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パン屋タルマーリー
渡邉 格さんと麻里子さん

PEOPLE
vol.023

posted:2014.2.5   from:岡山県真庭市  genre:暮らしと移住 / 食・グルメ

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

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Kanako Tsukahara

塚原加奈子

つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。

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撮影:山口徹花

菌が息づく、タルマーリーの不思議なパン。

きっと、誰もが社会の教科書で一度は目にしている、経済学者がいる。
「(カール・)マルクス」。彼の考えを身近に感じる人は少ないかもしれないが、
マルクスが考える経済をヒントに、パン屋という仕事を見つめた本がある。
渡邉 格(いたる)さんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』だ。
この本には、格さんが、奥さまの麻里子さんと共につくりあげてきた、
「パン屋タルマーリー」の哲学が、綴られている。
渡邉夫妻が考えるパン屋の哲学とは?

タルマーリーがある通りは、「町並み保存地区」に指定され、古い家屋が並んでいる。

タルマーリーが店を構えるのは、岡山県の北西部に位置する真庭市勝山。
“晴れの国、岡山”と言えど、ここは山陰の文化も香るまち。
取材に訪れたのは1月中旬、外は粉雪が舞っていた。
「移転を決めたときには、ここまで山奥を選ぶとは、
想像していなかったんですけどね」と麻里子さんは笑う。
古民家を借りて1階をパン屋、2階を自宅とし、子どもふたりと4人暮らしだ。

もともと、千葉県いすみ市に店を構えていた渡邉夫妻は、
東日本大震災をきっかけに、移転を決意。
東京に出荷先がある関係で、宅急便が翌日到着できることを視野に入れると、
候補にあがったのは、岡山県。
パンづくりに欠かせない、おいしい水を求めて県内の移転先を探した。
格さんが岡山県内の井戸水や湧き水を試飲していき、鳥取との県境にある、
蒜山の水を飲んだ時「甘みがあってビックリ」して、この地に決めたのだそう。

タルマーリーの看板商品の「和食パン」。もっちりとした食感で、噛めば噛むほど甘みが口のなかに広がる。

勝山に移転して、タルマーリーは今年の2月でまる2年が経つ。
「ようやく、ここでしかつくれないパンのかたちができてきています。
いわゆる“過疎のまち”ですが、この土地に来ていいことばかりなんですよ」
と格さんはとってもうれしそう。
格さんは、この土地の水と小麦、そして天然の菌にこだわる。

その“菌”が、タルマーリーのパンのすべてを物語るのだ。

第一次発酵後のふんわりと膨らんだ和食パンのパン生地。天然菌が息づくタルマーリーのパン生地は、なんだかつやつやしている。

酵母菌はもちろん、乳酸菌、麹菌など、
パンの発酵に関わる菌には、さまざまな種類がある。
なかでもタルマーリーが力を入れているのが、
酒種をつくるために必要な天然の麹菌。

現在の日本では、味噌でも醤油でも日本酒でも、
ほとんどが「もやし屋」から種麹(純粋培養した麹菌)を仕入れて
麹を仕込む。格さんもかつては市販の種麹を使っていたが、
それを自らの家で採取することにした。
ちなみに、麹菌というのは、いわゆるカビのこと。
格さんは、蒸し米についたいろいろな色のカビを舐めて、
麹菌を見つけ出したというから、生物学者なみの探究心に感服する。

しかし、この天然菌、うまく採取できても、扱いがとても難しい。
だから、一般のパン屋さんでは、安定した発酵ができるように、
純粋培養された「イースト」を使う。
「数軒のパン屋で修業してみて、日本の“天然酵母パン”は、
市販の天然酵母を使うのが主流。自家製酵母を使っても、粉の配合を調整し、
イーストを添加して発酵を安定させている場合が多い。それに、
よく、日本の小麦粉ってパンづくりには向いていないって言われていますよね。
修業したのもフランスのバゲットを得意とするパン屋だったので、
フランス産やカナダ産の小麦じゃないと、本場のバゲットにならない!
と、妻にも説明していたんですけどね……」と格さん。
そこは、麻里子さんが、譲らなかった。

パンをつくるのは格さん、販売と広報は麻里子さんの担当だ。

大学の農学部で、環境問題について勉強した麻里子さんは、
食の分野から自然環境をよくしていけないかとずっと考えてきた。
そのためには、まずは地域内循環を生むような生産態勢が必要だと。
「日本の小麦で、おいしいパンをつくることが、あなたの使命でしょう!
と、いつも言っていましたね(笑)」(麻里子さん)

自分が学んできたパンづくりをくつがえすような条件。
しかし、苦労しながらも、格さんはどんどんパンづくりにのめり込んでいく。

さらに、タルマーリーでは、パン生地に砂糖を使わない。
天然酵母を謳うパン屋でも、発酵を安定させるために、
酵母の栄養剤として、砂糖を使う場合がほとんどだという。
「当初は健康志向の意味もありましたけど、
結果的には、砂糖を使わないパンづくりのほうが面白かった。
そのおかげでタルマーリーらしさをさらに追求することができました。
つまり、砂糖を入れると、どんな良くない素材でもパンになってしまう。
でも、砂糖なしだと、きちんと素材を吟味しないと発酵がうまくいかず、
ちゃんとパンにならないんです。だから、自然栽培の素材を厳選し、
自分の感覚に向き合うことができましたね」(格さん)

作業の合間を見て、菌のこと、パンのことについて丁寧に教えてくれる格さん。

基本材料は、国産小麦、汲んできた蒜山の水、塩のみ。
これに、天然菌たちが働く酵母の種類によって、
タルマーリーのパンは風味が異なる。
勝山に移転して、1年が過ぎ、ようやくこの土地にあった配合が見えてくるも、
タルマーリーの家屋に棲み着く天然菌はなかなか手強い。
急激な気温の変化はもちろんだが、
なんと、スタッフの心が落ち込んだりしても、発酵が悪くなるときがある。
格さんは、神経を研ぎすまし、目には見えない菌の動きを読み解く。
菌がうまく活動してくれなければ、おいしいパンがつくれず、
その日の売り上げが立たない。それではスタッフも家族も暮らしていけない。
「腐敗するか、発酵するか。プレッシャーですね。そのためにも、
ちゃんと休息をとらないと、感覚が鈍ってしまうんです」

ここで、ようやく、マルクスの登場だ。

まだ暗い朝4時からタルマーリーはスタート。発酵したパンを分割、成形と、リズミカルの作業は進められていく。製造スタッフの湊 貴光さんと、橋本春菜さんとの息はぴったり。

レーズン酵母を使ったカンパーニュ。上はふんわりとふくらんだ生地(上)。その後オーブンで焼かれ出てきた(下)。とても美しい!

タルマーリーの経営理念は、利潤を生み出さないこと。

「東京都の近郊住宅地で育ち、高校でドロップアウトしちゃって、
パンクバンドやりながら、引越し屋のバイトをしたり。
いい大学に入ってうまくいっているやつもいたけど、
ほとんどの友だちはトラックの運転手。
俺もこの先、運送屋で生きていくしかないのかな……と思っていました。
そういう世界から抜け出す方法が見えなくて、先の見えない不安に悩んでいました」
そんな23歳の時、格さんは大学教授である父とともに
ハンガリーに滞在したことをきっかけに、25歳で国立大学の農学部に入学。
卒業後は、有機農産物を扱う会社に入社した。
しかし、現実は、産地偽装のようなことも少なからずある流通体制。
「有機農業の発展」という理想に燃えて就職したものの、
「会社組織」の中で、数々の「理不尽」にぶち当たった。

タルマーリーのある勝山を流れる旭川。

学生の時から「いつかは田舎で暮らしたい」と思っていた格さん。
そのために、手に職を……と悩んだ結果、
突如パン職人になることを決め、修業を始める。
30歳のときだ。独立するまでに、4軒のパン屋で修業を積んだ。そのうち、
1軒目は、「毎日ボロ雑巾のように、朝から晩まで働いた」という。

格さんが、マルクスの「資本論」を父に勧められたのは、
タルマーリーを開業して1年目の時。
「パンが高い」というお客さんからの声に悩んでいた頃だ。
読み始めてみると、修業時代のパン屋の労働条件は、
マルクスの生きた150年前と何も変わらないことに気づく。

マルクスの考えを紐解くと、
自分の置かれている資本主義経済の仕組みが見えてくる。
何でこんなに朝から晩まで働かなくてはいけないのか。
労働者がどれだけ働いても、約束した賃金だけが支払われ、生まれた利潤は資本家が握る。

格さんはマルクスを勉強するうちに、この資本主義経済の矛盾は
「利潤」を生むことを最優先にした生産体制にあると理解する。
そして、さらに確認する。
当初から掲げたタルマーリーの経営理念、
「正しく高く材料を仕入れて、正しく高くパンを売る」という考えは
利潤を生み出せないけれど、これこそが、その矛盾から逃れ、
次の経済のあり方を提案していけるのではないか……と。

レーズン酵母を使ったレーズンブレッドが焼き上がった。

「利潤が出ない」ということは「赤字を出す」ということではない。
まずは、損益分岐点をクリアにすること。
人件費、材料費などの原価から、1日の売り上げ目標を計算。
自分たちやスタッフが働いた分は、売り上げのなかできっちり還元する。
そもそもは、パンに正当な価格をつけなければいけない。
「パンの価格問題は、いつも夫婦げんかの議題でした(笑)」と格さん。
“あんぱんは100円”という一般常識に、どこまで切り込んでいくか。
「麻里子はブレないんですよ。価格を下げないことに。
でも、俺は当初、“値ごろ感”を望むお客さんのことばかり考えてしまっていた。
自分のパンに、自信がなかったんだと思います」

麻里子さんが目指すことはとてもシンプル。
食と職の豊かさや喜びを守り、その価値を高めていくことだった。
「私は情報を発信する、販売する立場として、
意味のあるものだったら、
正当な価格を理解して買ってくれる人が必ずいると信じていたんですね」

ちなみに、マルクスいわく、
資本主義経済の矛盾の一因に、「生産手段」を持たない「労働者」が、
自分の「労働力」を賃金と交換するしかないという構造があげられる。
格さんは、ひとりひとりがその生産手段を取り戻すことが、
有益な策のひとつになるのではないかと考えている。

つまり、タルマーリーとしてのパンの価値を高めていった結果、
菌をベースとしたパンづくりが生産手段となり、
それは、パン職人としての格さんの自信へもつながっていった。
格さんの探究心を支えたのは、そんな麻里子さんの真っすぐな思いに他ならない。

麹菌を使ってつくられるピタパン。もちもちした食感にハマってしまうファンは多いそう。

「千葉から勝山に移転したとき、自分がつくるパンに、さらにシビアになりましたね。
菌のためには人間が少なければ少ない土地ほど、のびのび生きられて最高の環境なんですが、
パンを売ると考えると、マーケットが小さくなるのは、正直不安でした。
だからこそ、ここ勝山でしかつくれないパンをとことん追求しよう!
と、夫婦で強く決意したんです。

大変そうに見えるかもしれませんが、
天然菌だけでパンをつくると決めてからのほうが、自由になれました。
とにかく、菌の声に耳を傾けるために、自分の感覚を研ぎ澄ます。
人間の頭だけで考えているとどこかずれていったり、
奇抜なことを妄想してしまうと思うんです。
でも、菌という自然の法則と日々向き合うことで、自分の心も鍛えられる。
食をつくるって、本来そうなんだと思うんですよね」(格さん)

「天然菌だけと決めてから、私たちはいつも“菌”が起点になったんです。
人間って、いろんな情報に流されてしまいますよね。
玄米のほうが体にいいんじゃないかとか、
価格が高いからこっちの素材のほうがいいんじゃないか、とか。
でも、菌は何も迷わずに、発酵という結果ですべて教えてくれるんです」(麻里子さん)

作業中のスタッフの合間をぬって工房を動き回る、娘のモコちゃんと息子のヒカルくん。

焼き上がったパンから売り場に並べられ、10時に開店だ。

「そうやって、クオリティの高いパンをつくるためには、
パンをつくらない時間が必要なんです」と格さんは、休息をとても大切にする。
タルマーリーの営業日は、木・金・土・日曜のみ。
水曜は仕込みのみ。日曜は、次の日の仕込みがないので、
製造現場で高い集中力を要するのは、木・金・土曜の3日間。
ほかにも冬休みと夏休みが2週間ずつ、春休みも1週間あるそうだ。

最近出会った島根の自然放牧の牛乳で、ヨーグルト酵母の培養を始めたという。この瓶の牛乳の中で、天然の乳酸菌が働いている。

長期休みの間も、生産者に会いにいったり、
自家製粉機を導入したり、中庭の物置をつくったり。
休みと言えども、よりよいパンをつくるためにフル活動の格さん。
「まだまだ、やりたいことはたくさんありますね。
ドライフルーツなどの副材料も、まだほとんどが輸入モノですし、
ビール酵母のもととなるモルトも、ゆくゆくは地場の素材に変えて、
さらなる進化をしていきたいんです」
同時期に岡山へ移転してきた自然栽培の農家「蒜山耕藝」など、
地域の生産者との連携が進むと、
パンが地域内循環をつくり出すカギになるかもしれない。
「今はイートインという形式のカフェも、もっと充実させていきたいです。
近隣の農産物の加工をしたり、もっと地域内循環するような、
仕組みを広げていきたいですね」と麻里子さんも続ける。

そんな風にこれからのことを話すふたりは想像力に溢れていて、
聞いているこちらもなんだかとても楽しくなってくる。
マルクスを読み解いたら、菌が導いてくれた勝山でのパンづくり。
菌を起点に、新たな可能性を模索し続ける、ふたりのしなやかな生き方からは、
ローカルでの暮らし方のヒントがまだまだ眠っている気がする。

この家に決めた理由のひとつである、タルマーリーの中庭。この庭には川が通っていて、夏には蛍も飛ぶという。温かい季節は、庭カフェとなる。ちなみに、このウッドデッキは、美作市のセレクトショップ難波邸を運営する山田夫妻が手がけたのだそう。

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パン屋タルマーリー(イートインカフェあり)

住所 岡山県真庭市勝山195-3
電話 0867-44-6822
営業時間 10:00〜17:00 月曜・火曜・水曜定休
http://talmary.com/

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別冊コロカルでは、月に1回タルマーリーのパンを販売している、
岡山県美作市の複合施設ショップ「難波邸」を訪ねました。
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