川端健夫さん 美愛さん

木造校舎を改装して、工房とカフェ、住まいをつくる。

細くて急な道を少し登っていくと、
空間がひらけ、そこに味のある建物が現れる。
ギャラリー、カフェ、パティスリー、木工工房、
そしてこれらを運営している川端夫妻の自宅という複合施設だ。
一目見ただけで、歴史がつまっていそうな風貌は、なんだか貫録がある。

「この建物は築90年くらいです。聞くところによると、
もともと蚕小屋で、養蚕業の工場のなかのひとつの施設だったようです。
その後、農業学校としても使われたので、今も学校の趣は残されていますよね」
と語るのは、現在、木工業を営んでいる川端健夫さん。

もともとの意匠を最大限に活かして、モダンさを少しプラス。

夫妻は関西出身だが、東京で、健夫さんは木工の修業、
奥さんの美愛さんはパティシエの修業をしていた。
そしてふたりは独立の時期を迎え、店舗や工房となる場所を探し始める。

「パティスリーのお店ができて、木工ができて、
住めるようなところを探していたんですが、そんな場所はなかなかなくて。
以前に、この近くで働いていたことがあったので、
その頃の知り合いに相談してみたんです。そのツテでこちらを見つけました」

丘の上に建ち、眺めこそ最高の立地だが、
広すぎるし、当時はボロボロだったという。

「窓ガラスもほとんど割れていたし、お化け屋敷みたいだった(笑)。
これを住めるように直すなんて想像できませんでしたよ。
でも、その当時から将来的にはいろいろな人が集まれるように
ギャラリーも含めた施設にしたいね、って話していたので、
ちょっと早いけどがんばってみようと」

横に長いさまが校舎のような雰囲気。ひさしの金具が不思議とデコラティブだ。

とはいえ、これだけの広さ。自分たちだけで改修するには手に余る。

「最初は自分たちでやろうと思ったけど、とにかくボロボロ。
僕たちが入る前はニット工場だったらしくて、
電気配線がいたるところにあったんです。
そんなのもう生きてないだろうと思ってペンチで切ろうとしたら、
ボンッと飛ばされて(笑)。そんな状態からのスタートでした。
それで知り合いをたくさん呼んで、その友達や家族で
大工経験や電気設備系の仕事をしている人たちに助けてもらって、
なんとか住めるようになるまでこぎ着けました」

質素だが、深みのある空間はこうしてできあがった。
もともとあったものが活かされているからこそ、ぬくもりを感じられるのだろう。

「新しいものはほとんどないですね。
構造上、外光を取り入れやすいように仕切りを外したり、
むしろ間引く作業をしました。最低限のことしかしていないんですけど、
いま思えば、そのほうが創造力を膨らませられるようなものになって、
良かったと思います。そういう意味では、建物に恵まれたというかね。
僕たちはほとんど何もしていないですよ。建物がもともと持っていた力です」

木造で築90年。さまざまな会社や業者が入れ替わりながらも生きてきた建物は、
知らず知らずに力を蓄えてきたのだろう。

建物にはいると最初にお出迎えしてくれるのはこのギャラリースペース。

自分たちが住んでいる“ココ”から、文化を発信する。

東京にいたふたりは、物件を探すとき、都会ではない場所を求めていたという。
関西でも、奈良や滋賀で探した。
自分たちの仕事をするうえで、東京では得られないものをそこに感じていたからだ。

「自然に近いところでやりたいという思いはふたりのなかにありました。
都会だと、自分をブロックしている、防御壁をつくっている気がするんです。
でもここではそんなことせずに、いつも感覚全開。
いろいろなことを感じ取れる精神状態での暮らしは気持ちがいい。
僕たちみたいに、ものづくりをして生活している人間にとっては住みやすいです。
もし滋賀じゃなかったら、ぜんぜん違うものをつくっていたかもしれませんね」

木製スプーンに手作業で紙やすりをかける川端健夫さんの工房スタッフ。ただいま修業中。

そうしてこの場所でものづくりにはげむふたり。健夫さんがつくるのは、
カフェで提供されるスプーンやプレートから、テーブルやイスまで。
そして各地の展覧会で発表する木工なども制作している。
取材時は、「木の台所道具展」に出展するまな板を丁寧に磨いていた。

お菓子をつくるその手に、ついつい見入ってしまうオープンキッチン。店内に甘い香りが漂う。

奥さんの美愛さんが担当しているパティスリーでは、
マドレーヌやフィナンシェなどの焼き菓子が並ぶ。
もちろん併設のカフェでいただくことも可能だ。
奥に見えるオープンキッチンでは、つくっている様子を見ることができる。
その反対側は、南向きで自然光がたっぷり。
丘の上から田園風景を眺めながら、
のんびりと過ごすことができて、とても居心地がいい。
そうした時間を過ごすためか、
週末になると、大阪、京都、名古屋からもお客さんが訪れる。

広がる景色についついぼーっとしてしまうカフェスペース。日差しもあたたかい。

「最近、スイーツランチを始めました。
最後にデザートをおいしくいただいてもらうためのコースです。
食事は野菜だけを使った料理になります。
ほとんどは地元産の野菜です。デザートにも、
そのときの料理で使った野菜をジャムにアレンジしたりしています」
と美愛さんのこだわりと地元への愛が料理につまっている。

旧称「宮村」であったこの地の子どもたちをイメージしたシュークリーム「miyacco」。

このように、ふたりは地元に根ざした活動を大切にしている。
設立当初から夢見ていた「文化の発電所にしたい」という思いがあるからだ。
ギャラリーも併設し、
健夫さんが活動のなかで知り合った人たちを中心に展示をしてもらっている。
建物、食べ物、土地など、暮らしのなかから生まれるものが、
彼らが考える“文化”であり、自分たちの身近なものから発信すること。
決して都会ではなくても可能な気がした。

焼き菓子やケーキのほか、旬の果物を使った10数種類のコンフィチュールが人気。

たらば書房

きっと誰かが読みたいって思う本だけが並ぶ。

鎌倉とか湘南といったしゃれたまちの響きに、つい身構えてしまう僕だが、
鎌倉駅前には「たらば書房」という本屋があって、
とてもいいよと教えてもらったので、訪れてみた。

鎌倉駅西口、駅前ロータリーを抜けてわずか2、3軒目、
外から見れば失礼ながらどこにでもありそうな駅前の本屋。
しかし中に入り、店内を眺めただけできめ細やかに
本が選ばれていることが伝わってくる。奥に深い店内は、
僕がその日のスケジュール変更を余儀なくされるほどの濃い密度で迎えてくれた。

1974年に鎌倉駅西口の御成通りにオープンした「たらば書房」が、
今の場所に移転したのは28年前。
現在は店長の川瀬由美子さんらスタッフ7人でこのお店を運営している。

その日はお休みだった川瀬さんがわざわざ来て、店内を案内してくれた。
20坪弱の店内は間口の割に奥に長いつくり。入口手前には、雑誌などが並ぶ棚、
店内に入ると左側に小さなレジカウンターがあって、
店内壁一面の本棚に加えて、背の高さほどの本棚が2列設置されている。

見回してすぐに気づくのは、簡単にいうと、
棚にざまざまなジャンルの本がぎっしり詰まっていること。
例えば、雑誌の面出し(表紙が見えるように置くこと)の棚は、
雑誌の前にサイズの違う雑誌や単行本、文庫本という具合に二重、三重に本が置かれ、
逆に壁の棚は面出しはほとんどなくて、ひたすら本が差してある。
川瀬さんは「古本屋みたいでしょう」と言うが、これは見応えがありそうだ。

入り口付近の女性雑誌棚。雑誌のロゴを隠さないよう手前に同じジャンルの単行本が置かれている。

とある夫婦とコーヒーとフロランタン

マチスタが地元紙に紹介されました。

小学校に上がるか上がらないかの頃のこと。
当時のぼくの遊び場のひとつが病院だった。
母親がその病院に勤めていて、すぐ近所に住んでいたのだ。
病室だろうが診察室だろうがまったくおかまいなし。
いつもジョンという名の真っ白な雑種犬を従えて病院のなかを走り回っていた。
ちなみにジョンは100パーセント放し飼い状態、
いろんなことにおおらかな時代だった。
ちょうどいまぐらいの季節だった。
小学校に上がるか上がらないかの頃のぼくは、
ジョンと一緒に裏山に入り、
見事なピンクの花を咲かせた山つつじの枝を両手いっぱいに抱えて山から戻って来た。
向かうのはいつもの病院の入院棟。
そこには長期間入院しているお年寄りがたくさんいた。
ぼくはいつものようにジョンを従え、山つつじを抱えたまま病室をひとつひとつ回った。
いまの時代なら、セラピードッグを連れた幼い子どもの慰問の光景とでも映るだろうか。
ところが、そんなヤワな話じゃないのだ。
「つつじいらん? 一本50円な」
入院しているお年寄りにつつじを売りつけていたのだった。
ぼくの母親は婦長だったので、
患者さんからしたら「婦長さんところのボクちゃん」なわけで、
むげに断ることもできないという事情があった。
おかげでつつじはまたたく間に完売。
その年の春、この山つつじの訪問販売をもう一回やった。
患者さんにとってはさぞや悪魔的な光景だっただろう。
なんせ、無垢そうな6歳の子どもが真っ白な犬を引き連れ、
どぎついピンクの花の「押し売り」にやって来るのだから。
それにしても子どもの頃とはいえ、
なんであんなことができたのか長く謎だった。
でも、最近はこう思うようになっている。
あれはあれで、ぼくなりの慰問だったのだと。
当時、長期入院している患者さんの一部に、ぼくはアイドル的な扱いを受けていた。
顔を見せるだけで喜んでくれる老人たちがいたのだ。
そんな彼らに、病室まで行って顔を見せる口実としてつつじを売ったのではないかと。
ものすごく都合のよい解釈のように聞こえるかもしれないけど、
基本、ぼくは動物と老人には優しいほうだと思う。
それは子どもの頃から変わらない。

岡山で発行されている地方紙『山陽新聞』がマチスタを紹介してくれた。
記事の効果は大きく、記事を見てやって来てくれた人は多かった。
そのなかに、80歳代半ばの夫婦がいた。
彼らは奉還町という駅の反対側にあるエリアから
わざわざタクシーでやって来てくれたのだった。
「“おいしいコーヒーが飲める”と(記事に)あったから」
店に入るなりおばあちゃんがそう言った。
ぼくはすでにおばあちゃんの腕をとっていた。老人に優しい本領発揮である。
隣のおじいちゃんはハットをきちんとかぶり、
春物の薄手のジャケットを着ていた。ふたりとも完全によそ行きの装いだ。
ふたりはマチスタでコーヒーを飲むためにめかしこんで、
わざわざタクシーで来てくれたのだ。
ぼくはえらく感動してしまって、本気で泣きそうになっていた。
「わたしたち、ふたりともコーヒーが大好きなんです。
1日に10杯も20杯も飲むんですよ」
オーダーが終わると、ぼくの方に顔を向けておばあちゃんが言った。
「それは飲み過ぎですって。ハハハハ」
涙が出そうなのを無意味な笑いでごまかし、彼らをテーブル席に案内した。
正直、お年寄りの客層をまったく意識していなかったので、
店の空間は彼らに優しいとは言えない。
でも、マチスタがコーヒー好きのお年寄りのたまの楽しみの場になれるのなら、
こんなに素敵なことはない。
そんなことを考えてたらまた感動してきて、
ぼくは思わず焼き菓子コーナーからフロランタンをひとつとって
彼らのテーブルの上に置いた。
「どうぞ、これ、食べてください」
これもちろん、ぼくの感謝の気持ち、お店からのサービスである。
しかし、それを見ていたコイケさんが間髪を入れず言った。
「もっと柔らかいヤツがええんじゃねん?」
……しまった、フロランタンは結構硬めの焼き菓子なのだった。
コイケさんのひと言を契機に、店にいたお客からも
「それは硬すぎる」「無茶だ」と非難の声を矢継ぎ早に浴びせられた。
思慮が足りなかったのは認めるが、なんだ、この展開は? 
さっきまでの感動が一瞬に吹っ飛んでいた。
「ど、どうも失礼しました」
ぼくはテーブルの上にそのままになっていたフロランタンを引き上げ、
代わりにフィナンシェを置いた。
「どうもありがとうね」
ふたりは30分ほど会話を楽しみながらコーヒーをゆっくり飲んだ。
帰りには焼き菓子をたくさん買ってくれた。
ぼくが非難されたフロランタンまで。
そして来たときと同じように、タクシーに乗って帰って行った。
通りに出てふたりを見送りながら、
またあの感動がうねりのようによみがえってくるのを感じた。
コーヒー1杯300円、そんな小さなビジネスにこんな感動があるのだ。
いま進んでいる道は間違っていない、そう強く思えた。

いい話の直後になんなのですが、お知らせです。
4月21日(土)と22日(日)の2日間、
玉野市の宇野港近くにある工房&ギャラリー「駅東創庫」のイベントに、
マチスタ・コーヒーが初めて出張•出店します。
時間は午前10時から午後5時まで。
メニューはマチスタブレンドと焼き菓子のみです。
なお、当日はぼくがコーヒーを淹れることになるのではないかと
(コイケさんとのーちゃんには岡山で売り上げを伸ばしてもらわなきゃいけないので)。
春の週末、アートとともにコーヒーはいかが?

最近、新たな雌の野犬が出現、サブが目当てなのかこうやって事務所の前によくいる。近所にはまたぼくが餌付けしていると思われているに違いない……なんでこうなる?

「テイクアウトができることを示すサインがあったほうがいい」というお客さんの意見を採用し作成しました。デザインは最近めきめき腕をあげているヒトミちゃん。成長したなあ。

いろいろお祝いにもらいました。藍染めの集金袋みたいなのは染めの作家•浅山クンによるもの。極小のトートバッグは三原のアーティスト、ヒロシとロラの作品。このほかにもたくさん! みんな、ありがとう!

ぼくが住んでいる都窪郡早島町で毎年春に開催されるチューリップ祭り。あまりに平和で素敵な光景なので、全然関係ないけど掲載しちゃいます。映画の『マジェスティ』みたいなところです。

のーちゃんとコイケさんのこと

マチスタのオープンから1週間過ぎて。

我が社アジアンビーハイブの入り口のすぐ横に、
下の写真のごとく、かくも立派な神事・仏事用植物の無人販売コーナーが出来てしまった。
もちろん当社が販売しているわけじゃない。
近所のスワキさんというおばちゃんだ。
あれはまだまだ寒い頃、たしか2月のことだったと思う。
「赤星クン、悪いけどな、あんたんとこの事務所の脇で
“しゃしゃき”とか“さかき”を売らしてもらえんじゃろうか?」
なにせ実家も近いのでむげに断ることができない。
それでも「はあ、まあいいですけどね」と
さも歯切れ悪く返事をすることで一応の抵抗は試みたのだが、
そんな芝居が児島のおばちゃんに通用するわけがなく、
2、3日後には、想像をはるかに上回るスケールの無人販売所が出来上がった。
最初に見たときは、思わず立ち止まって頭を抱えたうえに鼻血が出そうになった。
さらにその数日後のこと。
300円売れたとかで、「1割はあんたにあげるけん」と30円をぼくに握らせようとして
執拗にスワキさんが迫ってきた。
ぼくは「いらんわ! 絶対いらんけん!」と逃げながら断固拒否した。
いまから思えばその強い態度が最初にほしかった。
無人販売所ができて約2か月が過ぎたものの、
その光景にはいまなお慣れることができず、
目に入るたびに若干の気持ちの萎えを感じないではいられない。
でも、なんだかんだいって、基本、アジアンビーハイブのある児島は平和なのだった。

ところ変わって岡山のマチスタ。
のーちゃんの、ここのところの成長ぶりには目をみはるものがある。
厨房での動きにどんどん無駄がなくなってきた。
お客さんがたてこんでもけっして慌てず、てきぱきと注文をこなす。
そして、コーヒーを淹れる姿の美しさだ。
視線を一点に据え、ドリップに集中している姿は凛としていて、
ついつい見入ってしまうほど。
「最近、のーちゃんの淹れるコーヒーのほうが美味しいと思うんですよ」
コイケさんがいつもの笑顔でそんなことを言っていた。
まるっきり冗談とも受け取れない、それぐらいのーちゃんの腕は上達している。
東京のカフェで働いた経験があるとはいえ、ドリップコーヒーは淹れたことがなかった。
そんな彼女がこの1か月でここまで成長したのも、
実はほとんどコイケさんのおかげなのである。
そう、言い方が悪いかもしれないけど、
コイケさんがこの短期間でのーちゃんを仕込んだのだ。

最初にのーちゃんを採用しようとしたのはコイケさんだった。
彼女のことが気に入ってのことなので、それなりに彼女には優しかった。
ところがだ。のーちゃんが仕事でマチスタに顔を出すようになってからは、
手のひらを返したように厳しくなったのである。
怒鳴ったりすることは絶対にないんだけど、
言うこと言うことが、ぴしゃりと肌を打つように手厳しい。
コイケさんと付き合いはじめて7年ほどになるが、
そんなコイケさんを見るのは初めてだった。
ものを深く考えるクセのないぼくは、
最初はコイケさんがのーちゃんのことを嫌いになったのかと思った。
でも、奇跡的な思慮深さが唐突にやって来て、
それがコイケさん流の作戦なのではないかと思うようになった。
じゃあ、なぜコイケさんがそんなことをしているのかにまで考えを巡らせると
————なるほど、マチスタが成功するか否かの、
大きな部分がのーちゃんにかかっているじゃないか。
それを真っ先に見抜いていたコイケさんってやっぱりスゴい。
一方、経営者であるぼくはなにを考えているんだか(なんにも考えてなかったわけですが)。
以降、経営者のぼくはまったく口を出すことをせず、
心のなかでのーちゃんにエールを送り続けていたのだった。

そして、のーちゃんは試練を耐え抜いた。
実際、この1か月は彼女にとって相当キツかったはずだ。
しかし、彼女は案外、強い。たくましい。
というわけで、のーちゃんを3月26日付けで社員第3号に採用した次第だ。
これでまたマチスタのハードルを高くしてしまった感は否めない。
でも、のーちゃんはやってくれる予感がする。
コイケさんが重厚な差し手の居飛車党としたら、
のーちゃんは華麗なさばきを見せる振り飛車党だ。
一軒のお店でそんな変化に富む差し回しができたら、
かつての羽生さんのような7冠制覇も夢じゃない(すいません、将棋好きなもので)。

マチスタのオープンから1週間が過ぎた。
あてにしていた午前中の客の入りはお世辞にも良いとは言えず、
テイクアウトもまだまだ少ない。
売り上げ自体はそこそこいっているのだが、
「オープン特需」による何割かをそこから差し引くと、
はっきり針は赤に振れるだろう。
でも、初日に見たぼんやりとした明かりは、いまも遠くでゆらめいている。
少しずつだ。焦らず、少しずつそこに近づけるようにしよう。

まがりなりにもデザイン事務所です。その玄関がこんなことになりました。これで仕事のオファーがまた減ったような気がしなくもない。

朝イチの清掃の後、サブを連れて海に行くのが児島のルーティーン。天気のよい日なんか最高です。マイナスイオンを浴びまくりのサブです。

オープン前日の夜にぼくが縫ったカーテン。生地を買ったとき「どこかで見た柄だなあ」と思っていたら、自分のトランクスだと後に判明。

コーヒーチケットがぼちぼち出てます。ドリンクやフードにも使用できるので、いわばマチスタの金券なわけ。絶対お得ですから。

きっと

長野県伊那市『きっと』
発行/きっと編集部

南アルプスからほど近い長野県伊那市高遠町で3人の女性が制作する、リトルプレス。
毎号、豊かな山の恵み、水の恵みを慈しみながら自然に寄り添って暮らす人々を特集し、ページをめくるたびに、丁寧に綴られた記事と、素朴で美しい日本の田園風景の写真に心癒やされます。
「きっと」あなたのお気に入りも見つかるはずです。

きっと
http://kitto.petit.cc/

定価500円

発行日/2011.8

マチスタ、オープンしました。

コーヒー1杯300円のビジネス。

オープン前日の夜、ぼくは小学校の家庭科の授業以来の裁縫にいそしんでいた。
マチスタのスタッフルームの目隠しにするカーテンを縫っていたのである。
これが『情熱大陸』だとしたら、
経営者のぼくが主人公として、縫い物をしているこのシーンはありか否か、
なんてことを考えながら
(答えは「否」。理由は所帯じみて絵柄が悪いし、
なにより手つきが不器用で緊張感のかけらもないから)。
約2週間近いプレオープン期間中に、
お客さんから貴重な意見を少なからずいただいた。
経営者としてそれらはマチスタの課題として受け止め、
ひとつひとつ解決できるものは解決していった。ぼくが縫っていたカーテンも、
「スタッフのロッカーが見えないほうがいい」という
お客さんからの提案によるものだった。
おかげさまで、このプレ期間中にお店としての精度は
随分アップすることができたと思っている。ホント、みんなに感謝だ。

店の前に立てる「A看板」と呼ばれる自立型の看板も、
ぎりぎりオープン前日の日曜日に届いた。
プレオープン直後から、
外から見て何のお店なのかがひと目でわかる看板が必要だと感じていた。
でも、デザインのイメージがなかなか浮かんでこない。
そんなときである。
前回紹介したマチスタのカウンターを照らすランプ、
その段ボール箱の中に同梱されていた荷物があった。
アンティークのアルファベットのスタンプが6個入っていた。
ランプを購入した福岡のアンティークショップ「eel(イール)」には、
メールでオーダーを入れた際に
「新しく開店するコーヒーショップに使います」とひと言だけ伝えておいた。
それを見て、店主がお祝いの品としてプレゼントしてくれたものに違いなかった。
そのスタンプのアルファベットは、「c」「o」「f」「f」「e」「é」。
それぞれ同じ書体なんだけど、なぜかサイズはまったくバラバラだった。
そのスタンプを机の上に並べてみて、瞬間、ひらめいた。
サイズのバラバラ感をそのまま生かしてロゴ風に組み、看板にしてみようと。
デザインにとりかかったら1時間もかからなかった
(ヒトミちゃんにはコーヒーカップのイラストを描いてもらいました)。
すぐに谷川工房の伸クンにデータを送って、板と塗装のイメージを伝え、
さらに「来週の月曜日のオープンまでに間に合わせたいんだけど」と無理なお願いをした。
伸クンは休日にもかかわらず、日曜日に届けてくれた。
いろんな人たちの気持ちが入っているこの看板、
出来ばえには200パーセント満足している。

4月2日月曜日、年度の始め、マチスタのオープン日。
8時には店を開けて、「さあ、いらっしゃい!」だ。
人生2度目のビラ配りに、前回以上の粘りを見せることが出来たと
自分に満足した状態で開店を迎えることができた。
8時をちょっと過ぎたところで最初の客が! と思ったら、
プレオープン期間中、まるでスタッフのように毎日やってくる友人の高橋さんだった。
高橋さんは誰よりもお金を使ってくれているから、
マチスタの一番の上得意に違いないんだけど、
あまりに店にいる時間が長いのでスタッフ的な扱いを受けている。
また高橋さんもそれがまんざらでもないようで、
その日も「おはようございます!」と言って店に入るなり、
すぐにトートバッグを隅に置き、いかにも一緒に最初の客を待つという風情で
店の入り口にカラダを向けてカウンターの前に立った。
そして最初のお客さんがやってきた。
出勤途中のOLだろうか、車を店の前に駐車してあった。
「持ち帰り、出来ますか?」
「大丈夫ですよ」と朝らしいさわやかな笑顔でのーちゃんが対応。
さて、そこでぼくの出番である。
お客さんがカウンターの前で待っている間、つかつかと彼女に近づいた。
近づいたはいいが、こんなときになかなか言葉が出てこないのがぼくという人間だ。
「……あ、あのお……あなた、最初のお客さんです」
「ええっ! そうなんですかあ!」的な反応はまったくなく、彼女は無言で、
眼鏡の奥で目をしばたたかせただけだった。
「あ……このお店、今日オープンなんです」
「あ、はあ」
 あまりの反応の薄さに、会話の成立する見込みがないと悟ったぼくは、
無言で彼女の前を横切って菓子棚から焼き菓子をひとつ手にとり、
「これ、どうぞ」。
「はあ、どうもありがとうございます」
そのとき、なぜか高橋さんもずかずかと菓子棚に近づいて行って、「これもどうぞ」
「はあ、ありがとうございます」
以降、まったく会話のないまま、記念すべき第一号のお客さんは去って行ったのだった。

10時半過ぎにコイケさんが自転車で出勤。
コイケさんは午後からのシフトなんだけど、
やはり初日ということで気になっていたのだろう。
でも、お客さんの入りは朝からまばら。
午後になってものんびりした感じだったので、
のーちゃんはシフト通り2時にあがってもらった。
そのときは、まさか閉店の8時まで、あんなに人が押し寄せるとは夢にも思わなかった。
のーちゃんが帰ってからというもの、マジで人がひっきりなしだった。
お祝いを持ってきてくれた友人たち、新聞記事を見て来た人たち、
たまたま通りかかった人たち。
わざわざマチスタを目指して来てくれたのに、お店に入れず、
帰って行った人たちも少なからずいた。
来ていただいた方々には、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。
また、入れなかった方々、本当にすいませんでした!

歩道に出したままの看板を店内に入れたときには、背中に痛みがあった。
なんせ朝の7時半から夜の8時まで立ちっぱなしである。
しかも2時からはお客さんとの会話だけでなく、洗い物もする買い物もする、
店の外にいるお客さんにも気を遣う。
加えて朝から何も食べていないし、何も飲んでもいない。
目は確実に5ミリほど落ち窪んでいたと思う。
そして最後の作業は本日の集計。
コイケさんとふたり、レジから出てきたレシートをカウンターの上に置いて眺めた。
売り上げはちょうど4万円あった。
プレオープン期間中の最高額が3万円に満たなかったことを考えれば上々だ。
でも、同時にいろんな思いがよぎったのも事実。
正直、あれだけの準備をして、あれだけ働いて一日4万円かという思いもあった。
「飲食って、大変でしょう?」
ぼくの思いがまるで見えたかのように、コイケさんが笑顔で言った。
こういうときのコイケさんって、ほんとヨーダみたいだ。
『スター・ウォーズ』はあんまり見てないんだけど。

明日以降、4万円も売り上げることはまずないだろう。その半分がせいぜいだと思う。
コーヒー1杯300円のビジネス。
道は相当に険しいけど、ぼんやり遠くに明かりも見えた気がした、
そんなマチスタ初日でした。

これがオープン前日に納品された看板。表面にはヒトミちゃんのイラスト、裏面にはメニューがヘルベチカで羅列してある。板の表情もいい感じね。

倉敷のケーキ屋さん「エル・パンドール」のショウコちゃんがもってきてくれた名物ザッハトルテ。見事にマチスタのロゴが再現されていました。

あまりに忙しくて初日は閉店まで写真撮影を完全に忘れてました。というわけで、夜の閉店直後の歩道。あれ、ちょっとニューヨークっぽくないですか?

オープン翌日、春の嵐の中、わざわざ広島県の三原と福山から来てくれた友人のヒロシとジャリくんファミリー。ジャリくんがやってる福山の「café nanairo」のハンバーグはヒトミちゃんも大ファン。

TEN・YA

福岡県福岡市『TEN・YA』
発行/コードスタイル

福岡で住宅リフォーム・リノベーション、店舗デザイン、オリジナルオーダー家具製作を手がける、コードスタイルが発行しています。
福岡市内のさまざまなジャンルの名店と、コードスタイルならではの、おしゃれな店舗のリノベーションの事例を紹介しています。

TEN・YA
http://codestyle-web.com/tenya.html

発行日/2011.11

マチスタで会いましょう

開店まであと2日——————

オフィスから歩いてすぐのところに両親がふたりで住んでいる。
脳梗塞の後遺症で麻痺がある母親を、7歳年下の父親が介護している。
最近よく聞く「老老介護」というやつだ。
うちのオヤジは、掃除に洗濯、結構家のことをまめにこなせるし、
それがあまり苦でもないので、適任といえば適任。
でも、昔から料理だけはからっきしダメだった。
そこでその穴を埋めるべく東京から帰ってきたというのが、
ぼくのUターンの理由なのだった。
とはいっても、仕事をしながら三食を作るというのはさすがに無理な話で、
ぼくの担当はもっぱら両親の夕飯の支度のみ。
夕方の5時に仕事をいったん切り上げてマルナカ(岡山では大手のスーパーです)に行き、
その足で実家に帰って夕飯を作ってまた仕事に戻る。
そんな生活を7年やってきた。
当然、一緒に暮らしていなくても、親とは毎日顔を合わせる。
でも、実はこのたびのマチスタの一件をオヤジにはまだひと言も言っていない。
昔から親とのコミュニケーションが苦手だ。
いつオヤジに言い出そうか、そのタイミングをはかっている今日この頃である。

夕方、銀行員のシマちゃんから電話があった。
例の融資が決まったという連絡だった。もう十割あきらめていた。
3月末の支払いには500円玉貯金を崩すつもりでいたし、
シマちゃんにも、
「今度来たときは500円玉をたっぷり持って帰ってもらうことになるからね」と告げていた。
いまから考えれば、あのひと言がなにげにシマちゃんを奮起させたのかもしれない。
いずれにしても、電話の向こう、シマちゃんの声はぼくよりも嬉しそうだった。
早速、翌日の朝に、税理士の島津さんに融資が決定した旨を報告した。
「よかったですね!」と彼女も存外な喜びようで。
「『マチスタ・ラプソディー』を読んでもうダメだと思ったので、
勝手に新しい融資先を探していたところだったんです!」
自分ところの税理士まで読んでいるなんて、
『マチスタ・ラプソディー』、結構な人気ですな。
————と、言いたいのはそんな話じゃなくって、
いろんな人にご心配をおかけしてホントすいません、だ。

カウンターを真上から照らすランプの取りつけが終わった。
ランプは福岡にあるアンティークショップ「eel(イール)」からネットで買ったもので、
ヨーロッパで実際に店舗用として使用されていたらしい。
ちょっとデザインが変わっている。
最初は普通にホーローのシェードの付いたランプを買うつもりだった。
でも、なにせ青い壁の個性が強いので、
ちょっと変わったデザインのほうがマッチすると思った。
送られてきた段ボールを開けて現物を見たときは、
正直「やりすぎちゃったかなあ」という感じだったんだけど、
実際取りつけてみると、サイズもデザインもまったく違和感がない。
これでついにマチスタの内装が終了した。
クセのある内装には違いないが、
新しいタイプのコーヒースタンドとして楽しみのある店になったと感じている。

さて、オープン目前である。
オープン前にやれることは全部やろうという経営者の方針で
(つまりぼくが言い出しっぺということですが)、
早朝から街頭でのビラ配りなんぞやってみた。
朝7時から出勤してコーヒーの準備をしているのーちゃんに
「行ってきます!」と言ってフライヤーの束を手に外に出た。
目指すはマチスタからもっとも近い交差点。
道路の向こうには信号待ちをしているサラリーマンやOLが20人ほどいた。
心のなかではさっきから宣伝文句を呪文のように唱えている。
「コーヒースタンドの『マチスタ・コーヒー』です。
来週月曜日にオープンします。よろしくお願いします!」
信号が青に変わる。
こっちに向かってくる一団の足どりは速く、
なにやら気ぜわしい感じで、いきなり軽くビビってしまった。
なんせ人生初のビラ配りだし。
で、さっきから呪文のように唱えていたのに、
いざ最初に手渡そうとしたサラリーマンには、「……あ、あの、コーヒーです……」
完全に無視された。
ぼくよりもひとまわりは若いサラリーマンには、
汚いものを見るような目で見られたうえに、ビラを受け取ってくれなかった。
それでも「コーヒーです、コーヒーです!」と、
集団に向かって誰かれかまわずビラを渡そうとしている自分の姿が
(しかも誰ひとり受け取ろうとする人がいない)、
かなり痛い光景であると悟るのにそれほど時間はかからなかった。
マチスタ経営者として、ビラ配りが逆効果であるとぼくは早々に判断して引き上げた次第。
「いやあ、ビラ配りって難しいね」
幼稚園児が作った紙飛行機なみの滞空時間の短さに、
のーちゃんもさすがに驚いたようだった。
「完全に心が折れちゃった。もう無理ッス」
ぼくがそう言うと、のーちゃんは笑顔で「じゃあ、私、やってみていいですか?」
そう言ってぼくがもっていたフライヤーを手にとり、
交差点に向かって歩き始めた。
大方の予想通りと言っていいだろう。
のーちゃんの手からはみるみるフライヤーが減っていった。
経営者のメンツ丸つぶれ。
でも、ぼくの誇りやメンツなんてどうでもいいことで、
ぼくは店の前にひとり立ち、
すぐ先の交差点でフライヤーを配るのーちゃんにずっとエールを送っていたのだった。
それにしても結構やるな、のーちゃん。

いろんな人にご心配をおかけしながら、またご迷惑もおかけしながら、
いよいよ「マチスタ・コーヒー」が船出する。
4月2日の月曜日、開店は午前8時半。
当日、朝からぼくは懲りずにまたビラを配ろうと思っています。

これがカウンター上のランプ。存在感はかなりのもの。見ようによっては、焼き肉屋さんのテーブルのすぐ上にある換気扇に見えなくもない。

プレオープンの期間中たくさんの花をもらいました。深謝! 写真の胡蝶蘭は渋谷にある三浦デザイン事務所から。やることがバブリーですな。

黒板で11枚つづりのチケットを宣伝中。「チケットあり〼」なんて書くのは当然コイケさん。それを咎めることができない経営者だった。

SeCue

静岡県伊豆地方『SeCue』
発行/株式会社BACCO

静岡県東部・伊豆から発信され、「ひと」と「もの」と「まち」をつなぐ『SeCue』。
各号ワンテーマを掲げ、伊豆の美しい風景や歴史文化、この地に暮らす個性的な人々に目を向け、地域色豊かにお届け。
伊豆の食材を使ったフードやドリンク、伊豆をテーマにしたおみやげの企画開発も行っています。

SeCue
http://www.loopto.com/magazine/jp/secue/
ブログ
http://se-cue.blogspot.com/

発行日/2012.3

プレオープンしたものの……

開店まであと 6日——————

以前にちらと触れた、銀行からの融資にそろそろ決着がつきそうだ。
最後のハードルが信用保証協会なる機関による審査。
この協会員がわざわざうちの事務所にやってきて直接話を聞くのだという。
今回、融資の話を進めてもらっている銀行員のシマちゃんからは、
融資に関してはまず問題ないので、「もう正直に話しちゃってください」と言われていた。
で、後日やってきた女性協会員にぼくはありのままをお話しした次第。
ところがこの協会員、ぼくの回答に対しての受け答えが、
「はあ……」とか「うーん……」とか、とにかく歯切れが悪い。
ひと通り会社の実情を話したところで、ぼくはズバリ聞いてみた。
「なにか不安なところでもありますか?」
「いえいえ、滅相もございません」的な答えが当然返ってくると思っていたのだが、
彼女、「はい、多少」などとそこははっきりおっしゃる。
おまけに返す刀で「失礼ですが」と初めて攻めの姿勢を見せたかと思うと、
「社長は個人資産をかなりお持ちですか?」
必殺の一撃を打ち込んできた。
「こ、個人資産……というと?」
「定期預金とか、預貯金です」
で、ぼくもついに伝家の宝刀を抜いてやった。
「貯金の類いでは、500円玉貯金があります」
「はっ?」
「500円玉といっても全部で20万円ぐらいあると思います。
いや、本当は16〜17万円ぐらいかもしれない。
前はよく数えていたんですけど、最近はあまり数えないようにしてるんです。
だいたいがっかりすることが多いから」
彼女が帰ったその日の午後、銀行のシマちゃんがやってきた。
信用保証協会の彼女から早速連絡があったそうだ。
その連絡の内容のせいだろう、それまでの終始「余裕ですよ」的な態度はどこへやら、だ。
おまけにシマちゃん、「社長、あのですね」と小声で話しかけてくる。
「シマちゃん、なんで小声で話すのよ? 
あのさ、保証協会が保証できないって言うんだったら、
オレはそれで全然かまわない。
だからシマちゃんもオレに悪いなんて思わないでいいから」
「いや、社長! 私がなんとかしますから!」とは言わなかった。
「はあ、どうもすいません……」とシマちゃん、消え入るような声で。
ええっ! そこで引くぅ!?

さすがに簡単には勝たせてくれないな、
というのがマチスタのプレオープンから数日しての感想だ。
プレオープン当日は、前日にFacebookで告知しただけにもかかわらず、
祭日ということもあって午前11時のオープンから来客がひっきりなし。
さらに次から次へと知った顔がやってくる。
なかには一度帰ったのに、数時間後にまたやってきてくれた友人もいた。
感情を込めてお礼を言って暑苦しいと思われるのがイヤなので、
わりとクールに「ありがとね」としか言ってないんだけど、
本当は心のなかで叫びたいぐらいに感謝してます。
コイケさんとのーちゃんにも感謝だ。
ふたりにはハードな一日だった。
とくに実際のお客さんにコーヒーをドリップで淹れるのが初の彼女には、
心身ともにキツい一日だったと思う。
さて、お店の一日の締めくくりは、レジを使っての売り上げの集計だ。
さあ、いらっしゃい! 
レシートにある数字を見て、少しずつ鼻から空気が抜けていった。
あれだけ人が来て、こ、こんなものなのか……。
現実という冷や水を頭から浴びせられたような気がした。
一日300杯のエスプレッソを売る下北沢のカフェの本なんか読まなきゃよかった。
しかも、その日来たお客さんのほとんどがぼくかコイケさんの友人や知人である。
翌日からの平日の営業を思うと、ホラー的にうすら寒くなるものがあった。
そしてその予想は現実のものとなった。
プレオープン以降の一日の売り上げは、
最低限クリアしたい額の半分ほどしかなかったのだった。

こんな超シビアな展開に、一筋の光となりえるだろうか。
マチスタ最大の売りであるコーヒーの
「マチスタ•ブレンド」の味がようやく決まりつつある。
そう、プレオープンしてもまだ例のブレンドの味が決まっていなかったのである。
焙煎士のカフェリコ稲本さんには何度も試作品を持って来てもらっているが、
まだ「これだ!」という味に行き当たらない。
稲本さんもつい最近、自身のブログで
「久しぶりに難題にあたっている」と吐露していたほど。
そんな矢先のこと。なにも言わずにのーちゃんが淹れてくれたコーヒーの味が、
それまで飲んだことのない鮮烈な味だった。
香りがよくて強くてコクがあって、
それでいて口当たりが優しく飲んだ後のあと口がすっきりしている。
な、なんだ、このコーヒーは? 
「稲本さんがもってきてくれた新しいブレンドです」とのーちゃん。
いや、そうだろうとは思っていたけどね。
それから2時間ほどして、稲本さんがマチスタにやってきた。
相変わらず花粉症で目は赤らんでいるが、その目はいつもよりも断然輝いていた。
まさに「どうです!」と言わんばかりに。
「最高です! 稲本さん、ついにやりましたね!」
ぼくが言う前に、コイケさんがさらりとこう言った。
「もうちょっと酸味があったほうがええなあ。できる?」
ええっ! まだやるぅ!?

プレオープン当日の様子。入り口でこちらを向いてホットドッグを食べているのがクリエイティブ・ディレクターの高橋さん。なんと5日連続で来てくれました。ホント、いい人だなあ、高橋さん。

フードは2種類、ホットドッグとミートボールサンドイッチ。パンは箕島の「どんぐりコロコロ」に特別にオーダーして作ってもらっている。ミートボールはコイケさんの自家製です。

ベーグルは岡山在住のベーグル研究家•服部さんによるもの。外は少しぱりっとして、なかはかなりのもちもち度。当面、日曜日に入荷することになっています。OLで本業の仕事をもっているもので。

コイケさんのジュニア作のフィナンシェ、塩サブレ、パイの3種は絶品! ほかに倉敷市林のパン屋さん「KONPAN」のフロランタンを販売しています。すべてコーヒーに合わせてのセレクトですな。

マチスタのプレオープンを控えて

開店まであと 14日——————

倉敷の美観地区の近くに輸入家具と雑貨を扱う「スプートニク」という店がある。
店舗は小さいけど、店主の香川さんによるイタリアを中心にしたセレクトで、ファンが多い店だ。
4、5年前に彼が店を一時休業して店舗の全面リニューアルをやったことがある。
驚いたのは、この香川さんという人、1から10まで内装をすべて自分でやるという。
天井や壁はもちろん、床のタイル貼りまで。
期間は2か月近くかかったんじゃないかと思う。
でも、香川さんは完璧にやり遂げた。天井付けの空調を隠す箱や、
なんとレジ台までオリジナルで作ってしまった。

さすがにそこまでやる人は稀だけど、
岡山では「ああ、自分たちで適当にやっちゃいました」的なことをよく聞くし、
岡山の人は実際結構やる。
だからだろうか、我が社アジアンビーハイブを訪れた人から、
「これ、赤星さんがやったんですか?」とよく尋ねられる。
(当社のオフィスは大きな倉庫を改装して作っている)
そのたびにぼくは「いえ、工務店ですが」と面白くもない普通な答えを返している。
この手のことに関して、ぼくのスペックは3歳児なみ。
サブの犬小屋でさえ満足に作れない。
マチスタの改装リニューアルにもぼくはほとんど戦力になっていない。
対して、コイケさんの戦闘力は相当に高い。
今日も、メニューボードを照らすライト用にぼくが手渡したハロゲンのスポットライトを
お客さんと談笑しながらいじっていたと思うと、
お客さんが帰った後、おもむろに電動ドライバーを手に脚立の一番高いところに上って、
「カンタンですよ」と笑いながら天井に出ている配線をちゃちゃっといじって
ものの5分で取り付けてしまった。
そこそこ包丁が握れるぼくからしたら、
料理に腕をふるうコイケさんよりも、工具を手にしているコイケさんの方が
実は尊敬の度合いが高かったりするのである。

この週末にかけて、新生マチスタはみるみるそれっぽくなっていった。
早島の木工所「コンパネーロ」にオーダーしていたホワイトオークのカウンターの板を
コイケさんとぼくとで取り付けた。
(ぼくは板を支えていただけでコイケさんが取り付けました、正確に記せば)
看板屋さんの「谷川工房」からは、アジアンビーハイブがデザインした看板、
ガラス面のカッティングシート、
それにカウンターの奥の壁にかけるメニューボードが届き、設置してくれた。
そして最後の仕事はコイケさんによるレジ台作り。
岡山では「自分の店のレジ台は自分で作る」みたいな慣習が古くからある。
というのは嘘で、これは気に入ったレジ台がなかなか見つからないということだろう。
コイケさんはこれも2時間ぐらいで、誰の手も借りずに作り上げてしまった。
いやはや、おそれ入谷の鬼子母神だ。

そして日曜日、内装がひと通り終わった。
工事が始まったときは「これが1か月で終わるのか?」と思えた。
でも、終わってみれば、コイケさんの予想通り、3週間もかからなかったことになる。
あらためて新しい照明のもと、新しくなった店内を眺めてみた。悪くない。
最初は存在感がありすぎかなと思えた青い壁も、
そのおかげで、ロンドンのポートベローあたりにありそうな
コーヒースタンドの雰囲気を与えてくれている。
行き当たりばったりの面も多々あったが、
まったく悪くない感じだ。コイケさんものーちゃんも、
十分に満足してくれているように思う。
今となっては、コイケさんから旧マチスタが閉店すると聞いたのが随分前のように思える。
あれからたった3か月しか経っていない。
でも、この3か月で実にいろんなことがあり、実にいろんな人と出会った。
「カフェリコ」の焙煎士、稲本さん、
ベーグル研究家の服部さん、「コンパネーロ」の横田さん、
ホットドッグのパンを焼いてくれた「どんぐりコロコロ」(箕島)の森山さん。
彼らとはマチスタの件がなかったらたぶん会うことはなかった。
それから、スタッフのエプロンを作ってくれた藤田クン、
「カフェ アンドゥ」のせんちゃん、林のパン屋さん「KONPAN」の近藤さん、
「谷川工房」の伸クン、フライヤーを印刷してくれた「研精堂」の横畑さん、
能登夫妻、通りすがりに棚の設置を手伝ってくれた「fift」の五十嵐夫妻、
試飲やら試食やらにいろいろ付き合ってくれ終始バックアップしてくれた
「カーネス」の元スタッフのタカちゃん、
それからうちの会社のスタッフのヒトミちゃん、サトちゃん、ミヨさん。
いろんな人たちに多大なご協力をいただきました。
この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。みんな、どうもありがとう!

ついつい流れで、お世話になった人たちの名前を挙げたりして、
いかにも最終回の様相ですが、まだこの連載が終わるわけじゃないと思います。
で、「内装も終わったしね」というので、
いきなりですが、3月20日(火)にプレオープンすることにしました。
正式な開店は4月2日(月)なのですが、それまで実際に営業しながら、
ないものを補ったり、徐々に体制を整えていこうではないかと。
というのは半分建前で、
本音では「今日稼げるものは今日稼げ」的な部分も少なからずあります。
なお、営業時間は平日・週末ともに11:00 〜 18:00です。
というわけで、次回はプレオープンの模様をレポートしてみます。乞うご期待!

あ、前回の連載で「次回に触れる」と約束していた映画『アウトロー』の件は忘れてください。
まあ、ぼくが約束を無視する無法者だった、ということで。

「コンパネーロ」の横田さんによるカウンターの板はホワイトオークの一枚モノ。何度も塗りを重ねるなど手がこんでます。いい仕事してますねえ。

マチスタまで0メートル……つまりここってことで。

青い壁にウッド地のメニューボード。「ICE+50YEN」の文字のみステンシルのフォントを使用、しかも微妙に文字をずらすなど小賢しさ満載。

のーちゃんを美しく撮ってその写真で客を呼ぶという作戦も考えたのだけれど、至近距離からカメラを向けることができず、この微妙な距離感。

源じろうさん

改めて気づいた、和歌山の海の景色の美しさ。

昨年11月に和歌山市の片男波公園で開催された
アート&クラフトイベント「満潮祭」で大会委員長を務めた、源じろうさんこと、半田雅義さん。
本業はリノベーションカフェのオーナーだが、
和歌山市で発行される情報誌『アガサス』に連載を持ったり、
イベントを行ったり、和歌山カルチャーを発信しているひとりだ。
ちなみに、「源じろう」とは、最初のお店の屋号で、
知人たちの間で呼ばれているうちにいつのまにかそれを通称にしてしまっているのだそう。
満潮祭は、『アガサス』の25周年記念の特別イベントとして開催されたもので、
和歌山という土地の美しさと、和歌山でものづくりをする作家のことを
多くの人に知ってほしいというのがコンセプト。
和歌山県内の陶芸家やアーティストのお店のほか、
ミュージシャンの七尾旅人やU-zhaanの無料ライブも開かれ、当日は多くの人が詰めかけた。
「和歌山にもこんなに面白いものをつくる人がいたんだってわかれば、
地元の人も“和歌山も捨てたもんじゃないな”って自信がつくと思ったんです。
それくらい、やっぱり今、まちの元気がなくなってきていると思う」

カウンター上部に取り付けた彩やかな色が美しいスポットライト。

和歌山市から海岸に沿って1時間ほど南下した有田市にある「rub luck cafe」は、
源じろうさんが和歌山の美しい景色をもっと多くの人に知ってほしいと、
リノベーションを手がけたカフェだ。
「和歌山の自然がありのままに見られるカフェをつくりたかったんです。
有田市に訪れてみると、海の景観がすばらしくきれいだったんですね。
この海の景色は昔から何も変わってないんやろうなって思ったんです。
以前、器を売る店を営んでいたとき、焼き物が好きで、
ずっと器を売ってきたんですが、自分の店の商品は、
他の店とどこに違いをつければいいのかわからなかった。
京都の器を扱えばいいのか、いや違う。
東京で流行った新しいものを取り入れればいいのか、いや違う。
そんな葛藤がずっとあった。
ある日、和歌浦に夕日が沈む景色を見ていて
これは和歌山の財産やないかなぁって。
和歌山の持っているもんで勝負したい。
そう、思うようになっていったんです」
そうして、源じろうさんは、海に面した倉庫を借りて、カフェを開くことを決めた。
「まわりからは反対されましたけど(笑)、人が来るのかとか、大丈夫かとか」
そう話す、源じろうさんの明るい口調からは、不安があったことなど全く感じられなかった。
きっと本人は、rub luck cafeから見える景観に自信があったのだろうし、
さらに、信頼できる多くのスタッフが支えてくれたのだと教えてくれた。
「rub luck cafeの建物は、もとは除虫菊を保存していた倉庫らしいんです。
カフェに来たお客さんが“昔、ここで働いてたんです”って教えてくれた。
そこから、有田市はもともと除虫菊の栽培が有名で、蚊取り線香発祥の地だって知って。
海に魅せられてオープンした店だったんですけど、
ここに来たことは、和歌山を勉強することにつながっていった。
場所がつくられることによって人と人とが出会って、
文化が紡がれていくって、いいなあと思いましたね。
自動販売機では人と人は出会えへんですから。
その頃から、ぼくのなかで、『場所をつくる』ということが
大きなひとつのテーマになり始めたんです」

訪れた日は、rub luck cafeでマイク槙木さんのライブが開催される当日。proyect g oficinaにもポスターが。

和歌山で使われていたものを活かし、魅力ある「場所」をつくる。

源じろうさんは、最近、和歌山市内に、
リノベーションカフェ&バー「proyect g oficina」をオープンさせた。
まちなかにオープンさせた理由は、
若い人たちがカルチャーを発信していく場所が必要だと思ったから。
それくらい、市内は中心地が閑散としていると源じろうさんは嘆く。
このカフェの特長は、住宅などの解体現場から
拾ってきた廃材だけを使ってできているということ。
手間ばかりかかる廃材を使う理由を聞くと、
さらなる源じろうさんのこだわりが出てきた。
「『魔女の宅急便』に出てくるまち並みって、みんなの憧れだと思うんです。
あんな美しいまちに住みたいと思ってますよね?
それなのに、何でも新しく塗り替えられていくじゃないですか、今の日本って。
長い歴史のなかで大切にしてきたものをだんだん削りながら、身売りしてしまっている。
和歌山市だって、もとは、紀州藩の城下町として歴史ある建物がたくさんあったはず。
戦火もあったとは思うけど、歴史ある建物がどんどん変えられてしまっている気がするんです。
だから、ぼくは和歌山が培ってきたものを捨てずに、
まち並みをつくっていけたらなぁと思って、廃材をひらってきたんです。
誰もやらんなら、ぼくがいっこいっこ、つくってこかなって思ってるところなんです(笑)」
和歌山が持っている自然景観を楽しむことから、
もともとあるものを使って新しいカルチャーを編みはじめた源じろうさん。
みんなが自慢したくなるようなまち並みに、少しずつ変わっていくのかもしれない。
源じろうさんの言葉の熱さから、そんな期待を抱かせる。

冗談を交えながら、ときに熱く語る源じろうさんの話に終始ひきこまれてしまった。

最後に、源じろうさんに今後のプランを伺うと、わくわくするような答えが返ってきた。
「和歌山の田舎のほう行ったらね、いい物件がめちゃくちゃ空いてるんですよ。
それをリノベーションして安く1泊2,000円くらいのドミトリーをつくりたいですね。
それくらい、みんなが訪れたら惚れ込んでしまうような面白さが和歌山にはたくさんあると思う。
もともと和歌山が持ってたものを使って、新しい魅力をつくっていけたら楽しいですよね」
モノから場所、そして人のつながりへと、
和歌山の魅力を伝えてきた源じろうさんの挑戦はこれからも進化しながら続いていくようだ。

proyect g oficinaの店内には、アンティークの自転車やインテリア、古書などが置かれ、まるでNYのカフェのような雰囲気。

proyect g oficinaの入り口。看板や内装などはアーティストのウッキー富士原さんと一緒にすすめたという。

暖暖松山

愛媛県松山市『暖暖松山 だんだんまつやま』
発行/松山市

松山市が主導となり、松山の歴史やカルチャーを発信するフリーペーパー。なかでも日本最古の湯と言われる道後温泉のシンボル、道後温泉本館の歴史を紐解いた内容は、読み応えあり。さらに市民が愛するカフェやバーなどが紹介され、身近な松山を発見できそう。松山の人々のあたたかさをそのままあらわしたような、ゆるりと美しいデザインや写真も必見。新しくてなつかしい、そんな愛媛・松山本。次号にも期待が募る。

愛媛県松山市『暖暖松山 だんだんまつやま』
http://www.dandanmatsuyama.com/

発行日/2012.1

チャンネル vol.5

長野県長野市『チャンネル』
発行/ch.

長野市のリトルマガジン『チャンネル』のVol.5では、
「ぼくらがZINEを作る理由」と題して、2月からch.booksで開催されていたZINE展について特集しています。
大規模に流通していない本=ZINE のつくり手の想いが伝わる一冊です。

ch.books
http://chan-nel.jp/

発行日/2012.2

マチスタ・ブルー

開店まであと 19日——————

クリント・イーストウッドが監督・主演した映画に『アウトロー』という作品がある。
南北戦争の終結後、
おたずね者になった南軍の生き残りジョジー・ウェルズの復讐を描いた映画なんだけど、
展開がちょっと変わっている。
イーストウッドが演じるこの無口で孤独なヒーローに、
彼の意思とは関係なく、旅のお供がひとり、またひとりと増えていくのだ。
どことなくうさん臭いネイティブアメリカンの老人や、
英語をまったく話さないネイティブアメリカンの娘、
プライドの高い南部の母娘、それに野良犬も一匹
(いつも馬上から噛みタバコの唾をひっかけられているのにウェルズを慕っている)。
こうやって集団が膨れ上がり、
映画の終盤では小さな村のようなものまで作ってしまう。
そんな展開に、主人公は「なんだかなあ」「しょうがないなあ」みたいな感じで、
でもしっかり流れには組み込まれているという。
この映画、大好きなクリント・イーストウッド作品のなかでもベスト3に入る一本。
おすすめです。

「前から気になってたんですよ、あの店」
いろんな人からそう言われた。
いわずもがな、旧マチスタ(街なかstudy room)のことである。
ぼくはそのコメントにマチスタ再生のヒントがあると思っていた。
つまり、彼らは気になっていたものの入ったことがない。
気になっていたのになぜ入らなかったのか————入りにくかったのだ!
では、彼らを入りにくくさせていた要因とはなにかと考えを巡らせ、
ぼくはふたつの結論を導きだした。
ひとつは、コイケさんのアクだ。
ものすごく強いアクをもっているわけじゃないし、
逆にミーハーなところも多々ある。
でも、前回お見せした豆の袋に描かれたイラストのように、
一般的ではない趣味志向も多少お持ちで、
それが店内にちらちらと垣間見えた。
もちろん、そこに惹かれているファンも岡山には大勢いた。
したがって、そのあたりのバランスをとりながら、
コイケさんのアクを若干薄めるのがぼくの役目だと認識している。
そして入りにくい要因のもうひとつが、店の暗さだ。
昼も夜もとにかく暗い。
店のなかをのぞきこむようにして見ないと、
営業しているのかどうかわからないのだ。
その解決策として、照明を増やすだけでなく、
通りから一番よく見える店内の壁を真っ白にするイメージを描いていた。

2月末で旧マチスタの営業は終わった。
翌3月1日、コイケさんが我が社アジアンビーハイブの社員となると同時に、
リニューアルの準備がスタートした。
この連載で何度も触れているように、なにをやるにも資金は乏しい。
というか、ない。
なので、内装はすべて自分たちがやる。
そして「自分たち」のたぶん9割ぐらいがコイケさんだ。
時間的な意味ではなく、技量的な意味で。
そんなこんなで、内装に関して強く押すなんてことはとてもできないという背景のもとに、
件の壁の塗装の話になった。
「やっぱり白で行きましょう。外から見たときにグンと明るく見えると思うんですよね」
「そうですね」
 コイケさんは以前から壁を白くする案に賛成してくれていた。
「天井はどうします?」
コイケさんは、旧マチスタのオープンに際して
4年前にコイケさん自身が塗った白い天井を指している。
「ん? 天井はそのままで……」とぼく。
「でも、壁の白と天井の白が絶対変わってきますよ。同じにはなりません」
「はあ……同じじゃなくても」
「天井も同じように塗らなきゃいけないでしょうね。おかしいです」
こういうことをいつもの笑顔で言うのがコイケさんという人だ。
実は我が社アジアンビーハイブのオフィスを作ったとき、
イヤというほどペンキを塗っている。
ぼくも天井のペンキ塗りがいかに大変かは身をもって知っているのだ。
「はあ……そうですか」
そこでぼくの悪いクセが出た。すぐ面倒臭くなってしまうのだ。
「じゃあ、ほかの色でいきますか。こうなったらもう青とか」
青とか、と言ってる時点でもうどうでもよくなっている。
でも、どうでもいいと思って口にした青にコイケさんが食いついた。
「実はぼく、青が好きなんですよ」
いつもの笑顔がさらに輝いている。
コイケさんはロッカー代わりにしている棚からカラーテープをもってきてぼくに見せた。
「こんな感じの青です」
「それまた青いですねえ。ええ、いいんじゃないですか」
こうしてマチスタ再生計画の重要な柱であったはずの「白い壁」は
青い壁に変更となり、実際青に塗ってみると、
マチスタ再生計画では「薄めなきゃいけない」としていたコイケさんのアクが
さらに強くなっていることに気づいたのだった。
まあ、青もいいけどね。

ところで、冒頭の映画『アウトロー』の話は、
当然そこにつながる話を書こうと思って書いたんだけど、
次回に書くことにします。
ただの映画紹介になってしまって失礼!

なかよくペンキの色を作っている図。ライトをもっているのがヒトミちゃん、その下はアジアンビーハイブに大阪から研修で来ていたミヨさん。

一番左が著者の私です。青いペンキが付着してもいいように青いパーカーを着てくるあたりの周到さがビジネスの展開にも欲しいところ。

「ああ、あの青い店ね」と言われそうなほど青い壁です。コーヒーの豆を曳いてくれているのは、岡山の伝説の名店「カーネス」のスタッフだったタカちゃん。

新生「マチスタ」の苦悩

開店まであと 26日——————

Krash japan』の発行に関連していくつかグッズを制作した。
そのことごとくが無惨な結果に終わっている。
最初がホームページで連載した小説『ポイズン』の書籍化。
2000部刷ったうちの1800冊が5年ほど実家の2階に眠っており、
うちのオヤジが捨てたくてうずうずしている。
次にオリジナルTシャツ。
高価なボディをセレクトした上にアーティストへのロイヤリティを加算していったら、
販売価格が6000円以上になってしまった。
当然、さっぱり売れず。
そんな具合に、エコバッグ、下津井節をアレンジしたCD『スモツイ』などが赤字道まっしぐら。
極めつけは最終号と同時に発売した「コンプリートボックス」なる代物。
全10号をぴったり収納できる箱で、完結記念Tシャツとセットで3780円という値段設定をした。
が、なんとこの箱だけでコストが4000円以上かかってしまった。
しかもこれも在庫の山ときた。
「こうすりゃいいのに」という意見は悪いけど聞きたくない。
ぼくだってバカじゃない、わかっているのだ。
わかっているのに、こうなってしまうのだ。
もしかしたら、それってバカってことなのか?

マチスタの営業時間を朝からにするというぼくの秘策に、
コイケさんはすんなり賛成してくれた。
問題は終わりの時間だった。
ぼくは夕方の5時ぐらいまでと考えていたのだが、
コイケさんは「もう少し遅くまで開けておいたほうがいい」と言う。
たしかに、「仕事帰りにコーヒーを一杯」というお客さんも結構いるだろう。
でも、我が社アジアンビーハイブの社員となるコイケさんに、
朝から夜までという長時間労働を課すわけにはいかない。
年齢も年齢だし。
児島で働いているぼくが毎日夕方から交代するというのも無理な話だった。
そんな折、ぼくとコイケさんの共通の友人で、
昨年、岡山に越してきたデザイナー・デュオの能登夫妻、その妻から
「この春、妹が岡山に移住してくるので会ってやってもらえませんか?」
とマチスタでの雇用を打診された。
なにやら東京ではカフェで働いていたらしく、
岡山でもその手の仕事を探すつもりだという。
ぼくとしては、マチスタがいまだまったくの未知数で、
コイケさんの給料も満足に払えるかどうかわからないのに、
もうひとりスタッフを増やすなんてありえない話だった。
「時給を聞かれたので“700円ぐらいだと思います”と言っておきましたよ」
仕事を探しにやってきた能登夫妻の妹さんに、先に会ったコイケさんはそう言ったらしい。
相当気に入ったご様子だった。
それから数日して、今度はぼくが会った。
コイケさんがいたく気に入るのも無理もないと思った。
彼女は控えめで、まわりのことにホントよく気がついた。
ぼくと話しながら、一緒にいた1歳になるお姉さんの娘を、
お姉さん以上に気にしてかまってやっていた。
しかも美人である。イヤミがまったくない類の。
会って10分もしないうちに、すでに彼女を雇わないという選択肢はぼくのなかにもうなかった。
「時給は800円出しますから!」
こうして能登夫妻の妹さん、通称<のーちゃん>がスタッフとして加わったことで、
マチスタの営業時間が決定した。
平日は朝8時半から夜8時。土日は朝11時から夕方の6時まで。
のーちゃんが日曜日も一日出てくれるというので、
年中無休の完璧なシフト体制が出来上がったのだった。

3月に入ってすぐのこと。ヒトミちゃんと事務所でお昼を食べながら、
「これから毎月どれぐらいお金が出て行くか」という話になった。
マルナカで買った弁当を食べながら、いきおいよくペンを走らせた。
「うちの事務所の家賃でしょ、光熱費でしょ、国金の返済、
ヒトミちゃんの給料、オレ、コイケさん、のーちゃん、マチスタの家賃、光熱費………」
こうして挙げていくうち、なんかヤバーい感じがしてきた。
「ゲッ、こんなに出て行きますか………」
そこに算出された毎月の経費。
2か月間振り込みがまったくないなんてことも珍しくない我が社に、
こんな額が毎月きっちり払えるのか………。
こうやってちょっと計算すればわかることなのに、ずっとしなかった。
正視するのを避けていた。
きっと、気持ちのどこかで逃げていたのだ。悪い癖だった。
でも、もう逃げるわけにはいかなかった。ぼくひとりじゃないのだ。
いきなり奮い立ったぼくは、まだお昼の12時台というのに、1本の電話を入れた。
「ちょっと相談したいことがあるんですけど」
電話の相手は、つい最近、うちに来て名刺を置いていった銀行マン。
彼は15分もしないうちにカブで事務所にやって来て、
15分もしないうちにアジアンビーハイブの過去2期分の決算書を持って帰った。
「100万円なんて言わずに、300万円って言えばよかったかなあ」
銀行マンが帰った後も、しばらくそんなことを考えていた。

いろんな制作物が急ピッチで進められている。写真は入り口のドアのガラスに施すカッティングシートの図案。文字色は白を予定している。

3月最初の土曜日、ヒトミちゃんとサトちゃんを引き連れマチスタの清掃の手伝いに。掃除の合間には開発途中のブレンドも試飲しました。

岡山ではなにをやるにもまずフライヤーを作る。メインコピーは「コイケさんの淹れるコーヒーはおいしい」。店のスタッフに「さん」をつけるのが斬新ね。

日和 VOL.76

長野県長野市『日和』
発行/株式会社 まちなみカントリープレス

グルメやファッションはもちろん、音楽やイベント情報まで、長野県ならではのユースカルチャーを発信しているフリーペーパー「日和」。長野市善光寺のすぐそばに編集室を構え、同じビルの地下には「hiyori CAFE」を併設。取材に向かう編集部の最新情報などがアップされるwebサイトもお見逃しなく。

日和
http://www.nao-magazine.jp/cp/hiyori/

発行日/2012.2.29

SENtenCE

北海道札幌市『SENtenCE』
発行/CREATIVE OFFICE Q-CONTROL

クリエイティブ・ディレクター、編集者、プロデューサーと、北海道を拠点に自由なプランニングを続けるKENさんが年に4回発行。カルチャー、ファッション、クリエイティブなど、取り上げるテーマは多岐に渡り、北海道の新たな魅力を道内外へ発信しています。

CREATIVE OFFICE Q-CONTROL
http://www.q-control.jp/
ブログ
http://q-control-ken.blogspot.com/

発行日/2011.12

undIZUcovered

静岡県伊豆地方『undIZUcovered』
発行/undIZUcovered

三島でcucurucú(ククルク)というカフェを経営している、小皿元キウイさんを中心に編集・発行している伊豆の裏ガイドマガジン。伊豆になじみの深い人々がごく主観的な切り口から、とっておきの秘密基地=undiscoveredな伊豆を紹介しています。

undIZUcovered
http://www.undizucovered.net/

定価200円

発行日/2010.7

焙煎所「カフェリコ」にて

開店まであと 33日——————

撮影でロンドンに滞在していた2008年の冬のこと。本屋で写真集を買った。
タイトルは『LONDON CAFFS』
ロンドンにある古いカフェ「CAFF(カフ)」(ロンドンっ子はそう呼ぶ)を集めた
写真集だった。
ある日、そこに掲載されていた店の一軒でカメラマンと待ち合わせた。
ところがお互いにその店を見つけられず、店があるはずの住所のあたりで鉢合わせした。
どうやらそのカフは閉店したようだった。
同じことがもう一度あって、そこでようやく理解した。
その写真集にある眩しいばかりの素敵なカフたちは絶滅危惧種なのだ。
外来種の「M」とか「S」に追われるようにして、
ロンドン固有の文化が姿を消しつつある—————これって日本もまったく同じじゃないか? 
ほどなくして帰国したぼくは、早速、『Krash japan』の次号の特集名を決めた。
「KURASHIKI CAFFS」、倉敷の喫茶店の特集である。
地方で発行している雑誌で日本固有の喫茶店文化が守れるとは思わないが、
少なくとも美しいカタチで記録に残したいと。
ところが、気持ちだけが先走って、大切なことを忘れていた。
オレ、コーヒーが飲めないのでは? 
コーヒーが飲めなくても、喫茶店を特集することができるのか。
そして、ロケハンがスタート。
一日4〜5軒の喫茶店をまわり、ぼくは決めごとのように、各店で必ずコーヒーをオーダーした。
しかも飲むのはブラック—————結構つらかった。
苦行ではあったが、1週間でムカムカがなくなった。
2週間もすればなんとなく美味しさがわかるようになってきた。
こうしてぼくはコーヒーを克服したという話。
美味しいコーヒーが美味しく飲めるようになったというだけで、
しかし、いまもそれ以上ではない。

1月の最後の日曜日、焙煎所「カフェリコ」の稲本道夫さんの工房に行った。
コイケさんからは「無口な人」とだけ聞いていた。
他に、稲本さんのとある知人には、
「次の日曜日、ココリコの遠藤さんのところに行く」と言ったら、
「冗談でも言ったらダメ」と冷たく釘を刺されていた。
どうもまじめな人らしい。
焙煎所の外観からして、稲本さんの性格が表れていた。
絶対この人、几帳面だ。
モノをあった場所にきっちり戻すタイプの人だ。
コイケさんと一緒に焙煎所の中に入って確信した。
空間に置いてあるものすべてが、平行だったり垂直だったり、
意味不明な角度に置かれているものがない。
ここまでの数少ない情報だけで、何事につけズボラなぼくは結構臆していた。
が、臆しながら同時に信頼し始めていた。
仕事をするには絶対こういう人がいいのだ。
やっぱり無口な人だった。
でも、コワい感じはまったくなく、語り口はむしろ優しい。
年齢は50代半ばか後半か。
背はすらっと高くて(ココリコの遠藤よりも田中でした)、
こんな田舎ではあまりお目にかかれないダンディなお人だった。
そして、なんといっても趣味の良さだ。
稲本さんがほとんど手がけたというこの焙煎所とオフィスの内装は、
『クウネル』を愛読する女子と『男の隠れ家』を愛読するオヤジが
ともに「いいね!」を押してしまうようなグッドテイストなのだった。
焙煎室の隣にあるオフィスの巨大なテーブルの上に
「ダ・テーハ」というブラジルの豆(スペシャリティ)が用意されていた。
3つの袋に小分けされていて、「216℃」「222℃」「225℃」の表示が貼り付けられている。
それぞれ焙煎の度合いの違いで、
数字は煎りあがり(焙煎後に窯から豆を出すとき)の温度だという。
それぞれ稲本さんが自らペーパードリップで淹れてくれた。
216℃はぼくが好きな程度の酸味があったが、
222℃になると酸味がほとんど感じられない。
たったの6℃で味がこうも変わるのか。
226℃になると、ぼくにはちょっと重いぐらいだった。
「ブレンドはたんに豆を混ぜるのではなく、新たな味を作るんです。
ブレンドには融合とか、調和って意味もありますよね」
なるほど。ぼくはてっきり、種類の異なる豆を混ぜて作るんだと思っていた。
同じ豆をセレクトしたブレンドでも、
そのうちどれか焙煎の度合いをちょっと変えるだけでも出来上がりは異なってくる。
「浅煎りのほうが香りが出るので、中間に浅煎りをもってきて香りをつけるとか。
でも、浅いのが勝ると今度は渋みが出てくるんです」
なるほど。これは奥が深い、深すぎる。
さて、じゃあどうしようかとその場で相談と思いきや、
「エアロプレス(空気圧を利用して抽出するコーヒーの抽出器具)、見せてくださいよ」
というコイケさんのリクエストに答えて、
稲本さんが「これ、結構力がいるんですよ」と実演を見せ始め、
エアロプレスで淹れたコーヒーを、
ジャズのBGMをバックにまったり飲みながら言葉少なめの大人の談笑。
それからおもむろに、「じゃあ、そろそろ店があるので」とコイケさんが立ち上がると、
「じゃあ、また届けておきます」と稲本さん。
あれれ、なんですか、この淡白な展開は? 
なんか、ブレンド作りに参加しているような、参加していないような。
そんな消化不良な思いを抱いたままカフェリコを後にしたのだった。
開店まであと40日を切った。いまだコーヒーのブレンドは決定していない。
そういえば、その日ぼくはほとんど稲本さんに話しかけることはなかった。
話しかけていたとしても憶えていない。唯一憶えているのは、この一言。
「あのディードリッヒっていう焙煎機、機関車みたいですよね」
コメントはなんにも返ってこなかった。
もしかしたら、バカだと思われたかもしれない。
(つづく)

ロンドンの古いカフェ「CAFF」を集めた写真集。外装や内装、什器や食器などどれをとってもくらくらするほど魅力的。

カフェリコの焙煎室。黒いのがディードリッヒ、奥にあるのが国産の焙煎機。左手にはイタリア製のペトロンチーニ、計3台の焙煎機がある。

自らコーヒーを淹れてくれる稲本道夫さん。ブルゾンの襟を立てておしゃれに着こなす大人の男性を久々に見ました。

コーヒーはカッピングではなく、実際に淹れて試飲。「カッピングは慣れないと難しい」(稲本さん)のだとか。普通に淹れても難しいんですが。

ながさき「にこり」

長崎県長崎市『ながさき「にこり」』 
発行/長崎県広報課

長崎県の広報課がつくるながさき「にこり」は、年6回(奇数月)発行する地域情報誌です。県庁や県の地方機関、観光窓口、空港などで無料で配布しています。長崎県のすばらしい魅力をわかりやすくご紹介し、読んでいて思わず「にっこり」する情報誌です。

長崎県広報課
http://www.pref.nagasaki.jp/koho/plaza/dream/

発行日/2012.1

oraho 会津のいいもの。

福島県会津地方『oraho』
発行/oraho

会津のいいもの、いいひと、いいことを紹介するリトルプレス。oraho(おらほ)とは、会津のことば。『わたしの土地』『わたしの住んでいるところ』という意味です。
「わたしの故郷、会津は山々に囲まれた雪国。ここには、厳しい冬と豊かな自然が育んだ文化があります。会津で生まれ育ち今は東京でくらす一人の女性としての視線で、昔からいいもの、これからのいいものをご紹介したいと思います。」(oraho編集発行人・山本さん)

oraho
http://www.oraho.info/

定価630円

発行日/2011.5

「マチスタの味」をつくろう

開店まであと 40日——————

「こいつ、いったいなんなん?」
ヤツを見ながら、そんなことを考えたりする。
当社アジアンビーハイブで飼っている元野犬のサブである。
普段、犬や猫を見て感じる可愛さが、実はこの犬にはない。
サブに対して愛情がまったくないというわけじゃない。
犬というより、むしろ人間だと思わせるなにかがサブにはあるのだ。
人間だとしたら薄汚れた元浮浪者のオッサンなわけで、そのオッサンから、
毎朝フェラーリの馬のポーズで何発も飛び蹴りされたり、
そばで暑苦しくじっと見つめることで朝夕の散歩をねだられたり、
その散歩で腕が抜けるほどひっぱり回されたり、
事務所の中で一日に何回も放屁されたりというのが毎日なものだから、
通りいっぺんの腹立たしさを通り越して、
日に何回と、哲学的にサブの存在の意味というところまで考えてしまったりするわけだ。
先週になって、『風と海とジーンズ。』の最新号のギャラが入った。長かった。
これでやっと、会社の口座残高が1000円以下なんてシュールな状況から抜け出すことができた。
お金が入って真っ先に買ったのが、サブの首輪だった。
前の首輪は幅広の赤い革に金メッキのスタッズが無数に入っているようなタイプで、
「無駄にイカツすぎる」と当社の女子たちに不評だった。
新しい首輪は5000円以上もしただけあって、
なるほどあの薄汚れたサブがちょっとだけ垢抜けて見える。
垢抜けたら垢抜けたで、今度はこれまで使っていた
麻縄のような古いリードとの見た目の相性が最悪だということが判明したのだが、
そのリードまで買い替える予定はいまのところない。

新生マチスタの最大の売りは、いわずもがな、コーヒーである。
なにせ正式な店名が「マチスタ・コーヒー」なわけだから。
これまでのコイケさんの店では、シングルオリジンコーヒーという、
ブレンドではなく単一の産地の豆を使用したものを提供していた。
しかも、どの産地のどの農園(生産者)という履歴が明らかで、
豆の品質等級でもトップクラスのものを使用したスペシャリティ・コーヒーだ。
実はこの手のコーヒーにこだわった喫茶店は近年珍しくはない。
どちらかというと結構な流行りのような印象もある。
そこで戦略的には、シングルオリジンから旧スタイルに戻すことを提案した。
主力メニューをブレンドにしようというのだ。
あまのじゃくというのも多分にあるんだけど、
シングルオリジンでコーヒーのメニューが複数あるというスタイルよりも、
ブレンドを作ってシンプルにしたほうが、テイクアウトスタイルにマッチすると思った。
コイケさんもこのアイデアにすんなり同意してくれた。
1月中旬、マチスタに焙煎されたブレンドの豆が届けられた。
豆を持ってきてくれたのはコイケさんの友人で、
街スタのコーヒーを焙煎・納品していた焙煎人の稲本道夫さん。
岡山で「カフェリコの稲本さん」といえばコーヒー業界の有名人だ。
20代の頃に神戸で修行し、地元の旧灘崎町(現在は岡山市内)に戻ってからは、
コーヒーの焙煎一筋約30年、
いろんな喫茶店に卸すことで岡山のコーヒーの味を作ってきたという業界の重鎮である。
実は稲本さんには一度も会ったことはなかったが、
新生マチスタでも引き続き焙煎をお願いしてあった。
豆は焙煎の深さの違いで、浅い順からシナモン、ミディアム、フルシティの3種があった。
それぞれ、コイケさんがペーパードリップで淹れてくれた。
ぼくの焙煎の好みからいうと、フルシティはちょっと濃い。
ミディアムあたりがちょうどいいんだけど、シナモンでも美味しく飲める。
コイケさんは濃いコーヒーが好みなので、このフルシティでもまったく問題ないと言う。
ふたりであれこれ短い言葉で感想を述べ合った。が、「美味い」という言葉はなかった。
焙煎の度合いはなんとなくつかめたが、豆のブレンドはこれでいいのかどうか。
そもそも、こうやって稲本さんから届いた豆をそのまま飲んでいるけど、
ブレンドってどうやって決めるのだ?
そんなとき、コイケさんから思わぬ言葉が飛び出した。
「ぼく、やっぱりこの香味があまり好きじゃないです」
「………というと?」
「ブレンドによくある、この口に残る感覚がイヤなんです」
意味がわからない。
ぼくにはコイケさんの感覚を解するだけの味覚はないみたいだ。
そういえば、コーヒーが飲めるようになったのはこの5年ぐらいだった、
自分でも忘れることがあるけど(それまでは飲むと必ず胃がムカムカしてたっけ)。
どっちにしても、ブレンドを主力にすると決めて準備を進めているのに、
ブレンドそのものが苦手ともとれるこの発言、到底聞き過ごすわけにはいかない。
この店で、コイケさんが自信をもって薦められないコーヒーを出しちゃいけないのだ。
「ブレンドで後口に残らないようにする方法はないんですか?」
「………ないことはないです。スペシャリティだけでブレンドを作るんです」
「………?」
「普通、ブレンドはスペシャリティの下のクラスの豆を混ぜるんです。
ブレンドによくある口に残る感じというのは、それゆえです。
でも、スペシャリティコーヒーは単一農園が条件ですから、基本的にブレンドはしません。
コストはかなり割高になると思いますが、規格外でお願いしてみますか?」
考えるまでもなかった。
「是非お願いしてみましょう」
後日、稲本さんからコイケさんのもとに連絡が入った。
次の日曜日、稲本さんの焙煎所「カフェリコ」に来てほしいと。
「もちろん、行きますと伝えてください」
そうコイケさんに回答したはいいが、コーヒーの味覚にまったく自信のないぼくは、
その日から数日、不安な日々を過ごすことになったのだった。
ああ、面倒だなあ。ブレンドなんて調子にのって言わなきゃよかったかなあ。
(つづく)

1月末に発行された『風と海とジーンズ。』最新号のvol.3。この写真を見てると、ついつい『風と海とジーンズとサブと。』と書きたくなる。

サブ、惰眠をむさぼるの図。いつもはもっとストーブに近いところで寝ている。脚がストーブの下に入っていることもある。

街スタで販売しているコーヒー豆。袋に描かれた意味不明のイラストはコイケさんによるもの。このイラストは新生マチスタでは却下の予定。

これが噂のカフェリコの外観。次回、ここを舞台に繰り広げられる激しいコーヒーバトル(?)の模様を詳しくレポート。