富山県高岡市。古くから、商工業都市として発展してきたこのまちは、
独自の工芸技術や祭礼、伝統的建造物がいまなお数多く継承されている。
特に、旧北陸道に沿う〈山町〉は、長く商都としての繁栄を支えてきた。
そんな通称〈山町筋〉で170余年の歴史を刻むのが、老舗菓子屋〈大野屋〉だ。

かつて多くの卸問屋や商店が軒を連ねた土蔵造りの商人町〈山町筋〉の一角にある〈大野屋〉。
店頭に並ぶのは、
高岡に滞在した万葉の歌人・大伴家持の歌にちなんだ代表銘菓〈とこなつ〉や〈田毎〉、
地名に通じる〈山町筋〉など、地元にゆかりのある和菓子。
そのなかでもひときわ目を引く〈高岡ラムネ〉は、
カラフルなパッケージデザインもさることながら、
小さくて緻密で工芸品のような美しさだ。
食べ物とわかっていても、アート作品として飾っておきたくなるほど。
吉祥文様や季節を感じるモチーフも魅力的だ。

和三盆のように小さくて愛らしい〈高岡ラムネ〉。色鮮やかな祝儀袋風のパッケージに包まれている。
考案したのは、9代目である現社長・大野隆一さんの長女、悠さん。
もともと、金沢美術工芸大学を卒業し、
天然素材を使ったアパレルブランド〈ヨーガンレール〉の素材開発など、
生地のデザインに携わっていた。しかし、洋服の素材を追求していくなかで、
全国の織物の産地で培われた着物の技術が現在の服飾に通じていることを知り、
土地ごとに育まれた文化や技術を伝承するものづくりの大切さに気づいたという。
そしてあらためて家業を振り返ったときに、
米や布など商材の集散地としてかつて全国の情報が集まった高岡に根ざし、
昔から素材を大切にしつつ
地域のなかで守られてきたものづくりの文化があると感じたそうだ。

〈高岡ラムネ〉を開発した大野 悠さん。
「例えば、大伴家持が立山連峰を詠んだ歌にちなみ、
名づけられた〈とこなつ〉という和菓子は、
本来、お土産に使われることはないほど希少な備中の白小豆で作った餡を求肥で包み、
徳島の和三盆糖を振りかけたもので、
こだわった菓子作りを信条にしていた先祖が全国の素材を厳選して考案したものです。
このように家業で作っていたお菓子はまさに、
流通が盛んだった地域性と独自の歴史のあるこの高岡で育まれたものだったんです」

〈大野屋〉の看板商品のひとつ〈とこなつ〉。大きい菓子が主流だった時代において、ひと口サイズの菓子は最先端だったと想像できるという。2012年には悠さんが考えたパッケージにリニューアルした。
こう話す悠さんは、もともと家業を継ぐつもりはなかったが、
仕事が休みの日には店を手伝ったり、一部、商品のパッケージデザインも手がけていた。
そこで思いついたのが、店に代々伝わり、
日本の文化が詰まった“菓子木型”を使い、
若者を中心に需要が減りつつある和菓子を盛り上げるような「何か」を作ることだった。
「木型を使ったお菓子は、節句など季節ごとに大切にされ、
ハレの日や仏事のお供え物としても欠かせないものでした。
いまはその文化もだいぶ薄れてきていますが、
新たにはつくれない歴史のなかで育まれてきたものを
次の世代につなげていくことが大切だと感じたときに、
この“菓子木型”を使った新しいお菓子ができないかと考えたんです。
これなら、味の好みや趣味嗜好が変わってきた現代でも
造形的におもしろいものが作れるのではないかと思いました」
菓子木型は本来、落雁に使われることが多いが、
富山県西部や金沢市では昔から〈金華糖〉という和菓子作りにも使われてきた。
これは、鯛や野菜、果物の形をした砂糖菓子で、
主にお祝い事や節句の供え物として飾られることが多く、
現代ではひな祭りに供えられているという。
また、近年になると上生菓子も菓子木型で作られ、
〈大野屋〉では月餅も木型で抜いて作られている。

煮溶かした砂糖を木型に流し込み、食紅で彩色する〈金華糖〉。江戸時代から続く伝統菓子だ。

〈大野屋〉には代々使われてきた約800点もの菓子木型が残っている。
そこで悠さんは、大学時代の同級生で
日本のものづくりのプランニングディレクターである〈EXS Inc.〉の永田宙郷さんに相談し、
誰にとっても懐かしくて食べやすく、
若い人にも手に取って楽しんでもらいやすい「ラムネ」というキーワードを得たという。
「『ラムネ』と聞くと駄菓子のイメージがありますが、
和菓子屋が作るラムネということで、
素材にこだわり安心して食べられて大人も楽しめるものを考えました」
まず、口当たりをよくして素材の香りを生かすために、
一般的にラムネに使う片栗粉やコーンスターチではなく富山県産コシヒカリの米粉を使用。
味つけは、香料を一切使わず、ショウガやイチゴ、
高岡の〈国吉リンゴ〉や氷見産の〈稲積梅〉など、
地元素材を中心に吟味した国産材料を使った。
「ラムネと言っても、若い人たちが楽しめるような現代版の落雁のイメージです」
と悠さんは話す。
しかし、完成までには幾多の苦労があったという。