都市に奥行きをつくる。 HAGI STUDIO vol.6

HAGI STUDIO vol.6

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。
これまでの連載でひたすらHAGISOの中のことを書き連ねてきましたが、
最終回にきてようやくw外に目を向けてみたいと思います。

第2フェーズ「まちへ」

2013年3月から始まったHAGISOも、まもなく丸2年が経とうとしています。
バタバタと駆け抜けてきた2年間でしたが、
HAGISOの第2フェーズとして、
より一層地域・エリアに還元できる活動をしていきたいと思っています。
これまでもまちの魅力を高めるような場所として存在できるよう考えてきましたが、
あくまでHAGISOの中での活動だった気がします。
しかし、そもそも谷中でこのような試みを始めたのも、
このまちのポテンシャルに惚れ込んだからでした。

谷中銀座商店街。現在でも八百屋・魚屋・肉屋などの小売店が元気な商店街。道の幅員の狭さが、人と人の距離も縮めている。

岡倉天心記念公園。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に関わり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。

小さな小売店が点在し、各家の植木鉢が道を彩る、迷路のような路地。

まちの食料品店「みかどパン」の目印、ヒマラヤ杉の大木。元は植木鉢に入っていたというヒマラヤ杉が、みるみる大木になったという。樹下の民家を守っているようにそびえている。

海外でも人気の自転車メーカー「toykobike」の直営店は谷中にある。もともとは酒屋、伊勢五本店の築80年の建物。

これらはほんの一例ですが、これらの魅力的な場所がいまだに住み継がれていることに、
約10年住んだ今でも感動を覚えます。このまちに対して僕らは何が返せるでしょうか?

谷中で行った初めてのプロジェクト

実は僕らが谷中で行ったプロジェクトはHAGISOが最初ではありませんでした。
2007年の夏、大学院在籍中に研究室のプロジェクトとして行った、
MACHI-YATAI PROJECT」というものがあります。

全体構成ダイアグラム。路地を7枚の暖簾で仕切る。

これは谷中にある路地を、一時的な設え(MACHI-YATAI)を用いて
展示空間に変換するプロジェクトです。場所はお寺の私道で、車も入れない細い路地です。
道の真ん中に木が立っていたり、今も水が出る井戸などがあります。
ただでさえワクワクして面白い場所ですが、
この一本の長い路地を「暖簾」で分節させ、その間に作品を設置することで、
一連なりの展示空間とするものです。

普段周辺にお住まいの住民の方の日常的な通路が、暖簾を設置するだけで一変します。

アートを通して、 人と人が関わる宿泊施設 KYOTO ART HOSTEL kumagusuku HAPS vol.5

HAPS vol.5
kumagusukuが生まれるまで

京都市中京区壬生。市内中心地の西、二条駅や二条城の周辺は、
大規模な商店街があるなど昔ながらの雰囲気を持ちつつ、
独自色のある小さなショップやギャラリーなどが増えている一帯です。
新旧の入り交じる活気があります。
そんなまちの一角に、
2014年11月完成した「KYOTO ART HOSTEL kumagusuku」。
展覧会の中に宿泊し、美術を“体験”として深く味わうための施設です。
2015年1月にオープンしました。
コロカルニュースでも紹介され、大きな反響がありました)

今回は、HAPSでマッチングをした物件ではありませんが、
計画当初より相談をいただき、
情報提供を行ったkumagusukuができるまでを辿ってみます。

kumagusukuとは、
博物学者・南方熊楠の名前と、
沖縄の言葉で“城”を意味する“グスク”とを合わせた造語。
熊楠の名前に含まれる
熊=動物と楠=植物を人間の営みの象徴として、
さらに城を組み合わせることで宇宙的な視座を持って世界を見て、
関わっていくという思いが込められています。

そもそもの発端は、2012年12月。
kumagusuku代表である美術家・矢津吉隆さんの、
「美術作品を通して人と人が関わる宿をつくりたい!」という思いから。
京都市立芸術大学を卒業して10年間ほど、
美術予備校講師や美大の非常勤講師を務めながら
作家活動を続けてきた矢津さん。次のステップに向けて、
何らかの決断をしなければいけない時期に差しかかっていました。

そんなとき、友人に誘われ、訪れた沖縄でのこと。
なんと大きな台風が直撃してしまい、
3日間もゲストハウスに閉じ込められることに。
しかし、人生を立ち止まって考えているときに
日常とは離れた環境のなかで
シーズンオフの沖縄にふと集まってきた人たちと話すことが
期せずして自分の内面をさらけ出すこととなりました。
この体験から、アートを通して
人と人がじっくり関われる宿をつくりたいという構想が生まれたのでした。

住宅街に佇む木造2階建てのkumagusuku 。

とは言うものの、
これまでアーティストとして活動してきた矢津さんにとって、
事業を起こすというのは新たな領域です。
事業計画の作成や融資など、初めてのことも多く、
まずはHAPSで紹介した行政書士の藤本寛さんからアドバイスを受けました。
当初は、自己資金で何とかできるのではと考えていた矢津さんも、
計画を進めていく中で、ひとりではできないということを実感。
思いを伝え具体化していく過程で、
これまでのつながりから、関わるメンバーも増えていき、
最終的には、創業者支援の融資制度や、
京都市の空き家改修のための助成金も活用することができました。

しかし、「事業の実績がない!」ことは説得材料に欠けるもの。
そこで矢津さんは、「瀬戸内国際芸術祭2013」に誘われたのを機に、
小豆島で期間限定のプロジェクトとして、
井上大輔さんとともにセルフリノベーションで、
kumagusukuの前身、アートを鑑賞できる滞在施設を実現。
(この様子はコロカルで連載中の小豆島日記にてレポートされています)
考えていた以上の盛り上がりに、
アートがつなぐ宿の方向性に確信を抱きました。

(左より)「工芸の家」のメンバー 石塚源太さん、kumagusuku代表・矢津吉隆さん。

京都へ戻った矢津さんは早速物件探し。
当初HAPSにもご相談いただいていたのですが、
うまく条件に合致するものをご紹介できませんでした。
京都市内には、町家など多くの空き物件はありますが、
宿泊施設としてさまざまな条件をクリアする物件を見つけるのは
なかなか難しいところがあります。

そんな物件探しに難航していた矢津さんが出会ったのは、
シェアスタジオを運営するなどして、
20年以上京都市内でアーティストを支援してきた、
A.S.K. atelier share kyoto (以下A.S.K.)代表の小笹義朋さん。

小笹さんはkumagusukuのプランを聞くと、
矢津さんとの出会いも何かの縁と感じ、
kumagusukuへスポンサーとして関わることを決断。

実は小笹さんは、そのときある木造物件を借り、
新たな共同スタジオにしようと
工事をスタートさせる一歩手前のところだったのですが、
この計画を一変させ、kumagusukuへと生まれ変わらせることに。
「見たことがないものを見たい、名付けられないものを見せてほしい」
と矢津さんに期待を寄せました。

小笹さんは、2012年からHAPSが活動を始め、
京都市の事業としてアーティストのためのスタジオ紹介が
行われるようになったことで、
スタジオ提供に関する自身の荷が下りたのだそうです。

A.S.K. atelier share kyoto代表の小笹さん。

手が入る前の物件1階の様子。

1階と2階を合わせて、
160平米以上ある元アパートだったという木造建築の物件。
全体のリノベーションを担当してくれたのは、
大阪・北加賀屋を拠点に活動する「dot architects」の家成俊勝さん。
ロゴや館内サインのデザインは、
矢津さんが長年仕事をしてきた
UMA / design farmの原田祐馬さんにお願いしました。

dot architectsによるkumagusukuの模型。(写真提供:kumagusuku)

dot architectsの建築は、建築単体というよりも、
人の関係性や建築の使われ方といったソフト面を含めデザインしていくというもの。
「完成が終わりではなく、その後いろいろな人が手を加え、
更新されていく余地を持たせてくれる建築に」という、矢津さんの希望とも合致しました。
そこで、矢津さんと家成さんが大切にしたのは、
「歴史的な蓄積をできるだけ残したい」ということ。
しかし、全部を包括的に更新するというのではなく、
手を加えたところと既存部分がわかるような、
“新たなレイヤーがつくられる建築”を模索。

さらに、もともとの「展覧会の中に宿泊する」というコンセプトから、
展示室と客室を分けたくないが、法律的には分ける必要もあるため、
視線の交錯を意識しながら、独立した空間をどうつなげていくかが、
課題となりました。

地域デビュー本番のはじまり!

米をめぐるワークショップ開催!

2012年晩秋、「山ノ家」初の地域コラボレーションの出発点となったのは、
「米」をめぐるワークショップ!
まったく人が来ない状況を打開するために、
「地元の里山の魅力を味わい尽くしてもらえるようなイベントを!」
と地域の方々に協力いただいて組み上げたツアープラン。
オープンした夏から知り合えた方々や
動きに注目してくださりながらも来れていなかった方々など、
とにかく縁あったみなさんにニューズレターを配信した。
夏のオープンの喧噪期を過ぎて秋にようやく立ち上げた
フェイスブックにも情報を公開。

それは、すでにイベント開催の3週間前を切ったタイミングで、
集客は絶望的にあやぶまれていたのだが、
蓋を開けてみれば、なぜか男性部屋は満室!の大盛況。
それに加えて、関西からはるばる参加してくれた女性客など、
それなりに賑やかな人数の参加者が都市圏から集まってくれた。
後に回を重ねることになった、この「里山の自然と農」の
記念すべき初ワークショップに参加してくださったみなさんには
今も感謝の気持ちでいっぱいである。
この寂しかった秋の終わりに、
私たちを見つけてくれてありがとう、と。

実はこのワークショップの直前に、請われて
「複数拠点を移動するライフスタイル」について
語り合うトークイベントに出演させていただいていて、
そのトークでファシリテーターを務めた某誌の編集長さんと意気投合。
取材もかねてと、スタッフを参加者として
送り込んでくれたことも大きかった。

山ノ家に到着したワークショップ参加者の面々。

ちなみにその時のトークイベントで、
私(池田)は「ダブル・ローカル」
=複数の拠点を行き来して生活と仕事を持つくらし方
=複数の “地元”を持つ生き方が、
ローカルの過疎の是正に繋がるのでは、と、
初めて「ダブル・ローカル」という言葉をパブリックに発したのであった。
どちらにも「ただいま!」と帰って行くふたつの地元。
それは現在も変わらない。

アート散歩中の参加者のみなさんと案内役の隣人たち。

さて、実際のワークショップツアーはというと、
とれたての新米を味わうクライマックスを楽しみに、
到着すると、まずは松代散策からスタート。
山ノ家の地元、松代周辺に点在する大地の芸術祭作品を鑑賞するアート散歩は
農舞台や松代城山周辺の作品群を、
芸術祭ファンという地元の小学生、大貴くん(vol.2参照)と
彼のお父さんに案内してもらう。
ちなみに、大貴くんの芸術祭作品巡りのパスポートは
各作品を訪ねると押してもらえるスタンプで真っ黒。
生え抜きの芸術祭猛者である。
生まれ育つ場所に、生まれた年から(彼は芸術祭がスタートした年に生まれた)
世界的に評価の高い実験的な芸術作品が存在していたなんて、
何とうらやましい境遇だろうか。
でも、彼にとっては、これは「日常」なんだろうな。

甘酒をつくるところ。

できたての甘酒。

すでに雪が積もっていることもめずらしくない11月下旬の松代だが、
この週末はめずらしく小春日和。穏やかな空気の中、アート散歩の後は、
松代生活の大先輩、かつ「発酵」研究実践家の若井明夫さんを先生に
米のとぎ汁で万能せっけん水を作ったり、塩糀を作ったり、
玄米と米糀だけで甘酒をおこしたりともりだくさんなワークショップ。

紅葉の中を芝峠温泉「雲海」に向かう。

続いて、紅葉に染まる山道を山ノ家から車で登ること約10分。
芝峠温泉の眺めのよい露天風呂で疲れを癒した後は、山ノ家でわいわいと晩ご飯。
ちなみに、この露天風呂、入湯料600円!
十日町市内には多数の良い温泉がたくさんあって、
日帰り入浴はすべてほぼそのくらいの料金。
おそらく全国各地の温泉地もそんな感じなのであろうと思いつつも、
日常的によい温泉に気軽に入れる喜びといったら、もう至福である。
しかも、山ノ家に車で迎えに来てくれるのだ。

申し遅れましたが、山ノ家には車がない。
実は2015年の冬現在も、まだない。
ローカルライフの移動には欠かせない車を持たない私たちは
よく驚かれるのだが、ここに住んでいるメリットのひとつは
コンパクトシティであること。
駅も病院も銀行も農協ストアも5分以内で歩いていける距離にある。
しかも温泉はドア・トゥー・ドア。
今のところ、車を使っていなくても困らないのだ。
とはいえ、さすがに歩いてはいけないが、
行きたい/行かなくてはならない場所も
もちろん多々あるため、近未来には必要かなと思う。

さて、翌朝はきのこ狩りである。
地元のタクシー会社の代表であり、
松代の名ガイドとしても名を馳せる村山達三さんが「きのこ先生」。
この時以来、彼が先生をつとめてくれている「きのこ狩り」「山菜採り」の
ワークショップに参加したことのある方はよくご存知なのだが、
彼の案内はダイハードかつタフな道行きとなること必至。
もうついて行くのでやっとである。
熊除けの鈴をチリンチリンと鳴らしながら
ずんずんずんずん山に分け入っていく。
私たちは息を切らして追いすがる。

きのこ狩りの道行き、分け入る達人追う我ら。

山の達人、達三さん。

「きのこはなあ、朽ちかけている木に生えるんだよ。」
なるほど。
それらしきものを見つけて先生に見せる。
「これはどうですか?」
「これは食えないやつだな。」
ううむ。まったく見分けがつかないな。

ひたすら山道(というか、そこに「道」はない)をかき分けて歩いていくが、
なかなか、「食べられるきのこ」というものにめぐり会えない。

実はもともと、きのこ先生をお願いした時にも、
きのこ狩りとしてはかなりぎりぎりの季節だけどねえ
とは言われていたのである。
時期としては晩秋過ぎると。
いや遅めなのは重々承知ではあったのですが。
本来ならば初雪が降ってもおかしくないタイミングだし。
(なんとこの快晴のきのこ狩りの週末が明けたとたんに松代に初雪が降ったのであった)

ふかふかした落ち葉を踏みしめてさらに分け入る。

必死できのこを探す我ら。

しかし本当に見つかるのか……
と、冷や汗を体感しつつ悩ましく思った瞬間、

ついに!

倉庫群の 再生プロジェクト。 シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05 
個から地域へ

長野市善光寺門前界隈には、ここ5年あまりでたくさんのリノベ物件が誕生しました。
これだけ狭いエリアに多くのリノベ物件が集積している地域は珍しいと思います。
もちろん個々のお店や住居は、各々個性的で独立した存在なのですが、
同一エリアに多く集まることで、その先に“まち”が見えてきました。
誤解を招くといけないので一応言っておくと、CAMP不動産は、
いわゆる従来的な“まちづくり“をしようとしているのではありません。
それでも“まち”が見えてきた、というのは、
あくまで、ひとつひとつ個別のリノベ案件について、
それがその場所で成立するための方策をあれこれ考えていると、
どうしても“まち”との関わりを無視できなくなるからなのです。
今回は、そんな個から地域への視点の広がりについてお話しできればと思います。

SHINKOJI(新小路)プロジェクトがスタート

不動産業を営む倉石さんと建築設計業を営む私が、
各事務所のスキルを横断的に生かしながら
リノベに関わる一連の事業について取り組んでみようと
「CAMP不動産」という活動を始めたのが2012年10月でした。
CAMP不動産として最初の物件は、vol.2で書いた藤田九衛門商店でしたが、
実はそれとほぼ時を同じくして構想を始めたプロジェクトがありました。

それが、SHINKOJI(新小路)プロジェクトです。

リノベ前の新小路。小路を挟んで両サイドに大きな倉庫が建ち並んでいます。

善光寺門前にある東町は、かつてとても人通りの多い問屋街でした。
新小路(しんこうじ)とは、その東町にある細い小路の名前です。
昭和10年頃には、洋食屋さんや鰻屋さん、中華料理屋さんに文房具屋さんなどが立ち並ぶ、
とても賑やかな小路だったそうです。

その後、昭和40年代に入り、新小路に建つお店は、
文房具卸し会社の本社や倉庫へと建替えられて一時代を築きました。
しかし、近年のインターネットなどによる流通構造の変化は、
まちなかの問屋街の様相を一変させました。新小路も例外ではありませんでした。
現在は、倉庫としてもほとんど機能していませんでした。

そんな状況下で、「SHINKOJIプロジェクト」は、
人通りの少なくなってしまった新小路に建つ、
計4棟の倉庫群をリノベーションするプロジェクトとして構想がスタートしたのです。

きっかけは地元不動産会社の相談から

時は遡り、CAMP不動産がSHINKOJIプロジェクトの構想を始める約2か月前。

地元不動産会社のリファーレ総合計画が、
この倉庫群の利活用を前提にした事業に着手したことが、
SHINKOJIプロジェクトのそもそもの始まりでした。

2012年9月。リファーレ総合計画の取締役である寺久保尚哉さんは、
まちなかにあるこの倉庫群を自社の事務所として利用しようと考えていました。
しかし、自身の不動産事務所として利用するだけでは建物が広すぎるため、
全体をどのように利活用していけばよいのか、いろいろな方に相談していたそうです。

その相談先のひとつに、CAMP不動産(株式会社マイルーム)があったのです。

この倉庫群には、古い建物にありがちな、完了検査を受けていなかったなど、
法的な問題点も数多くありましたが、
寺久保さんが、行政や建築士との協議を重ね、ひとつひとつ丁寧に解決し、
先ずは建物を“使える状態”にまでにしてくださったことが、
SHINKOJIプロジェクトがスタートを切る事ができた最大のきっかけにもなりました。

リノベーションをサポートする「リノベ基地」

リノベ前の新小路、北棟玄関。鉄骨造3階建ての事務所+倉庫でした。

2012年11月。以下、プロジェクトが始まった頃の、倉石さんのメールを紹介します。

「寒くなってきましたが、お元気ですか?
さて突然ですが、近々おもしろいプロジェクトが始まりそうなので、
お誘いのメールを送ります。
詳細は未定で、あえて名前を付ければ「リノベ基地」プロジェクトです。

まちなかの大きなビル倉庫群が借りられそうなので、
エリアごとリノベ基地にしてしまおうというものです。
放っておけば、いつものごとく壊されて駐車場になってしまいます。
建物は天井が高く、トラックも入る倉庫で、
そこでみんなの作業場にして、シェアしようというものです。
広いスペースでは、材料や道具がゆったり置け、もちろん加工もできます。
廃材や古家具もストックでき、職人さんが集まればオリジナル品もつくれます。
お客さんとのリノベプランが、現場さながらに進められます。
また、若者や熟練のスタッフがワイワイと集まり、
手がほしい現場ではテコになってくれます。
2階には、関連する道具屋、本屋、雑貨屋、めし屋、などがテナントとして入ります。
3階には、スタジオ、編集室を設け、
リノベやストックの物件情報とスタイルを発信していきます。
リノベに関連する事務所オフィスも入れます。
4階・屋上は、ゲストハウス的なものを設け、居住滞在も可能にします。
同じようなスペースを探している人たちを県内外から誘って、
シェアして使ってもらおうというものです。」

……CAMP不動産では、だいたい倉石さんのこんな妄想話から始まります(笑)。
補足説明すると、この時点で入居希望のテナントや入居者は誰ひとりとして決まっていません。
それでもよいのです。
リノベプロジェクトにおいて、ここで、ひとつのビジョンが提示されたことに
大きな意味があるのだと思います。

次は、私の番です。

解体素材をフル活用 みんなで古民家リノベーション 「マスヤゲストハウス」後編 medicala vol.4

medicala vol.4

前編ではマスヤゲストハウスの解体までの様子や
古民家をリノベーションすることのメリットやデメリットについて書きました。
キョンの希望だった“暖かい”の部分をどのように実現していったのか?
後編では解体で出た材料をどのように加工して再利用していったのか?
ということなどに触れながら完成までの流れを追っていきたいと思います。

寒冷地・長野の暖房対策をしっかりと。

解体が終わると下地工事が始まります。
解体までは壊していくマイナスの作業。
そこから「つくる」というプラスの作業が始まる瞬間がなんとも気持ちよく、
今回は解体期間が長かった分「いよいよだな」という気持ちになりました。

最初の壁下地工事の様子。キョウちゃんは大工さんから下地のつくり方をこの時学びました。

下地工事と並行して始まるのが「断熱」の作業。
断熱をすると、外の温度が建物の内部に伝わりにくくなるので、
夏は外の熱を、冬は冷気を、断熱材が食い止めてくれます。
隙間だらけの古民家ですが、断熱をすることで夏は涼しく、冬は暖かい空間を目指します。
新しく下地を組み直す部分に断熱材を入れることは難しくありませんが、
問題は既存の部分にどう組み込むか。
もうすでに仕上げてある壁や床を剥がして断熱材をいれて元に戻す、
というわけにはいかないので、簡単にはいきません。
それでも、少しでも暖かくということで、
例えば廊下などは、床の下から断熱材を打ち付けました。

床下に潜って断熱材を固定するキョン。

もともと諏訪地域は標高が高く涼しい場所なので、
断熱をしっかりして、さらに風の通り道をきちんとつくることで、
エアコンなしでも快適な夏を過ごせる空間になりました。

そして、断熱とともに、暖かい!を実現する上で欠かせないのが暖房器具。
結論から言うと、マスヤゲストハウスでは
「ペチカストーブ」というロシア式の蓄熱型ストーブをつくりました。
寒い地方で暖房をどのようにとるかは大きな課題です。
灯油だけに頼ると、どうしてもランニングコストがかさんでしまいます。
マスヤでは、暖房についてかなりいろいろ考えたり調べたりしました。
薪ストーブ、ロケットストーブ、オンドルなどなど。
さらには薪ストーブとペチカの複合型など、
調べると本当にたくさん工夫が施されたストーブたちを見つけることができます。

暖房を考える時に日本の森林問題なども大きく関わってきます。
日本は国策として針葉樹(杉・ヒノキなど)を植樹しましたが、
その手入れ(間伐材など)が大きな問題になっています
(こちらがわかりやすいので興味がある方はどうぞ
KINO TOKYO TREE PRODUCTSのムービー「東京の木とやまのおはなし」

ストーブは木を燃料に熱をとる暖房器具ですが、
薪ストーブのなかには「広葉樹しか燃やせない(針葉樹が使えない)」ものも存在します。
針葉樹を燃やせるストーブにすることで
間伐材や製材所の端材などが安く手に入る可能性が増えて
ランニングコストも下げられるし日本の山のためにもいい!
そう考えました。

そういったいくつかの理由を考慮して採用したのがペチカストーブ。
ペチカストーブの良い部分は針葉樹も燃やせること、
蓄熱型なので薪を焚くのが1日2回でいいこと、大きな薪も使えること、
大きな空間を暖めることができること、メンテナンスがあまりいらないことなどがあります。
デザイン的にもレンガを使用するので赤レンガの塀のあるマスヤにぴったりです。
デメリットはロケットストーブなど二次燃焼機能のあるストーブに比べて
薪を大量に使うことでしょうか。
デメリットを考慮してもペチカストーブの持つメリットは
宿の運営に合いそうだったので今回はペチカストーブをつくることにしました。

がんばればDIYできるペチカストーブですが、今回はプロにお願いしました。
お願いしたのは下諏訪から車で1時間もかからない伊那にある、「有賀製材所」。
僕の知り合いがペチカを自宅に導入する時にも
この有賀さんにお願いしていたのを知り、下諏訪からも近かったのでお願いすることに。
ちなみに、名前の通り製材所もやっているので
マスヤのバーカウンターの木材は有賀製材所で購入しました。

ペチカ制作のために1000個以上のレンガが届き、みんなで運んでいます。

ペチカ施工の様子。職人の技にみんな関心しています。

完成し、左官屋さんと記念撮影。左下の白いレンガの部分が焚き口で、赤いレンガ全てが蓄熱して輻射熱で部屋全体を暖めます。

肝心の薪の調達問題ですが、
キョンの強運が発揮されて現在は格安で製材所の端材(針葉樹)薪を確保できています。

こうして、しっかりと暖かい!を達成できる空間にしました。

古材を生かし、床の張り方にもひと工夫

さて、温かい空間に向けて出来ることをやり終えたところで、仕上げの部分。
壁には左官を、床には解体した時に出た古材やフローリング材を張って仕上げていきます。

一番広い部屋であるリビング&バーの床は
①他の建物の解体現場からもらってきた古材、
②畳の下などに使われていた古材、
③床の間などに使われていた質の高い古材、
という3種類の古材を工夫して使うことにしました。

①の他の解体現場からもらってきた古材は、
カウンター周りの床に隙間無くぴったり張りました。
余談ですが、実はこの古材、現場の近くを車で走っていた友人が、
「あっちのほうに解体しているおうちがあったよ」と教えてくれて手に入ることになったもの。こういった現地でのつながりの中から不意に材料が手に入ったりするところも、
現地に住み込んで空間をつくる、楽しさのひとつです。

古材を釘で止めている様子。釘は「つぶし釘」を自作して頭が目立たないように。

完成したカウンターまわりの床。曲がっていた木材は曲がったまま張るなど方法にも遊び心を。

②の畳の下などに使われていた古材は、
隙間をあけて張って、その隙間に砂と漆喰と土を混ぜたものを詰めました。

古材だけ貼って漆喰用のマスキングをした状態。

古材は曲がったりしているもので、
それらをまっすぐに揃ったきれいな材にしようと思うと、
どうしても無駄な部分が多く出てしまいます。

パフォーマーとともに 更新されていく、 空間の使い方。 HAGI STUDIO vol.5

HAGI STUDIO vol.5
劇場の機能も織り込み、広がる空間と表現の可能性

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。

普段のカフェやギャラリーの営業とともに、
HAGISOでは、いくつかの通年プロジェクトが同時に進行しています。
そのなかのひとつがパフォーマンスプロジェクト「居間theater」です。

居間theaterは俳優・演出家の稲継美保を中心としたプロジェクトユニットで、
主要メンバー(東彩織・牧野まりか・宮武亜季・山崎朋)と、
プロジェクトごとのゲストパフォーマーによって構成されています。
HAGISOにおいて、年間を通じた「レジデントパフォーマンスプロジェクト」として
コンテンポラリーダンスを中心に活動しています。

居間theaterのメンバー(左より山崎朋・東彩織・稲継美保・牧野まりか・宮武亜季)。

HAGISOとの最初の出会いは、稲継・山崎が工事中のHAGISOに訪れた時でした。
まだ骨格しかないHAGISOの空間を見ながら、ここで何ができるのかを一緒に考えました。

実はHAGISOの設計段階の初期から、劇場仕様で使うことは織り込み済みでした。
柱梁の多い木造ですが、それらを劇場仕様の場合は
テクニカルな照明や音響機材を取り付けることができるように利用しています。
吹き抜けに半間分バルコニーとして床を残しておいたのも、
天井桟敷席として上からもステージを楽しめるようにするためでした。

しかし、ダンサーや振付家は、得てしてこちらで想定した使い方だけではない、
新しい場所の解釈をしてくれることがよくあります。
HAGISOの場や空間の価値を更新していくためにも、
彼らと継続的な活動をしていくことにしたのです。

劇場仕様の断面図。吹き抜けのバルコニーは天井桟敷席として使用できる。

劇場仕様の例「幽霊の技法」振付・出演 京極朋彦 出演:伊東歌織(photo by bozzo)

まず彼女たちが最初に興味をもったのは、ここがカフェをもった場所であるということ。
通常身体パフォーマンスは大小の劇場で行われます。
「舞台-客席」もしくは「演者-観客」の確固とした関係がつくられた場所で、
複数公演を前提に「わざわざ観に来た人」を観客として迎えます。
この場所で同じようなことを行おうとすると、さまざまな制約が生まれます。
まず通常の営業がありますので、長期間の連続公演は難しい。
また、カフェ営業をクローズして貸切にしなければならないので、
その分の機会損益を補わなければならない。
公演形式を続けていくのはそもそも矛盾します。

単発のイベントであれば自分たちが持っているネタを披露するということでお茶を濁せますが、
年間を通して行っていくとなると、持続性がありません。
しかし、彼女たちはこのような制約のある環境でパフォーマンスを行うことに
むしろ面白みを感じてくれました。自分たちの形式を場所に求めるのではなく、
場所の特性や形式から活動を見出していく方向に発想を転換したのです。

居間theater キックオフパーティー。HAGISOの中を十数人のパフォーマーが縦横無尽に駆け巡る。お客さんは好きな場所を探してその様子を見ています。(photo by Kazuo Yoshida)

“居間 theater”というプロジェクト名には、
日常的な空間としての「居間」と、非日常空間である「劇場」が組み込まれています。
演劇やパフォーマンスを見るのに効果的な場所として発展してきた劇場という空間が、
いつの間にか目的化してしまい、劇場のための作品となってしまっているのに対し、
もっと生活や日常から連続した活動を行いたいという意志によるものです。

展示作家とのコラボレーション

まず、はじめに彼女たちが行ったのは、
HAGISOで毎月行われる展示の作家とのコラボレーションでした。
彼女たちはコラボレーションの際、まず相手のことを徹底的に理解しようとします。
一旦相手の形式にのっとって、自分たちの表現をすることで、
さらなる表現の可能性を拡張することを試みています。

居間theater vol.1。展示中のアーティスト福津宣人とのコラボレーション。

居間theater vol.2。Pinpin Coとの共演。ダンサーの体を撮影し、リアルタイムで投影した壁面にドローイングしていく。

はじめはコラボレーションの対象はアーティストという「人」でしたが、
次第にその対象はHAGISOで行われる企画自体(こども文庫など)や、
空間自体へと発展していきます。そして次に彼女たちが選んだのは「カフェ」でした。

HAGISOで定期開催している「やなかこども文庫」とのコラボレーション。

パフォーマンスカフェ

カフェのあるHAGISOでの居間 theaterのあり方として、
ある意味究極の答えとして、「パフォーマンスカフェ」が生まれました。
これは、イベントが行われる期間中、
カフェのメニューに「パフォーマンスメニュー」が追加されるというものです。
フードやドリンクのメニューと並んで3分間のパフォーマンスを200〜300円で提供。
お客さんはカフェのウエイターにコーヒーとともにこれを注文し、
しばらくするとおもむろにパフォーマーがやってきて
パフォーマンスを行ってくれるというものです。

突然ダンサーが客席で踊り出す。

パフォーマンスの内容は、ダンス、音楽の演奏、詩の朗読、
写真家によるポートレート撮影など多岐に渡ります。
内容は選べないものの、「ひとりじめ」「おすそわけ」「窓の外」と、
パフォーマーとの距離を3種類の中から選ぶことができます。
パフォーマンスが始まると、注文したお客さんはまだしも、周りのお客さんはかなり驚きます。
しかし、一度見てしまうことで、次々と注文が入り、カフェの客席は混沌としてきます。
ジュークボックスのように不思議な一体感が生まれ、中には何回もおかわりする人も。
パフォーマーたちは控え室でドキドキしながら出番を待っていますw
特別にVIP ROOM(1000円)も用意され、ここでは10分間、
密室でパフォーマンスを楽しむことができます。
劇場で多くの人と一緒に見るのと比べると、すごく贅沢な体験で、
僕も毎回注文してしまいます。

劇場型や、予約制のパフォーマンスイベントと違い、
この形式はパフォーマーとお客さんの偶然の出会いがかなり大きな要素となっています。
お茶目的でカフェに訪れたお客さんとの楽しいながらも緊張感のある予期せぬ出会いは、
演ずること、パフォーマンスすることとは何なのかという初源的な衝動を感じさせます。
本企画、実施には日本大学の佐藤慎也研究室にご協力いただき、
さまざまな面でサポートいただきました。

「居間 theater Documentary Films(2013-2014)

年間を通してささやかな公演を行う居間theaterの活動は、
偶然の出会いという要素が強く、濃密な体験をもたらしていますが、
一方でかなり限られた人しか実際にその場に居合わせることはできません。
そうした活動のアーカイブとして、なんと活動1年目にして二本の映画ができてしまいました。
「居間 theater Documentary Films (2013-2014)」という、
2人の映像作家が違った個性で一年間記録、製作したドキュメンタリーフィルムです。

ひとつは有川滋男氏による「IMA THEATER」です。
こちらはHAGISOという場所それ自体と、
その上で居間 theater が行ってきたパフォーマンスのイメージや質感にフォーカスし、
HAGISOを舞台にした別の物語のような作品に仕上げています。

もうひとつは、みかなぎともこによる「Trace of a performing」です。
こちらは、パフォーマンスまでの制作過程や、
そこに至るまでの思考・興味を詳細にインタビューし、
実際のイベントの記録と合わせてドキュメンタリータッチで描いています。

どちらの作品も一年間の活動がぎゅっと凝縮された、素晴らしいものになりました。
HAGISOでも度々上映会を催しています。
映画製作の費用に関しては、台東区芸術文化支援制度を利用しました。

音を奏でて、気軽に楽しむ音楽を

もうひとつの通年プロジェクトとして行っているのが、「谷中音楽室」です。
谷中音楽室とは、その名のとおり音楽イベントで、
HAGISOのギャラリー部分をステージ、
カフェ部分を客席として不定期にコンサートを行っています。
この企画をプロデュースしているのは石田多朗という作曲家で、
HAGISOが萩荘だった時代から、よく飲みに来ていた友人です。
彼は谷中音楽室では必ず何組かのミュージシャンを組み合わせることに重きを置いています。
普段は出会わないような組み合わせをあえて選び、
ミュージシャン同士、もしくはお客さんとのあらたな出会いを生もうとしています。
谷中音楽室をきっかけに、その後も共演するようになったミュージシャンの方もいるようです。

HAGISOでイベントを行う意義

2014年のHAGISOまとめを見ると、
昨年は年間50以上の展示やイベントがあったことになります。
なぜこんなにイベントを行っているのでしょうw
収益面だけを考えると、正直通常の営業をしていたほうが安定しています。
これには、文化を日常の延長線上で育む環境を作りたいという点に尽きます。
文化は何か高尚なものをありがたがって見るというものではなく、
そこに住む人々の生活・風俗と地続きで生まれてくるものだと思います。
パフォーマンスカフェや、クリスマスイベントなどでも
近所の常連の方が来てくれるようになってきて、
そうした環境が生まれ始めているのを感じています。
HAGISOは、ダンスや音楽という文化に未だどことなくあるぎこちなさを、
生活の延長線上で生まれてくるものにすることで取り払っていきたいと思っています。

というところで次回は最終回、HAGISOの今後について考えていきたいと思います!

お客さんを招くために、 地域の人たちと初めてのコラボレーション

ちょっと東京の拠点のこと

gift_lab GARAGE 内部・Before

新潟の「山ノ家」を運営する ”gift_” の拠点「gift_lab(ギフト・ラボ)」は
この秋、創業から9年間お世話になった東京・恵比寿から、東京・江東区へ移転。
東京都現代美術館の最寄り駅 清澄白河駅から徒歩1分、
同潤会アパートメントと同じ頃に建てられた「清州寮」という
趣き深い築80年の建築で、元車庫だった1階を借りました。
そのまま「GARAGE」と名付けることに。

ここもマイペースにこつこつリノベ中。
引っ越して3か月経過するも、まだまだ途上。
さてどんなモノゴトをこのガレージに蓄積していけるのだろうか。

gift_lab GARAGE 正面・After

この新拠点、「gift_lab GARAGE Lounge&Exhibit」では、
本業である空間デザインの事務所に加えて、
恵比寿時代にも展開していたギャラリーの機能を強化、
そして、「山ノ家」と呼応するカフェ機能もつい先頃、試運転を開始。
正式発進イベントは2月に予定しているところ。

“Lounge & Exhibit” —— 平たく表現すれば、
Café & Galleryということになるだろうか。
かつて、この清澄白河に隣接する佐賀町に、
再生された建築の中で、現在進行形のアートを
1983年から17年間発信し続けた実験場、
既存の美術館でもギャラリーでもないオルタナティブスペース、
「佐賀町エキジビット・スペース」という「場」が存在していた。

そこを訪れることは大切な時間/体験であり、
はかりきれない刺激を吸収させてもらったものである。
今回、私たちが自分たちのささやかな場所を
Galleryではなく“Exhibit=提示する現場”と呼びたかったのは、
この先達へのリスペクトとオマージュであり、
ここが発信の器でありたいという願いをこめてのことである。

また、Loungeはゆっくりくつろぐ、という動詞でもある。
Loungeも、Exhibitも、常に「動詞」でありたいと願う。
何かが常に胎動し、うごめいていてほしいと思う。

さて、東京ではそんなリノベを進めながら、
今月も山ノ家へ向かうと今年は数十年ぶりの大雪でした。

すごい雪!

山ノ家をオープンしてから、
私たちは根雪が積もり始めるクリスマスにいったん山ノ家を閉じて、
年が明けてからまた十日町へ戻る。

今年は、地元の人も驚く数十年ぶりの師走の大雪。
例年だと、クリスマスまでは、雪が降っては溶けてしまい、
あまり積もらないのだが、今年は既に積雪3m超えで、
屋根の雪下ろしは、3回も行った。
雪祭りの雪像用の雪が足りなかった昨年とは大違いである。
外装リノベ中だった2011年、雪国での冬を初めて経験してから、
今年で4度目の冬となるけれども、
まだまだ雪のゆくえはまったく読めない。

2012年晩秋。まだ雪は降らない。

晩秋の山ノ家周辺。

初雪が降り始めるのはたいてい11月。
「山ノ家」が始動した2012年の11月も、秋はしんしんと深まっていったが
まだ雪が降り始める気配はない。

その頃、私たちは、賑わった大地の芸術祭の夏を見送って迎えた
まったく人の気配が途絶えた晩秋の松代の商店街で、
呆然とした日々を過ごしていた。

とにかく人通りがない。
お客さんがいない。
まったくのお手上げであった。
10月に収穫されたばかりの棚田のおいしい新米も食べていただく相手がいない。
(このエリアは魚沼産コシヒカリの生産地)

どうしたらいいんでしょう?
思いあまった私たちは、この松代の空家に私たちを巡り会わせた
張本人であり、自ら、果敢にさまざまな地域活性に取り組んでいる
地元の大先輩、若井明夫さんに訴えた。

真剣に私たちの話に耳を傾けてくれる若井さん。

まだまだ残念ながら「山ノ家」は地元の人たちには知られていない。
何をしようとしている、何者かも、あまり伝わっていない。
ましてや、この現在無人のままの空間がいったい何のための場所なのか
伝えようがないのである。

やはり今は、自分たちの価値観に共鳴してくれる都市圏の人々=ヨソモノに
ここの日常の魅力をきちんと紹介して、とにかく「来てもらう」、
この場所を「発見してもらう」しかないんじゃないか、という結論に至った。

とにかくいつ降り出すやらわからない初雪の前に
人が参加したくなるようなイベントをしよう。

「うちの田んぼの脇で、うちの棚田のおいしい新米食べてもらおうよ。
羽釜で焚火で炊いてさ」
若井さんが言った。

羽釜(はがま)の前で微笑む若井さん 。

日ごとに冷気を帯びていく晩秋の風景を眺めながら聞いた、若井さんの言葉。
彼の言葉そのものが、エネルギーを発していて、
寒風の中で温かい焚火に手をかざすように、じんわりしたのをまだ憶えている。

新米をめぐるワークショップ

申し遅れたが、若井さんは「発酵」研究家というか実践家である。
いち早く「どぶろく特区」の制度を活用して、国内でもいの一番に
自家製どぶろくの製造販売をリーガルに開始した人物。
余談であるが、このどぶろくがまたとてもおいしい。

残念ながら、一般人がどぶろくをつくるのは違法である。
では、ワークショップをするなら、
どぶろくをつくっている若井さんを見学?
いや、参加者にはやはり自分の手でつくってもらいたい。

では、新米で甘酒をつくろう。
新米の玄米と糀だけでつくる甘酒。
いいね。

「米のとぎ汁の発酵液って知ってる?」と若井さん。
何と言うかヨーグルトの上澄みみたいなやつですよね。
うんうん。
「これ万能なんだよ
食器でも顔でもからだでも洗える」
へえ。
「とぎ汁と塩と砂糖でつくれるよ」
何だか化学実験みたいですね。

発酵中の甘酒 。

結局、「米をめぐるワークショップ」は、
一泊二日の泊まりがけのワークショップツアーとして計画した。
1日目は、若井さんを講師として、玄米甘酒ととぎ汁発酵液をつくる。
そして、近くの温泉でゆっくりあたたまって、
若井さんに昔の田んぼづくりの話を聞きながら夕ごはん。

到着して、若井さんが甘酒づくりの準備をしている間、
参加者のみなさんには紅葉した松代城山周辺に点在する
大地の芸術祭の野外設置作品を見学散策していただくことにした。
その案内人は、山ノ家の斜め向かいに住む、
(当時)小学六年生の鈴木大貴くんにお願いすることにした。

当時の大貴くん 。

大貴くんはリノベの最中からよく山ノ家の様子をのぞきに来ていたのだが、
この無人状態が続く10月以降の山ノ家カフェの唯一の
「お客さん」だったのである。
「入ってもいい?」
いいよ。
「宿題してていい?」
いいよ。
「このゲームが終わるまでやってていい?」
ちゃんと晩ごはんまでにゴールしてね。

彼は、とても自然に、ものおじせずふらりと山ノ家に入って来ては
のんびりと居心地よさそうに時間を過ごして、
じゃあねと帰っていく。
ほぼ毎日通ってくれていたと思う。
その頃の山ノ家は、
彼の毎日の訪問のみが存在理由だったと言っても過言ではないくらいであった。

そして、大地の芸術祭がスタートした年に生まれた彼は、
芸術祭をこよなく愛していて、よく公式図録を持って来ては
私たちに作品の解説をしてくれていた。
「作品見学散策のガイドをどうしよう?」ということになった時、
私は迷うことなく彼を推薦した。

そして、2日目は、朝から近隣の山できのこ狩り。

樹上のきのこ。

地元のタクシー会社の代表できのこ狩り名人の村山達三さんを
若井さんに紹介していただいた。この名人にきのこ狩り講師をお願いする。
採ったばかりのきのこできのこ汁を大鍋でつくる。
その間に火をおこして羽釜で新米を炊く。
クライマックスはもちろんこの炊きたてごはんをみんなでほおばること。

羽釜で炊きたてのごはん。

行程が決まると、講師のみなさんにスケジュールを承知していただき、
大急ぎで告知の準備を進めた。
すでに開催予定日の3週間前であった。

山ノ家としての初めての大イベント、
地域の方たちといっしょにつくっていくワークショップ。
たった3週間で、果たして参加者は集まるのか……

Vol.3につづく

information


map

山ノ家

住所:新潟県十日町市松代3467-5
TEL:025-595-6770
http://yama-no-ie.jp
https://www.facebook.com/pages/Yamanoie-CafeDormitory/386488544752048

築106年以上の 古民家をゲストハウスに。 「マスヤゲストハウス」前編 medicala vol.3

medicala vol.3
初めての古民家リノベは、下諏訪の「ますや旅館」

前回は山口県萩市のゲストハウスrucoについて書きました(vol.2参照)。
rucoを施工していたのが2013年の6月〜10月の4か月間。

11月以降はしばらく現場に入らないデザインの仕事をやっていました。
同時進行していたプロジェクトはどれもリノベーションの仕事で、

名古屋のシェアハウス「KOMA-PORT tukijiguchi

共有のリビングスペースに小屋のあるシェアハウスにしました。
小屋の制作は名古屋の友人がやっているアンティークショップstore in factoryに依頼。

京都のシェアアトリエ兼カフェの「SOLUM

京都のつくるビルの石川さんプロデュース。オフィススペースには京都カラスマ大学の事務局などが入居しています。1階のカフェのドーナツやカレーも絶品。

箱根のゲストハウス「HAKONE TENT

鎌倉ゲストハウスで修行した本庄さんが独立して開業したゲストハウス。1階のリビング&バースペースのデザインを担当しました。天然温泉付き。

がありました。
図面を描いて、デザインをして、
月に2〜3回現場に足を運んで現場の職人さんやオーナーさんたちと
コミュニケーションをとって……というやり方で空間をつくっていく大変さを改めて学びました。
Nui.(vol.1参照)からrucoまでは基本的には現場にずっといて、
毎日オーナーや大工さんたちと顔を合わせていたので、
わざわざ意識しなくても、空気を共有や意思の疎通が出来ていました。それがなくなり、
コミュニケーションが減ることで出る影響に、自分の未熟さを痛感……
それでも、できあがった3つの空間は、
どれもオーナーさんが頑張ってくれているので素晴らしい空間になっています。

このように現場に入らないで空間づくりをしている時に、
友人に長野県・下諏訪町で開業するゲストハウスのデザインと施工を頼まれました。

彼女の名前は斉藤希生子さん(通称キョン)。施工当時25歳の女性です。
出会いは、最初の仕事だった、蔵前のゲストハウスNui.がきっかけです。
キョンはNui.のオープニングスタッフとして働いていて、
その後、ゲストハウス運営のノウハウを学ぶために、
当時medicalaのカナコが女将を務めていた、姉妹店toco.に異動してきました。

そのときに、toco.のバーで彼女が将来ゲストハウスをやりたい!という話を聞いて、「そのデザインやりたいー!」という話もしたりしていました。
彼女が2013年末にtoco.を辞めて、地元である長野県諏訪地方に戻って
2014年初めから物件探しをスタート。
強運の持ち主(!?)なので、ほどなくして理想的な物件を見つけて
2月頃に正式にデザインの依頼をもらい、3月にその物件を見に諏訪へ行きました。

冬の諏訪湖は空気も水もきれいで気持ちがいいです。

少し下諏訪の説明をします。
長野県諏訪郡下諏訪町は、諏訪湖で有名な諏訪地域にある人口約2万人のまちです。
諏訪湖周辺で観光のメインとなるのは「上諏訪」と呼ばれる諏訪市エリアで、
そこから電車で1駅、車で10分程の距離にあるのに、
下諏訪町はこじんまりしていて、あまり観光地化されていません。
それでも諏訪湖にも近く、諏訪大社の下社である「春宮」と「秋宮」や、
温泉もたくさんあって、のんびりしたりお散歩したりするには丁度いいサイズ感のまち。
諏訪市の観光客数は年間600万人、そのうち宿泊客は年間55万人程度。
(都心からのアクセスが良いのに観光客数に対しての宿泊客の割合は少なめ)
ちなみに長距離バスは東京、京都、大阪、名古屋などから出ていて
東京からは片道3時間、往復6000円以下でアクセスできます。

上記のように諏訪地域は観光客数も多く、都心からのアクセスも抜群。
そしてまだゲストハウスもまだ無かったため、環境としても悪くありませんでした。

そんな状況の中、キョンが見つけた物件が写真の物件です。

下諏訪の「ますや旅館」として20年前まで営業していて、
3年前まで大家さんの親族の方が住んでいた築106年以上の古民家です。
(正式な築年数はわからないのですが、
106年前の地図に既に名前があったので106年以上としています)
2014年の3月までに借り手が見つからなかったら解体して駐車場になる予定でした。
が、ちょうどその頃物件さがしをしていたキョンに、
まちの人がこのますや旅館をめぐりあわせてくれました。

延べ床面積約300平米、もともとの用途旅館。建物の状態も良好。
駅からは徒歩約5分。高速バスのバス停からは徒歩2分。
温泉まで徒歩2分と、ゲストハウスには理想的な環境!
3月に無事契約をし、現場が始まりました。

「マスヤゲストハウス」はカナコがtoco.を退職したタイミングでの着工だったので、
medicalaとしてカナコとふたりで取り組んだ最初のプロジェクトです。
カナコは初めてプロジェクトの最初から最後まで現場に入り、『現場めし!』もスタート。
「現場めし!」はmedicalaの工事中にカナコがつくるごはんのこと。
その土地の食材を使って、その時のメンバーの好きな食べ物、嫌いな食べ物を考慮して、
みんなの健康を気遣ったお腹いっぱいになって肉体労働のエネルギー源になるためのご飯。
facebookで写真をUPするにつれてファンが増えていって、
いつしか現場めし目当てに手伝いにきてくれる人も現れました。

そして、大工さんや手伝いにきてくれる方々、
みんなでおいしいごはんを食べながら生まれるのは、いいコミュニケーション。
みんながそれぞれやっていた作業の大変だったことや楽しかったことを話すと、
なんとなく全体を把握できたり、こんな風にしたいねとアイデアが生まれたり……。
現場めしから、現場をよりいいものにするベースがつくられていたように思います。

そして僕としては初めての“古民家”リノベーション。
rucoやNui.とは違った空間のつくり方を試みる良い機会でした。
古民家だからできることを模索していきます。

施工メンバーの紹介

今回の施工メンバーはこちら。

左からアズノ、カナコ、キョン、手伝いにきたデザイナーの友人、キョウちゃん、リエちゃん、タカミー

medicalaのふたりと、オーナーのキョン、
そしてキョンの友達で大工の長久保恭平(以下キョウちゃん)、
途中から工事に住み込みで参加してくれた大桃理絵(以下リエちゃん)、
同じく途中参加の鷹見秀嗣(以下タカミー)。

キョウちゃんは舞台の大道具をしていたので
大工仕事の経験はあっても、古民家をきちんと触るのは初めて。
構造や床の下地をいじったりとマスヤは初めてのことだらけの現場でしたが、
奮闘して頑張ってくれました。

リエちゃんとタカミーは普通に社会人していた現場経験も全くないふたり。
ふたりとも、たまたまこのタイミングで仕事をやめていて、
ちょっと手伝いにきてくれた……つもりが、
すっかり現場を気に入ってくれて、がっつり2か月以上参加してくれました。
未経験の人にここまでがっつり参加してもらったのは初めてのことでした。
それでも工事後半には、例えば「あそこ漆喰塗れてなかったから塗っといたから!」と、
指示がなくても、考えて動けるくらいに成長していました。大活躍です。
これはもう少しあとの話ですが、ふたりは現場を経て、
でき上がったマスヤゲストハウスのこともすっかり気に入ってくれて、
オープン後そのままスタッフとして働くことになります。

このメンバーをコアに、
あとは適宜地元の大工さんや職人さんに入ってもらうことで
なんとか工事を進めていきます。

どんな空間にしたいかを考える

イメージの共有のためにキョンと最初にしたのが、キョンの好きなお店に一緒にいくこと。
実際にそのお店に行って「なんでこのお店が好きなのか?」を一緒に考えること。
キョンの表現の意図するところやイメージを正しく理解できるようになるので、
お互いのイメージをしっかりすり合わせをしていきます。
行った場所は埼玉県川口市にある「senkiya」さんという
カフェや雑貨屋、ギャラリーなどが併設された元植木屋さんをリノベーションした複合施設。

senkiyaさん。

ここでキョンが『好き!』という部分について掘り下げていきます。
話しながら徐々にわかってきたのは、太陽の光が入って
明るいことや窓を開けると外とつながっていることやソファがあってのんびりできること。
senkiyaさんでのイメージの共有を経て、デザインコンセプトは

「明るい! 風が通る! 暖かい!」

の3つ。
これをベースに解体工事からイメージを膨らませることにして、
敢えてデザインは決めきらずに着工することにしました。
余談ですが、「おしりに根っこがはえちゃうような……」
「朝お日さまにあたりながらコーヒーが飲めたり……」
といった具体的なような抽象的なような、何気ないコメントでも、
何度もキョンから出てくるフレーズは、大切なイメージの要素。
これを、拾ったり投げたり掘り下げたりしながら、デザインに落とし込んでいきます。

大家さんと大掃除

2014年4月19日〜21日。
まだまだ諏訪は東京の真冬並みに寒い日に大家さんとキョンと施工チームで大掃除をしました。

3日間の大掃除、300平米あり、蔵もあり、
しかも人がしっかりと生活してきた建物にはたくさんの“もの”で溢れていました。
碁盤、炭、鏡台、土器のかけら……
珍しいものだと、下駄のスケートやちょんまげ用の枕なども出てきました。
僕らにとってはよくわからないものでも大家さんたちには懐かしいものや大切なものの数々。
まず大家さんたちが必要なものとそうじゃないものを分別して、
大家さんがいらないと判断したものの中から工事で使えそうなもの、
友人が欲しがりそうなものなど分別していきます。

意図したところではなかったけれど、
とってもよかったのがこの大家さんと過ごした日々。
大家さんたちと一緒に作業することで、いろんな昔話を聞く機会がありました。
この部屋には福沢諭吉が泊まったんだとか、
この部屋は家族でコタツに入っていた部屋でお父さんがいつもこの席に座ってたとか、
この天井は紅葉の木で、これは桜の木で……
前述の106年前の地図もこのとき見つけました。
この建物を一緒に掃除することで、ここの歴史を知ることができるよい機会でした。

みんなで大掃除。

大掃除に入る前に、なんとなくイメージしていた部屋割りやデザインはあったのですが、
実際にこの場所に愛情を注いで、たくさんの思い出を持っている大家さんの話を聞くことで、
「できるだけこの空間の思い出を残したい」
という想いがキョンとの間で自然と生まれてきました。
そして、大家さんに
「ますや旅館はこうなりました!」って胸を張って言えて、
大家さんたちもまた遊びにきたくなる、そんな空間にしたい。
大家さんとの大掃除を経てそんな想いが新たに目標に加わりました。
ここからマスヤゲストハウスの改修工事が始まります。

解体工事スタート

大掃除で新たな目標が加わりデザインのイメージが変わったので、
それに伴い間取りなどの平面プランを変更。解体しながら現場に寝泊まりしていたことで
肌で感じられた光の入り方、風の入り方などを加味していく。
そうやって考えを重ねながら慎重に実現したい空間のイメージとの擦り合わせを行って、
変更を加えながらデザインを決めていきます。
最終的に解体する部分を決定して、いよいよ本格的な工事が始まりました。

解体の様子。

土壁や小舞でつくられた古民家の解体は
新建材(ベニヤとか石膏ボードとか)でつくられた空間の解体より、
何倍も大変ですですが、そんな苦労も吹き飛ばすくらいメリットがあることがわかりました。
それは、解体素材の再利用ができるということ。
まず、代表的なものが古材。柱や梁、畳み下の板から床の間の板など使える材料はさまざま。
それぞれ、樹種や厚み、傷の具合など個性があるので
その個性に合わせて使用できるようにデザインに取り入れていきます。
これら古材を使用することでコストを下げられるだけではなく、
デザイン的にも年代の同じ材料を使用することで空間の調和が図れたり、
大家さんの思い出を内包することができます。
特に前述の通りますや旅館の大家さんは木に詳しいので、
この古材をできるだけ活用することにしました。

当然、古材を使用するデメリットもいくつかあって、
例えば大工さんが使うのを嫌がることもそうだし、
材料の選別と保管にも、大きさもかたちもバラバラなので手間がかかりします。

古材を選別します。

次にマスヤで大活躍したのは土壁の土。
土壁は解体した後、もう一度水と混ぜると再利用できる昔ながらのエコな建材です。
ただ、土壁の再利用方法の情報は少なく、知り合いの職人さんに相談したり、
サンプルをつくったりして使い方を決めました。
バリエーションは土を水で練っただけのものから、漆喰と混ぜ合わせたもの、
漆喰と色粉と混ぜたものなどなど。
身の回りの材料でいろんな表情をつくってみました。

解体した土壁。

サンプルをつくっている様子。

今回は予算が面積の割に少なかったので、左官は自分たちで全部やることに。
(ちなみにrucoと比べると、面積は1.5倍だけど予算は同じくらいでした)
Nui.の大工チームの渡部屋と、萩の左官屋さんの福田さんとの経験をフル活用して
自分たちで調合から下塗り、仕上げまで進めていくことでコスト削減を狙います。
(左官材料は実は安くて、漆喰だと材料費だけで1平方メートルあたり200円~300円程度)

自分たちで左官している様子。

あとは家具や照明、ガラス、建具、ドアなどなど。
古民家は(状態にもよりますが)本当に使える材料の宝庫で、
その材料からアイデアが出ることもしばしば。
できるだけたくさんの素材を活かして再利用していく方針なので、
これらの素材もデザインに取り入れていきます。

こういうガラスはもう製造されていないのでとても貴重。

これは後に共有キッチンの窓になります。

解体期間は3週間!
ひたすら壁を壊し天井を落とし床をはがし、掃除して、古材を整理して……
と後に控える施工工程のための大切な準備期間です。

コンセプトの「明るい!」を実現するために吹き抜けもつくりました。
古民家は軒がせり出しているので直射日光が入りにくくなっています。
(その分夏は涼しく、冬は日光が入るのですが)
2階の光を1階に届けるための吹き抜け。
明るくなるし広くなりますが、部屋数が1部屋減るので宿の事業計画には大きく関わってきます。
それでもキョンの「泊まりにきてくれた人に気持ちよく過ごしてほしい!」
強かったので、そちらを尊重して吹き抜けをつくることにしました。

吹き抜けの様子。

いつも通り工事には大勢の友人が参加してくれて、現場はいつもにぎやか。
遠くは台湾やオーストラリアや熊本県から手伝いにきてくれました。

手伝いの様子。

こんな感じでわいわいしながら、日中がガッツリ解体工事をして、
工事が終わると近くの温泉に入って、ご飯を食べるという生活が3か月続きました。
現場が休みの日は布団を屋根の上に干してのんびりしたり。
オンオフ切り替えながら解体工事は終わり、いよいよつくり込みが始まります。

布団干しの様子。気持ちいい!

そろそろ長くなってきたので、それはまた次回の記事で。
後編では、実際どのように古材が活用されていったのかとか、
寒い地方ならではのストーブの話や、
タカミーとリエちゃんが頑張ったタイルの話などを書いていきます。

information


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マスヤゲストハウス

住所:長野県諏訪郡下諏訪町平沢町314
TEL:0266−55−4716 (9:00〜12:00,16:00〜22:00)
http://masuya-gh.com

八海山 魚沼の里

たっぷり積もった雪が、豊かな恵みをもたらしてくれる

新潟県の魚沼といったら、真っ先に思い出すのはお米、魚沼コシヒカリ。
お米の中でもトップブランドである。
実際に魚沼地方を訪ねると、まわりは見渡す限り果てしなく田んぼで、
秋には豊かな実りの姿を見せる。一面が黄金の絨毯だ。
しかし、そのほんの数か月後には、あっという間に真っ白な銀世界が広がる。
魚沼はまた、日本有数の豪雪地帯なのである。
魚沼に住む人たちは、厳しい雪の中での生活に日々向き合って生きてきた。

雪室館内にある試飲コーナーでは八海山がつくる日本酒や焼酎が試飲できる。

八海醸造は大正11年に創業した、比較的若い日本酒の会社である。
八海山、というお酒の銘柄を知っている人は多いだろう。
「とにかくいい酒を」と品質を徹底的に見極め、
素材や手間、設備などに惜しみない努力を注いできた。
麹造りや櫂入れ(もろみなどをかき混ぜる作業)はすべて人の手で行う、
というこだわりを貫きつつも、決して手に入りにくい希少なお酒ではなく、
いい酒を日常的に楽しめるよう、供給体制にも力を入れている。

毎年1月には、杜氏・蔵人が一丸となって「特別な酒」を造る。
酒造りに最も適した一番寒い季節に、最高の素材を惜しみなく使い、
最良の人材によって全身全霊を酒に注ぎ込む。
八海山の志を象徴するような、最高峰の酒である。
こちらは少量しか造れない希少な酒のため、一般には出回らないが、
そのときに体験した技術と味わいは、社員全員の心に刻み込まれる。
この「特別な酒」造りが、すべての酒への心構えとなり、
品質目標となって、常に高い志へと導いている。

麹造りの作業。重労働だが全量人の手で行われる。

雪の多い魚沼地方は空気が澄み、清冽な水をたたえ、
お酒造りには適した地である。
雪は空気中の雑菌を包み込み、地面に落としてくれるそうで、
たくさん雪が降ると杜氏の機嫌がいい、と魚沼の蔵人たちは言う。
冬には3メートル、4メートルとどんどん雪が積もる厳しい暮らしの中で、
雪に感謝し、雪のいいところを活用して、雪と共に生きている。

八海醸造の先代社長夫人である南雲 仁(なぐもあい)さんは、
雪の少ない沿岸部より、結婚をきっかけにこの地へやってきた。
最初の頃は、雪深くて何もないこの場所がいやだったそうだが、
あるとき、この地に住む高齢のおばあさまの言った言葉にはっとさせられたという。
「冬になると、雪のお布団が畑をゆっくり眠らせてくれる、とおっしゃったんです。
魚沼の人の心の豊かさ、文化度の高さに圧倒されました」
冬がとても寒く、雪深いことは、決して悪いことばかりじゃない。
海から離れた山奥深く、寒さの厳しい地域だからこそ、
豊かに育った郷土の文化がある、と気づいた。

「そば屋長森」で出される季節のお漬物。魚沼には冬を豊かに暮らすために様々な保存食がある。

冬の真っ白な世界から、雪が溶けると草花は一斉に芽吹き、鮮やかな春が訪れる。
夏の気温の寒暖差によって、野菜や果物は一層甘みを増す。
乾燥、塩漬け、発酵など、冬を少しでも心地よく過ごすために保存食が工夫される。
四季折々、自然と寄り添いながら暮らすことの素晴らしさ。
酒蔵を訪ねてきたお客さんに、仁さんは、
この土地ならではの郷土料理を惜しみなく振る舞ってもてなした。
自然に対する感謝の気持ちを料理で表現したという。

現在、仁さんの想いは、八海山の厨房を取り仕切る
関 由子さんに引き継がれている。
生まれも育ちも生粋の魚沼人で、料理が大好き。
みんなから慕われるお母さんである。
春になれば、近くの山までひょいひょいと気軽に山菜採りに出かけ、
滋味深い郷土料理を、ささっと振る舞ってくれる。
(お酒にも、もちろんよく合う!)
地元の素材を丁寧に扱い、手間暇を惜しまず、
でも決して凝ったものというのではなく、素朴で気どらない、安心感のある家庭料理。
それがずらりと並んだテーブルには、誰もが目を輝かす。
その土地のものを、その土地らしくいただくことが、一番のごちそうなのだ。

魚沼という地の、雪国独特の豊かで安らぎのある、素顔のままの文化を、
少しでも多くの人に伝えたい。
ここを訪ねてくれた人たちに、この土地らしいおもてなしをしたい。
そんな想いがベースとなって、「魚沼の里」は誕生した。

さらに、塩漬けや発酵など、保存食を中心とした、
寒く厳しい冬を豊かに過ごすための先人の知恵や工夫による
この土地ならではの味わい深い食文化を紹介したい、との想いから
魚沼地方の伝統食や厳選した食材、発酵食品を揃えた
八海山独自のブランド「千年こうじや」も生まれた。

左:先代社長夫人・南雲 仁さん、右:八海山の厨房担当、関 由子さん。

酒、食を通じて、魚沼の魅力をさまざまな角度から発信

魚沼の里は、1日いても楽しめてしまうスポットだ。
広大な敷地内には、清酒八海山を仕込む酒蔵(こちらは見学不可)があるほか、
そば屋長森、うどん屋武火文火、菓子処さとや、つつみや八蔵、
そして雪室など、さまざまな施設が点在している。
雪室に併設する館内には、日本酒の試飲コーナー、焼酎貯蔵庫、カフェや売店、
キッチン用品を中心とした雑貨店なども入っている。

魚沼の里より、雪室の外観。

背後には八海山をはじめとする山々が悠然とそびえ、
青々と緑の眩しい森と、穏やかな田園風景を眺めているだけでも気持ちがいい。
古民家を移築し改修した趣ある店、「そば屋長森」を訪れてみると、
蕎麦はもちろん種類も豊富に楽しめるのだが、
それと一緒にちょっとつまめるおかずとして、
ニシンの山椒漬け、巾着なすのお漬物、神楽南蛮の辛い調味料、
やたら漬けなどなど、雪国伝統の季節の郷土料理がメニューに並んでいる。
一口かじるとほっと顔がほころぶようなやさしい味がして、
素朴なおもてなしの心を感じる。

「そば屋 長森」のメニュー。

2013年の夏にできた「雪室」は、雪の力を最大限に利用した施設である。
1000トンの雪を収容できる貯蔵庫で、
電気の力は一切使っていない、天然の冷蔵庫である。
冬に建物内に集められた大量の雪は、夏になっても
1日バケツ数杯分くらいしか溶けないのだそうだ。
雪室の中に実際に入ってみると、
倉庫のような大きな部屋に、山のように雪が積まれていた。
雪がただそこにあるだけだというのに、本当にひんやりと冷たく、
寒くてとても長時間は中にいられない。

雪室内のショップスペース。

一年中、常時だいだい4℃前後に保たれているのだそうだ。
雪室は、当日予約すれば誰でも見学することができる。
「この土地の一番の特徴といえば、やはり雪なんです。
雪ならいくらでもあるので、その自然を生かした施設をつくりました」
と八海山広報の勝又沙智子さん。
勝又さんもまた、生まれも育ちもこの近くのまちだとか。
一旦東京へは出たものの、やっぱり地元が好きだからと故郷へ戻ってきたという。
建物内を案内し、説明してくれた言葉の端々にも、
この土地への愛情がひしひしと感じられた。
地域の魅力を独自の視点で発信する
「南魚沼市女子力観光プロモーションチーム」という団体にも所属し、
さまざまな活動をしているそうだ。

八海山広報を務める勝又沙智子さん。

さて話を戻すが、雪室では日本酒を最長5年間貯蔵するほか、
空きスペースで野菜なども貯蔵している。
冷気を別室へ送って、お菓子やコーヒー、肉の熟成などにも利用している。
併設されたショップでは、雪の力を活用した食品などが販売されていた。
低温多湿な環境が、野菜のデンプンを糖に変え、甘みが増すそうで、
試しにジャガイモを買って、家で調理して食べてみたところ、
甘みがぎゅっと濃く、ほっくりとした、おいしいジャガイモになっていた。
肉はアミノ酸成分が増えて旨みが増し、
お酒やコーヒーも深みが出てまろやかな味わいになるという。
電気を使わないエコロジーなシステムであるばかりでなく、
保存する食品によい影響をもたらしてくれるのだから、
自然の力には感謝するばかりである。

「つつみや八蔵」の店内の様子。

2014年には、さらに新しい店「つつみや八蔵」も完成した。
日本古来の贈り物の習わしである折形の礼法に沿った包みや、
四季折々のさまざまなラッピング用品を扱う。
ここで開発されたオリジナルの熨斗には、
魚沼の誇り、そして酒蔵の象徴でもある稲の穂があしらわれており、
この土地への限りない感謝の気持ちが、ここにも表れている。

魚沼の里は、今後もまだまだ新しい計画があるらしい。
雪、発酵、保存食……伝えたいことはたくさんある。
魚沼の魅力をさらに発信すべく、進化を続けている。

information


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魚沼の里

住所:新潟県南魚沼市長森
営業時間:9:30~16:30
定休日:無休
http://www.uonuma-no-sato.jp

アーティスト、地域の人と共に 更新され続ける空間 「HAGI ART」 HAGI STUDIO vol.4

HAGI STUDIO vol.4
オルタナティヴ・スペースとして

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3に続き、東京谷中の最小文化複合施設
「HAGISO」について書いていきます。

解体予定から一転、改修利用の道が開け、工事中イベントや
クラウドファンディングでの資金調達などのプロセスを経て、
ついに2013年3月、木造アパート萩荘が
「最小文化複合施設」HAGISOへと生まれ変わりました。

HAGISOのなかでも、1階の吹き抜けある空間をギャラリーとして使用し、
これをHAGI ARTと呼ぶことにしました。
もともとの木造の雰囲気を残したカフェは、
これからの時間を蓄積していくような空間であるのに対し、
こちらは真っ白な壁で覆い、いつも更新され、変化していく空間としました。

高さ7mの吹き抜けをもつギャラリー“HAGI ART”。写真は伊東宣明個展「芸術家と預言者」。

カフェ同様、ギャラリーの運営ということも僕らにとってはまったく初めての試みです。
ギャラリーとひと言で言っても、いくつかの種類に分けることができます。
ひとつは公益目的のギャラリー。
その中でも、企業や財団が文化事業として運営するものと、
自治体が運営する美術館などの公共的なものがあります。
一方、民間運営のギャラリーとしては、
作品の売買を行うことで運営するコマーシャルギャラリー(企画画廊)と、
日本独特のものですが場所を提供することで運営する
レンタル・ギャラリー(貸画廊)とがあります。
HAGI ARTは民間の施設になりますので、
当然上述のどちらかということになるのですが、
まずコマーシャルギャラリーを運営するには作品売買のための有力な顧客や、
美術事情に精通した知識が必要です。これは持ち合わせていません。
一方レンタルギャラリーは、場所貸という性格上、ともすれば一貫性のない
ただの箱ということになりがち、という難しさがあります。
これは僕らのやりたいこととはちょっと違うようです。

ギャラリー分類図。私の解釈によるものです。

しかし、展示できる場所が必要なのは確かで、
なかなかコマーシャルのマーケットにのることができない若い作家や、
売買を目的としないけれども公的な意義のある企画を実現するためには、
上記ふたつの形式では難しいところがあります。
そこでHAGI ARTは第三の形式としての
「オルタナティヴ・スペース」として運営することにしました。
とはいえ、「オルタナティヴ・スペース」自体は
まだ明確に分類される形式とはなっていません。
あくまで上述の形式「以外の」ものを指し、その運営の方法はさまざまです。
東京では代表的な場所としては、「Live Space plan B」(1982~)や
「佐賀町エキジビット・スペース」(1983~2000)などが挙げられます。
なかでも吉祥寺の「Art Center Ongoing」は、
HAGI ARTを構想するうえでも参考にし、代表の小川希さんにもご相談に伺いました。

Art Center Ongoing

HAGI ARTの場合は、HAGISOが地域の核となるための
開かれた空間として、以下のように定義しています。

HAGI ARTはHAGISOの空間をアーティストと一緒に
再発見、再更新していくための展示空間です。
閉じたギャラリーというよりも、開かれたホテルのロビーのような空間です。
アーティストが『展示することができる場所』ではありますが、
『展示するための場所』ではありません。
一方的な自己顕示の場としてではなく、アーティストが作品を用いて
日常空間に驚きと気づきをもたらし、ここにしかない体験を来場者に与える場です」

このような場所を実現するために、HAGI ART企画の展示に関しては
アーティストや展示者から会場費を一切とっていません。
作品を売ることはありますが、その際も手数料を低く設定しています。
その代わり、HAGI ARTの空間で展示することの意義を重視し、
作家には展示プランのプレゼンテーションを要求しています。

とはいえ、いくら理想を掲げたとしても、場所として運営するためには、
家賃・光熱費・人件費・維持費などの経費が必要となります。
HAGISOの場合はこの経費をHAGI ARTに併設する
HAGI CAFÉの売り上げによって相殺させています。
こうした活動を補助金などに頼ることもできますが、
そうなると補助金ありきの運営になってしまい、
いざ補助金がなくなったときに自立できず持続できない場所になってしまいます。
えてしてそういった場所は企画内容にも緊張感がなくなっていき、
魅力のない場所になりがちです。
そういった意味でHAGI ARTは危機感をもって、地域の人やHAGISOを訪れる人にとって
「必要とされる場所」になっていかなくてはならないと思っています。
ですので、皆さんもHAGISOにお越しの際はぜひCAFÉをご利用ください(笑)。

実際にHAGI ARTでどのような試みが行われているのか、
いくつかご紹介したいと思います。

多様な現代アートや建物、さらには谷中文化発信の場

HAGI ARTは、上述のように作品の売買を目的としているわけではないので、
特定の趣味のクライアントを意識して作品を扱う必要はありません。
とはいえ、最終的には僕たち運営者にとって
魅力的な作品であるというバイアスはかかっています。
通常の現代アートギャラリーは基本的に愛好家か、
それを目的に来た人が観に来るというのが普通ですが、
HAGI ARTの場合はカフェが併設されていることで、
作品との予期せぬ出会いが生まれやすくなっています。
ケーキを食べに来た近所のおばあちゃんが若いアーティストと作品について
「これはなに?」と話している光景が生まれています。

「囚人口 Chop Chop Logic」ミルク倉庫 + 高嶋晋一
何かの道具のようにも見える電気仕掛けの作品がインスタレーションとして配置されています。これらの作品を舞台装置として用いて、会期中の数日間、高嶋晋一とミルク倉庫の共作によるパフォーマンスが行われました。

池田拓馬個展「主観的な経験にもとづく独特の質感/解体」
ギャラリーの空間にあえて壁をつくり、穴を開ける映像と、開けた穴によるインスタレーション。

「東京アカイツリー」宮崎晃吉 + 池田拓馬
吹き抜けの柱を1200本の毛糸と共に大きなクリスマスツリーの幹に見立て、床に池田拓馬による映像を投影したインスタレーション。

「PanoraMarket -books around photograph-」
「写真にまつわる本」というテーマをもとに、アーティストが自費出版する写真集や、海外の出版社によるアートフォトブック、谷中の数軒の古本屋さんのチョイスによる書籍などを一堂に集め、購入できる展覧会として展示しました。

「ご近所のぜいたく空間 “銭湯”」展
HAGISOのような地域遺産としての建築をテーマにした展示も行いました。いまや全国で一日一軒、都内でも一週間に一軒のペースで廃業しているという銭湯。文京区の若い建築家の文京建築会ユースによる文京区の銭湯の調査記録プロジェクトの展示。富士山のペンキ絵のライブペインティングも。

「復活に向けて 谷中のこ屋根展」
2013年まで現存し、谷中で「のこぎり屋根工場」と呼ばれ、親しまれた工場群の建物の記録と、保存された建築部材の活用を考える展覧会。

また、谷根千(谷中・根津・千駄木)エリアで
一箱古本市や、不忍ブックストリートMAPを制作する
不忍ブックストリートの10周年展も行われました。
谷中における文化活動の層の厚さを実感することができました。

「『本と街と人』をつなぐ 不忍ブックストリートの10年展」

展示ではありませんが、HAGI ARTで毎月催される展示と展示の間の期間を利用して、
「やなかこども文庫」と題して小さな子どものための、
絵本を読むスペースとして開放しています。
施設の工事に伴い谷中地区で一時的に図書館がない状態になっており、
「谷中ベビマム安心ネット」主宰の石田桃子さんが絵本を寄付で集め、
不定期の移動図書館として開催しています。

「やなかこども文庫」

まちづくりを世代を超えて考える

また、単なる展示の枠を超えて、何かが生まれる場としても活用されています。
谷中という地域は、古いまち並みを残しているところではありますが、
そうしたまち並みや人と人のつながりを保つためにも、
まちづくりの活動が活発に行われてきました。
しかし、「谷中をもっと良くしたい」という共通の目的を持ちながら、
町会などの組織と、若い人たちによる子育てやまちづくりのNPOなどの活動は
多くの活動があるだけに、なかなか接点が生まれづらい側面があります。
「谷中地区まちづくり交流会」では、谷中地区まちづくり協議会と
特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会の共催によって、
谷中では初めての代表者サミットのような会を催しました。
お茶を飲みながら、フランクな雰囲気で谷中のことを
皆さんで熱く語る機会となりました。

「谷中地区まちづくり交流会」

生活の延長線上にある、文化施設として

このように、「最小文化複合施設」と銘打っていろいろな企画や活動に携わってくると、
公共空間のあり方について考えさせられるところがあります。
普段の日常生活を送る生活空間と、文化的な営みが行われる公共空間。
いつの間にかそのふたつの空間は現代の日本においては
随分遠いものになってしまったなと思います。
美術館や劇場などの「ハレ」の場と、日常的な「ケ」の場が、
空間的・地域的に分けられている。
もちろんこうした大規模な施設もある程度必要だとは思いますが、
これらはもっと混ざり合っていていいのではないでしょうか? 
大げさな公共空間でなくても多様な文化活動は可能です。
空間的に分けるのではなく、時間的に入れ替われば、もっと身近になると思います。
日常空間、生活空間にもっと公共性、文化性を取り戻したい、という気持ちは
HAGISOを始めてからもますます強くなっています。

次回は、まさにこのように、「日常と劇場」を結び付けようとする試みである
「居間theater」や、「谷中音楽室」などについてご紹介したいと思います!

information


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HAGISO

住所:東京都台東区谷中3-10-25
TEL:03-5832-9808
営業時間:カフェ12:00~21:00 (L.O. 20:30)
http://hagiso.jp/

かばん工場を セルフリノベーション。 共同スタジオが完成! HAPS vol.4

HAPS vol.4
ビルの空き室から若手アーティストの共同スタジオへ

JR京都駅の南側。八条口を出て6, 7分も歩くと
新旧の商店や住宅が並ぶ、東九条のまちが現れる。
新幹線を降りた人々で混雑する北口の喧噪とは対照的ですが、
アーティストのスタジオなどが少しずつ増えてきているエリアでもあります。
以前はかばん工場として使われていた築40年程の4階建てのビル。
ここのワンフロアが、今年の春、若手アーティストたちの手によって
共同スタジオ「punto」に生まれ変わりました。

ビル入り口に掲げられたpuntoの看板。

スタジオ風景。左は岡本里栄さん、右は嶋春香さんの制作スペース。

2013年10月。ペインターの嶋春香さんと長谷川由貴さんを中心に、
京都市立芸術大学の大学院生数名が
修了後の共同の制作場所を探しているとの相談がHAPSに寄せられました。

左より長谷川由貴さん、岡本里栄さん、嶋春香さん。この他に現在のメンバーは、松平莉奈さん、山西杏奈さん。12月から新たにもう1名が加わる予定。

一方、それより遡ること3か月ほど。
ビルの所有者である、隣接する大西商店の大西康之さん。
大西さんからこのビルの使っていないフロアを活用したいという相談をいただいていました。
これまでに塾や事務所などに使いたいという問い合わせもあったけれど、
なかなか接点を見いだせなかったそうです。

何か活用したいという気持ちでいたところ、
新聞でHAPSの活動を紹介する記事を目にしました。
中高生の頃は美術部に所属するなど美術が好きだった大西さんは、
アーティストに活用してもらう方が面白そうと感じ、
早速連絡いただいたのでした。

大西さんご夫妻。改修は完全におまかせで、一からつくり出していく力がすごいと感心していた。「ここから世界に羽ばたいてほしい」と応援。

HAPSでは、制作場所を探していた嶋さんたちに物件を紹介する中で、
大西商店のビルも案内。
ワンフロアと増築部分あわせて200㎡近い広さ、駅からのアクセスのよさ、
大家さんのアーティストへの理解と、三拍子揃った好条件にピンときたそうです。
実際、これだけの広さと交通アクセスや家賃が兼ね合うのは
京都市内でもなかなかないと言えます。
相談の結果、2階のワンフロアに加え、1階の一部のスペースも作品を保管し、
工具を設置して作業空間に使用することになりました。

大家さんである大西商店(左側)と、puntoが入っているビル。puntoは2階ワンフロアと、1階の一部を利用。

嶋さんたちは当初考えていたよりはスペースも広かったため、
同じ大学の同級生を中心に、さらにメンバーを募り、
6人で2014年1月に契約。
HAPSにとっても初めての共同スタジオのマッチングとなりましたが、
契約や改修、運営などについてアドバイスを行い、
双方にメリットがあるよう調整しました。
物件は、床や壁に経年の傷みや汚れがあるままの状態で、
アーティストたちが自ら必要な改修を全て行うという条件で、
家賃も通常の相場より低く抑えられました。

大学院修了とほぼ時を同じくして、3月末より改修をスタート。
とは言っても、みなセルフリノベーションなど初めて。
不安な部分もあるなか、改修を進めたきっかけがありました。
嶋さんたちの先輩が企画するグループ展、
「egØ-「主体」を問い直す-」展の会場を探しており、
4月末よりシェアスタジオのオープンに先立つプレイベントとして場所を提供することに。

これは急がねばなりません。しかも会場提供の代わりに、
改修作業にも参加してもらったり、
資材を運んでもらうなどの協力が得られることになりました。
強力な助っ人と、オープン日が決まったことで、
結果的に正味1か月ほどのスピードで、
展示できるホワイトキューブの空間に仕上げることができました。

改修時、床の傷んでいる部分をコンクリートと板で補強していく。北側は全面窓で、自然光が多く入る。

まず、床板の抜けをチェックし、
抜けている部分はコンクリートで支柱をつくり、床材を追加。
全体に長年のタバコのヤニの付着により激しく変色していたため、
窓ガラスなどの汚れは丁寧に落とし、
天井は油性のシーラーで白く塗り直しました。
この作業はにおいがきつくふらふらになるほど。
しかしその甲斐もあって、ひときわ明るく、
クリーンで居心地のよいスタジオ空間が実現しています。

180㎡ほどの天井を全て白くペイント。

そして一番大変だったのは、壁面の設置です。
元の壁は全てコンクリートだったので、
壁面に絵画作品をかけることができるよう、全面に木の壁を新たに制作。
その際、費用削減のため、木の桟を組むのではなく、
コンクリートの壁面に穴を開けて、ポイント毎にコンパネを取り付け、
その上に新たな壁面を設置するという方法をとりました。
コンクリートに穴を開けるのには、電動ドライバーを使い、
3人がかりで押えながら作業。
専用の工具でないため、強い力が必要となり、
これまで筋肉を意識したことのない胸部まで筋肉痛になりました。

「egØ-「主体」を問い直す-」展示風景より 彦坂敏昭《目地(タイル)》2014

4月末から5月上旬までegØ展開催後、
それぞれ個人の制作スペースを区切る壁面を設置。
1階は床を半分撤去し、土間部分に工具を設置して、木工などの作業スペースに。
5月下旬に、お披露目を兼ねたオープンスタジオの日を迎えることができました。
余計な要素がなく、
制作に集中できるニュートラルな空間が完成しました。

日本画を座って描くため畳を敷いた松平莉奈さんの制作スペース。現在、松平さんと長谷川さんは「VOCA展」に出展準備中。

このスタジオの改修を通し、メンバーたちはDIYの工法を学んで、
「家くらいのサイズのものでも何でもつくれる!」
という自信がついたと言います。
ちょうど同時期、向かいの家も改修工事をしていたため、
大工さんのスピードに感心しながら、作り方を観察していたそうです。
DIY熱が高まり、作品制作のための作業テーブルや、
画材や作品を収める棚など、必要なものをそれぞれ自作。
その後、網戸や出入り口の扉もつくっています。

作品収蔵スペースにも、強度を考えて棚をDIY。

各自の友人や先輩などのネットワークを生かし、
構造や強度など不安な部分はわかる人に教えてもらいながら、
確実に技術を自分のものとしていった姿はとても頼もしいです。
大西さん夫妻も「1からつくり出す力がすごい」とただただ感心して見ていました。

年明けの展覧会に向け、立体作品を制作中の嶋春香さん。正面に並んでいるのは、資料写真をモチーフとした絵画作品のシリーズ。

京都にはアーティストの共同スタジオが多く、
市内に20~30あるともいわれます。
「punto」始動時には「凸倉庫」の安藤隆一郎さんの呼びかけで、
京都の南側に点在する近隣シェアスタジオで
制作するアーティストたちが集まり、盛大なバーベキューが催されました。
情報交換や、近くのスタジオからコンクリート用工具を借りることもでき、
これを機にさらなる横の繋がりができています。

山西杏奈さんの制作スペース。主に木を素材として立体作品を制作。ビルの増築部分にあたり、平面作品の制作スペースと区切られたつくりになっているのも好都合に。

工具を使う作業室としている1階の土間スペース。現在は主に山西さんが活用。

さらに、プレオープニングのegØ展や、オープンスタジオなどを通し、
新しいスタジオとして認知されるのも思ったより早かったとのこと。
共同でスタジオを構えることがさまざまな面で効果的に作用しています。

現在は、各自が仕事をしながら作品制作を行っています。
常に全員で顔を合わせるわけではありませんが、
他の人の制作過程や作品を目にすることで刺激を受けることができ、
また異素材への関心も高まったそうです。
「このスタジオがスタートしてから色々な機会をいただき、
幸運の場所のように感じている」と語る長谷川さん。

長谷川由貴さんが現在取り組む大画面の新作。日本各地の聖地を訪れ、その体験から絵画を描くことを続けている。

“punto”はラテン語で「点」を意味します。
“点から線や面が生まれるように、
ここを拠点にさまざまな活動形態へと繋がっていく――”
そんな思いが込められた命名を文字通り体現しているようです。
切磋琢磨しながらここで制作される作品や彼女たちの活動がこれからどう変化していくのか、
ますます楽しみです。

本や好きなものを持ち寄った共用スペース。バリ島の傘状の祭壇も。

information


map

punto

住所:京都市南区東九条南山王町6-3
http://punto-studio.net
※通常は公開していませんが、年に一度はオープンスタジオを行いたいと計画中。

施主それぞれの思いが リノベのスパイスに! シーンデザイン一級建築士事務所 vol.04

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.04 
施主それぞれのスタイルをリノベーションに反映する

ひと口にリノベーションといっても、アプローチの仕方はさまざまです。
たとえば、
私自身が営む「シーンデザイン一級建築士事務所」として関わるリノベーションと、
空き家の未来をデザインする不動産屋マイルームの倉石さんらとともに進めている、
「CAMP不動産」として関わるリノベーション。
このふたつをとっても、アプローチの仕方は異なります。

前回、前々回の藤田九衛門商店(vol.02)、アソビズム長野ブランチ(vol.3)は、
「CAMP不動産」の事例として紹介しました。

一般的な建築工事にくらべ「CAMP不動産」的なリノベ工事のスタイルは、
かなり特殊であると思います。
それは、施主、施工者、設計者、はたまた地域に住む人にいたるまで、
関わる人の相互理解とコミュニケーション能力に委ねる部分が数多くあるためです。

何がよくて、何がよくないのか。そこで、どんなストーリーを持った空間がほしいのか。
その共通の認識を持って、みんなが各々自分の頭を使いながら、工事を進めていく。
だから、なんとなく方向性と期日は決まっているけれど、
詳細をあえて決めずに施工が進んでいくのがCAMP不動産的リノベです。

たくさんの人を巻き込みながら、みんなが当事者として関わり、
ダイナミックに物事が動いて、
結果、まちに対する影響力も大きいリノベになることが多いと感じています。

一方、普段のシーンデザインの仕事として行うリノベーションは、図面があります。
設計事務所ですので、ちゃんと図面も書いています(笑)。
図面のありなしという物理的な違いがわかりやすいので、
そんな説明をすることが多いのですが、
今回はシーンデザインが手がけたリノベ案件を紹介しながら、
CAMP不動産とはまた違うリノベの魅力について、お話しできたらと思います。

CASE.01 世界を知るための人文書の森「遊歴書房」

現在シーンデザインも入居しているシェアオフィスKANEMATSU。
2011年春、KANEMATSUに古書店を開きたいと宮島悠太さんが訪ねてきました。

バックパッカーで、世界中を旅してきたという店主の宮島さん。
何の因果か善光寺門前のKANEMATSUに流れ着き、
「世界各国を知るために、人文書の森をつくりたい」と語る宮島さんのお話は、
とても興味深いものでした。

リノベ前の様子。スペースを貸し出すために掃除をするボンクラメンバーの羽鳥さん。

宮島さんが古書店を開きたいと考えた空間は、
元ビニールの加工工場だったKANEMATSUのなかでも、
床、壁、天井すべてが亜鉛鉄板で覆われた部屋。
ビニールの加工機械の中には、電磁波を出す機械があったため、
ご近所に電波障害を出さないための処置だったそうです。

ということは、室内からは電波が外に出ない、
内向きで閉じた空間とも言えるわけで、
そんな特異な場所に“世界”を詰め込んでみたらどうなるか。

“世界”と“KANEMATSU”。
その対比がたまらなく面白いと感じて、
古書店のデザインというよりは、宮島さんという人間をこの場所で表現してみたくて、
そんな妄想を抱きながら計画が進み、
2011年6月、古書店「遊歴書房」がOPENしました。

完成した遊歴書房。とても小さい空間に地球上のあらゆる“世界”があります。

天井中央には羅針盤をイメージしてデザインされた照明を配し、
360度ぐるりと天井まで届く本棚には、
左回りに日本→アジア→ヨーロッパ→アメリカといった順に
地球儀を裏返したように関連付けられた本が約一万冊収められています。

集められた古本は歴史・哲学・宗教・政治・社会の硬い本から、
文学・小説・紀行、さらにはマンガまで。
宮島さんが、世界中を知るために必要だと思う本が、
従来のジャンルを横断して地域ごとに並べられています。
店内に一歩踏み入れると、まるで地球儀の内側にいるような、
不思議な感覚を体験できます。

元ビニール加工工場だったKANEMATSUの中に誕生した「遊歴書房」は、
日頃見慣れた風景の中に差し込まれた別世界のようで、日常と非日常が同居しています。
さまざまな文化やたくさんの人が行き交う門前に相応しい場所ができました。

本との偶然の出会いとは、実は気づいていない自分に出会うことなのかも。

一万冊の人文書の森に囲まれると、偶然、目にとまる本があったりします。
その時、この出会いは本当に偶然だったのだろうか? と思える瞬間があります。
自分の中にある世界の端っこに触れる瞬間。
そして、その本と世界が繋がっている感覚。

宮島さんの話す、「人文書の森で世界を知る」とは、
きっと自分の中にある世界を知り、
さらに広大な世界に押し広げる事なのでしょう。

まちを、世界を変えるには、新しい個人、新しい世界観で、まちを、世界を見ればいい。

なんだか、リノベに一番大事な考え方を、遊歴書房に教えられた気がします。

CASE.02 住宅をリノベしたクラフトギャラリー「Galle_f」

リノベーションというと、築何十年も経過した建物が対象になることが多いと思います。

それは、建物がある目的のために建築されて、その目的をある程度果たした後に、
新築時の目論見とは違う次元に改修することを
リノベーションと呼んでいるので当然のことかもしれません。

ただ、何らかの事情で、比較的新しい物件でもリノベーションの対象になることもあります。

2012年の10月、家具工房StyleGalle(長野県朝日村)の藤牧敬三さんから、
相談を受けた建物は、そんな比較的新しい建物でした。

藤牧さんとは、それ以前から仕事やプライベートでもお付き合いがありました。
いつも控えめで物腰のやわらかい藤牧さん。
例えば、椅子の制作をお願いしたときは、
家族の体格に合わせて微妙に大きさや座面の高を変えていました。
そんな依頼主への思いやりが詰まった作品をつくる木工作家さんです。

リノベ前の室内の様子。ここがゆくゆくギャラリーになります。右側の窓の外が風除室。

早速、対象物件を見に行きました。
築8年ほどしか経過していない別荘地に建つ住宅は、古さを全く感じません。
この住宅をギャラリー併設のカフェにリノベーションしたいとのこと。

古さを味とするようなデザインでもなく、スケルトンにして全て変えてしまうこともなく、
必要最低限の工事で、どこまで魅力的な空間に生まれ変わらせることができるのか。
シーンデザインとしても新しい試みでした。

建物を観察してみると、天窓がある風除室(玄関)はとても明るい。
でも、それは風除室だけで、壁の配置が悪く、周りの諸室はちょっと暗い雰囲気でした。

壁の向こうの風除室の光が、周りの部屋にあまり届きません。

今回のリノベでは、明るい風除室の光が、
周りのギャラリーに柔らかく届くような計画にして、
シークエンスや視覚的な操作で、
小さいながらも広がりを感じるギャラリーを提案しました。

提案したイメージスケッチ。

計画図面とイメージスケッチをもとに工事が進み、
2013年の5月に家具工房StyleGalleの、
クラフトギャラリー「Galle_f(ガレ・エフ)」としてOPENしました。

壁を抜き、風除室をサンルームへと変えました。

工事は木工作家である藤牧さん自ら施工しました。
インテリアの細部には藤牧さんらしい柔らかさとおおらかさが出ていて、
優しい雰囲気に仕上がっています。

サンルームからの光が柔らかくギャラリー内に広がります。

こうした比較的新しい建物のリノベは、“古さ”をデザインの要素にできない分、
空間構成の面白さが際立つように思います。

空間を既存の用途要求から、まず自由にしてあげて、素直にその特徴を認めてあげた後、
そこに相応しい役割を与えていくことが、うまくできた事例だと思います。

CASE.03 空き家を“今”のライフスタイルに合わせてリノベする

2013年の2月、郊外に建つ空き家をリノベしたいという依頼を受けました。
どこの都市でも同じような事が起こっていると思いますが、
まち中だけでなく郊外にも、空き家がどんどん増えてきています。
施主である中川さんのご実家の敷地内にも、長い間、使われなくなった住宅がありました。

リノベ前の室内。南北に和室が連なる長方形の建物。

まだ小さいふたりのお子さんがいる中川さんご家族は、
この空き家を今後10年間だけ生活する住居として
リノベしたいというご希望をお持ちでした。
つまり、お子さんの成長に合わせて
今後ライフスタイルが、どう変化していくのか想像がつかないから、
“今”を十分に楽しんで生活できるようなリノベ住宅がほしいという、
今までにないパターンの依頼で、とても先進的な考え方だなと思いました。

確かに、30年以上将来に続くローンを組んで新築住宅を取得するより、
ライフスタイルの変化に合わせて、
少ない費用で10年毎に3回リノベ住宅を住み代えるほうが、
リスクも少なく賢い方法だと思います。

中川さんの場合、例えば10年後、その時の家族のライフスタイルに合わせて、
別棟の母屋をリノベして引っ越し、この住宅は他人に貸して、
家賃収入を得ることもできます。
もちろん、この家に住み続けることも可能ですが、
10年後の将来に、そんな選択肢もあると思うと、日々の暮らしに余裕が生まれてきます。

そんな考え方の人が、これからは多くなっていくのかもしれません。

加えて、癖のある古い建物をリノベしていくことは設計者にとっては(施工者にとっても)、
骨の折れる作業ですが、リノベによってできた空間の面白さや豊かさは
新築では得られないものがあります。

古くて一昔前の間取りが、みるみるうちに魅力的な空間に変わっていくライブ感は、
建築を専門としない一般の施主にとっても、ワクワクするもののようです。

築約20〜50年ほどの、増改築を繰り返して、つぎはぎだらけのやっかいな建物でしたが、
2013年12月、工事が無事完了し、お引渡しできました。

床の間や柱、天井はクリーニングしてそのまま再利用しました。

床柱や建具、天井板など、使えるものはできるだけ残しながら、
防湿、断熱、構造補強などを適宜施しながら、
「甘すぎずスタイリッシュにまとめたい」という中川さんのイメージに合うように
全体のデザインを整えました。

10年間だけ暮らすためのリノベ住宅。
クールでかっこよく“今”を楽しんで暮らす
中川さんらしいリノベ住宅になったと思います。

今回は、シーンデザインが携わった3つのリノベを紹介してきました。

リノベの場合、新築と違って、お施主さんの人となりがより出てくるように思います。
たとえば、野菜を販売するときに「どこどこのだれだれさんがつくった野菜です」
といった「人の顔が見える」という感じとは少し違って、
そこを使う人の、人柄だとか性格が、その場所や空間ににじみでてくるというか。

宮島さんの、ひたすら内向きだけど自分の世界がある感じだとか、
藤牧さんの、おおらかだけど粗がない感じだとか、
中川さんの、かしこく暮らしをデザインする感じだとか。

なぜ、そうなるのかうまく説明できないのですが、
リノベ物件には建物をお施主さんと重ねて擬人化して眺めるような、
そんな距離感があるのです。

それがどんな距離感なのか、自分自身のなかでわかりつつある部分と、
一方ではかりつつある部分もあるのが正直なところです。
でも、手探りではあるけれど、それがリノベーションの魅力のひとつだと感じています。

information

遊歴書房

住所:長野県長野市東町207-1 KANEMATSU
TEL:026-217-5559
営業時間:11:00~19:00
定休日:月曜・火曜
http://www.yureki-shobo.com/

information


map

クラフトギャラリー Galle_f

住所:長野県塩尻市北小野4133-130
TEL:0263-55-7471
営業時間:10:00〜18:00
定休日:木曜(不定休あり)
http://www.stylegalle.com/gallef.html

「さて、ここに集うのは誰?」 古民家をリノベした山ノ家の新たなスタート。

その後の「山ノ家」の日常と現実。

お久しぶりです。
リノベのススメにて「山ノ家ができるまで」を連載させて頂いていたgift_です。

東京で、空間や家具のデザインや、広い意味での「場づくり、状況づくり」の
企画などを行うかたわら、
ギャラリー・ショップ「gift_lab」を運営していた私たちでしたが、
2012年、縁あって新潟・十日町松代(まつだい)に
「山ノ家カフェ&ドミトリー」を始動させました。

どちらかがアウェイで、どちらかがホーム、なのではなく、
どちらも同じ重さの「地元」、シームレスに等距離に行き交うことを
「ダブル・ローカル」と称してスタートした時点では、
何を目指しているのかという自覚的なゴールはなくて、
日々、目の前にある to doを積み重ねる日常でした。

オープンから早くも丸2年を経た現在、いつのまにか、じわじわと、
次なる種子のようなものがゆっくりと胎動してきているようです。
その一端として、過疎化が進む山間地域の日常から「タカラモノ」を
発見して都市圏の人たちにきちんと届ける仕組みとして
「山ノ実プロジェクト」がスタートしつつあったりします。

ここからまた何が始まっていくのか。
ちょっと楽しみにしているところです。

さて、ここで時計をふたたび2012年の秋に巻き戻します。

ひと夏かけて山ノ家のリノベがひとまず完成した後、
オープン直後の盛夏には、大地の芸術祭2012のにぎわいに支えられて
まずまず順調なスタートを切ったかと思われた「山ノ家」。
だがしかし、そこに待ち受けていたのは、厳しい現実でした。

春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(=早朝)。
枕草子にも「いとをかし」と謳われている通り、
もちろん秋の夕暮れは、とてもすてきだ。
適度な寂寥感というものは心ふるわせる趣深いものだ。
それは認める。
しかしまったく誰も来ない里山のカフェの夕暮れほど
むなしく寂しいものはない。

大地の芸術祭が閉幕したのは9月なかば。
2階のドミトリーがようやく本オープンにこぎつけてから約2週間後。
芸術祭のクライマックスには連日満室だったドミトリーも
9月はまだしも、10月に入るとぱったりと宿泊予約が途絶えてしまう。
10月1か月の宿泊客はなんと5人のみ。
それも、10月前半に集中していて、10月後半は皆無。

宿泊客というのは基本遠方から来るヨソモノである。
地元に家がある人は宿泊はしない。
とにかく来訪のほとんどを占めていた東京圏からの旅人はぱったりと途絶えた。
そして、どんどん高く透きとおっていく秋の空のもと、
田畑の収穫に追われる地元のみなさんは忙しく、まちなかには出歩けない。
「山ノ家」が立つ商店街を通っていく者はほとんどいなかった。

旅人が途絶えたならば、地元の方にカフェを利用してもらいたい。
しかしそもそも、人通りがない。
思い起こせば、宿泊客のほとんどが都市圏からの芸術祭ファンだったように
カフェのお客さんもまたしかり、
ほとんどが都市圏からの旅人が立ち寄ってくれたもの。

リノベで知り合った職人さんたちや、
よく差し入れをしてくださったお向かいのハマダヤさんなど
ごく少数のご近所の方々、
もともと、私たちにこのプロジェクトをスタートするきっかけをつくってくれた、
地元の地域活性活動の旗ふり役である若井明夫さんたち以外で、
私たちが何ものであり、何をしようとしているのか知っている人は、
この頃、実はほとんどいなかったのである。

後で聞いたところ、芸術祭の拠点のひとつで、夏が終わったら、
あたかも海の家のようにたたんで、
東京に帰ってしまうんだろうなと思われていたそうである。
当時、地元の平均的なみなさんにとっては、
あくまでも、「テンポラリーな作品」のようなものと認識されていて
商店街の日常を構成する一店舗とは見なされていなかったらしい。

いや、ここはカフェなのだ。
今日だって営業中なのに。

どうすればよいのだ。

開いてるかどうかわからない、という声を耳にした。
あわてて「Open!」の張り紙をしてみる。

そもそも、カフェだってわからないんじゃない?
山ノ家のロゴデザインをしてくれたDonny Grafiksの
Donnyくんこと山本くんに、ロゴのカフェの部分から
コーヒーカップを肥大化させた看板をつくってもらう。

山ノ家は前面がすべてオープンのガラス張り。
夏の開業時からブラインドやカーテンはつけずに、
日が暮れるとカフェの中からの灯りが外にこうこうと光を放って
建物自体が発光するランタンのようで、
スタッフ一同気に入っていた。

しかし、朝から夜まですべて丸見えで、
定休日にも丸見えで、
待ちわびていたお客さんがせっかく来てくださったのに、
定休日とわからず、鍵のかかったガラスの扉が開かずに
入れない! と叱咤を受ける。

窓にカーテンをつけた。

オープンしていない時には閉め、
オープンしている時には開ける。

わかりやすくなったねとほめてくださる方もいた。
それはよかった。

「もっと目立たせるためには、派手で大きい、
行灯式の看板置かなくちゃだめだよ」とアドバイスされたが、

置きません。

日に日に肌寒くなっていく。

レンズ豆と根菜のスープをつくってみる。
クミンの香り。白い湯気が立ちのぼる。
いい匂い。
とてもおいしいんだけどな。
あったまるし。

デモンストレーションとして、窓際でふうふうと食べてみる。
誰も通らないね。

晩秋ともなれば、5時前には暗くなってくる。
ソファ席の上に広がる白い壁に映画を投影してみる。
日暮れの静かな空気の中に映像がうごめいてとても美しい。
しかし誰も通らない。誰も立ち止まらない。

断言する。
まったく誰もいない秋の夕暮れのカフェで観る
『パリ、テキサス』ほど寂しいものはない。

ライ・クーダーの乾いたギターが悲しく空中に溶けていく。

カフェの壁に映像を投影してみる。

芸術祭が終わると本当に人がいなくなるよ、とはもちろん聞いていた。
多少の覚悟はしていた。
けれども、これほどとは。

いったいどうすればよいのだ……。

Vol.2につづく

information


map

山ノ家

住所:新潟県十日町市松代3467-5
TEL:025-595-6770
http://yama-no-ie.jp
https://www.facebook.com/pages/Yamanoie-CafeDormitory/386488544752048

萩の素材を散りばめ、 地元の職人さんと一緒につくった ゲストハウス「ruco」 medicala vol.2

medicala vol.2
素材選びから、オーナー、職人とともにつくりあげた空間

前回は東京の蔵前のホステルNui.について書きました。
今回は、山口県萩市につくったゲストハウスrucoの話をしようと思います。

Nui.をつくってからは、Nui.で棟梁を務めてくれたナベさん率いる、
大工チーム渡部屋と、東京は茗荷谷のcafe & bar totoru
愛知県豊田市の手打ち蕎麦くくりをつくりました。

totoruの店内。

くくりの店内。

3つの現場を渡部屋とつくることで、
それまで「施工」のことをほとんど知らなかったんだなと実感しました。
逆に言うと、本当にたくさんのことを学びました。
大きなところでは大工の世界のこと、左官のこと。

例えば、
2本の角材を直角につなぎ合わせる部分を意味する「トメ」や、
木材の一番上の面のことを意味する「ツラ」などの、
大工が使う専門用語の意味がわかると、
職人や業者との会話が成り立ちやすく、スムーズに話が進みます
また、製材所で木目を見ただけでその木の種類が判断できたりすると、
若いからといって舐められることも少なくなるかな……と思います。

木材の仕上げ方もいろいろあります。
ヤスリをかけて綺麗にするだけ、
それにオイルを塗る、ウレタンを塗る、ペンキ塗る、傷をつける、
焼く、焼いてブラシで磨く、粗い表情を残すなどなど。
どの材料にどういう加工を施すか、
それがどこに使われるのか(水場か? 人が触るか? など)、
そういったことを考えながらひとつひとつ仕上げ方を決定して、
わからなかったら相談したりお任せしたり。
ちょっとずつ学んでいきました。

totoruでカウンター材の仕上げ。

そして、左官もそれぞれの現場で
職人さんが新しい技をどんどん出してくれていたので、
たくさん見ることができました。
材料は土、セメント、漆喰系、石膏系。
仕上げ方は普通にコテで塗ることから、
搔き落とし、版築、ひきずり、磨きなど。
少しざらざらさせたり、ぴかぴかにしたり、
混ぜた小石を表に出すようにしたり……技法と材料で表情がぐんと変わります。
それぞれの素材の特徴のこと、
下地によって変わる配合のことや混ぜ方のことを、
お手伝いしながら観察しながら、時には質問もしながら、勉強しました。

手伝いにきてくれたみんなと左官の磨き作業の様子。

Nui.、totoru、くくりの3現場では大工さんが同じでも、
みんな同じ技を使うことが少なかったことも学べることが多かった要因です。

さて、そうやって渡部屋と一緒に仕事をすることで培った経験をベースに
初めての地方都市で、
初めて渡部屋以外の大工さんとつくったのが
山口県の萩市にあるゲストハウス rucoです。
今回はそんなゲストハウスruco.のご紹介。

ゲストハウスrucoを僕が手がけるきっかけをくれたシオくん。

rucoのオーナーのひとり、萩市出身の塩満直弘さん(以下シオくん)。

僕と同い年で、僕も彼も東京で仕事をしていた当時、
東京のゲストハウスtoco.で出会いました。
2011年、当時の僕はまだNui.も手がけていないし、
店舗の実績もない、ましてや僕のデザインを
ひとつもまともに見たことがない状況で、シオ君は初対面の僕に、
「将来、地元の萩市に帰ってゲストハウスをつくりたいから、そこのデザインをしてほしい」
と依頼してくれました。

実績もない僕に依頼してくれたのが本当に嬉しくて、
“それまでに期待に応えられるようにレベルアップしよう!”
と心に誓ったのを覚えています。
シオくんはその後すぐに萩にUターン。萩でのベースをつくるために、
バーの居抜き物件を借りて、「coen」というバーの運営を、
ゲストハウス開業の第一歩として始めました。

それから2年後、Nui.やtotoru、くくりを経てレベルアップした後に
タイミングよく萩市で物件を見つけたシオ君から連絡をもらって、
2013年6月に萩市に入り工事を開始します。

今回、改装することになった物件。

物件は萩市のバスセンターから
徒歩1分という好立地にある鉄骨4階建てのビル。
1階と2階が元楽器屋さん、3階と4階が住居スペースだったのですが、
しばらく空き家になっていたビルです。

空きビルのなかはこんな感じです。

前述のシオくんが運営していたバーcoenはここから徒歩5分のところ。
お酒を飲みたい人の受け皿にはcoenがあるので、
ゲストハウスにはのんびりしてもらえる空間をつくろう、ということで

1階と2階をゆっくりできる簡単なカフェ&バー、
3階と4階をゲストハウスにすることにしました。

そして、今回の施工チームはこちら。

右から大工のマコさん、オーナーのひとり、シオくん、家具職人のチューゲンさん、オーナーのひとり、アッキー。

改装前にみんなで建物をチェック。写真真ん中の青いチェックのシャツの男性は、左官屋さんの福田さん。

大工さんは入江 真さん(通称マコさん)。
山口県の大工さんで、シオくんが依頼してくれました。
若いけどしっかり修業していたので腕は確か。
センスもある優しい大工さんです。

萩市の家具職人の中原忠弦さん(通称チュウゲンさん)は、
ずっと萩市で活動している職人さん。
木・革・鉄を扱えて実家である製材所に家具工房を併設しています。
優しくて謙虚でいろんなことでお世話になりました。

マコさんが連れてきてくれた萩の隣町を拠点にしている、
左官屋さんの福田靖さん。
現場が終わったあとに、左官業界では有名な人だったと知りました。
現場に入るときも打ち合わせのときも、
いつもパリっとシャツを着ていて格好いいです。
最近扱う人が減った、土や漆喰なども
きちんと扱える信頼できる左官屋さんです。

この職人メンバーに加え、rucoオーナー全員が毎日工事に参加してくれました。

オーナー陣は、
シオくんに加え、秋本崇仁さん(通称アッキー)と原田 敦さん(通称アッくん)。
ちなみに、アッくんはruco立ち上げのために
東京から萩へUターンしてきてくれました。
アッくんは工事後半からの参加になりましたが、
みんな朝から晩まで、毎日工事に参加してくれました。

電気・ガス・水道・空調・防災工事は地元の業者さんにお願いしました。

以上のように、僕以外は萩周辺で集まった「地元の職人さん」でrucoの工事は始まりました。

今回は、僕にとって初めての「土地感がないところでゲストハウスをつくる」
というプロジェクトでした。
「どういうゲストハウスにするかを考える」こと、
「どういう素材を集めるか」ということを大切に進めました。

萩市の夜景(完成したrucoの4階より撮影)。

どういうゲストハウスにするかを考える

萩というまちを案内してもらい話を聞きながら、
「萩というまちにはどういうゲストハウスが必要か?」
という部分をシオくんと一緒に考えていきました。

正直僕はシオくんに会うまで
「萩」というまちを知りませんでした
(恥ずかしい話、歴史も詳しくないですし)。
きっと僕みたいな人って日本にいっぱいいると思います。

現在萩で観光資源として代表的に謳われているものは、
「萩焼、歴史、綺麗な海、おいしい魚、萩野菜」です。
これらはすごくいいものです。
でも、客観的に見たとき「これらを目的に人は来るだろうか?」という疑問が残ります。
焼物だって日本中にいろんな種類のすばらしいものがあります。
歴史あるまちだって京都、倉敷、奈良、鎌倉、宮島などたくさんあります。
海がきれいで魚がおいしいまちも日本にはたくさんあります。
もちろん上記に並べた以外に萩に来たいという理由を持った人はいるけど、
そこまで理由を持っている人は、こっちが何か仕掛けなくても萩に来てくれると思います。

いままで萩に興味を持たなかった人が萩に来たくなるように、
そして萩の魅力を知ってもらうために……。

今回のrucoの素材をたくさん焼いていただいた、萩焼の窯元「大屋窯」へ訪ねたときのひとこま。

そのために、僕は
『rucoが旅の目的になる』
というところを目指しました。
萩に来るからゲストハウスに泊まるんじゃなくて、
まずはrucoに来たくて来る、
それをきっかけに萩を知る。

そのために「かっこいい宿をつくること」を目指すのではなく、
かっこいいことはもちろん、
宿を構成するものひとつひとつに意味があって、
オーナーや関わってくれた人への萩への愛で溢れていることが、
来てくれた人に伝わって、萩にまた来たくなるような空間。
訪れた人がなんとなくわかる「普通じゃない」感じ。
そんな空間を目指します。

どういう素材を集めるか

空間を萩への愛で満たすためには「何をどう使うか?」が大事です。
逆に考えると、どこにでもある材料を適当に使って、
ただかっこよく仕上げただけの空間では
どこにでもある場所になってしまいます。

どういう素材を選び、何をつくるのか?
それらをどういう風に、空間に取り入れるのか?
そこをどれだけ考えて落とし込めたかで、
素材にもたせられる意味が変わってきます。

工事に入り前に、萩で、もの集めと素材集めから。
ここでシオくんが地元に戻ってから
つくってきたつながりを全力で生かしていきます。

まず、宿のなかで使うものを、できるだけ萩の作家さんたちにつくってもらいたい!
ということで、

1.萩焼の窯元「大屋窯」
2.地元で大漁旗などを染めている染め物屋「岩川旗店」
3.前述した家具職人のチュウゲンさんの「中原木材工業」

に協力していただきました。

まず、大屋窯に制作をお願いしたものは、
オリジナルの磁器のランプシェード、オリジナルの磁器の洗面ボウル、
オリジナルの磁器と陶器のタイルの3つ。それぞれ紹介していきます。

ランプシェードは、大屋窯の職人さん指導のもと、
rucoの3人のオーナーと僕の4人でひとつずつ
それぞれ好きなデザインを考えて、それぞれの手を使って制作しました。
つくった人の個性が見事に反映されていて、それがまたすごく面白い。

ランプシェードの制作風景(※大屋窯は普段陶芸体験などは行っていません)。

オリジナルの洗面ボウルはサイズを伝え、釉薬の相談をして制作をお任せしました。
大きな洗面ボウルは初の試みで、排水金具取り付け部分の加工など難しい内容でしたが
なんとかオープンにギリギリ間に合いました!

洗面ボウル。

タイルを陶器と磁器でそれぞれ依頼したのは、
古くから「萩焼」で知られる、焼きもののまちだけど、
普通に生活している人や旅行者は
そもそも「陶器と磁器の違いってわかるのかな?」という素朴な疑問から。
だから陶器と磁器のタイルが並ぶようにデザインしました。

陶器のタイル。

磁器のタイル。

次に岩川旗店さんには、
ドミトリーのベッドのカーテンのデザインと染めを依頼しました。
そこで実際に担当してくれたのは、
跡取り息子で当時若干25歳だった岩川大空(そら)君。
当時の大空くんは、まだまだデザインや染めは勉強中でした。
仕事として一からデザインを起こせる機会というのは、
萩という小さなまちにいるとなかなかないもの。だからこそ、
「この仕事を、大空くんの最初の仕事としてデザインから加工まで依頼したい」
そう思いました。
シオくんと僕の気持ちを受け取って、
苦戦しながらも素敵なカーテンを制作してくれました。

染めの作業をしているところ。

染め上がったカーテン!

最後に中原木材工業のチュウゲンさんには、
1階の手洗いのオリジナルのベース(脚)と
ハイテーブル用のスツールの制作をお願いしました。

チュウゲンさんにはほかでもものすごくお世話になって、
例えば2階の床材を製材する時に工房を借りたり、
1階の壁に使う木材を製材する時に製材所を借りたり
1階と2階のテーブルを制作する時に助けてもらったり……

チュウゲンさん制作の洗面台。ボウルは大屋窯。

チュウゲンさんの工房を借りての作業風景。

こうやって、萩の職人さん・作家さんの全面的な協力をいただいて、
rucoのピースは集まっていきました。
こういう動き方ができたのも
シオくんが時間をかけて地元の人たちとの信頼を築いてきたからだと思います。

次は『素材』です。
1階と2階のカフェ&バースペースには
本当にたくさんの想いのつまった素材が使われています。

1階と2階の床材は、「パレット」という、
フォークリフトの荷役台に使われていた木材を使用しました。
このパレット、実は施工期間中に事情により廃業してしまった
萩市の酒屋さんが使っていたものを譲っていただきました。
通常だと単なるゴミになってしまう木材ですが、
その酒屋さんの記憶をrucoにつなぐために、
床材として再利用しました。
何よりも古材が持つ独特の風合いも魅力的です。
残っていた50台ほどのパレットを全て譲ってもらい、
チュウゲンさんの工房に運びました。

酒屋からパレットを運び出すところ。

パッレットを切り分ける。

実はこの床材、700枚ほどを全て長さと幅を揃えるために手作業で加工しました。
この作業だけで2週間ほどかかりました。
二度とやりたくないほど大変だった記憶が……。

みんなで、ヘリンボーン貼りしているところ。

バーカウンターには、イチョウの木を使いました。
しかし、これはただのイチョウの木ではありません。
なんと、coen.で使われているカウンターと同じで、
元々は同じ1本の木だった木材。こういう木は俗に「親子」と呼ばれます。
coen.の内装ができたのはかなり前の話ですが、
それでも当時買ったのと同じイチョウが、
たまたま萩の製材所に残っていることが判明して
「このイチョウの木以外考えられない」
という話になり、即決。

カウンターを製材している様子。

カウンター材を搬入し、お清め。

製材して反りを調整してもらい、
搬入して飛騨の友人からいただいた日本酒でお清めをしました。
設置して丁寧にヤスリをかけてオイルを塗って完成です。

カウンター設置!

萩の自然の色やかたちを生かした、ふたつのシンボル

楽器店時代の「防音室」として使われていた部屋を
rucoの印象的なスペースのひとつとするために、
ツリーハウスっぽく仕上げるデザインにしました。

施工前はこのような空間でした。

ツリーハウスを下から支える木は、
オーナーのひとりである、アッキーの萩の知り合いの方の山から
大きさや枝振りが良さそうな1本を選んで伐採。
少し乾燥させた後、設置しました。

伐採のときの様子。

流木を下地として、部屋のまわりにつなぎあわせていく。

左官で仕上げ。

凸凹している壁の下地材は萩の海で拾い集めた流木です。
軽トラ2杯分もの流木をオーナーたちが集めて、
それを使って大工のマコさんが下地を組みました。

ツリーハウス完成! 中央の部屋は、スタッフの宿直室に。

全ての曲線は流木の曲線ということで、
このツリーハウスには人為的な曲線がほとんどなく
絶妙なバランスのツリーハウスが完成しました。

萩でつくられたり、拾ってきたりしたたくさんのピースを埋めこんでつくった階段の壁。

そしてこちらは、1階と2階をつなぐ階段の大きな壁。
rucoの1階と2階は吹き抜けはあるもの
空間の連続性が薄かったので、
ここの壁で空間の一体感を持たせました。

チェックインを済ませ、お部屋へと向かう時にのぼるこの階段。
ゲストは階段を上がりながら、
さまざまな萩の素材のパッチワークを楽しく見ることができます。
この壁に埋め込まれた『萩』の要素は10種類以上。

大屋窯の陶器と磁器のタイル、
岩川旗店の端切れのパッチワーク、
質の高いことで評判の萩ガラス、
萩の名産の夏みかんと椿の葉、
最初に解体した時に出た廃材、
萩焼の窯をイメージしたレンガ、
地元の竹、
萩の夜の沖に浮かぶイカ釣り漁船の廃電球、
割れた萩焼、
地元の海岸、菊が浜の貝殻、
山口の地酒の瓶に拾ってきた同じく菊ヶ浜の砂を詰めたもの、

ひとつひとつを探して集めました。
かっこよさのためだけではなくて、
萩のどこにあったものなのかを説明することでrucoを訪れる人に
萩のことを少し知ってもらえるような、
そんなデザインの壁に仕上げました。

今回も手伝いにたくさんの人が来てくれました。
rucoもNui.の時と同様、本当にたくさんの人が手伝いに来てくれました。
萩の人はもちろん、大阪や東京から、
または近くのゲストハウスから工事の噂を聞きつけてきた大学生などなど。

みんなとの記念写真と作業風景。

ruco.の工事を通じて知り合った美容師さん。後に独立して萩に美容院を開くことになりますが、その話は後日詳しく。

手伝いにきてくれる人がいるから、できるデザインがありました。
一番大変だったのは手すりに革を巻いたこと。
20cm幅の革をたくさん縫いつなげて、
それを手すりにぐるっと巻いて縫いあげました。
延々と続く地味でしんどい体勢での作業でしたが、
東京のゲストハウス「レトロメトロバックパッカーズ」のオーナーであり、
友人の山崎早苗さんが2泊3日で東京から来て、
夜なべして仕上げていってくれました。
rucoに来ると必ず触る場所のひとつです。

革巻きはこんなかんじで。

こうしてrucoはオーナーたちの夢と、
関わってくれたたくさんの人の想いと、
萩へのたくさんの愛情で、
萩にしかない、シオくんたちとしかつくれない空間ができました。

初めての地方都市での物件で
初めて渡部屋以外の人との空間づくりを経験することができて、
もの凄く大変だった分、一段と経験値が増えてレベルアップできた仕事でした。

information


map

ruco

住所:山口県萩市唐樋町92
TEL:0838-21-7435
http://guesthouse-ruco.com/

改修中のイベント、 クラウドファンディング。 それぞれが発信力のベースに! HAGISO vol.3

HAGISO vol.3
改修中の空間をお客さんと共有すること

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2に続き、東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。

木造アパート「萩荘」解体危機からのまさかの逆転、
海外滞在での経験をもとに新しい施設としてのHAGISOを構想し、
改修工事が行われるまでの流れをご紹介してきました。

塗装工事を残し、HAGISOの内部空間がある程度できてきたところで、
工事中にイベントをいくつか行いました。
改装中の現場ならではのライブ感だけがつくり得る体験が
あるのではないかと思ったことと、工事に一般の方を巻き込んだのと同様、
プロセスをできるだけ多くの人と共有したいと思ったためです。

仮囲いのかかった状態の萩荘。

1つ目の企画は、
身体パフォーマンス「描くとは、触れるに近く 踊るとは、今くり返される呼吸」です。
HAGISOの運営にも関わっているpinpin coと、
ダンサーの板垣あすか、暁月によるパフォーマンスでした。
冬の夕暮れから夜にかけて、緊張感のある空間(寒さのせいもありますがw)で
多くの方が鑑賞しました。
映像と身体パフォーマンスとライブドローイングが一体となった作品で、
かたちづくられていく空間を身体で確かめていくようでした。

映像による演出。

仮囲いのかかった建物に入っていくと、工事用の材木を積んだ客席があり、
まだ塗装されていない壁の墨付け跡をダンサーが手でなぞりながら舞台が始まります。
床板を張る前の2階で足音をたて、
建物を楽器のように扱った演出なども試みられました。

3人のパフォーマーによる舞台。

ギャラリー部分を舞台に

ふたつ目の企画は、海外留学している日本人建築学生による成果展、
Japanese Junction」です。
吹き抜けや階段、HAGISOの空間すべてを使って、約20組の展示が行われました。
豪華ゲストを招いた公開講評会も行われ、100名以上(!)の聴講がありました。
実際に会場で毎日出展者の方と来場者を待っていると、
近所のマラソン帰りのおじさんが毎日通ってくれて一緒に話をしたり、
近所の方と大雪の日に雪かきをしたり、
HAGISOオープン前ながら、出展者とHAGISOと地域と不思議な連帯感が生まれます。
今でもたびたびHAGISOを訪れてくれる彼らとこのような時間を過ごせたのは貴重でした。

「Japanese Junction」のポスター。

「 Kinetic Tensegrity Roof – The Roof of Modality」SHARISHARISHARI

階段室を利用した展示/武藤 夏香

公開講評会の様子。

工事期間にこのようなイベントを挟むことで、
当然工期は延びてしまうし、工務店さんにも気を遣わせてしまうのですが、
大家さんのご理解もあって、
プロセスを大切にする私たちのメッセージを表現することができたと思います。

資金面だけじゃない、クラウドファウンディングの面白さ

また、「プロセスを共有し仲間を増やす」ためのもうひとつの試みとして、
クラウドファンディング「CAMPFIRE」を利用しました。
「クラウドファンディング」とは、
インターネットを通してクリエイターや起業家が
不特定多数の人から少額多数の資金を募ることです。
日本において先駆的にサービスを開始していたのがCAMPFIREでした。
僕らに先駆けて場所のプロデュースではco-ba shibuya(コーバ 渋谷)
CAMPFIREを用いて成功しており、
運営会社である株式会社ツクルバの中村真広くんに相談していました。
彼には、ティザーサイトやクラウドファンディングを用いた、
場を完成させるまでのプロジェクトの育て方を教わりました。
CAMPFIREだけを用いて改修費用全体をまかなうのは、金額的に難しいと考えましたが、
より多様な活動をするために、
映像・音響設備を購入するための費用として出資を募りました。
結果、なんとか目標額に達することができたわけですが、
クラウドファンディングの意義は金額だけでなく、
むしろ出資者との交流のほうにこそあると思います。
オープンに先立ち関係者のみを集めたプレオープンパーティーでの出会いや、
普段の活動を口コミで広げてくれる彼らの支えによって、
HAGISOの発信力のベースが築かれました。
出資をきっかけに家族ぐるみでHAGISOに訪れてくれる出資者の方もいらっしゃいます。
このような縁でHAGISOのスタートに参加してくれた出資者のみなさんとは、
今後も長く付き合っていければと思っています。

CAMPFIREでのパトロン(出資者)募集。

HAGISOの基盤になった「カフェ」運営のコンセプトづくり

さて、その後消防検査、保健所の検査と無事にクリアし、
ハードの準備は着々と進んできていたのですが、
肝心のカフェの開業にてこずっていました。
なにせ僕は設計やデザインしかやってこなかった人間で、
飲食店での経験といえば高校生の時の焼肉屋のアルバイトのみ。
ましてや経営となると全くの素人でした(今もですが)。
それでもカフェがHAGISOに必要であると感じたのは、
飲む、食べる、話すという行為は
いかなる属性や趣味も越えて共通の楽しみであるからです。
だからこそ、HAGISOの活動の基礎はカフェでなくてはなりませんでした。

テナントとしてカフェを誘致するという方法もあったかもしれませんが、
自ら経営することで、ギャラリーでのイベントや展示の内容とリンクさせ、
カフェとしての場の使い方を更新することができるのではないかと思いました。

とにかく一緒にお店をつくってくれる店長さんを探さなければなりません。
しかしまだ見ぬカフェの募集に
本当に応募してくれる人なんているのだろうかと不安でした。
お金もないので、基本的にFacebookとTwitter、さらにカフェ情報サイトさんで呼びかけ、
ご応募下さったかたとは寒空の工事現場という厳しい状況での面接。
なぜか多くの方にご応募いただき、
なんとか「この人は」という方と出会うことができました。
ところがこの方も飲食店での経験のない方だったのです!
それにもかかわらず、僕らは彼女が
HAGISOのCAFEに立っている姿がピンときてしまったのです。
今考えてみても、この選択は間違いではなかったと思えます。
一緒に試行錯誤しながらの準備、決して効率は良くはないのですが、
HAGISOがどうあるべきかを一歩一歩確認しながらお店づくりをすることができました。

メニュー構成はどうするのか、材料はどこから仕入れるのか、
価格はどうするのか……など基本的なことから決めていかなければなりません。
たとえばコーヒーの淹れ方ひとつとってみても、
エスプレッソマシンで大きな音を立てながら鮮やかに素早くコーヒーを提供するのか、
じっくり静かな環境でハンドドリップで提供するのか。
細かいことに思えるこれらのことが、
実はカフェの雰囲気や業態を大きく左右するということにこの時初めて気が付きました。

最終的に私たちがよりどころにしたのは「場から発想する」ということでした。
マーケティングなどを用いた飲食店のコンセプトづくりは、
ターゲットの年齢層を定めて、そのターゲットが好むメニューを決め、
それに合った趣向や内装にする、といった流れが通常かと思いますが、
私たちはそれとは逆の順番、HAGISOの場と、
ここに現れてほしい空気感からメニューや家具を決定し、
それを受け入れてくれる人をお客様としてお招きすることを選びました。
それによって、年齢層や特定の趣向に偏らない、
HAGISOの場としての価値を感じてくれるお客さま
にいらしていただけるようになったと思います。

コーヒーの淹れ方、豆の種類の検討中。

既存の構造を生かした改修

萩荘は典型的な中廊下型の共同住宅でした。
その構造的な形式を守り、中廊下を中心に入って右手に真っ白なギャラリー、
左手には既存の木材を見せたカフェを配置しています。

カフェの客席よりキッチン、ギャラリーを見る。

ギャラリー部分はもともとの部屋を縦横につなぎ、吹き抜けの空間としました。
天井高は高いところで7m、空間の真ん中に柱と梁が横切っています。
空間を分断してしまうこのような要素は邪魔になると思われがちですが、
かえってこの場所の特徴を際立たせ、使う人の想像力をかきたてると思いました。
吹抜けにはバルコニーを設けたことで、高い位置からも作品を見ることができ、
ギャラリーでコンサートなどを行うときには天井桟敷席として使えるようになっています。

ギャラリー吹き抜けを見上げる。

カフェの壁には「木毛セメント板」という、
木の屑をセメントで固着させたものを裏表にして使用しています。
防音性や断熱性に期待しながら、他の木部との調和を図っています。
雨戸の骨組みでカウンターの棚をつくったり、下駄箱で本棚をつくったりと、
各所に元の部材を再利用しています。
照明やローテーブルなどは、元萩荘の住人の仲間につくってもらいました。

カフェの風景 / Photo by Kazuo Yoshida

HAGI ROOM(レンタルスペース)。

2階の美容室やオフィス部分は、ほぼアパート時の設えを残しています。
壁面の塗装や床材だけ改修しただけで、元の雰囲気をガラっと変えることができます。

2階美容室。HAGISO唯一のテナント。予約制。

2階、アーティストのアトリエスペース。

2階に構えた、HAGI STUDIO事務所。

ハギエンナーレ、ふたたび!

オープニングパーティーの様子。フラッシュモブなどが行われ、会場を盛り上げました。

こうしてさまざまなプロセスを経つつ、2012年のハギエンナーレからちょうど1年後、
なんとかオープン日である2013年3月9日にこぎつけました。
ハギエンナーレという展示をきっかけに生まれ変わることになったHAGISOは、
やはり最初の展示もハギエンナーレ2013でした。
前回の展示に増して参加アーティストは約30名。
この展示には、「Third life」という副題をつけました。
展示を記念した本にそのステイトメントを載せていますので、
そちらを引用したいと思います。

「Third life」
HAGISOは、1955年の竣工より賃貸住宅として使われた時期を「第一期」、
2007-2012年までのシェアハウスとしての時期を「第二期」と考えますと、
2013年、HAGISOとしての今後を「第三期」、「第三の人生」と位置付けることができます。
―中略―
有り得べくもなかった「第三の人生」を歩みはじめてしまったHAGISOにおいて、
どのような余生が送られるのか、今後のHAGISOの活動も含めてご期待ください。

「窓の向こう側」野口一将

「雲を眺めて古きを落とす」林千歩

「reading time」三浦かおり

「壁を塗る(キッチン)」太湯雅晴

「Untitled」ARUGAA Shingo

「ミノムシに女の子の洋服の生地でミノをつくってもらう」AKI INOMATA

「クワッド」のメロドラマによる解体」野中浩一

手前:「graftwork」林祐輔
奥:「彼女のことをはなしている、彼女のことばで」遠藤麻衣

こうしてはじまった「最小文化複合施設」HAGISO。
次回は、オープンからこれまでHAGISOで行われた展示やイベントを通して、
どのように最小文化複合施設なのか、ご紹介したいと思っています!
お楽しみに!!

information


map

HAGISO

住所:東京都台東区谷中3-10-25
TEL:03-5832-9808
営業時間:カフェ12:00〜21:00 (L.O. 20:30)
http://hagiso.jp/

元スーパーマーケット +集合住宅を 自由に遊ぶ、DIY空間! HAPS vol.3

HAPS vol.3
テナントビルが、それぞれのクリエイティブ空間へ

京都市北区紫竹。少し北上すると上賀茂神社にも近い、静かな住宅街。
その一角、久我神社の森を背景に、
築50年を数える2階建ての「ふじセンター」が佇んでいます。
建物に一歩足を踏み入れると、
シャッターが半分降りている外観からは
想像もつかない予想外の面白い空間が広がっています。
ここでは現在、鶏肉店、鞄工房、HAPSのマッチングした
アーティストのスタジオなどの活動があり、居住者もいます。
1階、庭、屋上などの空間を生かし、
時にはライブや季節ごとのイベントが繰り広げられ、
また近所の人々が立ち寄ってはおしゃべりをしていくような場になっています。

1階の共用キッチンスペースにて。左よりアーティストの日名舞子さん、養蜂家(兼・帯の図案家!)の松田さん、ふじセンターを運営する山崎秀記さん。

1960年に建てられ、2階は12部屋の台所つきアパート、
1階は、肉屋、漬物屋、八百屋、たこ焼き屋、
ゲームコーナーなど総合商業施設として賑わってきました。
平成に入り徐々に活気が薄れ、
ついには鶏肉屋「鳥米商店」1店のみが営業を続ける状態に。
しかし、15年以上が経過していたところ、
2012年10月から100坪のスペースを活用すべく、
ミュージシャンの山崎秀記さんが中心となり、
アトリエや作業場、住居として自分たちでDIYしながら、
さまざまな人が入居し始めています。

秀記さんは、20代の頃から演劇や音楽の京都アングラシーンで活躍し、
丸太町のライブハウス「ネガポジ」のオーナーで、
ロックバンド「ウォーラス」のリーダーでもあり、
現在は「ふじセンター」の運営を行っています。
大学から京都に来て既に引越しは10回を超えています。
より面白い物件をを探しインターネットをいつもチェック。
ふじセンターとの出会いも
関西の地域活性を目指し空き家物件を紹介するインターネットサイトでした。
そのサイトにはこう書かれていたそうです。
「驚異的な部屋数!

1階・2階の一定区画を除いた全ての部分がご利用できます。

面白い物件が好きな方、根性のある方、ぜひ。」
秀記さんは早速連絡をとり、現地の様子を見に。

現在の1階入り口部分。シャッターが開いているところから、近所の人や小学生などが次々に出たり入ったり。

物件の問い合わせをしたところ、
偶然にも大学の音楽サークルの後輩であり、
ふじセンター近くの大宮商店街で代々畳店を営む、
西脇一博さんが関わっていることが判明。
西脇さんは、畳店の枠を越えて、
設計・施工などの工務店的な仕事も手がけていたことから、
ふじセンターの大家さんからメンテナンスの依頼を受けていました。
ふじセンターは神社に隣接していることもあり、
周囲に差し障りがある状態にはしておけないと
長年ほぼ空き家となっている建物の補修や落葉の清掃を、
西脇さんが月に1〜2度行っていたそうです。

そんなご縁から、ふじセンターを秀記さんが借りることになっても
ライブハウスの改修や家のDIYを自ら行っている秀記さんを、
西脇さんが知っていたことが、大家さんにとっても安心材料に。

しかし、実際自宅として借りるとなると
物件の魅力と可能性を大いに感じたものの、
100坪の広さにやはり最初は勇気が要ったという秀記さん。
そこで、ほかの借り手として誰に声をかけるかが問題でした。
思案していた頃、大学の頃から音楽を通じた旧知の仲である山本玄さんが、
ふらりとライブハウス「ネガポジ」にやってきたのです。
ふじセンターの話をすると、玄さんはすぐに乗ってくれました。

革製品の作家である玄さんは、
ふじセンターからすぐの場所にある自宅に工房を構え、
そこで革の鞄などを妻の尚子さんとともに製作。
機械や素材などが増え、手狭になってきたので、
ちょうど新たな場所を探していました。
当初は一部の作業のみを行う場所として借りたそうですが、
今や工房全ての機能をふじセンターに移し、
日々1階スペースを守る顔となっています。

1階・工房外観。友人の設計士と構造等を考え改修。

製作中の山本夫妻。工房内部には、必要な道具や素材などが随所に収められている。

そんな不思議な縁が重なって、
ふじセンターの磁力に惹き付けられるように仲間が集まっていきました。
そのひとりは、舞台美術をつくっている田島邦丸さん。
現在はふじセンターに工具室を借りています。
田島さんは演劇の舞台美術を手がけていましたが、
劇団の解散を経て公演の場所を探していたところ、
秀記さんがふじセンターの活用を始めたことを知って、
1階に舞台をつくり、照明を取り付け、公演会場に。
その後は、ふじセンターに新たな入居者を迎えると床を張り直したり、
1階にみんなでお正月を過ごすための居間を、
畳敷き、障子張りでつくったり。
DIYする上でも頼もしい存在です。

舞台美術などを手がける田島さんの工具室。

お正月用にと1階に田島さんがつくった居間スペース、「ふじの間」(2014年1月/現在は解体)。

そして、造園、電気や水道工事、設計など、
好きに遊ぶ余裕も出てきたという40代の
専門スキルも持つ古くからの友人知人などが
各自の強みを生かしあってこの場所で楽しんでいるという状況です。

1階で営業を続ける鶏肉屋さん「鳥米商店」。

現在は、鶏肉屋さんのスペースを除く、
「ふじセンター」1、2階全てのスペースを秀記さんが一括で借り、
運営しています。
1階はワンフロアで仕切りのない空間に、
鶏肉屋さん、鞄工房、手づくりの共用キッチンと居間。
さらにガレージとして使用している部分や、
フレキシブルなイベントスペースとして活用中。
ここで、田島さん特設の舞台が組まれ、ライブあり、フード&ドリンクありで、入居者や友人たち、そして近所の人々をまじえにぎわう
「ふじセンター祭」を年に2、3回開催。
奥の庭では養蜂もしているので、
蜂蜜の収穫と試食会も年に1度の行事になりつつあります。
2階の集合住宅部分のうち、住まいとしているのは秀記さん含め3名。
そして、アーティストのスタジオ、
工具室、短期滞在用の部屋として使用しています。
そして、比叡山まで見通せる見晴らしを誇る屋上では、
夏の「五山の送り火」の時に、たこ焼きパーティーが開かれたりもします。

1階の天井を解体し、鉄板、電線、配管などを撤去(2013年1月)。

セットのような、秀記さんの初期生活空間(2013年1月)。

「ふじセンター祭vol.2」1階でのライブ風景(2014年5月)。

キッチンに水道を引くべく、建物裏手から配管を分岐する秀記さん(2014年7月)。

ふじセンターをHAPSに紹介してくれたのは、
HAPSがこれまでに六原まちづくり委員会などで一緒に活動をしてきた
戸倉理恵さんでした。戸倉さんはジャズシンガーの顔も持ち、
「日本畳楽器製造」(!)なる、
畳を素材にした楽器で演奏するバンドでも活躍中。
バンドを率いるのは、先ほど名前が挙がった西脇さんです。
そんなご縁で「面白い場所がある!」とHAPSにお知らせいただいたのでした。

日名さんのスタジオ。取材の前日に壁を黒く塗ったばかり。「好きなように手を入れてよいというのが、この場所の最大の魅力」と日名さん。

そして、HAPSのコーディネーションにより、
ふじセンターを制作の場としているアーティストが日名舞子さんです。
京都市立芸術大学を卒業後、
半年間続くワークショップの作品制作のために、
短期的なスタジオを探したいと、2013年8月にHAPSに相談を受けました。
早速マッチングへ。
当初は短期利用の予定でしたが、
ふじセンター屋上を作品の映像撮影に使ったり、
1階の広い空間で、作品の実験をするなど、
ふじセンターの環境が気に入ったようで、現在も継続しています。
ふじセンターでは、大学での制作環境とは違った、
幅広い人々と日々接し、話す機会が増え、作品にも変化が出てきたようです。

日名さんのスタジオの一角には、ドローイングを配置。

1階居間の奥から屋外に出ると憩いのスペースと、蜂たちの巣箱が。背後には久我神社の森。

さらに、HAPSのマッチングで、
ふじセンターで作品制作を行うアーティストがまたひとり、
最近加わりました。
お話を聞いていると、次々に登場人物が出てきて、エピソードが尽きません。
秀記さんの頭の中には、
まだやりたいことがいくつも実現を待っているようです。
まずは、11月16日に、次回の「ふじセンター祭vol.3」を控えています。
お近くの方はぜひ、遊びにいってみてください。

infromation


map

ふじセンター

住所:京都市北区紫竹下竹殿町1

これからのオハナシ。 ビルススタジオ vol.10

ビルススタジオ vol.10
観光地、日光に「HOTEL NIKKO」を計画中

この連載も最後なのでこれからのお話をしたいと思います。
世界遺産があるまち、栃木県の「日光」にホテルをつくりたいんです。

世界遺産「日光の社寺」の象徴、陽明門。

国内外から年間約1,000万人の観光客が来るにも関わらず、そのほとんどが日帰り。
かく言う私自身も県外からの友人が来る時は連れては行くものの、
食事もせずに宇都宮市へ戻ってきます。
そう、気軽に泊まれる、居心地のよいホテルが少ないんです。
あるのは激安の素泊まり宿、または一泊ひとり3万円以上のホテルか旅館。
それだったら都内からでも日帰りも無理はない距離だし、
飲食店やコストパフォーマンスの良い宿が集まるまちへ戻るでしょう。
いやしかしそれじゃあもったいない。
せっかくはるばる違うまちに来たのに泊まらずに、
つまりは土地の体験をせずに帰してしまうなんて、
日光に栃木に来たことがある、と言えるのでしょうか。
そう、やはり、旨い食事が食べられ、なんだか居心地のいいホテルが必要。
そこで目をつけたのが、「日光の社寺」エリアのほんの150m手前にある、
鉄筋コンクリート造の廃ホテル。

ここをこんな風にしたい。

ACE HOTEL PORTLAND(http://www.acehotel.com/)。

ひと言で言えば「ロビー活動が充実したホテル」。
宿泊客、観光客、更にはまちの内外の人が自由に出入りできるロビーをまず設けます。
ここにはもちろんコーヒースタンドを併設します。
偶然の同席での出会いのみならず、
定期的に勉強会や交流会を開催し、能動的に内外の人や情報を繋げることもしていきます。
日光のまちはもちろん、栃木県内の人や情報にも触れてもらう。
そうすることでまちの体験をしてもらいたい。
そんなホテルです。

まず大切なのは人。誰と一緒にやるのか、です。
おいしい料理とドリンク、グラフィックデザイン、そしてホテル経営と、
さまざまなジャンルのプロが必要です。
そこで、
「栃木をフィールドに発進力の高い実践を行なっている」メンバーを勝手に設定しました。

カフェ、料理、グラフィック、それぞれの分野をクオリティ高く、
しかも横断しながら地域価値創造を実践している20〜30代のメンバーです。
そこに建築設計として当社もこっそり参加させてもらっちゃいます。
なんか、楽しくなってきました。
そこで周辺調査、建物調査などをし、収支含めた企画書をつくってみました。
うん、いけるんじゃないか。よしっ。

これで県外から友人が遊びに来た時に一緒に泊まれるホテルができます。
これがあれば自宅でおもてなしをしなくても済む。
尚よしっ、ですね。

「もみじセントラルビル」古いビルの活用法を模索中

で、近所のハナシ。
ビルススタジオがあり、私自身の住まいもある宇都宮市にあるもみじ通り(vol.1
その真ん中辺りにある3階建ての建物が売りにでました。

オーナーさんの高齢化に伴い、引越しを考えているとのこと。
実は購入を検討している知人がいまして、
現在オーナーさんの自宅部分である2、3階の生かし方を考えています。
そのまま貸家? いや、広すぎる空間と
家賃的にも、それだけ払えれば宇都宮だったら家を買えてしまう。
無いか。テナントとして? いや事務所ニーズはそもそもないし、
店舗だとしたら、入り口が2階という点をどう生かすか。
美容室やマッサージ系のニーズはありそうだけど、
その業の方たちにヒアリングしたところ、広さ、家賃などからしてもバランスが悪いらしい。
これも無いか。

じゃあいつもの考えに戻ろう。
目の前の風景に何が足りないか?
目の前の風景でおかしなトコロはないか?

まず、周辺の新規店舗を振り返ってみると、
子ども服も扱うファッション雑貨店など、
小さい子連れの世代が好きそうな感じの店が集まっているのに、
不動産物件(売/貸とも)がほとんど出ないので、近くに住むという選択肢が取れない。
でも好きなので郊外からも車でお店へ通ってくる。近くに住めれば歩いて通えるのに。

そして周辺の住宅。
ゆったりした敷地に高齢の夫婦またはひとり暮らしが目立つ。
聞くと広さを持て余しているのだが、慣れ親しんだこの土地と近所付き合い、
年1回帰って来る子ども家族などの理由から動くに動けない。
そもそもこの古い家を使いたい人はいないだろう、と思っている。

さらにじぶんち。
小さい子連れ世代。ママ友と遊ぶのに、誰かの家を順番に巡っている。
人の家は子どもが汚すとかで気が引けるし、
自分の家はその前の片付けやお茶お菓子の気遣いで疲れる。
かと言ってお店に行くのはもっと疲れる。近くに同じ世代の住民も非常に少ないので、
会場になる人以外は結局車で移動する。なんか、遊ぶのも大変。
その日は母親も疲れて夕飯づくりもサボりたい。

うん、こんな場所。
http://kazoku-no-atelier.com/

子連れのお母さんたちが遊びに来てゆっくりできる場所。
それをもみじ通りという狭いエリアの利用者を対象にやってみよう。
もちろん飲食の持込みもOK。
十中八九、通りにあるドーナツ屋やお惣菜屋を使ってくれるだろう。
カフェやお蕎麦屋さんからの出前もアリだろう。
もともと住宅だったこのビルにはキッチンもあるし、セルフで料理してもいいだろう。
近所の高齢者さんたちの趣味の集まり所としても機能しそうだ。
そしたら子どもと高齢者の接点もしかけられるかもしれない。
近所の商店主や住民さんを先生に招き、
ワークショップなんか開催してみてもいいかもしれない。

並行して自分の土地建物を持て余している住民の方々へ近隣移住のしかけをしてみよう。
そうしないと新たな移住のニーズをしかけても無駄になってしまう。

よし、なんか見えてきたぞ。
これでママ友と遊んでいたらしい日に家に帰っても疲れた顔で迎えられなくて済む。
つまり家庭円満に日々を過ごすことができる。
先には、目を付けていた近所のいい感じの家に引っ越すことも叶うかもしれない。

これまで目を付けていたのに、解体されてしまった住宅がありました。

妄想中のあれこれ

他にも、あれやこれや考えていることはたくさんあります。

たとえば、もみじ通りから歩いて10分くらいの所に、
奥州街道と日光街道の追分だった場所があります。
そこに築数十年くらいの店、蔵を含めたお屋敷があります。

ここ、ずっと使っていないんです。
こんな良い場所に格式ある建物群があって、それが遊んでいる。
うちの企画を待っているんじゃないか。と勝手に思ったので
近々、ここを活かす企画を立ててみようと思っています。
ゆっくり友人と飯の食べられる場所。
じっくり仕事のお客さんと話せる場所。
かつ、偶然の出会いも時折起きる場所。
そんなんがいいです。

さらに、うちのオフィスの話です。
わがビルススタジオの事務所はもみじ通りに面しています。

でも業種上、通りに面している必要はほぼないんです。
それはここに移転してきた時から思っていることで、
次にここにオフィスを動かしたいな、と考えています。

現オフィスから徒歩15秒にある、元診療所2棟。

今のオフィスよりもだいぶ広いです。
とはいえ、スタッフ数を何倍にもしたい訳ではなく、
複合した場所にしたいんです。
モデルはロンドン留学時に通ったICA

ひとつの施設内にギャラリー、ライブハウス、映画館、本屋、CD屋、カフェが入っています。
ここに来ると何かしら見るべきものがあるし、
特段イベントがなくても本とコーヒーで何時間でも過ごせる。
ロンドンみたいな大都市だけではなく、
イギリスの中規模都市にはだいたいこんな施設がひとつはありました。
栃木だとどうかな、成り立つかな。来る人いるかな。
でも収支がトントンだったら自分で設ける価値はありそうだな。
なによりも出入りする人々が面白そうだな。
その人たちと友だちになりたいな。
そうすればここでの生活がもっと楽しくなりそうだな。
もうオフィスは2階で引っ込んでもいい。
余ったスペースにカフェ、本屋、多用途なシアターあたりをつくろう。
うん、そうしよう。

こうなればいいなというスケッチ。

仕事でやっている「場所づくりのお手伝い」だけではなく、
自分で自分が楽しむための場所をつくってみよう。
そこで得られることは必ずお客さんのメリットとして還元できるハズなんです。

結局、こういう言い訳を入れないと始められないんです。
そして公に言ってしまわないと先に進まないんです。

これらは今、全て妄想です。
でも、妄想で終わらせたくない。
だって自分のためですから。

リノベーションって、ただ古い建物を見た感じかっこ良くすることではありません。
空いている、遊んでしまっている建物を利用して
新たにその建物がある界隈の価値をつくり出すこと。
それはただきれいになればいいのではなく、
そこに入るコンテンツが重要だと思っています。
既存の建物の魅力、界隈の魅力、コンテンツの魅力、そこに居る人々の魅力、、。
それらの相乗のからみ合いをもつれさせること。
そこにはもちろん自分も入り込みつつ、でないと楽しくないですよね。

P.S.
そんな(?)株式会社ビルススタジオ、現在「設計メインのスタッフ募集中」です。
興味ある方は連絡下さい。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

職人集団、友人、 スタッフ、みなの力を結集! デザイン溢れるゲストハウスへ medicala vol.1

medicala vol.1
住みながら、その土地でリノベーションする。

はじめまして。
僕らは「medicala(メヂカラ)」の屋号で活動している、
主に空間のデザイン(ハード)を担当している、アズノタダフミ(以下アズノ)と
空間の運営やごはん(ソフト)を担当しているアズノカナコ(以下カナコ)の夫婦です。

アズノは1984年生まれの今年30歳。
カナコは1986年生まれの今年28歳。
目がほかの人たちよりちょっと大きなふたりが活動しています。

空間をプロデュースするmedicalaとしての働き方は、
お呼びがかかれば地方都市でもどこでも出向き、
その土地に住みながらひとつのお店を地元の職人さんや仲間とともに、
つくり上げていくというスタイル。
これまでに東京都蔵前、愛知県豊田市、山口県萩市、
長野県下諏訪町と住みながら空間をつくってきました。
現在は夫婦ふたりで大分県の竹田市に住みながらレストランつくっています。

住みながら空間づくりをしているのには理由が3つあります。

まず、空間づくりはデザインだけで完成するわけではなく、
図面があっても実際につくる職人さんたちとの意思の疎通がとれていないと
イメージ通りの空間に仕上がりません。そして、地方の職人さんほど
「一般的な住宅づくり(例えば、伝統的な在来工法の家など)」に慣れていて、
古材を使うことやエイジング加工などは
「やり方がわからない」もしくは「やりたくない」
と思っている人が多いかもしれません。
だから、デザインも兼ね備えた空間を実現するためには
「最悪の場合、仕上げの作業は自分で施工する」という覚悟が必要になってきます。

次に、その土地が持つ風土や気候、素材、風や光の具合などを
できるだけデザインに反映していきたいと思っています。
一度や二度現場に行って調査してもわからないことはたくさんあります。
その場所のまわりに住んでいる人の声から風の通り方など、
住みながらつくることでそういったことに敏感になりながら
工事を進めることができます。

最後に、オーナーや大工さんとみんなで一緒になって
つくっていくことで生まれる空気を大切にしているから。
住みながら空間をつくることは大変です。
慣れ親しんだ自分の家には帰れず、工事中他の仕事はほとんど受けられず、
初めての場所で不便なこともたくさんあります。
それでもやっぱり住みながらつくるということは
オーナーや大工さんと過ごす時間が限りなく長くなり、
普通の打ち合わせではわからないことまでわかるようになってきます。
お店をつくるというしんどいタイミングに、オーナーと共にいることで、
困っていたら助けられるし、オーナーががんばっている姿を見ると
こっちも「いい空間つくるぞー!」という気持ちになり、
お互いが高め合って、結果よい空間につながっていくと思っています。

もちろん、かっこいいだけの空間をつくればよいわけでもなく、
過程が楽しいだけでよいわけでもなく、その両方を大切にしてつくっています。

僕らやオーナーはもちろん、大工さんや職人さん、
手伝いに来てくれた友人たちや地元の人と一緒にごはんを食べて作業して、
好きな音楽を流して、休憩時間はお菓子を食べて、
夜はお酒が好きな人は飲んで、ときには人生の話とかをしちゃったりして、
そうやって空間をつくっています。

その空間と向き合った時間が長いほど、関わった人の想いが強いほど、
よりいい空間ができる。そう信じています。

施行中の休憩写真。

この連載は、基本的には僕アズノが書いていきますが、
物件よってにはカナコも登場しますのでお楽しみに。
まずは、僕アズノが結婚前に関わった物件から紹介します。
東京の東側、浅草の近くの「蔵前」というエリアにある
ゲストハウス「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」(以下Nui)です。

2012年。いまから2年ちょっと前の話。
鉄筋コンクリート造6階建ての元おもちゃ屋さんの倉庫を
1棟まるまる改装して
1階をバーラウンジ、2階以上を主にホステルの宿泊機能に充てる、
というプロジェクト。延べ床面積約960平米です。

改装前の写真。

Nui.を運営する株式会社バックパッカーズジャパン(以下BJ)
のみんなとは2010年に世界一周していたときに
トルコのイスタンブールで会ったのがきっかけで友だちになりました。
当時彼らは、ゲストハウス1号店となる「toco.」をつくるために、
世界中、日本中の宿を見る旅をしていました。
僕はその「世界中の宿を見て回るチーム」と会ったのです。

彼らはtoco.をつくる際にはデザイナーを入れていなくて
大工さんたちと話し合ってつくりあげていました。
しかし今回のNui.はtoco.の5倍程度の規模だったので、
さすがにデザイナーが必要だと思ったのかわかりませんが
とにかく彼らの一番身近にいた空間デザイナーの僕に話がきた、というわけです。

実はこの仕事、独立してから初めてつくる店舗の仕事であり、僕は当時27歳。

ずっと店舗デザインの仕事がしたいと思っていたので、
「ここで全力を出してよい空間がつくれなかったら自分の実力はそれまで。
言い訳はできない」と、プレッシャーはありましたが、楽しさのほうが勝っていたと思います。



Nui.の棟梁は大工チーム「渡部屋」代表の渡部雅寛さん、通称ナベさん。
渡部屋とは、大工衆の集まりです。

しかも、設計士がいなくても、
彼らのつくりあげる空間はとてもかっこいいのです。


大工チーム。

そんな大工さんたちの仕事に「デザイナー」として関わるとなると、
できるだけきちんと信頼関係を築きたいと思い、
「毎日現場に行って、図面も現場で描いて、施工もやる」
という働き方になりました。
これが今の仕事の進め方の原点になります。

最初に施主であるBJ代表の本間貴裕さんと
完成イメージを共有するため、

青山にある「嶋田洋書」という洋書屋さんに行きました。
いろんな海外のデザインの本を見る中で一目見て、
「これだ!」とふたりの意見が一致したのが
『ROUGH LUXE DESIGN』という当時発売されたばかりの本。
(ちょっと高くて15000円くらい)
これを軸にイメージを固めていきました。

参考にした『ROUGH LUXE DESIGN』の表紙。

イメージビジュアルを集めてスケッチを重ねて、
大工さんや会社のみんなとの話し合いを重ねてぼんやりを見えてきたかたちを
スケッチに落とし込みました。

ピアノが置いてある場所を屋内的な静的な空間、そのほかのスペースを屋外的な動的な空間としました。

Nui.のコンセプトは「あらゆる境界線を越えて人々が集える場所を」。
このコンセプトを実現するために気をつけていたことは“ゾーニング”。
1階を平面で見た時に真ん中の柱を中心に4つのゾーンに分けて考えました。

1.立ち飲みする動きのある場所(スケッチ左)。
2.テーブル席のある少しゆっくり話せる場所(スケッチ下)。
3.ソファ席のある長時間ゆっくり話せる場所(スケッチ右)。
4.エレベーター前の人が行き交う交差点のような場所(スケッチ上)。

ゾーンを分けて席を配置することで、
ゲストは気分によって席を選ぶことができ、
幅広いジャンルの人たちがNui.を楽しむことができます。
また、注文を「キャッシュオン」方式にすることで、
空間自体にも動きが生まれて、
「注文のために立った人が、偶然隣り合わせた待ち人と話して仲良くなる」
と、コミュニケーションが生まれやすい空間を意識しました。

空間を自由に使ってくれているお客さん。オープン後のある日の営業風景。

技術もセンスも持ち備えた、大工集団

ここからは実際の施工風景を紹介します。

施工にあたって、大きく分けてふたつの方法がありました。
ひとつは『プロの大工チームの本気でしっかり施工』
そして、もうひとつは『手伝いにきてくれた友人との参加型の施工』。
前者は主に1階のバーラウンジ、後者は2階以上の客室部分の担当です。

まず、『しっかり施工』のバーラウンジ。
大工チームは先ほどご紹介した『渡部屋』を中心に
日本中から10名以上が集まりました。
大工、ログビルダー(ログハウスをつくる大工)、
ツリーハウスビルダー、金属造形職人、左官職人など、
このメンバー、いま思い出してもスゴ過ぎる職人たちです。

1階のシンボルとなる木材を施工しているところ。

とにかく全てに対して真剣で、
そこには「デザイナーだから偉い」「大工だから偉い」など
そういった関係はなく、
お互いがよりよい空間デザインになるために意見を言って、
つくれる人はデザイナーであろうと施主であろうと手を動かす。
そんな気持ちのよい信頼関係ができていました。

毎晩行われていた深夜のスタッフミーティング。

例えば、木材に関して、
Nui.に来たら真っ先に目に入るシンボルツリーや
空間のポイントとなる丸太のカウンターができたのもお互いの理解があってこそ。

使われている木の多くは北海道のニセコで大工さんが選んできていて、
樹種はイシナラ、タモ、キハダ、トドマツ、イタヤカエデなど、
北海道ならではの木材です。
それらは、乾燥しきってなかったり、曲がっていたりして、
普通の職人さんだと敬遠されがちな木材です。
(それゆえ、市場価値が低く、安く手に入ります)
でも、曲がっていることも木は生きているんだから自然なこと、
乾燥しきっていないと、後で反ったり割れたりすることもあるが、
それも木が生きている証拠。
むしろそういった経年変化を「いいよねー!」って言い合える関係性が、
施主、大工、デザイナーの三方で育まれていたからこそ、
この木材の良さを生かせて、実現した空間です。

木材が北海道からやってきた時の様子。

そういった特殊な木材は、やっぱり
現場で判断しながら、生かしていきます。
「現場の空気をかたちにする」という、
手仕事じゃないとできないことや表現できないニュアンスもあり、
もしかしたらデザイナーはデザインを決めすぎず、
職人さんを信頼して任せるという方法もあるのかもしれません。

ただ、Nui.の場合、僕が未熟だったこともあり、
大工さんお任せデザインの部分がたくさんあります。
例えばゲストハウスの受付となる「レセプション」部分。
ここは寸法やサイズ感だけ図面におとして、
あとの細かいおさまり方や素材はお任せ。
本当にかっこいいレセプションができました。
僕自身、ここから学べる技がたくさんありました!

レセプション。カウンター下の木のデザインは大工さんが考えたもの!

施工中、大工さんと話していて印象に残っている言葉があります。
「あいつがそうやってつくるんやったら、俺はこうやってつくろうか!」
「作業しながらも後ろでつくってる仲間のエネルギー感じる!」
大工さんたちはつくりながらも考えて、
そういった現場の空気が、建物に宿っていく気がしました。
職人さんたちはみんながみんな個性的で、
お互いを尊重して高め合っていく現場の空気は、
それはまるでJAZZのセッションをしているかのようでした。

現場でカウンター材を加工。

鉄の加工も現場で行った。

こうして、Nui.の1階のバーラウンジは、
大勢のプロの技術と経験が詰まって完成しました。

素人、プロ、みんなと共有する空間づくりの面白さ

参加型施工部分は、主に2階以上のフロアの左官仕事、
ドアのエイジング塗装、二段ベッドの制作です。
手伝ってくれたのは施主であるBJの社員とその友人たち、
toco.のお客さん、僕の友だち、そして噂を聞きつけてきたはじめましての人など、
本当にたくさんの人に手伝ってもらいました。
募集は主にfacebookで行い、
延べ300人以上の人が手伝いにきてくれたと思います。
これも1店舗目のtoco.があって、生まれたつながりが大きいと思います。

手伝い風景。

お手伝いしてくれる人への、作業内容はとても配慮しました。
ざっくりと作業はこの3つに分けて、お願いしました。

①がんばれば誰でもできる。
②安全。怪我のリスクが少ない。
③大工さんの手を煩わせなくても教えることができる。

地味なことでは掃除、塗装や左官する場所にマスキングテープで養生、
材料運びなど楽しくて人気がある作業では左官、塗装、革縫いなどがあります。

左官作業をしているところ。

なかでも、Nui.の左官は量が多くて大変でした(2階~5階の廊下、客室の壁全て)。
オープン日が迫ってくると、
朝4時まで作業、その後9時から再開! というハードさ。
それでも実際に手を動かす作業の気持ちよさや、
次第に上手になっていくことの嬉しさ、
みんなで同じ作業をしてゴールに向かう楽しさなどがあり、
しんどかったこともひっくるめて全てよい思い出です。

左官仕事のさなかの休憩風景。

素人でもがんばって左官した壁は下手さ具合が絶妙な「味」になっていて
柔らかい印象の壁に仕上がりました。
塗装技術でわざとヒビ割れた仕上がりにした、
ドアのエイジング塗装もいい感じです。
これは専門性が求められそうな分野だけど、
実はやり方さえわかれば初めてでも意外とできるもの。
もちろんプロがやる場合に比べてクオリティは落ちますが、
それでもみんなでやると楽しくて、上手にひび割れした時は嬉しいものです。

ドアエイジング風景。

エイジング塗装を施した廊下。

みんなで一緒になって空間をつくり上げていくということは、
単純に施工費を抑えられるということではなくて、
お店をオープンさせるまでに「ファン」をつくることができます。
例えば左官を手伝ってくれた友人が、オープン後、
友だちを連れてきて「ここ俺が左官したんだよー」
という話をしているのを見ると、嬉しくなります。

そして、オープン後の愛着が一層わきます。
例えば、掃除中に壁を見ては「ここはあの人がつくってくれたなぁ」
と思い出すと、掃除にも熱が入りがんばれるそうです。

Nui.は、プロの職人だけでつくったカッコいいだけの空間でもなく
素人だけでつくったヘタウマなだけの空間でもなく
たくさんの人の手助けがあり、たくさんの人の想いが詰まった空間になりました。

Nui.の完成!

オープニングパーティーの様子。

information


map

Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE

住所:東京都台東区蔵前2-14-13
TEL:03-6240-9854
http://backpackersjapan.co.jp/nui/

解体決定の建物が一転、 最小文化施設に! HAGISTUDIO vol.2

HAGISTUDIO vol.2
萩荘の解体がなくなったわけ

みなさんこんにちは!
vol.1に続き、東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。
HAGISOの前身である木造アパート「萩荘」は解体することとなり、
僕らは最期の晴れ姿としてアートイベント「ハギエンナーレ2012」を開催(vol.1参照)。
このアートイベントが、予想以上の盛り上がりを見せたのです。
イベントと並行して、萩荘の大家さんは解体・駐車場化の段取りを進めていました。

萩荘の大家さんは、隣接する寺院、「宗林寺」さんです。
住職は常々、地域に対する、現代的な寺の文化的貢献に対して考えていらしたそうで、
萩荘を舞台にしたアートイベント、ハギエンナーレには大変共感していただきました。

宗林寺。通称萩寺。萩の花が境内に咲く。

私は展示の片付けをしつつ、大家さんと後始末について話していると、
大家さんの奥さまがぽつり、とつぶやきました。
「ちょっともったいないかしらね〜」
おや? と。これはもしかすると少し風向きが変わってきたのかな?
と思い、よくよくお話を伺ってみると、
「ハギエンナーレ2012」を通して、大家さんたちご自身も、
ただのボロアパートだと思っていた建物に多くの若者が集まった光景を目にして、
場所のポテンシャルに気が付いたとのことでした。
「これは萩荘にとって最後のチャンスかもしれない」
僕は早速リノベーションのアイデアを提案しました。
デザインをずっと学んできた僕にとっては、提案書をつくるなど全く素人でしたが、
簡単な事業計画と、経済的なリノベーションのメリットに関しても説明しました。
「駐車場として運用する場合」「新築の集合住宅を作る場合」「リノベーションする場合」、
と3つのシミュレーションを仮定して、それぞれの事業を比較します。
このとき役に立ったのは、
広瀬郁著『建築学入門-おカネの仕組みとヒトを動かす』(彰国社)という本で、
実際の事業を動かしていく上でも非常に重要な基礎知識を学ぶことができました。

一生懸命考えたものの、独立したてで何の実績もない僕のような若造の提案ですから、
事業の採算性というよりは、ほとんど情熱を買っていただいたようで、
最終的にリノベーションという選択肢を選んでいただけました。
後から大家さんに聞いた話によると、展示をある程度無事に成功させたことで、
大家さんから一定の信頼を置いていただけるようになっていたようです。

大家さんにプレゼンした際の萩荘の模型。

さて、とはいえ萩荘で一体何を始めるのか。
最初は設計だけして、誰か外からテナントを募集しようと思っていたのですが、
それだけではなにかが失われてしまうような気がしました。
継続的な思いというか、熱量の持続性のようなものかもしれません。
場所のポテンシャルを最大化する試みを、
建物のデザインだけではなくて運営することも含めてデザインしたいと思い、
全体を丸ごとお借りして、自ら施設の運営にチャレンジすることにしました。

ヒントは、上海のまちでの経験から

ところで、私はこの萩荘の改修にとりかかる前、
2011年までは設計事務所に勤めていました。
主に海外の大規模施設の設計がほとんどで、まだ何も知らない僕らのようなスタッフに、
ありえないくらい大規模の設計をチャレンジさせてくれました。
設計者として、そのような大規模な施設の設計に携わることができるのは
貴重な経験ですが、一方で、
どうしても自分が携わる建築の必然性のようなものが掴めないまま、仕事をしていました。
日本における公共建築は、本来的な意味で公共空間として使いこなされず、
「箱もの」としてお荷物になっている建物が多い状況を目の当たりにしてきた世代として、
一体誰のために、何のためにつくっているのか、
ということをリアルに実感したいと感じていました。

出張で中国の上海に半年ほど滞在していたのですが、
当時、上海なんかはそれはそれはもう開発がまっさかりで、
新しい高層マンションが次々と建ち並んでいくわけです。
しかし、上海のまちの中には、
取り残されたように「里弄(リーロン)」と呼ばれる古い路地に
住居がひしめき、いまだに多くの人が住んでいました。
どうしても僕にとってはそちらのほうが100倍魅力的に見えていました。

新しくそびえる高層マンションと取り残された住居。

滞在先がこのような古い住宅を意味する「老房子(ラオファンズ)」と呼ばれる
共同住宅だったこともあり、そこでの日常を目にする機会が多かったのです。
例えば、もうこっちは寝てる時間なのに廊下で炒め物を始める住人がいたり、
向かいの家で夫婦喧嘩を始めたりと、むちゃくちゃなわけです。
でも毎朝路地のおばあちゃんは親しげに挨拶してくれたり、
バルコニーで一斉に干された洗濯物を目にする日々は、
なにか自分が古くから脈々と続くまちの一員になった気がしました。

何故スラムのような古い路地のほうが最高に魅力的で、
清潔で経済的価値の高い高層マンションが絶望的につまらなく見えてしまったのか。
単なるノスタルジーや雰囲気によるものなのか。
ずっと考えてきましたが、最近になってだんだんわかってきたことがあります。
新しくつくられるまちは、人が建物に収納されているように見えるのと対照的に、
老房子などが残るまちは、
人が自分の生活空間を獲得しようとする意志と自由をもっているということです。
まず生活があり、それに合わせて必要な空間につくり替えていくたくましさが
生き生きと見えたのでした。

路地と少女。

老房子のように上海には意図的に古い建物を利用した場所が多くあります。
経済成長のまっただ中にありますので、一見乱開発のみが行われるように見えますが、
昔からの路地を利用した街区や工場をリノベーションした商業施設、
地下防空壕や租借地時代の洋館を利用したナイトクラブなど、
古い建物をコンバージョン(用途変更)した場所が実はいたるところにあります。
多くの中国人は新しいもの好きなのですが、
こうした古い建物が持つ価値を利用することで、
エリア価値が高まることを彼らは知っています。
それがたとえ商業的な目的を意図するものだとしても、
もともとのポテンシャルを生かしきっていこうとするしたたかさをもって
新たな魅力的な場所として生まれ変わっているのは、全然アリだと思えました。

田子坊。古い路地にアーティスト「陳逸飛」がスタジオを構えたことをきっかけに小規模な店舗やギャラリーが徐々に増え、路地空間を残した非常に魅力的な街区をつくっている。

1933老場坊。1933年に竣工した屠殺場を改修した複合施設。屠殺場という機能に忠実な建築で、かつて加工された家畜の通路が現在は人のための通路となっている。

翻って東京のことを考えてみますと、
そもそも震災や戦災の影響で、残っている古い建物自体少ないという一面もありますが、
戦後に建てられた建物に関しても基本的には価値を見出さず、
新しく管理のしやすい建物を好む傾向が強いと僕には思えます。
このまま東京が時間的な奥行のないつまらない都市に向かってしまうのではないかと、
危機感を感じるのです。

萩荘からHAGISOへ

少し脱線しすぎました。しかしこのような経験を経て、
萩荘を新しくどのような場所としていくかを考えたとき、
最初に描いたイメージが以下のものです。

萩荘はHAGISOと名前を変え、「最小文化複合施設」として生まれ変わります。
東京には多くの公的な公共施設や、巨大資本による複合施設が存在しますが、
その末席に肩をならべるパブリックな空間を、
「私営の公共施設として運営したい」と思ったのです。
上の図は、そんな思いから若干の自虐的なヤケクソ感とともに描いてみました。
小さいかわりに、東京ならではの、「ここにしかない場所にしたい」と心に決めました。
正直、大規模な複合施設は世界のどの都市にも似たようなものがあります(ボソッ)。
しかし萩荘のように、近年どんどん空き家化している、
戦後の典型的な木造アパートだからこそできるスケール感で、
東京というコンテクストの中での存在感を示せるのではないかと思いました。

具体的には、人が集まるための場として1階にカフェとギャラリー、
2階にはヘアサロンとアトリエ、事務所を計画しました。
カフェとギャラリーは一体の空間として、
イベント時などに複合的な使い方ができるようにします。
ギャラリーという空間は、機能的にはただの空間でしかありませんが、
さまざまな活動を受け止める「あそび」をもたらしてくれるので、
ステージになったりロビーになったりと、新たな使い方を誘発します。
ギャラリー上部は「ハギエンナーレ2012」時に鳥小屋にするために、
二階床をぶちぬいていましたので、そのまま吹き抜けとすることにしました。

Before-Afterの図。

工事費用は、建物の構造やインフラに関わるところは大家さんにご負担いただき、
内装や設備は私が負担しました。
どちらの費用も5年で回収できるよう、家賃設定を定めます。

工事開始!

改修計画をまとめ、見積りをとり、いよいよ工事が始まりました。
工事は、リノベーションの工事を多く手がけている、
「工務店ROOVICE」さんに協力をお願いしました。私たちはできるだけ自分たちや、
協力してくれる人たちの手もお借りしてつくりたかったということもあり、
大工さんや職人さんたちと一緒に、
自分たちができるところは自分たちでつくる方法をお願いしました。
工務店にとっては全体の作業量が把握しづらかったり、
工期が読みづらかったりという手間をかけさせてしまいましたが、
おかげで多くの人に工事プロセスにも参加していただくことができました。

まず築60年の古い家ですので、とにかくたまりにたまったものの廃棄と、
不要な部分の解体が大変です。この部分には、お手伝いいただける一般の方を公募。
アーティストや、ギャラリスト、雑貨屋さん、フォトグラファー、学生など、
HAGISOに興味をもってくれた方々が参加してくれ、
大工さんに解体の仕方を教えてもらいながら、一緒に作業しました。
約1週間かけて部分解体・廃棄を完了できました。

宗林寺住職による工事安全祈願のお祓い。

廃棄物。これの3倍くらいの廃棄物がでました。

解体の結果を受けて、現場でイメージしながら図面を引きました。

ひととおりの部分解体・掃除が終わると、本工事に入ります。
もともと竹木舞にしゅろ縄がはられた土壁ですので、
全体的に構造用合板で耐力壁をつくり、金物で補強していきます。
1階の天井はすべて剥がして、
もともとの2階床根太(床の補強となる部分)が見えるようにしました。

一階天井はすべて剥がして根太が現しになるように。

吹き抜け部分。

リノベーションの場合、開けてみないと土台の腐れなどがわからない部分が多いのですが、
今回は湿気のたまりやすい北側以外の構造部分はほぼ無事でした。
腐れのひどいところは、
大工さんが仕口(2種類の木材を継ぐための加工)をつくって差し替えてくれました。

腐食部分にぴったりと差し替えた柱。

コンクリート土間の左官仕上げ。

柱のやすりがけや壁の塗装は、自分たちや、アーティスト、
建築学生サークルのみなさんの手を借りてゆっくりと進めました。

色選びを失敗して塗り直し。

こうして徐々に萩荘はHAGISOへと生まれ変わっていきます。

うーん、予想以上に長くなってしまいました。
予定ではもうHAGISOオープンのところまでいくはずだったのですが、
あまり長くなってもアレなので今回はここまでにします!

次回は、工事中開催してしまったイベントやカフェの開店準備や
そして、僕らが利用したクラウドファンディングのことについてもお話します。
みなさん、お楽しみに!

information


map

HAGISO

住所:東京都台東区谷中3-10-25
TEL:03-5832-9808
営業時間:カフェ12:00〜21:00 (L.O. 20:30)
http://hagiso.jp/

木造旅館が、 ゲーム制作会社の社屋へ大変身! シーンデザイン一級建築士事務所 vol.03

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.03 
アソビズム長野ブランチプロジェクト

今回は、東京に本社を置く会社「株式会社アソビズム」の
長野支社にまつわるリノベーションのお話です。
このプロジェクトでは、リノベという“つくりかた”をより意識したものになりました。

株式会社アソビズムは「ドラゴンポーカー」「ドラゴンリーグ」といった
スマホ向けのアプリを手掛ける、秋葉原に本社を構えるゲーム制作会社です。

2012年、代表の大手智之さんは、理想の子育てを求め、
ご家族そろって長野に移住してきました。
お子さんと一緒に参加した体験キャンプで触れた自然体験から、
「長野こそ“未来の教育”へ向けたチャレンジに向いている地である」
との思いが強くなったそうです。

さらに大手さんは、秋葉原にある本社はそのままに、
アソビズム長野支社(通称:長野ブランチ)の設立準備をはじめました。
最初は、駅前の貸事務所ビルといった物件を見ていたそうですが、
せっかく長野に来るのに東京と変わらない環境ではつまらないと、
善光寺門前界隈の空き家物件に興味を持つようになり、
マイルームの倉石智典さんと出会いました。

大手さんから聞く、アソビズム長野ブランチの構想は、
これまで門前界隈で行ってきたリノベ物件より規模が大きく、
建築や設備に対しても、より専門的な分野の経験が必要であることが予想されました。
そうしたことから、2013年、物件探しの段階からシーンデザインも加わり、
CAMP不動産としてプロジェクトを進めることになりました。

早速、大手さんと善光寺門前界隈のいくつかの物件を一緒に見てまわった末、
善光寺の西に位置する桜枝町に建つ元旅館「飯田館」を
アソビズム長野ブランチとしてリノベーションすることが決まりました。

長い間、放置されてきた空き家たちは、よほど想像力を豊かにそのまなざしを
向けない限り魅力的には見えないと思います。
ましてや建築を専門としていない方にとっては、なおさらだと思いますので、
大手さんには、よくご決断して下さったと感謝しています。

リノベ前の元旅館「飯田館」の外観。

現場に何度も足を運んでは、どのように使えるか想像します。

先ずは実測調査。既存平面図を作成します。
それをもとに大手さんからの要望を整理し、
場所の使い方の簡単なスケッチを数枚描いてイメージの共有を図ります。

あくまでイメージ。状況に合わせて現場はどんどん変わっていきます。

そのほか、建物のスペックについて打ち合わせを重ね、
ある程度内容が見えてきたところで、概算を提示して工事を始めちゃいます。

相変わらず、この時点で詳細図面がありません(汗)。

CAMP不動産的工事スタイル

前回で紹介した、「藤田九衛門商店」の“つくりかた”は、いろいろなことが手探りでした。

こうした工事の進め方は、マイルームの倉石さんがそのベースをつくってきました。
図面がほとんどない状態で工事が始まるスタイルはドキドキですが、
一方では、より自由度が増し、リノベ工事には合っていると思います。

考えてみれば、かつて大工の棟梁は、必要最低限の図面だけで、
旦那との信頼関係のもと、職人を束ねて建物を建てて、
その仕事に見合う報酬を得ていたのですから、
工事の進め方として全く新しいわけではないのかもしれません。

しかしながら現代では、細切れになった工業部品を、
設計図をもとに、これまた細部に分業化された専門職によって
順序良く組みあげていく“つくりかた”が大半を占めています。
建築工事の場合、“もの”ができる前に工事費を決めて契約をするので、
できるだけ予定通りに進んでもらわなくては大変です。

現場では、事前に描かれた図面に即した施工がされているか、
チェックすることに力点が置かれ、工事の責任の分界点もはっきりしています。
それは、とても合理的な“つくりかた”ではあるのだけれど、実は、こうした“つくりかた”が、
現場から想像力を奪っているのではないだろうかと思うことがあります。
指示された通りにきれいにつくることはできても、
細かい部分で判断を迫られたとき、手が止まってしまいます。
つくり手が現場の状況や施主の要望などから、
なにをどうつくるべきかを「想像する」ことに慣れていないのです。

そういうこれまでの“つくりかた”に対して、CAMP不動産的なリノベ工事のスタイルは、
工事費も、工期も、内容もすべてがあいまいなまま工事がすすんでいくので、
これまでの感覚でいると、施主にも設計者にも施工者にも理解され難いスタイルだと思います。

そんななか、自分たちの仕事場は自分たちでつくっちゃおうという、
アソビズムの真にクリエイティブな思想とCAMP不動産との相性が合ったのだと思います。

工事を振り返り、アソビズムの大手さんはこんな風に話していました。

「今回、本当に設計図も完成予想図もなしでのスタート。
共有したのは軽いラフスケッチと、コンセプトだけ。
これまでのオフィスづくりではあり得ないやり方で、正直不安の方が大きかったですが、
考えてみれば、僕らのゲーム制作も、コンセプトを決めたら後は
ひたすらビルド&クラッシュで、仕様書などつくらずに進めていきます。
その方が観念や余計な重力に引っ張られずに、
素直に核の面白さだけを考えて進める事ができるからです。
そう考えれば、リノベーションのようなアドリブが入り込む余地のある建築スタイルでは、
この方法がむしろ適しているのかもしれませんね」

大手さんにおいては、さぞかし不安であったろうなと思います。
しかし最終的には、分野は違えど、クリエイティブな仕事をされている方に、
ものづくりという点で共感していただけたのならうれしい限りです。

壊しながら考え、つくりながら考える

さて、いよいよ工事が始まります。
先ずは、解体工事から。

設計者は、解体業者に、どこを解体してどこを残すか図面で指示することが一般的ですが、CAMP不動産では、現場で要るものと要らないものを判断して、
どんどんしるしを付けていきます。

壁や長押(なげし)に貼られた〇×△テープ(ちょっとわかりづらいですが・・・・・・)。

〇は残す。×は壊す。△はそっと外して再利用。
至る所にしるしが描かれたテープが貼られていきます。

おぼろげな平面プランはありますが、そもそも詳細な図面がないのですから、
現場で思考が止まることがありません。

壊しながら考え、つくりながら考えます。
その都度、クライアントの用途要求に対して最適最善と思われる方針を見つけ出し、
どんどん施工していきます。

解体工事が一通り済むと、空間のボリュームが見えてくるので、
よりその先をイメージしやすくなります。

飯田館の2階、客室押入れの天井の一部から天井裏を覗くと、そこには、
トラス構造の小屋組み(三角形をつくるように部材を連結して構成された構造形式)が
ありました。

門前界隈の旅館や倉庫建築によく見かけるこの構造は、
内部に柱がない大きな空間をつくることができます。

解体工事前の飯田館の2階は多くの小さな部屋に小分けにされていましたが、
この洋小屋組みを確認できたので、壁を取り払い、
執務室を大きな一つの空間にすることが可能だと判断できました。

あわせて、このトラス構造も空間を特徴付ける要素として是非見せたい!
ということで、天井を取り払い洋小屋組を現すことにしました。

飯田館の天井裏から現れた洋小屋構造。

そこには何ともダイナミックな空間が出現。
空間の変容ぶりに、関係者一同一気にテンションが上がります。

現場を見ながら、
トップライトやサイクルファンの最適な位置を検討できるのもリノベならでは。

光の入り方や、空気の流れなども、机の上で考えるのではなく、
現物を見ながらだから間違いがありません。

屋根断熱と天井板を張って、部屋の奥まで陽が入り込む、
とっても気持ちのいい天井のできあがり!

新しい天井のかたちが見えてきました。

木製OAフロア

“OAフロア”っていう言葉。
聞いたことがある方は多いのではないかと思います。
フリーアクセスフロアなんて言い方もします。
オフィスにおいて、パソコンなど多くの配線を必要とする場所に設置される床のことで、
これを使えば机や家具類の配置に影響されずに配線ができて足元がすっきりします。

一般的なオフィスビルに施工されるOAフロア。

当然アソビズムも、ゲーム制作会社ですからパソコンをたくさん使います。
なので、長野ブランチにもこのOAフロアをご希望されていました。

ただ、上記のような既製品のOAフロアを使うとなると、
床仕上げはタイルカーペットかビニルタイルになってしまいます。

床がタイルカーペットでは、せっかくの木造老舗旅館リノベなのに面白くない。
まるでオフィスになっちゃう(いや、オフィスなのですが・・・…)。

ということで、アソビズム長野ブランチでは、
根太(床下地)で配線ピットをつくって板で蓋をしてOAフロアの代わりとしました。

真ん中が配線ピットになります。
そして、ピットの壁際の下階は押入れを改造したサーバールーム。

仕上げはフローリングの巾と合わせた板で蓋をしました。

根太方向を工夫して配線を通すスペースを確保。

手掛け(板を外すために指を入れる穴)兼配線出しのための穴を等間隔に開ければ、
立派なOAフロアになりました。機能的にはこれで十分。

古くて新しいオフィス

そんなこんなで、ローテク満載でハイテクIT企業のオフィスを考え、工事が進みました。
見た目は古いけど、実は近代的な、ここにしかないオフィスの完成です。

基本的には外観を変えることなく再塗装のみを施しました。

輻射冷暖房と真空ガラスの採用で、快適な執務空間。

一階はスタッフのサロンであったり、応接や地域交流の場として活用されています。

根太表しの天井は、旅館だった頃の天井そのまま。

お風呂と洗面所だったスペースはバーカウンターになりました。

014年2月14日、記録的な大雪の中、
アソビズム長野ブランチはようやくオープニングを迎えることができました。
当日は県内外から、交通機関の乱れにも関わらず、
たくさんの方がお祝いに駆けつけてくださり、
アソビズムという魅力的な企業が長野に支社をつくったというインパクトと、
そんな企業が木造旅館をリノベした建物をオフィスにしたことが
地元メディアにも大きく取り扱われたりもしました。

リノベ工事の様子は、シーンデザインのブログでも紹介していたこともあり、
うわさを聞きつけて、かつての飯田館の所有者から
以下のようなコメントをいただきました。

「飯田館は私の実家でした。数年前ある住宅会社に売却しました。
買主は解体して駐車場にすると言っていたのですが、
さっぱりその様子がなく近年は放置されているような感じで、とても心配しておりました。
少し前に地元在住の同級生から、NHKや信濃毎日新聞で
お前の実家のことが出たと知らせを受けており、
このたび貴社のHPで懐かしい飯田館の改修工事の様子を拝見し、
とても嬉しくまた安心いたしました。
いつか兄弟で生まれ変わった飯田館を見に行けることを願っています」

とてもうれしいコメントでした。

まちには、合理的でわかりやすいことだけではなく、
さまざまな割り切れない気持ちがたくさん潜んでいるのだと思います。
私たちは、そのことを、まるでなかったことのように消してしまうのではなく、
いったん引き受けてみる態度をとることは、
実はとても大切なことなのではないでしょうか。

積み重ねてきた記憶を受け継ぎながら活用していくことが、
まちの“奥行”をつくっていくのだと信じています。

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株式会社アソビズム 長野ブランチ

http://www.asobism.co.jp/nagano/

ゲストハウスに長屋、 緑豊かな庭に交差する それぞれのストーリー。 HAPS vol.2

HAPS vol.2
空き家だったお屋敷が、ゲストハウスとアーティストのアトリエへ

京都市東山区、HAPSのオフィスからも徒歩10分くらい。
清水寺や三十三間堂にも近く、五条通りと東大路という
観光客の行き交う大きな交差点から路地を少し入ると、
「常松庵」という看板がかかった日本家屋が見えてきます。
敷地の中に入ると、目に飛び込んでくるのは中心にある緑濃い庭です。
約400坪という、常松庵の広い敷地には池泉庭園を囲むように、
母屋であるおよそ築100年ほどの日本家屋や、
さらに、築100年ほどの長屋5軒も並んでいます。
庭の一角には小さなお稲荷さんも祀られています。
入り組んだ路地に沿って細長い町家が並ぶこのエリアで、
池を伴う広い庭園があるのもなかなかない物件です。

これらの建物が10年以上ほぼ手つかずのまま空き家となっていたところを、
昨年末にこの物件に出会った女性が、今年に入ってから改修に取りかかり、
母屋は2014年8月にゲストハウスとしてオープン。
長屋には、HAPSのマッチングで、春から夏にかけて、
この場所に惹かれたアーティスト2名が入居しました。
自分たちでリノベーションをしつつ、暮らしています。
ちなみに、そのうちのひとりは、
前回紹介したHAPSの壁づくりワークショップをはじめ、
脚本執筆から映像・舞台制作、アート媒体の編集など、
多方面で活動しているアーティスト、山田毅さんです。

常松庵を運営する大門さん。この日は庭の池近くに、ススキを植えたばかり。

常松庵全体の借り主となり、賃貸や宿泊施設の運営を行うのは、
HAPSのオフィスのご近所、松原通りで
おばんざい屋「ゆたか屋」を営む大門美鈴さん。

大門さんは、もともと賃貸業を手がけていましたが、
ご家族や生活の変化を経て夢を追いかけていこうと考えていたころ、
この場所に出会いました。
それが、ちょうど1年前の2013年夏。
最初に常松庵を見たとき、ジャングルのように生い茂った庭と、
古い家財やごみ一杯のお屋敷の中で、光が見えたそうです。
「夢がここにあった」と。
古いものが好きで、ガーデニングの資格も持つ大門さんにとって、
古い家がそのまま残され緑豊かな日本庭園がある常松庵は理想的な物件でした。

年明けて2014年1月から、庭や建物の片付けを開始。
母屋を宿泊施設として稼働すべく、
春から工務店による改修工事が始まりました。
自身も、それまで住んでいた高雄の古民家から、常松庵の住居に移りました。

部屋を仕切る襖を壁に作り替え、客室を確保。
浴室や洗面所を新設して宿泊施設として改修していきました。
バリアフリーに対応するよう手すりも設置。
5月頃からは、草取りにはじまり、
毎日庭の植物に手を入れ、石を並べ玉砂利を敷き、整えていきました。
約半年の改修期間を経て、ゲストハウス「常松庵」として無事オープン。

改修中、近くに住む大家さんが見にいらして、
「こんなにきれいにしてもろて」とおっしゃったり、
ご近所の方々からも「是非中を見せてほしい」
と言われているところだそうです。

当初の状態からは見違えるような、
しかしおそらくは、建物や庭が本来持っていた力が見事蘇り、
新しい住人たちとともに新たなサイクルが始まっているようです。

かなりの大事業となった改修ですが、
「私たちが楽しんでいればそういう場所になっていくと思うし、
縁があって集まった方を大事にしたい」と語る大門さん。
実際に、緑豊かな庭を眺めながらお話していると、
時を忘れてしまうような独特の空気に満ちた空間です。

一方、長屋の一角に住みながら、現在も改修を自らの手で継続中の山田毅さん。
東京都出身で、京都に移り住んでからはまだ1年半ほど。
常松庵以前は二条城近く、京都タワーと大文字山も見通せる、
眺めのよいマンションに住んでいました。
2014年の年明け頃、心境の変化もあって環境をがらっと変えてみたいと、
HAPSにご相談いただきました。

現在の山田さんの住居部分。前に広い屋根付きスペース、奥に工房スペースがある。

実は、山田さんから相談を受けた時期に、
HAPSでもちょうど大門さんから「面白い場所を見つけたの」
と、常松庵のお話をいただいた頃。母屋はゲストハウスへの改修を考えていて、
同じ敷地にある長屋は活用方法を検討中でした。
5軒ある長屋のうち東側2軒は、
倉庫として使われていた土間のスペースが隣接。
「生活とともに手を動かせる場所、作品をつくれる工房を探している山田さんに、
うってつけなのでは」と、早速紹介しました。
最初の見学で、山田さんも「ここだ!」と直感的に感じたということで、
トントンとお話が進みました。
HAPSにとっても、ご近所にまたひとつ面白い場ができていく、
嬉しいマッチングとなりました。

改修前の台所の様子。

床の表面を剥がしてやすりがけし、明るくなったキッチン。業務用冷蔵庫も導入(2014年7月)。

京都ではまだ寒い春、4月を待って山田さんは引越し。
その前に、まずは寝室となる和室の床から、リノベーションを始動。
前回の記事にも登場いただいた、建築士の木村慎弥さんとともに、
作業を進めていきます。
改修にあたっては、「作品としての家づくり」ということを考えたそうです。

普通にしない。世界観のカタチ化。

住まいとしての構造はしっかり保ちつつ、意匠の部分は、
不便だったり時間がかかったりしても、面白いことをしてみようと。
そこで、本来ならば新しい床板を張ってしまうような台所も、
元の駆体を生かしつつ、
床をディスクグラインダーで丁寧に剥がして、
ガラスショーケースの業務用冷蔵庫を設置しました。

和室の床の構造をつくり直す。

和室の畳を上げると、床がシロアリに食われて、
ダメになっていたので、床下から手を加えました。
壁には作品を掛けられるよう、板を貼り重ね、壁を厚くして白く塗装しました。
電気工事も入れて、エアコンを取り付けました。
この工事は結構大変で、業者に依頼しました。

続いて、もともとは陶芸職人の倉庫として使われていたという、
隣接する土間スペースも、不要物は取り除き、徐々に工具などを導入して、
工房として機能し始めています。
このあたりから、つくりながら生活するカタチがなんとなく見えてきたようです。

寝室の壁面を新たにつくり、ペンキを塗る山田さん。(2014年7月)

最初に整った寝室部分。周りにはものづくりをする人たちが多いので、新たにつくった白い壁は作品展示スペースに。

住居に隣接する土間スペースは工房へと改修。

山田さんに今後のリノベーション計画を尋ねると、こんな答えが。
「今は自分が生活する最低限のスペースが完成しただけなので、
自分の周りにいる好きな作家さんの作品などをきちんと飾ったりして、
もう少し手を入れてお客さんを招ける家にしたいです。
この空間を生かして展示や、ワークショップなども開催したいし、
もっとこの場所を知ってもらいたいですね」

さらに、常松庵に住み始めてからの変化として、
家づくりを一緒に行った建築家の木村さんと、
同じ景色を見ている」というユニットでも動き始めました。
何かを「つくること」が身近になり、
個人での制作だけでなくワークショプなど活動の幅が広がったと言います。
山田さんは、実家は材木屋さんで幼い頃から工作に親しみ、
長じては映像や舞台の制作を手がけ、進学した美術大学では、
物語を空間に落とし込んで表現する作品制作をしていた山田さん。
「古いものに宿るストーリー性をカタチにしたい」
と最近は考えているそうで、
これにもまた常松庵での暮らしも少なからず寄与しているようです。
母屋の改修時に出た廃材や敷地内にあった古い家具などを貰い受け、
それらに手を加えて、新たな「もの」として活用することも計画中。

敷地内で見つけた古い階段を利用し、育てているハーブをディスプレイ。

山田さんは、ここに移り住んでから、
大門さんの「ゆたか屋」によくご飯を食べに行くようになりました。
そこで、私たちHAPSスタッフとばったり顔を合わせることも。
また、大門さんから家庭菜園の野菜をいただいたり、
庭木の剪定をお願いされたり、
先日も常松庵ウェブサイト用の写真を撮影したり。
敷地内にいる人々と日常的に会話があり、交流があるというのは、
今までの生活にはなかったことで、それが刺激的であり、
この場所の魅力なのだそうです。
さらにはゲストハウスもあるので住人以外にも、
たった数日だけここに滞在する人や、ロングステイで長く滞在する人もいます。
7月に来日したグアドループのアーティストも1か月滞在していました。
生まれた国もここにいる目的も違う人々がすれ違う、
交差点に立っているような感覚もまた面白いと、
常松庵での暮らしを楽しんでいます。

ウェブサイト用に写真撮影中の山田さんと常松庵マネージャー・水野さん。

庭木の葉が色づく頃、観光シーズンの京都で、
常松庵もこれからまた多くのゲストを迎えるはずです。
蚊が少なくなったら、庭でハンモックを吊るしたいと、
大門さんは計画しています。山田さんの住まいはどう変化していくのでしょう。
この豊かな場所から生まれるものや出会いを、
私たちもこれからも見守っていきたいと思います。

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常松庵

住所:京都市東山区慈法院庵町594-1
TEL:075-525-0811

http://joshoan.com

本屋は、町の中心になれる可能性がある

山間の小さな町の「複合店」

札幌の「くすみ書房」で町の本屋の窮状に打ちひしがれかけてからおよそ1か月、
今度は西へと向かった。目指すは広島県庄原市東城町にある「ウィー東城店」。
今回も、夏葉社の島田さんが主宰する
「町には本屋さんが必要なんです会議(町本会)」の取材が目的だった。

東城は、僕が本屋をつくろうとしている勝山(岡山県真庭市)と同じく山間の小さな町だ。
人口も、東城およそ8,700人、勝山およそ8,000人とほぼ同程度だ。環境が似通っている。
おおきなヒントをつかめるのではないかと、いつにも増して期待に胸を膨らませていた。

ウィー東城店の外観。店の向こうに山の稜線が見える。山間の小さな町の本屋に、休日ともなると200人近いお客さんが訪れる。

ウィー東城店は、本屋でありながら、
文具やCD、タバコや化粧品といった多様な商材を扱うのみならず、
店には美容室やエステを併設し、年賀状の宛名書きや印刷代行、印鑑の制作まで引き受ける。
本屋の生き残り戦略として、粗利の高い商材と組み合わせる「複合化」が叫ばれる昨今、
ウィー東城店は、その先端を行く本屋として注目を集めている。

店長を務める佐藤友則さんは、東城町からほど近い広島県神石郡神石高原町で生まれた。
奇しくも、島田さんや僕と同じ1976(昭和51)年生まれである。
実家は、創業1888(明治21)年以来、代々続く書店「総商さとう」を営んでいる。
そこは、屋号の「総商」が雄弁に物語るように、
創業当初から、書籍に加えて石鹸やロウソク、衣類や薪などの生活雑貨、
文具に化粧品、タバコを扱う「複合店」であった。
時代とともに扱う商品は変わっていったが、
佐藤さんは、生まれたときから「複合店」としての本屋を見て育ってきた。
なお、今は佐藤さんの父が同社の3代目の社長を務めており、
10月には、佐藤さんが晴れて4代目の社長に就任する予定だ。

ウィー東城店は、「総称さとう」の2店舗目として、1998年7月にオープンした。
佐藤さんの父が、佐藤さんに継がせるつもりで店を出したのだという。
高校生のころまでは「継がなくていい」と言われていた佐藤さんだが、
当人は子どものころから「継ぐつもり」だった。
その気持ちが父の心を動かしたのかもしれない。
売り場面積は110坪、40坪の本店とくらべて3倍近い規模の店だ。
ここも開店当初から、本だけでなく文具やCD、タバコや化粧品を扱っている。
ウィー東城店も佐藤さんも、「複合店」としてのDNAを、たしかに受け継いでいるのである。

店内の一画を占める文具とCDのコーナー。本屋でありながら、地域住民の生活をしっかりと支えている。

続いて、ウィー東城店と佐藤さんの取り組みを紹介する「図書新聞」の記事を参考に、
店と佐藤さんの歩みを簡単に振り返ってみたい。

危機を乗り越えた先に

オープン当初のウィー東城店は、社業を窮地に追い込むほどの赤字を垂れ流していた。
「総商さとう」でも本を扱ってはいたものの、
書籍の売上は、学校向けの教科書販売や配達が中心を占めていた。
店売りのノウハウがあったわけではない。
規模を大きくしたウィー東城店で、思うように本の売上が伸びなかった。

そのころ、佐藤さんは名古屋の本屋で修業をしていた。
ウィー東城店の店長に就任したのは、オープンして3年後の2001年7月のことだ。
経営が厳しいと聞いてはいたが、思っていた以上にボロボロだった。
数字以上に、地元民からも従業員からも、信頼を得られていなかったのが衝撃だった。
佐藤さんが戻ってきたのと入れ替わりで、4人いたスタッフはみな辞めていった。
すると、息子に継がせたいから従業員のクビを切ったと、
尾ひれがついて噂が町中を巡り、店の信用はさらに下がった。

着任した佐藤さんがまず目指したのは、地元住民の信頼を得ることだ。
それが、赤字脱却の第一歩につながると信じ、とにかく顧客の御用聞きに徹した。
在庫のない本を求められたら、他店を駆けずり回り、ときにはネット書店を探し回り、
考えられるあらゆる術を講じて本を仕入れた。
顧客に手数料を負担してもらうケースもあったが、
それまでいくつ書店を回っても、探している本を手に入れられずにいた顧客にとって、
多少の手数料は高いものではなかった。

そうこうするうち、次第に本以外の相談や要望も寄せられるようになった。
自動車の運転免許を取得したいというブラジル人の若者の勉強に付き合い、
自分史を本にしたいと相談してきた87歳のおばあちゃんの自費出版を手伝った。
気づけば、町には欠かせない「よろずや」として、地元から受け入れられるようになっていた。

2005年ごろには、経営が好転の兆しを見せ始める。
CDを除く全商材の売上が上向きはじめ、顧客からさまざまな要望を寄せられるようになる。
化粧品を買いに来た顧客からエステの依頼を受け、年賀状や名刺の印刷代行を頼まれた。
そうした声を拾い集め、2008年には印刷機を、2012年には印鑑制作機を導入する。
当初は外注していたこれらの業務を自社で引き受ければ、
それだけ粗利を見込めると判断しての設備投資だ。
2010年には美容室とエステを併設し、
美容師の資格を持つ佐藤さんの奥さんが、自ら接客して髪を切る。
こうした一連の策が功を奏し、店の財務状況は劇的に改善へと向かう。

本屋に併設された美容室。中はゆったりと広い。佐藤さんの奥さんが、ひとりひとり接客する。

思わぬ副産物もあった。新たに始めたサービスが本の売上を呼び込んだ。
美容室での一対一での接客を通じ『お灸のすすめ』(池田書店)という本が100冊以上売れた。
健康・美容という括りで、相性がよかったのだろう。

生まれながらの「複合店」で生まれ育ち、
就任当初から「複合店」の立て直しを任された佐藤さんは、
さらなる「複合化」に本屋の経営の活路を見出した。
その経験から、あらゆるものとつながりうる本と本屋の可能性を、
一段と強く認識するようになったのだ。

男だらけの6人の旅

今回の町本会は、少し変則的なかたちで行われた。
会場は、店からクルマで1時間ほど離れた福山市(広島県)のとある貸会議室だ。
その日は福山で「一箱古本市」が開かれていて、その関連イベントとして、町本会が催された。
会場に行くまでも、いつもと趣が違っていた。
これまで2度(小豆島と札幌)は現地集合だったのに対し、今回は島田さんからこう誘われた。
「大阪の高槻からクルマで行くんですけど、一緒にどうですか?」

高槻に着くと、島田さんのほかに4人の同行者がいた。
大阪の三島郡島本町、阪急・水無瀬駅前で「長谷川書店」を営む長谷川稔さん。
同じく大阪の茨木市にある「ハイパーブックスゴウダ」で書店員を務める森口俊則さん。
奈良の大和郡山市に今年2月に本屋「とほん」をオープンさせたばかり砂川昌広さん。
そして、夏葉社さんとご縁のあるカメラマンのキッチンミノルさん。
キッチンさんは、この記事の写真も撮影してくれた。

いい年をした男ばかりのドライブは、ちょっとした遠足気分だった。
島田さん以外はみな初対面だったけれど、
本に携わる仕事をしている親近感から、すぐに打ち解けることができた。
4時間近い道中で、本屋や本にまつわる話もしたけれど、ほとんど他愛もない話をしていた。
そのころ、島田さん初の単著『あしたから出版社』(晶文社)の制作が大詰めで、
タイトルがまだ決まっていないと島田さんが言う。
ああでもないこうでもないと意見を出し合う。
結局、僕らの案は採用されることはなかったのだけれど……。

福山に着き、ホテルでチェックインを済ませて会場へ向かうと、30人近い人が集まっている。
この日はもうひとり、ゲストが招かれていた。作家の碧野圭さんだ。
書店で働く人たちを描く小説『書店ガール 1~3』(PHP文庫)が人気を集めている。
まずは、登壇者による自己紹介。夏葉社と町本会、ウィー東城店、
『書店ガール』シリーズの紹介が終わると、話はいよいよ本題に入っていった。

左から佐藤さん、碧野さん、島田さん。佐藤さんと島田さんは、どことなく風貌が似ている。

「本屋は町の中心になれる可能性がある」

島田さんは佐藤さんと、今回旅をともにした長谷川書店でばったり出くわしたことがある。
帰りは同じ電車に乗り、そのとき佐藤さんが発した言葉が印象に残っているという。
「本屋は町の中心になれる可能性がある」
その真意を知りたいと、島田さんが佐藤さんに話を振った。

町から、八百屋や肉屋といった個人商店の「屋業」が消えている。
そういう現状で、本屋はどうやって生きるのか――。
こういう時代だからこそ、本屋は町から消え行く「屋業」の受け皿になれる。
それが、佐藤さんの見解だった。

本は、本というかたちのなかに、あらゆるジャンルの素材を含んでいる。
本は、そのなかに書かれたもの、編まれたものと軽やかにつながっていく。
美容室とすんなりつながったのもそのためだ。
だからこそ、本屋が町の中心になり、あらゆる業態の受け皿になる可能性を秘めている。
実際、他業種からも商材を扱ってほしいと、営業が訪ねてくることがしばしばあるのだという。

本屋についての自説を披露する佐藤さん。実践に裏打ちされているだけに、言葉に力がある。

もうひとつ、島田さんの印象に残っていた佐藤さんの言葉がある。
「本屋はお客さんから信頼されている商売だ」
その真意についても、島田さんは佐藤さんに尋ねた。

昨年10月、アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが亡くなられたとき、
全国で唯一、ウィー東城店でアンパンマンの原画の展示販売が開かれた。
佐藤さんの父が、やなせさんが亡くなられる前から企画を進めていたのだという。

展示販売を行うにあたり、ひとつ懸念されることがあった。
額装の制作が間に合わず、店頭でのものの引き渡しができなかった。
額装のでき上がりを待つと、引き渡しは数か月先になるが、
店頭での先払いをお願いしなければならなかった。
原画は、1点数万円から10万円単位のものもある。
いくつも買いたいという大ファンがいてもおかしくない。
それだけ高額の支払いを、現物との引き渡しではなく、先払いで納得してもらえるのか――。
支払い方法を巡ってトラブルが起きる可能性も十分に予想された。

蓋を開けてみれば、先払いに文句を言う人はひとりもいなかった。
それは、本屋という商売がほとんど無条件で信頼されているからだと佐藤さんは言う。
先人たちが積み上げてきてくれた信用のおかげである。
「本屋が町の中心になれる」のも、何とでも軽やかに結びつく本の力に加え、
本屋という業態が持つ信頼感が大きいと佐藤さんは力を込める。

コミュニケーションか棚づくりか

町の御用聞きに徹して経営の窮地を脱したウィー東城店は、
顧客との対面コミュニケーションに重きを置く。
一方で、本屋は本で勝負してこそ本屋だという見方もある。
本に対する深い知識を持ち、見る人を唸らせる棚をつくってこそ本のプロであるという見解だ。
町の本屋はどちらを目指すべきはなのか、という声が会場からあがった。

会の後半は、参加者全員が車座になって話をした。参加者からも活発な意見が出た。

それに対し、碧野さんが次のように意見を述べる。
とことん棚で勝負する店は、都会に多い。
それは、大型書店がひしめく都会で、個人店が生きていくには棚に特徴を出すしかないからだ。
だが、つくり込んだ棚は、店主の趣味趣向の産物ではない。
本に対する顧客のニーズを細かく広いあげた結果である。
ウィー東城店の「複合化」路線も、
顧客と向き合うという意味では、やっていることは変わらない。
「屋業」が消え行く地方の町では、顧客の声が都会とは違うだけのことではないか――。

その指摘を島田さんがフォローする。
棚をつくり込むことに力を入れている本屋は、
顧客との対面コミュニケーションに時間を割けないことを嘆いている。
その両輪で顧客に向き合うのが理想ではあるけれど、
なかなか両方に等しく時間を割くことができない。
そこにもどかしさを感じているのが現実だ――と。

佐藤さんがそれを受ける。
うちは逆の嘆きがある。コミュニケーションに力を入れるあまり、
棚をつくり込むところまで手が回らない。
コミュニケーションと棚づくりのバランスをとるのは難しい。
佐藤さんが、両者のバランスがとれていると感じたのは長谷川書店だという。

長谷川さんがそれに答える。
やりたいことは佐藤さんに近い。コミュニケーションには力を入れている。
ただ、それが必ずしも売上につながるとは限らないのがもどかしい。

コミュニケーションと棚づくり、そして経営のバランスをとることは、
本屋のみならず、あらゆる小売が抱える永遠の課題なのだろう。

会場からもさまざまな声が上がり、2時間の会はあっという間に終わる。
語り尽くせぬ思いは懇親会へと持ち越された。
それでも話は尽きない。名残惜しみつつ、懇親会もお開きとなった。

本屋というより、まるでワンダーランドのような

翌日は、一行でウィー東城店へ向かう。
福山から東城へのクルマでおよそ1時間の道中、佐藤さんにいろいろ話を聞いた。
「田舎には田舎特有のゆったりとしたリズムがある」という話が、何より印象深かった。
頻繁に棚をいじらない。でも、いつ来ても同じだと思われないようにちょっとずつ棚を変える。
場合によっては、お客さんから本を教えてもらうぐらいでちょうどいいのだそうだ。

名古屋で本屋修業をしていた佐藤さんは、そのリズムをつかむのに1年半の時間がかかった。
都会で売れている本が、東城でなぜ売れないかがわからない。
少しずつ少しずつ、田舎の時間の流れに馴染んでいった。

店に戻った佐藤さんは、水を得た魚のように、俄然いきいきと動き始めた。
子連れのお客さんが来ると、時間を惜しまず自慢の手品を披露する。
食い入るように見つめる子どもと、一緒になって遊んでいるようにさえ見える。
その記憶は、子ども心に強烈に刻まれるに違いない。
子どもの目には、本屋というよりもむしろ、
「あそこに行けば何かがある」と感じさせてくれるワンダーランドなのかもしれない。

レジカウンターは、佐藤さんの舞台だ。手品を繰り出す佐藤さんの手を、子どもが食い入るように見つめている。

取材を終えて……

今回の旅にはまだ続きがある。
大阪から道中をともにしてきた一行と佐藤さんと一緒に、勝山へ向かうことになっていた。
お目当ては、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)のタルマーリーさんだ。
本に関わる人たちにとって、気になる本であり、気になるパン屋であるのだ。
この本の制作に携わったひとりとして、ただただ嬉しい限りである。

道中、島田さんと長谷川さんと話し込んだ。
というか、ふたりの会話をほとんどじっと聞いていた。本屋の経営に関する話である。
ふたりの話に付いていけない。本屋についてあまりにも知らなさすぎる。
自覚していたことではあるけれど、自分の無知ぶりに、不勉強ぶりに、
そして、そんな状態で本屋を始めるなどと公言した無謀さに、とことん嫌気が差してきた。

勝山に着くと、沈んでいた気分が幾分か和らいだ。
島田さんが、佐藤さんが、道中をともにしたみなが、嬉しい言葉をかけてくれた。
「この町で本屋をやりたくなる気持ちが、ここに来てよくわかりました」
「この町なら、本屋の可能性があると思います」

もともと本屋の経験がない僕に、そもそも自信もへったくれもないのだけれど、
リップ・サービスかもしれない温かい言葉を耳にして、
前向きな気持ちを少しは取り戻すことができた。

僕は勝山に残り、一行を見送る。
物件のことをはじめ、町の人と相談したいことがいろいろあった。
みな本当に気持ちのいい人たちだった。別れが惜しい。
本がつないでくれた縁をしみじみありがたく思う。

次回は、少しずつ進めている開業準備について書いてみようと思う。
取材もあちこちさせていただいているけれど、現実も動いている。
今の時点で見えていることを整理しておきたいと思うのだ。

information


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ウィー東城店

住所:広島県庄原市東城町川東1348-1
TEL:0847-72-1188
営業時間:10:00-21:00
定休日:元旦のみ

料理も家も、生活まるごとDIY! みんなの食堂のような空間です。 MAD City vol.12

MAD City vol.12
マンションのなかに「食堂」を作りたい!

大がかりな工事ではなくとも、ほんのちょっとの工夫で部屋の雰囲気をガラっと変える。
それが、DIYの特徴でもあります。
MAD City最終回となる今回は、
「まったく変哲のない部屋も、DIY次第で部屋の雰囲気だけでなく、
その部屋の持つ役割も大きく変えてしまう」という事例をご紹介したいと思います。

今回登場するのは、フードユニット・Teshigotoの古平賢志さん。
古平さんは、コロカルでもご紹介した「MAD マンション」の住人です。

彼はもともと彼はもともと飲食業界のサービスマンで、
現在はフードコンサルタント、プロデューサーとして、
飲食店のコンサルタントやケータリングのお仕事をしています。

MAD Cityでは、「食」のプロフェッショナルである古平さんと、
さまざまなイベントを開催しています。
たとえば、今年3月に開催したのは、発酵食品を自ら作るイベント「MISO WORKSHOP」。
これは、古平さん(Teshigoto)たちと一緒に、
味噌をはじめとした発酵食品を作るというワークショップでした。

MISO WORKSHOPの最後には、お弁当を持って、参加者みんなでお花見にいきました。

「食べものを作ることも、DIYのひとつだと思うんです。
だから、日頃はお店から買ってきてしまいがちな味噌などの発酵食品を、
自分で作る……という体験をしてもらいたいな、と。
味噌のほかに、キムチやベーコンなんかも作りました。
添加物たっぷりだけれども安価に売られているものを買うのと、
昔みたいに全部自分たちで手作りしてみるのは全然ちがう。
もちろん毎回やるのは大変だけれども、
たまにこういうワークショップを通じて、
かつて料理をなんでもDIYしていた時代のことを、
ほんの少し思い出してみるのもいいんじゃないかなって思ったんですよ」

そして、こちらはMAD Cityの物件のひとつである「FANCLUB」にて。
ビルのオーナーさんがおこなったパーティーでも、
Teshigotoさんがお料理を作ってくれました。

当日の様子。

ほかにも、同じくイベントスペース「FANCLUB」を使って、
MAD Cityが定期的に行っている「MAD Cinema」でも、
Teshigotoさんに映画をイメージするお料理を作ってもらっています。

5月にバンクシーの『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を上映したときは、特製スパイシーチリドックとピクルス、オリジナルのコールスローを作っていただきました。絶品!

群馬県出身だという古平さんが松戸に住み始めたのは、2012年12月頃。

「松戸に住み始めたのは、友達が住んでいたというのがひとつ。
あと、もうひとつはMAD Cityのように、
『地元民じゃないけれども、そのまちを使って面白いことをやりたい』
という人たちが集まっている場所だな、と思ったんですよ」

MAD Cityが運営する「MAD マンション」は、DIYがOKな物件なので、
住民それぞれの個性が非常に部屋に反映されます。
そんななか、食のプロフェッショナルである古平さんの部屋は、
まさに「バー」のような空間にリノベーションされました。

古平さんの住まいは、もともとはこんな感じのお部屋でした。

真っ白なシンプル空間には、いつしか木製のカウンターが!
これは、以前ご紹介した建築家の西尾さんが作ったカウンターバーです。

実はこれ、屋外のイベントで使用していたものですが、
組み立て式なので、簡単に移動できるカウンターなのです。
「イベントだけで使うのはもったいないので、そのまま部屋に再利用しました」

使用したイベントでの設営時の様子。

台所には所狭しと食器や調味料が並び、
洗面所への入り口となるドアは、黒板になっていて看板のような印象も!

もはや、完全にお店にしか見えないこの部屋。
それゆえ、仕事帰りや土日などには、このバーカウンターの周辺に、
MADマンションの住人たちが集まってくるそうです。
MAD Cityのメンバーも時々お邪魔しています!

そして、奥の部屋はたくさんの観葉植物にソファと、まるでカフェのような佇まい。

「この部屋には本当にいろんな人が来るので、
部屋のなかはできるだけ生活感を排除しているんです。
テレビもないし、無駄な雑貨もおきません」
また、アウトドア好きな古平さんの趣味が高じて、なぜか壁にはボルダリングが!

山登りが趣味だという古平さん。それゆえ、部屋のテイストは「山小屋風」。

「これはベニヤ板を貼った上に、ボルダリングのネジを打ち込んでいます。
そして、友達を呼んで、一緒にのぼってみたり(笑)。
ベニヤを壁の上から貼っただけではありますが、
意外と頑丈で耐久性があるので、全然問題ないですよ」

癒され空間+エンタメ要素抜群なこの古平さんの部屋は、
実はMADマンションの住人にとって「食堂」的な機能も兼ね備えているんです。

「ひとり暮らしだと、あまり料理しませんよね。
だから、みんな、実家から野菜なんかの食べ物が送られてくると、
僕の部屋に持ってきて『なにか作ってくれ』というんです。
そういうときは、メーリングリストを回して、
『週末に○○さんのところからもらった野菜を使って料理をするので、
良かったら来ませんか?』と食事会のお誘いをしています」

誰かが来たら、いつでも快く迎えてくれる古平さんの部屋。
あまりの居心地の良さに、ついつい長居してしまう人が多いのも頷けます。
でも、本来、部屋というのはプライベートなもの。
それをいつもほかの人に開放するのに、抵抗感をもったりしないのでしょうか?

「このマンションに住む人は、デザインができる人、イラストが描ける人、
美術家、家具をDIYする人それぞれにさまざまなスキルを持っている人が多いんです。
だから、ちょっとなにか困った時には僕もそれぞれの専門家に相談しにいきます。
住む人それぞれで役割分担ができているなかで、僕の担当は『食堂』だと思っている。
だから、ほかの住民に自分の部屋をシェアするのは、全然問題ないんですよ」

そして、先日このMADマンションを使って行われたのが、
「SUNDAY BEER GARDEN」。
日頃、使われずに放置されてしまっているマンションの屋上。

“このスペースはもったいない! それをなんとか有効活用できないか”
と考えた末、我らがMADマンションの屋上を使って、
ビアガーデンを開催することになりました。
MAD Cityが屋上使用のルールを作成。
ビルのオーナーさんと近隣住民の方に許可を取り、
Teshigotoさんが主催者となって作るオリジナル料理とビールを楽しみました。

当日のビアガーデンへの入り口はこんな感じで。

「実際に住んでみて思いましたが、松戸の地元民や行政の人たちは、
本当に僕らの活動に寛容なんですよ。
ほかの地域だったら断られそうなことも、OKしてくれることがある。
『まちを使ってこんなに遊ぶことができるんだ!』と、驚くことも多いです。
現在、MAD Cityに関わっている人の半数以上が、地元民以外の人々だと思うんです。
ひとりではなにもできないかもしれないけれども、
みんながそれぞれ役割分担することで、
大きななにかを作っていくことができる。
地元民の方、MAD Cityの人たち、そして松戸に興味を持ってくれる人たち。
みんなの工夫でもって、まちを作っていけたらすごく楽しいですよね」

今回で最終回となる本連載ですが、Teshigotoの古平さんをはじめ、
この連載に登場してきてくださったクリエイターの方々と一緒に、
MAD Cityではさまざまな取組を考えています。
「DIYをしたいけれども、どうすればいいのかわからない」
という人のお手伝いをしてみたり、
ほかのまちではできないような面白いことを松戸でたくさんやっていきたい。

そんな僕らの様子をみて、ちょっとでも松戸やDIYに興味を持ってくださる方がいたら、
ぜひいつでも松戸に遊びに来てくれたら嬉しいです。

なお9月末からMAD Cityではこれまでの連載に登場した入居者たちが参加する、
DIYでのリノベを広めたり施工を請け負ったりするプロジェクトを開始します。
9月28日(日)には物件ツアー&ワークショップを予定しています。
次回は、10月19日(日)。今後の活動もどうぞお楽しみに。

木造の学生アパート 「萩荘」で始まったこと。 HAGISTUDIO vol.1

HAGISTUDIO vol.1
学生時代に住んだ木造アパートをリノベーション

みなさんはじめまして! 私は東京の「谷中」という地域で、
「HAGISO(ハギソウ)」という施設を運営しています、宮崎晃吉(みつよし)と申します。
HAGISOは、私がもともと住人として住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し、
「最小文化複合施設」としてリノベーションした場所です。
小さな木造アパートながら、ギャラリー、カフェ、レンタルスペース、
美容室、アトリエ、設計事務所が複合した施設になっています。
HAGISOを始めたことによって、日々さまざま人たちとの出会いがあり、
実に賑やかな(ハプニングも含めて)毎日を過ごしています。

今回の連載では、この施設を中心に私が今感じていることをゆるーく、
またできるだけ脱線しながらご紹介できればと思っています。
第1回の今回は、萩荘時代から、HAGISOへと生まれ変わるきっかけとなったイベント、
「ハギエンナーレ2012」までの経緯をご紹介します。

はじめに簡単に自己紹介しますと、私は1982年群馬県前橋市生まれ、
大学進学のために上京して以来東京には14年間住んでいます。
大学は東京藝術大学建築科に一浪して入学し、大学院修了後、
アトリエ系設計事務所に勤めました。
大学院から社会人として働いていた間、住居として住んでいたのが「萩荘」です。

昭和の空気が流れる下町・谷中

まず、萩荘のある「谷中」という地域についてご説明しなければなりません。
谷中は東京の東側、上野の少し北にある地域です。
江戸時代、上野には江戸の鬼門の方角を守るために置かれた寛永寺がありました。
この巨大な寺の子院が点在する地域として、谷中には今も多くの寺が残っています。
また、震災、戦災を逃れ多くの古い建物や路地が残る東京でも貴重な地域です。
大きな街道などはかたちを変えてしまった今でも、
江戸時代の地図にぴったり合うような路地が多くあるそうです。
商店街が未だに元気で、特に「谷中銀座商店街」には多くの小売店が残っており、
地元の人に愛されています。
また、東京藝術大学(以下芸大)や東京大学から近く、学生も多く住んでいます。

谷中とその周辺。

住み継いできた、約築60年の「萩荘」

萩荘は谷中銀座商店街から一本路地を入った静かな住宅地にあります。
1955年、物資も少なかった戦後まもない時期に竣工した、
木造2階建ての賃貸アパートです。
典型的な中廊下型の共同住宅で、各部屋が六畳の単位で構成され、
それぞれ四畳半の畳部屋と半畳ずつの玄関、収納、手洗いを持っていました。
当初は1階7部屋、2階も7部屋の計14部屋に分かれていたそうで、
そのころの鍵束は、今でも残っています。

芸大の建築科の学生連中がここに住み始めたのは2004年の春ごろで、
空き家として誰も住んでいない状態だったところを、
大家さんに交渉してお借りすることになったそうです。
私は2006年頃から合流しました。
家は人が住んでいないと、それだけで劣化が進みます。
日々のメンテナンスがなされないことや、
室内の湿度調整がされないことで内装から徐々に構造まで蝕まれます。
そんな状況よりはマシだろうということで、
学生連中に破格の家賃で貸していただけることになったわけです。

改修前の萩荘の外観。

私たちが使い始めた時、萩荘にはすでにいくつかのリフォームが施されていました。
学生たちが住み始めた2004年以降、床の仕上げや間仕切壁に手を入れ、
自分たちなりに改修を施して使っていました。
近くの芸大の学生を中心に5〜6名が多少の入れ替わりを経つつ住み継ぎました。
共用のアトリエ、食堂、座敷が一階に設けられ、
その他の部屋は各住人の個室として1階2部屋、2階に4部屋用意されました。

住人のひとり。

共用のアトリエ部分。

萩荘に実際に住んでいたのは5〜6名でしたが、
住んでいた連中のオープンな気質もあって、さまざまな人がここを訪れました。
なかには何日間も入り浸って住人然としている者もいましたし、
住人は基本的に鍵もかけず生活していたので、
帰ってくると誰かの知人の知人(つまり他人)が
宴会をしていたということもしょっちゅうでした。
実際、あまりに無防備すぎて空き巣が入ったことも何度かあったようでしたが、
誰も気づかず後で警察の方に教えられるといった始末でした。

個室はこんなかんじです。

2階廊下。

震災後に決まった、萩荘の解体

2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
東京谷中のこの地区も大きな揺れを感じ、
まち中も道端の塀がくずれたり屋根の瓦が落ちたりといった被害がありました。
萩荘自体は目立った損傷はありませんでしたが、
以前からの設備関係の老朽化が限界に達しており、
今後のことを案じた大家さんより、解体の方針を伝えられました。
解体の後は、しばらくは駐車場として使用するとのことでした。

我々入居者はほとんどが大学を卒業して働いていましたし、
僕は既に萩荘に7年も住んでいましたので、解体には納得していましたが、
みな何か最後に記念となることをしたいということは共通で思っていました。

ところで、こう考えたのには先だってきっかけがありました。
それは、萩荘解体計画のちょうど1年前、近所の銭湯が解体され、
分譲住宅になってしまったことでした。
近所のひとたちからも、また我々萩荘の住民からも愛されていた銭湯でしたので、
それが突然なくなってしまったことに私たちは非常にショックを受けました。
建物の突然死です。

こんな経験を経たことで、愛着をもった場所に対して、
きちんと別れを告げるセレモニーの必要性を感じるようになったのです。
そんなことを住人でいつもの行きつけの居酒屋で話しているうちに、
酒の席のノリで開催することになったのが「ハギエンナーレ」でした。

共用で使っていたダイニング。

建物をまるごと、展示空間に。

ハギエンナーレは、名前はふざけていますが、
内容としては真剣に大家さんに対して最後のお願いとして申し出たイベントでした。
2012年の2月までに全員退去するという約束でしたので、
その後の2月25日から3月18日にかけて、
入居者や萩荘に入り浸っていた芸大生たちによって、
萩荘全体を使って展示をするというものでした。
建物の解体を前提とした展示でしたので、
基本的に復旧を考えず建物そのものに手を入れるという方法としました。
つまりなんでもアリです。

来場者にとっては建物や空間自体を記憶する機会となり、
この瞬間ここでしか体験できないものとなると考えたからです。
総勢20名以上の作家によって、建物のあちこちに作品が存在する、
もしくは建物が作品化している光景を目にすることができました。
柱を彫刻したり、壁に崩壊寸前までビスを打ち続けたり、
逆に壁の傷や穴をすべてカラー粘土でふさいだり、
床を壊して吹き抜けにして鳥小屋に改修したり、2階廊下に土を撒いて植木を植えたり、
といった作品は、平凡な木造アパートに最期の一瞬の華やかさを与えているように見えました。

「土壁x萩荘のビス」平川祐生 xヒラカワアツシ/もともとの土壁に何千本ものビスを円形状に打ち込んでいる。ビスによって壁が崩壊しつつ保持されている。ビス頭への光の反射が美しい作品。

上2点「最後の住人」宮崎晃吉/2階床を解体し吹き抜けとした空間に金網を張ることで、数匹の文鳥のための大きな鳥小屋とした作品。住人の使用していた家具の上に鳥の痕跡が蓄積されていく。

ハギエンナーレがスタートすると、毎日交代で受付をし、わざわざ来てくれた方や、
たまたま通りすがった方と話をしながら、この場所のいきさつや思い出を聞くことで、
地域の方とのコミュニケーションのきっかけともなりました。

「仕上」酒井真樹/棚を取り付けるビス跡や、エアコンのダクト穴など、居住している間に残った部屋の穴にカラー粘土を詰めてフラットな状態に補修していくことで、かえって痕跡が浮かび上がる作品。

「わっかっか☆」間宮洋一/実際に住人が住んでいたピンクの部屋に、さらに装飾を加え、部屋に化粧を施すことで祝祭的な空間に仕立てた。

「窓x不完全な模様」平川祐生 xヒラカワアツシ/古いアパートによく見られるくもりガラス表面に樹脂を水平に硬化させることで、透明度が変化し、窓の中の窓のように隣の公園の風景を取り入れる作品。

「Why Not Hand Over a “Shelter” to Hermit Crabs?」AKI INOMATA/ヤドカリが自分の殻から作家の制作した樹脂製の殻に「引っ越し」をする映像が、さまざまな住人を受け入れてきた萩荘の存在を連想させる作品。

facebookやTwitterでの必死の告知や、
いくつかのweb上のメディアにとりあげていただいたこともあって、
ハギエンナーレには私たちの予想よりも多くの方が来訪し、
結果的には3週間の展示期間で、
約1500人もの人が訪れることとなりました。
最終日のクロージングパーティーにも、
会場に入りきれないほどの人に来ていただくことができ、
壊れゆく建物を弔うお葬式のような、またお祭りのような、
妙な高揚感とともに「ハギエンナーレ2012」は終わりました。

クロージングパーティーの様子。

自分たちでケータリングを準備。

しかしこれでは終わらなかったのです。
クロージングパーティーには大家さんも参加され、
一緒になって楽しんでくださっていました。

これが萩荘を再び甦らせるきっかけになるとは、
つゆとも思っていませんでした(ほんとはちょっとだけ思ってましたが)。
それでは、続きはまた次回。

information


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HAGISO

住所東京都台東区谷中3-10-25
カフェ営業時間:12:00〜21:00 (L.O. 20:30)
電話 03-5832-9808
http://hagiso.jp/