焼酎ハイボールとともにどこまでも。
このシリーズでは、全国の酒場、東京・下町のチューハイ街道、
さらに全国の商店街を巡ってきたけれど、
まだやってないことがあった。それは、呑み鉄。
酒旅好きで、自称“乗り鉄旅情派”である筆者としては、
大げさに言えば使命感だ。大げさか。
呑み鉄に相応しい舞台はどこだろうと考えたとき、
まずはここだろうと思いついたのが、「天竜浜名湖鉄道」。通称“天浜線”。
その理由は……?
車窓からの風景と焼酎ハイボールとともにご案内していこう。

青空が広がる夏の昼、始発駅・新所原(しんじょはら)駅に立つ。
天浜線は、この静岡の最西端に位置する新所原から、遠州側の掛川を2時間強、
東海道線からは浜名湖を挟んで北側を、基本単線で結ぶ。
今日の旅は、新所原から奥浜名湖の景色を楽しみつつ、
戦国から昭和の高度経済成長期までを彩る、
歴史の舞台である二俣本町駅までの約1時間。

豊橋駅からJR東海道線で10分ほど。静岡県と愛知県の県境に位置する新所原駅。天浜線の西側の始発駅。天浜線は1両編成。昔ながらの車両のほか、今回乗車したイベント仕様、アニメやドラマとのコラボラッピング車両などのお楽しみもある。
冷え冷えの焼酎ハイボールを小さいクーラーボックスに入れ、
小さな改札を抜けると、すでに天浜線の車両が待ち受けている。
乗り込む車両は、イベントなどにも使われる特別仕様で、
北欧はフィンランドの人気テキスタイルブランド〈マリメッコ〉の
カーテンやヘッドレストカバーが使われている。
ローカル線の車両とかわいらしく大胆な柄。
これが不思議に、合う。

マリメッコのテキスタイルが車両に。これは沿線にある建設会社のライフスタイルブランドとのコラボ。駅員が常駐する駅が減少し、無人駅となった駅舎を地元ぐるみでアイデアを出し運用。カフェや洋食などのグルメも楽しめたり、インテリアにこだわった駅もあり、これも天浜線旅の楽しみのひとつ。
12時23分、いよいよ天浜線が動き始める。
あわせて焼酎ハイボールを開ける。
ローカル線らしい横揺れが始まり、
単線のレールは東海道線から少しずつ左へと離れていき、
植物たちが車両の上を包み込むようにつくる、
自然の緑のトンネルの中に入っていく。

幻想的な風景のなかで弁当を開けよう。
天浜線の名物弁当〈鰻どんこ弁当〉だ。

二俣本町の老舗料亭〈天竜膳 三好〉による〈鰻どんこ弁当〉(1300円・税込)。どんこは天龍エリアの名産品。鰻よりもむしろこちらが主役といえる存在感とうまさ。土・日曜・祝日のみ、天竜二俣駅にて10時からの販売。平日は予約販売。詳しくは天浜線公式HPの「天浜線の名物駅弁について」参照。

まずは大きく肉厚のしいたけ、どんこをアテに。
やさしい味と食感。噛みしめるほどにどんこ自体の甘味とともに、
上品な出汁感が広がる。ここで焼酎ハイボールをひと口。
まさに混然一体。ガツンときたあと、じわっと旨みが絡み合う。
思わず目を閉じて、呑み鉄の幸せをゆったり感じていると、
天浜線はまた軽く左右に揺れ、目を開ければ、
また、緑のトンネルの中。
実はこの緑のトンネルの裏側には天浜線の物語がある。
天浜線は、1933(昭和8)年に着工し、全線開通は1940(昭和15)年。
この年代に注目いただきたいのだが、
そもそも天浜線が生まれた理由は、戦争時の物資輸送のため。
日本の大動脈として開けた場所を走る東海道線が、
空襲などの攻撃を受けた際の“秘密の迂回ルート”として、
上空からはたやすく発見されない、また正確に攻撃されないために、
緑の中にレールを引いたのだという。
当然、未踏の地を切り開くのだから難工事。
鉄道は、物流と人流により新しく土地を開き、幸福を広げる。
だが、その当時の天浜線は、違う宿命を担っていたわけだ。
真夏の青空の旅に、日本の苦難の時代の影。
天浜線は、尾奈駅から奥浜名湖駅へと進み、緑のトンネルを抜けると、
進行方向右手には浜名湖が見えてくる。
奥浜名の湖のきらめきに、不思議に少し胸を締めつけられる。
天浜線は今、すてきな呑み鉄の休日へといざなってくれる。
そして日々、沿線の人々の暮らしを結んでいる。
その幸せに、乾杯だ。

車窓、焼酎ハイボール、駅弁、そこにローカル線ならではの揺れが加われば旅心が高まる。時々奥浜名湖の風景や沿線の写真を撮る以外はスマホもオフで。
みかんで名を馳せる三ヶ日駅から金指駅の間は、
青い奥浜名湖と緑のトンネルが交互にやってきて、
常葉大学前駅あたりで戦前の隠れ鉄道は、
明日を生きる若者も集う、広々とした新しい風景を進む。
週末は家族連れでにぎわうというフルーツパーク駅あたりで、
ゆっくりと味わったアテ代わりのお弁当を食べ終わり、
焼酎ハイボールを飲み干せば、
まもなく今日の目的地、二俣本町駅にたどり着く。

二俣本町駅は新所原と掛川のちょうど中間点あたり。
秘密のレールであった天浜線だが、
ここは歴史のなかでは、戦国時代から表舞台にあった。
天竜川の水運と戦術の要衝として、
徳川家と武田家が激しくぶつかりあい、奪い合った地だ。
また、徳川家康の苦悩の決断として大河ドラマにも描かれる、長男・信康との死別の場。
21歳の若さで時代に飲みこまれた信康。
弔いの証として建立されたのが清瀧(せいりゅう)寺だった。
静かに落ちる滝は、信康の魂を癒そうとしたものなのか。

徳川信康を弔う清瀧寺は、この地出身の〈本田技研工業〉の創業者である本田宗一郎ゆかりのお寺でもある。すぐ横には〈本田宗一郎ものづくり伝承館〉。ここでも戦国時代から昭和へのドラマが続く。