連載
posted:2025.3.11 from:岩手県陸前高田市 genre:食・グルメ
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Daiji Iwase
岩瀬大二
いわせ・だいじ●国内外1,000人以上のインタビューを通して行きついたのは、「すべての人生がロードムーヴィーでロックアルバム」。現在、「お酒の向こう側の物語」「酒のある場での心地よいドラマ作り」「世の中をプロレス視点でおもしろくすること」にさらに深く傾倒中。シャンパーニュ専門WEBマガジン『シュワリスタ・ラウンジ』編集長。シャンパーニュ騎士団認定オフィシエ。「アカデミー・デュ・ヴァン」講師。日本ワイン専門WEBマガジン『vinetree MAGAZINE』企画・執筆。
credit
写真提供:ドメーヌミカヅキ/及川
岩手県は三陸海岸の南東部に位置する陸前高田(りくぜんたかた)市。
牡蠣の産地として知られる広田湾の、
美しく静かな青色を望む、高台のブドウ畑まで、
海のリフレクションが眩しく届く。
美しい広田湾のリフレクション。実はこれもまたワイナリーにとっての恵みとなる。
この地で2021年、新しいワイナリーが立ち上がった。
〈ドメーヌミカヅキ〉。
立ち上げたのは陸前高田で生まれ育ったひとりの青年。
及川恭平さん、当時27才。
設立の目的は、ワインそのものの文脈でいえば、
「陸前高田のテロワールを生かして、
地元の美味である牡蠣や魚介に合うワインを造る」こと。
テロワール。
ワイン業界では一般的に使われている用語で、
ブドウが育つための気候、土壌のことを指し、
それゆえに生まれる産地の個性や品質を生かし、楽しむこと。
陸前高田のテロワールをざっと書けば、
複雑なリアス式海岸からの海風。
冬でもそれほど極寒にはならないが、1日の寒暖差はしっかりある気候。
海からすぐに高台へと続く斜面があるので日照も十分。
広田湾からの照り返しも日照のひとつだ。
ワイン好きの人に向けて例えるなら、
「スイスに似ていると感じます」と及川さん。
スイスのワイン造りには「3つの太陽」があるという。
太陽、石垣が蓄える輻射熱、美しい湖の照り返し。
広田湾の静かで入り組んだ海は、
確かにスイスの湖にも似ている。
地質は氷上花崗岩(ひかみかこうがん)という、
大陸移動説の時代から日本の一部となっていった地層。
花崗岩は良きワインを生む土壌のひとつとして知られているが、
そのひとつの産地が、スペインの北西部にあるリアス・バイシャス。
陸前高田が太平洋なら、リアス・バイシャスは、
大西洋に向けて続くリアス式海岸に広がる地域だ。
ここで栽培されている主要なブドウ品種はアルバリーニョ。
及川さんは陸前高田で造るワインのブドウを、
アルバリーニョに絞った。
アルバリーニョの実。水はけのいい乾燥しやすい土壌を好むが、耐病性が高いため湿度のある地域、海に近いエリアに適する。スペインのガリシア地方やポルトガルの北部で注目されるほか、日本でも良質なワインが生まれている。
海のワインとも異名をとるブドウで、
主要な産地は海に近い場所。
味わい、酸、香り、テクスチャーなど、
アルバリーニョから生まれるワインは、
海を連想させるものが多い。
「地層、日照、さまざまな要素を考えても、
海の幸にはまるワインに仕上がる確信があります」
及川さんの言葉には確信が溢れている。
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とはいえ、陸前高田はワイン産地としては、
知られた存在ではないし、なによりまだ、
及川さんのファースト・ヴィンテージ、
つまり“デビュー作”が生まれているわけではない。
虫も生き生きと暮らす畑。手をかけながら自然に育つ環境を整える。
2021年、小さな畑に植えたアルバリーニョは、
ようやくワインになるための結実を迎え、
2024年10月1日、
「空気が澄んだ秋晴れの日」に収穫された。
「ふだんは淡々と作業しているのですが、
これまでのことを振りかえって、
いろいろな感情がこみ上げてきまして……。
まずは収穫できたことが大切だなという思いです」
今年はスケジュールを優先しひとりでの収穫。今後はいろいろな人と収穫の喜びを分かち合いたいという。
もちろんこれはゴールではなくスタートだ。
ワインは、もっと先まで続く及川さんのヴィジョンを実現する、
最も適した手段として選ばれた。
「陸前高田に、未来へと続く新しい産業をつくる」
それが及川さんの強い思いだ。
今でこそ故郷のために奮闘する及川さんだが、
中学、高校と、ここから出ていくことばかりを考えていた。
「昔ながらの閉鎖的な雰囲気」がある狭い世界から、
もっと広いどこかの世界へ。
高校卒業直後に校門にて撮影。「新生活へ若干の不安はありつつも、開放的で前向きな気持ちでいっぱいでした」(及川さん)。刻まれた日付がさまざまなことを物語る。
人生を一変させたのは、2011年3月11日。
東日本大震災。
及川さんは当時隣町の大船渡高校の2年生。
学校からの帰路、もう少しおしゃべりして帰ろう。
それが命を救った。
「予定どおりの電車に乗っていたら波にのまれていましたね。
高校は高台にあったので、僕らは無事。
3日ほど学校に泊まって父の迎えを待っていました」
家への帰路、信じられない光景を目の当たりにする。
「まちが大変なことになっているという情報はあったのですが、
帰ってみると本当に何もなかった」
公民館など複数ある安置所に毎日向い、友人知人を探した。
「まるで戦場でした。遺伝子鑑定しないと身元がわからないような状態の遺体を、
100人とか見る経験は、普通の高校生にはないでしょうね」
このまちを出よう。
その目的は変わった。
「生徒会長になったタイミング。1本遅れた電車。
流されてきた卵パックに手を出すような食べるもののない日々、
受験勉強どころではない状況。
どうして自分が生かされたんだろう?
震災以降、このまちで僕は何ができるのかを考えて生きてきました」
陸前高田に帰ってきてなにかをするために、
一度、このまちを出よう。そして10年後に戻ってこよう。
「この10年は復興のために、
もともと陸前高田の主要産業だった建設業がある。
でもその先は? 思い浮かんだのは果樹栽培でした」
経済を支える主要な産業ではなかったが、
リンゴやブドウの栽培は盛んだった。
「まったく新しい産業を持ってきても持続しないという事例は多い。
地域に根付いたものが良いと考えました」
「農地は宝」と及川さんは言うが、
その宝物が高齢化、後継ぎなどの問題で失われてしまう危惧があった。
自らが学び、知見を高めていくことで持続させたい。
「大学時代に、ブドウ、ワインでいこうとは思ったのですが、
でも、まだほわほわした感じでした」
卒業後、大手ワイン商社に就職。
ソムリエ、海外の資格などにチャレンジし、
フランス・アルザスでの修行へ。
その過程で、
ワイン産地としての陸前高田のテロワールの可能性を確信した。
商社時代、名門ワイナリーの前にて。栽培、醸造だけではなく、流通、消費者側の視点などワインにかかわる学びを重ねた。
アルザスでの修行時代。ワイナリーに住み込みで働いていたときのルームメイト、アルザス人のヴィヴィとブラジル人のジュース。休日は彼らとひたすら山に登ったという。
知識を広げ、深め、経験を重ねて帰郷し、
地元の地権者の理解と信用を少しずつ積み重ね、畑を購入した。
「まちの人が果樹に理解があって歴史的にも知見もたまっている。
ワインが真新しいものではないという受け皿があった。
むしろ、がんばってつくれ、つくれという感じで」
取り組みを進めていくなかで気づいたことがあるという。
現在の陸前高田のまち。すべてが流されて当時の面影は残されていない。
「震災で何もかもがなくなってしまったことで、
しがらみや古い価値観も流されていったように感じました」
失ったものはあまりにも大きいし帰ってくることはない。
まちを出ていこうとしていたあの空気は一新された。
前を向いてやるしかない。
取り返すのではない。できることが生まれ、新しい物語が始まった。
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醸造所の予定地にて。一緒にいるのはワイン商社時代の上司で、第10回(2023年)全日本ソムリエコンクール6位(日本人4位)という実績を持つ松永文吾さん。及川さんの活動を知って駆けつけてくれた。
ワイン造りと並行して進めているのは、
陸前高田を訪れ、留まっていただくための取り組み。
「もともと通過されてしまう場所。
でも、ここに酒と食があれば留まっていただける。
そのためのプランを立てているところです」
ひとつの施策は自前の醸造所とオーベルジュ。
目玉はドメーヌミカヅキのワインと海の幸を生かした鮨のペアリング。
「フレンチやイタリアンもいいのですが、ここにはせっかく鮨の大将がいる。
生かさない手はない」
及川さんがドメーヌにこだわる理由がここにもある。
ドメーヌとは自社畑を所有し、
栽培から瓶詰までの工程を行う生産者のこと。
「立ち上げ段階ではどこからかブドウを買ってきて
ワインを造るほうが経営的にもいいのですが、
それならどこでやっても一緒。
ブドウ自体でテロワールが決まるということに魅力を感じていて、
陸前高田でやるという意味にこだわりたい」
さらにドメーヌ・オイカワのように自分の名前を冠するのではなく、
広田湾を見下ろすとその地形が三日月に見えることから名づけた
ミカヅキという名にも意味を込める。
箱根山展望台からの広田湾。ドメーヌ名のミカヅキはこの形からとられた。ドメーヌは欠けていくミカヅキではなくこれから美しい満月へと向かう。
「どこかのタイミングで誰かに譲らないと産業としては続きません。
それを考えると自分の名前をつけるのは悪手ではないか」
「すべては手段なんです」
と及川さんは言う。
陸前高田にこれからも続く産業を造る、
それが目的なのだ。
ワインのブドウ品種はなんでもよかった。
陸前高田の過去と未来をつなぐことができるもの。
ベストなものとして選択したのがアルバリーニョだった。
苗木が地層に根をはりはじめ、
ワインになるために相応しい力を宿した実が結実し、
4年を経て満を持して収穫されたアルバリーニョは、
すでにワインとなって眠っている。
発酵中のワイン。今夏のリリースを待つ。
今夏のデビューで、まず、
ワインそのものの評価は冷静に下されるだろう。
高評価でも、厳しい声があっても、
そこから、及川さんも、アルバリーニョも成長し、
地元の皆さんの期待も広がっていく。
「脳裏から離れない震災の光景」は、今でも自分を苦しめる。
ワインと陸前高田を結ぶ挑戦を、
及川さんはこんな言葉で表現する。
「あの時、生かされた意味の答え合わせを……
しているのかもしれないですね」
ワインを味わいながら、その歩みを追いかけてみたい。
profile
及川恭平
おいかわきょうへい●1993年、陸前高田市出身。高校2年生のときに東日本大震災を経験。地元に戻り事業を起こすことを決意し、海外修行、ワイン商社勤務の後、2021年にワイナリー起業。持続可能性と関係人口、温暖化対策をテーマに、当地発の世界に誇るワイン造りを目指している。
information
ドメーヌミカヅキ
WEB:ドメーヌミカヅキ(Domaine Mikazuki)|海のワイン
Instagram:@domaine_mikazuki
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