南房総エリアでカルチャーは可能? 渋谷区から鋸南町に移住した筆者が いま考えていること
コロナ禍に鋸南町へ
こちらに来る以前、僕の職場と自宅は東京の渋谷区にありました。
映画館兼イベントスペースのような場所の運営に関わりながら、
国内外の独立系アーティストたちのライブやトークイベント、
上映会や作品展を企画するプログラム・ディレクターとしての活動に
明け暮れる日々を送っていました。
自分たちの場所のキャパシティを超えるようなアイデアが
アーティストから出されることも少なくなく、
状況的に自分が引き受けるしかないと判断した案件に限っては、
よそのハコを借りてでも実現させたり、
時には自らがバンドやDJとして演者側に回ってでも、損得勘定抜きでサポートしたりと、
そんなことばかりを約20年間にわたって続けていました。
自分が10代の頃からリスペクトし続けてきた、
インディペンデントな姿勢に貫かれたカルチャーや
アートの現場を維持させることが最重要事項だと考えていましたし、
いまだってその考えに変わりはないのですが、
一方でこのやり方は東京だからこそ成立しているのだということを
常に冷静に自覚している自分がいました。
そして東日本大震災以降、またコロナ禍以降に
アーティストたちや同業の友人知人たちは、ひとりずつ東京から姿を消していきました。
それぞれの事情は異なれど、僕もそんな人間のひとりということになるのでしょう。
僕が昨年から住んでいるのは、館山から20キロほど北にある、
南房総エリアでは最も東京寄りの位置にある鋸南町(きょなんまち)。
明治22年の町村制施行により誕生した勝山町と保田(ほた)町というふたつの町が、
昭和34年に合併してひとつの自治体となる際に、
鋸山(のこぎりやま)の南に位置することから、この名前がつけられたのだといいます。
わざわざコロナ禍が始まったタイミングで
フリーランスの道を選択してしまったために
自分の時間とアイデアを持て余していた僕は、
あらゆる都市機能が停止あるいは不全に陥ってしまった東京の外側へ、
そして地方都市のさらに奥へと足を延ばす機会が増えていきました。
鋸南町は、そんな頃にアーティストたちとよく通っていた場所のひとつ。
きっかけは限界集落化した山間の農村部における
野生動物による獣害の問題を知ったことでした。
都内からは高速に乗ってアクアラインを経由すれば
約1時間で辿り着いてしまうほどの近さだというのに、
鋸南保田ICを降りた途端に目の前に現れるのはまるで別世界。
傾斜の少ない海側の平地に住宅が集中し、山間部に向かって田畑が広がっているという、
典型的な南房総エリアの風景がここにはあります。

東京湾上空から望む鋸南町の保田エリア。(撮影:江田晃一)
勝山と保田にはそれぞれ海へ向かってまっすぐと延びた商店街がありますが、
海水浴客や船客たちが押し寄せて賑わった時代はとうに過ぎ去り、
現在はシャッター商店街としての寂しい姿を晒しています。
そして僕はいま、勝山の商店街で80年間営まれていたという
家族経営のスーパーマーケット〈明石丸〉の店内を借りて、
自分の事務所として使わせてもらっています。


事務所の初ゲストは鋸南町でデザインサーベイ踏査を行っていた千葉大学の皆さん。
明石丸は2019年の台風被害により廃業してしまったものの、
現在は地域の人に向けて開かれた多目的スペースとして運営されています。
すでに役割を終えてしまった店舗や施設の今日的な用途を模索する動きは、
きっと全国各地の過疎のまちで起こっていることでしょう。
荒唐無稽に思われるかもしれませんが、僕はこの過疎高齢化が進む地域だからこそ、
この房総半島の風景のなかにすでに存在しているものをつくり直したり、
別のものと組み合わせたりすることで、これからのカルチャーを育んでいくための場を、
そして地域内外の人々が交流する機会をつくることができるのではないか、
そんな可能性を感じているのです。
このまちとの関わりが山から始まった僕ですが、
現在は潮風薫る漁港の商店街に毎日通い、地域おこし協力隊の制度を利用しながら、
このまちに人が足を運ぶ理由になるようなイベントの企画について考え続けています。