 
トーク後には、これまで行ってきた墨田区総舞台化リサーチ報告会も。
会場の〈油田カフェ〉は、TOKYO中に眠っている食用油を回収し、
電気や車の燃料などを作って“資源循環型社会”を作るという目的のもと
運営されているユニークな施設です。

第二の会場〈吾嬬の里〉ではシンポジウム〈公共、音楽〉を開催。
音楽が公共の場で奏でられる機会が増えるいま、様々な立場で
音楽と公共に関わるゲストを迎え、その関係を見つめ直すためのシンポジウムです。

登壇者は岸野雄一さん(スタディスト/音楽家)、
熊倉純子さん(東京藝術大学音楽環境創造科教授)、
斎藤貴弘さん(弁護士/Let’s DANCE共同代表)、
蓮沼執太さん(音楽家)、
山川冬樹(アーティスト)さん。

またボストン出身の “割り箸ピアニスト” Sami Eluさんによる
ライブ&楽器づくり体験も。

東日本大震災から5年

2011年3月11日、14時46分18秒に起こった、
東北太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震。
今日で、発生から5年目を迎えます。

2011年に47万人だった避難者は18万人、
仮設住宅の入居者数は11.3万人が
6.5万人と、まだ多くの方が避難生活を送っており、
いまも現在進行形で復興は続いています。

Web検索サービスの〈ヤフー〉では「Search for 3.11」を実施。
2016年3月11日、〈ヤフー〉で“3.11”と検索すると、
おひとりにつき10円が、宮城県のフィッシャーマン・ジャパンや
福島県の小高ワーカーズベースなど、被災地の復興にたずさわる団体に寄付されます。

また〈Yahoo!基金〉でも本日、募金額を11倍にする3.11復興支援募金を行っています。
10円募金するとYahoo! JAPANが100円を足して110円に! 
Tポイントでの募金も可能。詳細はWebサイトにて。

2011年12月に「東北復興新生支援室」を設立したdocomoは、
岩手・宮城・福島を中心に、東北との架け橋となる“チームレインボー”を結成。
このサイトでは、被災地の生活や街づくり、ガレキがどうなっているか、
復興の状況を写真とデータで見ることができます。
2011年3月11日から5年、被災地はどう変化したのでしょう。

Twitterでは、〈 #5年目 〉というハッシュタグで、
震災への思いや体験からの教訓、東北への応援などがツイートされています。
このハッシュタグには、“希望”という花言葉を持つ
白いガーベラの絵文字が表示されます。

被災地を追った5年、見えた光と影』は、
日経新聞が東日本大震災直後から5年にわたって
定点観測してきた被災地の姿を写真とデータで公開するサイト。
壊滅的な被害にあった岩手県宮古市にそびえ立つ防潮堤や、
岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、福島県新地町などの
5年前といまの姿。

震災が発生したときのニュース映像や復興に関するニュース、被災者の証言など、
NHKが取材する映像やデータ、VRコンテンツなどを一覧できる総合ポータルサイト
NHK NEWS WEB 東日本大震災 あの日から5年』が公開中。
“「あの時、何が起こり、人々はどう行動したのか」を知り、
「復興支援と明日の防災のために何ができるか」”
をともに考えていくサイト”なのだそう。

フライヤーデザイン:長嶋りかこ(village)

そして六本木ヒルズけやき坂では
3月11日(金)~3月13日(日)の3日間にわたり、
イベント『「Relight Days」未来の生き方や人のあり方を考える3日間』を開催。
宮島達男による現代美術作品『Counter Void』の再点灯式や
宮島達男、ドミニク・チェンらが参加するトークセッションなども行われます。
詳細はWebサイトにて。

また、アーティストの小沢剛さんが開催する、
3月11日午前0時から24時まで1日限りのオンラインの映像祭
『3月11日オンライン映像祭』も公開中。
東日本大震災に対して、様々な思いを寄せた作品を集めています。ご視聴はこちらから。

復興住宅の整備や、地域経済の再生など、
課題はまだまだたくさん残されています。亡くなられた方に思いを馳せながら、
これから出来ることを考えていきたい、5年目の区切りの日です。

TOYOOCOME! 豊岡に来て、暮らして。 その1:豊岡市ってどんなまち?

コロカルでも大きなテーマのひとつである、「移住」。
都市部で暮らす人が、ローカルでの暮らしを選択する理由や、
実際に暮らし始めた人がどういう実感を持っているか、
考えてみたけど実現できなかった人の障害になったものは何? 
など移住をめぐるあれこれを探っていきます。
今回は兵庫県の豊岡市。
ここでは、いまコロカルも加わって移住戦略プロジェクト、
〈TOYOOCOME(トヨオカム)!〉を2015年からスタートさせました。
まずは、3回にわたって豊岡のまちの魅力や、
先輩移住者の仕事や暮らしぶり、気になる行政の取り組み、
市長の考える“移住”についてお伝えします。その第1弾は、豊岡市ってどんなまち?

豊岡市・徹底解剖!

兵庫県の北東部に位置し、面積が県で一番大きな豊岡市。
日本海と中国山地の山々、壮大な自然に囲まれたダイナミックな地形に、
夏は海水浴、冬は神鍋高原でのスキーやスノーボードを楽しむ観光客が多く訪れます。
都市部でもそのおいしさに評価が高い但馬牛や、
キング・オブ・冬の味覚の松葉ガニ、
米(特に、減農薬・無農薬の〈コウノトリ育むお米〉はブランド米として有名!)
など豊かな食に恵まれています。
あちこちに田んぼや畑が広がり、コウノトリが舞う。
そんな情緒ある光景に、日本の古き良き田園風景を重ねる人も多いでしょう。

そんな豊岡市は、2005年に1市5町
(旧豊岡市・城崎町・但東町・出石町・日高町・竹野町)が合併。
観光業、農業や漁業、鞄産業が市の基幹産業となっています。

あなたのその鞄もMade In TOYOOKAかもしれません

まちの中心である豊岡地域は、日本一の鞄の産地。
そのルーツを調べると、なんと神話の時代に遡ることに。
新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、
柳細工の技術が伝えられたとの伝承が、712年の『古事記』にあります。
豊岡鞄のルーツは、その柳細工でつくられたカゴだと言われており、
奈良時代には、奈良の正倉院に上納された記録もあります。
柳細工でつくられたカゴは柳行李(やなぎごうり)と呼ばれ、
やがて把手がついて、鞄に進化。
素材の多様化とともに豊岡の地場産業として大きく成長しました。

市役所のすぐ近くにあるカバンストリートには、
豊岡鞄のショップや修理屋さんや鞄のクリーニング専門店など
関連のお店が軒を連ねます。代々続く鞄の聖地ならではの充実度です。
また、鞄のパーツショップや職人を育成するスクールを併設した、
〈Toyooka KABAN Artisan Avenue〉など、生産地ならではの拠点もあるのです。

修理専門店には、持ち込まれた鞄が山のように待機しています。

連載2回目では、豊岡移住後に鞄職人として働き始め、
いよいよこの春自らの店と工房をオープンさせるという
中野ヨシタカさんにお話をうかがいます。
中野さんの目に、豊岡というまちはどう写っているのでしょうか。

コウノトリと人々がともに生きるまち

そして豊岡といえば、国の特別天然記念物のコウノトリの里としても有名です。
中心地から少し足をのばせば、
悠々と空を飛ぶ白く美しいコウノトリに道ばたでも出会えるような環境。
豊岡の人々にとって、今では“当たり前”の光景ですが、
この光景が見られるようになったのも、実は最近のこと。
一度は絶滅したコウノトリでしたが、
1989年に飼育下繁殖(人工繁殖)に成功して以来、
毎年増殖に成功し、2005年にはコウノトリ野生復帰計画における
最初の5羽の自然放鳥を実施。その後自然下での繁殖も順調に進み、
現在78羽のコウノトリが豊岡の空を舞っています。
それでもなお絶滅の危機にあるコウノトリの野生復帰の拠点であり、
保護・繁殖活動を行う〈兵庫県立コウノトリの郷公園〉では、
その美しい姿を間近で楽しむことができます。

繁殖に成功してからというものの、
コウノトリを一度絶滅させた過去を繰り返さぬよう、
コウノトリと共生できる環境づくりを、市民が率先して行っています。
例えば、コウノトリに害を及ぼさないよう、
農薬を極力用いない農法を使ってお米をつくったり、
コウノトリが道を歩いていたら、そっと道を譲ったり、
冬場でも田んぼに水を張って餌となる小動物がいる環境を保ったり。
そんなコウノトリへの気遣いは、小学生からの環境教育のたまもの。
各小学校にあるビオトープやコウノトリの郷公園での課外授業で、
生態系やコウノトリと人の共生に関して、全員が学びます。
「コウノトリにやさしい地域は、ここで暮らす人に対してもやさしい」
そう思いませんか?

〈兵庫県立コウノトリの郷公園〉では間近でコウノトリを見学できます。両翼を広げると2メートルにもなります。

城崎温泉のもうひとつの顔

『城の崎にて』で志賀直哉によって描かれた城崎は、
どこか静かでもの哀しい雰囲気がありましたが、
現代の城崎温泉は活気に満ちた西日本有数の温泉観光地です。
昨年は海外からの観光客が増加し、
21か国以上から、3万1400人もの外国人旅行者が訪れたそう。
「日本の文化を体験しに城崎に来ている」。そんな旅行客が増えています。
コウノトリ但馬空港からバスが運行、京都や大阪から電車で2時間強。
このショートトリップ感も人気の秘密です。
旅館などでは、後継者問題や従業員不足問題など課題は抱えているものの、
結婚を機に東京からIターンして奥様の実家の旅館を継ぎつつ、
新規事業として飲食店と、さらに地ビールの開発・販売まで始めた人がいたり、
豊岡市で暮らしたい人、働きたい人を受け入れる場所でもあります。

城崎温泉の中心を流れる大谿川と柳並木。雨の中のそぞろ歩きも風情があります。

電車を待つわずかな時間でも浸かれる温泉。城崎駅前の誰もが利用できる足湯です。

また、2014年にオープンした〈城崎国際アートセンター〉は、
アーティスト・イン・レジデンスとして舞台美術の創作の拠点となっています。
国内外からコンテンポラリーダンスをはじめとする
さまざまなアーティストが訪れ、滞在しつつ制作に励みます。
その成果発表のひとつとして、アートセンター内のホールや
まちなかでインスタレーションを行うなど
地元の人にも楽しい、国際的な活動が行われています。
豊岡市は、小中学生を対象にコミュニケーション教育にも力を入れており、
性別や年代を超えて、対等な関係の中で自分を主張し、
他者を理解できるコミュニケーション能力の育成を図ることを目的に、
演劇的手法を用いた先進的な授業が行われています。

城崎国際アートセンター(KIAC)。photo by 西山円茄

2018年からは英語教育を幼稚園から開始するようにし、
市内の全小学1、2年生にもALT
(Assistant Language Teacher:外国人による英語授業の補佐)の授業を行う計画です。
“海外からの観光客やアーティストと英語でコミュニケーションできる”
小学生や中学生が、豊岡市で育つという将来はもうすぐです。

この豊岡教育改革に関しては、中貝宗治市長に詳しくお話をうかがいました。
連載3回目でご紹介します。

テレビCM〈石田三成〉 滋賀県が世界初の 武将コマーシャルを制作

日本人なら、誰でも心のなかにお気に入りの武将がいるもの(?)。

でもそんな身近なはずの武将のPR、しかもTVCMは前代未聞。
基本的に故人なので、特に必要がなかったのかもしれませんが、
このたび滋賀県がなぜかその常識を破り、
近江出身の武将、石田三成のCMを制作。
石田三成ポータルサイト〉で公開しました。
その衝撃の出来上がりがいまネットで話題になっています。
是非御覧ください。

地方の深夜に流れるローカルCMのスタイルを完璧に踏襲し、
「武将といえば三成〜」という力の抜けるようなメロディに合わせて
“配下にするなら三成” “忠義心NO.1宣言”など、
いろいろなスローガンが飛び出します。
オチは石田三成の有名な逸話“三献の茶”で締めるなど、
ツッコミどころがたくさん。
このCM、実際に地上波(びわ湖放送を予定)でもオンエアされるのがすごいです。

「武将なんてどれも同じでしょ?」

みんなでご一緒に!

そもそも石田三成は、徳川幕府によって悪評を流され、
映画やドラマでも悪人として描かれることの多かった武将。
しかし、近年、その緻密な政治手法や豊かな人間性に、
再評価の動きが高まっています。

そこで滋賀県はCMを制作することで
滋賀県の認知度および好感度の向上を狙っているのだそう。
石田三成ポータルサイトにて、その活動を知ることができます。

3月11日、 みんなの思いを福島に灯そう。 〈福魂祭〉にてキャンドルナイト を開催!

東日本大震災から5年目を迎える、2016年3月11日。
福島県郡山市の〈ビッグパレットふくしま〉で開催される
東日本大震災の追悼祭典〈福魂祭〉にて、
たくさんの思いが込められたキャンドルに火が灯されます。

発起人は〈ラブフォーニッポン〉という団体の代表として
復興支援活動を行なってきたキャンドルアーティスト、
Candle JUNE(キャンドル・ジュン)さん。

JUNEさんは震災直後から炊き出しや物資提供をはじめ、
いまでも毎月11日の月命日に福島の仮設住宅や幼稚園を訪問し、
一緒に1日を過ごしたり、キャンドルナイトを行ったり、
といった活動を続けているのだそう。

「震災を経験していない僕にもできること。
それは福島の方々と、1日ゆっくり同じ時を過ごすこと」とJUNEさん。
現地でバーベキューやヨガ、キャンドルづくりのワークショップなどを行い、
子どもから大人まで楽しい時間を過ごしてもらえるように力を尽くしてきたそうです。

3月11日に行われるキャンドルナイトは、
みんなのメッセージを込めたキャンドルに火を灯し、生きる意志を伝えるもの。

ただきれいなキャンドルを眺めるだけではなく、
震災で亡くなった多くの方々に向けて
「私たちはこうして元気にやってるよ」と生きる意志を伝える一夜なのだそうです。

JUNEさんはこの日のために、子供たちと一緒にキャンドルをつくってきました。
キャンドルを入れるカップには、子供たちには“将来の夢”を、
大人の方には“今の気持ち”書き込んでもらいました。

実家の空き家を大改修。 店も人も集まる、まちに開かれた 編集室〈四国食べる商店〉とは。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.5

仏生山まちぐるみ旅館 vol.5

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで、

建築の設計事務所と、仏生山温泉を運営しています。
ここでにやにやしながら暮らすために、まち全体を旅館に見立てる、

〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを10年がかりで進めています。

今回、ご紹介するのは〈四国食べる商店〉です。
場所は仏生山温泉から徒歩2分、北に100メートルほどのところにあります。
温泉の窓から見える(笑)。
オープンしたのは2015年の4月です。

店主の眞鍋邦大さんは、高松出身です。
大学進学時に高松を離れ、東京をはじめ県外で暮らしたあと、
香川県の小豆島に3年滞在し、
昨年生まれ育った仏生山にUターンしました。
四国食べる商店となった建物も、眞鍋さんの実家です。

隣接する農園で収穫する、眞鍋邦大さん。

四国食べる商店は、もともと
『四国食べる通信』という活動から派生しています。
食の情報誌でありながら、
食材が付録のように一緒に送られてくるユニークな仕組みです。
会員になると、2か月に1度、つくり手の想いが冊子+食材という
組み合わせとなって手元に届きます(詳しくはこちらでも)。
最初は東北から始まった、この『食べる通信』という取り組みは
全国に広がりつつあり、その四国地域の編集長を務めるのが眞鍋邦大さんです。

眞鍋さんのすてきなところは、
四国食べる通信の拠点をただの編集室にしないで、
商店という形式にしたことです。

四国食べる通信の仕事としては、
取材や編集、発送が中心だから、
ふつうの事務所のような感じでも大丈夫なんだけど、
商店という形式にすると、店になる。
それがとてもいい。
閉鎖的な事務所と、開かれた商店では
0と100ほどの違いがあります。
場所があってもみんなが日常的に利用できなければ、ないのと同じだからです。
まちのなかで、みんながその場所を利用できて、
価値の受益者になれる、ということがとっても大切です。
実際に四国食べる商店は、店として食材や調味料などを販売しているし、
食にまつわるイベントも不定期に開催しています。

さらに、商店の中には、
リンパドレナージュ(マッサージ)の〈巡舎〉(金・土曜日営業 予約制)、
グラノーラの量り売りカフェ〈寧日〉(月曜日営業)、
というふたつの店が場所の一部を借りて営業しています。
商店では場所を借りて、飲食や販売ができるようにもなっていて、
これからもそういうお店が増えていく予定です。
つまり、売る側、買う側、どちらにも開かれた自由な場所になっているのです。

これはもう、プラットフォームですね。
単に開かれた編集室、っていう感じではなくて、
四国食べる商店というプラットフォームがあって、
そのうえに、
①四国食べる通信の編集室と作業場、
②食材を販売する商店、
③〈巡舎〉〈寧日〉という独立したお店、
さらに段階的に整備しつつある四国食べる農園、
なども増え、さまざまな活動が乗り入れている。
そういう状況では新しい動きが偶発的に生まれやすくなります。

この、開かれてて、自由で、親しみやすい感じは、
おもしろいことに、眞鍋さんの人柄といっしょ。
店は人そのものって、よく言われていますけれど、
それは本当です(笑)。

すてきな店は、店の人の顔が見えること。
そういうお店が集まって、
人の顔が見えるお店が集まると、
すてきなまちができあがると思っています。

なので逆に、
人の顔の見えないチェーン店なんかは、いらないわけです。
暮らしのなかで、にやにやできませんから。

そんなわけで、なんでもできるような場所をつくりたいと依頼がありました。
リノベーションを行ったのは、
眞鍋さんが幼少のころ暮らしていた実家、2階建ての住居です。
現在ご両親は別のところで暮らされているので、
空き家になっていました。

改修前の土間部分。

改修前の居間。当時のジャージがそのまま残っています。

〈城崎温泉泊覧会 2016〉 城崎温泉の魅力、50種類の 体験プログラムで教えます!

平安時代から知られた関西屈指の温泉地、兵庫県豊岡市の城崎。
ここは柳並木や木造旅館が立ち並ぶ、
風情のあるまちなみが魅力の温泉地です。

ここで2016年4月23日(土)から6月12日(日)まで、
“城崎オンパク”こと〈城崎温泉泊覧会 2016〉が開催されます。
地元女子が案内するレンタルサイクルツアー、朝活水族館などなど、
城崎温泉の魅力が詰まった体験プログラムがなんと
50プログラムも開催されます。

〈城崎温泉泊覧会〉は、
2014年の初夏に第1回が開催され、今回で5回目。

気になるプログラムの内容は、
城崎温泉の正装“ゆかた”をまとってお抹茶の作法や
すっきりヨガ、美味しいランチなど盛りだくさんに老舗旅館をめぐる、
女性限定の〈城崎温泉よくばりべっぴんツアー〉。

城崎温泉らしい特徴的な施設や客室を持つ旅館をめぐり、
亭主やスタッフの案内で館内視察を行う、
旅行プランナーの新人研修プログラムを体験する〈旅館ツアー〉。

“鞄の街豊岡”の城崎温泉街で、
鞄作りの基礎を学び、型紙から裁断、縫製まで
1つのかばんを職人さんに教わりながら作るワークショップ
『鞄の街豊岡』で本格カバンづくり〉。

但馬牛ってなんで美味しいの? 
松坂牛と但馬牛は親戚なの? 
神戸ビーフって但馬牛と何が違うの? 
などなど、但馬牛づくしの特別ディナーとともに
但馬牛に詳しくなれる〈但馬牛のスペシャルディナーコース〉も。

女子大生が1ヶ月滞在して わかった今帰仁村らしさ。 〈沖縄 今帰仁村 大学生 アンバサダープロジェクト〉

最近では古宇利島やハートロックなどの観光スポットでも話題になった
沖縄本島の北部にある今帰仁村(なきじんそん)。でも今帰仁村はそれだけではありません。
海や島以外にも、農業が盛んだし、のんびりと過ごせる場所がたくさんあります。

そんな資源をもっともっとアピールしていこうと立ち上がったのが、
なんと19名の女子大生たち!
名付けて〈沖縄今帰仁村大学生アンバサダープロジェクト〉。

彼女たちが、計1ヶ月間、実際に村に滞在し、地元の人たちとふれあうなかで、
大学生目線で今帰仁村の魅力を発掘し、観光開発をしていこうというものです。
「6次産業開発チーム」「観光開発(ハード)チーム」
「観光開発(ソフト)チーム」「観光土産物開発チーム」と、
4つのチームにわかれました。

入り組んでいて静かな海であることがわかる今帰仁村。

「6次産業開発チーム」は、東京農業大学の学生たちで構成されています。
取り組んでいたもののひとつに、菊やたんかん、シークワーサー、
さらには自生の草花を使った、ボタニカルアロマキャンドルの開発があります。
夜間に光を当てて栽培する〈電照菊〉という育て方が今帰仁村では取り入れられており、
美しい菊の畑を鑑賞しながらの夜散歩という楽しみがあります。
ネオンきらめくアーバンな夜景とはちょっと違いますが、こちらもなんともロマンチック。
そんな特産の菊も新たな形で活かしていこうという試みです。

さらには女性向けのリキュールや島野菜のスムージーなど、
農業が盛んな今帰仁村と、女性らしい発想が組み合わされた
商品開発に取り組んでいました。

6次産業開発チームである東京農業大学のメンバー。

6次産業開発チームが機材などを借りている〈あいあいファーム〉の菜園。無農薬が中心だ。

また別の視点でユニークだったのが、大人の民泊。
現在、全国的に民泊は進んでいますが、教育的な観点から、
学生の修学旅行や課外活動などで利用されているケースが多いようです。

でも、大人だって民泊してもいい。
そこで彼女たちが考えたのが、民泊で農業体験するもの。
島の人しか知らないような野菜を一緒に育てて、料理の仕方なども習えるものです。

「おいしいものやすばらしい資源がたくさんあるし、
みなさん思ったよりもやる気があるのですが、
アピールするのがあまり上手ではないようです。
そこでわたしたちの目線でアピールしていければ、
役に立てるのではないかと思っています」
と学生たちは言います。
SNSなどを駆使した学生たちの発信力にも期待です。

漁師のことは漁師に聞け。 もう一度、漁師を身近な存在に フィッシャーマン・ジャパン 後編

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漁師のたまり場となるTRITON BASE

三陸で、水産業を盛り上げようと活動している〈フィッシャーマン・ジャパン〉。
漁師のイメージアップや商品販売、
さらには都会で漁師直送の食材が食べられる〈FISHERMAN BBQ〉、
水産業に特化した求人サイト〈FISHERMAN JOB〉などの活動を通して、
水産業全体の底上げを図ろうとしている。

そのひとつが〈TRITON PROJECT〉である。
それぞれの浜(港)に、漁師たちの拠点となるような
〈TRITON BASE〉を設置する場づくりだ。
現在はTRITON ONAGAWA、TRITON13、TRITON UTATSUの3つが稼動している。
どれも古民家をリノベーションし、ウッドを基調にしたモダンな内装になっていて、
若者にも受け入れてもらえそうだ。

3つのBASEには統一したコンセプトはあるが、それぞれ地元の漁師たちが管理している。
〈フィッシャーマン・ジャパン〉の代表理事であり、
ワカメ漁師の阿部勝太さんが管理するTRITON13は、石巻の十三浜にある。
3部屋あり、現在はひとりがワカメ漁師として在住している。

「もっと漁師を雇って、まずはこの3部屋を埋めたいですね。
この部屋から漁師を始めて、給料が上がってきたり、結婚したりして、
このTRITON BASEを巣立っていく。そしてまた新しい人が入居する。
漁師が住んでいるということに意味のある交流の場にしていきたいと思っています」
と言う阿部さん。

〈フィッシャーマン・ジャパン〉の発起人でもあり、
事務局を務める長谷川琢也さんも言う。
「期間雇用しかできない漁師さんも多いんです。
だから漁の時期に合わせて、何月から何月まではTRITON ONAGAWA、
何月から何月まではTRITON UTATSUみたいに、
“ローテーション漁師”のような取り組みをしたいという想定も含まれていますね」

十三浜のTRITON13では、地域のおじいちゃんやおばあちゃんが来て、
一緒にバーベキューすることもあるという。
地元の人と移住者の自然な交流が生まれているようだ。

「移住や定住に必要なのは、住居とコミュニティだと思っています。
TRITON BASEは、拠点であり、起点です。
ここに住みながら漁師になって、巣立っていく。
先輩漁師が顔を出したり、僕みたいなのが遊びに行ったり。
そうした交流を通して、ちょっとずつ地元に根が生えていく場所にしたい」(長谷川さん)

現在、4つ目のTRITON OSHIKAを荻浜に施工中。
ここは漁師ではなく、フィッシャーマン・ジャパンが管理する
フラッグシップのベースになる。
コミュニティをつくるというのは、漁師にとってあまり得意なことではないかもしれない。
でも場所があれば自然とやりやすくなっていくのだろう。

しっかりとした仕事が待っている。具体的に漁師を学ぶ

〈フィッシャーマン・ジャパン〉は漁師の学校にも取り組み始めている。
第1回目が、2月12〜14日にかけて、〈牡鹿漁師学校×TRITON SCHOOL〉として開催。
漁師の仕事を学ぶ2泊3日の短期研修プログラムである。
〈宮城県漁業協同組合石巻地区支所〉とTRITON PROJECTが、
これまで牡鹿半島で〈牡鹿漁師学校〉の実績があった
筑波大学の貝島桃代研究室と組んで行われた。
その牡鹿漁師学校のプログラムを下敷きに、上記3者で、プログラムが練られた。

リラックスしたひとときの休憩が、漁師たちのホンネが聞ける貴重な時間。かたわらには缶コーヒーがお約束。

「直接、漁師さんにコンセプトや必要性を話しにいって、
興味を持った方たちにお願いしました。
そして漁師学校としてやりたいことと、私たちが知っている漁師との、
最適な組み合わせを考えていきました。漁師さんと一緒につくりあげた感じはあります」
と言うのは、宮城県漁業協同組合石巻地区支所の三浦雄介さん。

当の漁師たちも、将来に対しての危機感は持っていたようだ。

「私も正直意外だったんですが、みんな担い手の必要性を感じていて、
好意的かつ協力的でした。
“急に来ても漁師の仕事ができるわけでもないし、わかるはずもないから、
一度体験してもらうのはいいことだ”という反応だったんです」(三浦さん)

〈牡鹿漁師学校〉を主宰する筑波大学貝島桃代研究室の佐藤布武さんは、
何度か漁師学校を行っているが、普段は、ひとつの浜で行っている。
今回はいくつかの浜を飛び越えながら行われたことに特徴があるという。

「今回は、普段は分断されている浜に横串を通して、
いろいろな浜を横断的にやってみようと試みました。
また、教科書をつくったんですが、そのために取材が必要。
いろいろな地域を回ることができて、それぞれの特徴や浜同士の交流など、
こちらとしてもいい勉強になりました」(佐藤さん)

筑波大学で建築デザインを学んでいる、貝島桃代研究室の3人。(左から)佐藤布武さん、菊地純平さん、栗原広佑さん。

市内の湧水地は20か所以上。 知られざる北陸の水のまちの 新たなチャレンジとは。

地下水で生活するまち、大野

まちなかのいたるところに清水(しょうず)と呼ばれる湧水地があり、
水が豊かであることを感じさせる福井県大野市。
もともとは、織田信長に仕えた武将、金森長近によってつくられた
越前大野城の城下町である。
そのまちづくりの際に、南北に延びる一番通りから五番通りまでの、
5本の通りの道路中央部に上水道の機能をもつ水路が設けられ、
水量の豊富な本願清水の湧き水が水源になっていた。

現在でも、大野市の市街地の家庭では井戸を持っていて、
地下水を組み上げて生活用水として利用している。
もちろん無料だ。
大野というまちは、豊富で美しい水に育まれてきたといっても過言ではない。
大いなる自然の恵みを生活に取り入れる工夫をしたことで、
水は暮らしと一体となり、生活の糧となっているのである。
この地域の本質を見つめた人口減少対策のアクションとして、
いま、大野市では〈Carrying Water Project〉という取り組みが始まっている。

郊外の家庭の敷地には、農業用水が引かれている。

大野のおいしい水は、その地形が育んだものだ。
周囲を1000メートル級の山々に囲まれた盆地で、
有名な九頭竜川をはじめ真名川や清滝川などの一級河川が流れている。
地下100〜200メートルには岩盤があって、これが水を通さない。
その上に広がる小石や砂の砂礫層が、水をたっぷりと蓄えているのだ。
まるで大きな水がめのよう。

水循環の解析によると、この水は、山や川からはもちろん、
4割は田んぼから地下へ染み込んだものだという。
雨や雪が降って浸透した水が、30〜50年の滞留期間を経て、
大野人の元へと湧き出ているのだ。

周囲を山に囲まれる盆地であることがわかる。写真中央に流れるのは、地下水との関わりが深い真名川。

大野盆地に悠々とそびえる標高1523.5メートルの荒島岳。

まちにあるいくつかの水のスポットを巡ってみた。
まずは一番の観光スポットでもある〈御清水(おしょうず)〉。
かつて武士の米を炊くのに使われていたことから、
武家屋敷の住人が厳しく管理し、
上流から飲料水、果物を冷やす場所、野菜などの洗い場と定められていたという。
現在でもその名残りが、言葉にせずとも受け継がれている。
この澄んだ水がまちの中心にあることが、
大野の水文化の深さと歴史を物語っている。

717年創建といわれる篠座神社を訪れた。
境内にある弁天池からは、御霊泉が湧出している。
「大巳貴尊の御仁慈より眼病に苦しむ者を救はむとしてこの霊泉を湧出せしむ」とある。
「篠座目薬」とも謳われ、眼病に効くらしい。
目を清める場合は、左目、右目の順番で。
太古から、大野は水のまちであったことを感じさせる場所だ。

篠座神社の御霊泉。まさに湧き出ているという雰囲気。

一方で、山のエリア。荒島岳のふもと。
このあたりの民家は、地下水を得るためにはまちなかよりも深めに井戸を掘らなといけない。
しかし、九頭竜川から豊富な水量の農業用水を庭まで引いて、
夏になれば、野菜を冷やしたり、お茶をヤカンのまま冷やしたり。
稚アユを放したりもするそう。
荒島岳への登山道を少し登って行くと、〈慈水観音〉があった。
祠の前には豊かな湧き水。雪化粧のなかでひっそりと、しかしとうとうと流れていた。
「水を慈しむ」なんて、水への敬意が表れたステキな名前だ。

雪に覆われた慈水観音。

慈水観音の湧き水は、周囲が雪模様のなか、緑豊かに湧き出ていた。

食文化にも影響は大きい。
現在、大野市には酒蔵が4つもあり、味噌や醤油も有名。
豆腐屋さんも多く、厚揚げがおいしい。でっち羊かん(水ようかん)、そばも名産だ。
どれも、水が重要な産品。

風情あるまち並みが残る七間通りの一画にある〈南部酒蔵場〉。

それなのに、住民のなかでは、水はそこにあって当たり前、タダで当たり前、
という意識があるのも、また事実。

「本願清水をはじめ大野の湧水地には、イトヨという淡水魚が棲んでいます。
ここは陸封型イトヨ生息地の南限なんです。
しかし昭和40〜50年代にかけて、イトヨが絶滅しかけたことがありました。
みんなが水をムダ使いし過ぎて、地下水が低下して水不足になったんですね」
と話してくれたのは、
大野市役所 企画総務部 企画財政課 結の故郷推進室長の吉田克弥さん。

市の課題を真摯に見つめ、歴史文化を丁寧に教えてくれた結の故郷推進室長の吉田さん。

こうした事象をきっかけに、地下水保全条例が制定され、
みんなで水を大切にしていこうという機運も高まっていった。
それでも、まだまだだという。

「地下水や湧水をこれだけ活用できている例は、全国的にも希有だと思うんですよ。
本来だったらもっと誇りに思ってもいいはずです。
最近では、小学校や中学校の教育のなかで教わるので、
子どもたちの意識は高いかもしれません。
私たちの世代は、水があることを当たり前だと思って育ったような気がします」

外で使う生活用水。

実は知らずに食べているかも? 愛媛県を代表する栗の産地 西予市城川町で育つ〈城川栗〉

生まれ育った地元で加工され、各地へと旅立つ城川の和栗

愛媛県の山間部、伊予市中山町で育てられた中山栗が使われたスイーツを
前回ご紹介しましたが、
中山町と並んで愛媛県を代表する栗の産地として知られているのが西予市城川町。
四国山脈と支脈に囲まれたこのまちには、
全国でも珍しい地元産の栗を収穫直後に加工できる施設があるのです。
今回は城川町で城川和栗の生産から、
栗製品や業務用製品の製造・加工を手掛けている株式会社城川ファクトリーをご紹介します。

緑あふれる城川町にある加工場。

取材で訪れたのは製造と加工を行う城川自然農場の第二加工場。
こちらでは栗だけではなく、柚子やたけのこ、梅などを使った製品もつくられています。
「この工場ができたのは10年くらい前ですね」
と教えてくれたのは工場長の伊勢本友和さん。
「お客さんからの受注に対して対応できるように、
力を入れて城川和栗をアピールしていこうと現在のかたちになりました」

工場内の様子。機械だけでなくより品質を高めるために一部手作業で行われます。

こちらの工場で主につくられている栗製品は、製菓の材料などに使用される栗のペースト。
「オーダーによって多少は配合が変わってくるのですが、
添加物はいっさい使用しておらず、本当に栗と砂糖だけです」と伊勢本さん。
栗といえば秋の味覚というイメージがありますが、
城川和栗の収穫時期が終わるのは10月の第1週頃と意外と早め。
そして収穫したばかりの栗には風味はあるものの、甘みがないのだそう。

「収穫をしたら、低温の冷蔵庫で加工をするまで生栗を寝かせるんです」
と伊勢本さん。この寝かせる作業によってでんぷん質が糖分へと変化し、甘みとなっていくのです。
寝かされた生栗は加工前に洗われ、ケースごと蒸し器へ運ばれます。

城川和栗からつくられた栗ペースト。添加物は一切使用されておらず、原料は栗と砂糖のみ。

栗が蒸し上がるとまず機械で皮が剥かれ、さらに渋皮も取られてから裏ごしされ、
窯で砂糖と一緒に炊かれてペーストへと加工されていきます。
「それを袋づめして冷凍するんです」

こうして完成した栗のペーストは、事前注文者の元へと出荷されていくのですが
「城川の栗は、東京や大阪の都市部のお店をはじめとして、
百貨店や空港などにも展開しているんです」
と企画開発の村田博史さん。
味わいに定評のある城川和栗、気づかないうちにそのおいしさを楽しんでいるかもしれません。

見学させていただいた工場から歩いて行ける距離にあるのが、
城川ファクトリーが運営する道の駅〈きなはい屋しろかわ〉。
こちらでも城川和栗を使った製品が販売されているというので訪ねてみました。

ジェーン・バーキンが 震災復興のために描いた アイテムたち 〈アマプロジェクト〉

東日本大震災から5年。
いまもまだ、不自由な仮設住宅での暮らしを強いられている
被災者のかたたちを支援する〈アマ・プロジェクト〉に今年、
新展開が始まります!

ジェーン・バーキン(メンズ)

ジェーン・バーキン(レディース)

これは、設立当初から〈アマ・プロジェクト〉に絶大な声援を送ってくれている
3人のアーティストたちに、それぞれの支援の気持ちをデッサンで表現してもらって、
それをTシャツやトートバッグにしたもの。

その3人とは、
モード写真家のマリオ・テスティーノ、女優のジェーン・バーキン、
パリのグラフィティ・アーティスト、グラフィック・デザイナーのアンドレ・サライヴァ!
彼らが心を込めて描いたモチーフの、メンズ/レディースのTシャツと
トートバッグが発売されるんです。

アンドレ・サライヴァ(メンズ)

マリオ・テスティーノ(メンズ)

世界的モード写真家マリオ・テスティーノは、
情熱的な赤い炎のようなハート。
設立当初から長女のケイトとアマ・プロジェクトを支える、
フランスの国民的スター、ジェーン・バーキンは繊細なタッチの少女。
そしてアマのロゴを描いたグラフィック・デザイナー、
アンドレ・サライヴァは、ユーモラスな絵を描いてくれました。

この絵をモチーフにしたTシャツとトートバックは、
3月11日(金)からアマ・プロジェクトの取扱店にて発売されます。
お値段は、Tシャツ8,900円(税抜)、トートバッグ5,000円(税抜)です。
ちなみにただいま、アマ・プロジェクトでは
このTシャツの販売先を探しているのだそう。
ご興味のある方は〈コンテナおおあみ〉までお問い合わせを!

ちちぶメープルプロジェクト vol.4 メープルだけじゃない! 新しい森の恵み

秩父の森に自生する、薬になる木

秩父でメープルのことに関わるようになって、驚いたことがたくさんあります。
なかでもびっくりしたのが、まだまだ森にはたくさんの資源が眠っているということ。
今回はちちぶメープルプロジェクト番外編として、
メープル以外で取り組まれている新しい森の恵みについてお伝えしたいと思います。

皆さんは“キハダ”という木について聞いたことがありますか?
私は最初に名前を聞いたときに、キハダマグロしか思い浮かびませんでした(苦笑)。
そんな知名度はいまいちなキハダですが、木の内皮が黄檗(おうばく)といい、
ベルベリンという、強い抗菌作用を持つアルカロイドの一種の
薬効成分が含まれている薬木です。その内皮は鮮やかな黄色で、
「良薬口に苦し」の語源になってとも言われており、罰ゲームで使えるくらい苦いです!

キハダの内皮を剥いでいる様子。本当に鮮やかな黄色にびっくり!

古くから医薬品の百草、陀羅尼助(だらにすけ)などの主成分として
健胃整腸剤に使われていたり、鮮やかな黄色を生かして
染料にも使用されていたそうです。

しかし、昔から人間の暮らしの身近にあったキハダも、
いま日本で流通しているほとんどが中国産になってしまっていました。
このキハダが秩父で注目されたきっかけは、カエデの調査に入った山で
たくさんのキハダが自生していることに気づいたからだったそうです。
秩父樹液生産協同組合とNPOのメンバーは、キハダの調査をしていくなかで、
カエデとキハダの生育環境が似ていることを発見し、
何か製品化できないかと考えるようになりました。

全身真黄色になりながら、キハダを加工用に粉砕中。

調査では、日本薬科大学に秩父のキハダの成分分析を協力してもらいました。
漢方薬と聞くと中国のイメージが強いですが、
まさかこんな身近に薬木があるということにとてもびっくり!
そして秩父のキハダには、中国産よりも、ベルベリンや、
柑橘系の独特な苦味成分リモノイドが多く含まれており、
秩父産キハダの可能性を感じました。

分析に協力してくれている日本薬科大学の高野文英准教授。地元の中学生にも秩父の森のすばらしさを薬学の視点から伝えてくれています。

ただ、キハダ製品化プロジェクトの問題点がひとつ。
キハダには薬効成分が含まれているので、
薬事法の関係でそのままでは商品化できないのです。

そんな壁にぶち当たっても、簡単には諦めないのが
さまざまな分野のエキスパートが結集したプロジェクトメンバー。
なんと、キハダの苦味を添加物として使用することで、
キハダのドリンクの発売許可を得ることができました!

キハダサイダー試飲会の様子、苦いサイダーなんてありそうでなかった!? カボス味なので苦くておいしい。

現在は、キハダの抗菌作用を生かした化粧品などの開発が進行中です。

リノベーションは不要!? 熊本最古の貸ビルに生まれた ギャラリー〈でんでん舎〉。 ASTER vol.4

ASTER vol.4

こんにちは。ASTERの中川です。
早くも第4回、後半に突入しました。
今回は熊本市で最古の貸しビルにできたギャラリーをご紹介したいと思います。

このなんとも萌える味のあるビル。
名称は〈早野ビル〉と言います。
1924(大正13)年に建てられた早野ビルは
熊本で最初の貸しビルだったそうです。
鉄筋コンクリート造3階建(一部4階建)で特徴的な外観。
築90年を超えた抜群の存在感は古ビルというより、まさにビンテージビル。
熊本の歴史をずっと前から見てきた早野ビルは
登録有形文化財にも登録されています。

場所は熊本市中心市街地から歩いて行ける練兵町というまちにあります。
熊本駅からも中心市街からも市電で10分くらいのところです。

早野ビルは現在も貸しビルとして現役です。
2、3階はデザイン事務所などが入居しています。

2階には、デザイン事務所〈JAM〉が入ります。

3階には同じくデザイン事務所〈PREO DESIGN〉のオフィス。

1階にあるのは、誰でも気軽に活版印刷を楽しめる〈九州活版印刷所〉。
この活版印刷のレトロ感とビルの雰囲気がとてもマッチしていて
ずっと前からここにあるような感じです。

明治より受け継がれてきた昔ながらの校正機を使っている九州活版印刷所。

活版印刷所の上にはまた別のWEBデザイン事務所〈media punta〉があります。

広々とした屋上は入居者みんなの共用スペース。
天気がいい日は昼寝も気持ちよさそうです。
床にはレトロなタイルも。

このようにいまは、主にデザイン事務所が多く入居する早野ビル。
さまざまなデザイナーやクリエイターが集まってきたキッカケは、
最初に入居しているデザイン事務所〈JAM〉の小山田さんの影響でした。

小山田さん。

和歌山県に 移住するってどんな感じ? 〈わかやま!移住体験してみた〉 CM&ムービー公開中

和歌山県に移住してみたらどんな生活になるんだろう...?
ただいま和歌山県による、首都圏から移住を考える人に向けた
わかやま移住体験ムービーが公開中です。
その名も「わかやま!移住体験してみた」。
東京都練馬区に暮らす柘植ファミリーが
和歌山の暮らし体験ツアーに参加したドキュメンタリーです。

柘植ファミリーのお父さんは、電器設備の職人。
お母さんはピアノの先生。お子さんは二人で、
小学校一年生の女の子と幼稚園児の男の子。
いつかは田舎で暮らしたいと夢をもっているご家族です。

そんな彼らが、和歌山の暮らし体験ツアーに参加しました。
カフェを経営している先輩移住者と話したり、
鹿肉で作った田舎料理でもてなされたり、
ほかにも地元の小学校や企業オフィスを訪ねたり。

「人が素晴らしい。話すほど和歌山が好きになる」
と語った柘植さん。いったいどんな体験をしたのでしょうか。

ちなみに“田舎暮らし応援県わかやま”を掲げる和歌山では、
現地体験会や山村留学、農家民泊、田舎暮らしワークステイなどの
プログラムを行っています。ご興味が湧いた方はこちらをチェック!

『和ごころを伝えるデザイン』 “新しい和のデザイン”の アイデアが詰まった一冊

書籍『和ごころを伝えるデザイン』が
パイ インターナショナルより発売中です。
これは、和風のデザインを表現している作品を手法別に掲載し、
細やかな和ごころをつたえるポイントに焦点をあて紹介するデザイン書。

日本の名風景などを使った〈フォトグラフィー〉、
日本古来の文字や和風テイストのロゴマークをあしらう〈タイポグラフィー&ロゴ〉、
和の伝統色を効果的にあしらったものや四季を彩る配色などの〈カラーリング〉、
浮世絵や錦絵の雰囲気を漂わせたり、日本画を用いる〈イラストレーション、
海外の方にも届けたい新しさを感じるデザイン〈ニュー・ジャポニズム〉など。

地方創生、古き良き日本やこれからの新しい日本を
伝えていくためには、どのようにしたらよいでしょう?

日本人の心の機微やわびさび、凛とした美しさ、雅な世界観など。
そうしたものを“伝える”ために、
様々なかたちで和風のデザインを表現している作品を手法別に掲載し、
細やかな和ごころをつたえるポイントに焦点をあて紹介していきます。

三陸から始まる 1000人の“フィッシャーマン” をつくるプロジェクト。 フィッシャーマン・ジャパン前編

フィッシャーマン1000人できるかな

日本は海に囲まれているから、昔から水産文化が豊かに根づいている。
いろいろな地域に行くと、各地に名産の海鮮料理があり、
新鮮な魚をおいしくいただける。
しかしその魚を獲る漁師は、
20年前の約32万人から減り続け、現在では約17万人。半減に近い。
特に、20〜30代の漁師は2割にも満たない。
国内の水産物の生産額も半減している。
日本人は魚が好きという定説からすると不思議に聞こえるかもしれないが、
このような現実があるのだ。

そんな現状を打破したいと動き出した団体がいる。
世界三大漁場ともいわれ、漁業が盛んな三陸エリアで、
2014年に立ち上がった〈フィッシャーマン・ジャパン〉である。
現在、事務局を務める長谷川琢也さんは、
東日本大震災後にヤフーの復興支援室勤務として石巻に移住し、
〈復興デパートメント〉や
水産物を取り扱う〈三陸フィッシャーマンズプロジェクト〉などを立ち上げた。
そんな長谷川さんと、石巻の漁師、阿部勝太さんの出会いがきっかけだった。

フィッシャーマン・ジャパンのメンバー。(右から)発起人の長谷川琢也さん、アートディレクターの安達日向子さん、プロジェクトマネージャーの島本幸奈さん、写真家の平井慶祐さん。

「僕が、ヤフーの復興関係の仕事で石巻に来たのが2012年。
その直前に(阿部)勝太に会いました。
初めて会ったときから、震災からの復興だけでなく、その先を見据えていましたね。
彼から“これをきっかけに漁業に変化を起こすような挑戦をしていきたい”
という話を聞いたんです。
でも、いきなり東京から来たよそ者と、20代の若い漁師で始めるのは簡単ではなくて、
ゆっくりと仲間を増やしてやっていこうと思いました」と、
出会いを話してくれた長谷川さん。

「僕は漁師だし、長谷川さんも水産物の取り扱いに力を入れていたので、
自分たちの仕事を通して、いろいろな水産系の仲間に出会うことができたんです。
彼らと話すと、みんな同じような問題意識を持っていたり、
やりたいことが似ていることがわかりました」と言うのは、
一般社団法人〈フィッシャーマン・ジャパン〉の代表理事を務める阿部勝太さん。

石巻市の十三浜でワカメ漁師をしている阿部勝太さん。漁業生産組合〈浜人(はまんと)〉を立ち上げる。(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)

ふたりの思いに共鳴して、若い仲間が集まっていき、
長い構想期間と地ならしを経て、フィッシャーマン・ジャパンが立ち上げられた。
その原点には、ふたりの漁師の言葉が強く残っていると長谷川さんは言う。

「勝太と、もうひとり理事を務める漁師の鈴木真悟。
彼らの言葉がすごく心に響いています。
震災をきっかけに、漁ができなくなって、土地から出ていってしまったり、
漁師を辞めてほかの仕事をしている仲間がたくさんいて寂しいと言うんです。
そんな人たちも、自分たちががんばっている姿を見れば、
戻ってきてくれるのではないか、と。
そこなんです。みんな地域に根を張っているんですよ。
代々続く太い根があって、1回離れても戻ってこられる。
よそ者にとって、うらやましくて、すごく惹かれる話でした」(長谷川さん)

カキ剥きの実習なども行われている漁師学校。詳細は後編にて。

石巻の美しい漁場。

えひめで、働く、暮らす、育てる。 〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉 イベントレポート

“仕事”からイメージしてみる、えひめ移住

自分らしいスタイルで働きたい、地域活性の活動に興味がある、
より良い環境で子育てをしたい、充実したセカンドライフを送りたい……など、
さまざまなかたちで地方移住への関心が近年高まりつつあります。
でも移住を決断するまで、考えたり決断しなければいけないことはたくさん。
そして多くの人が一番悩むと思われるのが
「日々の暮らしを支える“仕事”をどうするか?」ということ。

でも“仕事”をまず切り口に、移住した後の生活の魅力を考えてみるというのは、
実はイメージしやすい検討方法のひとつ。
そんなアイデアのもと、“仕事の選択からえひめ移住をイメージしてみる”をテーマに
開催されたのが〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉
愛媛県の職の魅力、そこから見えてくる暮らしや環境を紹介する、
地方への移住や愛媛県へのU・J・Iターンを考えている方に向けたイベントです。

2月14日(日)・21日(日)・27日(土)の3日間に分けて、
農業、福祉、サービスなど、多彩な職種の愛媛県の企業が一堂に集結する
〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉。
今回は2月14日(日)に開催されたフェアの様子をお届けします。

フェアの開会の挨拶をする、愛媛県企画振興部長の門田さん。

第1回目となるこの日のフェアに参加されたのは、20代から60代の方々。
ご夫婦で参加された方もいれば、お子さんと一緒に会場へいらした方も。
受付後は〈おせっかい人〉と呼ばれるスタッフに引き合わされ、
フェア開始までの間にどんなことに興味があるのか、どの参加企業と面談したいか、など
簡単なヒアリングが行われます。

愛媛県企画振興部長の門田泰広さんによる開会の挨拶に続いて行われたのが、
東京・有楽町にある〈ふるさと回帰支援センター〉で
愛媛県専任の移住相談員である〈えひめ移住コンシェルジュ〉の松岡朋枝さんによる
愛媛県でのライフスタイルの紹介。
温暖な気候による暮らしやすさ、住環境が充実しているので
通勤・通学時間が全国で一番短いこと、
そして全国で2番目に仕事の平均時間が短いことなどから、
仕事をしながらも自分の時間や家族との時間を持ちやすいといった、
愛媛県だからこそ送れる生活の特長を紹介。
また県内には自治体の移住担当窓口以外にも、NPOなどで移住を支援している団体があり、
移住をサポートする体制を整えているという、頼もしいひと言もありました。

愛媛県への先輩移住者である冨田さん。東京に住まれていた頃は、広告代理店に勤務されていたのだそう。

続いて行われたのが先輩移住者として、
震災をきっかけに東京から愛媛県伊予市に移住した先輩移住者の冨田敏さんによる経験談。
自然が多く、子育てがしやすいことや、地域の方々とのやりとりについて紹介。
移住後の暮らしに関するリアルな声ということもあり、
どの参加者も真剣に聞き入っているのが印象的でした。

そして冨田さんを司会に行われたのが、この日フェアに参加した企業9社の紹介。
その職種は農業や福祉にはじまり、宇和島のバス会社や老舗旅館までと実にバラエティ豊か。
また各企業における仕事の内容だけでなく地元に関する紹介も行われ、
ひとくちに愛媛県といっても沿岸部や離島など海と縁のある地域から、
ウィンタースポーツ施設が整った高原まで、地域によって環境がいかに異なるかを実感。
“仕事”だけでなく、環境という面でも幅広い選択肢があるのも
愛媛県ならではの魅力かもしれません。

フェアの参加企業の紹介は各社のPRムービーと共に。

参加者の皆さんが座られているのは、みかん畑で使用されるコンテナ。座面が広いせいか、思いのほかいい座り心地。

各社の紹介が終わった後は、参加者と企業との面談がスタート。
面談といっても採用面接のような重苦しさはなく、
“まずは話を聞いてみたい”というスタンスでも参加できることもあり、
和やかな雰囲気につつまれていた会場。
待ち時間中はケータリングコーナーでジャコ天やみかんジュースなど
愛媛県ならではの軽食を楽しめたり、〈おせっかい人〉に追加でヒアリングもしてもらえたりと、
リラックスした雰囲気の中で移住に関する情報を得られるフェアでした。

会場には、たくさんのみかんも。愛媛県ならではの、うれしいおもてなし。

会場内のキッズスペースには、愛媛県で育った木でつくられたおもちゃや、愛媛県出身アーティストのMAYA MAXXさんの絵本が。

この記事を読んで愛媛県への移住に関心を持たれた方もいるかもしれませんが、
人生における大きなライフイベントとなる移住。
移住先を決めるときのポイントや準備、移住までの流れなど、
気になることはたくさんあると思います。そこで次のページでは、
今回のフェアにも参加されている相談機関の方々にうかがった話をご紹介します。

参加者は延べ3000人。 市民の力で守ってきた、 もうひとつの古民家再生とは。 一般社団法人ノオト vol.9

一般社団法人ノオト vol.9

ノオトの連載も第9回目を迎えました。
今回は、前回の記事でも取り上げた、〈NPO法人 町なみ屋なみ研究所〉(通称“町屋研”)
の理事長である酒井宏一さんに執筆をお願いしました。

町屋研は、我々の本拠地である兵庫県篠山市を中心に、
ボランティアの力を活用した古民家再生・活用や、
伝統的なまち並み景観の保全活動を行うNPO法人です。
町屋研にはノオトの社員が2名参画していることもあり、
ノオトとは物件情報の共有や人材の交流、物件状況に応じた役割分担など、
お互い連携しながら古民家再生・活用事業を行っています。

具体的には、所有者・事業者の意向や用途に応じ、
ボランティアを活用し低コストで時間をかけて改修する場合には町屋研、
プロの人材を活用して事業化や産業化を積極的に進める場合にはノオト、
といった役割にあることが多いです。
今回は、市民活動の立場から見た古民家再生の現場をご紹介できればと思います。
以下、酒井宏一さんにバトンタッチします。

古い町家を残すためには

こんにちは。〈NPO法人 町なみ屋なみ研究所〉の酒井宏一です。
私たちは、「伝統的なまち並み景観や伝統的な建物は、歴史や文化と同じように、
大切に守らなければならない日本全体の財産である」という思いを持って、
ノオトとはゆるやかに連携しながら、
市民の力による伝統的なまち並みの保全、活用に取り組んでいます。

そのスタートは2004年。
丹波地方の地域づくり団体であるNPO法人たんばぐみの一部門(まちなみ景観部会)、
として〈丹波篠山古民家再生プロジェクト〉を立ち上げました。
その後、2010年に〈NPO法人 町なみ屋なみ研究所〉として独立した団体です。

立ち上げから10年以上「伝統的な建物が壊されないようにする活動」
「伝統的な建物の活用」「古民家再生ボランティア活動」などを
ボランティアベースで続けています。

例えば、壊されそうな町屋があると聞くと飛んでいって
「なんとか壊さないでください」とお願いしたり、
景観上大切な建物が空き家になっていれば
具体的な保存・活用方法の提案などもお手伝いしています。

まずは、この活動を始めたきっかけを少しお話したいと思います。

私はなぜか昔から古いまち並みが好きで好きでしょうがなくて、
日本各地のまちを巡るのを最大の楽しみにしていました。
私にとっては理屈抜きに、古い建物や伝統的なまち並みはすごく大切なものだったんです。

ところが、訪ねた歩いたそれぞれのまちで、
久しぶりに行ってみると町家などの古い建物が壊されて、
ずいぶんとまち並みの雰囲気が変わってしまっていることもたびたびありました。
こんなときはすごくかなしいイヤな気分になってしまいます。
伝統的な建物が壊されて古いまち並みが失われるのは
私にとってもったいないという以上に、
何か大切なものを失った気持ちになり、落ち込んでしまうのです。

古いまち並みを守る仕組みとして、
国の制度である重要伝統的建造物群保存地区のような、
法令による規制や補助金制度があるのですが、
そのように国に守られる保存地区は日本の中でごく一部で、
そのほかの大部分の建物については、
壊されていくのを防ぐことが難しいのが現実です。

そんな風に古いまち並みが失われていくのがイヤで、
なんとか、規制や補助金以外に守る仕組みができないかといろいろと考えたのが、
現在の活動の原点です。

篠山市河原町の伝統的なまち並み。

市民の力でまち並みを守る「古民家再生ボランティア」

そのなかで、10年以上定期的に実施しており、
私たちの中心的な活動となっている「古民家再生ボランティア」の仕組みついて、
詳しくご紹介します。

「古民家再生ボランティア」とは、
古民家再生工事の現場で、プロの職人の指導のもとに、
市民ボランティアが、ワークショップ形式で行う取り組みです。
壁塗りや床張りをはじめとした大工仕事や、荷物の片付けなどを行います。

篠山を中心に、毎月2回の開催を継続的に続けており、今年で11年目となりました。
ボランティアの方は毎回10名程度で、これまでの実施回数は230回、
参加者は延べ3000人近くになっています。
最初はそこまで続くと思っていませんでしたので、
本当によく続いているものだと思います。

ワークショップで人気の土壁塗りの様子。

毎月第1・3土曜日に開催しているワークショップ。見学も自由です。