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連載

畑やアトリエを探して移住。
自分たちでつくる暮らしとは。
Green Creative Inabe vol.1

Local Action
vol.078|Page 1

posted:2016.3.15  from:三重県いなべ市  genre:暮らしと移住

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〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

writer' profile

Chizuru Asahina

朝比奈千鶴

あさひな・ちづる●トラベルライター/編集者。富山県出身。エココミュニティや宗教施設、過疎地域などで国籍・文化を超えて人びとが集まって暮らすことに興味を持ち、人の住む標高で営まれる暮らしや心の在り方などに着目した旅行記事を書くことが多い。現在は、エコツーリズムや里山などの取材を中心に国内外のフィールドで活動中。

photographer profile

Yayoi Arimoto

在本彌生

フォトグラファー。東京生まれ。知らない土地で、その土地特有の文化に触れるのがとても好きです。衣食住、工芸には特に興味津々で、撮影の度に刺激を受けています。近著は写真集『わたしの獣たち』(2015年、青幻舎)。
http://yayoiarimoto.jp

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supported by 三重県いなべ市

三重県いなべ市では、平成31年春に森のなかにオープンする
新市庁舎の建設にあわせ、地域がどんな場所になっていくべきかと
市民が考えながら参加していくプロジェクト
“Green Creative Inabe(グリーンクリエイティブいなべ)”が進行中だ。
市民と行政、それぞれが別の動きをしているなかで
連動してつくっていくまちの未来とは?

創造力あふれる移住者の存在と、いなべの未来

三重県北部に位置し、西は滋賀県、
北は岐阜県に隣接する三重県いなべ市。
この地域は古くから愛知県名古屋市と滋賀、岐阜を結ぶ
交通の要所として知られていた。

平成15年に行われた“平成の大合併”の際に、
藤原、大安、北勢、員弁(いなべ)と4つのまちが
合併して、いなべ市となって12年。
地の利を生かした企業誘致で人口も増え、雇用もある。
いなべはよくも悪くも、今は“そのまま”であることが
住人にとって平和なようにも見える。

太平洋と日本海が最も近い場所に位置し、鈴鹿山脈を望む風光明媚な景色が自慢のいなべ市。名前は、大和朝廷に使え、法隆寺などの建立にも携わった木工技術集団、猪名部氏が住んでいたことに由来している。

けれども、まちが未来に続いていくには、
将来の姿をイメージし、計画立案する必要がある。

いなべ市でも、平成31年春に森のなかにオープンする新市庁舎にあわせて
市民参加型のプロジェクト
“Green Creative Inabe(グリーンクリエイティブいなべ)”が進行しており、
現在、「グリーン」をキーワードにしたまちづくりを実現すべく
人の動きが活発化してきているという。

新市庁舎は、まちづくりの中心地でもあり、
都市からの玄関口という意味としてのハブとなる。
目に見えるもの=新市庁舎と
目に見えないもの=市民のライフスタイルの
両方を具体化していくプロジェクトだ。

いなべ市農業公園内にある〈梅林公園〉。およそ38ヘクタールの園内に植樹された4500本の梅林は3月中旬が見頃。梅祭りも開催される。果実や花を植樹することで水源地を手入れし、水源を守る役割も。すべて高齢者が植樹し、手入れを行っている。

コロカルは、このプロジェクトの全容と、
4年後に完成する市庁舎から始まる未来を見つめて
まずは、立ち上げの段階で取材を行った。

今回は、その1回目。
Green Creative Inabeが取り組んでいる
未来のいなべらしい暮らしのかたちのひとつ
「農とアート」をそれぞれ体現しているふた組の移住家族を紹介しよう。

食卓の素材はすべて自分たちでつくる。それができる場所を探して

Green Creative Inabeは、
市の資源を「グリーン」と定義づけている。
藤原岳、竜ヶ岳など鈴鹿山脈の東斜面に開け、
員弁川流域は肥沃な土壌であることから、
いなべは県内でも有数の穀倉地帯として知られる。
2013年に愛知県名古屋市からいなべ市に移住した
〈八風農園〉の寺園 風(てらぞの ふう)さんは、
藤原岳の麓にある藤原地区で畑を耕す専業農家だ。

八風農園を営む寺園風さん。鈴鹿山脈のひとつ、花の百名山で名高い藤原岳の麓を移住の地に決めた。

「幼い頃から自然が好きだったので、
将来、農家で生きていこうと農業高校に進学しました。
大学を出て勤め人になるのが
僕には何か楽しそうに思えなかったんです。
当時、テレビで環境問題がとりあげられていたのもあり、
何かやらなければと思っていました。
TOKIOが出演するテレビ番組〈DASH村〉が始まった頃でしたから
自分でもイチから生活をつくることをやってみたいと思ったんです」

風(ふう)という名前は
“アジアに風を起こす人”になるように、と名づけられた。
実際に、高校卒業後に2年間アジアを放浪し見聞を広めた風さん。
そこで、先進国に運ばれる食糧のために働く
地元の人たちの労働の問題を目の当たりにし、
帰国後は自分に何ができるのかと考えるように。

そこで、「自分たちの食べるものをできるだけ自給することで
食糧問題に少しは貢献できるのでは」と帰国後は
農と食に関わりながら生きてきた。

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