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本屋は、町の中心になれる可能性がある

町の本屋制作ノート
vol.006

posted:2014.9.29   from:広島県庄原市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  町の本屋を巡る現状は厳しい。いま、町に本屋をつくるとしたらどうなるのか――。
本づくりに携わるライターが、本をつくるように本屋をつくることを目指す、ささやかな試みの記録。

writer's profile

Masatsugu Kayahara

萱原正嗣

かやはら・まさつぐ●フリーライター。主に本づくりやインタビュー記事を手掛ける。1976年大阪に生まれ神奈川に育つも、東京的なるものに馴染めず京都で大学生活を送る。新卒で入社した通信企業を1年3か月で辞め、アメリカもコンピュータも好きではないのに、なぜかアメリカのコンピュータメーカーに転職。「会社員」たろうと7年近く頑張るも限界を感じ、 直後にリーマン・ショックが訪れるとも知らず2008年春に退社。路頭に迷いかけた末にライターとして歩み始め、幸運な出会いに恵まれ、今日までどうにか生き抜く。

credit

撮影:キッチンミノル

山間の小さな町の「複合店」

札幌の「くすみ書房」で町の本屋の窮状に打ちひしがれかけてからおよそ1か月、
今度は西へと向かった。目指すは広島県庄原市東城町にある「ウィー東城店」。
今回も、夏葉社の島田さんが主宰する
「町には本屋さんが必要なんです会議(町本会)」の取材が目的だった。

東城は、僕が本屋をつくろうとしている勝山(岡山県真庭市)と同じく山間の小さな町だ。
人口も、東城およそ8,700人、勝山およそ8,000人とほぼ同程度だ。環境が似通っている。
おおきなヒントをつかめるのではないかと、いつにも増して期待に胸を膨らませていた。

ウィー東城店の外観。店の向こうに山の稜線が見える。山間の小さな町の本屋に、休日ともなると200人近いお客さんが訪れる。

ウィー東城店は、本屋でありながら、
文具やCD、タバコや化粧品といった多様な商材を扱うのみならず、
店には美容室やエステを併設し、年賀状の宛名書きや印刷代行、印鑑の制作まで引き受ける。
本屋の生き残り戦略として、粗利の高い商材と組み合わせる「複合化」が叫ばれる昨今、
ウィー東城店は、その先端を行く本屋として注目を集めている。

店長を務める佐藤友則さんは、東城町からほど近い広島県神石郡神石高原町で生まれた。
奇しくも、島田さんや僕と同じ1976(昭和51)年生まれである。
実家は、創業1888(明治21)年以来、代々続く書店「総商さとう」を営んでいる。
そこは、屋号の「総商」が雄弁に物語るように、
創業当初から、書籍に加えて石鹸やロウソク、衣類や薪などの生活雑貨、
文具に化粧品、タバコを扱う「複合店」であった。
時代とともに扱う商品は変わっていったが、
佐藤さんは、生まれたときから「複合店」としての本屋を見て育ってきた。
なお、今は佐藤さんの父が同社の3代目の社長を務めており、
10月には、佐藤さんが晴れて4代目の社長に就任する予定だ。

ウィー東城店は、「総称さとう」の2店舗目として、1998年7月にオープンした。
佐藤さんの父が、佐藤さんに継がせるつもりで店を出したのだという。
高校生のころまでは「継がなくていい」と言われていた佐藤さんだが、
当人は子どものころから「継ぐつもり」だった。
その気持ちが父の心を動かしたのかもしれない。
売り場面積は110坪、40坪の本店とくらべて3倍近い規模の店だ。
ここも開店当初から、本だけでなく文具やCD、タバコや化粧品を扱っている。
ウィー東城店も佐藤さんも、「複合店」としてのDNAを、たしかに受け継いでいるのである。

店内の一画を占める文具とCDのコーナー。本屋でありながら、地域住民の生活をしっかりと支えている。

続いて、ウィー東城店と佐藤さんの取り組みを紹介する「図書新聞」の記事を参考に、
店と佐藤さんの歩みを簡単に振り返ってみたい。

危機を乗り越えた先に

オープン当初のウィー東城店は、社業を窮地に追い込むほどの赤字を垂れ流していた。
「総商さとう」でも本を扱ってはいたものの、
書籍の売上は、学校向けの教科書販売や配達が中心を占めていた。
店売りのノウハウがあったわけではない。
規模を大きくしたウィー東城店で、思うように本の売上が伸びなかった。

そのころ、佐藤さんは名古屋の本屋で修業をしていた。
ウィー東城店の店長に就任したのは、オープンして3年後の2001年7月のことだ。
経営が厳しいと聞いてはいたが、思っていた以上にボロボロだった。
数字以上に、地元民からも従業員からも、信頼を得られていなかったのが衝撃だった。
佐藤さんが戻ってきたのと入れ替わりで、4人いたスタッフはみな辞めていった。
すると、息子に継がせたいから従業員のクビを切ったと、
尾ひれがついて噂が町中を巡り、店の信用はさらに下がった。

着任した佐藤さんがまず目指したのは、地元住民の信頼を得ることだ。
それが、赤字脱却の第一歩につながると信じ、とにかく顧客の御用聞きに徹した。
在庫のない本を求められたら、他店を駆けずり回り、ときにはネット書店を探し回り、
考えられるあらゆる術を講じて本を仕入れた。
顧客に手数料を負担してもらうケースもあったが、
それまでいくつ書店を回っても、探している本を手に入れられずにいた顧客にとって、
多少の手数料は高いものではなかった。

そうこうするうち、次第に本以外の相談や要望も寄せられるようになった。
自動車の運転免許を取得したいというブラジル人の若者の勉強に付き合い、
自分史を本にしたいと相談してきた87歳のおばあちゃんの自費出版を手伝った。
気づけば、町には欠かせない「よろずや」として、地元から受け入れられるようになっていた。

2005年ごろには、経営が好転の兆しを見せ始める。
CDを除く全商材の売上が上向きはじめ、顧客からさまざまな要望を寄せられるようになる。
化粧品を買いに来た顧客からエステの依頼を受け、年賀状や名刺の印刷代行を頼まれた。
そうした声を拾い集め、2008年には印刷機を、2012年には印鑑制作機を導入する。
当初は外注していたこれらの業務を自社で引き受ければ、
それだけ粗利を見込めると判断しての設備投資だ。
2010年には美容室とエステを併設し、
美容師の資格を持つ佐藤さんの奥さんが、自ら接客して髪を切る。
こうした一連の策が功を奏し、店の財務状況は劇的に改善へと向かう。

本屋に併設された美容室。中はゆったりと広い。佐藤さんの奥さんが、ひとりひとり接客する。

思わぬ副産物もあった。新たに始めたサービスが本の売上を呼び込んだ。
美容室での一対一での接客を通じ『お灸のすすめ』(池田書店)という本が100冊以上売れた。
健康・美容という括りで、相性がよかったのだろう。

生まれながらの「複合店」で生まれ育ち、
就任当初から「複合店」の立て直しを任された佐藤さんは、
さらなる「複合化」に本屋の経営の活路を見出した。
その経験から、あらゆるものとつながりうる本と本屋の可能性を、
一段と強く認識するようになったのだ。

男だらけの6人の旅

今回の町本会は、少し変則的なかたちで行われた。
会場は、店からクルマで1時間ほど離れた福山市(広島県)のとある貸会議室だ。
その日は福山で「一箱古本市」が開かれていて、その関連イベントとして、町本会が催された。
会場に行くまでも、いつもと趣が違っていた。
これまで2度(小豆島と札幌)は現地集合だったのに対し、今回は島田さんからこう誘われた。
「大阪の高槻からクルマで行くんですけど、一緒にどうですか?」

高槻に着くと、島田さんのほかに4人の同行者がいた。
大阪の三島郡島本町、阪急・水無瀬駅前で「長谷川書店」を営む長谷川稔さん。
同じく大阪の茨木市にある「ハイパーブックスゴウダ」で書店員を務める森口俊則さん。
奈良の大和郡山市に今年2月に本屋「とほん」をオープンさせたばかり砂川昌広さん。
そして、夏葉社さんとご縁のあるカメラマンのキッチンミノルさん。
キッチンさんは、この記事の写真も撮影してくれた。

いい年をした男ばかりのドライブは、ちょっとした遠足気分だった。
島田さん以外はみな初対面だったけれど、
本に携わる仕事をしている親近感から、すぐに打ち解けることができた。
4時間近い道中で、本屋や本にまつわる話もしたけれど、ほとんど他愛もない話をしていた。
そのころ、島田さん初の単著『あしたから出版社』(晶文社)の制作が大詰めで、
タイトルがまだ決まっていないと島田さんが言う。
ああでもないこうでもないと意見を出し合う。
結局、僕らの案は採用されることはなかったのだけれど……。

福山に着き、ホテルでチェックインを済ませて会場へ向かうと、30人近い人が集まっている。
この日はもうひとり、ゲストが招かれていた。作家の碧野圭さんだ。
書店で働く人たちを描く小説『書店ガール 1~3』(PHP文庫)が人気を集めている。
まずは、登壇者による自己紹介。夏葉社と町本会、ウィー東城店、
『書店ガール』シリーズの紹介が終わると、話はいよいよ本題に入っていった。

左から佐藤さん、碧野さん、島田さん。佐藤さんと島田さんは、どことなく風貌が似ている。

「本屋は町の中心になれる可能性がある」

島田さんは佐藤さんと、今回旅をともにした長谷川書店でばったり出くわしたことがある。
帰りは同じ電車に乗り、そのとき佐藤さんが発した言葉が印象に残っているという。
「本屋は町の中心になれる可能性がある」
その真意を知りたいと、島田さんが佐藤さんに話を振った。

町から、八百屋や肉屋といった個人商店の「屋業」が消えている。
そういう現状で、本屋はどうやって生きるのか――。
こういう時代だからこそ、本屋は町から消え行く「屋業」の受け皿になれる。
それが、佐藤さんの見解だった。

本は、本というかたちのなかに、あらゆるジャンルの素材を含んでいる。
本は、そのなかに書かれたもの、編まれたものと軽やかにつながっていく。
美容室とすんなりつながったのもそのためだ。
だからこそ、本屋が町の中心になり、あらゆる業態の受け皿になる可能性を秘めている。
実際、他業種からも商材を扱ってほしいと、営業が訪ねてくることがしばしばあるのだという。

本屋についての自説を披露する佐藤さん。実践に裏打ちされているだけに、言葉に力がある。

もうひとつ、島田さんの印象に残っていた佐藤さんの言葉がある。
「本屋はお客さんから信頼されている商売だ」
その真意についても、島田さんは佐藤さんに尋ねた。

昨年10月、アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが亡くなられたとき、
全国で唯一、ウィー東城店でアンパンマンの原画の展示販売が開かれた。
佐藤さんの父が、やなせさんが亡くなられる前から企画を進めていたのだという。

展示販売を行うにあたり、ひとつ懸念されることがあった。
額装の制作が間に合わず、店頭でのものの引き渡しができなかった。
額装のでき上がりを待つと、引き渡しは数か月先になるが、
店頭での先払いをお願いしなければならなかった。
原画は、1点数万円から10万円単位のものもある。
いくつも買いたいという大ファンがいてもおかしくない。
それだけ高額の支払いを、現物との引き渡しではなく、先払いで納得してもらえるのか――。
支払い方法を巡ってトラブルが起きる可能性も十分に予想された。

蓋を開けてみれば、先払いに文句を言う人はひとりもいなかった。
それは、本屋という商売がほとんど無条件で信頼されているからだと佐藤さんは言う。
先人たちが積み上げてきてくれた信用のおかげである。
「本屋が町の中心になれる」のも、何とでも軽やかに結びつく本の力に加え、
本屋という業態が持つ信頼感が大きいと佐藤さんは力を込める。

コミュニケーションか棚づくりか

町の御用聞きに徹して経営の窮地を脱したウィー東城店は、
顧客との対面コミュニケーションに重きを置く。
一方で、本屋は本で勝負してこそ本屋だという見方もある。
本に対する深い知識を持ち、見る人を唸らせる棚をつくってこそ本のプロであるという見解だ。
町の本屋はどちらを目指すべきはなのか、という声が会場からあがった。

会の後半は、参加者全員が車座になって話をした。参加者からも活発な意見が出た。

それに対し、碧野さんが次のように意見を述べる。
とことん棚で勝負する店は、都会に多い。
それは、大型書店がひしめく都会で、個人店が生きていくには棚に特徴を出すしかないからだ。
だが、つくり込んだ棚は、店主の趣味趣向の産物ではない。
本に対する顧客のニーズを細かく広いあげた結果である。
ウィー東城店の「複合化」路線も、
顧客と向き合うという意味では、やっていることは変わらない。
「屋業」が消え行く地方の町では、顧客の声が都会とは違うだけのことではないか――。

その指摘を島田さんがフォローする。
棚をつくり込むことに力を入れている本屋は、
顧客との対面コミュニケーションに時間を割けないことを嘆いている。
その両輪で顧客に向き合うのが理想ではあるけれど、
なかなか両方に等しく時間を割くことができない。
そこにもどかしさを感じているのが現実だ――と。

佐藤さんがそれを受ける。
うちは逆の嘆きがある。コミュニケーションに力を入れるあまり、
棚をつくり込むところまで手が回らない。
コミュニケーションと棚づくりのバランスをとるのは難しい。
佐藤さんが、両者のバランスがとれていると感じたのは長谷川書店だという。

長谷川さんがそれに答える。
やりたいことは佐藤さんに近い。コミュニケーションには力を入れている。
ただ、それが必ずしも売上につながるとは限らないのがもどかしい。

コミュニケーションと棚づくり、そして経営のバランスをとることは、
本屋のみならず、あらゆる小売が抱える永遠の課題なのだろう。

会場からもさまざまな声が上がり、2時間の会はあっという間に終わる。
語り尽くせぬ思いは懇親会へと持ち越された。
それでも話は尽きない。名残惜しみつつ、懇親会もお開きとなった。

本屋というより、まるでワンダーランドのような

翌日は、一行でウィー東城店へ向かう。
福山から東城へのクルマでおよそ1時間の道中、佐藤さんにいろいろ話を聞いた。
「田舎には田舎特有のゆったりとしたリズムがある」という話が、何より印象深かった。
頻繁に棚をいじらない。でも、いつ来ても同じだと思われないようにちょっとずつ棚を変える。
場合によっては、お客さんから本を教えてもらうぐらいでちょうどいいのだそうだ。

名古屋で本屋修業をしていた佐藤さんは、そのリズムをつかむのに1年半の時間がかかった。
都会で売れている本が、東城でなぜ売れないかがわからない。
少しずつ少しずつ、田舎の時間の流れに馴染んでいった。

店に戻った佐藤さんは、水を得た魚のように、俄然いきいきと動き始めた。
子連れのお客さんが来ると、時間を惜しまず自慢の手品を披露する。
食い入るように見つめる子どもと、一緒になって遊んでいるようにさえ見える。
その記憶は、子ども心に強烈に刻まれるに違いない。
子どもの目には、本屋というよりもむしろ、
「あそこに行けば何かがある」と感じさせてくれるワンダーランドなのかもしれない。

レジカウンターは、佐藤さんの舞台だ。手品を繰り出す佐藤さんの手を、子どもが食い入るように見つめている。

取材を終えて……

今回の旅にはまだ続きがある。
大阪から道中をともにしてきた一行と佐藤さんと一緒に、勝山へ向かうことになっていた。
お目当ては、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)のタルマーリーさんだ。
本に関わる人たちにとって、気になる本であり、気になるパン屋であるのだ。
この本の制作に携わったひとりとして、ただただ嬉しい限りである。

道中、島田さんと長谷川さんと話し込んだ。
というか、ふたりの会話をほとんどじっと聞いていた。本屋の経営に関する話である。
ふたりの話に付いていけない。本屋についてあまりにも知らなさすぎる。
自覚していたことではあるけれど、自分の無知ぶりに、不勉強ぶりに、
そして、そんな状態で本屋を始めるなどと公言した無謀さに、とことん嫌気が差してきた。

勝山に着くと、沈んでいた気分が幾分か和らいだ。
島田さんが、佐藤さんが、道中をともにしたみなが、嬉しい言葉をかけてくれた。
「この町で本屋をやりたくなる気持ちが、ここに来てよくわかりました」
「この町なら、本屋の可能性があると思います」

もともと本屋の経験がない僕に、そもそも自信もへったくれもないのだけれど、
リップ・サービスかもしれない温かい言葉を耳にして、
前向きな気持ちを少しは取り戻すことができた。

僕は勝山に残り、一行を見送る。
物件のことをはじめ、町の人と相談したいことがいろいろあった。
みな本当に気持ちのいい人たちだった。別れが惜しい。
本がつないでくれた縁をしみじみありがたく思う。

次回は、少しずつ進めている開業準備について書いてみようと思う。
取材もあちこちさせていただいているけれど、現実も動いている。
今の時点で見えていることを整理しておきたいと思うのだ。

information


map

ウィー東城店

住所:広島県庄原市東城町川東1348-1
TEL:0847-72-1188
営業時間:10:00-21:00
定休日:元旦のみ

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