親が決めた移住に娘は…?
順風満帆というわけにはいかない、
移住した家族のリアル
家族で移住するとき、
子どもの心のケアは
伊豆の下田に移住して半年余りが経った津留崎さん一家。
ここまですべてが順風満帆、というわけにはいかなかったようです。
子どもが新しい土地になじめるようになるには何が大切か、
どんなふうにして新しい環境に慣れていったのか。
妻のフォトグラファー、徹花さんが移住一家のリアルな姿を綴ります。
家族で移住を考えている人、必読の内容です。
一番気がかりだった、娘のこと
ついこの前まで蝉が鳴いていた庭先では、
もう鈴虫の音が聞こえ始めました。
海からの風はひんやりとして清々しく、直売所の棚は新米や栗など、
はじけんばかりの秋の味覚で埋め尽くされています。
初めて下田で過ごす秋です、心が踊ります。

直売所にはいろんなつくり手さんの新米が並んでいるので、それぞれを味わってみるのが楽しみです。ふっくらとして甘みのある炊きたてのご飯、これに勝るものはない! というくらいおいしくて食べ過ぎてしまいます。

庭の木に柿がなり始めました。ひとつ食べてみたら渋柿! 干し柿をつくってみよう。
今回の原稿を読み始めた夫が「なんかヘビーだね……」
という感想を漏らしました。下田に住み始めて半年。
正直、やっぱりいろいろありました。
「順風満帆です!」という内容だけでは移住のリアルは伝わらない。
ようやく少しずつ落ち着いてきたので、
ここ半年の我が家の様子を書こうと思います。

4月に下田に住み始めてから一番気がかりだったのは娘のことです。
我が家は今年のはじめ、三重県の美杉に住み始めました(vol.06参照)。
けれど、東京とはあまりに違いすぎる山奥の環境。
そして、ずっと一緒に暮らしていたいとこたちに会えないことが、
娘にとってあまりにもつらかったのです。
結局、美杉への移住を断念し、いったん東京に戻りました。
その後、東京に週末帰れるくらいの距離であらためて探し始め、
下田に住むことになりました。

三重での出来事があったので、下田で暮らし始めるのも
恐る恐るという感覚でした。
この半年のあいだ「いとこのいる東京に帰りたい」と、
娘が夜中に泣き出すこともありました。
新しい保育園に行くのを嫌がり、玄関先で泣くこともありました。
自分たちが選択したことに娘をつき合わせている、無理をさせている。
娘の泣く姿を見ると申し訳なく思えてきて、移住にさえ疑問がわいてしまう。
「娘に無理をさせてまで下田に住む意味ってあるのだろうか」
不安になるたび、そう夫に詰め寄っていました。
夫はその都度、自分たちの選択は間違っていないとはっきり言いました。
家族で過ごす時間も増えたし、
海で遊んでいる娘もとても楽しそうじゃないか。
この環境が娘の将来にとって良いと信じていると。
そうした夫の意思を確かめることで、
私は自分の中の迷いを払拭してきました。

娘が東京に帰りたいと泣くたびに、夫婦で悩みました。
いまは下田で踏ん張ったほうがいいのか、
それともいったん戻ったほうがいいのか。
東京に戻ってばかりでは、新しい下田の環境に
なかなか馴染むことができないし、
いとこたちと余計に離れづらくなるのではないか。
けれど、「下田は東京とこんなに近いんだよ、いつでも行けるんだよ」
という安心感を持たせることも大切かもしれない、そうも思えました。
それに、あるときふと思ったのです。
どんなに泣いている子どもでも、母親が抱っこして
安心させてあげれば大抵は泣き止みます。
娘の気持ちに寄り添って抱きしめたら、きっといつか泣き止む。
それからは、娘が帰りたいと言ったときには
可能な限り東京に帰るようにしました。
保育園の通園バスを嫌がるときは送り迎えをして、
早く迎えに来てほしいと言えばその通りにしました。
いつか、泣き止んで下田の生活に慣れてくれるはず。
そう夫婦ともに感じていました。

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忘れられない、娘のひと言
日が経つにつれ、娘は徐々に下田での暮らしに慣れていきました。
お互いの家に遊びに行けるような仲のよい友だちができて、
ご近所なので頻繁に行き来するようになりました。
その友だちの存在は、娘の気持ちを安定させた大きな理由だと思います。
最初は緊張気味だった娘も、
いまではその友だちといるときにはとても寛いでいます。
下田に移住してすぐに知り合ったその友だち家族は、
これまでずっと私たちのことを気にかけてくれました。
「いつでも遊びに来て、泊まりに来てね」と優しい声をかけてくれました。
保育園に登園するのを嫌がっている娘を見て、
「朝、迎えに行こうか」とも言ってくれました。
新天地で不安だった私たちにとって、とてもありがたい存在でした。

友だちが初めて泊まりに来てくれた夜、うれしすぎてなかなか寝つけないふたり。

東京で仕事をして下田に戻ると、友だちからこんな紙袋を手渡されました。そうか、下田はもう私にとって帰る場所なんだ、と妙に実感が湧いたのです。そして、友だちの母のような優しさに、じんとしてしまいました。
「下田はお友だちがたくさんいるところなんだよ、楽しいの」
海沿いを散歩しているとき、ふと娘がそんなことを言うので
思わず涙が出そうになりました。
住み慣れた東京の家を離れること、新しい保育園で新たな関係を築くこと、
いとこたちと別々に暮らすこと。
娘にはつらい思いをさせました。そして、いくつもの山を
あの小さい体で踏ん張って越えたのだと思うと愛おしくて。
いつの間にか、東京に帰りたいと泣くこともなくなっていました。
毎朝、保育園の通園バスからも笑顔を見せてくれます。
先日行われた運動会でも、たくさんの友だちと自然に戯れていました。
昨年までは東京の保育園の運動会でも恥ずかしくてもじもじしていた娘が、
堂々と踊りを披露してくれたのです。
その姿を見て、「あ、もう娘は大丈夫なんだ」そうはっきりとわかりました。
そうしたらまた泣けてきてしまって。
ふと横を見ると、園庭にいる娘をしみじみと眺めている夫の背中。
私たち家族にとって、特別心に残る運動会となりました。

運動会の前日、「雨が降りませんように」と娘がつくった「てるてる坊主」。いつの間にか、娘はしっかりと歩んでいたのです。
[ff_assignvar name="nexttext" value="東京と下田、仕事で行ったり来たりしながら"]
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最近になって私も
仕事に本腰を入れられるようになりました。
移住した当初は娘と一緒にいることを優先して、仕事をセーブしていました。
その後、娘が少し慣れてきたかな? という頃に数日東京へ出たのですが、
下田に残っていた娘が保育園に行きたくないと号泣。
せっかく慣れてきたところだったのに、
引っ越してきた当初に逆戻りの状態になってしまったのです。
やはり母親と離れることで不安になってしまうのだ、
そうはっきりわかりました。
それからは、東京滞在のときには娘の気分転換も含めて
一緒に連れていったり、あとから夫と娘に合流してもらったりして
なるべく娘と離れないようにしました。
その後、娘の様子を見ながら独行する機会を増やしていき、
次第に娘も慣れていきました。
最近では3日くらい東京でまとめて仕事をすることもあります。
私がいないあいだ、夫は娘を楽しませようと精一杯頑張ってくれています。
先日も3日ほど東京で仕事をして帰宅すると、
娘がおちゃらけた笑顔で出迎えてくれたので安心しました。
そして、先ほどの友人家族も夫と娘のことを気にかけてくれて、
夕食に誘ってくれたり。
本当にみんなの支えがあってここまでこれたのだと感じています。

私が不在時の、夫と娘の朝ごはん。飲食店を経営していた夫、料理はお手のもの。土鍋ご飯と味噌汁、愛情たっぷりのごはんを用意してくれます。ありがとう!
話が少しそれてしまいましたが、そんなこんなで東京にも出やすくなり、
月に1、2回程度撮影に出かけています。
それと、最近は下田や伊豆で撮影する機会にも恵まれています。
移住したからにはその土地での仕事もしていきたい! と願っていたので、
初めて声をかけてもらったときにはうれしくてうれしくて、
すぐ夫に報告しました。
いままでつき合いのある東京の出版社から声をかけてもらうこともあれば、
新たな出会いがきっかけで初めてお仕事させていただく方も。
東京と下田、両方を行ったり来たりしながら
自分の仕事も続けていけたらと思っています。

下田にある飲食店〈TableTOMATO〉にて撮影。娘と夫も同行するという東京ではあり得なかった働くかたち。群れで動くようなこうした働き方が私にとっては居心地がよくしっくりきます。娘も自分のカメラを持ち出してお料理撮影。

上記撮影内容は、雑誌『ソトコト』11月号に掲載されています。店主の山田真由美さんやお料理ほか、我が家も店に集まる客として出演しております。
下田に住み始めて半年経ったいま。
家族みんなが落ち着き始め、ようやく日常が始まりつつあります。
これから下田での暮らしが始まる、そんな新たな気持ちに包まれています。

夫が毎朝、登園バスの乗り場まで娘を送りに行きます。私はこの海を望む坂の上からお見送り。