五箇山の和紙を世界に!
和紙の魅力を発信するブランド
〈FIVE〉と石本泉さんの挑戦

泉鏡花風に言えば、右も左も山ばかり、手の届きそうな峰があると、
その峰に峰が乗り、頂が被さって、雲の形すら(空が狭くて)見えない、
そんな越中から飛騨に抜ける深山の間道で漉かれた和紙が、
パリの〈メゾン・エ・オブジェ〉に出品され、
ロンドンの〈ポール・スミス〉で取り扱われていると聞いたら、どう感じるだろうか。
「うそでしょう?」と思うかもしれないが、現実の話である。

そこで今回は世界文化遺産の村、富山県の五箇山(ごかやま)で働きながら
〈FIVE〉というブランドを立ち上げ、世界に越中和紙(五箇山和紙)の魅力を
発信し続けている石本泉(せん)さんに、同ブランドが誕生した背景などを聞いた。

世界文化遺産に認定されている五箇山の相倉(あいのくら)合掌造り集落。(写真提供:南砺市観光協会)

世界文化遺産に認定されている五箇山の相倉(あいのくら)合掌造り集落。(写真提供:南砺市観光協会)

〈五箇山和紙の里〉との出会い

本題に入る前に、石本泉さんのいる五箇山について、
少し説明しておく必要があるだろう。

富山県と岐阜県にまたがる山岳地帯の限られた平地には、
荻町集落、相倉(あいのくら)集落、菅沼集落などが点在している。

特別豪雪地帯に指定されるエリアで、平野部から隔絶されているため
物資の輸送もかつては困難を極めた土地だが、
その厳しい環境で自然と共生しながら暮らす人々の営みが、
1995年に白川郷・五箇山の合掌造り集落として
ユネスコから世界文化遺産に認定された。

撮影:倉員悠二

撮影:倉員悠二

3メートル以上も積もる冬の豪雪に対応するために、集落の家屋は
分厚い切妻(きりづま)の屋根の傾斜が極めて大きい造りになっている。

その形状から「合掌造り」とも呼ばれるが、屋根だけでなく間取りも独特で、
屋根裏には蚕を育てるスペースが設けられ、妻入りの入り口にある広い土間では
和紙をすき、黒色火薬の原料となる塩硝をつくれるようになっている。
平地が少なく、田畑を開くスペースが限られている同地で、
生計を立てるために先人が生み出した家屋の形である。

写真提供:南砺市観光協会

写真提供:南砺市観光協会

その五箇山で昔からすかれてきた和紙をいまに伝え、
発展させる目的を持った施設が、〈道の駅たいら・五箇山和紙の里〉だ。
同施設に勤務し、新商品の開発からデザイン、
和紙の原料となる楮(こうぞ)の栽培と、幅広く活躍する人が、石本泉さんだ。

聞けば富山県の出身ではなく、生まれは北陸ですらない。山口県岩国の出身だという。
現在でこそ五箇山和紙の里のある南砺市の女性と結婚したというが、
同施設に就職した際には、配偶者がいたわけでもない。
出身校は東京の武蔵野美術大学で、母校も遠く離れている。
そもそもの疑問として、どうして石本さんは五箇山和紙の里に勤務しているのだろうか。

「母校である武蔵野美術大学と五箇山の間に、昔から関係がありました。
大学の厚生施設である〈無名舎〉もあって、そこに大学4年生の夏に
友だちとレンタカーで訪れたことが、すべての始まりです」

〈五箇山和紙の里〉に勤務する石本泉さん。

〈五箇山和紙の里〉に勤務する石本泉さん。

無名舎とは、武蔵野美術大学の教職員や学生、卒業生、
その家族などが使用できる宿泊施設で、
世界文化遺産に認定された相倉合掌造り集落の近くに立地している。

石本さんは大学の木工科で家具づくりを学んでいたそうだが、
家具と同じ原料でつくられる紙に興味を持ち始め、3年時の自由課題において、
本来なら家具をつくる木工科の授業にもかかわらず、
当時住んでいたアパートの台所やお風呂場ですいた和紙を提出した。

木工の先生にはしかられたと、石本さんは当時を思い起こして笑う。
それでも、テキスタイル科など他学科の先生たちは大いに感心し、
和紙の産地である五箇山と、五箇山にある無名舎の存在を
石本さんに紹介してくれたという。

武蔵野美術大学の厚生施設、五箇山〈無名舎〉。

武蔵野美術大学の厚生施設、五箇山〈無名舎〉。

「正直に言えば、五箇山という地名を知りませんでしたし、
富山にも訪れた経験がありませんでした。
だからこそ、かえって気になる存在になって、4年生の夏に
友だちが行くと聞き、レンタカーに便乗させてもらいました」

五箇山訪問時には、武蔵野美術大学の先輩が五箇山和紙の里で働いていると聞き、
アポを取って会いにも出かけたと語る。
その五箇山は、石本さんの目にはどのように映ったのだろうか。

「初めて訪れた五箇山は本当にすばらしく、
友人たちと訪れたチベットや中国の雲南省などと景色が似ていて、
日本のようには思えませんでした」

聞けば、石本さんは在学中にアジア各国、ヨーロッパなど
世界中を幾度となく旅している。
その体験から考えても五箇山はすばらしく、住んでいる人々も魅力的で、
住みたい、和紙を勉強したいという思いが強くなったという。

そこで石本さんは、初めて訪れた夏と同じ年の冬にもう一度、
和紙づくりを勉強させてほしいと五箇山和紙の里にお願いをして、2週間ほど滞在する。
結果として、欠員が出るという偶然も重なり、五箇山和紙の里に就職することになった。

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