連載
posted:2012.5.8 from:岡山県岡山市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
東京での編集者生活を経て、倉敷市から世界に発信する
伝説のフリーペーパー『Krash japan』編集長をつとめた赤星 豊が、
ひょんなことから岡山市で喫茶店を営むことに!?
カフェ「マチスタ・コーヒー」で始まる、あるローカルビジネスのストーリー。
writer's profile
Yutaka Akahoshi
赤星 豊
あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。
オープンから2週間ほどして、マチスタの入っているビルの大家さんから電話をもらった。
大家さんとは2月の契約のときに一度会ったきりである。
そのときに、普段は横浜に住んでいて、たまに岡山に帰ってくると聞いていた。
「今週岡山に帰るんですが、そのとき一緒に食事でもしませんか?」
一度会ったきりで、顔も思い出せない大家さんと食事……
何か話があるに違いないが、何の話だ?
まったく話の内容を特定できないまま、その週の土曜日に昼食を食べる約束をした。
そして、土曜日までに、ぼくは家賃の話だろうと見当をつけた。
大通りに面しているわりに、マチスタの家賃は良心的なのである。
家賃を1万円上げたいとか、そんな話に違いないと。
契約のときに、「最近、会社を辞めて年金暮らしを始めた」とか言っていた。
みんな老後が不安なのだ。老後の不安を少しでも解消するためには家賃も上げるのだ。
「赤星さん、ひとつ聞かせてもらえますか?」
場所はマチスタからすぐ近くの串揚げ屋。
大家さんの目の前にあるビールの中ジョッキはほぼ空の状態。
何であれ、話を切り出すにはいい頃合いだった。
「はい、なんでしょうか?」
箸を置いてぼくは姿勢を正した。
家賃の値上げを口にした途端、「無理ですから!」と撃ち落とす迎撃態勢だ。
「ご存知のように、コイケさんは飲食を40年もやってこられた方です」
「………?」
「そのプロ中のプロがうまくいかなかった店を、
そのまま赤星さんがやると言う。その勝機はどこにあると考えているんですか?」
どうやら、その質問がその日のメーンイベントのようだった。
面倒な話じゃなくってよかった。
いま思うと、安堵のせいでその後の口が軽くなりすぎた。
「勝機はないですね」
「……ない?」
「はい、ないです」
「そうですか」
「でも、うまくいくような気がしたんです。なんとなくですけど」
大家さんは少し拍子抜けしたようだったが、
2杯目のジョッキが空になる頃にはいい調子になって、
マチスタの開店祝いに新しいエアコンを付けてくれると約束してくれた。
大家さんはいい人だった。
お昼を食べた後は、マチスタに寄ってアールグレイを飲み、
支払いに1000円札を一枚置いて帰って行った。
オープン前なら大家さんへの答えも違った。
午前中のサラリーマンやOLをターゲットにして、テイクアウトで数を稼ぐ。
これがぼくのいわば勝機だった。
しかしそれまでの2週間で、
ぼくの思い描いていた絵図がいかに幼稚だったかを思い知らされていた。
それからしばらく気持ち的に失墜した状態があり、
大家さんとの食事はまさにそんな悪い時期のさなかだった。
その後も午前中のお客の入りは悪い。というか、ホント最悪だ。
それでもぼくの気持ちは安定飛行に戻っている。
初志貫徹、「やっぱり朝で勝負していこう」と気持ちが定まったからだ。
バカと言われようとも、うまくいきそうな気がした当初の勘のようなものを信じてみようと。
というわけで、朝の顧客獲得作戦を長期的かつ積極的に展開しようと思う。
その第一弾として「ブレンド割引キャンペーン」なるものを
連休明けから2週間限定でスタートすることにした。
早速ビラを作って、連休の合間、5月2日に早朝から街頭配布することにした。
ビラ配布がうまくないのは知っているが、今回は強力な助っ人がいる。
「ビラを配るんなら言ってくださいよ、あれ、コツがあるんッスよ」
去年の秋からうちの会社に出入りしている大学生のサトちゃんがそう言った。
彼女はアルバイトでビラ配りの経験があるという。
サトちゃん、なんと頼もしいヤツなんだ。
そして当日。その日は早朝から小雨が降っていた。
それでも強力な助っ人がいるということもあって、朝の6時台から気合いが入りまくり。
朝風呂まで入って準備は万全だった。
と、携帯電話が鳴った。サトちゃんからだった。
「あのお、今日ってないですよね」
コツがあると言っていたときの声のはりがまったくなく、
むしろけだるくからんでくるような口調である。
「え、やらないってこと?」
「はい」
「雨だとビラは配れないの?」
「はい、雨だとビラは配れません」
ふいにはしごを外されたようなこの感じ……。
忘れていた。相手は「うちに来る?」とアジアンビーハイブへの就職の誘いを
「わたし、東京に行きますから」とあっさり断ったあのサトちゃんである。
こうなったら意地でも配ってやる、と意気込んでマチスタに行ってはみたものの、
通りを行く人はみんな傘を持っていて受け取る手が空いていない。
ひとり受け取ってくれないというだけで心が傷つくのだから、
これであの傘の集団に飛び込んで行くのは自殺するに等しい。
結局、窓から通りを眺めるだけで一枚も配ることができずに終わったビラ配布初日。
そして本日、連休明けの5月7日月曜日、二度目のビラ配りを敢行する。
ただいま午前5時27分。これから朝風呂に入って、ひとりでマチスタに乗り込む予定だ。
助っ人なぞいらん! ビラ配りなんぞに絶対負けんけん!
Shop Information
マチスタ・コーヒー
住所 岡山県岡山市北区中山下1-7-1
TEL なし
営業時間 月〜金 8:30 ~ 20:00 土・日 11:00 〜 18:00
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