移住はできなくても縁は続く。
お世話になった美杉へ、最後の旅

お世話になった人たちに会いに

移住先探しの旅をする津留崎さん一家。
縁を感じた三重県津市美杉町の仮住まいで暮らしてみたものの
環境の変化が大きすぎることや、諸条件を考え直し、断念することに。
新たな候補地として伊豆での暮らしを考えている津留崎家ですが、
お世話になった大好きな美杉の人たちに、事情を伝えなくては。
今回もまた、移住に大切なことを考えさせられる内容です。
妻のフォトグラファー、徹花さんが綴ります。

伊豆下田から、荷物を引き上げに美杉へ

たな候補地として伊豆へ行ってみよう。
そのあと三重に行き、美杉の家に残してきた荷物を引き上げよう。
夫婦で悩んだ末にそう決断し、2月の始めに家族3人で
再び東京を出発しました。

伊豆へ向かう道中、もう無理だとわかっているのに、
それでもまだ迷いが湧いてきます。
本当にこのまま美杉を引き上げていいのだろうか、
もう一度試してみたらどうなのだろうか。
その問いが頭に浮かんでは消え、また浮かんでくるという繰り返し。
けれど、伊豆でしばらく過ごしているうちに、
その気持ちがしだいに変わっていきました。

天気に恵まれたこともあり、伊豆は2月とは思えないほどの
陽気に包まれていました。
心地のよい海風を受けながら海岸沿いを南下していくと、下田に到着。
この下田というまちに、私は小さい頃から毎年通っていました。
というのも、以前は下田に親戚の家があったのです。
けれど、訪れていたのは海水浴のできる夏がほとんどでした。
冬の海がこんなに青く澄み切っているなんて、
いままでまったく知らなかったのです。

この日に見た下田の海は、いままで見たことのないくらい輝いていて、
あ~、すごい、と言葉がこぼれるほどでした。
私がぼんやり海を眺めているあいだ、夫と娘は浜辺で貝殻を拾ったり
絵を描いたりして戯れています。
そのふたりの姿を見ながら、想像していました。
もしここに住むことになったら、どんな暮らしができるのだろうか。

移住先を決めるというのは、「こういう土地だから、こういう環境だから」
という単純なことではなく、そのときのいろんな条件や縁が絡み合って、
最終的にあるべきところに収まるのだと思います。
私たちが美杉へ引っ越したのは、年を通してもっとも寒い時期。
東京育ちの私たちが移住するには、あまりにもいままでの環境と
違いすぎたのかもしれません。

けれど、やってみてよかったのです。
きっと、やらないで想像できることはたかが知れていて、
やってみないとわからないことは山ほどあるのだから。

美杉を引き上げたあと、吸い寄せられるようにして伊豆へ向かったのは、
きっと何か縁があるのでしょう。
いま思えば移住を考え始めた当初、夫は伊豆も候補地として考えていました。
けれど、毎年通っていた伊豆に移住するなんて、なんだかおもしろくない。
もっと未知なところへ思い切って移住したいんだ、
そう私が息巻いていたのです。

けれど、美杉へ実際に行ってみていろんなことがあったいま、
馴染みのある伊豆に住むのも悪くないと思い始めています。
それも、美杉での経験をしていなかったら、
きっといまもまだ肩肘を張っていたに違いありません。
伊豆ならば東京までのアクセスもよく、
東京に住んでいる家族にも頻繁に会いに行ける。
夫も私も手応えを感じつつ、伊豆から美杉へと向かうことにしました。

小さい頃漫画家になりたかったという、夫画伯のドラえもんとジャイアン。

稲取の港でちょうど水揚げをしていた漁師さんと立ち話。おいしい魚屋さんの情報を収集。

伊豆の名物、ピチピチとれたて金目鯛。漁師さんによると、この港では一年中金目鯛がとれるのだそう。

ちょうど三重へ向かう途中の名古屋で撮影の予定があり、
ビジネスホテルに一泊しました。
移住先探しの旅を始めてから、家族同行で撮影という
いままでになかった経験をしています。

昨年、奈良での撮影のときには、車中泊をしながら家族3人で出かけました。
撮影中にふと後ろを振り返ると、スタッフに混ざって
娘が私に日傘を差してくれていた、なんてうれしい場面もあり。
プライベートと仕事が混在してすべてがひとつにつながっているこの感じが、
本来あるべき姿のように思えて、私にとってはとても心地がよいのです。

夫婦とも会社を辞めたいま、
家族と過ごす時間は以前に比べ格段に増えました。
個人という単位で暮らしていた私たちが、ようやく家族という
ひとつの群れになってきたのかもしれません。

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美杉との縁のはじまり、農家民宿〈なかや〉

名古屋での撮影を終え、美杉の家へと向かいます。
家の前の最後の坂を上がると見慣れた赤い屋根が見えてきて、
ほっとしている自分に気づきました。
いつの間にか、自分にとって居心地のいい場所となっていたのです。

数日間は、美杉の家で家族3人ゆっくりと過ごしました。
裏山へ出かけ、いつもよりもっと奥まで散策してみたり、
何度も眺めた山の風景も、もう一度家族3人揃って眺めました。
「あ~、いいところだな~」
溜め息まじりのその言葉から、夫の気持ちが十分すぎるほど感じられました。

三重県の中でも標高の高い太郎生(たろお)。一晩にして、辺り一面真っ白な雪景色となっていました。

その夜、美杉でとてもお世話になっている
〈農家民宿なかや〉さんを訪ねました。延期になっていた新年会をやろうと、
オーナーの岩田二三男さん、裕恵さんご夫妻が
夜ごはんを用意してくれていたのです。
私たちはこの機会に、三重から離れることを
きちんと伝えたいと思っていました。
「こっちに住み始めてみて、なにか困ったことがあったら
いつでも言ってください」と、私たちをいつも見守ってくれていました。

「まずは、東京から戻ってきてお帰りなさいだね!」
という岩田さんの乾杯の音頭に促され、
「実は……」と、夫が話しづらそうに切り出しました。

年始にいったん三重を離れることになったときにも、
岩田さんに事情を伝えに行きました。
その帰りに車内で受け取った「娘さんを大切に」という岩田さんのメールで、
折れそうになっていた心が救われたのを覚えています。

夫の話を真剣な眼差しで聞いていた岩田さん。

「残念やけど、一番大事なのは子どもさんのことやし。
美杉を離れることになっても、
一度できたこの縁はずっとつながっていくんやし」

その言葉を聞いて、すっと気持ちが軽くなりました。

「津留崎さんたちが別の場所に住むことになったら、
僕らもその土地と人とつながっていくかもしれないし、
どんどん循環していけばいいんじゃないかな」

その横で「うん、うん」と深くうなずく裕恵さん。
その日もいままでと同じように、深夜までお酒を酌み交わしました。

岩田家の玩具を引っ張り出して遊んでいる娘に、
「それ、もう使ってないから持っていって」と、
プレゼントしてくれたのは木製の玩具。
いまは高校生になった息子さん千明くんの、
2歳の誕生日にと購入したものだそう。

「娘さんが大きくなったら、また誰か別のお子さんに差し上げてください。
そうして、どんどんいろんなお子さんのあいだを
渡っていったらいいと思うんです」

「岩田千明 2才誕生プレゼント」という記述の下に、娘の名前と譲り受けた日にちを書き記しました。

思えばこのなかやさんに泊まったことから、
私たちと美杉との縁が始まったのです。

「娘さんに似ている子どもさんが近くに住んでるよ」
と岩田さんが連れていってくれたのが、
この連載でもたびたび紹介している沓沢家との出会いでした。

そもそも私たちは、沓沢家の生き方に刺激を受け、人柄に惚れ込み、
それがきっかけで美杉への移住を意識するようになりました。
不思議なくらいにすっと自然に馴染むその関係は、
たった2年のつき合いとは思えないほどです。

いろいろ悩んだ末にようやく美杉に住もうと決めたとき、
沓沢夫妻はそれをとても喜んでくれました。
そのふたりの気持ちを裏切るようで、それが悲しくて。
美杉を引き上げるか迷っているあいだも、
ずっとその思いが胸につかえていました。
きちんと話しに行かなくては。

[ff_assignvar name="nexttext" value="いよいよ沓沢夫妻のもとへ"]
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大きな影響を受けた
〈日本料理 朔〉を営む沓沢夫妻

翌朝、深々と雪が揺り積もるなか、沓沢家へと向かいました。
いつもと同じように、やわらかい佇まいで出迎えてくれるご主人の敬さん。
作陶中のさっちゃん(佐知子さん)も、
私たちが来たことに気づいて上がって来てくれました。

これから話さなくてはいけないんだ……。
他愛もない会話が続いているあいだ、私はほとんど上の空でした。
そのうち、夫が意を決したように話し始めました。
私はふたりの表情をみることができなくて、うつむいたまま。

「そうなんや、そうかそうか」

驚くこともなくただうなずくふたりを見て、
彼らが予想していたのだとわかりました。

「そっか~、残念やけど仕方ないね」

さっちゃんのその言葉を聞いて、構えていた全身の力がゆるんでいきました。

「場所はどこでもいいんだと思うよ、親がこうだと思ったことを
覚悟を持ってやっていけば」

敬さんのその言葉が、私の胸にずしっと響く。

「しっかりしろよ、応援してるから」

その思いが私には痛いほど伝わってきました。

敬さんはこのとき、自宅に新しい浴室をつくっている最中でした、
しかもひとりで。
お風呂って自分の手でつくれるんだ……、
また沓沢家に固定概念を崩されたのです。
作業現場を興味津々でのぞく夫。ひょっとしたら……。

「敬さん、つるちゃん(夫)いたらお役に立ちますか?」
という私の問いに、
「え!? そりゃあもう、助かる助かる!」と、敬さん。
「じゃ、今日から手伝いますよ」と夫の返答。

そうした流れで、その日から3日間、
夫は沓沢家の浴室工事を手伝うことになりました。
お世話になった恩を少しでも返したいという気持ちが夫にはあったようです。

こうして2年間沓沢家に通い、一緒に過ごした時間のなかで、
どれほどのことを学んだのだろうか。
沓沢家と出会ったのは、まだ自分たちが移住を決断できずにいるときでした。
もし出会っていなかったら、移住せずに
東京でずっと暮らしていたかもしれません。
それくらい強く、私たちの人生を動かす存在だったのです。

沓沢家の山羊「シロ」と娘。

東京へ戻る日の朝、もう一度沓沢家に行きました。
これが終わりじゃないんだから、そうわかっていても、
どうしても寂しい気持ちが胸にこみ上げてくる。
その気持ちを追いやるようにして、いつもと同じ挨拶をしました。

「またね、またすぐに来るから」

さっちゃんも、いつもと同じように手を振っていました。

「うん、またね、元気でね、またね」

東京に戻ってしばらくすると、〈丸八酒店〉のお母さんから
一通の手紙が届きました。丸八酒店とは私たちが暮らしていた
美杉の太郎生(たろお)にある酒屋さんで、
そこのご夫婦にとても親切にしていただいていたのです。
ご夫婦はしばらくのあいだお店を空けるとのことで
直接お会いすることができず、
太郎生を離れることを手紙でお伝えしていました。

「お手紙いただいて、驚いています。
せっかくこの太郎生を選んでくださったのに……、仕方ないですね。
お子さんがもう少し大きかったらと思ったり、
私がもっとお役に立てたかもしれないと思ったりしています。
津留崎さんとお知り合いになって、大切な人ができたような思いです。
いい季節になりましたらぜひこちらへ足を運んでくださいませ」

沓沢家と我が家、セルフタイマーで記念撮影(息子さんの藍くんは野球の練習で残念ながら不在)。

information

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農家民宿なかや

住所:三重県津市美杉町上多気1312

TEL:059-275-0205

Web:http://www.zb.ztv.ne.jp/htf-iwata243120/

information

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日本料理 朔

住所:三重県津市美杉町八知3541

営業時間:11:30~16:00(11:30~と13:15~の2回)

定休日:水曜・木曜・金曜

*各回6名まで、完全予約制、4300円(税込)のおまかせコース

Web:http://saku.jp.net/

文 津留崎徹花

text & photograph

津留崎徹花 Tetsuka Tsurusaki
つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。料理・人物写真を中心に活動。東京での仕事を続けながら、移住先探しの旅に出る日々。自身のコロカルでの連載『美味しいアルバム』では執筆も担当。

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