〈亀の子束子の110年〉 亀の子たわし、 BEAMS、UNITED ARROWSにて 限定記念グッズを発売!

永く愛されて、110周年。

1907年(明治40年)に誕生した
亀の子束子(たわし)が、今年で110周年を迎えます。

これを記念して、2017年6月7日(水)〜7月4日(火)まで、
亀の子束子 本店と谷中店、BEAMS、UNITED ARROWSに
ポップアップストアがオープン!
復刻パッケージの亀の子束子や、
限定カラーの亀の子スポンジを販売するほか、
束子づくりのワークショップなども行われるそう。

このたび復刻されるのは、歴代パッケージの中でも
特に人気の高かった「紙巻」パッケージ。

〈亀の子束子 紙巻パッケージ〉340円(税抜)2017年6月7日より、BEAMS JAPANにて赤ロゴ、UNITED ARROWS 原宿本店 ウィメンズ館にて緑ロゴを販売開始予定。

BEAMS JAPAN限定 旧赤ロゴバージョン

BEAMS JAPANでは旧赤ロゴバージョンを、
UNITED ARROWSでは輸出用に使われていた
旧緑ロゴバージョンを、各色限定1000個復刻するとのこと。
これはかわいいですね!

さらに、3社のブランドカラーをイメージした
3つのオレンジカラーの亀の子スポンジを発売。

〈亀の子スポンジ 3オレンジパック〉 900円(税抜)UNITED ARROWS 原宿本店 ウィメンズ館、UNITED ARROWS 仙台店、UNITED ARROWS 日本橋店、UNITED ARROWS 名古屋駅店、BEAMS JAPAN、B:MING LIFE STORE by BEAMSにて2017年6月7日より販売開始予定 ※B:MING LIFE STOREのみ6月中旬販売開始予定

同じオレンジでも、この違い! それぞれに3社の個性が出ています。
そのほかにも、新宿のBEAMS JAPAN、UNITED ARROWS 原宿本店ウィメンズ館にて
オリジナルコラボ商品を販売。

UNITED ARROWS限定〈アルミ 亀の子プリント弁当箱〉2,484円(税込)東京葛飾の老舗アルミメーカーで製作したお弁当箱です。

BEAMS限定〈亀ノート〉1,300円(税抜)東京・千駄ヶ谷にあるパピエラボが製作。亀の子束子とBEAMS JAPANのロゴが活版印刷で入っています。

また、各店にて職人さんと一緒に「亀の子束子」をつくるワークショップを開催します。

【たわし作り体験ワークショップ 開催日時】

UNITED ARROWS 原宿本店 ウィメンズ館 6月17日(土)

BEAMS JAPAN 6月18日(日)

亀の子束子本社特設会場 7月1日(土)〜2日(日)

家でもお弁当!〈ieben イエベン〉 料理家・窯元・デザイナーの アイデアから生まれた 美濃焼のお弁当箱

おいしいものを詰めるとき、
蓋を開けるとき、わくわくしてしまうお弁当。
携帯食は世界中にあるけれど、
お弁当箱が発達しているのは、日本がダントツなのだとか。

今日は、そんなお弁当を家でも楽しむために生まれた、
美濃焼のお弁当箱〈ieben(イエベン)〉をご紹介します。

likestoneシリーズ〈ieben〉色は織部グリーン、黄瀬戸、ホワイトの3色。サイズは大と小があります。

手がけたのは、お弁当を愛する料理家、野上優佳子さんと
岐阜県の窯元〈芳泉窯(ほうせんがま)〉の北邑(きたむら)宜丈さん、
プロダクトデザイナーの島村卓実さん。

3人のお子さんを育てながら料理家として
忙しい日々を送っている野上さんは、
家で夜ごはんを食べれないとき、
「すぐに食べられて、片付けも楽で、
そして蓋を開けるときの楽しさによって
少しでも寂しさが軽くなれば……」という思いから
家族のためにお弁当を用意して出かけるといいます。

「残り物をただ皿に乗せてラップをすれば
残り物でしかないけれど、それらをひとつの弁当箱に詰めると、
その集合体は“お弁当”という食事に変身します。
ふたを開けるだけ。食べ終わったら洗い物は、お弁当箱ひとつだけ。
弁当の、その清々しさが好きです」と、野上さん。

そんな野上さんの思いと芳泉窯の技術、
島村さんのデザインから開発されたのが、ieben。

丈夫ながらも、重さは軽い方がいい。
そんなリクエストを受けて芳泉窯の北邑さんが試行錯誤を重ね、
ほど良い厚みと重さのお弁当箱ができました。

電子レンジや食洗機、オーブンにも使用できます。
また、一箇所だけ丸みのない角になっているところからは、
スープなどの汁物を飲みやすく。
いたるところに、細かい工夫が施されています。
重ねられるから、冷蔵庫のなかで場所をとらないのもいいのだとか。

likestoneシリーズ〈KOISHI〉

森とクラフトの町・飛騨で デザインキャンプ 〈Smart Craft Studio 2017〉 がスタート!

豊かな森、豊富な木材、
そしてそれらを生かす伝統的なものづくりで知られる岐阜県・飛騨市。
その飛騨を舞台に、5月28日(日)から、
昨年に続き2度目となるデザインキャンプ
〈Smart Craft Studio Hida 2017〉がスタートしました。

23日間に渡るデザインキャンプには、
ニューヨークのパーソンズ美術大学や、カナダのトロント大学、
香港大学や台湾の実践大学など、世界の大都市で学ぶ学生約30名が参加。

メディアテクノロジー、ファッション、プロダクトデザイン、建築などを専攻し、
さまざまなバックグラウンドを持つ彼らと、各大学の教授が、
実際に飛騨に滞在しながら、飛騨の林業や木工、伝統の組木技術を学ぶと共に、
最先端のIoT技術などを用いて、サービスやプロダクトを制作していきます。

飛騨の林業や木工、組木技術を学ぶ23日間

昨年の〈Smart Craft Studio 2016〉の様子

学びの拠点、制作の会場となるのは、
全6種のデジタル工作機器が設置されている、デジタルものづくりカフェ〈FabCafe Hida〉。
プログラム期間中は会場を解放し、誰でも、いつでも、自由に見学が可能です。
世界各国の学生たちとの交流はもちろん、
期間中に実施される特別ゲストからのトークや講義、
中間発表や最終発表の場にも無料で参加できます。

昨年の〈Smart Craft Studio 2016〉にて。広葉樹を扱う製作所を訪問

昨年の〈Smart Craft Studio 2016〉にて。組木技術を学び、実習する学生たち

文具のカキモリが 福岡・HIGHTIDE とコラボ! 活字文化を知るイベントも

文具店〈カキモリ〉の限定ショップ&カフェ登場

2017年5月26日(金)〜28日(日)、
東京都台東区で開催されるイベント〈第9回 モノマチ〉に
文具店〈カキモリ〉の限定ショップ&カフェがオープンします。

モノマチとは、製造・卸の集積地として歴史をもつ徒蔵(カチクラ)エリア
(御徒町から蔵前、浅草橋にまたがる2km四方の地区)を歩きながら、
ものづくりの魅力にふれられるイベント。

3日間のあいだ、職人、メーカー、問屋、
お店、デザイナーなどが各店で一斉にイベントを行います。

〈カキモリ〉はそんな徒蔵エリアにある文具店。

カキモリ 蔵前

蔵前の職人たちとつくったオリジナル文具や
オーダーノート、セレクト文具などを扱っています。
今回のモノマチでは、8月にオープンする新店予定地にて、
限定ショップやカフェを展開するそう。

さらに今回は、福岡からスタイリッシュな文具・雑貨ブランド
〈HIGHTIDE(ハイタイド)〉もやってきます。

HIGHTIDE STORE(福岡)

HIGHTIDE STORE(福岡)

カキモリとHIGHTIDEのコラボレーションによる限定表紙の
ノートを販売するほか、限定ショップ〈HIGHTIDE STORE mini〉も
オープンするとのこと。楽しみですね!

カキモリとHIGHTIDEのコラボによるノート。迷彩柄やスパダ柄など、普段のカキモリにはないテイストのノートが登場します。

ひと休みしたくなったら、カキモリカフェ〈WAPLUS COFFEE × MIWAKO BAKE〉へ。
こちらでは、秩父のWAPLUS COFEEがスペシャリティコーヒーの豆を自家焙煎し、
ハンドドリップで淹れてくれます。

カキモリの近くのカフェ〈CAMERA〉で
焼き菓子を提供しているMIWAKO BAKEのお菓子もおいしそう!

MIWAKO BAKE

子どもを洗える世界一やさしい筆 〈福筆 Fukufude〉を世界に。 豊橋筆の未来をつなぐ 支援者を募集中

豊橋筆の高い技術が生んだ、子ども用洗浄筆〈福筆〉

愛知県豊橋市近郊で、生産されている伝統工芸品〈豊橋筆〉は、
書道用をはじめ、日本画用や化粧用など、
用途に合わせて何百種類もつくられている高級筆。
専門家からも高い評価を得ています。

そんな豊橋筆の高い技術から着想し、誕生したのが
この “子ども用の洗顔ブラシ”〈福筆〉です。

〈福筆〉

〈福筆プロジェクト〉の発起人は、豊橋市役所の吉開仁紀さん。
もともとは、豊橋筆の素晴らしさを伝えるために、
自主的に筆の体験イベントを開催していたそう。

さまざまな人に豊橋筆についての相談をしている中で、
あるとき、親友のデザイナーから
「筆の技術で子どもを洗うブラシを開発しては?」と
アドバイスをもらったことが開発のきっかけに。

〈豊橋筆〉は職人が毛一本単位で作るため、穂先は非常に繊細。
その技術が、デリケートな子どもの肌を洗うためのブラシに最適なんです。

そして、忙しいママやパパにとって、
お風呂は大切な親子のコミュニケーションの時間であることに目をつけ、
「親子浴のためのツールを作れば、豊橋筆の新たな展開が生まれる!」と
子ども用洗顔ブラシのアイデアに可能性を感じた吉開さん。
それから1年間、職人さんと試行錯誤を重ね、ようやく完成したのが〈福筆〉です。

左から、福筆プロジェクトの発起人・吉開仁紀さん、豊橋筆の職人・川合福男さん、お弟子さんの中西由季さん。福筆というネーミングは、川合さんの下の名前から1文字いただいたそうです。

福筆の毛先は天然素材100%。きめ細やかな肌触りを表現するため、
一度も切られていないバージンヘアーのみを、
1本1本、手作業で選別していきます。

持ち手には、奥三河の柔らかな感触のヒノキが使われ、
木工職人がひとつひとつ手作りで仕上げていきます。
持ち手は、子どもが握りやすいデザインになっているのもこだわりのひとつ。
子どもが自分自身で洗ったり、親の顔を洗ってあげることも可能です。

毛の選別作業。最良の毛を見つけるために1本1本丁寧に選別していく。

益子・濱田窯の初公開作品あり 『濱田窯・在る日の益子』を開催 ビームスジャパン1周年記念

約40年ぶりの蔵出し。貴重な作品多数

2017年4月28日(金)より、オープンから1周年というアニバーサリーを迎えた
BEAMS JAPANの5階「fennica STUDIO」にて、
それを祝するイベントのひとつとして『濱田窯・在る日の益子』が開催されます。
ほかにも会期初日はドリンクサービスや
1周年記念アイテムの販売がある〈宴〉も行われるそうですよ。

益子焼のルーツは江戸時代の末期まで遡ります。
自然が豊かな栃木県益子町には、陶器に適した土が豊富にあり、
産業として大ヒットしたのですが、それが逆に仇となって粗製品が出回るようになったり、
その影響で売り上げが下がったりという憂き目もあったそう。

そんな状況を持ち直し、さらに益子焼を芸術品に昇格させた立役者が濱田庄司さんです。
庄司さんが着目したのは、益子焼の昔ながらの製法と益子町で産出できる土、
釉薬の品質の高さ。そして日用品がもつ普遍的な美でした。

〈濱田庄司 柿釉抜絵皿8寸〉200000円(税抜)。独特な茶褐色が生まれる柿釉(かきゆう、鉄釉の一種)にロウ抜きの黍文(サトウキビの文様)を施したお皿。

〈濱田窯・在る日の益子〉で展示・販売されるのは、
庄司さんと同じく陶芸家として活躍した三男の篤哉さんが大事に使っていたという、
ふたりの没後からしばらく開けられていなかった
濱田窯長屋門と呼ばれる蔵に保管されていた、いわゆる“蔵出し”作品の数々。

そこに、新柄を施した濱田庄司復刻モデル、濱田窯三代目当主の濱田友緒さんの新作も加わり、
相当なボリュームが展開されます。ここでは、その一部をご紹介します。

〈濱田庄司 黒釉錆流掛皿8寸〉200000円(税抜)。黒釉(くろゆう/くろぐすり、代表的な釉薬)にダイナミックな流し掛けを施したお皿。黍文と流し掛けは濱田さんが好んで用いた文様・技法なのです。

この機会が実現したきっかけとなったのは、
一昨年、BEAMS fennicaが益子で行われた『土祭』に参加した際、
濱田窯長屋門を販売・展示スペースとして借りたことだったといいます。
その際、まず篤哉さんの作品が主に収められている“西側”を整理し、
昨年、〈濱田篤哉陶展〉と題し、「fennica STUDIO」でお披露目。
今回は満を持して、庄司さんの作品が多数あった
“東側”にフォーカスを当てているというわけです。

〈濱田窯ヴィンテージ 6寸皿〉3500円(税抜)

〈濱田篤哉 1寸皿〉40000円(税抜)

どれも流通していないため、貴重なものであることはいうまでもありませんが、
器は生活に用いてこそ意味のある道具です。
「鑑賞するのではなく、使ってほしい」

庄司さんはそう願い続けました。
その願いにぜひ、応えていただけたら、これ幸いなのです。
会期は5月7日(日)まで。

〈濱田篤哉湯呑〉10000円(税抜)

〈第2回 にほんくらし籠展〉 COSMIC WONDERと 日本の名工による美しい籠たち

2017年4月15日(土)から30日(日)まで、
東京・南青山の〈Center for COSMIC WONDER〉にて
〈第2回 にほんくらし籠展〉が開かれます。

会場に並ぶのは、日本各地のさまざまな用途の籠。

あけび蔓の籠(秋田県)

山葡萄の手提げ籠、沢胡桃の手提げ籠(秋田県)

すず竹の市場籠(岩手県)

篠竹や山桜樹皮等のげし笊(宮城県)

欅の手提げ籠、山胡桃の手提げ籠(新潟県)

真竹のふご(千葉県)

女竹の花籠(千葉県)

根曲竹の林檎籠(長野県)

淡竹の買い物籠(長崎県)

真竹の米揚げ笊(熊本県)

真竹の角籠(熊本県)

葛藤の手提げ籠(鹿児島県)

蓬莱竹のバーキ(沖縄県)

わらびの手付き籠(沖縄県)

月桃の籠(沖縄県)

いずれも、コズミックワンダーが各地の職人を訪ね、
新たに編まれた籠たちです。
初日の4月15日・16日には、2015年度日本民藝館賞を受賞された
あけび蔓籠職人の中川原信一さんによる制作実演もあるそう。

主宰は、現代美術作家の前田征紀さん率いる
〈COSMIC WONDER〉(コズミックワンダー)。
近年は手仕事による工藝を組み合わせた美術作品、服、印刷物などを制作し、
コレクションとして発表するほか、美術館などにも活動の幅を広げています。

昨年の冬には京都・美山の重要伝統的建造物群保存地区にスタジオを移し、
ますます枠にとらわれない活動を行っているよう。
どの仕事にも、ていねいな手業や自然に宿る息吹が吹き込まれているようです。

最新のコレクションは、日本の古の衣や古代諸国の民族衣装の構造を用い、
最小限の表層からさまざまな印象を伝える〈竜宮衣〉。
苧麻布のドレスや手紡ぎ綿の羽織、有機栽培綿の仕事着コート……。

いずれも手紡ぎの自然栽培綿や有機栽培綿・麻、
刺し子織の大麻布などの天然素材によって構成され、
自然と寄り添うかたちに辿りついた「わたしに帰する衣」。
そんなコズミックワンダーが永いときを超え伝えられてきた
籠に惹かれたのは、自然なことだったのでしょう。

〈ようびの日用品店〉 岡山県・西粟倉の森に生まれた、 小さな家具のショールームへ。

ヒノキの家具のパイオニア

岡山県、西粟倉村の森のなかに、
家具と建築を手がける〈ようび〉のショールーム〈ようびの日用品店〉が生まれました。
もともと別荘として使われていた空き家を、ヒノキやスギが香る空間へと改修。
里山の風景のなかで、ようびの家具を体感できます。
住所は来場者のみに公開という仕組みで、完全予約制です。

ようびは地域の風土と職人の技術によって生まれた、
白くて軽くて香り高いヒノキの家具をつくる、
家具のパイオニアとして、これまでもcolocalで紹介してきました。

ショールームがあるのは、西粟倉村のなかでも、さらに山のなか。
本当にあるのかな、とちょっと不安になるほどですが、ご安心を。
美しい里山の風景のなかに、そのお店はあります。

お店までの道のりから見える風景。

「私たちがお店を失ってから(2016年1月に工房を全焼、現在は仮工房で製作中)、
たくさんの方が応援してくださったり、会いに来てくださったりしたのですが、
家具を見ていただく場所がない状態にだったので。すぐに探したんです」
と話すのは、店主の八島結花さん。

そこで、山の麓に広がる風景に、スタッフ一同感動し、ここでやりたいと心に決めて、
何とか人づてに、建物も借りることができたのだそうです。
約1か月をかけて、たくさんの人に手伝ってもらいながら、完成しました。

ショールームにある家具はすべて、ヒノキでつくられています。

ショールームは、森と鳥をテーマにしていて、照明もここに歩いてくるまでに生えているスギやヒノキの枝を拾って、その恵みでつくられています。

〈D-BROS 銀座店〉オープン! 茶筒に着想を得たお弁当箱など 55アイテムを発表

GINZA SIXに日本の伝統文化をテーマとした
〈D-BROS 銀座店〉オープン!

2017年4月20日(木)、東京・銀座に新たな複合施設〈GINZA SIX〉が誕生し、
4階に〈D-BROS(ディーブロス)〉のお店がオープンします。

D-BROSは、広告デザインを手がける〈ドラフト〉が
1995年にスタートしたプロダクトブランド。
グラフィックデザイナーならでは発想から
ステーショナリーや食器などをつくっています。

〈BUNKOBAKO 漆器〉150,000円(税抜)限定4個

〈KIKOF〉

このたびオープンするお店は、日本の伝統文化をテーマとしたコンセプトショップ。

「プロダクトを通して、ものづくりの背景にある日本の伝統文化や技術を伝えたい」という
思いから生まれたファーストコレクションを発表します。
こちらは、茶筒をヒントに生まれた銅製のお弁当箱〈BENTO〉。

お弁当箱〈BENTO〉全6種 27,000円〜(税抜)

大きな特徴は茶筒の構造からアイデアを得た、気密性。
へら絞りの精度の高い技術を駆使し、真空状態を生み出しているのだとか。

今回のコレクションでは、日本のグラフィックデザインともいえる「家紋」にフォーカス。
家紋をモチーフとした風呂敷や扇子などの〈KAMON〉シリーズを発表します。

〈KAMON 風呂敷〉全16種

〈KAMON ハンカチ〉全5種

現存する約2万点の家紋の中からD-BROSがセレクトした350点を収録した本。本の紙には福井の〈越前和紙〉を使用し、製本には京都につたわる和本の伝統的な製本技術「康煕(こうき)綴じ」を採用しています。〈KAMON 家紋本 特装版〉500,000円(税抜)限定50冊

そのほか、職人の手作業による漆塗りで仕上げられた本漆の文庫箱や、
D-BROSのアートディレクター、KIGI(植原亮輔、渡邊良重)が
滋賀県の職人さんたちと立ち上げたプロダクトブランド〈KIKOF〉なども。
伝統を汲みつつも新しい、スタイリッシュなものたちが並びます!

〈KIKOF〉

折りたためるビニール製の花瓶〈フラワーベース〉4,000円(税抜)4種1セット

日本の岐阜から世界の「GIFU」へ
〈SEBASTIAN CONRAN
GIFU COLLECTION〉

岐阜のものづくりが世界へと羽ばたく日

日本の地域から世界へとすぐれた製品を羽ばたかせる“Local to Global”。
それには海外志向の製品開発やデザインが重要になる。
岐阜県では、これまでも県内の品質の高いものづくり企業と
海外のデザイナーをマッチングさせる努力を続けてきた。

そのひとつとして実ったのが〈SEBASTIAN CONRAN GIFU COLLECTION〉だ。
世界的なデザイナーであるセバスチャン・コンラン氏と、
岐阜県内の飛騨木工、美濃和紙、美濃焼、関刃物などの業界から
10社がコラボレーションしてプロダクトを生み出した。
1月にパリで開催された国際見本市〈メゾン・エ・オブジェ〉で、
すべての製品が発表され好評を得た。
その1社として参加しているのが刃物を中心にビューティ、調理器具などの
日用品を取り扱う〈貝印〉の製造部門である〈カイ インダストリーズ〉だ。

開発部 部長の宮崎宏明さん(左)とデザイン室チーフマネージャーの大塚淳さん。

「こちらからは最初にピーラーやネイル用のやすりなども提案しました」という
貝印刃物開発センターの開発部部長の宮崎宏明さんは、
最初にコンラン氏が訪れたときに打ち合わせをした担当者だ。
実はコンラン氏は、〈貝印〉のハサミやナイフを普段から使っているユーザーだったという。
そのなかで結果的に製品としてつくることになったのは、
ハサミとグレーター(おろし金)だった。

今回、コラボで開発されたハサミ。

コンラン氏は、美濃市や高山市などに残る古いまちなみなどを見たインスピレーションから、
「格子」をコレクションのメインモチーフにしている。
特に〈貝印〉創業の地である岐阜県関市は刃物のまちであり、
ものづくりの「野鍛冶の精神」を受け継ぐ企業だということを知り、
刀や甲冑の要素をデザインに盛り込んだ。

ハサミは、貝印にすでに存在する7000番シリーズのハサミがベースになっている。
コンラン氏が気に入っていたというステンレス刃のマットな質感、
そしてハンドルに使われているシボ加工の繊細なテクスチャーをそのまま採用。
そして刀の鞘をイメージしたケースが付けられた。

海外向けに製造されている7000番シリーズのハサミ。

グレーターも甲冑を思い起こさせるデザイン。
これにもベースとなる〈Pure Komachi〉というグレーターがあり、
3つのデザイン賞(ジャーマン・デザイン・アワード、レッド・ドット・デザイン賞、
グッドデザイン賞)を受賞した商品だ。

「グレーターの刃に施されるエッチングの技術を、
もっといろいろな製品に使ってみたいと思っていたんです」という
貝印のデザイン室 チーフマネージャーの大塚 淳さん。

「最初は折りたたみ式のグレーター案だったのですが、
実際に使うときは開閉時の危険性があったり、汚れを落としにくい構造だったので、
刃物メーカーとして安全性のあるデザインの提案をしました」

2面使えるグレーターを開発。

ロゴもしっかり刻印。

ユキノチカラの主役たち(3)
“雪の力”の恩恵を受けた、
西和賀の農作物で新商品づくり

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
昨年度の第1弾に続き、今年度も第2弾として4事業所による新商品が誕生しました。
西和賀ならではの気候や自然、食文化がぎゅっと詰まった味わいです。

「地元の野菜や特産品の西わらびをもっと活用したい!」 そんな熱い想いをカタチに

2月半ばのその日は、西和賀の冬では珍しい雨模様の天気だった。
アスファルトの道路は、所どころがシャーベット状。
でも脇の田畑には、厚い雪がこんもりと積もっている。
「昨年の12月中旬から1か月間ほど、この雪の下に人参や大根、
白菜などの野菜を保存していたんですよ」と説明するのは、
〈西和賀産業公社〉の副部長兼生産加工課長の廣瀬稔さんだ。

〈西和賀産業公社〉の廣瀬稔さん。

昨年度にどぶろく〈ユキノチカラ〉を開発した同社では、
今年度は地元の野菜を使って、
漬け物以外の、付加価値の高い加工品をつくりたいと考えていた。
そこで着目したのが、「雪」。
野菜を雪の中に保存して糖度を高め、「雪下野菜」として差別化し、
さらにその風味を生かしたドレッシングをつくることを思いついたのだ。

12月中旬から1月中旬の雪の中の温度は0度前後。ここに保存されることで、野菜の甘みは増す。

このドレッシング〈ユキノチカラ 生ドレ〉は、
〈雪下ばっけ〉〈山ぐるみ〉〈雪下人参〉〈雪下野菜〉の4種類。
「ばっけ」とは「ふきのとう」の方言で、
〈山ぐるみ〉には県内で採れたくるみを使っている。
4種類ともそれぞれの素材の味を生かすため、
化学調味料を使っていない点もこだわりだ。

〈ユキノチカラ 生ドレ〉4種。どれもとろみがあるので、ドレッシングとしてはもちろん、ディップや肉料理のソースとしてもおすすめ。

今年度開発したもうひとつの商品が、〈西わらびピクルス〉。
「当社ではすでに、西わらびの加工品として
〈西わらび水煮〉を製造・販売していますが、
年々生産量が増えている西わらびの用途を拡大するためにも、
西わらびを使って別の加工品をつくれないだろうかと考えていました。
水煮はおひたしなど和風のイメージなので、
今回は洋風のピクルスに決まったんです」と、
同社の統括部長・藤原勝さんは開発の経緯を振り返る。

黒胡椒が効いたスパイシーなおいしさの〈西わらびピクルス〉。西わらびならではの食感や色を重視し、塩蔵した西わらびを戻して使っている。

そのほか同社では、すでに商品化している
〈寒ざらしそば〉〈西わらび水煮〉もパッケージをリニューアルした。
前者は、ソバの実を冷水に浸したあと寒風にさらして、アクや雑味を抜いたもの。
ひと手間もふた手間もかけただけあって、
できたそばは甘みと風味が強く、喉ごしが良い。
また、アクが少なくやわらかく粘りのある西わらびを、
一年中楽しませてくれるのが後者。
どちらの商品もすでに安定した人気を獲得しているが、
今回パッケージのリニューアルによって「ユキノチカラブランド」に組み込み、
ブランド強化を目指している。

〈寒ざらしそば〉や〈西わらび水煮〉の味わいは、西和賀の冬の寒さや雪が育くんだもの。

滋賀とスウェーデンの意外な関係。
東近江市〈ことうヘムスロイド村〉で紡ぐ、ものづくりのストーリー

ヘムスロイド=手工芸の村ができるまで

滋賀県の南東部にある東近江市は、
1市6町が合併した琵琶湖から鈴鹿山脈まで広がる自然豊かな地域。
その東近江市の誕生前、湖東町と呼ばれていた場所に、
全国的にも珍しい、ものづくりの作家が集まる村がある。
その村は、〈ことうヘムスロイド村〉と名前もちょっと変わっているのだが、
立ち上がりの経緯を東近江市湖東支所の山川 恒さんはこう説明する。

「旧湖東町は稲作が盛んなまちなのですが、
一方で梵鐘をつくる鋳物師や宮大工が多く、匠の郷として知られてきた場所です。
伝統を守りつつ、現代のものづくりも推進することを目的として、
平成3年に『工芸と交流の里構想』が策定され、
平成5年3月にヘムスロイド村が完成しました」

東近江市湖東支所の山川 恒さん。

ものづくりの拠点となるような場所をつくるにあたってモデルにしたのが、
スウェーデンのダーラナ地方。
“スウェーデン人の心のふるさと”といわれるこのエリアは、
手工芸など昔ながらの伝統や文化が色濃く残っており、
スウェーデン語で「手工芸」を意味する「ヘムスロイド」と冠した店が
多数存在するそう。こうして田んぼに囲まれた森のなかにできあがった、
ことうヘムスロイド村は、北欧風の建築で朱色の屋根がかわいらしい工房4棟と、
ルンド(人が集まる場所、という意味)と呼ばれるセンターハウスで構成されている。

ちなみにヘムスロイド村が完成して間もなく、
ダーラナ県にあるレトビック市と湖東町は、ともに手工芸が盛んであることや、
地理的に湖の東に位置することなどから姉妹都市提携を結び、現在も交流が続いている。

以上がヘムスロイド村の概要なのだが、
気になるのは、どんな作家がものづくりを行っているか。
現在入居している5組6名の作家の工房と、
カフェとなっているルンドにそれぞれお邪魔してみることにした。

愛犬とともに出勤し、音を気にせず制作に没頭

木工工房〈tanaka wooden works〉の田中智章さんは、
湖東町と同じく現在は東近江市になった、木工の盛んな永源寺町出身。
ヘムスロイド村に入居したのは2015年9月で、
それ以前は東近江市杠葉尾町で制作活動を行っていた。

〈tanaka wooden works〉の田中智章さん。工房には機材も木材も数多く置かれているがどれも整理整頓されていた。田中さんはいつもお気に入りの音楽をレコードで流しながら作業に励む。

「ヘムスロイド村のことは前から知っていて、
どうすれば入居できるんだろうってずっと憧れていたんです」

何よりも憧れたのは、その制作環境。
「ここに来る前はごく普通の集落のなかにある、
住居の隣の小屋を工房にしていたので、大きな音をたてると気兼ねしてしまうし、
残業ができなかったんです。何回か工房を引っ越したのですが、
そのたびにここの存在がちらついていました」

田中さんの前に入っていた木工作家が退去することになり、
知り合いの大工さんからいらない機械を引き取らないかと言われ、
待ってましたとばかりに応募。
広々としたこの工房には木工作家が代々入居していたこともあり、
使い勝手のよさを感じている。

「広くて天井も高いので、大きな家具をつくるときもまったく苦になりません」と田中さん。

きれいな光が入るのでせっかくだからと、工房の一角に展示スペースを制作中。

車で片道30分の距離を、愛犬の縁(ユアン)も毎日出勤。
ヘムスロイド村に着いたらまず散歩をするのが日課だ。
「雷は怖がるんですけど、機械の音は落ち着くみたいで、
仕事中はずっと工房で寝てますね(笑)」

制作に没頭できるこの環境は、作家にとって理想的といえるだろう。

とても人懐っこい愛犬、縁(ユアン)と。

〈亀の子スポンジ〉が リニューアル! スタンダードを生み出す 亀の子束子のこだわりとは?

亀の子束子が手がける〈亀の子スポンジ〉をご存知ですか?

たわしといえば〈亀の子束子(かめのこたわし)〉。
あまりにも身近すぎて、その名がブランド名であるということを
忘れてしまう存在ですよね。

亀の子束子は1907年(明治40年)に亀の子束子西尾商店の初代、
西尾正左衛門さんが発明した商品。
それまでは藁や縄を束ねた洗浄道具が使われていましたが、
やしの実の繊維を針金で巻いた亀の子束子は丈夫で使い勝手がよく、
たわしのスタンダードになりました。

そんな亀の子束子西尾商店の〈亀の子スポンジ〉が、
このたびリニューアルされるそう。

〈亀の子スポンジ〉カラー:イエロー・ホワイト・グレー 価格:300円 〈亀の子スポンジホルダー〉800円(価格はすべて税抜)

亀の子スポンジは、2015年に発売されたばかりのニューフェイス。
一見するとごく普通のスポンジですが、
商品開発には、引き続きコラムニストの石黒智子さんに協力を依頼し、
いろんなこだわりがつまったスポンジに仕上がりました。

ひとつめのこだわりは、銀イオンによる抗菌効果。
このたびのリニューアルでは、スポンジ全体に銀イオンを練り込み、
抗菌効果が旧商品の約6倍長持ちするようになっています。

新商品は素材そのものに抗菌材を練り込むことによってスポンジ中心部からも抗菌が可能になり、抗菌効果がさらに長持ちするようになったのだとか。

ふたつめのこだわりは、手になじむ厚みと握りやすさ。
厚くすると腰が強くなりすぎ、薄いと頼りなく感じるスポンジ。
27mmという厚みが最適な握り心地なのだそうです。

左:旧商品(塗布あり)、右:新商品(塗布なし)塗布面を洗浄に使用すると、塗布された抗菌剤が剥がれてしまうというデメリットもなくなりました。

リニューアル後は、表面に塗布していた銀イオンを
全体に練り込んだため、より柔らかに。

みっつめのこだわりは水切れと泡切れの早さ。
スポンジの目を粗めにすることで水切れと泡切れが良くなり、
スポンジが清潔で長持ちします。
こうしたひとつひとつの工夫がスタンダードを生み出していくんですね!

パッケージデザインは、引き続き
グラフィックデザイナー/アートディレクターの菊地敦己さん。
印刷が剥がれないように印刷面を2枚のフィルムに挟むなど、さまざまな工夫も。
このデザインは「日本パッケージデザイン大賞2017大賞」を受賞しました。

名古屋市有松で、受け継がれ、
更新されていく。
伝統の〈有松・鳴海絞〉と
まちの進化

〈有松・鳴海絞〉が今もなお残っているという奇跡

JR名古屋駅から、電車で約20分で行くことができる名古屋市緑区有松。
旧東海道の両脇に当時の豪壮な旧家が今も残された有松のまち並みは、
2016年7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
2017年1月、新たに2か所の観光案内処がオープンしました。

観光案内処は2か所つくられ、いずれも古い建物を利活用したリノベーション物件。

まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができる
古き良き景観だけがこのまちの魅力ではありません。

〈有松・鳴海絞〉と呼ばれる、400年の歴史を持つ染物産業が
今もなお、受け継がれ、日々進化を遂げているのです。

有松の歴史は江戸時代にまで遡ります。
もともと平地が少ない丘陵地帯であったこの土地は
耕作に向かず、農業は発展することがなかったため、
この地に住む人々は、名古屋城築城の際に九州から来た職人たちから、
絞りの技法を学び、伝承・工夫を重ね、
東海道を往来する旅人の土産物として手ぬぐいなどをつくり、商売を始めます。
そして、尾張藩の庇護のもと絞染の産地として発展を遂げたのです。

絞染の工程はいくつかに分かれます。
大まかな工程は、まず図版をつくる職人が下絵を描き、
括り職人が布に糸をきつく巻き付け、染色専門の職人が染め付け、その後糸を抜き、
広げると下絵のとおりの模様の布ができあがり。

有松・鳴海絞を使用した着物。

この有松・鳴海絞の最大の特徴は、下絵通りに染め上がるよう布に糸を巻き付ける
括り職人たちの技術力と、技法の豊富さにあると言われています。
括り方はなんと約100種類。そのうち75種類ほどが
現在でもこの有松地区には残っているというから驚きです。

多種多様な模様を生み出す技術力こそが、有松・鳴海絞の特筆すべき点。

全国各地に新興の絞産地が出現し、
その大半が時代の移ろいとともに昭和初期までに消えてしまいました。
有松・鳴海絞もまたそれぞれの時代において訪れる苦難を乗り越え、
今日までその伝統は守り抜かれてきました。

そこには、有松ならではの伝統を守り抜くための創意工夫の精神があったのです。
ほかでは真似ることができない数々の技法を生み出し、
現在では世界の絞研究者から注目を浴びている有松・鳴海絞。
そのキーパーソンたちを紹介していきましょう。

創作のまち真鶴の原点。
『世界近代彫刻シンポジウム』と
小松石の物語

真鶴だけでとれる小松石という素材

羽田空港、皇居、美空ひばり……。
一見関係のなさそうなこの三者に、実は共通しているものがある。
それが「小松石」と呼ばれる石だ。

世界で神奈川県真鶴町でだけ採掘される小松石は、
いまから約20万年から15万年前、箱根火山の活動と連動して
この地で噴火した溶岩が固まったものだ。
青みがかって落ち着いた風合いは墓石に適しており、
一番古いもので奈良時代のお墓に使用されていたことがわかっている。
有名なものとしては、皇族や代々の徳川家、美空ひばりのお墓にも使われている。

小松石が産業として発展したのは江戸時代。
その頃から石垣や建築材としても使用され、
皇居の石垣や二重橋、羽田空港の埋め立てにも使われているという。

「一般的な石に比べると、小松石は加工の手間がすごくかかるんです。
その分、性質はすぐれていて、かたくて粘り強く、火に強い。
例えば御影石という白くてつぶつぶのある石に比べ、角が飛びにくいんです」

そう語るのは、真鶴にある〈竹林石材店〉の竹林智大(ともひろ)さんだ。
竹林石材は昭和16年に始まり、現在3代目。
だいぶ減ってしまったとはいえ、真鶴に石材業者はまだ20社程度あるが、
採石から加工までの工程すべてを行うところは珍しいという。

竹林石材店の竹林智大さん。社長ながら会社では一番若い。

竹林さんは石の魅力についてこう語る。

「コンクリートのほうが安いので使われることが多いですが、
本当は石のほうがかたくて丈夫なんです。
石は何百年ともちますが、コンクリートは50年ぐらいでヒビが入ってきます。
石のほうが地震にも強く、例えば護岸工事に使っても、
自然のものなので魚や海の生物にとってもいいんです」

山から墓石ができるまで

小松石を「石材」として使うまでには長い工程がある。
竹林さんにその工程を案内してもらった。
まず案内してもらったのは採石場。真鶴駅から海とは反対方向に向かって、
車で20分程度山を登ったところにそれはあった。

その圧倒的な光景に取材陣一同息を飲む。ダイナマイトで崩すこともあるが、石が傷つく可能性もあるので重機を使うことが多いという。

「江戸時代は海岸沿いを手で掘っていましたが、
いまでは重機を使って山から切り崩すのが主流です。
あんまり下まで掘ると石が細かくなってきて、そうすると“終わり”なんです。
町有地を借りているので、掘ったらその分、土を埋めて返すことになります」

小松石には3色あり、色によって値段が変わる。
最も安いものが赤みを帯びたもの。次がグレー。最高級品が青みを帯びたものだ。
青いものは全体の3~5%しかないという。

「色によって性質が変わるわけではなく、
基本的には赤や青が混じっていることがほとんどなんです。
ただそれは割ってみないとわからないですね。墓石の場合、
色を1色に統一させないといけないので高価になるんです」

次に向かったのは、重機で山から採った石を割る工場。
ここでは昔ながらの方法で石を割っていた。
ドリルで開けた穴に「セリ矢」と呼ばれる鉄製の道具を入れる。
そしてそれを上からハンマーで叩きつけていく。
いとも簡単にふたつに割れたように見えたが、知識と経験がないとできないものだと、
担当していた川ノ辺創(かわのべはじめ)さんは言う。

セリ矢を打ち込んで、叩いて割る。大昔からこのやり方は変わらないそう。

「修業っていうと大げさだけど、一人前になるまでは5年ぐらいはかかりますね。
やっぱり危ないから。いまみたいにふたつに割るのでも、
木こりが木を倒すのと一緒でどっちの方向に倒すかを決めているんだよね。
知らない人がやって自分の体のほうに落ちたら大変。
『覚える』っていうと違うんだけど、体験を重ねていかなきゃわからない。
理屈も大事だし、体も大事」

真鶴出身の川ノ辺創さん。この仕事を始めて25年になる。

ハンマーとセリ矢。なんと道具は自分で熱して叩きながら改造していくという。「自分のやり方にぴったりあった自分の道具をつくらないと。鍛冶屋までできて初めて石屋は一人前になる」と川ノ辺さん。

「この仕事にはものをつくるおもしろさがあるんです。
石を見て、良いか悪いか判断して、少しずつ割っていく。最終的にはお墓になる。
車や冷蔵庫と違ってつくる過程で機械もほとんど使わないし、
自分の手で、自分の判断で全部できるのはおもしろいね」
と川ノ辺さんは語る。

最後に訪れたのは、割った石を加工する工場。
ここでは大型の重機も動いていたが、やはり手を使って加工している職人がいた。
竹林石材は全盛期は20人ほど職人を抱えていたというが、
安価な中国産の石の増加や、職人の高齢化に伴い、いまでは7、8人になったという。

慣れた手つきで「コヤスケ」という道具を使って石を整える職人。「中学を出てからやっているので、今年で37年やっています」

いまも墓石に使われることが多い小松石だが、建材用に加工しているものもある。

社長である竹林さんは言う。
「小松石は本当にいいものだと思うし、需要が少なくなってきたとは言っても、
小松石が好きな人はいるので、なくさないようにやっていかないといけないと思います」

小さな港町に、世界とつながる
〈真鶴テックラボ〉誕生

Uターンしたら、まずは仲間を見つける

のんびりとした漁港のまち真鶴に、
なんとファブリケーション施設が生まれようとしている。
〈真鶴テックラボ〉だ。
3Dプリンターやレーザーカッターなどを使って、
自分たちの手でものづくりをすることができるという「ファブリケーション」。
世界的にもその流れは広がっていて、特別な技術がなくても使えることから、
カフェと併設されているようなスペースも増えている。

昨年11月から試行を続け、真鶴港が眼前に広がる空き家を利活用して、
新年度に本格稼働の段階を迎える真鶴テックラボは、
真鶴町観光協会の柴山高幸さんが中心になって進めてきた。

柴山さんは真鶴生まれで、都心部でシステムエンジニアとして働いていた。
あるとき、大きなプロジェクトを終えて憔悴してしまったという。
そのときにこれからの生き方を考え直し、Uターンすることを決断した。

「だけど、真鶴のまちの状況なんてまったく知りませんでしたね。
自分が通っていた小学校は統合されてしまってもうなくなっているし、
そこに向かう“メインストリート”は、お肉屋さんも、魚屋さんも、駄菓子屋さんも、
すべてなくなっていました」

大好きな釣りの話を始めたら止まらなくなる柴山高幸さん。

そんな状況を目の当たりにしても、Uターン当初は「自分にできることはない」と、
何かアクションを起こそうとは考えなかった。
しかし、次第に観光協会や行政に同級生や先輩後輩など、同世代がいることに気がつく。
「ひとりではできないけど、仲間がいれば何かが起こせるのではないか」
という気持ちになっていった。

まずは、自分自身が真鶴を出ていってしまった理由を振り返ってみた。

「ひとつは、若い人の意見があまり受け入れられなかったこと。
同様に外から来た人に対しても冷ややかで、
当時、移住者のことを“新住民”と呼んでいたりして。
よく考えればお嫁に来てくれた人だって移住者じゃないですか。
移住者はたくさんいるのに……」

かつて自分が感じていた息苦しさを払拭するために、
移住者や若者も含めてみんなで楽しめる〈真鶴なぶら市〉を立ち上げた。
補助金などに頼らず、すべて自分たちの手弁当で運営。
月1回の開催で、今年で3年目を迎える。

漁師も料理人も石材職人も、“エンジニア”である

なぶら市とともに着手した一手が、新たな仲間との出会いとなった。
2014年6月に〈スタートアップウィークエンド(週末起業体験)〉を真鶴で開催。
ハスラー・ハッカー・デザイナーでチームを組み、
必要最低限のビジネスモデルをつくり上げる。
世界の700都市で開催され、週末の54時間でアイデアをカタチにする方法論を学び、
スタートアップをリアルに経験できるイベントだ。

日本では都心部で開催されることがほとんどで、
真鶴のような小規模のまちで行われることは国内ではあまりない。
そのユニークさも手伝って、さらなる感性の似た人たちと出会うことができ、
「ひとりじゃない」という感覚を得る。
そのメンバーのなかにジェフ・ギャリッシュさんがいた。

ジェフ・ギャリッシュさんは佐世保生まれで、日本人とアメリカ人のハーフ。

ジェフさんは、日本やアメリカなど各地に住んでいたが、
現在は小田原在住で、行政や観光関係などの英語コンテンツを制作する仕事をしている。

「もともと真鶴が好きで、人や自然、東京との距離感など、
すごく可能性があるなと思っていました」と話すジェフさん。

スタートアップウィークエンドで意気投合したふたりは、
住むまちは違えども同じ志向を持つ者同士、協力して活動していく。
ジェフさんは、その後真鶴で行われた3回目のスタートアップウィークエンドでは
運営側にも回っている。

「僕自身はシステムエンジニアが本職ですが、やはり真鶴ではITはハードルが高い。
スタートアップウィークエンドでは、3日間でプロダクトをつくりあげますが、
アイデアはもちろん、実際に組み立てられるエンジニアがいるから可能なことです。
このエンジニアという領域を広く捉えれば、町内の料理人も、石材加工も、
漁師や海士も入れられて、敷居を低くできるのではないかと」(柴山さん)

次のスタートアップウィークエンドへ向けて。

進化することで伝統もつなぐ
岐阜県八百津町〈内堀醸造〉
の酢づくり

八百津で酢専業になったワケ

日本の料理における基本調味料、「さしすせそ」。
そのなかで酢のみを丹念に製造している企業が、岐阜県加茂郡にある〈内堀醸造〉だ。
明治9年創業。現在も本社を構える八百津(やおつ)という地域は、
“八百のものが出入りする”海運で栄えたまち。
中津川で伐採された木が木曽川を下って、一旦、八百津まで来る。
ここで筏を組んで、また伊勢まで下っていく。
だから男手が集まる地域で、酒屋ができ、酒どころにもなっていった。
「酢」という漢字は「酒へん」に「作る」と書き、実際に酢は酒からできる。
内堀醸造(当時の屋号は〈丸十〉)も酢や醤油、たまりなどの問屋から始まり、
その後、醸造も行うようになった。

3代目となる内堀信吾会長。

戦後は物資不足から合成された酢が多く、現在の主流である醸造酢は少なかったが、
当時から内堀醸造は醸造酢にこだわっていた。だから酢の評判が良かったのだ。
そこで現会長である内堀信吾さんの代から、酢一本にしぼった。

「ご先祖がやってきたことを辞めるにはすごく抵抗があって、
本当に申し訳ないと思っています。私のおじいさんは命をかけて仕事していましたから」
という内堀信吾会長。

「ただ、人間の頭には限りがあると思うので、ひとつに絞ったほうが、
明けても暮れても酢のことを考えるという意味でわかりやすいのではないかと思い、
酢に特化しました」

現在、酢をつくっている会社は日本に200社程度。
トップ5社で9割ほどのシェアを占めている。内堀醸造の販売シェアは第2位。
その中で、酢だけを専門でつくっているのはかなりユニークな存在といえる。

エントランスには重厚な書が。

工場入り口に大きく掲示してあるコンセプト。

進化を恐れない酢づくり

「伝統と技術革新という考え方がある」と言うのは、総務課長の浅川和也さん。
新卒で入社して約20年。その期間は、内堀醸造が大きく成長していく期間と重なる。

「守っていかなければならない製法などはもちろんあります。
ただし、さまざまな分野で技術革新が起こっています。
そうした新しい技術を酢づくりに取り入れることによって、
生産性も品質も向上していくと思っています」

管理部総務課長の浅川和也さん。

酢づくりはかつて「静置発酵」が主流だった。
空気を好む酢酸菌が、液体の表面に菌を形成し、
アルコールに変えながら酢になっていくという製法。
これは空気に触れる広い表面積が必要なので、大きな桶などでつくっていた。

しかし内堀信吾会長の代で、いち早く「通気発酵」という製法を取り入れた。
あえて空気を送りエアバブルがたくさんできると、液体中に空気との表面積が増える。
そのなかで酢酸菌が空気とアルコールを食べながら酢に変えていく。
この製法のおかげで、より純度が高く安定した酢がつくれるようになり、
他社とはひと味違った酢として評判になっていった。

お米は蒸したのち、麹菌をつける。

伝統的な商品でありながら、新しい技術なども積極的に取り入れられるのは、
酢の専業である強みであり、酢に対して誠実に向き合っているからだろう。
品質を高めるためには努力を惜しまない。

「酢専業なので、酢に関わることで負けたくはありません。
社長や会長はいつも“本物の酢づくりとは何か”と問うてきます。
しかし“シェアがどう”とか、“売り上げがどう”という話をされたことはありません。
経営者というよりは技術者という印象です」

酒(酢もろみ)をつくる発酵タンクの様子。

内堀醸造の主力製品のひとつ〈美濃特選本造り米酢〉。
ブランドを代表するような商品でも、実は内容をどんどん変えていっているという。

「香りを良くしようとしたり、よりふっくらさせたり。
逆にキレを追求したり、芳醇にしたり。極端には変えませんが、
少しずつ変化することで品質を高めていくということをやり続けています」

主力商品の〈臨醐山黒酢〉と〈美濃特選本造り米酢〉。

140年以上続いてきた企業。
その代表商品の味を変えていくことに恐怖や不安はないのだろうか。

「ありませんね。ずっと一緒であり続けることのほうが恐い。
時代のニーズや嗜好に合わせて変化していくことが、伝統をつなげていくことになります。
一旦、達成したものでも、より高めるためには、次に何が必要とされているのか。
もちろんリセットではなく、積み重ねです」

品質管理は抜かりなく。

とにかく酢づくりが好き、そんな社風がある。
会長本人が開口一番「私は酢づくりを楽しんでいるんだね」と言う。

「酢づくりは生物化学。人間の生き様とまったく同じ。
つまり道理を考える楽しみを持っているということです。
そして答えはすぐに出ないから、まずは間違えのなさそうな伝統に準拠する。
もうひとつ、生物化学は風土に非常に影響を受けます。
それは人間の努力を超えること。
せっかく日本は世界のなかでも独特の伝統と風土を持っているので、
何とかそれを生かしていきたい」と語る内堀信吾会長。

八百津に会社が興ったのは偶然だったのかもしれないが、風土という意味では、
その土地である意味を生かしたものづくりを心がけてきたということだろう。

「一にも二にも、清冽な水と空気。要するに風土です。
風土が違うと微生物が違いますから」

試作品の開発中。

酢づくりには麹菌が重要だ。
麹菌は日本の風土特有のもので、そこから発酵文化が生まれた。

「日本の麹菌は、世界のなかでも特異的に酵素力があります。
麹菌を苦心してつくって、いわゆる醸造ということをやるのが日本の文化だと思っています。
小さな分野ですけど、日本の伝統の麹菌をさらに勉強して、酢づくりをしていきたい」

町医者のような大工さん。
真鶴の家をつくる〈原田建築〉

海の見える小さな小屋で

神奈川の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島に、岩海岸という小さな海岸がある。
人気の少ないこの海岸の目の前に、ひっそりとたたずむ小屋がある。
ここは「下小屋(したごや)」と呼ばれる、大工が材料を加工したりするための場所だ。
ここで日々仕事に励むのが〈原田建築〉の原田登さんだ。

「普通の大工さんの下小屋の10分の1ぐらいの大きさですよ(笑)。
でも最近の若い大工だと、下小屋を持っていない人がほとんどじゃないですかね。
最近はワンボックスカーに全部材料が乗ってて、それを組み立てるだけ。
材料も木じゃないんですよ」

下小屋の目の前はすぐに海岸がある。

たくさんの木材が置かれている下小屋。奥に作業をするスペースがある。

大工、というと職人気質で、寡黙な人が多そうなイメージがある。
しかし、原田さんはとても自然体で、肩の力が入っていない人だ。
それは原田さんのブログにもよく表れる。
手がけた仕事の話ももちろんあるが、自分の子どもの話や趣味の熱帯魚の話など、
大工とは関係のない記事が多い。
眺めているだけでほっこりするような明るいブログだ。
このブログを見るだけでも、まずこわい人ではなさそうな印象を持つ。

「ブログはなるべく大工に関係ないところも出して、内面を出すようにしているんです。
そうすると依頼するときに構えないで済むじゃないですか。
でも本当は、口コミだけで成り立つのが目指すところ。
『職人が必要なら、とりあえず原田に聞いとけば』って」

原田登さん。持っている椅子は、夏休みの工作教室で子どもたちとつくったもの。

大工としての腕を試すために

原田建築は、東京・木場の材木屋から始まった。
2代目のおじいさんのときから真鶴で大工を始め、
現在は3代目のお父さんが社長を務める。原田さんは4代目。
手がける案件はほとんどが地元・真鶴に立つ住宅。最近はリフォームが多く、
トイレや風呂場など、劣化の早い水周りの修理が多いという。

「家が八百屋だったら八百屋やってたと思いますよ(笑)。
でも大変ですよ。仕事が少ないんで。一度、親にも『辞めたい』って
言ったこともあります。ほかに行きたいんだけどって。
でも『行かないでくれ』って言うから、しょうがねえなって」

「しょうがねえな」と言いながらも、大工の話をする原田さんは楽しそうだ。
「大工をやるからにはどんなものか試したくて」、
大工が腕を競い合う、技能競技大会にも出ている。

大会では、決められた課題に対して、制限時間内に図面の書き起こしから
木材の加工、組み立てを行い、その正確さを競う。
原田さんは昨年まで、〈青年技能競技大会〉という
35歳以下対象の大会に出場していた。
神奈川県の予選を勝ち抜くと、全国から75人ほどが集まる本戦がある。
一昨年、そこで原田さんは銅メダルを獲得した。

「青年技能競技大会は毎年課題が同じで、
『四方転び踏み台脚立』っていう脚立をつくるんです。
すごい緊張感で。人によってスピードも違う。
図面を紙の表裏に書くんですけど、自分がまだ表を書き終わらないうちに
紙をめくる音がフワッって聞こえたり……」

大会の課題となる「四方転び踏み台脚立」。脚が直角ではなく斜めについており、四方に広がっているので強度があるのが特徴。ネジは使わずにつくる。

斜めの脚に階段を水平につける必要があるため、高度な技術が必要なのだという。

普段仕事をしているだけでは、自分の大工としての腕前が
どのぐらいか知ることはできない。
最近は材料が事前に用意されていることも多くなったので、
現場でノミなどを使う機会も減ってきた。
だから原田さんは、年齢制限のかかる昨年まで8年間、
勉強のために出場していたという。

「この脚立はもう100台以上つくってるかな。
何か月も練習して、最後の最後で大会に出るんです。
大工でも勉強しないとこんなのつくれないですよ(笑)。
実はお寺の鐘つき堂とか東屋はこれと同じ構造なんです。
兒子(ちご)神社の手洗い場も同じ構造で、うちでやらせてもらいました」

岩海岸からすぐ近くにある兒子神社を案内してもらった。ここの手洗い場を原田建築が手がけた。脚をよく見ると四方に広がっている。

〈WARANOUE(ワラノウエ)〉
西和賀の木で器づくりを。
手にした人にしかわからない、
器を「育てる」喜び

西和賀にんげん図鑑Vol.5
木工旋盤〈WARANOUE(ワラノウエ)〉藤原 隼さん

ブナ、カエデ、ホオ、山桜などさまざまな木の木目や色を生かした、薄手のプレートやボウル。
しかも、シンプルなオイル仕上げなので、その美しさがより際立つ。
藤原 隼(じゅん)さんが旋盤を使ってつくるこれらの木の器は、
ウレタンのコーティングと異なり、使うほどに味わいが出てくるという。
でも何より目を引くのが、そのゆがんだフォルムだ。

生木は「動き」があるので、使うタイミングが重要だ。

このフォルムは、材料の「生木」がつくりだしている。
藤原さんは、切って間もない生木を手に入れ、乾燥させずにそのまま使うので、
つくっている途中に水分が抜けてかたちが変わっていく。
できあがるのは、「世界にひとつだけの器」だ。
「木工作家の須田二郎さんが生木でつくる器をインターネットで見つけて、
こんな器をつくってみたいと始めたんです。
木の器づくりを始めて半年くらい経った頃だと思います。
須田さんについては、作品はもちろん考え方も好き。
ブログを何年も前にさかのぼって読んでいるくらいです」

ほぼ毎日8時から20時頃まで作業する。忙しい時には、2~3日間そのまま工房に泊まることも。

神奈川県で農業と山仕事をしていた須田氏は、獣害で農業を辞めたあと、
木工旋盤を買って独学で器づくりを始めた人だ。
山仕事をしていただけに、森林保護の観点から、切り出した障害木を主に使う。
生木のまま使うので、木がゆがむことをある程度計算しながらつくり、
動きが止まった時点で不安定な部分だけを修正する、というやり方だそう。

西和賀に工房を構えてから町内外の人と知り合う機会が増えた、と喜ぶ。

2011年に、自宅のある紫波町で本を見ながら
手彫りの木の器をつくり始めた藤原さんだったが、須田氏の作品や考え方に出会い、
さっそく木工旋盤を購入。
同町にある岩手県森林組合から、材木として売れない生木を仕入れて器をつくり始めた。
最初に手に入れたのはケヤキ。
それで、ボウルをつくったという。

「薪やキノコのほだ木にしかならないような木が器になる、というのがいいと思うんです。
仕入れた木はできるだけムダにしないよう、木取りなどにも気を遣っています」
それでも、つくっているうちに節や虫くいの跡が出てくることもある。
そこでそうした器は、自ら企画した無償レンタルシステム〈うつわbank〉で利用する。
できるだけ有効に利用したいという、木への深い愛情がうかがえる。

もうひとつ、藤原さんのこだわりが、オイル仕上げだ。これも、須田氏ゆずりである。
木製の器は、実用性を考えてウレタンでコーティングされることが多いが、
藤原さんは「手間ひまかけて化学物質を塗る必然性がない」と言い切る。
汚れの付着やカビの発生が気になるが、
「使ったらすぐに洗う、長時間水に浸したり濡らしたまま放置しないなど、
少しだけ気を遣って使ってもらえれば問題ない」そうだ。
逆に、コーティングされていないから盛り付けた料理の油が自然に染みこんで、
使いこむうちにいい味になる。
もし表面がカサカサになってきたら、サラダ油やオリーブ油を塗ればいいとのこと。
そうやって「器を育てる」楽しみもあるということなのだろう。

藤原さんの工房。

「仕入れた木を見ながら、『これを何にしようかなあ』と考えている時間が一番楽しい」と話す藤原さん。

「発酵」でつながる滋賀の酒と食!
ワイナリー×日本酒蔵元による
醸造家座談会

みんな、発酵してる?

「発酵」といえば、近年注目のローカル的キーワード。
自然志向や健康志向の高まりなどから、
食生活に「発酵」を取り入れる人もいる一方で、
地域の食文化としての「発酵」の多様性や、
その文化的な奥行きにも関心が集まっている。

そこで今回は、数ある発酵食のなかから「日本酒」と「ワイン」という、
和洋の民俗的な発酵文化に着目。
日本における「地物」としての日本酒とワインは、
その土地のなかでどのようにしてつくられ、親しまれているのか。
またそれらはどのように交錯し、「地元の酒」としての未来を描けるのか。
ひとつの実験として、日本酒の蔵元とワイナリーによる座談会を企画した。

舞台は、日本一の面積を誇る湖・琵琶湖を擁する滋賀県。
琵琶湖のふなを塩漬けにし、
米とともに発酵させた伝統の発酵食〈ふなずし〉で知られるこの土地は、
諸説あるが、古くは奈良時代、またはそれ以前から
保存食としてのふなずしに親しんできたと言われる。
富山や和歌山のなれずしと同様に、
奥深い発酵の歴史を持つ土地であるということが、
現代の酒づくりに新しいイメージを与えている可能性にも期待したい。

座談会に集まったのは、
県内のワイン製造の先駆けでもある〈琵琶湖ワイナリー〉(栗東市)と、
個性的なにごりワインで注目される〈ヒトミワイナリー〉(東近江市)、
創業1805年の老舗酒蔵〈浪乃音酒造〉(大津市)のつくり手たち。

さらに、今回は明治初期に「近江牛」を全国に広めた
老舗レストラン〈松喜屋〉(大津市)より、
土地のグルメを知り尽くしたソムリエが、
お酒にぴったりのスペシャル発酵料理を携えて参加した。
滋賀の酒と食は、どんなマリアージュをみせるのか。
ボーダーレスなローカル座談会にご期待あれ!

※1ふなずし:琵琶湖の固有種であるニゴロブナを塩漬けにし、炊いた米に漬けて乳酸発酵させる伝統の保存食。全国各地に伝わる「なれずし」(サンマやサバなどさまざまな魚が使われる)の一種。

というわけで、まずは参加メンバーの紹介からスタート。

【エントリーNo.1】浪乃音酒造 中井 孝さん

中井 孝さんは、創業1805年の老舗酒蔵〈浪乃音酒造〉の10代目社長。
三兄弟で酒づくりをしており、長男の孝さんは社長業の一方で、
蒸釜の管理を主に担う「釜屋」を務めている。
酒づくりの最高責任者である「杜氏」は次男が担当。
三男は「麹屋」として、日本酒の仕込みに欠かせない米麹をつくっている。

磨いた米。

新酒の仕込みは10月中旬〜2月中旬までの寒い時期に行う。
これがいわゆる「寒づくり」だ。
気温が低い時期は、雑菌の繁殖が少なく、微生物(酵母)の活動も弱まるため、
きめ細やかで風味のいいお酒ができるとされている
(年間を通じて醸造できるようにしている蔵もある)。

アルコール発酵が進むタンクの中。耳をすませるとプクプク、パチパチと音がする。微生物が生きている証拠だ。

「冬の朝、タンクをのぞきこんで、『寒がってるな』と感じたら、タンクの腰(下方)を温めてやるんです」と、我が子のように慈しむ中井さん。

「僕らが酒をつくってるんやなくて、
このタンクのなかにいる酵母たちが酒をつくってるんやね。
僕らはその活動をサポートしているだけ。
生き物相手だからむつかしいけど、自分の子どもみたいに思えるときもあるし、
やっぱり酒づくりはおもしろいよね」と中井さんは話す。

量り売りの日には地元の人や飲食店の人が列を成す、浪乃音酒造の店頭。

浪乃音酒造では、毎月第4金曜・土曜に、日本酒の量り売りも実施。
きれいな味わいとされる、中汲み(※1)だけを抽出したお酒や、
新酒と熟成酒のブレンド酒、各種酒米のブレンドによってつくったお酒など、
「そのときにしか飲めないスペシャルなお酒」が地元の人に好評だとか。

※1 お酒を搾ったときに、最初に出る濁り酒を「新走り」、それがだんだん透明になっていったところが「中汲み」、最後にプレスして出てきたのを「責め」という。

今回の座談会にご提供いただいた日本酒。右〈純米吟醸 浪の音(斗びん取り)〉/左〈新走り 浪の音〉

【エントリーNo.2】ヒトミワイナリー 山田直輝さん

続いてご紹介するのは、〈ヒトミワイナリー〉の山田直輝さん。
同ワイナリーの独創的なワインづくりに惹かれて4年前に入社した。
現在はワインづくりの責任者として、ブドウ栽培から醸造、
ラベルのデザインまでを一貫して手がけている。

〈ヒトミワイナリー〉のワインは、
ブドウの食物繊維や酵母を取り除くために濾過する一般的なワインと異なり、
それらを“旨みのもと”としてあえて残す「無濾過」が特徴。
自然志向のワインづくりにファンも多い。

ロッジのような三角形の屋根がかわいらしいヒトミワイナリーの本社屋。

創業は1984年。もともとはアパレルメーカーだったが、
ワインを愛する創業者の図師禮三(ずしれいぞう)氏が、
自分でもワインをつくりたいとの思いを抱き、60歳を機に事業を方向転換。
すべてゼロからのスタートで自家農園のブドウ畑やワイナリーを立ち上げた。

撮影は2月。ちょうどブドウの枝の剪定の時期だった。例年になく積雪量が多かった東近江市。寒空の下、山田さんたち醸造家は毎日畑に繰り出す。

自社農園では現在、マスカットベリーA、カベルネ・ソーヴィニヨン、
シャルドネなど約10種類のブドウを生産。
カベルネサントリー(ブラッククイーン×カベルネ・ソーヴィニヨン)という
珍しい品種もあり、これは全国でも現在、〈ヒトミワイナリー〉でしか
生産していないものだとか。
農園の面積は約1.5ヘクタール。年間6〜7トンのブドウを収穫する。

建物内の販売コーナーには、各種にごりワインがずらり。このほか、パン売り場とイートインスペース、イギリスの陶芸家バーナード・リーチのコレクションを展示する〈日登美美術館〉も併設。

「うちのワインは、濾過をするのが当たり前になっている世界のワインのなかでいうと、
少し外れているかもしれません。
でも『発酵』という大きな視点でみれば、
にごったワインもそうでないワインも、同じ自然から生まれたお酒。
発酵文化のひとつに、こういうワインがあってもいいですし、
さらにそれがこの土地の食を彩るものになってくれたらとてもうれしいですね」
と山田さん。

今回の座談会にご提供いただいたワイン。右から〈ShindoFuni AOKI 2015 赤〉、〈h3 IKKAKU 2016 赤・微発泡〉、〈Barrique Merlot 2013 赤〉

【エントリーNo.3】琵琶湖ワイナリー 北尾真英さん

最後は、琵琶湖の南東、湖南アルプスの麓にある〈琵琶湖ワイナリー〉の北尾真英さん。
観光農園の畑作業のスタッフとして11年前に入社した。
現在はワイナリーの工場長として、自家栽培のブドウに愛情を注いでいる。

平成23年に完成した新工場。まるで美術館のようなこちらのモダンな建物が今回の座談会の会場となる。

琵琶湖ワイナリーは、草津市に本社を持つ
総合酒類メーカー〈太田酒造〉の一部門として、
昭和21年にブドウ栽培をスタート。
少しずつ規模を拡大しながら、昭和50年には農園の中腹にシャトーを構えて、
ブドウ栽培から醸造・瓶詰めまでの工程をすべて自社で行えるようにした。

琵琶湖ワイナリーのブドウ園。

約7.5ヘクタールの広大な敷地では、マスカットベリーAや
ヤマ・ソーヴィニヨンをはじめ、
「日本のワインの父」とも呼ばれる川上善兵衛氏が創業した
〈岩の原葡萄園〉(新潟・上越市)と、琵琶湖ワイナリーでしか生産していない
希少品種レッドミルレンニュームなどを有機栽培。

自社農園のブドウでつくるワインは、
土地の名前を取って〈浅柄野〉の名前で販売している。
年間25~300トンを生産する。

工場内にある熟成室。温度は年間を通じて14度。湿度は60%程度に保っている。

「ワインはブドウのできですべてが決まるといってもいいほど、
原料としてのブドウが大事です。
自分たちの畑でどれだけいいブドウをつくり、それをおいしいワインにしていくか。
世の中のニーズも見極めながら、
さまざまな可能性にチャレンジしてきたいですね」と北尾さんは話す。

今回の座談会にご提供いただいたワイン。右から〈浅柄野レッドミルレンニューム 白〉〈浅柄野ヤマ・ソーヴィニヨン 赤〉〈浅柄野セミヨン樽熟成 白〉

BEAMSに沖縄のクラフト大集合! 〈OKINAWAN MARKET〉 開催中

毎年恒例となった、ビームスのレーベル〈fennica〉が開催する、
沖縄にまつわる商品を集めたイベント『OKINAWAN MARKET(オキナワンマーケット)』
が今年も始まりました!
本日より、原宿・神宮前の〈インターナショナルギャラリー ビームス〉にて、
2017年3月12日(日)まで開催されます。

〈fennica〉とは、“デザインとクラフトの橋渡し”をテーマに、世界の良品を紹介するレーベル。
このマーケットでは、伝統的な沖縄陶器である“やちむん”をはじめ、
ファッション、雑貨、籠、食品を展開。〈fennica〉ならではの別注商品もご紹介します。

山田真萬

イベントの中心は、なんといっても、普段の食卓を賑やかにする、日常のやちむん。
主に沖縄の伝統的な絵付け・かたちを踏襲した作り手のものが多く、
普段の暮らしの中で愛着の湧くような一品がきっと見つかるはず。

松田共司

菅原謙

谷口室生

陶器では、読谷村・北窯の松田米司・共司工房のうつわや、
ダイナミックな絵付け・鮮やかな絵付けが特徴の山田真萬、
大宜味村の共同登り窯を使い作陶する菅原謙・陶藝玉城、
若手の実力派 室生窯の谷口室生・陶器工房風香原の仲里香織のものなど
幅広いバリエーション。
厨子甕(沖縄の陶器製骨壷)の名手としても知られる、上江洲茂生も入荷するということで、
やちむんファンにはたまらないラインナップ。

地元で自分の好きなことを仕事に。
似顔絵からデザインまで手がける
〈ポトレト〉山本知香さん

やりたいことを実現するため東京へ

やりたいことがあっても、生まれ育ったまちにそれをやれる場所がなかったら……。
そんなとき、あなたはどうするだろう?

山本知香さんは、まさにそんな境遇にいたひとりだ。
神奈川県真鶴町で生まれ、幼い頃から絵を描くことが大好きだった山本さんは、
高校卒業後にデザイン専門学校に進学した。
卒業後は、住まいも東京に移し、8年にわたりグラフィックデザイナーとして活躍。2011年から真鶴で暮らしている。

現在は、〈ポトレト〉の屋号で似顔絵作家・イラストレーター・
デザイナーとして活動し、真鶴で行われるイベントへの出店にも積極的だ。
2014年にスタートした芸術祭〈真鶴まちなーれ〉や、
毎月最終日曜日に開催される〈真鶴なぶら市〉にもこれまで何度も参加してきた。

山本さんが彫ったさまざまな絵柄の消しゴムはんこを真っ白な生地にペタペタと押していく「ハンカチづくりワークショップ」。今年も3月に開催されるまちなーれで開催予定。(写真提供:山本知香さん)

消しゴムはんこを使って缶バッジづくりのワークショップをすることも。(写真提供:山本知香さん)

真鶴らしい柄も!(写真提供:山本知香さん)

山本さんがこうした参加型のものづくりワークショップを始めたのは、
真鶴の子どもたちや友人の親子に、都心に行かなくても充分楽しめるよ、
ということをわかってほしいからだという。

山本さん自身は、自分がやりたい仕事をするためには東京に出ないと、と思っていた。
でもいまは、アイデアさえあれば、本人の努力次第で
どこででも、何でもできる、そう思っている。

ひょうたんにアクリル絵の具で顔を描いたひょうたんダルマ。「友だちがひょうたんをいっぱいつくってるんだけど、知香ちゃん絵を描かない?」と、知人から大量のひょうたんを譲ってもらったのがはじまり。こちらもまちなーれでワークショップを開催予定。(写真提供:山本知香さん)

「実は思春期の頃は、あまり真鶴のことが好きじゃなかったんです(笑)。
つながりの強いコミュニティでの暮らしを少し窮屈に感じたりして。
あと単純に東京へのあこがれもありました」と話す山本さん。

もともと絵が好きだったが、絵で生活するのは難しい。
進路を考えていたとき、たまたま高校の美術の先生に渡された
雑誌『広告批評』に感銘を受けて、グラフィックデザイナーを志し、東京で働くことに。

「広告も人と人をつなぐもの。そんなツールを
かっこよくつくる仕事があるということに、とてもドキドキしました」

まちを知ることは、まちを好きになることのはじまり

東京のデザイン事務所では、企業の販促物、パッケージデザイン、
雑誌広告などに携わった。
東京でデザイナーとして働くという夢を叶えたものの、
自分の手がけたものが量産され、次々と消費されていく様子に
違和感を感じるようになったという。

「デザインすることは楽しいし、好きだけれど、まわりの先輩たちみたいに
『三度の飯よりこの仕事が好き!』というほどではないな、と思ったんです。
私はやっぱり、生活が一番大事。
そしてもっと顔の見える仕事がしたい、そう思いました」

そう気づいてから半年後には仕事を辞め、真鶴に帰ることに決めた。
かつては窮屈だと感じたまちに戻ってきたのは、
「帰ってきなさい」という母親からのひと言があったから。

「そのときもどちらかといえばまだ真鶴に帰りたくなかったんです。
私は真鶴にないものを求めて東京に出て行ったわけですから。
でも、母が『なんで東京に縛られているの? どこでだってできるじゃない』
って言うんですよね。それから、たまに真鶴に帰ってきていたのですが、
あるとき東京に戻るホームで『あぁ~東京に帰りたくないなぁ』と思ったのが、
『もう真鶴に帰ろう!』と思ったきっかけです」

真鶴に戻ってからの2年間は、「とりあえず、いまできることを」と
派遣でネットショップページの制作や個人で受注した仕事をして
暮らしていたという山本さん。
その後、すぐにはデザインの仕事を本格的に再開する気にはなれず、
思い切って都内の似顔絵スクールに通うことに決めた。

「デザイン事務所に勤めていたときに、送別会とかで
色紙の真ん中に似顔絵を描いていたんですよ。
受け取った人がそれを見てすごく喜んでくれたのがうれしかったことを思い出して、
似顔絵を描けるようになりたいなって思ったんです。
ひょっとしたら仕事につながるかもしれない、という気持ちもありました」

スクールで知り合った人に誘われ、イベントに出展したり、似顔絵のみならず、
イラストやデザインの仕事が少しずつ増えていくなど、
この時期の活動が、いまのような仕事のベースになっているという。

真鶴の高台のアトリエから。
〈スクランプシャス〉の
細やかな洋服づくり

アンティークショップからオリジナルの服づくりへ

肘から袖口にかけてたっぷりとギャザーの寄ったインディゴ染めのワンピース。
凛とした美しさが溢れ、どんな気分やシチュエーションにも
寄り添ってくれそうな一着だ。

中山靖さん、則美さん夫妻が手がける〈スクランプシャス〉の洋服は、
神奈川県の南西部、真鶴の高台にあるアトリエから生まれる。
玄関を上がってすぐ左の階段を上ると、正面には海を望む大きな窓があり、
中央の長テーブルを囲むように服や小物がディスプレイされている。
左奥のスペースは作業場として使われていて、
ヨーロッパから仕入れたという生地やリボンが並ぶ。

役割はどのように分担しているのか尋ねると
「僕は言葉がいらない作業を」とはにかむ靖さん。
それぞれが得意な作業を担当し、ときに率直に意見を言い合うのが基本だ。

「僕がパターン引きや縫い物といった実作業を担当して、
事務的なことと人とのセッションは嫁に任せています。
そうは言っても完全に分業しているわけではなくて、
新しく服をつくるときには、まずはふたりでデザインし僕が形にする。
それに対して『女の人はこうなっていたほうがいい』という意見が入り、
つくり直して……という作業を繰り返します」(靖さん)

オリジナルの商品をつくるうえで大切にしているのは、
アンティークの洋服に見られるような繊細なものづくりへの尊敬と独自性。
1999年にスクランプシャスとして活動を始めた当時は、
海外で買いつけた古着やジュエリーを扱うアンティークショップを
運営していたというふたりらしい理由だ。

「昔のものづくりは、いまでは考えられないような細やかなものが多いですし、
同じものがいくつもあるわけではありません。すばらしいものなのに、
『この服は、たった1着しか存在しないんだ』と残念に思えて……。
オリジナルをつくり始めたきっかけは、古いものを復刻させる気持ちで
つくった洋服をせめて何人かの方にお届けできたら、
それはすてきなことだなと思ったからなんです」(則美さん)

定番として並ぶのはトップス、スカート、ワンピースなど10種類ほど。
在庫は持たず、顧客からオーダーが入ると
靖さんや縫い子さんたちの手作業で仕上げていく。
オーダーから商品が届くまで、時期によっては数か月かかってしまうが、
自分たちで決めたルールを守るには工場には頼れないのだとか。

「例えば、袖のギャザーは、広幅の布を細かく手で寄せていくのですが、
大量生産で洋服をつくっている工場だと『割りに合わないからできない』
と言われるんです。ギャザー以外も、ボタンホールも糸を編んでつくっていますし、
通常ミシンだと縫い目のスパンが3ミリ程度離れるのですが、
うちは約1~1.5ミリなんです。こうすることで時間はかかりますが、
長く着るうちに糸が切れても一気にほどけるようなことはありません」(靖さん)

ボリュームスリーブトップは2012年に生まれたこのブランドを代表する1着。袖のギャザーが特徴で、その作業の細かさに「割りに合わない」と工場に受け入れてもらえなかった。

「さすがに僕ひとりでは手が足りないので、
一昨年自分たちのウェブサイトを通じて縫い子さんの募集をかけてみたんです。
やっていくうちに直接伝えたいことも出てくるだろうと思って、
近県の方にお願いができればと書いていたのですが、
湯河原、伊豆、東京のほかに長野や広島在住の縫い子さんもいらっしゃいます。
僕が布をカットした状態で送る方もいますし、
裁断から全部やってくれる方もいます」(靖さん)

「工場にお願いできないとわかったときに、何としてでも
縫い上げる気持ちがある人じゃないとできないんだと思いました。
いま、お願いをしている縫い子さんの中には
『縫えないけれどやってみたいです』という心意気の方もいて。
そういう方はレクチャーをしたあと、自主的に何度も何度も練習を繰り返して
縫製のクオリティをあげてから、本番を縫ってくださっています。
5年10年かかってもみんなが技術の高い縫製ができるようになれば、いまは大変でも、
きっと唯一無二のお針子チームになれると思っているんです」(則美さん)