STUDY 風力発電とは

世界の自然エネルギー市場が成長を遂げる中で、最も成長している「風力発電」とは?

風力発電は、自然エネルギーによる発電の中でも、
世界中で水力発電の次に普及拡大が進んでいます。
人類は、古くから風の力を使って、オランダの風車に代表されるように、
さまざまな産業用の動力として活用をしてきました。
しかし、風力による発電は19世紀末からデンマークなど欧米諸国を中心に技術開発が行われ、
オイルショック等を経て紆余曲折の中で進歩してきました。
世界の自然エネルギー市場は近年、急成長を遂げていますが、
その中でも風力発電は最も成長している分野です。

世界の風力発電は、昨年(2011年)には前年比21%増加し、
2011年末には2億3835万kWに達しています。
(世界風力エネルギー協議会GWEC調べ)
2005年から2011年までの年間の平均成長率は
経済危機の影響もありながら26%に達しました。
世界の風力発電設備の導入のトレンドは下の図の通りです。
この近年の風力発電の急成長では中国が大きな割合を占めています。
中国国内での2011年風力発電の年間導入量は1800万kWに達しており、
2011年末には導入量が累計で6373万kWと世界一の導入国となっています。
第二位の米国では新規導入量が662万kWでしたが、
累計では4692万kWに達しており、
米国内の総発電量の2%以上を占めるまでになっています。
一方、ヨーロッパ全体では2011年には年間997万kWが新規導入され、
導入量の累計で約9662万kWとなっています。
国別の累積導入量ではドイツとスペインが二大導入国で、
それぞれ累計で2906万kW、2167万kWとなっています。
その他アジアでは、インドの新規導入量が302万kWで、
累計が1608万kWに達しています。
さらに、近年注目されている洋上での風力発電の設備容量はまだ小さいものの、
2010年末の時点で310万kWに達していますが、その大部分がヨーロッパです。
特にイギリスでの導入が進んでいます。
(出典:REN21『自然エネルギー世界白書2011』)

日本国内でも、北海道、東北、九州を中心に陸上あるいは洋上での風力発電には
大きな可能性があることが環境省などの調査でわかっています。
しかしながら、2010年度末までの累計の導入量は244万kWで、
基数は1700台以上ですが、年間の導入量は25.6万kWと低迷しています。
日本風力発電協会(JWPA)の推計では、2011年度の新規導入量は約8万kWまで落ち込み、
累計の導入量は252万kWとなり、
国の従来の導入目標である2010年までに300万kWの達成は、まったく困難な状況です。
地域別ではこれまでも風況の良い北海道、東北、九州での導入量が多い状況ですが、
現在、電力系統の制約により、これらの地域では接続が制限され、
風力発電の希望者に対する抽選や入札が行われています。
さらに、立地への各種制約や建築基準法の改正や環境アセスの法制化など
発電事業への負担が増大しており、新規導入量が低迷していますが、
2012年7月からスタートする固定価格買取制度を睨んで、
各地で新たな事業の計画も進み始めています。

世界各国の風力発電設備の導入トレンド(作成:環境エネルギー政策研究所)

TOPIC 苫前町の風力発電

エネルギー自給率439%の地域を支える風力発電。

北海道の北部日本海側に位置する苫前町は、風力発電の先進地として知られています。
苫前町は、人口約3600人、世帯数約1500戸で、
千葉大学と環境エネルギー政策研究所による「永続地帯」研究では、
地域的エネルギー自給率が439%で全国第10位となっています。
つまり、苫前町では、町内で消費する民生用と農林水産業用エネルギー量の
約4.4倍のエネルギーを再生可能エネルギーで生産していることになります。
苫前町のエネルギー生産のほとんどがウィンドファームによるものです。
苫前町では、1973年から凧揚げ大会を開催するなど、
厄介者の風を利用して地域活性化しようとする動きがありました。
1995年に山形県立川町の取り組みに刺激を受けた町長が
風力発電事業の立ち上げを発案して、95年から風況調査が行われ、
98年から2000年にかけて3基の風車が夕陽ヶ丘地区に建設されました。
これが町営の夕陽ヶ丘ウィンドファーム(出力2200kW)です。
総事業費(実施設計から風車建設まで)は約7億円でした。
また、苫前町共同利用模範牧場の敷地内に、
99年に1000kWの風車20基からなる苫前グリーンヒルウィンドパーク
(事業主体ユーラスエナジー苫前、総事業費約45億円、総出力20000kW)が、
2000年に1650kWの風車14基と1500kWの風車5基からなる苫前ウィンドビラ発電所
(事業主体ドリームアップ苫前、総事業費約65億円、総出力30600kW)が、
それぞれ運転を開始しました。
町営の夕陽ヶ丘ウィンドファームの稼働率は
2009年21.95%、2010年21.07%、2011年20.72%となっています。
電力は北海道電力に販売しており、
売電収入は2009年5292万円、2010年5096万円、2011年4839万円となっています。
年間を通じての稼働率は、風の強い冬期に30%を超える一方、
6月から8月には10%を大きく下回る月もあるという推移を示しています。
大規模なウィンドファームの先駆けとして苫前町の取り組みは全国各地の参考とされています。

苫前町役場前の熊のモニュメント

苫前町営の夕陽丘ウィンドファーム

国道232号線から見た上平の風車群

ユーラスエナジー苫前による苫前グリーンヒルウィンドパーク

マチスタの勝機

朝の顧客獲得作戦敢行中です。

オープンから2週間ほどして、マチスタの入っているビルの大家さんから電話をもらった。
大家さんとは2月の契約のときに一度会ったきりである。
そのときに、普段は横浜に住んでいて、たまに岡山に帰ってくると聞いていた。
「今週岡山に帰るんですが、そのとき一緒に食事でもしませんか?」
一度会ったきりで、顔も思い出せない大家さんと食事……
何か話があるに違いないが、何の話だ? 
まったく話の内容を特定できないまま、その週の土曜日に昼食を食べる約束をした。
そして、土曜日までに、ぼくは家賃の話だろうと見当をつけた。
大通りに面しているわりに、マチスタの家賃は良心的なのである。
家賃を1万円上げたいとか、そんな話に違いないと。
契約のときに、「最近、会社を辞めて年金暮らしを始めた」とか言っていた。
みんな老後が不安なのだ。老後の不安を少しでも解消するためには家賃も上げるのだ。
「赤星さん、ひとつ聞かせてもらえますか?」
場所はマチスタからすぐ近くの串揚げ屋。
大家さんの目の前にあるビールの中ジョッキはほぼ空の状態。
何であれ、話を切り出すにはいい頃合いだった。
「はい、なんでしょうか?」
箸を置いてぼくは姿勢を正した。
家賃の値上げを口にした途端、「無理ですから!」と撃ち落とす迎撃態勢だ。
「ご存知のように、コイケさんは飲食を40年もやってこられた方です」
「………?」
「そのプロ中のプロがうまくいかなかった店を、
そのまま赤星さんがやると言う。その勝機はどこにあると考えているんですか?」
どうやら、その質問がその日のメーンイベントのようだった。
面倒な話じゃなくってよかった。
いま思うと、安堵のせいでその後の口が軽くなりすぎた。
「勝機はないですね」
「……ない?」
「はい、ないです」
「そうですか」
「でも、うまくいくような気がしたんです。なんとなくですけど」
大家さんは少し拍子抜けしたようだったが、
2杯目のジョッキが空になる頃にはいい調子になって、
マチスタの開店祝いに新しいエアコンを付けてくれると約束してくれた。
大家さんはいい人だった。
お昼を食べた後は、マチスタに寄ってアールグレイを飲み、
支払いに1000円札を一枚置いて帰って行った。

オープン前なら大家さんへの答えも違った。
午前中のサラリーマンやOLをターゲットにして、テイクアウトで数を稼ぐ。
これがぼくのいわば勝機だった。
しかしそれまでの2週間で、
ぼくの思い描いていた絵図がいかに幼稚だったかを思い知らされていた。
それからしばらく気持ち的に失墜した状態があり、
大家さんとの食事はまさにそんな悪い時期のさなかだった。

その後も午前中のお客の入りは悪い。というか、ホント最悪だ。
それでもぼくの気持ちは安定飛行に戻っている。
初志貫徹、「やっぱり朝で勝負していこう」と気持ちが定まったからだ。
バカと言われようとも、うまくいきそうな気がした当初の勘のようなものを信じてみようと。
というわけで、朝の顧客獲得作戦を長期的かつ積極的に展開しようと思う。
その第一弾として「ブレンド割引キャンペーン」なるものを
連休明けから2週間限定でスタートすることにした。
早速ビラを作って、連休の合間、5月2日に早朝から街頭配布することにした。
ビラ配布がうまくないのは知っているが、今回は強力な助っ人がいる。
「ビラを配るんなら言ってくださいよ、あれ、コツがあるんッスよ」
去年の秋からうちの会社に出入りしている大学生のサトちゃんがそう言った。
彼女はアルバイトでビラ配りの経験があるという。
サトちゃん、なんと頼もしいヤツなんだ。
そして当日。その日は早朝から小雨が降っていた。
それでも強力な助っ人がいるということもあって、朝の6時台から気合いが入りまくり。
朝風呂まで入って準備は万全だった。
と、携帯電話が鳴った。サトちゃんからだった。
「あのお、今日ってないですよね」
コツがあると言っていたときの声のはりがまったくなく、
むしろけだるくからんでくるような口調である。
「え、やらないってこと?」
「はい」
「雨だとビラは配れないの?」
「はい、雨だとビラは配れません」
ふいにはしごを外されたようなこの感じ……。
忘れていた。相手は「うちに来る?」とアジアンビーハイブへの就職の誘いを
「わたし、東京に行きますから」とあっさり断ったあのサトちゃんである。
こうなったら意地でも配ってやる、と意気込んでマチスタに行ってはみたものの、
通りを行く人はみんな傘を持っていて受け取る手が空いていない。
ひとり受け取ってくれないというだけで心が傷つくのだから、
これであの傘の集団に飛び込んで行くのは自殺するに等しい。
結局、窓から通りを眺めるだけで一枚も配ることができずに終わったビラ配布初日。
そして本日、連休明けの5月7日月曜日、二度目のビラ配りを敢行する。
ただいま午前5時27分。これから朝風呂に入って、ひとりでマチスタに乗り込む予定だ。
助っ人なぞいらん! ビラ配りなんぞに絶対負けんけん! 

ビラ配布初日の朝途方に暮れていたら、三浦デザイン事務所の山﨑クンが来店。なんとGWで東京から九州へ帰省する途中に寄ってくれたという。写真はお土産にいただいた写真集。ヤマちゃん、サンキュウ!

アイスドリンク用にオリジナルのコースターを作ってみました。イラストはもちろんヒトミちゃん、サブへの愛がこもってます。2ミリ厚のしっかりタイプでメンコとしても最強ね。

このチラシご持参の方は平日の午前中に限り、ブレンド300円のところを200円で提供。5月18日(金)まで実施中。チラシのない方は、「このチラシ、見たことあります」でもOKです、この際。

素敵農業男子ファイル vol.1「米農家 山本克幸」

イケメン米農家の5代目は3児のパパ!

まだまだ雪の残る魚沼ですが、いよいよ今年のお米作りが始まりました!
我らRICE475も苗の種まきを開始。

なにやら今年のRICE475は一部の田んぼで、
湛水直播栽培(たんすいちょくはさいばい)にチャレンジする模様!
直播(ちょくは)とは、読んで字のごとく、直接種を播くという方法です。
通常、苗箱に種を播き、苗をある程度大きく育ててから、
田植え機で田んぼに移植するというのが一般的な稲作の方法です。
ですが、これは直接田んぼに種を播くスタイル。
果たして成功するのでしょうか!?
さまざまなメリットとリスクがあるようですが、詳しくはまた今度ご紹介しますね。

今回は、そんな最「幸」級米を目指すRICE475を育てる、農家山本君をご紹介。

山本克幸
1979年4月20日新潟生まれ A型
小さい頃から、米作りをする父や祖父のトラクターに乗せられ、遊び感覚で米作りを手伝う。
高校卒業後上京し、24歳まで東京で生活をしていたが、
いつもどこかで故郷を想い、自然の中での生活に戻りたいと魚沼に帰郷。
そして父親に教わりながら農業を始める。
一人前の百姓になるため、勉強中の日々。
今ではトラクターをも乗りこなしちゃう嫁との間に、3人の子どもが誕生

ご覧の通り、イケメンです☆
RICE475のイベント等でも、山本君はイイ男で人気があります。
だが、それだけではない!
仕事に対してとても真面目で、コツコツ積み重ねる努力を惜しまない。
そして、お米に対しての愛情に溢れ、本当に美味しいお米を育てます。
(愛情に溢れ過ぎていて、初めて無農薬でお米を育てた時には、
「売りたくない」と言い出す始末……)
容姿端麗、寡黙で誠実、奥さん綺麗、子ども3人……天は彼に与えすぎではないでしょうか!
さらに、発言と発想がなんか可愛いんですよ。小学2年生くらいの幼さというか。
(良く書きすぎて、山本には気持ち悪がられる&怒られるなぁ。)

僕は、そんな彼の真摯に作業をする背中を見て、
「こんなに大変な事を、真面目に地道に頑張る農家はもっと報われないといけない!
このままでは農業をやりたい人がいなくなってしまうのではないか?」
と勝手に農業の未来を案じ、
半信半疑の彼に無理矢理RICE475プロジェクトを依頼したのです。笑
結果、僕の無茶振りもなんのその、
強い責任感と探究心でRICE475は本当に美味しいお米に育っています。
そしてバタバタな僕はいつも怒られています……
山本君はまだまだ品質向上に燃えている様子。
今年のRICE475も本当に楽しみです☆

そんな山本君からも一言。

こんにちは、RICE475生産者の山本と申します。
長い冬が終わり、ようやくここ魚沼にも春が訪れました。
田んぼは、まだまだ雪に埋もれていますが……
RICE475の三年目の米作りが始まりました!
このプロジェクトは、
“農業の価値を高めたい”そして、“子どもたちが憧れるような職業にしたい”
という想いからスタートしました。
これまでに本当の多くの方々のご支援とご協力により、
作り手である農家が普段感じることのできなかった
喜び、楽しさを知る機会を得ることができました。
農業は農作物を生産し供給するというのが大きな目的です。
しかし、作り手としての想いを伝え、
そして楽しみながら食べ物を育てる魅力を知っていただくことで、
地球を考えるきっかけや食育に繋げるなど、
農業だからこそできる役割がたくさんあると思います。
僕は、今までとは違った価値観で満足していただける農業を目指します!

とは申しましても、私はまだまだ未熟者です。
皆様のお力をお借りし、RICE475プロジェクトを通して、
農業の楽しさ・大切さを感じていただき、
皆様と一緒に生産、流通、消費、地球すべてにとって幸せな未来の農業のあり方、
次の世代に残せる農業を模索して行きたいと思っております。
一年に一度しか作れないお米、一日一日を大切にどんどんチャレンジして行きます。
今年もみんなで最「幸」級米を作りましょう!

山本君の人柄、少しは伝わりましたでしょうか??
もっともっと知りたい方は、是非RICE475農業体験へ!
でも、良く考えたら、素敵農業男子って結構いるなぁ。
農家のイメージ向上を目論む僕としては、
これをシリーズ化して「農家カッコいい☆」というイメージに塗り替えたいと思います!

出張マチスタ

500円玉貯金がもたらした財産。

「500円玉貯金の話、あれってネタですか?」
最近、まわりから何度かそう聞かれたので、この場ではっきり伝えておきたい。
500円玉貯金の話は事実である————。
こうやって文字にしてみると、内容のどうでもよさが際立って
気恥ずかしさがないでもないが、
この際、このどうでもいい類の話をさらに突っ込んで話してみようと思う。

あれは十数年前のこと。マガジンハウスに『鳩よ!』という文芸誌があった。
編集長は大島さんという、小柄な板前さんみたいな人だった。
「男はね、いざってとき、お金をもってなきゃいけないね」
東京の地の人らしい、歯切れの良い言葉でこう言った。
話を聞いていたのは、映画ライターの黒住光と
ライターの小桧山想だったか(それとぼくですね)。
当時『鳩よ!』編集部の一角にフリーランスのための「ライター室」なる部屋があって、
ぼくたちはそこによくたむろしていた。
「お金って、どれくらいですか?」
「500万円くらいかな」
「ええっ! 500万円……」
ぼくと黒住に関しては、500万円はおろか5万円の貯金もなかった。
ちなみに話を聞いていたぼくたちはほぼ同い年で、すでに30歳代にあった。
付け加えるようにして大島さんが言った。
「まあ、20万円だってあれば全然違うよ」
その数年後、この大島さんの言葉の重みを、身をもって体験する出来事があった。
その年の秋、急にお尻が痛くなった。
友人から紹介された病院に行くと痔と診断され、
何回か診察を受けた後、手術を受けた。
忘れようとしても忘れられない。
退院したまさにその日、めまいがするくらい痛いお尻を抱えるようにして、
中目黒のアコムに行って手術代の20万円を借りた。
(「あれば違う」と言っていた20万円……このことだったか)
タクシーで病院に戻る途中、ぼくは大島さんの言葉をかみしめていた。

それからである、ぼくが500円玉貯金を始めたのは。
屈辱的な思いをしたわりには「いざというときのための貯金」という大義はすっかり忘れて、
20万円ぐらい貯まるとたいがい何か買っている。
ぼくの中判カメラ、プラウベル社製「MAKINA67」も500円玉貯金で買ったものだ。
このカメラで撮った写真で、2010年に写真展を3回やった(それぞれ違う内容で)。
そのうちの1回が、
玉野市の宇野港近くにある巨大な倉庫を改装した工房&ギャラリー「駅東創庫」だった。

そして話は現在、この週末。
「駅東創庫」の5周年の記念イベント「駅東日和」に呼ばれて出張カフェを開いた。
初出張マチスタだ。
「まあ、そんなに忙しくはないと思います」
駅東創庫に工房を構えるアーティスト・山田茂さんのその言葉を鵜呑みにして、
土日の2日間用に60杯分のマチスタブレンドを準備していた。
ところがふたを開けてみると、10時の開店以降、来客がまったく途切れない。
2時あたりには2日分で用意していた1キロのコーヒー豆がなくなり、
急遽、カフェリコの稲本さんに連絡して豆を持って来てもらったほど。
ぼくはといえば、ただひたすら豆を曳いてドリップでコーヒーを淹れる、
マシーンのごとくその繰り返し。
スタッフとして連れて行ったアジアンビーハイブのサトちゃんも、
山田さんがつけてくれたアルバイトのマドちゃんもフル稼働の働き詰めである。
結局、その日は5時の閉店までに3万円を売り上げた。
これ、岡山のマチスタの売り上げを大きく上回っている。
嬉しい誤算には違いないが、ぼくのカラダはぼろぼろ。
その夜は背中全体に湿布を貼って布団に入った。
二日目も客足は初日と変わらなかった。
でも、すでにいくぶんの慣れがあって、
初日よりも余裕をもってコーヒーを淹れることができた。
余裕ができると、コーヒーを淹れる一連の作業が楽しく思えてきた。
豆を曳くときのあの匂いはもちろん、お湯をたらしたときの粉の最初の盛り上がり、
さらにそれがカップケーキのように膨らんでいくのを見るのはなんともいえず楽しい。
そしてお客さんの反応だ。「おいしかったです」なんて言われると、
嬉しさでカラダがふわっと5センチぐらい浮いたような感じになる。
今回の出張カフェではすごく貴重な経験をさせてもらった気がした。
毎日コーヒーを淹れ続けているコイケさんやのーちゃんのことが
少しだけ理解できたんじゃないかと思う。
この機会を与えてくれた山田さん、駅東創庫の作家さんたちに感謝だ。
元をたどれば、[駅東創庫]→[写真展]→[カメラ]→ [500円玉貯金]なわけで、
500円玉が文字通り、大きな財産をもたらしてくれたというわけ。
いや、ほんとにバカにならないのです、500円玉貯金。

2年前に写真展をやったギャラリーがそのままカフェに。ちなみに駅東創庫のメンバー以外でこのギャラリーを使った初の作家がこのぼくということになっています。

出張マチスタのスタッフ、左がサトちゃん、右が真殿優子さんで通称マドちゃん。サトちゃんには初日に焼き肉をおごったから、次回はマドちゃんですね。

東京から移住してきた鞄の作家さんが加わるなど、2年前よりもさらにパワーアップしていた駅東創庫。直島行きのフェリーが出る宇野港のすぐ近くにあります。

場所は児島のアジアンビーハイブの事務所前。サブを目当てにメスの野犬が来ているのは前回報告した通り。今度はそのメス犬を目当てにオスの野犬が出現。事務所の前がこんなありえない光景に。ここは日本ですか?

information


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駅東創庫

住所 岡山県玉野市築港5-4-1
TEL 0863-32-0081
営業時間 イベントごとに異なるため、ホームページを参照
定休日 火曜日
http://www.unokotochi.jp/ekihigashi/access.shtml

News 石巻に「コミかめ」がオープン

70年代の雑誌を見に行こう!

TOHOKU2020 #002でお知らせした、
石巻の新しい支援と情報発信の拠点となるコミュニティカフェ・かめ七、
通称「コミかめ」がオープンしました。
石巻商店街の老舗呉服店「かめ七」は、
もともと地域の方が大勢集まるコミュニティ機能を持ったお店でしたが、
災害直後も奇跡的にインターネットが繋がっていたこともあって、
多くのボランティアたちもここに集まり、支援活動の拠点となっていました。
震災直後は、店舗の再開も断念していた、と語るご主人の米倉さんですが、
ご夫妻の人柄に惹かれて集まってくる大勢のボランティアにも支えられて、
昨年秋にお店を再開されました。
そのかめ七呉服店店内の一画に今回オープンした「コミかめ」は、
石巻を中心に活動を続けるボランティア団体「石巻2.0」と、
日本雑誌協会とのコラボレートで運営されています。
「雑誌」をキーワードに、ひととひとのつながりを深め、
まちを活性化し、未来を切り開いて行こうという場所です。
「コミかめ」には、米倉さんが学生時代(東京の美大生だった)に集めた
70〜80年代を中心とした2000冊を越える雑誌と、
雑誌協会デジタルコンテンツ推進委員会が被災地向けに展開している
タブレット端末の電子雑誌があって、自由に閲覧できます。
DTP機能を持ったパソコンも設置されて、
ここから地域の情報発信につなげて行こうという計画です。
壁面いっぱいの棚に並べられた雑誌のジャンルはさまざまですが、
なかでも200冊以上と数が一番多いのが、弊社のポパイ。
米倉さんの青春時代とそのままシンクロするのでしょう。
石巻は仙台との間のJR仙石線が未だ一部区間不通で、
現在仙台からはバスでのアクセスになります。
でも、雑誌好きにとっては、とても魅力的な空間だと思います。
40年の時を越えた出会いと発見がきっとあります。
かめ七では、その他にもミニコンサートなどの催しも行われ、
いつも人の出入りが絶えず、未来への希望であふれています。
ぜひ一度、訪れてみてください。

創刊まもない頃のアンアン、改めて今見ても、ものすごいインパクトのある雑誌です。

コーヒーは100円でセルフサービス。入場料は、テーブル左上のかめのキャラクターのかめ七タオル、250円。これでいつでも何度でも入場可能です。

4月8日のオープニングには、地元の新聞やテレビなどの取材も大勢集まって、期待の高さを物語っていました。壁面では、3.11からこれまでのさまざまな活動の写真をパネル展示しています。

このロゴマークも米倉さんの作。アクセスや営業時間等、詳細は http://ishinomaki2.com/comikame/

STUDY 太陽熱

注目は高まりつつも、導入量は1980年代の20分の1まで下落。

太陽熱の利用は人類の自然エネルギー利用形態として
もっとも古くから行われてきました。
特に近代的な太陽熱利用機器の普及が進んだのは1970年代のオイルショックの後ですが、
それまでの化石燃料からの代替エネルギーとして世界中で導入が進んでいます。
その結果、現在でも、世界で利用されている自然エネルギーのうち水力発電、
風力発電の次にエネルギー生産量が大きいと言われています。
世界の太陽熱利用機器の設備容量は順調に増加しており、
2010年には前年比で16%増加して、
累計で185GWthに達しています(『自然エネルギー白書2011』による)。
2010年に導入された設備容量のうち80%以上のシェアを中国が占めており、
欧州の各国やトルコ、インド、オーストラリアなどがそれに続きます。
中国では経済発展による生活レベルの向上に伴うエネルギー需要の増加や、
エネルギー供給の不安定さを補うために、太陽熱の利用が急速に増加しており、
最近では都市から農村部に普及を進める政策なども取られています。
一方、欧州では2020年までにエネルギー供給量の
20%を自然エネルギーとする目標を定めており、
自然エネルギーによる熱利用の普及にも力を入れています。
自治体あるいは国単位での利用機器の設置義務や投資支援、
税制優遇など複数の政策を組み合わせて市場を拡大している国も多く、
ドイツでは機器の認証制度を整備することにより、
製品の信頼性を確保すると共に、2009年から自然エネルギー熱法を施行し、
設置義務なども始まっています。
日本国内においては、1970年代のオイルショック以降、
太陽熱利用機器は一時的に大きな市場となり、
1980年に導入のピークがありましたが、
その当時は太陽熱温水器が年間80万台以上、
ソーラーシステムが2.6万台ほど導入されていました。
その後、石油の価格が低下すると共に太陽熱利用機器の市場は縮小し、
2009年の導入量は太陽熱温水器4万台、
ソーラーシステムが3200台とピーク時の20分の1以下となっています。
その結果、これまでの導入量から機器の寿命を加味して差し引いた累積の導入量については
1994年ごろから減少を続けています。
そのため、多くの自治体において太陽熱利用機器に対する補助制度を実施していますが、
その中でも2008年度から補助制度をスタートした東京都では、
グリーン熱証書制度と組み合わせたユニークな試みとして注目されました。
また、東京ガスなどの都市ガス供給会社と
LPガス業界で構成する日本ガス体エネルギー普及促進協議会が中心となり、
ソーラーエネルギー利用推進フォーラムが2009年に設立され、
太陽熱利用機器とガス利用機器を組み合わせて利用する技術の調査や
普及の検討を行っています。
同じ時期に、太陽熱を対象としたグリーン熱の認証基準が整備され、
設備の認定が開始されました。
2010年7月にはマンションに設置された
セントラル方式の太陽熱利用システムの設備認定に引き続き、
10月には太陽熱による日本初のグリーン熱証書が発行されました。

太陽熱温水器・ソーラーシステム単年度導入量およびストック量(出典:『自然エネルギー白書2011』)

TOPIC 柳津西山地熱発電所

国内最大の地熱発電所。

国内最大級の河川水流量を有する阿賀野川に、
福島県喜多方市で合流する只見川は、その最大の支流であるとともに、
戦前から首都圏の電力需要を支えてきた国内最大の水力発電地帯です。
尾瀬を源流とし、年間降水量が3,000mmに達する多雨地帯にある只見川では、
明治の末頃から水力発電所の開発が計画され続けてきました。
戦後も、1951年に「只見特定地域総合開発計画」が策定されてからは、
次々と大規模水力発電所の建設が始まりました。
現在は、最上流部に国内第二位の貯水量を誇る人造湖、奥只見湖(銀山湖)と、
国内最大の水力発電所である奥只見水力発電所が稼働しています。
このような歴史を持つ只見川の流域に、福島県河沼郡柳津町はあります。
町内には、同総合開発計画で最初に建設された柳津発電所(出力75,000kW)があり、
さらに西山温泉のある西山地区には柳津西山地熱発電所(出力65,000kW)があります。
東北電力が運営する同地熱発電所は、
単独の発電施設として国内最大の出力を持ち、
1995年に運転を開始した国内では新しい地熱発電所です。年間発電電力量は、
直近3年間(2008~2010年)は約2.2~2.8億kWhで推移していて、
国内の再生可能エネルギーによって供給される電力の約1%を生産しています。
私は、2010年秋に現地を訪れ、この発電所を視察しました。
柳津町役場から車で40分近くかかる山中にある地熱発電所は、
通常無人で稼働していることから、道中にすれ違う車もありません。
現地では、発電所の稼働音だけが山中に響いていました。
ここでは、「シングルフラッシュ」という
熱水の蒸気だけを分離して発電する方式がとられていて、
発電所の周辺では地下1,500~2,600mまで掘削した、
生産井という蒸気を産出する井戸から立ち上る蒸気があちこちで見られます。
そして、23本ある生産井から発電所へと熱水を送り、
また水を地下へ戻す3本の還元井への導水管が、
山肌を這うように設置されています。
その設備の規模は、まさに国内最大の地熱発電所という言葉にふさわしいものでした。
わが国の地熱発電は、火山の周辺など有望な地熱開発地点の多くが
自然公園法による国立公園や国定公園に指定されているため、
開発に大きな制約がかけられています。
また、温泉地では地熱開発が温泉に与える影響への懸念などから、
反対が起きることもあります。
しかし、最近では、再生可能エネルギーへの関心の高まりと共に、
新たな地熱発電所の建設計画が立ち上がったり、
自然公園の開発規制が緩和されたりと、
停滞していた地熱開発が再開されようとしています。
古くからのエネルギー供給源である水力発電所と、
新しいエネルギー供給源である地熱発電所が稼働する柳津町は、
まさに日本の近代エネルギー政策の縮図といえるでしょう。

柳津西山地熱発電所

とある夫婦とコーヒーとフロランタン

マチスタが地元紙に紹介されました。

小学校に上がるか上がらないかの頃のこと。
当時のぼくの遊び場のひとつが病院だった。
母親がその病院に勤めていて、すぐ近所に住んでいたのだ。
病室だろうが診察室だろうがまったくおかまいなし。
いつもジョンという名の真っ白な雑種犬を従えて病院のなかを走り回っていた。
ちなみにジョンは100パーセント放し飼い状態、
いろんなことにおおらかな時代だった。
ちょうどいまぐらいの季節だった。
小学校に上がるか上がらないかの頃のぼくは、
ジョンと一緒に裏山に入り、
見事なピンクの花を咲かせた山つつじの枝を両手いっぱいに抱えて山から戻って来た。
向かうのはいつもの病院の入院棟。
そこには長期間入院しているお年寄りがたくさんいた。
ぼくはいつものようにジョンを従え、山つつじを抱えたまま病室をひとつひとつ回った。
いまの時代なら、セラピードッグを連れた幼い子どもの慰問の光景とでも映るだろうか。
ところが、そんなヤワな話じゃないのだ。
「つつじいらん? 一本50円な」
入院しているお年寄りにつつじを売りつけていたのだった。
ぼくの母親は婦長だったので、
患者さんからしたら「婦長さんところのボクちゃん」なわけで、
むげに断ることもできないという事情があった。
おかげでつつじはまたたく間に完売。
その年の春、この山つつじの訪問販売をもう一回やった。
患者さんにとってはさぞや悪魔的な光景だっただろう。
なんせ、無垢そうな6歳の子どもが真っ白な犬を引き連れ、
どぎついピンクの花の「押し売り」にやって来るのだから。
それにしても子どもの頃とはいえ、
なんであんなことができたのか長く謎だった。
でも、最近はこう思うようになっている。
あれはあれで、ぼくなりの慰問だったのだと。
当時、長期入院している患者さんの一部に、ぼくはアイドル的な扱いを受けていた。
顔を見せるだけで喜んでくれる老人たちがいたのだ。
そんな彼らに、病室まで行って顔を見せる口実としてつつじを売ったのではないかと。
ものすごく都合のよい解釈のように聞こえるかもしれないけど、
基本、ぼくは動物と老人には優しいほうだと思う。
それは子どもの頃から変わらない。

岡山で発行されている地方紙『山陽新聞』がマチスタを紹介してくれた。
記事の効果は大きく、記事を見てやって来てくれた人は多かった。
そのなかに、80歳代半ばの夫婦がいた。
彼らは奉還町という駅の反対側にあるエリアから
わざわざタクシーでやって来てくれたのだった。
「“おいしいコーヒーが飲める”と(記事に)あったから」
店に入るなりおばあちゃんがそう言った。
ぼくはすでにおばあちゃんの腕をとっていた。老人に優しい本領発揮である。
隣のおじいちゃんはハットをきちんとかぶり、
春物の薄手のジャケットを着ていた。ふたりとも完全によそ行きの装いだ。
ふたりはマチスタでコーヒーを飲むためにめかしこんで、
わざわざタクシーで来てくれたのだ。
ぼくはえらく感動してしまって、本気で泣きそうになっていた。
「わたしたち、ふたりともコーヒーが大好きなんです。
1日に10杯も20杯も飲むんですよ」
オーダーが終わると、ぼくの方に顔を向けておばあちゃんが言った。
「それは飲み過ぎですって。ハハハハ」
涙が出そうなのを無意味な笑いでごまかし、彼らをテーブル席に案内した。
正直、お年寄りの客層をまったく意識していなかったので、
店の空間は彼らに優しいとは言えない。
でも、マチスタがコーヒー好きのお年寄りのたまの楽しみの場になれるのなら、
こんなに素敵なことはない。
そんなことを考えてたらまた感動してきて、
ぼくは思わず焼き菓子コーナーからフロランタンをひとつとって
彼らのテーブルの上に置いた。
「どうぞ、これ、食べてください」
これもちろん、ぼくの感謝の気持ち、お店からのサービスである。
しかし、それを見ていたコイケさんが間髪を入れず言った。
「もっと柔らかいヤツがええんじゃねん?」
……しまった、フロランタンは結構硬めの焼き菓子なのだった。
コイケさんのひと言を契機に、店にいたお客からも
「それは硬すぎる」「無茶だ」と非難の声を矢継ぎ早に浴びせられた。
思慮が足りなかったのは認めるが、なんだ、この展開は? 
さっきまでの感動が一瞬に吹っ飛んでいた。
「ど、どうも失礼しました」
ぼくはテーブルの上にそのままになっていたフロランタンを引き上げ、
代わりにフィナンシェを置いた。
「どうもありがとうね」
ふたりは30分ほど会話を楽しみながらコーヒーをゆっくり飲んだ。
帰りには焼き菓子をたくさん買ってくれた。
ぼくが非難されたフロランタンまで。
そして来たときと同じように、タクシーに乗って帰って行った。
通りに出てふたりを見送りながら、
またあの感動がうねりのようによみがえってくるのを感じた。
コーヒー1杯300円、そんな小さなビジネスにこんな感動があるのだ。
いま進んでいる道は間違っていない、そう強く思えた。

いい話の直後になんなのですが、お知らせです。
4月21日(土)と22日(日)の2日間、
玉野市の宇野港近くにある工房&ギャラリー「駅東創庫」のイベントに、
マチスタ・コーヒーが初めて出張•出店します。
時間は午前10時から午後5時まで。
メニューはマチスタブレンドと焼き菓子のみです。
なお、当日はぼくがコーヒーを淹れることになるのではないかと
(コイケさんとのーちゃんには岡山で売り上げを伸ばしてもらわなきゃいけないので)。
春の週末、アートとともにコーヒーはいかが?

最近、新たな雌の野犬が出現、サブが目当てなのかこうやって事務所の前によくいる。近所にはまたぼくが餌付けしていると思われているに違いない……なんでこうなる?

「テイクアウトができることを示すサインがあったほうがいい」というお客さんの意見を採用し作成しました。デザインは最近めきめき腕をあげているヒトミちゃん。成長したなあ。

いろいろお祝いにもらいました。藍染めの集金袋みたいなのは染めの作家•浅山クンによるもの。極小のトートバッグは三原のアーティスト、ヒロシとロラの作品。このほかにもたくさん! みんな、ありがとう!

ぼくが住んでいる都窪郡早島町で毎年春に開催されるチューリップ祭り。あまりに平和で素敵な光景なので、全然関係ないけど掲載しちゃいます。映画の『マジェスティ』みたいなところです。

のーちゃんとコイケさんのこと

マチスタのオープンから1週間過ぎて。

我が社アジアンビーハイブの入り口のすぐ横に、
下の写真のごとく、かくも立派な神事・仏事用植物の無人販売コーナーが出来てしまった。
もちろん当社が販売しているわけじゃない。
近所のスワキさんというおばちゃんだ。
あれはまだまだ寒い頃、たしか2月のことだったと思う。
「赤星クン、悪いけどな、あんたんとこの事務所の脇で
“しゃしゃき”とか“さかき”を売らしてもらえんじゃろうか?」
なにせ実家も近いのでむげに断ることができない。
それでも「はあ、まあいいですけどね」と
さも歯切れ悪く返事をすることで一応の抵抗は試みたのだが、
そんな芝居が児島のおばちゃんに通用するわけがなく、
2、3日後には、想像をはるかに上回るスケールの無人販売所が出来上がった。
最初に見たときは、思わず立ち止まって頭を抱えたうえに鼻血が出そうになった。
さらにその数日後のこと。
300円売れたとかで、「1割はあんたにあげるけん」と30円をぼくに握らせようとして
執拗にスワキさんが迫ってきた。
ぼくは「いらんわ! 絶対いらんけん!」と逃げながら断固拒否した。
いまから思えばその強い態度が最初にほしかった。
無人販売所ができて約2か月が過ぎたものの、
その光景にはいまなお慣れることができず、
目に入るたびに若干の気持ちの萎えを感じないではいられない。
でも、なんだかんだいって、基本、アジアンビーハイブのある児島は平和なのだった。

ところ変わって岡山のマチスタ。
のーちゃんの、ここのところの成長ぶりには目をみはるものがある。
厨房での動きにどんどん無駄がなくなってきた。
お客さんがたてこんでもけっして慌てず、てきぱきと注文をこなす。
そして、コーヒーを淹れる姿の美しさだ。
視線を一点に据え、ドリップに集中している姿は凛としていて、
ついつい見入ってしまうほど。
「最近、のーちゃんの淹れるコーヒーのほうが美味しいと思うんですよ」
コイケさんがいつもの笑顔でそんなことを言っていた。
まるっきり冗談とも受け取れない、それぐらいのーちゃんの腕は上達している。
東京のカフェで働いた経験があるとはいえ、ドリップコーヒーは淹れたことがなかった。
そんな彼女がこの1か月でここまで成長したのも、
実はほとんどコイケさんのおかげなのである。
そう、言い方が悪いかもしれないけど、
コイケさんがこの短期間でのーちゃんを仕込んだのだ。

最初にのーちゃんを採用しようとしたのはコイケさんだった。
彼女のことが気に入ってのことなので、それなりに彼女には優しかった。
ところがだ。のーちゃんが仕事でマチスタに顔を出すようになってからは、
手のひらを返したように厳しくなったのである。
怒鳴ったりすることは絶対にないんだけど、
言うこと言うことが、ぴしゃりと肌を打つように手厳しい。
コイケさんと付き合いはじめて7年ほどになるが、
そんなコイケさんを見るのは初めてだった。
ものを深く考えるクセのないぼくは、
最初はコイケさんがのーちゃんのことを嫌いになったのかと思った。
でも、奇跡的な思慮深さが唐突にやって来て、
それがコイケさん流の作戦なのではないかと思うようになった。
じゃあ、なぜコイケさんがそんなことをしているのかにまで考えを巡らせると
————なるほど、マチスタが成功するか否かの、
大きな部分がのーちゃんにかかっているじゃないか。
それを真っ先に見抜いていたコイケさんってやっぱりスゴい。
一方、経営者であるぼくはなにを考えているんだか(なんにも考えてなかったわけですが)。
以降、経営者のぼくはまったく口を出すことをせず、
心のなかでのーちゃんにエールを送り続けていたのだった。

そして、のーちゃんは試練を耐え抜いた。
実際、この1か月は彼女にとって相当キツかったはずだ。
しかし、彼女は案外、強い。たくましい。
というわけで、のーちゃんを3月26日付けで社員第3号に採用した次第だ。
これでまたマチスタのハードルを高くしてしまった感は否めない。
でも、のーちゃんはやってくれる予感がする。
コイケさんが重厚な差し手の居飛車党としたら、
のーちゃんは華麗なさばきを見せる振り飛車党だ。
一軒のお店でそんな変化に富む差し回しができたら、
かつての羽生さんのような7冠制覇も夢じゃない(すいません、将棋好きなもので)。

マチスタのオープンから1週間が過ぎた。
あてにしていた午前中の客の入りはお世辞にも良いとは言えず、
テイクアウトもまだまだ少ない。
売り上げ自体はそこそこいっているのだが、
「オープン特需」による何割かをそこから差し引くと、
はっきり針は赤に振れるだろう。
でも、初日に見たぼんやりとした明かりは、いまも遠くでゆらめいている。
少しずつだ。焦らず、少しずつそこに近づけるようにしよう。

まがりなりにもデザイン事務所です。その玄関がこんなことになりました。これで仕事のオファーがまた減ったような気がしなくもない。

朝イチの清掃の後、サブを連れて海に行くのが児島のルーティーン。天気のよい日なんか最高です。マイナスイオンを浴びまくりのサブです。

オープン前日の夜にぼくが縫ったカーテン。生地を買ったとき「どこかで見た柄だなあ」と思っていたら、自分のトランクスだと後に判明。

コーヒーチケットがぼちぼち出てます。ドリンクやフードにも使用できるので、いわばマチスタの金券なわけ。絶対お得ですから。

マチスタ、オープンしました。

コーヒー1杯300円のビジネス。

オープン前日の夜、ぼくは小学校の家庭科の授業以来の裁縫にいそしんでいた。
マチスタのスタッフルームの目隠しにするカーテンを縫っていたのである。
これが『情熱大陸』だとしたら、
経営者のぼくが主人公として、縫い物をしているこのシーンはありか否か、
なんてことを考えながら
(答えは「否」。理由は所帯じみて絵柄が悪いし、
なにより手つきが不器用で緊張感のかけらもないから)。
約2週間近いプレオープン期間中に、
お客さんから貴重な意見を少なからずいただいた。
経営者としてそれらはマチスタの課題として受け止め、
ひとつひとつ解決できるものは解決していった。ぼくが縫っていたカーテンも、
「スタッフのロッカーが見えないほうがいい」という
お客さんからの提案によるものだった。
おかげさまで、このプレ期間中にお店としての精度は
随分アップすることができたと思っている。ホント、みんなに感謝だ。

店の前に立てる「A看板」と呼ばれる自立型の看板も、
ぎりぎりオープン前日の日曜日に届いた。
プレオープン直後から、
外から見て何のお店なのかがひと目でわかる看板が必要だと感じていた。
でも、デザインのイメージがなかなか浮かんでこない。
そんなときである。
前回紹介したマチスタのカウンターを照らすランプ、
その段ボール箱の中に同梱されていた荷物があった。
アンティークのアルファベットのスタンプが6個入っていた。
ランプを購入した福岡のアンティークショップ「eel(イール)」には、
メールでオーダーを入れた際に
「新しく開店するコーヒーショップに使います」とひと言だけ伝えておいた。
それを見て、店主がお祝いの品としてプレゼントしてくれたものに違いなかった。
そのスタンプのアルファベットは、「c」「o」「f」「f」「e」「é」。
それぞれ同じ書体なんだけど、なぜかサイズはまったくバラバラだった。
そのスタンプを机の上に並べてみて、瞬間、ひらめいた。
サイズのバラバラ感をそのまま生かしてロゴ風に組み、看板にしてみようと。
デザインにとりかかったら1時間もかからなかった
(ヒトミちゃんにはコーヒーカップのイラストを描いてもらいました)。
すぐに谷川工房の伸クンにデータを送って、板と塗装のイメージを伝え、
さらに「来週の月曜日のオープンまでに間に合わせたいんだけど」と無理なお願いをした。
伸クンは休日にもかかわらず、日曜日に届けてくれた。
いろんな人たちの気持ちが入っているこの看板、
出来ばえには200パーセント満足している。

4月2日月曜日、年度の始め、マチスタのオープン日。
8時には店を開けて、「さあ、いらっしゃい!」だ。
人生2度目のビラ配りに、前回以上の粘りを見せることが出来たと
自分に満足した状態で開店を迎えることができた。
8時をちょっと過ぎたところで最初の客が! と思ったら、
プレオープン期間中、まるでスタッフのように毎日やってくる友人の高橋さんだった。
高橋さんは誰よりもお金を使ってくれているから、
マチスタの一番の上得意に違いないんだけど、
あまりに店にいる時間が長いのでスタッフ的な扱いを受けている。
また高橋さんもそれがまんざらでもないようで、
その日も「おはようございます!」と言って店に入るなり、
すぐにトートバッグを隅に置き、いかにも一緒に最初の客を待つという風情で
店の入り口にカラダを向けてカウンターの前に立った。
そして最初のお客さんがやってきた。
出勤途中のOLだろうか、車を店の前に駐車してあった。
「持ち帰り、出来ますか?」
「大丈夫ですよ」と朝らしいさわやかな笑顔でのーちゃんが対応。
さて、そこでぼくの出番である。
お客さんがカウンターの前で待っている間、つかつかと彼女に近づいた。
近づいたはいいが、こんなときになかなか言葉が出てこないのがぼくという人間だ。
「……あ、あのお……あなた、最初のお客さんです」
「ええっ! そうなんですかあ!」的な反応はまったくなく、彼女は無言で、
眼鏡の奥で目をしばたたかせただけだった。
「あ……このお店、今日オープンなんです」
「あ、はあ」
 あまりの反応の薄さに、会話の成立する見込みがないと悟ったぼくは、
無言で彼女の前を横切って菓子棚から焼き菓子をひとつ手にとり、
「これ、どうぞ」。
「はあ、どうもありがとうございます」
そのとき、なぜか高橋さんもずかずかと菓子棚に近づいて行って、「これもどうぞ」
「はあ、ありがとうございます」
以降、まったく会話のないまま、記念すべき第一号のお客さんは去って行ったのだった。

10時半過ぎにコイケさんが自転車で出勤。
コイケさんは午後からのシフトなんだけど、
やはり初日ということで気になっていたのだろう。
でも、お客さんの入りは朝からまばら。
午後になってものんびりした感じだったので、
のーちゃんはシフト通り2時にあがってもらった。
そのときは、まさか閉店の8時まで、あんなに人が押し寄せるとは夢にも思わなかった。
のーちゃんが帰ってからというもの、マジで人がひっきりなしだった。
お祝いを持ってきてくれた友人たち、新聞記事を見て来た人たち、
たまたま通りかかった人たち。
わざわざマチスタを目指して来てくれたのに、お店に入れず、
帰って行った人たちも少なからずいた。
来ていただいた方々には、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。
また、入れなかった方々、本当にすいませんでした!

歩道に出したままの看板を店内に入れたときには、背中に痛みがあった。
なんせ朝の7時半から夜の8時まで立ちっぱなしである。
しかも2時からはお客さんとの会話だけでなく、洗い物もする買い物もする、
店の外にいるお客さんにも気を遣う。
加えて朝から何も食べていないし、何も飲んでもいない。
目は確実に5ミリほど落ち窪んでいたと思う。
そして最後の作業は本日の集計。
コイケさんとふたり、レジから出てきたレシートをカウンターの上に置いて眺めた。
売り上げはちょうど4万円あった。
プレオープン期間中の最高額が3万円に満たなかったことを考えれば上々だ。
でも、同時にいろんな思いがよぎったのも事実。
正直、あれだけの準備をして、あれだけ働いて一日4万円かという思いもあった。
「飲食って、大変でしょう?」
ぼくの思いがまるで見えたかのように、コイケさんが笑顔で言った。
こういうときのコイケさんって、ほんとヨーダみたいだ。
『スター・ウォーズ』はあんまり見てないんだけど。

明日以降、4万円も売り上げることはまずないだろう。その半分がせいぜいだと思う。
コーヒー1杯300円のビジネス。
道は相当に険しいけど、ぼんやり遠くに明かりも見えた気がした、
そんなマチスタ初日でした。

これがオープン前日に納品された看板。表面にはヒトミちゃんのイラスト、裏面にはメニューがヘルベチカで羅列してある。板の表情もいい感じね。

倉敷のケーキ屋さん「エル・パンドール」のショウコちゃんがもってきてくれた名物ザッハトルテ。見事にマチスタのロゴが再現されていました。

あまりに忙しくて初日は閉店まで写真撮影を完全に忘れてました。というわけで、夜の閉店直後の歩道。あれ、ちょっとニューヨークっぽくないですか?

オープン翌日、春の嵐の中、わざわざ広島県の三原と福山から来てくれた友人のヒロシとジャリくんファミリー。ジャリくんがやってる福山の「café nanairo」のハンバーグはヒトミちゃんも大ファン。

津南町の雪祭り

豪雪の津南町。かまくらの中でばあちゃんの料理に舌鼓。

春の風が桜を散らす今日この頃、魚沼では暴風雪……。
この時期になると、行く先々で、「まだ雪あるの!?」というコメントをいただきます。
田畑の積雪は残り1mちょっと、春まであともう一歩。
もう少しで本題の農業レポートが出来ますので、少々お待ちを!

さて、お祭りと言えば夏のイメージですが、雪国では雪祭りも盛り上がりを見せます。
先日、津南町の雪祭りにお客様をご招待しました。
大きなまち雪祭りは立派なステージショーやでっかい雪像など見ごたえ十分な内容ですが、
個人的には、小さなまちの雪祭りのアットホーム感もおススメですよ!
今年の津南町の雪祭りは、
地元スノーボーダーたちによるBIG AIR顔負けのジャンプ大会や、
プロスノーモービルライダーの後ろに乗って暴走ライド、
屋台や世界の鍋博など内容盛り沢山!
日が暮れるまで、ひとしきり雪と戯れて遊びまくりました!
でも実は日が暮れてからが雪祭りのメイン。
薄暗くなってきた会場のあちこちに灯りが点り始めると、一気にロマンチックな世界へ。
僕らも日中に作ったモニュメントに点火&記念撮影☆
じいちゃん、ばあちゃんもロマンチックな雰囲気に……笑

そして、メインイベントの鳥追いと赤沢神楽が始まると今度は昔話の世界へ。
鳥追いとは、東日本の農村に伝わる伝統行事で、
子どもたちが鳥を追い払う歌を歌いながら村中を回り、
田畑の豊年を祈り、害虫・害鳥駆除を願います。
僕も小学生の頃にやっていましたが、お菓子を沢山もらった記憶があります。
ハロウィンみたいですね!
雪ん子みたいなゴザ帽子を被った子どもたちがとても可愛かったです。
赤沢神楽は津南町に唯一残っている神楽で、
いくつか演目がある中で雪まつりでは、天狗の舞が舞われます。
ブンブンと火のついた藁を振り回し、周りの人を威嚇しながら練り歩く姿、
天狗様すっげぇ格好良い!!
最近、山伏や神主など日本古来の神道に魅力を感じてなりません!
伝統の舞により、皆さんの厄を払い落としていただきました。
今年は絶対良いことあるなぁ。

これにて、雪祭り終了!———とはなりません!
イベントがひとしきり終わったら、次は宴会スタート☆
もちろん会場はかまくら!コタツを囲んで宴です!
雪でお酒も冷え冷え。

今回は地元のばあちゃんの手作り料理をおつまみにいただきました!
ばあちゃんいわく
「油以外、全部おらが作ったモン(食材)だすけ、うんめぇぞ!」
山菜、糸瓜、カブ、大根、きのこ、こんにゃく……
地元の食材しか使っていない本当の田舎料理がずらり☆
これは、すっごい贅沢でした!
特に手作りこんにゃくを食べたら、スーパーで売っているこんにゃくが食べられなくなります。

美味しい料理とお酒に囲まれて、
じいちゃん、ばあちゃんと戯れながら、お腹も心もすっかり満たされました☆
いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい笑って、いよいよ雪祭りも終了。
フィナーレは最近魚沼地域の雪祭りの定番になりつつあるスカイランタン。
気球の原理で灯篭を空に飛ばすのです。
実は僕も初めての体験。
ドキドキしましたがフライト成功!
超~感動!これは是非とも生で見ていただきたい!!
高く高く上る灯篭の群れがとても幻想的でした。
雪で覆われているからこそつくり出せる、素敵な世界ですね。

津南の自然ガイドさんいわく、
津南・栄村地域は人間が住む土地としては世界一の積雪量だそうです。
雪と歩んできた文化は、魚沼が世界に誇れる魅力のひとつですね!

STUDY 太陽光発電 その2

家庭での導入が進む太陽光発電と、大規模設備のメガソーラー。

昨年2011年、世界の太陽光発電の市場はさらに大きく成長しました。
世界中で一年間に導入された設備の容量は2700万kWを超え、
累積の導入量は6700万kWに達しました(EPIA調べ)。
これは年間の成長率に直すと、実に70%ということになります。
国別ではイタリアが年間の導入量が史上最高の900万kWに達し、
ドイツも前年に引き続き750万kWを導入しています。
その他、中国やアメリカ、そしてフランスが導入量を伸ばして150万kW以上を一年間に導入しています。
日本も2011年は、年間導入量が130万kWに達し、
累積の導入量ではイタリアに続く世界第三位の地位をキープしています。
世界第一位のドイツの累積導入量は2500万kW近くまで達しており、
世界全体のシェアの37%を占めます。
第二位のイタリアは約1200万kWで18%、日本は約500万kWで約7%です。
一方、産業面ではかつては日本の企業で世界の生産量の半分以上を占めていましたが、
旺盛な需要を受けて新規産業として生産に乗り出す海外の新興メーカーが台頭し、
残念ながら近年は日本メーカーの存在感が急速に小さくなってきています。
世界的な太陽光発電への需要に応えるために、中国メーカーが台頭し、
ドイツやアメリカなどの海外メーカーが群雄割拠して、競争が激化しています。
その中で、日本メーカーは、
2010年時点ではかろうじてトップ10に入っているような状況です。
このような状況の中で、日本国内でも2009年11月から自家用の発電設備に限って、
余剰電力のみの新たな太陽光発電の固定価格買取制度(FIT制度)がスタートし、
合わせて太陽光設備に対する補助金も復活しました。
その結果、2011年度には日本国内の太陽光発電の年間導入量が
初めて100万kWを超えました。
このFIT制度は、自然エネルギー普及の切り札として
欧州を始め70を超える国と地域で実績があり、
日本でも2011年8月には
「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」として成立し、2012年7月よりスタートします。
これまで、余剰電力の買取だけだったオフィスや工場などの
発電設備についても全量買取の対象となり、
発電事業用のメガソーラーなども全量買取の対象となることが決まっています。
メガソーラーとは、太陽光発電設備のうち発電出力の規模が
1メガワット(1MW = 1000kW)を超えるものをいいます。
太陽光パネルの設置には比較的広い面積が必要となり、
このメガソーラー規模の太陽光発電設備の設置面積は1万平米を超え、
遊休地や大規模な工場の屋根などが設置場所として選ばれています。
欧州ではドイツやスペインを中心として、
FIT制度が広まるに従い、
メガソーラーのような大規模な太陽光発電設備の事業収益性の高さが注目され、
数多く導入されるようになりました。
欧州では数万kW規模の太陽光発電設備もすでに導入されています。
日本では、2005年頃から東京都が自治体の地球温暖化対策の率先行動として
浄水場など数か所にメガソーラーを設置していますが、
その後、地球温暖化対策および技術的な実証試験として
北海道稚内市や山梨県北杜市など全国数か所で導入が行われています。
民間企業でもその自主的な地球温暖化対策の一環として
大規模な工場の屋根などにメガソーラーを設置している事例があります。

日本とドイツの太陽光発電の導入量の推移(作成:ISEP)

TOPIC 浮島太陽光発電所

都市部のエネルギー供給源として期待される太陽光発電。

数ある再生可能エネルギーの中でも、
太陽光は多くの地域で普遍的に利用できるエネルギー源です。
小水力や地熱といった、まとまった自然資源が少ない大都市圏でも、
太陽の恵みはあまねく降り注いでいます。
そのため、そのエネルギーを太陽光発電や太陽熱利用に活用することができるのです。
浮島太陽光発電所は、神奈川県川崎市の東京湾上にある埋め立て地、
浮島町に建設されたメガソーラー(大規模太陽光発電所)です。
羽田空港に隣接し、
首都高速湾岸線と東京湾アクアラインの交わる川崎浮島JCT側の市有地に、
東京電力が建設して運営しています。
発電設備の概要は、シャープ製の198Wソーラーパネル約3万8000枚を並べ、
最大出力は7000kWになります。
年間推定発電電力量は740万kWhが見込まれていて、
一般家庭の2000世帯分以上をまかなうことが出来ます。
なお、建設費は公表されていません。
実際に発電所を見学してみると、まずその広大さと静かさが特徴的です。
太陽光発電の環境に対する最大のメリットは、
運転時の静粛性であることを再認識させられます。
周辺が工場地帯であるぶん、よりその特徴が際だちます。
発電設備は遠隔管理されていて、施設自体は無人運転となっており、
メンテナンスも日常的に行うものはほとんどないということです。
ソーラーパネルの汚れは風雨で取り除かれるようになっており、
地面も草が生えてこないような舗装がされています。
こういった管理の省力化がなされているというのも、特徴と言えるでしょう。
この発電所のある埋め立て地は、
一般廃棄物の焼却灰や浚渫土砂などによって造成されており、
地盤が安定するまでの約20年を、太陽光発電所として活用するそうです。
浮島太陽光発電所は2011年8月10日に運転を開始しており、
川崎市との契約によって稼働期間は18年間の予定です。
現在の太陽光発電設備の寿命は、平均25~30年と想定されていることを考えると、
設備寿命より先に土地利用の契約が終了してしまうことになるので、
その先の延長の可能性があるのかが気になります。
これまで、都市廃棄物の最終処分場跡地である埋め立て地の活用には
さまざまな方策がとられてきました。
そのひとつとして、大都市に隣接するエネルギー供給基地としてのメガソーラーの建設は、
現実的でありメリットの大きい利用法であるといえるでしょう。
周囲に日照を遮るものがないというのも、太陽光発電所として利用する上で有利です。
現在、大阪府堺市でも臨海部におけるメガソーラーの建設が進んでおり、
他の大都市圏でも同様の形態の建設計画が持ち上がっています。
メガソーラーは、再生可能エネルギー利用が難しいと考えられがちな
都市部のエネルギー供給源として、今後拡大していくことが期待されます。

浮島町に建設されたメガソーラー。

マチスタで会いましょう

開店まであと2日——————

オフィスから歩いてすぐのところに両親がふたりで住んでいる。
脳梗塞の後遺症で麻痺がある母親を、7歳年下の父親が介護している。
最近よく聞く「老老介護」というやつだ。
うちのオヤジは、掃除に洗濯、結構家のことをまめにこなせるし、
それがあまり苦でもないので、適任といえば適任。
でも、昔から料理だけはからっきしダメだった。
そこでその穴を埋めるべく東京から帰ってきたというのが、
ぼくのUターンの理由なのだった。
とはいっても、仕事をしながら三食を作るというのはさすがに無理な話で、
ぼくの担当はもっぱら両親の夕飯の支度のみ。
夕方の5時に仕事をいったん切り上げてマルナカ(岡山では大手のスーパーです)に行き、
その足で実家に帰って夕飯を作ってまた仕事に戻る。
そんな生活を7年やってきた。
当然、一緒に暮らしていなくても、親とは毎日顔を合わせる。
でも、実はこのたびのマチスタの一件をオヤジにはまだひと言も言っていない。
昔から親とのコミュニケーションが苦手だ。
いつオヤジに言い出そうか、そのタイミングをはかっている今日この頃である。

夕方、銀行員のシマちゃんから電話があった。
例の融資が決まったという連絡だった。もう十割あきらめていた。
3月末の支払いには500円玉貯金を崩すつもりでいたし、
シマちゃんにも、
「今度来たときは500円玉をたっぷり持って帰ってもらうことになるからね」と告げていた。
いまから考えれば、あのひと言がなにげにシマちゃんを奮起させたのかもしれない。
いずれにしても、電話の向こう、シマちゃんの声はぼくよりも嬉しそうだった。
早速、翌日の朝に、税理士の島津さんに融資が決定した旨を報告した。
「よかったですね!」と彼女も存外な喜びようで。
「『マチスタ・ラプソディー』を読んでもうダメだと思ったので、
勝手に新しい融資先を探していたところだったんです!」
自分ところの税理士まで読んでいるなんて、
『マチスタ・ラプソディー』、結構な人気ですな。
————と、言いたいのはそんな話じゃなくって、
いろんな人にご心配をおかけしてホントすいません、だ。

カウンターを真上から照らすランプの取りつけが終わった。
ランプは福岡にあるアンティークショップ「eel(イール)」からネットで買ったもので、
ヨーロッパで実際に店舗用として使用されていたらしい。
ちょっとデザインが変わっている。
最初は普通にホーローのシェードの付いたランプを買うつもりだった。
でも、なにせ青い壁の個性が強いので、
ちょっと変わったデザインのほうがマッチすると思った。
送られてきた段ボールを開けて現物を見たときは、
正直「やりすぎちゃったかなあ」という感じだったんだけど、
実際取りつけてみると、サイズもデザインもまったく違和感がない。
これでついにマチスタの内装が終了した。
クセのある内装には違いないが、
新しいタイプのコーヒースタンドとして楽しみのある店になったと感じている。

さて、オープン目前である。
オープン前にやれることは全部やろうという経営者の方針で
(つまりぼくが言い出しっぺということですが)、
早朝から街頭でのビラ配りなんぞやってみた。
朝7時から出勤してコーヒーの準備をしているのーちゃんに
「行ってきます!」と言ってフライヤーの束を手に外に出た。
目指すはマチスタからもっとも近い交差点。
道路の向こうには信号待ちをしているサラリーマンやOLが20人ほどいた。
心のなかではさっきから宣伝文句を呪文のように唱えている。
「コーヒースタンドの『マチスタ・コーヒー』です。
来週月曜日にオープンします。よろしくお願いします!」
信号が青に変わる。
こっちに向かってくる一団の足どりは速く、
なにやら気ぜわしい感じで、いきなり軽くビビってしまった。
なんせ人生初のビラ配りだし。
で、さっきから呪文のように唱えていたのに、
いざ最初に手渡そうとしたサラリーマンには、「……あ、あの、コーヒーです……」
完全に無視された。
ぼくよりもひとまわりは若いサラリーマンには、
汚いものを見るような目で見られたうえに、ビラを受け取ってくれなかった。
それでも「コーヒーです、コーヒーです!」と、
集団に向かって誰かれかまわずビラを渡そうとしている自分の姿が
(しかも誰ひとり受け取ろうとする人がいない)、
かなり痛い光景であると悟るのにそれほど時間はかからなかった。
マチスタ経営者として、ビラ配りが逆効果であるとぼくは早々に判断して引き上げた次第。
「いやあ、ビラ配りって難しいね」
幼稚園児が作った紙飛行機なみの滞空時間の短さに、
のーちゃんもさすがに驚いたようだった。
「完全に心が折れちゃった。もう無理ッス」
ぼくがそう言うと、のーちゃんは笑顔で「じゃあ、私、やってみていいですか?」
そう言ってぼくがもっていたフライヤーを手にとり、
交差点に向かって歩き始めた。
大方の予想通りと言っていいだろう。
のーちゃんの手からはみるみるフライヤーが減っていった。
経営者のメンツ丸つぶれ。
でも、ぼくの誇りやメンツなんてどうでもいいことで、
ぼくは店の前にひとり立ち、
すぐ先の交差点でフライヤーを配るのーちゃんにずっとエールを送っていたのだった。
それにしても結構やるな、のーちゃん。

いろんな人にご心配をおかけしながら、またご迷惑もおかけしながら、
いよいよ「マチスタ・コーヒー」が船出する。
4月2日の月曜日、開店は午前8時半。
当日、朝からぼくは懲りずにまたビラを配ろうと思っています。

これがカウンター上のランプ。存在感はかなりのもの。見ようによっては、焼き肉屋さんのテーブルのすぐ上にある換気扇に見えなくもない。

プレオープンの期間中たくさんの花をもらいました。深謝! 写真の胡蝶蘭は渋谷にある三浦デザイン事務所から。やることがバブリーですな。

黒板で11枚つづりのチケットを宣伝中。「チケットあり〼」なんて書くのは当然コイケさん。それを咎めることができない経営者だった。