歩いて楽しむ温泉街を取り戻すために、
旅館の若旦那が覚悟したこととは?
1両編成のローカル線で訪ねる温泉地
山口県を南北に走るJR美祢(みね)線は、
山陽新幹線が停車する厚狭(あさ)駅と長門市駅を結ぶローカル線だ。
車窓には田園風景が続き、
時折、赤い石州瓦の家並みがアクセントのように色を添える。
めざす長門湯本駅へは厚狭駅から1時間ほど。
ロングシートの1両編成に揺れらながら、ゆっくりとした旅時間である。

音信川に面して敷地が広がる大谷山荘
長門湯本駅を間近にして、まず見える大きな旅館が〈大谷山荘〉だ。
明治14(1881)年創業の老舗で、客室数は107室。
敷地内には全18室が露天風呂付きのラグジュアリー旅館〈別邸音信(おとずれ)〉もある。
近年は安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が
「日露首脳会談」を行った宿として話題になった。

2006年に誕生した別邸音信。アプローチやラウンジをはじめ、ゆったりとした空間使いが魅力。
ゆくゆくは大谷山荘の5代目を継ぐ大谷和弘・専務取締役は、
〈長門湯本温泉〉再生プロジェクトの主役と言える人物だ。
1979年、長門湯本生まれ。海外留学と県外での旅館修業を経て20代後半で家業に入った。

作務衣を着こなす大谷和弘さん。一見すると僧侶のような風貌。
大谷さんは映画と読書とお酒が好きで、地元の萩焼を愛し、
茶の湯のこころを大切にする趣味人だ。
「好きなことすべてが、今の仕事につながっているから驚きます」と、
大谷さんは笑う。そうかと思うと、真剣な表情でまちを語り始める。
この、人なつこくも情熱あふれる大谷さんに惹かれて、
長門をリピートする人は多いと思う。もちろん宿のよさがあってのうえだ。
大谷山荘は、旅行新聞社が主催する〈プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選〉で
名を連ねる人気旅館だ。長門湯本温泉のことはあまり知らなくても、
大谷山荘や別邸音信の名を知る人は多い。
温泉街を“ひと時の流行の場”にさせないために
2016年、全国から大谷さんのもとに心配の連絡が寄せられた。
「星野リゾートが長門湯本温泉をリノベーションして、
廃業旅館跡地に旅館を新規開業する」というニュースが流れたからだ。
大谷さんは、当時の気持ちをこう打ち明ける。
「まさか、と思い、混乱しました。
正直に話すと、最初は悲しさと怒りを感じました。
長門市がよそに丸投げしたと思いましたから。
ですが星野リゾートが、旅館開業だけでなくまちづくりにまで関わる内容を知り、
一緒にやっていくしかないと考え直しました。
地域住民の生活の場でもある温泉街が、ひと時の流行に踊らされないように」

左から大谷さん、旅館〈玉仙閣〉の伊藤就一さん、大西倉雄・長門市長、星野リゾート・星野佳路代表。写真は2018年9月6日の長門市での記者発表会。星野代表から〈界 長門〉の詳細が初めてメディアに語られた。
長門湯本温泉には11軒の旅館がある。創業100年以上の老舗も健在だ。
しかし、次世代を担う若手は数少ない。
廃業したり、運営者が代わったりということもあり、
湯本温泉旅館協同組合の青年部メンバーは減っていった。
大谷さんが唯一相談できるのが、6歳上の先輩にあたる伊藤就一さんだった。
伊藤さんは長門湯本駅から一番近い〈玉仙閣〉の専務取締役であり、
旅館組合青年部長も務める。
玉仙閣は全27室の和風旅館で、館内は長門にゆかりある「楊貴妃伝説」をテーマにしている。

玉仙閣。楊貴妃が好んで入浴した「貴妃湯」を忠実に再現した風呂は名物。深さ1.2メートルの立ち湯で浴槽内に玉座がある。
行政主導で決まった「温泉街リノベーション」について、どう関わっていくべきか。
伊藤さんは大谷さんから度重なる相談を受けていた。
ふたりとも、旅館の経営人として奮闘する大切な時期である。
地域活動でもこれまで、数少ない若手としてさまざまな役を任され、
精一杯の状況だ。新たなプロジェクトに深く関わっていく余裕はない。
家族も心配している。
何度目かの話し合いの時、伊藤さんは大谷さんにこう言った。
「大谷君、このままいっても湯本の苦しい状況は変わらない。
へたすると温泉街消滅だってあり得る。どうせそうなる運命ならば、
湯本の新しいまちづくりに賭けてみないか」
大谷さんはこの言葉を聞いて、腹をくくったという。
「私自身、結婚して長男を授かった時期でした。
子どもたちの明るい未来のために、内外の応援の声に精一杯応えられるよう、
自分たちこそがんばるべきだと決心しました」

「まちづくりは楽しい」と語る大谷和弘さんファミリー(とある送別会での紹介写真より)。
まちづくりの原動力は、ふるさとのよき日の記憶
長門市が星野リゾートと協働で行う〈長門湯本温泉観光まちづくり計画〉には、
大谷さんが長年実現したいと思っていたふたつのことが入っていたそうだ。
ひとつは「生活の知恵としての温泉活用」、もうひとつは「にぎわいを生む河川活用」
それはどちらも、志半ばでいたことだった。
大谷さんは、祖母であり大谷山荘の会長である大谷幸代さんの昔話を例にあげて説明を始めた。

木造三階に唐破風屋根が映える〈旅館大谷屋〉。移転まで温泉街中心に建っていた。
「会長が女将時代の1960年代までは、
長門湯本は人が行き交う理想的な温泉地でした。
大谷山荘は1960年に現在地に移転するまで、
公衆浴場・恩湯のそばに木造3階の〈旅館大谷屋〉を営んでいました」
当時、女将の一日は、かまどでご飯を炊くことから始まる。
全身が煤だらけになるから、朝食の支度を終えたらまず、恩湯へ行ったのだそう。
ほかの宿の女将さんも同じ。温泉でさっぱりしたところで、
着物に着替えて今度はお客様の見送り。
長門湯本駅では、船の出港時のような、紙テープ投げの見送りがあった。
「その後は浴衣やタオルなどの洗濯。
川に流れ込む恩湯の湯で洗濯することが許されていた時代です。地域住民も集まりました。
終えると次は夕朝食の食材を温泉街の商店へ買いに行く。
そうしていると、チェックインの時間です」

にぎわいを伝える昭和30年代の風景。古写真は数年前まで、温泉街の湯本まちかど資料館で見ることができた(現在は閉館)。
多くの旅館にまだ、内風呂がない時代。
どの宿からも浴衣姿のお客さんが公衆浴場へと向かい、
通りに湯下駄のカランコロンという小気味よい音が響いていたという。
また最盛期は置屋が5軒あり、三味線の粋でいなせな音色も聞こえていた時代。
芸者さんも温泉で汗を流しました。仕事を終えた旅館の従業員もそうだった。
「こんなふうに“公衆浴場を中心”とした生活習慣が当たり前にあり、
“温泉街を歩く”という構造がきちんとありました。
〈長門湯本温泉観光まちづくり計画〉には
“公衆浴場を再生”させ、“歩ける仕組みをつくる”ことが
目標のひとつに掲げられていました」

計画で示された温泉街の様子。駐車場を国道沿い移動させ、歩いて温泉街に向かうアプローチなどの提案があった。
「旅館は大型化し、車社会となった現代でも、
画期的な方法で地域住民の理解を得ながら、
“歩く速度”の温泉街にまた戻すことができるのならば、ぜひとも成功させたいと思いました」
河川が使えるかが温泉街再生の大きな鍵
もうひとつの「にぎわいを生む河川活用」とは、
温泉街を流れる音信川を使って、人が集まり、憩える場所をつくることだ。
「川床をつくり、橋を活用して、飲食などを楽しむにぎわいの場ができたら、
すてきだろうとずっと考えていました」と大谷さんは話す。
これはプロジェクトが始まってから、
さまざまな角度で検証が進められている。
2017年9月の社会実験〈おとずれリバーフェスタ〉を皮切りに、
橋の上でのワークショップやレストランをはじめ、大小のイベントが行われている。
2回目となる社会実験〈おとずれリバーフェスタ2018〉(2018年9月15日〜17日開催)は、
初回を大幅に上回るにぎわいとなり、
関係者はうれしい悲鳴をあげたほどの成果だった。
めざすべき温泉街のイメージを地域住民とサポーターとで、再び確認しあえたイベントになった。

夜のイベントも盛り上がった〈おとずれリバーフェスタ2018〉。社会実験では1か月かけて、夜間照明実験や交通量調査が行われた。
「8年ほど前、商工会議所青年部で河川を舞台にしたイベントを行ったことがあります」
と大谷さんは話を続けた。
「川床を設け、橋をライトアップし、川沿いを歩き、星空を楽しむというものです。
お客様には大変喜ばれましたが、
河川本来の機能を損なうことなく、自分たちが思ったように河川を使うことは困難を極め、
みな疲弊してしまうレベルでした。河川を使う際の知識やノウハウが乏しかったためです。
それが今回のプロジェクトでは、
水辺をまちづくりに活用する専門家チームと一緒にすすめられ、
長門市役所も積極的にバックアップしてくださっています。
そのことが音信川をとことん活用する
〈おとずれリバーフェスタ〉などの実現につながっています。
関係者の本気度を感じずにはいられません。
課題もやるべきことも山ほどありますが、
大西倉雄・長門市長や星野リゾート・星野佳路代表、
泉英明さんをリーダーとする推進メンバー(第4回参照)、山口銀行の林支店長、
そして地域からの応援を受けながら、
最近は心から“まちづくりは楽しい”と思えるようになりました。
ふるさとの未来を左右することです。
公衆浴場・恩湯の新たな運営をはじめ、伊藤さんも僕も、
背負っているプレッシャーは半端ないですけどね(笑)」と、
大谷さんは笑顔で話を締めくくった。
次回は、温泉街に誕生した古民家カフェを紹介する。