〈界 加賀〉から足を伸ばして。 我谷盆の故郷を訪ねて ダム沿いのトレイルを歩く
ノミの跡が美しく、素朴な盆
木端葺き(こばぶき)に用いる栗の端材を使い、雪に閉ざされる農閑期に、自分たちが使うための盆として作り始めた。江戸後期から明治時代にかけて盛んに彫られ、物々交換や温泉街で売られたこともあったという。我谷村(わがたにむら)で作られていたから、我谷盆(わがたぼん)。ノミの跡がそのまま残された繊細と無骨の同居するさまに、不思議な魅力の宿った盆はしかし、時代が進むにつれ、木端葺きが瓦葺きへと変わり、次第に彫られなくなっていく。消えつつあった伝統は、1959年の県営我谷ダムの建設によって完全に絶えることになった。我谷村はダムに沈み、我谷盆は「幻の盆」となった。
人間国宝でもある木漆工芸家・黒田辰秋によって我谷盆は「発見」され、その後に幾人かの作家の手によって復興されている。現在もその系譜は繋げられているが、私はむしろ失われてしまったものを見たかった。山中温泉の賑わいから分け入った山深い谷間で、今も人を惹きつける盆が生まれた。ただ使うだけならば、揃えられたノミ跡も必要ない。その盆の美しさは、里山の豊かさから来るような気がしていた。
虫がいて、渓流があり、人の営みは続いていく
ダム湖にかかった長い吊橋を渡り、湖畔のトレイルを上流へと歩く。今でも山菜狩りのために歩く人がいるのかもしれない。ほとんど倒木もない。足元には蕗の葉が繁り、春には蕗の薹がたくさん採れるだろう。しばらく歩くとダム湖へと流れ込んでいる渓流があった。重なった丸石を辿って水辺に降りて振り返ると、先ほど立っていたのは、苔むした橋の上だとわかった。この橋は、果たしてダムができる以前からあったろうか? あるいはダムの整備のために作られたものかもしれない。渓流はダム以前からあったはずで、積み重ねられた丸石は、水辺に降りるために人が積んだもののように感じられる。渓流沿いには草を倒した踏み跡が少しあり、今でも釣り人が沢を登っているはずだった。
帰り道、道端に目を凝らしながら歩いていると、緑色に輝くゾウムシを見つけて写真を撮った。虫好きの友人に画像を送ると、リンゴヒゲボソゾウムシだとすぐに返信が来た。彼と地元の山を散策するうちに、自然の中へ入ると虫を探す癖がついてしまった。虫は、その土地の豊かさを表すバロメーターのようなもの。虫がいると不思議と安心する。
山中温泉にある「芭蕉の館」で我谷盆を見せてもらうため、我谷ダムから車を走らせていると、遠くからでもわかる、巨大な杉があった。菅原神社の境内にあるその大木は、栢野大杉と呼ばれ、なんと樹齢2300年を超えるという。根を守るためのボードウォークの上から、そっと巨木に触れながら頭を垂れる。ダムよりも、そして我谷村よりも、はるか昔から土地に根ざした杉の大木の表面は、うねるような筋が均等に並んで、はるか上部まで続いていた。
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