お父さんとマチスタ

閉店まであと3日——————

わたしの名前はチコリ。としは2歳半、今年の春から保育園に通ってる。
保育園が好きかどうかはちょっと微妙。
先生はすごく好きだし、水遊びとか盆踊りの練習は楽しいんだけど、
わたし、言葉があまりうまくないから。
クラスのほかの子は結構おしゃべりができて、先生ともよくお話ししてる。
でも、わたしはできない。家にいるみたいに話せない。
話しかけられても、いつも黙ってるだけ。
だから、保育園が好きかどうかは微妙で、
ときどきむしょうに行きたくなくなる。今朝がそれだった。
起きてから、わけもなく何回も泣いた。
こんなにアピールしているのに、お母さんは、わたしの頭が臭いと言って、
泣いているわたしを無理にお風呂に入れた。
お風呂のドアの外で、お父さんの「行ってくるね」という声が聞こえたから、
もっと大声で泣いた。
それでもお父さんは行っちゃうし、お母さんといったらさらに容赦ない。
わたしのカラダを洗い終わったと思ったら、
泣きわめいているわたしの頭にシャワー攻撃だ。頭を洗うのいやだ! 
保育園いやだ、もうなにもかもいやだ! 
そのとき、玄関のあたりでがちゃがちゃ音がして、お風呂のドアが開いた。
さっき出かけたはずのお父さんが立っていた。どうしたの、とお母さん。
「チコリの泣き声が100メートル先まで聞こえた」
「………?」
「チコリを連れて行こうか」
「……大丈夫?」
「うん、あと残り1週間だし」
「そうだね」
「チコリ、行くか?」
のどの奥の方がけいれんして苦しい。言葉にならない。
「チコリ、とうと(お父さん)と一緒にマチスタ行くか?」
マチスタ行く! そう答えようとしたけど、また言葉にならなかった。

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五十も近くにもなって初めて子どもをもったからだと思う。
どういうわけでこの子が我が子として目の前に存在しているのかを
わりと頻繁に考えていた。
そして考えるたび、なんの答えも出ないままに、
疑問はいつもチコリへの感謝の気持ちにすり替わる。
どういうわけで我が子どもとして目の前に存在しているのかわからないんだけど、
とにかくオレのところに生まれてきてくれてありがとうな、という具合だ。
チコリが1歳3か月のときのことだ。
井原市にあるカフェに行った帰り道、
ぼくは車の後部座席で例の「この子がどういうわけで————」を考えていた。
チコリはぼくの隣でカラダをあずけるようにしてすやすや眠っていた。
そして例のごとく、チコリへの感謝の気持ちにたどり着いたわけだが、
そのときは思わずそのまま口にした。
眠っている1歳のチコリに向かって、
「オレのところに生まれてきてくれてありがとう」と言ったのだ。
それからの数秒の出来事は、現実にそれが起こったのか、
あるいは夢を見ていたのかはっきりとしない。
ぼくの言葉が終わるとほぼ同時だった。
眠っていたはずのチコリがぱっと目を覚ました。
そして、座席の上にすっくと立ち上がったかと思うと、
無言のままぼくのカラダに両腕を回して唇にキスをした。
チコリは唇を離すと、またぼくの隣に腰を下ろし、
さっきまでと同じ姿勢で眠りはじめた。
あれ以来だ、チコリがどういうわけで我が子として存在しているかの理由を
考えるのをやめたのは。

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マチスタには何回も行ったことがあるけど、
お父さんとふたり電車に乗って行くのは初めて。
お父さんは電車が好きなわたしのために、
普段は乗らない路面電車にも乗せてくれた。
マチスタは久しぶりだった。
お父さんは掃除が終わってしばらくして、アイスココアをつくってくれた。
お父さん、こぼすなよとか、ちゃんと両手でとか、いちいちうるさい。
あんまりうるさいものだから緊張してココアをこぼした。
でも大丈夫、デイパックに着替えが入ってるから。
新しいワンピースに着替えたら、お父さんといつものマチスタごっこ。
レジの前に座るのはわたし。家にあるおもちゃのレジより断然こっちの方がいい。
キーをたたいても音は出ないし、お金も出てこないけど、
やっぱり本物は気分があがる。
お父さんは、なんだかなあといつものようにつぶやきながらも、
いつものようにお客さん役をやってくれた。
「じゃあ、マチスタブレンドをひとつと、バナナジュースをください。
あ、バナナジュースはテイクアウトでお願いします」
「はーい!」
「それから、深煎りの豆を100グラム、豆のままでいいです」
「はーい!」
今日はお昼までマチスタにいたけど、お客さんがほとんど来なかった。
正確にいうとふたりだけ。
でも、お父さんは迎えに来たお母さんに「かえってよかった」と言っていた。
どういう意味か、わたしにはわからない。
お父さん、今度はいつマチスタに連れていってくれるかな。

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マチスタ閉店の日まであと3日。
この日曜日に裏のおばあちゃんの家に行って閉店を伝えたら、
「さびしくなるじゃないの」と言われた。

岡電の路面電車に乗ってマチスタまで。電車は見るのも好きだけど、乗るのはもっと好き。

本物のレジはやっぱりいい。この場所に座ったらいつも30分は動かない。しまいにはお父さんが「お願いします!」と言って懇願する。

お父さんがエプロンをしてくれた。「コーヒー屋のエプロンはやっぱり黒だ!」と言うお父さんはいつも白のエプロンをしてる。

日曜日のマチスタ

閉店まであと13日——————

あれは3月のいつだったか、とにかく日曜日であることは間違いない。
陽も暮れかけた店の前の歩道に、ひとりのおばあちゃんの姿を見つけた。
左手に杖を、右手には岡山市指定の黄色のゴミ袋をもっている。
町内のゴミ捨て場がマチスタのすぐ目の前にあって、
おばあちゃんはそこにゴミを出そうとしていた。
ぼくは厨房でコーヒーを淹れていたんだけど、その姿が目について仕方ない。
というのもそのおばあちゃん、恐ろしく歩くのが遅いのだ。
そのペースといったらまさにカタツムリのごとし。
ちらちら目にしているぼくはというと、わりとせっかちときたものだから、
思わずお客さんに「すぐ戻ります」と言って店を出た。
「その袋、もちます」
いったいに老人に親切というわけじゃない。
今回は親切でもなくって、せっかちゆえの行為である。
おばあちゃんは最初驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔に変わって、
「悪いわね」。2秒とかからなかった。
ゴミを置いて、素っ気なく店に戻ろうとするぼくに、
今度はおばあちゃんが声をかけてきた。
「悪いんだけど」
そう言って、マチスタのあるビルの脇の小径に杖の先を向けた。
「もうひとつあるの」
おばあちゃんとの出会いはあらましそんな感じだった。
以降、ぼくが日曜日の店番のときにはゴミ出しを手伝うようになった。
おばあちゃんの家はマチスタのビルのすぐ裏手にある。
夕方には家の裏口にゴミが出してあって、
それを勝手にゴミ置き場に持って行くだけ。
おばあちゃんがやったら30分はかかろうかという作業も、
ぼくなら1分もかからない。手間でもなんでもなかった。

最初の出会いからひと月ほど経った頃だと思う。
唐突におばあちゃんが店にやって来た。
おばあちゃんの姿が見えた途端、ぼくは入り口のところまで飛んで行ってドアを開けた。
「どうしたの、おばあちゃん? 
ゴミならもうちょっとしたら取りに行こうと思ってたんだけど」
「ううん、コーヒーをいただきに来たの」
下から見上げた顔がなんだか愛らしかった。
よく見ると、にわかにおめかしをしているようでもある。
「いただけるかしら?」
「はい、そりゃもちろん」
以来、おばあちゃんはマチスタの日曜日の常連となった。
当初、ゴミ出しのお礼として店に来てくれているのかと思ったけど、
どうやらそうでもないようだった。
むしろ、日曜日のマチスタでのコーヒーを楽しみにしてくれているふしがある。
注文するのはきまって、砂糖とミルクを入れたホットのブレンドと焼き菓子をひとつ。
テーブル席でゆっくりゆっくり、上品に、美味しそうにコーヒーを飲む。
お店がたてこんでいるときは、おばあちゃんの家までデリバリーすることもある。
お客さんにはその間留守番してもらうことになるのだけど。

マチスタを閉めると決めたとき、一番に思い浮かんだのがこのおばあちゃんの顔だった。
閉めようかと考え始めたときからそうだった。
そしておばあちゃんの顔が浮かぶたび、
ぼくは胸が痛くなるほどの申し訳なさでいっぱいになる。

言い訳めいたことはごちゃごちゃ書きたくない。
けれども、けじめのひとつとして報告はしておかなきゃいけないと思う。
閉店はひとえに経済的な理由からだ。
母体のアジアンビーハイブの売り上げが芳しくなく、
マチスタの赤字をこれ以上補填できなくなった。
この1年ちょっとで銀行から300万円を借りた。借金もこれ以上はできない。
この夏が限界だと判断した。
正直、GWが明けたあたりまで閉めようなんて考えたこともなかった。
今年に入って、ぼくの給料がまともに出たのは2月に一度だけ。
それだけやりくりはずっとギリギリの状態だったけど、
それでも閉店はつゆほども考えなかった。
でも、選択肢のひとつとしていったん考え始めると、
閉店以外の選択肢はないように思えてきた。
無理を押し通す力があるうちは店を続けられたのだが、
もうぼくにその力はない。そう認めざるをえなかった。
悔しいけど敗北だ。完全な敗北だ。

マチスタを利用してくれている人たちの顔が次々と浮かぶ。
浮かぶ彼らの顔はみんな笑顔だ。
この店を気に入ってくれて、足を運んでくれた人たち。
彼らすべての人たちに対して、本当に申し訳ない。ごめんなさい。

マチスタ閉店の日まで、あと2週間。
店内の告知でほとんどのお客さんには閉店をお知らせできた。
だが、あのおばあちゃんにはまだ伝えられていない。

ここ2か月ほど、常連のAさんから借りた「現場監督」というフィルムのコンパクトカメラで写真を撮っている。この写真、フィルムに焼き付いた日付を見て気づいた。ちょうど閉店を決めた時期に撮った写真だった。

植木屋時代の先輩ジローちゃんに電話で閉店を知らせると、「そうか。じゃあ最後はオレが歌うか」。むげに断ることもできず、かくして7月21日、最終営業日の夜にジローちゃんの二度目のレゲエライブが実現。

 

きょうのイエノミ 旅するイエノミ 焼酎ハイボールと、 鎌倉の梅花はんぺん・小判揚

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、手軽で簡単、
しかもちょっとした旅気分が味わえる日本各地のおいしいものと
三浦半島の旬の食材を使った、和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

あ~毎年のこととはいえ、この時期の暑さと湿気はヒドイ。
食欲も失せる、もうげんなりとかいって、早くも体調崩していませんか?
そんなときこそ、簡単でおいしいおつまみの出番です。
きょうは、料理研究家の飛田和緒さんが
「もう料理、作りたくないよ~」と思ったときに頼るローカルな逸品が登場。
また疲れていても食欲が倍増する旬のおつまみや
大量に仕込んでおかないと、すぐなくなっちゃうと噂の常備菜もご紹介。
そして、きょうのお題「焼酎ハイボール」はドライタイプの本格派。
しゅわっと爽快な和酒とのなごめるイエノミで、明日の英気を養いましょう。

キッチンから海しか見えない家に引っ越してきて
飛田さんはなぜか雨が好きになったとか。
海に垂れこめた雲としとしと雨、黒い雲が湧いて駆け抜けていくような通り雨。
雨にもいろんな表情があるんだなと、いつも飽きずに眺めているそうです。
買い出しがちょっと億劫だなと思ったら、ま、いいか、今日はイエにいる日にしよう。
そう切り替えられるのも、やはり冷蔵庫に心強い味方がいるからでしょう。
いざとなったら、ご飯を炊いて大き目のお皿に盛り
目玉焼きやら常備菜あれこれを盛り込んで、海苔をパパッと散らして出来上がり。
ワンプレート晩ごはんもたまにはいいよね、なんて力技も得意な飛田さんですが
きょう冷蔵庫で待機しているローカルな逸品は、通称「お助けマン」。
とりあえず、これさえあればなんとか間が持つ、という優れものなのです。

●ローカルな逸品「鎌倉市・井上蒲鉾店の梅花はんぺんと小判揚」
戦前の別荘族からも愛された繊細な味わいの鎌倉名物。

鎌倉は、飛田さんの家から車で30分ほど。
「なんだかんだで、ちょくちょく行っているけど」
そのついでに必ず買ってしまうというのが、この2品。
創業昭和6年の老舗蒲鉾店が誇る人気看板商品です。
可憐な姿の梅花はんぺんは、そのままワサビ醤油で。
小判揚はグリルパンで焼き目を付け、針生姜をたっぷり添えて。
思いっきり簡単だけれど、これでじゅうぶんおいしいし
家族みんなの大好物なので、疲れているときには本当にありがたい。
「忙しいときはいつもお世話になります」と飛田さんも「お助けマン」に最敬礼です。

ところで、この小さな鎌倉名物、なぜ梅や小判の形なのでしょうか。
井上蒲鉾店の牧田さんにうかがってみると
梅は歌人としても知られる源実朝が好んで詠んだ花であることから。
小判は銭洗弁財天の縁起にちなんだ形だそうです。
どちらもデザインは初代が考え、80年以上ほぼ変わっていないとか。
また作り方も昔ながらの製法を守り続けています。
たとえば梅花はんぺんは、原料のグチ(イシモチ)も簡便な冷凍すり身を使わず
頭とハラワタを除いた生の状態から上質の部分だけを手作業ですり身にして
つなぎは一切使わずに蒸し上げます。
もちろん保存料や化学調味料も使用していません。
「専門用語でアシがあるといいますが、やはり昔ながらの作り方だと弾力が違いますね」
いわば魚の大吟醸ですよと、牧田さんは言っていましたが
たしかに考えてみると、ものすごく手間がかかっている魚の加工品です。
さすが、魚好きの日本人が考え出したお惣菜。
お正月のお重に蒲鉾が欠かせない理由も、そう思えばよくわかります。
そのまま食べておいしいって、実はものすごく贅沢なことかもしれないですね。

『井上蒲鉾店』(神奈川県/鎌倉市)の梅花はんぺんと小判揚

●お取り寄せデータ

住所:鎌倉市由比ガ浜1-12-7

電話:0467-22-1133

営業時間:8:30~19:00 水休

Webサイト:http://www.inouekamaboko.co.jp/

※梅花はんぺん135円、小判揚100円

●便利な常備菜「干しトマトのオイル漬け」
三浦半島の太陽をあびて育ったプチトマトをさらにおいしく。

7月に入るとビーチには海の家も完成し、海沿いの街は完全に夏モード。
飛田さんも、行きつけの直売所で買った大量のプチトマトを天日で干します。
「これ本当に驚くほど多めに作っておかないと、常備菜にならないの」
というのはこの干しトマトも、家族みんなが大好きだから。
目を離したすきに、おやつがわりにパクパク食べてしまうのです。
でも、その気持ちはよくわかる。
食べてみてびっくり、本当に甘くておいしいのだから。
トマトでも野菜でも、たくさん買いすぎたらまずは天日干し。
かさが減り、うまみも増しているからあっという間に食べ切れる。
それが飛田さんの生活の知恵でもあるようです。
いい天気だったきょうも、みんながつまみ食いする前に
干してあったプチトマトをテラスから取りこんでオイル漬けに。
バゲットを温め、オイルと一緒にトマトを載せ、お好みで塩をほんの少々。
これで眼にも鮮やかなおつまみの出来上がり。
天気がうっとうしいときでも、きっと心が晴れ晴れしますよ。

干しトマトのオイル漬け(常備菜)

●つくりかた

プチトマトはへたを取り半割りにして種をとる。

1を天気の良い日に天日干しにする。

2を瓶に入れオリーブオイルをひたひたくらいに注ぐ。

※干す時間は半日から1日ほど。
自家製干しトマトはオイル漬けにすると長持ちし料理に色々使えて便利。

●飛田さんのお気に入り直売所

安田養鶏農場(神奈川県/横須賀市) 詳細

●簡単おつまみ「やたら」
母も祖母もつくっていた夏の北信濃での想い出の味。

やたらと夏野菜を使うから「やたら」。
これ、飛田さんのご両親が住む、北信濃の郷土料理だそうです。
とにかく野菜をできるだけ細かくひたすら切る。
味の決め手は、そのままだとちょっとしょっぱいかな~という感じのお漬物。
この塩気が野菜に移って、なんともいい塩梅になるのです。
飛田さんが「そろそろやたらを作ろうかな」とお母さんに電話をすると
ちゃんと大根の味噌漬けが届くんだとか。
これは漬かり過ぎた糠漬けでもいいし、味が濃い漬物なら代用可。
夏野菜も家にあるものならなんでも大丈夫。
ただ、オクラやエノキなどねばりがある野菜はぜひ。
ねばねばがいい感じの隠し味になって、おいしさがグンとアップするのです。
いい感じにできあがった「やたら」は、おつまみとしてはもちろん
ご飯にかけるとまさに止まらなくなるおいしさ。
きっと余りがちな野菜を活用し、夏バテ防止の秘策として考えられたんでしょうね。
北信濃の農家の知恵を、今年は拝借してみては。

やたら(簡単つまみ)

●つくりかた

オクラとエノキはさっとゆでて5mm角に切る。

ナスとキュウリは5mm角に切り塩少々をふる。

ミョウガと青唐辛子をみじん切りにし、大根の味噌漬けは5mm角に切る。

2の水気をしっかり絞り、1と3を加えてさっくり混ぜる。

※古漬けやたくあん、奈良漬を使ってもいい。
漬物の塩気に合わせて、塩の量は加減する。
そうめんの薬味にしたり豆腐に載せてもおいしい。

●きょうの和酒 タカラ「焼酎ハイボール」

いまでは一般的に親しまれている「チューハイ」だけど
その語源は「焼酎ハイボール」を略した「酎ハイ」から。
戦後まもなく、昭和20年代の東京・下町で自然発生的に生まれました。
当時まだ飲みにくかった焼酎を、なんとかおいしく飲んでほしいと
大衆居酒屋のご主人たちがそれぞれ工夫したのがその始まりだとか。
以来、時代は移り変わっても、「焼酎ハイボール」はいつも庶民の味方。
身近で親しみやすいお酒として人気があります。
そんな下町の味、「焼酎ハイボール」を商品化したのがこちら。
強炭酸でキレ味爽快な味わいながら
糖質80%オフで、プリン体や甘味料もゼロ。
どんなジャンルの食事にもぴったりでキリッとドライな飲み口がいつも楽しめます。
蒸し暑い日本の夏を爽やかに過ごすためにも、ぜひお試しくださいね。

タカラ「焼酎ハイボール」350ml

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://shochu-hiball.jp/

藤原慎一郎さん

沼津愛で、デザインを豊かに。

16年前、静岡県沼津市に店舗・住宅のデザイン事務所を立ち上げた藤原慎一郎さん。
当時24歳。大手企業や有名な建築事務所でキャリアを積んだわけではなく、
“いきなり”立ち上げた。
もちろんすぐにうまくいくわけがないと、
デザイン事務所に「ケンブリッジの森」というカフェを併設した。
このカフェに来たお客さんに、
「仕事ください」と名刺を渡すという営業スタイルだった。

このカフェは、言ってみれば藤原ワークス第1号。
この空間が好きで集まるお客さんたちは、内装やインテリアなど、
すでに藤原さんのデザイン感覚と通じるお客さんということになる。
だからこの営業スタイルは、
自分のセンスを認めてくれるひとたちが最初から集まってくるという意味で、
効率的だし、コミュニケーションがすぐに取れて面白い。
当時の沼津にカフェはほとんどなく、それだけにケンブリッジの森には、
デザインを志向するひとが集まるようになった。

打ち合わせスペースには、藤原さんが集めたアンティークの家具やインテリアがたくさん置いてある。

藤原さんが手がけた店舗・住宅プロジェクトは、
いまでは静岡県内で100物件に届こうとしている。
しかもその多くは現在進行形。
「デザインして店舗ができあがったら終わり」という
仕事の進め方ではないからだ。
多くの店舗は、仕事、もしくは関係性が継続している。
「店舗をつくるだけが仕事ではありません。
その店を流行らせることが大切です」と、DMやウェブ、ショップカードなど、
ありとあらゆるデザイン面で協力していく。
そのおかげか、静岡東部の店舗はほぼ黒字だという。

雑誌などから切り抜いたページをまとめた、その名も「スーパーデザインファイル」は何冊もある。店舗デザインの歴史がひも解ける。

藤原さんにとって、店舗デザイン後の日々のつながりが大切なので、
遠く離れた場所の仕事はできない。
インタビュー中も藤原さんのケイタイが鳴った。
この取材が終わり次第、ある店舗の看板を直しに行くという。
このフレキシブルさと、それが可能な距離感。
ほとんどが静岡県内の仕事であるというこだわりは、ここからくる。
ローカルの特性を最大限に生かしたスタイルだろう。

例えばこんな話。
ある店舗が仕上がったが、
さらにここに“いいイス”を入れたらすごく空間がしまりそうだ。
しかし若い経営者には予算が足りないだろうと考慮し、
藤原さんの持ち出しでそこにイスを設置したりする。
それはもちろん買い取ってもらうのがベストだが、“貸す”というケースもある。
最近、5年前に貸したテーブルが返ってきたらしい(!)。

事務所前のスペースは日が当たる気持ちのいい空間。

また、藤原さんがデザインした店舗同士は、彼が媒介となることで、
つながりを持ち、仲良くなる(いまでは野球チームも発足!)。
たとえそれが競合となるライバル店であっても、
小さな店舗の場合は、仕入れ先を共有できたり、アドバイスを得たりと、
利点も多く生まれる。

それらの店舗には、藤原さんが手がけた他店舗のフライヤーが置いてあるので、
それを手に、藤原作品を見て回ることも可能だ。
こんな“自主デザインツアー”のような回遊がたくさん行われれば、
静岡のデザイン性の底上げにもなるし、なにより店舗の売り上げが伸びていく。
つながりを大切にする藤原さんの人柄が生み出した
ビジネスモデルかもしれない。

藤原さんが手がけた店舗のフライヤーたち。

脱・干物を目指した『THIS IS NUMAZU』。

沼津を愛する藤原さんが地元で活動する集大成のひとつとして、
「THIS IS NUMAZU」というイベントを昨年の夏に開催した。
沼津自慢フェスタという公園でのイベントの一角に、
彼が好きな“NUMAZU”を結集させた。
ひとつはバーテンダーを一同に集めた「NUMAZU BAR」。
もうひとつは和食、フレンチ、イタリアンなどの料理人が
腕を振るった「CENTER TABLE」。
流行のB級グルメではなく、あくまでA級沼津。
高級感のあるテーブルやイス、インテリアなどにもこだわり、
“公園のお祭り”という雰囲気とは一線を画したスタイリッシュな空間であった。

開催しようとした背景には、沼津の取り上げられ方が、
何十年も変わっていないことが上げられるという。
「干物、寿司、沼津港……。もちろんそれらは素晴らしいものなのですが、
雑誌もテレビもそればかり。だから“脱干物”みたいなことをしたかった(笑)」

そしてイベント自体は大成功。しかし……、
「イベントありきでがんばるのは好きでありません。
がんばっているひとが集まれば、いいイベントになるはず。
新しいことを目指したわけでもなく、
あるものをあるがまま、自然にやっただけ。
ぼくが好きなお店を集めただけだから、内容は無理していません」
自然にあるおいしい素材を、その味が活きるように料理しただけ。
さすが漁師町の沼津人らしく、素材の活かし方を知っている。

これに付随して、同じく『THIS IS NUMAZU』という冊子も編集・制作した。
沼津の誇れる場所とひとを訪ねて、丁寧に紡いでいる。
画家、野菜のセレクトショップ、家具作家、プロダクトデザイナー、
ビール工房など、藤原さんのフィルターを通した、予定調和にはない沼津だ。

沼津ローカルがたくさん登場する『THIS IS NUMAZU』。

沼津は百貨店なども撤退し、
沼津人自身があまり誇りに思っていない現状があるという。
中途半端に東京に近く、飲食店でもファッションでも、
都会的なものを求めるときは、東京に行けてしまう。
だから、沼津の必然性が薄れていってしまうのかもしれない。
一方で、藤原さんの沼津愛はすさまじい。
「どこに行っても、沼津沼津沼津……って連呼しますよ!」と言葉を強める。
当たり前かもしれないが、自分が生まれ育った土地であり、
これからも住み続ける地域を居心地よくしたい。
そして正当に評価されたいのだ。

ガンコなオヤジたちを粘り強く応援するおつき合い。

藤原さんがやっていることは、すでにコミュニティデザインといってもいい。
しかし「それは結果論」という。
コミュニティ作りや地域起こしなんてことは意識してない。
「なんとか流行るお店にしたいと、一生懸命、店舗をデザインしてきました。
そうした点が結果的に線になっただけ。
最近、結果論っていいなと思うんです」

藤原さんは、すべての話において、謙遜しているように感じる。
「東京に出たいとは思わない」し、「ビッグになりたいとも思わない」。
現在でも社員は自分を含めて2名だし、自分の手の届く範囲で、
人間対人間というヒューマンスケールなスタンスに重きを置いているのだ。

二階の住居へと向かうお利口さんの愛犬エフ。

「まちの先輩たちを盛り上げたいという、個人的な感情もありますね。
オヤジの友だちの店を盛り上げようと思うんですが、やはりその世代はガンコ。
『おまえのいうことなんてきかねえ』と(笑)。
でもいわれるほど燃えてくるので、
粘り強くDMつくったり、チケットをつくったりして。
もちろん材料費くらいしかもらえませんが、
そういうことは大切にしていきたいんです。
会ったらいつもご馳走してくれますしね」

ここに透けて見えるのは、ご近所づき合いの延長みたいなもの。
どんな大きなバジェットの仕事になったとしても、
藤原さんのような、“親兄弟のために、友だちのために、地元のために”という
感情が大切なのではないだろうか。

最後に、月並みだが、夢をきいてみた。
「夢は叶ってしまったので、もうないんですよね。
今度は、みなさんの夢を叶える番かもしれません。
会社を設立する、お店を持つ、家を建てる。そのサポートが一番楽しい」
どこまでも謙虚。そしてどこまでも熱い。

オープンしたばかりの〈キチトナルキッチン静岡〉の店舗。写真提供:ケンブリッジの森

この18か月

50歳のバースデーパーティ

「赤星さんの誕生日パーティをマチスタでやってもいいですか?」
イシイコウジがマチスタにやって来て、
そんなことを聞いたのは5月の末あたりだった。
イシイくんは岡山で活躍しているカメラマンで、
『HMB(ヒゲ・眼鏡・帽子)』というフリーペーパーを発行したりして、
なかなかユニークなクリエイターでもある。
一定の距離を置いて付き合うぶんには、これ以上面白い男はいない。
でも、車間距離を間違えて近づきすぎると、たいがいろくなことにはならない。
今回のように、向こうからすっと距離を詰めてきたときはなおさらである。
「なにそれ? なんか裏がある?」
「いや、ないです、ないです。
パーティでマチスタの半月分の売り上げを稼いでもらいたいなと。
赤星さんへの50歳の誕生日プレゼントです」
マックスに嫌な予感がした。笑顔のなかで目が笑ってない、あれがヤバい。
それでもぼくはあっさり承知した。
ひとつには、そんな胡散くささや面倒くささも含めて、
イシイコウジという人間が結構好きだったりすること。
そしてもうひとつは、純粋にありがたいという気持ちから。
五十のオッサンの誕生日を祝おうなんて、誰がそんなこと言ってくれる?

岡山に戻って10年近く暮らしているからか、
いまでは東京にいた25年が夢のように感じられる。
記憶にある景色や友人たちの顔は、これ以上ないぐらいはっきりしている。
声だって匂いだってもうありありと。
それでもリアリティはどうやら別ものみたいだ。
飲み残したアイスコーヒーみたいにぼんやり薄い。
振り返ってこの50年からして、リアリティがぶっ飛んでしまうぐらいあっという間だった。
半世紀があっという間なんて、
この『マチスタ・ラプソディー』を読んでもらっている20代や30代の読者には
到底考えられないことと思う。
でもこれ、1足す1が2ぐらいの動かしようのない真実なのだ。
マチスタに携わったこの18か月なんて、一夜の夢にも満たない。

かくして誕生日から2日経った6月16日、日曜日の夕刻。
こんなに人がやってくるなんて思ってなかった。
スタートの午後7時にはすでに店内に人がおさまりきらない状態
(まあ店は相当狭いんですけど)。
ぼくの友人・知人には誰にも声をかけていなかった。
「誕生日だから来てよ」なんて、そんな厚かましいことが言える人間じゃないのだ。
イシイくんだって、フェイスブックで告知しただけだと思う。
でもこれ、SNSのネットワーク力というのでしょうか
(SNSという言葉を自分で初めて使ったんだけど、使い方間違ってないですか?)。
それと忘れちゃいけないのが、
ヒトミちゃんが作ってくれたインパクト絶大の告知ビジュアル。
『ジョジョの奇妙な冒険』のタッチをそっくり真似して、
ぼくがスタンド使いのキャラクターのように描かれている
(「スタンド使い」と普通に書いてしまいましたが、ある種の超能力みたいなものです)。

DJセットは常連の田中さんが全部持ち込んでセッティングしてくれた。
田中さんはぼくの80年代好きを知っていて、かける曲はほぼオール80’s。
UKとアメリカを織り交ぜた洋楽が8割、邦楽は2割ぐらい。
キャッチーでメジャーな曲も遠慮することなくバンバンと。もう最高だった。
どの曲がかかっても、
思わず「この曲はね」と目の前にいる人に解説したくなるような、
そんなイカしたセレクトだった。
ところがだ、その夜、ぼくの解説は一曲として果たせなかった。
最初のお客さんが来てくれた瞬間から、ぼくはいつものポジション、
作業台の向こう側に立ってお客さんのオーダーをこなしていたのである。
そりゃ、次から次にお客さんが途切れずやって来て、
やれブレンドだ、アイスコーヒーだ、バナナジュースだと好きなものを注文するのだから、
しかもヒトミちゃんがレジと洗い物を手伝ってくれているとはいえ
注文をこなしているのはぼくひとりだから、
もう慌ただしいなんてもんじゃない。
目の前で「おめでとうございます!」と言ってくれる人とさえもまともに会話もできない。
(なんだ、この100本ノック状態は?)
イシイコウジの顔が浮かぶ。目だけが笑っていないあの笑顔————。
1時間もしないうちに神経の方がやられてきた。
「もうオーダーは受けん! 誰がなにを飲むかはオレが決める。
値段は一律300円、みんな出したものを文句言わずに受け取るように!」
そんな無茶が許された。
むしろ「ウエルカム!」って感じでその場は盛り上がった。
なにしろ、その夜はぼくの誕生日を祝うパーティなのだから。

終始、店の外に人があふれかえった。
男子率が圧倒的に高かったのは言わずもがな、女子も20人ほど来てくれたと思う。
なんと、その夜のためだけに
東京からウェブデザイナーのスワキタカトシもかけつけてくれた
(『Krash japan』のHP全10号を手がけてもらいました)。
クライマックスは倉敷の洋菓子店「エルパンドール」が作ってくれた
特製の巨大フルーツケーキ。
例のヒトミちゃんのジョジョ風のイラストがホワイトチョコの上に描かれている。
ろうそくは小さいのが5本。そして、店のライトを消して『ハッピーバースデイ』の大合唱。
店の内外から聞こえる拍手のうちに、ろうそくの火を吹き消した。
50歳の誕生日、生まれて初めての誕生日パーティ。
イシイくん、ありがとう。
売り上げは半月どころか一日分にも満たなかったけど、素直に感謝してる。
それからわざわざ来てくれたみんな、本当にありがとう。
あの夜、ぼくは世界で一番ハッピーな男だった。

翌営業日の火曜日。マチスタの開店直前、店内に「お知らせ」を貼り出した。

<誠に勝手ではありますが、7月21日(日)をもって閉店させていただくこととなりました。
これまで当店にお寄せいただきましたご厚誼に心から感謝申し上げます。>

マチスタ閉店の日まで残すところ約1か月————。

「芸術人(アーティスト)」とか「命尽きるまで」のコピーはすべて『ジョジョの〜』に登場するキャラクター・岸辺露伴に用いられたもの。「ドドドドドド」という効果音が雰囲気をとらえていて非常によろし。

ろうそくの火を消し終わった直後。首に巻いたタオルの左右のずれ具合が、さっきまでのキツい労働を物語っています。身につけているTシャツはLAドジャースですが、例によってドジャースファンではありません。

イベントごとはジローちゃんのレゲエライブ以来。夜に人が集まると、すぐに人があふれかえるのがマチスタの特徴。でも、それがかえってクールじゃないですか? 見ようによってはNYとかロンドンみたいで。

目指せコーヒー・フリーク

岡山の「コーヒー・フリーク」が集まって。

<「コーヒーの街」として全国的に認知されるには何かが足りない>
昨年の秋に出た『BRUTUS』のコーヒー特集。
そのなかで岡山のコーヒー事情を書かせてもらって、
ひとつ課題をこう提起した。岡山はコーヒー関連の店が多く、
個々の店のレベルもかなり高いと思う。
でも、京都や福岡のように全国に広く知られているとは言いがたい。
これから岡山を「コーヒーの街」として認知してもらうためにはどうすればいいか。
記事の最後をこう締めくくった。
<福岡で見たエリアの連携は有効である気がする————
今後、岡山で連携が可能かどうかを探ってみようと思う>
いい加減な締めだと感じた人がいるかもしれない。
地域の連携を探るとか、「そんな面倒、絶対しないよ」と。
たしかに、同業者の連携なんて簡単なことじゃないし、
自慢じゃないが面倒は人一倍嫌いだ。
でも、こと今回に限っては有言実行の人であった。
というのも、マチスタをやると決めたときから、ぼくにはある野望があった。
「岡山のコーヒー屋はヤバい!」と外資系コーヒーチェーンSが
岡山からの撤退を考えるぐらいの、
そんなコーヒーのムーブメントが岡山で起こせないものかと本気で考えていたのである。
開店してみたら自分の店を維持するのが精一杯で、
そんな野望は頭の隅っこに追いやられていたわけだが。

雑誌の発行後まもなく声かけをして、
年内に岡山コーヒーのミーティングが実現した。
出席者は以下の5名(敬称略)。<内山下珈琲焙煎所カエル>の猿川裕介、
アロマコーヒーロースタリー>の渡辺一也、
ONSAYA(オンサヤ)>の東宏明、<CoMA coffee(コマ・コーヒー)>の長岡浩範、
それに<マチスタ・コーヒー>のぼく。
この記念すべき第1回は初顔合わせということもあって、
まあ予想通りというか、ただの飲み会に終わった。
そして今年3月にあった第2回のミーティングには、
BESSO COFFEE BEANS>の別曽拓也、
笠岡市<辻珈琲>の辻修太郎•優子夫妻、
瀬戸内市邑久町で<キノシタショウテン>を、
岡山駅西口で<THE COFFEE BAR>を展開する木下尚之の3組が加わった。
こうして俄然スケールアップした第2回であったが、
しかし今後の会の活動や展望を話し合うことは一切なく、
またしてもただの飲み会に終わったのだった。
第1回で会長に選出された渡辺クンが(ぼくが勝手におしつけました)、
とうにろれつが回らなくなった舌で閉会の挨拶をした。
「ええ……今夜も、ああ……何も決まりませんでした……すいませんでした!」

これまで2回あった集まりを「ただの飲み会」と記したが、
しかしその実際は恐るべきものだった。
ともに、顔を合わせた瞬間から話題はコーヒー。
そして顔をつきあわせていた3時間だか4時間もの間、
ただひたすらコーヒーについて語るのだ。全員が全員、
高純度の「コーヒー・フリーク」である
(ぼくはまだ「コーヒー・パーソン」の域を脱していない)。
はたしてこの会の発足によって今後岡山で何かが生まれるのかどうか、
現在は正直まだよくわからない。
でも、ほぼ全員が30歳代という若さ、
なにより彼らのコーヒーに対する熱のようなものに少なからず可能性を感じている。
ひとり年齢的に頭抜けているぼくは、
発起人として役割は果たしたと感じているんだけど、
これからも何らかのカタチで会の活動に携わっていけたらと願っている。
今後さらにコーヒーについて深く勉強したいとも思っている。
コーヒーバカでなにが悪い、目指せコーヒー・フリークだ!

身近にコーヒー・フリークがもうひとり。
ぼくのパートナーのタカコさんである。
長く書きそびれてしまった。実は彼女、岡山市京橋にあった
伝説的な自家焙煎の喫茶店「カーフェカーネス」(2008年に閉店)で6年ほど働いていた。
そのキャリアが多分に影響していると思う。
かねてから自家焙煎の喫茶店をやりたいと夢見ていた。
「ふーん、そうなの」と興味なさげに聞き流していたぼくが
唐突にコーヒーの世界に足を突っ込んでしまったものだから、
元来が亥年の猪突猛進型、もういてもたってもいられなくなった。
昨年の秋あたりからは、「焙煎やりたい、店やりたい!」という
凶暴なまでの気を発するようになり、
しかし、年が明けてもなかなか適当なサイズの中古焙煎機に巡り会えず、
鬱憤は暴発寸前、まさにそんなときだった。
前出の<キノシタショウテン>の木下クンから
1キロの焙煎機を貸してもらえるという奇跡のような幸運が訪れた。
早速、児島の事務所に焙煎機を設置。
設置直後にタカコさんは一時体調を崩したものの、5月に入って完全復活。
以来、毎日のように児島の事務所にやって来て、嬉々としてテストの焙煎を重ねている。

本人はまったく口にしないが、焙煎には相当な苦労をしたことと思う。
しかし、甲斐あって最近は焙煎が安定してきた。
はっきり言って、結構味がいい。
毎日いろんな豆を試飲させられている事務所のスタッフの評判も悪くない。
事務所の大家さんなんかはいっぺんにファンになり、
すでに何度か豆を買っている。
そして、実はここが彼女の一番スゴいところ。
無謀にも見える独自の営業で、
早々と地元早島のJAでの販売をとりつけてきたのである(目のつけどころもシブいですね)。
販売初日の7月1日(月)には試飲会を開催することも決まっている。
ぼくはこの試飲会でコーヒーを淹れることになっているんだけど、
これは出張マチスタではなく、完全に一個人としてのサポート。
というのも、彼女の活動はマチスタともアジアンビーハイブとも無関係なのだ。
屋号も「元浜倉庫焙煎所」。
個性豊かな人材が集まる岡山のコーヒー業界にあって、
またひとりクセのあるフリークが誕生した。
今後の岡山のコーヒー、ちょっと面白くなりそうだ。

オフィスの一画にコーヒー豆の焙煎コーナーが。焙煎機は富士珈機の「フジローヤル」。見た目は小さな機関車みたいでカッコいい。デザイン事務所と焙煎という取り合わせ、あると思います!

2014.08.08編集部追記 コロカル商店元浜倉庫焙煎所の珈琲「コロカルオリジナルセット」の取り扱いが始まりました。

もう恋なんてスルメー……イカ(2)

イカを解体してみようじゃなイカ。

みなさんはイカを食べるとき、
まるごと買って家でさばきますか?
魚屋さんでさばいてもらいますか?
それとも切り身を買ってきますか?

まるごと買ってきて、お子さんや彼氏彼女といっしょに
解体すると楽しいですよ。

包丁が苦手でもキッチンばさみで簡単にできます。

みなさん、理科の授業で解剖はやりましたか?

僕が子どものころはフナやカエルが教材でしたが、
残酷だ、気持ち悪い、あと始末が面倒だと解剖の授業が減っているらしいじゃないですか。

へんなの!

イカは内臓が分かりやすいし、解剖が終わったらおいしく食べられるし、
教材としてはいいと思いますけどね。

というか、授業じゃなくても、家庭で図鑑見ながら調理すれば済む話か。

スルメイカ(オス)

ヤリイカ(メス)

脊椎動物とは構造がまるで違いますから、イカは面白いですよ。

イカには心臓が3つあります。
いわゆる心臓に加え、左右のエラの付け根に
鰓(えら)心臓というものがあるのです。

以前紹介したようにナマコに心臓はありません。
それなのにイカには心臓が3つもあるなんて!

これがエラ心臓。

イカの血液は青色と聞きますが、見たことあります? 青い血。

どうしても見たいというのなら、過酸化水素水をふりかけると
ヘモシアニンが酸素と結びついて、血管が青く浮かび上がるそうです。

イカの口を見てみましょう。

肛門ではありません、口です。

口がカラストンビと呼ばれているのはご存知でしょう。
くちばし状だからそう呼ぶのかと思っていたのですが、
背側の長いのがカラス、腹側の鈎状がトンビなのだとか。

固く鋭い凶器。

イカは頭と骨だけを残して、きれいに魚を食べます。
鋭いくちばしで肉をちぎり、ヤスリのような歯舌で
細かくすり潰して飲み込むんですって。

イカの違いがわかる大人になりたい。

素朴な疑問なのですが、どうなんでしょう。
スルメイカとヤリイカの区別って、みなさん、つきます?
(よくわからない、という人は「いいね!」をプッシュ)

僕も自信がないので、一緒におさらいしてみましょう。

スルメイカ

ヤリイカ

なるほどヒレの部分の形が違いますね。
スルメイカは三角でヤリイカは菱形です。

スルメイカは脚がたくましいですな。なかでも触腕が発達しています。

あと眼。
スルメイカは眼球がむきだしですが、
ヤリイカは透明な膜に包まれています。
これは専門用語で開眼性、閉眼性といいます。

スルメイカの眼

ヤリイカの眼

軟甲も比べてみましょう。

スルメイカの軟甲

ヤリイカの軟甲

意外なことにほっそりしているヤリイカのほうが軟甲は幅広でした。

肝心の味の違いですが、ヤリイカのほうが身は柔らかい。
甘味もヤリイカのほうがありますね。
ヤリイカの旬は冬だそうです。

肝はスルメイカのほうがでかいです。

外洋のスルメイカはエサの摂取が不規則なので、
栄養を貯めていると考えられています。

イカの好みは個人、地方で違うようです。
さて、あなたのお好みは?

オッパイにつられるなんて、イカれてるぜ。 

スルメイカは、日中は海の深いところにいて、
太陽が沈むと海面近くに浮上してくる生き物です。

夏の風物詩でもある漁り火。
沖に煌煌と灯るイカ釣り漁の船。

サンマで紹介した棒受け網漁も光に集まる習性を利用した漁法でした。
近年、棒受け網漁は省エネに向けて集魚灯のLED化が進んでいます。

自動イカ釣り機

イカ漁の操業コストの3分の1は燃料代だとか。
LED化への取り組みは始まっているのですが、
サンマほどいい結果は得られていなんですって。

自動イカ釣り機でイカを釣るときの疑餌針で
シェアナンバーワンが「オッパイ針」です。
通称ではなく登録商標が「オッパイ針」。
佐世保にある福島製作所のヒット作。

なぜオッパイというネーミングかというと、
イカは触腕をスルスルと伸ばしてタッチしてエサかどうか確認します。
この疑餌針は柔らかいのでイカがエサと勘違いするらしいのです。

「オッパイ針」の商品コピーは
<オッパイのように柔らかいので、イカが抱きついて離さない!
イカ釣り漁業の定番>

しかし、イカがおっぱい好きとはね。
ナイス、おっぱい。

「オッパイ針」には日本海仕様と外国向け仕様があるそうです。
やはり大きさや硬さの好みがあるのでしょうか。
さて、あなたのお好みは?

実際、このオッパイ針の触感はどんなものなのか
試してみたくなるのが人情。取り寄せてみました。

色は赤、青、黄、ピンク、緑、黄緑ほかいろいろ揃ってます。

では、触りますよ♡
あ〜、なんかドキドキ〜♡♡
はあ〜、ぷにゅ〜っといい感触♡♡♡

う〜ん、でも、おっぱいなかなあ?
すっかり忘れてしまったからなあ……。

商品化されたのが1969年というから、
ヌーブラよりもずっと昔にこの疑餌針は開発されていたのだなあ。

やや、ヌーブラで思い出したぞ。

巨乳かつ色っぽい唇で一世を風靡した
グラビアアイドルの撮影をしたときのことです。

タンクトップ姿での撮影だったので、ヌーブラを用意したのですが、
おっぱいが大きすぎて胸が段になってしまい、なんか美しくないのです。

う〜ん、困った……。

すると彼女はスタッフの気持ちを察したのでしょう。
「いいですよ」と笑顔でヌーブラをはずし、撮影に挑んでくれました。

さあ、シューティング開始。

BGMの音量アップ、響くシャッター音、
光るストロボ、浮かび上がるなまめかしい肢体。

フォトグラファー、スタイリスト、ヘアメイク、マネジャー…、
スタッフは撮影に集中しています。

でも、僕は気になって仕方がありません。

机の上にはスタッフの飲みかけの珈琲やおやつとともに
はずしたてのヌーブラが無造作に置かれているのですから。

たぶん、おそらく、いやきっと、まだ、ほやほやと温かいであろう……。

触腕がスルスルスルと伸びた。

きょうのイエノミ 旅するイエノミ 日本酒と、辛子明太子& 千切り野菜の酢醤油漬け& そばチーズ

仕事を終えたご褒美はおいしいお酒とおつまみ。
リラックスしたいなら、きょうはイエノミにしませんか。
神奈川県・横須賀市在住の料理研究家・飛田和緒さんに教わった、手軽で簡単、
しかもちょっとした旅気分が味わえる日本各地のおいしいものと
三浦半島の旬の食材を使った、和酒に合うおつまみを季節感たっぷりにご紹介していきます。

たとえば、冷蔵庫に1本お気に入りの日本酒がいい感じで冷えていて
そういえば辛子明太子もあるし、週末に作った常備菜も。
家に帰ったら、そんなあれこれをおつまみにして呑もうかな。
そう思えれば仕事が大変でも、もう少し頑張れるかも。
そこで料理研究家の飛田さんに教えてもらいました。
おウチで旅気分が味わえそうなローカルな逸品や
まとめて作っておけば何かと便利な常備菜
サササとできちゃうちょっとしたおいしいもの。
誰かに作ってもらうならいざしらず、自分で用意するとなると
やっぱりおつまみはできるだけ簡単なものがいいですよね。

実は飛田さんのお宅は、最寄りの逗子駅からバスで20分以上。
海沿いのバス停からも、驚くほど急な坂道を登りきった高台です。
車がないと何ひとつ買えないというロケーションに加え
仕事をこなしながら子育て中という状況なので
外で呑む機会もほとんどなく、飛田さんは現在進行形のイエノミ派。
幸い農家直売所や漁港が近く、旬の野菜や新鮮な魚はすぐ手に入るけれど
まるで農家のように、夏ならキュウリ、ナスの繰り返しになってしまうので
たくさん買った食材を飽きずにおいしく食べられるようにと
冷蔵庫には、いつも常備菜が各種スタンバイしています。
また特に大好きなのが、ローカルなスーパーで食材や調味料を見て歩くこと。
いまは残念ながら地方になかなか行けないそうですが
そのかわり取り寄せておいしいと思えば、長く愛用し続けることが多いとか。
誠実に作られて、はるばる届けられた全国各地の「おいしいもの」には
生産者や作り手の思いがたくさん詰まっているのがわかるから
昔出かけた街、そしてまだ知らない土地や人に思いを馳せつつ
飛田さんは、海の見えるキッチンで料理を作って大切にいただきます。

きょうのお題「冷やした純米酒」に合うおつまみ用お取り寄せ逸品も
10年以上のお付き合いで、いつも電話で話しているのに行ったことがいまだない
そのうちいつかご主人にお会いしたいと飛田さんが思う
北九州市若松区のお店から届いたばかりの辛子明太子です。

●ローカルな逸品「北九州市・江口海産物店の辛子明太子」
「若松の台所」大正町商店街の隠れ名物は、そのままどうぞ。

「これはもう切って出すだけ。おいしい辛子明太子はそれがいちばんでしょ」
手をかけるなら、ペースト状にして薬味野菜と混ぜてもいいけれど
この明太子だとそれはあまりにももったいない、と飛田さん。
北九州市、それも若松区大正町商店街というローカルな店の自家製ですが
塩味がマイルドで粒もぷちぷち、明太子自体の質もいい。
それが、飛田さんお気に入りの理由です。
包装がきわめて簡素なところも逆に信頼できそうだとか。

いまどき珍しい電話注文のみだと聞いて、後日電話をかけてみると
「容器にお金をかけるより、その分大きな明太子を入れてあげたいからね」
とても76歳とは思えない張りのある声で、江口忠義さんが即答してくれました。
さすが、いまも海産物の目利きとして現役バリバリのご主人。
明太子がどれだけいい状態で冷凍されているかを仕入れで見極め
食べるときに最適な味になるよう、辛味調味液に塩味がどれだけ移るかを逆算する。
「料理人じゃないから昆布やら柚子やら凝ったことはできんけど」
明太子自体のシンプルなおいしさには、絶対の自信があることが伝わってきました。
この江口海産物店がある大正町商店街は「若松の台所」と呼ばれ
「東洋一の吊り橋」と謳われた若戸大橋が開通した昭和37年頃は
炭鉱景気で人がすれ違えないほど、賑わっていたそうです。
その当時は、最高級品の北海道産紅鮭が飛ぶように売れていたのに
いまはこの辛子明太子が店を支える主力商品に。
「少々塩辛くても、北海道の紅鮭は最高においしいのにな~」
とご主人は残念そうですが、その経験が生んだ塩味マイルドな辛子明太子。
やっぱりそのままいただくのがいちばんですね。

『江口海産物店』(福岡県/北九州市)の明太子

●お取り寄せデータ

住所:北九州市若松区浜町2-7-32

電話:093-771-5218

FAX:093-751-7246

営業時間:8:00~18:00 日休

※明太子の値段の目安は100g約650円。
注文は電話かFAXで。
初めての場合は電話注文がお薦め。

●便利な常備菜「千切り野菜の酢醤油漬け」
不揃いに切っちゃっても大丈夫。サラダ感覚で召し上がれ。

飛田さんが住む三浦半島は野菜の名産地。
有名な大根やキャベツ以外にも旬の野菜がすぐ手に入る環境です。
だから細切り昆布は必需品。
余った野菜をひたすら千切りにして細切り昆布で浅漬け風にすれば
冷酒にぴったりな常備菜に早変わり。
飛田さんは家で映画を見ながら、いつもハサミで昆布を切っているそうです。
きょう登場したのは、初夏から旬を迎えるパプリカが主役。
地元産のニンジンとセロリも加え、鮮やかな自然の色味が食欲をそそります
サラダ感覚でパリポリさっぱり食べられるし
酸っぱいのが苦手な人でも、まろやかな米酢を使えば大丈夫。
もちろん市販の細切り昆布を使えば、より簡単。
不揃いな千切りでも気にせず、たっぷり作って召し上がれ。

千切り野菜の酢醤油漬け(常備菜)

●つくりかた

パプリカ、ニンジン、セロリを千切りにする。

だし2:醤油1:砂糖1:酢1を合わせる。

1と細切り昆布を2に漬けこむ。

※昆布が柔らかくなったら食べごろです。
食べるとき胡麻油をかけてもおいしい。

●飛田さんのお気に入り調味料

飯尾醸造(京都府/宮津市)の「純米 富士酢」 詳細

林孝太郎造酢(京都市/上京区)の「米酢」 詳細

村山造酢(京都市/東山区)の「千鳥酢」 詳細

●簡単おつまみ「そばチーズ」
不思議な組み合わせ? でもこれがおいしくてびっくり!

そばをゆでて、パルミジャーノとオリーブオイルを和えるだけ。
ちょろりと加えた麺つゆ効果もあり、冷たい日本酒としっくり合うんです。
注意したいポイントは1つだけ。
それは必ず削りたてのパルミジャーノを使うこと。
「いわゆる粉チーズじゃなく、本場・パルマ産を奮発してくださいね」。
またこれ、なんとゆでおきのそばでも大丈夫、と飛田さん。
そもそも、仕事用にゆでたそばが余って思いついた一品なんだそうです。
ちなみに、きょうのそばは、新潟県十日町市『小嶋屋総本店』の乾麺。
越後魚沼地方の名物・へぎそばで有名な老舗店のもの。
つなぎに海藻の「フノリ」を使うため、乾麺でものど越しがなめらかでコシも十分。
ツルリとした食感が好きで、飛田さんはいつも取り寄せるそうですが
オイルで和える食べ方には、たしかにベストマッチかも。
締めの一品としても楽しめるので、ぜひお試しくださいね。

そばチーズ(簡単つまみ)

●つくりかた

そばをゆでる。

パルミジャーノの固まりを削る。

麺つゆ少々とオリーブオイルを加える。

4 2をたっぷりふりかけ、全体をよく和える。

●飛田さんのお気に入り食材

嶋屋総本店(新潟県/十日町市)の「布乃利 小嶋屋そば」 詳細

マルフーガ社グラダッシ家(イタリア/ウンブリア州)の「DOP EX.V オリーブオイル」 詳細

庄子屋醤油店(宮城県/仙台市)の「つゆ一」詳細

●きょうの和酒   松竹梅「白壁蔵」〈生酛純米〉
酒造りの初心に立ち返り、生まれた自信作です。

生酛(きもと)純米と聞けば、日本酒好きなら「おいしいつまみに合わせたい」と思うのでは?
原材料は、米と米麹だけで、仕込み水は灘の宮水。
日本酒の伝統的な仕込み方
「生酛造り」(酵母や乳酸菌など微生物の働きで醸す)にもこだわりました。
阪神淡路大震災で被災した工場を建て直す際、もう1度酒造りの原点に立ち返ろう、
「現代の技術」と「伝統の技」を融合させよう。
そんな思いで再建された宝酒造の酒蔵「白壁蔵」は、兵庫県神戸市東灘区にあります。
全国新酒鑑評会でも、最高賞である金賞を10年連続で受賞。
お米ならではの旨みをしっかり感じられる、柔らかでふくよかな味わい。
食卓で映えるエレガントなボトルデザイン。
世界各国にも輸出されている「松竹梅」の自信作がこのお酒です。
いまの季節なら、できれば10度前後に冷やして呑んでくださいね。

松竹梅「白壁蔵」〈生酛純米〉640ml

○問合せ先/宝酒造株式会社

お客様相談室

TEL 075-241-5111(平日9:00~17:00)

http://shirakabegura.jp/

きょうのイエノミ 旅するイエノミ 「和酒」に込められた意味とは。 〜白壁蔵編〜

「白壁蔵」(神戸市/東灘区)に行ってきました。

「和酒」とは日本の文化から生まれた人と人をつなぐお酒のこと。
ならば日本のローカルでおいしいおつまみと一緒にいただきましょうと
宝酒造×colocal「和酒を楽しもうプロジェクト」がスタートしました。
その「和酒」の代表選手が日本酒。
宝酒造の日本酒といえば「松竹梅」銘柄で知られていますが
なかでも純米酒や吟醸酒を中心に造っているのが「白壁蔵」です。
おもしろいことに、宝酒造の方がこの蔵についてお話されるときは
みなさん、本当に目がキラキラしているんですね。
それも単に全国新酒鑑評会で10年連続金賞受賞したことを誇るとか
いわゆる自慢っぽい感じでは全然なくて
お伝えしたいことがもう山ほどあるんです、という感じ。
ならば実際そこに行き、働いている人にお話しを聞いてみたいと
神戸市東灘区にある「白壁蔵」にお邪魔して来ました。

酒を我が子のように語る人がいました。

工場長の碓井規佳さんに概略を説明してもらってから
まずお会いしたのは「白壁蔵」にこの人ありと噂の金子義孝さん。
金子さんはこの蔵の設計や設備開発の時点からかかわり
いまは鑑評会用のお酒の責任者として、若い従業員たちの指導にあたっています。
もともと杜氏の本場・新潟県上越市の出身で高校も醸造学科。
阪神淡路大震災で被災した宝酒造灘工場の再建に携わったとき
「大手の酒はしょせん機械造り」というイメージをくつがえすために
長年温めてきた夢を実現したいと思ったそうです。
それは「手造りの良さを再現できる機械」を導入し
そのうえで「的確な指示ができる人」を育てようというもの。
機械の長所は「安定感」ですが、使うのはやはり人。
昔ながらの道具を機械に替えただけで、いい酒を造りたいという思いは一緒です。
そこで灘工場時代から長年杜氏を務める「現代の名工」三谷藤夫さんの助けを借り
金子さんは、まず「蔵づくり」から取り組むことになりました。

昔の「和釜」の原理を再現した連続式蒸し米機や
伝統的な「蓋麹」を再現できる製麹機などを新たに開発し
設備的には「ベストを尽くした」と胸を張っていえる蔵が完成。
手造りの良さを再現した最新鋭の設備はととのいましたが
金子さんにとっては、そこからの2年間が本当につらかったとか。
新しい機械を使いながら酒造りの伝統を継承発展させていく。
それが「白壁蔵」の大きな命題だったからです。
つねにベストを尽くしても、酒造りにはこれでいいという到達点がない。
的確な判断以上に「こういう酒が造りたい」と思う意志の力が不可欠です。
ましてや酒造りは微生物の力を借りて行うもの。
杜氏の勘と経験で進めていた作業を次の世代にどう伝えていくか。
そのための「共通語」として測定、分析を繰り返してデータを蓄積するとともに
手作業による昔ながらの酒造りをみんなに経験してもらうことが
「酒造りが進化し続けるためには必要」だと金子さんは考えたそうです。

「白壁蔵」では年に10度ほど伝統的な酒蔵風景が繰り広げられます。
自らの手で米を運び、洗米し、蒸した米の感触を確かめながら冷ます。
麹に触れ、香りを嗅ぎ、口に含みながら麹菌の生育状態を確かめる。
これは若手のトレーニングという意味合いだけでなく
杜氏の三谷藤夫さんが60年以上かけて培ってきた技の継承でもあるんですね。
「どうやったら麹菌に機嫌よくしてもらえるか。
やつらは24時間働いているから、見守ってやらんとぐれるし苦しめたらいかん。
米や麹菌の気持ちがわからないと、いい酒には絶対ならんのですわ」
それは子どもと同じだと、金子さんはいいます。
だから鑑評会用のお酒を造る際も特別なチームは作りません。
「麹菌と対話しながら」自分ならどんな酒を造りたいかを考える。
古き良きものは残しながらも、味わいは進化させていく。
それが「白壁蔵」の「伝統を引き継ぐ」ということなのでしょう。
いま「機械造りの酒うんぬん」という相手には、金子さんはこういいます。
「まあ、うちのこの酒、呑んでみなはれ」

この仕事に誇りを持つ若手がいました。

では、実際「白壁蔵」の若手従業員はどんな人たちなのでしょうか。
入社2年目の女性従業員・青山さんは、なんと元イタリアンのシェフ。
お隣・灘区の出身で、幼い頃から酒の王冠を拾って遊んでいたとか。
いまは火入れ担当者として朝早くから忙しく働いています。
「もともとワインよりなぜか日本酒が好きだったんです、地元ですしね」
シェフとして任されていた店がある事情のため閉店となったとき
どうせなら大好きな日本酒を造る仕事に転職したいと決めたとか。
ハローワークの人には、男の世界だから女性は無理と止められたものの
「酒造りに対する熱意が伝わってきた」(尾崎主任)と見事合格。
また入社3年半の北村さんの前職は電気工事関係。
結婚して東灘区に移り住み、その土地柄に惚れこんで転職したそうです。
「地元に根づいた仕事、それもものづくりがしたかったので」と
いまはもろみ担当として大事な工程をまかされています。
「白壁蔵」では若手といえども酒造りにしっかり携わっているのですね。
酒を造ることができて楽しい、うれしいという気持ちとともに
「酒造りは地元の誇り」としておふたりがとらえていたことが
個人的には驚きでもあり、変わってないんだなとうれしく感じた部分でもありました。

人の思いは伝統として引き継がれる。

というのも、幼いころ西宮市に住んでいた私にしても
「酒造り」や「宮水」は地元の誇りとして学び、そう思い続けてきました。
でもどんなに伝統や誇りを守りたくても、ときとしてそれが立ちいかなくなることもある。
「白壁蔵」は東灘区の阪神高速道路を海側へ超えたところ。
取材前にそう聞いて、阪神淡路大震災の映像をすぐ思い出しました。
あの波打つように倒壊した高速道路は、この「白壁蔵」のすぐ近くではなかったか。
神戸や阪神間の地場産業である清酒造りは震災で大きなダメージを受けました。
風情ある木造の清酒蔵も多くが倒壊し、風景は一変してしまいました。
事実、宝酒造灘工場も「白壁蔵」として再生するまでに6年もかかっています。
ただ蔵の形態は変わっても、おいしい酒を造りたいという人の気持ちは変わらない。
必ずしも古い道具や木造の蔵でなくても、伝統は引き継ぐことができるだろうし
ずっと昔からこの国で愛されてきた「和酒」は
きっとそういう人たちの知恵や工夫でおいしくなってきたはずです。
金子さんが思う「進化」とは、そういうことではないでしょうか。

畑、始めました

「一緒にビールを飲みたい!」と思ってもらえる関係づくりを!

農業に関わる仕事を始めて早3年。
とうとう、畑を始めました!

素晴らしい生産者さんと出会い、自ら販売したいという想いや、
昨年始めたジェラート屋で自ら加工する喜びを知りました。
そうなるとやはり自ら生産してみたい!

今年こそはと思い、雪があるうちから方々に打診をして、
下見を重ねてようやく良い場所を見つけたのです。
しかもグッドロケーション!

スキー場の斜面に位置するので、段々畑になっており、眺めが抜群!
隣は棚田がずらり。
ぼーっとしているだけでも心地良い場所ですが、
農作業して汗なんかかいたら最高です!
そして作業後のビール!!
採れたての野菜をつまみに、ビール!!!

っと、本題からずれましたが、
このフィールドとこれまでの活動を組み合わせて、試してみたいことがたくさんあります。

その中でも、3年前からずーっと考えていた
CSA(Community Supported Agriculture:生産者、または生産グループと
消費者である町内など地域のコミュニティが提携をし、消費者は一定額を生産者に前払い、
生産者は一定期間に収穫される農作物を消費者に納めるというものです)
という仕組みでの販売、
グリーンツーリズムを重ねてきた
僕らならではのアプローチができるのではないかと考えています。
ただの契約栽培ではなく、交流があり信頼関係の上で
お互いの顔を見ながら責任感を持って生産または消費するかたちを
つくることができるのではないかと。

僕らがこの3年で得た大きなものは生産者と消費者の交流で生まれる喜びの声でした。
それは、生産者さんからの農産物を販売したことに対する感謝や、
消費者さんからの美味しいものを食べた感想の何倍も大きな声でした。

それがヒントだと思っています。

そのためのフィールドを得たことは僕としてはとても大きな一歩で、
ド素人ではありますが、いろんな声に対して
これまで以上にクイックにトライできるのではないかとワクワクしています。
同時に勉強することが山盛りでヒイヒイ言ってますが(笑)。

先日、早速東京から体験のお客様が。
キュウリとオクラと枝豆を植えていただきました。

要は、この野菜が収穫の頃に、
一緒にビールを飲みたいと思ってもらえる関係づくりが
できるかどうかなのではないかと思っています。
(だからビールのつまみになりそうなキュウリや枝豆を植えた
という訳ではありませんよ! (笑))

そして、この体験を機に、
もっともっと日本の農業を身近に感じてくれる人が増えてくれたらなぁとも思うのです。

常連、Aさん

常連客の嘆き。

マチスタに立つようになって5か月。
ぼくにも「常連」と呼べるお客さんがわずかながらついた。
それぞれ顔を思い浮かべてみて、傾向として言えるのはひとつ、男が多い。
というか男しかいない。
畢竟、ぼくの時間帯である平日の午前中(または日曜日)に常連が重なったときは、
マチスタ史上これまでになかったであろう「野郎な空気」が濃く漂う。
年代はさまざまだ。下は高校生(第39回『空白の時間帯』に登場)、
上は60歳代まで。個人のお客さんについて書くのは気がひけるんだけど、
今回はその60歳代、最年長の常連さんについて書いてみたい。

ここでは「Aさん」としておく。Aさんは岡山のまちなかで長く商売をしていた。
いまはほとんど店を開けることもなく、事実上の引退生活を送っている。
年齢は60歳をちょっと過ぎたあたり。
見た目はまだまだ若々しい(ニューバランスのスニーカーを愛用)。
50代でも十分通用しそうなのに、自分を「年寄り」にカテゴライズして話す。
たとえばこんな具合だ。
「年寄りになってお金がないのは惨めやで」
ちなみにこのAさん、関西のご出身である。
「でも、たくさんあってもいかん。年寄りにはお金を遣う体力がない。そりゃ情けない」
Aさんの言葉はすべからくネガティブで、根底にニヒリズムが漂う。
「世の中、詐欺みたいなもんやで。なんもかんもが宣伝で、宣伝なんてウソばっかりや」
経済について語る言葉は、哲学的あるいは文学的な趣さえ感じさせる。
「お金ぐらいいいもんはない、でもこれ以上むなしいものはないというのもお金や」
お年寄りのネガティブな言葉は、できれば耳に入れたくない。
親戚でも赤の他人でも、ずしりと胸にのしかかる。
でも、Aさんの言葉はあらましこんな感じで、軽やかで楽しい。
思わずコースターの裏にでも書き留めたくなる。
しかし、同時に哀れだと思うときもある。
そう感じさせるのは、言葉そのものよりも、
むしろこうした言葉を吐くときのAさんの表情である。
大抵、そこはかとなく寂しそうな顔をしている。
とくにお金について話すときは、
自分の手からするするとこぼれた過日の砂金の残像を見ているかのようだ。
しかし、哀れを感じたからといって、ぼくは口をはさむようなことはしない。
無言でカップを磨いたりしながら、
でも、孤独なひとり言にさせないために適度にうなずいてみせる。
それがAさんに対するぼくの最大の情だった。
まさしく、淋しい老人と無口なマスターのふたり劇。
舞台は深夜のバーではなく、午前のマチスタコーヒー……。

そんなAさんとの関係が、とある朝を境に大きく変化した。
Aさんが夢の話をしたことがきっかけだった。
夢といっても、たいした話じゃないのだ。
たとえば、「コルベットを所有してみたかった」とか、
「ブルドッグを飼いたかった」とか。
これまでもこの手の「かなわなかった夢」をこぼし嘆くということが何度かあった。
その朝話した夢というのもまさにそれで、
いつものように脈絡なくふと口をついて出た。
「一度でいいから、うちの(奥さん)とふたりで
カシオペアとかトワイライトエクスプレスとか、寝台特急に乗って旅をしたかった」
コルベットもブルドッグも聞き流したのに、
どういうわけか、奥さんとのふたり旅は聞き流さなかった。
時間とともに関係に慣れてきたというのもあったと思う。
まあ、ついつい突っ込みを入れたわけだ。
「行けばいいじゃないですか?」
Aさんはこれまでぼくから受けたことのない返しをくらって狼狽した。
「う、うっ……」
旅に出られない理由を誰にも言ったことはないのか、
次の言葉を口にするのは思いのほか難産だった。
そしてようやく出て来た言葉、意外にも「猫が」だった。
「ネコ?」
「そう、猫。猫がいるのよ……だから家を空けられない」
目を細め、いかにも煙たげな顔でそう言った。
「若いんですか、その猫?」
「3歳かな」
「どこかに預けられないんですか?」
「これが気性の激しい猫でな、オレらにでも抱かせない。
無理をしようとしたら、すぐ爪で腕とかやられる」
そう言いながら、Aさんは携帯電話をいじり始めた。
しばらく携帯の画面を見ていたと思うと、「ほら」と言って画面をこちらに向けた。
見事に美しい猫だった。おまけに目はくりっとして、なんともいえない愛嬌がある。
「これまたかわいい猫ですね」
Aさんの顔つきが変わっていた。
「そうなのよ、これが最高にかわいいんよ」
目尻から頬から、ついさっきまでの煙たげな顔がうそのように弛みきっている。
まさにあれだ、孫を自慢しているおじいちゃんの顔。

突っ込みを入れることに抵抗がなくなったおかげで、
いまではAさんについてのいろんなことを知っている。
ブルドッグを飼えないのは、前述の、愛してやまない猫がいるから。
コルベットを買えないのは、Aさんのお父さんが遺品として残した
国産某社のSがあるから(名車!)。
そして、AさんがそのSを「世界で最高の車」だと思っているように、
長年連れ添っている奥さんを「世界で最高の女性」だと思っていることも。

かくしてロールプレイは完全に終わったわけだが、
それでもAさんはいまも嘆く。
目下の嘆きは、これからさらにお金が遣えなくなること。
この夏、関東にいる長男に第一子が、初孫が生まれるのだ。

Aさんは猫がいるがための不自由さに代わる十分な対価をその猫からもらっている。「じゃあ、うちのサブの場合は?」と自然思う。正直、よくわからない。全然もらってない気がするけど、もしかしたらもらっているかもしれない。どっちにしても、最近、サブとの関係がいい。それでも、ぼくはいまもサブについてよく嘆いている。

“続ける”こと

〈tweet rocka〉の10年。

日本で一番のカフェだと思っている。
倉敷の南町、市立美術館から3分ほどのところにある〈tweet rocka〉(トゥイート・ロッカ)。
倉敷市民のごく一部に熱烈に愛されてきたこの小さなカフェが
この5月に開店10周年を迎えた。
店主の末永さんは実に控えめな人柄で、
節目を迎えたからといってなにか催しをやろうかというお人じゃない。
そこで常連客が企画してささやかなパーティを開いた。
20人いるかどうかのつつましい集まりであったが、
いろんな意味で「らしい」集まりでもあった。
あまり派手なのはそぐわないのだ。
この10年、息をひそめるように、
でも自分たちのスタイルは変えることなく店を続けてきた。
そこにあるつつましさのようなものはこのカフェの最大の美点である。
実はマチスタをやるようになって、お店を見る目が大きく変わった。
どんなお店でも、カフェでも定食屋でも金物屋でもなんでも、
長くやっているところはそれだけで心からスゴイと思うようになった。
それまでは、たまに立ち寄る店から「(開店して)3年になります」と言われても、
「明日の沖縄の天気は曇りです」とささやかれているのと同じぐらい、
なんにも感じるところがなかった。
<tweet rocka>の10年……。頭が下がるどころの話じゃない。
10年の中身を正確に知るのは末永さんとサッちゃんのふたりだけで、
その間の苦労や思いや巡らせた考えのあれこれは
これからもぼくたちに知らされることはない。
はたからその重さを推し量ろうとするだけで、
なんというか、もう涙が出そうになるのだ。
どこまでも控えめな彼らだから、もうこれ以上は書かない。
長く続けてほしいという勝手も言わない。
ただ、ふたりが今後お店を続けていくうえで、
かかる苦労の少ないことを願うばかりである。

我が社アジアンビーハイブは決算月が2月ということで、
2か月後の4月末に法人税と消費税の納付期限を迎えていた。
2012年度の決算報告書が上がってきたのは、それよりも数日前のこと。
まあ予想はしていたけど、結果は赤字だ。
2009年度に黒字に転向して以降、3年連続で黒字を達成し、
数字もわずかながら上向いていた。
はた目には、その勢いで船出した飲食店事業といったところだが、
横波をまともにくらって見事に撃沈。
広告制作であげた利益を全部マチスタのマイナス分に回しても
150万円ほどの赤字が残った。
会社が赤字になったこと自体は、さほどの失望感はない。
だいたい、会社を立ち上げてからしばらくずっと赤字だったし。
それにこれ以上の大きな融資を受けるつもりもないから、
銀行の心証なんか気にしなくていいのだ。
でも、問題は会社が赤字だろうがなんだろうが、容赦のまったくない税金のシステムだ。
法人税が倉敷市に5万円、岡山市に5万円、そして岡山県に2万円。
これ、いっぺんに払うとなると結構しんどい。
さらに恐るべきは税務署への消費税の支払い、その額28万円。
くどいようだけど、「うちの会社は赤字ですよ、しんどいッスよ」って申告しているのだ。
ヒトの社会だったら、そこになんらかの「やさしさ」があっていいんじゃないか。
10万円を工面するのにも息切れしそうなのに、
どうやって40万円もの大金を支払えと? 
そして迎えた支払期限の4月末、ぼくは法人税の12万円をなんとか銀行で支払った後、
その反動かやけになったのか、ちょっとハイな気分になって児島税務署に行った。
初めて通された小さな応接室には、誰もいないのに加齢臭が濃く漂っていた。
部屋に入ってきた担当者は、案外、人のよさそうな笑顔で、
おまけに話のしやすい人だった。
最初は「払えんものは払えん!」的強気で会合に臨んだのであるが、
さほどの時間をおかずに「いや、払いたいのはやまやまで」と譲歩を見せると、
あとは「ですよねえ」を連発していた。会合はものの10分もかからなかった。
結果は28万円を10か月の分割で支払うことに。
税務署を出るときには、どういうわけか気分は晴れ晴れしい。
そんな自分をふと顧みて、完全にしてやられたことを悟ったのであった。
あの担当者、ゴルゴ13だったな。

ここのところマチスタが悪くない。
昨年12月から一日の売り上げ平均が1万2000円台に突入し、
年が明けても、そこからさらに少しずつ伸びているのだ。
昨年よりも一日の営業時間を朝と夕に一時間ずつ短縮しているにも拘らずである。
3月には未踏の1万3000円台に限りなく迫る売り上げを記録した。
これにはぼくものーちゃんも手放しで気をよくしていた。
「いい感じだよね」とお互い帳簿の数字を見てほくそ笑むような。
とはいうものの、まだ赤字であることには変わらない。
しかもぼくの人件費はまったくの計算外だ。
そんな折り、4月20日過ぎだったと思う。
決算の件で税理士のシマヅさんとメールのやりとりをするなかで、
彼女がマチスタの一日平均の売り上げ目標を出してくれた。
赤字を脱却するラインは「あくまでも目安として」とあり、
1万6000円とあった。うーん、1万6000円か……。
コーヒーを一日あと10杯売ればいい計算だが、
このたった10杯がまったく思うようにならない。
1杯でさえ確実に増やすとなると至難なのだ。
マチスタをやって1年、素人だったぼくにもだいぶん見えてくるようになった。
簡単なことはなにひとつない、続けることはそれだけで大変だ。

最近、ミディアムのコーヒーをエアロプレスで淹れたりもしている。写真の注射器みたいなのがそれです。浅めの煎りのコーヒーには実にマッチする。これからもコーヒーにこだわりたいから、ドリップに限定せず、新しい抽出法も採り入れていきたい。

毎週木曜日に来る常連のオジさんにもらったチョロQ。マチスタの目の前を走っている「おかでん」こと岡山電気軌道の路面電車バージョン。行く先のところには「岡山駅⇒清輝橋」とある。かなりのレアものか?と調べてみたら、そうでもなかった。

もう恋なんてスルメー……イカ(1)

SMぽいの好き。

みなさん、イカってどっちが背側か腹側わかりますか?
色が濃いこちらが背側です。

で、漏斗の見えるこちらが腹側です。

色が濃い方が新鮮だと知っている人は多いのですが、
背を向けているイカを
こっちが新鮮!と選んで買う人は少なくないようですね。

画像が逆さまだよ、と思わないでくださいね。
図鑑を見るとわかりますが、
頭が上、胴を下にするのが基本です。

イカやタコといった頭足類は頭の上に脚があるという
極めてユニークなデザインの生き物です。
頭のてっぺんに口があり、食道は頭を貫通しています。
よく噛まずにエサを飲み込むと絶対に頭が痛くなりそうです。

口のように見えますが、漏斗は口ではありません。
漏斗は排出口でイカはここから水、フン、墨を吐き出します。

眼の間の漏斗と脚に囲まれた口。口は肛門にしか見えないんですよね。

イカを釣りに行って、墨を顔にかけられたという人は
お読みの方の中にも、きっといらっしゃるでしょう。

いわゆる顔射っていうやつですかね。
いや、まあ、墨なんで違いますけどね。

イカに墨をひっかけられるのは漫画みたいで笑えますが、
先日、魚好きの若い女性から笑えない体験談を聞きました。

新鮮なイカが手に入った彼女。
ワタはおいしく食べられるんだし、他の内臓もと食べてみたところ、
突然、口の中に激痛が走りました。

鏡を見ながら口を大きく開けてみると、
舌や歯茎や頬の裏に5〜10mmの透明なトゲのようなものが。
べそをかきながら毛抜きで1本1本抜いたそうですが、
トゲの先は針のように尖っているのではなく、
マッチ棒のように太くなっていて、とても抜きにくかったそうです。

さては寄生虫のアニサキス? と思いますよね。
でも違いました。

彼女は何を食べたのかというと、イカの精莢を食べてしまったのです。

第3回で取り上げたズワイガニと同じように
イカも精子の詰まったカプセル(精莢)をメスに渡して
受精する繁殖方法をとっています。

イカの精莢はバネ仕掛けの矢のようになっていて、
刺激を受けると精子が飛び出す仕組みになっています。
おそらく噛んだ瞬間に彼女の口内に飛び散ってしまったのでしょう。

可哀想に彼女は口内発射されてしまったわけです。
ああ、イカ野郎の男汁をお口の中にぶちまけられるなんて。
しかもイカの新鮮な精子がそんなに痛いものだなんて。
レ・ミゼラブル! ああ、無情。

でも彼女はこうつぶやきました。
ああ、ダイオウイカのじゃなくて助かったわ。
女性はたくましいです。

口腔外科の学会誌でも
イカの精莢による症例が報告されています。
みなさんも気をつけてください。

たぶんこれがイカの精莢です。

いやあ、顔射とか口内発射とかアダルトな話題で
どーもすいませんね〜と謝りつつ、
脱線ついでなのでもう少しアダルト続けていいですか。

顔射で思いだすのが、昨年お亡くなりになった
丸谷才一さんの短編『鈍感な青年』に描かれている
図書館で知り合った男子(24歳・童貞)&女子(20歳・処女)の
交接、おっと違った、初体験シーンです。

《そのときだつた。少年時代のはじめから馴染みのある厚ぼつたい感覚の波が、まつたく不意に彼の腰に訪れ、男の蜜が濃い白の紐きれとなつてゆるやかな弧の弾道をたけだけしく飛んでゆき、娘の右眼の下を熱く激しく打つた》

《「なにこれ?」》

《きつい匂ひの重湯はすばやく冷えながら、白く淡く、ゆるやかに頬をつたはり、三つに分れてしたたり、やがて口紅のすつかり剝げた唇に達する。それが口の端に溜つても女はじつとしてこちらを見てゐる》

《ぼうつと煙る双の眼に見られながら若者は面目ない思ひで恥しさに堪へ、それからけろりとした顔を装つて言つた。》
(『樹影譚』文春文庫)

私小説の暗くじめじめした世界を嫌った丸谷さんならではの
軽妙な筆致で、この短編、ラストがナイスですね〜。

この作品が発表されたのは1986年。
AVを一気にメジャーにした黒木香さんの
デビュー作『SMぽいの好き』と同じ年です。
男女雇用機会均等法が施行された年でもあります。

思うに、この頃からではないのでしょうか。
男子の性的経験のなさゆえの滑稽な失敗談、
ユーモラスな青春譚だった顔射が、
サディズム的嗜好を満足させる行為へと変化したのは。

なんかすごい発見をした気がしましたが、
気のせいでした。

とっ散らかった展開になってしまいました。
イカの話に戻りましょう。

「イカ」とひとくくりにしがちですが、スルメイカ、ヤリイカ、
ケンサキイカ、アオリイカ、コウイカ、コブシメ、ホタルイカ、
ダイオウイカ…それはもうたくさんの種類がいます。
なんでも450種くらいいるのだとか。

イカはざっくり分けるとコウイカ目(cuttlefish)と
ツツイカ目(squid)の2つのグループに分けられます。

コウイカ、カミナリイカ、コブシメといったコウイカ目。
ツツイカ目は沿岸にいるアオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカ。
沖合にいるスルメイカあたりでしょうか、馴染みがあるのは。

イカは軟体動物。分類学上は貝の仲間です。

「動きの鈍い貝と俊敏なイカが仲間だって? 
貝に眼はないでゲソ。第一、イカには貝殻がないじゃなイカ」
って思いますよね。
よく浜辺に打ち上げられている舟形をした
コウイカの甲はご存知でしょう。
これは貝殻が変化したもので、身に包まれ、浮きの役割をしています。

ツツイカの仲間には軟甲と呼ばれる細く透明な棒状のものがあります。
これが、もとは貝殻だったらしいのです。
軟甲には浮きの役割はなく、形状を維持するためのもの
と考えられています。

コウイカの甲です

スルメイカの軟甲です

貝とイカの中間っぽいオウムガイ@横浜八景島シーパラダイス

スルメイカの寿命は1年!

さて、たくさんいるイカのなかでも
ダントツで多く漁獲されているのはスルメイカです。

日本で漁獲されるイカのなんと7割がスルメイカで年間約20万トン。

スルメイカのメインの産卵地は東シナ海です。
通年産卵していますが、ピークは秋から冬で
生まれたての赤ちゃんイカは暖流に乗って、北上します。
秋に生まれたイカは対馬海流にのって日本海側を北上し、
冬に生まれたイカは黒潮にのって太平洋側を北上します。

イカ釣り漁船は船団を組んで、イカの北上に合わせながら漁獲します。

なので、ヨットで日本を一周する計画で、一番危惧したのが
イカ釣り船団の北上とタイミングが重なってしまうと
港が混雑して係留できないかもしれない、ということでした。

イカ釣り船団で金沢港は満杯。うわぁー、係留する場所がない!

イカは生まれると、暖流にのってエサを求めに北上し、
大きくなると恋を求めて南下する。
卵を産んで、死ぬ!

大回遊をするのにもかかわらず、スルメイカの寿命は1年です。
スルメイカだけでなく、たいていのイカの寿命は
基本的に約1年なんですって。

だからイカの世界には「年の差婚」とかはないわけです。
同じ年に産まれた者同志が、ともに旅し、恋に落ち、
子どもを産んで、はい、さようなら。

短いけれど充実した一生ですね。
命短し恋せよ乙女。
みなさん、恋してますかー。

スルメイカの脚は10本で、そのうち長い2本は触腕と呼ばれ、
エサを捕まえるときや、交接で相手にしがみつくときに活躍します。

触腕

この長い触腕を使ってオスは精子の入ったカプセルを
メスに渡すと思い込んでいた人はいませんか?

はーい、ここにいまーす。
僕もそう思い込んでいましたが、そうではないんです。

イカの種類によって交接に使う腕は違うのですが、
スルメイカの場合は右第4腕。
右第4腕の先は精莢を暴発させないように吸盤が少なくなっています。

なんかHな気配がするぞ、右第4腕。

スルメイカの産卵は長い間謎でした。

沿岸で産卵するコウイカやアオリイカの卵なら
見たことがあるダイバーは多いのではないでしょうか。

ところが沖合に生息するスルメイカは観察の仕様がありません。
ぶにょーっとした寒天状の直径1mくらいの卵塊を産むことが
分かったのはわりと最近のことです。

その塊がスルメイカの卵とは学者も気がつかず、
ホヤの仲間だろうと考えていたんですって。

次回はイカには心臓が3つあるってことからお話ししましょう。

〜スルメイカの項つづく