連載
posted:2025.6.9 from:高知県高知市 genre:旅行 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
全国各地に点在する銅像は、偉業を成し遂げた人を称え、功績を後世に伝えること、
また土地の歴史や文化を象徴的に表現することを目的に建てられています。
そのモデルはどんな人物なのか、なぜ作られたのか、どのような功績を残したのか、知っていますか?
銅像からその人物を紐解きます。実物を見る前に読んでおきたい、ちょっとためになる連載です。
Rana Hibi
日比楽那
2000年生まれ。ライター・編集者・写真家。14歳から役者として活動開始。その後、10代後半から文筆を始める。現在は、主にウェブメディアでインタビューやレポートといった記事の企画や制作を担当。新宿ゴールデン街にあるバーでも働く。
日本各地に点在する銅像のモデルとなった人物を紐解く本企画。
今回ご紹介するのは、〈高知県立牧野植物園〉内にある牧野富太郎の全身像です。植物学者・牧野富太郎の功績と人柄とともに、おすすめしたい植物園の楽しみ方について広報課の橋本 渉さんに話を聞きました。
「高知県中西部に位置する佐川町で生まれた牧野富太郎は、植物を愛し、多くの新種を発見し命名した、『日本の植物分類学の父』と言われる学者です。
2023年に放映された連続テレビ小説『らんまん』で、神木隆之介さんが演じた主人公のモデルとなった人物として彼を知った方も多いかもしれません。
私生活では、裕福な家の一人息子として生まれ、幼少期に父、母、祖父を亡くすも、祖母に甘やかされて育ちました。破天荒な性格で、研究に打ち込むあまり1億円以上の借金を抱えたことも。」
自叙伝にある、借金地獄を公表すると支援者が現れた話や、恋愛結婚した妻・壽衛(すえ)に苦労をかけた様子からも、その破天荒さが窺えます。
「一方で、ひたむきに研究する姿勢と明るい人柄で多くの人々に愛されました。博士が写っている写真を見ると、いつも植物とともに本当に幸せそうな表情をしています」
「牧野植物園は開園後、園地の拡大やリニューアルを繰り返しています。現在、園内には3つの牧野富太郎像があり、最も大きな全身像は南園エリアにあります。
もともと全身像が建った当時、その周辺には芝生が広がっていました。遠足やピクニックに来た人たちは銅像の周りにシートを広げ、思い思いに楽しんでいたそうです。
開園から40年が経った1999年以降、植物園の敷地が広がるにつれてシンボルとなるものも増えていきましたが、その40年間は牧野植物園のシンボルと言えば芝生に佇む牧野富太郎像だったと思います。
現在、南園には〈50周年記念庭園〉があり、銅像の位置はそのまま、辺りを樹木が囲み、木製デッキの観察路が整備されています。観察路では、小川とともに季節によってアジサイやモミジの仲間が楽しめます」
「全身像の牧野博士は背広を着て、手にはキノコを持ち、足元には草が生い茂っています。実はこの姿は、牧野博士のスタイルを反映しているんです。
牧野博士は植物調査の時にはスーツを着て出かけていました。愛する植物に対して敬意を表しているとも捉えられるかもしれませんね。正装で泥だらけになるのが牧野博士でした。
手にしているのは柄の長さが特徴のカラカサタケというキノコです。さらに、学者というと研究室にこもるイメージがあるかもしれませんが、牧野博士は野山に分け入って行き、人々に植物のことを伝えることに尽力した人物でした。足元の草は、そんな博士の生き方を表しています」
「そんな牧野富太郎の銅像がある〈高知県立牧野植物園〉は、彼を慕う市民たちの声に応じる形で1958年に開館しました。日本で唯一の人名を冠した植物園で、牧野博士ゆかりの植物や、博士を育んだ地元の野生植物、3000種類以上に出会える場となっています」
色鮮やかな熱帯花木からサボテン類など乾燥地の植物まで集まった〈温室〉、果樹や野菜、ハーブを含む植物を五感で感じられる〈ふむふむ広場〉、鉢植えや博士ゆかりのハーブティーセットが手に入るショップなど、カジュアルに楽しめるスポットもたくさん。
愛好家の皆さんは、植物図などの貴重な資料の数々も要チェックです。
博士が描いたコオロギランの植物図(高知県立牧野植物園所蔵)
「植物園は、季節ごとに違った植物に出会える場所かつ、植物の成長に伴って来園する度に新しい景色に出会うことができる場所です。
自由に散策できるよう、順路はないので、自然のなかに飛び込んだ感覚で楽しんでもらえるのではないでしょうか。解説ラベルには博士とその植物にまつわるエピソードが書いてあるので、読みながらぜひお気に入りの植物を見つけてください」
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高知県立牧野植物園
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