連載
posted:2017.11.23 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
前回の連載で買った山に植林をしたいきさつを書いたが、
実は苗を植えようとした矢先に驚くべき事態が起こっていた。
それは10月下旬のこと。
岩見沢に出張所のある〈千歳林業〉さんが、苗を植える準備となる
“地ごしらえ”の作業を行おうとしたときのことだった。
今回の作業では、まず木が伐採された跡に残った細い枝や幹を、
重機を使ってじゃまにならない場所に移動させることから始まった。
そのとき作業員のひとりが土の下の変な感触に気づいたという。
地面を掘ってみたところ、山積みになっていた枝や幹は氷山の一角で、
土だと思っていた部分からも、それらが大量に見つかったのだった。
作業員によると、伐採した木を運搬しやすくするために、
土とともに枝や幹を置いて土地を平らにならしたのではないかということだった。
このままでは木を植えられない……。
事態を聞いて駆けつけた道の森林室や森林組合の皆さんも
作業の大変さに頭を痛めていた様子だったという。
通常は3日ほどで行われる“地ごしらえ”の作業は、
たくさんの土や枝を取り除くために難航し、
1週間以上にわたって行われることになった。
わたしと夫は現場に何度か出向いて、作業員の方から話を聞いたのだったが、
驚くべきことに、処理した層は厚いところでは2メートル(!)もあり、
さらに一部の場所からは地下水が出ていたようで、
ぬかるみがひどく作業は困難を極めたそうだ。
なぜこんな事態が起こったのか。
この山は、わたしたちが取得する数年前に、
ある業者の手によって木が伐採されていたのだが、その業者とは
2014年に立木売買の詐欺容疑で逮捕されたことがある、いわゆる悪徳業者だった。
その業者がこの土地の木を伐採したことは以前から聞いていたが、
今回の出来事は、まったく予想もしていなかった。
「普通は苗を植えやすいように“ボサ”(枝や幹)は、
きれいに端によけておくものなんですよ」と、山の植林を進めてくれている
森林組合の玉川則子さんも困惑した様子だった。
国や北海道の補助金を使って行われる植林は、木を切ったら
必ずまた木を植えなおさなければならないという決め事がある。
そして通常は、木を伐採する作業と、その後に苗を植え、
下草刈りや間伐などを行う作業は、同じ業者が請け負うことになっている。
しかし、森林室の栗田健さんの考えでは、
「おそらく、この山の木を切った業者は、その後の植林までは考えていなかったため、
雑な作業しかしなかったのではないか」とのことだった。
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しかも、問題はここで終わらなかった。
いわゆる悪徳業者が放置した木や幹を整理する作業のなかで、
土の下からオートバイや数百本にもなる一升瓶が見つかったのだという。
えーーー、そんなゴミまであるの?? と二度びっくり仰天! さすがにのけぞった。
オートバイや一升瓶を誰が放置していったのかは、いまはもうわからない。
ただ、このあたりは不法投棄の多いスポットだ。
わたしたちの山は、舗装された道路の終点にあたり、
車で行き来しやすいが、人気の少ない場所となっている。
わたしたちが山を取得してからも、空き缶やペットボトルをはじめ、
さまざまな家庭ゴミが投棄されており、これまで何度も掃除を行ってきた。
たくさんのゴミが見つかった数日後、玉川さんが市の環境部にかけあって
「不法投棄禁止」の看板を入手してくれた。
「これを立てておくとゴミが減るかもしれませんよ」
とてもありがたい提案だったが、ゴミを投棄しようとする人に対して、
こちらも強い口調で訴えるという方法には、なんだかちょっと馴染めない気持ちがした。
それに看板を立てても、ほかの場所にゴミが捨てられるだけで、
根本的な対策にならないようにも思った。
玉川さんによると、さまざまな山で不法投棄を見かけるそうで、
それらは家庭ゴミだけでなく、建材などが沢に投げ込まれているケースもあるという。
北海道の方言では「ゴミを捨てる」ことを「ゴミを投げる」という。
本当に投げるのではなく、ゴミ箱に捨てるという意味で使われているのだが、
もしかしたら、深層心理では本当にポイッと「投げる」という
感覚があるんじゃないかと不安がよぎった。
プラスチックや金属製品でも「土に投げとけばいい肥料になるよ」
という会話を耳にしたこともあるし(いや、ならないでしょ!)、
ゴミを投棄しても1年もすれば雑草がグングン伸びて、その姿は見えなくなってしまう。
「捨てる」と「投げる」に境がないという説は、
もちろんわたしの憶測にすぎないのだが、玉川さんの話を聞いていると、
どうやら予想を超えるゴミが、山には投棄されているように感じられた。
そして玉川さんは、こんなことをわたしに言った。
「山にゴミを捨てることは、いつしか自分に返ってくることだと思うんですよ。
ゴミに雨がかかって、その雨が川へと流れ、最終的に飲み水となって
自分たちの口に入るかもしれないですからね」
まさにその通りだ。
土の中にはゆっくりと化学物質が浸透し、未来のわたしたち、
あるいは自分の子どもたちの体内に取り込まれることも考えられる。
人の意識が向かないところにだって、自分たちの“未来”が密接に関係しているのだ。
この一件があってから、わたしは、なぜ人はゴミを投棄するのかについて、
あれこれと考えるようになった。
そして、ゴミを投棄する人を批判するよりも、
何かもっとすてきなアクションがあるんじゃないかという想いに至った。
いま頭に浮かんでいるのは、自分の編集者としてのスキルを生かし、
岩見沢の山のイラストマップをつくってみるというプランだ。
どこでどんな植林が行われているのかをかわいいイラストで描いてみたり、
この土地ならではの植生や動植物の営みを盛り込んだり。
山のふもとのカフェ情報なんかを加えてもいいかもしれない。
誰が所有しているのかもわからない、ただの山だと、
つい出来心で空き缶を投げたりすることもあるかもしれないが、
誰かが愛着を持っている場所だとわかれば、意識が少し変わったりはしないだろうか?
木の伐採後の乱雑な作業と、オートバイなどの不法投棄は、
かなりショックな出来事だったが、これがいいきっかけになったと思いたい。
山を買ったことで、動植物の営みの美しさを間近で体感する楽しみがあることを
知るだけでなく、人の内側に潜む“闇”までが見えてきたのだ。
山は奥深い。いま、わたしにさまざまなことを教えてくれる存在になっている。
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