ビルススタジオ vol.07: 第6回リノベーションスクール @北九州レポート

ビルススタジオ vol.07
4日間で考える、まちの再生事業プラン。

一般社団法人リノベーションまちづくりセンターが運営している
リノベーションスクール」というイベントに招かれ、
3月20日〜23日に北九州市に行ってきました。
今回で第6回目となるこのスクール、丸4日に渡る合宿です。
コースも複数あり、参加者は、建築、行政関係者、学生などさまざま。
各コースごとにリノベーション課題が出され、
参加したメンバーがチームで事業を考えます。
ユニットマスター(以下、UM)はそのサポートをする、というのが基本姿勢です。
私は事業計画コースのUMとして初参加してきました。

まずは初日。私の入るユニットAは
もうひとりのUM、初対面の「木賃デベロップメント」の内山 章さんと
これまた初対面の8人のユニットメンバーで構成されていました。
年齢も属性もさまざま。もちろん年上のメンバーもいます。
計8つあるユニットにそれぞれ小倉市街などの空き物件がひとつあてがわれ、
事業計画コースでは、
「チームみんなで物件を舞台に事業をつくりだす」という課題が出されました。

まずはともあれ、現地調査。
会場から徒歩10分程度にある古くからの住宅街。
高層マンションがそびえる街区を入り込んでいくと、
なかなか味わい深い木造のひしめくエリアになってきました。
その中に佇む、築40年ほどのフロ無しアパートが当ユニットの案件です。
さて、ここの再生かぁ。

雨の中をユニットメンバーで移動。初めてのまちを見ながら話が弾みます。

オーナーさんに聞くと、8戸中6戸は入居中。
フロ無しなのに、この入居率はだいぶ優秀。
家賃は近所の相場からすると、激安。
そして隣に住むオーナーさんも特別困ってはいない。
なんだ、特段仕掛ける必要ないんじゃないか。

……と、窓から目の前の公園を眺めながらぼんやり考えていました。
んっ? ここ気持ちいいじゃん。
2階の低い窓辺に座り、公園で花いじりをしているおばあちゃんや親子連れや、
春には桜の木が広がる景色を眺める。
そんなことを想像しながら物件を後にしました。

2階窓からの眺め。花いっぱい、そしてタコ(スベリ台)。

ひとまず会場に帰り、ミーティング。
初日である今日は、「ここで何をするか」を決めなくてはなりません。
メンバーにて途中で見た近隣の様子、
オーナーさんへのヒアリング内容などを交換し、
何をするべきかを話し合います。
2時間後には進行具合を確認するためのショートプレゼンが待っているので。
そこでプロジェクトの指針が決まってしまいます。
時間制約のあるなかで「ああしたい」「こうしたい」と意見が飛び交い、
緊張感のあるブレインストーミングでなかなか見せどころがあった
……といいたいところでしたが、
初対面同志の遠慮からか、現状分析はできるもののアイデアはなかなか飛び交わない。
雨の日だったこともあり、
現地調査の印象が若干ネガティブだったのも影響していた感じでした。
ただ、なんとなくメンバーに共通していたのは、
物件はともかく目の前の公園は気持ちよさそうだ、ということ。
じゃあ、今日はそれをプレゼンにて伝えるまでにしよう。
で、打ち解けるために飲みに行こう。
そういえば皆の年齢も趣味も得意技もまだぜんぜんわからない。
その辺をUMとして理解しつつ、プレゼンに向けて作戦を立てていこう。

いや、なかなか大変な役を受けてしまったな……と思いましたが
楽しい時間だったのでよしとしました。

初日のミーティングの様子。UMは意見を待ちます……。

そして2日目は晴れわたる空のもと、エリア調査。
メンバーが手分けしてエリア内を歩き回り、空家空地を探してまわりました。
合間に、再度オーナーさんに。公園の縁側でヒアリング。
気持ちのいい日だったこともあり、多くのことを話してもらえました。
持ち帰り、ミーティング。
2日目のショートプレゼンは「そのプロジェトをどう進めるか」の段階になります。
昨日の飲み会、今日の調査(散歩)のおかげもあり、
今回は意見が飛び交いました。
しかし議論はあっちこっちに飛散……。
いまだに「何をやるか」の前段階の話でもちきりです。
でもどう聞いても、公園から離れては戻り、また離れて離れて、そして戻り。
うん、これ以上放っておくと、
このまま公園のまわりをぐるぐるぐるぐるまわり続けそうだ。
よし、今日はここで一気に案を集約して
明日からは最終プレゼンの作業に入りながら
細かいところを都度都度、具体的に決められればなんとかなるだろう。
ということでメンバーを残し、栃木から仲間も来ていることもあり、
フグを食べにいきました。

しかし、そこでの話でちと反省が。
この合宿に参加しているメンバーは皆受講料を払って何かを身につけに来ているのに
それぞれ本当に自分のやりたいと思うアイデアを出しているのか?
たぶん現状は違って、
きれいに進む方法が既にある案に流れていると感じました。

3日目、朝いちでそのことを個々に話してもらいました。
少々意見は分かれ、衝突もあったものの、各自のやりたいことや言いたいこと、
現時点で理解していることなどを共有できたと思います。
じゃああとはとにかく最終プレゼンに向けた作業。
並行してプレゼン自体の練習も行われます。
隣のユニットは1日以上前にそれを見据えて進めています。
当然、作業は最終日の朝まで続きました。
見回すと8ユニット全て、朝までやっています。

事業計画コースの全メンバーがここで作業を行っています。温度はユニットごとにさまざま。

最終日。いよいよ最終プレゼンです。
説明担当に晴れて選ばれたひとり、(株)ワークスープの古川弥生さんは緊張のせいで様子がおかしい。
今日はオーナーさんをキュンとさせなくてはいけないのに
このテンションは非常にまずい。
よし、酒買ってこい! と、発表1時間前(正午)に決意したところ、
早速コンビニに行きましたが、まさかの飲みながら走って帰ってくる始末。

しかし、見事プレゼンは成功。
会場を見ると、涙を流すメンバーもいました。
「一緒にやりましょう」と声を掛けてくださる地元の方も現れ、
ここからがスタートだという自覚も促されました。

最終プレゼンテーションの様子。アドバイザーだけでなく、物件のオーナーさんたちも聞きにきてくれています。

そして宇都宮への帰り道。
自分のユニットで出したプロジェクトがどうすれば動き出すのかを考えながら
この怒濤の4日間を振り返りました。
他のユニットも非常にいいアイデアで事業性にあふれた案を展開。
すぐにでも進められそうなプロジェクトも、
課題はあれどもまちが大きく動き出すことになりそうなプロジェクトもあり、
しかもそれらが4日間で生み出せてしまう。
なんか皆すごいな、と純粋に感動していました。

地元、外部を問わず、ひとつの場所や地域について
真剣に向き合い、議論し、「かたち」そして「お金」にすることを考える。
自分はというと、日常は目の前にある仕事に追われ、
なかなか新たにこういう時間を設けることができなくなってきている。
そして新たにそんな仲間に出会う機会も持てなくなってきている。

いかんな、という思いとともに
いや、自分が日常動いている仕事も、
それぞれひとつの場所をお客さんや関係者と一緒につくり上げる行為。
その積み重ねと伝播が自分の目の前にあるまちを間違いなく良い方向に変えている。
おこがましくもそんな確信も生まれました。
私の人生の今の段階にとって非常にタイムリーな体験をさせてもらえました。
なによりもプロジェクトの舞台となる物件のオーナーさんや行政、
そして地域の方々などへどうなるかもわからないのに協力をお願いし、
しかも全国のUMを集めてまわり、それを商店街のお祭りにまでしてしまう、
「北九州家守舎(やもりしゃ)」の皆さんに脱帽でした。

でも、一番は、小倉の食べものがおいしかったです。
それだけでまた行く理由になりますよね。

最終プレゼンテーション後の集合写真。解放感!!

information


map

ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

mother tool

デザイナー、職人の力を結集してつくるモビール

金属や木板、紙などの軽い素材を糸でつないで天井から吊るす。
心地よい浮遊感で、重力の絶妙なバランスで動く「モビール」は、
欧米では、「動く彫刻」とも呼ばれ、空間のアクセントとして親しまれている。
ベビーベッドの上でふわふわ浮いているモビールを
目にしたことがある人も多いかもしれない。

群馬県・邑楽町に工房を構えるプロダクトメーカー「mother tool」では、
デザイナーと金属加工を専門とした地元職人さんなどとともに
「tempo」というブランドを立ち上げ、モビールをつくっている。
旦那さまの室橋俊也さんと奥さまの中村実穂さんの夫妻が運営する。

しかし、つくると言っても、mother toolのふたりがする作業は、
デザイナーと工場をつなげて、各部品が来たら組み立てるのみ。
オーガナイザーは実穂さんの担当、組み立てるのは俊也さんの担当だ

tempoのモビールが組み立てられているmother toolの工房。旦那さまの俊也さん(左)と奥さまの実穂さん(右)。

もともと、邑楽町で育った実穂さんは東京の専門学校へ進学。
その後、親や親戚にせがまれ父が始めた組み立て製造業を継ぐため戻ってきた。
俊也さんも結婚後、それをサポート。
それにしても、聞き慣れない組み立て製造とはどんな仕事なのか。
「主にパチンコの台を組み立てる工場です。
プラスチックの各部品が送られてきて、
レーンごとに人の手作業で組み立てていく。
ほかに、車のサイドブレーキの持ち手部分に革をまく仕事もありましたね」
と、実穂さんが話していると俊也さんがパチンコの部品を持ってきてくれた。

これがここで組み立てられていたパチンコの台の一部。

「細かい部品をどう組み立てると一番効率がよいか。日々追われていました。
たくさん人を雇っていたときもありましたから、それを束ねるだけでも大変。
部品が送られてくるのが遅れてしまったのに、納品期日は迫っている。
家族で深夜まで作業したことも多々あります(苦笑)」と実穂さんは話す。

mother toolの洗練されたモビールからは想像がつかない話だ。

「パチンコ台って、3年後には必ず廃棄されてしまうものなんです。
納期を間に合わせるため、みんなで一丸となって組み立てても、
いずれ廃棄されてしまう。それが一番辛かったかもしれません。
どうモチベーションを保てばいいのかわからなかったですね」

mother toolの工房には細かいモビールを組み立てるための道具がそこかしこに。これもそのひとつ。

そこで俊也さんと実穂さんが考えたのは、自社でものづくりをすること。
下請けだけではない仕事を模索し始めた。
とは言え、自分たちが接してきたのはプラスチックの部品。
今から何をつくればいいのかわからない。
つまりは、ゼロからのものづくりだったのだ。

しかし、実穂さんは、その思いをとにかく行動に移した。
実穂さんの母校で教鞭をとっていた、
家具デザイナーの村澤一晃さんに相談したり、
地元で一緒にものづくりをしてくれる職人さんを探したり、
東京でプロダクトデザイナーに会ったり。
そんな小さいけれども力強い実穂さんの一歩が、少しずつかたちとなり、
第一弾としてアルミと木でできたステーショナリーを発売することができた。

この過程で実穂さんが知ったのは、
栃木県足利市(邑楽町の隣まち)は、
戦前に戦闘機をつくっていた中島飛行機が近くにあったことで、
アルミなどの金属加工の技術に長けた職人が多くいたこと。
それで、地元に根づいた彼らの技術を生かしたり、
さらには、ほかの産地素材や技術を組み合わせて、
ものづくりができないかと考えた。

そして、次につくることになったのが、モビールだった。
東京を拠点とするデザインユニット「ドリルデザイン」が
ディレクションの舵をとり、デザイナーが5名参加。
9種のデザインで、素材も木や金属などさまざま。
地元はもちろん、徳島なども含め、モビールの部品を加工したり、
塗装したり、このものづくりに関わる工房や工場は10社以上あるそう。

それらをすべて束ねるのが実穂さんの役目。
まず、それぞれデザインや模型があがってくると、
どのデザインがどの工場に適しているか、見極め、相談しにいってかたちを整えていった。

藤光が手がけたモビールの部品。パステルグリーンの塗装はまた別の工場へお願いしている。

足利市にある藤光(とうこう)製作所も、
モビールの部品をつくってくれている工場のひとつ。
なかでも、金属を曲げる技術が得意で、
普段は、バネ部材や特注の医療機器、自動車の部品などをつくっている。

藤光の齋藤さんとmother toolの実穂さん。

工場を訪ねると、藤光の専務、齋藤彰男さんが迎えてくれた。
「齋藤さんに相談すると、一緒に新しいアイデアを考えてくれる」
と実穂さんは、これまでに齋藤さんとともに、
線状になったアルミをうずまきや手のかたちに曲げて
木と組み合わせたステーショナリーをつくってきた。
そのアイデアは日々の暮らしからヒントを得ているだけだと、
齋藤さんは楽しそうに話してくれた。
「それに、中村(実穂)さんはやっぱりメーカーとして製造経験があるから、
こちらの状況を理解してくれる。それがすごく安心できるし、
いろいろと提案しやすいのかもしれませんね」(齋藤さん)

藤光製作所の工場。左奥で後ろ姿で作業するのは現役でつくり続けているという社長。

「何でもお願いするのではなくて、
どのデザインなら、職人さんの技術を生かせるかを考えます。
それをデザイナーさんたちにフィードバックすることも。
職人さんにチャレンジしてもらえることと、苦手なことを見極めて
お願いできるのは、これまでの経験から培ったことかもしれません」(実穂さん)

そして、各工場から部品があがってきたら、
組み立てるのは、俊也さんが担当する。

mother toolオリジナルデザインの木製のモビールは、部材もここで加工。

「各部品はテグスと呼ばれる丈夫な糸でつなぐんですが、
そのとき、モビールのどこに力が入るのかを確認するんです。
どこをどう抑えると組み立てやすいか。
それを考えるのが組み立て屋の仕事ですね。
もうその段取りはパチンコで鍛えられていますから(笑)
何度やっても同じ条件で作業をできるよう、装置は精密につくります」
と俊也さん。まるで図工室のような工房内には、
実験でも行われそうな組み立て用のツールがたくさん置かれていた。
種類によってはピンセットで組み立てていくというから
手が込んだ細やかなプロダクトであることが伝わってくる。

モビールを組み立てるためにつくった、組み立て装置。

そうやって2013年秋に発表したモビールのブランド「tempo」は、
少しずつ注文も増えてきて、いまは生産が間に合っていない状況なのだそう。
何もわからないところからはじめたものづくり。
気がつけば、これまでの経験が随分役にたっていた。
邑楽町や足利市というローカルを拠点としながらも、
地元はもちろん、日本各地のつくり手とデザイナーと協力しながら、
これまでにないものづくりが生まれつつある。

「モビールは、村澤さんと相談しているなかで、
たまたま思いついたものだったんです。
でも、実は組み立てが要のプロダクトなので、
より自分たちらしいものづくりができている気がします」と俊也さん。

「大切に使いたいと思って買ってくれる人がいて、
そのために丁寧につくってくれる職人がいる。
そして、妥当な価格、無理のないロットと納期。
私たちは、そんな当たり前の仕事がしたかっただけなんです。
長く使ってもらえるような真摯なものづくりを地元の職人さんたちと
長く続けていければいいなと思っています」と実穂さんも続ける。
デザインにこだわり、地域で育まれてきた技術と人を生かす。
そんなmother toolのものづくりには、
まだまだいろいろな可能性がたくさん眠っていると思わずにはいられない。

profile

mother tool

2006年からスタート。つくり手とつかい手の間にたち、両者の思いをかけ算するプロダクトメーカー。工場へ直接足を運び、現場のなかででデザインしてくれる心強いパートナーたちとともに、道具の可能性を広げている。
http://www.mothertool.com/
tempo
http://www.t-e-m-p-o.com/

information

別冊コロカルでは、mother toolの道具に触れられる場オープンした足利市のお店を訪ねました。
くわしくはこちらから

十日町「根茂織物」の伝統とデジタルの融合

ニッポンの服飾職人たちに出会う旅へ

日本の各地には、高い服飾技術を持った職人がたくさんいるのですが、
分業体制のなか彼らの技術がなかなか生かされにくいのが
アパレル業界の現状です。
日本の服づくりはもっと面白くなる。
そう感じた僕が始めたのは、各地の服飾職人とデザイナーを結ぶこと。
日本の各産地に点在している
糸紡ぎ、機織り、染色加工などのさまざまな工房や工場を訪れ、
彼らのつくる素材を預かり、デザイナーに紹介する。
これまで、どこを訪れても、感動と発見の連続でした。
今は東京の月島で、築90年になる古民家を借り、
東京と産地を結ぶ場として「セコリ荘」も運営しながら、
平日に産地を訪れています。

セコリ荘は「コミュニティスペース兼ショールーム」です。

実際にものづくりの現場を見てみたいという知り合いのデザイナーや
学生をつながりのある工場にお連れすることもしばしば。
奥田染工場の奥田博伸さん、JUBILEEのデザイナー清水谷泰伸さん、
Masashi KONDOのデザイナー近藤正嗣さん、phro-floのデザイナー吉田留利子さん、
シャツブランドの廣瀬勇士さんは、産地訪問でお馴染みの顔ぶれです。

静岡の遠州産地を訪れたときの集合写真です。

今回の十日町訪問も、プチ産地ツアーとなりました。
参加したのは、デザイナーや服飾の専門学生など。
ちなみに、奥田さんたちとこれまでにも、
丹後ちりめんで有名な京都の丹後産地、高級綿織物で有名な静岡の遠州産地、
多品種素材を生産する山梨の富士吉田産地など、生地の産地を訪れています。

新潟県十日町市は「雪ときもののまち」と言われ、
1年の半分ほど雪が土地を覆うため、
きものづくりの礎となる糸紡ぎや機織りの技術が発達しました。
現在も全国有数のきものの総合産地として
数多くの織物と染織の工場があります。
2月初旬。みんなで車に乗り込み早朝の東京を出発し、豪雪の十日町市へ。
昼食をとった小島屋総本店の駐車場にあった、凍り付いた水車が印象的でした。

この日の外の気温は日中でも零度を下回っています。

そして、根茂織物の工場へ。
十日町に多い織物工場は、後染め用の無地のきもの地を織っています。
創業1938年の根茂織物も、そんな十日町産地を象徴するような
きもの製造の長い歴史を持ちつつ、
2005年にはハイテクインクジェット機を導入して、
和装だけでなく、洋装の染色にも力をいれています。

根茂織物の伝統的な和柄を見せていただきました。

企画の佐藤拓也さんに工場の案内をしていただきました。
佐藤さんはインクジェット機を使用した柄の企画や、
2013年に立ち上げた自社ブランドのデザインも担当しています。
伝統的な型染めをする職人さんと一緒に、
東京で服飾を学んできた佐藤さんのような若い技術者が一緒に働いていることは、
ものづくりの可能性が広がる理想のかたちだと思います。

最初に見せていただいたのは、昔ながらの型染め。
生地を染色室の端から端まで張り、引き染めされます。
長い生地を刷毛で染めていくので、
着物一反分を均一にムラ無く染めるのは職人技です。

昔から変わらない、型染めに使う刷毛です。

こちらは、和柄の型染めをする捺染台。反物にリピートを出すためにこんなに長くなっています!

一方、こちらは、導入されたハイテクインクジェット機です。
蓄積してきたデザインや伝統的な版もデータ化して、
プリントすることができます。

インクジェット機。

この機械では、和柄から洋柄までさまざまな柄が染められています。
ちなみにセコリ荘ののれんもこの機械で染めていただきました。
データを渡してから届くまで期間は、1週間ほどだったので驚きの早さです。
使用している反応染料は綿・麻・シルク・ウールなど
天然繊維に主に使用されていて、色落ちが少なく、彩度が高いのが特徴です。

インクジェットと聞くとプリンターを想像して
容易に柄が出力されるイメージがあるかもしれませんが、
生地を染めているので、前処理、データ設定、洗いまで、
さまざまな工程を経て仕上がります。
それも繊維から染色まで熟知しているからこそ、
このクオリティが出せるのです。
長年培ってきた染色加工の技術とノウハウが、
インクジェット機での染色においても発揮されています。

この日一緒に工場を訪問した文化服装学院の今福華凜さんは
卒業後、つくり手としての道を考えているようです。
彼女からはこんな感想が出てきました。
「産地の工場に伺ってみて、身のまわりにある服の背景を見る意識が
より鮮明になりました。今後は、産地の方を含め、
関わった人が見えてくるようなものづくりをしていきたいです」

引き初めをする染色室では、手元を照らす為に蛍光灯が低いのが特徴。「刷毛を色ごとに分けて使用する」など、佐藤さんは丁寧に説明をしてくれました。

最近、世の中に温度や匂いを感じないモノが多いなと思います。
やはりものづくりの魅力は現場にあります。
現場とは「工場」だけを指すのではなく各「地域」を訪れると、
地域ごとに染み付いた香りをしみじみと体感できます。
そして地域ごとに、さまざまな分野に特化した職人さんがいて、
色とりどりのものづくりが存在します。

職人さんが糸を織り、染めて、加工をして洋服となる生地をつくります。
昔から変わらないこの光景と、
現場に流れるものづくりの魅力を少しでも多くの方に伝えていけるように、
産地訪問を続けていければなと思います。

次は、毛織物の産地として有名な愛知県一宮市の工場訪問を予定しています。

NO ARCHITECTS vol.6: 小さな編集作業がまちをつくる

NO ARCHITECTS vol.6
まちにとってかけがえのないスペースに。

僕らが活動の拠点としているのは、大阪市此花区は梅香という地域。
いまでも、昭和の下町情緒あふれる商店や路地などのまち並みが残っています。
かつては臨海工業地帯やそこで働く工員さんたちの住居や町工場が軒を連ね、
まちは賑わっていましたが、
高度成長期を経て、産業構造の転換や少子高齢化が進み、
現在は、空き家や空き地が目立つように。

しかしここ数年、アトリエやギャラリー、カフェやショップ、
住居や事務所など、空き家や工場跡などを活用し、
アーティストや音楽家、写真家・デザイナー・建築家・詩人・料理人など、
創造的な活動を志す若者が集まるエリアとして注目を集めつつあります。

交通の便もよく、最寄りの西九条駅は、
JR環状線に乗ると大阪駅まで3駅、阪神なんば線だとなんば駅まで4駅です。
あと、JRゆめ咲き線に乗ると「USJ」まで2駅です。

まちじゅうに個性的な家前植物が、道にはみだすようにたくさん並んでいて、季節ごとに彩りをみせています。

僕らは此花区の出身ではないけれど、
いまはこのまちが好きで、住むところも事務所もこのはなに構えています。
そもそも僕がこの場所を初めて訪れたのは、
2009年の「見っけ!このはな」というイベントでした。
その後も、此花メヂアという共同アトリエで毎月開催されていた
「メヂアの日」という寄合いイベントに参加させてもらう中で、
そこに集まる人の魅力に惹かれていきました。

此花メヂア。連なった5棟の建物が増改築を繰り返し、複雑に入り組んだ元メリヤス工場を改装し共同アトリエとして利用されました。耐震性などの問題で、今年2月に惜しまれつつも解体されてしまいました。(写真提供:此花アーツファーム)

2011年1月、まずは事務所を構えることに(vol.5参照)。
これがこのまちでの初めての仕事かもしれません。
空間自体は、使われ方に応じて間取りを変えられるように、
壁を建てずに高さの違う本棚をつくって間地切りをしています。
ここから、このはなに住む人と少しずつつながりを深めていきます。
まだまだ、事務所をシェアしてくださる方募集中です。

NO ARCHITECTS の事務所スペース。最近、ファイルBOXと模型を収納するための棚を窓枠の上につくりました。

2011年の夏頃には、元たばこ屋さんだった木造家屋をリノベーション。
モトタバコヤと呼ばれるスペースです(vol.4参照)。
どういう場所にすべきかなど、使い方やプログラムから一緒に考えました。
人のつながりが感じられるこのまちでは、
昔から今まで流れてきた時間や培われた人の生活の痕跡を、
まちの風景として捉え尊重する。
その上で、新しいものや新しい人の流れをデザインすることが、
とても大事なポイントだと思っています。
モトタバコヤでは、現在、管理人のPOS大川さんを中心に、
イベントの企画や、地域との連携を積極的に行っています。

モトタバコヤ。シェアショップに店を出す色彩研究所のあおみかんさんがつくった、モトタバコヤマンというキャラクターの立て看板が目印になりつつあります。

事務所をこのはなに移し、モトタバコヤの現場を経て、
このはなの日常の風景に、魅力を感じていきました。
そして、僕らはついに住まいもこのまちに移すことにしました。
立地が大きな丁字路に面していることから「大辻の家」と呼んでいます(vol.1参照)。

気に入ったとは言え、少し手入れが必要な物件でした。
もとの状態をポジティブに読み取って最大限利用し、
最小限の手入れで豊かさを手に入れること。
最初から完成形を求めずに、実際に住んで生活するなかで必要性を感じたら、
少しずつ、つくっていくこと。
そんなことを考えながら、いまでもリノベーション継続中です。

大辻の家。2階のリビングルームです。そろそろベランダから梅香東公園の満開の桜と提灯が見えるはず。

そして、このまちの人からもリノベーションを相談されるようになりました。
vol.2で紹介した「OTONARI」、vol.3で紹介した「the three konohana」。

OTONARIは、まちの案内所兼寄合のスペースです。
新しく生まれつつあるコミュニティと、
もともと地域に根付いたコミュニティとをつなぐための共有スペース。
個人的な利益だけではなく、
このまちにとってどこになにが必要かを考えられています。

OTONARI。辺口さんがまちの案内をしてくれます。日々おいしいお店の情報が更新されています。現在、場を維持していくための方法を模索中とのことです。

the three konohanaは、現代美術のギャラリースペースです。
既存の奥の和室や建物正面のすりガラスなどを生かすことで、
まちの雰囲気や地域性を含んだホワイトキューブを提案しています。
ちなみに、今秋に開催予定のNO ARCHITECTS展は、9/5〜10/19です。

the three konohana。Konohana’s Eye #1 伊吹拓展「“ただなか”にいること」2013年3月15日~5月5日(撮影:長谷川朋也)

リノベについて考えていること

リノベーションは、壁を白く塗ったり、床をフローリングに変えたり、
わかりやすい見た目の操作だけではなくて、
その場所の特性を読み取り、
最大限生かしながら価値を高めることだと思っています。
なんでもかんでも手を加えないといけないわけではありません。
何もしなくてもいい場合もあります。
照明計画だけでもいいかもしれないし、
掃除するだけでも、その場所の価値が高まり、
まちにとってかけがえのないスペースに変貌するかもしれないのです。

僕らの仕事も、ひとつひとつの物件に対する施しは
それほど大きくはないですが、小さな編集作業を重ねていくことで、
まち全体の雰囲気をつくっていけると考えています。
そのためには、事務所でパソコンに向かってばかりではなく、
ネコのようにまちを駆け回って、
ときには鳥のようにまちを見渡したりしながら、日々活動しています。

地元で営まれている素敵なお店もたくさんあります。ぜひ、ニュー下町ガイドマップを片手に散策してみてください。このマップはこのはなの日実行委員を中心に制作されました。イラストとデザインは、モトタバコヤの古本コタツムリ店長の中島彩さん。

これまで僕らが関わらせてもらった5件のスペースはすべて、
歩いて5分以内のところにあります。
小さなエリアに近い距離感で存在はしますが、
ひとつのコンセプトや方向性を持って活動しているわけではありません。

それぞれが独自のスタイルで日々運営されています。
ただ、年一回のまちなかイベントや、
近況を話し合う寄合いを月一回開催したりするなかで、
ゆるやかなコミュニティとなっているのを感じます。
そのコミュニティがより豊かに密に広がっていくような、
空間づくりのお手伝いが、今後も続けていければ幸いです。

今は、僕らが住む家の裏にあるアパートの一室を、
デザイナーの黒瀬空見さん(ツクリバナシ)の服づくりのアトリエ兼、
シェフでパティシエの遠藤倫数さん(Café the End.)のオープンキッチンに、
リノベーションが進んでいます。
また追って報告します。

もともと建築の勉強していた遠藤シェフ自ら解体作業を。あっと言う間にスケルトンに。乞うご期待。

information


map

NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

山ノ家 vol.6: カフェオープンの興奮 関わってくれた皆が 誇りと思える場所に

山ノ家 vol.6
地元民もスタッフも共有、完成間近の高揚感

8月初旬、工事中に敢行することになったライブイベントも無事終わり〈vol.5参照〉、
その余韻を引きずる間もなくカフェオープンのための工事を翌日から再開した。
追い込みということもあって運営立上げチームと工事作業チーム、
そしてインターンスタッフがもっとも数多く集まるシフトとなっている。
朝、合宿のように今後の段取りなどをミーティング。
みんなの顔色に、少し疲労が見え隠れしているよう。しかし、目つきは真剣だ。
これからでき上がるこの場をともにつくり上げていることに対して
どこか静かな充実に満ちているようにも見えた。
自分も既に、慣れない環境での連日の日程のなかで
肉体的にはボロボロだったのだが、
実際はそれを忘れるくらいにやるべきことを遂行することに夢中でもあった。

みんなで天井を塗る。最後の仕上げ。地味に腕が辛い作業。

1階土間の天井が塗り上がると、見違えるような空間になっていた。
元の使われない、空き家の雰囲気はもうそこにはなかった。
しかし、まだまだ終わらない。
特に厨房のほうは土間のコンクリートが打たれてはいるが中は空っぽだ。

厨房のコンクリートは、ライブイベントの4日前に打たれたばかりだった。

設備業者さんなども「これ本当に10日にオープンさせるのか?」と半信半疑。
しかし、僕らは何の疑う余地も無いような感じで言い切る。
「もちろんです、本当にオープンさせますよ!」
これが実はとても大事で、
こちらが戸惑っているような態度を見せれば相手も戸惑ってしまう。
そうすると、「終わらないかも」という気持ちが芽生え、
それがひとり歩きをしてしまう。
現場の空気というのは生き物のようで、
そこに立ち会う人たちの気持ちの流れが場の空気をつくりだしていく。
かなりタイトなスケジュールの中、
「間に合うのか?」という心配が無いと言えばウソになるが、
「楽しもう」という思いでやっているみんなの気持ちが伝わってくる。
本当にギリギリではあるのだが、逆に不思議と高揚感がある。
やはり、新しい場所が生まれる瞬間は嬉しいのだ。

おそらく、この通り沿いで新たな店舗ができるというのは
相当久しぶりのことには違いない。

そして、いよいよカフェの要のひとつともいえる厨房機器が到着。
オープンへのラストスパートだ。
機器は重く、設備業者さんだけでは搬入に人手が足りず、
現場の男子全員総出で手伝う。
緊張感がありながらもなんだか皆のテンションが上がっている。

厨房機器の搬入。皆総出で運び出しに立ち会っている様子が楽しげ。

複雑なパズルの最終ピースを繋ぎ合わせる様に、厨房機器が設置されていく。
設計上では見えてこない現場での細かい問題解決や対応が必要となる。

工務店さんの監督ではないがちょくちょく顔を出して面倒を見てくれた、近隣の大工頭領、市川さん(手前)。土間のクリーニングを手配してくれた。

イス・テーブルが置かれ、備品や食器が次々と現場に運ばれてくる。
宅急便のトラックが何度も目の前にとまり、その度に何かが搬入される。
いよいよ、ここがカフェになるのだという感慨が増してくる。
お客さんに引き渡す通常の仕事であれば、
この辺りから使う人に手渡すことを想像して寂しさもよぎってくるのだが、
ここはそうではなく、これからも僕らが使っていく場所になるのだという
別の感慨がこみ上がってくる。ここから、新たな風景、時間が始まってゆく。
関わってくれた人々が、
誇りに思える様な素敵な場所として続けていきたいという思いを新たにする。

ついに厨房が完成! そして……インターンのジュンくんは何をしているの? 実はこの日、彼がみんなに賄いをつくると腕を振るったのだった。

カフェオープンに向けて地元の方々を中心とした
お披露目会を開くことになっており、その準備も進んでいた。
若井さんもかなり張り切っていて、
この山ノ家のオープンを飾るべく「十日町の市長を呼ぶ」と勢いづいていた。
また、「隣組」という、向こう三軒両隣といった
近所の「班」のようなくくりがあって、
その人たちを呼ぶのがいいだろうというアドバイス。
お世話になっている工務店さんの代表にも来てもらったり、
この時点で知り合っていた近隣の方たちにも声をかけてもらった。
運営チームで考えたメニューを
このお披露目に合わせてアレンジした食事とともに、
地元で食育の仕事などをされているおかあさんを若井さんが紹介してくれたので、
相談をして郷土の食材による料理も出すことに決まった。
初めての試みのわりに、このコンビネーションはとてもバランスが良いと思った。
現場の工事を横目に、運営のための準備・段取りも追い込みで進んでいた。
そして、ついにカフェオープンの日を迎えたお披露目会。

オープニングのために考えた特別メニューを準備をしている。

鏡開き。地元のお酒「松乃井」の樽酒を、プロセスに関わった皆で、小槌をもって。

そして、仙台に活動拠点を移していた佐野さんもこの日は合流。
久しぶりに会えてとても嬉しかった。

地元の方たちはかなりのお酒を飲むと想定していたが、
それでも樽酒の量はさすがにしっかりと多く、
皆充分すぎるほどに呑んで酔っぱらっていた。
そのちからも手伝って、とても良い雰囲気で歓喜に包まれた夜となった。

カフェに、お客さんが来ない!?

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催期間中に
なんとかカフェのオープンをすることができた。
直後から、我々の知人などが芸術祭と絡めてたくさんカフェに立ち寄ってくれたのは
とてもありがたく、嬉しかったのだが、それ以外の来訪者が思ったよりも来ない。
この山ノ家のあるほくほく通りには、実は作品がそれほどなく、
ガイドブックを頼りに来る人たちには、この通り自体に対する情報も少ない。
思った以上に通りがかる人も多くはなく、たまに目の前を、
おそらく芸術祭を観光で廻っていると思われる車が通過しながら
少し減速して「何だろう?」という感じで見ていく程度。
それもそのはず、何度か記述しているように、
ひょんなきっかけで始まったこの山ノ家プロジェクトは、
大地の芸術祭のオフィシャルな情報にアクセスするすべも、
そのタイミングもほとんどなく、ましてや会期の中途半端な時期にオープンしていたので、
観光で訪れる人々には全くと言っていいほど知られていなかった。
若井さんを通じて、十日町の駅やまつだい駅の観光案内所に
チラシを置いてもらったりしていたが、それでもまだ認知には時間がかかるのだろう。

山ノ家から歩いて5分ほどのほくほく線まつだい駅周辺一帯には、
代表作も含め芸術祭の作品がたくさんあり、このエリアの主要施設である
「まつだい雪国農耕文化村センター『農舞台』」もある。
この辺りに人は集中していたのだろう、
たぶん。
というのも、大地の芸術祭には合わせておくべき、
とオープンさせることで手一杯だったので、
気づけばほとんど現場としてのこの通りのみ出入りしていたので、
駅周辺がどんな状況なのか全く確認できていなかったのだ。
あとで聞いた話によると、「農舞台」にある「里山食堂」で
1時間以上待つという混み具合だったらしい。

そこで、メニューに地図をいれたチラシをつくり、
お昼の前にまつだい駅周辺で手渡していこうということになった。
普段の生活の中で、まちで見かけるチラシ配りにほとんど関心を持たなかった
(あまりポジティブには思っていなかった)のだが、
やはりこういう地道な方法は時には必要だと身をもって実感した。
効果はてきめんで、
チラシを片手にやってくるランチ目的のお客さんがどんどん来てくれる。
これはあとで聞いた話だが、駅周辺はどこもお昼時はいっぱいで入れず、
ランチ難民がたくさんいたようだった。
そういう人にぜひ来てほしかった。

お披露目会の翌日のカフェ。知人が立ち寄ってくれたり、ふらっと発見してくれて入ってくれたり。とても嬉しい。

営業が終わった夜の風景だが、奥を見るとビニールシートで仮囲いしているのがわかる。最初はこの状態でカフェをやっていたのだ。お客さんには「2階がまだ工事中で、作業の音などでご迷惑をお掛けします」と伝えるようにしていた。

カフェの営業中も2階では作業が続いている。ドミトリーのフローリング床に色を付ける作業中。

2階、ドミトリーの廊下部分。1階とはまるで別の場所のようだ。

さて、まだ工事は続いている。
2階のドミトリー部分だ。
カフェが開業したことはとても喜ばしいが、
まだスタッフやインターンのみんなは、
近隣の仮り宿での合宿のような状態は続いていた。
山ノ家で寝泊まりしたり、シャワーを浴びたりできるようになっていれば、
こんなに楽なことは無いのに。
がんばってくれているスタッフやインターンの人たちにも
もう少し快適な環境で作業してもらえたら……。
その何でもないはずの快適さには、まだまだ長い道のり。
複雑な気持ちを抱えた状態はまだ続いていた。

つづく

MAD City vol.6: オフィスビルを住まいにDIY、 手に入れたのは居心地のよい空間

MAD City vol.6
快適な住まいから人の輪を広げる

今回はMAD Cityの座敷童子こと、小川綾子のお話をしたいと思います。
私たちは普段、「おが」と呼んでいます。

おがです。

おがは建築・内装の仕事を軸足に日々活動的に過ごしています。
なぜ座敷童子なのかというと、おがは、出没率が高いからです。
誰よりもMAD Cityで開催されるイベントに遊びに来てくれて、
とくに何もない普段のときでも気付くとMAD Cityにいる。
お昼を外で食べてオフィスに戻ってくると私の席におがが座っている。
ふと気付いたらちんまりとそこにいる存在感。
私たちも知らないところで、MAD City関係者から声をかけられて仕事をしていたり、
もう全員友だちみたいな顔の広さ。
とにかくエネルギッシュでパワフルで、ひとつの目的に向かって一直線。
なんというか、おがのことを一言で形容しようとしたとき
「座敷童子」という言葉しか思い付かなかったんですよね。

2013年の春に開催した、おがの切り絵個展の様子。

そんなおが、内装補修の仕事をしていた経験があり、二級建築士の資格も持っています。
つまり建物やリノベーションのことに関してはプロだと言っていいでしょう。
実際MAD Cityの入居者でおがに改装を手伝ってもらったり
アドバイスを受けたりした人もたくさんいます。
そう聞くと、おがの自宅だってさぞかしバリバリとリノベーションしているんだろうな……
とお思いかもしれませんが、 実はそうでもなかったんです。

私たちがおがに初めて会ったのは2年半くらい前。
彼女がそのころ住んでいた木造アパートは改装を自由にすることができない物件でした。
MAD City不動産が改装可能な物件をいろいろ紹介していくなかで、
おがもちょこちょこと改装可能物件に引っ越したいなあ、と口にしていました。
何回か物件の見学にも来てくれたのですが、それでもおがは引っ越しをしなかったんです。

どうしてか。それは単純に条件に見合う物件がなかったからだそうです。
広すぎず、狭すぎず、南向きで明るくて、水回りが古すぎないところ。
「物件自体は古くてもかまわないけれどこの条件だけは譲れない!」
と、物件探しをしていると、案外いいところが見つからなかったのです。

そんなおがが今の部屋に出会ったのは去年の夏のこと。
見学に来たおががひと言、「嫌なところがひとつもない!」と。
そのまま申し込んでくれ、改装が始まりました。

嫌なところがひとつもなかったお部屋がこちら。

もとはオフィス仕様だったこのお部屋。生活できる設備は揃っているものの、
エアコンをつけてみたらむせかえるほどのたばこ臭、壁もヤニで黄ばんでいるし、
床材も張り替えたいし……

写真に写っているロッカーや机はおがの入居前に撤去しました。

嫌なところがひとつもないと言ったって、新居はエレベーターなしの5階建て最上階。
毎日退勤した後階段にもめげず資材を運び込み、夜中まで改装していたというおが。
2年越しの「改装したい!」を詰めこんだ結果を見ていただきましょう。

ロッカーがあった場所にはもともと窓がありました。

2013年の9月に引っ越してきてから約5か月、お部屋はこんな風に生まれ変わりました。

キッチンには木目調のシートを貼り、小さなキッチンカウンターを設置。

床は総無垢材で張りました。より明るい印象を受けるのはたぶんそのせい。

地元の方から古い建具をもらってきて自分で取り付けました。よく見ると切り絵模様が。

この部屋、実は両脇が道路になっている、いわゆるペンシルビルなのです。
5階はひと部屋のみ、つまりおがしか住んでいません。
両側が壁なのでとにかく窓が多い。窓は多いけれどもビルの5階、
もちろん外から覗くことなんてできませんからセキュリティ面でも安心です。

玄関前は床材に切り替えを入れてタイルを貼りました。これももちろん自分で。

みんなが来てくれるような空間にしようと思ったというおが。

これはおがの家で行われた「編み部」の活動風景。少人数で集まるのにいい感じです。

MAD Cityプロジェクトに関わっていくうちに、
「自分の居場所が自宅だけでなくていろいろなところにあるといいし、
同じように自分の家もほかの誰かの居場所になればいい」
と思うようになったそうです。

MAD Cityで出会った仲間を手伝って房総で小屋づくりを実施中(建てるのはこれから)。これも居場所をつくる取り組みのひとつ。

「いつかはこの部屋も出て行くことになるから、
そのときに次の人に喜んでもらえるように。
それまでの間も、来た人が居心地がいいなと思ってくれて、
自分の家を改装するときのヒントやアイデアを見つけられる
モデルルームみたいになるように」とおがは言っていました。

この照明も手づくりです。お客様が来ると灯すそう。

切り絵に並ぶおがの十八番、消しゴムはんこでつくったコースターでおもてなし。

収納が少ないので棚もいくつか取り付けました。トイレの中もかわいらしくなっています。

場所をつくる。そしてその場所が人の輪をつないで、
単なる場所ではなくて居場所になっていくっていうのは素敵なやり方だと思いました。
これからもいろんな場所に居場所をつくっていって、
そこで座敷童子の名に恥じず、人の輪の真ん中にいてほしいなと思っています。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.06: 大谷石の倉庫群にオープンした ニュースポット 「porus(ポーラス)」

ビルススタジオ vol.06
大谷石の無骨な空間に惹かれ、始まったこと。

ある日、「分譲地開発断られたから、あとはよろしく〜」
と住宅メーカーに勤める知人から連絡が入りました。
なんという無茶ぶりだ、と憤りつつ、
ひとまず現場へ向かいました。
場所は宇都宮市街地からちょいと外れた下川俣町というエリア。
住宅や田畑が入り混じる、ちょっとした郊外。
こんなトコにあるのはせいぜい昭和終盤の無味乾燥な量産型風景だろうなぁ……と
車からロードサイドを眺めながら、あまり期待はしていませんでした。

すると、なんと、そこには、
宇都宮市名産の大谷石でできた倉庫たちが3棟。
正確には鉄骨造で大谷石は壁材として積み上げられた建物ですが、
ひとつの敷地をL字に囲むように配置され、3棟3様の佇まい。
その面白さに静かに小躍りし、喜びを隠せませんでした。

見上げると、無骨な鉄骨トラス梁、木組みの屋根下地、そして大谷石。

こりゃいい。
3棟にはそれぞれふたつずつシャッターがついていて、
それぞれ分ければ6戸のお店が入りそう。
入口には大きな庇(ひさし)が飛び出ているので、
店舗のエントランスからはぞれぞれの風情を見せることもできそう。
この敷地がひとつのショッピング街のようにできるんじゃないか。

既存全景。ちょっと古めの倉庫街。もちろん人の気配がありません。

しかし、そもそもここはただの倉庫。
お店をやるのに不可欠な給排水の配管が通っていない。
そこを入居者さんに負担してもらうのはハードルが高すぎる……。
ということでその場でざっとプランを描き、見積もりを出し、大家さんを説得。
「あ、いいんすか」
不思議とすんなり受入れていただけました。

それなら、出店募集をかけるしかありません。
無限大倉庫」と銘打ち、募集開始。
無限大と名付けましたが、今なにもない状態ってコト。
倉庫をお店にするには給排水だけでなく、
造作や電気、エアコン、さらには出入口のドアさえなく、
すべてを入居者さん負担でつくり上げなくてはいけません。
伸びシロは無限大とは言え、
そんなハードルの高い物件に人は来てくれるのかという心配はありましたが、
とりあえず情報を出してみないとわからない。
そもそも不安よりも、“この敷地の雰囲気が好き”という思いを共有し、
入居してくれる方々がどのような人なのか。
さらにその方々がどんなご近所関係を築いていくのだろう、
という好奇心のほうが先に立ちました。

公開直後、なんと、最初の入居者さんが決定してしまいました。

美容室の開業をしたいと、当社に物件相談に来られた高橋さん。
なんとなく、趣のある物件を求められていて、
通常のテナント物件では物足りなさを感じていました。
この時点ではまだ人気(ひとけ)もなく、
隣にこれからどんな人が入居するかもわからないこの物件を
ひと目で気に入って入居を決めてくれました。

しかしここのやり方は、すべての入居者が決まらなくても、
大家さんが全区画分の給排水引込み工事を出資する、というもの。
工事関係上、まだ他の入居者が決まらないうちに全入居者分の用意をしなくてはなりません。
高橋さんには他のスペースの入居募集にも協力いただくことを約束いただき、
さらに大家さんとの顔合わせを経て、無事賃貸契約となりました。

元の倉庫に戻した状態を高橋さんと確認。「もう、これで既にいいじゃん」の声も……。

いよいよ、リノベーション工事。
まずは後から設置されてしまっていた、いらない外壁材などの仕上材は撤去し、
もとの大谷石倉庫の状態に戻しました。
この区画にもともとあった事務所小屋は再利用し、バックヤードに。
さらに、高〜い天井を生かして、ロフトスペース(!)に。
内装は基本的に大谷石むき出し、鉄骨むき出し、屋根下地むき出し。
しばらく放っておかれていた倉庫は石の細かい穴にもホコリや汚れが溜まり、
これは高橋さん自ら洗浄。
大谷石の粉末も混じり、茶色いどろっどろの水が流れ出ていました。
事務所小屋の外壁には倉庫っぽいスレート波板(外壁材)が貼られ、
それらを高橋さん自ら塗装。

高橋さん自ら塗装。上手。さすが手先が器用でないと務まらない職業です。

手間は結構かかりましたが、仕上がりは見事、
無骨な大谷石の倉庫に、ただ美容機器や家具が並べられただけのシンプルな空間は、
高橋さんのアジトのような雰囲気に。
無垢な鉄板でできた看板も設置し、美容室「NEAT」がまずOPENしました。
それが2013年4月のこと。

美容室「NEAT」。緑色スレートの壁が存在感あり。ロフトへの階段が気になります。

ここから一気に入居者さんが集まり、
半年後の11月にはなんと全区画5店舗がOPEN。
ラインナップは
 A区画:南米料理「Sandy’s café」
 B区画:美容室「NEAT」
 C区画:家づくりショールーム「楽暮」
 D区画:セレクトショップ「Hobow」
 EF区画:創作和食「kissako」

セレクトショップ「hobow」。日々、オーナー北條さんの仲間たちがここで輪をひろげてゆきます。

いやいや、店のタイプもみごとにバラけました。
しかし皆さんに共通しているのは、
この大谷石倉庫群の雰囲気に惹かれ集まってきたこと。
聞けば、まだ見ぬ他区画の入居者さんが決まったとしても、
なんとなく自分の店舗は世界観をくずされずにいける、
との確信が皆さん共通にありました。
ここの雰囲気が好きな人がどうせ入るんであれば、
ヘタなことにはならないだろう、と。
現にその通りに、それぞれの店舗がこの大谷石倉庫を
好き好きにリノベーションし、居心地の良い場所をつくりあげていました。

立地や値段だけではなく、“同じ好み”を理由にひとつの場所に人が集まる。
ショッピングモールのように詳細に計画されて集まったわけではなく、自然発生的集合。
そうしてできた場所は関係性もうまくいくんだろうな、と思います。

南米料理「sandy’s cafe」開店前。うってかわって木調。暖かい雰囲気です。

創作和食「kissako」のオーナー高橋さん(右から2人目)とスタッフの皆さん。ここは2区画繋げています。

さて、こんないい場所になったのであれば名前を付けなくてはいけません。
大谷石の性質のように多孔質、穴だらけ、
つまりは吸収性が、吸引力があり、
その穴を人や出来事で埋めていける余地で溢れている場所、という想いから
「porus(ポーラス)」と名付けました。

ばらばらに集まってきた個性ある店舗たち。
そして各店舗の個性あるファンの人たち。
それらが隣近所という関係性をつくりながら
porusという余地だらけの場所を舞台に生かされてゆく。
宇都宮市にまたいいエリアができてきましたよ。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

中津箒

昔ながらの箒づくりを再スタート

チリやホコリを払ってくれる、暮らしの道具・箒。
昔に比べると、日常使いしている人は少ないが、
かつては、日本の各地域で箒づくりが行われていた。
神奈川県の中北部にある愛川町もその産地のひとつ。
一度は産業とし途絶えてしまった歴史を持つが、
それを復活させ、丹精こめてつくっている職人たちがいると聞き、
都心から車で1時間ほどの愛川町中津を訪ねた。
愛川町は周囲を標高500〜600mの山々に囲まれ、豊かな自然が広がる。

材料である、ホウキモロコシを使ってつくられる愛川町中津の箒は
東京箒と呼ばれ、全国に出荷されていた。
昭和20年頃には、年間50万本も出荷していたというから、
産業の規模の大きさが伺える。
しかし、昭和30年代後半から海外からの安価な箒の流入や、
電化製品の登場により、産業は一気に低迷。
その後は自家用につくられたものなどが残っていただけだった。

柳川芳弘さんがつくった箒。細やかに編まれた美しさがある。

この地で箒づくりを復活させようと思い立ったのが、
「まちづくり山上」の柳川直子さん。
直子さんの生まれた家は、中津でも大きな製造卸のひとつだった。
祖先はこの地で箒づくりを広めたとも言われているが、
直子さんの祖父の代で廃業。
「きっかけは、昭和10年代に暖簾分けをして出来た京都支店の2代目の柳川芳弘さんから、
彼がつくった箒が送られてきたんです。その美しさに惹かれてしまったんですね。
箒ってこんなにキレイなものなのかって」と直子さん。

左から柳川直子さん、ホウキモロコシの畑を担当する赤坂正延さん、つくり手のひとり吉田慎司さん、熟練職人の山田次郎さん。奥に見えるのが、蔵を改装してつくられた、箒博物館「市民蔵常右衛門」。

そこで、直子さんは箒づくりを復活させるため、
2003年に「まちづくり山上」という会社を立ち上げ、
まずは、材料となるホウキモロコシの確保や職人探しに奔走。
つづいて、昭和10年につくられたという自宅のコンクリート造の蔵を改装し、
箒博物館「市民蔵常右衛門」としてオープン。そこへ、縁あって
ホウキモロコシづくりの担い手、熟練職人、若手職人が集まった。

赤坂正延さんは、直子さんとともに、ホウキモロコシの栽培を請け負う。
立ち上げた当初は、手のひらにのるくらいしかなかったという種。
今では、5反の畑に植えるほどになったという。

物置に干されていた、今年のホウキモロコシの種。

熟練職人のひとり、山田次郎さんは、愛川町で箒をつくっていた経験を持つ。
「昔は、このあたりの農家はみんな、農閑期になると箒をつくっていたよ」
と懐かしそうに教えてくれた。

まちづくり山上を立ち上げた頃、直子さんは美大の大学院に通っていた。
そのときに行った大学付属の民俗資料室での「箒の展示」に、
フラッとやってきたのが、若手職人のひとり、吉田慎司さん。
「彫刻科にいたんですが、作品をつくっていくことに何となく違和感があった。
でも、丁寧につくられた箒を見たら、
その美しさや職人芸に惹かれてしまったんですね」
その後すぐに、京都の芳弘さんのもとで直接手ほどきを受けたあとは、
自身で研究を重ね、直子さんとともに、中津箒を軌道にのせてきた。

箒博物館「市民蔵常右衛門」の敷地の奥にある作業場。奥にはたくさんの原材料であるホウキモロコシが立て掛けてある。

普段は、それぞれ自宅で箒づくりをしているという山田さんと吉田さんに
箒のつくり方を見せてもらった。

基本的なつくり方は、乾燥させた箒草を糸だけで束ね、編んでいく。
箒がほどけないように、この糸をどれだけしっかり束ねられるかがポイントだ。
だから作業場には杭が打ってあり、この杭と体全身を使って糸をひっぱる。
吉田さんは小箒を、ものの20〜30分でつくってしまった(冒頭写真のもの)。
それを見ながら、山田さんは「ずいぶん、速くなったよね」と微笑む。

小さな束をつくったあと、それぞれを糸で編みながら束ねていく。耳と呼ばれるこの部分をいかに丈夫にかっこよくつくるかがポイント。

束ねたら、内側の束は短くして持ち手となる竹をさしこむ。持ち手に使うのは、高知の「虎斑竹(とらふだけ)」。昔と変わらない材料を直子さんは揃えた。

山田さんがかつてつくっていたのも手箒。みるみるうちに仕上げていく。
箒草と糸を1本1本編みながら、束ねるときはかなりの力がいる。
「だから昔から、箒づくりは男の人の仕事だった。
ちゃんと締めないと長持ちしない。
でも、1日20本はつくらないと、稼ぎにならないから速さも大切。
ここの草はすごくいいものだからね。材料はとても重要なんですよ」
と山田さんは話す。

美しく編み上がった耳と呼ばれる部分に、最後に竹の杭を打ち込む。

日本の箒とひと口に言っても、「つくり方は地域によって異なる」と直子さん。
中津箒の特長は、床を掃いたときに、やわらかさと弾力があること。
確かに掃き比べてみると、中津箒の穂のやわらかさがわかる。
一度ホウキモロコシを湯通しするところもあるというが、
中津箒では天日干しにこだわり、素材本来の強さを最大限に生かす。
そのためには、赤坂さんと直子さんは、農薬に頼らずにホウキモロコシを育て、
さらに手作業でひとつひとつ収穫しているのだそう。
機械で一度に刈り取ると、穂の長さが揃わないし、
旬に収穫することで、草本来がもつ油が残り、干すと艶が出てくるのだ。

まさに、手間ひまかけた箒づくり。
「これが、中津箒のつくり方なんです。でもすごく楽しいですよ」と直子さん。

市民蔵常右衛門には、直子さんが集めた国内外の箒のほかに、各職人の箒が展示販売されている。こちらは吉田さんがつくった小箒。草木染めしたという淡い色の糸が可愛らしく、手ごろな値段もうれしい。

直子さんが再スタートした中津での丁寧な箒づくりは、
気がつけば賛同する人たちが集まり、
かつての愛川町の、正しい箒づくりが復活した。

「箒は、ナチュラルな暮らしを好む人には、需要はあると思ったんです。
それに、さまざまアイデアを出しながら、
その都度工夫しながら、中津箒はここまで進んできました。
吉田のように、箒の美しさに惹かれてやってきた若者もいる。
職人芸のひとつとして、
単なる掃除道具にとどまらない発展がある気がしているんです」(直子さん)

information


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箒博物館「市民蔵常右衛門」

住所 神奈川県愛甲郡愛川町中津3687-1
電話 046-286-7572
開館時間 10:00〜17:00 月~水曜休※祝日は開館

別冊コロカルでは、中津箒を取り扱う練馬区の「KnulpAA(クヌルプエーエー) gallery」を訪ねました。4月には中津箒の展示を企画しているそうです。お店の様子はこちらからどうぞ!

NO ARCHITECTS vol.5: クリエイティブな場所をつくること

NO ARCHITECTS vol.5
建物全体を使いこなす。

僕らがこのはなに関わるきっかけにもなった、初めての仕事の紹介です。
それは、NO ARCHITECTSの事務所づくりです。
今回は事務所が入っている建物ごと紹介しようと思います。
名前は、宮本マンションと言います。

2010年の1月頃、大学の先輩で工務店のPOS大川 輝さんに、
事務所をシェアして借りないかと誘っていただき、
宮本マンションの2階の部屋を共同で借りることになりました。
場所は、OTONARI(vol2参照)が入る建物の斜め向かいです。
僕らが今住んでいるSPACE 丁の「大辻の家」からも歩いて5分ほどです。

事務所の窓から見えるOTONARIの建物。改装中は、塗装作業の養生がカーテンになっていました。

このはなに通うようになって感じたのは、
まち全体にクリエイティブな空気が満ちていること。
近所のギャラリーでは展覧会の準備をしていたり、
アーティストの共同アトリエでは作品をつくっていたりと、
仕事場を据えるにはとても魅力的な場所だと感じました。

僕らが借りる宮本マンションの、他の入居者も、クリエイティブな仕事に関わる人ばかり。
1階はアート系NPOの倉庫兼イベントスペース。
正面の駐車スペースは、簡単な木工作業や塗装作業などの工房として使わせてもらっています。

1階の工房にて塗装作業をしているところ。

2階は、僕らの事務所とミュージシャンの住居、3階は画家のアトリエ兼住居、
4階の洗濯機置場の奥には、100円で入れる共同シャワーがあります。
ちょっと前までは、近くに住むアーティストやDJなどもよく入りに来ていました。
シャワー室の中の絵は、vol.1でも登場した画家の権田直博さんによるものです。
六軒屋川沿いの宮本マンションに因んで、
「宮本ロッケン湯」という名前も付けてくれました。

入口脇には使い方の注意が貼られています。基本的には外付けシャワー室です。

共有スペースの屋上は、季節の良い時期はバーベキューをしたり、
壁にプロジェクションして映画を観るイベントをしたり。
大阪の夏の風物詩、なにわ淀川花火大会をみんなで見たりもします。

屋上からの景色です。夕陽がとてもきれいに見えます。

何もない場所を共有することで、人が集まる仕組みやイベントを通して、
自然とコミュニティが形成されていきやすい状態が生まれています。

事務所の2周年パーティの様子。暴風雨の中でしたが、60名以上の方にご参加いただきました。

あと、1階から屋上までひとつながりの階段と廊下は、
階段ギャラリーとして、僕らが入居する前から、
時折、住人主催で展覧会などが企画されています。
日常的に絵が見られる環境は、とても幸せです。

階段ギャラリーの管理人でもある画家の梅原彩香さんの展覧会の様子。

さて、事務所スペースのリノベーションの話です。

まずは、不要な壁を解体し、大きなワンルームにしました。
黄ばんだ壁と天井をペンキで白く塗り直し、
キッチンとトイレは壁と連続した白い箱のなかに。

床は、ほこりをいっぱい吸ったカーペットは剥ぎ取り、
ベニヤ板を張り巡らせて、薄めた防水塗料を二度塗りしています。

床が完成した日の朝。

そのときどきで、プランが簡単に変えられるように、
壁を立てるのではなく、スペースごとに本棚をつくって間仕切りしています。
棚の上段にいくほど、一段の高さを低くし、奥行きも短くしていくことで、
少しでも圧迫感が減るように設計しています。
こういう細かいところが、居心地の良さにつながります。

さらに本棚には、高さや背板の有無で、間仕切りのグラデーションもつけています。
シェアオフィスでの一番の課題は、
スペースごとの関係性をどうコントロールするかにあると思います。
うちの事務所の場合は、公私ともに仲良しだったので、
空間の広さを最大限に生かした、割とオープンなプランになっています。

キッチンとトイレが入った箱とリビングの境界は、扇型のカーテンを付けました。

アイデアが浮かぶ場所。

クリエイティブな場をつくるときに心がけていることがいくつかあります。
ひとつは、頭のなかの思考を邪魔するようなデザインはしないこと。
壁や天井はできるだけ色やつくり方もシンプルにして、
本やオブジェ、机に置かれた書類、壁に貼られた紙などが、
頭のなかにプカプカ浮いているような状態を目指しています。
余計な情報はできるだけ削ぎ落とすようなイメージです。

このはなに来る前の事務所スペース。当時の自宅の一室をカーテンで囲み、仕事をしていました。

もうひとつは、できるだけ大きな机をつくることです。
視覚と思考は繋がっています。
机の上でいろいろな情報を並列に整理することを助けます。
また、多くの人とコミュニケーションが可能な状態をつくっておくことは、
よりよいプロジェクトにするためには欠かせません。

大阪市立大学 都市研究プラザのひとつ、クリエイティブセンター阿波座(CCA)のリノベーションの例。

最後に、しっかりリラックスできる場所を用意することです。
パソコンやデスクに向かって考えることも重要ですが、
ソファでお茶を飲みながら休憩していると、
自然に点と点が繋がって、良いアイデアが浮かんだりします。

最近、シェアしていたPOS大川さんが
モトタバコヤの2階に事務所を移したことをきっかけに、少しプランニングも変えました。

NO ARCHITECTS の事務所スペースは窓際に寄せて、フリースペースを広げました。

そんな風に、その時その時の状態に合わせて使い方を変えながら、
日々働いています。

フリースペースは、模型をつくったり、大人数の打ち合わせなどで使ってます。

実は、僕らの事務所NO ARCHITECTSは、
オフィスをシェアしてくれる方を募集中です。
プランも話し合って考えましょう。
このはなで、一緒に仕事しませんか?

NO ARCHITECTS の楽しい仕事をより多くの人と共有するために、学生さんたちとチームをつくりました。メンバーも募集中。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

OHYA UNDERGROUND 大谷石採石場跡地のプロジェクト

大谷石がつくりだした、神秘的な景観

栃木県宇都宮市の北西部・大谷(おおや)地域は、
古くから大谷石の産地として知られる。
大谷石は柔らかく加工しやすいのが特長で、
外壁や石蔵もしくは蔵の建材として使われてきた。
ちなみに、フランク・ロイド・ライトが1922年に設計した、
あの帝国ホテルにも大谷石は使用されているのだそう。
しかし、いまは、建築材料としての需要は減少し、
昭和30年代には、100社以上あったという事業者は数える程度になってしまった。

事業者は減っても、自然の産物である大谷石が無くなったわけではない。
かつて採掘されていた山も、当時の切り出されたままの風景が残り、
ほとんどは、空き地同然の状態になってしまっている。
稼働していない採掘場は250以上あり、広さもかなり広範囲に渡っている。
広いところで、2万平米以上あるところもあるから驚きだ。

大谷石の採掘跡地。

そんな、採掘場跡地の風景を改めて見ると、とても面白い。
ギリシアや中東の遺跡を彷彿させる迫力がある。
さらに、興味深いことは、地上にある採掘場の地下には、
同じ広さか、それ以上に掘られた地下空間が広がっているということ。
そこには雨水が溜まり、「地底湖」とも呼べるほどの、
深さも広さもある、水場が複数存在するのだという。

そんな採掘場跡地の話を聞き、
地底湖にカヤックやボートを浮かべて探検できたら……
広大な敷地に広がる地上の採掘場跡地も見学できたら……
きっと面白い! と、考えたメンバーがいる。それが、こちらの4人だ。

左から、坂内剛至さん、松本 謙さん、塩田大成さん、増渕隆宏さん。

このアイデアの主、塩田大成さんは、普段は宇都宮市内で空間プロデュースを手がける。
(塩田さんはコロカルで「リノベのススメ」を連載中)
地底湖で動かすカヤックやラフティングボートのアドバイザーとして参加するのは、
鬼怒川でカヤックツアーを行っている坂内剛至さんと、増渕隆宏さん。
そして、このアウトドア体験を観光事業として発展させようと、農業と食など
地域活性事業に携わる、ファーマーズ・フォレストの代表・松本 謙さんだ。

とは言え、どんな体験を提供できるのかはまだまだ模索段階だという彼ら。
事業化に向けて、モニターツアーを開催するというので、編集部も参加してきた。

地底湖がある採掘場跡の入り口。左手奥は、コンサートや演劇でも使えそうな舞台のような空間が広がっていた。

宇都宮ICから車で5分ほどのところにある、道の駅「ろまんちっく村」から、
バスに揺られること10分ほど。
訪れた採掘場跡は、いくつかあるうちの、ほんの一角だという。
まずは、地底湖でカヤックに乗ったり、ラフティング用のボートに乗ったりと、
地下空間を体験する。

雑草が生い茂った草原を抜けると、突然大谷石が切り出された空間が現れた。
「ジュラシックパークみたい」と参加者から歓声があがるほど、
採掘場は廃山してまだ30年にも関わらず、ジャングルのような雰囲気が漂う。
大きく切り出された横穴を進むと、奥からひんやりした空気が流れてきた。
「地下の気温は、5〜8℃。寒いんですよ(笑)。でも、
年中この温度に保てるので保冷庫として活用され始めています」
と塩田さんが教えてくれた。

増渕さんと坂内さんからボートやカヤックの乗り方をレクチャーしてもらい、
いざ地底湖へ。

採掘場のなか。奥から、ボート乗り場を見る。

今回の地下空間は、奥行き100〜200メートルとそれほど奥行きは広くはないが、
水深は30メートル以上あるらしい。
乗り口を灯す明かりがあるだけで、奥に進めば進むほど真っ暗。
目が暗闇に慣れてくると、
天井にある水滴がわずかな光に照らされ、とてもキレイだった。

地底湖でのカヤック体験中。水温は、5〜6℃だそう。

参加者はカヤックとラフティングボートを両方体験。
数名で一緒に乗り込むラフティングボートは、奥に進むと岩穴に上陸できる。
探検しているような、ワクワク感に駆り立てられながら、
120センチ角くらいの、にじり口のような穴をくぐると、
高さ2メートルほどの、周囲が石に囲まれた空間に出た。地面は砂でおおわれている。
さらに奥に進むと、地上から注がれる光が目に入ってきた。

暗闇に差し込む外の光は、どこか幻想的な雰囲気に包まれる。

採掘の方法には、横穴と縦穴があり、外の光が縦穴と呼ばれる穴から坑道に注がれる。
真っ暗闇のなかで見る太陽の光は、どこか神秘的な雰囲気だ。
ときおり、狭いトンネルのような小さな坑道を通ると、
まるで、考古学者にでもなったかのような気分。
採掘場は、こんなふうに横穴と縦穴が入り組んでいるのだという。

外から見た採掘場跡。遺跡のようにも見える。

1時間ほど暗闇の地底湖を楽しんだ後は、
この採掘場の持ち主のお宅の庭にお邪魔させてもらい、昼食をとった。
明治に開山したというこちらの採掘場。
昔は職人さんが夜通しで採掘することもあったくらい忙しかったのだと、
採掘場の持ち主の方が教えてくれた。
庭には、大谷石でつくられている蔵が建っていた。

午後は、また別の採掘場跡へ。
大きく切り出された大谷石がそのまま、外に積み上げられているのだという。

縦横約1.8メートル、高さ1メートルほどの大きさの大谷石が、ブロックのようにたくさん積み上げられている。

行ってみると、まるで、スーパーマリオのゲームの舞台のように、
大きな大谷石のブロックが無造作に積み上げられている。
参加者はブロックからブロックへと飛び移っていくが、
1ブロックを登るだけでもひと苦労。
巨大ジャングルジムとも言えるスケールに、驚きと楽しさがある。
一番高いところまで登り、見渡す風景は壮快だ。
参加者は、登ったり座ったり、思い思いの時間を楽しんでいた。

これが、あのブロックを切り出したという大きな機械。高さ15〜20メートル以上はありそうだった。

このワクワク感をたくさんの人に知ってもらうために。

実は、採掘場跡が産業遺産として残るこの大谷地域は、
宇都宮のなかでも、時間が止まってしまったような地域なのだという。
もちろん、住人も年々減っている。
「この土地を何とか生かせないだろうか」
地元の方からそう相談を受けた4人は、
「大谷石の採掘場跡があるこの地域そのものが価値を持つ」
ということをコンセプトに、「LLPチイキカチ計画」という会社をおこした。

坂内さん。

「最初、“地底湖”というフレーズを聞いただけで、
冒険心をかなりくすぐられましたよ。塩田さんから誘われて、
“すぐに、見に行きます!”って答えていましたね(笑)」
と坂内さん。実際にみんなで見にいくと、
廃墟のような、遺跡のような他にはない、大谷石の佇まいに圧倒された。
そして、通えば通うほど、その魅力にひかれるが、
ひとつケアしなければならないことがあった。
採掘場はもともと石を切り出していた工事現場のような場所。
危険と隣り合わせのところがまだまだ多く残っていたのだ。

松本さん。

もちろん、25年間にわたり行政による調査により、安全性の評価はでているが、
「事業化するとなれば、安全面を一番に考えなくてはならない。
アドベンチャーな面を残しつつも、どう安全を確保するかなんですよね」
と松本さんが話すように、安全面、土地の持ち主など、課題は山積みだった。
魅了されつつも自分たちもその価値に半信半疑。
しかし、モニターツアーを体験した参加者からは、
行く場所行く場所で歓声があがり、飛び交うアイデアはいくつも出てくる。
「音の反響が面白いから、ライブをすると面白いんじゃないか」
「野外演劇も面白い」
「景観を楽しむために、見晴らしのいいカフェを開いても」
「もっと広い地底湖探検を安全に行うには」
数回のモニターツアーを通して、
この風景に魅力を再認識した4人は、半年以上かけて安全面、エンターテイメント性など、
地元の方々と共に、実現可能なプランを練ってきた。

そして、このプロジェクトは「OHYA UNDERGROUND」として、
初夏になったら、本格的に始動する。
近くにカフェがオープンしたり、アウトドアツアーとして
体験コースも初級や上級など、いくつか設置することを考えているという。

誰も触れてこなかった、まちの遺産だけれど、そこには、大谷石の職人たちの軌跡が今も残り、
大谷地域の土地の記憶を物語っている。
その壮大な景観は、新しい価値へと再生され始めた。
今後もOHYA UNDERGROUNDプロジェクトに目が離せない。

山ノ家 vol.5: カフェオープンへ向けて、工事開始

山ノ家 vol.5
現場にて、さまざまな立場を抱えながら向き合う

せっかくの「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」開催の2012年の夏に、
なんとかこの山ノ家のオープンを間に合わせたかった。
今は7月半ば。工事スケジュールを考えても、
7月末の会期オープンにはさすがに間に合わないことはもうわかっていた。
なんとかスムーズに良いかたちで進める方法はないだろうか……。
すべての完成を待つと、9月までかかってしまいかねなかった。
ならば、工程を2段階に分けよう、と思いついた。
つまり、カフェを先にオープンさせて、
残りのドミトリーに関わる部分などはその後に手をかけよう。

カフェ部分は、工事範囲としては限定しやすい。
1階の土間部分の仕上げと家具、それと厨房とトイレが完成すれば何とかなる。
まず、全体に関わる解体だけはすべて最初にやってしまう、
照明やエアコン、水まわりなどの電気・設備工事は
関連する部分から流動的に手を入れてもらうこともできる。
なんとかこの方法で、工務店さんとも交渉して理解を得て、
準備を進めようという話ができた。
そしてようやく、待っていた融資のほうもOKの返事が来た(vol4参照)。
これでやっと前に進める……!

7月の19日に解体工事が決まり、そこからカフェオープンへの段取りを整理。
アキオくんや、運営立ち上げチームにも具体的なスケジュールを伝えた。
お盆前にはオープンしたいから、8月10日を目標にしようということになった。
まずは、ここに向かって動き始めた。

本当は「コツコツと、できるだけ自分たちだけでセルフリノベーションできればいいなあ」
という想いはあった。
そこにあるものをうまく工夫しながら活かし、新しいあり方に変えてゆくのが
リノベーションの醍醐味といっていいだろう。
フタを開けてみないとわからないことも少なくないが、だからこその発見もある。
そのためにはゆっくりと向きあう時間が少しでも多ければ、いろんな可能性が広がる。
しかし、さまざまな事情もあって、大地の芸術祭が始まるまでの時間は
もう目前まで迫っている。悠長に構えてはいられない。
もともとが降って湧いたようなこの案件。
もちろん運営のための事業計画もたてていたが、
正直、未知の場所で万全の確信が持てる訳でもなかった。
3年に1度の芸術祭でとてもたくさんの人が訪れるこの時期の勢いを借りなければ
計画は言葉どおり絵に描いた餅となってしまうかもしれず、
そうなったら立ち上がりはもちろんのこと、
その先のことはとても想像できるものではなかった。
最初のステップがあった上で、それを通して
ようやく地元の方との接点などがつくっていけるのではないかと考えていた。

というわけでこの芸術祭の会期中に、
少しでも早くオープンさせるために急ぐ必要があった。

設計者としての、この地にあるべき空間イメージのプランとその実現化への調整、
事業者として立ち上げに必要なことの優先順位、先々続けていくために必要な判断、
そして自分も現場作業に入り込み、地元の方や運営スタッフ、インターンらとともに
体験としての場づくりからつくりあげていきたいという想い、
さまざまな立場が重なる部分と相反する部分を併せ持っている。
同じ人格として整理しきれないさまざまな側面をたくさん抱えつつも、
そこに少しでも向き合う時間をつくりたくて
冬のときよりも長く十日町に滞在するつもりでのりこんだ。
外装も手伝ってくれたアキオくんも、同時期に現場入り。気合いが入っている。

スズキアキオくんとともに、gift_の元スタッフだったイクタくんがかけつけてくれた。

同じタイミングで運営立ち上げチームの池田そしてメグミさん、ミナコさんも現地入りして、
これから来るインターンスタッフのための環境整備など、準備をしてくれていた。
それぞれ、出入りは多少あるものの、
この山ノ家の立ち上げが一段落するまではこの地にしばらく滞在するつもりで来ている。
さながら、集団移民という感じだった。

そして、解体工事が始まった。
解体をする範囲はあらかじめ想定してあった。
2階のドミトリーにする部屋の壁・天井、
大掛かりなのは、1階の厨房を中心とした水回り部分の壁、そして床。

和室の床を全てはずすと、以前にいろりとして使用していたような跡が。ここはキッチンとして土間にしたかったのでこれは撤去してしまった。

左側はカフェの厨房への導線をつくるために壊している壁。裏はちょうど、和室の押し入れだったところ。

2階の壁も、構造を残してほぼ全て撤去した。
実際に壊してみるとその量は結構なもの。
これから、この分の壁をまた仕上げなければならないことを思うと、
ちょっと考えさせられた。
「ここまで壊さなければ、工期も金額も圧縮できるのではないか」
という考えがよぎらなかった訳でもないが、ここは設計の立場として譲りたくなかった。

2Fのドミトリーになる部分。砂壁の仕上げはひととおり撤去した。

壊してみてわかったのは、部材の大きさと筋交い(斜めにいれる構造)の多さ、
そしてドミトリー予定の部屋の天井から出てきた梁の立派さ。
おそらく豪雪に耐える故の構造だろう。
築40年程度の木造にしてはずいぶんとしっかりしているようだった。
この立派な梁を見たら、当初は計画していなかった、
屋根裏に隠れていた構造が見えるような天井に変更したくなった。
こういう部分は、設計以上に現場での気づきや直感を大切にしたかった。
おかげで大工さんに「そんな計画変更されたら、やれなくなるよ!」
と気分を害されたりもしたのだが……。

天井をはずすアキオくん。今まで見えなかった部分があらわになってくる。

古民家でもない築年数だが、とてもダイナミックな梁がでてきた。

猛暑のなか、現場をとりまくさまざまな人たちと

工事が始まり、山ノ家の現場とその近辺にはさまざまな人が集まってきて、出入りしていた。

解体に続き、掃除、断熱材の仕込み、石膏ボード貼り、養生、パテ埋め、塗装など、
僕らがやらねばならない工程は結構なボリュームだ。
もちろん、それは、自分で選択した道なのだが。
インターンの方たちが週代わりに入り込んで工程を手伝ってくれ、
現場の良い潤滑油的な存在としても活躍してくれた。
おかげで心身ともに彼ら、彼女らに本当に助けられた。

とても楽ではないだろう作業でも、皆にとってはとても新鮮だというようで、生き生きとこなしてくれた。

そこに、河村くんがある人から託された、とてもインパクトのある人が加わってきた。
トーゴ出身、フランス国籍のジュン君。
フランスの大学を卒業し、観光で日本に滞在しながら帰国のリミットギリギリまで
いろいろ体験したいと言う彼の思いから、
ボランティアワークで約1か月来れるということだった。
初めて会う彼に一瞬身構えてしまったのだが、思ったよりも上手に日本語を話すと、
一気に親しみのあるキャラクターに見えてきたから不思議だ。
大工的な作業自体は初めてではなかったようだ。
しかし、さすがに日本人的な細やかな感じではなく、
なかなかのラフさとマイペースさで作業を進めるので
こちらも目が離せず大変なところもあったが、数少ない男手のインターンとして大活躍した。
そう、なぜかインターンで志願してくれる人は圧倒的に女子が多かったのだ。

真ん中がジュン君。日本のマンガやアニメが大好きで、日本語も独学で覚えたそうだ。現場ではアキオくん(左)と東京からの助っ人大工さん(右)が主に指導してくれて、彼の面倒を見てくれた。

断熱材を壁に仕込む。まんべんなく仕込む。このおかげで効率の良い、現在の快適さがある。

そして、石膏ボードを張る。結構重たくて体力を奪われるが、これでだいぶ空間らしくなってくる。

パテ埋めも自分たちで行い、そして一番楽しい壁の塗装仕上げ。

そしてもちろん、工務店さん手配の方々も現場に日々通っている。
まずは大工さん。外装のときには3人入っていたが、
夏はどこも現場が忙しく、入れるのはひとりくらいだろう、と現場監督さん。
冬のときとは違う繁忙シーズンのなか、現場監督さんもあちこち飛び回っていて、
僕らが大工さんに直接指示出しをせざるを得ない機会が増えた。
そんな中、僕が要望することで難しい顔をされたりしたこともあった。
普段のこだわりと違う少しラフなやり方が困惑させたようだ。
しかし、僕らが大切にしたいと思っている考えや、
これからこの場所をどうしていきたいかなど丁寧に伝えていくうちに、
こちらの意図している加減を了解してくれるようになっていた。
さらに仕上げやおさまりのアドバイスをしてくれるようになったときは本当に嬉しかった。

これからこの地で、自分たちの活動を地元の方々に理解してもらえるように話すことの
背中が自然と押されたような気がした。

それから電気屋さん、設備屋さん、建具屋さん、塗装屋さん、左官屋さん、
担当でないのに近所だからということもあって気をかけてくれ、ちょくちょく顔を出して
何度も一緒になって体を動かしてくれた工務店の頭領さんには
その後もご近所さんとしていろいろと世話になっている。

しかしながら、大工さんが行わなければならない工程は実はひとりでは足りていなかった。
いつもお世話になっている東京の大工さんにもヘルプをお願いしたところ、
なんとかスケジュールを調整して来てくれた。これはとても心強かった。
先の、地元の大工さんとの間を取り持ってくれたりしながら、現場の士気を高めてくれた。

まつだいの夏は、湿気は少ないのだがしっかり暑く、
かろうじて扇風機のみの現場は日差しと熱気に押しつぶされそうになるくらいだった。

工事現場チームの傍らで、
カフェの運営準備チームはメニューや食材、そしてオペレーションなどの整理や、
まかないご飯などもつくってくれた。そして、工事現場のチームのために
休憩時のスポーツドリンクをつくってくれた
(真夏の工事。飲みものはすごい勢いでなくなっていくのだ)。

休憩のとき、現場を切り盛りするさまざまな人たちと一緒に過ごし、
たわいもない話をすることで自然と一体感が生まれる。
これがとても感慨深いひとときだった。

このひとときに、関わるさまざまな人たちがテーブルを囲んでいた。

そしてさらに、まだこの地にやってきた人たちがいたのだ。

内装工事に先駆けて、実はオープニングイベントを想定して
何人かの音のアーティストに1週間滞在してもらい、
この土地のさまざまな音をレコーディング。
それらを音源に取り込んだライブをやろうという計画を同時進行させていた。

山ノ家の展開のひとつとして、アーティストインレジデンス
(ある土地などにアーティストを招聘して、滞在製作をしてもらうためのしくみ)
という機能も当初から考えていた。
恵比寿のgift_labで行っていたようないろいろなアーティストとの交流を、
ここで違ったかたちで花開かせることができたらと妄想し、楽しみにしていた計画のひとつだ。

しかもそのひとりはなんと、海外から来てくれるアーティスト。
ちょうどこの時期に合わせて、まつだい入りしてもらうように調整のやり取りをしていた。
しかし、着工が最初の見当よりおしてしまったせいで、
そのイベントの日程がカフェのオープン日よりも前になってしまう事態になっていた。
彼らには工程が当初の予定通りになっていないことを伝えつつ、
(前向きに)完成前の山ノ家でイベントを決行したいということを説明した。
もちろん、延期も中止も考えられない状況ではあったのだが。

実際まつだいに到着した彼らは、とてもこの土地のことを楽しんでくれた。
ただ、日本の猛暑はイギリスからの来客たちにとって、とても辛かったようだった。

イギリスから来てくれたjezさんと、このプロジェクトに共感し、同じく滞在してくれたsawakoさん。共に素敵なサウンドアーティスト。深夜や、早朝にもレコーディングに繰り出していたようだ。

そして完成前にイベントを行うということは、
工事の手も止めてもらわなければならないということでもあり、
厳しいスケジュールのなかでのこの工程調整にも気を使いながらの準備となった。

彼らが約1週間滞在したのち、イベントの当日を迎えた。
滞在はできなかったがこの日に駆けつけてくれたふたりのアーティストも合流していた。
楽しみにしていたこの日。初めての土地でのイベント開催で、
何処からどのように人が来てくれるのか見当がつかなかったが、
既に告知を聞きつけて新潟市内から来てくれたお客さんがいたり、
地元で知り合った方が来てくれたりしたことは、驚くと同時に嬉しかった。
帰省をからめて東京から来てくれた人だったり、
知り合いが駆けつけてくれたりという感じで、人数こそそこまで多くはなかったが、
この顔ぶれは、これからのこの場を予感させるのには充分なものだった。
カフェ運営立ち上げチームによるケータリングも、イベントに花を添えていた。

このイベントでは1週間滞在したJez riley Frenchさん, sawakoさんに加え、笹島裕樹さん, asunaさんの合計4組が出演してくれた。

空調設備が間に合わず、暑い状況でのライブ。
まつだいで録音されたヒグラシの涼しげな音や、
近所にある水琴窟の音、夜の蛙の声などに音楽が重なったり、
50台の電子キーボードが和音を奏でたり。
夏休みのストップモーションのようなひととき。
無謀な計画ではあったが、これがここでの場としての始まりの一端をつくりだしていた。

カフェオープンまで残り数日、あともうひと息。

つづく。

MAD City vol.5: オーナーも住人も自らリノベ。 進化し続ける「ロッコーハイツ」

MAD City vol.5
オーナーのDIYから、昭和のハイツが生まれ変わる

築年数が古く、最上階だけれどエレベーターも無い。
僻地的な立地にあり、中は未リフォームというマンション。
一般的にはかなり厳しい条件の不動産ですが、
そんな物件もオーナーさんのバイタリティで生まれ変わらせることができる。

それを教えてくれたのが「ロッコーハイツ」です。

出会いはちょうど1年前。弊社スタッフ庄子渉からの紹介がきっかけでした。
「昔のバイト仲間が、
お父さんが持つ不動産について相談があるらしいんだよね」
そう言われて出会った「ロッコーハイツ」のオーナーのトシくんは、
元ダンサーで現在は家業の農園を手伝いながら
イベントオーガナイザーやDJとしても活動しているイイ感じのお兄さん。

トシくん。不思議と何かをやってくれそうな雰囲気をもっています。

トシくんは南房総に住んでいたけど、
つい最近、お父さんが営む梨農園を手伝いに松戸に戻ってきて、
今はロッコーハイツの管理人をしているとのこと。
トシくんの相談はロッコーハイツを改装可能な物件として
貸し出しできないかというものでした。

ロッコーハイツは昭和40年代に建てられた5階建てのエレベーター無しの
マンション、というよりもハイツ。
一応2路線利用が可能ですが、最寄り駅は東武野田線の六実駅か、
新京成線の元山駅といういずれもローカル線。
どちらの駅までも歩くと15分〜20分くらいで、
松戸駅からは車で20〜30分程度かかる場所にあります。

さらに、空き室が目立つ5階は、和室のみに旧式の風呂釜という
昭和の設備と内装のまま。
現代のライフスタイルに合うべく、リフォームしなくてはいけないけど、
そんなに大胆にかける費用は無い。
かと言って前から住んでいる人も居る手前、そんなに簡単に賃料も下げられない。
そうこうしているうちに空き室は増えるばかり。

そんな手詰まり感がある物件は残念ながら地方に散見していますが、
正直に言えば、ロッコーハイツもそのひとつで、
ご多分にもれず5階はすべて空室でした。
満室にするのは、もちろん簡単ではない。
ですが、不思議となんとかなりそうな気がしていました。
それは何よりもトシくんの存在。
トシくんはもともと「シラハマアパートメント」という、
南房総で多くの若者を惹きつける場所に滞在していました。

シラハマアパートメントの一室。

シラハマアパートメントはもともと企業の社員寮として使われていた、
築40年以上経っている建物をオーナー自らが改装して、
カフェやレンタルルームとして運営している場所。
トシくんはここに住んだことでリノベーションというものを知り、その時から
「親父が持っている古い物件で似たようなことできないかなあ」
と考え始めたそうです。

地元に戻ることが決まったトシくんは、
すぐにロッコーハイツの管理人になりました。
そして、最も状態の良くない部屋を自らリノベすることに。
「まだ未完成だから完成したら見に来てね」
最初の出会いの日にそう言われてから2か月後、
トシくんのリノベがある程度できたというので、ロッコーハイツを訪れました。

「壁は壊して白く塗ればいい」

シラハマアパートメントで習ったという、
シンプルなコンセプトに基づき、素人だけで開始されたリノベーション。
その結果、もともとちょっと怖い感じの和室だった部屋が、

トシくんや友人の手によって徐々に生まれ変わり

こんなにキレイになりました。

改装のお手伝いをしたことがあるとはいえ、
ここまでのリノベーションはトシくんも初めて。
「スマホを片手にググりながらやり方を調べたよ〜」
失敗してもその都度やり直しながら
約3か月をかけて部屋を完成させていきました。
こちらのお部屋は、現在はトシくんが使う管理人室ですが、
ゆくゆくはみんなのシェアスペースとして運営していくそうです。

初めてロッコーハイツを訪れた時にすっかりくつろぐ、僕と庄子。

さあ、ようやくこれで住人を募集ができる。本番はここからです。

募集にあたって僕らも考えました。
この物件のどこが一番の魅力なんだろう。
大胆に改装できる自由度も、もちろん魅力ですが、
考えた末に出た答えは何よりもトシくんの存在。
隣人に面白くてしかもリノベについていろいろ教えてくれそうな人がいるなら、
なんか安心だし楽しそう。

「共感してくれる人がきっといるはずだ」と思い、
募集を開始しましたが、問い合わせは芳しくない状態が約2か月続きました。

「まあ3年計画でいこう」
そう言ってくれていたトシくんも、だんだん、いてもたってもいられなくなり、なんと2番目に状態の悪い部屋のリノベーションに乗り出します。
その様子はトシくんがつくったロッコーハイツのホームページや、
Facebookページでもどんどん発信されていきました。
それでも問い合わせは増えない。

そんな状態に、光が差します。

MAD City不動産をTVで取材してもらうことになり、
その際に魅力的な物件としてロッコーハイツが紹介されることになったのです。
するとさっそく反響が。

TVを見て、見学に来てくれた松本さんという女性は、
海外では一般的に見られる部屋のDIYにずっと興味があったけど
日本では諦めていたそう。
ですが、ロッコーハイツからの景観、リノベの自由度、
そして隣にリノベ経験者のトシくんがいるという安心感が決め手になり、
ロッコーハイツの最初に入居者になってくれました。

人が入り始めると連鎖するのは不動産の不思議なところ。

松本さんの入居が決まった直後に、
工業高校で建築を学んでいた同級生同士の加藤くんと飯名くん、
続いてWEBデザイナーさんが入居し部屋は満室になりました。
そして、それぞれ自分のペースでリノベーションを始めていきます。

例えば、松本さんは週末に徹底したリノベ。
松本さんのリノベーションはもはやDIYのレベルを超えていて、
床はネダを組むところからやり直してフローリングに変更。

玄関は1枚1枚丁寧にタイル張り。

「何かあった時に周りに頼れる人がいるのは安心ですね」
その言葉通り、松本さんの友人はじめ、トシくん、
ロッコーハイツの入居者のみなさん、そしてMAD Cityで出会った人からも
一部協力を得ながら1年計画で現在もリノベ進行中です。

もう1組、高校で建築を学んでいた加藤くんと飯名くんはなんとも大胆な改装。
「とにかく自由にいじれるところに惹かれました」
というふたりは、一旦部屋をスケルトンに解体。
そして、エントランスの床は剥がしたままコンクリートむき出しにし、
バーカウンター風に。

室内は、ラウンジ風にアレンジ。

実は改装中、階下の方から騒音で注意されていたというふたり。
しかしいつのまにか、作業する度に挨拶に行くことで、
むしろ仲良くなっていき、今では部屋の見学にも来てくれるそう。
ふたりが改装中の部屋は友人たちにとっても居心地が良いみたいで、
今やこのあたりで、最も若者が集まる場所のひとつになっています。

既にロッコーハイツで生活を始めたふたりは、
少しずつ生活環境にも馴染み始めていて、
飯名くんはトシくんの友人が経営する地元のカフェでバイトも始めるなど、
地域コミュニティに溶け込み始めています。

ゆるやかに少しずつ進化をしているロッコーハイツですが、
トシくんは現状をどう思っているのでしょうか?
「最初は自分が部屋をつくるのに必死だったね〜」
というトシくんですが、自らの改装が終わり入居者が入ってくると
一抹の不安もあったそうです。

「何もないエリアだし、改装の自由度と、
その楽しさで人に来てもらうしかないと思って人を募集してきたけど、
いざ入居が始まると、部屋がどうなるかわからないし、心配もあったよね」
しかし、実際に入居者の方とコミュニケーションをとり、
時間を過ごしていくうちにお互いに信頼関係が生まれてきて、
「今は、本当に感謝の気持ちでいっぱいだよ」
と言うトシくん。今後についてもこう話します。

「住んでくれた人の意見によって変化し続けるアパートにしたい。
例えば、今5階の玄関の扉を塗り替えようと思っているんだけど、
何色がいいかは入居者のみなさんと相談しています」
改めてロッコーハイツ全体の構想を考え、
ゴミ置き場を整理したり、照明をやわらかい色のものに替えたり、
共有ルームをカフェテラスにできないか検討しているそうです。

ゴミ置き場への張り紙もちょっぴりおしゃれに。

実は、窓から一面に見渡せる景色が気持ちよくて、
近所には桜並木もあります。
松戸の僻地にあったはずの物件は、
都会に近いローカルとして魅力的と言ってもらえるようになり、
いつの間にかMAD City不動産にも
「ロッコーハイツのような場所はありませんか」
と問い合わせをいただくようにもなりました。

「窓を開けると本当に気持ちいい風が吹くし夜景もキレイなんだよね」とトシくん。

「今は空き部屋がなくてなんだか申し訳ないよ」
そう言うトシくんは現在改装中のお部屋もすぐに募集ができるよう、
ピッチをあげてリノベーションをしています。
管理人がきっかけとなり、それに共鳴するように
それぞれの入居者のみなさんが適度に助け合いながら、
少しずつ進化を続けているロッコーハイツ。
半年後、1年後、そしてその後も。
焦らずゆっくりと化学変化が起き続けるロッコーハイツを
MAD Cityは陰ながら見守っていきます。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.5: 倉庫をDIY、はたらく場所をつくる

ビルススタジオ vol.5
食・クリエイティブなど、多業種が集まる場に

「はたらく場所をつくろう」
自営の仲間との雑談中、あるときそんな話になりました。

宇都宮には、食べる場所、飲む場所、遊ぶ場所はそこそこあるし
居心地のよい気のきいた場所づくりがなされている。
住む場所の選択肢も増えてきてるし、その質も上がってきている。
しかし、はたらく場所がまだまだ足りない。
これはおかしいんじゃないか。
だって、ほとんどの時間をはたらいて過ごしているはずなのに
はたらく場所についてはおろそかになっている。
はたらくことは、国民の三大義務のひとつだと定められている。
義務的にはたらくのに環境うんぬんなんておこがましい、
ということなんでしょうか。

近年は、労働条件もだいぶフレキシブルになったし、
覚悟さえあれば自由に起業できる時代でもある。
多種多様な仕事も業務内容も成立する大都市圏では
とっくにはたらく場所に気をつかっているし、
より便利で快適なオフィス空間を求めている起業家たちは多い。

一方、地方都市・宇都宮で不動産業も営む私のところへは
ここ数年、オフィスを探しているお客さんは、ひとりも(!)来ていません。
こりゃまずい。営業所の撤退は別にいいとして、
新規の起業さえ起こってないんじゃないか。
という心配はありましたが、
実はデータ上では宇都宮市内の起業数はむしろ増えているらしい。
ホントか? という疑いは残るものの、
ではなぜオフィスを探している人が全くいないのか。
まわりの人を見回してみました。すると答えは簡単。
皆、自宅兼オフィス(俗に言うSOHO)で仕事をしているんです。
確かに、家賃が安くて広めのところに住めるこの栃木県。
別個にオフィスを借りるよりは安上がりでしかも落ち着いて仕事もできますしね。

しかし、個人事業者同士が集まれるワークスペースがあれば、
よりよい仕事が生まれるのではないか。
自宅でこもって仕事をしていたのではせっかくの起業もムダに終わってしまう。
仕事は、情報とその交換からいつもいろいろなアイデアが生まれている気がする。
多業種の情報を自然と共有できる「はたらく場所」の存在が
それらの起業を成長させ、
いずれはそれぞれの面白いオフィス空間が生まれていくのではないか。

ということで、早速物件を探すとJR宇都宮駅近くにこのこの空き倉庫がありました。

倉庫物件外観。町工場のような佇まいにも惹かれました。

非常にミニマルな佇まいですが、中は3フロアもあります。
ということは、
1フロアをフリーアードレスのデスクスペースにして、
もう1フロアをミーティングスペースにできるな。
じゃ、残りは?
そうだ、はたらく場所にはカフェがほしい。
飲食店もオーナーにとってはひとつのはたらく場所。
独立したい店主の卵が腕を試せる場所にしてしまおう。
そんな想いに共感した3社にて恊働し、
プロジェクトがスタートすることになりました。
3社それぞれの担当は、こんな感じ。
運営:マチヅクリ・ラボラトリー 村瀬正尊
飲食監修:日光珈琲・饗茶庵 風間教司
施設監修:株式会社ビルススタジオ 塩田大成

施設名はSOCO(ソーコー)。
SOHOでなく、SOCO。もちろん、ダジャレです……。

DIY前の3階。この、トラスの梁がかっこいい。倉庫ならではのリフトもありました。

それくらいゆるい決めごとだけで賃貸契約を結び、工事を始めました。
電気設備工事など、必要なところはプロに依頼しつつ、
基本はもちろんDIY。
猛暑のさなか、サウナのような室内で壁を塗り、
棚やワークテーブルを皆でつくり、最後はBBQをして帰る。
さらに、使う家具類を探してヤフオク巡り……。
そんな日々を過ごしました。

SOCO+ビルススタジオスタッフと仲間たちによる猛暑の中のペイント作業。クラクラしてきます……。

そして3か月後。
1階にテストキッチンスタジオ、2階と3階がコワーキングスペースとなった、
SOCO」がオープンしました。
オープニングには渋谷co-baの中村真広さん、
上田市ハナラボの井上拓磨さんという同業先輩方に来ていただき、
トークイベントを行い、花を添えてもらいました。

そして日常へ。
まず、キッチンスタジオ。入居期間は半年〜最長1年とし、
その間にメニューや経営の腕を試し、次のステップへの準備を行います。
第一弾入居者は関西や県内のカフェにて腕を振るった「HAPPY FIELD CAFÉ」が入り、
重ね煮のハンバーグなどの人気メニューが生まれたり、
クセの強いワインをお客さんへ勧めてみたりと、ファンが通うお店となりました。
2014年3月からは次の入居者が決まり、イタリアンベースのお店がスタートします。

1階のカフェの様子。

続いて、2階と3階のコワーキングスペース。
月契約かスポット利用の会員制にしました。
月契約者は現在まだまだですが、
スポット利用会員は100名弱とまずまず。
利用者は現在IT、WEB制作系の方が多く、スポット利用だと建築・住宅系の方がいたり。
利用者さんに話を聞いてみました。

コワーキング一角での打合せ風景。左;OPEN for上野翔平さん、中:OPEN for 五十嵐潤也さん。

経営コンサルティング、ウェブサイト制作を手がける、
株式会社OPEN forの代表・五十嵐潤也さん。

「独立にあたり安価なオフィスを探していたんです。
値段だけでは入居に耐える物件がいくつかあったものの、
場所や居心地、何よりコワーキングという可能性に惹かれ、利用しています。
良い所は他の入居者に気軽に意見を聞けることです。
検索すればすぐわかるような他愛もない知識から、デザインに対する意見だったり。
どうしても1社だけで考え込んでしまうとわからなくなってしまったり、
できることも限られている上に、人脈にも限界があったり。
自分の席で“こんな職種の人いないかなぁ〜”ってつぶやいたら、
隣のテーブルから“いるよ〜。紹介する?”って声掛けてくれたこともありました。

カフェが1階にあるのもいいです。
仕事のあと軽く飲めるし、音楽が聞こえてくるのもいい。
オーナーとも異業種だけど同志として仕事の話を軽く相談できる。
また、打ち合わせに来てもらいやすい、という効果もありますね。
あとはもっと入居者が増えれば間違いなくお互いのメリットも増えると思います。
デメリットは、吹抜けを通して良い匂いがしてくるので、お腹がすいてしまうことかな(笑)」

五十嵐さんたちはここで「Cafe Hakken」というカフェ検索アプリを開発しました。
開発の際、1階カフェのオーナーに意見を聞いたり、
デザイナーでもあるSOCOスタッフに依頼をしたり。
制作チームは男性4名。しかしユーザーは女性が多いはず。
その時に他入居者の女性の意見を気軽に聞ける環境も幸いしたとのことです。

アフェリエイト制作の合同会社cocuuの柿沼さんと松原さんふたりはいつもこの角の席。

その他に、入居者さん同士や外の人との交流を図るため、さまざまな企画が行われています。

>「PechaKucha Night Utsunomiya」
「PechaKucha Night」とは、2003年より六本木のSuper Deluxeで始まり、
今では世界400余りの都市で行われている、1人20枚のスライドを20秒ずつ、
合計400秒でプレゼンテーションするというシンプルなルールで行われるイベントです。
これからの栃木を創造してゆく人たちと出会い、繋がる機会をここで設けました。

「PechaKucha Night Utsunomiya」の様子。

>「Green drinks Utunomiya」
「Green drinks」とは東京やニューヨーク、中国からボツワナまで
世界の800都市以上で開催されているグリーンやエコをテーマにした飲み会のことです。
栃木県、宇都宮市をもっと知り、そしてつくり出すための飲み会をここで開催しています。

ここまでは起業家としても
「そうだよね、ネットワークが広がり、仕事に繋がる出会いの機会になりそうだよね」
というイベントだとは思います。
しかしそれだけにあらず。
ここではマルシェまで、開催してしまっています。

>SOCO MALL
コワーキングスペースを会場にマルシェを開く。
なんなんだそれは。
いや、これも栃木で新しいはたらき方を探す方々を応援するための機会です。
デスクワーク系だけではなく、
例えば、自分の手仕事やサービスでビジネスを考えている人が出店します。
服飾、雑貨、お菓子はもちろん、ネイル、はたまた不動産……。
さまざまなジャンルのはたらく人たちがここに集まります。
ちなみに、次回は3回目の開催。
3月16日(日)11:00〜16:00にSOCOが開放されます。

このように試行錯誤しながらも
ひとつの思いつきと空き倉庫が出会い、いろいろなことが動いています。
たとえ今はこの地域にはたらく場所の需要が少なかったとしても、
空いている物件に僕らの想いをのせて整備し、
ひとつの目に見える場所をつくりだす。
つくってしまったら、あとは覚悟を決めてやるしかない。
「ここはまだまだこれから」
そう思い込んで仕掛けを継続していきます。

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

パン屋タルマーリー 渡邉 格さんと麻里子さん

菌が息づく、タルマーリーの不思議なパン。

きっと、誰もが社会の教科書で一度は目にしている、経済学者がいる。
「(カール・)マルクス」。彼の考えを身近に感じる人は少ないかもしれないが、
マルクスが考える経済をヒントに、パン屋という仕事を見つめた本がある。
渡邉 格(いたる)さんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』だ。
この本には、格さんが、奥さまの麻里子さんと共につくりあげてきた、
「パン屋タルマーリー」の哲学が、綴られている。
渡邉夫妻が考えるパン屋の哲学とは?

タルマーリーがある通りは、「町並み保存地区」に指定され、古い家屋が並んでいる。

タルマーリーが店を構えるのは、岡山県の北西部に位置する真庭市勝山。
“晴れの国、岡山”と言えど、ここは山陰の文化も香るまち。
取材に訪れたのは1月中旬、外は粉雪が舞っていた。
「移転を決めたときには、ここまで山奥を選ぶとは、
想像していなかったんですけどね」と麻里子さんは笑う。
古民家を借りて1階をパン屋、2階を自宅とし、子どもふたりと4人暮らしだ。

もともと、千葉県いすみ市に店を構えていた渡邉夫妻は、
東日本大震災をきっかけに、移転を決意。
東京に出荷先がある関係で、宅急便が翌日到着できることを視野に入れると、
候補にあがったのは、岡山県。
パンづくりに欠かせない、おいしい水を求めて県内の移転先を探した。
格さんが岡山県内の井戸水や湧き水を試飲していき、鳥取との県境にある、
蒜山の水を飲んだ時「甘みがあってビックリ」して、この地に決めたのだそう。

タルマーリーの看板商品の「和食パン」。もっちりとした食感で、噛めば噛むほど甘みが口のなかに広がる。

勝山に移転して、タルマーリーは今年の2月でまる2年が経つ。
「ようやく、ここでしかつくれないパンのかたちができてきています。
いわゆる“過疎のまち”ですが、この土地に来ていいことばかりなんですよ」
と格さんはとってもうれしそう。
格さんは、この土地の水と小麦、そして天然の菌にこだわる。

その“菌”が、タルマーリーのパンのすべてを物語るのだ。

第一次発酵後のふんわりと膨らんだ和食パンのパン生地。天然菌が息づくタルマーリーのパン生地は、なんだかつやつやしている。

酵母菌はもちろん、乳酸菌、麹菌など、
パンの発酵に関わる菌には、さまざまな種類がある。
なかでもタルマーリーが力を入れているのが、
酒種をつくるために必要な天然の麹菌。

現在の日本では、味噌でも醤油でも日本酒でも、
ほとんどが「もやし屋」から種麹(純粋培養した麹菌)を仕入れて
麹を仕込む。格さんもかつては市販の種麹を使っていたが、
それを自らの家で採取することにした。
ちなみに、麹菌というのは、いわゆるカビのこと。
格さんは、蒸し米についたいろいろな色のカビを舐めて、
麹菌を見つけ出したというから、生物学者なみの探究心に感服する。

しかし、この天然菌、うまく採取できても、扱いがとても難しい。
だから、一般のパン屋さんでは、安定した発酵ができるように、
純粋培養された「イースト」を使う。
「数軒のパン屋で修業してみて、日本の“天然酵母パン”は、
市販の天然酵母を使うのが主流。自家製酵母を使っても、粉の配合を調整し、
イーストを添加して発酵を安定させている場合が多い。それに、
よく、日本の小麦粉ってパンづくりには向いていないって言われていますよね。
修業したのもフランスのバゲットを得意とするパン屋だったので、
フランス産やカナダ産の小麦じゃないと、本場のバゲットにならない!
と、妻にも説明していたんですけどね……」と格さん。
そこは、麻里子さんが、譲らなかった。

パンをつくるのは格さん、販売と広報は麻里子さんの担当だ。

大学の農学部で、環境問題について勉強した麻里子さんは、
食の分野から自然環境をよくしていけないかとずっと考えてきた。
そのためには、まずは地域内循環を生むような生産態勢が必要だと。
「日本の小麦で、おいしいパンをつくることが、あなたの使命でしょう!
と、いつも言っていましたね(笑)」(麻里子さん)

自分が学んできたパンづくりをくつがえすような条件。
しかし、苦労しながらも、格さんはどんどんパンづくりにのめり込んでいく。

さらに、タルマーリーでは、パン生地に砂糖を使わない。
天然酵母を謳うパン屋でも、発酵を安定させるために、
酵母の栄養剤として、砂糖を使う場合がほとんどだという。
「当初は健康志向の意味もありましたけど、
結果的には、砂糖を使わないパンづくりのほうが面白かった。
そのおかげでタルマーリーらしさをさらに追求することができました。
つまり、砂糖を入れると、どんな良くない素材でもパンになってしまう。
でも、砂糖なしだと、きちんと素材を吟味しないと発酵がうまくいかず、
ちゃんとパンにならないんです。だから、自然栽培の素材を厳選し、
自分の感覚に向き合うことができましたね」(格さん)

作業の合間を見て、菌のこと、パンのことについて丁寧に教えてくれる格さん。

基本材料は、国産小麦、汲んできた蒜山の水、塩のみ。
これに、天然菌たちが働く酵母の種類によって、
タルマーリーのパンは風味が異なる。
勝山に移転して、1年が過ぎ、ようやくこの土地にあった配合が見えてくるも、
タルマーリーの家屋に棲み着く天然菌はなかなか手強い。
急激な気温の変化はもちろんだが、
なんと、スタッフの心が落ち込んだりしても、発酵が悪くなるときがある。
格さんは、神経を研ぎすまし、目には見えない菌の動きを読み解く。
菌がうまく活動してくれなければ、おいしいパンがつくれず、
その日の売り上げが立たない。それではスタッフも家族も暮らしていけない。
「腐敗するか、発酵するか。プレッシャーですね。そのためにも、
ちゃんと休息をとらないと、感覚が鈍ってしまうんです」

ここで、ようやく、マルクスの登場だ。

まだ暗い朝4時からタルマーリーはスタート。発酵したパンを分割、成形と、リズミカルの作業は進められていく。製造スタッフの湊 貴光さんと、橋本春菜さんとの息はぴったり。

レーズン酵母を使ったカンパーニュ。上はふんわりとふくらんだ生地(上)。その後オーブンで焼かれ出てきた(下)。とても美しい!

タルマーリーの経営理念は、利潤を生み出さないこと。

「東京都の近郊住宅地で育ち、高校でドロップアウトしちゃって、
パンクバンドやりながら、引越し屋のバイトをしたり。
いい大学に入ってうまくいっているやつもいたけど、
ほとんどの友だちはトラックの運転手。
俺もこの先、運送屋で生きていくしかないのかな……と思っていました。
そういう世界から抜け出す方法が見えなくて、先の見えない不安に悩んでいました」
そんな23歳の時、格さんは大学教授である父とともに
ハンガリーに滞在したことをきっかけに、25歳で国立大学の農学部に入学。
卒業後は、有機農産物を扱う会社に入社した。
しかし、現実は、産地偽装のようなことも少なからずある流通体制。
「有機農業の発展」という理想に燃えて就職したものの、
「会社組織」の中で、数々の「理不尽」にぶち当たった。

タルマーリーのある勝山を流れる旭川。

学生の時から「いつかは田舎で暮らしたい」と思っていた格さん。
そのために、手に職を……と悩んだ結果、
突如パン職人になることを決め、修業を始める。
30歳のときだ。独立するまでに、4軒のパン屋で修業を積んだ。そのうち、
1軒目は、「毎日ボロ雑巾のように、朝から晩まで働いた」という。

格さんが、マルクスの「資本論」を父に勧められたのは、
タルマーリーを開業して1年目の時。
「パンが高い」というお客さんからの声に悩んでいた頃だ。
読み始めてみると、修業時代のパン屋の労働条件は、
マルクスの生きた150年前と何も変わらないことに気づく。

マルクスの考えを紐解くと、
自分の置かれている資本主義経済の仕組みが見えてくる。
何でこんなに朝から晩まで働かなくてはいけないのか。
労働者がどれだけ働いても、約束した賃金だけが支払われ、生まれた利潤は資本家が握る。

格さんはマルクスを勉強するうちに、この資本主義経済の矛盾は
「利潤」を生むことを最優先にした生産体制にあると理解する。
そして、さらに確認する。
当初から掲げたタルマーリーの経営理念、
「正しく高く材料を仕入れて、正しく高くパンを売る」という考えは
利潤を生み出せないけれど、これこそが、その矛盾から逃れ、
次の経済のあり方を提案していけるのではないか……と。

レーズン酵母を使ったレーズンブレッドが焼き上がった。

「利潤が出ない」ということは「赤字を出す」ということではない。
まずは、損益分岐点をクリアにすること。
人件費、材料費などの原価から、1日の売り上げ目標を計算。
自分たちやスタッフが働いた分は、売り上げのなかできっちり還元する。
そもそもは、パンに正当な価格をつけなければいけない。
「パンの価格問題は、いつも夫婦げんかの議題でした(笑)」と格さん。
“あんぱんは100円”という一般常識に、どこまで切り込んでいくか。
「麻里子はブレないんですよ。価格を下げないことに。
でも、俺は当初、“値ごろ感”を望むお客さんのことばかり考えてしまっていた。
自分のパンに、自信がなかったんだと思います」

麻里子さんが目指すことはとてもシンプル。
食と職の豊かさや喜びを守り、その価値を高めていくことだった。
「私は情報を発信する、販売する立場として、
意味のあるものだったら、
正当な価格を理解して買ってくれる人が必ずいると信じていたんですね」

ちなみに、マルクスいわく、
資本主義経済の矛盾の一因に、「生産手段」を持たない「労働者」が、
自分の「労働力」を賃金と交換するしかないという構造があげられる。
格さんは、ひとりひとりがその生産手段を取り戻すことが、
有益な策のひとつになるのではないかと考えている。

つまり、タルマーリーとしてのパンの価値を高めていった結果、
菌をベースとしたパンづくりが生産手段となり、
それは、パン職人としての格さんの自信へもつながっていった。
格さんの探究心を支えたのは、そんな麻里子さんの真っすぐな思いに他ならない。

麹菌を使ってつくられるピタパン。もちもちした食感にハマってしまうファンは多いそう。

「千葉から勝山に移転したとき、自分がつくるパンに、さらにシビアになりましたね。
菌のためには人間が少なければ少ない土地ほど、のびのび生きられて最高の環境なんですが、
パンを売ると考えると、マーケットが小さくなるのは、正直不安でした。
だからこそ、ここ勝山でしかつくれないパンをとことん追求しよう!
と、夫婦で強く決意したんです。

大変そうに見えるかもしれませんが、
天然菌だけでパンをつくると決めてからのほうが、自由になれました。
とにかく、菌の声に耳を傾けるために、自分の感覚を研ぎ澄ます。
人間の頭だけで考えているとどこかずれていったり、
奇抜なことを妄想してしまうと思うんです。
でも、菌という自然の法則と日々向き合うことで、自分の心も鍛えられる。
食をつくるって、本来そうなんだと思うんですよね」(格さん)

「天然菌だけと決めてから、私たちはいつも“菌”が起点になったんです。
人間って、いろんな情報に流されてしまいますよね。
玄米のほうが体にいいんじゃないかとか、
価格が高いからこっちの素材のほうがいいんじゃないか、とか。
でも、菌は何も迷わずに、発酵という結果ですべて教えてくれるんです」(麻里子さん)

作業中のスタッフの合間をぬって工房を動き回る、娘のモコちゃんと息子のヒカルくん。

焼き上がったパンから売り場に並べられ、10時に開店だ。

「そうやって、クオリティの高いパンをつくるためには、
パンをつくらない時間が必要なんです」と格さんは、休息をとても大切にする。
タルマーリーの営業日は、木・金・土・日曜のみ。
水曜は仕込みのみ。日曜は、次の日の仕込みがないので、
製造現場で高い集中力を要するのは、木・金・土曜の3日間。
ほかにも冬休みと夏休みが2週間ずつ、春休みも1週間あるそうだ。

最近出会った島根の自然放牧の牛乳で、ヨーグルト酵母の培養を始めたという。この瓶の牛乳の中で、天然の乳酸菌が働いている。

長期休みの間も、生産者に会いにいったり、
自家製粉機を導入したり、中庭の物置をつくったり。
休みと言えども、よりよいパンをつくるためにフル活動の格さん。
「まだまだ、やりたいことはたくさんありますね。
ドライフルーツなどの副材料も、まだほとんどが輸入モノですし、
ビール酵母のもととなるモルトも、ゆくゆくは地場の素材に変えて、
さらなる進化をしていきたいんです」
同時期に岡山へ移転してきた自然栽培の農家「蒜山耕藝」など、
地域の生産者との連携が進むと、
パンが地域内循環をつくり出すカギになるかもしれない。
「今はイートインという形式のカフェも、もっと充実させていきたいです。
近隣の農産物の加工をしたり、もっと地域内循環するような、
仕組みを広げていきたいですね」と麻里子さんも続ける。

そんな風にこれからのことを話すふたりは想像力に溢れていて、
聞いているこちらもなんだかとても楽しくなってくる。
マルクスを読み解いたら、菌が導いてくれた勝山でのパンづくり。
菌を起点に、新たな可能性を模索し続ける、ふたりのしなやかな生き方からは、
ローカルでの暮らし方のヒントがまだまだ眠っている気がする。

この家に決めた理由のひとつである、タルマーリーの中庭。この庭には川が通っていて、夏には蛍も飛ぶという。温かい季節は、庭カフェとなる。ちなみに、このウッドデッキは、美作市のセレクトショップ難波邸を運営する山田夫妻が手がけたのだそう。

information


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パン屋タルマーリー(イートインカフェあり)

住所 岡山県真庭市勝山195-3
電話 0867-44-6822
営業時間 10:00〜17:00 月曜・火曜・水曜定休
http://talmary.com/

information

別冊コロカルでは、月に1回タルマーリーのパンを販売している、
岡山県美作市の複合施設ショップ「難波邸」を訪ねました。
フフルルマガジン「別冊コロカル」

NO ARCHITECTS vol.4: 昔から流れる 日常のリズムに合わせて

NO ARCHITECTS vol.4
まちも建物も最大限に生かすスペースに。

今回は、元たばこ屋さんだった木造家屋をリノベーションした、
「モトタバコヤ」という名前のスペースの紹介です。
場所は、このはなのど真ん中にあります。

大阪市此花区の梅香・四貫島エリアを舞台に、
地元の不動産会社と協働して、まちの再活性化プロジェクトを展開している、
「此花アーツファーム」の事務局として、2011年の9月オープンしました。

オープン時の告知のためのチラシです。デザイナーの後藤哲也さんにアドバイスいただきながらデザインしました。背景の写真は、表面が建物の外壁、裏面が内壁になっています。

1階には、2部屋あり、入り口を入った土間部分は、小さなカフェと、
地域で活動している作家などのシェアショップ、
奥にある和室は、イベントや寄合いのためのスペースです。
2階と隣の長屋「千鳥荘」は、このはなのまちの雰囲気を味わってもらう、
「お試し暮らし」の営業を始めました。

カフェの内観。近所に住む小学生が学校帰りに宿題をしに来たりします。

僕らが手を入れる前、2008年頃よりモトタバコヤという名前で、
お試し暮らしやアーティストの宿舎、寄合い・ミーティング、アトリエ、
まちなかイベント「見っけ!このはな」の受付などとして
活用され、愛されていた物件です。
「もっと日常的にまちに開放した場所にしたい」との依頼を受けて、
リニューアルオープンに向けて、プロジェクトが始まりました。

現場初日。ハンマーで壁を壊す大川さん。

施工は、毎度おなじみPOSの大川さんです。
モトタバコヤの運営自体も大川さんがすることになっていたので、
どういう場所にすべきかなど、使い方やプログラムから一緒に考えながら、
プランニングを進めていきました。

改装前の奥の和室です。おばあちゃんの家に来たようで、とても居心地が良いです(写真提供:此花アーツファーム)。

1階奥の和室は、雰囲気がとても素敵だったので、畳をきれいにしたり、
壁を塗りなおしたり、天井を手入れしたりと、
簡単なリフォームを施した程度です。
もともとあった朱色の大きなちゃぶ台もそのまま使っています。
生活の痕跡が色濃く残る台所も残したかったのですが、
カフェの機能を考え、大改造することになりました。
トイレも、収納をつぶして拡張し、和式から洋式に変えました。
収納の戸は、そのまま使っています。

入り口を入った土間部分は、道路に面している壁を、
柱を残してすべて解体しました。まちに対して開放的にするためと、
もともとのスペースが狭すぎたのでちょっとでも広くみせようと、
ガラス面をできるだけ多くとりました。
家具も必要最低限の範囲で、仮設のような作り方でデザイン。
使い方や機能を限定してしまうような余計なことは、
極力しないようにしています。

棚やカウンターなどの家具は、シェアショップの各店長と話し合いながら仕様を決めていきました。

現場に毎日通うと見えてくること

土間の工事をしていると、いろんな人が声をかけてくれました。
廃品回収のトラックからおばちゃんが「なんか捨てるもんあるか?」と、
元塗装屋だというおじいちゃんが、ペンキの塗り方を教えてくれたり、
隣に住む車いすのおばあちゃんが、毎日同じ時間に同じ話をしに来てくれたり、
作業がおして暗くなっても作業をしていると、
仕事帰りのお向いさんがおでんを買ってきてくれたり、
斜め向かいの銭湯が店じまいするからと、ずっと使っていたのれんをくれたり、
カランカランと鐘を鳴らしながら自転車に乗る豆腐屋さんが通りかかったり。
現場中にも何度もお世話になったのは、ラーメン屋さんの「イナリ軒」。
チャルメラを吹きながらゆっくり屋台をひいてきて、
話をしてみると50年も続けているとのこと。

挙げだすときりがないくらいに、毎日、同じ場所で、
さまざまな日常が繰り返されていました。
そんな心地良いリズムのような日常の中で作業をしていたら、
このまちに住んでみたいと思うようにもなりました(自宅改装はvol1参照)。

リニューアルオープン日に撮ってもらった集合写真。ぎりぎりまで作業していたので、みんなヘトヘト。

外観に手を入れたのは、シャッターボックスや
キッチン前の錆びついた格子を白く塗ったり、ポストを付けたくらいで、
ほぼそのままです。あと、看板も取り付けました。
以前、イベント時に描かれたモトタバコヤという文字が、
偶然にもgoogleのストリートヴューに残っていて、
素敵だったので、それをトレースして少し整えてロゴを作りました。

モトタバコヤの切り文字を、もともとたばこ屋の看板だった場所に取り付けました。

シェアショップのオープン当時は、
カフェ、古本屋、リメイク古着屋、
このはな界隈の作家がデザインしたTシャツ屋、
神戸芸術工科大学とのコラボガチャなど、でしたが、
今ではショップ数も増えて、アウトドアグッズ屋、木工雑貨屋、
アクセサリー屋なども増えて、
より何屋さんかわからない状態になってきて、良い感じです。
それぞれの店長さんたちによるイベントも定期的に開催され、
毎回賑わいをみせています。

2階の和室には、「見っけ!このはな2012」の際、木彫作家のムラバヤシケンジさんにつくっていただいた欄間があります(撮影:長谷川淳)。

「これからのモトタバコヤは、より一層イベントに力を入れるのはもちろん、
地域の情報を集めて発信していき、どんどん地域に関わっていきます。
子どもから若者、お年寄りまで、みんなが寄り合える場所にして、
梅香から此花区全体を楽しいまちにしていきたいです」
最近、事務所をモトタバコヤの2階に移した管理人の大川さんが、
抱負を語ってくれました。

2013年3月には、劇団 子供鉅人による散歩と観劇を兼ねたツアー演劇『コノハナ・アドベンチャー2』の舞台にもなり、スペースの活用の幅を広げつつあります(撮影:明地清恵)。

その場所で、昔から今まで流れてきた時間や培われた人の生活の痕跡を、
まちの風景として捉え尊重し、乱暴になりすぎないように、
新しいものや新しい人の流れをデザインすること。
まちに溶けこむ場所をつくる上で、とても大事なポイントだと思います。

このまちにふらっと訪れたひとが、モトタバコヤというお店を通して、
まちのリズムを感じることができる場所になっていけば良いなあと、
密かに願っています。

新春モトタバコヤまつり 第2回粉もんパーティ−の様子。地元の方もたくさん参加されていて、大賑わいでした。右端に写っている人は、お隣の千鳥荘に長期滞在されているマシューさん。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

information


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モトタバコヤ

大阪府大阪市此花区梅香1-18-28
http://konohana-artsfarm.net/mototabaccoya

山ノ家 vol.4: 雪下ろしと、プランづくり

山ノ家 vol.4
初めて体験する、豪雪地帯の雪下ろし

2012年1月。この年は3年に一度の
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開催される年。
このタイミングに山の家をオープンできるのは、立ち上げで勢いがつく絶好の機会だ。
なんとかよいかたちで実現しよう。そんな新たな想いを抱く年明けとなった。

その前の年のクリスマス・イブ、外装工事が終わろうというときに
どんどん深くなる雪のため、十日町から脱出するかのように東京に戻って来た。
あの雪国での出来事は、幻だったのではないかと思うくらいにおだやかなお正月の東京。
しかし、今までとは確実に違う落ち着かなさが僕らの頭のすみっこにはある。
結局、工事は無事に終えたのだろうか? 仮設の囲いがとれた外観を早く見てみたい。
年末年始から本格的に降り積もるという、あの雪はどうなったのだろう。
「年明け早めには一度屋根の雪下ろしをしたほうがいい」
地元の若井さんからはそう言われていた、ような気がする。
どこかのタイミングでまつだいに行って、
教わりながら雪下ろしをしようということになっていたが、
やはり一度東京に戻ってしまうとなかなかスケジュールの調整をするのが難しい。
既に、あの幻のような世界へ行くにはちょっとした覚悟が必要であった。
そして、未知の雪下ろし。
早くやってみたい、やらねば、という気持ちと、
ちゃんとできるのか? 本当にあの屋根の上に登れるのだろうか?
という複雑な気持ちをかかえながらもようやく、
あの世界に行けたのは1月の半ばを過ぎてからだった。

ついに仮囲いがとれて、外観が! 屋根の上にいるのは若井さん。

外装工事は無事終わっていたようだ。
感慨にふけるのもそこそこに、屋根の上に怖々のぼり、
何もわからぬ僕らは、若井さんにやり方を教わりながら初めての雪下ろし。
まったく要領を得ず、効率が悪い。
地元の人が2人で1〜1.5時間で終わらせるものが、半日経っても終わらなかった。

屋根の上で雪下ろしをする若井さん、河村くん。

下から屋根を見上げたところ。あの、高くそびえる梯子を上って屋根に上がるのだ。

当人としては、慣れていないせいもあるかもしれないが、精神的にも体力的にも
結構しんどかった。
それでも1〜2月は可能な限り現地に行って、雪を下ろそうと思った。
雪のことで周りの方に迷惑をかけているのではないかと思うと、落ち着かなかったからだ。
あとで聞いた話だが、最初なかなか行けずに雪が降り積もる一方だった頃、
「あの家はつぶれるんじゃないか」と言われたりしていたそうだ……。
2月の末に何度目かの雪下ろしに行ったときに
「あとはまあ、そこまではひどくは降らないと思うよ」
と言われたときの安堵感は例えようも無いものだったが、
終わるどころか、僕らはまだ何も始まってもいないのだ。

いろいろな人とかたちにしていくこと

雪が溶けるまでの間、
東京での仕事を飛ぶようにこなし、合い間をぬって、山の家のプランニングや組織化の話、
何をやるのか、そして実際どの様にやるのか、といった打ち合わせを重ねていった。
年を越す前から、おおまかな機能のイメージは
gift_のクリエイティブ・ディレクターである池田(彼女はgift_のパートナーであり、
プライベートのパートナーでもある)がまとめていた。
図面によるプランや、運営の下書きの基本となる部分もできていた。

初期にまとめた機能的なイメージ草案。カフェ・宿泊・ショップ・レジデンス、そしてwifiなど「必要なものがある」。

プラン。1階はカフェ、もとあった和室と階段下の押し入れをぶち抜いてキッチン導線をつくる構想。2階は、2段ベッドの宿泊とレジデンス。

具体的な詰めももちろん必要だが、その前に根幹となる目的、想いを固めることも大事だ。
例えば比較的最初の頃に浮かんでいたキーワードのひとつは、
「都市と里山の日常をまぜ合わせる」というものだった。
僕らが大切にしたいと考えたことは、
この場所が誰にとっても極力違和感の無い場所になるということ。
都市から来る人にとっても、地元の人にも、
いろいろな世代や立場、境遇の人々が行き交うための場でありたい。
どちらが主体でも、受け身でもなく、観光というよりももっと、
特別でないはずの日常そのものがいつのまにか面白く歪んでしまうような事が起こる、
そんな場所にしたい。
カフェやドミトリーは、そのためのきっかけとしての機能なのだ。
現地に通い、交渉や外装工事などを行った中で出会い、話した人々や、
さまざまな出来事が重ね合わさっていくなかでさらにその感覚は強くなっていった。
機会あるごとに人にも話すことで客観性をつかみながら何度もその想いを検証していった。
そういったヴィジョンや方向性を現実のものにするべく、
たくさんの人に関わってもらう(または巻き込んでしまう)ことによって
ようやく本当の意味で理想のかたちになっていくのだと考えた。

前回の外装工事の時とは違い、
ソフトの立ち上げのためにも多面的に手伝ってくれる人が必要だ。
内部空間も自分たちで手がけるところは多く、もちろん施工のサポーターは必須。
さらに、飲食業や宿泊業の運営経験が皆無の僕らが
カフェやドミトリーを立ち上げようというのだから、
考えなくてはいけないことや、やるべき事はたくさんあった。
とにかくひとりでも多くの人に協力してもらいたい。

そこで、池田のほうでは運営立上げ準備チームをまずつくった。
4月ころに、立ち上げインターン募集の声かけや、
さまざまなto Doの整理を、ふたりの女性スタッフと共に進め始めたのだ。
そのうちのひとりはマユコさん。前出のCETや恵比寿の僕らの拠点gift_labの創業期から
さまざまな業務を手伝ってくれていた人で、オーガニックフードのカフェなどでも活躍していた。
彼女が、一緒に立ち上げに入ってもらってはどうか、と僕らに推薦してくれたのが、
もうひとりのメグミさん。アートや食やライフスタイルデザイン関連の仕事を重ねて、
奇跡的にも、ちょうど外装工事に入る直前くらいのタイミングで運命的に出会っていた。
その後彼女はgift_のスタッフとなり、そのまま山の家立ち上げの中心メンバーになった。
このふたりがいなかったら絶対に立ち上げられなかったと、
今でもよく池田はつぶやいている。

恵比寿のgift_labで、インターン説明会を行っている様子。奥のふたりがメグミさん、マユコさん。手前にいるのが池田。

5月中旬ころになると、運営母体となる会社を設立した。
山の家という名前も屋号として使うことが決まり、
僕らのコンセプトを表象するような「ロゴ」をつくりたかった。
早速、いつものようにDonny Grafiks(ドニーグラフィクス)の山本くんに相談した。
山の家という名前、十日町で新たなプロジェクトのこと、これまでの経緯や、
今思っているイメージを洗いざらい話した。
しばらくして山本くんがプレゼンしてくれたのがこれ。

もはや漢字ですら無い、文字以前のようなロゴが。こう来るとは……!

想定していた路線と違ったが、それが非常によかった。
さらに新たなイメージが広がりそうな予感がした。
このときに彼に気づかされたことがある。
山の家ではなく、山ノ家となっていること。
この表記ひとつで、さりげなく独自性が出た。
この瞬間に、僕らの中で仮称「山の家」と呼ばれていたこのプロジェクトは
「山ノ家」になった。
かたちになっていくということはこういうことだと思った。

またある日は、
運営立上げチームでカフェのメニューについての方向性について考えていた。
その後、カフェのキッチンを主に担当することになるミナコさんもちょうどこの頃に合流。
当初から地産地消で行きたい、できるだけ地元の素材を使用したいという考えはあったが、
いわゆる郷土料理的なものだと地元のお母さんたちにかないっこない。
地元の人にも気軽に利用してもらいたいという考えもあり、若井さんなどは
「いつも米は食べてるから、例えば本格的なパンとか、
もっとカフェらしいメニューとかが食べてみたい」
というのだ。なるほどそうかと思いながらも、とはいえカフェのプロでもないし
ではどうするべきか? と考えあぐねているときに、
偶然、諸用で訪れた知人がその時抱えていた本に「移民」という言葉があった。
その瞬間、また、その言葉がすっと心にささって落ちてきた。
そう、僕らはあの土地への「移民」なのだ。その地に生まれ育った訳ではないし、
日常の文化も違う。でも、縁あってその地で生活していこうとしている。
だから僕らはその土地の素材を使うけれど、僕らが日々作り慣れている料理法でいいんだ。
彼女たちはそのカフェメニューの路線を「移民のレシピ」と命名した。
ある土地で素材に出会い、手慣れた料理と混ぜ合わせて新しいエスニックをつくり出すような、
不思議な自由さと魅力のあるキーワードとなった。

自分が漠然と想像したもののなかから、
また別の視点が加わることで
新たな、そして理想の風景がつくり出されていく。
山ノ家がさまざまな人との関わりによってできていくのはとても興味深かった。

そして、5月も後半。
ようやくインターンや何かしら手伝ってもらえそうな人たちとともに、
現地のキックオフツアーを行った。
このとき初めて、東京(世田谷)から十日町までの無料バスを利用し、
みんなで行くことができた。なんと言うか、それだけでもちょっと嬉しかった。
新たな人々がここに集まっている、というだけでさまざまな想像が広がる。

でもまだその前にやらねばならないことがある。
現状はまだ、とても内装工事に入れる状態ではないのだ。
前の持ち主のあらゆるものが家中に詰まっている。とにかく大片付けが次の山場だ。
2回目のツアーで、一気にみんなで片付けを行った。
その中でも、流用できそうな物や気になるものは残しながらも、
どんどんまとめていかないと終わらない。

インターンのみんなのおかげで、片付けはだいぶはかどった。

トラックで市の処理場へ自分たちで持ち込み。これが一番リーズナブルな方法。結局二往復した。

ツアーの食事は、カフェで出すメニューの試作を兼ねて
地元の食材なども使いながらのご飯会。
知り合った地元の方を招いたりしながらとても楽しく有意義に行えた。

みんなでの食事は、ツアーの楽しみのひとつ。実際ここから生まれたメニューもあった。

東京ではない時間の流れに戸惑う

6月になった。来月後半にはもうトリエンナーレもいよいよ開始となる。
こちらも準備は進んでいた。
内装工事を進めるべく、設計を決めて、スタッフを確保。
外装工事で活躍したアキオくんにも声をかけ、運営立上げチームによって
手伝ってくれるインターンのシフトももうバッチリでき上がっていて、
あとは具体的なスケジュールを伝えれば、という感じ。
もうそろそろオープンに向けた内装工事にとりかかりたい。
そのためには地元工務店さんによる工事と僕らの作業と、同時並行で行う必要があった。
つまり、工務店さんに内装工事の正式発注をしなければならない。
そもそも突発的なきっかけで始まったこのプロジェクト。
当然ながら資金があったわけではない。
内装工事含め開業に必要な資金の調達に奔走し、
地元商工会の紹介で金融公庫に申請をしたのだが、
その融資の決定の返事がなかなか来ない。
当然返事をもらわねば工務店さんにGOサインは出せない……。
フライングして入りたい気持ちもあったが、
あまり手戻りになるような無駄な動きをするわけにもいかない。
工務店さんと打ち合わせの上で出てきた工程も、完成まで約1か月半となっていた。
ちょっと長いな、とも思ったが、自分たちの手でリノベーションする工程も
含まれているので(時間どおり終わらせる事ができるかは読めないので)
何とも言えないところもあった。
しかし、それでは完成する頃に芸術祭もほとんど終わりかけになってしまうし、
オープンする絶好のタイミングを逃してしまう……。
少し焦ってきた。
思い込みでもあったが「これが東京だったらもう少し早く物事が進むのに」
という感覚になり、さまざまな部分で、
東京ではない時間の流れのペースやコミュニケーションの感覚に戸惑っていた。
ここでまた、その土地のペースの中での手探りが続く。
なんとか工夫できる解決策を考えなければ……。

つづく

MAD City vol.4: ナホトカ食堂の人をもてなす 空間づくり

MAD City vol.4
リノベで、平屋の自宅をカフェのようなおもてなし空間へ。

わたしたちのオフィスからもてくてくと歩いて20分くらいの距離、
日当たりの良いのんびりとした住宅地に中村菜穂さんは住んでいます。
見た目は普通の平屋建て。でも玄関に入るととってもいい匂い。
そう、菜穂さんは、予約制のイベント「ナホトカ食堂」を、
この自宅で不定期に開催しているのです。

菜穂さんのお料理です。

とってもおいしいお料理をつくる菜穂さん。
実はお料理だけでなくおうちの内装だって自分でつくっちゃいます。
菜穂さんがDIYを始めたのはどういうきっかけだったんでしょうか。

「もともと小さいころから自分の部屋を変えてみたいと思っていました。
壁の色をこの色にしたらどうなるのかなーとかいろいろ妄想したりするのが好きで。
きっかけは10年くらい前、自分の部屋にちょうどいい家具を手に入れたくて
自作したのが始まりです」

そのときに自作した棚は今でも菜穂さんの家のリビングで活躍しています。

奥に見えるのがその棚。見せる収納としても優秀です。

「当時は今ほど情報がないし、インターネットもそこまで普及していなかったので
自分がピンとくるものをなかなか探せなかったんです。
それで、予算の兼ね合いもあって自分でつくることにしました。
棚の中に入れる収納を先に選んで、それに合わせたサイズの棚をつくったんです。
もちろん初心者だったので父にも手伝ってもらいました」

とは言え、菜穂さんは服飾の学校出身。
木工や内装の技術を専門的に学んだわけではありません。
卒業後、服飾系の会社に勤めた後思い切ってカフェに転職。
そのことが現在の活動のきっかけとなったそうです。

最初に勤めたカフェは古い家をリノベーションした建物だったそうです。
1階にカフェ、2階には、そのカフェをプロデュースしたデザイン事務所が入っていたそう。
「そこでの経験にはとても影響を受けています。
インテリアのスタイルもそうだし、お店のホスピタリティも学ぶところが多かったです」

菜穂さんにとっての理想の住まいの空間は「カフェ」。
インテリアでも「カフェ風」という言葉はよく使われます。
とはいってもカフェってシアトルスタイルのモダンな内装のものから、
古民家を改装した和のテイストを大切にしたものまでさまざまです。
菜穂さんの理想とするカフェ風とはどんなものなんでしょう。

「わたしが居心地が良いなと思える空間でお客さんをおもてなししたいと思っているので、
そのためには内装も、ホスピタリティも、お料理そのものもどれも大切な要素です。
デザインされて整った空間だけれどもメニューにはそこまで力を入れていなかったり、
ほどよく力の抜けたこだわりというんでしょうか。
例えば、インテリアとしては壁が漆喰などの天然素材で、
木が古くて、古道具の什器が置いてあるようなところ。
空間としてはホスピタリティがあって、ごはんもおいしくて、ゆったりくつろげる。
このゆったりくつろげる、というのが一番目指すところです」

結婚して台東区に住んでいた菜穂さんはその理想を叶えるために、
「ナホトカ食堂」という小さな予約制イベントを始めました。
友だちを呼んで自宅で開かれる小さな食堂。
食堂を続けていくうちに、もっと人を招きやすい空間に住みたいと思うようになったそうです。

「台東区では鉄筋の集合住宅に住んでいて、しかもエレベーターなしの5階だったんです。
集合住宅だから案内の掲示などもしにくかったし、お客さんに来ていただくのも大変だし。
しかもそのころおなかに赤ちゃんがいるのがわかったので、
思い切って実家のある松戸に戻ってみようかな? と思って物件を探し始めました」

菜穂さんと娘さんの木ノ果ちゃん。

物件を探し始めた菜穂さんが、MAD City不動産で取り扱っていた平屋に
お問い合わせをくれるまでにはそこまで時間がかかりませんでした。
菜穂さんが問い合わせてくれたのは平屋にしては新しくて、
築20年経たない3DKに小さな倉庫がついた物件。
お子さんひとりのご夫婦にはゆったりめの広さです。
食堂をやる菜穂さんにはこのゆったり感がベストマッチだったようです。

「まず平屋っていうのは絶対条件だったんです。それまでが集合住宅だったから、
平屋で小さいお庭がついていたら看板だって出しやすいので、
お客さんにとっても目印になりますし。そして人を招くということを考えると、
玄関から食堂への導線がシンプルでわかりやすいことも条件でした。
ちょうどこの家はその条件にぴったりあっていて、いいなって思ったんです。
改装ができることも大きなポイントでした」

菜穂さんは入居するとすぐさまお部屋の改装に取りかかりました。
友人の建築屋さんに頼んで大量の漆喰を購入。
助っ人にお友だちを呼んでの漆喰塗りでは、
いつも通り菜穂さんのごはんを振る舞ったそうです。

「ちょうど妊娠中だったけど、漆喰を塗るだけだったら大丈夫だし、
高くて脚立に上らなくてはいけないところは友だちにやってもらいました。
漆喰はコテで塗るとテクニックが必要なので
お風呂用のスポンジで塗っていくのがポイントです。
素人仕事だけどちゃんと漆喰の壁ができました」

ニュアンスのある壁が素敵。雑貨を飾って。

ちなみに以前住んでいたところでは改装ができなかったので、
大規模な改装はこれが初めてだったそう。
とはいってもお友だちと一緒にわいわいと塗ったので、
漆喰を塗り終わるのには3日もかからなかったそうです。

「初心者のくせに、なぜか一番お客さんに入っていただく食堂の部屋から
漆喰を塗り始めてしまったので、この部屋が一番塗り方がへたくそなんです!
そこから漆喰塗りは上達したんですが、いまでも改装に関してはわからないことが多いし、
情報収集は難しいなって思います。今後も壁に飾り棚をつけたり、押し入れの改造をしたり、
いろいろやりたいことはたくさんあるのでちょっとずつやっていきたいなーって」

改装がひと段落したところでまた食堂を再開した菜穂さん。
途中に出産と育児のためのお休みも挟み、
現在でも生活とのバランスを見て不定期ですが開催されています。
改装の甲斐あって、どこにでもある普通の平屋が大変身。
足を踏み入れると居心地の良い空間が広がります。
実はMAD City不動産のスタッフもたまにお呼ばれしてごちそうになるんです。
おいしいですよー。

食堂の日は菜穂さんこだわりの調理器具にお料理が詰まって登場します。

「カフェで働いていたときにいちばん勉強になったのは料理の段取りなんです。
そのことは今もナホトカ食堂としてイベントをするときにとてもためになっています。
でも他にも気づきがあって、いちばん楽しかったのは
カウンターに座っているお客さんと談笑しながら作業をすることだったんです。
だから自宅で食堂イベントをやるようになってからは、
わたしもお客さんも一緒に楽しめること、
そのためにもテーブルや導線の配置を工夫することをいつも考えています」

そんなコンセプトは、菜穂さんが時々開催する手作り市にも表れています。
お友だちのハンドメイド作家さんやミュージシャンを呼んで、
みんなでつくり上げる市は菜穂さんの人柄をよく表しています。

1月13日に開催されたばかりの「ななの市」。MAD CityのイベントスペースFANCLUBで開催してくれました。

自宅イベントの回数を重ねるごとに理想の姿が見えてきたという菜穂さん。

「娘も生まれたことで、自宅でイベントをやる難しさも見えてきました。
そろそろ自宅ではなくお店でお客さんをお迎えしたほうがいいタイミングかなと思っています。
もともと将来的には夫婦で食堂をやることが夢でしたし、
今後はそれを見据えていろいろ動いていこうかなと考えています」

子どもが生まれてお母さんになるということは
今までの生活ががらりと変わってしまうということだと思います。
菜穂さんは、それを制約と捉えずに新しいチャンスだと思っているそうです。

「今まで通りのやり方にこだわる必要はないと思うんです。
そのときそのときによって新しいやり方を探すほうがもっといいなと思っていて。
お店と言っても生活の延長だと思うし、
お客さんが来てくれることでハリのある生活ができることには変わりないので、
自分のできる範囲で挑戦できることを探してみればいいと思うんです」

すでにお店のディスプレイみたいにかわいい雑貨たち。

ちなみにお店を始めたら、内装は自分でやりたいですか?

「そうしたいなと思っています! 自宅とお店では内装はあんまり変わらないかもしれません。
なにぶん冒険ができないのですごいアイデアとかは湧かないんですけど……」

とは言いつつも、お客さんにくつろいでもらいたい、
一緒に楽しみたいという素敵なコンセプトを持っている菜穂さんのこと。
イベントも、将来の夢も、子育てもまだまだこれからいっぱい楽しむ予定。
そんな暮らしにしっかり寄り添うおうちを自分でつくり上げたのだから、
これからつくるお店だってきっと素敵になると思います。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.04: シェアハウスこもごも

ビルススタジオ vol.04
居心地を自分たちでつくるシェアハウス

栃木県初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING(以下カマガワリビング)」が
オープンしてから早3か月が経ちました。

内覧会をしたのは、2013年8月のこと。
工事も無事終わり、お披露目の日です。
内覧会前のミーティング(vol.3参照)に参加した入居予定者は、5名。
この日はオーナーとともに、2階の共有スペースであるリビングにて、
彼らと一緒にお客さまをもてなしました。
来場者は、入居者の知人や家族、そして、このカマガワリビングの近所の方々、
不動産業者、記者の方々などさまざま。なかには入居に興味がある人がいたようで、
実は、この日来場された方のなかで、3名が入居を決定してくれました!

会がお開きになった後も入居者含めた関係者で呑んだくれ、終了は深夜3時……。
自分も含め、リビングの妙な居心地の良さに誰も帰らないという現象が起こってしまいました。
そして、この直後からそれぞれ引っ越してきて、入居がスタートしたのです。
現在14名の入居者さんたちがここで生活をしていますが、
この地方版シェアハウスではどのような日常が繰り広げられているか、
少し覗き見してみましょう。

50帖あるリビングでは色んな場所で小さいグループが。

まずは、ちょっと住民さんの部屋も覗いてみましょう。
6階建てのビルで、3階から5階までが個室のフロア。
3階の部屋たちは、そもそもどれも個性的。
天井高3m、コンクリート剥き出しの内装は当たり前のこと、
部屋によっては五角形だったり、メガホン型、5帖もあるベランダ付き、とさまざま。

サト氏の部屋は幅7mに奥行2.2mというバランスの悪い間取り。
しかし建築設計事務所に勤務する彼にはそのバランスの悪さがたまらなかったようです。
工事段階でのサト氏から要望があり、板床ではなく土間を広めにとり、作業場に。
入居後そこでコツコツ棚をつくっていると思ったら、
収納と階段そしてワークデスクを組み合わせたロフトができていました。

3mの天井高を活かした手づくりロフト+収納+デスクスペース。

その隣のゴロさんの部屋は先すぼみの間取り。
入口左に斜めにはしる壁はみかんの国和歌山県出身の彼の要望でオレンジ色に。
ある日彼のお兄さんが泊まりに来て
なにやらグリッド状にテープを貼っていると思ったら、
壁一面に世界地図ができあがっていました。
カリモク60の家具ともいい感じに合っていますね。

楽しいイベントもいろいろ

さらに、内覧会で実感したリビングの居心地のよさからか、
共有スペースでは、これまでさまざまなイベントも開かれています。
主催者は、当社だったり、オーナーさんだったり、入居者だったり。
例えば、こんなかんじです。

・2013年10月30日 ハロウィン
入居者さんたちそれぞれに仮装、ということで開催。
しかし、平日夜にそんなに人も集まらず、仮装の準備もできない人の多いなか、
3時間かけてひとり部屋で自分に包帯をまき続けた(そして力尽きた)
シン氏に拍手と涙をおくります。
手づくりの目玉のおやじはその後もさまざまな場所で活躍しています。

・2013年11月3日 餃子祭り
宇都宮市はいわずと知れた「餃子」のまち。
もともとの宇都宮市民の熱は実はそれほどないのですが、
市外から来た人の多いこのシェアハウスでは、かなり熱いのです。
この日は年1回開催する、12万人以上の来場者数を誇る「餃子祭り」が
ここからほど近い宇都宮城址公園で開催されていました。
なかでも入居者のゴロさんは前年に炊飯器片手に食べ歩いていた程の強者。
彼の発案で、同じ日にここカマガワリビングで独自に開催してしまおう、
ということで皆を誘い、餃子の買い出しに。

そして集めに集めた34店舗分、プラス手作り、約700個(140人前)の餃子たち……。
処理に困り、それぞれの友人を誘って食べ尽くすことにしました。
しかし焼き餃子だけでは何か物足りない。
そこで、流し水餃子(!?)を屋上で開催することになりました。
ホームセンターで雨樋を購入、餃子を茹で、屋上へ移動。
待ち構える総勢20名以上の餃子好きに向かって餃子を放流。
皆で餃子のまちの魅力を存分に楽しみました。
しばらくリビングも皆も臭いが消えなかったのは言うまでもありません……。

流し水餃子の様子。

・2013年12月14日 お料理道場
オーナーの友人でもある、料理家の越石直子先生に来ていただき、
入居者以外の方々にもシェアハウスに触れてもらう機会をつくってみました。
現時点、女性専用フロアのみ空いているので
女子限定のイベントです。料理に興味のある方(入居者含む)が参加。
主婦、学生、OL、飲食店スタッフなどなど。
シェアハウスならではの広めのキッチンスペースと道具類を存分に活用していました。

できたのは、砂肝とポテトのアンチョビソテー、アボカドとベーコンのクリームディップ、グリル野菜のパスタというワンプレート。美味しそうです。多めにつくり、入居者さんたちで相伴できるのも魅力です。

・2013年12月31日〜2014年1月1日 年越し
初めての年末年始。
例年は帰省していた入居者さんたちがなぜか皆帰らない……。
ということで、皆で年越し。
 ・年越し流し蕎麦:またもや屋上に雨樋設置。
 ・建物前で餅つき:水加減がうまくいかず、通りがかりのおばあさんに教えていただく。
 ・大掃除:なんとなく。
 ・宴会
 ・カウントダウン:気がつくと5分前。焦って皆で組み体操。完成せず。
 ・初詣:徒歩で宇都宮市の中心、二荒山神社へ。
 ・初日の出:屋上で。
 ・ニューイヤーボーリング:元気な人だけ。
かなり楽しく過ごしていたようです。
考えてみれば、地元ではなくて自分の住んでいる近所の人と過ごす年末年始は、
昔ながらの戸建てのあるまちに住んでいれば当たり前のことだったんですよね。
ちと元気過ぎる過ごし方でしょうけど……。

近所の子どもも興味深々な餅つきの様子。べっとべとな仕上りに……。

と、ここまで読まれている人は
シェアハウスってコトあるごとにパーティなどのイベントが開かれていて
“住んでいる人は毎日疲れてしまうのでは?”と感じてしまうかも知れません。
しかし、イベントは参加したい人、参加できる人だけ参加すればOK、というスタンス。
なので疲れていたり、テーマ的に乗り気じゃなかったり、起きられなかったりで
気ままに不参加でもいいんです。
その代わり、シェアハウス外の人も入居者の招待であれば参加OKの場合もあるし、
○○道場シリーズは一見さんでも参加OK、というように
会ごとに参加者の範囲、そして内容もバリエーション豊か。
気になるトコだけ参加しましょう。

個室は居心地よくカスタムできる。
共用部は充分な広さを持ち、他の住民さんと一緒に何かをやることも、
それぞれが好き好きに過ごしながら、他の住民と距離をとることもできる。
近所は地方都市とはいえども随一の商業地域。
3か月しか経っていませんが、
住民さんたちはここカマガワリビングの特徴を
上手に使いこなしてくれているようです。
良かったぁー。

さて、動き始めた「シェアハウス」という住まいの新しい選択肢。
しかしこのまちで生きていくためには当然働かなくてはいけません。
働かなくては家賃も払えませんしね。
そこで、私は仲間と一緒に新しいオフィスの選択肢もつくり始めました。

屋上からの初日の出。たった数か月前に出会った人たちで年を越す機会ってめったにないですよね。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

ヤマヤ

廃業寸前から、再スタートしたくつ下づくり。

奈良県の北西部にある、北葛城郡広陵町。
ここは、くつ下の生産量が全国一として知られるまちだ。
歴史をひも解けば、さかのぼること江戸時代。広陵町を含む大和地方では、
木綿がつくられ、綿繰りや木綿織りがさかんに行われた。
明治に入り、中国、インドから綿花が大量に輸入されると国内の綿作は一気に衰退。
大和地方も例外ではなかった。そこで、目をつけたのが「くつ下」づくり。
綿の織り機に代わり、手回しのくつ下の編み機を導入し、
くつ下の産地として発展していった。

加工する前の綿。この綿のなかに種がはいっているため、「綿繰り機」で、種をとり、糸をつむぎ、織り機で木綿となる生地を織る。そんな分業制が広陵町一帯に土壌としてあった。

ヤマヤには、くつ下の歴史を綴る書籍が多数。くつ下編み機が導入される以前の江戸時代は、手編み。ちなみに、当時編み物は武士の内職だったのだそう。

「雨があまり降らず、川の水量も少ない
この辺りは稲作だけでは食べていかれない地域だったんですね。
米をつくりながら綿もつくる家々は多かったそうです。そして、明治の末に
くつ下製造に代わり、広陵町周辺に広まっていったようです」

そう広陵町の歴史を話してくれたのは野村佳照さん。
彼が社長を務める「ヤマヤ」も大正10年創業の歴史あるくつ下製造の会社だ。
現在は「ORGANIC GARDEN」に立ち上げから携わるなど、
オーガニックコットンのくつ下製造に力を入れている。
また、自社ブランド「Hoffmann(ホフマン)」のほか、
国内ブランドのくつ下製造も精力的に手がけている。

奥のふたつは、ORGANIC GARDENの「ガラボウソックス」。太くふぞろいの糸から編まれた独特の風合いが人気。ガラ紡績機という日本独自の紡績機で作られる糸を使っているのが商品名由来。ガラ紡績機は明治に発明されたもので、いまでは、ほんの数台しか稼働していない。

実はヤマヤは、過去に、休業においこまれたことがあった。
野村さんが大学を卒業した昭和50年代初頭、輸入のくつ下が増え始め、
最盛期、奈良県内に900社以上もあったという工場や会社は減少傾向へ。
「ピークを過ぎたくつ下の製造は“やめたほうがいい”と随分反対されました。
でも僕が幼い頃、遊び場は工場。職人さんにもたくさん遊んでもらいました。
やっぱりそういう経験があったしね、立て直したかったですね」

そして、休業から3年後。他業種での仕事経験を経て、
野村さんは先代である父と共に再スタートさせた。
スタッフは、先代と野村さんの他に2名。
まずは、埃をかぶってしまっていた編み機を1台ずつ分解掃除し、調整しながら組み立てた。
やっとの思いで商品を仕上げるも、再スタート早々に不渡りにあってしまう。
「初めて売上げた代金の手形が不渡りになり、商売の厳しさを味わいました」

ヤマヤの展示室には、古い時代のくつ下編み機の復元機が。手で回して、シリンダーが回転。160本の針が上下に動いて、筒状に編まれていく。

バブル経済の崩壊が始まってから、くつ下産業の衰退は加速。
それでも、野村さんは諦めなかった。
当時ではめずらしいオーガニックコットンのくつ下をつくり始めたのだ。
まだまだ、オーガニックコットンの流通自体が不安定。
実際編み機にかけてみてもすぐに切れてしまうことも多かった。
野村さんは、スタッフとともに技術や経験値を生かして、かたちにしていった。
再スタートしたときには5台だった編み機も、現在は60台に増えたという。

「再スタートしたときに機械を分解した経験はかなり勉強になりましたね。
編み機の原理がわかったことが、後々役に立っています。
くつ下は毎日はくもの。国内の消費量は大きくは変わらない。
問題は、どこで生産されるかということ。
国産のくつ下を広げるためには自立した企業にならなければ」
そう考えた野村さんは自社ブランドHoffmannを立ち上げ、販路を開拓。
同じ時期に異業種グループ、協同組合エヌエスを設立し、
ORGANIC GARDENを展開。現在は、東京の恵比寿に営業オフィスを持ち、
奈良市の奈良町に直営店糸季を構えている。

ヤマヤの社屋内には、数種類の編み機が並んでいる。

くつ下が編まれているところ。ひとつひとつ筒状に編まれ、巻き取り装置の中に編みさがってゆく。

はき心地の決め手は、糸と編み機のマッチング

くつ下は、素材や色など試作して仕様が決まると、
デザインによって機械を選定し、針の動きを調整して編んでいく。
筒状に編まれると、つま先部分を、専用のミシンで縫い閉じる。
その後、ひとつひとつ編まれたものにキズがないか確認。
そして、かたちを整えるために、型板にはめ圧力蒸気をかける。
最後に検品、パッケージ加工を経てようやく完成する。
広陵町のくつ下は、いくつもの人の手を経て、つくられていくのだ。
だからこそ、丈夫で良質なくつ下ができあがる。

編み機は数種類あり、デザインによって調整していく。
例えば、ドレスソックスのようにキメ細かく編まれるハイゲージタイプは
針が200本以上に対し、ローゲージであれば、針の太さは100本以下。
また、「Xマシーン」と呼ばれる機械では、本格的なアーガイルを編んだり、
立体的な模様をつくりながら編み立てていく。
工場内におかれている機械や糸の種類を眺めると、その奥深さに驚く。

左がXマシーンで編んだアーガイルのくつ下。右は、アーガイル模様のくつ下で、後者は模様をつくるために柄糸をサーキュラーカッターで切るのに対し、前者は柄のつなぎ目を重ね合わせるように編み込んでいく。

「デザインや素材ごとに、針を調整します。
よりよい履き心地をつくり出すために、良質な素材であることは当然ですが、
それを最大限に生かす編み機の選定、編み地の調整が重要。
熟練の職人がいないとできないものも、多くありますよ。
特に凹凸感の出るダブルシリンダーのくつ下編み機は調整が難しいですね」
と野村さん。微妙な糸と編み機の適正をいかに見極められるかなのだという。

今はほとんど見ることができなくなった戦後広く普及していた靴下編み機。「この古い機械でしか作れないものがあるのです」と野村さん。

そんなオーガニックコットンのくつ下のパイオニアとも言える野村さんに、
一緒にものづくりをしたいと声をかけた集団があった。
関西の企業と新しいものづくりを提案する、
made in west」というプロジェクトを展開するオプスデザインだ。
made in west は、関西の企業が培ってきたものづくりの技術を生かし、
新しいデザインを提案していこうというもの。担当の神崎恵美子さんは、
ビビッドなカラー展開のオーガニックコットンのくつ下を提案。
「本来、オーガニックコットンは化学染料で染めたとしても、
履き心地や性能はあまり変わらないんです」(野村さん)
ビビッドなカラー展開を含め、これまでに3シリーズを商品化。
なかでも冬に人気なのが、「ヤク」という、
アジアの高山部で生息する、牛の毛を使ったものだそう。
綿に20%ヤクを混ぜると、薄くて温かいくつ下ができあがる。
「履き心地も気持ちよくて、あったかいから、私も愛用しています」
と、神崎さんも太鼓判の商品。

「made in westは、職人を主役にしてくれる。その姿勢にとても共感しました。
現在、国内のくつ下の生産量はピーク時の4分の1に、
広陵町でも、50社ほどになってしまいましたが、
分業でつくられるくつ下の技術は、この地域に支えられて育ってきました。
ものづくりは一度途絶えてしまうと、再生するまでとても大変なんですよ」
と、自身がゼロからスタートしたからこそ、
野村さんは、技術を伝えることの重要さを知っている。
「だから、広陵町の産業としてのくつ下をなんとか伝え、
残していきたいと思っています。ものづくりは面白いんですよね」

中央が野村さん。両脇にいるおふたりが、ヤマヤの再スタートを支えてくれた立役者。技術者として機械さばきの鋭さは右に出る者はいないと野村さんが褒める駒井秀臣さん(左)と、みなをまとめる製造部長の小林成光さん(右)。

information

ヤマヤ株式会社

住所 奈良県北葛城郡広陵町疋相97-1
電話 0745-55-1326
http://www.yamaya-e.com/
※直営ショップ・糸季
住所 奈良県奈良市高御門町18
電話 0742-77-0722
営業時間 10:00〜18:00(冬期は10:00〜17:30)
https://siki-naramachi.com/

東京オフィス


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住所 東京都渋谷区恵比寿南2-8-5岩崎ビル202
電話 03-3713-3705
http://www.hoffmann-ism.com/

別冊コロカルでは、「made in west」のアンテナショップとしても機能する大阪のショップ「prideli graphic lab.」を訪ねました。made in westが手がけている関西のプロダクトも紹介しています。⇒こちらからどうぞ。

NO ARCHITECTS vol.3: 下町情緒と ホワイトキューブのつなぎ方

NO ARCHITECTS vol.3
このはなの建物から生まれた、ギャラリー空間

今回は、2013年3月にこのはなにオープンしたギャラリー、
「the three konohana(ザ・スリー・コノハナ)」の紹介です。
オーナーは、山中俊広さんという方です。
以前は、大阪の西天満にある「YOD Gallery」に勤められていて、
独立後は、インディペンデント・キュレーターとして、
美術に関わる展覧会の企画や執筆活動をしていました。
そして自分のギャラリーを持つという決意のもと、その場所を大阪市此花区と決めた山中さん。

「もともと、ギャラリー「梅香堂」へ訪ねたり、このはなは馴染みのあるまちでした。
このまちに決めた理由は、ひとつは此花で活動している人が比較的同世代であったこと。
ただの若気の至りで色々とやっているのではなく、
社会経験を踏まえた上で行動している人が多いというのは、
今後のこのコミュニティーの継続性という意味でも重要な要素でした。
もうひとつはこの下町風情のまち並みですね」
そんなご縁で、山中さんがオープンするギャラリーのリノベーションを
NO ARCHITECTSがお手伝いさせていただくことになりました。

建物の外観。看板の跡が残っていたので、銀色に塗装。

まずは、物件探しから一緒にスタート。
不動産屋さんに条件を説明し、良さそうな物件は手当たり次第、見て回りました。
そして、出会ったのがこの建物。
正面の玄関は大通りに面しながら、奥の勝手口を出ると、裏通りにも面していて、
そんな風にまちの中に溶けこむように建っているところに惹かれました。
もともとは不動産屋として使われていた物件だそうです。

物件が決まったあと、プランに入る前に、
山中さんが目指すギャラリーのコンセプトについて詳しく説明を聞き、
念入りにディスカッションをしました。建物の生かし方を考えながら、
つぶす部分・残すもの・新しくつくるものを検討していきました。
最初の段階で、明確なヴィジョンを共有していたので、
この先、ほとんど食い違うことなくスムーズに、計画案が決まっていきました。
僕らとしては、信頼関係が築けた状態で仕事ができて幸せでした。

入り口を入ってすぐ左手に、チラシ置きコーナーをつくりました。サイズのバラつきのあるチラシやDMなどをきれいに陳列しやすいように、各々の棚の高さをコントロールしています。

今回、ギャラリーへのリノベーションを手がけるうえで、
一番ていねいに計画すべきだと思ったことは2点。
まちとギャラリーのつながり、展示空間であるホワイトキューブと既存の和室のつなぎ方です。
特に外観のデザインは、山中さんのスタンスやギャラリーのコンセプトなど、
お客さんへの姿勢が顕著に表れてしまうので、最後まで悩みました。
ギャラリーとしての雰囲気は保ちつつ、たまたま通りかかって興味を持った方や、
展覧会を観に来る方が入りやすいようにデザインしています。
コピーライターでデザイナーの古島佑起さんがつくった素敵なロゴを、
ターポリンに印刷し看板をつくったり、
1階の空き部屋の窓にインフォメーションのコーナーをつくったりと、
合わせてサイン計画もやらせていただきました。

床の仕上げは、いろんな会社のPタイルのサンプルを取り寄せて、微妙な色味や質感も、一緒に確認しながら決めました。

入り口から直接2階へとつながる階段を上がると、
手前の部屋をメインの展示室としての真っ白いギャラリースペースに。
奥の和室は、そのまま残して第二展示室に。押入もそのまま備品などの収納として利用。
和室の脇にある、ギャラリースペースから奥へと続く通路は、
事務作業のスペースも兼ねました。

カーペットの下に眠っていた古いタイルを、コテを使って剥いでいるところ。粉まみれになりながらの作業です。

デザインしていない感じ

現場作業が始まると、まずは解体です。
床のタイルとカーペットを剥がして、壁を2か所抜いてます。
施工は、OTONARI(vol.2参照)と一緒で工務店のPOSさんと共同で行いました。
古い木造家屋のため、壁や床の歪みが激しかったのですが、
作品を展示したときになるべく影響がでないように、水平垂直を合わせる作業が必要でした。

リノベーションの工程の中で、歪みを補正する作業は、根気のいる作業のひとつです。左のオレンジのチューブは、光回線のケーブルを壁の中に通すためのものです。

展示空間を考慮し、壁の電源やエアコンなども、
極力目立たないよう、壁に埋もれるように取り付けています。
こうした新しくつくる壁の納まりや、既存部の色の塗り分けなどには、
デザインされていないように見せるデザインを徹底的に施しています。

山中さん自ら壁にペンキを塗っているところ。一緒にできる作業は、共有することが大事です。ちなみにとても上手でした。

既存の奥の和室や建物正面の独特のすりガラスを展示室としてそのまま残して活用することで、
ただ作品をホワイトキューブの中に展示するだけではない、
まちの雰囲気や地域性に対して、いかに作品を定着させるかということも、
作家に対して問いかけるように設計しています。
これも山中さんの意向ですが、そうすることで作家性や作品のもつ強度を、
明確に感じ取ることができます。

Konohana’s Eye #1 伊吹拓展「”ただなか” にいること」2013年3月15日~5月5日 撮影:長谷川朋也

Konohana’s Eye #2 加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」2013年9月6日~10月20日 撮影:長谷川朋也

Director’s Eye #1 結城加代子「SLASH / 09 −回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」2013年6月7日〜7月14日 撮影:長谷川朋也

そもそもギャラリーとは、作家による作品の「展示」、
ギャラリストが作品の説明をするなどの「接客」、
お客さんによる作品の「鑑賞」の3つの目的が考えられますが、
山中さんの場合、展覧会の企画や広報などとは別に、
インディペンデントなキュレーター業もされているので、
そのための事務所スペースが必要でした。

事務所スペースのカーテンの製作は、美術家の加賀城健さんによるものです。椅子は、オープン祝いにNO ARCHITECTSとPOSからプレゼントしました。

しかし、誠実な山中さんの性格上、お客さんを一番大事にされているように感じたので、
あえて部屋やブースでは区切らず、通路に机と棚をつくって、
カーテンのみで仕分けてスペースを確保しました。最近ではカーテンも開け放ち、
個人的なスペースにも作品を並べ、より日常的な雰囲気のなかでの作品鑑賞を演出。
作業スペースとしてだけでなく効果的な空間になっているようです。

Gallerist’s Eye #1 岡本啓展「Visible ≡ Invisible」2013年11月8日~12月23日 撮影:長谷川朋也

the three konohana と、ギャラリー名にもまちの名前が入っていますが、
山中さんのまちに対する姿勢や意識の高さは、
「KAMO」というイベントの企画からもうかがい知れます。
KAMOとは、Konohana Arts Meeting for Osaka の略称で、
山中さんと関西アートカレンダーの森崎幸一さんと安川エリナさん、
協力メンバーにデザイナーの後藤哲也さん、
もともと、このはな在住のダンサー大歳芽里さんの5人で運営されています。
月1回、アート関係者やデザイナーなどのゲストを招いてトークするというイベントです。
開催されている場所は、(前回の記事)で紹介した、
まちのインフォメーション兼寄合いのスペース「OTONARI」です。
自分のギャラリー内ではなく、より開かれた場所で行うことで、
このはなに訪れる美術関係の方と、
まちに住む人たちとの交流が生まれる仕掛けをつくっています。

僕らも二回目のKAMOにて、大川さんと一緒に此花アーツファームとしてトークさせていただきました。

下町の風情が残るこのはなに新しくできたthe three konohanaは、
まだ一年も経たないうちに、イベントでの連携や寄合いなどの交流で、
このまちに定着していっています。
それは、the three konohana というスペースの性格を超えた、
山中さんの人柄なのだろうと思います。

ちなみに、2014年9月5日~10月19日の期間、the three konohana にて
NO ARCHITECTSの展覧会をさせていただくことになっています。
このはなのリノベーション物件などを巡るツアーも計画中です。
ぜひ、このはなにお越しの際はthe three konohanaに、お立ち寄りください。

informarion


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the three konohana

住所 大阪府大阪市此花区梅香1-23-23-2F
電話 06-7502-4115
http://thethree.net/

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

山ノ家 vol.3: 外装工事と雪

山ノ家 vol.3
未知の不安に“挑む”覚悟で

この空き家を利用するための、複雑で長い最初の一歩を乗り越え、
結局11月も後半を迎えるという時期にまで引っ張ってしまった外装工事。
ついに、建物に手を入れるときが来た。
今回の外装工事にあたって、
地元の工務店さんの下請けというかたちで僕らができる限りの作業を行い、
プロでないと、という部分は大工さんが入るということになっていた。

気持ちは少しだけ焦っていた。
12月20日くらいには終わるようにおおよその段取り、工程は工務店さんと決めたものの、
完成できる実感が全くといっていいほど想像できない。いつから、どれくらい雪が降って
どんな風になるのかも読めない。早い時は12月の初旬から降る、という話もあるし、
本格的に降るのは12月後半からだ、という人もいる。
僕らは東京でこなさなければならない予定もあるが、
とにかく現場に行かないとコトが進まないだろう。

離れた地でのリノベーション。しかも、外装工事。
今までに経験のないことで、どうなるのかわからない。
「なんでこんな大変なことを選択したのだろう」
と思ったこともあったが、とにかく今はやるしかない。
妄想をかたちにしていくのは、その後だ。
それにやるべきことがひとつある、それは自分たちで行う作業のための人材の確保だ。
とにかく、体を動かして手伝ってくれる若者(特に男子)が必須だった。
そして、こういうどうなるかわからないような、
しかし面白そうな新しいことを始めるときには必ず声を掛ける相談相手がいた。

スズキアキオくん。
彼はアートの設営を主体に、内装などまで幅広く「bibariki」という屋号で活動をしている。
前出のCET(セントラルイーストトーキョー)などのプロジェクトを一緒にやり遂げたり、
ある種同じ価値観をもてる貴重な協力者だ。
今までの経緯と、これからの展望を彼に話すと、やはり興味を持ってくれ、
一緒に動けそうな人も探せそうだと言う。とても心強い。

彼と何度か打ち合わせをして、今後のスケジュールなどを組み立てていった。
時間が限られているので、とびとびでも行けるタイミングにはなるべくまとめて行き、
作業を進めることが必要。そのために、地元の若井さんにも協力を仰ぎ、
現地に行っているときに寝泊まりできる場所の確保などをお願いした。
僕も、できる限りスケジュールを調整してこの外装工事に挑むつもりでいた。
最初に空けられるのはやはり週末くらい。しかしそれでは終わらないので、
12月は平日も空ける調整をし続けた。
年末に向けて忙しい時期に予定を調整するのは至難の業だった。
アキオくんから声を掛けて反応してくれた人たちが、
12月中旬から1週間くらいなら十日町に入っても大丈夫そうだ、という。
このタイミングで一気に片付けてしまいたい。
寒い外部での作業になるであろうことを考え、
防寒と作業効率の良さそうな上着を入手したりもした。

物件に仮囲いと足場が組まれた。

11月19日、撤去最初の日。手前がアキオくん。シャッターを解体中。

とにかく、覚悟は決まっていた。
ただ、どこまで続ければ終わるものなのかは正直見当がつかなかった。
ちなみに、僕らが行うことになっている、主な作業は以下のような感じ。

・外部仕上げ材の解体撤去
・透湿・防水シート貼り
・縦胴縁(たてどうぶち)取付け
・下見板塗装・取付け
・外壁材取付け
(古民家風意匠としての)付け柱・付け梁取付け

文字にするとこれくらいしか無いのだが、それぞれ必要な作業量が想像以上に多い。
この建物の大きさは、正面が7.5m弱、奥行きが10m、高さが約6m(軒下)、
背面は助成対象外ということもあり、今回は手を付けないのだが、それを除いても
これだけの外壁に手を施すということは冷静に考えると結構なボリュームになる。

少しでも早く終わらせようとかなり気合いを入れて現場に挑んだ。

建物側面のサイディングを撤去。意外といいペース。河村くんと、興味を持って参加してくれたアーティストのカミヤさん。

12月1日、正面の外壁撤去。これはかなり高さがあり怖く感じた。一番上の破風板(屋根の正面を塞ぐ板)は6.5m超えの位置。

12月に入ってからようやく、連泊での作業を開始した。
朝は7時に起床。朝ご飯を食べ、身支度をして、8時過ぎくらいに現場へ。
ラジオ体操をしてから、その日の作業を確認し、それぞれが動き出す。
休憩は10時と3時にきっちりとる。昼食後には少し横になって午後の作業に備える。
作業の集中力と体力をキープするためにはこのリズム感は欠かせない。
そして5時から5時半くらいまでで片付けをしてその日の作業は一旦終わりにする。
宿泊時の食事は自分たちでつくる。さながら合宿(何の?)である。
アキオくんは楽しむつもりで、
レシピ本を持参でかなりちゃんと計画的に食事の段取りも組んでくれた。

ある日の夕食。メインは妻有ポークのショウガ焼き!

はじめが比較的いいペースで進行できたこともあって
このペースでいけば案外早く終わらせることができたりするかもしれない
という気持ちも芽生えてきていたところで、一時的に東京へ戻る。
次の週(12月の中旬)に行く時からは、ヘルプメンバーも来るし、大工さんも入る。
ここで一気にできていく事を期待……。

工事という「日常」と、雪ほりという「日常」を通じて

12月の中旬から、作業を追い上げるべく、いよいよ大工さんが加わる。
僕らのほうも、1週間滞在してくれる応援部隊が入り、現場は一気に人が増えた。

縦胴縁に、下見板を取付ける為の隅出し(基準線をつけること)。ずっと滞在してくれたスタッフ、カキハラくん、ササキくん、モミーくん(愛称しか憶えていない)。

この物件に入った大工さんは3人。僕らと挨拶は交わしてくれるものの、
各自の役割をプロとして遂行することに集中していてなかなか話しかけづらい雰囲気だった。
彼らからしてみれば、訳のわからないシロウト若者たちが
現場に入ってどこまでやれるのだろう、というような心持ちだったと思う。

僕らにしてみても、工務店の現場担当の人と
次に何をするのかを話しながら作業はしているのだが、
今までの経験とはちょっと違う雰囲気に戸惑いながらで、とてもぎこちない。
ミリやセンチではなく尺寸でやり取りされることだったり、
インパクトドライバーでビスを止める、ではなく、げんのうで釘を打つ、ということだったり。

大工さん達の背中が現場の緊張感を語っている。彼らは入り口の建具枠をつくっているところ。

何をやるべきか、どのようにやるべきかが、今までと勝手が違いかなり手探りであった。
現場の雰囲気に気を使うことも増えて、
飛ばし気味でマイペースで行けた最初と少し状況が変わった。

休憩時間に、缶コーヒーを手渡したりしているうちに、
次第に打解けて少しずつ会話ができるようになっていった。
そうして休憩を取るごとに、大工さんたちは僕らが知らないこの地のこと、
昔のことなどををぽつぽつと語ってくれた。
「20〜30年前くらいまでは、この通りは本当に賑わっていた」
「冬は本当に雪が深くて身動きが取れなくなるし、
仕事もできなくなるので関東に出稼ぎにいっていた」
「だんだん人が少なくなっていくので、
外から人に来てほしいからということで鉄道と国道をつくったら、
それによって人はまちから外へ出やすくなったことで逆に人がもっと少なくなっていった」
そんな風に自然と口をついて出てくる言葉がとても深くて、染み入った。

休憩時の写真。奥のふたりが大工さん。向かいの地元の方はストーブを貸してくれたり、お菓子を持ってきてくれたりと、本当にお世話になった。

そのうち、大工さんもいろいろと細かく工事のときに
コツをアドバイスしてくれたりするようになり、作業の連携もとれるようになってきた。
コミュニケーションも取りやすくなったことで、
ようやく全体がいい感じのチームワークで進み始めた。
ちょうどそんな頃だったと思う。
ついに雪が降ってきた。
東京のようにすぐにとける雪ではなく、みるみるうちに積もっていく。

その日から、朝の日課が新しくひとつ増えた。雪ほり、流雪溝への雪流しだ。
エリアごとに時間帯が区切られているので、通り沿い数件が一斉に始める。
これによってえも言われぬ一体感を体験した。
これを日々行うことが、ここでの日常。
こうしてコミュニティはつくられていくのだということを実感した。

雪ほりのこつを教えてもらったり、見かねて手伝ってくれたり。
「大変だろー。いやになるだろ」と声をかけてくれたり。
まだまだ僕らには新鮮だったので、
嫌になるということは無かったが、楽しんでいる余裕もなかった。
若者たちが無邪気に楽しんでいるのはちょっと救われた気分だった。
彼らは最初、1週間の滞在という約束だったがこの調子では到底終わらない。
無理を承知で相談してみると、みんな「まだ続けたいので大丈夫です」と。
涙が出るほど嬉しかった。
「カップルであふれる、キラキラした東京にはむしろ帰りたくない!」
という冗談も飛び出した。
意外に居心地よかったのもあるかも知れないが、
実際のところは、ここまでつくったのに中途半端では帰りたくなかったのだと思う。

それから何日かおきに雪が降ってはやみ、だんだんとまちが白くなっていく。
道路に雪が積もってくるたびに、除雪車も稼働していた。
そのさなかにも作業を続ける。最初の頃は暗くなったら終わり、
という感じだったが日が沈んでも照明をつけながら作業を続けた。
なにより、高所作業のために組んである仮設の足場で行う作業は先に済ませないとならない。
雪が本格的に積もったら重みで大変なことになるのでその前に外さねばならないからだ。

ついに下見板が貼り上がった。この光景は感動的でさえあった。

付け柱や付け梁を取付ける。また高所作業。怖い、その上、部材がものすごく重たい! 上手に仮止めを利用する智慧なども授かりながら。大工さんはこれをひとりでつけたりもしていたのだが。

高い場所での作業に終わりが見えてきたころには、雪はかなり本格的に降り続けてきた。
河村くんに借りていた乗用車にチェーンをつけて、
なんとか食材の買い出しなどをしていたのだが、
夜中降り続けた12月24日の朝、車が完全に埋もれていた。

ある程度雪を掘って救出してから現場作業に入ろうとしたが、これがかなりの重労働。
なんとか終わらせて作業に戻った。
これではまたすぐに身動きが取れなくなると思いお昼の休憩時間に
車をどこかへ避難させようとしたときに、道路の真ん中でチェーンが外れた。
見かねて手伝いにきてくれた近所の方いわく、
「こんな車だとここではもうこの先動けなくなる。
また降り始める前にすぐにまつだいを出たほうがいい。
そうでないとこの冬中車をここに放っておくことになる」と。

現場の終わりはほぼ見えていた。あともう一歩というところだったが、
この言葉を聞いたら、みんなを乗せてこのまま戻らなければどうなるかわからない。
残りの部分をお願いすることを工務店の担当の方に連絡し、皆と車で東京へ戻ることにした。
とてもつらい選択だったが、そうせざるを得なかった。
しばらく過ごせた日常と、地元の人々の温かさのなかに垣間見た、自然の厳しさ。

皆にも事情を話し、急ぎ荷物をまとめてもらって高速へ向かった。
そのときの帰り道の風景の綺麗さに、とても複雑な思いを感じながら、東京へと。

つづく

MAD City vol.3: 騒音オフィスを快適な ものづくりスペースに

MAD City vol.3
無茶ぶりこそ、新たな可能性のヒント!

僕らMAD Cityに声をかけてくださるお客さまは、
一般の不動産屋さんにはご相談できない内容を持ってきてくれることが、ほとんどです。
例えば、アーティストの西岳拡貴さんからのご相談もそうでした。

「倉庫か工場に住んでみたいんだけど、
そんなとこあるかな? 家を出たらすぐにアトリエみたいな、アトリエ兼住居がいいんだよね」
西岳さんは普段は高校の先生として美術を教えながら、
アーティストとしても活躍していて、今年の「あいちトリエンナーレ2013」に
招待アーティストとして参加されるほどの実力の持ち主。

あいちトリエンナーレ2013のキッズトリエンナーレでのワークショップの様子。右から2番目の赤いシャツが西岳さんです。

さすがパンチが効いたご相談内容で、こちらもワクワクします。
ただし、残念ながらハードパンチすぎて、すぐには対応できませんでした。

クラフトユニット「cLab」の橋本 翼さんたちからのご相談もなかなかユニークでした。

「友だちと数人で、ものづくりの場をつくろうとしていて、
丸ノコで木を切ったり、金槌で鉄を叩くような作業など、
思いっきり音を出しても怒られない場所を探しているんです!」
橋本さんは、「C−products」というブランドを立ち上げ、
樹脂などを使って釣具のルアーを手作りする作家さんです。
動物のモチーフを中心としたアクセサリーブランド「Animateras」の宮本 厚さんなど、
ものづくりに携わる仲間たち数人で、
ものづくりを追求できるアトリエを探しているところでした。

橋本さんがつくったブラックバス用のバルサ製ハンドメイドルアー。

「できれば改装も自分たちでしたくて。たくさん不動産屋さんを回ったんですけど、
どこの不動産屋さんにも相手にしてもらえなかったんです。
でもMAD Cityさんなら、なんとかなりそうな気がするんです」
と橋本さんたち。ありがとうございます! 改装可能な物件ならあります!
でも音出しがOKな物件は結構厳しく、
結局なかなか良い物件には巡り会えませんでした。

そんな折、とあるオーナーさんから相談を受けました。
「あの〜また困っちゃってる場所があるんですよ〜」

それはオーナーさんが所有する建て壊し寸前だった住宅を、
アーティストのご兄弟に借りてもらう契約をした後のこと。
何年も埋まっていない2階の事務所物件もあるから、
そちらも募集してもらえないかと相談されました。
さて、どんな物件でしょうか。

オーナーさんの事務所物件。

それはそれは不動産屋さん泣かせな物件でした。
線路沿いにあるだけでなく、
1階はビニールの加工工場となっているため、いつでも絶賛騒音中。

(上)窓をあければそこは線路。(下)1階にはビニールを加工する工場があります。

室内もキレイではなく、部屋はふたつなのに出入口はひとつしかないので、
分割して、家賃を安くしようにもできない間取り。

間取り図。西棟には東棟を通過しないと入れない構造。

さらには、なぜか付いているシャワールームが事務所の面積を減らしていました。

隅っこにぽつんと置いてあります。

見ればみるほど事務所として貸せなさそうな条件を揃えている物件。
それなら、事務所以外の方法で貸すしかありません。
そこで改めて物件を見てみると……
あれ、線路沿いってことは、逆に音出し放題だな。
待てよ、ここ倉庫みたいなのにシャワーがあるから住めるな。

あ!!!!

僕は急いで西岳さんに連絡しました!
「住めそうな倉庫が出たよ!!」
(もう二度と発しないであろうセリフです)

そして橋本さんたちにも連絡しました!
「音出し放題の場所があるよ!!」
(怖くて普段は言えないセリフです)

2組とも部屋はすぐ気に入ってくれました。しかしネックは家賃。
もともと両方のスペースを1部屋として募集しているため、
このまま契約するとどちらかが、使わない部分の家賃を支払うことになってしまうのです。
もちろんどちらかが契約をして、2組でシェアハウスにできれば問題は解決しますが、
知らない者同士でシェアハウスをすると、どうしても契約者に支払いリスクが生じてしまう。

そこでオーナーさんに交渉し、それぞれの部屋ごとの契約を了承してもらいました。
そして、入居後にトラブルにならないよう、
初対面の2組にお見合いのように会ってもらう日をつくり、
部屋の出入り、駐車スペースの使用方法、
そしてキッチン部分のシェアのルールを決めて契約しました。
無事特殊な契約条件がまとまり、ここから2組のリノベーションはスタートします。

自分にとって居心地が良い場所にいじっちゃう

東棟を借りた橋本さんたちはまずは床から着手。
歩くとフワフワして、なんとなく抜けそうな恐怖感にかられる床に、
コンパネを敷いて塗装。足場を固めたあとは、壁面を塗装し、道具の棚を設置。
さらには作業机もDIYでつくりました。

元々は事務所スペース。

現在はこんな感じ。雑多な感じが、アトリエ感を醸していて素敵です。

橋本さんは普段はこのように作業しています。

線路沿いという環境も重宝しているそう。
「夜中に音を出す作業をする時は常磐線の通過に合わせています。
夜、音出し作業をする時は、早く常磐線来ないかな〜っていう気持ちになりますね!」
おかげで、これまで音については、近隣の住民から一度も怒られたことはないそうです。

一方の西岳さんのリノベーションはこれまたユニーク。
見た瞬間に「ここしかない!!」と惚れ込んだこのスペースを
理想的にリノベーションするため、まずはスペースの中にテントを張って宿泊し、
イメージをふくらませたそうです。

その結果、このだだっ広い作業スペースの中に

小屋を建てて、その中で生活するようになりました。小屋in倉庫です。

小屋は住みながら、サイズを調整できるように、
全ての柱を1800ミリの垂木に合わせて組み立てたそうです。
ちなみに小屋の上はあがれるようになっており、本人曰く「中2階」なんだそうです。

小屋の中はテレビ、ベッド、テーブルがあって普通に快適です。

小屋の外はアトリエになっています。

それぞれの感性で自分の空間をまるでレゴブロックのように遊びまくっている2組。
シェアすることで、さまざまなメリットもあるそうです。

例えば、橋本さんたちはアトリエを借りてから初めてDIYにチャレンジしたため、
当初は机がグラグラしてしまったりとうまく作れなかったのだそう。
そんなとき「足と足の間に一本、柱をつけると全然違うよ」
との西岳さんのアドバイスで、解決したそうです。

そんな西岳さんは工具を購入するときに
「実はお隣りにあるものは買わないことにしている」と笑います。
壁面の棚も、橋本さんたちの棚からヒントを得てつくったそうで、
自然と助けたり、助けてもらったりという関係が生まれているようです。

自分たちの目的を叶えてくれつつあるこの空間。
次第にこのスペース自体に対する夢が膨らんできたそうです。
それは、「ものづくりに関わるさまざまな人が集まったり、出入りできたりする
場所にしたい」ということ。

スペースの将来について企画中の橋本さん(右)と西岳さん(左)。

「情報、人脈、技術をシェアできて、作家がここにくれば何でもつくれる場所にしたいです。
ものづくりに関わる人の楽園のような場所に」と言う橋本さん。
西岳さんは「僕は、教師としての日々や、あいちトリエンナーレで行った、
子どもたちとのワークショップを通じてアートを伝えていくことに関心が湧きました。
例えば近所の子どもたちと集まってここでワークショップをしたい。
一般の人に来てもらえる場所にできたら」と、今後の希望を話してくれました。

この物件は、事務所としては決して優良物件ではありません。
それが条件や見方を変えただけで、
少なくともこの2組にとっては理想の物件に変化しつつあります。

それは2組が場所に適応しているから。
その様子はまるで地球環境が変化するたびに、
ことごとく進化し生き延びてきた、生物の本能にさえ見えてきます。
動物が巣をつくるように、今いるところを居心地よく変化させていく。
それが本来のリノベーションの姿なのかもしれません。

実は、この取材がきっかけとなり、
来年に向けて2組で、人に訪れてもらえる企画も進行中なのだとか。
ハードはもちろん使い方さえもリノベーションしていこうという、
2組の進化はまだまだ続いていきそうです。

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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.03: シェアハウスの始まり。

ビルススタジオ vol.03
始めてから、考える。

ある日、突然森さん(仮名)という方が当社に相談に来ました。
聞けば、現在は宇都宮市の中心商業地の分譲マンションに住んでいるのだが
極力その便利な立地を変えずに独立した自宅を手に入れたい、とのこと。

さて……まず考えられるのは、
 ア)更地を買って、新築。
 イ)中古住宅を買って、リノベーション。
この辺りでしょうか。

ア、イとも、せいぜい2〜3階建ての建物。
そうすると、商業地にはもっと高さのある建物があるので
日当たりは良くないし、庭もないし、プライバシーも確保しにくい。
その割に、総予算が高くつきます。

ということは、周辺に4〜5階建てが多ければ
それ以上の高さ(15m位)に地面を持ち上げて、その上に平屋の家でも建てられれば
立地もよく、日当たりもよく、プライバシーも守れる自宅が手にはいりますよね〜。

……っと、待てよ。ということは、
ビルを買って最上階に住めれば、同じ話じゃん。

というわけで、売りビル探し。しかし、これに関してはさほど苦労しませんでした。
こちらは日常から空きビルを見つけては「あれいーなー、これいーなー」と
指をくわえて見ていた立場だったもので、
およそ主な空きビルは把握できているんです。

元のビル。スナックなどが密集するエリアにそびえ立つ、とりたてて特徴のないビルでした。

その中で、6階建ての元ホテルという物件が。
さっそく森さんと内見しました。
幸い、最上階はもともとオーナーの住居仕様。
眺めもばっちりだし、さらには屋上もあります。
「こりゃあ、いいな」となったのですが、
「下の5フロア、どうすんの?」と、しごく当然のご質問を頂きました。
で、いったん持ち帰り。

元カプセルホテルだったフロア。半解体状態、、。でも、天井が高い!

そうだなぁ……、ビルの現状からすると、
 A)ホテル
 B)マンション(賃貸住宅)
 C)店舗・オフィステナント
と、この辺りが考えられます。
しかしここは地方都市、宇都宮。
ビル上階のテナントはことごとく空いているのがまちの現状です。
ホテルにしても安価できれいな新築のビジネスホテルがそこそこ飽和状態。
ましてやホテルとなると、他社に運営を委ねなければいけない。リスキーだなぁ……。
そうなるとBか。
確かに、商業地への住宅需要はまだなんとかありそう。
でも需要があるということは、新築でいけちゃう巨大投資のできる競争相手がいる。
そんな中、果たしてこちらに入居してもらえるのか。

さらに、普通の賃貸住宅だと、
当然キッチン・バスなどの水廻りを各部屋に設置しなくてはいけない。
それだけでもなかなかの投資が必要となってきます。
とは言え、入居者に受け入れてもらえそうな家賃設定を考えると、
クオリティの低い住環境しか提供できない……。

じゃあ、いっそ水廻りを部屋数分用意せずに、共用にしてみよう。
どうせ法的理由から住戸にできない2階部分は住民みんなで使えるリビングにしよう。
その代わり、各部屋のリビングも広めにとり、共用の家具・設備は
ひとり暮らしではなかなか使えないレベルの品揃えにしてみよう。
あれ……? これって「シェアハウス」だ。

ということで森さんにご提案。
意外にあっさりとOKを頂けてしまいました。
そんなこんなで売買契約が成立しました。

で……、シェアハウスってどうやるんだ?
まずはそこからのスタートです。

事業として行っているシェアハウスは
すでに政令指定都市などの大都市圏にたくさんあり、
事例にはことかかない状況でしたが、そこはプライベートな生活の場所。
のきなみ見学は断られ、ほとんどの事例研究は
ネットや本のみ、というありさまでした。
数少ない見学できたシェアハウスも何十人という大規模なものであり、
入居者さんたちは都内への通勤の便の良さが最大唯一の決定理由、とのこと。

こりゃあ、いち地方都市でしかない宇都宮市で
シェアハウスを運営するのは大きなチャレンジとなりそうだと
ようやく実感しはじめました。

シェアハウスのメリットとは?

まずは、「利便性の良い場所ながら割安で住まいを借りられる」ということ。
テレビや雑誌で言われる「他の入居者たちとのつながり」については他の入居者次第。
実はそこが入居決定動機ではない、と都内の運営者が念を押していたのでした。

さて、「利便性」か……。
通常は「駅からの距離」なのですが、ここは宇都宮市。
電車で通勤通学する人はあまりいません。
気付けばまる1年電車に乗っていないなんて、ざらです。
もちろん住まいを探すのに駅からの距離なんて気にしません。
気にするとすれば「職場からの距離」(通常の場合、宇都宮では車通勤がベース)。
ちなみに、物件には駐車場はとれていません。

しかし当然ですが、ここも近隣に職場のある人にとっては利便性がいいと言えそうです。
(商業地とはいえ、そんなに勤め先は多くないですが)
あれ、そうか、ここは商業地だ。
仕事帰り(いったん帰ってからでも!)に休日に近所で遊べる。
これって利便性だよね? たぶん。うん、たぶん。

うーーーーん、、、
わからない。もうわからないから募集かけちゃおう。
ここでシェアハウス。何がいいのか、
そしてどういう状況をつくればいいのか。
実際に入居する人を集めて、一緒に考えよう。
と、まだ工事は始まってもいない状況でしたが、
ひとまず募集をかけてみました。

すると1か月ほどの間に連絡がちらほら。
なんと5名もの奇特な方々が見もせずに(!)入居を決めてくれました。

理由はさまざま。
テル氏は近所に職場がある、営業マン。
出身は愛媛ですが宇都宮生活はもう長く、
何よりもシェアハウスのある釜川エリアを呑み庭としている方。
職場も遊び場も近い、まさにうってつけの方でした。

メーカさんは、オーナーの森さんと親交の深い会社(これも近所)の
ショップスタッフとして入社することが決まっていて、
初めてのひとり暮らし場所を探しているところでした。

シン氏も職場が近く、決めてくれた方。
実家から通っていたものの、
車で毎日40分かかる通勤に辟易していたところでした。
かつてはバックパッカーとして各国をさまよっていたらしく、
旅先のドミトリー生活で共同生活は慣れていました。

サト氏は宇都宮大学院を卒業し、
自転車で通える距離にある職場に就職が決まっていました。
実家から通うには遠く、
なかなか帰れない仕事状況になることも目に見えていたため、
入居を決めてくれました。

ウミさんは少々事情が違いまして、、、
端的に言えばうちのスタッフです。
そして当シェアハウス物件の担当者でもあります。
決して、なし崩し的に入居させられたわけではなく、
海外でも日本でもシェアハウスでの生活経験があったんです。
特に、今回は建物ができたら完成ではなくて、
人が生活し始めてからが本当のスタート。
ならば実際に生活しながら関わっていく必要があるだろうし、
そうしないと中でどんなことが巻き起こっているのかが
あまりわからないまま、というのも非常に悔しいわけです。
ね、それじゃ悔しいよね?
で、入居となりました。
いや、決して会社命令ではありません。

背景、出身や属性は多種多様でしたが、
ここで「FIRST 5」が出揃いました。
実は入居希望時にそれぞれの方々には
「シェアハウスを始めるといっても、オーナーも当社も未経験なんです。
何を用意すればいいのか、入居者さんが何を望んでいるかも、さっぱりわかりません。
だから5人くらい揃ったら、みんなで決めましょうね。いや、決めてくださいね」
という、何とも不安なリクエストをしていました。
(ホント、よく決めてくれたなぁ、、、といつも思います)

はじめてのミーティングの様子。まだ緊張感がみてとれます。

で、当事者の「FIRST 5」とオーナー、当社スタッフなど交えて、
初めてミーティングが開かれました。
各入居者さん同士はもちろん、オーナーさんも初対面です。
なんかドキドキです。
ここにいる方々がこれから同じ建物で一緒に生活することになるのか。
うまくやっていってくれそうかな、
生理的に苦手な人がいたりしないかな、
そもそも会話は成り立つのかな、
目を見て話ができているかな、
主語述語はしっかりしているかな、
……といらん心配が膨らんでいましたが
そんな心配をよそに、なかなか和やかな時間が流れていました。

まずは(今さらですが……)どんな建物になるかの説明。
それから、シェアハウス経験者による良かれ悪しかれの体験談。
で、ここからが投げっぱなし。
何が欲しいか、どんなルールが必要か、壁の色はどうしたいか、
不安な点(だらけだろうけど)は、無いか。
好き勝手に出し合ってもらいつつ、
話し合いもそこそこにして皆でお肉を食べに行きました。

以下、出た意見の例です。
・たこ焼き機が欲しい
・テレビは100インチがいい
・カーシェアしたい
・プロジェクターで映画が見たい
・バルセロナチェアーが欲しい
・料理人の住人がいてほしい
・外国人の住人がいてほしい
・みんなで過ごさなくてはいけないのか
・部屋に鍵はあるのか
・フロは誰が洗うのか

何度目かのミーティング。白熱と小ボケの渦。

こんな風に話し合いを何度か進めていきながら、
徐々に入居者さん同士も打ち解けていき、
ボケ・ツッコミやまとめ役、マスコット的存在などなどのポジションがはっきりしてきました。
結局、要望やルールづくりについてはざっくりと、
差し障りの無い程度に抑えることになりました。
そうできたのも、何度も会っているなかで打ち解けながらもしっかり話は進み、
以降もみなさんが、都度大人として話し合いながら
決めていけそうだな、と確信を持てたからです。
これから決まってゆく入居者さんについても、
この方たちと自然と対話できる人柄かどうかを気にしながら
当社にて判断をしていけばいいんだなと、ひとつ基準が見えました。

余談ですが、ある人がシェアハウスに向いているか、
向いていないかという、見分け方を教えてくれていました。
それは「兄弟が、特に異性の兄弟がいるかどうか」。
この点についても入居者さんにはまあまあばらつきがあります。
真偽については現在検証中です。

このシェアハウス、実は2013年9月に無事オープンしまして、現在14名が生活しています。
付かず離れずの生活を目指したものの、現実はどうか。
地方版シェアハウスではどんな日常と非日常が繰り広げられるのか。
果たして運営上の問題は本当に話し合いで解決されてゆくのか。
彼女を連れ込む時はお互いどう対応しているのか。
見られたくない食事をするときはどうしているのか。
……などなどを次回はお伝えできると思います。

ビルからの眺め。

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

木工芸 笹原

家具のまちで培った技術が繊細な独楽をつくり出す

木の家具の産地として名高い北海道旭川市。
北海道のほぼ中央に位置する旭川には、
広大な北海道の豊富な木材を扱う事業所も多く集まっていた。
と、同時に高い技術を持った職人が多く輩出してきた。
そのなかのひとつ、「木工芸 笹原」を訪ねた。

先代が1970年に創業し、この地に40年以上工房を構えている。
北海道産の木材がほとんどで、手づくりにこだわる工房だ。
最初は家具の下請けとして、持ち手やつまみなどさまざまなものを製作。
そのうち、先代の高い技術は、木の壷やコブ工芸のものを得意とした。

木工芸笹原の工房の外観。

「こぶ」とは、木の根元がふくれてこぶのように突起している木材をさす。
岩肌など厳しい気候条件にさらされながら、数十年あるいは数百年以上かけてできる部分だ。
板に製材すると、変わった杢目模様があらわれるのが特徴。
自然が生み出した杢目により、美しい工芸品が生まれる。
しかし、このコブ材はとても硬く、刃物が折れてしまうほどだという。
加工するには高い技術を必要とする。

志賀さんの作業場。この左隣に先代の作業場がある。

「先代はコブ材の加工技術がかなり得意だったんですよ」
と教えてくれたのは、現社長の志賀 潔さん。
「俺は、その技術を見て覚えるのみだよ。
先代のおやじは一切教えないひと。それが勉強なんだよね。
最初に、刃物の持ち方だけは教えてもらって。あとは見て覚える。
だからこの作業場は、ふたり並ぶつくりになっているでしょ。
隣で作業するおやじの技術を見ながらつくっていました」

さらに旭川では、家具工房で修業したあとは独立する人も多く、
先代も佐藤工芸という家具工房から独り立ちしたひとり。
近くには兄弟弟子たちもたくさん工房を構えていた。
「仕事で新しい注文が入ったりすると、聞きにいったりね。
みんな教えてくれたよ。俺やおやじが教えられることは教えたし、
そんな風にして、みんなで上達していったんじゃないかな。
でもね、絶対みんな同じものはつくらない。
似たようなものにはなるけどね(笑)。ひと工夫するんです」
そうやって、旭川の家具は発展していったのかもしれない。

ろくろ引きという方法で、角材から独楽を削り出していく志賀さん。

せっかく仕入れた国産の木材。
どうしても出てしまう端材を利用できないかと生まれたのが、木の独楽。
得意としていたコブ工芸の材料が減少し始めたときだった。
すると、想像以上のお客さんの好反応。注文も年々増えていったという。
特に志賀さんは、細かい加工技術を得意としていたので、
独楽づくりに磨きをかけていった。

木の種類によって、いろもさまざま。ちなみに、独楽が入っている器がコブ材でつくられたもの。

独楽とひとえに言っても、日本だけでも「江戸独楽」「京ごま」など、
地域によってさまざまなかたちがある。
さらに、イタリアやヨーロッパでもつくられているというから、
技術さえあれば、コマのデザインは無限大に広がる。
デザインだけなら、100種類以上つくったことがあるという志賀さん。
ほとんどは、お客さんからの要望をかたちにしていった結果、
自然に増えていったという。
今はできるだけ、5種類に絞って製作しているそう。
「昔は、1日最大で60個くらいつくれたこともあったけど、
今は1日20個が限界かなぁ(苦笑)」

ろくろ引きで独楽をつくっていく。志賀さんは「3種の工具があれば、つくれちゃうんだよ」と言う。

近年は海外でも販売されているほど人気の志賀さんの木の独楽。
おもむろに乾燥させていたカバの角材を取り出し、
志賀さんは、実際につくるところをみせてくれた。
角材がはまるよう、先代がオリジナルでつくったというろくろ。
まずは、角材をはめ、ろくろをまわし、別名バイトとも呼ばれる、
平のみや丸バイトをあてながら、コマのかたちに削っていく。

かたちができてきたと思ったら、細かい切り込みを入れていく志賀さん。
「ちょっと、失敗かもな」とつぶやきながらも、
独楽はみるみるうちにできあがっていく。
すると、独楽の軸に「輪っか」ができ上がっていた!
なんて細やかな技術だろう。少しでも力を入れ間違えたら、
削り落としてしまいそうなくらいコマは小さい。
ひとつのコマを削るのは、ものの5分くらいだ。

特別につくってもらった「4連の独楽」、「だんご独楽」と、超ミニチュア独楽。

軸が中心にこないと独楽は回らない。
この小さなサイズのなかで、中心をぶらさずに削っていく。
さらに、北海道ならではの立地を生かし、
志賀さんがつくる独楽はカバ、ナラ、イチイ、エンジュ、埋れ木など、
種類も豊富。木の種類によっても、硬さは異なってくる。
ひとつのデザインだけなら「やる気があれば、すぐにつくれるようになりますよ」
と志賀さんは軽く話すが
「木の種類や特性をつかむまでは、何年もかかりますね」とも話す。
長い時間をかけて木と向き合ってきたからこそなせる技なのだ。

もちろん機械でつくれば効率よくたくさんの量をつくれるが、
それは、先代も志賀さんもそれは選んでこなかった。
「それだと、ノコ跡がついたり、持ったときの感触もちがう。
だから、俺は鉋で削って、ペーパーで磨く。
お客さんはうちのそういったものづくりを求めてるのかなって思う。
それに、おやじから教えてもらったこの技術。
わたしが生きている間だけでもそれを守りたいって思うんです」
と話す志賀さん。旭川で育まれた知恵と技術が
この小さな独楽に込められていることを教えてもらった。

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木工芸 笹原

住所 北海道旭川市永山10条4-3-2
電話 0166-48-4770

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別冊コロカルでは、「木工芸 笹原」の独楽を扱っている旭川と東川にあるショップ「Less」を取材しています!→こちらからどうぞ。