colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

中津箒

ものづくりの現場
vol.021

posted:2014.3.7   from:神奈川県愛川町  genre:ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  伝統の技術と美しいデザインによる日本のものづくり。
若手プロダクト作家や地域の産業を支える作り手たちの現場とフィロソフィー。

editor's profile

Kanako Tsukahara

塚原加奈子

つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。

credit

撮影:橋本裕貴

昔ながらの箒づくりを再スタート

チリやホコリを払ってくれる、暮らしの道具・箒。
昔に比べると、日常使いしている人は少ないが、
かつては、日本の各地域で箒づくりが行われていた。
神奈川県の中北部にある愛川町もその産地のひとつ。
一度は産業とし途絶えてしまった歴史を持つが、
それを復活させ、丹精こめてつくっている職人たちがいると聞き、
都心から車で1時間ほどの愛川町中津を訪ねた。
愛川町は周囲を標高500〜600mの山々に囲まれ、豊かな自然が広がる。

材料である、ホウキモロコシを使ってつくられる愛川町中津の箒は
東京箒と呼ばれ、全国に出荷されていた。
昭和20年頃には、年間50万本も出荷していたというから、
産業の規模の大きさが伺える。
しかし、昭和30年代後半から海外からの安価な箒の流入や、
電化製品の登場により、産業は一気に低迷。
その後は自家用につくられたものなどが残っていただけだった。

柳川芳弘さんがつくった箒。細やかに編まれた美しさがある。

この地で箒づくりを復活させようと思い立ったのが、
「まちづくり山上」の柳川直子さん。
直子さんの生まれた家は、中津でも大きな製造卸のひとつだった。
祖先はこの地で箒づくりを広めたとも言われているが、
直子さんの祖父の代で廃業。
「きっかけは、昭和10年代に暖簾分けをして出来た京都支店の2代目の柳川芳弘さんから、
彼がつくった箒が送られてきたんです。その美しさに惹かれてしまったんですね。
箒ってこんなにキレイなものなのかって」と直子さん。

左から柳川直子さん、ホウキモロコシの畑を担当する赤坂正延さん、つくり手のひとり吉田慎司さん、熟練職人の山田次郎さん。奥に見えるのが、蔵を改装してつくられた、箒博物館「市民蔵常右衛門」。

そこで、直子さんは箒づくりを復活させるため、
2003年に「まちづくり山上」という会社を立ち上げ、
まずは、材料となるホウキモロコシの確保や職人探しに奔走。
つづいて、昭和10年につくられたという自宅のコンクリート造の蔵を改装し、
箒博物館「市民蔵常右衛門」としてオープン。そこへ、縁あって
ホウキモロコシづくりの担い手、熟練職人、若手職人が集まった。

赤坂正延さんは、直子さんとともに、ホウキモロコシの栽培を請け負う。
立ち上げた当初は、手のひらにのるくらいしかなかったという種。
今では、5反の畑に植えるほどになったという。

物置に干されていた、今年のホウキモロコシの種。

熟練職人のひとり、山田次郎さんは、愛川町で箒をつくっていた経験を持つ。
「昔は、このあたりの農家はみんな、農閑期になると箒をつくっていたよ」
と懐かしそうに教えてくれた。

まちづくり山上を立ち上げた頃、直子さんは美大の大学院に通っていた。
そのときに行った大学付属の民俗資料室での「箒の展示」に、
フラッとやってきたのが、若手職人のひとり、吉田慎司さん。
「彫刻科にいたんですが、作品をつくっていくことに何となく違和感があった。
でも、丁寧につくられた箒を見たら、
その美しさや職人芸に惹かれてしまったんですね」
その後すぐに、京都の芳弘さんのもとで直接手ほどきを受けたあとは、
自身で研究を重ね、直子さんとともに、中津箒を軌道にのせてきた。

箒博物館「市民蔵常右衛門」の敷地の奥にある作業場。奥にはたくさんの原材料であるホウキモロコシが立て掛けてある。

普段は、それぞれ自宅で箒づくりをしているという山田さんと吉田さんに
箒のつくり方を見せてもらった。

基本的なつくり方は、乾燥させた箒草を糸だけで束ね、編んでいく。
箒がほどけないように、この糸をどれだけしっかり束ねられるかがポイントだ。
だから作業場には杭が打ってあり、この杭と体全身を使って糸をひっぱる。
吉田さんは小箒を、ものの20〜30分でつくってしまった(冒頭写真のもの)。
それを見ながら、山田さんは「ずいぶん、速くなったよね」と微笑む。

小さな束をつくったあと、それぞれを糸で編みながら束ねていく。耳と呼ばれるこの部分をいかに丈夫にかっこよくつくるかがポイント。

束ねたら、内側の束は短くして持ち手となる竹をさしこむ。持ち手に使うのは、高知の「虎斑竹(とらふだけ)」。昔と変わらない材料を直子さんは揃えた。

山田さんがかつてつくっていたのも手箒。みるみるうちに仕上げていく。
箒草と糸を1本1本編みながら、束ねるときはかなりの力がいる。
「だから昔から、箒づくりは男の人の仕事だった。
ちゃんと締めないと長持ちしない。
でも、1日20本はつくらないと、稼ぎにならないから速さも大切。
ここの草はすごくいいものだからね。材料はとても重要なんですよ」
と山田さんは話す。

美しく編み上がった耳と呼ばれる部分に、最後に竹の杭を打ち込む。

日本の箒とひと口に言っても、「つくり方は地域によって異なる」と直子さん。
中津箒の特長は、床を掃いたときに、やわらかさと弾力があること。
確かに掃き比べてみると、中津箒の穂のやわらかさがわかる。
一度ホウキモロコシを湯通しするところもあるというが、
中津箒では天日干しにこだわり、素材本来の強さを最大限に生かす。
そのためには、赤坂さんと直子さんは、農薬に頼らずにホウキモロコシを育て、
さらに手作業でひとつひとつ収穫しているのだそう。
機械で一度に刈り取ると、穂の長さが揃わないし、
旬に収穫することで、草本来がもつ油が残り、干すと艶が出てくるのだ。

まさに、手間ひまかけた箒づくり。
「これが、中津箒のつくり方なんです。でもすごく楽しいですよ」と直子さん。

市民蔵常右衛門には、直子さんが集めた国内外の箒のほかに、各職人の箒が展示販売されている。こちらは吉田さんがつくった小箒。草木染めしたという淡い色の糸が可愛らしく、手ごろな値段もうれしい。

直子さんが再スタートした中津での丁寧な箒づくりは、
気がつけば賛同する人たちが集まり、
かつての愛川町の、正しい箒づくりが復活した。

「箒は、ナチュラルな暮らしを好む人には、需要はあると思ったんです。
それに、さまざまアイデアを出しながら、
その都度工夫しながら、中津箒はここまで進んできました。
吉田のように、箒の美しさに惹かれてやってきた若者もいる。
職人芸のひとつとして、
単なる掃除道具にとどまらない発展がある気がしているんです」(直子さん)

information


map

箒博物館「市民蔵常右衛門」

住所 神奈川県愛甲郡愛川町中津3687-1
電話 046-286-7572
開館時間 10:00〜17:00 月~水曜休※祝日は開館

別冊コロカルでは、中津箒を取り扱う練馬区の「KnulpAA(クヌルプエーエー) gallery」を訪ねました。4月には中津箒の展示を企画しているそうです。お店の様子はこちらからどうぞ!

Feature  特集記事&おすすめ記事

Tags  この記事のタグ