colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

北海道・岩内町〈石塚水産〉
漁師メシ発、絶品あわびの塩辛。
元バンドマンの販売戦略

青と白の小さな半島、積丹の四季
vol.006

posted:2018.1.19   from:北海道岩内郡岩内町  genre:活性化と創生 / 買い物・お取り寄せ

sponsored by 岩内町、神恵内村、泊村

〈 この連載・企画は… 〉  北海道の南西部に位置し、日本海に囲まれた積丹半島。
まるで南国のようなコバルトブルーの海が広がり、手つかずの自然と、神秘的な風景が残っています。
なぜ、積丹の海はこんなに青いのか? この海とともにどんな暮らしが営まれてきたのか? 
この秘境をめぐるローカルトリップをご案内します。

writer profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer profile

Tada

ただ

写真家。池田晶紀が主宰する写真事務所〈ゆかい〉に所属。神奈川県横須賀市出身。典型的な郊外居住者として、基地のまちの潮風を浴びてすこやかに育つ。最近は自宅にサウナをつくるべく、DIYに奮闘中。いて座のA型。
http://yukaistudio.com/

肝もそのまま! 鮮度が命のあわび製品

積丹半島の秋を感じる海産物といえば、あわびといくら。
岩内町にある〈石塚水産〉でも、秋から冬にかけて、
あわびやいくらの加工品が最盛期を迎える。
特に同社の “あわびの塩辛”は、元は漁師飯から生まれた本場のおいしさ。
その製造過程を見せてもらいながら、
さらに、元バンドマンという経歴をもつ現社長が考えた、
販売戦略についても話は広がった。

まずは、あわびの加工現場を見せてもらった。

「あわびのシーズンは、9月末から12月まで。
一番いいのは11月〜12月頃ですね」と教えてくれたのは代表の石塚貴洋さん。

「いつも岩内町にあるあわび専門業者から仕入れています。今朝入荷したのは、
岩内から少し南に行ったところにあるせたな町のあわびです」

積丹半島周辺のあわびは、日本海側全般に棲息している
「黒あわび」の北方亜種とされる「蝦夷あわび」。
水温が低い地域で育つのであまり大型化しないが、その代わり、
身がギュッと締まって味や風味が濃いという。

石塚水産代表の石塚貴洋さん。

最初にあわびをサイズごとに分けていく。
大きめのものはやわらかさもそのまま味わってもらうために
お刺し身のようにスライスして〈お刺し身あわび〉に加工する。
小さいものは、逆にコリコリした触感を楽しめるので〈あわび塩辛〉に向いている。

まずあわびの殻をスプーンを使ってむく。

塩辛になるあわびは、塩で揉んで汚れなどを取り、水洗いする。
これを数回繰り返す。塩もみの効果ですごくコリコリになるという。
そして昆布とからめて重しを乗せ、
6時間ほど漬ける。すると水も抜けてギュッと締められていく。

塩もみをして汚れやぬめりなどをていねいに取る。

塩辛用はひとくち大に切る。

おいしさの秘密

「あわびはすごく足が早い。手の温度でもすぐにダメになってしまいます。
だから手早く作業しなくてはなりません」

この日作業していたのは石塚さんのお母さんである美雪さんと従業員の2名。
小さい規模ながら、ふたりとも集中していて作業が素早い。
加工場もとてもきれいに整理整頓されている。

「市場からの輸送中にダメになってしまうことがあるくらい、
あわびは温度管理がシビアです。実は夏場でもとれますが、
気温が高いのでとりません。うちくらいの規模だと、
その日のうちに届かないと鮮度が落ちてしまいます。
漁場が近くにあるまちだからできることです」

コンパクトできれいな作業場。

石塚水産の〈あわび塩辛〉の特徴は、肝が入っていること。
積丹地域では、肝のことをウロという。

「あわびのウロを固形状のまま生鮮加工品で使っているのは、
おそらく全国でも当社だけではないでしょうか。ウロがいちばん足が早いんです。
だからウロがそのままプルンと入っているのは鮮度のいい証です」

あわびと昆布を層にして、塩辛の一次漬け。

あわびの塩辛と聞けば、中高年のお酒のアテ?と思うかもしれない。
若者にとって水産加工品は「コンビニで買うかわきもの」くらいの認識しかなく、
まだまだおいしい食べ物としては普及していないことが残念だという。

「こだわりの一品がまだまだ地方にも埋もれていることを知ってほしいですね」

次のページ
漁師の家で生まれた味

Page 2

石塚さん一家は代々漁師の家系だったが、
1991年、先代の石塚英治さんが漁師をやりながら、
いかの沖漬けなどを製造していた。
それが近所で評判になり、〈石塚水産〉を創業。
新しい名産を生み出そうと〈あわび塩辛〉も始めた。
父親のレシピを受け継ぎ、さらに改良が加えられたもの。
北海道の漁師の味といえる。

先代のイカ釣り漁船。

「あわびは足が早いので、かつてから漁師が自宅用に塩辛にしていたんです。
いわゆる漁師飯ですね。特に道南のほうのお客さんからは、『なつかしい』とか
『昔おばあちゃんがつくっていた』という反応をいただきますね」

Uターンし、家業を継ぐ

現代表である貴洋さんが家業を継いだのは2010年。
それまでは漁師になることはなく、札幌の大学に進み、
なんと在学中に組んだバンド〈Gash〉で
メジャーデビューを果たすという異色の経歴の持ち主。

当時、エピックソニーと契約し、大学卒業後に拠点を東京に移す。
その後、活動のフィールドをインディーズに戻しつつも、バンドは順調に活動する。
北海道の大型ロックフェス〈ライジング・サン・ロックフェスティバル〉にも出演した。
バンドは2005年に解散。その後はソロ活動や作詞の仕事をしていた。
そんなときに父親が体調を崩し、実家の仕事を手伝うために岩内に戻ってきた。

いくらの醤油漬けもこの時期に製造する。入荷した見事な生すじこ。かたくなってくる10月下旬以降はつくらないとか。

粒をはずしていく作業は「力を入れているようで入れていない」。

バンドマンの販売戦略とは

「音楽以外の仕事をしたことがなかったので、最初はもちろん見習い状態です。
仕事自体はやりがいがあったし、とにかく切り盛りしなくては、
という気持ちで一杯でした。でも、やってもやってもラチがあかない。
自分の得意なことを生かせていない気がしたんです」

そこで販売方法を見直していくことにした。いろいろな手法を考えていくなかで、
石塚さんが「ピンときた」のは百貨店への催事出店などの「ライブ」だった。

「人前に出て自分で売る『ライブだ!』と思いました。
インディーズバンド時代も自主製作だし、
物販も自分たちでつくって自分たちで売っていました。
そこから収益を得る方法も考えなくてはなりませんでした。
すでに『ただCDを売ればいい』という時代ではなく、
ライブにおけるコミュニケーションなどで魅力を伝えていく必要があったんです。
『何を買うかではなく誰から買うか』というような、
今ビジネスの人が口にしている手段ですよね」

小さなゴミも見逃さない。手作業のなせる技。

「うちのいくらはピカピカだよ」という自信は、ていねいな洗いにあり。

CDが売れないという音楽業界の過渡期をいち早く体験し、
ライブやストーリーマーケティングなどの重要性を感じていた石塚さんにとって、
そこに壁はなかった。

「やるからには、バンド時代に培った持ち味を生かしたい。
人と人とのつながりから生まれる新しいアイデアや発想、
喜びなどを大切にしていきたいです」

そのひとつの取り組みとして〈塩辛と日本酒の会〉も不定期で開催している。
これまでに札幌と東京で合わせて15回ほど催された。
石塚水産の塩辛と、それらに合わせた石塚さんオススメの、
全国にはあまり流通していない北海道地酒を楽しめる会。
twitterの会話から生まれたので、通称“塩辛オフ会”だ。

「一生懸命、工夫してきた商品を目の前で食べて
『すごくおいしい』と喜んでくれる。ただファックスで
発注・受注のやりとりをしているだけでは感じられない肌感覚です。
いいものをつくっているんだなという自信にもつながります。
やはりライブ感が大切だし大好きです」

洗ったいくらは光り輝いている。新鮮なものはこの状態でも甘みがあってしっとりとタマゴっぽい。

次のページ
塩辛づくりから、積丹のまちづくりへ

Page 3

石塚さんが大学進学で札幌に出たころ、岩内にはもっと活気があったという。
十数年経って岩内に戻ると、その活気は失われ、寂れてしまったと感じた。

「かつては漁師町特有のパワーがあったんですが、
それがなくなってしまいました。
戻ってきて2、3年は、人にもあまり会っていませんでした」

しかしちょっとしたきっかけで観光協会を手伝ってから、
徐々にアイデアを出したり、水産業以外の同世代ともつながっていった。
観光協会の理事も務め、今では〈しりべし未来ネットワーク〉での活動や
〈岩宇まちづくり連携協議会〉では広域観光の部会長も担っている。

「外に出て、人と会うことで、この4、5年で
あっという間にネットワークが広がっていきました。するとこの地域にも、
おもしろい活動や考えを持っている仲間がいることがわかってきたんです」

昨年からおとなりの共和町にある〈神仙沼レストハウス〉の管理も始めた。

こうして、本業の水産加工業のほかにも地域での活動が増えてきた。
思えばバンド時代から、なんでも自分でやってみたい性格。

「東京から変なヤツが帰ってきたと思ってもらえればいいですね。
幸いなことに、どの活動も楽しめています」

塩辛においても「売り上げばかり伸ばそうと思っても楽しくない。
お客さんと一緒に楽しめるポイントを共有していきたい」と考えている。

奥さまとふたりで〈神仙沼レストハウス〉を切り盛りしている。

「岩内はまだまだ見えないルールに縛られていることが多いと感じています。
もっと自由に、アチコチとつながってみたり、混ざってみたり、
変わったことをやってみたり。もっとイキイキと、思った通りに生活してほしい」

東京から帰ってきたバンドマンは、まるで塩辛のように、
地方にとってはちょっと刺激的かもしれない。でも実際に食してみれば、
思ったよりまろやか、深みがあっておいしいのでご安心を。

ほかにもつぶ貝塩辛、あわびのウロ塩辛、いか塩辛も展開。

information

map

石塚水産

住所:北海道岩内郡岩内町宮園235-48 

TEL:0135-62-3500

商品の購入はこちらからどうぞ

http://ishizukasuisan.com/

青と白の小さな半島、積丹の四季

Feature  特集記事&おすすめ記事