買った山に大量の枝や幹が
放置されていた!
森林伐採に潜む“闇”

ありえないほど大量の木の枝があったことが発覚!

前回の連載で買った山に植林をしたいきさつを書いたが、
実は苗を植えようとした矢先に驚くべき事態が起こっていた。

それは10月下旬のこと。
岩見沢に出張所のある〈千歳林業〉さんが、苗を植える準備となる
“地ごしらえ”の作業を行おうとしたときのことだった。

今回の作業では、まず木が伐採された跡に残った細い枝や幹を、
重機を使ってじゃまにならない場所に移動させることから始まった。
そのとき作業員のひとりが土の下の変な感触に気づいたという。

地面を掘ってみたところ、山積みになっていた枝や幹は氷山の一角で、
土だと思っていた部分からも、それらが大量に見つかったのだった。
作業員によると、伐採した木を運搬しやすくするために、
土とともに枝や幹を置いて土地を平らにならしたのではないかということだった。

ところどころに枝や幹が山積みにされていたが、その下にも大量に埋まっていた。

このままでは木を植えられない……。
事態を聞いて駆けつけた道の森林室や森林組合の皆さんも
作業の大変さに頭を痛めていた様子だったという。
通常は3日ほどで行われる“地ごしらえ”の作業は、
たくさんの土や枝を取り除くために難航し、
1週間以上にわたって行われることになった。

わたしと夫は現場に何度か出向いて、作業員の方から話を聞いたのだったが、
驚くべきことに、処理した層は厚いところでは2メートル(!)もあり、
さらに一部の場所からは地下水が出ていたようで、
ぬかるみがひどく作業は困難を極めたそうだ。

予定していた重機だけでは足りずに、新しい重機も導入し、土や枝を寄せる作業が連日続いた。

地下水がわいている部分に排水溝をつけることになった。苗木の成長を助けるための対策のひとつ。

なぜこんな事態が起こったのか。
この山は、わたしたちが取得する数年前に、
ある業者の手によって木が伐採されていたのだが、その業者とは
2014年に立木売買の詐欺容疑で逮捕されたことがある、いわゆる悪徳業者だった。
その業者がこの土地の木を伐採したことは以前から聞いていたが、
今回の出来事は、まったく予想もしていなかった。

「普通は苗を植えやすいように“ボサ”(枝や幹)は、
きれいに端によけておくものなんですよ」と、山の植林を進めてくれている
森林組合の玉川則子さんも困惑した様子だった。

山には植林する前からカラマツの小さな苗がいたるところに出てきていたが、ボサのような土ではない層の上では大きく育つことはできないという。

国や北海道の補助金を使って行われる植林は、木を切ったら
必ずまた木を植えなおさなければならないという決め事がある。
そして通常は、木を伐採する作業と、その後に苗を植え、
下草刈りや間伐などを行う作業は、同じ業者が請け負うことになっている。

しかし、森林室の栗田健さんの考えでは、
「おそらく、この山の木を切った業者は、その後の植林までは考えていなかったため、
雑な作業しかしなかったのではないか」とのことだった。

小豆島に移住して5年、
1日1日積み重ねていく

これからも、この暮らし方でやっていける?

今年の10月31日で、小豆島で暮らし始めて5年経ちました。
小豆島暮らし5周年です!

5年というのはなんとなくひとつの区切りで、引っ越してきて農業を始めて、
5年後にはちゃんと生計が成り立っていないと、ここでのいまみたいな暮らし方は
続けていけないよねというのが私たち家族の共通認識。
というのも、私たちが受給している農業に関する助成金である
青年就農給付金も5年で交付期間終了。
いよいよ頼るものがなくなり、自分たちだけで立たないといけない時期になりました。

5年前〈HOMEMAKERS〉はありませんでした。
小豆島に来てから約半年後にたくちゃん(夫)とふたりで始めて、
毎日毎日つくりあげてきたこの場所と暮らしと仲間。
いまはここにHOMEMAKERSがあります。

HOMEMAKERSロゴの入ったダンボール。この箱に野菜やシロップを入れてお届けします。

畑作業をともにしてくれる仲間たち。

自分たちの手で何かをつくりだすって本当にとてもワクワクすることで、
当時はなかったジンジャーシロップが、いまは世の中に出回っていたり
(まだとても狭い範囲でしか出回っていませんが、笑)、
自分たちがデザインしたロゴのTシャツを着てみんなと一緒に働いていたり。
少しずつだけど、積み重なってできていく自分たちの世界。
それがとてもうれしい。

にんじんひとつ育てるのも難しい。ようやく収穫できるようになりました。

窓からのいつもの風景。今年は柿が豊作でした。

お金の面でいうと、やっぱり農業で生きていくというのはとても難しくて、
それは私たちが農業者としてまだまだ未熟だからなんだけど、
もっともっと野菜を育てるということを学んで、
売り方を工夫していかないと厳しいのが実情です。

買った山に2000本の木を植える。
植林という未知の世界に踏み込む

どんな種類の木を植える? プロの意見とわたしたちの想いがぶつかる

昨年春に岩見沢に山を買い、いま、わたしは“植林”という新しい世界に足を踏み入れた。
連載第45回で書いたように、総面積8ヘクタールのうちの
1ヘクタール分は人工林だった場所。
木はすでに伐採されているが、もともと国や北海道の補助金を利用して
植林をしていた場所だったために、所有者は植林をして森林に戻す義務がある。

そこで、今年の6月に、森林組合や道の森林室の皆さんと
植える樹種について相談する機会があった。
連載で書いた通り、皆さんのおススメは、カラマツやトドマツなどの針葉樹。
成長が早く、広葉樹に比べて動物の害に遭いにくいことから、
このふたつがもっともポピュラーなのだという。

けれど、わたしも山の共同購入者の農家の林宏さんも、
植林のビジネスという側面にピンとこないところもあり、
広葉樹を植えてみたいという希望があった。

買った山で植林の話をする。左端が北海道空知総合振興局森林室の栗田健さん。右端が森林組合の玉川則子さん。

「カラマツやトドマツのほうがいいと思いますよ……」

森林室の栗田さんは、何度かそう語り、広葉樹を植えたいというわたしたちの意見に、
どうやら賛同していないような雰囲気が感じられた。
ただ、わたしも林さんも、植林のことについてまったく知識がなく、
常識はずれのことを言っているのかさえ、よくわからない。

「植林と言ってもイメージがわかないと思うので、
今度、近くの現場を見に行ってみましょう」と森林組合の玉川さんからの提案もあり、
岩見沢で実際に植林を行っている土地を3か所見せてもらうことになった。

新芽は動物たちのごちそう。食害の多さに驚く

まず1か所目は、昨年秋にカラマツの苗を植えたばかりという土地だった。
ほとんど植林の現場を見たことのないわたしにとっては、
「えっ、苗はどこにあるの?」と言いたくなるような感じだった。
よくよく見ると草のあいだに、等間隔で植えられた苗を発見。
40センチから1メートルくらいの背丈のもので、ひょろひょろっと頼りなげ。
これらがやがて森になるのだろうかと思うほどだった。

昨年秋にカラマツの苗を植えた場所。

土地を案内してくれた森林室の栗田さんが、先端が切り取られた苗を見せてくれた。
動物に食べられた跡だという。シカ、ウサギ、ネズミなど、
春に伸びた新芽は動物たちの恰好の餌となり、針葉樹も被害に遭うそうだ。
一度、新芽を食べられても生えてくるが、その分、成長が遅くなる。
また、何度も被害に遭うと枯れてしまうこともある。

そのため、植林する木としておススメなのが、苗の成長が早い樹種だ。
動物たちが届かない高さまで成長すれば、
新芽を食べられることはなくなるというわけだ。
ちなみに、食べられなくなる高さは、わたしの背丈と同じくらい(150センチ)で、
早く伸びる樹種でも3~5年はかかるという。

新芽の部分がなくなっている。ウサギやネズミの仕業?

もともとカラマツが生えていた土地だそうで、松ぼっくりが残っていた。

伐採されたカラマツは50年ほどたったものだった。年輪を数えるとだいたいの樹齢がわかる。

次に案内してくれたのは、ヤチダモという樹種を植えている場所。
ヤチダモとは広葉樹の一種で、バットの材料に適したものだという。

「人気のある樹種ですよ」

針葉樹を強く推していた栗田さんだが、ヤチダモはおススメらしい。
理由は、広葉樹のなかでは成長が比較的早く、一度食害に遭っても、
成長が止まらないことがあげられるという。

7年経ったヤチダモ。このくらいの高さになるとシカの食害に遭いにくくなる。

食害されやすいのはどんな樹種か。栗田さんは資料を見せてくれた。

そして3か所目は、カラマツを植えたが苗が育たず、
次にヤチダモを植えたという場所だ。
ここは、もともとカラマツ林だった場所だが、
以前と同じ樹種を植えても育たないこともあるそう。
シカに食べられた跡もあるので食害かもしれないが、
その理由ははっきりとはわからないそうだ。

ヤチダモを植林した土地。といっても、どこに苗があるのかは、瞬時には判別できない。

次にヤチダモを植えた理由は、土地との相性を考えてのこと。
ヤチダモのヤチは谷地と書き、湿地帯のことを指す。
この土地は、水を多く含んでいたため、
育つ可能性があるかもしれないと考えたのだという。

苗には、ピンクテープが巻きつけられていた。
草刈りのときに、間違って苗を切らないようにするための印なのだという。
広葉樹の苗は小さいうえに、ほかの草と見分けがつきにくいために印をつけるそうだ。

草刈りのときに、苗を切ってしまうことがあるため、ピンクテープで目印をつけている。

以前に植えたカラマツが枯れている。皮をシカなどの動物に食べられた跡がある。

札幌〈COQ〉梶原加奈子さん 
テキスタイルデザイナーが開いた
森の中の複合スペース

魂を込めて伝えたい。心を和らげるテキスタイルの魅力

札幌の中心地から南へ車で約40分、北海道のアートスポットとしてよく知られた
〈札幌芸術の森〉のほど近くに、この夏〈COQ(こきゅう)〉がオープンした。
ここは北海道出身のテキスタイルデザイナー、
梶原加奈子さんが立ち上げたユニークなスペースで、
「テキスタイルのある暮らしを体感してほしい」という彼女の願いが込められている。

〈COQ〉と書いて「こきゅう」と読む。玄関のたたずまいはさりげないものだが、中に入ると開放感あふれる空間が広がる。

暮らしのさまざまなシーンに“布”は使われている。
しかし、それらがどのようにつくられたのか、
その制作者の想いに意識が向かうことは滅多にない。
しかし、このCOQでは、ショップやダイニング、ゲストハウスという空間を通じて、
テキスタイルの魅力を存分に味わうことができるのだ。

1階には、梶原さんがデザインした数々のテキスタイルと、
布によってつくられた雑貨が並ぶ。
艶やかな色彩のストールや、ほおずりしたくなるような風合いのタオルなど、
テキスタイルとはこれほどまでにさまざまな表情があるのかと驚かされる。

ショップスペースには特徴のあるテキスタイルが使われたストールやバッグが並ぶ。

ダイニングスペース。森の景色が窓いっぱいに広がる。

その奥にはフレンチレストラン〈AKI NAGAO〉のシェフ、長尾彰浩さんと
梶原さん率いるデザインチーム〈KAJIHARA DESIGN STUDIO〉で
共同ディレクションをしたダイニングスペースがある。
大きく開かれた窓には森の景色が広がり、
間仕切り代わりに天井からつり下げられている
半透明のテキスタイルとのコントラストがとても美しい空間だ。

ランチプレートやおまかせコースなど、ダイニングでは、札幌の一つ星レストランのシェフ、長尾さんがディレクションした料理を楽しめる。

「素朴だけれど、全身を歓喜させる力強い味わい」を感じるひと皿を提供したいという長尾さん。北海道の良質な素材と向き合い、隠し味にはフランス料理のエッセンスを加えている。

さらに、2階には100平米という広さの
ワンルームタイプのゲストハウスが設けられている。

ここでは梶原さんがディレクションしている客室リネンのブランド
〈Nokton〉のさまざまなアイテムを通して、日本の伝統技術が生かされた
こだわりの布を身近に体験することできる。
『TODAY'S LINEN』という冊子が置かれ、寝具やタオルなどに使われた
布の産地や製法について詳しく知ることもできるのだ。

ゲストハウスの窓から森の木々が見える。

〈白川郷ヒト大学〉って?
世界遺産の小さな村に誕生した、
未来を切り拓く学びの場

飛騨への移住は何が違う?
仕事、住居、暮らしを支える飛騨コミュニティ vol.1

世界中から集まる、多くの旅人の心を掴んで離さない飛騨。
観光地として有名な飛騨は、高山市・飛騨市・下呂市・白川村の
三市一村からなる広域エリアだ。
伝統に触れつつ、新しい生き方を実践できるこの地域には、
観光客だけでなく移住者が増えている。

地域で暮らすうえで、大きなポイントとなるのが、人とのつながり。
縁を感じられる地域には、移住者は自然と集まってくる。
コロカル×未来の地域編集部でお届けする、飛騨の魅力に迫る連載。
外の人々を迎え、つながりを強くする。そんな飛騨のコミュニティを訪ねていく。

地域の人々が集う学びの場をつくる

世界遺産の合掌造りが有名な白川村。
観光で注目されることが多いが、当然ここにも暮らす人々がいて、日々の営みがある。
昔から続いてきた村独自の文化や、周囲の大自然から、生き方を学ぶことも多い。

そんな人口1700人の小さな村に、2016年11月に大学が開校した。
〈白川郷ヒト大学〉(ヒト大)と名づけられたこの大学は、
特定のキャンパスを持たないソーシャル大学のひとつだ。

日本の各地域で見られる学びのスタイルだが、人口の多い都市部ではなく、
村で展開していることに驚かされる。いったいどのような大学なのだろうか。

「村では、青年部をはじめ昔から続いているコミュニティはあっても、
若者が多様な価値観を学ぶ場はありませんでした。
これからは、この地域に住んでいる人が、
楽しみながら学べるコミュニティをつくりたいと思ったんです」

こう話すのは、事務局長の前盛よもぎさん。
2年前に、地域おこし協力隊として白川村に着任し、
現在は教育に関する活動に力を入れている。
村では、子どもたちと〈かやっこ劇団〉という劇団を立ち上げて村内外で公演したり、
『そんみんし』という、地域住民を取り上げたローカル冊子の編集・発行をしている。

村の住民にフォーカスした小冊子。現在は8号まで出ている。

「もともと、私は教育と地域をつなぐ仕事をしたかったこともあって、
村で何かできないか模索していたんです。
ちょうどそのとき、協力隊の先輩でもある柴原さんも
同じ思いを持っていることがわかり、まずはやってみよう! という話になりました」

事務局長としての仕事は、授業の企画から運営まで多岐にわたる。
そもそも、ソーシャル大学ということもあり、決まった形式はなく、
授業内容はコアメンバーで話し合いながら決めているそうだ。
調整ごとも多いが、地域おこし協力隊として活動している下地もあり、
取り組む姿は生き生きとしている。

地域おこし協力隊の任期は2017年度で終わる。その後も村に残ることを決めた。

「村内には、若者たちが働く場も少しずつ増えてきています。
ただ、そういった若者が、人とのつながりを感じられる場というものはまだ少ない。
せっかく豊かな場所に住んでいるのだから、家と職場の往復だけでは、
もったいないですよね。若者たちが、もっと村に関わるきっかけを
提供できればと考えています。
今後は、村の人たちだけでなく地域外の人も巻き込んで、
多様性のある交流が生まれるのが理想です」

ソーシャル大学だからこそ、誰でも学生になれることは魅力だ。
これまでの授業の参加者も、村の住民に加えて、移住検討者や、
今後の生きる場を探している人が多かったそうだ。

村で暮らす人たちには、よりよい村の未来を見据えた、新しい学びの場の提供を。
そして、都市部の人たちには、地域に入ってくるきっかけをつくる。
それぞれが混ざり合うことで、白川郷ヒト大学の活動に価値が生まれる。

村の内外から参加者が集まる講座。村すべてがフィールドになるのは、ヒト大ならでは。

写真家・南阿沙美さんの
ワークショップで子どもたちが
見せた、とびっきりの表情

簡単には見過ごせない。不可思議な感覚がわく、南さんの写真

岩見沢の山里にエコビレッジをつくれたら。
そんな想いを持ちながら、いまわたしは、
この地域で自分ができることは何かを探っている。
今年に入り、山里をテーマにした展示や似顔絵マップを地域の仲間とつくっており、
こうしたなかから地域に根ざしたエコビレッジの輪郭が
浮かび上がってくるのではないかと考えている。

さらに6月には、アーティストやデザイナーと一緒に岩見沢の山里を舞台にした
ワークショップを行う〈みる・とーぶSchool〉を立ち上げた。
6月より月1回ほどのペースで開催、10月で第4回となった。
10月のゲストは、札幌生まれで東京を拠点に活動する写真家の南阿沙美さん。
今夏開催された札幌国際芸術祭2017の参加アーティストで、
展示の搬出を終えた後に岩見沢に立ち寄ってくれた。

南さんは、札幌国際芸術祭2017で、「ゲストハウス×ギャラリープロジェクト Sapporo ARTrip『アートは旅の入り口』」に参加。多彩な表情の人物写真を無数に展示した。

2005年より発表を始め、2014年にキヤノン写真新世紀で優秀賞を受賞。この写真は受賞作となった『MATSUOKA!』。(撮影:南阿沙美)

南さんに出会ったきっかけは雑誌の仕事だ。
わたしの本業はフリーランスの編集者。
担当した雑誌の記事で、あるとき南さんが撮影をしてくれたことがあった。
これまでたくさんの写真家と仕事をしてきたが、
南さんの撮影する様子は特に印象深かった。

取材相手に、弾けるような笑顔で話しかけながらシャッターを押す南さん。
その笑顔を見ているうちに、ついつい取材相手の顔もほころんでくるのだった。
誰が撮影するかによって、人はまったく違う表情を見せるもの。
生き生きとした表情を引き出すのが、南さんはとても上手だと、
そのとき強く感じたのだった。

また、雑誌の仕事だけでなく、作品として発表された写真もとてもおもしろい。
札幌国際芸術祭2017では、壁にところせましと人物写真が並べられ、
『ハトに餌をやらないでください』というタイトルがつけられた。

「ハトの餌なんか持っていないのに、この張り紙を見ると、
まるで自分が餌をあげようとしていたのかという、よくわからない気持ちになります。
そうしたいと望んでいたのかもわからないのに、思わずシャッターを押してしまう、
そういう感覚があるんです」

南さんの写真は、日常の何気ないスナップかと思いきや、
モデルの表情やポーズに意外性が感じられたり、
道端に置かれた意味不明な形状の何かがあったり。
簡単には見過ごせない、“心のひっかかり”とでもいったらいいのか、
不可思議な感覚が潜んでいる。

さまざまなシリーズを発表してきた南さん。『親子写真入門』では、8年ほど撮り続けている親子がレスリングのようなポーズをしたり、砂浜を猛スピードで駆け下りたり。激しい動きにもかかわらず、写真には淡々とした空気が流れている。(撮影:南阿沙美)

『ハトに餌をやらないでください』に展示された作品より。(撮影:南阿沙美)

こうした写真を撮る南さんとワークショップをやってみたら、
参加者もいつもと違った1枚が生まれるのではないか。
10月4日「親子で楽しい写真を撮ろう!」と題したワークショップに、
わたしはそんな期待を持っていた。

〈HOMEMAKERS〉のまかない、
採れたての旬野菜でつくる

みんなで一緒に、畑作業と昼ごはん

雨続きの小豆島です。
ほんとにこれでもかっていうくらい雨が続いていて、おまけに台風まで。
毎年10月中旬に数日かけて各地区で開催される小豆島太鼓祭りも今年は連日雨。
こんなに雨が続くことはなかなかないみたいです。

ここ数日、毎日こんな天気。雨の中収穫。

それにしてもこの雨ですっかり寒くなりました。
秋が一気に深まった感じ。
畑の秋冬野菜、ナバナやカブ、白菜、大根、にんじん、じゃがいもたちも
どんどん大きくなっています。
気づくともう食べられる大きさになっていたりして、
「あー、カブの季節だな」と野菜で季節を感じたりします。

ふさふさのにんじんの葉っぱ。

毎年育てている「あやめ雪かぶ」。大好きな野菜のひとつ。

私たち夫婦ふたりで始めたこの畑も、もうすぐ丸5年になります。
去年くらいから島の友人たちに畑を手伝いに来てもらうようになり、
いまは週に数日定期的に来てもらって一緒に畑作業をしています。
みんなで一緒に畑作業をする日は、お昼ごはんも一緒に食べます。

みんなでさつまいも掘り 。

収穫したての生姜。

料理があんまり得意じゃない(むしろ苦手な)私は、毎回何つくろうかなぁと迷い、
とりあえずご飯(炊くだけ!)とお味噌汁はいつもつくるようにしてます。
土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』という本は、
こんな私にとってすごく心強い(笑)。

というのはさておき、実はご飯とお味噌汁でも
結構なごちそうなんじゃないかなと思います。
お米は、ここ小豆島・肥土山(ひとやま)で育てられたもの。
そしてお味噌汁の中には、畑で収穫した旬のお野菜が数種類入っていて、
さらにお味噌は自家製だったりします。
うん、ごちそうだ!(笑)

それからおかずをどうしようか(やっぱり何かおかずがあったほうが楽しい)。
なるべくなら、その日採れた野菜を使った料理をつくりたいなと。
自分たちが育てたお野菜が食卓に登場すれば、それだけでテンションあがりますよね。
そんなに凝った料理をつくる腕もなければ、時間もないので、
いたってシンプルな調理方法で。焼く、蒸す、切るだけとか。

さて、収穫したこの野菜で何をつくろうか。

出荷するには細すぎる安納芋。輪切りにしてお味噌汁へ。ちょうどいいサイズ。

秋の小豆島撮影ツアー!
観光地としての小豆島、
暮らす土地としての小豆島

小豆島で暮らす私たちが考える撮影ツアー

気持ちのいい秋の週末、今年で4回目の開催となる
「OLYMPUSのカメラで撮る小豆島撮影ツアー2017」! 
リピーターの方も何人かいる人気の企画です。
カメラを持って1泊2日で小豆島をまわりました。

黄金色の棚田の中を歩いたり。

〈鈴木農園〉さんの豚さんたちに会いに行ったり。

私たちは〈小豆島カメラ〉として、ツアーの行程を考えるところから
関わらせてもらっていて、当日もカメラを持って参加しました。

どこに行ったら楽しいか、いい写真が撮れるか。
ごはんはどうしようか。
何時にどこで夕陽を見たらきれいか。
島で暮らし、写真を撮っている私たちだからこそ企画できるツアーにしようと、
時には地元の生産者さんや、おっちゃん、おばちゃんに協力してもらったりして、
いわゆる観光スポットめぐりの旅にならないようにしています。

島の素材をふんだんに使ったジェラートを食べたり。

道なき道を進み海岸まで小さな冒険したり。

小豆島には観光スポットとして有名な場所がいくつかあります。
観光スポットってやっぱりきれいなんです。
景色が抜群によかったり、いわゆる小豆島らしいもの、
オリーブやそうめん、醤油が用意されていたり。
だから、そういう場所を訪れるのももちろん楽しいと思います。
今回のツアーでもオリーブ公園などいわゆる観光スポットにも行きました。

オリーブ公園のギリシャ風車。ここはやっぱりきれい。

オリーブ公園で「魔法のほうき」を借りて、ほうきに乗ってジャンプ。みんなで撮影します。

公園内のオリーブ畑を歩きながら。

それに加えて、観光スポットじゃない場所。
島の人たちが暮らしている集落の中だったり、働く現場だったり。
観光スポットとして用意されているんじゃなくて、いつもの小豆島を感じられる場所。
普段の暮らしや仕事の中に入っていくことになるので、
迷惑にならないように、逆に新しい出会いをお互いに楽しめたらいいなと。

横手市〈金輝さくらんぼ園〉
自由な働き方で、農業以外にも
多彩な顔を持つさくらんぼ農家

父の思いを受け継いださくらんぼ

さくらんぼの産地といえば山形が有名だが、
隣接する秋田にもさくらんぼ栽培の盛んな地域がある。

「さくらんぼは、水と土を選ぶらしいですよ」

秋田県横手市十文字町で、〈金輝さくらんぼ園〉を営む金澤輝幸さんはこう説明する。
県南内陸部に位置する横手盆地は、全国でも有数の豪雪地帯。
その一方で夏は暑く、肥沃な土壌と豊富な雪解け水、
そして昼夜の寒暖差の大きい気候がさくらんぼ栽培に適しているらしい。

十文字地区でさくらんぼの栽培が始まったのは、明治初期。
さくらんぼが日本に伝来したのが明治元年といわれているので、
産地としての歴史も古い。
昭和20年代までは自家用に栽培されていた程度だったが、その後、
缶詰工場の進出や減反政策などの影響で、栽培面積が拡大して現在に至っている。

広大な平地を有する横手盆地では、ブランド米〈あきたこまち〉のほか、野菜やブドウ、桃、りんご、さくらんぼなど、さまざまな恵みをもたらしてくれる。

金澤さんが就農したのは4年ほど前。父の急逝を機に秋田市からUターンして、
さくらんぼ農園を継ぐことを決意した。
「父の本業は大工だったのですが、思うところがあったのか、
いつの日からかさくらんぼを栽培するようになっていました。
忙しい時期は手伝いに帰っていたのですが、
まさかこんなに規模が大きくなっているとは思いませんでした(笑)」

父の残した農園の面積は、約5000平方メートル。
ひとりで管理するのは、容易でない広さだ。

就農前の金澤さんは会社勤めをしていて、さくらんぼの知識はほぼゼロに等しかった。
しかしながら、父が手塩にかけてきた畑をなくしたくないという思いと、
固定のお客さんが少なからずついていたことが、思い切った決断を後押し。
右も左もわからない状態でできるのは、人に聞くこと、
そして見よう見まねをすることだった。

長さ100メートルもあるさくらんぼ農園。ビニールハウスをかけるのもひと苦労だ。さくらんぼ狩りを体験できる観光農園も運営している。

「最初は近所の先輩農家に聞いてみたりもしたけど、
それぞれ独自に編み出した栽培方法を持っていて、企業秘密にしている部分が多い。
そんななか、たまたま取り引きのあった肥料屋さんが見るに見かねたのか、
山形のさくらんぼ農家さんを紹介してくれて、
2年限定で教えてもらえることになったんです」

農園の中にはところどころに蜂の巣箱が。蜂が受粉してくれるのだ。

「剪定作業ひとつとっても、何が正解なのかは試してみないとわからないし、
人によって正解も違う。思い通りの木を形成するにはどうすればいいか、
先を見越しながら作業をするのは難しいけど、楽しいですね。
すべての責任が自分にある分、会社勤めをしていた頃より
手を抜くことがなくなりましたよ(笑)」

1本の木に数時間かかることもある剪定作業。「犬みたいに木の周りをくるくる回りながら、剪定すべきか悩むこともあります」

父が残した農園を、父の思いとともに受け継いでいく金澤さん。
「親父にはかなわないだろうなとは思います。
だけど、代が変わったら味が落ちたというふうには言われたくない。
それだけは心がけています」

弘前市の自給自足の
イタリアンシェフ笹森通彰さん、
サラダ&シードル体験レポート
〈TERRARIUM JAPAN RESEARCH〉

〈オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ〉が弘前にある理由

2017年9月14日(木)、東京・表参道の
ビューティライフスタイルショップ〈テラリウム表参道〉にて、
『コロカル』とのコラボレーションによるワークショップが行われました。
その名も〈TERRARIUM JAPAN RESEARCH〉。

会場となる〈テラリウム表参道〉は、〈インフィオレ〉を中心に
自然派コスメや独自のセレクトアイテムなどビューティグッズも充実。
ガラス張りの店内には陽射しが降りそそぎ、とても開放的な場所。

第1弾となる今回は、青森県弘前市にある自給自足イタリアン
〈オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ〉のオーナーシェフ・笹森通彰さんによる、
自家栽培した野菜や自家製チーズを使った盛りつけ体験、
自家製シードル飲み比べ体験を行いました。

笹森さんは青森県弘前市生まれ。
料理の道を志すことになったきっかけは、学生時代アルバイトしていた
仙台のイタリア料理店でのまかないづくりにあったといいます。
きのこのクリームスパゲティをうまくつくることができた笹森さんは、
料理のおもしろさを見出し、当時学校で勉強していたコンピューター関係の職ではなく、
料理の道を志すことに決めました。

そうして東京のトップクラスで3軒、本場イタリアの一流店で4軒の修業を経て、
2003年に自給自足イタリアン、オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ、
2010年に自家製モッツァレッラチーズを100%使用したピッツァ専門店
〈ピッツェリア ダ・サスィーノ〉をオープンした笹森さん。

なぜ、“自給自足”なのか。なぜ、弘前に戻ってきたのか。
その理由は笹森さんの幼少時代の原体験にありました。

「小さい頃から祖母の自家消費用の畑で採れた自家栽培の野菜を食べていました。
採れたて濃厚でフレッシュなトウモロコシやスイカが私のおやつ。
養鶏もしていたので、卵は自分が取ってくる担当でした。
牛乳は近所の大学の農場で低温殺菌したものを愛飲。
だから、仙台のイタリアンでバイトしていたとき、野菜の味が弱かったり、
牛乳に味を感じなかったり、ちょっとおかしいなと感じたんです。
イタリアで修業していたときも素材の弱さを感じて、
自分の小さい頃の環境は特別だったんだなと思いました。
帰省して畑のものを食べると、やっぱりうまいと実感しましたね」(笹森さん)

そんなバックボーンがあるから、素材の良さを存分に生かした料理が
本当においしい料理と確信した笹森さん。
可能な限り素材づくりから手がけることを決意したといいます。

「東京には良い素材が揃っていますが、
素材の味と料理人の技を合わせて味を最大化するのではなく、
素材だけでもおいしいものにしたい。弘前に戻って、あの畑で、
自分の納得する素材を自ら手がければ、いい料理がつくれると思いました」

いまでは30種以上の野菜や果物をはじめ、
ワインやシードル、食用花、ハーブ、チーズ、生ハムなど、
レストランで提供する素材のほとんどが、笹森さんの自給自足によるもの。

なかでもいま一番力を注いでいるのが、ワインづくり。
盆地のため日中は暑くて夜は涼しく、しっかり寒暖差があるのに加え、
風通しがいいから湿気がこもらず病気になりにくいという、
非常にワインづくりに適した環境の弘前。
醸造免許を2010年に取得し、今年で7回目を迎えました。
ワインづくりの苦労について、笹森さんは次のように話します。

「酒税法の関係でワインづくりは難しいと思っていましたが、
弘前市にお願いして特区にしていただき、自分の畑で育てたブドウでつくった
自家製ワインを自分のレストランで提供するという条件で、
1リットルから提供できるようになりました。
だけど2013年には収穫前の大事な1か月が雨台風に直撃。
葉が落ちてしまったため光合成ができず、成長が止まってしまって。
通常は糖度が24度なのですが、そのときは17度まで落ちてしまい、参りました」

そんな苦難を乗り越え、いまでは2000本植えられているブドウ畑から、
最大1500リットル、ボトル2100本分とれるようになったといいます。
これからもいまあるワインをより良いものにしていくため、改良を重ねていくそうです。

また、2016年12月からは地元のリンゴでシードルづくりも開始。
今回飲み比べしていただく春仕込み、夏仕込み、冬仕込みの3種を展開しています。

もちろんその中にはたくさん試行錯誤して、うまくいかなかったものもありました。
オリーブや小麦は青森の冬を越せず、なかなか実がなりません。
豚や食用うずら、鴨も検討しましたが衛生法上難しく、
ハチミツは住宅街に囲まれた畑に蜂がやってくることはなく……。

また、烏骨鶏も害獣にやられてほぼ殲滅。
でも、生き残った1羽が気まぐれに生む卵が濃厚で、
また対策をとって挑戦したいと笹森さんは話します。
彼のあくなき探究心が生み出す最高の素材がこれからも増え続けていく予感に、
思わず胸が躍ります。

埋もれていた地域の魅力を
掘り起こす、
初めてのフォトコンテスト

撮影:東井宏光

東部丘陵地域には、どんな人がいて、どんな風景があるの?

北海道は実りの秋が訪れている。
リンゴが熟し、お米の収穫もまっさかり。
わたしが転居しようと計画中の岩見沢の山里は、
ちょうど木の葉が色づき始めたところだ。
長い冬に閉ざされる前の、ほんの短い間の紅葉を眺めていると、
なんだか切ないような不思議な感覚がわいてくる。

色づき始めた葉。10月上旬には見頃を迎え、あっという間に冬がやってくる。

この自然に囲まれた山里を、もっと多くの人に知ってほしいと始めた
〈みる・とーぶ〉という活動。
これまでは、地元のみんなでつくった雑貨などを販売したり、
ワークショップをしたりしてきたが、この秋、新たな試みを行った。
この地域では初となる、フォトコンテストの開催だ。

岩見沢の山里は東部丘陵地域と呼ばれており、このエリアで撮影された写真であれば、
風景、人物、動物などジャンルは問わないというものだ。

コンテストのテーマとなった東部丘陵地域は、多様性にあふれた場所だ。
道道38号線沿いに広がり、20キロほどの道のりではあるが、
そのなかに、上志文、宝水、上幌、宮村、朝日、美流渡(みると)、
毛陽(もうよう)、万字(まんじ)と呼ばれる地区があり、
それぞれが違う個性を持っている。

例えば、朝日、美流渡、万字は、炭鉱街として栄えた歴史があり、
その名残りを感じさせる旧跡がいまもある。
上志文、上幌、宮村は田畑が広がる農村地帯。
また、毛陽や万字は山間の地形を生かして、
リンゴやブルーベリーなどの果樹の栽培が盛ん。
宝水は、映画のロケ地ともなったワイナリーが有名だ。

岩見沢・東部丘陵地域の地図。“東部”丘陵地域を“見る”からとった〈みる・とーぶ〉で制作した地図より。

各地区の写真をまとめたみる・とーぶの地図より。

こうしたさまざまな顔を持ち、四季折々の変化も美しいこの一帯には、
どんな景色や人の営みがあるのだろう。
これまでに、みんなが撮った写真を見てみたい。
そんな想いがきっかけになり、フォトコンテストの準備が始まった。

企画の中心となったのは、みる・とーぶのメンバーのひとり、上井雄太さん。
上井さんは、東部丘陵地域で活動する地域おこし推進員(協力隊)として、
2016年、この地にやってきた。

青年海外協力隊としてフィリピンで活動後、岩見沢の地域おこし推進員となった上井さん。大学で農業を学んだ経験から地元の人たちが集う家庭菜園をつくったり、スポーツイベントを企画したりと、この地域との関わり方を模索してきた。今回のフォトコンテストはみる・とーぶの主催となっているが、彼が企画と運営を一手に手がけた。

奥能登国際芸術祭2017
さいはての芸術祭から見えるもの

さいはての地から美術の最先端を

「さいはての芸術祭、美術の最先端」を謳う、
〈奥能登国際芸術祭2017〉が、石川県珠洲市で開催中だ。

奥能登という言葉のとおり能登半島の最北端に位置する珠洲市は、
陸路から考えるとたしかに「さいはて」だが、
海運交通で考えると能登半島は古来から最先端の地だった。
古墳時代から奈良時代には、朝鮮半島の人々が能登半島に渡り大陸文化を伝え、
江戸時代には北前船の発達で、大坂から北海道までの品が
能登をはじめ日本海の多くの港で売り買いされた。

また能登半島沖は、南下してくるリマン海流(寒流)と、
北上してくる対馬海流(暖流)が交わるため、とれる魚も豊富。
漁業が栄えたのは言うまでもない。
そのほか珠洲には、塩田に海水を汲み上げて塩をつくる
「揚げ浜式」という古い製塩法がいまも受け継がれる。

10のエリアで作品が展開されている奥能登国際芸術祭。海岸沿いに回れるようになっている。

「塩田」という名前にも浅からぬ縁がありそうな、国際的に活躍する塩田千春『時を運ぶ船』。実際に塩づくりに使われていた古い船を使って作品をつくり上げた。

能登には大陸からさまざまなものが流れ着く。それらを「漂着神」として祀る風習が、日本海沿岸に見られるという。実際に海岸に打ち上げられていたものを使ってつくった深澤孝史の作品『神話の続き』。

また能登を語るうえで欠かせないのがお祭り。
キリコと呼ばれる巨大な灯籠を引き回す「キリコ祭り」は、
夏から秋にかけ、能登の各集落で行われる。
芸術祭期間中も、珠洲だけでも多くの祭りが見られそうだ。

芸術祭会期中には多くの集落でキリコ祭りが行われる。芸術祭開幕の夜には、特別にキリコが登場し、オープニングを飾った。

港にある使われなくなった建物を改装した「さいはての『キャバレー準備中』」では、EAT & ART TAROが食にまつわる作品を展開。昼間は準備中のキャバレー、夜はお酒と料理が楽しめる店に。設計は、建築家の藤村龍至が手がけた。

圧倒的な自然と、豊かな特色ある文化が残る土地ゆえに、
アーティストたちも刺激されたのだろう、多彩な、力ある作品が出揃った。

穏やかな木ノ浦の海。

鴻池朋子は、驚くべき場所に作品『陸にあがる』を設置。遠くから眺める作品だが、そのポイントに至るまでの道のりも含めて鑑賞体験となる。

さわひらきは、祖父母がかつて珠洲に暮らしていたという、珠洲と縁のある作家。今回は映像作品のほかインスタレーションなど、いくつかの部屋を使って多層的に作品を展開。

総合ディレクターの北川フラムさんは、新潟県越後妻有エリアの〈大地の芸術祭〉や、
瀬戸内海の島々を舞台にした〈瀬戸内国際芸術祭〉を成功させてきた、
言わずと知れた地域芸術祭の第一人者。
開会式では「あとのまつりになる前に、アートの祭りを」と
しゃれをまじえて挨拶したが、「さいはて」が最先端になり得る、
ポテンシャルを持つ土地での芸術祭開催に、大きな可能性を感じているようだった。

小山真徳の『最涯の漂着神』は破船とクジラをイメージした作品。クジラの肋骨のように見えるものは流木でつくられている。

開催中の第57回ヴェネチアビエンナーレ日本館の作家に選出された岩崎貴宏は、2トンもの塩を使って作品を制作。家の中に枯山水のような塩の庭が広がる。

珠洲にまつわるストーリーを作品に『奥能登口伝資料館』

奥能登の圧倒されるような風景の中で展開される作品も多々あったが、
大型な作品でなくても、珠洲の人たちと関わりながら
つくり上げられている作品にも注目したい。

東京・吉祥寺を拠点に活動するアーティストグループ〈Ongoing Collective〉の
『奥能登口伝資料館』は、10人の参加作家が、
珠洲の小泊(こどまり)という地区の人たちにリサーチしてさまざまな話を聞き、
それをもとに映像やインスタレーションなどの作品を制作。
保育所だった施設を使って作家それぞれが作品を展開している。

〈Ongoing Collective〉の参加作家のひとり柴田祐輔は、珠洲で漁業に従事するインドネシア人に出会い、彼らが暮らす家「パンダワハウス」を再現した作品を制作。インドネシアの人たちから見た珠洲が浮かび上がる。

口伝とは、語り継がれてきた民話や伝承のこと。
ただ、ここでいう“口伝”は昔話や言い伝えばかりではなく、
現代を生きる珠洲の人たちのさまざまなエピソードや思い出だったりもする。
作家たちは地元青年団の草刈りに参加し、その後の飲み会や偶然の出会いなどにより
それらのストーリーを収集し作品に昇華させていったそう。

といっても、その話がストレートに表現されているわけではないのが、
この“資料館”のおもしろいところ。
10人のアーティストの作品はまったく様相が異なるが、
それらすべてに、何らかのかたちで珠洲の要素が表れているはずだ。

小鷹拓郎は『村にUFOを誘致する』という映像作品を制作。地元の人に出演してもらい、彼らの話からさまざまなキーワードを「UFO」に置き換えて物語を構築。現実とフィクションがないまぜになった作品ができ上がった。

小学生デザイナーは
札幌の市電をどうデザインした?
SIAFデザインプロジェクト

札幌国際芸術祭(以下、SIAF)2017のテーマは「芸術祭ってなんだ?」。
それに呼応し、芸術祭にまつわるデザインも
「デザインってなんだ?」という問い直しから始まった。

カラフルなグリッドに文字が踊る芸術祭のメインビジュアルや
シンボルマークはどうやってつくられたのか、
また、そこから派生した、小学生デザイナーによる
ラッピング電車〈SIAF号〉はどう生まれたのか。
さらに札幌のデザインの歴史をたどる展覧会『札幌デザイン開拓使 
サッポロ発のグラフィックデザイン~栗谷川健一から初音ミクまで~』まで。

これら一連の「札幌国際芸術祭デザインプロジェクト」について、
SIAFの“バンドメンバー”と呼ばれる企画メンバーのひとり、
アートディレクターの佐藤直樹さんの話を交えて紹介しよう。

芸術祭のメインビジュアルやシンボルマークはこうして生まれた

ゲストディレクターの大友良英さんから、アートディレクターの佐藤直樹さんに
SIAFのアートディレクションが依頼されたのは、開催の1年半以上前。
大友さんの2009年のプロジェクト
「ENSEMBLES 09 - 休符だらけの音楽装置」でもデザインを担当した佐藤さんは、
展覧会をつくる一員となってデザインを考えていくような人だ。

「大友さんが多様性のある芸術祭にしたいと言っているのに、
外から来たひとりのデザイナーが統括的にデザインして、
その成果物をみんながただ使うというのはちょっと違うなと。
札幌のデザイナーをはじめ地元の人たちと、
ワークショップなど共同作業を通じて組み立てていこうと思いました。
その過程を重視し、開催期間に合わせてデザインも変化させていく。
プロジェクトとして1年半くらいかけて制作していったんです」

バンドメンバーのひとり、アートディレクターの佐藤直樹さん。

こうして2016年4月から「札幌国際芸術祭デザインプロジェクト」がスタート。
〈ワビサビ〉の工藤“ワビ”良平さんと〈COMMUNE〉の上田亮さんほか、
札幌で活動するデザイナーや来場者が意見を交わす
「SIAFデザインミーティング」が数回行われた。

札幌のクリエイティブサロン〈MEET.〉で開催された「第1回SIAFミーティング」。

メインビジュアルやシンボルマークは、まだ芸術祭の参加アーティストや
作品、展示場所、制作予算も確定していない時期から使用を求められる。
佐藤さんは「キーカラーや単一のマークといった
ひとつのアイデンティティを決めるのではないやり方」を模索し、
まず全面に1色ずつ蛍光色を使った大きなボードを数枚試作。
5月には、一般参加者も募ってまち歩きワークショップを行った。

「まちなかで展示やイベントなど何かやろうとしていることはわかっていたから、
にぎやかなすすきのや狸小路でどう見えるかなと。
グラフィックを場所から切り離すのではなく、実際に試してみたんです。
あえてストイックなデザインで日常空間と隔てる手もありますけど、
やっぱりそっちの方向性ではないなとか、
けれど単に目立つだけでは一般の人の興味は引かないなとか、実感としてわかりました」

まちなかでポスターや看板がどんなふうに見えるか考える、まち歩きワークショップ。

メインビジュアルやシンボルマークは、その芸術祭を象徴する「顔」だ。
ポスターやチラシ、ウェブサイトなどのメディアに載って広報的役割を担い、
まちなかや野外などでは会場の目印となり、グッズなどにも展開される。

「芸術祭はたくさんあるけれど、各地事情が違う。
札幌では都市機能がしっかりあり、そこに新たな軸を入れることになるので、
混ぜつつも竣立させるにはどうしたらいいかと。
こうして、その場でできる最善のことをしてみて、
それをつないでいくようなプロセスを経て、いまのデザインが生まれたんです」

メインビジュアルも数パターンある。

どの印刷所でもできるよう、
C(シアン)、M(マゼンタ)、Y(イエロー)という色材の三原色に加えて、
R(レッド)、G(グリーン)、B(ブルー)の光の三原色も
印刷適性を考慮して新たな色へと変換し、基本の6色を用意した。
そのことで、6色の色面の割合や形、“ズレ”たようなリズムのある
黒や白抜きの文字を、パズルのように組み合わせるデザインが可能になった。

組み合わせには数パターンあり、それは芸術祭を象徴する
大風呂敷プロジェクトとも印象が重なり、変化があっても「SIAF」だと認識できる。
また、モエレ沼公園、札幌芸術の森など、
会場ごとにメインの色が顔を出すように変化しているが、
それらはそれぞれの現場をよく知る人と決めており、
プロセスに参加した全員にとっておもしろく愛着の湧くデザインとなった。

秋の瀬戸内、豊島を歩く
〈生産者と暮らしに出会う旅〉

シャッターをきりながら、おしゃべりしながら楽しむ豊島時間

暑すぎた2017夏が終わり、ようやく秋らしくなってきました。
まだ日中は畑で作業していると汗をかく暑さですが、
それでも朝夕は肌寒さを感じるくらい。
あー、私の大好きな秋が来たなと、それだけで毎日うれしくなります(笑)。

個人的には、瀬戸内の島をめぐるなら絶対秋がいいなと思ってます。
島をぶらぶらと歩くには、やっぱり夏は暑すぎで、暑さだけで疲れちゃいます。
冬も好きですが、やっぱり景色が少し寂しいかもしれません。
春はなんとなく空気がもわっとしている感じがして(すごく個人的感覚ですが)……。
ま、でも四季それぞれいいところがあるんですけどね!
カメラを持ってぶらぶら島を歩くなら、秋がいいのかなと。

私たちがまだ小豆島に引っ越す前、引っ越すなんて全然考えてなかったのですが、
第1回目の瀬戸内国際芸術祭があり、そのタイミングにあわせて、
小豆島のおじいちゃんちを訪れました。
その時に初めて行ったのが、小豆島のお隣の島、豊島(てしま)。
2010年秋のこと。あのときの豊島の空気感、いまでも覚えています。
とにかくいいところだった。

豊島と小豆島をつなぐフェリーをパシャリ。

島のさりげない風景が好き。ひまわりと家々と海。

小豆島に引っ越してからは、当たり前のように暮らしの中に
「秋の瀬戸内」があるわけで、なんと贅沢だろうと時々思います。
ただ日々の暮らしがあるので、毎日旅人のようにぶらぶらすることもできず。
すぐ隣りにある豊島にもなかなか遊びに行けず。

行きたいなら計画をたてよう! 
というわけで、9月上旬、島で一緒に活動している〈小豆島カメラ〉のみんなで
〈生産者と暮らしに出会う旅 vol.6〉を企画し、OLYMPUSカメラを持って、
約20人で豊島をまわるツアーを開催しました。

〈生産者と暮らしに出会う旅〉は、2014年秋から開催している企画。
ただ観光スポットをまわるだけで終わってしまうのではなく、
もう一歩深く、島の暮らし、島で働く人、現場に触れることで、
もっと小豆島のことを知ってもらおうというもの。
その案内、つなぎ役を私たち小豆島カメラがしています。

今回は私たちだけで豊島を案内するのは少し心もとないということで、
豊島でガイド、さまざまなコーディネートをしている
〈テシマサイト〉の森島丈洋さんに力をお借りしました。

まだ少し夏の暑さが残る9月上旬の日曜日。
小豆島からは片道480円の船に乗って
30分で着きます(こんなに気軽に行けるならもっと行こうっ!)。
船の中でさっそくカメラの貸し出し&説明。
今回のツアーでは、参加者全員にOLYMPUS PEN-Fを貸し出し!
いつも最新のカメラを貸してくださるオリンパスさんに本当に感謝です。

小豆島から豊島に向かう船の中で、OLYMPUS PEN-Fを全員に貸し出し。

まずはカメラの使い方を説明。

豊島に到着後、まずは〈豊島ウサギニンゲン劇場〉へ。
1年半前から豊島で暮らしている〈usaginingen(ウサギニンゲン)〉
こと平井伸一さん、絵美さんご夫妻が出迎えてくれました。
自分たちの手でデザインし改修した劇場、
その中で繰り広げられる映像と音楽のライブパフォーマンス。
豊島を訪れたらぜひ行ってみてほしい場所です。

豊島ウサギニンゲン劇場。倉庫を改修して劇場に。

usaginingenこと平井伸一さんと絵美さんご夫妻(写真右側)。

映像を映し出す道具も楽器もオリジナル。まさにウサギニンゲンワールド。

豊島ウサギニンゲン劇場は、唐櫃岡(からとおか)地区にあり、
近くには〈島キッチン〉や〈檸檬ホテル〉、
少し歩けば〈豊島美術館〉などこれまた行ってみたいところばかり。
また次回のお楽しみに。

劇場の前で、みんなで記念撮影。

手刷りの本をつくる
“森の出版社”を
美流渡でやってみたい!

〈タラブックス〉が教えてくれた、これまでにない出版社の在り方

「北海道にエコビレッジをつくろう」と始めた連載も50回を過ぎた。
土地を探すべく、岩見沢にある山を買い、
古家を取得しと、いろいろやってきたわけだが、
なかなか「これ!」というビジョンが定まっていたわけではなかった。

エコビレッジとは、簡単に言えば環境に負荷をかけず自給自足的な暮らしを営む共同体。
世界各国でさまざまな事例があり、規模も運営方法も多彩だ。
つまり、どんなエコビレッジにするかというところが大事なのだが、
そこをこれまでずっと模索していた。

そんなわたしの頭がハンマーでガツンと叩かれたぐらいの衝撃的な出来事があった。
南インドの出版社〈タラブックス〉がつくった本との出会いだ。
20年ほど編集者を続けていたため、北海道に移住する以前から
タラブックスのことは知っていたが、これまでそれほど深く追求したことはなかった。

けれども、今年の11月に東京・板橋区立美術館で
タラブックスの大規模な展覧会が開催されることを知り、
しかも、この展覧会を企画しているメンバーは、
わたしの古くからの友人であったことも手伝って、
あらためて本を見てみようという気持ちになった。

タラブックスのハンドメイドの絵本シリーズ。日本語版もハンドメイド。『夜の木』(タムラ堂出版)(写真提供:ブルーシープ)

タラブックスの本の存在感はすごい。

ざらっとした紙の風合いとインクの臭い。
手漉きの紙にシルクスクリーンの手刷り、そして手製本。
描かれる内容もオリジナリティにあふれ、インドの少数民族が語り継いだ物語を
丁寧に編集し、独自の絵本文化をつくろうと試行錯誤を続けている。
土着的なエネルギーとともに、すっきりとしたデザインの感性も感じさせる
見事な本づくりだ。

「ああ、わたしもこんな本がつくってみたいなぁ〜」

本を手にしながら、そう思った瞬間、いままでバラバラに考えていたものが、
一本の道としてつながっていくような想いがした。

「そうか、美流渡(みると)で、手刷り手製本の出版社をつくって、
それをエコビレッジの拠点にすればいいんじゃない?」

岩見沢の山間部に位置する美流渡なら、
空いている土地があるから、工房も見つかりそう。
しかも、シルクスクリーンなら、まずはDIYレベルで機材を揃えられるはず。
そして、わたしが常々かたちにしたいと思っている、
美流渡にある自然や四季をテーマとするような絵本をつくってみたらどうだろう……。

頭の中には、すでに美流渡で工房をつくって印刷している様子が浮かぶほど、
妄想(?)はどこまでも広がっていった。
東京にいたときには思いもよらなかったビジョンが、
北海道という地にいることで急に具体的に考えられるようになったのだった。

シルクスクリーンを何版も重ね、刷られたインクが盛り上がっている。『夜の木』(タムラ堂出版) (写真提供:ブルーシープ)

さっそくYouTubeで、タラブックスの社員たちが印刷をする様子を見て、
ますます気持ちは盛り上がる一方。

こうなると、もう、自分を止められない。
どこまでも突っ走っていきたい気持ちになったのだが、
実は出産したばかりで、赤ちゃんはまだ1か月。
さすがにひとりでは、行動範囲も広げられずウズウズしていたところに、
いつもイベントやワークショップの活動をともにしている、
地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんからこんな相談メールが舞い込んだ。

〈みる・とーぶ〉のロゴを、Tシャツやエコバッグに
シルクスクリーンで刷ってみたいんですが、來嶋さんやったことはありますか?」

ええっ!? なんてタイムリーな相談!!
わたしひとりだと赤ちゃん抱えては難しいけど、
吉崎さんが一緒なら、シルクスクリーンを試すことができるかも!?

ということで、わたしたちの活動、岩見沢の山里をピーアールする
みる・とーぶのロゴ入りのエコバッグをつくろうということになった。
また、わたしは、本づくりを見据えて、まずはポストカードをつくってみることにした。

〈鉄工島FES〉開催!
鉄工のまち、大田区「京浜島」で
いま何が起きている?

東京の小さな人工島「京浜島」

東京にしばらく住むと、ある程度の地理感が身についてくるものだ。
TVや雑誌でまちの雰囲気を知ったり、こんなお店があるんだ、と足を運んでみたり。

そんなふうに、いつの間にか慣れっこになってしまう東京にも、
名前を聞いても、どんなまちなのかイメージしにくい場所がある。
大田区の湾岸エリアにある「京浜島」は、まさにそれだ。

そんな京浜島が、注目を集めつつある。
昨年、シェアアトリエと作品展示スペースを併設したアートファクトリー
〈BUCKLE KÔBÔ(バックルコーボー)〉がオープンし、
今年の秋には、芸術・音楽・映画・キャンプなどのジャンルを融合させた
アートの祭典〈鉄工島FES〉が開催される。

なにやらおもしろくなりそうなエリアだが、そもそも京浜島ってどんな場所? 
いったい何があるのだろう? 
知られざる東京の小島に、一歩足を踏み入れてみた。

image by Tohru Matsushita

京浜島にオープンしたアートファクトリー〈BUCKLE KÔBÔ〉とは?

羽田空港の隣に位置する、面積1.03平方キロメートルの人工島、京浜島。
戦後、近代化を目指した企業が移転し、鉄工を中心に工業団地として栄えた島だ。
しかし、機械化と低コスト化が進み、昔ながらの職人の手を必要としなくなったいま、
大田区内ではこの30年で約40%の鉄工所が衰退。
島のいくつかの工場跡地も、廃棄物処理場や
リサイクルセンターに変わりつつあるという。

そんな京浜島に、BUCKLE KÔBÔが参入したのは2016年。
ここの運営を担い、鉄工島FESの実行委員でもある、
〈寺田倉庫〉の伊藤悠さんに話を聞いてみた。

BUCKLE KÔBÔの2階ギャラリー。これまでに多くの作品展示やアートイベントを実施。

「京浜島って、大型の工場が多いんです。
でも空きスペースになったとき、その大きさゆえに使える会社がなくて、
ごみ処理場やリサイクルセンターになっていくそうなんです。
ものづくりの島が、かつてつくったものを処理する島になっていく現状を知ったとき、
リサイクルの価値の転換とか、空きスペースをおもしろく使えるアイデアとか、
発想の転換みたいなことをしてみたくって」

もともと寺田倉庫が見つけた、2階建ての〈須田鉄工所〉の空きスペースを
アートファクトリーにする案が立ち上がり、クラウドファンディングを開始。
クリエイターやミュージシャンなどを含む、83人のメンバーが賛同し、
目標金額を大きく上回ってスタートしたという。

BUCKLE KÔBÔで開催した「GROUP EXHIBITION『SCENERY』」の展示風景。

BUCKLE KÔBÔの1階は、ひとつの大きな空間を
アーティスト同士で譲り合って使うシェアアトリエ、
2階は、作品展示・イベントスペースや、BUCKLE KÔBÔ事務所になっている。

シェアアトリエで制作した大型作品。アトリエには壁がない分、都内ではなかなか実現が難しい大きな作品の制作が可能だ。(Akira Fujimoto “2021” 3600×10000mm wood 2016)

工業専用地域である京浜島は、音や火を出すことへの規制が比較的ゆるいエリア。
そういった地域的メリットもBUCKLE KÔBÔの魅力のひとつ。
さらに1階の隣のスペースには、現役の旋盤工職人が火花を飛ばしながら、
半導体部品などの製造に精を出している。

現在、シェアアトリエで大型作品の制作に取り組むアーティスト根本敬。その隣の工場では、旋盤工の職人が半導体部品をつくっている。

BUCKLE KÔBÔオープン後、京浜島で働く人にも、おもしろい波及が。

「ここで制作した作家の作品が上野の美術館に展示されたとき、
わざわざ上野まで作品を観に行ってくれた方もいて。
あと、アーティストの壊れた自転車を、鉄工組合の方が
あっという間に直してくれたこともあったみたいです(笑)」

アーティストも、鉄工所の人も、同じものづくりをする人同士。
それぞれに影響し合うものがあるのかもしれない。
京浜島に関わる人のあいだで、ほんの少しの変化が起こりつつあるようだ。

芸術祭って、子どもも楽しめる!?
キッズと巡る札幌国際芸術祭2017
リアルレポート

1日目はモエレ沼公園へ。バルーンの中をかけまわって

子連れで展覧会に足を運ぶのは、かなり骨が折れる。
親からすれば、騒いで走り回らないかとヒヤヒヤするし、
子どもからすれば、退屈でもその場にいることを強いられるし、
ハッピーだった思い出は正直ほとんどない。

けれど筆者はアートやデザイン専門の編集者。
この夏開催中の札幌国際芸術祭(SIAF)2017は、
北海道在住の身としては必ず見ておきたいイベントだ。

ということで、きっとハプニングが起こるだろうなぁと不安を抱えつつも、
土日を使って思い切って出かけることに。
SIAFの会場の中でも、子どもが喜びそうな場所を選ぶことにし、
1日目はモエレ沼公園、2日目は円山動物園というプランを立てた。

「今日は、でっかい公園に“風船お化け”を見に行くよ〜」
そんなわたしの誘いに、3歳の娘は大はしゃぎ。
しかし、小学1年生の息子は疑いの眼差しを向けている。
彼は幾度となく、わたしにつき合わされて、
アート関連のイベントやシンポジウムに連れていかれているので、
「またか!」といった顔つきだ。

乗り気でない息子に、噴水や水遊びができる場所もあると言い聞かせ、
なんとか出発することができた。

モエレ沼公園は、わたしの住む岩見沢から車で1時間ほどのところにあり、
彫刻家イサム・ノグチが設計した約189ヘクタールにもなる超巨大な公園だ。

〈ガラスのピラミッド〉内部にある黄色いバルーンは、松井紫朗による『climbing time / falling time』。

メイン会場となる〈ガラスのピラミッド〉のガラス越しに見えるのは、
高低差16メートルにもなるバルーンを用いた
松井紫朗の作品『climbing time / falling time』。
「ほら、“風船お化け”があるよ〜」と言うと、
子どもたちはワーッと歓声を上げながら屋内へと駆け込んでいった。

大友良英+青山泰知+伊藤隆之『(with)without records』。

ガラスのピラミッドの中では、不可思議な音が響いていた。
大友良英+青山泰知+伊藤隆之による『(with)without records』は、
市民が金属やプラスチックなどの素材を自由に組み合わせて、
ノイズを発する楽器につくり変えたレコードプレーヤーを約100台設置した作品だ。

遠くにあったプレーヤーが音を発していたかと思うと、
急に近くにあるプレーヤーが動き出したり。
子どもたちは、どのプレーヤーが音を出しているのか見つけるのに夢中。

「ここ鳴っているよ〜!」と、教えてくれる子どもたち。

2階にのぼって展示室を抜けると、またもや駆け出す子どもたち。
松井紫朗のバルーンの中に入ることができたのだ。
あたり一面黄色い世界。広いのか狭いのか距離感がつかめず、
いままで体験したことのないような、言葉で言い表すのが難しい感覚がわきあがる。
子どもたちはトンネルの中でキャッキャと笑いながら、何往復もしていた。

3階にもバルーン内部に入ることのできるトンネルが。ワーッと騒ぎながら走り去る。

レコードプレーヤーを発見。「ここにもあった!」と大喜び。

予想以上に楽しい体験だったようで、「次はなにがあるの?」とワクワク顔。
ああ、普段行く展覧会では、「早く帰ろ〜」と文句ばかりだが、
今日は生き生きとした表情を見せてくれたので、ホッと胸をなで下ろし……。

しかし、この会場の最後の展示室で3歳の娘は号泣した。

ARTSAT×SIAFラボによる
『Sculpture for All of the Intelligence 全知性のための彫刻』は、
室内が真っ赤なライトで照らされ、巨大な鉱石検波ラジオが
宇宙から受信したという電波音を鳴り響かせる。
この衝撃を感じる電波の音が、とにかく怖かったようで、
順路を逆走しようとする娘をつかまえて、目をつぶらせて部屋を走り抜けた。

ARTSAT×SIAFラボ『Sculpture for All of the Intelligence 全知性のための彫刻』。中央には正24胞体の「4次元プラント立体」が置かれている。

部屋の外でも娘はワンワン泣いていたが、出口になんと“救世主”が。
救世主とは、SIAF2017の子ども向けスタンプラリー。
泣いていた娘はスタンプを押したら、あっというまにご機嫌に……(助かった)。

「おばけのマール」とコラボしたSIAF2017のスタンプラリー。会場を巡ってスタンプを集めると、オリジナルグッズがもらえるというもの。

山梨県北杜市〈ぴたらファーム〉と
2拠点生活スタッフ「マメちゃん」
の自然循環型の農業と暮らし

循環する農業・暮らしがテーマ!
各地から移住してきたメンバーが、共同生活を送る〈ぴたらファーム〉

「パーマカルチャー」という、自然のリズムに寄りそった農業と、暮らし方。
この思いに共感するメンバーが生活をともにする〈ぴたらファーム〉。

山に囲まれ、清流を抱く、山梨県北杜市の白州エリアに、
ファーム長・田才泰斗さん、青木彩華さんたちが農場を立ち上げたのは7年前。
それぞれに経験した農法や、自然への向き合い方、暮らしのアイデアが一致し、
泰斗さんの故郷、札幌北部の原風景に近いというこの地に移住したという。

その後レギュラーメンバーとなったスタッフ、短期滞在で訪れる人、
WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)を見て訪れる外国人など、
複数のメンバーが集まり、ひとつ屋根の下で暮らしている。

「ぴたら」とはマオリ語でテントウムシのこと。種によっては、作物に被害をもたらす害虫や菌を食べ、作物を守ってくれる強い味方。自然界のパズルの1ピースを担う「ぴたら」をファーム名に借りたのだそう。

「自然循環型」の暮らしには、アイデアと知恵が満載!

ここには、農業、土壌、建造物、自然エネルギー、廃棄物、コミュニケーションなど、
ぴたらファームの理念に基づいた、循環する仕組みが揃っている。

ぴたらファームの循環の仕組み。

オール手づくりのコンポストトイレ。排泄物を微生物で発酵させ、土に還す仕組み。便器も木を使った手づくり。建造物は、崩せば容易に土に還る素材でできている。

でも、なぜ循環する仕組みなのか?
ぴたらファームの考え方は、こういうこと。

私たち人間は、穀物、野菜、肉を食べて生きている。
食肉となる牛、豚、鶏などは、草や穀物を食べて生きている。
その動物が食べる草や穀物は、土からできている。
土にはたくさんの微生物がいて、有機的な土壌環境を整える。
有機的な土からは植物が育ち、植物は、動物や虫の命の糧となる。
そうして命を終えた生き物は、また土に還る。

よく聞く話ではあるけれど、都会で生活していると忘れがちな自然界の仕組み。
ぴたらファームでは、こうした巡りを農や暮らしに落としこむ実践をしているのだ。

鶏小屋は、竹、古畳、藁などの素材で手づくり。ハイペースで卵を産めなくなった鶏などを譲り受け、自然のペースで気ままに産卵させているそうだ。台所から出るごはんの残りは鶏たちが食べ、鶏糞は畑の肥料に。

玄関先に置いてある手づくりのヘビイチゴチンキ&ドクダミ軟膏。虫刺され、あせも、湿疹に。旬の植物を長く楽しむ工夫がなされ、健やかな暮らしに役立てている。(Photo:Shiori Kudo)

「パーマカルチャー」ってどんなもの?

パーマカルチャーとは、永続性(パーマネント)、農業(アグリカルチャー)、
文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、自然界の体系を観察し、
伝統的な農法の知恵と、現代の技術的知識(適正技術)を組み合わせ、
永続可能なライフスタイルを構築するシステムであると言われている。

ぴたらファームは、パーマカルチャーの哲学をベースにする農場。
しかし、なぜそこに行きついたのだろう?
立ち上げメンバーの泰斗さんと、彩華さんに話をうかがってみた。

「大学を卒業したあと、世界を放浪していた時期があって。
そのとき、日本は分業化が進んで、社会は成熟しているかもしれないけれど、
ひとりひとりの生きる力は失われつつあるんじゃないか、と感じたんです。
そこから僕は、自分の力で生きられる人になりたい、と思うようになって」(泰斗さん)

ファーム長の田才泰斗さん。畑・米担当。木工の仕事をしていた経験を生かし、敷地内の建造物づくりや建物の修繕も手掛けている。(Photo:Shiori Kudo)

その後、いくつかの経験や就業をするなかで、
茨城にあるオーガニックファームに出合った泰斗さん。
そこでは、スタッフが共同生活を送りながら、有機農業、循環型の暮らしをしており、
泰斗さんは約3年半、スタッフとして働くことに。

「しばらくして、もっと自分の理想とする環境で、自分が伝えたいことを
伝えられる場所をつくりたいと思い、独立を考えました」(泰斗さん)

泰斗さんとともに立ち上げに携わった彩華さんは、
ニュージーランドやオーストラリアに留学し、パーマカルチャーを学んだ経験が。

「もともと植物が好きで、いつも森で遊んでいるような子どもだったんです。
近所に大好きな木があったんだけれど、開発の関係で伐られてしまって……。
そのときから、自然と人間の共存みたいなものが、
自分の中のライフワークテーマになったような気がします」(彩華さん)

ECサイトの制作・更新や、加工品づくり、外国人が訪れたときの案内などを兼任する青木彩華さん。ときどき東京に出向き、ぴたらファームの食材を使った食事会を開くことも。

ランドスケープ、パーマカルチャー、自然農法——
さまざまに学んできたなかで、自分の行きついた理念に説得力を持たせるには、
自分自身がどう暮らすかというところから始めなければ、と思い至ったという。

「ニュージーランド、オーストラリアで、いろんな人と共同生活を送りながら、
自然にあまり負担のかからない暮らしや、持続可能な暮らしを模索するというような、
緩いコミュニティを見てきて。同じようなイメージで、
日本でやってみたいという気持ちがありました」(彩華さん)

そんな折、泰斗さんと出会うキッカケがあり、話をすれば、
お互いの理想とするイメージやキーワードが一致。
このようにして、ぴたらファームが立ち上がり、
パーマカルチャーというキーワードが、どっしりと根づくことになった。

札幌国際芸術祭2017レポート 
ライブで会いましょう。
いま、そこで、
何かが生まれる芸術祭

『After the Echo』撮影:佐々木育弥

開催中の札幌国際芸術祭(SIAF)2017のスケジュールカレンダーを見てみると、
展示だけでなく、美術・音楽・演劇といった既存のカテゴリーには当てはまらない
ライブイベントがあふれんばかりに開催されていることがわかるだろう。

それらは、ゲストディレクターを務める大友良英さんが
「何かが生まれる生の状態を見せてしまうような、生きた芸術祭にしたい」
と語るSIAFの特徴をよく表す、見どころのひとつとなっている。

8月25日〜27日、駆け足ながら、日中は展示を巡り、
夕方から夜間はライブを鑑賞する旅をしてきた。
まったくカラーの異なる4つのライブを中心にレポートしたい。

アイヌ音楽とコンテンポラリーダンスが出会った
『raprap』の新たな風景

まずは、8月23日〜26日に中島公園近くのシアターZOOで行われた公演
『raprap(ラプラプ)』から。「rap」とはアイヌ語で「翼」を意味する。

2016年、アイヌの伝承歌「ウポポ」の再生をテーマに活動する
女性ヴォーカルグループ〈マレウレウ〉と、
札幌を拠点に活躍するダンサーの東海林靖志、
韓国と日本で活動する振付家でダンサーのチョン・ヨンドゥとで共作した
アイヌ音楽とコンテンポラリーダンスの舞台が好評を博し、
今年は東京から若手ダンサーの渡辺はるか、有泉汐織、
フランスから札幌に帰ってきた菊澤好紀が参加。
4月から共同制作を重ね、新作を披露した。

photo:matsumura saki

公演では、まず導入として、観客全体でマレウレウの真似をしながら、
『フンペ ヤンナ』という曲から「モッケウ ケ ピッソイ ケ」という一節の
ウコウク(輪唱)を行った。
美しい音の響きだが、実は「首肉とろう、腹肉とろう」という意味で、
浜に上がった鯨をとりにいく力強い歌だと教わる。

そのおかげで、本編のダンスでは、ほかの楽曲の言葉の意味はわからないながらも、
懐かしいどこかへ遡っていくような感覚に誘われ、
北海道の自然や人々の営みの風景を想像させられた。

撮影:高橋克己

実際に、作品づくりは白老や二風谷、北海道博物館などを訪ねるところから始まり、
アイヌの踊りや音楽、儀式などに触れるなかで、文様がダンサーの動線になったり、
子どもの遊びから振付が生まれたりしたという。

撮影:高橋克己

最後は観客もステージに移動して、演者とともに輪になって歌い踊った。
いまを生きる世代としてどのようにアイヌ文化を “再生”するか、
あるいは音楽としての可能性をどのように広げていくか。
異なる文化や身体表現をもつ人々との出会いによって、新しい扉が開かれたようだった。

SIAF2017公式ガイドブック『札幌へアートの旅』では、
マレウレウのマユンキキさんがアイヌ文化に触れる旭川の旅を綴っている。
SIAFから足を延ばしてみてはいかがだろうか。

「だいだい」って知ってる?
地元にある素材を生かし、
良さを伝え、販売するということ

小豆島の身近な柑橘を使って、加工品をつくる

「だいだい」という柑橘のことをどれくらいの人が知ってるんだろう。
たぶん名前くらいは聞いたことがあって、
ミカンの仲間だろうってことくらいまでは知っている方が多いと思います。
私も小豆島に来るまではそんなような知識で、
だいだいに対して特になんの思いもなく、よく考えたこともなく。
それはだいだいに対してだけじゃなくて、柑橘全体に対しても同じような感じでした。

それがいま、小豆島では身近に柑橘がたくさんある!
冬になればあふれるほどある!

夏の終わり時期からすだちの収穫が始まり、
10月にもなるとあちこちから甘酸っぱい温州みかんをいただく。
どっさりといただいたときには、〈HOMEMAKERSカフェ〉で
「みかんご自由にどうぞ〜」とおすそ分けしたり。
12月になればレモンが黄色くなり、
それはそれは甘く爽やかな香りでよだれが出る(笑)。

暮らしにおいても、商売においても、いまや柑橘は
私たち〈HOMEMAKERS〉にとってなくてはならない存在となりました。

8月末、今年のすだち。夏に採れる貴重な柑橘です。

ジンジャーシロップにもたっぷりの柑橘が入っていますが、フレッシュな柑橘のスライスを入れるとさらにさわやかに。

すだち入りジンジャーエール。

そんな柑橘の中のひとつが、だいだい。
大きくて丸くてごつごつしただいだい。
レモンやゆずなどと同じく、香りがよくて酸味の強い香酸柑橘です。
温州みかんなどのようにそのまま食べるのではなくて、
果汁を絞って調味料として使ったり、ジュースにしたりします。

小豆島は、だいだいの一大産地! というわけではなく、
各家の畑で何本か植えられていたり、庭に1本植えられていたり、
暮らしに身近な柑橘として育てられてきました。

熟しても木から落ちず、1本の木に前の年の実と次の年の新しい実が
同時についていることもあって「代々」とも書かれ、
「代々家が絶えることなく繁栄しますように」という願いとともに
縁起のいい果物として、お正月の飾りに使ったり。

普段の暮らしのなかでも、ナマコにだいだいの果汁をかけて食べたり、
醤油にだいだい果汁を足して自家製の即席ぽん酢にしたり。

大きく育った木にはたくさんの実がなります。

だいだいの収穫。こういう風景があり続けてほしい。

カゴいっぱいに入れると20キロくらい。収穫作業も大変です。

〈暮らしかた冒険家〉が考える、
これからの暮らしと
オフグリッドライフ

暮らしがアートに? 芸術祭を機に札幌に移住

前回の札幌国際芸術祭(SIAF)2014を機に、札幌で暮らすようになった人たちがいる。
「高品質低空飛行」をモットーに、理想の暮らし方や働き方をつくっていく
〈暮らしかた冒険家〉。クリエイティブディレクターの伊藤菜衣子(さいこ)さんと、
ウェブディベロッパーのジョニイ、こと池田秀紀さんの夫婦ユニットだ。

東京でカメラマンや広告制作の仕事をしていた菜衣子さんと
大手クライアントのウェブ制作をしていたジョニイさんは、
東日本大震災後、熊本市の築100年の家に移り住む。

「どこでもよかったんですけどね。20年近く空き家だった家で、
水道管もだめで電気もつながっていなくて、リアルオフグリッド(笑)。
全然問題ないと思ってたけど、大問題でした」と菜衣子さん。

大家さんに相談して水道工事と電気工事はしてもらったが、
暮らしをゼロからつくっていくことに。
そんななかで、「自分たちがつくった野菜と交換でウェブサイトをつくってほしい」
という農家と、貨幣以外の価値の交換をしたりする暮らしを、SNSで発信していった。
さらに、人が人を呼んでおもしろい人たちとつながり、
何かが起こりそうなおもしろい状況をつくりだしていった。

そんなふたりの活動が、坂本龍一さんの目にとまったのは2012年。
2014年に初めての開催を控えた札幌国際芸術祭の
ゲストディレクターに就任した坂本さんは、Facebookのメッセージで
「札幌に住んで、芸術祭に参加してほしい」と要請。
ふたりは最初、ウェブ制作の手伝いか何かと思ったら、
アーティストとして、ということだったのだ。

「『君たちの暮らしはアートだ』って言われて、
自分たちがアーティスト? この暮らしが芸術祭の作品? という動揺とともに、
もうひとり客観的な自分が、こういうことも含めて芸術祭とするなんて、
坂本さんは本当におもしろいなぁ、と思って」と菜衣子さん。

実は菜衣子さんは3歳から9歳まで札幌で暮らし、
その家がまだ札幌にあったということもあり、札幌に移住することに。

熊本から札幌に持ってきた薪ストーブ。

2014年に札幌の家に引っ越し、暮らしながら家を改装。
SIAF2014会期中は土日にオープンハウスとして家を開放した。
とはいえ、改装中の家はまるで工事現場。

「これまで私たちがやってきたことや、
Facebookを見て来てくれればわかると思いますが、
芸術祭のガイドブックだけ見て来た人は『これのどこが作品なんですか?』
という人も多くて。怒っちゃう人もたまにいました」

社会と自分たちとの距離感やズレを感じたり、
コミュニケーションの難しさを感じることもあったという。

一方で、多くのボランティアスタッフが支えてくれた。
多い日は、1日50人もの人がオープンハウスに訪れる。
当時、今年3歳になる息子を妊娠中だった菜衣子さんを気遣って、
「もう奥で休んでなさい」と声をかけてくれるお母さんたちや、
すてきな差し入れを持ってきてくれる人たち。
みんなでDIYで家をつくっていくのは楽しかったようだ。

古家改修中に、また空き家探し?
進まない美流渡への移住計画

改修は来年に持ち越し! いきなりの宣言

まだ8月だというのに、北海道は秋の深まりを感じさせる。
今朝、息子は目覚めると「ストーブつけて!」と言い出した。
秋が来ると、もう冬もすぐそこという気持ちになってくる。
11月には初雪が降り、12月にはあたり一面真っ白。
外でいろいろな作業ができるのは、あと2か月ちょっとしかない。

そんななかで、先日、夫が突然宣言をした。
「美流渡(みると)の古家に住めるのは来年だな。
あの古家を直すのにはまだまだ時間がかかる」

この連載で何度か書いてきたが、現在住んでいる岩見沢の市街地から
車で30分ほどの山間部・美流渡地区に古家を取得したのは1年半ほど前のこと。
大工である夫が古家を改修中で、当初は今年の4月、
息子が小学校にあがるタイミングで移住する計画だった。

しかし、建物の基礎が腐っているなど予想を超えるハプニングがたびたびあり、
なかなか改修が思うように進んでいなかった。
いつしか夫は、「引っ越しはゴールデンウィーク明け」と言うようになり、
それが「夏休み明け」となり、ついに先日「来年!」となったのだった。

さすがに、来年と聞いたときは「冗談かな??」と思ったが、
夫の行動を見ていると、どうもそうではないということがわかってきた。
あるとき夫は市役所に出かけていって、美流渡地区にある
市営住宅の空き状況を調べたり、地域の知り合いに
空いている家がないかどうか探したりし始めたのだ。

高台から眺めた美流渡。山間に囲まれた地区でスーパーと食堂は1軒ずつ。

ようやく基礎部分が直った古家。8月末の段階で、まだ骨組みだけの状態。

冬に備えて空き家探しもスタート

なぜ、古家を取得したのに、さらなる空き家を探し始めたのかというと、
これからやってくる冬を見越してのことだ。

いま息子は、移住予定があるため、すでに美流渡地区にある小学校に通っており、
毎日、夫が車で送り迎えをしている。
しかし、このあたり一帯は、北海道有数の豪雪地帯。
冬になれば吹雪になることも多いし、朝晩は冷え込みが厳しく路面は凍ってツルツル。
車での登下校ができない日もあるにちがいない。

そのため小学校に近い場所に、とにかくまずは引っ越して、
そのあとゆっくりと古家を直せばいいんじゃないかというのが夫の考えだった。

冬になると国道以外のほとんどの道は雪で覆われる。日中に雪が解け、朝晩の寒さで凍ると、路面はスケートリンクのような状態になる。

岩見沢は吹雪になることも多い。天候が突然変わり、ホワイトアウトに遭遇することも。

ということで、空き家探しを始めたわけだが、
手頃な物件は、いまのところなかなか見当たらない。

美流渡地区は、以前は炭鉱街として栄えたが、
いまでは人口400人ほどという過疎化が進む地域。
道を歩けば、そこかしこに空き家が見つかるが、
その多くは手直しをしなければならない状態だったり、
家財道具一式が置き去りになっていたり。

また、わりと良い状態の家であっても、所有者が誰なのかわからないこともあるし、
不動産屋に物件情報が出ることもほとんどない。
こうした地域で家を探すには、とにかく地域の人に
聞いてまわるしか方法がないのが実情だ。

道を歩けば空き家が見つかるが、手直しが必要な物件がほとんど。豪雪地帯のため、雪の重みで屋根が壊れていることも多い。

炭坑で働く人々が住んでいた炭坑住宅も残されている。中をのぞくと家財道具が置き去りにされていた。

あと、2か月のうちに本当に引っ越せるの? 
家ってそんなに簡単に見つかるのか、わたしには疑問が残る。
すでに8月末になってしまったにもかかわらず、夫はなぜか余裕のありそうな雰囲気だ。
古家を改装するなかで、たくさんの地元の人と顔見知りになっているためか、
きっと見つかるんじゃないかと楽観視しているのだろうか……。
真意は定かではなく、わたしはただただ気を揉む日々だ。

札幌のオルタナティブな発信地
〈OYOYO〉ってどんなところ?

〈指輪ホテル〉羊屋白玉×
〈OYOYO まち×アートセンターさっぽろ〉黒田仁智対談

開催中の札幌国際芸術祭(SIAF)2017で、重要な拠点となっているスペースがある。
電車通りと中通りの間に建つ昭和38年築の第2三谷ビル。
昭和感漂う独特の雰囲気を持つこの文化雑居ビルの6階にある
〈OYOYO まち×アートセンターさっぽろ〉は、
札幌のあらゆるカルチャーを発信するオルタナティブスペースとして
多くの人々に親しまれてきた。ビルの取り壊しが決まり、
本年いっぱいで営業を終えるOYOYOを、SIAF2017会期中は
夜のインフォメーションセンター&オフィシャルバーとして開放している。

まちの移り変わりと札幌のカルチャーを見守ってきた
OYOYOオーナーの黒田仁智さんと、
以前OYOYOで公演を行い、今回は市電を舞台に演劇を行う
指輪ホテルの羊屋白玉さんによる、どこか通じ合うふたりの”黒白“対談。

「あそこに行けば、何かおもしろいことや人が集まっている」

羊屋白玉: 私は今回のSIAFで市電を使った演劇をやるんですが、
OYOYOも市電通り沿いにあって、
まさしくここに「都市と市電」の縁を感じてます。

黒田仁智: ここは6丁目だから、市電の駅でいうと「西8丁目」と「西4丁目」の間だね。

羊屋: OYOYOの由来って何なんですか?

黒田: この第2三谷ビルが面している中通りが昔「オヨヨ通り」と呼ばれてたの。
西5丁目界隈には映画館やストリップ劇場もあってね。
いまの65歳くらいの団塊世代の人たちが20~30代だった頃、
映画や音楽、演劇をつくる連中がオヨヨ通りで飲んでは
喧嘩したり暴れたりして文化をつくっていこうとしてたんだよね。

羊屋: 黒田さんより少し上の世代が築いたカルチャー通りだったのかな。

黒田: めちゃくちゃやって反体制的で、でも自分たちで
何かつくっていこうとしてたんだろうね。
そのかわりヤクザにもやられたと思うよ。
でも俺たちのシーンをつくっていこうってことだから、
おもしろかったと思うな。

羊屋: 「オヨヨ」ってちょっと流行ったフレーズだったんですよね。

黒田: 当時、桂三枝がオヨヨって言ってたとか、
“オヨヨ大王のなんとかかんとか”とか諸説あるんだけど、
「あそこに行けば、何かおもしろいことや人が集まっている」って感じが
オヨヨ通りの代名詞だったみたいだね。
要はその辺でみんなダラダラ飲んでたんじゃない?

羊屋: いまで言うサブカルチャーみたいなもの?

黒田: サブカルすら確立してなかったんじゃないかな。
映画も音楽もきっとどうやって世に出していったらいいか
わからなかった時代だね。

羊屋: この第2三谷ビルが今年いっぱいで姿を消すって知ってるのかな、皆さん。

黒田: わからないな。でも文字にすると美しい話で終わっちゃうかもしれないね。

羊屋: みんないい思い出になっちゃう。
でも本当は言い切れないものがたくさんあったはずだと?

黒田: そうだね。

〈Today Is The Day〉
小豆島の海辺のカフェ、
夏の夕暮れに島の仲間と集う

海の家だった建物を、「大切な1日」という名のカフェに

暑い……。
毎年お盆をすぎると少し涼しくなるような気がするのですが、
今年は8月下旬になっても、変わらず暑い、暑すぎです。
畑に出れば汗だくはもちろん、普通に過ごしてても
常に汗かいてるような気がします。ふぅ。

そんな暑い夏。
この7月に小豆島の海辺にまた新しいカフェができました。
Today Is The Day Coffee and Chocolate〉という名前のそのカフェは、
「今日という日は昨日の続きじゃなくて、人生の中の大切な1日」
という思いが込められた場所。カフェをオープンされたのは、
今年2月に家族で小豆島に引っ越してきた水野さん。

鎌倉で暮らし、東京で働いていた旦那さんと、鎌倉でお店をしていた奥さん。
鎌倉もとてもすてきなところだと思いますが、
人の多さだったり、車の渋滞だったり、通勤の満員電車だったり、
そういうことがない場所で暮らそうと小豆島へ。
引っ越し先の候補として小豆島以外の場所もあったそうですが、
最終的にはいま暮らしている海辺の空き家との出会いがあり、小豆島に決めたそう。

お店の目の前はオリーブビーチという海岸。夏は海水浴される方で賑やか。

Today Is The Day、お店のすてきなロゴ。

引っ越し直後から〈HOMEMAKERS〉の畑に手伝いに来てくれていて、
小豆島暮らし半年にしてあっという間にカフェを開業。
オープンの日にはすでに島の顔なじみのたまり場みたいになっていて、
またいい場所ができたなぁとうれしくなりました。

テラス席で海を眺めながら。

夏の夕暮れ。こんな景色を眺めながらビール。

Today Is The Dayは、水~土曜日の週4日オープンしています。
19時まで営業しているので、この時期だと夏の夕涼みに遊びに行けます。

もうなんといってもその立地が最高。
もともと海の家として使われていたその建物。目の前は海!
子どもたちはお店の端っこのほうで水着に着替えて、そのまま海までダッシュ。
そんなことができちゃう場所です。

子どもたちはさっそく水着に着替え。

持ってきた水風船で遊んだり。