連載
posted:2023.8.30 from:静岡県浜松市 genre:旅行 / 食・グルメ
PR 宝酒造
〈 この連載・企画は… 〉
酒ライター岩瀬大二さんが、全国のまちで思わずその場で缶を空けたくなるほど魅力的な「焼酎ハイボールのお供」を見つけます。
“お供”とはご当地グルメに限らず、風光明媚な景色や地域の方々との対話なども立派な酒のアテ!
焼酎ハイボールを通してそのまちの多面的な魅力を発信していきます。
writer profile
Daiji Iwase
岩瀬大二
いわせ・だいじ●国内外1,000人以上のインタビューを通して行きついたのは、「すべての人生がロードムーヴィーでロックアルバム」。現在、「お酒の向こう側の物語」「酒のある場での心地よいドラマ作り」「世の中をプロレス視点でおもしろくすること」にさらに深く傾倒中。シャンパーニュ専門WEBマガジン『シュワリスタ・ラウンジ』編集長。シャンパーニュ騎士団認定オフィシエ。「アカデミー・デュ・ヴァン」講師。日本ワイン専門WEBマガジン『vinetree MAGAZINE』企画・執筆。
credit
撮影:黒川ひろみ
焼酎ハイボールとともにどこまでも。
このシリーズでは、全国の酒場、東京・下町のチューハイ街道、
さらに全国の商店街を巡ってきたけれど、
まだやってないことがあった。それは、呑み鉄。
酒旅好きで、自称“乗り鉄旅情派”である筆者としては、
大げさに言えば使命感だ。大げさか。
呑み鉄に相応しい舞台はどこだろうと考えたとき、
まずはここだろうと思いついたのが、「天竜浜名湖鉄道」。通称“天浜線”。
その理由は……?
車窓からの風景と焼酎ハイボールとともにご案内していこう。
青空が広がる夏の昼、始発駅・新所原(しんじょはら)駅に立つ。
天浜線は、この静岡の最西端に位置する新所原から、遠州側の掛川を2時間強、
東海道線からは浜名湖を挟んで北側を、基本単線で結ぶ。
今日の旅は、新所原から奥浜名湖の景色を楽しみつつ、
戦国から昭和の高度経済成長期までを彩る、
歴史の舞台である二俣本町駅までの約1時間。
冷え冷えの焼酎ハイボールを小さいクーラーボックスに入れ、
小さな改札を抜けると、すでに天浜線の車両が待ち受けている。
乗り込む車両は、イベントなどにも使われる特別仕様で、
北欧はフィンランドの人気テキスタイルブランド〈マリメッコ〉の
カーテンやヘッドレストカバーが使われている。
ローカル線の車両とかわいらしく大胆な柄。
これが不思議に、合う。
12時23分、いよいよ天浜線が動き始める。
あわせて焼酎ハイボールを開ける。
ローカル線らしい横揺れが始まり、
単線のレールは東海道線から少しずつ左へと離れていき、
植物たちが車両の上を包み込むようにつくる、
自然の緑のトンネルの中に入っていく。
幻想的な風景のなかで弁当を開けよう。
天浜線の名物弁当〈鰻どんこ弁当〉だ。
まずは大きく肉厚のしいたけ、どんこをアテに。
やさしい味と食感。噛みしめるほどにどんこ自体の甘味とともに、
上品な出汁感が広がる。ここで焼酎ハイボールをひと口。
まさに混然一体。ガツンときたあと、じわっと旨みが絡み合う。
思わず目を閉じて、呑み鉄の幸せをゆったり感じていると、
天浜線はまた軽く左右に揺れ、目を開ければ、
また、緑のトンネルの中。
実はこの緑のトンネルの裏側には天浜線の物語がある。
天浜線は、1933(昭和8)年に着工し、全線開通は1940(昭和15)年。
この年代に注目いただきたいのだが、
そもそも天浜線が生まれた理由は、戦争時の物資輸送のため。
日本の大動脈として開けた場所を走る東海道線が、
空襲などの攻撃を受けた際の“秘密の迂回ルート”として、
上空からはたやすく発見されない、また正確に攻撃されないために、
緑の中にレールを引いたのだという。
当然、未踏の地を切り開くのだから難工事。
鉄道は、物流と人流により新しく土地を開き、幸福を広げる。
だが、その当時の天浜線は、違う宿命を担っていたわけだ。
真夏の青空の旅に、日本の苦難の時代の影。
天浜線は、尾奈駅から奥浜名湖駅へと進み、緑のトンネルを抜けると、
進行方向右手には浜名湖が見えてくる。
奥浜名の湖のきらめきに、不思議に少し胸を締めつけられる。
天浜線は今、すてきな呑み鉄の休日へといざなってくれる。
そして日々、沿線の人々の暮らしを結んでいる。
その幸せに、乾杯だ。
みかんで名を馳せる三ヶ日駅から金指駅の間は、
青い奥浜名湖と緑のトンネルが交互にやってきて、
常葉大学前駅あたりで戦前の隠れ鉄道は、
明日を生きる若者も集う、広々とした新しい風景を進む。
週末は家族連れでにぎわうというフルーツパーク駅あたりで、
ゆっくりと味わったアテ代わりのお弁当を食べ終わり、
焼酎ハイボールを飲み干せば、
まもなく今日の目的地、二俣本町駅にたどり着く。
二俣本町駅は新所原と掛川のちょうど中間点あたり。
秘密のレールであった天浜線だが、
ここは歴史のなかでは、戦国時代から表舞台にあった。
天竜川の水運と戦術の要衝として、
徳川家と武田家が激しくぶつかりあい、奪い合った地だ。
また、徳川家康の苦悩の決断として大河ドラマにも描かれる、長男・信康との死別の場。
21歳の若さで時代に飲みこまれた信康。
弔いの証として建立されたのが清瀧(せいりゅう)寺だった。
静かに落ちる滝は、信康の魂を癒そうとしたものなのか。
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〈鰻どんこ弁当〉をつくる〈天竜膳 三好〉は、
このまちの昭和の歴史とともに歩んできた。
「今は静かですが、以前は林業で栄えた場所で、
全国から一攫千金を狙って人が集まってきて、とても賑やかだったんですよ」
と3代目の山本光祐さん。
1951(昭和26)年、料理旅館として開業。
そのころは、夕刻ともなれば仕事を終えた人々がまちにくりだし、
店がならぶ中心街は身動きが取れなかったほどで、
芸者たちの三味線の音があちらこちらから聞こえていたという。
その後は天竜川水系のダム建設でにぎわった。
昭和ドリームを得ようとがんばってきた人々を、
食ともてなしで支えた料亭がつくるお弁当というわけだ。
「浜名湖を通るのでうなぎは当然いれるとして、
実はどんこを食べていただくために生まれたお弁当なんです」と山本さんは話す。
どんこは、林業で栄えた二俣エリアの特産品。
これを三好ならではの匠の技で上品に炊く。
素材のよさと腕のよさに、歴史の風景もあいまって、
1時間前にじわっと感じられた繊細な甘味を思い出す。
さあ、最後のアテは〈吉野屋精肉店〉の〈天竜ハム〉。
山本さんも子どもの頃から買っているとのことで、
おいしいものを知る人に愛されている店ということがわかる。
「どう、このまちは?」と気さくな笑顔で声をかけてくれたのは、
こちらも3代目の菊池和也社長。
「焼酎ハイボールのアテにうちのハム? うれしいねえ」
いえいえ、こちらこそうれしい。
昭和9年に精肉店を開業。
1953(昭和28)年にプレスハムを発売して以来、
製法だけでなく、機材もその頃のものを生かし、味を守ってきた。
「いい原料を、ちゃんとした湿度、温度で丁寧に熟成させる。これだけのことですよ」
とさらりと菊池さんは言っていたが……。
特別に店の奥の工房を見せていただいた。
簡単ではないことがひしひしと伝わってきた。
と同時に、昭和の冷蔵庫、燻製機、道具でなければ出せない、
つまりこれも歴史がつくってきた味。
旅の締めくくりに、風光明媚な場所をみつけ、焼酎ハイボールをぐいっと一杯。
喉に滑り落ちていく炭酸がたまらなく気持ちがいい。
そして、ロースハムをひとつまみ。旨い。
ほどよい塩味、肉の甘味、冷温でじっくりとしみこんだ旨み。
そして振り返る、この呑み鉄旅。
天浜線を、焼酎ハイボールを味わう呑み鉄の場に選んだ理由。
わずか1時間、列車に揺られて呑んでいる間にも
戦国時代から、現代へとつながるさまざまな歴史を旅することができる。
そこには今に息づく本物があって、
これからにつなげていく創意工夫もある。
いつもとは違う風景のなかで、
失われた栄華や繁栄、歴史の転換期を感じながら、吞む。
じっくりうまくて、爽やかで明るい。
だから呑み鉄には焼酎ハイボール。
さて、みなさんはどの鉄道でやりますか?
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ガツンときて、ウマい! も実感。飲みごたえも存分。それが下町スタイル。
東京・下町生まれの元祖チューハイ(焼酎ハイボール)の味わいを追求。
キレ味と爽快感、ガツンとくる喜びを強炭酸・辛口テイストで。
宝焼酎ならではのうまさと飲みごたえと、7%というアルコール度数も絶妙です。
下町の大衆酒場で愛されるスタイルだからいろいろな肴にぴったり。
糖質ゼロ、プリン体ゼロもうれしいひと缶です。
information
天竜浜名湖線
Web:公式ページ
information
吉野屋精肉店
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1147
TEL:053-925-2003
営業時間:8:00〜18:00
定休日:日曜
information
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