投稿者: 海老原悠
STUDY 自然エネルギー100%シナリオ
長期的なエネルギーのビジョン
大量のエネルギーを消費する現在の社会や経済では、
そのエネルギーのほとんどを
将来は持続不可能な化石燃料(石炭、石油、天然ガス等)に依存しています。
特に日本はその化石燃料のほぼ全てを海外に依存しており、
エネルギー自給率は5%程度に過ぎません。
この化石燃料の削減とエネルギー自給率向上を主な目的に導入されてきた原子力発電も、
安全性や核廃棄物などの問題から大きな見直しを迫られています。
日本では、今まさにエネルギー政策全体の大幅な見直しが求められているのです。
エネルギー消費を抑制し、持続不可能な化石燃料と原子力をできるだけ減らし、
持続可能な自然エネルギーを増やすエネルギー政策が、
世界的にも求められるようになっています。
この持続可能なエネルギー政策を実現する重要な方法として、
エネルギーの消費量を抜本的に減らす省エネルギーと共に
本格的な自然エネルギーの利用があります。
この本格的な自然エネルギーの利用を考える際に重要になるのが、
将来のあるべき姿を考える長期的なエネルギーのビジョンです。
そこで、2050年頃までの長期的なエネルギーのビジョンとして、
さまざまな「自然エネルギー100%シナリオ」が提案されています。
例えば、2011年2月には国際環境NGOであるWWFより
自然エネルギー100%の世界シナリオ
「エネルギー・レポート~2050年までに自然エネルギー100%:
The Energy Report – 100% Renewable Energy by 2050」[1]が発表されました。
この世界シナリオでは、
2050年までに世界のエネルギー需要をすべて自然エネルギーで供給することが
経済的にも技術的にも可能であるという研究の成果が示されています。
日本が自然エネルギー100%へ転換するには、
まず、2020年や2030年など、その中期的な自然エネルギーの導入目標を定める必要があります。
日本では電力について現在およそ10%の自然エネルギー比率(大規模水力発電を含む)ですが、
これからの10年程度で30%以上に高めるという政策的な目標であれば、
実質的に自然エネルギーの導入で先行する欧州各国に匹敵する政策目標となります。
欧州各国では2020年までの自然エネルギー導入目標を定めています。
日本は今後、従来の中央集中型のエネルギーシステムを見直し、
省エネルギーや自然エネルギーを中心とする分散型のエネルギーシステムに転換し、
震災復興の柱とするだけでなく、
電力安定供給・エネルギー自給率・温暖化対策を柱とする
大胆かつ戦略的なエネルギーシフトをめざす必要があります。
環境エネルギー政策研究所(ISEP)が大震災後に発表した
「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」では、
中長期的に自然エネルギーを2020年頃には電力の30%以上とし、
さらに2050年頃までには自然エネルギー100%をめざすことを、提言しています。
電力だけではなく、エネルギーシステム全体を分散型に転換し、
熱利用や輸送燃料を含めたエネルギーの効率的な利用を進めることも重要です。
導入する自然エネルギーの種類としては、
日本国内での豊富な導入ポテンシャルなどを考慮して、
電力ではこれまでご紹介してきた太陽光発電、風力発電、地熱発電、小水力発電、
バイオマス発電などそれぞれの地域の特性に合わせて導入することを想定しています。

中長期的なエネルギーシフト(電力)のイメージ(ISEP,2011)
TOPIC 岐阜県明宝サイト
古民家における再生可能エネルギープロジェクト。
岐阜県では、環境省の委託費を得て、新エネルギーパークの運営事業を進めています。
全国と同じように、岐阜県でも民生用と運輸用部分のエネルギー需要が伸びています。
民生用のエネルギー需要の伸びに対処するため、
岐阜県では、太陽電池、燃料電池、蓄電池からなる
次世代エネルギーインフラを各家庭に導入していくことを計画しています。
岐阜県次世代エネルギー・産業技術推進室の千原さんは、
この三つを「電池三兄弟」を呼んでいました。
千原さんによると、次世代エネルギーインフラは
2030年に岐阜県の半数の30700世帯に入れる計画を立てているということです。
今回紹介する郡上市明宝の古民家サイトでは、
築110年の古民家に、太陽電池、燃料電池、蓄電池の「電池三兄弟」に
まきストーブと小水力発電を組み合わせて導入しています。
郡上市は、2005年の国勢調査の46000人から、2010年には3000人減少しました。
旧明宝村は2000人の人口です。
このまま何もしないと集落の存亡の危機を迎えるのではないかという危機感があり、
古民家の所有者で郡上市の職員でもある置田さんが中心となって、
2009年度から空き屋になっていた古民家を使って「栃尾里人塾」が始められました。
週末に受講生に参加してもらうかたちで、
受講料3800円(食費、宿泊費別、宿泊は雑魚寝なら古民家でただ)
農、森、自然エネルギーの三つのテーマですすめています。
このような活動があったところに、環境省の委託費7000万円が出て、
2011年3月に明宝サイトが完成しました。
今後、10年間の成果測定を県が実施する予定です。
太陽電池は、古民家の屋根ではなく、古民家前の空き地に置かれていました。
古民家の上に載せるには重すぎたということです。
この地区は雪が降るので、雪が落ちるように傾斜角度をつけて置かれていました。
ここに導入されている燃料電池は、ENEOSの試作機で900万円したということです。
エネルギー効率が70%から80%です。
今は、250万円でまだ価格の引き下げが図られていますが、
問題は、システム内部が900度まで上がるため、
常に動かしていることが求められることだということでした。
明宝サイトは需要がすくないため、結果的に過大な設備投資になってしまっていました。
LPガスの消費量が約10倍になってしまい、
この分が地域の負担になっているということでした。
明宝サイトに設置されたリチウムイオン電池10kWも試作機で、
300万円から400万円かかっています。
寿命は鉛蓄電池よりも長くて、約10年ということです。
蓄電池の容量で電力自給率が決まり、今は7割から9割ということでした。
小水力は、公称出力が0.5kWですが、通常の出力は50Wくらいということです。
これに500万円かかっています。
実際に見学すると騒音がかなりありました。
敷地内に入り込んでいる水なので、水利権の問題はなかったということです。
これらを制御するシステムは特注品で2000万円かかっています。
今は、ハウスメーカーがパッケージで650万円で販売しているということです。
千原さんは、栃尾地区は災害時に橋が落ちると孤立する集落なので、
コストはかかるが、避難所へのエネルギー供給としては有効ではないかとおっしゃっていました。
このような集落は、岐阜県の中でも500か所(2010年調べ)強存在するということです。

古民家の前のスペースに置かれた太陽光発電

古民家全景

薪ストーブ用の薪はたくさんあります

古民家の脇に設置された小水力発電
金岡新聞 2012年6月25日 発行
食の宝庫・淡路島では、 夏でもしっかり朝食を! 本白水美帆子さんの朝ごはん。
食の宝庫・淡路島の、夏でもしっかり食べられる朝ごはん。
兵庫県洲本市で「楽久登窯カフェ」を営む、本白水美帆子さん。
美帆子さんが家族につくる朝ごはんは、暑い夏にこそ食べたい朝ごはんだ。
この日食卓にのぼったのは、淡路島五色産のごはん、なすとみょうがのみそ汁、
キスの干物、赤と黄のミニトマト・おくら・キュウリ・大葉のさっぱりサラダ、
自家製ところてん、五色産の海苔、カフェの常連さんからいただいた梅干し。
「旬のものはやっぱりおいしいですよね。積極的に献立に加えています」と美帆子さん。
サラダに使われているミニトマトやキュウリや大葉など
夏野菜の多くは自分の畑からその日収穫したもの。
「採れたての旬の野菜をバランスよく」は、
朝ごはんづくりで美帆子さんが一番気を使っていることだと言う。
夏のみ食卓にあがるキスの干物は、美帆子さんのお母さんのお手製。
「釣ってきたキスを開いて塩をして、夏場は冷蔵庫に入れるだけ。
ほんと簡単にできるんですよ」
簡単に、と美帆子さんは言うが、
日持ちがしないキスを日常的に食卓に登場させるとなると、
やはり海が近いという地の利があってこその一品だ。
中央には、ほんのひとくちだけ添えられたところてん。
これが食卓に涼しげな印象を与える。
このところてんも手づくり。
しかも、ところてんの原料となる「てんぐさ」を、
近隣の海岸でお散歩がてら拾ってくるのだと言う。
「売られているものと違っていっさい臭みがないんです。
それだけ手間をかけて、下処理をしています。
あと、一般的にタレは三杯酢や黒蜜など、甘みを入れると思いますが、
さっぱりと食べるために、砂糖を加えない二杯酢でいただきます」
このところてんは、美帆子さんのお子さんの雪羽ちゃんも大好物。
ほとんどコシがない滑らかな食感で、酢の酸味が心地よい。
しょうがのすり下ろしをちょこんと乗せてかき込めば、
食欲が落ちる暑い季節も乗り越えられそうだ。
美帆子さんの弟で、陶芸家の西村昌晃さんの器も彩りを添える。
手にしっとりとなじむこの器も淡路島の土でできたもの。
そして淡路島の豊かな土壌が育んだ野菜がその器に盛られるので、
器と料理に一体感があるようだ。
淡路島の恵みが存分に味わえたワンプレート。ごちそうさまでした。
金岡新聞 2012年6月18日 発行
アジアン・コーヒーキャンペーンの全貌
ベトナムとバリのコーヒーで勝負!
久々にして、たぶんこれが最後になるであろう、500円玉貯金の話である。
2年間で20万円に達していたぼくの唯一の貯蓄なわけだが、
残念ながらもうない。しばらく前に使ってしまった。
あれだけこの連載で話題にしておきながら、
なぜにまったく触れなかったかといえば、その崩し方があまりにしょぼかった。
車の重量税5万円がどこをどうつついても都合できなかったのである。
すぐに覚悟は決まった。
「せっかくここまで貯めたのに」とウジウジするのが一番よくないのだ。
ぼくはきっちり10万円分を銀行に持ち込み、そこから重量税を、
さらに最近しつこく催促の電話をかけてくる国民年金も2か月分を支払った。
こうしてぼくの貯蓄の半分が、ウスバカゲロウなみのはかなさで消えていった。
普通の貯金なら、半分の10万円を使ったところで、
残り10万円からまたコツコツ貯めればいいだけの話である。
しかし、これが500円玉貯金の不思議なところで、
お金を使った感慨がないとリセットできないのだ
(もしかしたらぼくの場合だけかもしれません)。
先の税金の支払いに感慨なんてあるわけがない。
胸の内にはえもいわれぬ気持ち悪さがくすぶるだけである。
さて、ここからは「さあ、10万円を鮮やかに使ってみなさい」という話なのだが、
元来物欲に乏しい性質で、欲しいものがスニーカーぐらいしか思い浮かばない。
スニーカーであれば色違いを10足揃えるぐらいの
バカげたお金の使い方が好ましいのだけれど、
そんな豪気なふるまいができる人間でもない。
まさに、そんな折だった。
春に出張マチスタをやった宇野港近くの「駅東創庫」に出かけたときのこと。
そこにある友人の満田夫妻のアトリエ兼ショールームで、
連れ合いのタカコさんが革のライダースジャケットを見つけた。
ぼく以上に物欲のない彼女が、ジャケットに袖を通して鏡に映して見ていた。
一緒に買い物に行っても、ほとんど見ない光景だった。
「それ、いくら?」
彼女はジャケットを一度脱いで値札を見た。
「9万円ぐらい」
決まりだ。
「買うよ」
「ええっ? いいよ、お金ないのに」
「いや、買う。絶対買う!」
売る側の満田さんにまで「お金ないのにいいの?」と心配されながら、
半ば強引に買うことにした。
ぼく以外の人のために使うなんて、そんな選択肢があるとは思いもしなかった。
しかも、これから夏本番を迎えるという時期の革のジャケットって。
報われた、全部報われた。
20万円分の500円玉たちから拍手喝采を浴びたような気分だった。
あえて夏にホットを————。
ホットコーヒーがまったく出なくなったというところから生まれたこの戦略。
口にしてはみたものの、具体的な展開のアイデアはまったくなかった。
アイデアがまったくないまま、とりあえずコイケさんに投げかけてみた。
先週の金曜日のことである。
「アジアの豆でいくってどうですか?」
ぼくには寝耳に水の「アジア」だった。
「アジア、ですか?」
「この間、稲本さん(マチスタの豆を焙煎してくれている焙煎士です)が
もってきてくれたベトナムの豆を飲んでみたら、これが美味しいんですよ。
ベトナムっていうと、まずい豆の代名詞みたいなところなんですけどね」
アジアン・コーヒーのキャンペーンか、悪くない。さすがはコイケさん!
「もうひとつはどこだったかな……」
「インドネシアですか?」
「……わかりません。でも、明日にはもってきてくれるはずですよ」
翌土曜日。お昼頃にマチスタに行くと、
すでにコーヒーのメニューボードの一番上に
「アジアンフェア」と書いたのーちゃんの文字が。
ストロングのところには「ベトナム ソンア」、
ソフトに「バリ島 神山」とあった。
そうか、コイケさんが言ったもうひとつはバリだったのね、って展開が早いな。
言い出しっぺのぼくが取り残されてやしないか?
早速ふたつを飲んでみた。
まずはベトナムのソンア、深みがあって後口もすっきりしている。
コイケさんが言うだけあって実に良いコーヒーだった。
バリ島の神山はほどよく酸味が効いてパンチがある、ぼく好みの味だった。
コーヒーの生産国というと、アフリカや中南米というイメージだけど、
アジアの豆だってまったく遜色ない。
(アジアンフェア、これイケるかも)
早速、今週月曜日からポップの制作に入った。
火曜日か水曜日にはマチスタにアジアなデザインがお目見えする予定。
今週、アジアンフェアの評判がいいようであれば、
いきおいフライヤーを作って、8月早々にもビラ配りしてみるつもりだ。
マチスタの逆襲はアジアから始まる————。
うちの会社名からしてアジアンだしね。

イラストレーターとしてのヒトミちゃんの力量が発揮された今回の「アジアンフェア」のポップ。期間はどれくらいだろう、稲本さんに聞いておかなければ。
金岡新聞 2012年6月4日 発行
金岡新聞 2012年5月28日 発行
避けられない話
「我慢してしのぐ」、夏のマチスタ。
結局、避けられない類の話なのだ。
それを避けて、どうでもいい話というわけでもないんだけど、
周辺の小さなエピソードなんかを書き連ねようとすると、
何を書いても薄っぺらなように思えてきて、書いては消し、書いては消しの繰り返し。
ぼくのまわりの人も、この『マチスタ・ラプソディー』を読んでくれている人も、
みんなうすうす思っているはずなのだ。
つまりは、マチスタはちゃんとやっていけているのか、という話である。
最初の1か月の収支は以前に詳しく報告した。
約5万円の赤字、これが4月の成績だった。
問題はその後だ。税理士の島津さんの産休をいいことに、
5月の経理処理を怠った(島津さん、第二子のご出産おめでとう!)。
さすがに2か月も無視することはできないので、7月に入ってすぐにマチスタに行き、
久しく見なかった出納帳の5月と6月のページをコピーした。
その場ではあえて数字を見ないようにし、帰りの車の中、信号待ちをしている間に、
トートバッグに無造作に突っ込んでいたコピーを初めて手にとった。
ずらりと並んだ売り上げの数字。コイケさんが月の終わりに収支をまとめてくれていた。
そこにあった数字はだいたい予想していた通りだった。
漠然とだけど、売り上げがよくないのは電話で聞いていたのだ。
でも、それは5月の話。6月の売り上げはというと—————。
(なるほど、落ちるときはそこまで落ちるわけだ)
6月の売り上げは4月に比べて30パーセント以上の減。
赤字は20万円に届くかもしれない。
言うほどたいした数字じゃないと思うかもしれないけど、
我が社アジアンビーハイブにとっての20万円は、
トヨタにとっての2000億円に匹敵する数字。手加減抜きのデカさなのである。
出納帳のコピーを持ち帰ったその日、この夏と秋の決まっている仕事を書き出した。
さらに、それに対して支払われるであろう報酬の概算を書き出し、
毎月20万円の赤字にどれだけ耐えられるかを計算してみた。
年中、貧血気味の当社にしては意外や意外、
この秋をなんとかしのげそうだということがわかった。
あれだ、例の納期が大幅に遅れてしまった冊子制作の仕事
(やっと今週に全ページを校了! 結局納期は4か月遅れになりました)。
あの報酬が、半分は前借りでなくなっているとはいえ、
我が社にとっての結構な「恵みの雨」になるのだ。
だったら初志貫徹、即座にそう思った。
「こうしたらいいのでは?」という大小さまざまな改革案が耳に届いているんだけど、
コイケさんの淹れるコーヒーで売る「まちのコーヒースタンド」という
最初のコンセプトを
逸脱するようなことはしたくない。
いまは我慢だ。基本は武田信玄、動かぬこと山のごとし。
ぼくの右脳は、泰然自若として、じっくりとかまえるのが最善手であると判断した次第だ。
7月7日土曜日。
ホットドッグとミートボールサンドに使用するパンの仕上がりの時間に合わせて
「どんぐりコロコロ」に行った。
(まったく異なる2種の天然酵母コッペパンを特注で焼いてもらっています)
パンをピックアップし、その足でマチスタへ。
夕方4時過ぎ。マチスタの前で車を一時停車すると、
店から3人の30代の女性が出てくるのが見えた。
店を出る直前まで楽しそうに話していたようで、3人ともまだ笑顔のままだった。
「マチスタ0メートルだって、可愛いね!」
ひとりが看板を見て笑い、それを合図にでもしたかのように、
3人が携帯電話を取り出して店の写真を撮り始めた。
ぼくは彼女たちが去るのを待って、パンの入った箱を手に店に入った。
カウンターの向こうにはのーちゃんがいた。
声をかけるのも気がひけるぐらい忙しそうだった。
カウンターの反対側には、
テイクアウトのゆず茶シェイクを待っている若い女性がひとり。
もうひとりの男性はテーブルで文庫本を読みながら
テイクアウトのカフェオレができるのを待っていた。
彼らが帰る前に次のお客さんが現れ、
さらに次のお客さんがテイクアウトをオーダーした。
その直後にやって来た、
見たことがないような珍しいデザインの眼鏡をかけた若い男性客は、
焼き菓子を3つほど買い、ホットドッグとアイスのカフェオレをテイクアウトした。
そして、やっと店内からお客さんがひけた。
この1時間近く、のーちゃんはまさに息つく暇もなかった。
「よっ、おつかれさま!」
ぼくが言うと、のーちゃんは顔をほころばせた。
「もうホントに忙しくって!」
長くマチスタに行ってなかったせいもあるんだけど、
久々にのーちゃんの笑顔を見たような気がした。
そして、それはすごく良い笑顔で、本当に輝いて見えた。
それ以上、マチスタにいてなにがあったわけでもないんだけど、
その日ぼくは「我慢してしのぐ」という今後の作戦の基本が間違っていないと感じた。
一時的にお客さんがいっぱい入っていたからというのではないのだ。
なんと言ったらいいか、まあ勘みたいなものだ。
勘だから外れることはままあるが、当たることだってある。

4月からアジアンビーハイブのスタッフとしていろいろと手伝ってくれていたニシちゃんが児島のアパレルメーカーに就職。まっとうな仕事に就けてよかった。でも、ヒトミちゃんとのこんな光景も見られなくなって少し寂しいです。

梅雨にもかかわらず、夏限定のマチスタスペシャル「ゆず茶シェイク」が絶好調! ふたりにひとりはオーダーする人気ぶり。お盆明けには第二弾をスタートさせるべく、新メニューの開発に取り組んでいます。
相沢猛志さん
サーフィンから始まる茨城の海の復興
「波の上に立っている時の他にたとえようのない浮遊感と、波との一体感。
自然の偉大さを感じることができ、自然に癒される瞬間でもあるんです」
サーフィンの魅力をこう語ってくれるのは
茨城県日立市でサーフショップ CLUB-Jのオーナーであり、
県内のサーフショップ、サーフィン関連メーカーなどで構成され、
サーフィンの普及、発展を目的に結成された
「茨城サーフィンユニオン」の会長でもある相沢猛志さん。
16歳の時に、知り合いに誘われて初めてサーフィンを体験した瞬間から、
波と一体となるサーフィンの魅力ににとりつかれてしまった相沢さんは
以後「波に乗ることが一番の目的」となる生活が始まる。
22歳の時には、サーフィン修行のためオーストラリアに渡る。
「まったく英語もできないのに辞書をポケットに入れシドニー空港に到着し途方に暮れていると、
日本人のおじさんが声をかけてくれ、
無事目的地サーファーズパラダイスに行くことができました。
オーストラリアでは、昼はサーフィン、夜はジャパニーズレストランで働く日々でした」
無謀ともいえる行動も、とにかくサーフィンがしたいという強い思いに突き動かされてのこと。
その後も、フィリピンのカタンドアネス島、インドネシアのバリ島にロンボク島、
フィジーのタバルア島、モルジブ、ハワイと、
サーフィン通の人たちに最高の波を味わえる場所として知られる各地を訪れている。

そんな相沢さんも、生まれ故郷であり初めてサーフィンの魅力を教えてくれた
茨城の海には特別な愛着を持っていた。
きれいな海と変化に富んだ海岸線を持ち、輝く茨城の海。
この地で、多くの人にサーフィンの魅力を知ってもらいたいとショップをオープンし
「茨城サーフィンユニオン」の会長としての役職をこなしながら、
サーフィンの普及に力を注いでいる。
「より多くの人にサーフィンの楽しさを知ってもらいたい、という思いがあります。
そしてレベルにかかわらず、サーフィン好きな人が集まるお店にしたいと思います」

しかし、東日本大震災が発生した2011年3月11日から
相沢さんと海を取り巻く状況は一変してしまう。
海に近づく人たちは減少し、海の輝きも失われてしまった。
「もうサーフィンはできないかも」。こんな思いさえ頭に浮かんだという。
だが、茨城の海とサーフィンを愛する
相沢さんと中心とする「茨城サーフィンユニオン」の人たちは、すぐに行動を起こした。
「いま何かをしなければならない。海とサーフィンを愛する我々だからできる何かがあるはずだ」
と、海の復興と被災地救援チャリティーを開催。多くのサーファーから義援金を預かった。
そして、放射線測定器を購入し波打ち際の砂浜の放射線濃度を測定。
ホームページで測定値を公開し、海の安全性を告知している。
東日本大震災から1年以上が過ぎた現在、少しずつではあるが海には人が戻ってきている。
しかし、さまざまな風評によって以前の輝きを完全に取り戻すことはできていない。
「茨城県と大洗町からの要請もあって、7月に
『復興祈念特別大会 元気いばらき! サーフィンフェスティバル in 大洗』を開催します。
この大会を行うことによって、茨城の海のきれいさ、サーファーの元気さをアピールし、
海の復興につなげていこうと思います」
昨年は一部中止となった「茨城サーフィンユニオン」が主催するサーフィン大会も
今年は全シリーズを開催予定。
海の復興という新たな使命感を胸に秘めながら、サーフィン大会の開催にも力が入っている。
「茨城サーフィンユニオン」の会長となって3年。
「これからも、個性の強いサーフショップオーナーさんたちの
いろいろな意見を聞きながら団結していきたいです。
そして、茨城サーフィンユニオン設立当時からの目的である、サーフィンを通じての地域活性化、
自然環境保護と改善、サーフィン選手の育成を進めて行こうと考えています。
また、私たちは8年前からジュニアサーフィンスクールも開催していますが、
第1回目のスクールに参加した生徒が去年プロになりました。さすがにこれはうれしかったです」
相沢さんと「茨城サーフィンユニオン」の海を愛する想いと行動は
一時は輝きを失った茨城の海と人々の心の中に、新たな輝きを取り戻そうとしている。

「フランソア」スローブレッド
金岡新聞 2012年5月21日 発行
ヒトミちゃんのポップ
アジアンビーハイブとマチスタの良い関係。
児島に世界で唯一無二の作家がいる。
ぼくの近しい友人でもあるカワベマサヒロ。
作っているのは主に指輪なのだが、問題はその元となるマテリアル。
彼はステンレスのナットを削って指輪を作っているのである。
しかも機械の類は一切使用しない。
膨大な種類のヤスリを使い、ひたすら手で削って磨いてを繰り返す。
驚くべきはそのクオリティだ。
六角形の内側のねじが切ってある部分は微かにアールがつけられていて、
ステンレスという材質ともあいまって、指に吸いつくようにぴたりとおさまる。
デザインはまこと繊細。
インダストリアルな匂いを意図的に残しているものもあるにはあるが、
多くは曲線(または曲面?)が立体的かつ複雑に組み合わさっている。
しかも彼はそれを図面に描くことはせず、頭のなかで組み立てて具現化する。
そのクリエイティビティたるや、まさに神がかっているとしか言いようがない。
さらに、少ない紙幅を割いても彼の風貌について紹介したい。
頭はスキンヘッド、あごヒゲは常に20センチぐらい伸ばしてある。
この風貌でEXILEみたいなミラーのサングラスをかけ、
30年も前のスズキ・フロンテ(超ミニな軽四です)に乗って
児島のまちをちょろちょろしている。
こうやって客観的に特徴を記すとただの気持ち悪いヤツで、
現にぼくなんかは気持ち悪いと思ったりすることもあるんだけど、
若い女子のウケは最高にいい。まあ、ベースは男前である。
強いて言えば浅野忠信、目つきなんかよく似ているし。
でも、それだけじゃない。針の穴ほどのストライクゾーンしかもたないヒトミちゃんが、
ルックスも含めて「理想の男」とするぐらいだから、相当の“オトコ”なのである。
彼と知り合って、まだ間もない頃だったと思う。
「赤星さん、この間、東京に行ってきました!」
子どものような、嬉しそうな顔でそう言った。
カワベくんはその風貌のわりに基本は子どもっぽい男だったりする。
「ほう、どこに行ったの?」
「はい、東京ディズニーランドに」
「……それ、東京じゃないけん」
ちょうどその頃、逼迫した懐事情により、
東京のマンションを引き払うかどうかを考えていた時期だった。
でも、簡単には決断できなかった。
前にも書いたけど、ぼくの人生の大半が東京にあった。
さらにクリエイターとしては、東京から完全に離れてしまうことに、
漠然としてはいるが大きな不安があった。
正直、表はトンがっていても、
内側は東京に未練たらたらの情けない状況にあったのだった。
まさにそんな折の、この脳天気な「ディズニーランドに行ってきました」報告。
(この男には東京なんてはなからどうでもいいのだ)
そう思うと、それまでの自分が情けないやら気恥ずかしいやらで、
なんだかバカらしくなった。同時に、「赤星さん、裸一貫で勝負できますか?」
とヤツからむき身の刃のように鋭く迫られたようにも感じた。
後から思うとあのときだ、ぼくが本当の意味でローカルから出発したのは。
前に紹介したアレンジドリンク、コーヒースカッシュが好評だ。
さらに、7月1日から新しいメニューが登場した。
定番の「マチスタスペシャル」の夏限定バーション第一弾、ゆず茶シェイクである。
児島で缶詰状態になって久しい経営者のこのぼくが、
自らカメラをもってマチスタに行ったのが6月30日の土曜日
(まだ缶詰状態から抜けきれておりません)。
午前中に写真撮影を終え、昼過ぎには児島に戻ってヒトミちゃんにデータを渡した。
そして夕方にはデザインを上げてA3用紙に出力。
あらかじめ用意していたA3のフレームに入れて、
翌日曜日のお昼前にマチスタに納めた。
まさにミッション・インポッシブルばりのスケジュールをこなしてのポップの納品。
月曜日の今日は、さらにA2サイズのポスターをリデザイン。
今週後半には、店頭にはり出してのポスター展開も目論んでいる。
今回のゆず茶シェイクのポップの制作で、
これがあるべき姿のひとつだと感じた。
つまり、マチスタの母体であるアジアンビーハイブが、
その本業での力を生かして、PR展開に積極的に参加するというものだ。
以前から、ロゴのデザインやら、看板やらシールやらコースターやら、
やることはやっていたのだ。
でも、今回のゆず茶シェイクのPR展開がこれまでと違ったのは、
「どうやったら新商品が売れるか?」を
ヒトミちゃんが主体的に考えたことだった(デザインも100パーセント彼女です)。
どっちかというと、傍観者のような態度もあったヒトミちゃんも、
実はマチスタのスタッフでもあるという意識が、
今後さらに新しい展開をもたらしてくれるかもしれない。
と、都合のいいことを願いながら、
「あともう少しなんよ!」といまだ児島にはりついて叫び続けている今日この頃……。

カワベマサヒロくんの個展は児島・王子が岳のセレクトショップ「ALAPAAP(アラパープ)」にて7月11日から。このポスターデザインはアジアンビーハイブが手がけました。ナットのイラストは、児島のお向かい坂出市在住の山口一郎。

『Krash japan』の企画でカワベくんと一緒に行ったメキシコのタスコ。1週間滞在し、ストリートで実演販売の露店をやりました。その詳細は同誌のvol.9に掲載! 涙なくしては読めませんね。(Web版『Krash japan』でも閲覧可)

カワベくんがメキシコで制作した指輪。1週間の滞在で3個を完成させた。彼のメキシコの印象や、露店を開いた通りの雑踏や石畳が表現されている。上の写真とともに撮影は池田理寛クン。

こちらが新メニュー、夏の限定マチスタスペシャルの「ゆず茶シェイク」。撮影は僭越ながら私。この写真のあがりを見て、「もう写真を辞めたい……」との嘆きが聞こえたとか聞こえなかったとか。
鯨本あつこさん
「島の情報は探しにくい」という気づきから生まれたメディア。
「日本には6852もの島があって、そのうちの約430島が有人島なんです。
こんなに日本に島があるなんて、ですよね。
まだまだ私たちが知らない島も多いんです」
そう話すのは、離島の情報を集めたウェブサイト『リトケイ』こと『離島経済新聞』
と、タブロイド紙『ritokei』の発行人・編集長の鯨本あつこさん。
さぞかし島と縁深いのかと思いきや、意外にも生まれ育ちは大分県の内陸部だそう。
そんな鯨本さんが、なぜ「島」のメディアを?
「 福岡で地方情報誌の編集者、美容学校の非常勤講師、飲食店、
販売などの仕事を経験したのち、
上京して経済誌の広告ディレクターやイラストレーターとして働いていました。
さまざまな職種を経験するうちに、
自分が本当にやりたいことはなんだろう? と考えるようになりました。
スクーリングパッド*1 のデザインコミュニケーション学部に通いだしたのもこの頃です」
デザインや編集を学べると思って通い始めたが、
ここで出会った仲間たちと、広島県の大崎上島に行ったときに、
島人の穏やかな島暮らしに魅了されたのだと言う。
「しかし、大崎上島という島をネットで調べようとしても、情報が出てこない。
それどころか、全国の島の情報を検索するのは意外と難しいということに気づいたのです」
鯨本さんの言葉のとおり、「島」という字は地名だけでなく、
人名にも多く使われる上に、島の名は読みが難しく、正確に検索をかけることが難しい。
それなら、さまざまな島の情報を集めたサイトを自分たちでつくろう。と、
大崎上島へ行ったスクーリングパッドのメンバーとともに『リトケイ』を立ち上げたのが、
2010年の秋。
編集長である鯨本さん自身も取材や執筆を行い、
「島記者」と呼ばれる、全国の離島に住まう7名ほどのライターたちとともに、
ほぼ毎日記事を更新する。
例えば、鯨本さんが執筆した「島人インタビュー」は、島人の口調が反映された文章で、
のんびりとした島の空気も文章にとじ込められているかのよう。
こうして日々アーカイブされていく記事は、島人の話以上の情報量を運んでくれる。
なるほど、「島のことは、リトケイで。」のコピーはダテではない。
*1 廃校となった旧池尻中学校の校舎を再利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」で開催されている学生・社会人向けの学びの場。

『リトケイ』トップページ。未踏の島に想いを馳せるもよし、情報収集して赴くもよし。
今年5月のサイトリニューアルで、いっそう島の情報がみつけやすくなった。

島のかたちはそれぞれ個性的で、有人島435島を並べてみると圧巻。
「離島出身者が自分の島をみつけたときに“うちの島”と呼ぶのですが、それが“うちの実家”と言うのと同じような感覚。本土のひとにはないことですよね」(鯨本さん)
紙とウェブ。ふたつの『リトケイ』がある理由。
いまでこそウェブと紙の二本柱で運営している『リトケイ』だが、
創刊した当初は、ウェブのみで展開していこうと思っていたと言う。
「紙ほどコストがかからないし、
無料で観てもらえるというウェブのメリットは、やはり魅力的。
でも、私たちはひとつひとつ大切なことをインタビューで聞き、
島人たちも真剣に話してくれているのに、
これをウェブという限定的な場だけにとどめておいていいの? と悩みました。
それに、パソコンはビーチには持っていけないし(笑)。
そこで、ウェブの『リトケイ』で公開していた、私たちが知っている島の素敵な情報を、
タブロイド紙『ritokei』で年に4回発行することにしたのです」
ウェブと紙面では、デザインも編集の手順も大きく異なるため、
両方発行すること、継続して情報を提供することはとても根気のいることのように思える。
「手間をかけて出版することで、“こちらも本気でこの情報を届けたいと思っているんだ”
という意思が伝えられればと思っています。
私たちが島々を取材しながら集める情報というのが、
島に住む人、島に興味がある人、
さまざまな人にとって大切な情報であるということを考えながら、
ふたつの『リトケイ』を制作しています」

季刊紙の『ritokei』は現在No.02まで発行されている。全国の書店、港などの売店、飲食店、雑貨店などで販売中。
(定価150円。※ノベルティ付きパッケージ定価300円〜500円)
「島本専用の本棚」を全国の書店へ。
現在、『リトケイ』は“出版社”や“メディア”という枠を越えた新しい試みに着手している。
それが、「島Booksプロジェクト」。
例えば、「料理」に関する本は雑誌も書籍もまとめて「料理本コーナー」に置かれているのに、
「島」に関する本は、雑誌も書籍もバラバラの場所に並べられていることを、
鯨本さんは以前から不思議に思っていた。
「島に関する本って、良質で数も豊富なのに、
“探したいけど探せない” “欲しいけどみつからない”
それに、つくり手としても“つくっても売る場所がない”という状況なんです。
そこで島の本やフリーペーパーが集まる場所を全国につくりたいと思いました」
そこで、クラウドファンディング「Ready For?」で、運営資金の一般募集を始めた。
目標は全国300店舗に島情報の専用本棚を設置すること。
応援してくれる人々の後押しを受けて、
離島に住む人と本島に住む人、
離島に住む人とまた別の離島に住む人、
島国日本に住むすべての島人を「情報」でつなぐべく、鯨本さんは今日も島々を渡り歩く。
STUDY バイオマス
最近では、「ごみ発電」も話題に。
バイオマスとは、生物由来の資源のことですが、その種類は多岐に渡ります。
その多くは植物由来の森林資源の木材や農作物の残渣などですが、
動物由来の畜ふん(牛、豚、鶏など)などもあります。
人類は古くからこのバイオマスをエネルギーとして用いてきました。
例えば森林資源として山から切り出した木材からの薪を利用して、
煮炊きをしたりお風呂を沸かしていました。
このように森林のバイオマスを熱利用する方式は、
薪やチップあるいはペレットを使ったストーブやボイラーとして現在も行われています。
森林のバイオマスを使う発電は、製材工場や製紙工場などで以前から行われていますが、
発生する熱を蒸気として工場内で利用したコジェネレーションが主流になっています。
最近では、生ごみなどのバイオマスを含む廃棄物を焼却処理する場合に、
熱を利用したり発電も行われており、「ごみ発電」と呼ばれて普及が進んでいます。
バイオマス発電の燃料となるバイオマス資源の種類もさまざまです。
森林を起源とする木質バイオマス、食料や畜産系のバイオマス、
建築廃材などの産業廃棄物系バイオマス、生ゴミなどの一般廃棄物系バイオマスなどがあります。
これらのバイオマス資源を直接燃焼、あるいはガス化やメタン発酵させ、
その熱エネルギーにより発電が行われています。
バイオマス発電の2010年度末の国内の累積の発電設備容量は326万kWとなっており、
1990年度比で約6.7倍増加しています。
発電設備の比率では自治体が処理している一般廃棄物発電が54.9%、
産業廃棄物発電が35.6%と合わせて全体の90%以上を占めており、
これまでは大多数がRPS制度の認定設備となっていました。
森林の木質バイオマスを活用した発電はこのうち約8%程度に留まっており、
林業の活性化や国産材の積極的な利用による森林バイオマス資源のカスケード利用が
強く望まれています。
バイオマス発電については、
利用するバイオマス資源の種類に応じてCO2削減効果やその持続可能性についての評価が難しく、
グリーン電力証書やグリーン熱証書の制度、
あるいは今年の7月からスタートする
固定価格買取制度などの関連でもより公正な評価が求められています。

日本国内でのバイオマス発電の導入状況と累積導入量

日本国内でのバイオマス発電の比率内訳(設備容量)
※石炭火力への混焼を除く
TOPIC 天栄村(2)再生可能エネルギーによる地域再生へ
伝統的再生可能エネルギーのその先へ。
村営の風力発電事業によって、風力発電の恩恵を受けてきた天栄村ですが、
一方で地元の意図しない大規模事業の到来という問題にも直面しています。
天栄村西部にある羽鳥湖高原で、
大手エネルギー事業者による大規模ウインドファームの建設が計画されており、
羽鳥湖周辺は温泉宿やペンション、キャンプ場などがあるリゾート地となっていることから、
大規模開発が周辺の自然環境や景観に与える影響が懸念されています。
再生可能エネルギーを利用する大きなメリットのひとつは、
住民自身の手で地域の自然環境からエネルギーをつくり、地域の中で利用していくことで、
地域外からエネルギーを買うために支払っていた経済的な負担を減らせることです。
しかし、地域の外からやってきた資本によってエネルギー利用設備がつくられ、
そのエネルギーも地域外に売却されてしまえば、
そこに住んでいる人たちにはほとんどメリットがありません。
これでは従来の化石燃料や核燃料を使ったエネルギー利用と、何ら変わらなくなってしまいます。
天栄村では、村営風力発電事業で収入を得るだけではなく、
「風の谷・こだまの森のTen-ei構想」を立案し、
村を「自然エネルギーの標本箱」と称して、
多様な再生可能エネルギー利用の可能性を模索してきました。
その中で、NEDOの地熱開発促進調査で掘削されたものの、
発電事業には適さないとされた地熱井の活用のほか、
地中熱、温泉熱などの地熱利用、木質バイオマスなどの
伝統的再生可能エネルギーを使うといった取り組みが進められてきました。
ここまでであれば、同じような事例はいくつもありますが、
天栄村は更に広がりを持った村づくりへと挑んでいます。
それは、EIMY(Energy In My Yard)という概念をもとにした、
「EIMY湯本プロジェクト」の立ち上げです。
このプロジェクトは、地域にある自然エネルギーを最大限に活かそうというものです。
地域にある再生可能エネルギーを探して活用していくことは、
地域の自然や伝統の再発見にもつながります。
水力発電に適した場所には昔も水車が置かれていたり、
バイオマス利用がしやすい山林も、
昔は薪を切り出してくるなど資源利用がされていたりすることが多々あります。
昔のエネルギーの利用技術を再現して、再び今の生活に取り入れたり、
エコツーリズムや環境教育に活用したりすることで、
村内に留まらないインパクトを与えていこうとしています。
今後、国内でも再生可能エネルギーを利用した地域おこしが活発化していくことが予想される中で、
単に発電や熱供給のツールとして見るのではなく、
地域に埋もれていた価値の再発見という意味で、
天栄村の取り組みは先進的なモデルとして注目されます。

鳳坂峠から臨む羽鳥湖
金岡新聞 2012年5月14日 発行
岡山・倉敷・児島
マチスタへ足が遠のいてしまった理由。
遅ればせながら、マチスタとアジアンビーハイブの位置関係を解説しておきたい。
連載も20回を超えて何をいまさらなのだけれど、
たぶん岡山県外の人が読んだら、やれ岡山だ、倉敷だ、児島だと、
地図でも見ないと皆目わからない話なんじゃないかと思う。
やっぱり「だったら早くやっとけ」という話なのだ。
まずはマチスタのある岡山。
岡山県民がこのようにさらっと「岡山」という場合は「岡山市内」を意味している。
(ぼくが十代の頃に「ちょっと岡山に映画を観に行ってくるわ」と言えば
岡山駅前の<岡山70mm岡山グランド>か
岡山表町商店街に数軒あった映画館と相場は決まっていた)
マチスタはその岡山市内、JR岡山駅から徒歩7〜8分の距離にあり、
県庁から歩いてもほぼ同じぐらい。
店名の由来にもなっているようにかなりのまちなかで、
「天満屋」という岡山の老舗百貨店や表町商店街を擁する県内最大の商業圏にある。
東京でいえば銀座みたいなところだ。
一方、我が社アジアンビーハイブのある児島は、
岡山市の西に隣接する倉敷市の南端にある。
岡山駅と四国を結ぶJR瀬戸大橋線の本州最後の駅がこの児島。
岡山から電車だと約20分なのだが、車だと1時間近くかかる。
児島で育ったぼくが言うのもなんけれど、わりといいところだ。
人口は約7万人、田舎にしては大抵のものが手に入るし、
TSUTAYAもあるしユニクロだってある。
なによりぼくが好きなのは海があること。
それに美味しいうどん屋がたくさんある。
マチスタが銀座なら児島は三浦か、金沢八景とか金沢文庫あたりだろうか。
児島に住んでいる人も含めて岡山の人が「倉敷」というと、
JR倉敷駅や「白壁のまち」として知られる美観地区がある倉敷市の中央エリアを指す。
児島も倉敷市の一部に違いないのだけれど、
「倉敷に行かんといけんのよ」みたいなことを児島で日常的に耳にする。
児島が40年前までは児島市であったこと、それに倉敷市が47万人もの人口
(中国地方で3位)を抱えているというのもあるかもしれない。
さて、最後になったが、ぼくが住んでいる早島町だ。
ここは岡山市と倉敷市にぎゅっと挟まれた都窪郡にある人口わずか1万2千人の町。
町と呼ぶと語弊があるかもしれない。
実際、町らしい町はなく、ほとんどが田んぼと宅地だ。
古くはいぐさの産地として全国的に知られた土地で、
いまもいぐさで財を成したお金持ちがたくさん住んでいる。
財政的に恵まれているからか、
これまで岡山市と倉敷市からの合併のオファーを頑に拒んできたと聞いている。
運動会や花火大会、夏の野外ジャズライブ、
それに前に紹介したチューリップ祭りとか町のイベントが実に豊富で、
町民の参加率がやけに高いのも特徴だ。
東京で例えようとしても、こんな町はまったく思い当たらない。
ここのところ、児島とマチスタのある岡山の距離がやけに遠い。
前回に触れた冊子の仕事で児島のオフィスにはりついている状態が1か月半ほど続いている。
なかば缶詰状態で、まったくマチスタに顔を出せていないのだ。
しかし、この状態になる以前に、実はマチスタへの足が遠のきつつあった。
意識的にそうしていたのだ。
なぜかって、理由はこうだ。ぼくは経営者であるからして、店の売り上げが気になる。
売り上げが気になるから、
お店に行くと必ず出納帳に記帳されている売り上げの数字を見る。
でも、あるとき、ふと思った。
(顔を出すたびに出納帳をチェックする経営者って、相当ウザいのでは?)
自問するまでもなく、ウザい。
ぼくがノートを見ている横にはコイケさんかのーちゃんがいるわけで、
彼らにしたら、不快まではいかなくてもいい気持ちはしないはず。
そのあたりの無神経さは、ぼくの場合ままあることで、
人としていたらないところ。もう「すいません」と謝るしかない。
しかしそうは言っても、顔を出すとやはり帳簿を見たくなるのが経営者の性らしく、
しばらく店に出ても帳簿を見ないで我慢することが続いた。
しかし、我慢をするというのはそれだけで不自然なことであり、
そのせいでコイケさんやのーちゃんとの会話も
なんとなくちぐはぐになったように感じて早々と店を去る、
そんなことが何度か続いていたのだ。
結果、マチスタが楽しくなくなってしまった。もう、やりきれないぐらい。
(もうお客じゃないのだからそれも仕方ない)
そんなふうに無理矢理受け入れ、
それで足が遠のいたまま現在の缶詰状態に突入したのだった。
解決の糸口を与えてくれたのはクライン・ダイサム・アーキテクツのふたり、
マーク・ダイサムとアストリッド・クラインだった。
どこで彼らに会ったのか不思議に思うかもしれない。会ってはいない。
会っても相手にしてくれないだろう、まったく見識がないのだから。
テレビで見たのだ、NHKの番組で。
(悩みの解決の糸口をテレビ番組で発見したとはあまりに安っぽいと思うが
事実なのだから認めよう)
ふたりは彼らの設計した建築を紹介しながらこう言った。
「自分たちが楽しめないと、人を楽しませるものはできない」
これ、ぼくが『Krash japan』を作っているときによく言っていた言葉だった。
自分で言っておきながら忘れていた。
そうなのだ、経営者というトップだからこそ、楽しくやらないとダメなのだ。
マークとアストリッドの出番が終わらないうちに、
ぼくはエプロンをして、マチスタで洗い物をしている自分の姿を見た。
オープンしてしばらく一緒に店を手伝っていたあの頃、ぼくは確かに楽しんでいた。
(なにをウジウジしてたんだ、オレは?
今度マチスタに行ったら、一日ホールをやって洗い物をして、
スタッフのひとりとして働くぞ!)
目から鱗が落ちる思いでそう誓った。
以来、マチスタに行きたくってウズウズしているんだけど、
いまだ例の缶詰状態から抜け出せないでいる……。

海があって山がある、それだけで児島は魅力的だ。正面に見える山は龍王山。子どもの頃は水晶を探してよく頂上まで登りました。水晶、なかったなあ。

2週間ほど前に田植えが始まった早島町。夜はうるさいほどにカエルが鳴くんだけど、うるさいと思ったことはなく、むしろ心が落ち着きます。田園生活、快適!
美咲町の朝ごはん。 シンプルに味わう たまごかけごはん。
ごはんとたまごをシンプルに味わうたまごかけごはん。
2005年に行われた「平成の大合併」。
岡山県でも78の市町村が27にまで減り、
新しく生まれた美咲町も、旭町、中央町、柵原町の3つが合併した町だ。
しかし公募によってまったく新しい町名がつけられたので、
そのまちがどんなところか想像させることが難しい。
そこでまちおこしに取り組んだ。
それは新しくもベーシックな朝ごはん、たまごかけごはん。
旧中央町には120万羽のにわとりが毎日100万個のたまごを産んでいる
西日本最大の養鶏場があり、
旧旭町と中央町には日本棚田百選にも選ばれている
大垪和西(おおはがにし)棚田と小山棚田がある。
たまごかけごはんをまちおこしに起用するにあたっての、
最大のヒントとなったのは、たまごかけごはんを日本に広めたのが、
旧旭町出身のジャーナリスト岸田吟香だという説だ。
岸田吟香は、1833年生まれ。
日本で最初の従軍記者を経験、
東京日日新聞主筆となり、新聞界の草分けとして知られている。
こうして3つの町が合併することで、
たまごかけごはんの生まれるストーリーが整ったのだ。
美咲町にある「食堂かめっち。」の黄福(こうふく)定食は、
ごはんとたまご、そしてみそ汁とお新香で300円。
しかもごはんとたまごはおかわり自由。
「1杯食べてもらって、おいしくなかったら1杯だけでいいし、
もしおいしかったらおかわりしてほしい。
何も特別なことはない、ただのたまごかけごはんですから(笑)」と
美咲町役場産業観光課の川島聖史さんは笑う。
“たまごかけごはんに最適なごはん”を選んでいるわけでもないし、
“たまごかけごはん用たまご”を使っているわけでもない。
「美咲町を知ってもらいたいという思いからはじまったもの。
もっと高いお米やたまごなら他にもあると思いますが、
ここではあくまで地元のもの、“美咲町そのもの”を食べてもらいたい」(川島さん)
300円で黄福定食の食券を買って、席に座るころにはもう用意されている。
たまごを割って、混ぜて、ごはんにかける。
日本人なら何十回何百回とやってきた動作が、
なんだかあらたまった儀式のように感じられるから不思議だ。
でもひとくち食べてみると安心の味、いつものたまごかけごはん。
「どうやって食べるといいの? なんて聞かれることも多いですが、
“いつも通り自分流で食べてください”とお答えします」と川島さんは話す。
だから、いつ誰が食べても、おいしい。
使っているお米は、
こしひかり、あきたこまち、きぬひかりと日によって異なる。
たまごも「森のたまご」の赤玉。特別じゃない。
でも地のものだけあって、新鮮そのもの。
「たまごは毎朝届きます。
普通、スーパーマーケットなどでたまごを買う場合、
賞味期限がいつまでかを気にして買いますよね。
でもここではいつ生まれたかを、気にされます。
“え、今日の産みたてじゃないの? おととい産まれたたまごじゃん“という
ぜいたくな状況です。だから二日と置けない(笑)」(川島さん)
たまごのこの上ない新鮮さを知っている常連になると、
たまごを混ぜないで白身と黄身と別に食べるという技もある。
黄身の濃厚さ、白身のプルプル感。たまごのおいしさをより知ることができる。
味付けとしてかけるのは、醤油ベースのたれ。
独自にしそ味、のり味、ねぎ味の3種類を開発した。
それぞれに風味が異なり、飽きさせない。
でも、シンプルに醤油オンリー、もちろんこれも抜群においしい。
たまごを生で食べる習慣は世界的には少ないので、
これからはたまごかけごはんを世界にむけて発信していきたいという。
一見はやりのB級グルメのようであるが、ごはんの国の日本人が、
ごはんをプリミティブかつ最高においしく食べる手段であると考えると、
かなりのA級グルメともいえる。
さらに、まちおこしとしてスタートしたその先には、
観光客のみならず、Uターン人口を増やしたいという。
たまごかけごはんを「食堂かめっち。」で食べて、その足で棚田へ。
かつては風景撮影を目的にしたカメラマンばかりだったのが、
観光の若者があぜ道にいる姿を見かけるようになった。
そして米農家に「たまごかけごはん、おいしかったですよ」と話しかける。
こうした効果で美咲町がすばらしい町と認知され、
Uターンへとつながるかたちが望ましい。
だれもがホッとする日本の朝ごはん代表、たまごかけごはん。
2杯3杯とおかわりするうちに、妙にリラックスして落ち着いてしまう。
だって、いつも通りの家庭のたまごかけごはんなのだから。
《MARE》ブランドに込められた想いとは
地域の豊かな食を伝える商品群をプロデュース。
「古来、日本では客人のことを“まれびと”と呼び、尊ぶ存在でした。
人をもてなす文化と、自然にもてなされているという感謝が日本の食の基盤です。
美味しくて、楽しくて、未来のためになることの真ん中に農業があったら、
それはきっと農家の希望になると私たちは考えています。
日本から世界に、東北から世界に。
ここ日本から、生産者とともにつくる新しい提案が始まります。
エンゲージ(結び)を楽しみながらクリエイトすること。
生む人(生産者)と、活かす人(生活者)を結ぶ。
そんな想いのかけ橋となる日本の食のブランド、それが《MARE》です」
こうした本田さんの想いから生まれた《MARE》は、
本田さんのジャパン・メイドのこだわりがぎっしりと詰まった商品群だ。
「各地域の生産者とともに食に関するさまざまな提案を行い、
それを《MARE》というブランドに集約して展開していきたいと考えています。
つまりは、地方産品のブランディングであり、商品群としての提案です。
1種類の売れる商品をつくるのではなく、
《MARE》ブランドの商品群をつくって売れるコーナーをつくるという発想ですね」
《MARE》ブランドは、次の5つの柱で構成される。





そして《MARE》ブランドの第一弾がこのたび誕生した。
福島県の生産者と、ドミニク・コルビ氏(『ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン』
エグゼクティブ・ディレクター)や、
萩原雅彦氏(カフェ・カンパニー総料理長)、
柿沢安耶氏(『パティスリーポタジエ』オーナーシェフ)などの有名シェフ7名がコラボして、
福島の豊かな食を伝える商品を新たに考案。その数なんと27品目。
「食をファッション化したかったんですよね。
ファッションって今日は何を着ていこうって、ワクワクして選ぶじゃないですか。
それと同じで今日は何を食べようというところから選ぶ。
“カレーにチャツネってどんな感じ?”とか、“シチューにジャムありかも”とか、
一緒に食べる人をイメージしながら、選んでほしいと思います」
この日、中国料理「美虎」のオーナーシェフ、五十嵐美幸氏がプロデュースした
レトルトの「野菜カレー」を試食させてもらった。
5つの柱のうちの「纏」に属するこの「野菜カレー」は、
福島県会津産のトマトとなすがふんだんに使われており、酸味と辛みが絶妙。
このようなかたちで都道府県ごとにどんどん《MARE》ブランドを立ち上げていきたいと
本田さんは語る。
「増えれば増えるほど、消費者にとっても面白くなってきますよね。
“私はコレとコレの組み合わせが好き”とか、
個々人の好みに合わせてセレクトできるわけですから。
楽しみながら、食を豊かにしていく。それが《MARE》で仕掛けたいことなんです」

あまずっぱい味わいの日本酒ベースの微発泡酒「しゅわりん」。アルコールも3度と低めで、ごくごく飲めるのどごしさわやかなお酒。こちらはカフェ・カンパニー総料理長 萩原雅彦氏のプロデュース。
静岡銘菓「こっこ」
金岡新聞 2012年5月7日 発行
コイケさんのコーヒー教室
秋からのコーヒー教室実現に向けて。
コイケさんを形容詞ひと言で表しなさい、という設問があったとする。
「優しい人」という人もいれば、「まめな人」という人もいるだろう。
「話しやすい人」という人いれば、反対に「話しにくい」という人もいるかもしれない。
印象という話なので、当然、十人十色なわけだが、
いろんなことに精通していてその分いろんな顔をもっている人だけに、
印象は本当にバラバラだと思う。
ぼくがコイケさんをひと言で形容するなら、「お洒落な人」だ。
「ファッションに無頓着だけど雰囲気がお洒落」といったような、
よくあるタイプのおしゃれさんとはちょっとが違う。
むしろまったくその逆で、ファッションのことはよく知っているし、
ブランドものも嫌いじゃない
(コムデギャルソンらしきシャツをよく着ていると思います、推測だけど)。
かといって、ただブランドを着こなしているだけの薄っぺらなお洒落でもけっしてない。
セットアップのセンスのよさなのか、
なにを身につけても必ずコイケさんなりの消化があって、
オリジナルな雰囲気に着地させる。
そして、コンサバに落ち着くことなく、結構な冒険もいとわない。
結局、コイケさんという人は、いろんなことを楽しんでいる人なのだ。
そんなコイケさんの生き方も含めて、「お洒落な人」なのである。
その朝、見かけたコイケさんは、これまで見たなかでも一番イカしていた。
コーヒー教室が開かれる日曜日のその朝、
ぼくはちょっと早めにマチスタに来て、
5月で閉店してしまったお隣の「柳川いちば」の写真を撮っていた。
と、通りの向こうからすごいスピードでやってくる1台の自転車に目が釘付けになった。
目を奪われたのは自転車の速度ではなく、変なカタチをしたその男の頭。
でもなくって帽子……テンガロンハットだった。
8年前にテキサス州フォートワースのショップで
「日本人には無理!」の烙印をぼくに押さしめたあのテンガロンハットをかぶり、
岡山のまちなかを颯爽と自転車に乗っている男こそ、コイケさんなのだった。
ぼくは手にもっていたカメラのレンズを向けるのさえ忘れ、
コイケさんのテンガロンハット姿にただただ見とれていた。
コーヒー教室の話が最初に出たとき、コイケさんの態度は積極的とは言いがたかった。
「正解がない世界ですからね、コーヒーって結局その人の好みなんです」
と笑顔で言うコイケさんを、なかばぼくが口説いたカタチで
日曜日のコーヒー教室とあいなった。
といっても、その日は知り合いに声をかけて参加者を集めたプロトタイプのコーヒー教室。
もしもそこである程度の反応を得ることができれば、
秋からの開催を現実的に考えようということになっていた。
集まってくれたのは、アジアンビーハイブのコーヒー担当になりつつあるニシちゃん、
ビッグジョンのNクン、駅東創庫で出張マチスタを手伝ってくれたマドちゃん、
それに大手コーヒーチェーンで働いているUさんの計4名。
「まずは淹れてみてください、はいどうぞ」
コイケさんが言うと、4人が顔を見合わせた。あまりにも唐突な展開。
レクチャーも何もないまま、まずはどうやって家で淹れているか見せてください、と。
でも、戸惑いを見せたのは一瞬だけで、
そこは唯一の男性の参加者、Nクンが「じゃあぼくが」と進んで厨房に入った。
計って小分けにしておいた豆をミルで曳くところからスタートである。
ドリッパーにペーパーを敷き、そこに粉状にした豆を入れる。みんなの視線が注がれるなか、
Nクンはコンロにかかっているポットを使って粉の上に少量お湯を垂らした。
そのまま注ぎ続けるのではなく、つかの間放置して蒸らしの時間をとるあたり、
Nクンも初心者ではないようだ。
Nクンは一定の分量の注ぎで粉の上にお湯を注ぎ始めた。
出来上がったコーヒーは、すぐにコイケさんも含め、みんなで試飲した。
こうして4人全員がコーヒーを淹れ試飲した後、ついにコイケさんが登場。
「じゃあ、次はぼくが淹れてみましょう」
みんながメモとペンを手に、厨房にずいと近づいた。
それまでずっと笑顔で見ていただけのコイケさんが、そこで俄然講師らしくなった。
「粉は中央をスプーンで凹ませ土手を作ります。そこにお湯を注ぐわけですが、
お湯の温度はマチスタでは82℃で淹れています」
さすがはコイケさん、手際がまったく違う。
しかも、飛び交う質問にテキパキと答え、その答えに無駄がない。
ぼくも4人の淹れたコーヒーを飲ませてもらったのだが、それぞれみんな味が違う。
コイケさんの淹れたコーヒーは、当然かもしれないけど、
やはりバランスがピカイチだった。
しっかりとした味のなかに苦みと酸味がうまく釣り合っている。
「お湯の温度が3℃違うと、味も全然違ってきます。
でも、何度が正解というわけじゃないんです。
その人が美味しいと思う味はいろいろです」
その後、同じ豆を使用して、焙煎の度合いを変えた3種の豆を試飲した。
参加者の4人は夢中でコイケさんの淹れる様子を見、メモをとり、
携帯で写真を撮り、質問し、そして次から次へと淹れたてのコーヒーを飲んだ。
正午までの2時間があっという間だった。
参加した4人はみんなとても喜んでくれたようだ。
なにより、傍観者としてときに写真を撮り、
ときに洗い物をしていたぼくが楽しかった。
マチスタを始めてからつくづく思うんだけど、
コーヒーというのは本当に奥が深くて面白い。
ぼくが感じたその面白さを、今回の4人は少なからずわかってくれていた人で、
コーヒー教室という場であらためて実感してくれたんじゃないかと思う。
秋からのコーヒー教室、ぼくはなんとか実現したいと思っている。

カウンターをはさんでコイケさんと受講者の4人。コイケさんはゼミの教授のようでした。そういえば、このシャツのデザインも実にユニークです。

最後にまたひとりずつコーヒーを淹れてクラスは終了。コーヒー教室と化したマチスタにはいつも以上にコーヒーの香りがたちこめていました。