連載
posted:2025.12.16 from:青森県 genre:暮らしと移住
PR 青森県
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。

writer profile
Chihiro Kurimoto
栗本千尋
くりもと・ちひろ●青森県八戸市出身。旅行会社勤務→編集プロダクション→映像会社のOLを経て2011年よりフリーライターに。主な執筆媒体はマガジンハウス『BRUTUS』『CasaBRUTUS』『Hanako』など。2020年にUターンしました。X
credit
撮影:黒川ひろみ
多様なライフスタイルを描けるようになった現代、
どこで暮らすのか、どう働くのか、その選択肢が広がっています。
「いずれは自分の生まれ故郷へ帰って働きたい」
「自然豊かな土地で暮らしたい」など、
地方へのUIターンを意識する人もいるでしょう。
でも、いざUIターンするとなると、どうやって仕事を探せばいいの?
所得が極端に下がってしまうのでは? など、不安に感じることは多いはず……。
そんなときは、地元の人たちに話を聞くのが近道!

11月16日(日)、青森県にUIターンした先輩のリアルな体験談を聞くイベント
「青森とわたしのこれから会議」が、内幸町にあるアンテナショップ
〈八戸都市圏交流プラザ 8base(エイトベース)〉で開催されました。
登壇した3名の女性のUIターン物語を紹介します。
次回は2026年1月24日(土)に開催予定。
申込フォームはこちら
Index
・ クロストーク①「移住を決意するときの心境は? 決め手は?」
・ クロストーク②「移住する際の準備や情報収集などで役に立ったことは?」

青森市にある建築会社〈日野建ホーム〉で働く佐々木芽さん。
中学までは弘前市、高校からは青森市で過ごした佐々木さんは、
高校卒業後、希望する学科へ進学するために上京しました。
2年間東京で学び、新卒で家電量販店に入社。約4年勤めたのちに転職し、
不動産掲載サイトの営業アシスタントと事務サポートとして働き始めます。
「転職後しばらくは幸福度が高かったのですが、
毎日、満員電車に揺られて通勤することに少しずつ嫌気がさしてきたんです。
自宅から職場まで片道1時間、往復で2時間。これが何十年も続くのか……? と」
転職から4年、佐々木さんが28歳くらいのときに移住を意識し始め、
約1年かけてUターンの準備をしました。
転職先は、県の就職情報サイトや大手の転職サイトから情報収集し、
接客と営業の経験を生かして地元の企業で働きたいとの思いから、
青森市の日野建ホームへ入社。現在はホームアドバイザーとして活躍しています。

これまで家電や不動産の仕事をしてきた佐々木さん。「住まいに関することに興味があるんです」(写真提供:佐々木芽)
自宅から車で約10分の場所に職場があり、
通勤は以前と比べるととても快適だと話す佐々木さん。
ごはんをつくったり、宅建の資格をとるための勉強をしたり、
自由に使える時間が増えたといいます。
「いまはお客さまのご要望を聞いて、理想の家づくりをアドバイスする仕事をしています。
『佐々木さんが担当してくれてよかった』と言っていただけたときはうれしかったですね。
東京では何千人もいる大きな企業に勤めていましたが、
いまは十数人の小さな会社なので、コミュニケーションもとりやすいです」

お客さんからいただいたという柿を、干し柿に。(写真提供:佐々木芽)

高校生のとき写真部だったという佐々木さん。カメラを片手に出かけることも。(写真提供:佐々木芽)
休日には、カフェ巡りをしたり、趣味のカメラを楽しんだり。
「私が高校生の頃にはなかったような、個人経営のおしゃれな飲食店や
イベントも増えています。SNSで調べて、休日に出かけるのも楽しみのひとつです」
佐々木さんは青森ライフを満喫しているようです。

横浜町の菜の花畑をバックに。(写真提供:佐々木芽)

続いては、コロカルでもライターとして活躍するフリーライターの栗本千尋さん。
八戸市出身・在住で、Uターン後に3人目のお子さんを出産しています。
旅行系の専門学校に進学し、東京でのひとり暮らしを満喫。
その後、旅行会社や編集プロダクション、
映像関連会社での勤務を経てフリーライターに。
憧れていた雑誌の仕事もできるようになり、充実した生活を送っていましたが、
いつからUターンを意識するようになったのでしょうか。
「東京で同郷の人と結婚したので、いずれは地元に帰るのかな……と、
ぼんやり考えていました。
夫は渋谷の飲食店に勤めていて、いずれ独立したいと話していたのですが、
東京で店を持つことがイメージできず、地元でならできるんじゃないかと。
でも東京での暮らしは大好きだったので、なかなか踏み切れなかったですね」
28歳で第1子、30歳で第2子を出産し、生活は一変。
ぼんやりと考えていたことが現実味を帯びてきました。
「夫の帰りは深夜なので、当時はほぼワンオペ育児をしていて、
東京での子育てに限界を感じるようになりました。
電車やバスに乗るのにも周囲に気を使いますし、
ベビーカーで出かけてエレベーターを待っていて、何往復も見送った末、
両手に子どもとベビーカーを抱えて、泣きながら階段を駆け上がったことも……。
東京での子育ては、いつも謝っていたし、泣いていた気がします。
誰の目も気にする必要のない場所で暮らしたいと思うようになりました」
そうした経験を経て、第1子が小学校に上がるまでには地元へ帰ろうと、
期限を決めたそう。
地元へ帰ってから3年間は夫の実家で2世帯同居し、
その間に、3人目のお子さんも出産。

夏になると親戚で集まり、プールやバーベキューをするのが定番。「このときはプールがなかったのでタライに入れました(笑)」(写真提供:栗本千尋)

義母の両親が米農家だったため、田んぼで遊んだことも。(写真提供:栗本千尋)
また、コロナ禍で予定より遅れたものの、
2024年には夫の迪(いたる)さんがビストロ〈NOMUU(ノムウ)〉をオープン。
築80年以上の中古物件を購入し、自宅兼店舗にしました。

写真提供:栗本千尋
「予算の都合で、床や壁、棚、キッチンに洗面台まで自分たちでDIYしました。
そのぶん愛着が湧いています。東京に住んだままだったら、
家を買ったりお店を出したりする想像すらできなかったので、
地元に戻ってきてよかったと思っています」
お店を出す夢や、自然と触れながらの子育てなどを、地元で叶えていました。

最後は、Iターンして起業した永井温子さんです。
福島県郡山市出身の永井さんは、弘前大学への進学のため弘前市へ。
当初は「何もない」と思い込んでいたという永井さんですが、
徐々に弘前への印象が変化していきました。
「私の地元は福島県の郡山市で、明治維新のあとに大きくなった新しいまちなんです。
歴史的なまち並みや伝統工芸が少なかったので、
それらが豊富にある弘前に魅力を感じました」
大学卒業後は、新卒でフリーペーパーを発行する関東の企業に就職。
2年ほど勤めたのちに転職し、広告代理店の営業として食品メーカーなどを担当しました。
震災関係のシンポジウムに参加した際に、
地域おこし協力隊制度を活用したローカルベンチャー育成プロジェクト
〈Next Commons Lab(ネクストコモンズラボ)弘前〉のコーディネーターと出会い、
「いつか東北で自分の会社をつくりたい」という夢を叶えるため、
弘前への移住を考えるようになったといいます。
「このプロジェクトは一般的な協力隊のように
自治体の臨時職員として雇用されるのではなく、
業務委託契約で個人事業主として委託費をもらいます。
各隊員にパートナー企業が設定され、
アドバイスを受けながら事業をつくっていくというものです。
この制度を活用して、弘前へIターンすることにしました」

写真提供:永井温子
当時の永井さんのミッションは、りんご農家を増やすための事業をつくること。
最初の1年間はりんご畑を手伝ったり、商品開発のお手伝いをしたりしましたが、
その後は会社を立ち上げ、2ヘクタールほどの畑でりんごを育てて、
ジュースに加工しています。

永井さんが運営する〈ヒビノス林檎園〉のりんごジュースは、今回のイベントでも提供されました。特徴的なロゴのデザインも永井さんが自ら手がけています。

休日に趣味である「スティールパン」(ドラム缶からつくられた打楽器)を、大自然をバックに演奏する永井さん。(写真提供:永井温子)
永井さんは、津軽地域の郷土料理を伝える「津軽あかつきの会」にも所属。
なんとこの会がきっかけとなり、結婚したそう。
「『祝言料理の再現をしたいからモデルをしてくれないか』と声をかけられ、
当時つき合っていた夫に聞いたところ、快諾してくれました。
『でも、うちら籍入れてないね、祝言を上げるんだったら結婚しといたほうがいいね』
みたいな。順番が逆だったんですが、祝言料理のために入籍しました(笑)」

津軽あかつきの会での祝言料理の再現の様子。(photo:Shintaro Tsushima)
さらに、来年にはご両親が定年を迎えるため、
弘前に引っ越してくることも決まっているんだとか。
来年からの暮らしにワクワクしている様子の永井さんでした。
それぞれのUIターンストーリーを聞いたあとは、
3つのテーマについてクロストークが繰り広げられました。

ファシリテーターを務めたのは、青森市出身のフリーアナウンサー、千葉真由佳さん。
「社内に地方創生の広告を展開する部署があり、その取り組みを見るうちに
『地方で働くのもありかもしれない』と思うようになりました。
私はひとりっ子なので、いずれは両親の介護も視野に入れなくてはなりません。
将来の生活を考えたときに、地元のほうが、負担が少ないのではないかと思ったんです」
(佐々木さん)
「東京での子育てに限界を感じていたあるとき、
帰省中に八戸の中心街にある〈マチニワ〉の噴水で
子どもたちがずぶ濡れになって遊んでいました。
ひとりのおばあさんが近づいてきて注意されるかもしれないと身構えたのですが、
『拭くのもってらんだが?』とハンカチを差し出してくれたんです。
ここでは子育てすることが許されるんだと感じて移住を決意しました」(栗本さん)

八戸市の中心街にある〈マチニワ〉。最初は手足だけのつもりが、最終的にはずぶ濡れになりがち。(写真提供:栗本千尋)
「何かひとつが決め手になったわけではなく、いろいろな要因が重なり、
移住の流れに身を任せていったようなイメージです。
もともと、いずれ東北に戻りたいなと思っていたんですが、
そのきっかけは、東京から弘前へ戻ったとき、弘前駅のエスカレーターを降りながら
『あぁ帰ってきた』って思ったんですよね。故郷以外の場所で、
『帰ってきた』と思える場所ができたんだ、と実感しました」(永井さん)
「母に話したところ、市の広報誌から情報を集めてくれて、
就職活動のための交通費の助成があることを教えてくれました。
ほかにも青森県の移住関連のウェブサイトを見たり、有楽町の東京交通会館にある
〈青森暮らしサポートセンター〉で話を聞いたりしました」(佐々木さん)

「私も青森暮らしサポートセンターで相談にのってもらいました。
移住にまつわる情報をたくさんもらえたほか、
その後もメールでサポートしてくれたので心強かったです」(栗本さん)
「私は今日のような移住に関するイベントや、
地域おこし協力隊のイベントなどに参加するようにしていました。
そこで意気投合した人も弘前に移住していて、いまでも仲がいいです」(永井さん)

「給与面は、5~6万円くらい下がるだろうなと覚悟していましたが、
前職と同じくらいのお給料をいただいています。
新車のローンと合わせても、東京で暮らしていた頃の家賃と同じくらい。
青森に帰ってきてからお金の使い方が変わり、
収支のバランスに納得感のある生活ができていると思います」(佐々木さん)
「ちょうど新型コロナウイルスの流行でリモート化が進んだので、
仕事は問題なく続けられています。東京にいた頃は、
子どもに対して叱ったりフォローしたりと、ひとり何役もしていたのですが、
八戸には子どもたちの祖父母もいるので、いろいろな役割から解放された気がします」
(栗本さん)

「まだ自分に役員報酬をたくさん払えないのでだいぶ収入は減りましたが、
あまりお金を使うタイプではないので、生活がガラッと変わったわけではありません。
弘前では4万円台の家賃で、6部屋もある一軒家に住んでいます。
物々交換の文化が残っているので、野菜農家さんから野菜をよくいただき、
代わりにりんごをお渡ししています」(永井さん)
トークセッションのあとは、ランチとスイーツを食べながらの歓談タイム。
津軽鉄道のストーブ列車で食べられる「ストーブ弁当」をオマージュし、
会場となった8baseが、この日のために特別なランチボックスをつくってくれました。

青森のモチーフをちりばめたデザインに包まれたランチボックス、りんごジュースやシードルなど、青森ならではのドリンクが振る舞われました。

八戸産の菊芋や、五戸町産のあべ鶏など、八戸圏域の食材を用いて特別につくられたメニュー。八戸の郷土料理であるせんべい汁もセットに。

楽しい歓談タイム。ゲストに話を聞いたり、参加者同士でもおしゃべりに花が咲いていました。
参加者は青森県出身者をはじめ、パートナーが青森出身の方、
旅行で訪れてから青森が好きになり移住を考えている方、
年明けにはIターンすることを決めている方などさまざま。
自身の状況や移住後のことなどを、ゲストに相談していました。


スイーツタイムに提供された、りんごのタルト。
ランチとスイーツを楽しみながらの歓談を終えたあとは、
未来の自分への手紙や、アンケートを記入する時間が設けられました。

この日のために特別につくられた便箋と封筒。切手風シールも青森がモチーフ。
UIターンにかける思いをしたためた手紙は、
1か月後くらいを目処に自宅へ届くというサプライズの仕掛けが。
この時間を思い出しながら、あらためて考えるきっかけになるかもしれません。
イベントの参加者からは、次のような感想が寄せられました。
「東京では待機児童の問題もありますが、
青森では希望する保育園にすぐ入れると聞いて安心しました。
逆に、保育園に入れずに自然に触れながら育てることにも憧れます」
「イベントに参加したことで、青森へ移住しようと考えている仲間が
ほかにもこんなにいるんだなと知ることができて、心強く思いました」

みんなで記念撮影。
第2回は、来年1月24日(土)、
赤坂の〈東北cafe&dining トレジオンポート〉にて開催されます。
申し込みは1月9日(金)まで。
当日はゲストや参加者同士だけではなく、移住相談窓口
〈青森暮らしサポートセンター〉の女性の相談員ともお話することができます。
いつか青森にUIターンしたいと考えている人は、参加してみては。
より具体的に未来が描ける機会になりそうです。
第2回のゲスト登壇者についてはこちらの記事で紹介しています。
information

青森とわたしのこれから会議
対象:青森県へのUIターンに関心のある女性
定員:各回20名(応募多数の場合は抽選)
参加費:無料(会場までの交通費等は自己負担)
問い合わせ:info(半角アットマーク)colocal.jp(「青森とわたしのこれから会議」事務局)
主催:青森県
第2回
日時:2026年1月24日(土)11:30~14:00(11:15受付)
場所:東北cafe&dining トレジオンポート(東京都港区赤坂3-12-18)
ゲスト:太田真季さん、冨岡未希さん、佐藤宣子さん
応募締め切り:2026年1月9日(金)23:59
【当日タイムスケジュール】
11:15 受付
11:30 オープニング
11:40 ゲスト紹介・クロストーク
12:20 ランチ交流タイム
13:00 スイーツ&お茶歓談タイム
13:40 クロージング
14:00 終了
※内容や時間配分が多少変わる可能性があります

今回のイベントに限らず、青森県へのUIターンに興味を持ったら
〈青森暮らしサポートセンター〉、通称「あおぐら」へ。
東京交通会館の〈ふるさと回帰支援センター・東京〉内にある、
青森県の移住に関する総合相談窓口です。
青森での仕事や暮らし、各種移住イベントなどの情報を得ることができます。
information
青森暮らしサポートセンター
住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館8F(ふるさと回帰支援センター・東京内)
Web:青森暮らしサポートセンター
Feature 特集記事&おすすめ記事
Tags この記事のタグ