月山若者ミーティング 山形のうけつぎ方・前編

山形県のちいさな温泉街でおきていること。

山形県大蔵村は、全国に44ある「日本で最も美しい村」のひとつ。
山形県のほぼ中央に位置し、JR新庄駅からならクルマで約30分の小さな村。
その村の中心部から、さらに山を越えたところ、
肘折火山の噴火が作ったカルデラに佇むのが肘折温泉。
月山、葉山などの山々を水脈とする銅山川の水は豊富で、
川沿いに寄り添うように並ぶ20余りの旅館や小さな温泉街の通りには、
水も源泉も惜しみなく流れ続けている。

開湯1200年と伝えられる肘折温泉は、
東北地方を中心としたひとびとの湯治場として愛されてきた。
風情のある旅館は縁側も開放され、
ひとびとはそこでのんびりと無駄話を楽しむ光景が見うけられる。
商店には、みやげものだけでなく、地場の山菜、日用品、食材が並び、
そして、毎朝5時には地元農家のばあちゃんが開く朝市も起ち、
自炊も含めた湯治文化が残っていることを感じさせる。
旅館のごはんも、滋味溢れる地元の食材を、
米どころ山形のうまい飯でいただく。美味しさをしみじみ堪能できる。

大蔵村四ヶ村地区にある棚田は、日本の棚田百選にえらばれ、夏にはほたる火まつりが行なわれる。

カルデラ温泉館に湧き出る炭酸泉。飲泉として利用すれば、胃腸や肝臓などの働きを良くしてくれる。

これが肘折温泉のメインストリート。旅館と商店が並ぶ、小規模な温泉街。

商店にはおみやげとしても自炊湯治にも使える地元の名産が並び、朝市も立つ。

ものの5分もあれば、端から端へと行き着いてしまう温泉街。
普通なら、高齢の浴衣姿の客がそぞろ歩く静かな湯治場であるはずが、
ここはちょっと違って、若者たちのグループや、若い家族連れやカップルの姿も多い。
その呼び手となっているのが、山形市にある東北芸術工科大学の活動。

肘折もかつてに比べると、訪れる客も減り、後継者の問題も根深くある。
そんな温泉街に2007年から東北芸術工科大学がアートプロジェクトを立ち上げ、
学生たちが訪れ始める。
アーティストが滞在して作品を制作するアーティストインレジデンスや、
『ひじおりの灯』と名づけられたプロジェクト。
これは今年で6回目を迎える。
肘折は夏や、秋の収穫を終えた農閑期には湯治客で賑わうが、
冬は3メートルほども積もる雪のなかで、ひっそりと、
本当に地元のひとびとだけがひっそりと家の中で暮らす土地になるという。
その雪が消え始める春先、
東北芸術工科大学の学生たち(あるいはいまでは卒業生も)が、温泉街にやってくる。
旅館に滞在しながら、旅館や店の歴史や物語を聞き、
それを月山和紙に灯ろう絵として起こしていくのだ。
その灯ろうは、毎年、7月終わりから9月にかけて、それぞれの家に吊るされ、
毎夜、灯が灯されて、観光客たちの目を愉しませている。

おそらく、アートには、つくられた作品によってひとを招く力だけでなく、
制作する過程の中で、土地の記憶を呼び覚ます力、ひとをつなげる力、
土地の伝統文化や資源を保全する力、その土地の価値を高める力があると思う。
そうした、アートの可能性を、学生たちと地元のひとびとが模索し、
協力し、実践する、大きな実証の場にこの肘折温泉はなっている。

温泉街の真ん中に、旧肘折郵便局舎の建物がある。
この昭和12年に建てられた洋館は、肘折温泉のひとつのランドマークで、
これまでの灯ろう絵のギャラリーを学生たちが運営しながら、
毎朝、はたきを持って、灯ろうの手入れをし、夜は灯ろうに灯をともす。

旧肘折郵便局の建物から始まる、毎年恒例の「ひじおりの灯」のイベント「肘折絵語り・夜語り」。

肘折には、いま学校がない。かつて、大蔵村立肘折小中学校があったが、
村の中心部の学校に統合され、2009年廃校となった。
それ以前ももちろん、中学を卒業すると村の子どもたちは、
さらに外の高校へ行き、その後の進学や就職によって
肘折をいったんは離れていくというケースも多いと聞く。
そして、ある時期に、家業を継ぐために帰村するかどうか選択する時がくる。

肘折でそば屋さんを営む、肘折青年団の団長の早坂隆一さんは、
大学院を出た後、東京のIT系の会社に勤め、2005年に肘折に帰り、家業のそば屋を継いだ。
東北芸術工科大学のアートプロジェクトや、
そのOBのドキュメンタリー映画監督渡辺智史さんの肘折での映画制作に関わる中で、
青年団の活動の輪を広げていった人物。
彼が語った言葉。
「ひじおりの灯というのは、この場所の、
地元の自分たちが見えていなかったものを見せてくれる活動。
例えば、この村に自然があるのはあたりまえのことなんですが、
それをひとつの作品というかたちで見せてもらえるのが新鮮だった。
外のひとたちの視線や体験が残したいものを照らしてくれる。
そして、そのこと自体も、残したい財産のひとつになっている気がします」

ある大学とある温泉集落。ここで営まれることの価値は、
次第に内外のひとびとを巻き込み、あるかたちを見せてきている。
これは、確かなこと。

渋すぎる売り上げ

マチスタの救世主現るか!?

飲食店業界では「6月は悪い」というのが通説らしい。
おっしゃる通り、マチスタの6月の売り上げが
20万円以上の赤字を計上したことは前に報告した通りだ。
でも、とりたてて「6月が悪い」というからには、7月には通常上向くはずで、
なのにマチスタの7月の売り上げは6月とほとんど変わらず。
そして8月までもがほぼ同レベルの売り上げで推移した。
これほどの低迷はさすがに想定外だ。
世の中、そう甘くないとは思っていたけど、ちょっと渋すぎるよ、これ。
「夜なんかね、考えると眠れなくなるから、もう考えないようにしてます」
そう言うと、電話の向こう、ジローちゃんが
「そうか、それは困ったな」といつもの鼻にかかった声で。
「じゃあ、まちおこし的にマチスタでオレのライブやるか?」
やっぱりそうきたか。
ジローちゃんにはここ数か月、
ことあるごとに「ライブをやらせろ」と言われ続けている。
ぼく自身がジローちゃんのライブを見たことがないのを理由に
やんわり断ってきたんだけど、これが簡単に引き下がるタマじゃない。
「この間やったライブがyoutubeにアップされてる。
それ見て決めてくれていいよ。9月は連休があるから、
オレも岡山に行きやすいんだけどね」

ジローちゃんは、ぼくが世田谷の「三栄造園」という植木屋で働いていたときの先輩だった。
もう25年以上も前の話だ。当時からレゲエのミュージシャンをやっていた。
カラダはほっそりして、長い髪を後ろで束ね、見るからに「レゲエやってます」
という感じだったんだけど、力はあるし職人としての腕はよかった。
ちなみに、当時のぼくも体力はそこそこのもので、
剣スコ(先が尖ったスコップ)のスピードでは負ける気がしなかった。
そんなことはさておき、ジローちゃんだ。
ジローちゃんは長男の誕生後にほどなくして高松に引っ越して行った。
それからの10数年はほとんど会うこともなかったんだけど、
ぼくが岡山に帰った2006年以降、高松でちょくちょく会うようになった
(児島・高松間は電車で約30分)。
近年のジローちゃんも相変わらずラスタマンな感じで、バンドは止めて久しいものの、
ときどき馴染みの小さなクラブでレゲエのDJをやっていた。
イベントにも2度ほど顔を出したことがある。
何人かいるDJのなかでジローちゃんは頭抜けて最年長だった。
レコードを変えるときは、わずかな照明を頼りに老眼鏡をかけてジャケットを見る。
慣れた手つきとは言いがたかった。
一度、DJの途中で、かけたりはずしたりしているうちにどこに置いたかわからなくなり、
「眼鏡がない!」と大騒ぎしたこともあった。
そんなジローちゃんが、「オレ、ギターを始めたのよ」と言ったのは1年ほど前だったか。
「これが案外悪くないのよ。最近は自分でオリジナルもつくっとるしね」
「サックスはもう吹いてないの?」
「ああ、あれ売った。結構いい値段で売れたんよ」
ジローちゃんはあっけらかんとそう言った。もう眼中にないという感じで。
「岡山でライブしようか? 赤星、知ってるところあるやろ?」
そんな感じで、「ジローのレゲエ弾き語りライブ」の押し売りが始まったのだった。

ジローちゃんに言われてyoutubeの映像を見た。
あんまりこの表現は使いたくないけど、うーん、ちょっと微妙だ。
味があるといえばあるが、ただの酔っぱらいのように見えなくもない。
どっちに転ぶかわからない、そのわずかな可能性に賭けてみるか。
「とゆうわけで、もうさすがに断れなくなってきたんですよね」
コイケさんは声に出さずに笑いながら聞いていた。
コイケさんも街スタで何度かライブを引き受けたという。
最高で50人ぐらい入ったこともあるとか。
「ライブ、どうですかね、やってもいいですか?」
「いいですよ、やりましょう」
これで決まった。
ジローちゃんの岡山初ライブ「コーヒー&レゲエ・ナイト@マチスタ」。
日時は9月22日(土)の18時開場、18時半開演あたりでどうか。
「ちょうどその日はダメなんよ。イベントの前座が入っとるんよ」
ジローちゃんはそのイベントの詳細を聞いてもらいたそうだったが、
ぼくはまったくそこには触れずにいたら、
「その次の週の土曜日なんてどうよ?」
「だって、ジローちゃん、普通の土曜日は仕事があるが」
「そんなん、休むがな」
というわけで、「コーヒー&レゲエ・ナイト@マチスタ」は
9月29日(土)の18時開場、18時半開演に開催が決定。
詳細はこの『マチスタ・ラプソディー』の次回でもお伝えします。
というのも、肝心の本人にはまだこの決定を伝えていないもので。
ちなみにジローちゃんのミュージシャンネームは「Jah South」。
「Jah」はラスタの世界では神を意味するらしい。
あれ、もしかしたら「マチスタの救世主はジローちゃんだった」
みたいなことになっちゃうのか? 俄然、期待。ジロー、頼んだぞー!

ぼくが家で使用しているコーヒーマグ。ピッチャーの球種の握りを示したイラストがお気に入り。2年ほど前に番長からNY土産でいただきました。こんなのマチスタで出せたらいいなあ。

満月・宮酒ワインバー

よなよな小田原、ぶらりと一杯。

神奈川県小田原市に満月の夜だけ営業するというバーがある。
バーといっても、そこは築80年の建物を改装した、
昼間はカフェをやっている店。
バーを開くのは小田原の隣、足柄上郡中井町で酒屋を営む若夫婦。
ご主人の宮川満洋さんはシニアワインアドバイザーの資格も持っており、
毎回、季節やその日に出る食事にあわせたワインや酒を数種類用意する。

さて、現地に着いたら、1枚500円の満月券を購入する。
何枚買ってもいい。余れば戻せばいいのだ。
さあ、満月券を買ったら、お月見のひとときの始まり。
今宵、満月を愛でながら、何を飲み、食べましょうか。
誰と、どんな話を語りましょうか。

小田原駅から徒歩10分ほどの場所にあるカフェ「暮らしの遊びnico café」で、
満月の夜だけ開かれている「満月・宮酒ワインバー」は
次の満月(8月31日)で開催9回目を迎える。
最初は主催者である宮川酒店の若奥様、綾さんが
ブログで小さく告知を始めたのが、
TwitterやFacebookでいつの間にか広まっていき、
今では4~50人程度のお客さんが、満月の夜を楽しみにやってくるという。
グループもいれば、帰りがけにSNSで見かけて
ひとりでひょいと顔を出す人もいて
メインのテーブルは知らない人同士が座っていても不思議と盛り上がっている。
これも満月の魔法のなせるワザなのだろうか。

この日、料理を担当するのは湘南・鵠沼海岸で
野菜たっぷり無添加の玄米ランチ配達を行う「Vegiko(ベジコ)」。
湘南の奥様方に人気のアジアンテイストの料理は
ケータリングで運ばれ、店主の岡村恵子さんがサーブする。
ちなみに、前回は茅ヶ崎の「海席 cuisine 空海」が出店していた。
このイベントでは、毎回地元の人気レストランによるケータリングが人気で
好きなものを選んで食べられるようになっている。
盛り合わせの種類の多さで1~2枚の満月券を支払う。

Vegikoのアジアンテイストにあわせて南足柄市のパン工房polonがバインミー用のバケットを用意。

バインミー、さんまのレモングラス風味揚げなど、アジアに旅した気分の3種盛り合わせで2満月券。

今回の飲み物の目玉は埼玉県川越市を拠点とする
コエドブルワリーのCOEDOビールだ。
基本的には酒屋が営むワインバーがウリなのだが、
盛夏であること、ケータリングがアジアンテイストということで、
先日、宮川満洋さんが工場見学に行って、気に入ったCOEDOをチョイス。
「今日はアジアンフードが出されるので、飲んだあとにクローブなど
スパイス香が広がる“shiro”という銘柄の生ビールを用意しました。
ほかには、芳醇な香りと苦味がビール好きに好まれる“kyara”を。
ワイングラスで香りを楽しみながら飲んでいただきたいですね」
というのは、小江戸・川越からはるばるやってきた
ビール伝道師の松永将和さん。
生産者でもある彼の手から一番美味しい状態で、
ワイングラスにビールが注がれる。
それはもう、贅沢極まりない生ビールの完成である。

松永さんが泡の状態を見ながら注いでくれる。白濁色が特徴の小麦のビール、“shiro”を一杯。

Hair Room HB のみなさんは今回が2度目。「ここに来ると感覚の合う人に出会える」という。

この日はCOEDOビールのほか、
ワインは赤白あわせて14本、さらに日本酒2本が並び、
お客さんはシニアワインアドバイザーの満洋さんに相談しながら
飲みたいお酒を選んでいく。一杯、1満月券。
「レストランだったら一杯ン千円するワインが
一杯500円で、しかもいいグラスで飲めるんだからお得じゃない?」
と喜ぶのはお隣、南足柄市から営業終了後に
電車に乗ってかけつけたHair Room HBのみなさん方。
満月・宮酒ワインバーでは、上代が1本1000円台後半から
4000円くらいのワインや日本酒が並ぶ。
HBのみなさんはワインカウンターの後ろに陣取り、
グラスが空になったらすぐに飲める体制。

こういった様子なので、この場所には、
西湘方面を中心に、湘南、町田あたりまで
飲むことが好きな人たちが仲間と、そしてひとりでもふらりと飲みに訪れる。
「初めて来ても、ワインが好きであれば、そこにいる誰かとは話があいますし、
ひとりで寂しいなどという心配はありませんね」
という40代の男性はテーブルの隣に座った美女と初対面でツーショット。
ちなみに、これはナンパではありません。
宮川さんが毎回配布しているワインリストを眺めながら
楽しくワインのお話をしているんですよ。

ワイン好き同士が偶然隣になれば、こうやってワイン話で盛り上がる、の図。

わざわざ電車を降りてでも小田原に人々を惹きつけるのは
お店の力も大きいのでは? ということで、
場所を提供している「暮らしの遊び nico café」の店主、
和田真帆さんに話を聞いてみた。
nico cafeを作る前は空間プロデュースや
設計ディレクションを生業としていた和田さん。
いつか自分の理想の空間をつくりたいと思っていたときに
この古い建物に出合ったという。
「自分自身を表現する場所が欲しかったんです。
生活の役にたたない“いやしもの”を置きたかったの。
ある程度カタチになってきたところで
このハコをいろんな人に表現してもらったらどうだろうと思って
夜は自分が声をかけた人に営業をしてもらっていました」
和田さんがつくる居心地のいい空間に引き寄せられて
シャッター通りだった通りに人が少しずつ戻ってきた。

築80年の面影を残す建物が妙に居心地のいい空間に。これは、店主、和田さんの魔法。

さあ、今月はブルームーンだから2回開催! 夫唱婦随の宮川満洋さんと綾さん。

でも、どうして宮川さんが満月だけワインバーを開くことに?
「nico caféの和田さんから、夜の営業を週一でやらない? と誘われたんです。
酒屋の営業をしながら毎週は大変だから
月に一回がいいなということで満月の営業になりました。
ワイン会の延長線のようなイメージで、
店主が選んだとっておきのワインたちと
色んなお店のシェフが作る“ワインの相棒”。
そんな素敵なコラボを楽しんでもらいたいと思って。
宮川酒店のPR活動の一環でもあるけれど、
酒屋がやっているバーということで、いろんなお酒を
お客さんに楽しんで欲しかったんです」
と、宮川酒店の「酒屋の嫁」、宮川綾さん。
3人の子どもを持つお母さんでもある。
根っからのお酒好きな夫婦ふたり、
自分たちの扱う商品はどんな特徴があるのか、なんの料理があうのか、
小さな酒屋だからこそできるお酒との付き合い方の楽しみを
「スナック二人」と称してTwitterでも発信しており、
このnico caféでのワインバー開催は
まさに夫婦ふたりの思いと実益がかなったもの。

宮川酒店がある中井町は、
「湘南の端っこ、西湘の端っこ」的な位置と綾さんはいう。
そんな中で感じるのは、小田原・西湘地区は横のつながりが豊かだということ。
「趣味や仕事、カフェや雑貨屋、レストランなどのお店を通して、
心地良い距離間を持って人々が知り合っていく、
そんなイメージがこの地域にはあります」
満月・宮酒ワインバーやワイン会をやっているからか、
ワインを好きな方って意外とたくさんいるんだな、と
実感しているという宮川夫妻。
彼らのお酒を通したコミュニケーションへの思いは、
和田さんや地域のみなさんの協力もあって、少しずつ地域にて浸透中のようだ。

満月は動物の生理状態に影響するとも一説では言われているけれど
この満月・宮酒ワインバーでは、アルコールや美味しい食事が相乗効果を発揮して
人びとを開放的な気持ちにさせている模様。
現に、閉店時間になっても満員御礼の人だかりだった。
美味しいお酒を仲間たち、見知らぬ人たちと楽しむ。
そんなコミュニケーションスペースで飲む、
珠玉の料理とよりすぐりのお酒。
次の満月は足取り軽く小田原まで、一杯いかが?

田中俊三さん 阿弓さん

自然に負荷をかけない暮らし、ということ。

屋久島は移住者が多い島だ。
田中さん夫妻も、4年前に屋久島へ移住した一組。
もともとは神奈川県葉山町や東京都国立市など都心の郊外に住んでいた。
まずは移住地を探しながら旅をしようと車にベッドを取り付けるなどの改造を施し、
いざ北海道から南へ向けて出発しようというときに、なんと阿弓さんの妊娠が発覚!
日本列島縦断の旅は断念し、屋久島へ居を移すことにした。

「五島列島や鹿児島の南部など、他にも候補地はいくつかありました。
だからすごく積極的な理由で屋久島に決めたわけではありませんが、
新婚旅行も屋久島でしたし、縁もあると思ってここにしました」(俊三さん)

俊三さんは葉山に住んでいた頃、
子どもたちを対象にシュノーケリングやカヤックなどを通して
自然を体験してもらう「インタープリター」という仕事をしていた。
そのときの体験を生かし、屋久島に移り住んだ現在は、ガイド業を営んでいる。
ガイドの仕事はオフィスがなくても、
予約などのやりとりはメールや電話で完結させることができるし、
当日はお客さんを宿や空港、港などへ直接、迎えに行くことが多い。
事務仕事は自宅で行い、職場は屋久島の自然の中へ、という日々を送っている。

自宅は、もともと日本の一般的な家構え。
縁側が大きく、通り抜ける風は気持ちいい。
借家ではあるが、理解のある大家さんのおかげで、壁をつくったり抜いたり、
薪ストーブ排気用の穴をあけたり、自分たちの手で自由に改装している。
その自宅の一部を大幅に建て増しして、昨年10月にオープンしたのが、
阿弓さんが手がける「おひさんの畑」というパン屋さん。

手前は自宅スペース、奥にパン屋さん「おひさんの畑」。大通りから入り、舗装されてない道を行く、静かな環境に建っている。

大きな窓からたっぷりの日差しが降り注ぐ。夏はすだれをうまく使って風通し良い空間に。

新たな木材などを使わずに、リサイクル、リユースした木材を使って
建てたいと思い、自分たちの手でつくり上げた。
その分ぬくもりのある、こぢんまりとしたかわいい店舗だ。

「知り合いの家で解体するという話があれば、
夫が行って解体させてもらって、その廃材をいただいて建てました。
4軒くらい解体させてもらいました(笑)」(阿弓さん)

「骨組みをつくるのは、少し大変でしたが、
失敗しながら4か月くらいかけて楽しく建てました。
一棟建てたのは初めてでしたが、ちゃんと建てられるんだと思いましたね。
もちろん仕事として他人の家を建てるのは無理ですが、
自分たちが住むものならいけます」(俊三さん)

内装担当は阿弓さん。壁に使った漆喰はもらいもの、
棚に使った木材も製材所から出る廃材をもらったもの。
コストはほとんどかかってない。
「あとは丸ノコとインパクト(電動ドライバー)があればなんとかなります」
となんともたくましい。

「おひさんの畑」のパンは、阿弓さんが自ら酵母を育てている。
屋久島には小麦農家が2軒しかなく量が足りないので、小麦は熊本産。
自分の庭でも少しだけ小麦を育てていて、
ゆくゆくは小麦もすべて自家製にしていきたいそうだ。
具材に使う野菜は自家製のものと屋久島産を使用。
バターは鹿児島産、チーズは広島と、できるだけ屋久島産、
無ければ極力近くから取り寄せたいという。

店内には10種類程度のパンが販売されている。夕方には売り切れ続出。

「新じゃがの味噌マヨネーズ」は180円。

現状、週3日オープン。今できる範囲で、ベストのやり方と量を考えると、自然とそうなる。

「畑で野菜をつくったり、子どもとの時間を大切にしながらだと、
ひとりで毎日大量につくるのは難しい。それに大量生産しようと思うと、
材料や商品の質が落ちてしまいます。でも、安心安全な材料を使いながらも、
お土産品のような特別なものではなく、
体が喜ぶ自然なものを日常のなかで地元の方に食べてもらいたいので、
極力値段は抑えています」(阿弓さん)

みずからの畑では、かぼちゃ、トマト、枝豆、アスパラガスなど、
常時20種類程度育てている。それらはパンの具材としても使われている。

「季節ごとにできるものは違うから、いろいろな品目をつくっておかないと
食べるものがなくなってしまうんですよね。
ハンダマはいつでもできるので、常に食卓に上っています」(阿弓さん)

畑には紫の葉が特徴的なハンダマが育っていた。屋久島ではメジャーな野菜だ。

ハンダマとは、京都などでは水前寺菜とも呼ばれる葉野菜。
冬でも枯れないし、肥料を与えなくても、耕さなくても勝手に育つ。
これからは大豆、小豆など穀物を育てていきたいと、農業に意欲的だ。

「自給率は年々アップしています。食卓のお米以外、
すべて自分たちの畑で採れたものっていうときもありますね。
今までは自給用と、パンに少し入れるくらいと思っていたんですが、
これからは出荷できるように比重を増やそうと思っています。
そのために土地の購入も検討しています」(俊三さん)

ほかにも鶏舎があり、今は小さなひよこがピヨピヨ鳴いている。
敵が多く、蛇やたぬき、イタチなどから命を守らなければならない。
成長してニワトリになると、土をひっかき、つつき、フンをする。
つまり勝手に耕してくれて、肥料まで与えてくれる。
これはチキントラクターと呼ばれ、パーマカルチャーに根ざした考えだ。

岐阜のもみじという品種のひよこ。大きく育って卵を産んでくれることを期待。

このように、ひとつの敷地内にいろいろなものを抱え、
パーマカルチャーの考え方を取り入れた暮らしを目指している。

「家もある程度、自作できるし、食べ物もつくれる。
これからは自然に負荷をかけない持続可能な生活をしていきたいんです。
この場所で実現できるかはわかりませんが、
今はその予行練習のようなものですね」(俊三さん)

窓際に飾ってあった大きなドリームキャッチャーが存在感あり。

竹でできた原始的な洗濯物干し台。家に似合っているから不思議だ。

赤いカバのお店

「どがんかなろうが、まあ心配すなや」

梅雨に入ったあたりからあんまりいいことがない。
梅雨明けの後はいろんなことがさらに悪くなる一方で、
期待していたお盆明け、そろそろ災厄も過ぎ去ったかと思って
おそるおそる傘をはずして見上げてみたら、瞬間、
バケツをひっくり返したような大量の水を頭から浴びてしまった。
まさにふんだりけったりの2012年の夏は、
8月の終わりが見えてきたいまも快方に向かう兆しが見えない。
この強烈な呪いをぼくだけに留めるべく、愚痴めいたことは書かないと決めた。
ところが、だ。いったんそう決めたら、
しばらく週イチのペースで進めてきたこの『マチスタ・ラプソディー』が
まったく書けなくなった。
そんなわけで、マチスタがクローズドになったと思われても
おかしくないほどの期間を空けてしまった次第。
いろんな方に心配してもらったり、人によってはご迷惑をかけたかと思う。
ほんと、すいませんでした。

ところで、何年か前、地元で神主をやっている叔父から、
「おまえはあの世で絶対幸せになれる」と言われたことがある。
叔父が伝えたいことはわからないではなかったけど、
当然といえば当然、嬉しくもなんともなかった。
許されるのであれば、いま、この世で幸せになりたい。それがすべての根底にある。

先日、ふと思い立って、Aの墓参りに行った。
Aとは十代の頃からの付き合いで、
お互い上京してからも唯一頻繁に東京で会う同郷の友人、大切な親友だった。
なのに、一度もAの墓に行ったことがなかった。
Aの死を知らされたのは、2006年の12月、
撮影の仕事でポーランドにいるときだった。
共通の友人からの電話で、交通事故で死んだとだけ教えられた。
冬の東欧で聞くニュースとしてはあまりに現実感に乏しかった。
帰国したからといってリアルになるわけではなかった。
それから今日の今日まで、墓参りに行こうと思ったことは一度もなかった。
現にAの墓がどこにあるのかもまったく知らなかったのだ。

Aの墓は瀬戸内海を見下ろす山の上の、こぢんまりとした霊園にあった。
お盆も明けた平日の午後、夏の太陽が容赦なく降り注いでいるとあって
人っ子ひとりいなかった。墓はすぐに見つかった。
小さいけど新しくて綺麗な墓だった。
Aの父親も眠るその墓はA自身が生前に建てたものに違いなかった。
つまりすべてお膳立てした後にAは死んだのだ。
ひしゃくで墓に水をかけながら、つくづくと、
本当に心の底からスゴいヤツだと思った。高校時代から感じていたのだ。
こいつには到底かなわないと。
同じ世代でそそう感じたのは、50年近い人生で後にも先にもAひとりである。
そんな男がぼくの人生の大半、すぐ近くにいてくれた。
それだけでぼくはAに感謝するべきなのだろう。
目の前にある墓を見てそう思った。
帰りの車中、この6年で初めてだと思う、こと細かにAのことを思い出した。
車高を低くした車でバカみたいな運転をして笑い転げていたこととか、
一緒に行ったソウルで泥酔したAがタクシーの運転手にしつこくからんだこととか。
思い出が次から次へと蘇った。
Aはいまのぼくの状況を知ったらどう言うだろうか。
たぶん、「アホじゃのお」と言って笑うだろう。
でも、最後は「どがんかなろうが、まあ心配すなや」、
十中八九、そんなやりとりになったはずだ。
涼しくなったら、もう一度ぼくはAの墓に行こうと思っている。

これもまたふと思い立って、マチスタの内装に手を入れてみることにした。
その第一弾が「バルセロナの暴れ馬」こと、シマムラヒロシの作品の展示である。
この作品はもともとアジアンビーハイブのオフィスに飾っていたもので、
存在感だけなら、同じくオフィスにある森山大道の写真にもひけをとらない。
なにせ、作品がデカい。それに、カバが赤い。
シマムラヒロシは大阪の専門学校を卒業後、ヨーロッパに渡り、
スペインのバルセロナで10年以上に渡って活動してきた。
5年前に広島県三原市に拠点を移した後も作風は変わらない。
キャンバスに描いた絵の上に、
合板をカットして作った動物やキャラクターを重ねていくのが彼のやり方。
世界でもっとも予約がとれない店として知られるスペインの「エル・ブリ」が、
彼の描いたフレンチブルドックの絵を飾っていたという噂もある。
「エル・ブリ」に次いで2店舗目となるのが岡山の「マチスタ・コーヒー」なんて、
なかなかシュールな話だ。ちなみに、この作品が映えるようにと、
展示の壁となる市松模様の板をコイケさんと白に塗り替えた。
おかげでお店の外からでもバッチリ目を引く。
これで、「ああ、あの壁が青い店ね」という認識から
「ああ、あの赤いカバの店ね」と変わるかもしれない。
赤いカバの店、たぶんそんな店は世界中探してもないんじゃないか?

当面、マチスタはこの赤いカバが目印です。そういえば、お菓子メーカーのカバヤは岡山の企業だったような。なんか連携を探ってみますか?

夏限定マチスタスペシャル第2弾の「杏仁豆乳シェイク・ジャスミン茶ゼリー入り」がようやく登場! ポップのデザインは久々にぼくが手がけました。中華的な。

東新町一丁目商店街

踊り手の熱気で満たされる商店街。

午後7時半。あたりの商店が店じまいをする頃、
甲高い鉦(かね)の音と、力強い太鼓の音とともに、
「やっとさー」「やっと やっと」と男女の声がアーケードに響く。
その音に誘われるように近所の人が集まり、帰宅途中の人は足を止め、
夜静まりかえるはずの商店街は、昼間以上の熱気を帯びてきた。
8月12日から始まる「徳島市阿波おどり」に向けて、
阿波踊り振興協会所属の阿呆連(あほうれん)が公開練習を行っているのは、
徳島市の中心街として古くから徳島市民の生活を支えてきた東新町一丁目商店街。
この場所で、踊り手とお囃子が1時間半ほどの練習で汗を流す。

透明屋根のアーケードは平成11年に完成。昼間はさんさんと太陽が降り注ぎ、商店街全体に明るい雰囲気を醸し出す。

阿呆連は、昭和23年に結成され、
数ある「連」(阿波踊りのチーム)の中でも2番目に結成が古い有名連。
その踊りは阿波踊りの「3大主流」のひとつと呼ばれ、
豪快で、躍動感あふれる挙動と、
江戸庶民の遊び、凧揚げの様子を模した「やっこ踊り」はオリジナル性が高く、
県内外のファンも多い。
その阿呆連が東新町商店街で練習を始めるようになったのは、およそ6年前。
商店街の活性化を願う東新町一丁目商店街と、
照明完備、雨が降ってもアーケードのおかげで練習ができる阿呆連のメリットが重なり、
本番間近の6月から週に一度、商店街で練習を行うようになった。
月曜日から木曜日までの普段の練習は、河原や公園などで行われるが、
その環境は抜群とは言い難い。
週に一度金曜日の商店街での練習は、
道幅が広くて長さもある商店街の利点を生かして通し練習ができる貴重な時間なのだ。

「商店街を通るお客さんがこうやって立ち止まって見てくれるんですよ。
お客さんとの距離も近いし、本番さながらのいい緊張感で練習ができます」
そう語るのは、高校3年で阿呆連に入連し、今年で21年目の宮村憲志さん。
お子さん2人もこの日の練習を見に来ていた。
「この商店街は庭みたいなものですね。
だからここで踊るのは桟敷で踊るより思い入れがあるかも」と目を細める。

高校時代には、野球部の練習が終わってからその足で阿波踊りの練習に参加するほどの入れこみ。いつか2人のお子さんと同じ衣装に身を包むことを夢見る。

この日、女踊りの指導にあたっていた宇津宮亜由美さんは、高校2年で入連し、今年で10年目。
徳島市内在住で、高校生の頃にはよくこの東新町一丁目商店街に遊びに来ていたのだと言う。
「商店街で練習していると、商店街のお店のひとと顔なじみになれたり、
つながりが持てるところがいいですね。
高校生の頃とはずいぶんお店も変わってしまったけど、
やっぱり思い出が詰まっているこの商店街で踊れるのは嬉しい」

厳しい経営状態や集客は東新町一丁目商店街も例外ではないが、
こうして、東新町一丁目商店街という場に愛着を持つ若い世代を増やすことが、
商店街の発展と存続に希望を持たせる。
本番に向けて練習もいよいよ大詰め。
力のこもった指導と練習で阿波の夜はいっそう熱さを増しそうだ。

自家用車で移動する人が多い徳島。商店街近くにはコインパーキングが多いため、通いやすいのだという。この日は踊り手とお囃子合わせて70名ほどが練習に参加した。

「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損」。未来の女踊りのセンターポジションの有望株。小さい子にも踊り手のDNAは刻まれている。

アジアン・コーヒーキャンペーンの全貌

ベトナムとバリのコーヒーで勝負!

久々にして、たぶんこれが最後になるであろう、500円玉貯金の話である。
2年間で20万円に達していたぼくの唯一の貯蓄なわけだが、
残念ながらもうない。しばらく前に使ってしまった。
あれだけこの連載で話題にしておきながら、
なぜにまったく触れなかったかといえば、その崩し方があまりにしょぼかった。
車の重量税5万円がどこをどうつついても都合できなかったのである。
すぐに覚悟は決まった。
「せっかくここまで貯めたのに」とウジウジするのが一番よくないのだ。
ぼくはきっちり10万円分を銀行に持ち込み、そこから重量税を、
さらに最近しつこく催促の電話をかけてくる国民年金も2か月分を支払った。
こうしてぼくの貯蓄の半分が、ウスバカゲロウなみのはかなさで消えていった。

普通の貯金なら、半分の10万円を使ったところで、
残り10万円からまたコツコツ貯めればいいだけの話である。
しかし、これが500円玉貯金の不思議なところで、
お金を使った感慨がないとリセットできないのだ
(もしかしたらぼくの場合だけかもしれません)。
先の税金の支払いに感慨なんてあるわけがない。
胸の内にはえもいわれぬ気持ち悪さがくすぶるだけである。
さて、ここからは「さあ、10万円を鮮やかに使ってみなさい」という話なのだが、
元来物欲に乏しい性質で、欲しいものがスニーカーぐらいしか思い浮かばない。
スニーカーであれば色違いを10足揃えるぐらいの
バカげたお金の使い方が好ましいのだけれど、
そんな豪気なふるまいができる人間でもない。
まさに、そんな折だった。
春に出張マチスタをやった宇野港近くの「駅東創庫」に出かけたときのこと。
そこにある友人の満田夫妻のアトリエ兼ショールームで、
連れ合いのタカコさんが革のライダースジャケットを見つけた。
ぼく以上に物欲のない彼女が、ジャケットに袖を通して鏡に映して見ていた。
一緒に買い物に行っても、ほとんど見ない光景だった。
「それ、いくら?」
彼女はジャケットを一度脱いで値札を見た。
「9万円ぐらい」
決まりだ。
「買うよ」
「ええっ? いいよ、お金ないのに」
「いや、買う。絶対買う!」
売る側の満田さんにまで「お金ないのにいいの?」と心配されながら、
半ば強引に買うことにした。
ぼく以外の人のために使うなんて、そんな選択肢があるとは思いもしなかった。
しかも、これから夏本番を迎えるという時期の革のジャケットって。
報われた、全部報われた。
20万円分の500円玉たちから拍手喝采を浴びたような気分だった。

あえて夏にホットを————。
ホットコーヒーがまったく出なくなったというところから生まれたこの戦略。
口にしてはみたものの、具体的な展開のアイデアはまったくなかった。
アイデアがまったくないまま、とりあえずコイケさんに投げかけてみた。
先週の金曜日のことである。
「アジアの豆でいくってどうですか?」
ぼくには寝耳に水の「アジア」だった。
「アジア、ですか?」
「この間、稲本さん(マチスタの豆を焙煎してくれている焙煎士です)が
もってきてくれたベトナムの豆を飲んでみたら、これが美味しいんですよ。
ベトナムっていうと、まずい豆の代名詞みたいなところなんですけどね」
アジアン・コーヒーのキャンペーンか、悪くない。さすがはコイケさん!
「もうひとつはどこだったかな……」
「インドネシアですか?」
「……わかりません。でも、明日にはもってきてくれるはずですよ」
翌土曜日。お昼頃にマチスタに行くと、
すでにコーヒーのメニューボードの一番上に
「アジアンフェア」と書いたのーちゃんの文字が。
ストロングのところには「ベトナム ソンア」、
ソフトに「バリ島 神山」とあった。
そうか、コイケさんが言ったもうひとつはバリだったのね、って展開が早いな。
言い出しっぺのぼくが取り残されてやしないか?
早速ふたつを飲んでみた。
まずはベトナムのソンア、深みがあって後口もすっきりしている。
コイケさんが言うだけあって実に良いコーヒーだった。
バリ島の神山はほどよく酸味が効いてパンチがある、ぼく好みの味だった。
コーヒーの生産国というと、アフリカや中南米というイメージだけど、
アジアの豆だってまったく遜色ない。
(アジアンフェア、これイケるかも)
早速、今週月曜日からポップの制作に入った。
火曜日か水曜日にはマチスタにアジアなデザインがお目見えする予定。
今週、アジアンフェアの評判がいいようであれば、
いきおいフライヤーを作って、8月早々にもビラ配りしてみるつもりだ。
マチスタの逆襲はアジアから始まる————。
うちの会社名からしてアジアンだしね。

イラストレーターとしてのヒトミちゃんの力量が発揮された今回の「アジアンフェア」のポップ。期間はどれくらいだろう、稲本さんに聞いておかなければ。

マチスタの逆襲

コーヒー屋によくある光景。

まるで挨拶ごとのように、会話の冒頭でマチスタの経営状態を
たずねられるのが常となっている。
「やあ、元気?」みたいな感じで「マチスタはどう?」と。
ぼくも「まあまあだよ」くらいでやり過ごせばいいんだけど、
「あんまりよくないね」なんて正直に答えるものだから、
相手はさてどうしたものかとその場で考えを巡らせて改善策めいたものをひねり出し、
ぼくはといえば、明らかに疑問符がつくような類いのものであっても
「今度試してみるよ」と社交辞令的に適当な返事をして、
相手には一抹の申し訳なさを感じるということがよくあるのだった。
つい最近のトーマスとのやりとりもそんな感じだった。
トーマスはこの春から京都の中学校に単身赴任しているアメリカ人の友人で、
先週も3連休を使って岡山に帰省していた。
「そうか、それは問題だな」
そう言うとトーマス、しばし真剣な様子で考え込んだ。
場所はマチスタの近くの小さなバー。
彼の目の前には、「オー、メン! こんなに美味いジントニックは初めてだぜ!」
と言いながら、ものの30秒で飲み干してしまった空のグラスがあった。
「そうだ、こんなのはどう?」
トーマスが切り出した改善策は、それまでぼくが聞いたアイデアの中でも、
なんと言ったらいいか、ストレートに言うと最高にくだらなかった。
「日本のコーヒーは熱いんだよ。歩きながら飲もうとしたらヤケドしちゃう。
そんなことない?」
「……だから?」
「ぬるいコーヒーを出すんだよ。めちゃめちゃぬるいコーヒー、どう? 
絶対ウケると思うな」
「…………」
「ところで、コールド・コーヒーがあるのは日本だけだよね? 
ほかの国では見たことがないな。それって面白くない?」
「たいして面白いと思えないね」
「そうか………ここのジントニックはホント美味いな、次は何をたのもうかな」
先に改善策を提示してくれた相手に対して「一抹の申し訳なさを感じる」と書いたが、
トーマスの場合は申し訳なさを感じなかった例として挙げさせてもらった。
まあ、そんなこともある。

ここのところ毎回登場している冊子の仕事、「富士ヨット学生服」を製造・販売している
明石被服興業(倉敷市児島)の80周年記念誌の制作がようやく手を離れた。
先週末に最後の30数ページを校了し、
昨日(7月18日)、冊子を納めるブックケースのデザインを入稿した。
企画を考え始めてからほぼ1年、取材・撮影を始めてからも8か月かかった。
5月の連休が明けて以降、ずっと続いていた深夜帰宅もやっとこれで終わり。
久々に電車通勤してみたら、ついこの前田植えをやっていた田んぼが一面青々として、
車窓からの眺めは完全に夏のそれに変わっていた。

いわずもがな、岡山の夏は暑い。
東京と比べると太陽が近くて、じりじりと肌を焦がすような感覚。
コントラストがはっきりした雲や、迫ってくるような山の緑もあいまって、
夏が獰猛な感じなのだ。でも、東京の夏のような不快感はほとんどなく、
ストレートの直球でどんどん押してくる剛胆な感じは
むしろ好ましくさえある(まあ、しんどいのはしんどいんだけれど)。
そんな岡山の夏、マチスタでは新メニューのコーヒースカッシュとゆず茶シェイクが
ともにスマッシュヒットを飛ばしている。
「ここ何日か、コーヒースカッシュとゆず茶シェイク、
それにアイスコーヒーばっかり作ってるんです」
梅雨明け宣言があった翌日、のーちゃんがいつもの笑顔でそう言った。
アイスコーヒーをドリップで淹れているとはいうものの、
ホットコーヒーのオーダーがあまりに少ないので、
ハンドドリップで淹れる機会が激減しているらしい。
「『コーヒー屋なのにね』とコイケさんと話しているんです」
なるほど。店に入ったらまずコーヒーの良い匂いがして、
それから店主がポットを手にゆっくりとドリップにお湯をたらしている姿が目にとまる。
コーヒー屋さんというとまさしくそんなイメージで、
マチスタも開店以来そんな光景が常であったはず。
(それが夏の間様変わりするのは仕方ないんだろうか……)
さらに深いところへと思いを巡らせる。
(うすうす思っていたけど、夏にアイスを売ろうというのは安直すぎないやしないか? 
むしろ、「夏にあえてホットで」、それぐらいとんがったほうが
マチスタらしいのでは?)
そこまで考えたところで、5月にやった「モーニング•ブレンド」に次ぐ
第二弾のキャンペーンの構想へと結びついた。
夏にホットコーヒー、うん、悪くない。
早速、この週末にもコイケさんたちと相談して構想を固めてからビラ作りだ。
ビラを作るとなったら、俄然テンションも高くなってきた。
『マチスタの逆襲』のシナリオはきっとここから始まるのだ!

JR瀬戸大橋線の車窓から。茶屋町(倉敷市)あたりの田園風景がまこと美しいです。通勤途中、電車の窓からの眺めが見飽きないのも田舎のいいところ。

ヒトミちゃんがデザインしたコーヒースカッシュのポップ。喫茶店の軒先にある「氷」の旗の配色をなにげに基調色としています。夏らしくてナイスね。

夏限定のマチスタスペシャル、ゆず茶シェイク。キツい岡山の夏にはまさにぴったりです。この夏、岡山でブームになったりしないかなあ。

避けられない話

「我慢してしのぐ」、夏のマチスタ。

結局、避けられない類の話なのだ。
それを避けて、どうでもいい話というわけでもないんだけど、
周辺の小さなエピソードなんかを書き連ねようとすると、
何を書いても薄っぺらなように思えてきて、書いては消し、書いては消しの繰り返し。
ぼくのまわりの人も、この『マチスタ・ラプソディー』を読んでくれている人も、
みんなうすうす思っているはずなのだ。
つまりは、マチスタはちゃんとやっていけているのか、という話である。

最初の1か月の収支は以前に詳しく報告した。
約5万円の赤字、これが4月の成績だった。
問題はその後だ。税理士の島津さんの産休をいいことに、
5月の経理処理を怠った(島津さん、第二子のご出産おめでとう!)。
さすがに2か月も無視することはできないので、7月に入ってすぐにマチスタに行き、
久しく見なかった出納帳の5月と6月のページをコピーした。
その場ではあえて数字を見ないようにし、帰りの車の中、信号待ちをしている間に、
トートバッグに無造作に突っ込んでいたコピーを初めて手にとった。
ずらりと並んだ売り上げの数字。コイケさんが月の終わりに収支をまとめてくれていた。
そこにあった数字はだいたい予想していた通りだった。
漠然とだけど、売り上げがよくないのは電話で聞いていたのだ。
でも、それは5月の話。6月の売り上げはというと—————。
(なるほど、落ちるときはそこまで落ちるわけだ)
6月の売り上げは4月に比べて30パーセント以上の減。
赤字は20万円に届くかもしれない。
言うほどたいした数字じゃないと思うかもしれないけど、
我が社アジアンビーハイブにとっての20万円は、
トヨタにとっての2000億円に匹敵する数字。手加減抜きのデカさなのである。

出納帳のコピーを持ち帰ったその日、この夏と秋の決まっている仕事を書き出した。
さらに、それに対して支払われるであろう報酬の概算を書き出し、
毎月20万円の赤字にどれだけ耐えられるかを計算してみた。
年中、貧血気味の当社にしては意外や意外、
この秋をなんとかしのげそうだということがわかった。
あれだ、例の納期が大幅に遅れてしまった冊子制作の仕事
(やっと今週に全ページを校了! 結局納期は4か月遅れになりました)。
あの報酬が、半分は前借りでなくなっているとはいえ、
我が社にとっての結構な「恵みの雨」になるのだ。
だったら初志貫徹、即座にそう思った。
「こうしたらいいのでは?」という大小さまざまな改革案が耳に届いているんだけど、
コイケさんの淹れるコーヒーで売る「まちのコーヒースタンド」という
最初のコンセプトを
逸脱するようなことはしたくない。
いまは我慢だ。基本は武田信玄、動かぬこと山のごとし。
ぼくの右脳は、泰然自若として、じっくりとかまえるのが最善手であると判断した次第だ。

7月7日土曜日。
ホットドッグとミートボールサンドに使用するパンの仕上がりの時間に合わせて
「どんぐりコロコロ」に行った。
(まったく異なる2種の天然酵母コッペパンを特注で焼いてもらっています)
パンをピックアップし、その足でマチスタへ。
夕方4時過ぎ。マチスタの前で車を一時停車すると、
店から3人の30代の女性が出てくるのが見えた。
店を出る直前まで楽しそうに話していたようで、3人ともまだ笑顔のままだった。
「マチスタ0メートルだって、可愛いね!」
ひとりが看板を見て笑い、それを合図にでもしたかのように、
3人が携帯電話を取り出して店の写真を撮り始めた。
ぼくは彼女たちが去るのを待って、パンの入った箱を手に店に入った。
カウンターの向こうにはのーちゃんがいた。
声をかけるのも気がひけるぐらい忙しそうだった。
カウンターの反対側には、
テイクアウトのゆず茶シェイクを待っている若い女性がひとり。
もうひとりの男性はテーブルで文庫本を読みながら
テイクアウトのカフェオレができるのを待っていた。
彼らが帰る前に次のお客さんが現れ、
さらに次のお客さんがテイクアウトをオーダーした。
その直後にやって来た、
見たことがないような珍しいデザインの眼鏡をかけた若い男性客は、
焼き菓子を3つほど買い、ホットドッグとアイスのカフェオレをテイクアウトした。
そして、やっと店内からお客さんがひけた。
この1時間近く、のーちゃんはまさに息つく暇もなかった。
「よっ、おつかれさま!」
ぼくが言うと、のーちゃんは顔をほころばせた。
「もうホントに忙しくって!」
長くマチスタに行ってなかったせいもあるんだけど、
久々にのーちゃんの笑顔を見たような気がした。
そして、それはすごく良い笑顔で、本当に輝いて見えた。
それ以上、マチスタにいてなにがあったわけでもないんだけど、
その日ぼくは「我慢してしのぐ」という今後の作戦の基本が間違っていないと感じた。
一時的にお客さんがいっぱい入っていたからというのではないのだ。
なんと言ったらいいか、まあ勘みたいなものだ。
勘だから外れることはままあるが、当たることだってある。

4月からアジアンビーハイブのスタッフとしていろいろと手伝ってくれていたニシちゃんが児島のアパレルメーカーに就職。まっとうな仕事に就けてよかった。でも、ヒトミちゃんとのこんな光景も見られなくなって少し寂しいです。

梅雨にもかかわらず、夏限定のマチスタスペシャル「ゆず茶シェイク」が絶好調! ふたりにひとりはオーダーする人気ぶり。お盆明けには第二弾をスタートさせるべく、新メニューの開発に取り組んでいます。

相沢猛志さん

サーフィンから始まる茨城の海の復興

「波の上に立っている時の他にたとえようのない浮遊感と、波との一体感。
自然の偉大さを感じることができ、自然に癒される瞬間でもあるんです」
サーフィンの魅力をこう語ってくれるのは
茨城県日立市でサーフショップ CLUB-Jのオーナーであり、
県内のサーフショップ、サーフィン関連メーカーなどで構成され、
サーフィンの普及、発展を目的に結成された
「茨城サーフィンユニオン」の会長でもある相沢猛志さん。

16歳の時に、知り合いに誘われて初めてサーフィンを体験した瞬間から、
波と一体となるサーフィンの魅力ににとりつかれてしまった相沢さんは
以後「波に乗ることが一番の目的」となる生活が始まる。
22歳の時には、サーフィン修行のためオーストラリアに渡る。
「まったく英語もできないのに辞書をポケットに入れシドニー空港に到着し途方に暮れていると、
日本人のおじさんが声をかけてくれ、
無事目的地サーファーズパラダイスに行くことができました。
オーストラリアでは、昼はサーフィン、夜はジャパニーズレストランで働く日々でした」
無謀ともいえる行動も、とにかくサーフィンがしたいという強い思いに突き動かされてのこと。
その後も、フィリピンのカタンドアネス島、インドネシアのバリ島にロンボク島、
フィジーのタバルア島、モルジブ、ハワイと、
サーフィン通の人たちに最高の波を味わえる場所として知られる各地を訪れている。

そんな相沢さんも、生まれ故郷であり初めてサーフィンの魅力を教えてくれた
茨城の海には特別な愛着を持っていた。
きれいな海と変化に富んだ海岸線を持ち、輝く茨城の海。
この地で、多くの人にサーフィンの魅力を知ってもらいたいとショップをオープンし
「茨城サーフィンユニオン」の会長としての役職をこなしながら、
サーフィンの普及に力を注いでいる。
「より多くの人にサーフィンの楽しさを知ってもらいたい、という思いがあります。
そしてレベルにかかわらず、サーフィン好きな人が集まるお店にしたいと思います」

しかし、東日本大震災が発生した2011年3月11日から
相沢さんと海を取り巻く状況は一変してしまう。
海に近づく人たちは減少し、海の輝きも失われてしまった。
「もうサーフィンはできないかも」。こんな思いさえ頭に浮かんだという。
だが、茨城の海とサーフィンを愛する
相沢さんと中心とする「茨城サーフィンユニオン」の人たちは、すぐに行動を起こした。
「いま何かをしなければならない。海とサーフィンを愛する我々だからできる何かがあるはずだ」
と、海の復興と被災地救援チャリティーを開催。多くのサーファーから義援金を預かった。
そして、放射線測定器を購入し波打ち際の砂浜の放射線濃度を測定。
ホームページで測定値を公開し、海の安全性を告知している。

東日本大震災から1年以上が過ぎた現在、少しずつではあるが海には人が戻ってきている。
しかし、さまざまな風評によって以前の輝きを完全に取り戻すことはできていない。
「茨城県と大洗町からの要請もあって、7月に
『復興祈念特別大会 元気いばらき! サーフィンフェスティバル in 大洗』を開催します。
この大会を行うことによって、茨城の海のきれいさ、サーファーの元気さをアピールし、
海の復興につなげていこうと思います」
昨年は一部中止となった「茨城サーフィンユニオン」が主催するサーフィン大会も
今年は全シリーズを開催予定。
海の復興という新たな使命感を胸に秘めながら、サーフィン大会の開催にも力が入っている。

「茨城サーフィンユニオン」の会長となって3年。
「これからも、個性の強いサーフショップオーナーさんたちの
いろいろな意見を聞きながら団結していきたいです。
そして、茨城サーフィンユニオン設立当時からの目的である、サーフィンを通じての地域活性化、
自然環境保護と改善、サーフィン選手の育成を進めて行こうと考えています。
また、私たちは8年前からジュニアサーフィンスクールも開催していますが、
第1回目のスクールに参加した生徒が去年プロになりました。さすがにこれはうれしかったです」

相沢さんと「茨城サーフィンユニオン」の海を愛する想いと行動は
一時は輝きを失った茨城の海と人々の心の中に、新たな輝きを取り戻そうとしている。

フォトいばらき 2012年夏季号

茨城県『フォトいばらき』 
発行/茨城県

茨城県をもっと知りたい県民グラフ誌『フォトいばらき』の2012年の夏季号は、太平洋に面し、美しく変化に富んだ190kmの海岸線を持つ「いばらきの海」を特集。誌面やホームページでは「私の自慢したい茨城のスポットの写真」を募集しているので、そちらも要チェック。

フォトいばらき
http://www.pref.ibaraki.jp/photoiba/

発行日/2012.6

ヒトミちゃんのポップ

アジアンビーハイブとマチスタの良い関係。

児島に世界で唯一無二の作家がいる。
ぼくの近しい友人でもあるカワベマサヒロ。
作っているのは主に指輪なのだが、問題はその元となるマテリアル。
彼はステンレスのナットを削って指輪を作っているのである。
しかも機械の類は一切使用しない。
膨大な種類のヤスリを使い、ひたすら手で削って磨いてを繰り返す。
驚くべきはそのクオリティだ。
六角形の内側のねじが切ってある部分は微かにアールがつけられていて、
ステンレスという材質ともあいまって、指に吸いつくようにぴたりとおさまる。
デザインはまこと繊細。
インダストリアルな匂いを意図的に残しているものもあるにはあるが、
多くは曲線(または曲面?)が立体的かつ複雑に組み合わさっている。
しかも彼はそれを図面に描くことはせず、頭のなかで組み立てて具現化する。
そのクリエイティビティたるや、まさに神がかっているとしか言いようがない。
さらに、少ない紙幅を割いても彼の風貌について紹介したい。
頭はスキンヘッド、あごヒゲは常に20センチぐらい伸ばしてある。
この風貌でEXILEみたいなミラーのサングラスをかけ、
30年も前のスズキ・フロンテ(超ミニな軽四です)に乗って
児島のまちをちょろちょろしている。
こうやって客観的に特徴を記すとただの気持ち悪いヤツで、
現にぼくなんかは気持ち悪いと思ったりすることもあるんだけど、
若い女子のウケは最高にいい。まあ、ベースは男前である。
強いて言えば浅野忠信、目つきなんかよく似ているし。
でも、それだけじゃない。針の穴ほどのストライクゾーンしかもたないヒトミちゃんが、
ルックスも含めて「理想の男」とするぐらいだから、相当の“オトコ”なのである。

彼と知り合って、まだ間もない頃だったと思う。
「赤星さん、この間、東京に行ってきました!」
子どものような、嬉しそうな顔でそう言った。
カワベくんはその風貌のわりに基本は子どもっぽい男だったりする。
「ほう、どこに行ったの?」
「はい、東京ディズニーランドに」
「……それ、東京じゃないけん」
ちょうどその頃、逼迫した懐事情により、
東京のマンションを引き払うかどうかを考えていた時期だった。
でも、簡単には決断できなかった。
前にも書いたけど、ぼくの人生の大半が東京にあった。
さらにクリエイターとしては、東京から完全に離れてしまうことに、
漠然としてはいるが大きな不安があった。
正直、表はトンがっていても、
内側は東京に未練たらたらの情けない状況にあったのだった。
まさにそんな折の、この脳天気な「ディズニーランドに行ってきました」報告。
(この男には東京なんてはなからどうでもいいのだ)
そう思うと、それまでの自分が情けないやら気恥ずかしいやらで、
なんだかバカらしくなった。同時に、「赤星さん、裸一貫で勝負できますか?」
とヤツからむき身の刃のように鋭く迫られたようにも感じた。
後から思うとあのときだ、ぼくが本当の意味でローカルから出発したのは。

前に紹介したアレンジドリンク、コーヒースカッシュが好評だ。
さらに、7月1日から新しいメニューが登場した。
定番の「マチスタスペシャル」の夏限定バーション第一弾、ゆず茶シェイクである。
児島で缶詰状態になって久しい経営者のこのぼくが、
自らカメラをもってマチスタに行ったのが6月30日の土曜日
(まだ缶詰状態から抜けきれておりません)。
午前中に写真撮影を終え、昼過ぎには児島に戻ってヒトミちゃんにデータを渡した。
そして夕方にはデザインを上げてA3用紙に出力。
あらかじめ用意していたA3のフレームに入れて、
翌日曜日のお昼前にマチスタに納めた。
まさにミッション・インポッシブルばりのスケジュールをこなしてのポップの納品。
月曜日の今日は、さらにA2サイズのポスターをリデザイン。
今週後半には、店頭にはり出してのポスター展開も目論んでいる。

今回のゆず茶シェイクのポップの制作で、
これがあるべき姿のひとつだと感じた。
つまり、マチスタの母体であるアジアンビーハイブが、
その本業での力を生かして、PR展開に積極的に参加するというものだ。
以前から、ロゴのデザインやら、看板やらシールやらコースターやら、
やることはやっていたのだ。
でも、今回のゆず茶シェイクのPR展開がこれまでと違ったのは、
「どうやったら新商品が売れるか?」を
ヒトミちゃんが主体的に考えたことだった(デザインも100パーセント彼女です)。
どっちかというと、傍観者のような態度もあったヒトミちゃんも、
実はマチスタのスタッフでもあるという意識が、
今後さらに新しい展開をもたらしてくれるかもしれない。
と、都合のいいことを願いながら、
「あともう少しなんよ!」といまだ児島にはりついて叫び続けている今日この頃……。

カワベマサヒロくんの個展は児島・王子が岳のセレクトショップ「ALAPAAP(アラパープ)」にて7月11日から。このポスターデザインはアジアンビーハイブが手がけました。ナットのイラストは、児島のお向かい坂出市在住の山口一郎。

『Krash japan』の企画でカワベくんと一緒に行ったメキシコのタスコ。1週間滞在し、ストリートで実演販売の露店をやりました。その詳細は同誌のvol.9に掲載! 涙なくしては読めませんね。(Web版『Krash japan』でも閲覧可)

カワベくんがメキシコで制作した指輪。1週間の滞在で3個を完成させた。彼のメキシコの印象や、露店を開いた通りの雑踏や石畳が表現されている。上の写真とともに撮影は池田理寛クン。

こちらが新メニュー、夏の限定マチスタスペシャルの「ゆず茶シェイク」。撮影は僭越ながら私。この写真のあがりを見て、「もう写真を辞めたい……」との嘆きが聞こえたとか聞こえなかったとか。

岡山・倉敷・児島

マチスタへ足が遠のいてしまった理由。

遅ればせながら、マチスタとアジアンビーハイブの位置関係を解説しておきたい。
連載も20回を超えて何をいまさらなのだけれど、
たぶん岡山県外の人が読んだら、やれ岡山だ、倉敷だ、児島だと、
地図でも見ないと皆目わからない話なんじゃないかと思う。
やっぱり「だったら早くやっとけ」という話なのだ。

まずはマチスタのある岡山。
岡山県民がこのようにさらっと「岡山」という場合は「岡山市内」を意味している。
(ぼくが十代の頃に「ちょっと岡山に映画を観に行ってくるわ」と言えば
岡山駅前の<岡山70mm岡山グランド>か
岡山表町商店街に数軒あった映画館と相場は決まっていた)
マチスタはその岡山市内、JR岡山駅から徒歩7〜8分の距離にあり、
県庁から歩いてもほぼ同じぐらい。
店名の由来にもなっているようにかなりのまちなかで、
「天満屋」という岡山の老舗百貨店や表町商店街を擁する県内最大の商業圏にある。
東京でいえば銀座みたいなところだ。
一方、我が社アジアンビーハイブのある児島は、
岡山市の西に隣接する倉敷市の南端にある。
岡山駅と四国を結ぶJR瀬戸大橋線の本州最後の駅がこの児島。
岡山から電車だと約20分なのだが、車だと1時間近くかかる。
児島で育ったぼくが言うのもなんけれど、わりといいところだ。
人口は約7万人、田舎にしては大抵のものが手に入るし、
TSUTAYAもあるしユニクロだってある。
なによりぼくが好きなのは海があること。
それに美味しいうどん屋がたくさんある。
マチスタが銀座なら児島は三浦か、金沢八景とか金沢文庫あたりだろうか。

児島に住んでいる人も含めて岡山の人が「倉敷」というと、
JR倉敷駅や「白壁のまち」として知られる美観地区がある倉敷市の中央エリアを指す。
児島も倉敷市の一部に違いないのだけれど、
「倉敷に行かんといけんのよ」みたいなことを児島で日常的に耳にする。
児島が40年前までは児島市であったこと、それに倉敷市が47万人もの人口
(中国地方で3位)を抱えているというのもあるかもしれない。
さて、最後になったが、ぼくが住んでいる早島町だ。
ここは岡山市と倉敷市にぎゅっと挟まれた都窪郡にある人口わずか1万2千人の町。
町と呼ぶと語弊があるかもしれない。
実際、町らしい町はなく、ほとんどが田んぼと宅地だ。
古くはいぐさの産地として全国的に知られた土地で、
いまもいぐさで財を成したお金持ちがたくさん住んでいる。
財政的に恵まれているからか、
これまで岡山市と倉敷市からの合併のオファーを頑に拒んできたと聞いている。
運動会や花火大会、夏の野外ジャズライブ、
それに前に紹介したチューリップ祭りとか町のイベントが実に豊富で、
町民の参加率がやけに高いのも特徴だ。
東京で例えようとしても、こんな町はまったく思い当たらない。

ここのところ、児島とマチスタのある岡山の距離がやけに遠い。
前回に触れた冊子の仕事で児島のオフィスにはりついている状態が1か月半ほど続いている。
なかば缶詰状態で、まったくマチスタに顔を出せていないのだ。
しかし、この状態になる以前に、実はマチスタへの足が遠のきつつあった。
意識的にそうしていたのだ。
なぜかって、理由はこうだ。ぼくは経営者であるからして、店の売り上げが気になる。
売り上げが気になるから、
お店に行くと必ず出納帳に記帳されている売り上げの数字を見る。
でも、あるとき、ふと思った。
(顔を出すたびに出納帳をチェックする経営者って、相当ウザいのでは?)
自問するまでもなく、ウザい。
ぼくがノートを見ている横にはコイケさんかのーちゃんがいるわけで、
彼らにしたら、不快まではいかなくてもいい気持ちはしないはず。
そのあたりの無神経さは、ぼくの場合ままあることで、
人としていたらないところ。もう「すいません」と謝るしかない。
しかしそうは言っても、顔を出すとやはり帳簿を見たくなるのが経営者の性らしく、
しばらく店に出ても帳簿を見ないで我慢することが続いた。
しかし、我慢をするというのはそれだけで不自然なことであり、
そのせいでコイケさんやのーちゃんとの会話も
なんとなくちぐはぐになったように感じて早々と店を去る、
そんなことが何度か続いていたのだ。
結果、マチスタが楽しくなくなってしまった。もう、やりきれないぐらい。
(もうお客じゃないのだからそれも仕方ない)
そんなふうに無理矢理受け入れ、
それで足が遠のいたまま現在の缶詰状態に突入したのだった。

解決の糸口を与えてくれたのはクライン・ダイサム・アーキテクツのふたり、
マーク・ダイサムとアストリッド・クラインだった。
どこで彼らに会ったのか不思議に思うかもしれない。会ってはいない。
会っても相手にしてくれないだろう、まったく見識がないのだから。
テレビで見たのだ、NHKの番組で。
(悩みの解決の糸口をテレビ番組で発見したとはあまりに安っぽいと思うが
事実なのだから認めよう)
ふたりは彼らの設計した建築を紹介しながらこう言った。
「自分たちが楽しめないと、人を楽しませるものはできない」
これ、ぼくが『Krash japan』を作っているときによく言っていた言葉だった。
自分で言っておきながら忘れていた。
そうなのだ、経営者というトップだからこそ、楽しくやらないとダメなのだ。
マークとアストリッドの出番が終わらないうちに、
ぼくはエプロンをして、マチスタで洗い物をしている自分の姿を見た。
オープンしてしばらく一緒に店を手伝っていたあの頃、ぼくは確かに楽しんでいた。
(なにをウジウジしてたんだ、オレは? 
今度マチスタに行ったら、一日ホールをやって洗い物をして、
スタッフのひとりとして働くぞ!)
目から鱗が落ちる思いでそう誓った。
以来、マチスタに行きたくってウズウズしているんだけど、
いまだ例の缶詰状態から抜け出せないでいる……。

海があって山がある、それだけで児島は魅力的だ。正面に見える山は龍王山。子どもの頃は水晶を探してよく頂上まで登りました。水晶、なかったなあ。

2週間ほど前に田植えが始まった早島町。夜はうるさいほどにカエルが鳴くんだけど、うるさいと思ったことはなく、むしろ心が落ち着きます。田園生活、快適!

IC10 / アイシー・テン

群馬県高崎市『IC10 アイシー・テン』
発行/taraco design

「高崎オジサンエレジー」「傷だらけの高崎探偵物語」など独自の切り口で特集を組み、群馬県高崎市を紹介する『IC10』。「高崎映画祭」に合わせて発行した今号では、高崎市民のみなさんに好きな映画をアンケート。決して大手メディアではフューチャーされない地元のリアルな顔がのぞける地元密着フリーマガジンです。

IC10
http://ic10.jp/

発行日/2012.3.20

コイケさんのコーヒー教室

秋からのコーヒー教室実現に向けて。

コイケさんを形容詞ひと言で表しなさい、という設問があったとする。
「優しい人」という人もいれば、「まめな人」という人もいるだろう。
「話しやすい人」という人いれば、反対に「話しにくい」という人もいるかもしれない。
印象という話なので、当然、十人十色なわけだが、
いろんなことに精通していてその分いろんな顔をもっている人だけに、
印象は本当にバラバラだと思う。
ぼくがコイケさんをひと言で形容するなら、「お洒落な人」だ。
「ファッションに無頓着だけど雰囲気がお洒落」といったような、
よくあるタイプのおしゃれさんとはちょっとが違う。
むしろまったくその逆で、ファッションのことはよく知っているし、
ブランドものも嫌いじゃない
(コムデギャルソンらしきシャツをよく着ていると思います、推測だけど)。
かといって、ただブランドを着こなしているだけの薄っぺらなお洒落でもけっしてない。
セットアップのセンスのよさなのか、
なにを身につけても必ずコイケさんなりの消化があって、
オリジナルな雰囲気に着地させる。
そして、コンサバに落ち着くことなく、結構な冒険もいとわない。
結局、コイケさんという人は、いろんなことを楽しんでいる人なのだ。
そんなコイケさんの生き方も含めて、「お洒落な人」なのである。

その朝、見かけたコイケさんは、これまで見たなかでも一番イカしていた。
コーヒー教室が開かれる日曜日のその朝、
ぼくはちょっと早めにマチスタに来て、
5月で閉店してしまったお隣の「柳川いちば」の写真を撮っていた。
と、通りの向こうからすごいスピードでやってくる1台の自転車に目が釘付けになった。
目を奪われたのは自転車の速度ではなく、変なカタチをしたその男の頭。
でもなくって帽子……テンガロンハットだった。
8年前にテキサス州フォートワースのショップで
「日本人には無理!」の烙印をぼくに押さしめたあのテンガロンハットをかぶり、
岡山のまちなかを颯爽と自転車に乗っている男こそ、コイケさんなのだった。
ぼくは手にもっていたカメラのレンズを向けるのさえ忘れ、
コイケさんのテンガロンハット姿にただただ見とれていた。

コーヒー教室の話が最初に出たとき、コイケさんの態度は積極的とは言いがたかった。
「正解がない世界ですからね、コーヒーって結局その人の好みなんです」
と笑顔で言うコイケさんを、なかばぼくが口説いたカタチで
日曜日のコーヒー教室とあいなった。
といっても、その日は知り合いに声をかけて参加者を集めたプロトタイプのコーヒー教室。
もしもそこである程度の反応を得ることができれば、
秋からの開催を現実的に考えようということになっていた。
集まってくれたのは、アジアンビーハイブのコーヒー担当になりつつあるニシちゃん、
ビッグジョンのNクン、駅東創庫で出張マチスタを手伝ってくれたマドちゃん、
それに大手コーヒーチェーンで働いているUさんの計4名。
「まずは淹れてみてください、はいどうぞ」
コイケさんが言うと、4人が顔を見合わせた。あまりにも唐突な展開。
レクチャーも何もないまま、まずはどうやって家で淹れているか見せてください、と。
でも、戸惑いを見せたのは一瞬だけで、
そこは唯一の男性の参加者、Nクンが「じゃあぼくが」と進んで厨房に入った。
計って小分けにしておいた豆をミルで曳くところからスタートである。
ドリッパーにペーパーを敷き、そこに粉状にした豆を入れる。みんなの視線が注がれるなか、
Nクンはコンロにかかっているポットを使って粉の上に少量お湯を垂らした。
そのまま注ぎ続けるのではなく、つかの間放置して蒸らしの時間をとるあたり、
Nクンも初心者ではないようだ。
Nクンは一定の分量の注ぎで粉の上にお湯を注ぎ始めた。
出来上がったコーヒーは、すぐにコイケさんも含め、みんなで試飲した。
こうして4人全員がコーヒーを淹れ試飲した後、ついにコイケさんが登場。
「じゃあ、次はぼくが淹れてみましょう」
みんながメモとペンを手に、厨房にずいと近づいた。
それまでずっと笑顔で見ていただけのコイケさんが、そこで俄然講師らしくなった。
「粉は中央をスプーンで凹ませ土手を作ります。そこにお湯を注ぐわけですが、
お湯の温度はマチスタでは82℃で淹れています」
さすがはコイケさん、手際がまったく違う。
しかも、飛び交う質問にテキパキと答え、その答えに無駄がない。
ぼくも4人の淹れたコーヒーを飲ませてもらったのだが、それぞれみんな味が違う。
コイケさんの淹れたコーヒーは、当然かもしれないけど、
やはりバランスがピカイチだった。
しっかりとした味のなかに苦みと酸味がうまく釣り合っている。
「お湯の温度が3℃違うと、味も全然違ってきます。
でも、何度が正解というわけじゃないんです。
その人が美味しいと思う味はいろいろです」
その後、同じ豆を使用して、焙煎の度合いを変えた3種の豆を試飲した。
参加者の4人は夢中でコイケさんの淹れる様子を見、メモをとり、
携帯で写真を撮り、質問し、そして次から次へと淹れたてのコーヒーを飲んだ。
正午までの2時間があっという間だった。

参加した4人はみんなとても喜んでくれたようだ。
なにより、傍観者としてときに写真を撮り、
ときに洗い物をしていたぼくが楽しかった。
マチスタを始めてからつくづく思うんだけど、
コーヒーというのは本当に奥が深くて面白い。
ぼくが感じたその面白さを、今回の4人は少なからずわかってくれていた人で、
コーヒー教室という場であらためて実感してくれたんじゃないかと思う。
秋からのコーヒー教室、ぼくはなんとか実現したいと思っている。

カウンターをはさんでコイケさんと受講者の4人。コイケさんはゼミの教授のようでした。そういえば、このシャツのデザインも実にユニークです。

最後にまたひとりずつコーヒーを淹れてクラスは終了。コーヒー教室と化したマチスタにはいつも以上にコーヒーの香りがたちこめていました。

銀行からの融資、その後–––––

おとながおとなに叱られたときのこと。

遅れている仕事がある。その遅れ方が半端じゃない。
4月下旬納品の予定で進めていた冊子の制作が、
6月に入った今もまだ納品できていない。入稿できていないページさえある。
この分だと納品は7月の終わりぐらいか。
最初は悠長に構えていた担当者も、
さすがに5月も下旬にさしかかってくると心中穏やかでない。
紳士的な態度で理性的な言葉を使ってはいるが、実質、叱られた。
さすがにこの歳で怒られることなんてまずないから、
結果、ぼくの気分は数日へこんでいた。
ちょうどそんなときだ、友人の黒住光から電話があったのは。
「なによ? こんな時間に」
時間は夜の12時を過ぎていた。
「いや、電子レンジをもらった礼でも言おうかと思って」
マチスタで新しく買った電子レンジが、
周波数が違うとかで関西以西では使えないことがわかり、
東京にいる黒住に送ってやった。
しかし、それもその電話より3週間も前のことだ。
「どしたの、なんか話したいことでもあるんじゃないの?」
「いや、話したい話があるわけじゃないが、話せといわれたら、話す話がないでもない」
そんな目眩がするような前置きをして、黒住は仕事で怒られた話を始めた。
「仕事の内容で怒られるってのはさすがにキツいな。
しかも、相手の言うことがいちいちごもっともなんだよ。
もう、ぐうの音も出ないんだよ」
情けないヤツだなあ、といつもならそんな受け答えをしていたところだ。
しかし、タイミングがタイミングである。
ぼくは黒住の愚痴めいた話に
「なるほど、そうか、そうだよな」とさも親身に聞いているような相づちを入れ、
頃合いを見て「実はオレもな」と、納期が遅れて怒られた話を始めた。
普段は黒住だろうが誰だろうが自分の話をするのは好きじゃない。
ましてや愚痴なんて言わない。でも、稀にそんな気分のときもあるのだ。
なのに、ヤツはぼくの話を遮ってこう言った。
「仕事が遅れて怒られるのはいいんだよ。オレはそんなの全然気にならない」
すっかり忘れていた。『Krash japan』をやった5年間、
連載をもたせたがためにどれだけ黒住に原稿を待たされ、気をもんだことか。
やっぱり愚痴なんて言うんじゃなかった。
ちなみに、黒住光は社会人としては疑問符もつくヤツなのだが、
書くものはやけに面白い。

以前、この連載でも報告した銀行からの融資。
担当のシマちゃんには、
「まあ絶対必要ってわけじゃないけどね」と言って借りた200万円が、
きれいさっぱりなくなった。振り込みから3か月ももたなかった。
とくに高価な買い物をしたわけでもなく、普通にマチスタの準備資金と運転資金、
それにアジアンビーハイブの運転資金の一部として消えて行った。
そして、給与やら家賃やら仕入れやら、
5月末の支払いをすべて終えたアジアンビーハイブの現在の口座残高が
6871円(6月11日時点)。
社員を複数抱える会社のそれとしてはまずありえない数字。
でも、経営者として手はうってある。
人生初、ギャラの前借りを敢行していたのである。
その前借りをお願いした先というのが、先に紹介したクライアント。
納品が遅れて怒りを買った会社なのだった。
もともと足の長い仕事なので、
制作途中での一部支払いもやぶさかではないと言われていた。
でも、途中で支払ってもらうタイミングは完全に逸している。
納品が遅れているいま前借りをお願いするのは「史上最悪のタイミング」なのである。
でも、言い出しにくいとか怒られるとか、そんなこと言っている場合じゃないのだ。
ぼくには社員に給与を払って、
アジアンビーハイブとマチスタの両方を継続させていく義務がある。
どう考えても方法はこれしかなかった。
「じゃあこれ、お願いしまーす」
トイレお借りしまーす、みたいな感じでさらりと言った。
冊子の内容の打ち合わせの最後、席を立たんとするときを見計らって請求書を出した。
これ、結構考えた末の作戦だった。
前後がまったく脈絡もないので、
担当者はなにが「じゃあ」なのかよくわからなかったと思うけど、
「ああ、これね……わかりました」と受け取ってくれた。
本当はもう少しだけやりとりがあったのだが、
まあざっくり説明するとそんな感じだ。
こうして何度目かの危機をギリギリ切り抜けることができた。
というか、早く仕事を終わらせろってことなのだけど。

コイケさんには
「会社は大丈夫、余裕があるので心配しないでください」と言ったかと思うと、
翌週には「ヤバいッス、もたないッス」みたいなことを言っていたりする。
そのあたり、経営者としては失格なんだけど、
でも、会社が心もとないなんてことはコイケさんには最初からわかっていることだと思う。
だから、いまはのーちゃんと一緒に
新しいメニューの開発に力を入れてくれているんだと思う。
そして、マチスタとして実はまた新たな展開を考えている。
それがコイケさんによるコーヒー教室だ。
まだまだ企画段階で実現にはかなり距離があるのだが、
この日曜日、試験的にやってみた。
約2時間のクラス、ぼくはかなりいい線いっていたと思っている。
コイケさん、結構向いているのだ。
そのプロト・コーヒー教室の模様は次回に報告します。

マチスタのすぐ隣にあるスーパー「柳川いちば」が5月いっぱいで閉店。重宝していただけに、イタッ! 人通りも少なくなって、イタタッ!

普段、自分のデスクよりも倉庫のテーブルを机代わりにして仕事をしてます。『コロカル』の原稿もこんなところで書いているのでした。

新メニュー試飲会

「野犬のサブ」が「アジアンビーハイブのサブ」になった日。

児島の事務所でサブを飼い始めてちょうど1年になる。
忘れようとしたって忘れられない。
近所に住み着いていた野犬のサブを保健所に連れて行くかここで飼うか、
端的に説明するとそんな選択をつきつけられた。
正直、その展開におおいに理不尽さを感じてはいたんだけど、
表には出すことなくその二者択一を受け入れ、
受け入れたからには「保健所にどうぞ」の選択はなかった。
その夜、餌でおびき寄せ、
事務所の中に足を踏み入れたところで入り口の倉庫のシャッターを下ろした。
瞬間、サブが豹変した。
それまでヨタヨタ歩いている姿しか見たことがなく、
吠えたりうなったりするのも聞いたことがなかった。
そんな老犬のサブがいきなり20歳ぐらい若返って、
白い牙をむき出しにして吠えまくり、狂ったように倉庫の中を走り回った。
まったく手がつけられなかった。
その夜は互いに距離を置いたまま、まんじりともせず、
緊張感をともなった状態で朝を迎えた。
次の日の夜、サブがぼくに腹を見せるようになった。
横になった状態で白い腹をこちらに向け、
ぼくの顔を見ながら合わせた両手を何度も何度も空を掻くようにして上下に振るのだ。
懇願するサブの声が聞こえるようだった。
「頼むから外に出して!」と。
何度めだったか、ついに見ているのが耐えられなくなった。
ぼくはサブの腹の上にのり、首のところに両手をあてがって頭を押さえつけた。
「やめろ、サブ! あきらめてここで暮らせ、面倒みちゃるけん!」
前日の夜からずっと語りかけてきた言葉を強い調子で言って聞かせた。
そんなやりとりが何度かあって、サブはまずぼくへの完全な服従を決めた。
しかし、それからはぼくの姿が見えなくなると、激しく遠吠えを繰り返すようになった。
結局、サブを閉じ込めたあの夜から丸4昼夜。
ぼくはサブにつきっきりで、言葉をかけてなだめたり、
カラダをさすってやったりしながら一緒に過ごした。
戦争みたいな数日間だった。

サブを洗った。最後に洗ったのが昨年の9月だから実に8か月ぶり。
ヒトミちゃんとサトちゃん、
それにこの春から新しくスタッフに加わったニシちゃんの3人の女子に囲まれ、
サブはおとなしかった。
おとなしいどころか、まんざらでもないご様子。
泡だらけになったサブは子犬のようだった。
そんな光景を見ながら、「あのサブがなあ」と1年前のあの数夜を思い出さずにいられない。
そしていつもの考えが頭をよぎる。
サブにとっては、これでよかったのかどうか————。
あの夜サブを遠くに放して、
「逃げられました」と言い張る選択肢がないでもなかったのだ。
餌に困ることはあっても、いまも自由に走り回っているサブと、いまのサブ。
そんなことを考えても仕方ないし、
答えがわからないこともわかってるんだけれど、
それでもいまもよくそんなことを考える。

サブを洗ったその日の夕方、先の女子3人を車に乗せて岡山のマチスタに向かった。
新しいアレンジドリンクの試飲会である。
マチスタにはお休みだったのーちゃんにも出勤してもらい、
アジアンビーハイブのスタッフが初めて顔をそろえることとなった。
最初に飲んだのはコーヒースカッシュ。
開発中のメニューの中でぼくが一番期待していたドリンクである。
期待通りだった。女子の評判がすこぶるいいのもさもありなん。
このメニューがこれまでどこのお店でもなかったのが不思議なぐらいだ。
開発者のコイケさんに聞いた。
「これって、ほかで出してるところはないんですか?」
「実はずいぶん前に大阪で似たようなのが出たというのを聞いて、
飲みに行ったことがあるんです」
「で?」
「全然ダメでした」
その全然ダメだったものを
こうして完成度の高いドリンクとして出してくるのがコイケさん、
そのあたりのセンスは天才的である。
そもそも大阪まで行ったというのが常人じゃない。
目的がストーンズのコンサートじゃなく、スカッシュなわけだし。
ほかにコイケさんのアレンジドリンク数種を試飲した。
どれも言わずもがな、美味い。
結果、コーヒースカッシュは翌日から早速メニューに加えることになり、
その他のドリンクもマチスタスペシャルの「今月のドリンク」として、
期間限定で順次導入していくことが決定した。
さて、お次はのーちゃんの作ったドリンクである。
彼女の新メニューは、のーちゃんらしい健康志向が反映されたものと、
家でよく飲んでいるというアレンジドリンクの2種。
試飲する女子軍のコメントが、
双方ともにコイケさんのときのようにすんなり出てこなかった。
結果はともに「再考の余地あり」。
のーちゃんには優しくない試飲会となってしまったが、
コイケさんとはキャリアも違うんだから当然といえば当然。
しかし、近いうちにのーちゃんが開発したドリンクが
マチスタのメニューとして採用される日も遠くないとぼくは見ている。

さて、梅雨を迎える6月のマチスタ。
自慢のアイスコーヒーとともに、新メニューのコーヒースカッシュ、
是非試してみてください。————って、普通に宣伝してみました。

平均年齢22.6歳の女子に囲まれたハーレム状態のサブ。最初はイヤがっていたが、このあたりになると「あれ、悪くないかも」、うっとりし始めた。

初めてアジアンビーハイブのスタッフが一同に揃う。平均年齢は34.8歳。コイケさんとぼくをのぞくと24.5歳。とくに意味はありませんが算出してみました。

この夏、期間限定メニューで登場すること間違いなしのこのドリンク。みなさん、お楽しみに! ってここでも普通に宣伝してみました。

週末のお客さん

東京の友人と過ごした時間。

前にも書いたけど、2004年から2年ほど、
東京と岡山とを行ったり来たりの生活を続けていた。
それから、家賃が払えなくなるという痛すぎる事情で岡山に戻ることになるんだけど、
行ったり来たりを続けていたその2年の間も東京を完全に離れるとは思ってなかった。
さもありなんだ。なにせ人生の大半を東京で過ごしているわけで、
ぼくのほとんどすべてが東京にあった。
バタバタしていたわりにいまでもよく憶えている。
岡山に戻る日の朝、シャワーを浴びていたらふいに涙がぼろぼろ出てきた。
シャワーを出しっ放しにして、しばらく声に出して泣いた。
悔しいとか悲しいとかではなく、ただいろんな思い出がぐるぐる頭のなかを巡っていた。

千客万来の週末だった。土曜日、正午前に携帯が鳴った。
表示を見ると「PAY PHONE」とあった。
日本に来たばかりの外国人から電話をもらったとき、何度かこの表示を見たことがある。
出るといきなり「ヘーイ、ユタカ!」という具合に。
でも、そのときの電話の声はまるっきり日本人だった。
「いまね、マチスタを出たところなんですよ」
結構なサプライズにちょっと得意げであり、同時にちょっと照れもあり。
前々回に紹介した『POPEYE』の「K」こと木下編集長だった
(以降、知り合った頃からの呼び名「番長」でいきますので)。
にわかに信じがたいことだが、番長はいまも携帯電話をもっていない。
持ち歩いていないとかそんなのじゃなく、はなからもっていないのだ。
そのときの電話は、マチスタを出てすぐのところにいまも奇跡的に残っている
公衆電話からだった。
番長は前日にリニューアル第2号を校了し(制作の手を離れたということですね)、
翌朝の飛行機でひとり岡山に飛んできたのだと言う。
それから出勤日で仕事をしていた児島の事務所にやって来て、
とくに何をするでもなく、ただダラダラ過ごした。
お互いの家庭の話をしたり、仕事の話をしたり、
一緒にオープンしたばかりの児島のパン屋さんに行ったり、
サブの散歩をしたり。
昔からそうだった。こうしてあてもなくダラダラと時間を過ごした。
そういえば、闇雲に山手線に乗って「気が向いたところで降りてみるか」なんて
『ぶらり途中下車の旅』みたいなことをやったこともあった。

実は番長が事務所にいる間にもうひとり東京から友人がやって来ている。
『Krash japan』のホームページを全10号に渡ってディレクションしてくれた
ウェブデザイナーのスワキタカトシ。
その日、たまたま倉敷で友人の結婚式があり、
披露宴が終わった後にわざわざ児島の事務所に寄ってくれたのだった。
「ここ何回か、『マチスタ・ラプソディー』の
<いいね!>の1番を押しているのがぼくなんですよ!」
なにやら更新したらすぐにお知らせのようなものが届くよう小細工しているらしい。
相変わらずのIT系アナーキストぶり。アナーキーで義理堅いのがこの男である。
年齢はずいぶん下だけど、いい友達だ。

翌日曜日の朝、番長を車で岡山空港まで送って行った。
空港内にあるサンマルクでコーヒーを飲んでいたとき、
ふと荷物のなかに金色の光るものが目に入った。
見間違えようがない、マチスタのコーヒー豆を入れる専用袋がふたつあった。
出発ゲートでの別れ際、ぼくは言った。
「『POPEYE』は送ってくれなくていいから。買うからな」
番長はただ笑っていた。

日曜日の夕方、またひとり東京からの来客があった。
ライターで編集者の鈴木るみこさん。「原稿って、どうやって書いてるの?」と、
そんな直接的な質問を浴びせたことがあるのは後にも先にも彼女ひとり。
それぐらい神がかり的な文章を書く素晴らしい書き手なんだけど、
普通は誰にも備わっている体内のリズムマシーンのようなものが
壊れている(あるいはない)と思わせるところがあって、
たとえばその日も豊島行きのフェリーの船中で眠ってしまって
豊島に到着したことに気づかず、
港から離れた船をまた港まで戻ってもらった、なんてことをやらかしているのだった。
「『降ります! 止めて!』ってね。そしたらオジさんたち、慌てちゃって」
笑いながらそう言うるみちゃんは恐ろしい。ある種、人類の脅威である。
るみちゃんは豊島美術館の内藤礼の展示を見るひとり旅ツアーに、
マチスタへの来訪を組み込んでくれていた。
彼女とは日曜日の夜に一緒に晩ご飯を食べて、
翌月曜日の朝にマチスタで一緒に朝食を食べた。
ふたりで会うのは実に6年半ぶり。
前日の一晩ぐらいじゃ積もる話は積もったままで、
その日も朝からとりとめもなくお互いに話しつづけた。
結局、マチスタの印象とか、
口にしたコーヒーやベーグルの味にはまったく触れることなく、
彼女は朝10時の新幹線で岡山をあとにしたのだった。

まめに連絡をとりあうような付き合い方をしている友達は皆無だ。
ともすれば何か月とか、るみちゃんみたいに何年も連絡もしないこともある。
でも、だからといって彼らと疎遠になっているという感覚はまったくない。
むしろ、彼らとの関係には安心感のようなものがあって、
大切な部分で「つながっている」という感覚がある。
マチスタを介してそんなことを再認識したこの週末だった。

番長がやってきた土曜日にオープンしたパン屋さん「yuumino(ゆーみの)」。焼きたての食パンを1斤、ふたりで豪快にちぎって食した。うまし!

るみちゃんと最後にふたりで会ったのは6年前、深夜のパリのカフェだった。で、その次がマチスタというわけ。にしてもマチスタには美女が似合います。

いよいよ児島も夏の陽気。アジアンビーハイブではサブが暑苦しそうに階段で昼寝してます。苦しそうに見えるのは顔に支柱が食い込んでいるせいか?

中山下一丁目の奇跡

ビラ配りの効果はいかに……?

「これだけは慣れん、絶対向いてない!」
そう思っていたビラ配りも、
<午前中限定ブレンド割引キャンペーン>のビラ配布の最終日にもなると、
わりと自然にこなせていたと思う(それまでかなり不自然だったわけですが)。
結局、経験者のサトちゃんが言ったようにコツがあるのだ。
ぼくはそれを誰にも教わることなく実践から習得した。

コツその1/
向かってくる集団の先頭に手渡すタイミングをはかっての「おはようございます!」
腹から声を出すことで全身に気合いを入れる。
ぼくの場合に限っては、この儀式をもって傷つきやすい自分と決別する。

コツその2/
相手の手元を見る。
出勤途中の人は必ずどちらかの手に鞄をもっている。
空いている手のほうにカラダを寄せ、
最小限の動きで受け取れるようにビラをさっと差し出す。

コツその3/
手元は見ても顔は見ない。
絶対受け取ってくれなさそうな顔つきや風貌の人が、
「ご苦労さん」みたいな感じで気持ちよく受け取ってくれることがままある。
もちろん、その逆もありなので、はなから相手を選ばない。

コツその4/
ビラ束をバラして用意しておく。
相手が受け取ろうとして手を差し出しているのに、
手が乾燥していて一枚がなかなか手に取れず渡せない。
そんなどんくさいことが実際よくあるので、
上の10枚ぐらいはちょっとずらすなどして手に取りやすくしておく。

ビラ配布の最終日、ビラを受け取ってくれた人にかける最後の言葉が自然と変わっていた。
「ありがとうございます!」から「この通りのすぐ先です、よろしくお願いします!」へ。
それまではビラを受け取ってもらうことがゴールだった。
わたし:ビラを配る→相手:受け取る→お互いハッピー、という感じで。
しかし、そうじゃないだろうと。
ビラを受け取った人がマチスタに来店して初めてお互いハッピーだろう、と。
そうして自然に言葉が変わっていたわけであるが、
それによってこの日、小さな奇跡が起こった。
「ビラをもった人がふたり来ましたよ、すぐそこでもらったと言って」
コイケさんがちょっとはずんだ調子でそう言った。
時刻は午前8時半。ビラを受け取った人が、そのまま直接店を訪れてくれていたのだった。
もちろん、そんなのは初めてのこと。想定すらしていなかった事態である。
「そうですか、ビラを配った甲斐がありました」
そんなクソ面白くもない返答をしながら、ぼくは密かに感動していた。
もう30分以上も配っていたので、切り上げようと思ってマチスタに戻ったんだけど、
ついつい「じゃあ今度はあっちで配ってきます」。
反対方向の十字路に行き、そこでまたさらに30分も粘ることになったのだった。
(ビラ配りの30分はかなり長いです)
そしてその朝、さらにもうひとり、
年配の女性がビラを受け取ったその足で店に来てくれた。
まさにこれ、『中山下一丁目の奇跡』である(中山下はマチスタのある地区の住所です)。
翌金曜日、ブレンド割引キャンペーンの最終日。
午前中にビラを持ったお客さんの駆け込みの来店が相次いだこともあって、
平日の売り上げでは久々に2万円台を超えた。
これは街頭でビラを配ったぼくの功績だけじゃなく、
店頭でビラを手にとってもらえるように工夫してくれていたコイケさんとのーちゃん、
さらにはビラをデザインしてくれたヒトミちゃんのおかげでもある。
我が社アジアンビーハイブが総力をあげて勝ち取った小さな勝利、
その意義は売り上げの額面以上のものがあると経営者は見ている。
つまりぼくということですが。

4月のマチスタの収支が出た。
30日間の売り上げは約50万円(出張マチスタの売り上げをのぞく)。
一日平均1万6800円を売り上げている。
一方の支出は約60万円。出張マチスタでの6万円の売り上げが貢献して、
赤字は5万円あまりだった。
ぼくとしては、「5万円の赤字ですんだ」という見方をしている。
ハードルを上げたのは、ほかでもないこのぼくなのだ。
4月の売り上げにはオープン特需が多分に含まれているので、
5月のそれはいくらかのダウンが不可避である。
それでも、「なんとなくうまく行く」という当初の勘が間違っていたとは思えない。
今回の割引キャンペーンの効果もその楽観的な見方に貢献しているんだけど、
やはりコイケさん、のーちゃん、ヒトミちゃんという
ユニークかつ優秀な我が社の人材のおかげである。
少しずつでも右肩上がりに売り上げを伸ばして行くことができれば、
短期的な赤字はたいしたことじゃない。
経営者としては失格かもしれないけど、そう思えてしまうのだから仕方ない。

そうは言っても、立ち止まることなく、これからも動いていこうと思う。
実際、コイケさんとのーちゃんは、自主的に夏限定の(あるいは定番に?)
オリジナル・ドリンクメニューの開発にあたっている。
それと並行して、コイケさんとは午前中限定サービスの第二弾を企画している。
またこれでビラを作ることになると思うんだけど、
あれだけ苦にしていたビラ配りを今度はどこか心待ちしている自分がいるのだった。

事務所の周辺にたむろしていた野犬に向けてサブを放してみたら、なんと見事に撃退! 近所では「サブちゃん、スゴい!」ということでヒーロー視されています。そのわりにテンションは低め。

KAMAKURA

神奈川県鎌倉市『KAMAKURA』
発行/chameleon

「観光情報誌ではない、カマクラのまち情報誌」を掲げる『KAMAKURA』。鎌倉在住の学生や主婦、社会人が中心となって制作しています。文化、歴史、自然、人、暮らし、商業、コミュニティなど、いにしえを偲ぶ鎌倉ならではの魅力を掘り下げ、より楽しむための情報を発信しています。
「まちには沢山の魅力的な人達が暮らし活動しています。そんなまちの人の活動を紹介することで、人と人が繋がって、もっと面白きまちになればいいなと思っています。」(代表・宮部さん)

KAMAKURA
http://chameleon-kamakura.com/webkamakura/

発行日/2012.3

最近、ぼくが刺激を受けたものたち

カフェゲバで朝の時間をゆったりと過ごす。

マチスタ・コーヒーがプレオープンした3月20日、
倉敷の美観地区に新しくコーヒー店がオープンしている。
京都の焙煎家オオヤミノル氏の「café Gewa(カフェゲバ)」である。
オオヤさんと初めて会ったのは2008年の11月か12月頃だったと思う。
『Krash japan』のvol.7、カフェ特集を発行した記念に、
岡山に次いで京都でも出張カフェを開いた。
モリカゲシャツのミーティングルームを借りたその一日
店舗でコーヒーを淹れてくれたのがオオヤさんだった。
以降、不思議と縁が続いていて、いまでは友人と言っていいと思う。
そして今回のオオヤさんの倉敷での出店。
「こんな店にしたい」という話は事前に本人から聞いていた。
オオヤさんの頭にあったのはカウンターだけのコーヒースタンド。
さらに、今年になって雑誌の仕事で行ったサンフランシスコのカフェの影響もあって、
早朝から営業すると言う。
なんでも向こうでは出勤する前の1〜2時間をカフェでゆったりと過ごすのだとか。
そのわりにつけた店の名前が「カフェゲバ」。
ミーハーなんだか過激なんだかよくわからないところが、
実にオオヤミノルらしい。まあ、わりとお茶目な人間でもある。

初めて足を運んだのはオープンから2週間ほど経ってから。かなり驚いた。
店内にドンと船を据えたようなレイアウトで、
船の輪郭の部分がカウンターになっている。
厨房はカウンターの内側のすべて。
お客はパフォーマンスを見るかのように、
目の前でコーヒーが淹れられる様子や、
料理が調理される一部始終を間近で目にすることになる。
衝撃的だったのは、本当にカウンターだけで椅子の類が一切ないことだった。
カウンターだけといっても何脚かは用意してあるだろうと高をくくっていたのだった。
針が振り切れるほどのこの不親切さ加減、
やろうと思ってもなかなかできることじゃない(しかも観光地のど真ん中で!)。
雑誌でも広告制作でも同じだ。
相手をおもねって、ついつい親切をやってしまうのが人ってものなのだ。
そのあたり、こともなげに突っ張り通してみせるオオヤミノルはやっぱりただものじゃない。
ちなみにぼくは計5回来ていて、そのうち2回は朝食を食べている。
オオヤさんの言った「ゆったりと過ごす朝の時間」というのはかなり素敵だ。

刺激を受けることが稀なぼくとしては珍しく、
最近おおいに刺激を受けたことがあとふたつある。
ひとつは岡山県立美術館で開催されているベン・シャーンの展覧会。
幼い頃にロシアからニューヨークに移民したユダヤ人で、
絵画だけでなく、絵本や写真、商業デザインなど多岐にわたって活躍したアーティストだ。
各時代でモチーフや表現方法も変わっていくのだが、
亡くなる2、3年前に発表したリルケの『マルテの手記』に寄せた
シンプルな素描のシリーズ『一篇の詩の最初の言葉』に集約されていく。
最後の展示室、『一篇の詩の最初の言葉』の作品群の前では胸がつまった。
彼の人生も一篇の詩が描けるまでに昇華されたのだと思って……。
ベン、最高だ! ぼくは都合4回もこの展示に足を運んだ。

もうひとつが某誌のリニューアル。
親友のKが編集長として手がけた最初の号だ。
Kとは15年ほどの付き合いで、
東京にいる頃、一番長く時間を過ごした友達かもしれない。
かなり高い頻度で、夕方から一緒に映画の試写を見に行って、晩ご飯を食べて、
さらにカフェに行ってという具合に、
地層を形成するかのごとく長年にわたってだらだらと一緒に時間を過ごした。
それだけ一緒にいたのにクリエイティブな話はほとんどしたことがなく、
Kのつくったものに注目するようになったのはぼくが東京を離れてからだった。
わかりやすくいえば、Kが編集を担当したページはカッコよくて自然体。
このふたつは相反する要素になりがちな代物で、
実際、ぼくも含めてみんなが望んでいるんだけど、
手に入った例を見るのは至極稀。
それをセンスのよさと細やかな気遣いでもって、
かなり高いレベルでさらりとやってみせるのがKなのである。
そして彼が某誌の編集長に就任したと聞いた。
これまで手がけていた大人向けの雑誌ではなく、ターゲットは若い男性。
さて、どんな雑誌ができるのかおおいに楽しみにしていたら、
ヤツはこともなげに見せてくれた。
読み手が変わろうが立場が変わろうが、それはやっぱりKのつくったモノだった。
50歳が近いぼくが見ても超カッコよくて、
力の入った感じがほとんどない、まさに自然体。
相当な苦労があったことは想像に難くない。
でも、それをみじんも表に出さず、スーパーな雑誌に仕上げている。
もう、マジに脱帽だ。
あ、この『コロカル』と同じ出版社の手前伏せていたけど、
某誌は『POPEYE』のことです。

たいがいの店が魅力的でないのは、そこにお金儲けの意図しか見受けられず、
店としての意志が感じられないことだと思う。
カフェゲバに行くことで、はからずもぼくはマチスタの意志を再確認した。
マチスタの意志とは、コイケさんの淹れるコーヒーを飲んでもらうこと、
その美味しさをわかってもらうことだ。
そして、ベン・シャーンの展覧会と『POPEYE』のリニューアル号を見て、
背中をたたかれたような気がした。「もっともっと頑張れ!」と。

看板の表示からしてひとクセあります。場所は美観地区にオープンした林源十郎商店内。夜は夜でお酒の場としていい感じです。倉敷市民はラッキーね。

中央にタンカー船があるかのようなユニークなレイアウト。運が良ければ、カウンター内でオオヤさん自らがコーヒーを淹れてくれることもあります。

ベン・シャーン展は5月20日の日曜日まで開催。アートやデザインを志す岡山の若者たち、この週末に足を運ぶべし! 6月3日からは福島県立美術館で開催。

リニューアル第一弾は「シティボーイ特集」。ほとんど禁句だったこのワードを復活させるあたりにもセンスが光ってますな。よくやったぞ!

マチスタの勝機

朝の顧客獲得作戦敢行中です。

オープンから2週間ほどして、マチスタの入っているビルの大家さんから電話をもらった。
大家さんとは2月の契約のときに一度会ったきりである。
そのときに、普段は横浜に住んでいて、たまに岡山に帰ってくると聞いていた。
「今週岡山に帰るんですが、そのとき一緒に食事でもしませんか?」
一度会ったきりで、顔も思い出せない大家さんと食事……
何か話があるに違いないが、何の話だ? 
まったく話の内容を特定できないまま、その週の土曜日に昼食を食べる約束をした。
そして、土曜日までに、ぼくは家賃の話だろうと見当をつけた。
大通りに面しているわりに、マチスタの家賃は良心的なのである。
家賃を1万円上げたいとか、そんな話に違いないと。
契約のときに、「最近、会社を辞めて年金暮らしを始めた」とか言っていた。
みんな老後が不安なのだ。老後の不安を少しでも解消するためには家賃も上げるのだ。
「赤星さん、ひとつ聞かせてもらえますか?」
場所はマチスタからすぐ近くの串揚げ屋。
大家さんの目の前にあるビールの中ジョッキはほぼ空の状態。
何であれ、話を切り出すにはいい頃合いだった。
「はい、なんでしょうか?」
箸を置いてぼくは姿勢を正した。
家賃の値上げを口にした途端、「無理ですから!」と撃ち落とす迎撃態勢だ。
「ご存知のように、コイケさんは飲食を40年もやってこられた方です」
「………?」
「そのプロ中のプロがうまくいかなかった店を、
そのまま赤星さんがやると言う。その勝機はどこにあると考えているんですか?」
どうやら、その質問がその日のメーンイベントのようだった。
面倒な話じゃなくってよかった。
いま思うと、安堵のせいでその後の口が軽くなりすぎた。
「勝機はないですね」
「……ない?」
「はい、ないです」
「そうですか」
「でも、うまくいくような気がしたんです。なんとなくですけど」
大家さんは少し拍子抜けしたようだったが、
2杯目のジョッキが空になる頃にはいい調子になって、
マチスタの開店祝いに新しいエアコンを付けてくれると約束してくれた。
大家さんはいい人だった。
お昼を食べた後は、マチスタに寄ってアールグレイを飲み、
支払いに1000円札を一枚置いて帰って行った。

オープン前なら大家さんへの答えも違った。
午前中のサラリーマンやOLをターゲットにして、テイクアウトで数を稼ぐ。
これがぼくのいわば勝機だった。
しかしそれまでの2週間で、
ぼくの思い描いていた絵図がいかに幼稚だったかを思い知らされていた。
それからしばらく気持ち的に失墜した状態があり、
大家さんとの食事はまさにそんな悪い時期のさなかだった。

その後も午前中のお客の入りは悪い。というか、ホント最悪だ。
それでもぼくの気持ちは安定飛行に戻っている。
初志貫徹、「やっぱり朝で勝負していこう」と気持ちが定まったからだ。
バカと言われようとも、うまくいきそうな気がした当初の勘のようなものを信じてみようと。
というわけで、朝の顧客獲得作戦を長期的かつ積極的に展開しようと思う。
その第一弾として「ブレンド割引キャンペーン」なるものを
連休明けから2週間限定でスタートすることにした。
早速ビラを作って、連休の合間、5月2日に早朝から街頭配布することにした。
ビラ配布がうまくないのは知っているが、今回は強力な助っ人がいる。
「ビラを配るんなら言ってくださいよ、あれ、コツがあるんッスよ」
去年の秋からうちの会社に出入りしている大学生のサトちゃんがそう言った。
彼女はアルバイトでビラ配りの経験があるという。
サトちゃん、なんと頼もしいヤツなんだ。
そして当日。その日は早朝から小雨が降っていた。
それでも強力な助っ人がいるということもあって、朝の6時台から気合いが入りまくり。
朝風呂まで入って準備は万全だった。
と、携帯電話が鳴った。サトちゃんからだった。
「あのお、今日ってないですよね」
コツがあると言っていたときの声のはりがまったくなく、
むしろけだるくからんでくるような口調である。
「え、やらないってこと?」
「はい」
「雨だとビラは配れないの?」
「はい、雨だとビラは配れません」
ふいにはしごを外されたようなこの感じ……。
忘れていた。相手は「うちに来る?」とアジアンビーハイブへの就職の誘いを
「わたし、東京に行きますから」とあっさり断ったあのサトちゃんである。
こうなったら意地でも配ってやる、と意気込んでマチスタに行ってはみたものの、
通りを行く人はみんな傘を持っていて受け取る手が空いていない。
ひとり受け取ってくれないというだけで心が傷つくのだから、
これであの傘の集団に飛び込んで行くのは自殺するに等しい。
結局、窓から通りを眺めるだけで一枚も配ることができずに終わったビラ配布初日。
そして本日、連休明けの5月7日月曜日、二度目のビラ配りを敢行する。
ただいま午前5時27分。これから朝風呂に入って、ひとりでマチスタに乗り込む予定だ。
助っ人なぞいらん! ビラ配りなんぞに絶対負けんけん! 

ビラ配布初日の朝途方に暮れていたら、三浦デザイン事務所の山﨑クンが来店。なんとGWで東京から九州へ帰省する途中に寄ってくれたという。写真はお土産にいただいた写真集。ヤマちゃん、サンキュウ!

アイスドリンク用にオリジナルのコースターを作ってみました。イラストはもちろんヒトミちゃん、サブへの愛がこもってます。2ミリ厚のしっかりタイプでメンコとしても最強ね。

このチラシご持参の方は平日の午前中に限り、ブレンド300円のところを200円で提供。5月18日(金)まで実施中。チラシのない方は、「このチラシ、見たことあります」でもOKです、この際。

日和 VOL.77

長野県長野市『日和』
発行/株式会社 まちなみカントリープレス

長野県ならではのユースカルチャーを発信しているフリーペーパー「日和」。今月号は、小布施のひと・もの・場所、そしてその活動に注目しています。ゆったりと流れる「小布施タイム」が誌面から伝わってきます。

日和
http://www.nao-magazine.jp/cp/hiyori/

発行日/2012.4

出張マチスタ

500円玉貯金がもたらした財産。

「500円玉貯金の話、あれってネタですか?」
最近、まわりから何度かそう聞かれたので、この場ではっきり伝えておきたい。
500円玉貯金の話は事実である————。
こうやって文字にしてみると、内容のどうでもよさが際立って
気恥ずかしさがないでもないが、
この際、このどうでもいい類の話をさらに突っ込んで話してみようと思う。

あれは十数年前のこと。マガジンハウスに『鳩よ!』という文芸誌があった。
編集長は大島さんという、小柄な板前さんみたいな人だった。
「男はね、いざってとき、お金をもってなきゃいけないね」
東京の地の人らしい、歯切れの良い言葉でこう言った。
話を聞いていたのは、映画ライターの黒住光と
ライターの小桧山想だったか(それとぼくですね)。
当時『鳩よ!』編集部の一角にフリーランスのための「ライター室」なる部屋があって、
ぼくたちはそこによくたむろしていた。
「お金って、どれくらいですか?」
「500万円くらいかな」
「ええっ! 500万円……」
ぼくと黒住に関しては、500万円はおろか5万円の貯金もなかった。
ちなみに話を聞いていたぼくたちはほぼ同い年で、すでに30歳代にあった。
付け加えるようにして大島さんが言った。
「まあ、20万円だってあれば全然違うよ」
その数年後、この大島さんの言葉の重みを、身をもって体験する出来事があった。
その年の秋、急にお尻が痛くなった。
友人から紹介された病院に行くと痔と診断され、
何回か診察を受けた後、手術を受けた。
忘れようとしても忘れられない。
退院したまさにその日、めまいがするくらい痛いお尻を抱えるようにして、
中目黒のアコムに行って手術代の20万円を借りた。
(「あれば違う」と言っていた20万円……このことだったか)
タクシーで病院に戻る途中、ぼくは大島さんの言葉をかみしめていた。

それからである、ぼくが500円玉貯金を始めたのは。
屈辱的な思いをしたわりには「いざというときのための貯金」という大義はすっかり忘れて、
20万円ぐらい貯まるとたいがい何か買っている。
ぼくの中判カメラ、プラウベル社製「MAKINA67」も500円玉貯金で買ったものだ。
このカメラで撮った写真で、2010年に写真展を3回やった(それぞれ違う内容で)。
そのうちの1回が、
玉野市の宇野港近くにある巨大な倉庫を改装した工房&ギャラリー「駅東創庫」だった。

そして話は現在、この週末。
「駅東創庫」の5周年の記念イベント「駅東日和」に呼ばれて出張カフェを開いた。
初出張マチスタだ。
「まあ、そんなに忙しくはないと思います」
駅東創庫に工房を構えるアーティスト・山田茂さんのその言葉を鵜呑みにして、
土日の2日間用に60杯分のマチスタブレンドを準備していた。
ところがふたを開けてみると、10時の開店以降、来客がまったく途切れない。
2時あたりには2日分で用意していた1キロのコーヒー豆がなくなり、
急遽、カフェリコの稲本さんに連絡して豆を持って来てもらったほど。
ぼくはといえば、ただひたすら豆を曳いてドリップでコーヒーを淹れる、
マシーンのごとくその繰り返し。
スタッフとして連れて行ったアジアンビーハイブのサトちゃんも、
山田さんがつけてくれたアルバイトのマドちゃんもフル稼働の働き詰めである。
結局、その日は5時の閉店までに3万円を売り上げた。
これ、岡山のマチスタの売り上げを大きく上回っている。
嬉しい誤算には違いないが、ぼくのカラダはぼろぼろ。
その夜は背中全体に湿布を貼って布団に入った。
二日目も客足は初日と変わらなかった。
でも、すでにいくぶんの慣れがあって、
初日よりも余裕をもってコーヒーを淹れることができた。
余裕ができると、コーヒーを淹れる一連の作業が楽しく思えてきた。
豆を曳くときのあの匂いはもちろん、お湯をたらしたときの粉の最初の盛り上がり、
さらにそれがカップケーキのように膨らんでいくのを見るのはなんともいえず楽しい。
そしてお客さんの反応だ。「おいしかったです」なんて言われると、
嬉しさでカラダがふわっと5センチぐらい浮いたような感じになる。
今回の出張カフェではすごく貴重な経験をさせてもらった気がした。
毎日コーヒーを淹れ続けているコイケさんやのーちゃんのことが
少しだけ理解できたんじゃないかと思う。
この機会を与えてくれた山田さん、駅東創庫の作家さんたちに感謝だ。
元をたどれば、[駅東創庫]→[写真展]→[カメラ]→ [500円玉貯金]なわけで、
500円玉が文字通り、大きな財産をもたらしてくれたというわけ。
いや、ほんとにバカにならないのです、500円玉貯金。

2年前に写真展をやったギャラリーがそのままカフェに。ちなみに駅東創庫のメンバー以外でこのギャラリーを使った初の作家がこのぼくということになっています。

出張マチスタのスタッフ、左がサトちゃん、右が真殿優子さんで通称マドちゃん。サトちゃんには初日に焼き肉をおごったから、次回はマドちゃんですね。

東京から移住してきた鞄の作家さんが加わるなど、2年前よりもさらにパワーアップしていた駅東創庫。直島行きのフェリーが出る宇野港のすぐ近くにあります。

場所は児島のアジアンビーハイブの事務所前。サブを目当てにメスの野犬が来ているのは前回報告した通り。今度はそのメス犬を目当てにオスの野犬が出現。事務所の前がこんなありえない光景に。ここは日本ですか?

information


map

駅東創庫

住所 岡山県玉野市築港5-4-1
TEL 0863-32-0081
営業時間 イベントごとに異なるため、ホームページを参照
定休日 火曜日
http://www.unokotochi.jp/ekihigashi/access.shtml