金岡新聞 号外

金岡くんと和歌山を歩く。

金岡陸くんに会ってきた。
和歌山市内の金岡くんのご自宅におじゃまし、金岡くんの帰りを待つ。
午後4時。ランドセルに大きな巾着袋をぶらさげて現れた金岡くんは、
目深にかぶっていた黄色い帽子を取って、
「こんにちは!!」と大きな声で挨拶し、顔をくしゃっとさせ笑った。
溌剌としたなんとも気持ちが良い挨拶に、こちらも自然と顔がほころぶ。
そんな学校帰りの金岡くんと、夕暮れの和歌山市を一緒に散策。
地域を案内してもらった。

小学4年生の金岡くんと、金岡新聞編集長の金岡くん。

金岡陸くんは小学4年生ながら、趣味の範疇を越えた“ライフワーク”を持っている。
それが『金岡新聞』だ。
金岡新聞は、金岡くんが小学2年生の冬に創刊。
同級生が折り紙に小さな小さな“新聞”を書いているのを見て、
「ええなぁ」と思ったのがきっかけだった。
新聞は同級生に広まり、そのうち同級生の父兄へ。
そして近所の人にも瞬く間に広まった。
創刊からしばらくは不定期で続けていた。
毎日書くこともあれば、10日に一度くらいの時も。
だが、そのうち、
「しばらく金岡くんの新聞を見ないと、金岡くんどうしたのかな?って心配になる」
という読者の声があり、一週間に一回の定期発行となった。

金岡新聞記念すべき第一号は、わら半紙にえんぴつ書き。

金岡新聞の面白いところは、
同級生の誕生日や、庭の野菜が実をつけたことなど、
金岡くんのごく身近で起きたことがトップの扱いになったり、
かと思えば取材記事や、季節の行事、
社会情勢についてちょっと背伸びをした記事を書いたりと、
生活のネタと時事ネタをうまく組み合わせて一枚の新聞にまとめているところ。
つまり、金岡くんを知る人・知らない人、誰が読んでも面白い。
ちゃんと読者を意識した記事を金岡くんは書けるのだ。
新聞のネタは自分で探すこともあれば、
最近では、学校の友達や友達のお母さんが
「金岡くん、ここ取材して!」と勧めてくれるのだそうだ。
取材は主に土日に行き、翌月曜日にいっきに書きおこす。
電話で取材先にアポイントをとるところから、
取材・発行・配送までひとりでやるというから、その行動力に驚く。

金岡くんのお母さんは、いわゆる“校正さん”で、金岡新聞の最初の読者。
できあがった新聞に軽く目を通し、漢字ミスなどを指摘するのだという。
スペースの関係でたまに3コマになってしまう、自由すぎる“4コマ漫画”に
「えーっ!こんなんはずかしいわぁ」と苦笑いしながらも、
決して書き直しはさせない。
小学生の金岡くんの今の感性、今の視点で構成されている金岡新聞。
そのできあがりをお母さんは誰よりも楽しみにしているようだ。
終始人懐っこいビッグ・スマイルを見せ、
ハキハキと受け答えをしてくれる金岡くんだが、
金岡くんのお母さんいわく、普段は人前でとても緊張するのだとか。
「それに、よくおちょける(ふざける)し、
同級生よりも子どもっぽいところがあるかもしれませんね」
しかし当の本人は、
「取材をしているときは緊張しないです。
“金岡くんいつも読んでるよ”“楽しみにしてるよ”って
みんなから新聞の感想を言ってもらえると、やっぱりうれしいなぁって思います。
それで記者を続けられました」と話す。
そんな金岡くんの言葉を受けて
「男女年齢関係なく人が好きなんでしょうね。
自分が“会いたい”、“取材したい”と思った人に会って
おしゃべりができるのが本当に楽しいのでしょう」
とお母さんは柔らかい口調で語る。

「ずっと新聞記者を続けたい」けど「JAXAの職員にもなりたい」と言う金岡くん。
この春からは高学年になり授業数も増える上に、
将来の夢を叶えるために、英会話スクールなどにも通う忙しい毎日を送っているが、
どうか永く永く金岡新聞を続けてもらいたい。(と思うのはオトナの勝手かな?)

金岡くんの仕事場・仕事道具拝見。

2011年の5月から書き始めた取材ノート。あらかじめ質問内容を書いて、それに対する回答を書き留めている。

幼稚園から使っている辞書には付箋がびっしり。金岡くんの知の集積だ。

漢字や言葉などがわからなかったら、まずは簡単な辞書をひく。それでもわからなかったら次に難しい辞書をひく。最後にインターネットで調べるそうだ。

A4用紙を目の前にえんぴつを握ると、口を真一文に結び笑顔が消えた。快活な小学生から、新聞記者の顔へと変わる瞬間。

金岡くんの作業机は龍神村(現・和歌山県田辺市)の杉の一枚板でオーダーメイド品。お父さんからの小学校入学祝いで、まさに一生もの。

地域ブランディングのためのものづくり

米ありきで造ったお酒。

本田勝之助さんがプロデュースするものは
食品、伝統工芸品、イベント、ホテルなど多岐に渡る。
さまざまな案件を抱え、全国を飛び回る本田さんだが、
生まれ育った会津の仕事には、やはり特別な思いがあるようだ。

お米から始まった本田さんの仕事は、
やがてお米を原料とする酒造りにも広がっていった。
そもそも良質な水に恵まれた会津地方は古くから銘酒の産地として知られ、
およそ40軒の蔵元が今も酒造りに精を出している。
通常、酒造りというのは、まず先にイメージする味と香りがあって、
そこを目指して仕込みが行われる。
しかし、本田さんは違った。
何より米ありきで酒を造ることにこだわった。
だから、使うお米も、一般的な酒造好適米ではなく、食米。
日本の伝統的肥料である米ぬかを醗酵させ、
さらに植物性酵素を加えた天然有機肥料を用いた
“ながいき農法”によってつくられた最高級米「雷神光」を使っている。
前例のない取り組みゆえ、
当然、蔵元である榮川酒造にとっても未知なる部分は多く、
どんな酒を目指しているのかを問いかけながらの酒造りだったという。
そして、創業以来140年を超えて受け継がれた技と品質へのこだわりは、
ついにひとつのかたちに結実した。
それが「雷神光 純米吟醸酒」である。
「食用のお米を酒造りに用いるなんてことはこれまでだったら考えられませんでした。
ただ、酒造りは“一に水、二に米、三に技”と言われますが、
そのすべてに最高品質のものを使えば、
間違いなく美味しいお酒ができると思ったのです。
蔵元の並々ならぬ努力もあって、自信をもってお届けするお酒ができました」

ラベルの「雷神光」の文字は本田さんが揮毫。美しい青のパッケージは贈り物にも喜ばれそう。(撮影:たかはしじゅんいち)

パールのような輝きを放つ雷神光。この「雷神光」という名前は、東北の農家で伝えられている 「雷の降りるところには美味しいお米ができる」という通説に由来する。(撮影:たかはしじゅんいち)

築40年の山荘をリノベーションしたデザインホテル。

福島、山形、新潟の3県にまたがる磐梯朝日国立公園。
裏磐梯の名所として知られる五色沼に程近い
木立の中にひっそりと佇む「ホテリ・アアルト」も、
本田さんがプロデュースしている。
元々は築40年の山荘だったものを、
3人の建築が新たにホテルへとリノベーションし、
自然の中で豊かに暮らす北欧のライフスタイルやデザインを取り入れた
モダンな建物へと生まれ変わらせた。
このホテルの最大の“おもてなし”は、
裏磐梯とその周辺地域の恵みを“お裾分け”することにあると本田さんは言う。
「それを我々は“お福分け”と呼び、
建物の材料は県産材を使用し、
料理の食材も基本は地産地消にこだわっています。
ホテルというのは、地域のコンシェルジュであり、拠点となるところです。
しつらえもサービスも、
根本をかたちづくるのは会津であり、福島であり、日本ですが、
そこに吟味されたシンプルでナチュラルな北欧の家具を組み合わせた点に、
このホテルならではのオリジナリティがあります。
その妙をぜひお客様に味わっていただきたいです」
客室は全部で13室。温泉は源泉かけ流し。
会津の拠点にオススメのホテルである。

国立公園という周辺の環境に配慮した外観のデザイン。

金山町の桐をはじめ、地元産の素材がふんだんに使われている客室。木のぬくもりと窓の外に広がる裏磐梯の自然が心地よい。

アアルトの自慢の温泉。地下545mもの深さから涌き出る温泉は、磐梯山からの「お福分け」

プレオープンしたものの……

開店まであと 6日——————

以前にちらと触れた、銀行からの融資にそろそろ決着がつきそうだ。
最後のハードルが信用保証協会なる機関による審査。
この協会員がわざわざうちの事務所にやってきて直接話を聞くのだという。
今回、融資の話を進めてもらっている銀行員のシマちゃんからは、
融資に関してはまず問題ないので、「もう正直に話しちゃってください」と言われていた。
で、後日やってきた女性協会員にぼくはありのままをお話しした次第。
ところがこの協会員、ぼくの回答に対しての受け答えが、
「はあ……」とか「うーん……」とか、とにかく歯切れが悪い。
ひと通り会社の実情を話したところで、ぼくはズバリ聞いてみた。
「なにか不安なところでもありますか?」
「いえいえ、滅相もございません」的な答えが当然返ってくると思っていたのだが、
彼女、「はい、多少」などとそこははっきりおっしゃる。
おまけに返す刀で「失礼ですが」と初めて攻めの姿勢を見せたかと思うと、
「社長は個人資産をかなりお持ちですか?」
必殺の一撃を打ち込んできた。
「こ、個人資産……というと?」
「定期預金とか、預貯金です」
で、ぼくもついに伝家の宝刀を抜いてやった。
「貯金の類いでは、500円玉貯金があります」
「はっ?」
「500円玉といっても全部で20万円ぐらいあると思います。
いや、本当は16〜17万円ぐらいかもしれない。
前はよく数えていたんですけど、最近はあまり数えないようにしてるんです。
だいたいがっかりすることが多いから」
彼女が帰ったその日の午後、銀行のシマちゃんがやってきた。
信用保証協会の彼女から早速連絡があったそうだ。
その連絡の内容のせいだろう、それまでの終始「余裕ですよ」的な態度はどこへやら、だ。
おまけにシマちゃん、「社長、あのですね」と小声で話しかけてくる。
「シマちゃん、なんで小声で話すのよ? 
あのさ、保証協会が保証できないって言うんだったら、
オレはそれで全然かまわない。
だからシマちゃんもオレに悪いなんて思わないでいいから」
「いや、社長! 私がなんとかしますから!」とは言わなかった。
「はあ、どうもすいません……」とシマちゃん、消え入るような声で。
ええっ! そこで引くぅ!?

さすがに簡単には勝たせてくれないな、
というのがマチスタのプレオープンから数日しての感想だ。
プレオープン当日は、前日にFacebookで告知しただけにもかかわらず、
祭日ということもあって午前11時のオープンから来客がひっきりなし。
さらに次から次へと知った顔がやってくる。
なかには一度帰ったのに、数時間後にまたやってきてくれた友人もいた。
感情を込めてお礼を言って暑苦しいと思われるのがイヤなので、
わりとクールに「ありがとね」としか言ってないんだけど、
本当は心のなかで叫びたいぐらいに感謝してます。
コイケさんとのーちゃんにも感謝だ。
ふたりにはハードな一日だった。
とくに実際のお客さんにコーヒーをドリップで淹れるのが初の彼女には、
心身ともにキツい一日だったと思う。
さて、お店の一日の締めくくりは、レジを使っての売り上げの集計だ。
さあ、いらっしゃい! 
レシートにある数字を見て、少しずつ鼻から空気が抜けていった。
あれだけ人が来て、こ、こんなものなのか……。
現実という冷や水を頭から浴びせられたような気がした。
一日300杯のエスプレッソを売る下北沢のカフェの本なんか読まなきゃよかった。
しかも、その日来たお客さんのほとんどがぼくかコイケさんの友人や知人である。
翌日からの平日の営業を思うと、ホラー的にうすら寒くなるものがあった。
そしてその予想は現実のものとなった。
プレオープン以降の一日の売り上げは、
最低限クリアしたい額の半分ほどしかなかったのだった。

こんな超シビアな展開に、一筋の光となりえるだろうか。
マチスタ最大の売りであるコーヒーの
「マチスタ•ブレンド」の味がようやく決まりつつある。
そう、プレオープンしてもまだ例のブレンドの味が決まっていなかったのである。
焙煎士のカフェリコ稲本さんには何度も試作品を持って来てもらっているが、
まだ「これだ!」という味に行き当たらない。
稲本さんもつい最近、自身のブログで
「久しぶりに難題にあたっている」と吐露していたほど。
そんな矢先のこと。なにも言わずにのーちゃんが淹れてくれたコーヒーの味が、
それまで飲んだことのない鮮烈な味だった。
香りがよくて強くてコクがあって、
それでいて口当たりが優しく飲んだ後のあと口がすっきりしている。
な、なんだ、このコーヒーは? 
「稲本さんがもってきてくれた新しいブレンドです」とのーちゃん。
いや、そうだろうとは思っていたけどね。
それから2時間ほどして、稲本さんがマチスタにやってきた。
相変わらず花粉症で目は赤らんでいるが、その目はいつもよりも断然輝いていた。
まさに「どうです!」と言わんばかりに。
「最高です! 稲本さん、ついにやりましたね!」
ぼくが言う前に、コイケさんがさらりとこう言った。
「もうちょっと酸味があったほうがええなあ。できる?」
ええっ! まだやるぅ!?

プレオープン当日の様子。入り口でこちらを向いてホットドッグを食べているのがクリエイティブ・ディレクターの高橋さん。なんと5日連続で来てくれました。ホント、いい人だなあ、高橋さん。

フードは2種類、ホットドッグとミートボールサンドイッチ。パンは箕島の「どんぐりコロコロ」に特別にオーダーして作ってもらっている。ミートボールはコイケさんの自家製です。

ベーグルは岡山在住のベーグル研究家•服部さんによるもの。外は少しぱりっとして、なかはかなりのもちもち度。当面、日曜日に入荷することになっています。OLで本業の仕事をもっているもので。

コイケさんのジュニア作のフィナンシェ、塩サブレ、パイの3種は絶品! ほかに倉敷市林のパン屋さん「KONPAN」のフロランタンを販売しています。すべてコーヒーに合わせてのセレクトですな。

プチ修行

極寒の魚沼で寒行体験!

雪が溶けるとRICE475は、3度目の田植えがスタートします。
お米は1年に1度しか収穫できません。
米農家にとって大切な1年を預からせていただいている身分として、
豊作祈願と自身の精神を整理しに、寒行に行って参りました。
魚沼の八海山尊神社では、節分祭までの7日間、
凍てつく寒さと雪の中、寒行が行われています。
行者さん達は朝と深夜、水垢離をとり、五穀を断ち、護摩祈祷を行います。
僕のような一般人でも、予約を入れると1回のみの参加もOKのことでしたので、
収穫祭でもお世話になった
越後湯沢のプリンスこと、高橋五輪夫さんに手引きしていただき、参加してみることに。

僕が参加したのは2月3日の朝の回。
ちょうど大寒波が襲来! 一晩で車が完全に隠れるくらいの大雪。
農家山本家のご家族に心配されながらも、
もう後には引けぬと3m超えの積雪の中、山の神社へ向かいました。
まずは滝行。
たどり着くや否や裸になり、渡された行衣に着替え列に並びます。ちょ~寒い!
そもそもサウナの水風呂さえ苦手なのに、
なぜこの雪の中、わざわざ滝に打たれに来たのかと、まずは後悔。

滝に入る順番が近づくと、先達さん(行者を導いてくれる人)が背中に塩を塗ってくれます。
僕の番になると、
「兄ちゃん何しに来たの? サラリーマンか?」
と珍しそうに先達さん。
僕が「気合を入れに来ました!」と答えると、背中をバチンと叩かれ、いざ滝の中へ。

凍らないのが不思議なくらいの水温の水を浴びながら、
今年も美味しいお米が収穫できますようにと祈りを込めました。

水の音越しに、お経とホラ貝の音が心にしみ込む感覚。
寒さを忘れ、先達さんから引っ張られるまで、遠くの世界へ行ってました。
危なかったのかな。笑
放心状態で滝から上がると、
集落の方々のご好意により焚き火をしながらタオルを温めて待っていてくださいました。
濡れた行衣を脱がされて、ほかほかタオルに包まれた瞬間に、現実世界へカムバック。
頭も体もスッキリ蘇りました!

その後、着替えを済ませ、里宮に上がり護摩行へ。
護摩とは火中に供物を投じ、護摩木を投じながら祈願をすることです。
行者が火を焚きながら祈りを捧げる行為は非常に尊く美しく感じました。
護摩行が終わると、箱からふかしたじゃがいも登場。
護摩の火で炒られた塩をつけて腹ごしらえを。
これがまた美味い☆ 僕はそこに神様を感じました。笑
その日は節分ということもあり、集落の方々と豆まき開催!
さすが魚沼、大根やキャベツも飛んで来ました。笑

そんな感じで、僕の寒行初体験は終了。
感謝の気持ちと日本文化の美しさを実感でき、
非常に実りのある寒行になりました。
帰ってから、周囲にこの話をすると、「来年は行きたい!」という人が殺到!
来年は寒行ツアーを組むことに。
収穫祭の座禅も好評でしたが、断食体験なども人気です。
身も心も研ぎ澄まされたいという願望の方が多いのですね!
僕も寒行が毎年の恒例行事になりそうです。

News 東北に電子雑誌を

被災地に電子雑誌を届けるプロジェクトが始動しています。

マガジンハウスも加盟している日本雑誌協会のデジタルコンテンツ推進委員会が、
震災対策プロジェクトの一環として、
被災地でデジタル化した雑誌をご覧いただく試みを始めています。
昨年の震災直後、雑誌協会加盟各社が通常の紙の雑誌をすぐに被災地に届けました。
しかし、実際には現地での配送や管理等の問題があって、
ただ単に紙の雑誌を届けただけでは、
十分に活用することが難しいという問題に直面したのだそうです。
そこで新たに準備が始まったのが、このタブレット端末を使ったデジタル雑誌の配信。
昨年夏から秋にかけての石巻市での実験と調査を経て、
昨年末から本格配信が始まりました。
心のケアの重要性が指摘されるなか、
雑誌が少しでもみなさんの力になることができれば、
という思いで始まったプロジェクトとのことです。
現在地元のコミュニティや仮設住宅の集会所など、
宮城県と岩手県の24か所に複数の端末が設置され、
週刊誌やライフスタイル誌、コミックなど38タイトル204号分の雑誌の他、
写真集や地元フリーペーパー、市の広報誌などが配信されています。
先行した石巻地区ではすでに市役所管轄及び民間団体合わせて10か所で展開されていますが、
その中のひとつ、商店街の「かめ七呉服店」では、
地元の有志とボランティア団体の活動に雑誌協会が協力して
「コミュニティかめ(仮称)」を立ち上げるプロジェクトも進んでいます。
店内の一角を借りてネット環境を整備し、
コミュニティ機能を持った情報の発信基地としていこうという試みです。
そして目玉になるのが、かめ七のご主人が東京の美大に通っていたころから集めている、
2000冊に及ぶ大量の雑誌バックナンバー。
初期のananやnon-no、Hot-Dog PRESS、POPEYE、GOROなどの貴重な雑誌が、
手に取って閲覧できるスペースになるそうです。
こちらは4月のオープンを目指して、現在準備中。詳細は改めて報告します。

津波の被害に遭った店内にテーブルを設置して、タブレット端末や書籍、雑誌なども置いてあります。

新しいコンテンツは毎月更新。マガジンハウスからはHanakoをアップしています。

タブレットの初期画面。コンテンツの更新はwifiで。

「かめ七呉服店」店主の米倉純一さんの雑誌コレクションもすごい! 店内にも貴重なバックナンバーが展示されています。

「かめ七呉服店」の2階は、ボランティアが宿泊できる施設にもなっていて、すぐ近くで活動する「ISHINOMAKI2.0」とも連携。ISHINOMAKI2.0は石巻商店街の再生を、地元の人々と各地から訪れた人々が協働しながら活動を展開しています。http://ishinomaki2.com/

マチスタのプレオープンを控えて

開店まであと 14日——————

倉敷の美観地区の近くに輸入家具と雑貨を扱う「スプートニク」という店がある。
店舗は小さいけど、店主の香川さんによるイタリアを中心にしたセレクトで、ファンが多い店だ。
4、5年前に彼が店を一時休業して店舗の全面リニューアルをやったことがある。
驚いたのは、この香川さんという人、1から10まで内装をすべて自分でやるという。
天井や壁はもちろん、床のタイル貼りまで。
期間は2か月近くかかったんじゃないかと思う。
でも、香川さんは完璧にやり遂げた。天井付けの空調を隠す箱や、
なんとレジ台までオリジナルで作ってしまった。

さすがにそこまでやる人は稀だけど、
岡山では「ああ、自分たちで適当にやっちゃいました」的なことをよく聞くし、
岡山の人は実際結構やる。
だからだろうか、我が社アジアンビーハイブを訪れた人から、
「これ、赤星さんがやったんですか?」とよく尋ねられる。
(当社のオフィスは大きな倉庫を改装して作っている)
そのたびにぼくは「いえ、工務店ですが」と面白くもない普通な答えを返している。
この手のことに関して、ぼくのスペックは3歳児なみ。
サブの犬小屋でさえ満足に作れない。
マチスタの改装リニューアルにもぼくはほとんど戦力になっていない。
対して、コイケさんの戦闘力は相当に高い。
今日も、メニューボードを照らすライト用にぼくが手渡したハロゲンのスポットライトを
お客さんと談笑しながらいじっていたと思うと、
お客さんが帰った後、おもむろに電動ドライバーを手に脚立の一番高いところに上って、
「カンタンですよ」と笑いながら天井に出ている配線をちゃちゃっといじって
ものの5分で取り付けてしまった。
そこそこ包丁が握れるぼくからしたら、
料理に腕をふるうコイケさんよりも、工具を手にしているコイケさんの方が
実は尊敬の度合いが高かったりするのである。

この週末にかけて、新生マチスタはみるみるそれっぽくなっていった。
早島の木工所「コンパネーロ」にオーダーしていたホワイトオークのカウンターの板を
コイケさんとぼくとで取り付けた。
(ぼくは板を支えていただけでコイケさんが取り付けました、正確に記せば)
看板屋さんの「谷川工房」からは、アジアンビーハイブがデザインした看板、
ガラス面のカッティングシート、
それにカウンターの奥の壁にかけるメニューボードが届き、設置してくれた。
そして最後の仕事はコイケさんによるレジ台作り。
岡山では「自分の店のレジ台は自分で作る」みたいな慣習が古くからある。
というのは嘘で、これは気に入ったレジ台がなかなか見つからないということだろう。
コイケさんはこれも2時間ぐらいで、誰の手も借りずに作り上げてしまった。
いやはや、おそれ入谷の鬼子母神だ。

そして日曜日、内装がひと通り終わった。
工事が始まったときは「これが1か月で終わるのか?」と思えた。
でも、終わってみれば、コイケさんの予想通り、3週間もかからなかったことになる。
あらためて新しい照明のもと、新しくなった店内を眺めてみた。悪くない。
最初は存在感がありすぎかなと思えた青い壁も、
そのおかげで、ロンドンのポートベローあたりにありそうな
コーヒースタンドの雰囲気を与えてくれている。
行き当たりばったりの面も多々あったが、
まったく悪くない感じだ。コイケさんものーちゃんも、
十分に満足してくれているように思う。
今となっては、コイケさんから旧マチスタが閉店すると聞いたのが随分前のように思える。
あれからたった3か月しか経っていない。
でも、この3か月で実にいろんなことがあり、実にいろんな人と出会った。
「カフェリコ」の焙煎士、稲本さん、
ベーグル研究家の服部さん、「コンパネーロ」の横田さん、
ホットドッグのパンを焼いてくれた「どんぐりコロコロ」(箕島)の森山さん。
彼らとはマチスタの件がなかったらたぶん会うことはなかった。
それから、スタッフのエプロンを作ってくれた藤田クン、
「カフェ アンドゥ」のせんちゃん、林のパン屋さん「KONPAN」の近藤さん、
「谷川工房」の伸クン、フライヤーを印刷してくれた「研精堂」の横畑さん、
能登夫妻、通りすがりに棚の設置を手伝ってくれた「fift」の五十嵐夫妻、
試飲やら試食やらにいろいろ付き合ってくれ終始バックアップしてくれた
「カーネス」の元スタッフのタカちゃん、
それからうちの会社のスタッフのヒトミちゃん、サトちゃん、ミヨさん。
いろんな人たちに多大なご協力をいただきました。
この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。みんな、どうもありがとう!

ついつい流れで、お世話になった人たちの名前を挙げたりして、
いかにも最終回の様相ですが、まだこの連載が終わるわけじゃないと思います。
で、「内装も終わったしね」というので、
いきなりですが、3月20日(火)にプレオープンすることにしました。
正式な開店は4月2日(月)なのですが、それまで実際に営業しながら、
ないものを補ったり、徐々に体制を整えていこうではないかと。
というのは半分建前で、
本音では「今日稼げるものは今日稼げ」的な部分も少なからずあります。
なお、営業時間は平日・週末ともに11:00 〜 18:00です。
というわけで、次回はプレオープンの模様をレポートしてみます。乞うご期待!

あ、前回の連載で「次回に触れる」と約束していた映画『アウトロー』の件は忘れてください。
まあ、ぼくが約束を無視する無法者だった、ということで。

「コンパネーロ」の横田さんによるカウンターの板はホワイトオークの一枚モノ。何度も塗りを重ねるなど手がこんでます。いい仕事してますねえ。

マチスタまで0メートル……つまりここってことで。

青い壁にウッド地のメニューボード。「ICE+50YEN」の文字のみステンシルのフォントを使用、しかも微妙に文字をずらすなど小賢しさ満載。

のーちゃんを美しく撮ってその写真で客を呼ぶという作戦も考えたのだけれど、至近距離からカメラを向けることができず、この微妙な距離感。

News 飯館村の卒園式・卒業式

リバース・プロジェクトの打ち出す“元気玉プロジェクト”で福島県飯舘村の子どもたちに卒業式を!

卒業式ができていない飯舘村の子どもたちのために!
すべてはこの思いから、プロジェクトが始まった。
そして2011年12月25日、
飯館村の2つの幼稚園の卒園式と3つの小学校の卒業式は9か月遅れで実現した。

そもそものきっかけは2011年8月、大阪のチャリティーイベントで
寄せられた義援金を福島県飯館村に届けたときのこと。
飯舘村の教育長・廣瀬要人氏から子どもたちの卒業式が行われていないことを聞き、
リバース・プロジェクトを率いる伊勢谷友介代表は「手伝わせてほしい」と申し出た。
福島県飯舘村は、2011年3月11日の震災と福島第一原発の事故により
計画的避難区域に指定。
現在、住民は村を離れてバラバラに暮らしている。
放射能の影響が考慮され、両親と遠く離れて暮らす子どもたちも。
そうした混乱から、村の幼稚園と小学校では卒業式ができていなかったのだ。

伊勢谷氏をはじめリバースのメンバーは、自衛隊の除洗作業が続く飯舘村を視察。
村の有志のスタッフと福島県でミーティングを重ね、
卒業式に向けてタイムカプセルの制作、サプライズのコンサートを提案した。
東京では、震災で被災した家の古いガラスとアンティークの時計を使い、
クリエイターたちがオリジナルのタイムカプセルを制作。
また趣旨に賛同してくれた音楽プロデューサーのYANAGIMAN氏、
シンガーソングライターの岡本真夜さんとともにコンサートの内容をつめていった。

そして卒業式当日。
タイムカプセルに20歳の自分宛ての手紙を入れ、子どもたちが入場。
幼稚園の卒園生54名、小学校の卒業生58名、
父兄と先生方、村の有志のみなさんによる卒業式が始まった――。

卒業式では、校長先生が子どもたちや飯舘村への思いを込めて祝辞を贈り、
生徒たちひとりひとりの席を回って、卒業証書を手渡しで授与。
卒業生と父兄たちは笑顔で、涙ぐみながら、それぞれの思いをかみしめる。
草野小学校卒業生代表の中川昭くんは
「一度は諦めかけた卒園・卒業式ができると聞いたときには本当にうれしく、
今日の日を心待ちにしていました」と壇上で思いを語った。

そしてサプライズ企画へ。
藤原竜也さんやテリー伊藤さんからVTRでお祝いメッセージが流れ、
“卒業おめでとう!&メリークリスマス!”コンサートへ。
YANAGIMAN氏と伊勢谷氏がMCをつとめ、岡本真夜さんが登場。
ヒット曲「TOMORROW」を歌い上げ、会場は一体に!
卒業式とコンサートの後、子どもたちは再会を喜び合い、夢中で話し続け、
会場を去りがたい様子でいつまでも集まっていた。
最後に、企業や団体から寄せられたケーキやミニトートなどのギフトが
伊勢谷氏らリバースのメンバーから、卒業生ひとりひとりに手渡しで贈られた。

(左)壇上でMCをつとめる伊勢谷氏 (右)「TOMORROW」を歌う岡本真夜さん

今回は村の予算に加え、
リバースが打ち出すマイクロ・パトロンのシステム“元気玉プロジェクト”を利用し、
主旨に賛同する個人が少額から出資できる仕組みとした。
それにより、272人から262万円超の支援が全国から寄せられ、多くの思いと支援が届けられた。
伊勢谷氏は語る。
「みんなが望む企画をみんなが自由に立ち上げて、みんなの力が少しずつ集まっていく。
支援する側とされる側が互いにつながれば、みんなで大きなことができる。
それが元気玉プロジェクトを立ち上げた理由です」

現在中学1年生の中川昭くんは「やっと中1になれた感じ」と話し、
廣瀬教育長は「しばらくぶりにあんな笑顔を見ました。
これからの長い避難生活の糧になるのではないでしょうか」と顔をほころばせた。
タイムカプセルは卒業生たちの成人式まで、飯舘村の飯舘中学校に保管。
再びそれぞれの避難先へと戻っていった飯舘村の人たちは、
7年後、13年後、大人になった彼らとともに集うことになるだろう。
みんなの力を結ぶ元気玉プロジェクトをひっさげ、
リバースの挑戦はこれからも続く!

STUDY グリーン電力証書

自然エネルギーの普及の後押しへ。

グリーン電力証書は、太陽光や風力など自然エネルギーの持つ環境価値を
証書の形で取引することのできる仕組みです。
自然エネルギーの発電設備を持たない企業や個人が、
自然エネルギーの電力を選択できる仕組みとして導入されました。
法律などで定められた制度ではなく、最近は国がある程度のガイドラインを定めていますが、
自然エネルギーを普及させるために10年ほど前から始まった民間の仕組みです。
自然エネルギーが持つ環境価値として、地球温暖化対策としての二酸化炭素削減の効果のほか、
大気汚染防止、放射性廃棄物減少、地域の活性化、
エネルギー自給率の向上、新規産業の育成など、
自然エネルギーを普及させる理由として、さまざまな価値を認めています。
このグリーン電力証書を利用することにより、
普及の進んでいない国内の自然エネルギーを積極的に選択し、
その普及の後押しをすることができます。
そして、その自然エネルギーの持つさまざまな価値をアピールすることにより、
グリーン電力証書を利用した企業自体のイメージも向上することができます。
グリーン電力証書の設備や電力が、自然エネルギーに由来するものであり、
その環境価値が正しく扱われるために、第三者による認証制度が運用されています。
認証機関としては、グリーンエネルギー認証センター(日本エネルギー経済研究所内)があり、
グリーン電力証書を発行する会社が
この認証制度を利用して発電設備の認定を受け、グリーン電力証書の発行をしています。
グリーン電力証書を購入した企業は、普段使用している電気と合わせて
このグリーン電力証書を利用することにより、
自然エネルギーによる電気の使用をアピールすることができます。
この国内の自然エネルギーを対象として
民間レベルで実施されたグリーン電力証書制度の歴史は比較的古く、
2001年に国内の風力発電からの電力の環境価値を
民間企業が自主的に利用する仕組みとして誕生しました。
その後、グリーン電力の対象となる発電設備が数多く認定され、
証書を発行する会社も徐々に増えてきており、2010年末で50社を超えています。
グリーン電力の種類としては、当初は、風力発電が主流でしたが、
その後、バイオマス発電が増えはじめ、さらに太陽光発電や地熱発電まで広がっています。
グリーン電力証書の発行量は増え続けており、2010年度は2億4000万kWhとなりましたが、
これは日本全体の電力量の約4000分の1に相当します。
グリーン電力証書の利用形態も当初は、
大企業が社内の事業活動自体で使用する電力を
グリーン電力化するケースが多かったようですが、
次第にイベントなどでの利用や製品の製造工程への利用が中小企業にも広がり、
製品の販売と組み合わせた個人向けグリーン電力証書の利用など、
多彩な利用形態が増えてきています。

グリーン電力証書の仕組み(エナジーグリーン社資料より)

TOPIC 山梨県北杜市 小水力発電

小水力発電、北杜市の試み。

八ヶ岳連峰と甲斐駒ヶ岳に囲まれた北杜市は、
その豊かな水資源を活用して小水力発電にも取り組んでいます。
小水力発電とは、ダムを造らずに水の流れを利用した発電で
国際的にはおおむね出力1万kW未満のものを指します。
年間降水量世界第6位の日本は、
地形が急峻でダムを造らずとも発電に必要な落差を得ることができるため、
小水力発電に適した国といえます。
2007年4月に運転を開始した「村山六ヶ村堰水力発電所」は、
古くからある農業用水の水を活用して、
直径60cmの水管を農業用水脇に1.27km敷設し、
85mの落差を利用し、発電しています。
建設費用が4億4000万円かかっていますが、設置以来の稼働率は90%を超えており、
きわめて効率よく発電が行われています。
平成22年度の稼働率は96.3%ということでした。
出力が320kWの小水力ですが、稼働率が高いため、
年間の発電量はおおむね220万kWhです。
この数字は、前回紹介した「北杜サイト太陽光発電所」の約200万kWhを上回る数字です。
このように、再生可能エネルギー設備は、出力のみで比較できないところがあります。
稼働率が異なる(六ヶ村堰小水力90%超、北杜サイト太陽光約14%)ため、
この小水力は、見た目の出力は小さくとも、年間発電量で比較すると、
メガソーラーと同等かそれ以上の電気が生み出されるのです。
この成功をふまえて、丸紅が村山六ヶ村堰に
さらに3か所の小水力発電所(計650kW)を設置する工事を進めています。
昨年8月に現地を見学したところ、
建物の内部にチェコ製のフランシス型の水車が設置されていました。
内部では騒音がありますが、建物の外ではさほど気になりません。
農業用水など開水路を利用した小水力発電は、
落ち葉やごみなどの流れ込みが問題となりますが、
この小水力発電所では、取水口に自動巻あげ式の落ち葉・ごみ除去装置が設置されていました。
水流を利用して、落ち葉やごみをもとの流れに戻す仕組みです。
このような工夫が稼働率の高さを支えています。
この小水力発電所で作られた電気は、近くの浄水場に供給されます。
つまり、浄水場で節約された電気料金分が収入ということになります。
2011年度の年間売電収入は、2,000万円を見込んでいるということでした。

建物前景:小水力発電データベース

建物内部:筆者撮影

取水口部分:筆者撮影

マチスタ・ブルー

開店まであと 19日——————

クリント・イーストウッドが監督・主演した映画に『アウトロー』という作品がある。
南北戦争の終結後、
おたずね者になった南軍の生き残りジョジー・ウェルズの復讐を描いた映画なんだけど、
展開がちょっと変わっている。
イーストウッドが演じるこの無口で孤独なヒーローに、
彼の意思とは関係なく、旅のお供がひとり、またひとりと増えていくのだ。
どことなくうさん臭いネイティブアメリカンの老人や、
英語をまったく話さないネイティブアメリカンの娘、
プライドの高い南部の母娘、それに野良犬も一匹
(いつも馬上から噛みタバコの唾をひっかけられているのにウェルズを慕っている)。
こうやって集団が膨れ上がり、
映画の終盤では小さな村のようなものまで作ってしまう。
そんな展開に、主人公は「なんだかなあ」「しょうがないなあ」みたいな感じで、
でもしっかり流れには組み込まれているという。
この映画、大好きなクリント・イーストウッド作品のなかでもベスト3に入る一本。
おすすめです。

「前から気になってたんですよ、あの店」
いろんな人からそう言われた。
いわずもがな、旧マチスタ(街なかstudy room)のことである。
ぼくはそのコメントにマチスタ再生のヒントがあると思っていた。
つまり、彼らは気になっていたものの入ったことがない。
気になっていたのになぜ入らなかったのか————入りにくかったのだ!
では、彼らを入りにくくさせていた要因とはなにかと考えを巡らせ、
ぼくはふたつの結論を導きだした。
ひとつは、コイケさんのアクだ。
ものすごく強いアクをもっているわけじゃないし、
逆にミーハーなところも多々ある。
でも、前回お見せした豆の袋に描かれたイラストのように、
一般的ではない趣味志向も多少お持ちで、
それが店内にちらちらと垣間見えた。
もちろん、そこに惹かれているファンも岡山には大勢いた。
したがって、そのあたりのバランスをとりながら、
コイケさんのアクを若干薄めるのがぼくの役目だと認識している。
そして入りにくい要因のもうひとつが、店の暗さだ。
昼も夜もとにかく暗い。
店のなかをのぞきこむようにして見ないと、
営業しているのかどうかわからないのだ。
その解決策として、照明を増やすだけでなく、
通りから一番よく見える店内の壁を真っ白にするイメージを描いていた。

2月末で旧マチスタの営業は終わった。
翌3月1日、コイケさんが我が社アジアンビーハイブの社員となると同時に、
リニューアルの準備がスタートした。
この連載で何度も触れているように、なにをやるにも資金は乏しい。
というか、ない。
なので、内装はすべて自分たちがやる。
そして「自分たち」のたぶん9割ぐらいがコイケさんだ。
時間的な意味ではなく、技量的な意味で。
そんなこんなで、内装に関して強く押すなんてことはとてもできないという背景のもとに、
件の壁の塗装の話になった。
「やっぱり白で行きましょう。外から見たときにグンと明るく見えると思うんですよね」
「そうですね」
 コイケさんは以前から壁を白くする案に賛成してくれていた。
「天井はどうします?」
コイケさんは、旧マチスタのオープンに際して
4年前にコイケさん自身が塗った白い天井を指している。
「ん? 天井はそのままで……」とぼく。
「でも、壁の白と天井の白が絶対変わってきますよ。同じにはなりません」
「はあ……同じじゃなくても」
「天井も同じように塗らなきゃいけないでしょうね。おかしいです」
こういうことをいつもの笑顔で言うのがコイケさんという人だ。
実は我が社アジアンビーハイブのオフィスを作ったとき、
イヤというほどペンキを塗っている。
ぼくも天井のペンキ塗りがいかに大変かは身をもって知っているのだ。
「はあ……そうですか」
そこでぼくの悪いクセが出た。すぐ面倒臭くなってしまうのだ。
「じゃあ、ほかの色でいきますか。こうなったらもう青とか」
青とか、と言ってる時点でもうどうでもよくなっている。
でも、どうでもいいと思って口にした青にコイケさんが食いついた。
「実はぼく、青が好きなんですよ」
いつもの笑顔がさらに輝いている。
コイケさんはロッカー代わりにしている棚からカラーテープをもってきてぼくに見せた。
「こんな感じの青です」
「それまた青いですねえ。ええ、いいんじゃないですか」
こうしてマチスタ再生計画の重要な柱であったはずの「白い壁」は
青い壁に変更となり、実際青に塗ってみると、
マチスタ再生計画では「薄めなきゃいけない」としていたコイケさんのアクが
さらに強くなっていることに気づいたのだった。
まあ、青もいいけどね。

ところで、冒頭の映画『アウトロー』の話は、
当然そこにつながる話を書こうと思って書いたんだけど、
次回に書くことにします。
ただの映画紹介になってしまって失礼!

なかよくペンキの色を作っている図。ライトをもっているのがヒトミちゃん、その下はアジアンビーハイブに大阪から研修で来ていたミヨさん。

一番左が著者の私です。青いペンキが付着してもいいように青いパーカーを着てくるあたりの周到さがビジネスの展開にも欲しいところ。

「ああ、あの青い店ね」と言われそうなほど青い壁です。コーヒーの豆を曳いてくれているのは、岡山の伝説の名店「カーネス」のスタッフだったタカちゃん。

雪国PR

埼玉の子どもたちに雪を届けてきました!

先日、魚沼から埼玉の「ららぽーと新三郷」さんへ10t近くの雪を運び、
かまくらと雪遊び広場をつくって参りました。
雪と触れ合っていただき、雪国に興味を持っていただこうという観光PRの一環で
毎年いろいろな商業施設にお邪魔しています。
初めて雪を見る子どもたちも多く、大はしゃぎ!
雪だるまを作ったり、かまくらに穴を開けたり、やりたい放題☆
事故もなく、皆さんに楽しんでいただき、大成功に終わりました!
お家に帰ってから、お父さんとお母さんに「また雪で遊びたい☆」と、
ちゃんとおねだりしてくれたでしょうか?笑

縄文時代から豪雪地帯に住む魚沼には雪を「恵み」に変えるさまざまな知恵があります。
雪室という雪の貯蔵庫に野菜、お米、お酒などを保存すると
野菜やお米は甘みを増し、お酒はまろやかな口当たりになるそうです。
また、最近では建物の倉庫や地下などに冬の間に降った雪を貯めておき、
夏には冷房として使う事もできるそうです。
建物の構造、生活インフラなどのいたるところに、
雪と共に暮らすための知恵が使われています。
雪国の人間の「忍耐力」も雪の恵みのひとつでしょう。

今年は大々的にTVなどで大雪が報じられました。
大雪によるさまざまな弊害が全国に知られました。
僕の携帯電話にも雪害を心配する方々から、ご連絡をいただきました。
ご心配ありがとうございます!

今年の大雪は確かに大変な思いをされた方も多くいらっしゃいました。
ですが地元の人からは、
「昔はもっともっと降った」
「毎年3m積もる雪が4m積もってもそんなに変わらない」
など、たくましい発言もチラホラ。
雪により、恩恵を受けている方もたくさんいるんです!

TV中継の方々はまちじゅうを走り回って困っている人ばかりを探されていたような……。
雪害の報道を見て、雪まつりや旅館の予約キャンセルが相次いだそうです。
津南町には「まちに入れますか?」という、お問い合わせも。笑

僕たち、元気に暮らしてますからぁ~!!!

大雪でも豪雪地域魚沼は元気です☆
次の大雪の年には、たくましく雪と共に暮らす、魚沼人の素晴らしさを報道してくださ~い!

今年は6月までスキーができるかな?
遊びに来てください☆

新生「マチスタ」の苦悩

開店まであと 26日——————

Krash japan』の発行に関連していくつかグッズを制作した。
そのことごとくが無惨な結果に終わっている。
最初がホームページで連載した小説『ポイズン』の書籍化。
2000部刷ったうちの1800冊が5年ほど実家の2階に眠っており、
うちのオヤジが捨てたくてうずうずしている。
次にオリジナルTシャツ。
高価なボディをセレクトした上にアーティストへのロイヤリティを加算していったら、
販売価格が6000円以上になってしまった。
当然、さっぱり売れず。
そんな具合に、エコバッグ、下津井節をアレンジしたCD『スモツイ』などが赤字道まっしぐら。
極めつけは最終号と同時に発売した「コンプリートボックス」なる代物。
全10号をぴったり収納できる箱で、完結記念Tシャツとセットで3780円という値段設定をした。
が、なんとこの箱だけでコストが4000円以上かかってしまった。
しかもこれも在庫の山ときた。
「こうすりゃいいのに」という意見は悪いけど聞きたくない。
ぼくだってバカじゃない、わかっているのだ。
わかっているのに、こうなってしまうのだ。
もしかしたら、それってバカってことなのか?

マチスタの営業時間を朝からにするというぼくの秘策に、
コイケさんはすんなり賛成してくれた。
問題は終わりの時間だった。
ぼくは夕方の5時ぐらいまでと考えていたのだが、
コイケさんは「もう少し遅くまで開けておいたほうがいい」と言う。
たしかに、「仕事帰りにコーヒーを一杯」というお客さんも結構いるだろう。
でも、我が社アジアンビーハイブの社員となるコイケさんに、
朝から夜までという長時間労働を課すわけにはいかない。
年齢も年齢だし。
児島で働いているぼくが毎日夕方から交代するというのも無理な話だった。
そんな折、ぼくとコイケさんの共通の友人で、
昨年、岡山に越してきたデザイナー・デュオの能登夫妻、その妻から
「この春、妹が岡山に移住してくるので会ってやってもらえませんか?」
とマチスタでの雇用を打診された。
なにやら東京ではカフェで働いていたらしく、
岡山でもその手の仕事を探すつもりだという。
ぼくとしては、マチスタがいまだまったくの未知数で、
コイケさんの給料も満足に払えるかどうかわからないのに、
もうひとりスタッフを増やすなんてありえない話だった。
「時給を聞かれたので“700円ぐらいだと思います”と言っておきましたよ」
仕事を探しにやってきた能登夫妻の妹さんに、先に会ったコイケさんはそう言ったらしい。
相当気に入ったご様子だった。
それから数日して、今度はぼくが会った。
コイケさんがいたく気に入るのも無理もないと思った。
彼女は控えめで、まわりのことにホントよく気がついた。
ぼくと話しながら、一緒にいた1歳になるお姉さんの娘を、
お姉さん以上に気にしてかまってやっていた。
しかも美人である。イヤミがまったくない類の。
会って10分もしないうちに、すでに彼女を雇わないという選択肢はぼくのなかにもうなかった。
「時給は800円出しますから!」
こうして能登夫妻の妹さん、通称<のーちゃん>がスタッフとして加わったことで、
マチスタの営業時間が決定した。
平日は朝8時半から夜8時。土日は朝11時から夕方の6時まで。
のーちゃんが日曜日も一日出てくれるというので、
年中無休の完璧なシフト体制が出来上がったのだった。

3月に入ってすぐのこと。ヒトミちゃんと事務所でお昼を食べながら、
「これから毎月どれぐらいお金が出て行くか」という話になった。
マルナカで買った弁当を食べながら、いきおいよくペンを走らせた。
「うちの事務所の家賃でしょ、光熱費でしょ、国金の返済、
ヒトミちゃんの給料、オレ、コイケさん、のーちゃん、マチスタの家賃、光熱費………」
こうして挙げていくうち、なんかヤバーい感じがしてきた。
「ゲッ、こんなに出て行きますか………」
そこに算出された毎月の経費。
2か月間振り込みがまったくないなんてことも珍しくない我が社に、
こんな額が毎月きっちり払えるのか………。
こうやってちょっと計算すればわかることなのに、ずっとしなかった。
正視するのを避けていた。
きっと、気持ちのどこかで逃げていたのだ。悪い癖だった。
でも、もう逃げるわけにはいかなかった。ぼくひとりじゃないのだ。
いきなり奮い立ったぼくは、まだお昼の12時台というのに、1本の電話を入れた。
「ちょっと相談したいことがあるんですけど」
電話の相手は、つい最近、うちに来て名刺を置いていった銀行マン。
彼は15分もしないうちにカブで事務所にやって来て、
15分もしないうちにアジアンビーハイブの過去2期分の決算書を持って帰った。
「100万円なんて言わずに、300万円って言えばよかったかなあ」
銀行マンが帰った後も、しばらくそんなことを考えていた。

いろんな制作物が急ピッチで進められている。写真は入り口のドアのガラスに施すカッティングシートの図案。文字色は白を予定している。

3月最初の土曜日、ヒトミちゃんとサトちゃんを引き連れマチスタの清掃の手伝いに。掃除の合間には開発途中のブレンドも試飲しました。

岡山ではなにをやるにもまずフライヤーを作る。メインコピーは「コイケさんの淹れるコーヒーはおいしい」。店のスタッフに「さん」をつけるのが斬新ね。