STUDY 小水力発電

地域が主体となって運営する発電事業。

小水力発電は、水力発電の中でも比較的小規模なもので、
発電出力が一定の規模(例えば1万kW)以下で、
大規模なダムを使った水力発電とは区別されています。
大規模な水力発電は、大きな電力会社などが導入して運営していますが、
小水力発電は、各地域が主体となり、各地域のための発電事業として適しています。
水力発電は日本の電力を支える重要な国産のエネルギー源として戦後の一時期、
盛んに大型のダムを中心とした開発が行われてきました。
その結果、1960年頃までは
水力発電が日本の電力のかなりの割合を占めていた時期もありました。
しかし、最近ではダムを使わない「流れ込み式」などによる小水力発電の可能性が
各地で注目されています。
各地で小水力利用推進協議会が設立され活動を行っているほか、
地方自治体でも積極な取り組みが始まっています。
すでに水力資源が豊富な群馬県、富山県、山梨県、長野県、岐阜県、岡山県、徳島県、熊本県では
協議会の活動が始まっているほか、
水力資源が最も豊富な岐阜県と富山県が連携して規制緩和などを国に求めています。
さらに、農業用水の活用も各地で検討されています。
「流れ込み式」の小水力発電の原理はとても単純です。
ダムを使わず、水量の一部を使い、河川の高低差をそのまま利用して発電を行うため、
周囲の自然環境への負荷を最小限に抑えることができます。
河川に設置された取水施設で水を取り込み、除塵や沈砂した後に、
高低差を使った導水路に水を流して、発電所の水車を回し、発電をします。
発電後の水はそのまま川に戻す仕組みです。
日本国内にある出力1万kW以下の小水力発電は、
約1200基で約320万kWの設備容量で、
日本国内の水力発電設備全体の約7%程度になります(2010年度末)。
そのほとんどが1990年以前に導入された設備ですが、
この20年間に導入されたものは150基で約18万kW程度です。
これまでRPS制度の対象になった1000kW未満の小水力発電の数がある程度増えていましたが、
今年の7月からスタートする新しい固定価格買取制度では、
出力3万kWまでの水力発電が買取の対象となります。
特に出力1000kW未満、さらには200kW未満については比較的高い買取価格が定められ、
各地域の事業者による小水力発電の導入が期待されています。

TOPIC 天栄村(1)天栄村風力発電所

村おこしから始め、事業として風力発電を主力化させた天栄村の取り組み。

日本国内では1990年代以降、地方自治体が運営する風力発電所が数多くつくられてきました。
福島県の南部にある人口約6000人の天栄村も、
村営の風力発電所を持っている自治体のひとつですが、
特徴的なのは発電事業として安定した収入を得られていることです。
風力発電事業の経緯を見ていくと、
天栄村では村おこしの一環として風力発電所をつくろうと1996年に検討が始まりました。
当初は、村営のスキー場で使う電力をまかなう風車1基を建設する予定でしたが、
建設に向けた調査の過程で、計画予定地が風力発電の適地であることが判明したのです。
そこで、単にシンボルとして風車を建てるのではなく、
事業として風力発電に取り組もうということになり、合計4基を建設することになりました。
この天栄村の風力発電事業は、
1998年にNEDOの「地域新エネルギー等導入促進事業」に採択され、
総事業費の50%の補助を受けています。
そして、2000年12月に「天栄村風力発電所」の運転が開始されました。
天栄村風力発電所は、内陸山岳部に導入された国内初の風力発電所で、
出力750kWの風車4基による合計3000kWの発電能力を持ち、
年間約500万kW前後を発電しています。
天栄村の風力発電事業は、建設費用の村負担分を無借金でまかなった点が特徴です。
山間部の風力発電所建設では、風車本体の費用以外にも、
発電所建設地への道路敷設や電力会社の送電線に接続する高圧送電線の敷設など、
大きな費用がかかる工事を必要とします。
しかし、事業費をまかなうために村の借金となる地方債を発行しなかったことで、
将来的な利息負担がなく、風力発電事業による収入は全て村の歳入にすることができます。
その収入の中から、年間500万円を村内の新エネルギー導入促進のための基金として積み立て、
更に2000万円を一般会計の歳入として繰り入れ、活用してきました。
落雷による風車破損などの事故もあって、
現在は万が一に備えた積立金の割合を増やしているということですが、
風力発電事業は黒字運営が続いています。
風力発電事業への村の支出約4億7000万円に対して、
2011年度末時点で累計6億円以上の買電収入があったということです。
すでに天栄村風力発電所は、運転開始から11年が過ぎています。
村の担当者の方は、これからもしっかりとしたメンテナンスを行って、
20年でも30年でも出来る限り長くこの風車を使い続けていきたいと話していました。
地方自治体による再生可能エネルギー事業のモデル事例として、
天栄村の風力発電事業は数多くの自治体の参考にされているということです。

天栄村風力発電所

銀行からの融資、その後–––––

おとながおとなに叱られたときのこと。

遅れている仕事がある。その遅れ方が半端じゃない。
4月下旬納品の予定で進めていた冊子の制作が、
6月に入った今もまだ納品できていない。入稿できていないページさえある。
この分だと納品は7月の終わりぐらいか。
最初は悠長に構えていた担当者も、
さすがに5月も下旬にさしかかってくると心中穏やかでない。
紳士的な態度で理性的な言葉を使ってはいるが、実質、叱られた。
さすがにこの歳で怒られることなんてまずないから、
結果、ぼくの気分は数日へこんでいた。
ちょうどそんなときだ、友人の黒住光から電話があったのは。
「なによ? こんな時間に」
時間は夜の12時を過ぎていた。
「いや、電子レンジをもらった礼でも言おうかと思って」
マチスタで新しく買った電子レンジが、
周波数が違うとかで関西以西では使えないことがわかり、
東京にいる黒住に送ってやった。
しかし、それもその電話より3週間も前のことだ。
「どしたの、なんか話したいことでもあるんじゃないの?」
「いや、話したい話があるわけじゃないが、話せといわれたら、話す話がないでもない」
そんな目眩がするような前置きをして、黒住は仕事で怒られた話を始めた。
「仕事の内容で怒られるってのはさすがにキツいな。
しかも、相手の言うことがいちいちごもっともなんだよ。
もう、ぐうの音も出ないんだよ」
情けないヤツだなあ、といつもならそんな受け答えをしていたところだ。
しかし、タイミングがタイミングである。
ぼくは黒住の愚痴めいた話に
「なるほど、そうか、そうだよな」とさも親身に聞いているような相づちを入れ、
頃合いを見て「実はオレもな」と、納期が遅れて怒られた話を始めた。
普段は黒住だろうが誰だろうが自分の話をするのは好きじゃない。
ましてや愚痴なんて言わない。でも、稀にそんな気分のときもあるのだ。
なのに、ヤツはぼくの話を遮ってこう言った。
「仕事が遅れて怒られるのはいいんだよ。オレはそんなの全然気にならない」
すっかり忘れていた。『Krash japan』をやった5年間、
連載をもたせたがためにどれだけ黒住に原稿を待たされ、気をもんだことか。
やっぱり愚痴なんて言うんじゃなかった。
ちなみに、黒住光は社会人としては疑問符もつくヤツなのだが、
書くものはやけに面白い。

以前、この連載でも報告した銀行からの融資。
担当のシマちゃんには、
「まあ絶対必要ってわけじゃないけどね」と言って借りた200万円が、
きれいさっぱりなくなった。振り込みから3か月ももたなかった。
とくに高価な買い物をしたわけでもなく、普通にマチスタの準備資金と運転資金、
それにアジアンビーハイブの運転資金の一部として消えて行った。
そして、給与やら家賃やら仕入れやら、
5月末の支払いをすべて終えたアジアンビーハイブの現在の口座残高が
6871円(6月11日時点)。
社員を複数抱える会社のそれとしてはまずありえない数字。
でも、経営者として手はうってある。
人生初、ギャラの前借りを敢行していたのである。
その前借りをお願いした先というのが、先に紹介したクライアント。
納品が遅れて怒りを買った会社なのだった。
もともと足の長い仕事なので、
制作途中での一部支払いもやぶさかではないと言われていた。
でも、途中で支払ってもらうタイミングは完全に逸している。
納品が遅れているいま前借りをお願いするのは「史上最悪のタイミング」なのである。
でも、言い出しにくいとか怒られるとか、そんなこと言っている場合じゃないのだ。
ぼくには社員に給与を払って、
アジアンビーハイブとマチスタの両方を継続させていく義務がある。
どう考えても方法はこれしかなかった。
「じゃあこれ、お願いしまーす」
トイレお借りしまーす、みたいな感じでさらりと言った。
冊子の内容の打ち合わせの最後、席を立たんとするときを見計らって請求書を出した。
これ、結構考えた末の作戦だった。
前後がまったく脈絡もないので、
担当者はなにが「じゃあ」なのかよくわからなかったと思うけど、
「ああ、これね……わかりました」と受け取ってくれた。
本当はもう少しだけやりとりがあったのだが、
まあざっくり説明するとそんな感じだ。
こうして何度目かの危機をギリギリ切り抜けることができた。
というか、早く仕事を終わらせろってことなのだけど。

コイケさんには
「会社は大丈夫、余裕があるので心配しないでください」と言ったかと思うと、
翌週には「ヤバいッス、もたないッス」みたいなことを言っていたりする。
そのあたり、経営者としては失格なんだけど、
でも、会社が心もとないなんてことはコイケさんには最初からわかっていることだと思う。
だから、いまはのーちゃんと一緒に
新しいメニューの開発に力を入れてくれているんだと思う。
そして、マチスタとして実はまた新たな展開を考えている。
それがコイケさんによるコーヒー教室だ。
まだまだ企画段階で実現にはかなり距離があるのだが、
この日曜日、試験的にやってみた。
約2時間のクラス、ぼくはかなりいい線いっていたと思っている。
コイケさん、結構向いているのだ。
そのプロト・コーヒー教室の模様は次回に報告します。

マチスタのすぐ隣にあるスーパー「柳川いちば」が5月いっぱいで閉店。重宝していただけに、イタッ! 人通りも少なくなって、イタタッ!

普段、自分のデスクよりも倉庫のテーブルを机代わりにして仕事をしてます。『コロカル』の原稿もこんなところで書いているのでした。

新メニュー試飲会

「野犬のサブ」が「アジアンビーハイブのサブ」になった日。

児島の事務所でサブを飼い始めてちょうど1年になる。
忘れようとしたって忘れられない。
近所に住み着いていた野犬のサブを保健所に連れて行くかここで飼うか、
端的に説明するとそんな選択をつきつけられた。
正直、その展開におおいに理不尽さを感じてはいたんだけど、
表には出すことなくその二者択一を受け入れ、
受け入れたからには「保健所にどうぞ」の選択はなかった。
その夜、餌でおびき寄せ、
事務所の中に足を踏み入れたところで入り口の倉庫のシャッターを下ろした。
瞬間、サブが豹変した。
それまでヨタヨタ歩いている姿しか見たことがなく、
吠えたりうなったりするのも聞いたことがなかった。
そんな老犬のサブがいきなり20歳ぐらい若返って、
白い牙をむき出しにして吠えまくり、狂ったように倉庫の中を走り回った。
まったく手がつけられなかった。
その夜は互いに距離を置いたまま、まんじりともせず、
緊張感をともなった状態で朝を迎えた。
次の日の夜、サブがぼくに腹を見せるようになった。
横になった状態で白い腹をこちらに向け、
ぼくの顔を見ながら合わせた両手を何度も何度も空を掻くようにして上下に振るのだ。
懇願するサブの声が聞こえるようだった。
「頼むから外に出して!」と。
何度めだったか、ついに見ているのが耐えられなくなった。
ぼくはサブの腹の上にのり、首のところに両手をあてがって頭を押さえつけた。
「やめろ、サブ! あきらめてここで暮らせ、面倒みちゃるけん!」
前日の夜からずっと語りかけてきた言葉を強い調子で言って聞かせた。
そんなやりとりが何度かあって、サブはまずぼくへの完全な服従を決めた。
しかし、それからはぼくの姿が見えなくなると、激しく遠吠えを繰り返すようになった。
結局、サブを閉じ込めたあの夜から丸4昼夜。
ぼくはサブにつきっきりで、言葉をかけてなだめたり、
カラダをさすってやったりしながら一緒に過ごした。
戦争みたいな数日間だった。

サブを洗った。最後に洗ったのが昨年の9月だから実に8か月ぶり。
ヒトミちゃんとサトちゃん、
それにこの春から新しくスタッフに加わったニシちゃんの3人の女子に囲まれ、
サブはおとなしかった。
おとなしいどころか、まんざらでもないご様子。
泡だらけになったサブは子犬のようだった。
そんな光景を見ながら、「あのサブがなあ」と1年前のあの数夜を思い出さずにいられない。
そしていつもの考えが頭をよぎる。
サブにとっては、これでよかったのかどうか————。
あの夜サブを遠くに放して、
「逃げられました」と言い張る選択肢がないでもなかったのだ。
餌に困ることはあっても、いまも自由に走り回っているサブと、いまのサブ。
そんなことを考えても仕方ないし、
答えがわからないこともわかってるんだけれど、
それでもいまもよくそんなことを考える。

サブを洗ったその日の夕方、先の女子3人を車に乗せて岡山のマチスタに向かった。
新しいアレンジドリンクの試飲会である。
マチスタにはお休みだったのーちゃんにも出勤してもらい、
アジアンビーハイブのスタッフが初めて顔をそろえることとなった。
最初に飲んだのはコーヒースカッシュ。
開発中のメニューの中でぼくが一番期待していたドリンクである。
期待通りだった。女子の評判がすこぶるいいのもさもありなん。
このメニューがこれまでどこのお店でもなかったのが不思議なぐらいだ。
開発者のコイケさんに聞いた。
「これって、ほかで出してるところはないんですか?」
「実はずいぶん前に大阪で似たようなのが出たというのを聞いて、
飲みに行ったことがあるんです」
「で?」
「全然ダメでした」
その全然ダメだったものを
こうして完成度の高いドリンクとして出してくるのがコイケさん、
そのあたりのセンスは天才的である。
そもそも大阪まで行ったというのが常人じゃない。
目的がストーンズのコンサートじゃなく、スカッシュなわけだし。
ほかにコイケさんのアレンジドリンク数種を試飲した。
どれも言わずもがな、美味い。
結果、コーヒースカッシュは翌日から早速メニューに加えることになり、
その他のドリンクもマチスタスペシャルの「今月のドリンク」として、
期間限定で順次導入していくことが決定した。
さて、お次はのーちゃんの作ったドリンクである。
彼女の新メニューは、のーちゃんらしい健康志向が反映されたものと、
家でよく飲んでいるというアレンジドリンクの2種。
試飲する女子軍のコメントが、
双方ともにコイケさんのときのようにすんなり出てこなかった。
結果はともに「再考の余地あり」。
のーちゃんには優しくない試飲会となってしまったが、
コイケさんとはキャリアも違うんだから当然といえば当然。
しかし、近いうちにのーちゃんが開発したドリンクが
マチスタのメニューとして採用される日も遠くないとぼくは見ている。

さて、梅雨を迎える6月のマチスタ。
自慢のアイスコーヒーとともに、新メニューのコーヒースカッシュ、
是非試してみてください。————って、普通に宣伝してみました。

平均年齢22.6歳の女子に囲まれたハーレム状態のサブ。最初はイヤがっていたが、このあたりになると「あれ、悪くないかも」、うっとりし始めた。

初めてアジアンビーハイブのスタッフが一同に揃う。平均年齢は34.8歳。コイケさんとぼくをのぞくと24.5歳。とくに意味はありませんが算出してみました。

この夏、期間限定メニューで登場すること間違いなしのこのドリンク。みなさん、お楽しみに! ってここでも普通に宣伝してみました。

えがお咲く さんりく春の子どもまつり

子どもたちの笑顔が復興へのちから!

2012年4月22日、岩手県陸前高田市の高田小学校を会場にして
「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」が開催された。
主催したのは隣町である一関市の商工会議所青年部。
彼らは日本人の心のよりどころである桜を復興のシンボルとした
「桜プロジェクト」を立ち上げ、
陸前高田市で苗木の贈呈や植樹祭を開催するなど、復興の手伝いをしてきた。

「昨年のクリスマスは、サンタに扮してすべての保育所を回りました。
子どもたちひとりひとりにプレゼントを手渡ししたらすごく喜ばれたんです。
そこでこれからは、『桜プロジェクト』同様に、
子どもたちの笑顔を咲かせたいと思い、このお祭りを開催しました」
と話すのは、一関商工会議所青年部・復興支援委員長の今野公英さん。

とにかく子どもに楽しんでもらうという目的のお祭り。
ミニ四駆大会、ゲイビマンという地元戦隊モノのショー、
クラウンろっくによるマジック&パントマイムショー、フワフワすべり台など、
子どもたちが釘付けになるコンテンツが盛りだくさん。
実際の桜はこの日はまだ咲いていなかったけど、
いたるところで子どもたちがはしゃぎまわる声が響き渡り、笑顔の花は満開。
それを見ているお父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんにも、
自然と笑顔が咲き誇った。

お祭りとカレーライスでコミュニケーションの場所をつくる。
いま、求められる支援のカタチへ。

一関市、平泉町など、岩手県周辺のスタッフを中心に開催されたこのお祭りだが、
食べ物の提供は東京からのボランティアグループも協力している。
なかでも「カレーライスプロジェクト」は、
震災後すぐに各被災地で炊き出しを行ってきた。
主宰の石部樹未さんと横塚拓也さんは、
音楽フェス出店やケータリングを生業にしている、いわば“炊き出しのプロ”。
初期メンバーは石部さんの「ナイスドリーム」、横塚さんの「クミンソウル」、
さらには周囲のケータリング仲間「キミドリ」と「プライマル」を誘った。
仲間たちと話しあった結果、
誰もが好きでみんなが食べられる日本のソウルフード=カレーを提供しようと、
クミンソウルのカレーを中心にした
「カレーライスプロジェクト」をスタートした。

「もともと自然のなかのフェスに行って、お店をつくっちゃうのが本業だから、
難しいことはそれほどありません。すぐに動けました」(石部さん)
「五徳も炊飯器もプロパンガスも、
何でも持っている僕たちがやらなきゃおかしくないですか?」(横塚さん)
と、震災から一ヶ月後には炊き出しに向かっていた。

「最初は避難場所を中心に回っていました。
一か所行くと、“次はうちに来てよ”とクチコミで次の場所が決まります。
そうやって何箇所か回っているうちに、
こちらのスタッフ側も参加者が増えていきました。
ロケバスのヒットロックスさんが毎回クルマを出してくれるようになりましたし、
立教大学のボランティアチームにも協力してもらえるようになりました」(石部さん)

当初、求められていたのはやはり炊き出し。
2011年の春から夏にかけて多くのカレーを提供した。
しかし震災から1年以上が経ち、物資が回り始めると、
少しずつ支援のカタチも、被災地が求めているものも変化してきた。

「炊き出しなんてもう必要ないのに、なんでやっているのか?
という声もたしかにあります。
しかし、いま必要なのはコミュニケーションだと思っています。
外の人間が現場に行って、現地の人の思いを発散させて、
少しでも気を紛らわせることができる。炊き出しということではなくて、
お祭りで食べるカレーと会話がコミュニケーションの媒体になるのなら、
いつでもどこでもカレーを持って行きます」(横塚さん)

たしかに単純な炊き出しはもう必要ない。
でも、この「えがお咲く さんりく春の子どもまつり」のように
人が集まる場所が必要だ。お隣さんだった人や同じ町内に住んでいた人が、
いま同じ仮設住宅に住んでいるとは限らないし、
市外県外へ引っ越してしまった人もいるだろう。
それらの人が、出会い、コミュニケーションをとる場所を必要としている。
実際に“ひさしぶり〜”なんて手を振りながら、
ひとときの立ち話にふける人たちも多く見受けられた。

「どこかでまたつながりたいですね。数年後に東京で出会ったりしたい。
家は流されても、人のつながりは消えないので」(横塚さん)
と話すように、震災で人の和を断絶してしまうなんてもってのほかで、
むしろ和を広げていくべきだ。

特に陸前高田市は、残っている建物が少ないので、
日常生活のなかで人が集まる場所も少ない。
このお祭りのように人が集まる仕組みが必要だろう。
そこに子どもの笑顔が咲き乱れるのならば最高だ。
子どもたちの元気な姿は、大人たちも元気にさせる。
子どもは、みんなの未来!

熱心にミニ四駆を組み立てる。なかには、子どもより必死になっているお父さんの姿も。

マジックとパントマイムを披露した「クラウンろっく」。子どもふたりによるコミカルな展開が楽しい。

ずっと行列して大人気だったフワフワすべり台。これはどうしても飛び出したくなる!

横塚拓也さん(右)と、石部さんと同じ会社で手伝っている高田篤実さん(左)。

バルーンアートを使って目の前で動物をつくってプレゼントしていた天才劇団バカバッカに所属する松原大輔さん。

星野佳路さん

星野リゾート・星野佳路さんは、
どう「日本の観光をヤバくする」のか?

アメリカの旅行情報専門誌、コンデナスト・トラベラー誌が
2012年の優れたホテルに贈る「HOT LIST 2012」。
この権威あるアワードに「星のや 京都」が選出された。
「星のや 京都」がエントリーされたのは「8 Favorite Hot List Hotels」という部門で、
「宿泊したエディターに“帰りたくない”と思わせた」ホテルに贈られるアワードだ。
世界中のセレブ垂涎のホテルと並ぶ日本の旅館。

その旅館を手がけたのは、「星のや」・「界」・「リゾナーレ」ブランドで、
全国28か所にホテルや旅館を展開する、星野リゾート社長の星野佳路さんだ。
地域の潜在力を信じ、既存のビジネスの枠組みを守りながらも新規拡大を続ける星野さんは、
観光庁が認定する「観光カリスマ」にも選ばれ、
日本の観光産業振興の鍵を握る経営者として注目されている。

その星野さんの目に、今の日本の観光はどう映っているのだろうか。
「日本の観光の良いところは、お客さんの満足度が高いところです。
細やかで繊細な心遣い、ホスピタリティは世界に誇れる観光資源です。
しかし、国内需要が20兆円あると言われているのに、実は生産性が低い。つまり儲からない。
ここが日本の観光産業の弱みと言って良いでしょう。
そこには構造的な課題があります。

ひとつめは、日本特有の休暇スタイル。
365日のうち、土日・ゴールデンウィーク・夏休み冬休みなどの
長期休暇の期間を足した100日しかホテル・旅館が稼働をしていないところが多いのです。
そのため、265日間は暇ができてしまう。
逆に100日間にお客さんは殺到するが、宿泊する部屋が足りず、断らざるを得なくなるため、
利益率が低くなってしまうのです。

ふたつめは、国内交通費が高いこと。
新幹線で東京から1時間で軽井沢に着くことができますが、
1時間あれば飛行機を使って青森や北海道にも行けるはずです。
かかる時間は一緒ですが、交通費は軽井沢だと5千円で行けるのに、
飛行機だと3万円かかりますよね。
結果、東京から遠い地域はどんなに魅力的でも努力をしていても
お客さんが来ないということになってしまいます」

星野さんの問題意識は、ホテルや旅館経営に留まらず、
休日の平準化、地方空港経営といったテーマを、行政に投げかけたりと、日々奮闘が続いている。

「HOT LIST 2012」に選ばれた、「星のや 京都」。選出したエディターからの評価には「ぼうっと夢見心地の気分」とある。こんな夕暮れの風景を見たのかもしれない。

「星のや 軽井沢」のある軽井沢は、星野さんが生まれ育った地でもある。自然との共生をテーマにし、親子で楽しめる「ピッキオ エコツアー」が人気。

“温泉旅館なのに、温泉で勝負しない”?
リゾート運営の達人が手がける、伊東の温泉旅館。

その土地、風土の魅力を引き出し、サービスに導入することも星野さんの哲学。
2012年4月1日に「いづみ荘」から名前を変え、誕生した「界 伊東」の試みも面白い。
戦後から温泉遊技場として栄えた伊東温泉にちなんで、
卓球場や射的場が、大人の社交場として賑わっていたころの風情を残した
「卓球ラウンジ」を設けた。

「旅館に求められるものは、おいしい食事、心地よい宿、温泉、それと、和の文化。
でもそれだと日本全国の旅館はどこも同じになってしまいます。
どこでも、海の幸山の幸を求めるし、いい温泉を求めるのは一緒。
温泉旅館が温泉で勝負していたら他との差別化ができないのです。
そのためにもっと強い地域色を出さないと」

星野リゾートのスタッフは、ホテルや旅館で働きながら、同時に、
その地域の文化を身につけるというミッションを背負っている。
例えば、青森県の「界 津軽」で働くスタッフは津軽三味線を習得し、
京都の「星のや 京都」で働くスタッフは庭師のノウハウを身につける。
“温泉旅館なのに、温泉で勝負しない”とは目から鱗だ。
それ以上に、“地域らしさ”を見出し、それをホスピタリティに換えて提供しようとする。

温泉と卓球は切っても切れない高相性。「今後卓球専用の部屋をつくりたいですね」(星野さん)

大切なのは目先の利益ではなく、長期的な集客プラン。

開発・流行・衰退を急ピッチで駆け抜けた国内のリゾートの例は枚挙にいとまがない。
「集客を昨年比何%プラスか、という目先のことで考えていくと、
ルールなき地域開発という罠に陥り、結果廃れてしまうということがあまりにも多いと思います。

私が考える“観光”とは、50年100年で集客を最大にするという
長期的な集客プランを実現するために、今なにをすべきかということ。
観光開発とはいかに地域ブランドのイメージを長く守るかだと思うんです。
そのためにはぜったいに観光開発のルールづくりが必要」

そんな観光のあり方を訴え続けていた星野さんのもとに、ある相談が持ちかけられる。
それは「島に土地を取り戻したい」という沖縄県竹富島からの相談だった。

「島には“竹富島憲章”という、島の憲法のようなものがあります。
『売らない』『汚さない』『乱さない』『壊さない』『生かす』。
島の人々はこれを何十年何百年と守り、暮らしてきた。
しかし戦後、アメリカから領土返還されるときに、一部の土地が本土企業に買収され、
近年、外資系ファンドが所有したり、転売するという動きになってきた。
これをどうにかしないとということで、
借金を返しながら土地を買い戻し、生かし、守っていく、
“竹富島方式”という計画を提案しました」

これはまず、竹富土地保有機構という会社をつくり、ここが土地を買い戻す。
ホテルはこの土地を借りるかたちで地代を払い、
それで借入金をなくしていくというシステム。
完済すれば、土地は島のものになる。

2005年に初めて訪れたときから、
持続可能性を持つ観光地として竹富島に注目していた星野さんが、
島のルールを守りながらも観光事業を通じて
この問題を解決できないだろうか、と考えた方式だった。

「島の文化や景観や生活様式を経済よりも優先的に守ろうとしてきたことで、
人口減少・経済的な衰退を招いてしまったのですが、
それでも大衆化せずに、竹富島だけは今ある島の文化を頑ななまでに守っていて、
そして島民たちは、これからも文化を“守る”モチベーションがあると感じたのです。
本当に大事なものを壊してまで集客しようという人たちではない。
ですから、持続可能な観光のあり方ができそうだと思いました」

だが、当初は島民からの反発もあったという。
「まず、一から島民と話し合うことを求められました。
ひとりひとりの名前を覚えて、婦人会や老人会に行って考えを聞いて。
企業としての信頼を得るために必死でした」

ときには島民と酒を酌み交わし、腹を割って話をした。
結果として、この時間をかけた対話が、
星野リゾート28軒目のリゾート施設である「星のや 竹富島」実現に結びつく。
6月1日にオープンとなった「星のや 竹富島」。
最初に相談を持ちかけられたときから、実に5年半の歳月が経っていた。
竹富島という土地に対する思い入れが強いだけに、星野さんにとっても特別な場所となりそうだ。

6月1日オープンの「星のや 竹富島」。7ヘクタールの敷地内には、48棟の客室が竹富島の伝統的なデザインマニュアルに合わせてつくられている。

この春、島内の話題は、竹富島の小学校に久しぶりに新入生がふたり入学することだったという。そのうちのひとりが、「星のや 竹富島」総支配人の澤田さんのご長男。「現時点での星野リゾート最大の貢献です」(星野さん)

豊富な観光資源、充実した交通インフラ、高いホスピタリティを誇る日本。
だが、実は世界的にみると日本の観光競争力は30位前後と振るわない。
「日本の観光をヤバくする」という星野リゾートのミッションには、
「日本の観光産業を世界のトップクラスへ」という野心もこめられている。

「海外旅行者は年々増え続けていて、年間1700万人もの人が渡航する一方で、
国内旅行は、集客の減少と生産性の低下という問題に突き当たっています。
もっと日本人に日本を旅してほしい。
そして、今までみたことのない日本を発見してほしいですね」

週末のお客さん

東京の友人と過ごした時間。

前にも書いたけど、2004年から2年ほど、
東京と岡山とを行ったり来たりの生活を続けていた。
それから、家賃が払えなくなるという痛すぎる事情で岡山に戻ることになるんだけど、
行ったり来たりを続けていたその2年の間も東京を完全に離れるとは思ってなかった。
さもありなんだ。なにせ人生の大半を東京で過ごしているわけで、
ぼくのほとんどすべてが東京にあった。
バタバタしていたわりにいまでもよく憶えている。
岡山に戻る日の朝、シャワーを浴びていたらふいに涙がぼろぼろ出てきた。
シャワーを出しっ放しにして、しばらく声に出して泣いた。
悔しいとか悲しいとかではなく、ただいろんな思い出がぐるぐる頭のなかを巡っていた。

千客万来の週末だった。土曜日、正午前に携帯が鳴った。
表示を見ると「PAY PHONE」とあった。
日本に来たばかりの外国人から電話をもらったとき、何度かこの表示を見たことがある。
出るといきなり「ヘーイ、ユタカ!」という具合に。
でも、そのときの電話の声はまるっきり日本人だった。
「いまね、マチスタを出たところなんですよ」
結構なサプライズにちょっと得意げであり、同時にちょっと照れもあり。
前々回に紹介した『POPEYE』の「K」こと木下編集長だった
(以降、知り合った頃からの呼び名「番長」でいきますので)。
にわかに信じがたいことだが、番長はいまも携帯電話をもっていない。
持ち歩いていないとかそんなのじゃなく、はなからもっていないのだ。
そのときの電話は、マチスタを出てすぐのところにいまも奇跡的に残っている
公衆電話からだった。
番長は前日にリニューアル第2号を校了し(制作の手を離れたということですね)、
翌朝の飛行機でひとり岡山に飛んできたのだと言う。
それから出勤日で仕事をしていた児島の事務所にやって来て、
とくに何をするでもなく、ただダラダラ過ごした。
お互いの家庭の話をしたり、仕事の話をしたり、
一緒にオープンしたばかりの児島のパン屋さんに行ったり、
サブの散歩をしたり。
昔からそうだった。こうしてあてもなくダラダラと時間を過ごした。
そういえば、闇雲に山手線に乗って「気が向いたところで降りてみるか」なんて
『ぶらり途中下車の旅』みたいなことをやったこともあった。

実は番長が事務所にいる間にもうひとり東京から友人がやって来ている。
『Krash japan』のホームページを全10号に渡ってディレクションしてくれた
ウェブデザイナーのスワキタカトシ。
その日、たまたま倉敷で友人の結婚式があり、
披露宴が終わった後にわざわざ児島の事務所に寄ってくれたのだった。
「ここ何回か、『マチスタ・ラプソディー』の
<いいね!>の1番を押しているのがぼくなんですよ!」
なにやら更新したらすぐにお知らせのようなものが届くよう小細工しているらしい。
相変わらずのIT系アナーキストぶり。アナーキーで義理堅いのがこの男である。
年齢はずいぶん下だけど、いい友達だ。

翌日曜日の朝、番長を車で岡山空港まで送って行った。
空港内にあるサンマルクでコーヒーを飲んでいたとき、
ふと荷物のなかに金色の光るものが目に入った。
見間違えようがない、マチスタのコーヒー豆を入れる専用袋がふたつあった。
出発ゲートでの別れ際、ぼくは言った。
「『POPEYE』は送ってくれなくていいから。買うからな」
番長はただ笑っていた。

日曜日の夕方、またひとり東京からの来客があった。
ライターで編集者の鈴木るみこさん。「原稿って、どうやって書いてるの?」と、
そんな直接的な質問を浴びせたことがあるのは後にも先にも彼女ひとり。
それぐらい神がかり的な文章を書く素晴らしい書き手なんだけど、
普通は誰にも備わっている体内のリズムマシーンのようなものが
壊れている(あるいはない)と思わせるところがあって、
たとえばその日も豊島行きのフェリーの船中で眠ってしまって
豊島に到着したことに気づかず、
港から離れた船をまた港まで戻ってもらった、なんてことをやらかしているのだった。
「『降ります! 止めて!』ってね。そしたらオジさんたち、慌てちゃって」
笑いながらそう言うるみちゃんは恐ろしい。ある種、人類の脅威である。
るみちゃんは豊島美術館の内藤礼の展示を見るひとり旅ツアーに、
マチスタへの来訪を組み込んでくれていた。
彼女とは日曜日の夜に一緒に晩ご飯を食べて、
翌月曜日の朝にマチスタで一緒に朝食を食べた。
ふたりで会うのは実に6年半ぶり。
前日の一晩ぐらいじゃ積もる話は積もったままで、
その日も朝からとりとめもなくお互いに話しつづけた。
結局、マチスタの印象とか、
口にしたコーヒーやベーグルの味にはまったく触れることなく、
彼女は朝10時の新幹線で岡山をあとにしたのだった。

まめに連絡をとりあうような付き合い方をしている友達は皆無だ。
ともすれば何か月とか、るみちゃんみたいに何年も連絡もしないこともある。
でも、だからといって彼らと疎遠になっているという感覚はまったくない。
むしろ、彼らとの関係には安心感のようなものがあって、
大切な部分で「つながっている」という感覚がある。
マチスタを介してそんなことを再認識したこの週末だった。

番長がやってきた土曜日にオープンしたパン屋さん「yuumino(ゆーみの)」。焼きたての食パンを1斤、ふたりで豪快にちぎって食した。うまし!

るみちゃんと最後にふたりで会ったのは6年前、深夜のパリのカフェだった。で、その次がマチスタというわけ。にしてもマチスタには美女が似合います。

いよいよ児島も夏の陽気。アジアンビーハイブではサブが暑苦しそうに階段で昼寝してます。苦しそうに見えるのは顔に支柱が食い込んでいるせいか?

STUDY 固定価格買取制度(FIT)

70以上の国と地域で採用されているFIT制度が、
日本で有効に機能するためには?

自然エネルギーには各種の発電
(太陽光発電、風力発電、地熱発電、水力発電、バイオマス発電など)や、
熱の利用(太陽熱、地熱、バイオマス)が含まれますが、
現在大量に供給されている化石燃料によるエネルギーに比べると、
これまではそのコストは高いと評価され、
国内の各種のエネルギー事業は
補助金や企業や個人の自主的な取り組みにより成り立ってきました。
しかしながら、そのような状況では、
あくまで一部の地域や分野での部分的な普及に留まり、
本格的な自然エネルギーの普及や
大幅な導入コストの低減には結びついていませんでした。
1970年代に米国で始まった
再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT: Feed in Tariffs)が、
欧州を中心に1990年以降本格的に導入され始め、
電力会社が法律に定められた発電種ごとの固定価格で、
20年間程度の長期間、
自然エネルギーにより発電された電力の全量を買取っています。
特にドイツのEEG法(自然エネルギー促進法)は、
このFIT制度に関する法律として、各国での制度導入のモデルとなっています。
2011年初めの時点で、世界中で70以上の国と地域でこのFIT制度を導入しており、
発展途上国を中心にさらに導入する動きが加速しています。
このFIT制度による自然エネルギー市場の拡大により、
風力発電や太陽光発電が欧州各国(ドイツ、スペインなど)や
中国・インドを中心に急速にその導入量を増やしています。
ドイツでは、自然エネルギーによる電気の割合が
2000年のFIT制度開始当初に6%程度だったものが、
2011年には20%に達し、2020年までに35%以上を目指すまでになっています。
一方、日本では2003年から固定枠買取制度(RPS法)がスタートし、
各電力会社が一定量の新エネルギーによる電気を調達することが
義務づけられています。
しかし、設定された電力会社への義務量はとても低く、
日本国内での再生可能エネルギーの本格的な普及にはつながりませんでした。

動きがあったのは2009年。
日本国内でも一部の太陽光発電の余剰電力かつ
非発電事業に対してFIT制度がスタートし、
太陽光発電の年間導入量は2010年度に初めて100万kWを超えました。
さらに、太陽光発電による発電事業用も含め、
発電した「全量」の電気を対象にして、風力・地熱・バイオマス・小水力発電など
実用化されている「全種」の再生可能エネルギーに対して
このFIT制度を広げることが求められていました。
東日本大震災以降のエネルギー政策の見直しにおいて、
自然エネルギーの本格的な普及拡大は重要なテーマとなっています。
自然エネルギーによる発電の本格的な普及拡大を可能とする
全量・全種の固定価格買取(FIT)制度が、2011年8月に国会で成立し、
2012年7月からスタートすることが決まりました。
(正式名称「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」)
しかし、このFIT制度が有効に機能するためには、
適切な買取価格や買取期間などを別途定める必要があり、
第三者機関である「調達価格等算定委員会」で審議が行われています。
さらに、優先接続と呼ばれる送電網への接続義務の徹底や
送電網の整備や各種の自然エネルギーに関する規制の改革なども求められており、
2012年3月には政府による
「エネルギー規制・制度改革アクションプラン」が決まっています。

図:固定価格買取制度(FIT)の仕組み

TOPIC 「御神火温泉」の温泉熱ヒートポンプ

まちの財政的な効果も促す、火山島・大島の新しい試みとは。

東京都の伊豆大島では、温泉熱を利用したヒートポンプが動いています。
大島町の地域エネルギー自給率
(域内の再生可能エネルギー供給量/民生・農林水産業用エネルギー需要量)は
3.97%(2009年度)と高くありませんが、
適用範囲が広い試みですので紹介したいと思います。
三原山を抱く大島は火山島のイメージがありますが、
意外なことに温泉には恵まれていませんでした。
しかし、1986 年の三原山大噴火の影響で、元町地区の井戸の温度が上昇して、
念願の温泉利用ができるようになったのです。
現在は、「元町浜の湯」と「御神火温泉」の2か所が営業しています。
温泉熱ヒートポンプが導入されたのは、
観光協会が運営する温泉施設「御神火温泉」です。
「御神火温泉」では、一時40℃を超えていた源泉温度は、徐々に落ち着き、
現在は33.5℃から34.0℃で推移しています。湧出量は毎分220リットルです。
「御神火温泉」では、従来は灯油を用いて
湯温を入浴に適する43℃程度まで上げていましたが、
2009年から2年間にわたって大島町が東京都の補助金を受け、
2011年4月1日から6台のヒートポンプを導入しました。
補助金総額は1億2600万円で、補助率は10分の10です。
なお、内訳にはヒートポンプ装置代以外の事業費も若干含まれています。
このヒートポンプは、入浴後のお湯から熱を回収するもので、
回収された熱は、入浴用の温泉の温度を上げることと、
炊事などに使用するため水道水の温度を上げることに使われています。
加熱能力は229.8kW、給湯能力は268.2kWとなっています。
導入後、一切灯油は使っていません。
ヒートポンプの指定管理者である観光協会の岡村さんのお話では、
ほぼ1年間運用して、
削減された灯油購入費とヒートポンプを回すために増加した電気代を総合すると、
およそ3分の1の経費削減となったということです。
光熱水料ベースでは、22%の削減になっています。
これにより、年間で約200トン(東京都80世帯分)の
二酸化炭素排出削減につながるということです。
今後、灯油価格が上昇することを考えると、
その財政的な効果はさらに大きくなると考えられます。
岡村さんによると、新しい試みなので、
これまでさまざまな試行錯誤を繰り返して運用を継続しているということでした。
たとえば、バルブの目詰まりが起こって交換することになったり、
冬になるとどうしても能力が不足するので、設定を調整したりしています。
また、灯油の場合は短時間で湯温を上げることができますが、
ヒートポンプの場合は徐々に湯温を高めざるを得ないので、
その対応も必要だったということでした。
「最初からヒートポンプで設計しておけばよいのだけれど」
と、「御神火温泉」の支配人はおっしゃっていました。
源泉温度が34℃と低くても温泉熱ヒートポンプを用いることができます。
全国にはもっと高い源泉温度の温泉がたくさんあります。
これまで無駄に捨てていた熱を、
化石燃料を燃やす代わりに有効に活用することを考える時代になっています。

御神火温泉

温泉熱ヒートポンプ装置

試行錯誤を重ねつつ運用を続けている様子

「東京田植え体験」参加者募集!

RICE475も3度目の米作りがスタートしました。
苗も順調に育っており、田植えももうすぐ。
今年も田植え体験募集です!!

今年はなんと、山本家の土と苗が上京します☆
みなさんと一緒に大都会・東京のど真ん中にミニ田んぼ!? をつくって、
田植えを楽しみたいと思います!

また、みなさんの愛情を田んぼに分けてもらうために、
みなさんのお家で要らなくなった物(洋服、ボロ布、新聞紙、何でもOKです)を
持ち寄っていただき、
田んぼを見守り豊作を願うカカシを作りましょう!

田植え体験以外にも、懇親会では魚沼の食を召し上がっていただいたり、
東京で魚沼を感じてもらえたら嬉しいです☆

そんな折、
なんと衝撃のニュースが飛び込んできました。

生産農家山本の長男ゆうと君(小学一年生)、将来の夢が自衛隊!
みなを守りたいという素晴らしい夢ですが……
えぇ! 農家じゃないのかっ~!
これは、RICE475の未来が危うい!

ということで、今年のRICE475の田植え体験の緊急裏テーマは「6代目覚醒計画」。
みなさんとつくったミニ田んぼを農家山本家6代目ゆうと君に託し、
初めてのお米作りにチャレンジしてもらいたいと思います。
まさに、農家英才教育!
パパは果たして息子に農業の魅力を伝えることが出来るのか?
ゆうと君の初稲作は成功するのか??
みなさん、一緒に未来の農家を育てましょう!

■ 場所  都内某所
■ 期日  6月3日(日)
■ 参加費 15,750円 (昼食、プログラム体験、お土産、親睦会費用)
■ 締切  定員に達し次第締切り 定員70名
■ 行程
11:00 集合
11:30 オリエンテーション&ランチ
13:00 ミニ田んぼ作り、田植え体験
14:00 カカシ作り
15:00 片づけ
15:30 中締め
16:00 親睦会スタート
18:00 終了 解散

■ 申し込み方法
下の応募ボタンからメールでお送りください。
件名を「RICE475農業体験」で、
お名前、ご住所、お電話番号、同伴者がいらっしゃる場合は同伴者の方のお名前をご記入の上、
ご応募ください。
受付状況や参加費のお振込先を返信いたします。(定員に達した時点で締め切ります)
また、参加費のお振込みをもちまして、受付完了とし、
受付完了の参加者様に当日の集合場所や持ち物などの詳細をご連絡致します。

みんなで楽しみながら農家や農業の未来を一緒に考えてみませんか?

三歩進んで二歩下がる?

今年のRICE475は、湛水直播栽培に挑戦!

魚沼にもようやく春が訪れました!
冬が長い分、春は本当に気持ちが弾みます☆
豪雪地域の魚沼は新潟県の中でも田植えの時期が遅く、
5月の中旬から末にかけてピークを迎えます。

冬に降り積もった雪は、山々のミネラルを含んだ豊かな雪解け水となって、
ごんごんと田んぼへ流れこみます。
夏でも冷たく清らかな水が土壌の温度上昇を抑えて、
根に活力を与えながら、稲の健やかな成長を促すそうです。
また、冬の間は雪の下で日光を遮られ、土が休まるそうです。
稲作においても雪は恵みなのです。

さてさて、
RICE475も田植えが始まりました!
前回のRICE475レターでも書きましたが、
今回は湛水直播(たんすいちょくは)栽培という、
田んぼに直接種をまくスタイルの田植えにも挑戦します!

一般的な苗を移植するスタイルの田植えよりも、
・ 省力化
・ 生産コストの低減
・ 気候条件に対応しやすい
・ 品質向上(一部地域調べ)
・ 減反率の緩和(直播栽培はまだ新技術の導入時期のため、
収量低下などのリスクが伴うこともあり、減反率が緩和されるのです。)

これらのメリットの反面、
・   稲と雑草が同時に育つため、雑草管理に十分な配慮が必要
・ 浅いとスズメ害や雑草害のリスクが大きく、深いと発芽不良のリスクが大きいため、
初期の水加減が難しい
・   発芽自体も不安定
・ 専用の機械が必要
・ 技術が確立されていない
などのデメリットも無視できず、なかなか浸透していないようです。

そんななか、直播栽培を重点強化している地域もあるようです。
僕の周りで試したことがあるという農家の方はちらほらいらっしゃいますが、
継続されている方は少ないです。
ですが、省力化や低コスト化は日本の農業における大きな課題ですので、
未来の農業を考えるRICE475生産農家山本としても是非やってみたいと。
挑戦する山本の一番の理解者である父と、農機具メーカーの中島さんの協力を得て、
今年挑戦してみることに!

選択した方法は、種子を鉄でコーティングすることでリスクを大きく軽減し、
地力向上にもなるという新しい方法です。

直播栽培の説明を受けた夜、資料を読みあさりながら、
「田んぼから芽が出てくるとか、たまんないなぁ」と、山本。
直接田んぼから芽が出て、稲が育つ姿を純粋に見たい様子。笑
小さな芽が大きな希望に変わるように、頑張ってくれよ!

お恥ずかしながら、新米米屋の僕は去年初めてこの方法を知りました。
ですが、初めて山本に聞いた時から、とても気になっていました。
種を播くという原始的な方法が見直され、
種子を鉄でコーティングするという先進的な技術で効率的に行うというのは、
今の時代にとても大切なことだと思います。
そういうことにどんどんチャレンジして、
次の世代に遺すべきものを探す作業が僕ら世代の役割だと感じています。
無農薬栽培に挑戦した1年目に言われた、
「最近、進んでいる農家が有機栽培を始めてきているけど、
昔はみんな無農薬でつくっていたんだよ。時代が進んでいるのか戻っているのかわからんね」
という山本父の言葉も思い出されます。
先進的な技術を持って自然との共存を考えること、
これは待っていれば大手企業が
画期的な技術開発をどんどん進めてくれるかも知しれませんが、
農業に携わったことで、自分自身に何ができるかを考えさせられました。

田んぼの話からはちょっと逸れてしまいましたが、
そんなことを考えながら、越後湯沢の大自然の中でノートPCを開き、
気持ち良く書いてみました。 笑
そのうち、木の葉っぱを頭に乗せて、ドロンと変身出来る時代が来るかもなぁ。

中山下一丁目の奇跡

ビラ配りの効果はいかに……?

「これだけは慣れん、絶対向いてない!」
そう思っていたビラ配りも、
<午前中限定ブレンド割引キャンペーン>のビラ配布の最終日にもなると、
わりと自然にこなせていたと思う(それまでかなり不自然だったわけですが)。
結局、経験者のサトちゃんが言ったようにコツがあるのだ。
ぼくはそれを誰にも教わることなく実践から習得した。

コツその1/
向かってくる集団の先頭に手渡すタイミングをはかっての「おはようございます!」
腹から声を出すことで全身に気合いを入れる。
ぼくの場合に限っては、この儀式をもって傷つきやすい自分と決別する。

コツその2/
相手の手元を見る。
出勤途中の人は必ずどちらかの手に鞄をもっている。
空いている手のほうにカラダを寄せ、
最小限の動きで受け取れるようにビラをさっと差し出す。

コツその3/
手元は見ても顔は見ない。
絶対受け取ってくれなさそうな顔つきや風貌の人が、
「ご苦労さん」みたいな感じで気持ちよく受け取ってくれることがままある。
もちろん、その逆もありなので、はなから相手を選ばない。

コツその4/
ビラ束をバラして用意しておく。
相手が受け取ろうとして手を差し出しているのに、
手が乾燥していて一枚がなかなか手に取れず渡せない。
そんなどんくさいことが実際よくあるので、
上の10枚ぐらいはちょっとずらすなどして手に取りやすくしておく。

ビラ配布の最終日、ビラを受け取ってくれた人にかける最後の言葉が自然と変わっていた。
「ありがとうございます!」から「この通りのすぐ先です、よろしくお願いします!」へ。
それまではビラを受け取ってもらうことがゴールだった。
わたし:ビラを配る→相手:受け取る→お互いハッピー、という感じで。
しかし、そうじゃないだろうと。
ビラを受け取った人がマチスタに来店して初めてお互いハッピーだろう、と。
そうして自然に言葉が変わっていたわけであるが、
それによってこの日、小さな奇跡が起こった。
「ビラをもった人がふたり来ましたよ、すぐそこでもらったと言って」
コイケさんがちょっとはずんだ調子でそう言った。
時刻は午前8時半。ビラを受け取った人が、そのまま直接店を訪れてくれていたのだった。
もちろん、そんなのは初めてのこと。想定すらしていなかった事態である。
「そうですか、ビラを配った甲斐がありました」
そんなクソ面白くもない返答をしながら、ぼくは密かに感動していた。
もう30分以上も配っていたので、切り上げようと思ってマチスタに戻ったんだけど、
ついつい「じゃあ今度はあっちで配ってきます」。
反対方向の十字路に行き、そこでまたさらに30分も粘ることになったのだった。
(ビラ配りの30分はかなり長いです)
そしてその朝、さらにもうひとり、
年配の女性がビラを受け取ったその足で店に来てくれた。
まさにこれ、『中山下一丁目の奇跡』である(中山下はマチスタのある地区の住所です)。
翌金曜日、ブレンド割引キャンペーンの最終日。
午前中にビラを持ったお客さんの駆け込みの来店が相次いだこともあって、
平日の売り上げでは久々に2万円台を超えた。
これは街頭でビラを配ったぼくの功績だけじゃなく、
店頭でビラを手にとってもらえるように工夫してくれていたコイケさんとのーちゃん、
さらにはビラをデザインしてくれたヒトミちゃんのおかげでもある。
我が社アジアンビーハイブが総力をあげて勝ち取った小さな勝利、
その意義は売り上げの額面以上のものがあると経営者は見ている。
つまりぼくということですが。

4月のマチスタの収支が出た。
30日間の売り上げは約50万円(出張マチスタの売り上げをのぞく)。
一日平均1万6800円を売り上げている。
一方の支出は約60万円。出張マチスタでの6万円の売り上げが貢献して、
赤字は5万円あまりだった。
ぼくとしては、「5万円の赤字ですんだ」という見方をしている。
ハードルを上げたのは、ほかでもないこのぼくなのだ。
4月の売り上げにはオープン特需が多分に含まれているので、
5月のそれはいくらかのダウンが不可避である。
それでも、「なんとなくうまく行く」という当初の勘が間違っていたとは思えない。
今回の割引キャンペーンの効果もその楽観的な見方に貢献しているんだけど、
やはりコイケさん、のーちゃん、ヒトミちゃんという
ユニークかつ優秀な我が社の人材のおかげである。
少しずつでも右肩上がりに売り上げを伸ばして行くことができれば、
短期的な赤字はたいしたことじゃない。
経営者としては失格かもしれないけど、そう思えてしまうのだから仕方ない。

そうは言っても、立ち止まることなく、これからも動いていこうと思う。
実際、コイケさんとのーちゃんは、自主的に夏限定の(あるいは定番に?)
オリジナル・ドリンクメニューの開発にあたっている。
それと並行して、コイケさんとは午前中限定サービスの第二弾を企画している。
またこれでビラを作ることになると思うんだけど、
あれだけ苦にしていたビラ配りを今度はどこか心待ちしている自分がいるのだった。

事務所の周辺にたむろしていた野犬に向けてサブを放してみたら、なんと見事に撃退! 近所では「サブちゃん、スゴい!」ということでヒーロー視されています。そのわりにテンションは低め。

最近、ぼくが刺激を受けたものたち

カフェゲバで朝の時間をゆったりと過ごす。

マチスタ・コーヒーがプレオープンした3月20日、
倉敷の美観地区に新しくコーヒー店がオープンしている。
京都の焙煎家オオヤミノル氏の「café Gewa(カフェゲバ)」である。
オオヤさんと初めて会ったのは2008年の11月か12月頃だったと思う。
『Krash japan』のvol.7、カフェ特集を発行した記念に、
岡山に次いで京都でも出張カフェを開いた。
モリカゲシャツのミーティングルームを借りたその一日
店舗でコーヒーを淹れてくれたのがオオヤさんだった。
以降、不思議と縁が続いていて、いまでは友人と言っていいと思う。
そして今回のオオヤさんの倉敷での出店。
「こんな店にしたい」という話は事前に本人から聞いていた。
オオヤさんの頭にあったのはカウンターだけのコーヒースタンド。
さらに、今年になって雑誌の仕事で行ったサンフランシスコのカフェの影響もあって、
早朝から営業すると言う。
なんでも向こうでは出勤する前の1〜2時間をカフェでゆったりと過ごすのだとか。
そのわりにつけた店の名前が「カフェゲバ」。
ミーハーなんだか過激なんだかよくわからないところが、
実にオオヤミノルらしい。まあ、わりとお茶目な人間でもある。

初めて足を運んだのはオープンから2週間ほど経ってから。かなり驚いた。
店内にドンと船を据えたようなレイアウトで、
船の輪郭の部分がカウンターになっている。
厨房はカウンターの内側のすべて。
お客はパフォーマンスを見るかのように、
目の前でコーヒーが淹れられる様子や、
料理が調理される一部始終を間近で目にすることになる。
衝撃的だったのは、本当にカウンターだけで椅子の類が一切ないことだった。
カウンターだけといっても何脚かは用意してあるだろうと高をくくっていたのだった。
針が振り切れるほどのこの不親切さ加減、
やろうと思ってもなかなかできることじゃない(しかも観光地のど真ん中で!)。
雑誌でも広告制作でも同じだ。
相手をおもねって、ついつい親切をやってしまうのが人ってものなのだ。
そのあたり、こともなげに突っ張り通してみせるオオヤミノルはやっぱりただものじゃない。
ちなみにぼくは計5回来ていて、そのうち2回は朝食を食べている。
オオヤさんの言った「ゆったりと過ごす朝の時間」というのはかなり素敵だ。

刺激を受けることが稀なぼくとしては珍しく、
最近おおいに刺激を受けたことがあとふたつある。
ひとつは岡山県立美術館で開催されているベン・シャーンの展覧会。
幼い頃にロシアからニューヨークに移民したユダヤ人で、
絵画だけでなく、絵本や写真、商業デザインなど多岐にわたって活躍したアーティストだ。
各時代でモチーフや表現方法も変わっていくのだが、
亡くなる2、3年前に発表したリルケの『マルテの手記』に寄せた
シンプルな素描のシリーズ『一篇の詩の最初の言葉』に集約されていく。
最後の展示室、『一篇の詩の最初の言葉』の作品群の前では胸がつまった。
彼の人生も一篇の詩が描けるまでに昇華されたのだと思って……。
ベン、最高だ! ぼくは都合4回もこの展示に足を運んだ。

もうひとつが某誌のリニューアル。
親友のKが編集長として手がけた最初の号だ。
Kとは15年ほどの付き合いで、
東京にいる頃、一番長く時間を過ごした友達かもしれない。
かなり高い頻度で、夕方から一緒に映画の試写を見に行って、晩ご飯を食べて、
さらにカフェに行ってという具合に、
地層を形成するかのごとく長年にわたってだらだらと一緒に時間を過ごした。
それだけ一緒にいたのにクリエイティブな話はほとんどしたことがなく、
Kのつくったものに注目するようになったのはぼくが東京を離れてからだった。
わかりやすくいえば、Kが編集を担当したページはカッコよくて自然体。
このふたつは相反する要素になりがちな代物で、
実際、ぼくも含めてみんなが望んでいるんだけど、
手に入った例を見るのは至極稀。
それをセンスのよさと細やかな気遣いでもって、
かなり高いレベルでさらりとやってみせるのがKなのである。
そして彼が某誌の編集長に就任したと聞いた。
これまで手がけていた大人向けの雑誌ではなく、ターゲットは若い男性。
さて、どんな雑誌ができるのかおおいに楽しみにしていたら、
ヤツはこともなげに見せてくれた。
読み手が変わろうが立場が変わろうが、それはやっぱりKのつくったモノだった。
50歳が近いぼくが見ても超カッコよくて、
力の入った感じがほとんどない、まさに自然体。
相当な苦労があったことは想像に難くない。
でも、それをみじんも表に出さず、スーパーな雑誌に仕上げている。
もう、マジに脱帽だ。
あ、この『コロカル』と同じ出版社の手前伏せていたけど、
某誌は『POPEYE』のことです。

たいがいの店が魅力的でないのは、そこにお金儲けの意図しか見受けられず、
店としての意志が感じられないことだと思う。
カフェゲバに行くことで、はからずもぼくはマチスタの意志を再確認した。
マチスタの意志とは、コイケさんの淹れるコーヒーを飲んでもらうこと、
その美味しさをわかってもらうことだ。
そして、ベン・シャーンの展覧会と『POPEYE』のリニューアル号を見て、
背中をたたかれたような気がした。「もっともっと頑張れ!」と。

看板の表示からしてひとクセあります。場所は美観地区にオープンした林源十郎商店内。夜は夜でお酒の場としていい感じです。倉敷市民はラッキーね。

中央にタンカー船があるかのようなユニークなレイアウト。運が良ければ、カウンター内でオオヤさん自らがコーヒーを淹れてくれることもあります。

ベン・シャーン展は5月20日の日曜日まで開催。アートやデザインを志す岡山の若者たち、この週末に足を運ぶべし! 6月3日からは福島県立美術館で開催。

リニューアル第一弾は「シティボーイ特集」。ほとんど禁句だったこのワードを復活させるあたりにもセンスが光ってますな。よくやったぞ!

Rebirth 東北フードプロジェクト

本田さんの考える、東北の“食のブランド再生”とは?

東日本大震災において大きな被害を受けた
東北エリアの食材・食ブランドを応援する「Rebirth 東北フードプロジェクト」。
2011年11月よりスタートしたこのプロジェクトは、
丸の内エリアを中心に店舗を構えるレストランのシェフたちが
食に関する提案と発信を行うために立ち上げた
「丸の内シェフズクラブ」(会長:服部幸應氏)と
東北エリアのシェフたちが連携して新商品やメニューを開発し、
消費活動につなげていくことで、
東北の“食のブランド再生”を目指すべく活動を展開している。
「そもそも震災前にシェフズクラブの人たちと
丸の内で福島フェアをやったことがあったんです。
そのときのメインが相馬漁港の魚だったのですが、
震災の前と後とでは漁港の風景もまったく変わってしまって、
そうした窮状を心配したシェフズクラブの人たちが立ち上がってくれて、
『Rebirth 東北フードプロジェクト』は始まりました」
本田勝之助さんは、このプロジェクトにイベント運営統括として参画。
記念すべき第一回目の取り組みは、
昨年11月14日に「仙台ロイヤルパークホテル」で行われ、
東北エリアの生産者や加工者、食関係者をはじめ、
プロジェクトの趣旨に賛同した一般参加者も含めて
東北の食材を使った食事会を開催したのだった。
「東北エリアのシェフと丸の内シェフズクラブが考案したメニューを
ビュッフェスタイルで提供し、参加者同士が交流することで、
新たな食材のブランド化やメニュー化の可能性を探ろうというイベントです。
さらには、近隣の商業施設を会場にして
丸の内シェフズクラブによる料理セミナーも開催したほか、
施設内のレストランでは東北エリアの食材を活用したメニューを提供するなど、
地産地消の拡がりを広くアピールする場になったと思います」
第2弾は、今年2月に丸の内にて「はらくっつい 宮城食堂」を期間限定オープン。
第1弾で開発したメニューの一部をランチメニューとして提供し、
レシピを公開することで、宮城県食材の首都圏への流通促進や消費活動につなげた。

そして第3弾は、先頃4月16日に仙台ロイヤルパークホテルで開催。
「シェフの絆」をテーマに、1回目より参加している
丸の内シェフズクラブ4名と東北エリア3名のシェフに加えて、
新たに8名の東北エリアシェフが参加し、
宮城県産食材を活かしたメニューの共同開発を行った。
しかも、そこで開発されたメニューは後日レシピを公開し、
プロジェクトパートナーの協力を得て、県内飲食店を中心に展開されるという。
「第1弾はお披露目的な位置付けで、
今回の第3弾で本格的に始動した感じでしょうか。
現地のシェフとのきずなを深めようというのが今回のテーマなので、
東北エリアのシェフと丸の内のシェフがそれぞれパートナーを組み、
交流を図りながら宮城県産食材を活用したご当地メニューを考えてもらいました。
ここで生まれた新メニューは、この場限りではなく、
地元の飲食店でも食べられるようにします。
こういうことはやはり継続性が大事。食を通じた持続的な活動の輪を広げ、
『地産地消』を推進しながら、
地域の皆さんと一緒に食ブランドの再生を目指していくことが目的ですから」
丸の内をはじめとした首都圏エリアと東北エリアのネットワーク作りを積極的に図り、
食を通じたかたちで復興支援活動を推進する「Rebirth 東北フードプロジェクト」。
その活動はこれからも続く。

第一回目の「Rebirth 東北フードプロジェクト」で腕をふるった、「イル ギオットーネ」オーナーシェフの笹島保弘さん。

盛りつけも料理のうち。美しく盛りつけされた色とりどりの料理が、次々と来場者の前に並ぶ。

宮城県産茄子の山形県高畠ぶどう液のコンポート。

イベントの運営スタッフと打ち合わせる本田さん。この「Rebirth 東北フードプロジェクト」実現に向けて奔走した。